2019-07-13

雨の牧馬峠


牧馬峠に挨拶
牧馬峠(道志みち側)を制覇
地獄の牧馬峠(相模湖側)

 ・雨の牧馬峠

 土山峠~宮ヶ瀬湖~道志みち~県道76号~雨の牧馬峠。二度目だが苦しさは相変わらずだ。ほんの少しも楽になっていない。そもそも幾度となく登っている土山峠すら苦しいのだ。自動車の多い道路が厭(いや)なので国道412号から牧馬(まきめ)峠を登るのは避けた。で、少しばかり距離を伸ばして県道76号からアクセスすれば主要な登坂は行える。


【湯口沢橋から荒井沢を見下ろす】

 曇りの天気予報がまんまと外れた。小雨だったのでそのまま進む。


【道志ダムの下流側】


【道志ダムの上流側は霞(かす)んでいた】



【道志ダムの少し先にあった小さな滝】

 道志村(どうしむら)は山梨県だがここはギリギリ神奈川県である。


 素晴らしい県道だ。私の誕生日を記念して作られたのだろうか? きっとそうに違いない。県道76号は緩やかなアップダウンが続き、温厚で優しい私の性格を示しているかのようであった。藤野南小学校の丁字路を右折すれば牧馬峠に出る。ゴルフ場付近の道が少しわかりにくいが、とにかくどんどん左側に進めばよい。

 雨が強くなってきた。前輪の弾く水しぶきが顔に当たる。ペダルを強く踏みすぎると後輪がスリップする。そして既に見慣れた感のある真空コンクリートが現れた。「親の仇!」と声に出して輪っかを踏みつける。雨が煙(けぶ)る。ハンドルを握る手が時々滑る。ダンシングを休める唯一のカーブに差し掛かった時少し意識が薄れた。後ろから来たクルマが私を追い越した。そして停車した。クルマの脇にギフチョウの看板が見えた。親の仇は討(う)った。

 降りしきる雨が止むことはなかった。帰りも通ったことのない道を走った。今日の走行距離は91km。

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2019-07-10

レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

石●「レッドからグリーンへ」というのが、最近の皮肉をこめたスローガンとなっているぐらいです。つまりマルキシズムの居城を失った思想家たちの一部が、環境に生きる道を見出したわけです。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年/新版、2013年)】

 第二次世界大戦中におけるマルキストの浸透については以下の書評に書いた。

大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

 ソビエトスパイの暗号解読文書「ヴェノナ」(Wikipedia/『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア)は公開されたものの歴史を修正するところにまでは至っていないのが現状だ。

 学生運動や安保闘争が高まる昭和30年代、左翼は公害病にもコミットしていた。石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉の言葉はあまりにも有名だ。「極端な言い方かもしれませんが、水俣を体験することによって、私たちがいままで知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました」(水俣病事件と「もうひとつのこの世」:萩原修子)。

 左翼勢力は更に空港(三里塚闘争)やダム建設の反対運動にも関わる。

 公害問題は環境意識への芽生えではあったが、企業vs.被害者というレベルの意識に留(とど)まっていた。1962年(昭和37年)にレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が、そして1972年(昭和47年)にドネラ・H・メドウズの『成長の限界 ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』が刊行された。日本では1974年(昭和49年)から有吉佐和子が朝日新聞に『複合汚染』の連載を開始した。

 人々の概念が少しずつ変化する中でオゾン層破壊が明らかとなる(1974年)。1985年にオゾン層の保護のためのウィーン条約が採択され、日本も1988年に加わった。これが環境問題のハシリだろう。その後1990年代から家庭ゴミの分別が始まる(「環境問題の歴史」を参照した)。

 環境問題は左翼にとっては渡りに舟であった。「地球に優しい」という標語には誰一人逆らえない。「レッドからグリーンへ」運動表現を変えた赤組はその後、人権~性差解消~ポリティカル・コレクトネスと看板を掛け替える。

