2011-06-18

武内進一、野口哲典、P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ


 2冊挫折、1冊読了。

 挫折29『現代アフリカの紛争と国家 ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』武内進一(明石書店、2009年)/横書きのため読まずに図書館へ返す。買わなくてよかった、と胸を撫で下ろす。6500円だからね。

 挫折30『知ってトクする確率の知識 成功するにはワケがある!』野口哲典(サイエンス・アイ新書、2006年)/横書きのため1ページも読まず。横書きは漢字の香りを台無しにする。基本的に私は横書きテキストを読まない。

 38冊目『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編:河島英昭、他訳(冨山房百科文庫、1983年)/やっと読み終えることができた。20年越しの読書となった。冨山房〈ふざんぼう〉と翻訳者21名に感謝を捧げる。第二次大戦中にファシズムと戦ったパルチザンが、死刑直前に認(したた)めた遺書が収められている。取り乱した様子は殆ど見られない。それどころか敵をも許すよう家族に呼びかけている。彼らは理想に生き、理想に殉じた。無名の勇者たちが残した言葉は「人類の巨大な記念碑」といってよい。

愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理


『物語の哲学』野家啓一
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・自爆せざるを得ないパレスチナの情況
 ・9.11テロ以降パレスチナ人の死者数が増大
 ・愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る
 ・物語の再現性と一回性

『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
必読書リスト

 サルトルは言った。「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは今日飢えている20億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」と。

文学は役にたちますか?
飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か

 自問自答の深さが人々を粛然とさせる。文学に出来ることと出来ないことの境界を見極めようとする真摯な姿勢が胸を打つ。否、「胸を撃つ」というべきか。面白半分に扇情的な言葉をまき散らかすどこぞの都知事とは大違いだ。

 サルトルが示したテーマに岡真理は敢然と挑む。一人の文学者としてサルトルの前に正座で向き合う。正しい姿勢が凛冽さを放っている。

「アーミナ」とはアラビア語で「信じる人」を意味する(※イブラーヒーム・ナスラッラー著『アーミナの縁結び』2004年、邦訳未刊)。夫のジャマールは生前、アーミナにこう語った。

 人間とはいつ、自ら敗れ去るか、ねえアーミナ、きみは知っているかい? 人はね、自分が愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、自ら敗れ去るのだよ。たとえ彼にとってその瞬間、大切なものは自分自身をおいてほかにないと彼が思っていたとしてもね。それは本当のところ街をからっぽにしてしまうんだ。人もいなければ木々も、通りも、思い出も、家すらなく、あるのはただ家の壁の影だけ、そんな空っぽな街に……。

 自分と自分たちだけのことしか考えなくなったとき、人間は自ら敗北するのだというその言葉は、パレスチナ人に自分たちと等価の人間性を認めず、自分たちの安全保障しか眼中にないユダヤ人国家の国民たちに対する根源的な批判であるだろう。

【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年/新装版、2015年)】

 イスラエルとユダヤ人を巡る問題は、その根を数千年前にまで伸ばす。旧約聖書の出エジプト記に端を発す。事実の有無を問うことに意味はない。ヨーロッパ、中東、ロシア世界で何千年にもわたって信じられてきた歴史だ。

 世代から世代へと受け継がれると神話は事実と化す。物語とは時系列に因果を当てはめる脳の癖で、時間に支配されている。「昔々、あるところに――」。昔から現在へと向かい、未来を照らす教訓が物語であろう。

 私の人生で「わかっている」ことは私の過去だけである。「明るい未来」などという言葉があるがこれは嘘だ。明るいのであれば「見えている」はずだ。一寸先は闇だ。暗いということではなくして、見えないから闇なのだ。

 もう少し突っ込んでみよう。物心がついてから今日に至るまでが「私の世界」である。私にとって私が生まれる前の世界は存在しない。ところが父の世界があり、祖父の世界がある。私の存在しない世界を彼らは教えてくれる。こうして私は歴史的な存在となる。「昔々」が「私」という形に集約されるのだ。

 それゆえ壮大な物語は桁違いの過去を目指す。創世記、久遠実成(くおんじつじょう)、ビッグバン……みんな一緒だ(笑)。未来がわからないものだから、永遠性を求めて過去に向かうのだろう。多分そんなところだ。

