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2018-08-17

三島由紀夫が憂えた日本の荒廃/『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り 何が始まったのか』中条省平


『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫

 ・三島由紀夫が憂えた日本の荒廃

『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介

 三島由紀夫の死には、政治的な速効性はありませんでしたし、三島自身もそんなことは初めから思ってもいませんでした。しかし、30年以上たった今から考えると、彼の最後の行為は、戦後日本の精神的荒廃への生命を賭した警告という意味が際だって見えてきます。この日本の荒廃を、三島は一貫して、今のインタビュー発言にもあるとおり、「偽善」と呼んでいます。
「偽善」とは、民主主義の美名のもとに人間の生き方や国の政策に関する意思決定を自分でおこなおうとせず、個人と社会と国家のとりあえずの目的を経済成長(つまり金もうけ)のみに置き、精神の空虚を物質的繁栄で糊塗する態度にほかなりません。

【『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り 何が始まったのか』中条省平〈ちゅうじょう・しょうへい〉(実業之日本社、2005年)以下同】

 もともと三島由紀夫には興味がなかった。中条省平はフランス文学者だが書評や映画評を書いていて時折り目を惹(ひ)くものがあった。ところがどうだ。中条の文章を読むつもりだった私は完全に三島の虜(とりこ)となった。果たして今、「切腹してまで伝えたいメッセージ」を持つ人物がいるだろうか? 腹を切るのは日本男児として最高の責任の取り方である。政治家も学者も教師も責任逃れの言いわけばかり巧みになり、大人が無責任になってしまった時代のきっかけは、三島の声に耳を傾けなかったところに遠因があると思われてならないのだ。

 佐藤栄作首相(当時)は「憲法改正を考えるならば、他にいろいろな方法があるはずだ。暴力行為に訴える了見はわからない。気が狂っているとしか思えない」と語り、中曽根康弘防衛庁長官(当時)は「世の中にとってまったく迷惑だ」と言い放った。三島の行動を浅墓にもテロと見なした自民党政治は、学生運動の衰退に合わせて腐敗の度を増していった。

佐藤栄作と三島由紀夫/『絢爛たる醜聞』工藤美代子

 多くの人々が嘲笑う中で三島のメッセージを肚(はら)で受け止めた人も少ないながら存在した。作家の森茉莉はこう記した。

「首相や長官が、三島由紀夫の自刃を狂気の沙汰だと言っているが、私は気ちがいはどっちだ、と言いたい。現在、日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が失われていることで、はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬のある扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。……三島はこの無風帯のような、日本の状態に、堪えられなかったのと同時に、文学の世界の駘蕩とした、(一部の優秀な作家、評論家は除いて)無感動なあり方にも堪えられなかった」

 敗戦から復興までは駆け足で進んだ。朝鮮特需(1950-55年)をテコにして日本は高度経済成長を迎える。暇な学生たちが大騒ぎをしたのも「食う心配」がなくなったためだろう。マスコミや知識人たちは学生運動の味方をすることで戦争責任の免罪を試みた。かつての軍人は肩身が狭く沈黙を保った。豊かになれば食べ物が余り、そして腐ってゆく。人の精神もまた。








 戦争を工事現場に例える感覚がまったく理解できない。そもそも戦争とは殺し合いなのだ。で、平河某は工事現場で300万人の死者が出ても同じ考え方をするのだろうか?

 戦後の戦争アレルギーが平和ボケとなり、平和ボケがより一層戦争アレルギーを強める。軍事力を持たないチベットやウイグルが中国共産党によって虐殺され、中国が領空・領海侵犯を繰り返し、北朝鮮が核弾頭を日本に向ける現状において、反戦・平和を唱える連中は頭がおかしいと言わざるを得ない。大体、戦争もできない国家が国民を守れるはずがないのだ。

 我々は今こそ三島由紀夫の遺言に耳を傾けるべきだ。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
 このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
 日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。

「果たし得ていない約束」三島由紀夫/サンケイ新聞 昭和45年7月7日付夕刊

 三島の演説に対して自衛官は野次と怒号で応えた。日本人は魂までGHQに占領されてしまったのだ。三島事件こそは東亜百年戦争のエピローグであった。

2018-06-06

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 鹿野の絶食さわぎは、これで一応おちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追求を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当たったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追求しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ(ママ)文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。
 その時の鹿野にとって、おそらくこの言葉は挑発でも、抗議でもなく、ただありのままの事実の承認であっただろう。だが、こうした立場でこのような発言をすることの不利は、鹿野自身よく知っていたはずである。私はまたしてもここで、ペシミストの明晰な目に出会うのである。私には、そのときの鹿野の表情がはっきり想像できる。そのときの彼の表情に、おそらく敵意や怒りの色はなかったのであろう。むしろこのような撞着した立場に立つことへの深い悲しみだけがあったはずである。真実というものは、つねにそのような表情でしか語られないのであり、そのような表情だけが信ずるに値するのである。まして、よろこばしい表情で語られる真実というものはない。
 施は当然激怒したが、それ以上どうするわけにも行かず、取調べは打切られた。爾後、鹿野は要注意人物として、執拗な監視のもとにおかれたが、彼自身は、ほとんど意に介する様子はなかった。
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」――強靭な精神が発した言葉は強烈に私の魂を打った。極寒と飢えに苛(さいな)まれる最果ての地で、抑留された日本人は涙も凍りつき、感情を喪い、抵抗する意志を奪われた。そんな中にあって鹿野武一〈かの・ぶいち〉はただ独り闘った。彼はソビエト当局に反抗したわけではない。ただ必死に自分の人生を生きようと試み、そして生きた。

 本テキストの直前の文章は「ナット・ターナーと鹿野武一の共通点」で紹介している。竹山道雄を読んでから今まで見えなかったものが見えるようになった。

 私はシベリア抑留に関してそれほど読んできたわけではない。ただ抑留者であった石原吉郎、香月泰男〈かづき・やすお〉、内村剛介の三者三様の態度にすっきりしないものを感じていた。香月は「とにかく一切の指導者、命令する人間という者を信用しない。だから組織というものも右から左までひっくるめて一切信用しない」(『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆)と叫んだ。内村は石原の沈黙を批判した。内村が左翼であるかどうは知らないが、左翼的思考の持ち主であることは確かだろう。佐藤優が推(お)しているので読む必要はないと判断する(内村剛介著『科学の果ての宗教』)。

 多田茂治は「『戦利品』の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた」(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』)と書いているが、敗戦国の罪を論(あげつら)うことによってソ連の罪を相対化する愚を犯している。

 沈黙の裏側には間違いなく国家不信があったことだろう。北朝鮮による拉致被害者の心情を推し量ることができる。また抑留者が全く語らぬ一つの事実がある。それはソ連当局による洗脳だ。抑留者であった瀬島龍三はソ連のスパイだったという説がある(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。彼らは二重の意味で国家に不信を抱いたことだろう。祖国にも敵国にも。

 本当の哀しみは深い穴の底に溜まった水のようなもので決して言葉にし得ない。その水を他人が汲(く)み上げることはできない。「絶望という名の悟り」とでも名づける他ない境地である。

 鹿野武一〈かの・ぶいち〉は指導者でもなければ英雄でもなかった。彼は単独者であった。

2018-05-20

文学者の本領/『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄

 ・文学者の本領
 ・ナチスという現象を神学から読み解く必要性
 ・人間としての責任

『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 いつの世にも残虐な事件はあった。戦争が長びいて生活が苦しくなれば、人心は荒廃してモラルは低下する。軍隊が戦闘の後に殺気をおびたまま都会を占領したり、ことに敗けて逃げるような際には、むざんなことがおこる。人々は正気を失っているのだから、その心理を正常の標準から律することはできない。こうしたことは、人間のすべてが確実な向上をつづけているという楽天的な信仰を裏切って幻滅をあたえるものではあっても、とくに異常不可解とはいえない。非人道は原則としては否定されているのだけれども、一時の錯乱に対して規制の力が及ばなかったのである。
 ところが、ナチスの焚殺やソ連の裁判や中国の洗脳などは、国家がその目標を遂行するためにやったことである。それを行った人々は、かれらとしてはよき良心をもって行った。ある歴史の必然的実現のごときものが確信されて、そのための努力であった。犠牲者たちは歴史の進行を阻む悪であるとて、抹殺された。一種の消毒だった。かれらはもはや人間として認められなかった。抽象的理念の前に人間が消えうせた。
 国家がその世界観にしたがって、最高の首脳が国策として決定して、公的の機関が行ったことだった。(「妄想とその犠牲」)