 この間、進歩的文化人は良心的勢力・リベラルと仮面を付け替えた(進歩的文化人については谷沢永一著『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』が詳しい)。



金儲けのための策略/『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司

中東が砂漠になった理由/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

石●結局イスラムは、ブタを捨ててヤギとヒツジに頼ったわけです。ヤギとヒツジは、ある意味でいちばん自然を破壊する家畜ですよ。イスラム文化の支配したところが砂漠化していったのは理解できます。アラビア半島から始まってインド亜大陸、中央アジア、北アフリカ、スペイン南部まで、イスラムの支配した地域はほとんど砂漠です。ヤギとヒツジのせいだといってもいい。

湯浅●根まで食べちゃうわけですからね。

安田●インドがなぜ肉食をやめたのかということは、いずれにしても21世紀の大きなテーマになる。いずれ人類はそんなに肉を食えない時代を迎えるはずです。インドの紀元前5世紀における肉食の放棄は、結局、放棄するしかなかったということかもしれません。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年)以下同】

 するってえとヤギとヒツジこそは一神教の父というわけだな。ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からイスラム教が生まれた。この三つを総称してアブラハムの宗教という。

 一神教は砂漠の宗教(『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭)で、多神教は森の宗教と考えられている。砂漠に存在するのは砂と風だけだ。呆気(あっけ)なく死んでしまうことも多かったことだろう。人々は救いを求めて天を仰ぐ。これが「信仰」の謂(いわ)れだ(東洋は信心)。

「砂漠では、心を動かされる何もないので、人の思考は自然に天に向かう。そして唯一の神を崇拝する宗教が誕生したわけだ」(長谷川良、2015年)。

「砂漠の中では砂か風しかない。そういうものでは人間の無力さを克服できない。だからこそ、もう「絶対的なもの」を求めないと、砂漠風土ではやっていけないと。こうなると、もう強大な力を持った一つの神様しか選択できない。こういう心理状況が働いたと考えたほうが理解し易いんじゃないでしょうか。だから砂漠の神が一神教。自然の豊かなものがあるところでは多神教が普通になる。そんな風土が生み出したものでもあるんです」(安岡譽)。

 新約聖書ではイエスを「善き羊飼い」に、そして信徒を「迷える羊」に喩(たと)える。ま、どっちにしてもあんたたちは中東を砂漠化したわけだよ。

 彼らが希(こいねが)った天国は水が豊富で滴り落ちるような緑に溢れていたことだろう。そう。我々にとっては見慣れた風景だ。砂漠と比べれば日本はまさに天国といってよい。

 奴隷は家畜文化から生まれた。日本に奴隷制度はなかった(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平)。現代においても先進国が発展途上国の資源を搾取し、労働や兵役を国民に押しつける形でソフトな奴隷制は温存されている。

2019-07-09

馬渡大坂~半原越


 馬渡大坂(まわたりおおさか)から半原越(はんばらごえ)にアタック。本当は牧馬峠(まきめとうげ)までも行くつもりだったのだが思った以上にきつくて帰ってきた。行きは愛川の水道みち地図)から。


 急斜面を駆け下りると里山に囲まれた田んぼが広がる。長閑(のどか)で心休まる場所だ。

 馬渡大坂は大したことがなかった。ところが半原越まで行くとなると話が変わる。最初はナメてかかっていた。「半原越よ、スピンバイクで鍛えた私の足元にひざまずくがいい」くらいに思ってたんだよね。56歳になった私の前に半原越は傲然と立ち塞がった。


【半原越入口付近で】

 牧馬峠(相模湖側)に次ぐ苦しさであった。ペダルを踏みながら神仏に罰せられているような気分になってくる。ま、私としては70~80代で行うはずのリハビリを先んじて行っている自覚があるから苦しいのは望むところだ。

 空気が湿っぽくなってきたので帰ることに。途中で前々から気になっていた道を確認する。Googleマップには載っていない(「Googleマップが劣化した」不満の声が相次ぐ ゼンリンとの契約解除で日本地図データを自社製に変更か - ITmedia NEWS)のだが航空写真だとはっきりわかる。ズザ沢湧水の脇にある道だ。


 ゲートの向こうの林道は舗装されていなかった。



 いつものようにJA県央愛川荒茶工場前を滑るように走り抜ける。時速57kmだ。そのまま来た道を戻る。スピンバイクの効果は平地でわかった。驚くほど足が回る。登坂で発揮できないのはどうしたことか? 筋力ではなく心肺能力の問題なのだろうか?