 イブラーヒーム・ナスラッラーの言葉が心を揺さぶるのは、特定の宗教や政治性に彩られていないためだろう。万人が善と認める響きを伴っている。これが真の宗教性だ。

 一方、正義は対立概念であり悪と戦わざるを得ない。泥棒にとっての正義は盗むことである。アメリカの正義はタリバンから見れば悪となる。

 出エジプト記やバビロン捕囚の物語がユダヤ人迫害の口実となり、幾度となく虐殺されてきた。3000年に及ぶストレスがイスラエル建国に結びついた、というのが私の考えだ。

 人類に「新しい物語」が必要なのか、それとも「物語性から離れる」ことが重要なのか――ここ数年にわたって思索しているが、まだ立ち往生中である。

アラブ、祈りとしての文学 【新装版】

ユダヤ人が迫害される理由 I ユダヤ人の歴史
ユダヤ人が迫害される理由 II ドレフュス事件

2011-06-16

イカレてること


 世界のありようがこんな調子なら、イカレてることこそ、生きつづける唯一の資格になるんだ。それが、たったひとつの資格なのさ。(「奴隷」)

【『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ:邦高忠二〈くにたか・ちゅうじ〉訳(晶文社、1969年)】

ダッチマン/奴隷

ヴォルテール


 1冊挫折。

 挫折28『カンディード 他五篇』ヴォルテール:植田祐次訳(岩波文庫、2005年)/文章が肌に合わず。SFっぽい内容に驚いた。

教育の機能 3/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


自由の問題 1
自由の問題 2
自由の問題 3
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
教育の機能 1
教育の機能 2
・教育の機能 3
教育の機能 4
縁起と人間関係についての考察
宗教とは何か?
無垢の自信
真の学びとは

 教育を受け終わると我々は大人として社会に受け入れられる。社会とは殆どの場合において「会社」を意味する。そこで我々は労働力(≒商品)として扱われる。学校教育で叩き込まれた協同の精神は遺憾なく発揮され、数年も経てばいっぱしの企業戦士ができあがる。かつて人間であったことを失念しながら。

 私たちが成長し、大人の男女になるとき、みんなどうなるのでしょう。君たちは、大きくなったら何をしようかと、自分自身に問うたことがないですか。君たちはたいてい結婚し、自分がどこにいるのかも知らないうちに母親や父親になるでしょう。それから、仕事や台所に縛られて、しだいにそこから衰えてゆくでしょう。それが【君】の人生のすべてになってゆくのでしょうか。この問題を自分自身に問うたことはないですか。問うべきではないですか。君の家が豊かなら、すでにかなりの地位が保証されているかもしれません。お父さんが安楽な仕事を与えてくれるかもしれません。恵まれた結婚をするかもしれません。しかし、そこでもやはり腐敗し、衰弱するでしょう。わかるでしょうか。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)以下同】

 家事や仕事の本質は「繰り返し」である。社会や家庭は人間に「機能」を求める。生(せい)そのものが機械的になってゆく。押しつけられた「役割」は人間を部品として扱うため断片化せざるを得ない。

「自分がどこにいるのかも知らないうちに」――何と辛辣(しんらつ)な言葉か。人生の主導権を会社に奪われ、目的地まで勝手に決められる。

 生活の中で創造性を発揮したことがあるだろうか? 他人と比較しないところに喜びを見出したことがあるだろうか? もっと基本的なことだが今まで生きてきて自由を味わったことはあるだろうか?

 出自、学歴、才能、技術、性別、出身地、容貌、病歴など、あらゆる要因で社会は人間をランク付けする。社会とはヒエラルキーの異名であり、柔らかなカースト制度である。目に見えないバリアーが社会の至るところに張り巡らされている。

 生という、微妙なすべて、そのとてつもない美しさ、悲しみ、喜びのある大いなる広がりを理解する助けとならないなら、教育には確かに意味がありません。君たちは学歴を得て、名前の後に肩書きを連ね、とてもよい仕事に納まるかもしれません。しかし、それからどうなるでしょう。その過程で心が鈍り、疲れて愚かになるなら、それが何になるのでしょう。それで、若いうちに生とはどういうものなのかを探して見出さなくてはならないでしょう。そして、これらすべての問題の答えを見出そうとする智慧を君に涵養することが、教育の真の機能ではないのでしょうか。智慧とは何か、知っていますか。確かに智慧とは、何が本当で何が真実なのかを自分自身で発見しはじめるように、恐怖なく公式なく、自由に考える能力です。しかし、怯えているなら、決して智慧は持てないでしょう。精神的だろうと現世的だろうと、どんな形の野心も不安と恐怖を生み出します。そのために野心は、単純明快、率直で、それゆえに智慧のある心をもたらす助けにはなりません。

 我々は怯(おび)えている。いつ職を失うかもしれない。災害に遭遇するかもしれない。そして病気になるかもしれないのだ。この恐怖感が依存を生む。親に依存し、会社に依存し、国家に依存する生き方が形成される。

 現在行われている教育は体制に従わせる教育であり、労働者と兵士を育てるところに目的がある。学校は納税者製造工場といってよい。つべこべ言わないで大人には従え、逆らうな、そうすれば最低限の面倒はみてやろう。これが職業教師の教えていることだ。

 本来、学ぶことは驚きに満ちているものだ。知ることは喜びであったはずだ。ところが、あれだけ物語をねだっていた幼子たちが、長ずるにしたがって本を読まなくなる。新しい世界に手を伸ばそうとしないのだ。

 社会全体を柔らかなファシズムに覆われ、子供たちには薄い膜のようなプレッシャーが連続的に与えられる。子供たちはいなくなった。存在しているのはペットと家畜だけだ。

 私は新生児に向かって呟く。「残酷極まりない世界へようこそ」と。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

2011-06-15

マネーゲームの作法/『騙されないための世界経済入門』中原圭介


 投資本は大仰(おおぎょう)なタイトルで人目を惹きつけ、欲望を煽り立て、甘く囁く。「一攫千金(いっかくせんきん)を願うならば、まずはこの本に投資しなさい」と。「普通預金の金利が0.02%だから、それ以上のリターンがあるなら一つやってみるか」となりやすい。

 こうしてカモのご来店となる。「いらっしゃいませ、賭場(とば)へようこそ」。ビギナーズラックは強烈な快楽となって脳内に刻印される。性的快感と同じ部位が反応することが医学的に明らかになっている。

 詐欺まがいの投資本が多い中で、中原圭介はいぶし銀のような光を放っている。経済の原則から合理性を追求する姿勢は信頼に値する。わけのわからん勝率や利益率とも無縁だ。彼は2007年のサブプライムショックを事前に予測した人物の一人でもある。

 住宅ローンの不良債権化が一服し、貸倒引当金の計上を減らしたことが好決算を支えています。
 これを明るい材料と見なし、あたかも米国の危機は去ったかのように報じられることが多いのですが、私はそうではないと考えています。
 なぜなら、【金融機関の業績回復は、単に民間の赤字が政府へ移転された結果にすぎない】からです。

【『騙されないための世界経済入門』中原圭介(フォレスト出版、2010年)以下同】

 これを「リスクの付け替え」と称する。簡単にいえば政府の赤字は国民の黒字ということであり、アメリカの借金は世界の財産を意味する。

日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信

 つまりサブプライムショック、リーマンショックを経てアメリカは金融緩和政策を行ってきたが、リスクが政府に移動しただけで問題解決になっていないという指摘だ。すると、世界経済そのものがサブプライム化していると考えるべきなのだろう。これぞ、資本主義のインフレマジック。

 1980年代初頭には、米国の企業収益に占める金融機関の割合は全体の10%にすぎませんでしたが、2000年には全体の45%を金融機関が稼ぎ出すまでになりました。

 絶対におかしい。いつの間にか昔は株屋と蔑まされた証券会社がいっぱしのエリート面をしている時代になっている。銀行だって所詮金貸しだ。他人の褌(ふんどし)で相撲を取っているだけで、何ひとつ生産しているわけではない。右から左へお金を動かすだけで利益が出る商売なのだ。

 堀江貴文村上世彰〈むらかみ・よしあき〉が世間の耳目を集めた頃、「マネーゲームはダメだ。やはり額に汗して稼ぐことが正しい」という声がメディアに溢れた。

 馬鹿丸出しである。しかも、スタジオのスポットライトで額に汗する連中が市民面をして言うのだから、開いた口が塞がらない。経済行為はその全てがマネーゲームだ。労働と賃金を交換しようが、先月買った株を売却しようが本質は一緒である。経済行為とは交換の異名であることを弁える必要があろう。

 ヨーロッパを見ればもっとわかりやすい。富豪とは働かない人々を指すのだ。彼らは先祖から譲り受けた資産を運用しているだけだ。

 更に具体的に申し上げよう。我々が労働で得た賃金は預金となって必ずどこかへ投資されているのだ。だからマネーゲームを批判するのであれば、まず最初に銀行を槍玉に挙げることが正しい。

