2016-04-03

少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎

 ・日常生活における武士道的リスク管理
 ・少女監禁事件に思う
 ・高いブロック塀は危険

『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 災いを招くような行動をしないように気をつけていても、災いはいつどこでふりかかってくるか分かりません。しかし、常に心を引き締めて、覚悟していれば、より冷静に対応できると、父は言います。
「辻斬りは必ず後ろから、自転車で来るぞ」(中略)
「自転車辻斬り」(父はひったくりのことをそう呼んでいました)に、ハンドバッグをひったくられそうになっている時、ただ「きゃあ!」と叫んでも、無駄なことです。
「そんな暇があったら、相手の自転車を蹴れ!」
 反撃に驚いた相手が手を緩めたら、すかさずバッグを取り返し、逆方向に走れというのです。(中略)
 もし「辻斬り」と格闘になってしまったら?
 肥後守も懐剣も、持ち歩く時はバッグの底にあって、とっさには手に取れません。そういう場合は、ペンでも鍵でもハイヒールでも、手近のとがった備品で応戦できるように心の準備をしておくのが、父に言わせれば、サムライの娘のたしなみです。
「指輪もいいぞ!」
 そして後は、気迫です。
「殺されても、相手を無傷で帰すな。相手の首も取る気合で戦え」
 そのためにも、「手の爪は伸ばしておけ」と言われました。いざとなれば、それで相手をバリバリひっかくのです。その逆襲で相手を一瞬でもひるませたら、それこそバッグの底の懐剣や手近なとんがり備品でもって、首を取る気迫で応戦しろということです。
 父から見れば、この10本の爪は、いつも身につけていられる格好の武器なのです。

【『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子(産経新聞出版、2012年/光人社NF文庫、2019年)以下同】

 坂井は娘の道子が小学校に上がるとナイフで鉛筆を削ることを教えた。長じてからは「護身用にもなる」と肥後守(ひごのかみ/折りたたみ式の片刃のナイフ)を渡した。学校もまだそれほどうるさくなかった時代の話である。それから刃渡り7cmほどの懐剣を持たせた。道子は現在でもベッド脇に置き、父からもらった砥石(といし)で手入れを行っているという。

 窃盗犯は音を立てるバイクを使わないと坂井は言ったが、バブル崩壊以降はバイクによる窃盗の方が目立つようになった。外国人の犯罪集団や窃盗団が日本に侵入してくることまでは予想できなかったことだろう。

「相手の首も取る気合で戦え」との一言に娘を持つ父親の杞憂(きゆう)が窺える。女性は性犯罪の対象となる。人類が行ってきた戦争の歴史は強姦の歴史でもあった。

 先日、大学生による少女監禁事件の被害者が2年振りに保護された。

 娘を持つ父親は必ず本書を読むべきだ。

(2階から)駆け下りてきた父は、古くなって色焼けした新聞紙を食卓に広げます。一面に、大きく一枚の写真が載っていました。(中略)
「これは、社会党委員長の浅沼稲次郎を、17歳の山口二矢(おとや)が壇上で刺殺せんとするところの図だ」(中略)
 なぜ時代劇から山口二矢の事件が飛び出してきたのか、父は熱心にその説明を始めました。山口が浅沼委員長を刺殺した動機について、世間では右翼思想にかぶれたためだと言われているが、そうではなくて、実のところは親の仇討ちだというのです。
 山口の父親は自衛官でした。そして当時の社会党は、自衛隊廃止論を盛んに展開していました。自衛隊を廃止するということは、山口にとっては自分の父親が職を失うということです。

Assassination of Asanuma


 ここで父は改めて、写真の中の山口の姿を私に示しました。
「この足のふんばりを見てみろ」
 父によれば、興奮して包丁を振り回すような人は全く腰が入っていませんが、山口は外足を直角にふんばり内足は相手に向け、短刀の束を腰骨にあてがい、戦闘の構えが理屈にかなっていると言うのです。武道の訓練を受けていたのかもしれませんが、それにしてもこの若さでこの構えはなかなかできない。山口の構えには覚悟が見えると。
 父はこの写真を通じて、本当の覚悟というものを私に教えたかったのではないかと思います。(中略)
 さて、このお説教の後、父は不意に「お前も練習だ」と言い出しました。「七つ道具」から出した竹の定規を私に握らせ、山口を同じ構えをせよ、と言います。
 もう難しい話は終わったようだと見計らって戻ってきた母が、「まあ、そんなことまで娘にさせるなんて」と眉をひそめますが、父は耳を貸しません。
「士族の娘なら、十三を過ぎれば敵と刺し違える技や覚悟、乱れない死に方ぐらいは心得ているものだ」
 その練習がしばらく続き、戸惑う自分と妙に興奮する自分に、不思議な感覚が走ったのを覚えています。嫌ではなかったのです。最後には、二人とも笑ったりしたものですが、山口二矢をお手本に「ふんばり」と「腰の突っ込み」を手ほどきしてくれた父の真剣な眼差しが忘れられません。

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」(『葉隠』)。死ぬ覚悟は殺す覚悟とセットであろう。我々は微温的な生活の中で「殺される可能性」を見抜く力を失いつつある。DVやいじめなどで殺されるケースや自殺に追い込まれるのもそのためだ。

 少女をさらった時点で相手は一線を踏み越えている。次の一線はもっと容易に踏み越えることだろう。この段階で「命に関わる問題」として受け止める必要がある。パワハラやいじめもそうだが、単に面子を潰されたとか、プライドを傷つけられたという次元を超える瞬間がある。そこを見極めることができないと殺される可能性が高まる。

 オウム真理教などの宗教犯罪にも同じメカニズムが働いている。逆らうことのできない人々が犯罪に加担してしまうのだ。彼らの顔つきはいじめを傍観する者と変わりがないことだろう。

 誘拐された場合、とにかく直ぐに逃げ出す機会を伺うことだ。自動車であれば運転を邪魔したり、いっそのこと飛び降りる。次に軟禁されたとしても相手が単独犯であれば恐れる必要はない。寝込みを襲えばいいのだ。鈍器で思い切り頭部を殴るか、包丁で頸動脈を切るのが手っ取り早いだろう。これを躊躇(ちゅうちょ)すれば殺される。殺されてしまえば相手はまんまと逃げおおせるかもしれない。そして次の被害者が生まれる。閉ざされた環境に身を置くと判断力がどんどん低下してゆく。ゆえに最初の果断が大事なのだ。私に娘がいれば、「殺される可能性を感じたら、迷うことなく殺せ」と教える。また、「仮に強姦されたとしても生きる支障とはならない。ただし相手が罪の発覚を恐れて殺す可能性があるのだ」とも教える。

 ジョナサン・トーゴヴニク著『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』には強姦された後、便器のように扱われた女性の声が紹介されている。プーラン・デヴィ著『女盗賊プーラン』やジェーン・エリオット著『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』も参考図書として挙げておく。

2016-04-02

日常生活における武士道的リスク管理/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎

 ・日常生活における武士道的リスク管理
 ・少女監禁事件に思う
 ・高いブロック塀は危険

『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 父は、事あるごとに「前後、左右、上下に注意しろ」と繰り返していました。外に出れば、危険はどこから来るか分からない。まさに「常在戦場」です。上から何が落ちてくるか分からないというのは、パイロットらしい立体的なものの考え方ではないでしょうか。
 歩いていて角を曲がる時でさえ、「内側を曲がらずに、大きく外回りをしろ」というのです。死角には、どんな危険が潜んでいるか分からないからです。そして、ひったくりや暴漢から身を守るために、爪でさえ武器になるのだから、伸ばしておけとも言われました。
 身の回りの道具一つをとってみても、そうでした。
 父の口癖は、「撃てないピストルはただの鉄くずだ。いつでも撃てるようにしておけ」。よく使う道具は、いつでもすぐに手に取れるように一つの箱にまとめ、手近な場所に置き、常に手入れを欠かしませんでした。それどころか、さらに使いやすくするため加工さえする徹底ぶりでした。

【『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子(産経新聞出版、2012年/光人社NF文庫、2019年)】

 本書を読んでからクルマやバイクでアウト・イン・アウトすることをやめた。坂井は一人娘に徹底して武士道的な生き方を叩き込んだ。

 危機管理能力は一朝一夕で身につくものではない。何に対して危険を感じるか、どこに危険を見抜くかは、やはり子を保護する親の生き方から自然に学ぶものだろう。私の場合は5人の弟妹がいたため、それなりに危険を見抜く視点は持ち合わせていた。しかし坂井の足元にも及ばない。

 リスク管理という点で大切なことは「同じ過ちを繰り返さないこと」である。「気づく」ことは「変わる」ことを意味する。人は気づいた瞬間に変わっているのだ。時々、何度注意しても同じミスを繰り返す者がいる。周囲や時間に与える影響を理解していないのだろう。前頭葉に問題があるのかもしれないと本気で思う。

 世情を見るに現在は「平和な時代」ではない。戦時ではないものの、社会のあらゆる分野で争いが絶えない。世界に目を転じても、中東での戦争・紛争、中国における少数民族の虐殺、パレスチナに対するイスラエルの横暴など、戦禍といっていい情況が続く。

 ワーキングプア、老々介護、ブラック企業、パワハラ、セクハラ、学校でのいじめ、子虐待、ストーカー被害――これらは形を変えた戦争である。すなわち「殺される可能性が高い」。少しずつ時間をかけて扼殺(やくさつ)されているようなものだ。最初の接触で生命の危機を察知しない者は死と隣り合わせにいる。

 弱い者は殺される。強くなくても構わないが、せめて賢くあれ。



エキスパート・エラー/『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

福岡伸一、アルボムッレ・スマナサーラ、ジェームズ・リカーズ、他


 4冊挫折、3冊読了。

評伝 若泉敬』森田吉彦(文春新書、2011年)/若泉敬の死について何か書いてあるのかと思ったが何もなかった。

21世紀の貨幣論』フェリックス・マーティン:遠藤真美訳(東洋経済新報社、2014年)/遠藤の訳が悪い。「真逆」が何度も出てきたのでやめた。


3.11 慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』金菱清〈かねびし・きよし〉編、東北学院大学震災の記録プロジェクト(新曜社、2012年)/71人の被災者による手記である。一切手は加えられていない。金菱によれば「エスノグラフィー(民族誌)の応用」だという。記録に意味はあるだろう。学術的な価値も認められよう。ただし読むに堪(た)えない代物である。27ページで挫けた。「仮土葬という言葉に私は怒りを覚えた」(25ページ)とある。このような極めて個人的で瑣末な記述は読み物たり得ない。少なからず何らかの気づきや発見は見受けられるものの、被害の大きさを思えばあまりにも弱いと思う。結局、我々は同じことを何度も繰り返す生き方しかできないのだろう。輪廻からの脱却という視点が欲しかった。