 今月でロードバイクに乗り始めてからちょうど1年を迎える。ヤビツ峠に挑む前にもう少しトレーニングが必要だ。

 日野晃の本を読んで思ったのだが、「背中を丸める」とか「肩甲骨を開く」というのは「胸骨を下げる」意識にすると、かなり楽になる。

2019-07-08

黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
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『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

石●石炭ガスが登場する以前、大都市の街頭の燃料にクジラの油を使っていて、1740年代のロンドンでは5000もの街灯が鯨油でともされていたそうです。これでは、いくら捕鯨をやっても足りないですよ。欧米で捕鯨の圧力が少し下がるのは、19世紀に入って石炭ガスが普及してきてからです。

(中略)

石●アメリカの捕鯨産業は1650年頃東海岸で始まり、1700年頃にはそこも捕り尽くして北極海に出ていく。それも、湯浅さんがいわれたとおり、1830年頃には資源は枯渇して太平洋に進出を余儀なくされる。19世紀半ばには、もう太平洋の東ではクジラが壊滅し、さらに西へ西へと進出したわけです。しかし、捕鯨船への燃料や水の補給ができなくなり、そこで強面のペリー提督を日本に送り込んで、捕鯨船への補給のために開国の圧力をかけることになる。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年

 しかも欧米人は鯨肉を食さなかった。油を絞った後は巨大な遺骸を捨てていたのだ。黒船来航は1853年(嘉永6年)。それから100年余りを経て、今度は日本の捕鯨が欧米から問題視される(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)。

 誰が何を食べようと文句を言われる筋合いはないはずだが、白人は「知性の高い動物を食べるべきではない」と宣(のたま)う。同じ人間であるはずの黒人や黄色人を散々差別してきた白人の動物に対する憐憫(れんびん)の情はどこか歪んだものを感じさせる。

 要は「ルールを決めるのは俺たちだ」と言いたいのだろう。もちろんその裏側には「お前らは黙ってルールに従えばよい」という人種差別感情がべったりと貼り付いている。

 日米和親条約(1854年)を始めとする不平等条約は「黒船レジーム」といってよい。これを解消するために日本は日清戦争日露戦争を戦い、やっとの思いで半世紀後の1911年に関税自主権を回復した。国際社会で対等な国家として認められるのに我々の父祖がどれほどの苦労をしてきたことか。

 鯨のために開国を強いられ、開国すると鯨のために弾劾される。日本にとっては忌まわしい動物と言えなくもない。

近未来の車輪とタイヤとロボット・ドローン






2019-07-07

黒船を歌う江戸時代の人々/『幕末外交と開国』加藤祐三


『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『逝きし世の面影』渡辺京二

 ・黒船を歌う江戸時代の人々

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 黒船来航、そのニュースはまたたく間に国内を駆け巡った。公文書、浮世絵、狂歌・狂句、瓦版(ミニ新聞)、手紙、日記、そして口コミ。
◎泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん) たつた四はいで夜も眠れず
  煎茶の銘柄に「上喜撰」があった。「蒸気船」と同音である。煎茶を四杯も飲めば目が冴えて眠れない。四隻(四杯)の蒸気船では「夜も眠れず」。作成年代は不明、後の明治期とする説もある。似た歌に「アメリカを茶菓子に呑んだ蒸気船 たつた四杯で夜もねられず」があり、アメリカに飴をかけている。
◎井戸の水あつてよく出る蒸気船 茶の挨拶で帰るアメリカ
  井戸とは、2名置かれた浦賀奉行の一人(江戸城詰め)の井戸石見守(いわみのかみ)との語呂合わせである。水質が合って程よく出た上喜撰を飲んで、茶飲み程度の軽い挨拶で帰帆。確かに、ペリーの第1回滞在は、わずか10日間である。
◎アメリカが来ても 日本はつつがなし
  筒(大砲)がないことと、恙無い(無事)を掛けている。
◎日本へ向ひてペロリと下をだし
  ペリーの名はオランダ語風にペルリ、ヘロリなどとも書かれている。ペロリ、あかんべ~か。
◎馬具武具屋 渡人さまとそつといひ
  泰平の時代がつづき、馬具や武具を扱う商売はさびれていたが、黒船来航でいいよいよ天下大乱か。商売繁盛、だが大声では言えない。
◎兵糧の手当に米の値があがり 武家のひそかに黒船さま
  武士の俸給は米である。まずは食用にしたが、残りは売って現金に換えた。兵糧手当に米の値上り。ありがたや。
◎永き御世(みよ)なまくら武士の今めざめ アメリカ船の水戸のよきかな
  水戸とは警世家で対外強硬派ともいわれた御三家(ごさんけ)の水戸(茨城県)の徳川斉昭(なりあき)をさす。目の前の黒船が、長い平和ですっかりなまくらになった武士の覚醒剤となった。水戸殿は溜飲を下げる。
 内容からみて、これらの歌は、10日間で終わった第1回ペリー来航の時に詠まれたものであろう。安堵した気配や、揶揄や好奇心が強く出ている。艦砲射撃で街が焼かれた、武士達が艦隊に切り込んだなど、緊迫した様子のものは一つもない。これがほかならぬ現実であった。

【『幕末外交と開国』加藤祐三〈かとう・ゆうぞう〉(ちくま新書、2004年/講談社学術文庫、2012年)】

 言葉のセンスがツイッターとは桁違いである。その圧縮された情報の濃度は流行歌をも軽々と凌(しの)ぐ。更には遊びの精神が横溢(おういつ)しながらも単なる駄洒落に堕していない。

 俳句の俳という字は「おどけ、たわむれ」を表し(俳 | 漢字一字 | 漢字ペディア)、俳句の源流である「『俳諧』には、『滑稽』『戯れ』『機知』『諧謔(かいぎゃく)』等の意味が含まれる」(俳諧 - Wikipedia)。ユーモアとは現実を突き放して見つめて悲しみや苦しみをも笑い飛ばす精神である。四季を愛(め)でる美意識や、もののあはれもさることながら、日本人のユニークさは「現実を面白がる心持ち」にあるような気がする。

泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず/『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典

 この手の話が好きなので紹介したが、本書は――検索しながら別の本に辿り着き、更に検索してはまた別の本を辿ってしまう悪循環が2時間以上続く。その後数本の動画を見て、結局寝てしまう――黒船来航後、仁王立ちとなって安政の改革を断行した阿部正弘〈あべ・まさひろ〉と、ペリーとの交渉役を命ぜられた林大学頭〈はやし・だいがくのかみ/林復斎〉による外交の歴史が詳述されている。

 戦前を「未発達の黒い歴史」と捉えるのが左翼の進歩史観であるが、史実を知ればマシュー・ペリー同様、江戸時代の日本人を見直さざるを得ない。

 明治維新の立役者は下級武士であったが身分という枠組みで見るのは片手落ちだ。維新~開国を成し遂げたのは知識人たちであった。豊臣秀吉はヨーロッパ人がアジア諸国を侵略し植民地化していることを知っていた(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。そして幕末の知識人は阿片戦争で清国がイギリスに敗れた事実を把握していた。

 黒船を歌う江戸時代の人々は実に呑気(のんき)であった。彼らの精神は江戸時代に埋没したまま日本の激動を予期し得なかった。阿部正弘が成し遂げた改革や人事を思えば、彼こそが明治維新という舞台の土台をつくったといっても過言ではないだろう。それまで発言権のなかった外様大名の声を聞き、島津斉彬〈しまづ・なりあきら〉などを幕政に参加させた。また、勝海舟を登用したのも正弘であった。