 話を戻そう。では1980年代に何があったのか? アジア諸国で準固定相場制度が普及したことと、プラザ合意(1985年)が大きな要因だと思われる。プラザ合意は日本をバブル景気へと導いた。1980年代後半には東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという話まで出たが、失われた10年で資産はアメリカに全部持っていかれた。実は日本から流れたマネーがアメリカの住宅インフレを支えていたのだ。

固定相場制以前、固定相場制時代、変動相場制時代の主な出来事

 財政を引き締めるということは、その国の経済が弱まることを意味しますから、通貨安の要因となります。
 また、金融緩和で市中に供給されるマネーの量が増えれば、需要と供給の関係で通貨の価値は下がります。
 よって、2011年に入っても、ごく自然な形でドル安傾向が維持されることになるわけです。

 これはアメリカの話。ま、貧血みたいな状態と考えてよかろう。円高ドル安は止まらない。

 ほかの国々は、このままの一方的なドル安を容認しないでしょう。
【今後は新興国を中心に、ドル買い自国通貨売りの為替介入が進み、ドル安を押し戻す動きが強まる】はずです。

 実際に世界的な通貨安競争となったわけだが日本は何もしなかった。指をくわえて眺めていただけだ。

【「経済の本質」から言って、物価が上がらない最大の原因は、労働者の賃金が上がらないところにあります】。私は「この本質」が、他のあらゆる経済理論に対して優先されるべきであると確信しています。
 健全なインフレは「労働者の賃金上昇→消費の拡大→物価の上昇」というプロセスで起こります。悪性のインフレは論外ですが、年2%程度の物価上昇が続く健全なインフレは、持続的な経済成長するためには不可欠なものです。

 中野剛志〈なかの・たけし〉が散々指摘しているように日本経済の最大の問題はデフレである。供給過剰で物が売れない状態がデフレだ。で、売れないものだから値下げ競争に拍車がかかる。当然、賃金も下がる。企業は安い労働力(派遣労働者、外国人労働者など)を確保する。軽自動車、ユニクロ、100円ショップが国内を席巻する。

【経済の本質では、財政再建を進めれば、景気は悪くなります。】
 それがわかっていれば、「景気が上向く」という予測などできないはずなのです。

 カンフル剤を打つべき時に政府は国民に献血しろと促している。TPPや増税は「臓器を提供しろ」と言っているようなものだ。

600兆円の政府紙幣を発行せよ/『政府貨幣特権を発動せよ。 救国の秘策の提言』丹羽春喜

【経済が成熟した国では、通貨安がインフレを招くことはありません】。輸入物価が上昇しても、消費減少による物価下落圧力が相殺してしまうからです。

 これはTPPへの反論にもなっている。

 私が高度情報化社会の弊害だと感じているのは、【人々のマインドの振れを大きく、かつ深化させてしまう】という点です。要するに、溢れるように流れ込んでくる情報の洪水が私たちの頭の中に蓄積され、いつしかそれが概念そのものになってしまう危険性があるということです。

 これは違う。なぜなら概念は情報であるからだ。行動情報化社会の弊害は、政府や広告代理店による情報操作だ。ディスクロージャー(情報公開)を問うべきであって、スピードを戒めるべきではない。

 総じて中原はマネーゲームの作法を誠実に教えいてる。

騙されないための世界経済入門

信仰者と科学者


 信仰者は合理性を無視する。科学者は他者への共感を欠いている。

グレッグ・ルッカ


 1冊読了。

 37冊目『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ:古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、2005年)/アティカス・コディアック・シリーズの番外編で、ブリジット・ローガンが主役となっている。解説で北上次郎(目黒考二)が絶賛している。「ようやくブリジットに会えた! それが何よりもうれしい」と。金のために書かれたような文章だ。まったく信用ならない。鼻ピアスで身長が185cmのブリジットはシリーズ第1作に登場した時からやさぐれたキャラクターとして描かれている。そうであったにせよ、グレッグ・ルッカは本書で禁じ手を犯した。作品に対して作家は神の位置を占める。登場人物を堕落させたり蹂躙(じゅうりん)することは最もたやすい。つまり私に言わせれば、著者がブリジットを汚(けが)してしまったのだ。このためアティカスの配慮が優柔不断にしか見えない。ライザの身勝手さも底が浅く、そうならざるを得ない人間心理が描けていない。文書がいいから読めるものの、ストーリー性という点では全く評価することができない。

言葉は危険


 言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。(イビチャ・オシム)

【『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社インターナショナル、2005年/集英社文庫、2008年)】

オシムの言葉 (集英社文庫)

