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2021-12-05

暴力に屈することのなかった明治人/『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹


 ・暴力に屈することのなかった明治人

『昭和陸軍全史1 満州事変』川田稔
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 大蔵と朝山が立ち去って間もなく、西田税〈にしだ・みつぎ〉の家に来客があった。西田も顔を知る茨城の青年、川崎長光〈かわさき・ながみつ〉(血盟団残党)である。
「川崎君じゃないか、さ、上がれ」
 久しぶりに会った川崎を、西田は機嫌よく2階の書斎に上げた。獄中の井上日召(超国家主義者で血盟団の指導者)らは元気である、他の連中にも差し入れをした、などと西田はよく喋った。15分か、20分ほどであろうか。川崎は、うつむき加減に西田の話を聞いていた。だが、様子が変である。
「何をするッ!」
 刹那、川崎は隠していた拳銃を構えた。西田は一喝して川崎に飛びかかる。そのとき、銃弾が西田の胸部を撃ち抜いた。
 だが、西田は怯(ひる)まない。両手でテーブルを押し倒し、それを乗り越えて川崎ににじり寄った。川崎は後退しながら第2弾を撃つ。腹部に銃撃を受けた西田は、なおも川崎に迫る。障子を倒して廊下によろめき出た川崎は、下がりながらも3弾、4弾、5弾と撃ちまくる。左の掌に、左肘に、左肩に。次々と銃弾を喰らいながら、西田は、弾を数えた。ついに川崎が撃ち尽くしたとき、西田は猛然と川崎につかみ掛かった。
 西田の気迫に圧され、階段の際まで下がっていた川崎は、西田とともに階下へ転がり落ちた。西田をふりほどいた川崎が玄関に飛び出すと、夫人が顔を出した。「早くつかまえろ!」と西田が叫び、夫人はとっさに川崎の腰をつかんだが、その手を振り払って川崎は逃げた。
 足袋のまま川崎を追った夫人が玄関に戻ると、西田は壁にもたれて女中のもつコップの水を飲もうとしていた。
「大けがに水はいけませんッ」
 夫人はコップを奪いとった。しばらくして、襲撃を知った北一輝や、陸軍青年将校らが駆けつけ、西田は順天堂大学へ搬送された。銃弾を浴びて2時間が経っていた。

【『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹〈こやま・としき〉(中公新書、2020年)】

 西田は当時30歳。その胆力は鬼神の域に達している。辛うじて一命は取り留めた。4年後の昭和11年(1936年)に二・二六事件が起こり、西田は北と共に首魁として翌年、死刑を執行された。二人をもってしても青年将校の動きを止めることはできなかった。

 十月事件に関与した西田が、その後合法的な活動に舵を切った。これが急進派の恨みを買った。五・一五事件で被害者となった西田が二・二六事件で死刑になるところに日本近代史のわかりにくさがある。

 巻頭には犬養毅〈いぬかい・つよき〉(※本書表記に従う)首相の襲撃場面が詳細に綴られている。「話せばわかる」「問答無益、撃て!」(※三上卓「獄中記」)とのやり取りが広く知られている。3発の銃弾で撃たれても尚、「あの若者を呼んでこい、話せばわかる」と三度(みたび)繰り返した。

 暴力に屈することのなかった明治人の気概を仰ぎ見る。これこそが日本の近代を開いた原動力であったのだろう。夫人の判断とタイミングは絶妙としか言いようがなく、いざという時の生きる智慧が育まれていた時代相まで見えてくる。

 軍法会議にかけられた青年将校に対し、多くの国民が助命嘆願が寄せられた。大正デモクラシーは政党政治の腐敗に行き着き、戦後恐慌(1920年/大正9年)や昭和恐慌(1930年/昭和5年)から国民を守ることができなかった。東北の貧家では娘の身売りが続出した(『親なるもの 断崖』曽根富美子/『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編)。

 第一次世界大戦で近代化を成し遂げた驕(おご)りや油断が日本にあったのだろう。二・二六事件の際も青年将校におべっかを使う将校が多かったという。結局、民意と大御心(おおみごころ)の乖離(かいり)こそが不幸の最たるものであったように思えてならない。

2011-07-11

バッハは深く宗教的な人間であると同時に、狭い意味での宗教を超えた人だ


 バッハを知れば知るほど、私には、バッハは深く宗教的な人間であると同時に、狭い意味での宗教を超えた人だ、という印象が強くなってきている。大切なのは、バッハが何を信じたかという信仰の内容ではなく、信仰に貫かれたバッハの生き方、精神の方向性なのである。

【『J・S・バッハ礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】

バッハ

J・S・バッハ (講談社現代新書)