 軍事力では圧倒的に劣る日本が外交交渉を通して新しい国家の形を模索する。林大学頭のタフネゴシエーター振りも際立っている。その胆力・見識・知謀は現在の大臣級では足元にも及ばないだろう。

 こうして日本は鎖国という平衡系世界から開国という非平衡系世界へ船出する。

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2019-07-06

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2019-07-04

潮目


 有本香vs.橋下徹の論争に百田尚樹足立康史が参戦して、案の定足立が炎上させて終了しつつある。

 かつて見えなかった戦後史の真相が輪郭をくっきりと現し、長い影まで見晴かすことができるようになった現在、この論争は新しい歴史教科書をつくる会の内紛以上に大きな影響を及ぼす可能性がある。twitter上での些細な混乱が示したのは、国際社会の反応を恐れる古い政治家と祖国に誇りを抱こうとする国民の間に越え難い確執があることだった。

 4月に行われた大阪W選挙で日本維新の会は圧勝した。その驕(おご)りがあったとすれば維新は所詮ローカル政党の域を出ることはない。DHCテレビ文化人放送局は二大ネット保守放送局であるが、これまで手を携えて安倍政権と維新を支持し続けてきた。そこに亀裂が入ったわけだから保守は統合から分裂へ向かい、憲法改正にブレーキが掛かることとなろう。

 橋下徹に関してはメディアとの対決姿勢を国民に広く知らしめた一点を私は評価している。ただしその礼儀知らず振りは様々な波紋を広げ、大阪維新の会と旧太陽の党が合流する際に露見した(平沼赳夫「次世代の党」党首が傲岸不遜な橋下徹・大阪市長の非礼を告発)。今となっては平沼赳夫〈ひらぬま・たけお〉の見方が正しかったように思える(「日本維新の会」と「石原新党」―なぜ橋下徹は平沼赳夫を排除するのか)。


 橋下と足立の言動には拭い難いエリート意識がにじみ出て腐臭を放っている。まるで「お前ら国民に政治家の苦労がわかってたまるか」と言うような姿勢が透けて見える。彼らの態度は逆圧迫面接と名づけるのが相応しい。小選挙区で落選して比例復活を遂げた足立はもっと自重して然るべきだろう。

 小さな論争が意外と大きな潮目になるかもしれない。政界再編のためには分裂が必要だ。















2019-07-03

文明とエントロピー/『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司


『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦

 ・石油とアメリカ
 ・文明とエントロピー

『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司
『生物にとって時間とは何か』池田清彦

●文明とエントロピー

 ですから、環境問題の根本とは、文明というものがエネルギーに依存しているということです。そしてそのときに、議論に出ない重要な問題があります。それは、熱力学の第二法則です。
 文明とは社会秩序ですよね。いまだったら冷暖房完備というけれども、普通の人は夏は暑いから冷房で気持ちがいい。冬は寒いから暖房で気持ちがいいというところで話が止まってしまう。しかし根本はそうではない。夏だろうが冬だろうが温度が一定であるという秩序こそが文明にとっては大切なのだと考えるべきなのです。しかし秩序をそのように導入すれば、当然のことですが、どこかにそのぶんのエントロピーが発生する。それが石油エネルギーの消費です。
 端的に言えば文明とは、ひとつはエネルギーの消費、もうひとつは人間を上手に訓練し秩序を導入すること、このふたつによって成り立っていると言えます。人間自体の訓練で秩序を導入する際のエントロピーは人間の中で解消されるから、自然には向かいません。文明は必ずこの両面を持っています。さきほども述べたように、古代文明があったところでは、石油に頼らずとも文明が作れるという意識があったため、石油に対する意識は鈍かった。しかしアメリカは荒野だったし、そこに世界中からバラバラの人間が集まってきた。そういうところでなぜ文明ができたのかと言えば、まさに秩序を石油によって維持したためです。秩序を維持することは、エントロピーをどこで捨てるかという問題であり、それを1世紀続けたら炭酸ガス問題になったのです。アメリカ文明のいちばん端的な例は、アパートの家賃が光熱費込みだということです。これではエネルギーの節約に向かうはずがない。だから、恐ろしく単純な問題なんですよ。それを認めずに何かを言っても意味がない。
 僕が代替エネルギーを認めないというのは、どんな代替エネルギーを使おうが、エントロピー問題には変わりがないからです。(養老孟司)