【『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)】

「妄想とその犠牲」は『文藝春秋』1957年11月号、1958年1~4月号に掲載された。経済企画庁が「もはや戦後ではない」と経済白書の結びに書いたのが1956年(昭和31年)のこと。竹山は戦前において東大の前身である一高の教授を務めながら翻訳家として知られた。戦後、『ビルマの竪琴』で毎日出版文化賞を受賞してから精力的に評論を発表するようになる。決して時代に流されず、時代を上から見下ろす視点をもち、自分の立つ位置を揺るがせにすることがなかった。

 私は50代で竹山を知ったのだが、その衝撃を一言で申せば「これほどの日本人がいたのか」ということに尽きる。無論、竹山は英雄タイプの人物ではない。だからこそ尚更深い感興を覚えるのだ。昨今は「文学者」といえば他人を嘲(あざけ)る言葉として用いられることが多い。だが激動の時代を生きた竹山の言葉に触れれば、文学者の本領を理解することができる。その思索の深さは認知科学をも志向し、キリスト教やキリスト世界に対する批判の鋭さはリチャード・ドーキンスも比ではない。

 竹山道雄についてはいくらでも書きたいことがあるのだが、書こうとすれば自分の語彙(ごい)の貧しさが先立ってしまう。私にとっては保守とか自由主義者とかいうよりも、古きよき日本人の善良さを体現した人物である。

昭和の精神史』(1956年)を発表した後でキリスト教世界に迫ったのも、極めて良識的な順序といえよう。

 ナチスによるホロコーストを社会主義国の悪行として並べるのも日本人ならではの視点だろう。西洋世界では歴史的事実としてのナチ・ホロコーストがザ・ホロコーストとして絶対視され神聖化されている(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

西洋一神教の世界 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第2巻〕
竹山 道雄
藤原書店
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2017-01-01

過去を一掃する/『本を書く』アニー・ディラード


『石に話すことを教える』アニー・ディラード

 ・過去を一掃する

 あなたの手の内で、そしてきらめきの中で、書きものはあなたの考えを表現するものから認識論的なものに変わっていく。新しい領域にあなたは興奮する。そこは不透明だ。あなたは耳を澄ませ、注意を集中させる。あなたは謙虚に、あらゆる方向に気を配りながら言葉を一つ一つ注意深く書いていく。それまでに書いたものが脆弱で、いい加減なものに見えてくる。過程(プロセス)に意味はない。跡を消すがいい。道そのものは作品ではない。あなたがたどってきた道には早や草が生え、鳥たちがくずを食べてしまっていればいいのだが。全部捨てればいい、振り返ってはいけない。

【『本を書く』アニー・ディラード:柳沢由実子〈やなぎさわ・ゆみこ〉訳(パピルス、1996年)】

 年が明けた。数えであれば今日、私は54歳となる。満年齢の使用は1950年(昭和25年)以降である。存在している者に対して「0歳児」とはいかにもおかしな呼称で、数え年の方が人に優しい気がする。

 同じ文章であっても「書く」ことと「打つ」ことは違う。「書く」ことには豊かな身体性がある。「打つ」という単調な運動は文章を神経症的な性質に貶(おとし)める危険が伴う。作家がワープロを使うようになってからワンセンテンスが長くなったという指摘がある。単調が冗長を促すのだろう。

 齢(よわい)を重ね、過去が長くなると慣性や惰性の力が働く。ところが知らず知らずのうちに体も心も衰えている。今までやってきたことを踏襲しているつもりでありながらも、実はどんどん閉鎖的な姿勢や態度となりがちだ。疑わなければ新しいものは出てこない。

 過去を重んじるな。足跡を残すのは泥棒に任せよ。捨てれば捨てるほど身は軽くなる。本当に大切なものは捨てようとしても捨てることができない。

 変わらぬ世界にあって変えることができるのは認識である。世界は変わらなくとも世界観を変えることは可能だ。そのためには過去を一掃する必要がある。プライドも誇りも不要だ。ただ柔らかな精神とありのままを見つめる瞳を持てば十分だ。

本を書く

2016-10-11

物語の再現性と一回性/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理


『物語の哲学』野家啓一
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・自爆せざるを得ないパレスチナの情況
 ・9.11テロ以降パレスチナ人の死者数が増大
 ・愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る
 ・物語の再現性と一回性
 ・引用文献一覧

『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『アメリカン・ブッダ』柴田勝家
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『悲しみの秘義』若松英輔

必読書リスト その一

 では、その「物語」はどこから来るのか。近代の小説が「著者」という起源によって創出されるのに対し、「物語」は作者不詳だ。その起源は定かではない。物語はつねに、かつて誰かから聴いた話だ。そして、その誰かは別の誰かからその物語を聴いたにちがいない。(※アントン・シャンマース著『アラベスク』で)「ぼく」が語る物語が、かつてユースフ叔父さんが「ぼくたち」に語ってくれた物語であるように、幼いユースフ叔父さんもまた、別の誰かからそれらの物語を聴いたにちがいない。物語は、時と場合に応じて変幻自在に語られる。同じ物語がいつも同じように物語られるとは限らない。「ぼく」もまた、やがてそれらの物語を「ぼく」流にアレンジしながら、誰かに語り直すだろう。語られる物語のなかに、その物語を聴き、語り継いできた複数の語り手、複数の声が存在し、一つの物語には無数の物語が存在するのだ。

【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年/新装版、2015年)】

 ブッダ、イエス、孔子はテキストを残さなかった。その理由を解く鍵がここにあると思う。

 視覚情報に特化した「文字」は温度を欠く。言葉に魂が吹き込まれるのは「語る」という行為を通して、声や表情・仕草をまとった時である。枢軸時代に人類の教師たちが語ったのは単なる理窟ではなく智慧であったはずだ。そして言葉は世代を超えて語り継がれ、社会の変遷に応じて変わってゆく。やがて思想体系としてまとめ上げられた瞬間に言葉はまたしても死んでしまう。今度は死んだ言葉が人間を束縛し、裁く。

「一人の高齢者が死ぬと、一つの図書館がなくなる」とはアフリカのある部族に伝わる俚諺(りげん)だ。口承文化は濃密なコミュニケーションを育んだが、知の蓄積は一生という時間内に限定されてしまう。コミュニティの範囲も部族を超えることはなかった。

 物語は人から人へ伝わる。画面や紙面越しのマス・コミュニケーションとは異なる。生の声と表情には温度・湿度・振動・匂いがある。そして相手の瞳に自分の姿が映っている。

 物語という遺伝子は話者に応じ時に応じて表現を変える。「一つの物語には無数の物語が存在する」――その再現性と一回性の交錯に物語の醍醐味があるのだろう。

 物語はやがて劇となり小説となり映画となり漫画となった。感動を通して自己の内部に規範が形成される。こう生きたい、かくありたいとのモデル(元型)が人を正す。

 我々は語るべき物語を持っているだろうか? 伝えずにはいられない衝動があるだろうか?