2021-11-15

ラバのように子孫ができない野菜/『タネが危ない』野口勲


『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

 ・ラバのように子孫ができない野菜

『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン

 もともと地方野菜とは、よそから伝播してその地の気候風土に馴化した野菜ばかりなのだから当然である。これこそ人間が移動手段を提供したために、旅をしながら遺伝子を変化させ続けてきた、野菜本来の生命力の発露なのだ。
 生命にとって変化は自然なことで、停滞は生命力の喪失である。変化を失った生命はもう生命とは言えない。気候風土や遭遇する病虫害に合わせ、己自身の内なる遺伝子に変化を促し続けてきた地方野菜こそ、生命力をたぎらせた野菜本来の姿なのだ。

【『タネが危ない』野口勲〈のぐち・いさお〉(日本経済新聞出版、2011年)以下同】

 読んだのは2014年の7月である。衝撃を受けた。

 と書いた後、パソコンの調子が悪くなった。リフレッシュした後、インターネット接続ができなくなり、その後初期化もできず、仕方がないのでノートパソコンを引っ張り出した。画面が小さいと書く気が失せる。

 話を戻そう。7年経つと些(いささ)か説得力が弱くなっている。私は宗教と科学についてはそこそこ鼻が利くのだが、殊(こと)、食に関しては批判力が弱まる。「ヘエー、フーン」なんて感じで読んでしまうのが常だが、おしなべて狭い考え方が前面に出ており、猛々しい否定でもって「我尊(たっと)し」と主張するものが多い。例えば糖質制限なども書籍によって糖質制限以外のアドバイスがバラバラで統一見解にまで至っていない。何にも増して平均寿命が伸びている現実を無視している著者が多い。まあ、赤ん坊の死亡率減少が最たる理由であったとしても、そこに触れなければQOL(生活の質)もへったくれもないだろう。

 本書では「一代雑種(F1、First Filial Generation)」としているが、Wikipediaでは「雑種第一代:Filial 1 hybrid」となっている。どちらが正しいのかは判然とせず。

 現在スーパーなどで普通に売られている野菜のタネは、ほとんどがF1とか交配種と言われる一代限りの雑種(英語ではハイブリッド)のタネになってしまっていて、この雑種からタネを採っても親と同じ野菜はできず、姿形がメチャクチャな異品種ばかりになってしまう。

 要はラバと同じなのだ。雄のロバと雌の馬を掛け合わせるとラバができる。しかしラバは繁殖することができない。F1種の場合、2代目、3代目はできるようだが異形になるらしい。雑種強勢が働くのだからよしとするのが推進派の考え方だ。「本来の姿」を思えば、ラバもまた人間の都合で勝手に作られた畸形(きけい)と言っていいだろう。私が座敷犬を好きになれないのも同じ理由のため。

 東京オリンピックを契機にした高度成長時代以降、日本中の野菜のタネが、自家採種できず、毎年種苗会社から買うしかないF1タネに変わってしまった。
 F1全盛時代の理由の第一は、大量生産・大量消費社会の要請である。収穫物である野菜も工業製品のように均質であらねばならないという市場の要求が強くなった。箱に入れた大根が直径8センチ、長さ38センチというように、どれも規格通りに揃っていれば、1本100円というように同じ価格で売りやすくなる。経済効率最優先の時代に必要な技術革新であったと言えるだろう。
 これに比べ、昔の大根は同じ品種でも大きさや重さがまちまちで、そのため昔は野菜を一貫目いくらとか秤にかけて売っていた。

 消費者と販売業者と生産者の呼吸が一致したわけだ。F1種は皆の要求から生まれたことがわかる。ただし、そうした事実が消費者に知らされていない。せめて「種のならない一代限りの雑種強勢」であることは伝えるべきだろう。

 近年、全国の種苗店のみならず、ホームセンター、JAでも、F1のタネばかり販売するようになったが、野口種苗は全国で唯一、固定種のタネの専門店を自称している。揃いが悪いので市場出荷には向かないけれど、味が好まれ昔から作り続けられてきた固定種は、家庭菜園で味わい、楽しむ野菜にはぴったりだ。

 野口勲は三代目である。

伝統野菜や固定種の種の通販|野口のタネ・野口種苗研究所

 大学を中退し、手塚治虫の虫プロに入社。『火の鳥』の編集者を務めた。そんな経緯にも触れている。

 私もそろそろ農業に手をつけようと考えているのだが、その時は野口のタネを利用したい。

「一粒万倍」という言葉に示されるように、一粒の菜(な)っ葉(ぱ)のタネは、1年後に約1万倍に増え、2年後はその1万倍で1億粒。3年後には1兆粒。4年後はなんと1京粒だ。健康な1粒のタネは、こんな宇宙規模にも匹敵する生命力を秘めている。

 F1種は遺伝子組み換えではないのだが不自然なことに変わりはない。最も厄介なのは消化機能の化学的メカニズムがよくわかってないことだ。食物のカロリーが全て体内で燃焼するわけでもない。だからといって大自然万歳と言うのもそそっかしい。多くの植物が外敵から身を守るために毒を放っているのだから。

 種苗メーカーや産地指導にあたる農業センターの人の話によると、外食産業の要求は、「味付けは我々がやるから、味のない野菜を作ってくれ。また、ゴミが出ず、菌体量の少ない野菜を供給してくれ」ということだそうだ。こうして世の中に流通する野菜は、どんどん味気がなくなり、機械調理に適した外観ばかり整った食材に変化していく。

 大手チェーン店の正体見たり。そのうち絶妙な味付けをした軟(やわ)らかいプラスチックを食べさせられるかもね。有名チェーン店で食事をするのは危険だな。

 もともと日本にあった野菜はわさびやフキ、ミツバ、ウドぐらいで、それ以外は世界中から入ってきて、日本の気候風土になじんだ伝来種である。遺伝子が本来持つ多様性や環境適応性が発揮されて、3年も自家採種を続ければ、新しい土地の野菜に育ってくれる。

 では古代人は何を食べていたのか? ドングリ、栗、魚、貝は知っている。アフリカから遠路はるばる極東の地まで辿り着いたわけだから、それ相応の知識が蓄積されていたはずだ。人類の進路は食料によって切り拓かれたことだろう。食べ物が乏しい地域では皆が死んでしまったはずだ。水と食料は絶対不可欠だ。

 私が気をつけているのは、まず美味しいと感じること、次に飽きないこと、そして体が温まることの3点である。先日、初めて大根の葉の味噌汁を作ったのだが、それほど美味くなかった。が、体が温まったのでよしとする。赤味噌を混ぜたのがよかったのかもしれない。茎が硬いのには大いに閉口した。

 自然ということを踏まえれば、年がら年中米を食べるのは明らかにおかしい。秋から冬にかけて食べるのが正しいと思う。あるいは根菜もまたしょっちゅう手に入るものではないだろう。でも、そう考えると毎日食べることができるのは魚と葉っぱくらいしか思い浮かばない。そろそろ昆虫食を考えるタイミングだな。

 蜂群崩壊症候群に関してもF1原因説を唱えているが果たしてどうか?



炭水化物抜きダイエットをすると死亡率が高まる/『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし

2011-06-12

不確かな道


 ただ独り、不確かな道を歩め。

【『蝿の苦しみ 断想』エリアス・カネッティ:青木隆嘉〈あおき・たかよし〉訳(法政大学出版局、1993年)】

2014-02-23

怒りの終焉/『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ


『仏陀の真意』企志尚峰
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・怒りの起源
 ・感覚は「苦」
 ・怒りの終焉

『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ
『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ
『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ

「幸福」「幸せ」「楽しみ」というのは妄想観念です。なぜかというと、「生きることは苦」ですから、「幸福」「楽しみ」は、本当は経験したことがないのです。
 われわれはお腹が空くと苦しいから「嫌だ」と思います。そのとき、おいしいものを食べることが幸福だと思って、食べ物に飛びつきます。あるいは、子どもたちは好きなマンガやゲームを買ったりできれば幸せだと思ったりします。大人になっても同じです。お金に幸せあり。名誉に幸せあり。なにかの記録をつくることに幸せあり。人気があること、有名になることに幸せあり。権力に幸せあり。からだを美しく見せることに幸せあり……限りなく挙げることができます。
 このような生き方を、ブッダは、「それは智慧のない世間が探し求める道である」と説きます。「これがあれば幸せ」というのは、ぜんぶ「嫌だ」という気持ちから出発しているのです。

【『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2010年/だいわ文庫、2021年)以下同】

 さ、書けるうちにどんどん書いてしまおう。ツイッターにうつつを抜かしている場合ではないぞ(笑)。

 現代人は幸福病に冒されている。我々は不幸を実感しやすい環境にあるのだろう。そもそも幸福という言葉は明治期の翻訳語であると思われる。元々「幸せ」は「仕合わせ」と書き「巡り合わせ」を意味した。すると生命の次元においては苦楽が本質なのだろう。たぶん幸福を産んだのは大量生産だ。

「これがあれば幸せ」というのが前々回に書いた「気分が良くなる条件」である。人は特定の条件下で幸福感を覚える。つまり無条件に怒りを抱えているのだ。「幸せになりたい」との願望が現在の不幸を雄弁に語る。幸せを誓った男女が幸せになることも少ない。限りなく少ないな(笑)。ま、幸せをチラつかせるような相手は最初っから信用しないに限る。

「生きることは苦」であり、人は苦から別の苦へ乗り換えているだけ。一度も幸福になったことはありません。経験していない「幸福」をイメージすることはできません。ですから、勘違いの幸福を求めているのです。
「嫌だ」という怒りから、勝手に自分が「幸福」だと思っているものを求めます。その結果どうなるかというと、幸せになるどころか、逆に苦しみ増えるのです。
 本当なら、求めるものを獲得すれば幸せになるはずですが、世間の幸福を求め続けるなら、どんどん苦しみが増えてしまいます。

「苦から別の苦へ乗り換えているだけ」との指摘が鋭い。チビがノッポになり、ハゲ頭がフサフサになり、出っ歯が矯正され、ブスが美女(あるいはブ男がハンサム)になり、病気が治り、老婆(あるいはジジイ)が若返ることが我々の幸福だ(女性差別とならぬよう配慮をした)。だったら後者は元々幸福なはずだろう。しかしそうは問屋が卸さない。皆が皆、それぞれの幸福を追い求めながら不幸をひしひしと感じているのだ。

 苦しみが増えるとは幸福の条件が増えることだ。幼い頃はキャラメル一粒でも幸せになれた。大人の場合そうはいかない。自動車の運転免許が欲しい、自動車が欲しい、もっと大きな自動車が欲しいと際限なく欲望は肥大する。で、ベンツを買った翌日に誰かをひき殺してしまえば、もう何のための人生かわからない。

「このシステムはなんなのだ?」と、とことん現象のあり方を観察してみると、瞬間、瞬間、ものごとが消えていることに気づくのです。滝のように、泡のようにはじけてはじけて、次々に新しい現象が生まれている。「なんだ、そんなものか」とわかるのです。「それならしがみついたって価値がないだろう」と諦めて、無執着の心が生まれるのです。それを仏教は「覚(さと)り」と呼びます。「覚り」にいたる道こそが、聖なる道なのです。「覚り」に至ることで、一切の苦しみがなくなるのです。それが運命的な怒りの終焉でもあります。

 これが諸行無常であり、である。そして諸法無我と悟れば涅槃寂静となる。怒りから希望へ向かう時、欲望が生じる。三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に三毒を対応すれば、瞋(いか)り→地獄、貪り→餓鬼、癡(おろ)か→畜生である。不幸の構図としてこれにまさる生命の実相はあるまい。

 日蓮は「当(まさ)に知るべし、瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者也」(『諌暁八幡抄』)と説いた。日本の中世における個人意識の芽生えと受け止めることも可能だが、私はここに日蓮の限界があったと思う。似たようなことは三木清も言っている(『人生論ノート』)。日蓮が比叡山(延暦寺)で学んだのは天台ルールであった。折伏(しゃくぶく)という言論活動はディベートの様相を呈しており、日蓮は火を吐くように言葉を放った。彼は怒れる人であった。そこに弟子たちが分断・分裂を繰り返す要因があったのだろう。日蓮系教団がいつの時代も混乱に陥るのは日蓮の怒りに由来していると思われる。

 怒りは暴力への扉でもある。大虐殺も小さな怒りから始まる。怒りを正当化する思想を恐れ、忌避せよ。正義の名の下で人類が残虐の限りを尽くしてきた歴史を忘れてはなるまい。

2020-07-04

日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状  「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一

 ・進歩的文化人の正体は売国奴
 ・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 この本(※鶴見俊輔著『戦時期日本の精神史 1931-1945』)を一貫する方針としていちばん目立つのは、共産主義ソ連が日本人に加えた仕打ちはことごとく正しくて、すべて日本人が悪いことをしたからそうなったのだという強烈な主張です。その姿勢を押しだした最も代表的な表現が、つぎの一句です。

 戦争が終ったとき(中略)ソビエト・ロシア領内に残されているはずの60万人が長いあいだ帰ってきませんでした。(134頁)

 まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法にも引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した、この残忍な事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜60万人が60万人全員の意向によって帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。
 しかも、このねじまげた論法は、実は、次のように述べたてるための伏線だったのです。

 60万人の人たちがまだ帰ってこないということは、戦後の日本人のあいだに不安と苛立たしさを生み、それが戦後の日本政府によって長い年月にわたって植えつけられてきた。また戦後新たに米国の占領軍政府によって取り除かれていない赤色恐怖と結びついて、戦後のひとつの潮流をつくり出しました。(134頁)

 つまり「帰ってきませんでした」ことを怨(うら)んだり嘆いたりしてはイケナイのです。そうですか、共産主義ソ連にもいろいろご事情がありましょうから、と平静に、安穏な気持ちで受けとめるべきだったんですねえ。それなのに国民が「不安と苛立たしさ」に赴(おもむ)いたものですから、そのため「戦後のひとつの潮流」、すなわち共産主義ソ連への反感が募ったのです。
 それは昔の「赤色恐怖と結びついて」いるイケナイ考え方であるぞよ、と鶴見俊輔は婉曲(えんきょく)に説教を垂れます。いかなる事情に基づくにせよ、いかなり理由があるにせよ、共産主義ソ連を憎んではならないんです。事態が発生した根源の理由は、ただもう絶対にただひとつ、日本人が、日本人だけが、ワルイことをしたのですから。

【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】

 文体が独特でとっつきにくいのだが、ひょっとすると小室直樹の影響かもしれない。1996年に刊行されているが「新しい歴史教科書をつくる会」の結成と同じ年だ。前年の大江健三郎批判本といい時代情況を思えば、その勇気を過小評価してはなるまい。

 私は鹿野武一〈かの・ぶいち〉の生きざまに強く影響を受け、深く感化された。日ソ中立条約を踏みにじってソ連が終戦間際のどさくさに紛れて日本を侵攻したこと、満州の地で日本人女性を強姦しまくったこと、そしてシベリア抑留を思えば、断じてロシアと友好条約を結ぶべきではないと考える。敗戦以降、経済を優先してきた成れの果てが現在の日本である。経団連を始めとする財界は労働力をコストと見なし、その削減のために外国人労働者をどんどん日本に呼ぼうと企んでいる。国の行く末を憂えるような経済人は皆無だ。自分の懐勘定しかできないような輩は国家に巣食う寄生虫のような存在だ。

 それにしても鶴見俊輔の文章は巧妙で老獪(ろうかい)の悪臭が漂う。左翼は自らの知識をもって嘘を真実(まこと)にする詐術に富んでいる。侮れないのは彼らが「物語の力」を理解している点だ。知識の悪用とコンプレックスの利用が左翼の得意技である。

 嘘を嘘と見抜くことが智恵の第一歩である。虚実を盛り込んだ左翼の言論に惑わされてはならない。





満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育/『愛国左派宣言』森口朗

2011-10-02

故郷とは


 人は幼い頃、世界を完全なものとして見ている。大きくなるにつれ、次第にそれらの一切が力を失い、歪(ゆが)んで色あせたものにしか感じられなくなってしまう。“故郷”とは、地理上に位置づけられた地点をさすのではなく、心の中にあって、焼きつけられた様々な時間の集合のことである。どこに行ったとしても再び回復されることはないし、探せば探すほど感光したフィルムのように像は消え失せてしまうはずのものだ。

【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)】

汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)

2012-09-01

宮城谷昌光


 3冊読了。

 44~46冊目『楽毅(二)』(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)、『楽毅(三)』(新潮社、1998年/新潮文庫、2002年)、『楽毅(四)』(新潮社、1999年/新潮文庫、2002年)宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉/一度徹夜し、三日間で読了す。思わず楽毅Botを始めそうになったほどである。開くだけで背筋が伸びる小説は珠玉に優(まさ)ると思う。『孟嘗君』を先に読んでおいた方がよい。それにしても宮城谷昌光の作品は底が知れない。胸の奥深くで鳴り響く余韻が生涯消えることはないだろう。

2016-07-19

釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた/『人が死なない防災』片田敏孝


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 ・東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%
 ・釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた
 ・津波のメカニズム

『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

 大槌湾(おおつちわん)の近くに、この地域唯一の中学校である釜石東中学校があります。その隣には、鵜住居(うのすまい)小学校があります。
 釜石東中学校は、当日、校長先生が不在でした。教頭先生が、すごい揺れのなか、床を這(は)うようにして放送卓まで行ったのですが、停電のために放送できなかった。だけど、そのときすでに、生徒たちがダダダダダーッと廊下を駆け抜けていく音が聞こえたといいます。
 教頭先生は、やっとの思いでつかんだハンドマイクで校庭にいる子どもたちに指示を出そうとして立ち上がったら、すでに子どもたちは全力で走っていました。ある先生が「逃げろ!」と叫んだのを聞いて、最初に逃げたのはサッカー部員たちだったそうです。グラウンドに地割れが入ったのを見た彼らは、校舎に向かって「津波が来るぞ! 逃げるぞ!」と大声を張り上げ、そのまま走りはじめて、鵜住居小学校の校庭を横切ります。そして小学校の校舎に向かって「津波が来るぞ! 逃げるぞ!」と声をかけながら、「ございしょの里」という避難場所に向かって全力で走っていきました。(中略)
 この地域では、津波にいちばん詳しいのは中学生ということになっていました。学校の近所に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんたちも、その中学生たちが血相変えて逃げていく光景を見て、それに引き込まれるようにして、一緒に逃げはじめました。(中略)
 ところが、「ございしょの里」の裏の崖(がけ)が地震で崩れかけていた。それに気づいたある中学生がこう言ったそうです。「先生、ここ、崖が崩れかけているから危ない。それに揺れが大きかったから、ここも津波来るかもしれない。もっと高いところへ行こう」。(中略)
 本当にギリギリのところで、生き延びることができたのです。それは、中学生が「先生、ここは危ない。次へ行こう」と言った、このひと言に始まったと思います。

【『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)】

 以下のページに地図と写真が掲載されている。

地域防災に関する実践的研究 岩手県釜石市 津波犠牲者ゼロを目指した地域づくり

 もしも学校の屋上に避難したり、ございしょの里にとどまっていたならば彼らは助からなかった。

 以下のページには避難をしている中学生を撮影した写真があるが、既に町が津波に飲み込まれている様子がわかる。

臨機応変に行動する力が培われていたことで、生徒全員が生き延びることができた

「率先避難者たれ」という片田の教えを守り、まずサッカー部が全力疾走で逃げた。この行動が集団同調性バイアスと正常性バイアスを打ち破った。彼らは地震発生から30分以上避難し続けたことになる。上記ページの地図から察すると、約1.5kmに渡る上り勾配(こうばい)だ。釜石は最も早く大津波が到達した地域と思われるが、地震発生からの30分間は決して余裕のある時間ではないことがわかる。

 中学生の一言はこれまた片田の「想定にとらわれるな」という教えによるものだった。釜石の奇蹟は防災教育の勝利であった。





人が死なない防災 (集英社新書)

2019-12-02

日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞/『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通

 ・日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞

『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 志賀直哉というたいへん高名であるが、そのじつ、たいへん愚かな老文士がいる。彼は日本が敗北した直後、「日本語は野蛮だからフランス語を国語にすべきである」と国会で述べた。いやしくも文筆をもって身を立ててきた人間でありながら、これほど軽蔑すべき人間はいないと私は今でも考えている。
「あれは一時の気の迷いだった」とあとで言ったそうだが、それは日本が復興してからのことである。
 このような輩が国家の指導的地位を占めるとき、その国は大戦略を誤まって敗北の戦(いくさ)をたたかう破目に落ちる。もし日本が勝っていたら、志賀直哉は「日本語は世界で一番すぐれた言葉だから、世界中の人間に強制し、全部日本語に変えるべきだ」と言ったに違いない。今も昔も、このような無節操なお調子者が国を誤まるのだ。
 戦争学といっても特別なものではなく、人間の本性をよく見きわめ、人間集団がいかに愚かな行為をくり返すものかという歴史の教訓を知ることにつきよう。

【『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1984年)以下同】

「小説の神様」と呼ばれた人物が日本語を捨てようとした事実を私は知らなかった。戦争という極限状況は人々の性根を炙(あぶ)り出した。生き延びようとする本能に急(せ)かされる時、論理は見過ごされ、過去は無視される。特に日本人の場合、いつまで経っても「お上には逆らえない」との意識が強く、敗戦後は天皇陛下からマッカーサーに乗り換えた人々も多かった。日本語に見切りをつけたのは志賀直哉だけではない。ローマ字表記にすべきだという意見も堂々と主張された。実に敗戦は惨めなものである。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、東京・日比谷で開かれた日露講和反対国民大会が暴動化した。暴徒と化した市民は、政府のロシアに対する弱腰を批判し、政府系新聞社、交番、馬車などを焼打ちしたのである。さらに、講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。
 このとき、もっとも無責任な講和反対論を掲げて世論に媚び、部数を増やしたのが、ほかならぬ朝日新聞だったことを、私どもはよくよく覚えておく必要がある。
 だが、時の首相・桂太郎は断固とした態度でこれに臨み、軍隊を出動させて民衆を鎮圧した。さらに、9月6日から11月29日のあいだ、東京に戒厳令を敷いてきびしい姿勢を示したのである。
 日本がなぜロシアと講和するのか、国民は真相を知らされていなかった。勝っているはずの日本である。なぜ徹底的にロシアを叩きのめさないのか。国民が不思議に感じ、政府が弱腰なのだと受けとめたのも、無理からぬところがあった。
 だが、日本政府のトップとしては、もうこれ以上ロシアと戦争を続けるだけの国力が残っていないことを、じゅうぶんに知っていた。だから、講和に踏み切ったのである。まさか国民に、もう弾が尽きはてたなどと真相を打ち明けるわけにはいかない。国家としての正しい選択を実行するために、桂首相はあえて涙をのんで、軍隊に民衆を鎮圧させたのである。
 朝日新聞の上層部は、このことを知らされていた。にもかかわらず部数を増やすため、世論を扇動した。まさに商業新聞の権化というにふさわしい。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介

 日比谷焼打事件は知っていたが朝日新聞のマッチポンプは知らなかった。かつては社会の木鐸(ぼくたく)と称した新聞だが、一度でも社会を正しくリードしたことはあったのだろうか? スクープ競争に明け暮れ、抜いた抜かれたの物差しだけで仕事をしている連中だ。特に朝日の場合、虚偽・捏造が代名詞になった感がある。