【『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)】

 一般的にエントロピーは「乱雑さの度合い」と解釈されている。厳密ではないが熱力学第一法則がエネルギー保存則で熱力学第二法則がエントロピー増大則と覚えておけばよい。

 熱いスープは時間を経るごとに冷める。熱が空気中に分散した状態を「乱雑さ」と捉えるのである。つまり冷めたスープはエントロピーが増大したのだ。コーヒーに入れたミルクは渦を巻きながら拡散し、掻き混ぜることで全体に行き渡る。このように秩序から無秩序への変化は逆行することがない(不可逆性)。

「ホイルは、最も単純な単細胞生物がランダムな過程で発生する確率は『がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる』のと同じくらいだという悪名高い比較を述べている」(Wikipedia)。フレッド・ホイルのよく知られた喩え話もエントロピーという概念に裏打ちされている。

 出来上がったカレーを元の材料に戻すことは不可能だ。混ぜた絵の具を分離することも無理だ。砂で作ったお城は波に洗われて崩れる。テーブルから落ちて砕け散った茶碗が元通りになることはない。「覆水盆に返らず」という言葉は見事にエントロピー増大則を言い表している。

 やがて太陽も冷たくなり、宇宙はバラバラになった原子が均一に敷かれた砂漠と化す(熱的死)。

 冷房を効かせると熱い部屋が涼しくなる。一見するとエントロピー増大則に反しているようだが室外機の排熱とバランスすれば、やはりエントロピーは増大している。




 武田邦彦はエントロピー増大則に照らしてリサイクルを批判しているが、養老孟司の代替エネルギー批判も全く一緒である。エントロピー増大則は永久機関を否定する。

 エントロピーに逆らう存在が生物であるが、熱や排泄物(≒エントロピー)を外に捨てている。

 物理世界の成住壊空(じょうじゅうえくう/四劫)・生老病死がエントロピーなのだろう。



エントロピー増大の法則は、乱雑になる方向に変化するというものではない。 | Rikeijin
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2019-07-02