アラブ、祈りとしての文学 【新装版】

2016-09-30

物語の反独創性、無名性、匿名性/『物語の哲学』野家啓一


 ・物語る行為の意味
 ・物語の反独創性、無名性、匿名性

『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト

「紙と文字」を媒体にして密室の中で生産され消費されるのが近代小説であるとすれば、物語は炉端や宴などの公共の空間で語り伝えられ、また享受される。小説(novel)が常に「新しさ」と「独創性」とを追及するとすれば、物語の本質はむしろ聞き古されたこと、すなわち「伝聞」と「反復性」の中にこそある。独創性(originality)がその起源(origin)を「作者」の中に特定せずにはおかないのに対し、物語においては「起源の不在こそがその特質にほかならない。物語に必要なのは著名な「作者」ではなく、その都度の匿名の「話者」であるにすぎない。それは「無始のかなたからの記録せられざる運搬」(※柳田國男『口承文芸史考』)に身を任せているのである。また、物語が「聴き手または読者に指導せらるる文芸」であることから、その意味作用は「起源」である話者の手を離れて絶えず「話者の意図」を乗り越え、さらにはそれを裏切り続ける。意味理解の主導権が聴き手あるいは読者に委譲されることによって、物語は話者の制御の範囲を越えて「過剰に」あるいは「過小に」意味することを余儀なくされる。つまり、物語の享受は聴き手や読者の想像力を梃子にした「ずれ」や「ゆらぎ」を無限に増殖させつつ進行するのである。それゆえ、物語の理解には「正解」も「誤解」もありえない。そして「作者の不在」こそが物語の基本前提である以上、それは反独創性、無名性、匿名性をその特徴とせざるをえないであろう。
 そもそも「独創性」に至上の価値を付与する文学観は、「作者」を無から有を生ぜしめる創造主になぞらえ、「作品」をバルトの言葉を借りれば「作者=神からのメッセージ」として捉える美学的構図、あるいは一種の神学的図式に由来している。しかし、先にも述べたように、いかに独創的な作者といえども、言語そのものを創造することはできない。彼もまた、手垢にまみれた使い古しの言葉を使って作品を紡ぎ出すほかはないのである。たとえ新たな語彙を造語したとしても、その意味はすでに確立した語彙や語法を用いて定義され、説明されねばならない。われわれは常にすでに特定の「言語的伝統」の内部に拘束されているのであり、それを内側から改変することはできても、それを破壊し、その外部に出ることは不可能なのである。それゆえ、独創性なるものは、既成の語彙や文の新たな使用と組合せ、あるいはコンテクストの変容による新たなメタファーの創出などの中にしか存在しない。誰も言語を発明することはできず、それを利用することができるだけだという意味にいて、あらゆる言語活動はわれわれを囲繞する既成の言語的伝統からの直接間接の「引用」の行為と言えるであろう。その限りにおいて、バルトが指摘する通り、テクストとは「引用の織物」にほかならないのであり、そのことは口承の「物語」についてならばさらによく当てはまるはずである。

【『物語の哲学』野家啓一〈のえ・けいいち〉(岩波現代文庫、2005年/岩波書店、1996年『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』改題、増補版)以下同】

 文化は歴史に依存する。そして人は歴史的存在であることを避けられない。堆積した過去が波となって自分の一生という時間を押し上げる。

 私が「物語」に着目し、一つのテーマとして考え続けてきたのは後期仏教(いわゆる大乗)を理解するためであった。本書では柳田國男著『遠野物語』を巡って物語論を展開しているが、伝承という次元では神話の言い伝えや仏教変遷よりも生々しい手触りがある。

 野家が指摘する「物語のパラドックス」(語り手と聴き手の逆転)は仏師が作った仏像を思わせる。「誰が」作ったかよりも、「作られた作品」そのものが表現する魂に重きを置く考え方といえよう。だが資本主義経済では通用しない。商品の利益は必ず創作者に還元される。

 そして高度に発達した情報化社会では意図的に嘘をつく輩が出てくる。少しばかりネットをうろつけば至るところにデマが氾濫(はんらん)している。内なる衆愚に自覚的である人は少ない。せめて検索くらいしろや、ってな話である。

 同時代性というミクロな視点で見れば我々の眼には個人が映るわけだが、文化というマクロな視点に立つと「物語の反独創性、無名性、匿名性」が少し見えてくる。またよく考えてみると日常で繰り広げられる会話のレベルでは無名性が確かに成り立っている。我々は一々、Wikipediaのように出典を銘記することがない。たとえテレビや雑誌からの受け売りであったとしても自らの言葉として語る。

 情報は【受け手によって】解釈される。伝言ゲームは私を通して歪められる。たとえテキストがあったにせよ、私の口が語る時、情報は欠け、変質を免れない。それゆえ口承は反復の中で記憶を強化する。

 後期仏教が台頭した歴史を調べると、社会の変化に合わせた教勢の拡大を目指して新たな教義が生まれたように見える。初期仏教に神学論争や衒学(げんがく)の複雑性はない。私の興味は潰(ついえ)えた。

 ブッダが説いた因果律はバラモン教による過去世の物語を否定し、時間を一人の人生に取り戻す営みと考えることができる。にもかかわらずブッダは革命家ではなかった。真のバラモンを説いたところに私は穏健な保守的態度を認める。日蓮のようなラディカルな姿勢は皆無である。

 因果律は時間の矢となって一方向へ進む。死を自覚すればこそ物を語らずにはいられないのだろうか。あるいは語ることで語られる存在を目指すのだろうか。

「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがおりました」と私が初めて聴いたのは多分二つか三つの頃だろう。2~3年の人生に比すれば、「昔々」は長大な過去である。そしてこの一言に物語を語り継いできた無数の人々の存在が浮かび上がってくる。やがては私も同じように語り、そしてそこへ埋没してゆくことだろう。物語は予感を含んでいる。

「大文字の物語が失われた」(ジャン=フランソワ・リオタール)後、歴史は小文字で書かれるのだろうか? 親から子へと語り継がれる物語は消えてゆくのだろうか? 語る豊かさを失えば、歴史も昔話も単なる情報の断片と化す。やがて感情は先細り、子供たちは笑顔を失うことだろう。だがそうではあるまい。白人哲学者には一神教のドグマが染みついている。21世紀にはまだ宗教崩壊の物語が残されている。

2016-06-18

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 しかし、人間の進化は単純な直線をたどってきたのではない。人類の歴史をひともくと、紀元前3000年頃にひときわ目を引く不思議な慣習が登場する。話し言葉を変容させて、石や粘土板、パピルス(もしくは紙)に小さな印を使って記すようになったのだ、このおかげで、耳で聞くことしかできなかった話し言葉は、目に見えるものともなった。それも、そのとき聞こえる範囲にいた者だけでなく、万人のものとなった。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)以下同】

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

 人類の脳は約240万年前に巨大化した。言葉が生まれた時期については不明だが、7万5000年前には使用されていた証拠があるという(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。近代における情報革命は活版印刷(1455年)~カメラ-写真(1827年)~電信(1830年代)・電話(1876年)~映画(1895年:リュミエール兄弟ラ・シオタ駅への列車の到着』)と花開く。


 その後はラジオ(1906年)、テレビ(1926年)~インターネット(1969年)と続く。尚、カメラ以降の背景にはアレッサンドラ・ボルタによるボルタ電池の発明(1800年)を始めとする電気革命があった。彼の名に因(ちな)んで電圧を「ボルト」と呼ぶ。

アゴ弱り脳膨らむ、遺伝子レベルで裏付け…米チーム

 人類の脳が大きくなった原因につながる遺伝子を、米ペンシルベニア大などの研究チームが突き止め、25日付の英科学誌「ネイチャー」に発表する。この遺伝子は本来、類人猿の強じんなアゴの筋肉を作る働きがあったが、人類では偶然、約240万年前に機能を喪失。このため、アゴの筋肉で縛りつけられていた頭の骨が自由になり、脳が大型化するのを可能にしたらしい。
 人類は、約250万-200万年前に猿人から原人へ進化し、脳は大きさが猿人の2倍程度になったとされる。今回の遺伝子が機能を失ったのは約240万年前と推定され、原人への進化時期と一致する。
 これまでの化石研究などから、頭の骨が膨らんだのは、頭頂部に近い所から続いていた猿人のアゴの筋肉が弱くなり、解放されたためではないかと考えられていたが、この進化過程を遺伝子レベルで裏付ける証拠が見つかったのは初めて。
 チンパンジーやゴリラは今も、この遺伝子が働いていて、アゴの筋肉が頭部を広く覆っている。人類は原人に進化した段階で、硬い木の実に加え、軟らかい肉なども食べるようになり、アゴの筋肉の退化も不利にならなかったようだ。
 斎藤成也・国立遺伝学研究所教授の話「化石で見られる頭骨の形の変化を、遺伝子レベルで突き止めた成果で興味深い。遺伝子から人類進化を明かす研究はますます活発化するはずだ」

