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2018-11-18

シリーズ中唯一の駄作/『疑心 隠蔽捜査3』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏
『果断 隠蔽捜査2』今野敏

 ・シリーズ中唯一の駄作

『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花 隠蔽捜査9』今野敏

ミステリ&SF

 まったく、恋愛というやつは理解に苦しむ。いや、恋愛感情を否定するわけではない。男女の関係にルールやしきたりがあるような風潮が理解できないのだ。
 もっと理解できないのが、あたかもこの世で一番大切なものが恋愛であるかのようなテレビドラマや映画が人気を博していることだ。世間の人々の関心事が恋愛なのではないかと思えてしまう。
 実際にそうなのかもしれない。
 そんな国は滅ぶ。竜崎は、本気でそう考えていた。(中略)
 思う人に思われない。いわゆる片思いというのが、恋の悩みの大部分を占めるのだろうが、恋愛に限らず人生うまくいかないのが当たり前だ。大人ならそれくらいのことは充分に認識できるはずだ。
 昨今、交際を断られたことが動機となる若者の凶悪犯罪が目立つ。社会的なトレーニングの欠如だろうと、竜崎は思う。
 断られることなで、長い人生においてはどうということはないのだ。だが、それを受け容(い)れることができずに、感情的になって犯行に及ぶのだろう。
 交際を断られたから、刺し殺した。
 無視されたから、殺した。
 振り向いてもらえなかったから、猟銃で撃ち殺した……。
 枚挙にいとまがない。
 こうした犯罪の一因として、恋愛至上主義ともいえる昨今の風潮があるかもしれない。

【『疑心 隠蔽捜査3』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)】

 その竜崎が生まれて初めて恋を経験する。ありきたりの展開は若い読者に向けたサービス精神の現れか。終始、感情移入することができなかった。堅物のキャリ官僚も一皮むけば普通の人間と変わらなかった、という話のどこが面白いのだろう? 中学生でも思いつくプロットだ。

 ただしシリーズ物としての意味がないこともない。隠蔽捜査シリーズの「.5」は短篇集なのだが、新しいストーリーに発展させているところはさすがである。

 恋愛至上主義は歌に始まる。思春期であればまだしも、年老いた演歌歌手までが男と女の心の綾を熱唱する。他に歌うものがないのだろうか? ないんだな、これが(笑)。俳句の伝統を思えばもっと自然や風景を歌うべきだし、社会風刺や流行、科学や技術革新、労働と生活、友情や信頼関係などが歌われるべきだ。「野球部に入っていると爪水虫になりやすいぞ」なんていう歌があったら俺は水虫にならなくて済んだのに。料理や算数の歌だってもっとあっていいはずだ。大体、相対性理論や量子力学が歌われていない現実がおかしいのだ。

 私の親友が恋の悩みを先輩に打ち明けた。「本当に相手のことを大切に思っているのか? そして結婚まで考えているのか?」と先輩は訊(き)いた。「はい」と応じると先輩は答えた。「君の気持ちが純粋なことはよくわかった。恋愛感情というのは時に美しく感じられるものだが本当は違う。我々男たちが最終的に考えているのは『やりたい』ってだけのことなんだ。その欲望をよく見極めて行動するように」と。

 恋愛とは優れた遺伝子を探す本能に基づく条件反射だ。美男美女(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ)に衆目が集まるのは、遺伝情報が顔に現れやすいためだ。均整のとれた体型も同様である。更に家柄・学歴は社会で生きてゆく上でのメリットであるが、基本的には子孫の生存率が高まることを意味する。人類の歩みを振り返れば男性の優位性は暴力・体力→政治力→財力とシフトしてきているように見える。政治力・財力は知力と置き換えてもよい。要は「他人からいかに奪うか」というのが男の本領であろう。

 自分に最適な遺伝子を見つける方法は案外簡単である。それは体臭だ。相手の体臭を「いい匂い」と感じれば、それが最もタイプの遠い遺伝子を示しており、自分の遺伝子と掛け合わせることで強い子供が生まれるという寸法だ。整形手術で顔は誤魔化せても体臭は変えようがない。

 ここで最大の疑問が生じる。なぜ人類は進化しているように見えないのだろう? 実に不思議なことだ。

 恋愛至上主義は自分が大切にされてこなかったことに対する反動だ。高度成長期にフォークやニューミュージックが一世を風靡(ふうび)したのも偶然ではあるまい。生活の豊かさが愛情を枯渇させたのだ。大事にされた経験が人の目方の中心を成す。軸の弱い人は風に翻弄されやすい。他人の視線や顔色を窺いながら自分の人生を見失ってゆく羽目に陥る。

「いのち短し 恋せよ乙女/あかき唇 あせぬ間に/熱き血潮の 冷えぬ間に/明日の月日は ないものを」(『ゴンドラの歌』大正4年〈1915年〉)――ま、「若いうちに子供を産め」って歌だわな。


2018-10-23

「ならば、変えなければならない」/『果断 隠蔽捜査2』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏

・「ならば、変えなければならない」

『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花 隠蔽捜査9』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 世間のことを知らなければ的確な指示が出せないという警察官僚もいるが、竜崎にいわせれば、その程度の者は警察官僚になるべきではない。一生現場にいればいいのだ。
 国家公務員がすべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ。竜崎はそう信じている。世俗の垢にまみれる必要などない。指揮官に求められるのは、合理的な判断なのだ。

【『果断 隠蔽捜査2』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】

 家族の不祥事で左遷の憂き目に遭った竜崎は警察署長となった。主人公が現場の最前線で指揮を執ると、やはりストーリーの精彩が上がる。立場が変わっても竜崎の信念が揺らぐことはなかった。彼は警察の仕事に心から誇りを抱いていた。

 前巻では父子の対話であったが、本巻ではPTAとの会話がエリートと大衆の落差を象徴している。発想が違うのだ。竜崎の発言にPTAはさることながら、教師や同行した警察幹部までが唖然とする。

 竜崎は、手を止めて貝沼を見つめた。貝沼の表情は読めない。真意がまったくわからなかった。
「じゃあ、方面本部が死ねと言えば、君は死ぬのか?」
「時と場合によありますが、そういうこともあるという覚悟はしております」
「警察の指揮系統と言ったが、それは幹部がまともな命令を下すという前提で重視されるべきものだ。そうじゃないか? 理不尽な命令に盲従する必要などない」
「ですが、それが警察というものです」
「ならば、変えなければならない」
 貝沼副署長が無表情のまま見返してきた。斎藤警務課長も、無言のまま立ち尽くしている。
「なんだ?」
 竜崎は、二人に尋ねた。「私は何か、おかしなことを言ったか?」
「いえ」
 貝沼副署長が言った。「本当に、野間崎管理官のことはよろしいのですか」
「いい」
「では、お任せします」
 ようやく二人は出て行った。
 竜崎にだって、二人が何を恐れているかくらいはわかる。警察というのは、古い体質が残っている。それは、ひょっとしたら明治に警察庁ができて以来変わらないのではないかとすら思えてしまう。冗談のようだが、いまだに薩長閥が幅をきかせている。