西欧近代を問い直す』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(PHP文庫、2014年)/ジェームズ・リカーズ著『通貨戦争』の複雑性科学にまつわる文章を目にした後では読めた代物ではない。文学というものはスピードを欠いているのだろうか。ま、大学の講義を編んだものなので仕方がないが、丁寧に哲学史をフォローすることで、批判が弱まっているように感じられる。個人的には全く異なる価値観で頭から否定すべきだと思う。西欧の論理に乗っかった批判という印象を受けた。

 37冊目『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ:藤井清美訳(朝日新聞出版、2012年)/一度挫けている。やはりこの人は桁外れに頭がよい。第10章の複雑性科学の件(くだり)だけでも必読である。その辺の科学本より説明が優れている。本書の続きは『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』で披露されている。FRBは既にドルを手放すつもりでいるようだ。あまりにも印刷しすぎたということなのだろう。基軸通過にあぐらをかいた借金経済がいつまでも回るわけがない。ドルが沈んで人民元が台頭する時、どのような経済的混乱が生じるのか? また人類はそれをコントロールし得るのか? 数年間のうちに結果が判明することだろう。波乱は今年の総選挙以降に始まる。

 38冊目『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2003年)/三読目。書写も終了。

 39冊目『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』福岡伸一(木楽舎、2009年)/相変わらず清新な文章である。分子生物学的な動的平衡は仏教で説かれる五蘊(ごうん)の色蘊(しきうん)を見事に説明していると思う。五蘊とは五つの集まりを意味する言葉であるが、存在論の文脈で語れば五蘊皆空(ごうんかいくう)である。その意味で動的平衡という言葉は空(くう)の本質を衝(つ)いている。尚、ももクロに「GOUNN」という歌があるようだが、歌詞を見る限りでは噴飯物の内容となっている(笑)。

殺される子供たち/『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦、『無縁社会』NHKスペシャル取材班


『自殺死体の叫び』上野正彦

 ・殺される子供たち

「いじめをなくそう」と言いながら、一向にいじめ自殺がなくならないのは、そもそも学校も教育委員会も警察も、誰ひとりとしていじめと自殺の因果関係についての、しっかりとした事実確認を行わず、曖昧にしたまま放置してきたからではないのか?
 このような現状をこれ以上、見過ごすことはできない。いじめがあり、それを苦に子どもが自殺したとしたら、その子を死に追い詰めた原因は、紛れもなく、「いじめた側」にある。
 いじめ自殺は自己責任で死んだのではない。いじめの加害者たちによって追い詰められ、殺されたのだ。自殺だから俺たちは関係ないと、他人事で済まされてはたまらない。厳しい言い方かもしれないが、そのような表現をして、周囲の人々にも理解を求めないと自殺の予防にはつながらないと考える。
 もちろん、これは学校のいじめ自殺だけに限った話ではない。長時間の過酷な労働や職場でのストレス、家庭内暴力や身内からの疎外、恋愛のもつれなど、人が自殺を選ぶ背景には、必ずその人を精神的に追い詰めた外的な要因が存在している。

【『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦(カンゼン、2012年)以下同】

 83歳(※刊行時)の上野の本気を見た思いがする。静かな怒りとともに、やむにやまれぬ思いが沸々と伝わってくる。子供の死に対する大人の無責任が暴力の連鎖を助長する。尚、私は「子供」という表記に差別的な印象を抱いていないため敢えて「子供」と書く(※「子供」を「子ども」と表記するようになったいわれや時期について調べている。文部省の文書などではいつ頃からか)。

 私は「自殺は他殺である」ということを、もっと広く世間に訴えていく必要があると考える。特にいじめの場合は、いじめっ子が遊び感覚で弱い者を攻撃し、挙句の果てに死に追いやっているわけで、法的にはともかく、道義上は許されない行為として処理されることを啓蒙していくべきであろう。
 いじめて遊んでいるお前らこそ、卑屈で卑怯で、恥ずべき最低の人間である。弱者を助ける者が格好よい立派な人間である。こうした強いメッセージを社会に打ち出すことが、子どもを守るために必要なのではないだろうか。

 上野は元監察医である。司法解剖・行政解剖の専門家だ。上野は物言わぬ遺体に残された様々な痕跡から死者のメッセージを読み取る。やや乱暴な表現となっているが、我々はこれを「祖父の教え」として受け継いでゆくべきだ。いじめは動物の世界にもある。人間が知性よりも本能に支配されている間は、いじめを根絶することはできないだろう。ただし「弱者を助ける者」が増えるに連れて、いじめの数は少なくなるはずだ。

 先日、両親から虐待されている中学生が死亡した。正確に書くと2014年11月に首吊り自殺を図り意識不明となる。そして先月亡くなった。神奈川・相模原市児童相談所に保護を求めた時点ではまだ小学6年生だったという。以下に情報をピックアップする。

「私はその時点、その時点での(児相の)対応は間違ってなかったというふうに思っております」鳥谷明所長(相模原市児童相談所)。

 児相によると、2013年11月、生徒の顔がはれているなどと、市の担当課から通報があった。児相は当初、学校などを通じて対応していたが、14年6月の深夜に生徒がコンビニに駆け込み、警察官に保護される事案が発生。生徒が「親から暴行を受けた」などと説明したことから、以降は定期的に両親と生徒への直接指導を続けていた。
 だが、14年10月に母親の体調不良で両親への指導ができなくなった。児相は学校で生徒への指導は続けてきたが、生徒は11月中旬に親族宅で自殺を図った。その後、意識不明の状態が続いていたが、今年2月に死亡した。

朝日新聞DIGITAL 2016年3月22日

「あさチャン!」の取材に母親はこう答えている。「手を上げるようなことはなかったは言いません。でも、家で決めることを守らなかった。それが悪いことなんだと分かってもらえなかった時ってどうしたらいいんですか」「(子どもが)施設に行きたいみたいな話はしていたけど、それがどこまで本音だったんですかね。親に心を開かなくなったのは児相に通い始めてからです」。虐待は「しつけの範囲内」で、子どもが頑なになったのは児相のせいだと母親はいう。

J-CASTニュース > テレビウォッチ > ワイドショー通信簿 > あさチャン! 2016-03-22

相模原市男子中学生虐待自殺 母親「殴ったが虐待ではない」

 ・相模原市の中2自死事件で、虐待したとされる母親のインタビューが酷い! 2ch「なんか逆ギレしてね?」

 親の承諾なしに強制的に子どもを引き離す権限を持っているのが児相だ。子ども本人からのSOSを生かせないのでは、結果的に見殺しにしたのと同じだ。

社説/毎日新聞 2016年3月25日東京朝刊

 昨年、児童虐待があるとして県警が児童相談所に通告した子どもが前年比百一人増の四千二百九十人に上り、二〇〇〇年の児童虐待防止法施行以降で最多となったことが二十四日、県警のまとめで分かった。全国では大阪に次いで二番目に多かった。
 通告には書面によるものと、虐待がひどく親と引き離して保護するものがあり、三百六十二人が保護された。児童虐待に関係する検挙件数は三十件で、殺人、殺人未遂が計四件、傷害が八件、性的虐待などの児童福祉法違反が六件だった。

東京新聞 2016年3月25日


【NPO法人「シンクキッズ-子ども虐待・性犯罪をなくす会」代表の後藤啓二弁護士の話】男子生徒からSOSがあったのに保護しなかった対応はあり得ない。生徒の両親が「(児童相談所に)もう来られない」と指導に応じなくなったのは虐待がより深刻化するサインだった。親と対立しないよう配慮するあまり、子どもの命を守れないのは本末転倒だ。

東京新聞 2016年3月23日朝刊

 小学生がコンビニに駆け込んだ事実を思えば、生命の危険にさらされていたと考えてよい。よほどのことである。

 ここでもう一度、上野の冒頭の言葉を読み直してみよう。本来責任のある人々が「いじめを放置」してきた。世間の関心を思えばマスコミは両親、少年が訴えた保護を黙殺した児相担当者、ならびに児相所長を徹底的に取材し、責任と罪の所在を明らかにすべきである。刑事罰に問われない情況を考えれば人権蹂躙を犯しても構わない。可能であれば彼らが死ぬまで追い詰めて欲しい、というのが私の願いである。右翼だって本当はこういう時こそ街宣活動をするべきなのだ。

 少し冷静になって考えてみよう。児相に限らず役所は機能本位で人間の顔を持つ者はいない。役所は書類で動く。つまり児相の動きや判断は厚生労働省の方針に基づくものと考えてよい。そして相模原市児相の鳥谷明所長は「その時点、その時点での(児相の)対応は間違ってなかった」と語る。これは我々が考える「人道的な判断」ではなく「役所としての判断」であろう。つまり児相に保護を求める子供は否応なく殺される羽目となるのだ。

 いわゆるワーキングプアといわれる人たちが巷にあふれるようになった現在、ささいなきっかけで転げ落ちるように路上生活にまで転落する人たちの声を聞くうちに、“つながり”について考えるようになった。
 男性は、インタビューの機会があるたびに同じような言葉を発していた。
「これ以上、自分のことで誰かに迷惑をかけたくない」
 男性は、生活保護も受けずに路上生活をしながら仕事を探し続けていた。あきらめず、誰にも頼らず、生きようとしていた。
 そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――。その疑問は、取材チームの内に突き刺さり、解消されることはなかった。
「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な“つながり”。
 そして、“ひとりぼっち”で生きる人が増え続ける日本社会。
 私たちは「独りでも安心して生きられる社会、独りでも安心して死を迎えられる社会」であってほしいと願い、そのために何が必要なのか、その答えを探すために取材を続けていった。

【『無縁社会』NHKスペシャル取材班(文春文庫、2012年/文藝春秋、2010年、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会 “無縁死”三万二千人の衝撃』改題)】

 平成26年度のNHK職員平均年収は1160万2859円となっている。「取材班」の給与は当然もっと上だろう。「そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――」。恵まれた待遇の彼らが放つ正論が虚しく響く。NHKスペシャル取材班は相模原市児童相談所を取材してはどうか?