◆人類の脳の進化=約700万-600万年前に誕生した猿人の脳容量は350-500cc程度だったが、現生人類では約1400cにまで大きくなった。脳の大きさを制限していたアゴの筋肉の減少に加え、二足歩行で自由になった両手を使うことで、脳の発達が促されたとする説もある。

【YOMIURI ONLINE 2004年3月25日】

 487万年前±23万年に猿人が直立二足歩行を開始する。約260万年前には石器が使用される(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム)。脳の大型化は直後の約240万年前である(地球史年表:1000万年前-100万年前)。火の使用を始めた時期については判明していない(初期のヒト属による火の利用)。240万年前から使用したと考えてもよさそうなものだ。火がなければ肉食獣の攻撃を防ぐことはできなかったはずだ。調理同様、言葉もまた炉辺(ろへん)から生まれたと考えられている。

昆虫食が人類の脳の大型化に貢献した、ワシントン大セントルイス


 文字の歴史についてもまだまだ判明していないことが多い。現在、最古とされているのはメソポタミアの楔形(くさびがた)文字とエジプトのヒエログリフである(紀元前3200年頃)。

 言葉は空間を超えて複数の人々とのコミュニケーションを可能にし、文字は時間を超えたコミュニケーションを実現した。文字の発明は人間が歴史的存在になったことを意味する。

 私の仮説に関連して検討するにあたり、確実な翻訳が行なえる言葉で書かれた人類史上最初の著作は『イーリアス』だ。現代の研究では、血と汗と涙に彩られたこの復讐譚は、吟じ手(アオイドス)と呼ばれる吟遊詩人の伝統によって創り上げられたものと考えられ、その時期は、近年発見されたヒッタイト語の銘板から、作品の中に記された出来事が起こったと推定できる紀元前1230年頃から、作品が文字で記された紀元前900年頃ないし850年頃までの間ではないかとされている。本章では、この叙事詩をきわめて重要な心理学上の記録として取り上げることにする。そして、ここで投げかけるべき問いは『イーリアス』における心とは何か、だ。

 答えは、とても平静ではいられないほど興味をかき立てられるものだ。おしなべて、『イーリアス』には意識というものがない。


 とすると『イーリアス』は壁画であったのだろう。そこにはまだ「物語」がなかった。心は事実を解釈するに至っていなかった。つまり意識は存在しなかったのだ。



不確実性に耐える/『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環解説、まんが水谷緑

2015-10-08

意味のない苦役/『シーシュポスの神話』カミュ


 神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖(おそ)ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

【『シーシュポスの神話』カミュ:清水徹訳(新潮文庫、1982年/『新潮世界文学49 カミュ2 カリギュラ・誤解・戒厳令・正義の人々・シーシュポスの神話・反抗的人間』清水徹訳、新潮社、1969年)】

 原書刊行は1942年(昭和17年)というのだから第二次世界大戦の真っ只中である。アルベール・カミュ(1913-1960)は繰り返される戦争の中で不条理を見つめたのだろうか。彼は立ち木に衝突する交通事故で死んだ。KGBによる暗殺説もある。不条理を説いた男の不条理な死。

 このギリシア神話は輪廻を圧縮したような趣の恐ろしさに満ちている。ひょっとするとドストエフスキーの翻案かもしれぬ。『死の家の記録』(原書1862年)に「穴を掘って埋める」懲罰の話が出てくる。意味のない苦役が重罪人を発狂させるだろうと。

 社会的動物である我々は意味に生きる。大義を与えられれば死ぬことさえできる。世のため人のためとあらば艱難辛苦(かんなんしんく)にも耐えることが可能だ。ただしその基準は時代によって異なる。

 帝国主義でイギリスと共に世界中を支配してきたフランス人が説く不条理は不条理に満ちている。アフリカの殆どの国の言語は英語かフランス語である。カミュは一度でもその不条理を見つめたのだろうか?

シーシュポスの神話 (新潮文庫)
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2015-04-20

ニューヨークを「人種の坩堝」と表現したイズレイル・ザングウィル/『プラグマティズムの思想』魚津郁夫


 こうした考えをドラマにしたのが、イギリス系ユダヤ人作家I・ザングウイル(Israel Zangwill, 1864-1926)の「ルツボ(The Melting Pot)」(1908年)である。
 物語のクライマックスで登場人物のデビッドとヴェラがアパートの屋上からニューヨークの街を見おろしながらいう。

「デビッド:ここに偉大なルツボが横たわっている。きいてごらん。君には、どよめき、ぶつぶつとたぎるルツボの音がきこえないかい。……あそこには港があり、無数の人間たちが世界のすみずみからやってきて、みんなルツボに投げこまれるのだ。ああ、なんと活発に煮えたぎっていることか。ケルト系もラテン系も、スラヴ系もチュートン系も、ギリシア系も、シリア系も。――黒人も黄色人も――。
ヴェラ:ユダヤ教徒もキリスト教徒も――。
デビッド:そうだよ。東も西も、北も南も、……偉大な錬金術師が聖なる炎でこれらを溶かし、融合させている。ここで彼らは一体となり、人間の共和国と神の王国を形成するのだ。……」

【『プラグマティズムの思想』魚津郁夫〈うおづ・いくお〉(ちくま学芸文庫、2006年/財団法人放送大学教育振興会、2001年『現代アメリカ思想』加筆、改題)】

 イズレイル・ザングウィルとの表記はWikipediaに倣(なら)った。イスラエルが人名になるとイズレイルと発音するのだろうか? 不明である。

 ケルト系はアイルランド・スコットランド系で、ラストネームに「マック」(Mac、Mc)の付く人が多い。McDonald(マクドナルド)やMcGREGOR(マクレガー)など。ラテン系は中南米(ヒスパニック、ラティーノとも称する)。スラヴ系はロシア、ウクライナ、チェコ、クロアチア、ブルガリアなど。チュートン系はゲルマン民族の一部。


 最近では「溶け合う」意味を嫌って「人種のサラダボウル」ともいう。私としては「坩堝」(るつぼ)に軍配を上げたい。ピルグリム・ファーザーズが求めた(信仰の)「自由」と、アメリカという国家を共同体たらしめる「正義」には、やはり坩堝の熱が相応(ふさわ)しいと思うからだ。

 生き生きとした言葉から時代の熱気が伝わってくる。アメリカは夢が実現できる国でもあった。多様な人々が共存するところにアメリカの強味がある。

 そのアメリカが新自由主義によって滅びつつある。物づくりをやめ、国民皆保険制度を失い、大統領は石油メジャーやウォール街に操られるようになってしまった。ソ連はアフガニスタン侵攻(1979-89)が原因で滅んだ。アメリカもまたアフガニスタン(2001-)を攻めて滅ぶ可能性があると思う。アフガニスタンは3000年以上も戦争や紛争に耐えてきた国だ。そう簡単には敗れない。

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

2015-04-16

極太の文体/『内なる辺境』安部公房


 べつに、すべての軍服が、ファシズムに結びつくなどと思っているわけではない。
 しかし、あらゆる軍服の歴史を通じて、やはりナチス・ドイツの制服くらい、軍服というものの神髄にせまった傑作も珍しいようだ。あの不気味に硬質なシルエット。韻を踏んでいるような、死と威嚇の詩句のリフレイン。実戦用の機能を、いささかも損なうことなく、しかも完全に美学的要求を満足させている。

