・『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇
・大東亜戦争はアメリカのオペレーションズ・リサーチに敗れた
・『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝、藤原肇
藤原●日本人は太平洋戦争の敗因を米国の物量作戦だと考えがちです。だが、アメリカが英国から導入して完成させたオペレーションズ・リサーチによって、日本流その場しのぎの大福帳のやり方が破綻させられて、徹底的に打ち負かされた事実をいまだに気づいていない。
要するに、数理発想に基づく計算されたリスク管理によって、太平洋戦争は頭脳戦で日本が完敗したということです。
【『藤原肇対談集 賢く生きる』藤原肇〈ふじわら・はじめ〉(清流出版、2006年)以下同】
「オペレーションは作戦、リサーチは検証、という意味です。互いに干渉しあう複数の作戦が最適な方法で、効率的に実行可能かどうか、リサーチ、つまり検証する、そういう目的で使われ始めた科学でした。様々な環境、次々に変化する状況において、 数学や統計学を用いた数理的なモデルに落とし込み、分析することで最適なアプローチを導きます」(オペレーションズ・リサーチとは? | ‐株式会社 構造計画研究所‐ オペレーションズ・リサーチ部)。
「オペレーションズリサーチ(OR)は、意思決定にかかわる科学的なアプローチと言われている。ある組織の運用問題に対して、さまざまな方法を用いて分析し、適切な解決法を見つけることである。そのため、しばしば経営学とも言われる。分析方法としては、数理モデル、統計的な手法、アルゴリズムなどがある」(オペレーションズリサーチ(OR):Operations Research:研究開発:日立)。
マーケティング分野では「ランチェスター戦略」(ランチェスターの法則)と呼ばれる。それではと手始めに『まんが新ランチェスター戦略 1 新ランチェスター戦略とは』(矢野新一、まんが:佐藤けんいち、ワコー、1995年)を開いたが、敢えなく挫折した。
本書で初めてオペレーションズ・リサーチという言葉を知った。日本の近代史及び大東亜戦争に関してはそこそこ読んできたつもりであったが、ORを敗因と指摘したのは藤原肇が嚆矢(こうし)ではあるまいか。藤原は石油コンサルタントで石油開発会社をアメリカで経営してきた人物である。彼にとってORは常識であったのだろう。石油精製には様々なプロセスがあり、不安定な国情や戦争、あるいは経済・金融など複合的なリスクが伴う。ORを欠けば金鉱を掘り当てるような博奕(ばくち)と化す。莫大な初期投資を可能にするのは精確なリスク・マネジメントである。
藤原●日本人はハード志向だから飛行機や軍艦を量として数え、主として戦闘の問題に全力を傾けてしまうから、システムとしての戦争を見忘れがちになる。
これまた重要な指摘で、大東亜戦争では兵站(へいたん/ロジスティクス)を無視して南進したことが多くの餓死者を生んでしまった。日本には伝統的に輜重(しちょう)を軽んじる文化がある。どこか国土の感覚が関東平野の域を超えていないようなところがある。水が豊富なことも危機意識を鈍らせていることだろう。
特に目に見えるものの増減に一喜一憂して、目に見えないものの変化に注目しないから、システム発想をしないという欠陥に支配されてしまうのです。
そういった民族的な欠陥への反省を含めて、動態変化の重要性とサイバネティックスを結びつけ、それを資本と情報の流れとしてフローチャートにして、決算の機構を体系化したのが会計工学だと思います。
システム思考ができない現実は今も変わらない。藩閥を打開したと思いきや、今度は陸軍と海軍が仲違いをし、戦局の正確な情報が首相にまで上がってこなくなっていた。東条英機首相はミッドウェー海戦の敗北を知らされていなかった。張作霖爆殺事件(1928年/昭和3年)で田中義一首相は天皇陛下に嘘をつき、満州事変(1931年/昭和6年)では侍従武官長と若槻礼次郎首相が事実を伏せた(兼原信克)。昭和天皇は関東軍の暴走を「下剋上」と断じて厳罰に処さなかったことを悔やまれた(繰り返し戦争を回顧 後悔語る|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB)。
日本人の行動様式(エトス)が戦前も戦後も変わらないことを指摘したのが小室直樹の初著『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(ダイヤモンド現代選書、1976年)であった。藤原肇と小室直樹の対談は自然な流れであった(『脱ニッポン型思考のすすめ』ダイヤモンド社、1982年)。
・オペレーションズ・リサーチの破壊力/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール