2021-08-16

「精神世界」というジャンルが登場したのは1977年/『身心変容技法シリーズ① 身心変容の科学~瞑想の科学 マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み』鎌田東二編


岡野潔「仏陀の永劫回帰信仰」に学ぶ
『業妙態論(村上理論)、特に「依正不二」の視点から見た環境論その一』村上忠良
『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道

 ・「精神世界」というジャンルが登場したのは1977年

 1977年、初めて東京都内の大手書店が開催したフェアで「精神世界」を銘打ったコーナーが設けられ、以後、「精神世界」という言葉が流行語のようになり、書店のコーナーばかりでなく、一般メディアなどでも用いられるようになった。その『精神世界」には、超能力やオカルティズムや密教の流行とも連動しつつ、宗教的伝統に根ざす諸種の瞑想や近代以降に展開された身体修練などさまざまな実践的な身体技法が含まれていた。

【『身心変容技法シリーズ① 身心変容の科学~瞑想の科学 マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み』鎌田東二〈かまた・とうじ〉編(サンガ、2017年)】

 多分、ニューエイジ(『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之)の影響だろう。盛り上がりを見せた精神世界もバブル景気を経て、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)で潰(つい)えてしまう。コントロールされた精神がたやすく暴力に向かうことをまざまざと見せつけられたわけだ。それ以降、潮流は脳科学へ向かい、そして再び身体に戻りつつある。9.11テロ(2001年)は「心の時代」の到来を拒むような出来事であった。個人的には何らかの陰謀があったと考えているが、世界の人々が感じたのは「宗教と暴力の親和性」であった。

 読み始めたばかりだが鎌田東二の序文がよくない。エリアーデ、ベルクソン、ウィリアム・ジェームズを水戸黄門の印籠さながらに振りかざす姿勢が、権威に依存する学者の体質をよく表している。内田樹〈うちだ・たつる〉の名前もあるので最後まで読むことはできそうにない。

 また長過ぎる書籍タイトルが自信の無さを示しているようにも感じる。

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2021-08-14

長距離ハイキング/『トレイルズ 「道」を歩くことの哲学』ロバート・ムーア


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット

 ・道の本質はその機能にある
 ・長距離ハイキング
 ・よいデザインはトレイルに似ている

『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー
『動物たちのナビゲーションの謎を解く なぜ迷わずに道を見つけられるのか』デイビッド・バリー
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れをしらない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史

身体革命
必読書リスト その五

 わたしにとって何か精神的な道があるとすれば、それはトレイルそのものだった。長距離ハイキングは、わたしにとっては現実的で必要最小限のアメリカ式歩行瞑想だった。トレイルはその制約のため、より深く考える自由を精神に与える(たぶん、アウトドア愛好者のなかでもハイカーが最も思索を好むのはこれが理由だろう)。わたしの無鉄砲なトレイル教の目的は、動きを滑らかにし、シンプルに生き、自然の知恵を引き出し、現象の絶え間ない変化を静かに観察することだった。もちろん、ほとんどの場合はうまくいかなかった。当時の日記を読みかえしてみたのだが、心静かな観察の記録といったものは少なく、物資の手配や食べ物に関する心配や妄想ばかりが書かれていた。悟ることなどできなかった。それでも全体として見れば、かつてないほど幸せで健康だった。
 最初の二、三カ月くらいのあいだ、歩くペースは徐々に上がっていった。最初は1日に16キロだったが、やがて24キロ、そして32キロになった。メリーランド、ペンシルヴェニア、ニュージャージー、ニューヨーク、コネティカット、マサチューセッツなどの比較的標高の低いところでは、さらにペースは上がった。ヴァーモント州に入るころには1日に48キロ歩くようになっていた。その過程で、わたしの体は歩行という任務を遂行するための道具になっていった。歩幅が広がり、水ぶくれは硬くなった。余分な脂肪や筋肉の多くは燃料に変わった。ほとんどつねに、わたしという機械の一、二箇所は修理を必要としていた。くるぶしが痛んだり、尻がひりひりしたりした。だがごく稀に、すべてが調和し、空っぽの州間高速道路をスーパーカーで飛ばしているように、道具と任務が完全に調和していると感じられることもあった。

【『トレイルズ 「道」を歩くことの哲学』ロバート・ムーア:岩崎晋也〈いわさき・しんや〉訳(エイアンドエフ、2018年)】

「エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む」(『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄)。そう考えると人間にとって最適なのは歩く速度だろう。ランニングだと五官が正常に機能しない。瀬川晶司の父親はジョギング中に轢過(れきか)事故で亡くなった。

 私の脚力だと20kmが限界だ。10km程度はよく歩くが、手がパンパンに膨(ふく)れてくる。短気のせいで休憩を挟むことがない。自転車の時と同様で坂道を好む。仕事の時間が偏っていることもあって毎日歩くことは難しい。それでも10年前と比べると体調はかなりいい。

「心臓の鼓動が体中にメッセージを伝えている」(『心臓は語る』南淵明宏)とすれば、歩行による振動も体に影響を与えていることだろう。

 日常的な健康という観点からすれば長距離を歩く必要はない。むしろ短い距離で構わないから日々歩くことを心掛けるべきだろう。しかし私は長距離を目指す。なぜなら、いつか災害や戦禍によって交通が麻痺し、歩くことでしか移動できない事態を想定しているからだ。備えあれば憂いなしである。危機的な状況を想像すると「歩けない」ことは死を意味するといっても過言ではないだろう。

2021-08-12

朝の運動は危険/『心臓は語る』南淵明宏


 ・心臓の鼓動が体中にメッセージを伝えている可能性もある
 ・朝の運動は危険

『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則』吉田たかよし

 彼(※マイケル・スモレンスキー)によると、心臓疾患による突然死が多いのは午前7時から10時までだということです。朝方に激しい運動をするのは、結構、危険が伴うようです。

【『心臓は語る』南淵明宏〈なぶち・あきひろ〉(PHP新書、2003年)】

 起床後と考えてよかろう。心臓は我々が思うほど安定した動きをしているわけではない。私は以前酒を呑むと不整脈が出たのでよく知っている。枕に耳を当てると、ドン……ドン、ドドド、ド……ン、ド、ドン、ド…………ン、ドドド、なんてことがザラにあった。

「自律神経の嵐」をご存じだろうか?