【『内なる辺境』安部公房〈あべ・こうぼう〉(中央公論社、1971年/中公文庫、1975年)以下同】

 実は安部公房の小説を読み終えたことがない。丸山健二が評価していることを知ってから何冊か開いたがダメだった。本書もエッセイだからといって全部に目を通すつもりはなかった。ただ、熊田一雄〈くまた・かずお〉氏のブログで見つけた文章を探すためだけに読んだ。私は胸倉をつかまえられた。そのままの状態で結局読み終えてしまった。

 極太の文体である。太い油性ペンで書かれた角張った文字のような印象を受けた。目的の言葉は冒頭の「ミリタリィ・ルック」(1971年)にあった。


 と言うことは、同時に、ナチスの制服が、いかに完璧に彼等の素顔を消し去り、日常を拭い去っていたかの、証拠にもなるだろう。敗北が彼等から奪ったのは、単なる闘志や戦意だけではなかったのだ。彼等が奪われたのは、まさに制服の意味であり、制服の思想であり、制服を制服たらしめていた、国家そのものだったのである。
 この2枚の写真は、ある軍服の死についての、貴重な記録というべきだろう。それはまた、一つの国家の死の記録でもある。動物の死の兆候が、まず心臓にあらわれるように、国家の死の兆候は、こんなふうにして軍服の上にあらわれるのかもしれない。

 2枚の写真から制服のシンボル性を著者は探る。1枚はドイツ兵が戦闘に向かう場面で、もう1枚は白旗を掲げる写真であった。

 制服は秩序を象徴する。我々は無意識のうちに行動や思考を制服に【合わせる】。というよりはむしろ、TPOに応じた服装そのものによって自分の型(スタイル)を表現していると考えられる。軍服が示すのは他人を殺す意志と、他人に殺される覚悟であろう。意識が尖鋭化するという点では勝負服やコスチュームプレイも軍服に近いと思われる。それを着用する時、人は衣服に同化する。

 ともかく、どうやら、悲痛な異端の時代はすでに過ぎ去ったらしい。本物の異端は、たぶん、道化の衣裳でやってくる。

 学生運動が翳(かげ)りを帯びた頃、ミリタリィ・ルックが流行った。そして2~3年前から迷彩柄が流行している。ファッションとしてのアーミーは異端ではなく迎合である。「道化の衣裳」と聞いて私の貧しい想像力で思い浮かぶのは、花森安治のオカッパ頭とスカート、楳図かずおの紅白ボーダーライン、志茂田景樹のタイツなど。

「道化」という言葉に託されたのは具体性よりも、時代を嘲笑する精神性なのだろう。

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新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる/『昭和の精神史』竹山道雄

2015-04-08

自己犠牲/『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー


『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー

 ・沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し
 ・自己犠牲

 最も利己的な情熱にさえ、自己犠牲の要素が多分に含まれている。驚くべきことに、極端な利己主義でさえ、実際には一種の自己放棄にほかならない。守銭奴、健康中毒者、栄光亡者たちは、自分を犠牲にする無私の修練において人後に落ちるものではない。
 あらゆる極端な態度は、自己からの逃避なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)以下同】

 間もなく読み終える『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ:阿部宏美訳(紀伊國屋書店、2013年)につながる内容を見つけた。恐るべき偶然である。私のようなタイプは記憶が当てにならないので、やはり本を開くに限る(正確には画像ファイルをめくったわけだが)。

 エリック・ホッファーの抽象度の高さは「学歴がない」位置から生まれたように見える。つまり知識や学説に依存するのではなくして、ひとりの人間として学問に向き合う真摯な姿勢が独自性にまで高められているのだ。本書を開けば立ちどころに理解できる。ここにあるのは「誰かの言葉」ではなく「彼自身の言葉」なのだ。

 過剰な筋肉をまとったボディビルダーや完璧なコスチュームプレイも「極端な態度」である。自己表現というよりは、むしろ表現によって自己を規定する顛倒(てんとう)が窺える。一種のフェティシズム(手段と目的の倒錯)なのだろう。その自己放棄は暴走族と似ている。放棄が「損なう」ベクトルを描く。

 放蕩は、形を変えた一種の自己犠牲である。活力の無謀な浪費は、好ましからざる自己を「清算」しようとする盲目的な努力にほかならない。しかも当然予想されるように、放蕩が別の形の自己犠牲へと向かうことは、決して珍しいことではない。情熱的な罪の積み重ねが、聖者への道を準備することも稀ではない。聖者のもつ洞察は、多くの場合、罪人としての彼の経験に負っている。

 頭の中でライトが灯(とも)った。マルチ商法のセールスや新興宗教の布教はまさしく「放蕩」という言葉が相応(ふさわ)しい。そこには下水のようなエネルギーが溢(あふ)れている。彼らはただ単に洗脳されて動いているわけではなく、自らを罰する(「清算」)ためにより活動的にならざるを得ないのだ。Q&A集に基づくセールストークは「他人の言葉」だ。

「活力の無謀な浪費」で想起するのは、アルコール・ギャンブル・ドラッグなどの依存症だ。共産主義の流行や学生運動の広がりも実際は「放蕩」であったことだろう。

 ある情熱から別の情熱への転位は、それがたとえまったく逆方向であると、人びとが考えるほど困難なものではない。あらゆる情熱的な精神は、基本的に類似した構造をもっている。罪人から聖者への変身は、好色家から禁欲主義者への変身に劣らず容易である。

 信者は教団を変えても尚、信者である。依存対象を変えた依存症患者と同じだ。往々にして情熱は盲目を意味する。走っている人に足下(あしもと)は見えない。自己犠牲という欺瞞は何らかの取り引きなのだ。それゆえブッダは苦行を捨てたのだろう。

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2015-04-04

ラ・ロシュフコーの素描/『月曜閑談』サント=ブーヴ


 ・ラ・ロシュフコーの素描
 ・恐るべき未来予測

 自尊心という家の2階に住んでいる者たちは、階下に住んでいる者たちとは何の関係もないと主張する。したがって彼らは、2階に昇る秘密の階段があることを人に知らせたという点で、ラ・ロシュフコーを許さないのだ。

【『月曜閑談』サント=ブーヴ:土居寛之〈どい・ひろゆき〉訳(冨山房百科文庫、1978年)】

 シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(1804年12月23日-1869年10月13日)は近代批評の父と呼ばれる作家である。ユゴーやバルザックと同世代。さしずめフランス文学界の三銃士といったところだ。

 まあ見事なアフォリズムである。わずか3行(本文)でラ・ロシュフコーの素描(スケッチ)を描いている。『ラ・ロシュフコー箴言集』(二宮フサ訳、岩波文庫、1989年)は『書斎のポ・ト・フ 』(潮出版社、1981年/潮文庫、1984年/ちくま文庫、2012年)で開高健、谷沢永一、向井敏の3人が絶賛しており、直ぐに読んだのだが二十歳前後ということもあってあまりピンと来なかった。ちょっと調べてみたところ、吉川浩の新訳(角川文庫、1999年)の方がよさそうだ。

 日本の文芸批評を確立した第一人者は小林秀雄で、小林ももちろんサント=ブーヴの影響を受けている。『我が毒』は小林の翻訳。

 フランスは文化の宗主国を自認しているが、ま、連中が図に乗るのも仕方がない。だってこんな名文があるのだから。

 尚、出版社は「ふざんぼう」(冨山房)と読む。硬派の良書を数多く発行している会社だ。『緑雨警語』斎藤緑雨、中野三敏編や『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編など。

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運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)
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小林秀雄全作品〈12〉我が毒
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2015-01-02

鏡餅は正月の花/『季語百話 花をひろう』高橋睦郎


 ・鏡餅は正月の花
 ・奇妙な中国礼賛

 花に飾りの意味があるとすれば、正月の花の代表は鏡餅ではあるまいか。玄関の間、または屋内の最も大切な場所に、裏白(うらじろ)、楪(ゆずりは)を敷き、葉付蜜柑(はつきみかん)を戴(いただ)いて鎮座まします。一説に鏡餅のモチは望月のモチともいう。そして色は雪白(ゆきしろ)。ということは、一つに月・雪・花を兼ねていることになる。これを花の中の花といわず、何といおう。