2011-06-14

吉村昭


 1冊挫折。

 挫折27『高熱隧道』吉村昭(新潮社、1967年/新潮文庫、1975年)/「こうねつずいどう」と読む。文章のリズムが合わなかった。事実の羅列が長すぎて、私の脳にスッと入ってこなかった。黒部ダムを築いた人柱を描いた小説だ。電力と国策に興味がある人は必読のこと。

民主主義の正体/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル


 ツイッターにブロック機能というのがある。フォローされた相手のタイムラインに自分の投稿が表示されなくなるというもの。

 そもそもツイッターとは、呟(つぶや)き、囀(さえず)りといった意味合いなので独り言が基本である。だが妙な絡み方をする輩が必ず出てくる。目の前にいれば2~3発殴ってやれば済むのだが、光回線越しだとそうもいかない。

 だから私はどんどんブロックする。流れてきたリツイートやtogetterなどで癇に障る文章を見たら、片っ端からブロックする。後で間違えてフォローすることがないように先手を打っているのだ。

 大体、インターネット上にいる大半の人はまともではない。頭がおかしいというよりも、コミュニケーションスキルがなさすぎるのだ。文脈を無視して、つまらない印象を書いている人が目立つ。

 数年前からブログが大流行したが、読むに値するものは十に一つもないだろう。日記の類いが一番多いと思われるが、はっきり言って個人の日常に対して一片の興味も覚えない。

 次にこれは私も含まれるのだが、政治テーマや社会問題に対する意見・主張・文句・呪詛(じゅそ)がある。日本は民主主義国家なので、いくら首相を口汚く罵っても逮捕されることがない。ただし天皇の悪口を言うと右翼から襲われる可能性がある。

 我が国の民主主義は投票制度を意味するものであって民主的な合意形成とは無縁だ。私は既に半世紀近く生きているが、政治家から政治的な意見を求められたことが一度もない。我々は投票率や世論調査のパーセンテージを支える存在であっても政治の主体者ではない。

 政治制度の理論はどうでもいい。それよりも議院内閣制に国民の声が反映されていない事実を自覚すべきだ。福島の原発事故はその実態を白日の下にさらけ出した。

 そもそも政党政治である以上、選挙による政策の選択肢は限られている。原子力発電所の右側に保守、左側に革新勢力が鎮座している。国家権力があって、権力を牛耳る連中がいるゆえ、左右という政治ポジションが消えることは考えにくい。

 ま、こんなことをダラダラと書くこと自体、あまり意味のあることではない。それでも尚、私は何か言わずにはいられないし、書かずにはいられない。

 現代のもっとも大きな詐欺の一つは、ごく平凡な人に何か言うべきことがあると信じさせたことである。(ヴォランスキー)

【『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル:吉田城〈よしだ・じょう〉訳(大修館書店、1988年)】

 E・H・カーが近代以前の民衆は「歴史の一部であるよりは、自然の一部だった」としている(『歴史とは何か』)。驚くべき指摘だ。

 つまり、デカルトが「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)と言うまで、民衆に自我は存在しなかったのだ。近代の扉は「我」の発明によって開かれた。

 では私の意見を吟味してみよう。果たして本当に私の意見なのだろうか? 政治的な主張は田原総一朗の受け売りかもしれないし、人生の態度を説く場合はブッダやクリシュナムルティをパクっている可能性が高い(笑)。

 私はメディアからの情報に反応し、本を読んでは影響を受け、自分の感受性に適合した何かを編んでいるだけであろう。たとえ涙こらえて編んだセーターであったにせよ、毛糸を作ったのは他の誰かだ。

 私は私の権利を主張する。これが人権感覚の基本となる。私が大事であればこそ、見知らぬ誰かも大切な存在と受け止めることができる。

 でもさ、本当はただの化学反応かもしれないね。

速く:A Time Lapse Journey Through Japan

 この動画を観ると人間がアリと変わらないように思えてくる。

 悩みや苦しみは多くの場合、社会的な関係性から生じる。現実的に考えれば、痛みや疲労を大声で訴えないと群れから置いてけぼりを食らう。周囲からの配慮がなければ自我は保てない。

 ネット上の人々を私が蔑んでいるように、政治家も私を見下しているはずだ。

 民主主義の正体はひとかどの意見を言うことで、何かを成し遂げたと錯覚することなのだろう。

世界毒舌大辞典

ロラン・トポール「知性は才能の白い杖である」/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル
毒舌というスパイス/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル
フェミニズムへのしなやかな眼差し/『フランス版 愛の公開状 妻に捧げる十九章』ジョルジュ・ヴォランスキー属人主義と属事主義/『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一
目的や行為は集団に支配される
Mercedes Sosa - Todo cambia
犬のパンセ
非難されない人間はいない/『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ

料理進化論/『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム


 ヒトとサルを分けるものは何か? 「服を着ているかいないかの違いだな」。確かに。「美容院にも行かないわね」。その口で美容を語らないでもらいたい。「タイムカードも押さないよな」。彼らの方が幸せなのかもしれない。

 ま、一般的には二足歩行・道具の使用(厳密には道具の加工製作)・火の使用・言語によるコミュニケーションといわれる。身体的な特徴としては何といっても「巨大な脳」である。二足歩行であるにもかかわらず、最も重い頭が一番上に位置している。

 脳は体重の2%ほどの重さしかないにもかかわらず、全体の20~25%ものエネルギーを消費する。他の霊長類では8~10%、哺乳類では3~5%にすぎない(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。

 このため人間は高カロリーの食べ物を必要とした。それが「肉」である。ま、よく知られた話だ。リチャード・ランガムはもう一歩踏み込む。

 本書において私は新しい答えを示す。すなわち、生命の長い歴史のなかでも特筆すべき“変移”であるホモ属(ヒト属)の出現をうながしたのは、火の使用料理の発明だった。料理は食物の価値を高め、私たちの体、脳、時間の使い方、社会生活を変化させた。私たちを外部エネルギーの消費者に変えた。そうして燃料に依存する、自然との新しい関係を持つ生命体が登場したのだ。

【『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2010年)以下同】

 つまり調理によってエネルギー摂取が劇的に高まるというのだ。実に斬新な視点である。生で食べると大半の栄養は吸収されないとのこと。そう考えると、案外「加工」にヒトの本質があるような気がする。

 変異の最初のシグナルは260万年前に見られる。エチオピアの岩から掘り出された鋭い石片で、丸い石を意図的に打ち削って道具にしたものだ。そういう単純なナイフを使って、死んだレイヨウから舌を切り取ったり、動物の肢の腱を切って肉を取ったりしていたことが、化石の骨についた傷からわかった。

 人類最初のテクノロジーは小さな斧だった。たぶん黒曜石のような石を使ったのだろう。もちろん武器にもなった。

 したがって、私たちの起源に対する問いは、アウソトラロピテクスからホモ・エレクトスを発生させた力は何かということになる。人類学者はその答えを知っている。1950年代以降もっとも支持されてきた学説によると、そこに働いた唯一の力は“肉食”である。

 結局のところ、二足歩行・道具の使用・火の使用は脳の巨大化に直結している。肉と脳。肉欲だ(笑)。

 料理した食物は生のものより消化しやすいのだ。牛、羊、子豚などの家畜は、調理したものを与えるとより早く育つ。

 ってことはだよ、本来なら調理することで人間は少ない食べ物で生きることが可能になったはずだ。エネルギー効率が上がるわけだから。発達した脳は農耕を可能にした。更に牧畜や漁業で計画的に食料を確保できるようになった。にもかかわらず我々は貪欲に地球を食い尽くそうとしている。

 結果はどちらのグループでもほぼ同じだった。料理した卵の場合には、タンパク質の消化率は平均91パーセントから94パーセントだった。この高い数値は卵のタンパク質が食物としてすぐれていることから当然予測できる。しかし、回腸造瘻術の患者について、生の卵の消化率を測定すると、わずか51パーセントしかなかった。

 回腸造瘻術とは、癌患者が小腸の一部に穴を開けて老廃物を排出させるもの。消化のメカニズムは複雑で奥が深い。

 着想は素晴らしいのだが本の構成が悪い。もうちょっと何とかならなかったのかなあ、というのが率直な感想だ。

火の賜物―ヒトは料理で進化した

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

誰それの息子


 世の中には「誰それの息子」でしかない人間とか、「どこどこ大学卒」以上でも以下でもない人間みたいなものがたくさんいる。

【『山手線膝栗毛』小田嶋隆(ジャストシステム、1993年)】

山手線膝栗毛

2011-06-13

フランク・シェッツィング


 1冊挫折。

 挫折26『深海のYrr(イール) 上』フランク・シェッツィング/北川和代訳(ハヤカワ文庫、2008年)/120ページほどで止める。クライブ・カッスラーのダーク・ピット・シリーズと似た作風だ。エンタテイメント色が強すぎて好みではない。それでも翻訳がよくてスイスイ読める。巻末見返しに著者近影が掲載されているが、見るからにナルシストっぽい。登場人物の造形も鼻につく。致命的なのは、自己鏡像認知が可能なのは「チンパンジーとオランウータンだけ」(116ページ)としているところ。直前に象はできないと書いてあるが、これは完全な誤り。他の記述も眉に唾したくなる。