「ならば、変えなければならない」との一言に竜崎の真骨頂がある。清濁併せ呑んで物分かりがよくなることが大人なのではない。大人とはある責任を引き受けた上で若者の手本となる人物をいうのだ。幾度となく煮え湯を呑まされている内に精神が澱(よど)み、濁ってゆく男がそこここにいる。彼らが上司に逆らったり、組織を改革することはないだろう。せいぜい酒場で他人の悪口を言うのが関の山だ。

 官僚組織の複雑さを初めて知った。野間崎は役職が竜崎よりも上だがノンキャリアだ。キャリア組も同様で役職よりも入庁年度がものを言うらしい。

 もちろん竜崎一人が頑張ったところで警察組織が変わるはずもない。だが署内は確実に変わってゆく。

 捜査が差し迫ってゆく中で竜崎の妻が倒れる。ラストシーンでやり取りされる夫婦の会話が短篇小説のように味わい深く、静かな余韻を響かせる。

2018-10-22

真のエリートとは/『隠蔽捜査』今野敏


『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤

 ・真のエリートとは

『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花 隠蔽捜査9』今野敏
『惣角流浪』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 東大以外は大学ではない。それは実を言うと竜崎自身の考えというよりも、省庁の考え方だ。
 毎年国家公務員I種試験の合格者が省庁詣でをする。人気の高い省庁の側では、すでに対応は決まっている。どんなに試験の成績がよくても、私立大学や三流大学の卒業生は取らない。人気省庁にとって、大学というのは東大と京大しかないのだ。

【『隠蔽捜査』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)以下同】

 主人公は警視庁のキャリア官僚という毛色の変わった警察モノだ。役所と聞けば「融通が利かない」との答えが導かれる。竜崎は原理原則に忠実な堅物で節を枉(ま)げることがない。それは「決まりだから」という言いわけによるものではなく、原則が合理性に基づいているとの信念からである。時を経て信念は生き方そのものになっていた。

 彼の判断が厳しく感じるのは、我々が情に傾き理を侮っているためか。竜崎は周囲や家族に対して情け容赦がなかった。そして自分自身にも。

 それまで顧みることがなかった家庭が揺れる。大学浪人の一人息子がトラブルを起こしたのだ。

「それって何だ?」
「自分が正しいと思っていることを、家族に押しつけてんだよ」
「これ以上に正しいいことがあるか? 官僚の生活というのはこういうものだ。父さんなんてまだましなほうだ。財務省や外務省の高級官僚は、それこそ週に何日も家に帰れないんだ」
「だから、俺は嫌だったんだ」
「何がだ?」
「東大に入って、官僚になるという父さんの押しつけが、だ。俺、そんな人生、まっぴらだ」
「おまえは、何年生きた?」
「18年だ。子供の年も覚えていないのかよ」
「父さんは、46年だ。若い頃は全国を転々として見聞も広めた。おまえとは人生経験が違う。どちらの判断が正しいと思う?」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「俺の人生は俺のものだってことだ」
 竜崎は、この陳腐な言い回しに、またしてもあきれてしまった。
「そんなことはわかりきっている。だから、若いうちに可能性を増やせと言っただけだ。官僚になるかどうかは、東大に入ってから考えればよかったんだ。別に官僚になることを強制したわけじゃない。いいか。東大には日本の最高の英知と技術が集中している。東大に入るだけで、できることが格段に増えるんだ。それを利用しない手はない」
「利用だって……?」
「そうだ。おまえの人生はおまえのものだと言った。ならば、その人生のためにあらゆるものを利用しないと損じゃないか。利用するなら、最高のものを利用したほうがいい。東大はそのための一つの条件に過ぎない。だが、その条件すらクリアできないで、人生、好きに生きたいなどと言っているのは、所詮、負け惜しみに過ぎないじゃないか」
 邦彦は、ぽかんとした顔で竜崎を見ている。何も言い返せない様子だ。

 これは大衆とエリートとの対話だ。竜崎の言葉は常に単純なため時に誤解を生む。ところが彼の言い分には明確な目的意識があった。

 省庁が「東大以外は大学ではない」と考えるのも一つの見識なのだろう。そんな彼らが仕える政治家の多くが東大出身ではない。ネット上で元官僚の人物が安倍首相の学歴を嘲るのを見たことがある。で、その元官僚はといえば、全く売れない本を上梓しながら糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだ。学歴至上主義は知性を野蛮な性質に変える。しかも、よくよく見つめればそれは知性というよりも記憶力中心の学力に過ぎない。極論を述べれば、「東大生だけで、いざ戦争となった場合に勝てるかどうか?」まで考える必要があろう。

 偏屈な官僚が少しずつ魅力的な人間に変わってゆく。このシリーズで今野敏も化けたに違いない。思わず一気に全作を読破した。

 ここに描かれている真のエリート像を通して、日本型ピラミッド組織の脆弱さを思わずにはいられなかった。それを面白がって読む自分にも問題がある。竜崎は官僚の域を脱しておらず、武士道にまで至っていない。次の戦争の弱点が露(あら)わになっているような気がしてならない。

 かつて「近藤史恵は男が描けていない」と書いた(『サクリファイス』近藤史恵)。本書を読めばたちどころにその意味がわかるだろう。

2018-09-29

玉に瑕ある傑作/『ジェノサイド』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明

 ・自虐史観のリトマス試験紙
 ・玉に瑕ある傑作

『実際のところ、約600万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれした生物は、猿人、原人、旧人、新人と姿を変える過程で、進化の速度を明らかに加速させている。人類の進化は、明日にでも起こり得るのである。
 現生人類から進化を遂げた次世代のヒトは、大脳新皮質をより増大させ、我々をはるかに凌駕(りょうが)する圧倒的な知性を有するはずである。その知的能力を、オリヴィエはこのように想像する。「第四次元の理解、複雑な全体をとっさに把握すること、第六感の獲得、無限に発展した道徳意識の保有、特に我々の悟性には不可解な精神的特質の所有」
 このような次世代の人類が出現し得る場所は、文明国ではなく、周囲との交通が遮断された未開の地である可能性が高い。こうした地域に住む少数の集団では、個体レベルの遺伝子変異が集団間に定着しやすいためである。
 では、新たに誕生したヒトは、どのように行動するだろうか。間違いなく言えることは、我々を滅ぼしにかかるだろうということである。現生人類と次世代の人類、この二つの生物種は生態的地位(エコロジカル・ニッチ)が完全に一致するため、我々を排除しない限り、彼らの生息場所は確保されない。その上、彼らから見た現生人類とは、同種間の殺し合いに明け暮れ、地球環境そのものを破壊するだけの科学技術を持つに至った。危険極まりない下等動物なのだ。知的にも道徳的にも劣った生物種は、より高度な知性によって抹殺される。
 人類の進化が起これば、ほどなくして我々は地球上から姿を消す。北京原人やネアンデルタール人と同じ運命を辿るのである――』

【『ジェノサイド』高野和明(角川書店、2011年/角川文庫、2013年)】

 私が初めて読んだ高野作品である。文章といい筋書きといい文句なしなのだが、如何せん自虐史観を披露してしまっている。20年前に出版されていたなら大ベストセラーとなっていたことだろう。「たまたま」とか「迂闊」(うかつ)で済ませるわけにはいかない。たぶん高野和明は真性の左翼だろう。

 それでも読む価値はある。ルワンダ大虐殺にも触れていてジェノサイドのメカニズムが巧みに説明されている。歴史認識のリトマス試験紙と考えれば有意な一冊といってよい。

 高野は満を持して本書を執筆したに違いない。自虐史観に対する批判も承知の上で書いたのだろう。そもそも大衆は近代史などに興味がない上、義務教育もマスコミも自虐史観を踏襲しているのだ。一定のファン層を拡大してしまえば、小さな嘘は見過ごされる可能性が高い。そんな思惑があったのではないか。

 無知な人々は嘘を見抜けない。そして人は漫然と見過ごす情報にマインドをコントロールされてゆく。「知は力」(フランシス・ベーコン)なのだがその力はプラスにもマイナスにも働く。

 ソ連が崩壊し冷戦構造に終焉を告げたわけだが左翼は死んでいなかった。驚くべき事実である。特に「新しい歴史教科書をつくる会」(1996年設立)や第一次安倍内閣(2006年)、第二次安倍内閣(2012年)に対して新聞・テレビを巻き込んで尖鋭的な動きが出てきた。

 就中、2017年5月3日、第19回公開憲法フォーラムに寄せたビデオメッセージで安倍首相が憲法改正に向けて踏み込んだ発言をするや否や、野党と新聞・テレビは森友学園問題~加計学園問題を執拗(しつよう)に取り上げ始めた。政権バッシングのキャンペーンともいうべき現象で国会は1年間にわたって空転を余儀なくされた。北朝鮮が核開発を行い、中国が領空・領海侵犯を繰り返す状況にありながら、国会では学校の許認可を巡る議論が継続されてきたのは異常事態といってよい。

 国を貶める行動や言論を放置し続けてきたツケが回ってきたのだ。スパイを取り締まる法律すら作ることなく、海外マネーが政党に流れるような国である。戦争でも起こらない限り目を覚ますことは難しいだろう。

ジェノサイド 上 (角川文庫)
高野 和明
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ジェノサイド 下 (角川文庫)
高野 和明
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2018-09-27

魔女狩りと骨髄移植/『グレイヴディッガー』高野和明


『13階段』高野和明

 ・魔女狩りと骨髄移植

『魔女狩り』森島恒雄
『幽霊人命救助隊』高野和明
『ジェノサイド』高野和明

 井澤は頷いた。口の中を潤(うるお)すためか、喉をごくりと鳴らせてから語り始めた。「当時のヨーロッパで、イングランドだけが、例外的に魔女狩りの被害を免れていたんです。犠牲者は、数百人程度に抑えられました。大陸とは違って、拷問を受けつけない法体系を持っていたことが理由に挙げられますが、もう一つ、歴史の闇に埋もれた奇怪な話があるのです。『グレイヴディッガー』の伝説です」
 その聞き慣れない単語は、しかし確かな重量感をもって耳の奥で反響した。「グレイヴディッガー?」
「ええ。英語で、『墓掘人』の意味です。魔女迫害の機運がイングランドに及んだ頃、異端審問官たちが何者かによって虐殺されるという事件が起こりました。魔女裁判と同じ拷問の方法を使ってね。それに怖れをなした異端審問官たちが、魔女狩りを自粛したのではないかというのです。今となっては事件の真相は分かりません。しかし当時の人々は、拷問によって殺された男が墓の中から甦り、自分を殺した者たちに復讐をしたのではないかと噂しました。そして、この甦った死者を、『グレイヴディッガー』と呼んだのです」

【『グレイヴディッガー』高野和明(講談社、2002年/講談社文庫、2005年/角川文庫、2012年)】

 筋書きが少々込み入っているのだが十分楽しめた。魔女狩りと骨髄移植の勉強にもなる。

 ただし、「魔女狩りなどを行なう集団は、もはやありません」というのは誤り。キリスト教ではないがアフリカでは現在も魔女を火炙(あぶ)りにすることがあり、動画がアップされている。魔女を殺すのは魔女の力を信じている証拠だ。そこに魔女狩りの矛盾がある。

 高野はもともと脚本家だけあって科白(せりふ)やどんでん返しが巧みだ。グレイヴディッガーが実際に存在したかどうかはわからぬが、これを真似た連続殺人には目を惹かれる。

 物語は一日の出来事である。それゆえ週末の夜に一気読みするのが正しい(笑)。

グレイヴディッガー (講談社文庫)
高野 和明
講談社
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2018-09-26

曖昧な死刑制度/『13階段』高野和明


 ・曖昧な死刑制度

『グレイヴディッガー』高野和明
『幽霊人命救助隊』高野和明
『ジェノサイド』高野和明

必読書リスト その一

「それで」と南郷は続けた。「他人を殺せば死刑になることくらい、小学生だって知ってるよな?」
「ええ」
「重要なのはそれなんだ。罪の内容とそれに対する罰は、あらかじめみんなに伝えられてる。ところが死刑になる奴ってのはな、捕まれば死刑になると分かっていながら、敢えてやった連中なのさ。分かるか、この意味が? つまりあいつらは、誰かを殺した段階で、自分自身を死刑台に追い込んでるんだ。捕まってから泣き叫んだって、もう遅い」南郷は、苛立った口調になった。頬のあたりの筋肉が、心の奥底の憎悪を押し殺そうとするかのように硬く緊張している。「どうしてあんな馬鹿どもが、次から次に出てくるんだろうな? あんな奴らがいなくなれば、制度があろうがなかろうが、死刑は行なわれなくなるんだ。死刑制度を維持しているのは、国民でも国家でもなく、他人を殺しまくる犯罪者自身なんだ」

【『13階段』高野和明(講談社、2001年講談社文庫、2004年/文春文庫、2012年)】

 傑作といってよい。少し迷ったが「必読書」に入れた。迷ったのは他の作品が左翼史観にまみれているためだ。高い知性が正しい判断を導くとは限らない。欧米では神と悪魔を信じる科学者もいまだ多い。人の判断は情緒や情動に基づいているのだろう。

 私は死刑制度はあって然るべきだと考える。若い頃は反対の立場だった。死刑制度そのものが人の命を奪うことを正当化する矛盾を孕(はら)んでいる。生命が尊厳であるならばそれを踏みにじることは誰にも許されない。たとえどんな理由があったとしても。

 私の考えが変わったきっかけは二つあった。一つは「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989年)である。4人の犯人は少年法で守られた。バブル崩壊(1991年)もさることながら、この事件は日本のモラルが崩壊する方向へと扉を開いた。本来であれば速やかに少年法を改正して厳罰に処すべきだった。法律のテクニカルなことはわからぬが勾留中に法改正をしていれば何とかなったのではないか。彼らは死をもって罪を償うのが当然だ。犯行現場が共産党員宅であったことが報道の熱を下げた節も窺える。息子のC少年が去る8月に殺人未遂事件を起こした湊伸治〈みなと・しんじ〉である。

 チンパンジーの世界で群れを危険に陥れる行動をした者はその場で撲殺されることを知った。確かドゥ・ヴァールの本だったと記憶する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』)。瞬時に死刑の意味を悟った。コミュニティを崩壊させる異分子を排除する目的で死刑は行われるのだ。死刑にはその血を絶やす意味もあったことだろう。