【『季語百話 花をひろう』高橋睦郎〈たかはし・むつお〉(中公新書、2011年)以下同】

 上古は餅鏡(もちいかがみ)と呼んだらしい。鏡は銅製神鏡を擬したものと高橋は推測する。


 世界は瞳に映っている。そこに欠けた己(おのれ)の姿を浮かべるのが鏡である。ひょっとすると神仏に供(そな)える水にも鏡の役割があったのかもしれない。

 鏡は太陽を映すことから神体とされた。いにしえの人々がそこに神の視線を感じたことは決しておかしなことではない。視覚世界を構成するのは可視光線の反射であるからだ。光があるから世界は「見えるもの」として現前する。

 鏡餅に神を映し、自分を映し、改まった気持ちで元旦を迎える。改(あらた)が新(あらた)に通じる。





計篇/『新訂 孫子』金谷治訳注

 そんな鏡餅を「花」と見立てたところに興趣が香る。穏やかな気候に恵まれた日本は自然を生活に取り込み、共生してきた。その日本人が惜しげもなく自然を破壊していることに著者は警鐘を鳴らす。

 季語は私たちが日本人であること、いや人間であること、生物の一員であることの、最後の砦(とりで)であるかもしれない。

 都会だと四季の変化も乏しい。花は売り物だし、落ち葉はゴミとして扱われる。スーパーへ行けば季節外れの野菜や果物も売られている。そして風が匂わない。自然から学んできた智慧が失われれば、不自然な生き方しかできなくなる。

 高橋に倣(なら)えば季節の風習の最後の砦は正月とお盆だろう。クリマスなんぞは一過性のイベントにすぎない。一月睦月(むつき)の由来は親族一同が集って宴をする「睦(むつ)び月」とされる。仲睦(むつ)まじく楽しみ合う場所から社会は成り立つのだろう。

 そういう意味から申せばインターネットは修羅場に近い。仲のよい人々同士が集う場に棲み分けするのが望ましい。というわけで、本年も宜しくお願い申し上げます。

2014-10-04

石原の言葉/『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎

 ・石原の言葉

『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

「ただいま」
 清美さんは内心、ぼう然としていた。写真で見た父は、がっしりしてかっぷくがよかった。目の前の父は、やせ衰えてほおがこけ、歯が一本もなかった。

【『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代〈はたや・ふみよ〉(岩波ジュニア新書、2009年)以下同】

 浦野清美さんは当時8歳だった。もう少し引用する。

 酔って機嫌のいいとき、勝さんはごくまれに、抑留中の話をした。
「(強制収容所では)自分の物を盗まれても、盗(と)られるやつが悪い」
「食べる物がなかったから、大きいの(大便)をした後、そこに食べられるものがあればかち割って食べた」
「金歯を抜いて、黒パンと交換した」――
 引揚げてきたとき、父の歯が一本もなかった理由がわかった。

 ソ連という国家の本質が窺える。唯物論は人間を物のように扱うのだろう。「では、イスラエルやアメリカはどうなんだ?」と反論されたら一言も抗弁できないが。

 好著である。石原の人となりをコンパクトにすっきりとまとめている。初めて知ることも多かった。

 24歳で招集された石原は、すでに38歳になっていた。
 復員後の混乱の日々のなかで、石原は一冊の本に出会う。第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者ヴィクトール・E・フランクル(1905-97年)が、自らの体験をまとめた『夜と霧』(霜山徳爾訳・みすず書房)。石原はこの本を支えに、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)での体験を、自分自身に問い直していく。

〈私に、本当の意味でのシベリヤ体験がはじまるのは、帰国したのちのことである〉
(「『望郷と海』について」初出掲載年不明)

 戦後の日本で、石原が問い返し続けた「内なるシベリア」。黙して隠し抜こうとする意志と、書き残そうとする意志のせめぎ合いのなかから、石原の言葉は生み出された。それがエッセーとして世に出るまでには、復員から16年の時間が必要だった。

『夜と霧』は霜山訳よりも池田香代子訳(みすず書房、2002年)を薦める。

 単なる表現の問題ではない。一度死んだ人間が再び生き直すために失った言葉を手繰り寄せるのに要した時間だ。しかも帰国直後に鹿野武一〈かの・ぶいち〉は逝去しているのだ。石原は胸の内に鹿野の姿を浮かべ、何度も何度も対話したことだろう。

 シベリアでの絶望は日本に戻ったことでより一層深くなったに違いない。抑留者の帰国はいっときのニュースでしかなかった。「よかったよかった」以上、である。石原や鹿野よりも早く日本に帰った菅季治〈かん・すえはる〉も既に自殺していた。

 60万人もの同胞を見捨てたことなど多くの人々は気にしていなかった。責任を取る者など一人もいなかった。それどころか大半の引揚者が「赤のスパイ」と疑惑の眼差しで見られた。

 言葉はあまりにも無力であった。そして軽すぎた。風が吹けば消え去るようなものであった。石原は石を穿(うが)つように言葉を紡いだ。再び獲得された言葉は澄明で技工とは無縁であった。そして失ったからこそわかった重みが増した。

 氾濫(はんらん)する言葉の多くは最初から死んでいる。我々はもっと躊躇(ためら)い、戸惑い、沈黙を見据えながら言葉を吐くべきなのだろう。


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳

2014-10-02

土俗性と普遍性/『涙の理由』重松清、茂木健一郎


【茂木】普遍性が、ある種の土俗性を切り捨てたところに成り立っている。そこに、忸怩(じくじ)たるものを感じるのかもしれない。

【『涙の理由』重松清、茂木健一郎(宝島社、2009年/宝島SUGOI文庫、2014年)】

 茂木健一郎が精力的に対談本を出し、佐藤優がそれに続いたような印象がある。「どれどれ」と思いながら開いたところ、そのまま読み終えてしまった。初対面の中年男二人がちょっとぎこちない挨拶を交わし、茂木がリードしながら会話が進む。この二人、実は少年時代から抱えている影の部分が似ている。

 茂木の指摘は小説に対するものだが、そのまま宗教にも当てはまる。民俗信仰(民俗宗教)が世界宗教に飛躍する時、儀式性よりも理論が優先される。ここで民俗的文化が切り捨てられる。それを個性と言い換えてもよかろう。つまり味を薄めることで人々が受け入れやすい素地ができるのだろう。これが妥協かといえば、そう簡単な話でもない。

 唐突ではあるが結論を述べよう。私はインディアンのスピリチュアリズムは好きなのだが、ニューエイジのスピリチュアリズムは否定する。両者の違いは奈辺にあるのだろうか? それが土俗性であり、もっと踏み込めばアニミズムということになろう。

 一神教や大衆部(大乗仏教)は神仏を設定することで土俗性を破壊する。そして必ず政治的支配(権力)と結びつく。日本が仏教を輸入したのも国家戦略に基づくものであった。

 そう考えるとよくわかるのだが、ブッダやクリシュナムルティの教えは最小公約数的な原理を示しているだけで、特定の神仏への帰依を強要するものではない。手垢まみれになった宗教という言葉よりも、根本の道というイメージに近い。

ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎


 ・目次
 ・ジェノサイドの恐ろしさ

『海を流れる河』石原吉郎
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 確認されない死のなかで
   ――強制収容所における一人の死

百万人の死は悲劇だが
百万人の死は統計だ。
アイヒマン

 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、【ひとりひとりの死】がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害において自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。

【『望郷と海』石原吉郎:岡真理解説(筑摩書房、1972年/ちくま学芸文庫、1997年/みすず書房、2012年)】

『望郷と海』が復刊された。みすず書房は最初から売れないものと決め込んだのだろう。3240円は高い。重複した内容が多いので『石原吉郎詩文集』の方がオススメできる。

 本書を「日本版 夜と霧」と評する向きもあるようだが的外れだ。石原吉郎は日本版プリーモ・レーヴィであり、本書は「日本版 アウシュヴィッツは終わらない」というべきだろう(『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ)。石原は長く生きたが、その末期(まつご)まで酷似している。