投げやりな介護/ブログ「フンコロガシの詩」


 妙なブログを見つけた。明らかに変だ。

フンコロガシの詩

 まず書き手の性別がわからなかった。で、古い記事を最初から辿ると、要介護者である父親は投資詐欺に引っ掛かっていた(5400万円!)。介護と詐欺被害が奏でる二重奏は、スキー場で骨折した直後、雪崩(なだれ)に襲われたも同然だ。あまりにも気の毒で、「気の毒」と書くことすらはばかられる。

 何の気なしに読み進むと更なる違和感を覚える。軽妙な筆致と投げやりな態度に。「ったく、面倒くせーなー」オーラが全開なのだ。

 介護は介が「たすける」で、護は「まもる」の謂いである。そして実はここに落とし穴があるのだ。人は弱者を前にすると善人を気取りたくなる。障害を「障がい」と書こうが、個性だと主張しようが、弱者であるという事実は1センチたりとも動かない。

 どんな世界にも論じることが好きな連中がいるものだ。実際に介護をする身からすれば、オムツ交換を手伝ってもらった方がはるかに助かる。

 この書き手は善人ぶらない。それどころか偽悪的ですらある。認知症はわかりやすくいえば「自我が崩壊する」脳疾患といってよい。じわじわと本人の記憶が侵食され、溶け出してゆく。介護は労多くして報われることが少なくなってゆく。

 多くのケースだと、親身になりすぎて介護者が音(ね)を上げてしまう。「ここまで一生懸命尽くしているのに……」となりがちだ。

 ところがどっこい、藤野ともねは「投げやりな態度」で一定の距離感を保っているのだ。ここ重要。星一徹は一方的に息子の飛雄馬(ひゅうま)を鍛えたが、これを介護とは呼ばない(←当たり前だ!)。介護者から要介護者への一方通行では関係性が成立しないのだ。相手に敬意を払うのであれば、たとえ寝たきりで閉じ込め症候群(locked-in syndrome)になったとしても、反応を確かめる必要がある。

 反応を確かめるわけだから、近づきすぎることなく適当な距離感が求められる。この距離感を藤野は「投げやりな態度」で表現しているのだ。

 ブログが書籍化されるようなんで一丁読んでみるか。

【※本が上梓されることとなったので、敢えて敬称を略した】

カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために

頑張らない介護/『カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために』藤野ともね

犀の角のようにただ独り歩め


 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1958年/岩波ワイド文庫、1991年)】

ブッダのことば―スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)

Rhino

宗教とは何か?/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

2011-06-12

教育の機能 2/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


自由の問題 1
自由の問題 2
自由の問題 3
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
教育の機能 1
・教育の機能 2
教育の機能 3
教育の機能 4
縁起と人間関係についての考察
宗教とは何か?
無垢の自信
真の学びとは

 前の段で教育とは何かを問うよう促し、教育の目的が「生の理解」にあることをクリシュナムルティは指摘した。

 それで、教師だろうと生徒だろうと、なぜ教育をしていたり、教育をされているのかを自分自身に問うことが重要ではないでしょうか。そして、生とはどういうものでしょう。生はとてつもないものでしょう。鳥、花、繁った木、天、星、河とその中の魚、このすべてが生なのです。生は貧しい者と豊かな者です。生は集団と民族と国家の間の絶え間ない闘いです。生は瞑想です。生は宗教と呼ばれているものです。そしてまた心の中の微妙で隠れたもの――嫉妬、野心、情熱、恐怖、充足、不安です。このすべてともっと多くのものが生なのです。しかし、たいがい私たちは、そのほんの小さな片隅を理解する準備をするだけです。私たちは試験に受かり、仕事を得て、結婚し、子供が生まれ、それからますます機械のようになってゆくのです。生を恐れ、怖がり、怯えたままなのです。それで、生の過程全体を理解するのを助けることが教育の機能でしょうか。それとも、単に職業やできるだけ良い仕事を得る準備をしてくれるだけなのでしょうか。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

「なぜ教育をしていたり、教育をされているのか」とわずか一言で教育が手段と化している現状を言い当てている。教える側と教えられる側の向かい合う関係性が社会の奴隷を育成する。生徒は教師に隷属せざるを得ないからだ。大人が教えるのは「社会における正しい反応の仕方」である。

 コミュニティはルールで運営される。それがマフィアのオメルタであろうと村の掟であろうと一緒だ。ルールを破った者は制裁されるか、村八分となって保護を失う。社会の本質は交換関係にある。

「生は貧しい者と豊かな者です」という対比、「このすべてともっと多くのものが生なのです」というカテゴライズの超越、ここにクリシュナムルティ講話の真価がある。つまり細心の注意を払って言語化しながら、言語化された思考を破壊するのだ。なぜなら思考は生の一部ではあっても全体ではないからだ。

 ここに哲学と宗教の根本的な相違がある。哲学は言葉を信頼するあまり、現実から遠ざかってどんどん抽象化せざるを得ない。形而上へ向かって走り出した言葉は庶民の頭上を素通りしてゆく。私は半世紀近く生きているが、哲学によって生き方が変わったという人物を知らない。

 言葉の本質は翻訳機能である。コミュニケーションの道具といってもよい。こちらの表現が拙くて相手が誤解することは決して珍しいことではない。

 本来であれば宗教は悟りによって言葉を解体してゆくべきであるにもかかわらず、教団はドグマ(教条)でもって人々を支配した。教義は言葉である。教義が絶対的な真理であるならば、悟りや啓示は思考の範疇(はんちゅう)に収まることとなる。

 思考は様式化しパターン化に至ることを避けられない。我々は昨日と同じことを繰り返し、今日という日を見失うのだ。自我の正体は「私という過去」であろう。今まで行ってきたこと、言ってきたこと、思ってきたことの集成が自我である。

 同じことを一貫して繰り返す人を社会では「信念の人」と呼ぶ。信念を枉(ま)げることを我々は自由と認めない。変節漢は裏切り者の烙印(らくいん)を押される。

 人間は適度に束縛されることを好む。胎児の時は羊水に守られ、赤ん坊の時は母親に抱かれ、衣服で身を包む。人間が集団を形成する理由もここにあるのだろう。

 ブッダは「犀(さい)の角(つの)ようにただ独り歩め」と説いた。クリシュナムルティは「単独であれ」と教えた。

ただひとりあること~単独性と孤独性/『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 単純に社会を否定した言葉ではあるまい。関係性を問い直しているのだ。

 家族、地域、職場、自治体、国家の全てが帰属を要求する。「義務を果たせ」と言い募る。我々は依存することで生を見失ってゆく。そして経済はすべてのものを商品化し、売買対象へと貶(おとし)める。

 親は子供たちをいい学校へ、いい企業へ送り込もうと頑張る。子供を高い値段で買わせるのが目的なのだろう。学歴は付加価値である。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

無記について/『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元

キリスト教を知るための書籍


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・必読書リスト

『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (文春文庫)
『科学と宗教との闘争』ホワイト
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
『魔女狩り』森島恒雄
奇跡を考える 科学と宗教 (講談社学術文庫)
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
世界の構造は一人の男によって変わった/『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文
『青い空』海老沢泰久
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
『イエス』R・ブルトマン
『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静
〈私〉だけの神――平和と暴力のはざまにある宗教
『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士
イエス・キリストは実在したのか?
・『仁義なきキリスト教史』架神恭介
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット
『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『死生観を問いなおす』広井良典
『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ

エドワード・S・カーティス


 1冊読了。

 36冊目『ネイティヴ・アメリカンの教え』写真=エドワード・S・カーティス:井上篤夫訳(ランダムハウス講談社文庫、2007年)/10分で読了。924円は高い。だが彼らの風貌を目撃し、大地の中から生まれた言葉に接することを思えば値段は気にならない。ネイティヴ・アメリカンが自分のことを「インディアン」と呼ぶ哀しさ。それでも尚、先祖の教えを奉じ、大自然と共に生きた。ヨーロッパから流れ着いたキリスト者が彼らを虐殺した。宮崎駿〈みやざき・はやお〉が国債的な評価を受けていることを踏まえれば、アニミズム復興は可能だと思う。アニミズムはキリスト教思想を解体する有効な手段の一つであると私は考える。

不確かな道


 ただ独り、不確かな道を歩め。

【『蝿の苦しみ 断想』エリアス・カネッティ/青木隆嘉訳(法政大学出版局、1993年)】

蝿の苦しみ 断想