 左翼は死刑制度反対をイデオロギーの道具として活用する。彼らの活動は破壊に目的があり、国家の現体制に混乱を招くことができれば何でも利用するのだ。犯罪者の人権を声高に主張するのも仲間の多くが犯罪者のためだろう。

 定年間近の刑務官が仮釈放中の若者に仕事の声を掛ける。死刑囚の冤罪を晴らすための調査を依頼されたというのだ。しかも報酬は破格だった。若者の罪状は傷害致死。人を殺す意味が重層的に示され、曖昧な死刑制度にも踏み込んでいる。

2018-08-23

楽園の現実/『エデン』近藤史恵


『サクリファイス』近藤史恵

 ・楽園の現実

『サヴァイヴ』近藤史恵
・『キアズマ』近藤史恵
・『スティグマータ』近藤史恵
・『逃げ』佐藤喬

 時速90キロの風の中、慎重にハンドルを切る。
 勝てるかどうかわからない。だが、はじめて知った。そのわからないことが希望なのだと。

【『エデン』近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉(新潮社、2010年/新潮文庫、2012年)以下同】

 チカこと白石誓〈しらいし・ちかう〉がツール・ド・フランスで活躍する。無論、エースではなくアシストだ。

「新潮ケータイ文庫DX」で連載されたようだ。ウェブサイトが見つからないので既に撤収か。連載物は読者の興味をつなぎ留めるため通俗的な内容になりやすい。新聞小説など分量が短ければ短いほど難しいような気がする。

 時折光る文章がちりばめられていて軽い読み物で終わらせない執念が窺える。

「賢いとは言えないが、尊敬に値するな」

「サクリファイスシリーズ」は全てのタイトルがカタカナ表記になっており意味がわかりにくい。巻頭に説明があった方がいいだろう。

 プロ自転車レース最高峰のツール・ド・フランスは楽園ではなかった。複雑な駆け引き、敵チームへの妨害、勝つためには薬物にも手を伸ばすことも辞さない修羅闘諍(しゅらとうじょう)の世界であった。

 自転車に興味がなくとも十分楽しめる内容だ。

エデン (新潮文庫)
エデン (新潮文庫)
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近藤 史恵
新潮社 (2012-12-24)
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2018-08-20

ツール・ド・フランス/『サクリファイス』近藤史恵


 ・ロードバイクという名のマシン
 ・ツール・ド・フランス

『エデン』近藤史恵
『サヴァイヴ』近藤史恵
・『キアズマ』近藤史恵
・『スティグマータ』近藤史恵
・『逃げ』佐藤喬

 世界でいちばん有名なレースであるツール・ド・フランスでは、3週間にわたって、1日150キロ以上の距離を走り続け、その間、何度も峠を越える。走行距離は3000キロを越え、高低差は富士山を9回上り下りするのに匹敵する。しかも、2日ある休養日を除けば、1日たりとも休むことは許されない。休んだ時点で、リタイアとなる。

【『サクリファイス』近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】

 本州縦断(※青森県下北半島の大間町から山口県下関南霊園まで)の距離が太平洋側で紀伊半島をぐるっと回っても2000km少々である。富士山を9回上れば3.4万mだ(因みにエベレストの標高は8848m)。実際は自転車だと5合目(2305m)までしかゆけないので15回上る高さである。我が家から富士山5合目までの距離は約100kmだから、15往復すればツール・ド・フランスを体感することができる。現状ではまだ道志みちにすら辿り着いていない(笑)。ツール・ド・フランスの道も一漕ぎから始まることを銘記しておく。

 プロレーサーの足は獣(けもの)さながらのスピードを出し、自動車にも匹敵する。ツール・ド・フランスの平均速度は時速40kmを超え、平地では70km、下りだと120kmに迫る。凄い。全く凄いとしか言いようがない。オリンピック、サッカーワールドカップと合わせて世界3大スポーツと呼ばれるのも納得できる。


 近藤史恵は自転車を買おうと色々調べているうちに競技レースを知り、すっかりハマってしまったという。一度もロードバイクに乗ったことがないにもかかわらず、これだけのストーリーを練り上げるのだから、やはり作家の創造力恐るべしと唸(うな)らされる。私自身はレースにとんと興味がない。ギャラリーがクズ過ぎてレースの障害となることが少なくないからだ。また、クラッシュシーンを見るたびにスタートを時間差にするなど何らかの工夫をするのが先だと思う。

 また初めて知ったのだが自転車レースでは他チーム選手と力を合わせることも珍しくないそうだ。高専柔道が軍事的であるとすれば、自転車レースは極めて政治的である。1チームは8人で編成されるがエース以外は全員がアシストだ。

 栄光のツール・ド・フランスはランス・アームストロング(1999年から2005年まで7連覇を成し遂げたアメリカ人選手)のドーピングによって失墜した。

 自己輸血。それはドーピングの一種だ。
 なにもないときに、自分の血液を抜いておき、それを冷凍保存する。そしてレースの前に輸血するのだ。そうすれば赤血球の量も普段より増え、パフォーマンスが上がる。もちろん禁じられているが、ものは自分の血液だ。ヘマトクリット値の上限にさえ気をつければ、一般のドーピングテストではまだ発見することが難しい。

 手口がここまで巧妙になると単なるインチキというよりは、各国で軍事的な研究が行われているような気がしてくる。ロボット兵器の研究開発費用を思えば、兵士の耐性をドラッグで高める方が安上がりだと考えても不思議ではない。

 ランス・アームストロングが史上最強と思いきやそうではなかった。区間優勝回数ではエディ・メルクス(ベルギー)が34回で、アームストロングの22回を軽々と上回っている。


 主人公がかつて交際していた初野香乃〈はつの・かの〉という女性が出てくるのだが、女性としての魅力が全くない。しかも障碍者スポーツマンと恋愛関係となった後のことが描かれておらず、単なる馬鹿女で終わってしまっている。更に名前がよくない。凝ったネーミングを付けるには相当なセンスが必要で、風変わりな印象にとどまっている。

 既にサクリファイスシリーズは全部読んだので先走って結論を書いてしまうが、近藤史恵は「男」が描けていない。チカの柔らかな印象は巻を重ねることにイライラさせられる。なぜか? それは彼が男ではなくて女だからだ。で、チカのキャラクターを確立させすぎて香乃の影が薄くなっている。

 それでも本書が面白いことに変わりはない。

サクリファイス (新潮文庫)
近藤 史恵
新潮社
売り上げランキング: 17,310

真のエリートとは/『隠蔽捜査』今野敏

2018-08-13

ロードバイクという名のマシン/『サクリファイス』近藤史恵


 ・ロードバイクという名のマシン
 ・ツール・ド・フランス

『エデン』近藤史恵
『サヴァイヴ』近藤史恵
・『キアズマ』近藤史恵
・『スティグマータ』近藤史恵
・『逃げ』佐藤喬

 かちり、とシューズがビンディングペダルにはまった。
 こぎ出す瞬間は、少し宙に浮くような、頼りない感覚。だが、それは2~3度ペダルを回すだけで消える。
 ホイールは、歩くよりも軽やかに、ぼくの身体(からだ)を遠くまで運ぶ。サドルの上に載った尻(しり)など、ただの支えだ。緩やかに回すペダルと、ハンドルで、ぼくの身体は自転車と繋(つな)がる。
 この世でもっとも美しく、効率的な乗り物。
 最低限の動力で、できるだけ長い距離を走るために、恐ろしく計算され尽くした完璧(かんぺき)なマシン。これ以上、足すものもなく、引くものもない。空気を汚すことすらないのだ。
 自転車の中でも、より速く走るためだけに、ほかのすべての要素をそぎ落としたのが、ロードバイクだ。

【『サクリファイス』近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】

 書き出しの文章である。即物的で完結な文体がハードボイルド好きには堪(たま)らなく魅力的だ。ロードバイクという名のマシンを雄弁に物語る。ところが主人公のチカこと白石誓〈しらいし・ちかう〉は細やかな精神の持ち主で、普通ならば短所になるであろう優柔さが独特の個性を醸(かも)し出している。文章のハードさと人間の柔らかさのバランスこそが本書の魅力といってよい。

 初めて知ったのだが自転車レースはチーム主体で高専柔道や七帝柔道と同じ考え方をする。チームのエースを支える「アシスト」という役割は、高専柔道の「分け役」とそっくりだ。つまり最初から「勝つことを許されない」メンバーがいるのだ。チーム競技には何らかの犠牲が伴うが(例えば野球のバントなど)、メンバーそのものが犠牲になる競技は少ない。スピードスケートのチームパシュートと少し似ているが順位は飽くまでも個人のものである。

 チカはアシスト役であった。

 ときどき、思うのだ。
 自らの身を供物(くもつ)として差し出した月のうさぎの伝説のように、自分の身体(からだ)をむさぼり食ってもらえれば、そのときにやっと楽になれるのではないかと。
 だが、現実にはそんなことは起こりえない。
 むしろ、それは、ひどく尊大で、人に負担を強いる望みだ。
 だれも、他人の肉を喰らってまで生きたいとは思わないだろう。
 月のうさぎは、美しい行為に身を捧(ささ)げたわけではなく、むしろ、生々しい望みを人に押しつけただけなのだ。

「サクリファイス」(生贄〈いけにえ〉、犠牲)の所以(ゆえん)である。スポーツや芸術は才能で決まる世界だ。才能がない者はいかに努力しても栄冠を手にすることはできない。才能のある者が努力をしてしのぎを削る。トップアスリートとは天に選ばれたほんの一握りのエリートを指す。私は中学生の時、札幌優勝チームの4番打者であったが、自分に野球の才能がないことを思い知らされた。その程度の高みですら真実はわかるものだ。

 どんな分野でもそうだが上の次元を知ることで概念が変わる。趣味としてのサイクリングであっても競技レースの世界を知ることで体の動きが微妙に変化する。スピードと効率が上がれば楽しさも増す。

 ミステリの味付けはスパイス程度で純粋な小説として十分楽しめる。瑕疵(かし)は改行の多さと凝(こ)った名前くらいか。あと、近藤史恵は「身体」(からだ)と書いているが、「身」は妊婦を意味するので「体」と書くべきだろう。

サクリファイス (新潮文庫)
近藤 史恵
新潮社
売り上げランキング: 33,328

2018-04-05

懲役10年の満期前日に男はなぜ脱獄したのか?/『生か、死か』マイケル・ロボサム


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『初秋』ロバート・B・パーカー
『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ
『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン

 ・懲役10年の満期前日に男はなぜ脱獄したのか?

『誠実な嘘』マイケル・ロボサム
『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ

必読書リスト その一

「なぜあなたちは親しかったの?」
 興味深い問いであり、モスがいままで本気で考えたことがない問題だ。人はなぜだれかと親しくなるのか。共通の趣味。似た経歴。相性。自分でオーディの場合、どれもあてはまらない。服役中ということ以外に共通点はなかった。特別捜査官は返事を待っている。
「あいつは落ちなかった」
「どういうこと?」
「こういう場所で腐っていくやつもいる。歳を食って根性が曲がり、悪いのは世の中で、こうなったのは子供のころさんざんな目に遭ったからとか、環境に恵まれなかったからとか、そんなふうに自分を納得させる。神を罵(ののし)ったり追い求めたりして時間を過ごすやつもいる。絵を描いたり詩を作ったり古典文学を研究したりってやつもいる。ほかには、バーベルを持ちあげたり、ハンドボールをしたり、自分が人生を投げ出す前に愛してくれた女に手紙を書いたり。オーディはそんなことをひとつもしなかった」
「じゃあ何をしたの?」
「耐えつづけた」

【『生か、死か』マイケル・ロボサム:越前敏弥〈えちぜん・としや〉訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2016年/ハヤカワ文庫、2018年)以下同】

 よもや、これほどのミステリと遭遇するとは予想だにしなかった。やはり長生きはするものだ。10年間服役した男が出所予定日の前日に脱獄をする。その理由は最後まで判らない。

 主人公のオーディ・パーマーは現金輸送車強奪事件の共犯者とされた。700万ドルの行方は杳(よう)として知れなかった。服役囚はパーマーに群がり、脅し、痛めつけた。その上、刺客まで送り込まれた。

 モス・ジェレマイア・ウェブスターは黒人の中年でたった一人の友人だった。モスの話は続く。

「聖書を盾に2000年も屁理屈をこねてると、爆弾を落として人を殺しまくって、それを正しいと言い張るようになる。隣人を愛し、打たれたら別の頬を向けろと書いてあるのに」

 願わくは「2発の原爆」としてもらいたかったところだ。

「ここにいるたいがいの連中は自分が強いと思いこんでるが、そうじゃないことも毎日思い知らされてる。オーディは10年間耐え抜いた。週に一度は看守が房へ来て、赤毛の継子(ままこ)いじめみたいに殴ってあんたと同じようなことをあれこれ尋ねた。そのうえ、昼間はメキシコのマフィアだの、テキサスのシンジケートだの、アーリアン・ブラザーフッドだの、その他もろもろのちんけな与太者(よたもの)までが喧嘩を売ってきた。
 欲や権力と関係のない、特殊な思いをかかえたやつらもここにはいる。たぶん、オーディにはそういう連中がぶち壊したくなるものが具わっているんだろう――悠然(ゆうぜん)たる態度とか、心の平安とか。そういう屑(くず)どもは人を傷つけるだけでなく、むさぼりつくさないと気がすまない。相手の胸を切り開いて心臓を食らい、顔から血がしたたって歯が赤く染まるまでな。
 事情はどうあれ、オーディは入所初日から殺しの請け負いの対象で、1か月前にはそれがいっそう過激になった。刺され、首を絞められ、殴られ、ガラスで切りつけられ、火傷(やけど)を負わされた。それなのに、あいつは憎しみも後悔も弱気も見せなかった」

 オーディは刑務所にあって超然としていた。映画『ショーシャンクの空に』が監獄モノに与えた影響は大きい。周囲の環境に染まらず、流されることのない生き方がどこか出家の覚悟を思わせる。

 オーディにはある目的があった。彼は生き延びなければならなかった。たった一つの約束を守るために。

「溺れかけていたのを、ミゲルが助けてくれた」

 この一言を目にした時、涙が溢れ出た。山本周五郎宮城谷昌光にも通じる世界だ。

「ひとりの人間がこれほどの不運とこれほどの幸運を経験できるものなのね」

 FBI女性捜査官デジレー・ファーネスの言葉が本書の内容を見事に言い当てている。

 

2017-10-01

ヴァレリー艦長の威厳/『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ

 ・ヴァレリー艦長の威厳

必読書リスト その一

 また長い咳き込みがあり、長い間があり、ふたたび口をひらいたとき、声の調子はまったく変わっていた。それはあまりにしずかな声だった。
「私は諸君になにをたのんでいるか、よくわかっている。諸君のだれもが、いかに疲れ、いかにみじめな、苦しい思いをしているか、私にはわかる。私は知っている――だれよりも知っている――諸君がどんな目に会(ママ)ってきたか、いま諸君にとって、なにがいかに必要か、諸君が休養を得るにふさわしいか。休養はあたえられる。18日ポーツマスに入港、さらにアレキサンドリアで艦修復の予定だが、その間、乗組員全員に10日間の休暇が許される」自分にはなんの意味も持たないかのような、無造作な言葉だった。「だが、その前に――残酷な、人道を無視したことにきこえるだろうが――いや、きこえないはずはない――いまいちど諸君に、それも諸君がかつて味わったことのないほどのものに耐えてくれと、たのまねばならない。だが、私にはいかんともしがたい――だれにもしがたいのだ」ひとことごとに、ながい沈黙がつづいた。艦長の声はひくく、そして遠く、言葉をききわけるのがむずかしかった。
「だれにも、諸君にそれをやってくれという権利はない。だれよりも私にはない……この私には。だが、諸君がかならずやってくれることを、私は知っている。私は信じている。諸君が私を見すてないことを、諸君がユリシーズを送りとどけてくれることを。幸運を祈る。幸運と神のご加護を。そして、いい夜(グッド・ナイト)を」

 拡声器の音は消えた。だが、静寂はつづいた。だれもしゃべらず、だれもうごかない。目さえうごかない。拡声器をみつめていた者は、なおも呆然とみつめている。両手に目をおとしている者、疲れた目にひりひりとしみる煙も忘れて、禁じられたたばこの赤い火をじっと見ている者。それはまるで、だれもが自分ひとりになって、自分の心をのぞき、自分ひとりの考えをすすめようとしているみたいだった。ほかの者と目が会(ママ)えば、もう自分ひとりにはなれないと思っているかのようだった。それは異様な、一種幻妙な静寂、人間がおよそまれにしか味わうことのないあの無言の悟入であった。ヴェールがあがって、ふたたびおりる。人はなにかをかいま見たのか思いだすことはできないが、なにかを見たことを、二度とおなじものはあらわれないことを知っている。それはめったに、ほんと(ママ)にめったにあるものではない。それは絶妙なたぐいない日没の一瞬、偉大なシンフォニーの一断片、大闘牛士の剣があやまたず突き刺されたとき、マドリードとバルセロナの巨大なリングをつつむ恐ろしい静寂。スペイン人は、それをたくみによぶ――〈真実の瞬間〉と。

【『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン:村上博基〈むらかみ・ひろき〉訳(ハヤカワ・ノヴェルズ、1967年)/ハヤカワ文庫、1972年/原書は1955年】

「ジャック・ヒギンズを知らない? 死んで欲しいと思う」と内藤陳〈ないとう・ちん〉が見出しに書いたのは1983年であった(『読まずに死ねるか!』)。私がヒギンズを読んだのは丁度同じ頃で、それ以降ミステリや冒険小説にハマった。『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ:菊池光訳、早川書房、1976年/完全版、1992年)、『初秋』(ロバート・B・パーカー:菊池光訳、早川書房、1982年)、そして本書の3冊は金字塔といってよい。


 再読は一度挫けている。文章が硬質なため一定の覚悟を持たなければ読むのが困難だ。上記テキストは100ページの手前だが、ここに辿り着けば後は一気読みである。

 ヴァレリー艦長の威厳と影の濃い群像がユリシーズ号そのものであった。戦争の悲惨・矛盾を記しながらも決して子供じみた平和論に堕していない。

 フィクションということもあろうが、ここには旧日本海軍のようなビンタやリンチがない。私は日本文化をこよなく愛する者だが、日本に特有のいじめや村八分といった気風を嫌悪する。

 男の曲がった背中を正す物語として本書は永く読まれることとなるだろう。

2017-07-25

魂の到着を待つスー族/『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン


『罪』カーリン・アルヴテーゲン
『喪失』カーリン・アルヴテーゲン

 ・魂の到着を待つスー族

『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄

ミステリ&SF

 彼女はアメリカ先住民のスー族のことを思った。1950年代、彼らは大統領との会見のためにノース・ダコタにある先住民居住地から飛行機に乗せられた。ジェット機は彼らを数千キロ離れているワシントンDCまで運んだ。首都の空港到着ロビーに足を踏み入れた彼らは床に座り込んだ。待機しているリムジンへどんなに勧めても無駄だった。彼らはそのまま1ヵ月その場に座り続けた。飛行機に乗せられて運ばれたからだと同じ速さで移動することができない魂を待っていたのだった。30日後、彼らはやっと大統領に会う用意ができた。
 もしかすると、わたしたちに必要なのはそれではないだろうか? 生活をなんとか全部機能させようと必死に努力をする、ストレスいっぱいのわたしたち。わたしたちは腰を下ろして、ゆっくりするべきではないのだろうか。だが、わたしたちはすでに腰を下ろしているのだ。魂の到着を待つためにではなく、居間でそれぞれが自分のコーナーに座る。なんのために? テレビでお気に入りのドラマを心ゆくまで見るために。ほかの人間たちの欠点や短所を笑い、人間関係の失敗を楽しむのだ。いったいどこまで愚かなのだろう? そして自分自身の行動を反省するのを避けるために、面白くなくなったらすぐにチャンネルを変える。離れたところではほかの人間たちを批評するほうがずっと楽なのだ。

【『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン:柳沢由実子〈やなぎさわ・ゆみこ〉訳(小学館文庫、2006年)】

 夫婦の擦れ違いを描いたサスペンスである。一度挫けているのだが、このテキストを探すために再読したところ一気に読み終えた。やはり読書は知的体調に左右されるのだろう。カーリン・アルヴテーゲンの第3作目でここまではハズレなし。

 私がインディアンや台湾原住民に憧れるのは彼らに自然な進化の度合いを感じるためだ。ヒトは文明を手に入れ、そして逞しい生命力を失った。国家は人間を社員(≒納税者)に変えてしまった。もちろんインディアンを理想視するつもりはない。一部に暴力的な衝突があったことも確かである。それでも彼らが有する「人間の貌(かお)」に私は惹(ひ)かれる。

 平仮名が多すぎて読みにくい文章だ。せめて「からだ」は漢字表記にすべきだ。ボーっとしていると助詞のように読めてしまう。

 時間論として捉えると面白味が一段と増す。スー族は文明の不自然さを嫌ったのだろう。私も若い頃から乗り物のスピードが人生に及ぼす影響について考え続けてきた。走るスピードを超えた時、何かが変わるはずだ。速度は空間を圧縮する。とすれば小規模な双子のパラドックスが起こると考えてよかろう。スー族は人間の分際を弁えていた。

 私の疑問については本川達雄が見事に答えてくれている。次回紹介する予定。

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テクノロジーは人間性を加速する/『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー

2016-10-15

電気を知る/『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『コフィン・ダンサー』 ジェフリー・ディーヴァー
『エンプティー・チェア』ジェフリー・ディーヴァー
・『石の猿』ジェフリー・ディーヴァー
・『魔術師(イリュージョニスト)』ジェフリー・ディーヴァー
・『12番目のカード』ジェフリー・ディーヴァー
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー
『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー

 ・電気を知る

『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー

 人は5000年以上前に電気というものを知って以来、畏怖と恐怖を抱いてきた。電気(electricity)の語源はギリシャ語の“琥珀”(こはく)だ。古代人は、樹脂の化石である琥珀をこすって静電気を起こしていたからだ。エジプトやギリシャ、ローマの川や沿岸地域に生息するうなぎや魚が発する電気に触れると体が痺れる現象は、西暦紀元のはるか以前に著された科学文献にもすでに詳しく説明されている。

【『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2012年/文春文庫、2015年)以下同】

 リンカーン・ライム・シリースの第9作で、『ウォッチ・メイカー』(第7作)の変則的な続篇である。系統としては『青い虚空』と同じくライフラインをコントロールするテロだ。犯人は送電システムを自由自在に操り、ニューヨーク市への送電を予告なしに50%削減することを要求する。

 ジェフリー・ディーヴァーの作品は謎解きに目を奪われると、どんでん返しというパターンが食傷気味になってしまう。ゆえに蘊蓄(うんちく)本として読むのが正しい。「電気を知る」と思えばこれに優る良書はない。

「人を死なせるには、何アンペア必要だと思いますか。交流電流で100ミリアンペア。それだけであなたの心臓は細動を起こす。あなたは死んでしまうんです。100ミリアンペアは、1アンペアのたった10分の1ですよ。電気店で売ってるごく一般的なヘアドライヤーは10アンペア消費する」
「10アンペア?」サックスはかすれた声で訊き返した。
「そうです。ヘアドライヤーの一つで。10アンペア。ちなみに、電気椅子も10アンペアで職務を果たします」

 その微量に驚かざるを得ない。尚、原文はどうあれ「一つで」の後は読点にすべきだろう。校正が甘い。

 人体は電気信号で動いている。脳波や心電図は電気活動を記録したものだ。神経とは「神気の経脈」の謂(いい)で日本語初の翻訳書『解体新書』(オランダ語『ターヘル・アナトミア』前野良沢〈翻訳係〉と杉田玄白〈清書係〉)の訳語である。

「気」が精神と物質との双方を包摂した概念であり、「気」は純度に応じ「精」「気」「神」に細分され「精」においては物質的、「神」においては精神作用も行うとされる。

Wikipedia - 精神

 気功の気も電気に通じているように私は思う(『気功革命 癒す力を呼び覚ます』盛鶴延)。

 都市機能を維持するライフラインは人体における神経や血管同様、密接につながり、滞ることがない。ライフラインの破壊を企てるテロは刺傷行為そのものだ。冒頭で犯人は「シビレエイのように」身を潜(ひそ)ませる。この一語に込められた諷意はソクラテスの賢さだ。被害者の動きは突然止まり、体が反り返り、ジュウジュウと音を立てながら黒焦げの死体と化す。西洋人であれば「神の怒り」を思わずにはいられないだろう。

 去る10月12日、東京で58万6000戸に及ぶ大規模停電があった。古くなった地下送電ケーブルの燃焼が原因で、35年前に設置された同型のケーブルは首都圏で1000kmもあるという。都市という名の巨人を支えているのは脆弱(ぜいじゃく)なインフラであった。東京オリンピック(1964年)前後に整備されたインフラが綻び始めたのは1990年代からで、広島新交通システム橋桁落下事故(1991年)、豊浜トンネル岩盤崩落事故(1996年)を皮切りに橋とトンネルが老朽に耐えられなくなった。「1930年代からインフラ建設が盛んになったアメリカでは、1960年代後半から、橋の事故が続発」(「橋の安全を考える」藤野陽三)した経緯を思えば、この国は「学ぶ力」を欠いていたと言わざるを得ない。介護の問題と全く同じである(『恍惚の人』有吉佐和子)。

「成熟しない社会」と言えばそれまでだが根はもっと深い。近代化の過程で克服し得なかったエートスが脈々と受け継がれているのだ(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。我が国では合理性が小集団の利益を意味する。明治維新以降、藩閥政治が始まり現在に至るまで村意識を脱却することがない。規制緩和は新たな利権を生むだけで古い構造はびくともしない有り様だ。戦前は武士道のエートスがあったが個人の領域にとどまっていた。そして歴史は既に改竄(かいざん)されている。

2015-04-30

手に余る自負/『突然の災禍』ロバート・B・パーカー


『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
『初秋』ロバート・B・パーカー
『チャンス』ロバート・B・パーカー

 ・手に余る自負

『スクール・デイズ』ロバート・B・パーカー

「とにかく、あんたは、驚くほど端的な言い方をするな」
「時間の節約になる」

【『突然の災禍』ロバート・B・パーカー:菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1998年/ハヤカワ文庫、2005年)以下同】

 シリーズ第25作目。複数の女性からセクハラで訴えられた元夫を助けて欲しいとスーザンから頼まれる。スペンサーは現在の恋人であるが夫ではない。はたから見ると微妙な立場だが、スペンサーは微妙な男ではない。手に余る自負を抱えている。自己顕示欲全開である。

 訴えた女性の夫に辣腕弁護士がいた。フランシス・ロナンという人物だった。

「彼はなにか意見を述べた?」
「フム、と言ったよ」
「それがどういう意味なのか、多少なりとも判ってるの?」
「彼は、この仕事は危険に満ちていることを、遠回しに言っていたのだ、と思う」
「フム」リタが言った。
「かもしれない」
「ロナンに会った、と言ったかしら?」
「言った」
 リタが微笑した。「それで、話し合いはうまくいったの?」
「あまりうまくはいかなかった」
 彼女の笑みがますます大きくなった。「あなたはそれ相応に敬意を表したの?」
「あんたは不快なくだらない小男だ、と言ったよ」
 リタが大声で笑い、ツイードを着た男が二人、タラ料理から顔を上げて彼女を見ていた。リタが彼らの視線を捉えて見返すと、二人がタラに目を戻した。
「笑うつもりじゃなかったのよ」リタが言った。「実際にとても真剣な問題なんだけど、驚いたわね! あなたとフランシス・ロナン」まだ微笑しながら首を振っていた。「素晴らしい組み合わせだわ。あなたは彼に劣らず傲慢だから」
「それに、おれのほうが背が高い」
「彼には用心してよ」リタが言った。「これまで相手にしたどんな人間の場合より、用心して」
「判ってる。それに、彼はおれに用心する必要があるかもしれない」