 強制収容所は労働を強制する場所だ。働けなくなればその場で殺されることも珍しくはない。石原自身何度も目の当たりにしてきた。彼らは単なる労働力であって人間と見なされることがない。石炭や石油と同じくエネルギーに例えることも可能だろう。

 石原が抱いた恐怖は存在に関わるものだ。まずシベリア抑留という国家から見捨てられた立場があり、次にいつ殺されるかわからない情況がある。つまり彼らは二重に否定された存在なのだ。

 人は尊厳を奪われるとただの動物と化す。石原は帰国後、失語症となり実際に言葉まで失った。

 血で書かれた言葉は石に彫(ほ)られた文字のように重い。その目方に耐えることのできる下半身の力が読み手に求められる。そんな本だ。

望郷と海 (始まりの本)
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2014-07-27

沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し/『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー


『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー

 ・沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し
 ・自己犠牲

 情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)以下同】

 荷を運ぶ沖仲仕(港湾労働者)の膂力(りょりょく)と思想家の冷徹な眼差しが言葉の上で交錯する。港のコンクリートを踏みしめる足の力から生まれた言葉だ。エリック・ホッファーは言葉を弄(もてあそ)ぶ軽薄さとは無縁だ。

 情熱は騒がしい。そして熱に浮かされている。ファンや信者の心理を貫くのは投影であろう。情熱には永続性がない。エントロピーは常に増大する。つまり熱は必ず冷めるのだ。特に知情意のバランスを欠いた情熱は危うい。

 われわれが何かを情熱的に追求するということは、必ずしもそれを本当に欲していることや、それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合、われわれが最も情熱的に追求するのは、本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから、待ちに待った熱望の実現は、多くの場合、われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
 いかなる情熱的な追求においても、重要なのは追求の対象ではなく、追求という行為それ自体なのである。

 達成よりも行為を重んじるのは現在性に生きることを意味する。功成り名を遂げることよりも今の生き方が問われる。将来の夢に向かって進む者にとって現在は厭(いと)わしい時間となる。追求よりも探究の方が相応しい言葉だろう。

 われわれは、しなければならないことをしないとき、最も忙しい。真に欲しているものを手に入れられないとき、最も貪欲である。到達できないとき、最も急ぐ。取り返しがつかない悪事をしたとき、最も独善的である。
 明らかに、過剰さと獲得不可能性の間には関連がある。

 空白の欺瞞。

 あれかこれがありさえすれば、幸せになれるだろうと信じることによって、われわれは、不幸の原因が不完全で汚れた自己にあることを悟らずに済むようになる。だから、過度の欲望は、自分が無価値であるという意識を抑えるための一手段なのである。

 欲望は満たされることがない。諸行は無常であり変化の連続だ。一寸先は闇である。我々が思うところの幸福は我が身を飾るアクセサリーに過ぎない。

 あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。

 名声という名のコスプレ。変身願望を抱く自分からは逃げられない。

 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

 これぞ、アフォリズム。

「もっと!」というスローガンは、不満の理論家によって発明された最も効果的な革命のスローガンである。アメリカ人は、すでに持っているものでは満足できない永遠の革命家である。彼らは変化を誇りとし、まだ所有していないものを信じ、その獲得のためには、いつでも自分の命を投げ出す用意ができている。

 大衆消費社会の洗礼だ。

 プライドを与えてやれ。そうすれば、人びとはパンと水だけで生き、自分たちの搾取者をたたえ、彼らのために死をも厭わないだろう。自己放棄とは一種の物々交換である。われわれは、人間の尊厳の感覚、判断力、道徳的・審美的感覚を、プライドと引き換えに放棄する。自由であることにプライドを感じれば、われわれは自由のために命を投げ出すだろう。指導者との一体化にプライドを見出だせば、ナポレオンやヒトラー、スターリンのような指導者に平身低頭し、彼のために死ぬ覚悟を決めるだろう。もし苦しみに栄誉があるならば、われわれは、隠された財宝を探すように殉教への道を探求するだろう。

 これが情熱の正体なのだろう。衝動という反応だ。脳が何らかの物語に支配されれば、人は合理性をあっさりと手放す。我々は退屈な日常よりもファナティックを好む。生きがいや理想すら誰かにプログラムされた可能性を考えるべきだろう。中国や韓国の反日感情が、日本人の中で眠っていたナショナリズムを強く意識させる。ひょっとすると日本の若者は既に戦う意志を固めているかもしれない。このようにして感情はコントロールされる。踊らされてはいけない。自分の歩幅をしっかりと確認することだ。



一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ

2014-06-08

信ずることと知ること/『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編


『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄
『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄

 ・信ずることと知ること

 僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない。そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです。現代は非常に無責任な時代だといわれます。今日のインテリというのは実に無責任です。例えば、韓国の或る青年を救えという。責任を取るのですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐ろしい。恐ろしいものが、集団的になった時に表に現れる。本居宣長を読んでいると、彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。ちょっとおかしいなと思うくらい嫌っている。嫌い抜いています。
 彼の言う「物知り人」とは、今日の言葉でいうとインテリです。僕もインテリというものが嫌いです。ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。左翼だとか、右翼だとか、保守だとか、革新だとか、日本を愛するのなら、どうしてあんなに徒党を組むのですか。日本を愛する会なんて、すぐこさえたがる。無意味です。何故かというと、日本というのは僕の心の中にある。諸君の心の中にみんなあるんです。会を作っても、それが育つわけはないからです。こんな古い歴史を持った国民が、自分の魂の中に日本を持っていない筈がないのです。インテリはそれを知らない。それに気がつかない人です。自分に都合のいいことだけ考えるのがインテリというものなのです。インテリには反省がないのです。反省がないということは、信ずる心、信ずる能力を失ったということなのです。(「講義 信ずることと知ること」昭和49年8月5日 於・鹿児島県霧島)

【『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編(新潮社、2014年)以下同】

 私が書き起こしたもの(集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)と比べると微妙に違うが、まあよしとしよう。小林秀雄の講演CDを聴いた者なら本書を待ち望んでいたことだろう。

 国民文化研究会が主催した「全国学生青年合宿教室」(4泊5日)に小林は5回参加している。

 実をいえば、この講義がこうしていまも聴けるということは、奇跡にちかいことなのです。小林秀雄は、講演であれ、対話・座談の類であれ、自分の話を録音することは固く禁じていました。(中略)小林が録音を禁じた理由のひとつは、自分の知らないところでそれが勝手に使われ、書き言葉ではない話し言葉をもとに小林秀雄論など書かれたりしては困るからです。(池田雅延)

 小林はとにかく遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥に絡んだり、対談で柳田國男を泣かせたりしている(『直観を磨くもの 小林秀雄対話集』)。

 講演CDの白眉をなすのが「信ずることと知ること」である。個と普遍、感情と理論を見事に語り切ってあますところがない。しかもそれを集団の力と結びつけることで個の喪失をも暴き出している。小林は「私」(わたくし)を重んじた。「信ずる心、信ずる能力を失った」という指摘は新興宗教にも向けられたものだ。小林が創価学会池田大作と会ったのは昭和46年(1971年)のこと。

 現代社会は信じる力も知る力も弱まった。どちらも強制されているためであろう。我が子がいじめられていた事実を自殺した後で親が初めて気づくような時代である。子が親を信じることもできず、親が子を知ることもない恐ろしさ。

 逆説的ではあるが信じる力は疑うことで養われる。懐疑を経ていない信は脆弱(ぜいじゃく)なものだ。信と疑は真偽に通じ、これを峻別することで感性が磨かれる。薄っぺらい信と知は軽薄な生き方を示すものだ。