自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言
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2016-03-28

玄米ご飯・味噌・塩


 玄米ご飯を食べ始めてから頗る調子がよい。生まれて初めて味噌汁作りにも挑戦した。健康のことを考えれば、やはり基本となる調味料は厳選しておきたい。昨今の食べ物はとにかく腐らない。明らかに防腐剤まみれである。生き物が死ねば腐るのは当然だ。防腐剤には死を忌避する我々の生きざまが反映しているのかもしれない。昨今流行りのアンチエイジングという考え方もどこか防腐剤っぽい。老化に逆らったところで死を避けることはできない。生きとし生けるものは必ず死ぬのが真理である。我々は他人の死を悲しみながら自分の死を見失う。そこに人類の不幸があるとブッダは喝破した。

 玄米ご飯は「結わえる」という会社の「寝かせ玄米レトルトパック」を食べている。amazon価格は高いので本家サイトで「お試しセット」を注文した。10食でも1食あたり300円弱と値段が張る。36食セットで250円、96食セットで220円前後となる。根が貧乏性なので私は一日置きに食べている。もちろん無農薬玄米を手に入れて、圧力釜で炊いた方が安上がりだが、それでも多分一食あたり100円程度になると思われる。

結わえる 寝かせ玄米レトルトパック

 味噌と塩は一つずつ試す予定である。

山内本店 無添加まぼろしの味噌 米麦合せ 500gマルコメ プラス糀 生糀みそ 650gひかり味噌 無添加こだわってます 750g

海の精 あらしお(赤ラベル) 500g粟国の塩 500gぬちまーす 250g沖縄の海水塩 青い海 500gカンホアの塩(石臼挽き) 500g  メール便発送クレイジーソルト 269gS&B セレクトスパイスマジックソルト 200gユウキ食品 イタリアンロックソルト(岩塩) 800g

2016-03-26

「人類の法廷」は可能か?/『国民の歴史』西尾幹二


 ・白人による人種差別
 ・小林秀雄の戦争肯定
 ・「人類の法廷」は可能か?

『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

 しかし、ニュルンベルク裁判を可能にする正義の視点とはいったいなんであろう。諸国家を超えた正義の視点は、はたして成り立つのか。 Humanity に当たるドイツ語 Menschlichkeit は人道であると同時に「人類」の意味である。 humanity も humankind の意味であり、まさに「人類に対する罪」と訳されるべきだろう。本稿の冒頭に掲げた「人類の法廷は可能か」以下の一連の問いがまさにここで初めて大規模な形式で地上に提起されたのであった。
 しかしここで立ち停まってよく考えていただきたい。その正義の視点も、しょせんは戦勝国の力の結果であった事実は争えない。ドイツは力によって沈黙させられたのである。それが民主主義の勝利、理性と善の勝利であったなどというのは作り話であって、力が一定の効果を収めたあとの結果にすぎない。もし、ドイツが勝利していたなら、戦後の国際社会の正義のかたちと内容は、相当に大きく変わるほかなかったであろう。実際ソ連は、長いあいだ巧みに勝利者の顔をしつづけることができたため、スターリンの悪事はいまだに何%か正義の名前で隠されているのである。正義のフィクションをつくるだけでも、暴力なしでは成り立たないのだ。諸国家を超えた普遍的で絶対的な正義というのものは、はたしてあるのかという疑問がここから生じる。
 すなわち、私が本稿の冒頭で掲げた「人類の法廷」は可能か、人は人類の裁き手になりうるのかというあの問いは、しょせんなんらかの力を前提とした相対的な判定によって得られるものであって、そうなれば、それらの力を行使しえた特定の国々の基準が、人類の名において正義として通るという矛盾を100%排除することはできない。ニュルンベルク裁判は、そのような矛盾を抱えた裁判だった。それを和(やわ)らげたのは、歴史上類を見ないナチスドイツによるむごたらしい大量殺戮の数々のデータと歴史によるのである。

【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】

 敗者を裁く時、勝者は「人類」を名乗った。ニュルンベルク裁判で連合国はナチス・ドイツによるホロコーストを看過することはできなかった。そこで編み出したのが「人道に対する罪」と「平和に対する罪」であった。いずれも事後法である。

 この論理が東京裁判にも持ち込まれる。日本は有色人種であるため「文明」の名において罰せられた。ただし日本の場合、ヒトラーのような独裁者は存在しなかったし、大量虐殺もなかった。アメリカは広島・長崎の原爆ホロコーストを糊塗するために、日本軍の南京大虐殺をでっち上げ、死者数もほぼ同数の30万人とした経緯がある。

 第一次世界大戦で日本は勝った連合国側にいた。その後発足した国際連盟でも日本は最初から常任理事国であった。満州国建国を否定された日本が国連を正式に脱退するのは1935年のことである(※松岡洋右日本全権の国連演説「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」は1933年)。




 国連でケツをまくった松岡を「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す」と朝日新聞は報じ、国民は松岡の帰国を大歓声で迎えた。

「人類の法廷」を可能にしたのは白人の傲(おご)りであった。なかんずく第二次世界大戦後のアングロサクソンの増長ぶりは目に余る。敗れた日本は義務教育で英語を学ばされる羽目となった。

 日本の近代化そのものは奇蹟的な営みであったが、帝国主義の潮流に乗るのが遅すぎた。国家としての戦略も欠いていた。日清戦争における三国干渉(1895年)以降、国民の間には不満が溜まりに溜まっていた。

 歴史は実に厄介なものである。日本の場合、進歩的文化人や日教組を中心とするマルクス史観が学校教育で教えられ、大東亜戦争以前の歴史は暗黒史として長らく扱われてきた。もちろん連中はGHQが日本を骨抜きにするための戦略に乗っかっただけのことである。ようやく自虐史観から目覚める人々が現れたのが1990年代だった。北朝鮮による拉致被害や、中国・韓国の反日運動をきっかけに日本の近代史を見直す機運が一気に高まった。ところが中には単純な「日本万歳本」も少なくない。

 大東亜戦争は避けようがなかったとは思う。また日本が立ち上がったことによってアジア、中東、アフリカ諸国までもが独立に至ったことも間違いない。だからといって「大東亜戦争が正しかった」という結論にはならない。確かなことはGHQが日本から国家としての意志を剥奪(はくだつ)したという点である。日本は国体を死守するために他のすべてを犠牲にした。

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アルボムッレ・スマナサーラ、他


 4冊挫折、1冊読了。

パリは燃えているか?(上)』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール:志摩隆〈しま・たかし〉訳(早川書房、1966年/ハヤカワ文庫、1977年/ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース、2005年/ハヤカワ文庫新版、2016年)/二度目の挫折。体力不足で読み切れず。

無縁社会』NHKスペシャル取材班(文春文庫、2012年/文藝春秋、2010年、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会 “無縁死”三万二千人の衝撃』改題)/行間から嫌な匂いがプンプンしている。NHKという安全な立場から社会正義の鎧(よろい)を身にまとい、「不幸な人々」を商品化するビジネスモデルといってよい。しかもテレビ番組の二次商品化である。文章は悪くない。悪くないからこそ、より一層悪臭が際立つのだ。平成26年度のNHK職員平均年収は1160万2859円となっている。「取材班」の給与は当然もっと上だろう。「こんなに大変な人がたくさんいるんですよ」といった内容を超えていない。

老人漂流社会 他人事ではない“老後の現実”』NHKスペシャル取材班(主婦と生活社、2013年)/これまた同様。社会問題を指摘するだけの似非ジャーナリズム。

 36冊目『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2003年)/再読。易(やさ)しいのだが決して浅くない。真理というものは我々が想像するよりもずっとシンプルなのだろう。ただし悟性の輝きは見られない。この人は飽くまでも解説者である。別の本で中村元訳に対する嫌味を書いていたが、もしそれが本当ならきちんとした『ダンマパダ』の訳書を出すべきだろう。それをしないところにこの人物の性根が透けて見える。

ダン・アリエリー著『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』が文庫化

予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

「現金は盗まないが鉛筆なら平気で失敬する」「頼まれごとならがんばるが安い報酬ではやる気が失せる」「同じプラセボ薬でも高額なほうが効く」――。人間は、どこまでも滑稽で「不合理」。でも、そんな人間の行動を「予想」することができれば、長続きしなかったダイエットに成功するかもしれないし、次なる大ヒット商品を生み出せるかもしれない!行動経済学ブームに火をつけたベストセラーの文庫版。

比較トラップ/『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

2016-03-24

大塚貢、田中森一、佐藤優、北野幸伯、他


 2冊挫折、5冊読了。

報復』ジリアン・ホフマン:吉田利子訳(ヴィレッジブックス、2004年)/訳が悪い。

日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』菊地浩之(平凡社新書、2015年)/読み物たり得ず。単なる資料だ。

 31冊目『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(ダイヤモンド社、2008年)/北野の著作はインテリジェンス入門としてうってつけだ。佐藤優のような嘘も感じられない。日本にとって真の脅威は中国であり、単純な反米感情の危険性を説く。食料安保、移民問題など。

 32冊目『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2013年)/ロシアを追われたプーチンが日本を訪れ柔道三昧の日々を送る。そこへ日本の首相がやってきて諸々の政治問題を相談する。プーチンという強いリーダー像を通して日本の政治家に欠けている資質が明らかになる。わかりやすく巧みな設定だ。

 33冊目『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2014年)/北野本4冊目。重複した内容が目立つ。ただし最新情報が盛り込まれている。最終章の「『イデオロギー』は国家が大衆を支配する『道具』にすぎない」という見出しは覚えておくべきだ。

 34冊目『正義の正体』田中森一〈たなか・もりかず〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社インターナショナル、2008年)/面白かった。19時間の対談で1冊の本が出来上がるのだから、やはりこの二人は只者ではない。佐藤が凄いと思った人物は小渕恵三とエリツィンであるという。どちらのエピソードも実に興味深く、知られざる素顔が見える。

 35冊目『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平(コスモ21、2012年)/DVD付きで1500円。北野本で知った。一読の価値あり。DVDを先に見た方がよい。この講演会から生まれた書籍である。大塚が校長を務めた中学では、学校の廊下をバイクが走り回り、煙草の吸い殻を拾うと1時間でバケツが一杯になったという。大塚は三段階改革で学校を変えた。まず最初に非行の原因は「面白くない授業にある」として、授業を魅力的なものに変えた。続いて給食をパンから米中心に変え、無農薬・低農薬の地元野菜にした。地産地消である。そのために学校への補助金が打ち切られた。最後に学校を花で飾った。各クラスが花壇を担当して種から花を育てた。生徒たちは激変した。安部司の引用など危うい記述も目立つが、取り組み自体は素晴らしいと思う。本を先に読んでしまうと、まるで鈴木が主催するエジソン・アインシュタインスクール協会の宣伝本に見えるが、講演DVDを先に見れば腑に落ちる。西村は新日本の現役プロレスラーで東京文京区議会議員と二足のわらじを履く人物。