 全国紙の朝夕刊セット価格は月額4037円らしい(日経は4900円)。私が購読していた頃は2600円でそれから2800円に値上がりした。当時、主婦が気楽に支払える金額は3000円と言われており、3000円を超えると部数が減ることは避けられないと見られていた。消費税増税を推進する新聞社が何と自分たちには軽減税率を適用せよと署名まで集めた。結局、日刊の新聞にだけ適用され赤旗日曜版が狙い撃ちされる格好となった。聖教新聞はOKというわけだ。言っていることとやっていることが違う人間は社会で信用を得られない。販売店に不要な新聞を買わせる押し紙問題もクローズアップされた。

 ジャーナリズムといえば聞こえはいいが、映画に登場する新聞記者はただの野次馬である。ただただ問題を掻き回し、騒ぎ立て、センセーショナルな言葉を並べる。民主政にジャーナリズムは不可欠と言われるが、民主政を誤らせ続けてきたのもまたジャーナリズムであった。

 嘘を撒き散らす新聞を購読するくらいなら、毎月4000円で数冊の本を購入した方がはるかに賢明だ。

2013-08-01

「風立ちぬ」ポスターにパクリ疑惑

2021-01-28

アメリカ民主党の人種差別的土壌~アイデンティティ・リベラリズム/『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
・『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』マリン・カツサ
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・利益率97%というクリントン財団のビジネスモデル
 ・アメリカ民主党の人種差別的土壌~アイデンティティ・リベラリズム

・『クリントン・キャッシュ』ピーター・シュヴァイツァー

必読書リスト その五

ヒラリー・クリントン アイデンティティ・リベラリズムの象徴 その一

 2016年7月26日、民主党は同年11月の大統領選候補にヒラリー・クリントンを正式指名した。本書でこれまで明らかにした疑惑の数々を知っている読者にとっては、なぜ民主党が彼女を選択したのかいぶかしく思うに違いない。その原因は、メディアにあった。
 CNNを筆頭にした米国主要メディアは、ネオコン系資本の支配下にあり、リベラル国際主義(干渉主義)を絶対善とする論陣を張った。彼らは、ヒラリーの疑惑をほとんど報じないか、報じても矮小化(わいしょうか)した。クリントン財団を利用した利益誘導外交は、本来であれば政権を揺るがす大スキャンダルであった。しかし、メディアはこの問題を深追いせず、次期大統領はヒラリーになると報道した。メディアの偏向については後述するが、そもそも民主党はなぜスキャンダルを抱えるヒラリーを選出したのだろうか。
 民主党は、19世紀半ばの時代、人種差別的政党であった。民主党の基盤は、南部白人層つまりコットン・プランテーション経営(奴隷労働経営)者層にあった。1861年に始まった南北戦争は、北部の商工業者の支持を受けた共和党リンカーン政権に対して、南部民主党に率いられた南部連合が離脱したことから始まった。南部連合は戦いに敗れ奴隷解放に応じたが、ナブ諸州の政治は、民主党が牛耳ったままであった。彼らは、南部白人の結束を訴え(ソリッド・サウス政策)、黒人隔離政策を推進した(ここでは当時の空気を正確に記すために、政治的用語であるアフリカ系とせずあえて黒人と表記する)。交通機関、トイレ、食堂なども肌の色で隔離する法律を次々と導入した。黒人に対するリンチも止まらなかった。これらは州の独自の権限(州権)に基づく州法であったため、連邦政府は口出しできなかった。黒人隔離(差別)の諸法律はジム・クロウ法と総称され、第二次大戦後も続いた。これが廃止されたのは1964年のことである。
 戦後になると、民主党の主たる支持層であった南部白人層が相対的に豊かになった。豊かさが人種差別的意識を希釈した。支持基盤の喪失を恐れた民主党は、「弱者のための政党」へカメレオン的変身を企てた。かつて、黒人を激しく嫌悪し、隔離政策をリードした首謀者でありながら、当時は【国全体が人種差別的】であった、と言い逃れをし、責任を他者に押し付けた。民主党の責任については洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込んだ。
 弱者はどこにでもいた。かつて自らが差別していた黒人層、西部開拓の過程で白人に姦計(かんけい)を弄(ろう)され居住地を追われた原住インディアン、遅れてアメリカにやってきて嫌われたアジア系・ラテン系・東欧系移民、宗教的に阻害されてきたユダヤ系移民、職場でパワハラやセクハラを感じている女性層、性的嗜好マイノリティ層(LGBT)。探せばどこにでもいた。
 相対的弱者とされる層が必ずしも弱者と自覚しているわけではない。したがって、彼らを「票の成る木」に変えるには、「弱者であることを能動的に意識」させなくてはならない。その上で、強者(国家あるいはエスタブリッシュメント白人層)への怒りを煽(あお)る。いかなる国にも誇れない過去がある。理不尽であった過去の振る舞いは、先人たちの努力で十分とはいえないまでも矯正がなされてきた。しかし権力を奪取したい、あるいは維持したい民主党にとっては、矯正の歴史はどうでもよいことであった。対立、いがみ合い、非妥協の継続。それが票になった。
 民主党は、ターゲットとした弱者層に、「失われた」権利を回復しなくてはならないと訴えた。弱者であることを意識させることは難しくない。ほとんどのケースで、外見だけで弱者に所属していると自認できた。所属するグループ(黒人、移民、少数民族、女性など)を見渡せば、容易にわかった。この思想ともいえない権力を摑(つか)むための主張(戦術)が、アイデンティティ・リベラリズム(IL:Idetity Liveralism)である。
 ILの考え方の延長が「多様化礼賛」だった。いわゆる「多文化共生思想」である。社会的弱者にも優しくすべきだという主張は美しい。社会的優位にあった白人エスタブリッシュメントも白人中間層もその訴えに同意した。こうして弱者救済に政治が積極的にかかわるべきだとする運動(アファーマティブ・アクション〈積極的差別撤廃措置〉)が始まった。この言葉を初めて使ったのはジョン・F・ケネディ大統領(民主党)だった。大統領令10925号(1961年3月)は、求職の際に、人種(肌の色)、宗教的信条、出身国などによって差別されてはならないと規定した。そうした行動を雇用者が【積極的】にとるよう勧告した。それがアファーマティブ・アクションであった。
 次のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)もこの施策を引き継いだ。ただ二人の主張は、「競争は弱者を差別することなくフェアに行なわれるべきだ」と勧奨するにとどまっていた。
 この主張に、法的拘束力をもたせたのはジョンソンに続いたリチャード・ニクソン大統領(共和党)だった。ニクソンは悪い意味で人種を強く意識した政治家だった。彼は、人種間には自然科学的な違いがあると信じていた。ユダヤ人を創造力に富むが倫理観に欠ける、黒人は白人よりIQは低いが身体能力は高い、アジア人は勤勉でなかなか頭が良い、などという「科学的」な決めつけが得意だった。
 ニクソンが人種差別的信条をもっていたことは間違いなかったが、皮肉にも、その彼が、大統領令11478号を発し、アファーマティブ・アクションに法的強制力をもたせた(1969年8月)。これにより、雇用均等委員会(1965年設置)が、政府および連邦政府資金で運営される組織全体(大学や研究機関など)の職員採用に少数派(主として黒人)を積極的に採用させる監視機関となった。その結果、1970年代初めになると、黒人男子大卒者の57%、女子の72%が公務員となった。
 アファーマティブ・アクションは次第に拡大され、政府の下請け企業の受注においても、マイノリティの経営する会社が入札なしで優先的に選ばれる制度(Set-aside)も生まれた。こうしてマイノリティ利権が制度的に確立していった。マイノリティの定義は当初想定していた黒人層から、女性、原住インディアン、あるいは遅れてきた移民層にまで拡大された。マイノリティに属していることが採用に有利になった。これが少数派利権の始まりだった。
 人種差別主義者であったニクソンがアファーマティブ・アクションを促進したのには訳があった。黒人隔離(差別)のジム・クロウ法が廃止されたのは1964年だと書いた。60年代は黒人公民権運動が吹き荒れた時代だった。1969年に大統領に就任したニクソンは、外交に専念したかった。「騒いでいる」黒人活動家の憤りを「ガス抜き」することで内政を落ち着かせたかった。それが、強制力をもたせたアファーマティブ・アクション導入の背景だった。

【『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹〈わたなべ・そうき〉(PHP研究所、2019年)】

 これは『ニュース女子』#302「日米新外交関係で日本が取るべき進路は・牙を剥く中国の脅威」(1月26日)で武田邦彦や飯田泰之・江崎道朗〈えざき・みちお〉・門田隆将〈かどた・りゅうしょう〉らが指摘した発言を裏付けるテキストである。

「ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念」(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)という歴史を踏まえれば、差別の細分化~再生産を目的としているのだろう。

 ヒトは大脳新皮質を発達させて、200万年という長大な時間をかけて群れの領域を国家にまで拡大してきた。ザ・コーポレーションDVD)は国家を横断する経済規模に発展した。新型コロナウイルスは国家に強権の発動を許した。国民の移動を禁じる自粛要請や休業要請はたまた学校の休校措置はさながら「現代の空襲警報」といってよい。

 そして自由の象徴であったインターネット空間がビッグテックの完全支配下に降ろうとしている。twitterはトランプ大統領のツイートによってメインストリームメディアの嘘を明らかにした。にもかかわらず、twitter社はトランプ大統領を永久追放した。まるで中国共産党のような仕打ちである。シリコンバレーが民主党支持に傾いている事実を思えば、今後は共和党から大統領が選出されることはないだろう(『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介)。