学生との対話小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること脳と仮想 (新潮文庫)小林秀雄講演 第1巻―文学の雑感 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 1巻)小林秀雄講演 第3巻―本居宣長 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 3巻)現代思想について―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第4巻)小林秀雄講演 第5巻―随想二題 本居宣長をめぐって [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 5巻)小林秀雄講演 第6巻―音楽について [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 6巻)小林秀雄講演 第7巻―ゴッホについて/正宗白鳥の精神 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 7巻)小林秀雄講演 第8巻―宣長の学問/匂玉のかたち [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 8巻)

「長嶋茂雄っぽい感じ」とプラトンのイデア論/『脳と仮想』茂木健一郎
政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2014-05-02

アメリカを代表する作家トマス・ウルフ/『20世紀英米文学案内 6 トマス・ウルフ』大澤衛編、『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ


 トマス・ウルフ(1900-38)という男は、一言でいうなら、20世紀の開幕と同時にアメリカ南部の山国で生まれ、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸を数回遍歴し、アメリカ生活の万華鏡と若者の飢渇を、噴きあふれる河のように書き、『天使よ故郷を見よ』、『時間と河』、『蜘蛛の巣と岩』、『帰れぬ故郷』の四大作その他をのこし、1930年代の、彼の同時代作家らがアメリカの喪失に陥っている時に、いち早くアメリカ発見に到達し、ナチス・ドイツ抬頭のころ、いわば、第二次世界大戦の前夜に、37歳の若盛りで死んだ、並外れたスケールの、不敵な、人生派作家である。
 この噴き井のような暴れん坊は、並外(はず)れたスケールに反比例して、いかにも短命だったと言わねばならない。静かな成熟とかおもむろな大成といったような作風の生まれる年輩まで、彼は生きのびなかった。このことをまず初めに忘れないでおこう。

【『20世紀英米文学案内 6 トマス・ウルフ』大澤衛〈おおさわ・まもる〉編(研究社出版、1966年)】


 書き手は他に福田尚造〈ふくだ・しょうぞう〉、酒本雅之〈さかもと・まさゆき〉、井出弘之〈いで・ひろゆき〉、田辺宗一〈たなべ・そういち〉、輪島士郎〈わじま・しろう〉、古平隆〈こだいら・たかし〉など。Wikipediaは「トーマス・ウルフ」という表記になっている。翻訳がいずれも古いため発音に寄り添って「トマス」となったものか。

「活字になった彼の書きもののうち、目ぼしい本11冊の合計数は、5009ページであり、もしこの全部を邦訳するとすれば、少なくともその2倍以上の印刷ページ面を占める分量となろう」とある通りどれも大冊だ。しかも発行が古いため活字が小さい。本書も同様である。

 何となく名前に聞き覚えがあったのだがそれはトム・ウルフであった。ブラッドベリの短篇で彼の名前を知り、興味が湧いたというわけ。

「この本を見なさい」と、ややあってから、フィールドはそれを持ちあげて見せた。
「これは一人の巨人が書いた本だ。その男は1900年にノース・カロライナ州アッシュビルに生れた。生前に、四つの長い小説を発表している。この男は、いうなれば、つむじ風だった。山を持ち上(ママ)げ、風を集めた。そして1938年9月15日ボルティモアのジョンズ・ホプキンズ病院で、ベッドのかたわらに鉛筆書きの原稿をトランクに一ぱい残して、結核で死んだ。結核というのは、昔の恐ろしい病気だ」
 一同はその本を見つめた。
『天使よ故郷を見よ』。
 フィールドは更に3冊の本を見せた。『時と河の流れと』『蜘蛛の巣と岩』『汝ふたたび故郷を見ず』。

【「永遠と地球の中を」/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(河出文庫、2011年/集英社、1978年/集英社文庫、1982年)】


 とある未来の大富豪がタイムマシンでトマス・ウルフを連れてこさせ、宇宙の様相を書かせようと目論むという内容のSF作品だ。一緒に収録されている「親爺さんの知り合いの鸚鵡」では名だたる作家がけちょんけちょんに書かれているので、このテキストは否応(いやおう)なく目を惹く。

 トマス・ウルフの翻訳は少なく、長篇だと『天使よ故郷を見よ』以外では、『汝故郷に帰れず』が刈田元司訳(1959年)と鈴木幸夫訳(1968年)があるのみ。飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉のデビュー作『汝ふたたび故郷へ帰れず』はひょっとしてトマス・ウルフからの影響があるのだろうか?


人類の戦争本能/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ

2014-05-01

「浦島記」/『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子


 ・「浦島記」
 ・美しい言葉

「浦島記」と題した随筆から紹介しよう。

 私が島の療養所に入園したのは、昭和18年の6月、だから今日まで、およそ15年の島暮らしを続けている訳である。私達入園者の仲間がよく使う言葉の一つに、社会という言葉がある。それはもちろん私達の生活している島も社会の中の一角であることには間違いないのであるが、私達がその言葉を使うとき、私達はいつも活き活きと活動している島の向こうの世界と、消費面だけの生活を続けている療養所という異形の島を、厳然と、或いは、自嘲的に区別しているものである。この島に(ママ)療養を続けている誰でもがそうであるように、私は社会に憧憬と郷愁をもっている。その私が、一度だけその現実の対象である、社会の対岸の街の土を踏むことに望みをかけた美しくもかなしい願いが実現したことがある。
 それは5年程前の或る晴れた日、園内作業をしていたとき、同じ作業をしていた友達が作用の縫物をしながら、「いっぺん社会へ出てみたいな!」と言った。独言のようでもあったが、傍にいた私は大いに賛同した。それで日頃の悲願をその友に話したのである。ところが話はそれからとんとん拍子にその希望に対(むか)って進行し、遂に実現のはこびとなった。もちろんそれまでには、ややこしい手続や多少の嘘をまじえた理由を作らなければならなかったのであるが。

【『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)以下同】

「島の療養所」でピンときた人もいるだろう。塔和子はハンセン病患者であった。「13歳でハンセン病を発病、14歳で小さな島の療養所に隔離された苛酷な現実も、塔和子の豊かな命の泉を涸らすことはできなかった」と表紙見返しにある。言葉がやわらかい。だが、生を見据える眼差しには厳格さが光っている。

「いっぺん社会へ出てみたいな!」――印刷された文字が涙で歪んだ。彼女たちを島に隔離したのは「らい予防法」であった。

ハンセン病の歴史
日本のハンセン病問題

 ハンセン病は姿形を損なうことから人々に忌み嫌われ、永きにわたり強い伝染力があると誤解されてきた。

てっちゃん: ハンセン病に感謝した詩人

 彼らは「同じ人間」として扱われることがなかった。無知に基づく差別は今なお根強い。

「いっぺん社会へ出てみたいな!」という言葉に恨みは感じられない。むしろその明るさが彼女たちを島へ追いやった社会の残酷さを炙(あぶ)り出すのだ。

 一軒の呉服店の前に立ち止まった友達は「あんた此処で何か買うて行けへんかな」と言った。私はそのとき初めて自分が自由に品物を選んで買い物の出来ることに気付き、優越感に似た感動を覚えた。

 彼女の心の動き一つひとつを通して、我々がハンセン病の人々から何を奪ったかを知ることができる。

痛み

 世界の中の一人だったことと
 世界の中で一人だったこととのちがいは
 地球の重さほどのちがいだった

 投げ出したことと
 投げ出されたこととは
 生と死ほどのちがいだった

 捨てたことと
 捨てられたことは
 出会いと別れほどのちがいだった

 創ったことと
 創られたことは
 人間と人形ほどのちがいだった

 燃えることと
 燃えないことは
 夏と冬ほどのちがいだった

 見つめている
 誰にも見つめられていない太陽
 がらんどうを背景に

 私は一本の燃えることのない木を
 燃やそうとしている

 ハンセン病の人々は親の葬式も知らされなかった。それでも塔和子は、凍てついた生命の木を言葉の焔(ほのお)で燃やし続ける。

塔和子 いのちと愛の詩集