2016-03-18

ムッソリーニの最期




【※閲覧注意のこと】

スティグリッツのTPP批判を日本の新聞は報道せず

2016-03-16

障害者か障碍者か/『漢字雑談』高島俊男


 ・漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた
 ・障害者か障碍者か

 漢字制限は敗戦直後昭和21年の「当用漢字」から始まる。固有名詞(福岡などの地名、佐藤などの姓、その時現在の名)を除き、政府が決めた1850字以外使ってはならぬという、強い制限である。罰則はないので作家などは使ったが、官庁(法令、公文書等)、学校、新聞の三大要所を抑えて励行させた。

【『漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)以下同】

 当用は「当座用いる」との意で「将来はわからないが、しばらくの間さしあたって用いる」(Wikipedia)ことを示す。なぜ将来は「わからない」のか? GHQのジョン・ペルゼルというタコ野郎が日本語をローマ字表記にしようと目論んでいたからだ。当時、文部官僚であった今日出海〈こん・ひでみ〉も小林秀雄との対談でそのことに触れている(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄)。

 権力は文字・暦・度量衡を統一する。

 どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。

【『国家の自縛』佐藤優(産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】

 辛うじてローマ字化は防ぐことができたが、日本の歴史は徹底的に書き換えられた。そして「当用漢字」という言葉はまだ生き永らえている。

 それで、ぜひもう一度考えてもらいたいことがある。同音の他の字で間にあわせていたのを、正しい字にもどしてもらいたい。
 もどったものもある。名誉毀損は棄損と書いていたのだが、毀損にもどった。しかし別字のままなのが多数のこっている。
 たとえば、これは小生たびたび言っていることだが、障碍物、障碍者の碍は「さまたげる」の意である。これが使えないので「障害者」と書く。害は「危害を加える」「害虫」の害である。ぜひもどしてもらいたい。

障害者を障碍者と書くことになった経緯

「碍」は「礙」の略字らしい。もともと障礙は仏教用語で「しょうげ」と読んだ。日蓮の遺文にも「障礙出来(しゅったい)すべし」と山ほど出てくる。

 害には「そこなう」との意味もある(損害)。だが、やはりイメージは悪い。害には「わざわい」の意味もある。これは自殺を自死とするような意味づけの問題ではなく、単なる漢字表記の問題だ。私は障碍(障礙)を選ぶ。

 言葉に対する鈍感や無気力から文化は滅んでゆく。いたずらに古きを尊(たっと)ぶつもりはないが間違いは間違いなのだ。



@檸檬の家: 「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?

2016-03-15

平将明×青山繁晴「メタンハイドレード」


 夫人の青山千春は水産学博士で、日本海側のメタンハイドレードを発見した人物である。

島田裕巳


 1冊読了。

 30冊目『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』島田裕巳〈しまだ・ひろみ〉(SB新書、2016年)/島田の文章は読みやすい。ただしその分だけ底が浅くなりがちで、宗教学者というよりは宗教ジャーナリストが実態に近い。日本と世界の宗教人口が激減する様子をわかりやすく解説し、更には資本主義とイスラム金融の入門書的な内容となっている。島田が創価学会本を出しているせいもあって、やや創価学会に偏りがちな記述が目立つ。大学での講義がもとになっているのでデータは正確だと思われる。ただし結論が弱い。弱すぎる。宗教社会学的な世俗化という視点ももはや古い。現代の宗教は科学と経済であると見極める必要があろう。いずれにせよ生と死の問題が解明されていない以上、教団が滅んでも宗教が滅ぶことはない。

2016-03-14

一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ


『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ
『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ

 ・ただひとりあること~単独性と孤独性
 ・三人の敬虔なる利己主義者
 ・僧侶、学者、運動家
 ・本覚思想とは時間論
 ・本覚思想とは時間的有限性の打破
 ・一体化への願望
 ・音楽を聴く行為は逃避である

『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ

『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

 あなたはなぜ自分自身を、誰か他人や、あるいは集団、国と一体化させるのか? なぜあなたは、自分自身のことをクリスチャン、ヒンドゥー、仏教徒などと呼ぶのか? あるいはまた、なぜ無数にある党派の一つに所属するのか? 人は、伝統や習慣、衝動や偏見、模倣や怠惰を通じて、宗教的、政治的にあれこれの集団と自分自身とを一体化させる。この一体化は、一切の創造的理解を終焉させ、そうなれば人は、政党の首領や司祭、あるいは支持する指導者の意のままになる、単なる道具にすぎなくなってしまうのだ。
 先日、ある人物が、誰某はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者(アイト)」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の意味合いに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや彼は、そのことに決して感傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。
 彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は、他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属したりしてきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は選び終えたのであり、いかなるものも彼を揺り動かすことはできなかった。これからは彼は心地良く腰を据えて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱心に従っていくことだろう。

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】

 既に再読を終え、三読目に入っている。書写行も開始。翻訳がこなれていない上に不要な読点が多く実に読みにくいのだが、文体は大野純一が一番よい。

 amazonレビューでも指摘されているが「“一体化”ではなく“同一化”が翻訳として適切」との意見は以前からある。私は英語に疎いので断言するにわけにはいかないが、一体化と同一化という日本語に違いはないと思う。大野龍一や藤仲孝司の他訳批判に読者も影響を受けているのだろう。

 不安定な個人が安定を求めて集団に帰属する。そうして「私」は私より一段上の存在となる。これは不思議なことだが経済的な見返りよりも、集団の有する理想が大きければ大きいほど帰属心が強まる傾向がある。例えば軍隊、古くは宣教師、現在だと東大OBや共産党・創価学会エホバの証人など。最近だとSEALDs(シールズ)あたりか。

 別の箇所で「一体化は逃避である」とも指摘されている。小さな自分を大きく見せる手段が一体化であるとすれば、地位や名誉が果たす機能と同じと考えてよさそうだ。虎の威を借る狐と言ってしまえば身も蓋(ふた)もないが、やはり欠けたアイデンティティを補う意味合いが強いのだろう。

 尚、文中の「誰某」は「だれがし」と読むのが普通だが「だれそれ」とも読むようだ。クリシュナムルティの客観的な視線は時に辛辣(しんらつ)さを伴う。「クリシュナムルティ信奉者」と名乗った人物を嘲笑うわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々と見つめている。

「一体化は、一切の創造的理解を終焉させ」る意味が何となく伝わってくる。当然ではあるが、クリシュナムルティの近くにいることが彼の教えを理解したことにはならないし、クリシュナムルティ一派に属したところで人生が変わるわけでもない。そもそもクリシュナムルティは弟子を持っていないし、生涯にわたって拒み続けた人物である。

 一体化への願望には隠された依存が横たわっている。ブッダは次のように遺言した。

 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年/ワイド版岩波文庫)、2001年】

 ブッダの言葉とクリシュナムルティの教えは完全に響き合っている。悟りとは「ありのままの自分自身をありのままに理解すること」である。一体化するのではなく、依存心をありのままに見つめることが即座の理解なのだ。

 偉大な人物に傾倒し、理想を実現するための運動に参加し、組織の手足となって身を粉(こ)にする営みは不思議な情熱を生む。そこに罠があるのだ。

 情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)】

 自分に欠けたものを別の何かで埋め合わせると心理的な充足感が得られる。だがそれは錯覚である。喉の渇きは終始つきまとい、より激しい自己犠牲へと向かう。大きな集団は下位集団を生み、下位集団では下位文化が形成されるが、どこまで行っても承認欲求には限りがない。闘争と競争の連鎖が果てしなく続いてゆくことだろう。

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ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

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北野幸伯


 1冊読了。

 29冊目『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(草思社、2007年)/予想以上に面白かった。著者は変わった経歴の持ち主である。ゴルバチョフに憧れてロシアに留学。しかもロシア外務省附属モスクワ関係大学という官外交官およびKGB要員を育成する大学で学んだ。卒業後、カルムイキヤ自治共和国の大統領顧問に就任する。ネット上で配信された情報がもとになっているので文章の軽さは否めないが、論理はしっかりしておりわかりやすい。世界の大国が熾烈に国益を追求する中で、国益を見失う日本に警鐘を鳴らす。内容は少々古いが原理・原則は今でも適用可能であり、逆に目まぐるしく変遷する世界のありようが実感できる。書き手の立場からすれば、有料ネット配信~大幅増訂で書籍化というスタイルの方が、単なる書き下ろしよりも実入りがよい。同様の書き手が増えれば、フリーランスの編集者が活躍する時代が来るかもね。

2016-03-13

比類なき日本文明論/『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政


『国民の歴史』西尾幹二

 ・比類なき日本文明論
 ・400年周期で繰り返す日本の歴史

『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

《中西》このほど西尾さんが、『国民の歴史』という【大きな】本をお書きになられました。それはボリュームや「部数が何十万部売れた」といった量的なインパクトの大きさだけではなく、日本人の知性や歴史への視線に与えた影響という点で、非常に大きなものがあったという意味です。(中略)
 結局この本で何が一番「大きい」かというと、私は内容が突きつけているものだと思うのです。この本はいくつかのテーマを合わせたテーマ論集のようになっていますが、それぞれの論点をつなげると、一つの体系を持った日本文明論が見えるという、何よりも論としてのスケールの大きさを持っています。いい換えると、日本史をタテに貫く一つの大きな史観が、はっきりと提示されているのです。
 こういう類の本は、戦後はおろか、戦前の史学書などを見ても、あまり例がないように思います。戦前にも日本文明論はいくつも出ていますが、観念的に書かれたものばかりです。とくに最近の研究成果や史観の変化という動向を踏まえつつ、多くの論点を併せ持ちながら、全体として独自の明確な史観をこれだけのスケールをもって展開した本は、ほかになかったと思います。
 とくに最近の斬新な歴史研究の成果を積極的に取り入れ、大きな観点の提示とともに十分に実証的専門研究者として仕事をしてきた学者たちが、ずいぶん狼狽(ろうばい)しているようです。あちこちで激しい議論が起こるのも、そうしたことの表れでしょう。

【『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)以下同 】

 人はどうしても見掛けで判断されやすい。西尾の風貌と話しぶりには傲然としたところがある。私は何となく「嫌なオヤジ」くらいにずっと思い込んできた。その見方が変わったのは福島の原発事故を巡るディスカッションの動画を見た時のことだった。西尾は推進派から脱原発派に宗旨替えをした。その率直な態度が私の心に何かを響かせた。もちろん逆の立場があってもいい。事故という現実と学問的な裏づけによって持論に固執しないことが重要なのだ。その意味で私は武田邦彦にも敬意を払う。西尾と武田はインターネットを駆使しているところまでよく似ている(西尾幹二のインターネット日録武田邦彦(中部大学))。

 西尾と中西は保守派論壇を代表する人物と目されているが、実は初めての対談であったという。普通の対談本とは異なり、議論の応酬ではなく長い主張を交互に行っている。これは中西のスタイルのようだ。冒頭では上記のように中西の絶賛から始まるが、途中から全く遠慮のない意見がぶつけられている。3日間に渡って12時間行われた対談を編集したもの。