石油とアメリカ/『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司


『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦

 ・石油とアメリカ
 ・文明とエントロピー

・『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司
・『生物にとって時間とは何か』池田清彦

石油とアメリカ

 僕は常々、文化系の人が書かない大切なことがいくつかあると思っています。そのひとつが、環境問題に関しては、アメリカとは何かということを考えざるをえないということです。実は環境問題とはアメリカの問題なのです。つまりアメリカ文明の問題です。簡単に言えばアメリカ文明とは石油文明です。古代文明は木材文明で、産業革命時のイギリスは石炭文明ですね。そしてその後にアメリカが石油文明として登場するのだけれども、一般にはそういう定義はされていませんよね。
 1901年にテキサスから大量の石油が出て、1903年にはフォードの大衆車のアイデアが登場した。アメリカはそれ以来、石油文明にどっぷりと浸かってきました。普通に考えたら、ジョン・ウェインの西部劇の世界とニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンとはまったくつながらないですよ。つながる理由が何かと言えば、石油なのです。(中略)
 石油問題に関しては、アメリカが世界の中で最も敏感で、ヨーロッパはそれより鈍かった。日本のほうはさらに鈍かった。そして最もにぶかったのが、古代文明を作った中国でありインドだった。文明というのは石油なしでも作れるという考えが頭にあった順に鈍かったということです。
 アメリカが戦後一貫して促進してきた自由経済とは、原油価格一定という枠の中で経済活動をやらせることをその実質としていました。原油価格が上がってはいけないというのは、上がった途端にアメリカが不景気になっちゃうからね。ものすごく単純な話なんですよ。自然のエネルギーを無限に供給してけば、経済はひとりでにうまくいっていた。それを自由経済という美名でごまかしてきたのが、20世紀だったわけです。ひとり当たりのエネルギー消費では、日米の差は、僕が大学を辞めることには2倍あった。ヨーロッパ人の2倍、中国人の10倍です。科学の業績などをアメリカが独占するのは当たり前でしょう。戦争に強いとか弱いとかにしてもね、日本は石油がないのに戦争をしたのだから。9割以上の石油を敵国に頼って戦争をするのがどれだけ不利だったか、ということです。それだけのことなのです。
 それからこれも文化系の人は書かないことですが、ヒトラーがソ連に侵入した理由が、歴史の本を読んでもどうも分からない。答えは簡単なことです、石油です。当時もソ連は産油国だったのですよ。コーカサスの石油が欲しかったから、ドイツはスターリングラードを攻めた。そこをはっきり言わないから色々なことが分からない。日本の場合も、「持たざる国」と言い続けてきたけれども、根本にあるのは石油、つまりエネルギーの問題です。古代文明を見てもそうでしょう。木材に依存した文明の場合、最も大量に消費できたのは始皇帝時代の秦ですからね。木を大量に伐採したから万里の長城が作られたわけですよ。現在の砂漠化の要因をたどれば、この時代になるでしょうね。(養老孟司)

【『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)】

 文章から察すると書き下ろしならぬ語り下ろしか。池田清彦と養老孟司という組み合わせはその語り口の違いからすると泉谷しげると小田和正ほどの差がある。二人の共通項は虫採りだ。政治的な立場は池田が反権力で、養老はよくわからない。わからないのだが保守でないのは確かだろう。

「頭のよさ」は物事の本質を抉(えぐ)り出すところに発揮される。戦争とエネルギーと経済と歴史を「石油」というキーワードで解くのは実にすっきりとした方程式で、ストンと腑に落ちる。

 ここで新たな疑問が生じる。次のエネルギーシフトは石油から何に変わるのだろうか? またぞろ何かを燃やすのか? あるいは別の方法でコンプレッサーのように圧力を掛ける方法を開発するのか? いずれにせよそれは電気エネルギーに変換する必要がある。養老はエントロピーという観点から代替エネルギーに関しては否定的だ。燃焼から去ることができないのであれば効率化を目指すのが王道となる。

 科学は核分裂のエネルギー利用を可能にはしたがゴミの問題をまだ解決できていない。21世紀のエネルギー源として核融合による発電の開発が進められているが今世紀半ばに実現されるのだろうか?

 アメリカはシェール革命をきっかけに世界の警察官を辞めた(オバマ大統領のテレビ演説、2013年9月10日/トランプ大統領、2018年12月26日)。警察官が不在になれば悪者がはびこる。つまり中東と東アジアが安定することはあり得ない。

 つくづく残念なことだが革新的な技術は戦争を通して生まれる。利権なきエネルギーが誕生するまで人類は戦争を行い続けるのだろう。

ほんとうの環境問題
ほんとうの環境問題
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池田 清彦 養老 孟司
新潮社
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2019-07-01

目撃された人々 73


 失敗した過去、行き詰まる現在を赤裸々に語ることができるのは心が開かれている人に限られる。四十、五十と年を重ねるごとにこれができる人は少なくなる。資本主義の哲学は成功だ。大人はあたかも自分が成功したように見せ掛ける技能を磨く。

「あたしさ……」と彼女が言った。「そうか」と私は聴いた。「こんな風に考えてしまうのは更年期障害のせいかな」と呟いた。「多分」と答えた。10年、20年前の私なら全力で励ましたことだろう。悩みとは解決されるべきマイナス要因であって停滞に他ならないと考えていたからだ。