 昼間の活動中は交感神経が優位で、夜間の睡眠中は副交感神経が優位です。早朝の午前4時から6時ごろと夜間就寝後1時間前後は、両者が切り替わる時間帯で自律神経がとても不安定になります。この不安定な状態を自律神経の嵐と呼び、狭心症や心筋梗塞、不整脈、突然死や脳梗塞などさまざまな病気が発症しやすい時間帯となります。季節の変わり目にも自律神経は不安定となり、気温差の激しい初夏のこの時期、私たちは自律神経の嵐の中にいるのです。

循環器内科医 上野勝己氏

「起床後の朝の時間帯は体を活発に動かせるよう交感神経が働きます。交感神経は血管を収宿させて血圧が上がったり、さらには、朝は夜間睡眠時にかく汗により血液が固まりやすくなっているため、朝に心筋梗塞は多いのです」(朝に心筋梗塞はなぜ起きやすい?(院長コラム)|いなば内科クリニック)。「狭心症は、血圧の変動が大きい早朝や深夜に起こりやすい」(狭心症を防ぐために|ハートニュース|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団)。

「激しい運動」とは息切れを伴う運動である。ブドウ糖をエネルギーに変えるべく、より多くの酸素を必要としているのだ。つまり酸欠状態といってよい。我々の先祖の生活様式を想像してみても朝一番で走ることは考えにくい。やはり水を汲(く)みに行く程度の運動が望ましいだろう。

2021-08-11

生き生きと躍動する言葉/『手業(てわざ)に学べ 天の巻』塩野米松


『仕事の話 日本のスペシャリスト32人が語る「やり直し、繰り返し」』木村俊介
『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一

 ・生き生きと躍動する言葉

『日本鍛冶紀行 鉄の匠を訪ね歩く』文:かくまつとむ、写真:大𣘺弘

 職人の持つ仕事の素晴らしさや、面白さは、その仕事とそれをなす職人の人柄、その職業の人だけが持つ言葉や動作にある。だから、いくら仕事を文章や写真で紹介してももどかしさがあった。そんなとき、自然に関わりのある人たちを招いて話を聞く仕事をしてみないかと誘われた。東京・二子玉川にある小さなホールでのトークショーの企画だった。
 このとき、お客さんのまえで、実際に仕事をしてもらいながら、話を聞き、それを皆さんに見てもらい聞いてもらおうと思った。伝え切れない彼らの仕事が、少しでもわかってもらえるいい機会だと思ったからだ。その仕事が4年続いた。

【『手業(てわざ)に学べ 天の巻』塩野米松〈しおの・よねまつ〉(小学館、1996年)】

 このトークショーを聞き書きとして編んだ作品である。戦後から高度経済成長へと時代が移り変わる中で「手仕事」は途絶えてしまった。ものづくりは工場と分業によって大量生産の時代を迎える。安価と使い捨ては我々の文化となり、道具の手入れを自分で行うことはなくなった。現在では家事も介護もアウトソーシングできるようになった。教育は殆ど家庭内では行われていない。自信を持って自分の後ろ姿を晒(さら)せる親がどのくらいいるだろうか?

 私は針葉樹の森の中でほとんど毎日を過ごしているわけですが、針葉樹はいいですな。もう緑一色でね。本当になんともいえんですね。朝焼けなんかでも、本当にこうして見ますとね、いいですね。日暮れは日暮れでまた色が変わりますからね。
 こんなですから、朝、山に入るときにも、何も人が見えないのに「おはようございます」と山へ入っていきますよ。帰るときには、また後ろを振り返って「おやすみなさい。また明日出てくるから」というて帰るんです。山にありがたいと感謝するんです。
 山を見たら、本当に腹立つものはありませんわ。腹が立ったら、とにかくもう枝さえ叩いたらいいんです(笑)。今度は仕事がよくできますしね。いちばんいいですよ。

 岐阜の枝打ち名人・山本總助である。カナダの木登りチャンピオンを降(くだ)したことがあり、ギネスブックにも登録されているようだ。降りるのも早いようでリスを追い越したこともあると語る。生き生きと躍動する言葉が全編を貫く。

 手に業(わざ)を持つ人々は皆、自然と交流し、己(おのれ)の仕事に喜びを見出す。工場の部品や組織の機構と化した我々の仕事とは質が違う。私が行っているのは賃仕事だ。高度経済成長は仕事の喜びを奪い、カネを稼ぐために我慢することを人々に強いた。時給とは忍耐に対する報酬だ。

 我々が現在行っている仕事は間もなくロボットに置き換えられる。人間の感覚が機械よりも優れている部分があるとすれば、それを手業と称するのだ。楽器演奏やプロスポーツ選手は職人と言い得る。キーボードを打つだけではやがて手の機能が退化するに違いない。今は頭よりも手を使うことを考えた方がよい。

 尚、ナンバ歩きか常歩(なみあし)に関連する記述があると思ったのだが、どうしても見つけることができなかった。

 ちくま文庫版は編輯し直したものと思われる。ゆくゆく確認するつもりだ。