 西尾は文学者である。歴史家ではない。その西尾がペンを執らざるを得なくなったのは、やはり日本人の歴史意識に危機感を抱いたためだろう。戦後教育はバブル崩壊まで一貫して戦前の日本を否定的に扱ってきた。まずGHQが巧妙に日本文化を破壊し、その後を日教組と進歩的文化人が引き継いだ格好だ。

 その流れを変えたのが1996年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」であった。西尾は設立人の一人で、初代会長に就任した。その当時は誰もが眉をひそめた。私も「何を今更」と思った。1995年には小林よしのり作『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(扶桑社)が出ていた。渡部昇一や谷沢永一が右旋回した。世間の見方は冷ややかであった。ところが北朝鮮による拉致被害や中国・韓国での反日運動が激化するに連れて流れが変わっていった。戦後体制に疑問を抱けば自ずと敗戦時に目が向く。誘拐同然でさらわれた同胞を救い出すこともできない国家は国家たり得るのか? この国はどこかおかしい。そんな疑問が国民の間に少しずつ浸透していったように思う。

 たとえば、唯物史観が退潮したあと、今度は奇妙な偏向姓を持つ「ボーダレス史観」のようなものが現れ、戦前の「皇国(こうこく)史観」の逆をゆくものならどんな行きすぎでも許されるとばかりに、「日本」など存在しなかったかのような極限的な修正史観にまで行き着いています。つまり、一つの間違いを修正するのに、それよりはるかに悪い方向へ向かって修正しようとする。つまり、「真ん中」に寄せるのではなく、マイナスのベクトルにばかり向かっているのです。
 しかも、戦前の歴史を一括して、「皇国史観」とか「軍国主義史観」という言葉で語ってしまう。彼らにとって戦前というのは、昭和20年以前すべてを指します。だから、私はこれを本質的な意味を込めて「戦後史観」と呼ぶのですが、彼らは戦前までの日本のあり方のすべてを否定的に捉えるという偏見から出発していますから、それまでよしとされたものを批判しあらゆる歴史上の「偶像破壊」をしなければ実証史学でない、という強迫観念にとらわれつづけています。これは歴史への本来の姿勢ではありません。とくに彼らのいう「皇国史観」にとらわれすぎているから、それこそ何百年、何千年と遡(さかのぼ)る日本人の本来の歴史意識やトータルな歴史像をすべて否定してしまおうとしてきたのです。

 世界中どこの国でも愛国教育を行っている。そんな当たり前の事実すら我々は見失ってしまった。「第二次世界大戦が終わってから世界は平和になった」と錯覚しているのは日本人だけであろう。アフガニスタンやイラクが戦火に見舞われても他人事である。北朝鮮がミサイルを発射しても目を覚ますことがない。日本が仮にも平和を享受できたのは日米安保のおかげであり、アメリカの核の傘に守られてきたからだ。そのアメリカが今衰亡しつつある。国力が衰えればアメリカが「自分の国は自分で守ってくれ」と言い出すに決まっている。きっと昨年のオバマ来日で言われたに違いない。その後安倍首相がやったことといえば、特定秘密保護法の制定と集団的自衛権の行使で、現在は憲法改正を表明している。

 国民が自国の歴史を見失えば国家は大国に依存する。敗戦という精神的空白を経て日本はアメリカに身を委ねた。アメリカがダメになったら、今度は中国に身を擦り寄せるのだろうか? その可能性を否定できないところにこの国の悲しさがある。

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新装版『深代惇郎の天声人語』正続

深代惇郎の天声人語 (朝日文庫)続・深代惇郎の天声人語 (朝日文庫)

 朝日新聞1面のコラム「天声人語」。この欄を70年代に3年弱執筆、この短い期間に読む者を魅了し続け、新聞史上最高のコラムニストとも評されながら急逝した記者がいた。その名は深代惇郎――。氏の天声人語から特によいものを編んだベスト版が新装で復活!

2016-03-12

新版『パリは燃えているか?』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール:志摩隆訳

パリは燃えているか?〔新版〕(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)パリは燃えているか?〔新版〕(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

沢木耕太郎氏推薦「現代ノンフィクションにおける叙述スタイルの革命は、この著者の、この作品から始まったのだ」

柳田邦男氏「戦後70年の間に世界で書かれてきたすぐれた戦史ドキュメントの中で十指に入る作品だ」(本書解説より)

 第二次大戦末期、敗北を重ね追い詰められたヒトラーは命じた。「パリを敵の手に渡すときは、廃墟になっていなければならない!」。この命令を受けたコルティッツ将軍により、ドイツ占領下のパリの街なかには、至る所に爆薬が仕掛けられた。エッフェル塔、凱旋門、ノートル=ダム寺院、ルーヴル美術館……世界が愛する美しい街並みは、灰燼に帰してしまうのか? 1944年8月のパリ攻防をめぐる真実を描いたノンフィクション。

2016-03-11

ジェームズ・リカーズ


 1冊読了。

 28冊目『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ:藤井清美訳(朝日新聞出版、2015年)/難しかった。SDR(特別引出権)の意味を初めて理解できた。タイトルに難あり。原題は「THE DEATH OF MONEY」である。「FRBがドルを捨てる方向に動いている」というのが真意である。SDRは事実上、世界通貨であり、ゆくゆくはSDR建てでアメリカの大型株が発行される可能性を示唆する。ゴールドの価値は不変であり、価格の上下はドルの価値が動いているに過ぎない、との指摘に目から鱗が落ちる。アベノミクスについても触れており、アメリカ経済の今後を日本の金融政策(金融緩和)が占うという。基本的には緩和マネーが資産バブルを形成し、首が回らなくなるという見立てである。ドル基軸通貨体制崩壊後に関しては三つのシナリオが描かれているが、ゴールドを裏付けとするSDR基軸通貨が実現するような気がする。デフレという化け物に紙幣が敗れる日はそう遠くない。必読書入り。水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』の後に読むのがいいだろう。挫折した『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』も読み直す予定だ。

東京大空襲


 この季節、きまって脳裏をよぎる五行歌がある。〈霊能者という人に/本当に霊が見えるなら/東京なんて/一歩も歩けないと/東京大空襲の生き残りの父〉(唐鎌史行、市井社『五行歌秀歌集2』)◆火炎と熱風をのがれて水辺に逃げた人の多くは酸欠死し、溺死し、凍死した。遺体からにじみ出た脂で隅田川が濁ったという。米軍機B29がおびただしい数の焼夷弾を東京上空から降らせたのは71年前のきょうである◆約10万人が…いや、命に切り捨てていい端数のあるはずがない。「東京大空襲を記録する会」の調査によれば、9万2778人が死亡した◆日本政府は戦後、無差別の大量虐殺であるこの東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ将軍に、勲一等旭日大綬章を贈っている。東京五輪の年、1964年(昭和39年)のことである。「自衛隊育成の功労者」という名目だが、霊は泣いただろう。〈東京なんて/一歩も歩けない…〉のは道理である。復興を成し遂げて、世紀の祭典に酔ったのか。いまもって理解しがたい◆人はときに、心弾む階段をのぼりながら堕落していく。ほろ苦い歴史の教えである。

【編集手帳 2016年3月10日】

2016-03-09

ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン、他


 1冊挫折、1冊読了。

「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(講談社現代新書、1993年)/二度目の挫折である。1993年刊だから、まだ保守の肩身が狭かった時代だ。言葉や表現に対する慎重さが読みにくさの原因となっている。

 27冊目『量子力学で生命の謎を解く 量子生物学への招待』ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(SBクリエイティブ、2015年)/流麗な筆致に驚く。訳文も実に読みやすい。がしかし、それでも尚難解である。この手の本はとにかくスピーディーに読むのがコツである。あまり理解しようと努めない方がよい。原始スープからどのようにして生命が誕生したのかはまだわからない。最先端の知は「わからない」手前まで果敢にアプローチする。この不可能に対して何度も何度も挑戦する営みこそが生命誕生の縮図と思えてならなかった。知識が追いつかなくて理解できなくても、確実に昂奮し得る稀有な一書。フランク・ウィルチェック著『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』の後に読むのがいいだろう。

2016-03-06

目撃された人々 66

2016-03-05

ジム・ロジャーズ氏:「確率100%」で米国は1年以内にリセッション入り


 ロジャーズ・ホールディングスのジム・ロジャーズ会長は、米経済が1年以内にリセッション(景気後退)に陥ると確信している。

 同氏はブルームバーグテレビジョンのインタビューで、米経済が1年以内にリセッション入りする確率は100%だと言明した。

 ロジャーズ氏は「米国が前回リセッションを経験してから7ー8年が経つ。歴史的に見ても、理由はどうあれ4ー7年ごとにリセッションを経験してきた。少なくともこれまではずっとそうだった」とし、「必ずしも4-7年ごとというわけではないが、債務を見れば分かる。膨大な額だ」と続けた。

 米経済が1年以内にリセッション入りする確率については、大抵のウォール街のエコノミストは33%未満と予想しており、ロジャーズ氏よりずっと低い。

 ロジャーズ氏は無秩序なレバレッジ解消やリセッションを引き起こし得る要因について具体的には説明しなかったが、中国や日本、ユーロ圏で景気が沈滞・減速している状況は、米国に悪影響をもたらし得る経路が数多くあることを意味していると指摘した。

 その上で、投資家が正しいデータに注目すれば、米経済の回復が既に腰折れしつつある兆候が読み取れると説明した。

 ロジャーズ氏は「(米国の)給与税を見れば、既に横ばい状態なのが分かる」とし、「政府が発表する数字ではなく、現実の数字に注意を払うべきだ」と述べた。

 また将来に経済的混乱が生じるとの自身の予測に基づき、同氏はドルをロング(買い持ち)にしている。

 ロジャーズ氏はドルについて、「バブルの状態になる可能性さえある」と指摘。「世界的に市場が急落するというシナリオが現実になったとしよう。そうすれば誰もがドルに資金を振り向け、バブル状態になる可能性はある」と述べた。

 円については、通常はリスクオフの環境で買われる通貨とされているが、日本銀行のバランスシートが膨大かつ引き続き拡大していることから、逃避需要が発生した際に恩恵を受けなくなると分析。2月26日に自身の円のポジションを解消したと説明した。

 原題:Jim Rogers: There’s a 100% Probability of a U.S. Recession Within a Year(抜粋)

Bloomberg 2016-03-05

2016-03-04

ピアノを弾く特攻隊員/『月光の夏』毛利恒之


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎

 ・ピアノを弾く特攻隊員

『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 彼らは公子にむかって上体を折り敬礼した。
「自分たちは三田川(みたがわ)から来ました。目達原(めたばる)基地の特攻隊のものです」
 公子は息をのんだ。
「あす、発(た)ちます。時間がありません。お願いであります。ピアノを弾(ひ)かせてください。こいつは上野の音楽学校のピアノ科の学生だったんです」
 涼(すず)やかなまなざしの明るい活発な感じの隊員が、長身のやや神経質な面ながの隊員を紹介した。長身の隊員はうなずき目礼した。
「死ぬまえに一度、思いっきり、ピアノを弾かせてください」
 公子は、言いようのない衝撃を受けて、胸がつまった。(中略)
 ふたりの隊員たちは、特攻出撃を間近にひかえて、グランドピアノを探しまわったという。おおかたの学校にはオルガンしかなかった。めずらしく鳥栖の国民学校にグランドピアノがあると聞いて、彼らは三田川から十二、三キロの道のりを長崎本線の線路づたいに走るようにしてやってきたのだった。(中略)
 長身の隊員は椅子にかけると、両の手の細い指を鍵盤に走らせた。音がはずみ、舞い、おどる。これまでピアノにふれることもできず、抑えにおさえてきた気持ちが、音色とともに一気にほとばしり出ているように公子は感じた。
「先生、なにか楽譜はありませんか」
 隊員にいわれて、公子はピアノ曲集をさしだした。
「いまベートーヴェンの『月光』を練習しています。この楽譜しかないのですが」
「では、『月光』を弾きましょう。先生、あなたの耳に残しておいてください」
 隊員は楽譜を開いた。ピアノにむかい、姿勢をただすと、鍵盤に両の手の指をそえる。呼吸をととのえ、宙に視線を止めた。万感の思いをひめた瞳が光をおびた。
 沈んだ音色につつまれた幻想的なメロディーが、ゆるやかに流れでる。ピアノ・ソナタ第14番嬰(えい)ハ短調『月光』第1楽章(アダージョ・ソステヌート)……。
 闇の雲間からもれる月の光のように、ときにほの明るく、あるいは暗く、沈鬱に流れる調べは、熱情を潜めてリフレインし、やがて静かに高揚する。隊員はときおり祈るように瞑目し、ひたむきに弾きつづけた。
(ピアノが歌っている!)
 公子は胸をうたれた。すばらしい、こんな演奏は初めて聴く、と公子は思った。
 もうひとりの隊員が上手に楽譜をめくった。彼もまた、音楽に関係していたのだろう。
(たくさんのひとびとをまえに演奏会をなさりたかったろうに……)
 あすにも死地へ出撃しなければならない、このピアニスト志望の青年の胸中を思うと、公子は悲痛な思いに胸をしめつけられた。

【『月光の夏』毛利恒之〈もうり・つねゆき〉(汐文社、1993年/講談社文庫、1995年)】

 涙が噴き出たのは土田世紀の『同じ月を見ている』以来のこと。実話に基づく小説(ノンフィクション・ノベル)である。たぶん特攻隊員のプライバシーに配慮したのだろう。ある小学校で古いピアノが処分されることとなった。定年を控えた女性教師が「ピアノを譲り受けたい」と申し出た。古ぼけたピアノにはあるエピソードがあった。それは45年も前の話だった。感動的なエピソードが全校生徒の前で紹介され、報道を通して多くの人々が知ることとなった。

 特攻隊員がピアノを演奏している間に教頭が生徒たちを集めてきた。感動した生徒たちは「海ゆかば」を歌って送りたいと申し出た。もう一人の特攻隊員がピアノ演奏を買って出た。

 







 実は本書を通して「海ゆかば」を初めて知った次第である。よもやこれほどの名曲とは思わなかった。『万葉集』に収められている大伴家持〈おおともの・やかもち〉の和歌に、信時潔〈のぶとき・きよし〉が曲をつけたもの。

 本書のテーマは「矛盾」である。メディアと特攻隊の矛盾によってその功罪がくっきりと浮かび上がる。そこに日本社会の縮図を見出すことも可能だろう。特攻隊の恥部(ちぶ)に関する緘口令(かんこうれい)は敗戦から半生記を経ても尚生きていた。「誰がしゃべったんだ?」という元隊員たちの姿に戦慄さえ覚えた。同質性を重んじるこの国で弱い者いじめは、たぶん文化として息づいているのだろう。

 もう一度「海ゆかば」を聴いてもらいたい。




 この映像は「ピアノを弾いた特攻隊員」かもしれない。無限の思いと無言のメッセージを感じずにはいられない。

 エピソードを語った公子もメディア(ラジオ番組)に翻弄される。話したことを後悔するほどであった。しかしその気持ちを引っくり返したのもまたメディア(別のラジオ番組)であった。毛利自身も仮名となっているが、ジャーナリズムの魂を見る思いがした。

 映画化にあたっては、九州を中心とした市民・企業・団体により1億円の募金が集められた(Wikipedia)。

2016-03-03

新刊『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ:正田大観、吉田利子訳、大野純一監訳(コスモス・ライブラリー、2016年)

ブッダとクリシュナムルティ―人間は変われるか?

著名な仏教学者らとの白熱の対話録

「あなたはブッダと同じことを言っているのではありませんか?」という第一対話を皮切りに、第一部「五回の対話」ではスリランカのテーラワーダ仏教の学僧ワルポラ・ラーフラや理論物理学者デヴィッド・ボームらとクリシュナムルティとの間に、自我のない心の状態、自由意志、行動、愛、自己同一化、真理、死後の生について、洞察に満ちた対話が展開されている。第二部「なぜわたしたちは変われないのか?」には、人間の意識の根源的な変化・変容を促すための講話と質疑応答が収録されている。

2013年12月05日(木)のツイート

白金(しろかね)


 作家今東光は、谷崎潤一郎と話していて、うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦茶になってきたな」と怒鳴りつけられたとのこと(『十二階崩壊』中央公論社、1978年。p.250)

Wikipedia

十二階崩壊 (1978年)

2016-03-01

福田恆存


 1冊挫折。

人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』福田恆存〈ふくだ・つねあり〉:福田逸〈ふくだ・はやる〉・国民文化研究会編(文藝春秋、2015年)/昭和37、41、50、55年に行われた学生向け講演4本を収録。『学生との対話』小林秀雄と併読するのがよい。小林に比べるとやはり地味な印象を受けるが、亀の歩みにも似た安定感がある。福田と小林は戦後保守の二代巨頭的存在だが、本書は保守の教科書ともいうべき内容で、温厚な精神を感じた。佐伯啓思〈さえき・けいし〉著『「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理』の回りくどさは、福田の言葉に対する考え方を踏襲しているのだろう。マルクス主義の旋風に殆どの知識人が靡(なび)く中で、日本を見失うことのなかった人物の一人が福田恆存であった。

探し求めてきた時間の答え


 若い時分から探し求めてきた「時間」の答えを見つけた。それは、『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)の17ページから22ページのたった5ページの間に余すところなく記されていた。

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

月並会第1回 「時間」その一
月並会第1回 「時間」その二
時間と空間に関する覚え書き
あらゆる蓄積は束縛である/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

J・クリシュナムルティ、井上豊夫、兵頭二十八、他


 3冊挫折、3冊読了。

神社は警告する 古代から伝わる津波のメッセージ』高世仁〈たかせ・ひとし〉、吉田和史〈よしだ・かずし〉、熊谷航〈くまがい・わたる〉(講談社、2012年)/ダメ本。テレビ番組の二次創作的内容。「ジン・ネット」(高世が経営するテレビ番組制作会社)を始めとする余計な情報が文章の邪魔をしている。3人がバラバラで書いているのも読みにくくてしようがなかった。取材という事実に引きずられて、情報の抽象化がきちんとできていない。

幕末最大の激戦 会津戦争のすべて』会津史談会編(新人物文庫、2013年)/これまたダメ本。会津礼賛・会津万歳本である。6人の著者は全員福島生まれ。150年を経ても新機軸を打ち出せないところに会津藩の真の敗因があるように思われる。お国自慢のレベルを脱していない。

日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』加瀬英明、藤井厳喜〈ふじい・げんき〉、稲村公望〈いなむら・こうぼう〉、茂木弘道(もてき・ひろみち)(勉誠出版、2016年)/鼎談(166ページ)だけ読む。各論文に興味なし。加瀬の序文が酷い代物で、まるで選挙の遊説カーさながらである。「フーバーは」の連呼。老いの厳しい現実か。これまたダメ本の典型で、チャンネル桜を見ているような気分にさせられる。フーバー大統領回顧録(邦訳未刊)という都合のいい情報にしがみついただけの書籍。姿勢が左翼と一緒。確固たる視点がない。兵頭二十八が真珠湾奇襲を侵略戦争だと断じているが、これを否定し得るほどの説得力はどこにもない。

 24冊目『予言 日支宗教戦争 自衛という論理』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(並木書房、2009年)/最終章だけ飛ばしたが読了本としておく。兵頭が古い本を読み漁っているせいだと思われるが、時折古めかしい言い回しが見受けられ、嫌な匂いを放つ。最終章はまるで2ちゃんねらーが書いたような代物。タイトルが内容に相応しくない。

 25冊目『果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの』井上豊夫〈いのうえ・とよお〉(コスモの本、2006年)/著者は楯の会で副班長をしていた人物。130ページ足らずの手記で、さほど期待していなかったのだが意外な発見が多かった。

 26冊目『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)/再読。時間の流れが止まる。映像さながらの風景描写が冒頭にあり、個別のやり取りが紹介される。最初に読んだ時は創作かとも疑ったのだが、やはり事実に基づいているのだろう。クリシュナムルティの対機説法である。ブッダの場合、相手の機根(法を受け止めるレベル)に応じて説いたため真の悟りは披瀝していないとの通説がある。「人を見て法を説け」という俚諺(りげん)となって今日にまで伝わる。だがこれは嘘だ。本書を読めば立ちどころに理解できよう。わずか3~4ページでクリシュナムルティは深遠な教えを説いている。対話の妙はクリシュナムルティ・マジックとしか言いようがない。原題を直訳すれば「生の注釈書」。オルダス・ハクスリーに勧められ、クリシュナムルティが初めて書いた著作である。参照:「ただひとりあること~単独性と孤独性/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

2016-02-28

元米兵が語る沖縄戦 大東亜戦争

鉄ちゃんのうどん/『今日われ生きてあり』神坂次郎


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

 ・特攻隊員たちの表情
 ・千田孝正伍長
 ・鉄ちゃんのうどん

『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 知ってますか、焼夷弾(しょういだん)ちゅうのは空中で一ぺん炸裂(さくれつ)し、1発の焼夷弾は70発の焼夷筒に分裂して地上に叩(たた)きこまれてくるのです。それも、前の爆撃機がまず油を撒(ま)いて飛ぶ、そのうしろからB公(B29)の大編隊がぐるっと市街地を包み囲んでその外側から焼夷弾を落していく……無差別のみなごろし爆撃ですわ。
 それに、焼夷弾は叩けば消えるから必ず消せ、と軍や役所からきびしく教えこまれていました。みんな必死でその通りにした。気がついたときは、1000度を超える高熱の、逃げ場のない焔(ほのお)の壁にとり巻かれていたのです。こんな殺生(せっしょう)なはなしがおますか。まるで、B29と日本の軍・官が共謀して大阪市民をなぶり殺しにしたようなもンでしょう。

【『今日われ生きてあり』神坂次郎〈こうさか・じろう〉(新潮社、1985年/新潮文庫、1993年)以下同】

 日本人は焼き殺された。沖縄戦では洞窟という洞窟を火炎放射器が襲った。これらの武器はナパーム弾白リン弾へと進化する。「焼き殺す」のは、やはり魔女の火刑に由来するものであろう。つまり罪深き者として神の火で焼かれるのだ。

 原爆を落とされた広島・長崎、そして大空襲のあった東京を除くと、1万人以上殺されたのは大阪府15784人、愛知県13359人、兵庫県12427人となっている(日本本土空襲 > 都道府県別被害数)。

 この章は一人の人物の証言が続く。関西弁の「語り」という文化の底力が哀切をまとって口を突く。

 分隊長をしていたのは新子(あたらし)鉄男という名のうどん職人の倅(せがれ)だった。当時14歳。大阪一のうどん屋になるのが夢だった。

 鉄ちゃんのはなしになると、どうしても受け売りのうどん話になって恐縮ですが、もうすこし辛抱して聞いてやってください。すみません。……わたしもこうして鉄ちゃんからよう聞かされましてね。(中略)
「うどんづくりは水も粉ォも大事やけど、一番むつかしいのンは塩の加減や」
 上手な料理人のことを、塩を上手につかうひと“塩番”(じょうばん)ちゅうのやぜ、と鉄ちゃんは何処(どこ)で聞いてきたのか、大人びた口ぶりでよう言うてました。また、
「うどんを打つときは何も考えず、無心で打つこと。それがコツや」
 でないと、喰(た)べおわってから“ああ美味(うま)かった”というほんののうどんは出来へんのや。

 鉄ちゃんのうどんの師匠である老舗(しにせ)松葉家の主人夫婦が疎開することになった。主は「この松葉家の焼跡で鉄ちゃん、お前(ま)はんの打ったうどんを食べて、お別れの会を盛大になりまひょ。そやさかい、お友達はナンボでも呼んで来なはれ」と伝える。

 汗まみれになって松葉家の焼跡まで辿(たど)りつくと、煉瓦(れんが)は石ころで築いた即製のかまどが二つ、その上に釜(かま)がかけられ、傍には戸板の食台、その上に丼鉢(どんぶりばち)が置かれていました。鉄ちゃんが辰一(=主人)さん夫婦に挨拶(あいさつ)をしているあいだに、わたしたちは水を汲(く)み、薪(まき)を集め、早速、湯を沸かしにかかります。うどんはすでに昨晩、鉄ちゃんと辰一さんが打ちあげて、熟(ね)かせています。
 やがて、焼跡に湯気がたちのぼり、いつも空腹で目をまわしたような顔つきをしている少年たちにはこの世のものとは思えぬダシの匂(にお)いがただよいはじめます。
「まだ、あかんぜぇ」
 鉄ちゃんは道化(おどけ)たような顔つきでわたしたちを制して、ぐらぐら沸きたっている湯でうどんをゆがき、鉢にいれダシをいれ、その最初の一杯をまず、地べたに坐りこんでいる辰一さんに、そして奥さんの喜代子さんに、3杯目を大田原軍曹に渡します。
 辰一さんは両手で抱くようにしたうどん鉢を、ちょっと拝むようなしぐさで、鉄ちゃんの差しだした割箸(わりばし)を片手にとり、前歯でぴしっと割って、ダシを一口すすり、うどんを音をたててすすりこみました。しばらくして辰一さんは、鉄ちゃんのほうにうなずき微笑しました。
「うわぁ、よかった」
 いままで、息をつめるように辰一さんの表情を■(目+貴/みつ)めていた鉄ちゃんが、思わず大きな声をだしたので、わたしたちは大わらいしました。
 鉄ちゃんはそんな笑い声は気にせず、
「新子(あたらし)分隊は唯今より、うどん攻撃にうつる」
 いいながら鉄ちゃんは、にやりとします。
「攻撃は各個前進! そうれ行けぇ!」
 箸と丼鉢をもって、いまか今かと待ちかまえていたわたしらは、手に手に見よう見真似でうどんをゆがき、ダシをそそぎ、音をたててすすりこみます。油揚(あぶらげ)もネギもないまったくの素うどんでしたが、わたしは今でも、あれほど美味(うま)いうどんは此の世にないと思うております。

 それから7日後に鉄ちゃんは焼夷弾で火だるまとなり、全身に火傷(やけど)を負って死んだ。享年14歳。大田原軍曹は鉄ちゃんが義兄弟の契りを交わした人物だった。もう一つのドラマが数十年後に判明する。証言者が知ったのは取材を受ける前年であったという。飲み屋で偶然居合わせ、意気投合した相手がなんと大田原の後輩であったという。

 玉音放送に続いて鈴木貫太郎首相が「日本は無条件降伏した」と言うや否や、大田原軍曹は軍刀を抜き払い、「天皇の軍隊に降伏があるか!」とラジオを一刀両断した。そして再び「天皇の軍隊に降伏はない!」と叫んで抗命出撃をするのである。この章は中日新聞の記事で締め括られている。大田原は佐野飛行場の上空で自爆した。

 困難な時代の中で彼らは生き生きと輝き、そして死んだ。戦後、「あの戦争は間違いだった」とGHQが洗脳した。日本人が死者に対する敬意を失った時、国家としての独立の気構えを失った。昭和20年(1945年)8月15日以降、平和が日本を蝕み続けて今日に至る。

今日われ生きてあり (新潮文庫)

2016-02-26

千田孝正伍長/『今日われ生きてあり』神坂次郎


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

 ・特攻隊員たちの表情
 ・千田孝正伍長
 ・鉄ちゃんのうどん

『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

〈すべての行動が自信に満ち、純で神をみる如(ごと)き若者たちでした。ですから、佐賀の村びとの隊員たちへの好意は、他の隊とは問題にならぬほど絶大なるものがありました。毎日、朝から何十人といふ老若男女がやってきました。リヤカーに酒や卵、アメ、煮染(にしめ)、おすし、などを乗せて。
「このたびはご苦労さまです……これを、どうぞ召しあがってください」
 と涙をこぼし、拝みながら言ひます。
 夜になると、村の人びとの中で芸自慢なのが歌や踊りで慰問をしてくれました。が、特攻ほがらか部隊の隊員たちのはちきれるばかりの元気な余興は、かへつて逆に村の人びとを慰問する程でありました。なかでも人気者の千田伍長の陽気な、
 ♪鉄砲玉とは おいらのことよ 待ちに待つてた 首途(かどで)だ さらば
  友よ笑つて今夜の飯を おいらの分まで 食つてくれ
 と歌ひながら剽軽(へうきん)な身ぶり手ぶりで踊る特攻唄(とくこううた)は、村の人びとを爆笑させ、そして、涙ぐませました。
 佐賀の村人たちの好意は、このやうに非常なものでしたが、二十歳前後の前途有為な隊員たちの将(まさ)に散らんとするを、これを見送るはなむけとしては、決して多すぎはしなかつたと思ひます。でも隊員の方々は恐縮して、申しわけないやうな顔をして居られました。もちろん、「もうすぐ、特攻隊で死ぬんだぞ」などといふ昂(たか)ぶつたところなど、まつたく見られませんでした。なごやかで、若者らしい元気よさがありました〉(宮本誠也の手紙)〈※庵点を♪に代えた〉

【『今日われ生きてあり』神坂次郎〈こうさか・じろう〉(新潮社、1985年/新潮文庫、1993年)以下同】

 千田孝正伍長は18歳であった。第72振武隊は自分たちで「特攻ほがらか部隊」と名づけるほど陽気な少年たちが集まった。今知ったのだが、あの「子犬を抱いた特攻隊」の写真が彼らである。出撃を2時間後に控えていた。子犬を抱く少年の右隣が千田である。


 前日、千田の密かな行動が女子青年団員に目撃されていた。

「日本を救うため、祖国のために、いま本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でも学者でもなか。体当たり精神を持ったひたむきな若者や一途(いちず)な少年たちだけだと、あのころ、私たち特攻係りの女子団員はみな心の中でそう思うておりました。ですから、拝むような気持ちで特攻を見送ったものです。特攻機のプロペラから吹きつける土ほこりは、私たちの頬(ほお)に流れる涙にこびりついて離れませんでした。38年たったいまも、その時の土ほこりのように心の裡(うち)にこびりついているのは、朗らかで歌の上手な19歳の少年航空兵出の人が、出撃の前の日の夕がた「お母さん、お母さん」と薄ぐらい竹林のなかで、日本刀を振りまわしていた姿です。――立派でした、あンひとたちは……」(松元ヒミ子の証言)〈※小さい「ン」の字を半角に代えた〉

 揺れる心を日本刀で断ち切ろうとしたのか。陽気な少年の心は凄絶な不安に苛(さいな)まれていた。19歳とあるのは「数え」のためだろう。

 特攻隊の資料は少ない。GHQの占領に当たって罪を恐れた人々が特攻隊に関する書類や手紙を焼却してしまったためだ。神坂は残された手紙と生存者の証言を絶妙に構成し、一人ひとりを立体的に描き出す。神坂自身もまた特攻の生き残りであった。

 宮本の手紙は長文である。彼は千田の先輩であった。隊員が散華(さんげ)すると周りの人間が遺族に手紙を書いた。切々たる思いが行間に溢(あふ)れる。

 神風特別攻撃隊の創始者・大西瀧治郎〈おおにし・たきじろう〉は特攻を「統率の外道」と断じた。死亡率が100%である以上、統率とも作戦とも呼べるものではなかった。道を外れれば転落する。だが国家は転落しても、特攻隊の死が汚れたものになるわけではない。その数6418名。

今日われ生きてあり (新潮文庫)

特攻(1)少年兵5人「出撃2時間前」の静かな笑顔…「チロ、大きくなれ」それぞれが生への執着を絶った

2016-02-25

特攻隊員たちの表情/『今日われ生きてあり』神坂次郎


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

 ・特攻隊員たちの表情
 ・千田孝正伍長
 ・鉄ちゃんのうどん

『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 とめさんは健在であった。81歳。でっぷりと肥(ふと)って、そのためか足の痛みがひどく歩行も不自由らしかった。それでもとめさんは、訪ねて行ったわたしたちのために、杖(つえ)をついて奥座敷まできてくれた。
「ゆう、おさいじゃしたなぁ」
 とめさんは、不作法を詫(わ)びながら畳の上に痛む足を投げだし、あのころの隊員たちの表情を、一つひとつなぞるように話してくれた。
「僕が死んだら、きっと蛍(ほたる)になって帰ってくるよ」
 そう言って出撃した宮川軍曹(ぐんそう)が、翌晩、1匹の“蛍”に化(な)って飛んできたというのは、この左手の庭の泉水のほとりであった。第七次総攻撃に進発した朝鮮出身の光山少尉(しょうい)が、出発の前夜、とめさんにねだられて低い声でアリランの歌を唄(うた)ったのは、次の間の柱のところであった。光山少尉はその柱にもたれ、軍帽をずりさげて顔をかくすようにして唄っていたという。
「僕の生命(いのち)の残りをあげるから、おばさんはその分、長生きしてください」
 そう言って、うまそうに親子丼(おやこどんぶり)を食べて出撃していった一人の少年飛行兵のことを語ると、とめさんは、あの子のおかげで私(あた)ゃこんなにも長生きしてしもうた、と涙をにじませた。

【『今日われ生きてあり』神坂次郎〈こうさか・じろう〉(新潮社、1985年/新潮文庫、1993年)】

 その純粋と待ち受ける悲惨の狭間(はざま)にあって彼らは臆することなく矛盾を生きた。以下のページに遺影と詳しいエピソードがある。

「特攻の真実と平和」板津忠正
ホタルになった特攻隊員(宮川三郎軍曹)

“特攻の母”鳥濱〈とりはま〉トメは89歳まで生きた(1992年没)。



 沖縄という犠牲があり、特攻隊という犠牲があって、本土は守られた。やがて敗戦の精神的空白にマルクス主義が浸透する。その勢いはいよいよ盛んになり、1960年代から70年代に渡る安保闘争で頂点に至る。当時、自衛隊は日陰者として扱われた。戦力放棄を謳った戦後憲法の下(もと)で自衛隊員は公務員と位置づけられた。決起を呼びかけた三島由紀夫に対して、自衛隊員が野次と怒号で応じた時、特攻の精神は死に絶えたのだろう。

今日われ生きてあり (新潮文庫)

中川右介


 1冊読了。

 23冊目『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介〈なかがわ・ゆうすけ〉(幻冬舎新書、2010年)/手に汗握りながら一気読み。時系列順で120人に及ぶ人々の証言を網羅する。「事件はリアルタイムで起こっている」ような迫力あり。四半世紀を経て日本人は敗戦を無自覚なままやり過ごした。三島由紀夫はその日本人に覚醒を促したのだが、眠りは更に深くなった。誰一人として三島の言葉を真剣に受け止めた者がいない。左翼に目を奪われて、GHQを忘れてしまったかのようだ。日本は魂まで占領されてしまったのだろう。

2016-02-24

中条省平、西尾幹二、他


 2冊挫折、2冊読了。

「食べもの神話」の落とし穴 巷にはびこるフードファディズム』高橋久仁子〈たかはし・くにこ〉(ブルーバックス、2003年)/特定の食べ物や栄養が与える影響を過大に評価することをフードファディズムという。高橋が紹介した言葉である。「発掘!あるある大事典」の納豆ダイエットを覚えている人も多いことだろう。ま、捏造だったわけだが。私は常々「体験を根拠とする主張」を批判してきたが、本書に関しては逆に「体験のなさ」が科学的視点の無味乾燥を際立たせている。面白味のない正論といった印象を受けた。鋭さもなければ柔らかさもない。東洋医学を批判する西洋医学の視点と一緒だ。

主食をやめると健康になる 糖質制限食で体質が変わる!』江部康二〈えべ・こうじ〉(ダイヤモンド社、2011年)/江部は糖質制限の言い出しっぺ。高橋からすればフードファディズムとなろう。健康本に共通するのは活字の大きいスカスカ本という作り。悪い本ではないのだが、時間がないため中止。

 21冊目『三島由紀夫の死と私』西尾幹二(PHP研究所、2008年)/若き日に封印した私情を赤裸々に開陳する。それが西尾にとっては三島への誠実であったのだろう。「『死』から見た三島文学」と「不自由への情熱」を収録。三島事件に欠かせないテキストである。江藤淳批判については心情において同調せざるを得ない。

 22冊目『三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終り 何が始まったのか』中条省平〈ちゅうじょう・しょうへい〉編・監修(実業之日本社、2005年)/憲法改正の政治的機運が高まる今、東亜百年戦争(ペリー来航から大東亜戦争敗戦まで)、戦後占領の実態、そして三島由紀夫の憤死を省みる必要がある。岸信介の日米安保改定でとどまっていてはダメだ。新左翼の敗退と三島の死が戦後にピリオドを打ったのである。市ヶ谷の自衛隊駐屯地で三島は憲法改正のために自衛隊の決起を促した。自衛隊員たちは野次と怒号をもって応えた。

2016-02-18

継母への溢れる感謝/『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子

 ・継母への溢れる感謝

『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

少尉 第77振武隊 昭和20年5月4日出撃戦死 宮城県 18歳 相花信夫

 遺書
 母を慕いて
 母上お元気ですか
 永い間本当に有難うございました
 我六歳の時より育て下されし母
 継母とは言え世の此の種の女にある如き
 不祥事は一度たりとてなく
 慈しみ育て下されし母
 有難い母 尊い母

 俺は幸福だった
 遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
 幾度か思い切って呼ばんとしたが
 何と意思薄弱な俺だったろう
 母上お許し下さい
 さぞ淋しかったでしょう
 今こそ大声で呼ばして頂きます
 お母さん お母さん お母さんと
(注:ノート2頁に楷書でペン書き)

【『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編(ジャプラン、2010年/村永薫編、ジャプラン、1991年『知覧特別攻撃隊 写真・遺書・日記・手紙・記録・名簿』改題)】

 検索したのだが高岡修編と村永薫編の違いが判明せず。副題も微妙に異なる。

 沖縄戦では知覧(ちらん/鹿児島県)と都城(みやこのじょう/宮崎県)から特攻隊は飛び立った。

 特別攻撃隊といえば誰もが真っ先に神風(「しんぷう」が正式名称)特攻隊を思い浮かべることだろう。250kg爆弾を搭載し敵艦に体当たりを決行する攻撃を採用したのは大西瀧治郎海軍〈おおにし・たきじろう〉中将であった。物資が乏しくなる中で阿吽(あうん)の呼吸で生まれた作戦といってよい。決して上から一方的に命じたものではない。「特攻を行えば天皇陛下も戦争を止めろと仰るだろう。この犠牲の歴史が日本を再興するだろう」と大西は語った。祖国を守るための犠牲であったことは疑う余地もない。大西の壮絶な最期については以下のページが詳しい。

【号泣必至】特攻の生みの親、大西瀧治郎海軍中将の凄絶なる生涯。

 DVDのリンクが切れているが、まだ販売されている→『あゝ決戦航空隊



 しっかりとした筆跡で継母(けいぼ)への「残した思い」を記している。大きく伸びたお母さんの「ん」の字に涙を禁じ得ない。私は彼らの遺言に対して何かを書こうとする気が起こらない。ただ、「彼らが守ろうとした」祖国で生きることに尽きせぬ感謝を覚える。そして兵器も兵士もなくなった祖国が、国家の未来を担う十代の少年たちに旧式の戦闘機で死ねと命じた事実は忘れまい。

 各人が自分の眼で見て、読んで、彼らの思いに触れて判断すればいいだろう。ただしイデオロギーに基づく非難・政治利用はやめるべきだ。本当に日本が嫌いな共産主義者であれば、さっさと中国かロシアに移住すべきだろう。














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「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫

ミヒャエル・エンデはスピリチュアリズム




貨幣経済が環境を破壊する/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代

2016-02-15

佐藤優、藤田紘一郎


 2冊挫折。

血液型の科学』藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉(祥伝社新書、2010年)/文章が悪く牽強付会の印象が強い。3/4ほど読み進めたが、それ以上は耐えられず。血液型を決める血液型物質は体中の組織に含まれていて、免疫力の差が生じるとの主張。反証可能性を示すことなく、都合のよい事実を結びつけているようにしか感じられなかった。藤田は2ヶ月に1冊くらいのペースで本を出しているが粗製濫造の誹りを免れない。因みに免疫力の強さはO、B、A、ABの順番とされている。

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』佐藤優(小学館、2006年/小学館文庫、2011年)/佐藤優の本を途中で投げ出すのは初めてのこと。情に乏しい。「日本人としての怒り」が全く伝わってこない。小林よしのりの方が人間として信用できる。

2016-02-14

富田公彦、他


 2冊挫折、1冊読了。

悪政・銃声・乱世 児玉誉士夫自伝』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(広済堂出版、1974年/弘文堂、1961年『悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録』改題)/びっくりするほど文章が巧みだ。『大東亜戦争肯定論』で知った。林房雄が「まえがき」を書いている。20代、30代の人にはおすすめできる。昭和初期の世相を知るには絶好のテキストである。

脳科学は人格を変えられるか?』エレーヌ・フォックス:森内薫訳(文藝春秋、2014年)/「アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)」というキーワードがよくない。楽観主義と悲観主義の相違を検証した内容だが、著者は心理学者・神経科学者のため「脳科学」を謳うタイトルに疑問あり。原題にはない。タイトルの違和感が文章をまったりしたものにしてしまう。「楽観主義と悲観主義の新しい科学」と直訳するのが正解だろう。各トピックは興味深いのだが、文章に切れがない。

 20冊目『なぜ専門家の為替予想は外れるのか』富田公彦(ぱる出版、2015年)/富田は31年間プロディーラーを務めた人物。現在は中西健治参議院議員(みんな→自民公認予定)の政策秘書をしている。文体が剽軽(ひょうきん)すぎて2ちゃんねらーっぽいのがご愛嬌。腰を抜かしそうになったのだが、為替ディーラーの間ではテクニカル分析は使われていないという。今世紀初頭に絶滅したそうだ。ぶったまげた。また通貨にまつわる情報の殆どがデタラメかつインチキであることを2ちゃんねらー並みの口の悪さで罵倒している。ま、それでも私としてはチャーチストの道を歩むわけだが。