 ところがそうでもないらしい。一つの悩みが解消されると別の悩みが芽を出し、やがて大きく生長するのだ。悩みとは観念という妄想が構築する脳のアルゴリズムなのだろう。とすれば悩むというメカニズムを見極め、悩むよりも具体的な問題処理の行動を一歩踏み出した方がよい。

 実に不思議なことだがその人の悩みは往々にして自分で自分を罰しているような側面がある。特に親子関係の複雑さが原因となっていることが多い。

 率直な言葉を通して相手の輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。それは一人泣いている母親を見ていた幼い彼女の姿だ。母親を尊敬する彼女は自分が幸福になることを許さない。

子は親の「心の矛盾」もまるごとコピーする/『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

2019-06-29

死の恐怖を免れる簡単な方法/『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦


 ・死の恐怖を免れる簡単な方法

『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司
『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司
・『生物にとって時間とは何か』池田清彦

 死の恐怖を免れる最も簡単な方法は、体は滅んでも心は不滅であると信ずることだ。言わずと知れたことだが、これは宗教である。すべての宗教はその教説の中に死後の世界についてのお話が入っている。天国(あるいは極楽)に行くにしても地獄に行くにしても、死んだ後もとりあえず心の存在は保証される。宗教とは、脳が巨大化して死の恐怖などという余計なことを考えるようになった人間が発明した、心が安楽になるための極めて優秀な装置である。死の恐怖も宗教も脳の発明品であることでは共通している。こういうのもマッチポンプと言うのだろうか。

【『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦(角川書店、2005年/角川ソフィア文庫、2008年)】

 生と死にまつわるエッセイ集だ。テレビで見受ける酔っ払いみたいな口調とは打って変わって文章は端正である。

 私も生命は永遠だと長らく思っていたのだが10年ほど前に考えを改めた。スマナサーラ長老が「テーラワーダ仏教では最初に過去世を悟る」みたいな話を書いていたが私としては腑に落ちない。過去世だろうが来世だろうがその情報は現在の脳に収まっている。つまり何を語ろうとも現在の脳内情報であって、それを生前や死後にまで延長するのはどう考えても無理がある。

 よくインドあたりで生まれ変わり伝説がまことしやかに喧伝されているが、私は生まれ変わりというよりも何か生命の波長みたいなものがピタッと合致して、強く死者の生命を観じる(※「感じる」ではない)ことがあるのだろうと推察する。

 大体我々が思う生まれ変わりなんてえのあ身内や歴史上の有名人に限られていて、去年の夏に死んだ蝉や、日々食卓に上がる畜類の来世を思うことはない。

 本音を言えば死後の生命はあって欲しい。若い頃に後輩を亡くしているので彼らと会いたいからだ。ルワンダで殺戮された多くの人々も怨霊となって無慈悲な人類を祟(たた)ればいいと本気で思う。でも多分そうはならない。

 私は死と眠りは極めて似た状態だと考える。眠ってしまえば私という存在はなくなる。夢を見ているのは脳が半分覚醒しているためで完全に死んではいない。ま、幽霊なんてのがこの状態なのだろう。眠れば私は消える。これが答えだ。

 本当は永続する何かがあるかもしれないが、それは我々が考えているような「私」ではない。エネルギーの慣性みたいなものが働く可能性はある。ただし生まれ変わるような性質ではないだろう。

 諸法無我とは「物語から離れる」生き方である。因果応報で死後の極楽行きや地獄行きが決まるというのはいい物語だとは思うが、所詮物語の領域を出ていない。善因善果・悪因悪果は飽くまでも現在に収まるのである。私は死後の存在を否定するようになってから「死ねば仏」という言葉は案外正しいのかもしれないと考えるようになった。「死の瞬間に脳は永遠を体験する」(『スピリチュアリズム』苫米地英人、2007年)なら時間が止まる可能性もある。

やがて消えゆく我が身なら (角川ソフィア文庫)
池田 清彦
KADOKAWA (2008-05-23)
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