 リタ・フィオーレは『告別』、『蒼めた王たち』、『悪党』にも登場する美人弁護士。

 この会話にスペンサーの性格がよく表れている。騎士道精神と子供染みた強がり。暴力がユーモアを支えている。そして彼は相手がどんな大物でも怯えることがない。マチズモの毒を中和するのは知性である。スペンサーは詩を愛する男でもあった。

「きみはそんなにタフである必要はないんだ」
「物事について、ひ弱な女性のステレオ版になりたくない」
「タフ、というのは、事の前後に、それについてどんな気持ちになるか、ではなく、なにをするか、なのだ。きみはとてもタフだよ」
「自分の過去については、さほどタフではなかったわ」彼女が言った。

「ステレオ版」との訳はおかしい。「ステレオタイプ」で構わないだろう。菊池光はカタカナの使い方にも違和感を覚える。

 スペンサーがスーザンに説くのは「タフな精神」ではなく「行為としてのタフ」である。足を止めなければ思い悩む時間もない。

 若い頃は堪能できたが、大の大人が読むにはチト甘すぎる。それでもスペンサーの諧謔(かいぎゃく)精神にはニヤリとさせられてしまう。ホークも健在だ

 そのつもりになれば、ホークは、クー・クラックス・クランに潜入することができる。

 それは無理だ。ホークは黒人なのだから(笑)。

突然の災禍 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

2014-12-29

映画『ミュンヘン』を見て/『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』ジョージ・ジョナス


 ・読後の覚え書き
 ・映画『ミュンヘン』を見て

『暗殺者』ロバート・ラドラム
『子供たちは森に消えた』ロバート・カレン

 スティーヴン・スピルバーグ監督に関しては特に思い入れもなければ、さしたる偏見もない。映画そのものの出来は悪くないと思う。確か封切りを観たはずなのだが、殆ど憶えていなかった。ただしジョージ・ジョナスの原作を100点とすれば、映画は65点程度と言わざるを得ない。つまり及第点以下だ。

 致命的なのは「父と子の物語」が欠落している点である。アフナー(映画ではアブナー)の父親もまたモサド・エージェントであった。かつては英雄と称賛されながらも、不遇な晩年を過ごし、廃人同然になってゆく。

 映画では冒頭にミッション(特命)を伝えるシーンがあり、ゴルダ・メイア首相役のリン・コーエンが本物そのままの雰囲気を漂わせていて、鬼気迫るものがあった。それだけにこれ以降、どうしても原作との違いに目が向いてしまう。

 次にアフナーも父親も自分の仕事の内容を家族には教えていない。後は推して知るべしである。観客に「わかりやすく」伝える手法が仇となり、原作の香気が失われている。

 とはいうものの私が2回以上見る映画作品は極めて数が限られているので、それなりに評価すべき作品なのだろう。

 原作は細部が際立っており、その辺に転がっているスパイスリラーが逆立ちしてもかなわないほどの臨場感に溢れている。アフナーがジェイソン・ボーン(『暗殺者』ロバート・ラドラム)と化せば完璧だった。

 

2014-11-05

セキュリティ・カンパニー/『血のケープタウン』ロジャー・スミス


 車が1台、彼のほうにゆっくりと進んでくる。武装したガードマンたちを乗せた警備会社の巡回車だ。
 バーナードはそういう警官もどきのガードマンが大嫌いだった。彼らは裕福な連中の被害妄想が生み出す恐怖を餌にしている。そして本物の警官を見下し、いやに偉そうに、この特権階級の地域を巡回している。いつもなら彼は車を運転している荒くれ男との対面をじっくり楽しむ。自分の警官バッジが、つねにガードマンの身分証明書に勝つ、そのよろこびのために。
 けれど今夜はちがう。
 この家の近くにいるのを知られたくない。バーナードは車を発進させ、ガードマンが近づいてくる前に走り去った。

【『血のケープタウン』ロジャー・スミス:長野きよみ訳(ハヤカワ文庫、2010年)】

 南アフリカを舞台としたノワール(暗黒小説)。銀行強盗のカネを独り占めし高飛びしたアメリカ人、元ギャング、悪徳刑事の思惑が絡み合う。疾走感のある佳作。やはりその国の風俗を知るにはミステリが一番だ。

 警備会社は英語で「security company」。security には警備以外にも治安、保安、防衛、保障といった意味がある。国家安全保障は「national security」だ。アメリカの軍産複合体が下部組織あるいは天下り先としてセキュリティ・カンパニーを立ち上げた。各所で社会不安をつつけば需要はたちどころに増える。

 長嶋茂雄がセコムのコマーシャルに登場した頃(1990年)、我々は鼻で笑った。「水と安全が無料といわれるこの国(『日本人とユダヤ人』)で、そんな商売が成り立つわけがない」と。愚かな民に先見の明はなかった。現在では中小企業から一般家庭にまで普及している。


 アメリカでは9.11テロ以降、ブラックウォーターを始めとする民間軍事会社までが隆盛を極めている。イラク戦争の終盤では兵力の4割が民間と伝えられた。しかも彼らは軍法会議にかけられないためやりたい放題であった。新自由主義は戦争のアウトソーシング(外部委託)を可能とした。

 アメリカのセキュリティ・カンパニーについては『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クラインが詳しい。また上杉隆が「警備会社大手のセコムには、数多くの警察OBが天下っている」(『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』)と指摘していることも付け加えておく。

血のケープタウン(ハヤカワ・ミステリ文庫)

2014-04-07

ストーリー展開と主人公の造形が雑/『流刑の街』チャック・ホーガン


 残金すべてでチップをはずむと、ブーツの紐をきつく締め、ナップザックをかついで、家までの長い道のりを走る。
 家はボストン南東のクインシーにあった。13キロ離れている。
 走ることは浄化であり、瞑想だった。物騒な地区のひび割れた通りに、厚いブーツの重い足音が響く。

【『流刑の街』チャック・ホーガン:加賀山拓朗訳(ヴィレッジブックス、2011年)】

 走る描写が好きだ。私が走らないせいかもしれない。飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉の『汝ふたたび故郷へ帰れず』に名場面がある。歩くことが一本足で前へ進むことなら、走ることは跳ぶ行為だ。

 主人公はイラクからの帰還兵だ。不如意な生活、うだつの上がらぬ日々が続いた。暴漢に襲われ、仮借のない反撃を加える。その後、見知らぬ男からオファーがある。男も元軍人であった。仕事内容は麻薬組織の襲撃で、軍隊時代を彷彿(ほうふつ)とさせる生き生きした生活が蘇った。ドン・ウィンズロウ著『犬の力』と似ているが、私はプロパガンダ臭がない分、本書に軍配を上げる。

 ただ、文章は素晴らしいのだがストーリー展開と主人公の造形が雑だ。実にもったいないと思う。序盤の硬質な緊張感が中盤からダレ始める。で、最終的には安っぽいパルプ小説になってしまった。主人公のニール・メイヴンにリーダーとしての資質はなくても構わないが、あまりにもヒーロー的な要素に欠けている。復讐も中途半端だ。ボスのロイスと麻薬捜査官のラッシュも見分けがつかない。

 などと散々文句を並べておいたが、警句を思わせる文章を味わうだけでも損はない。最近のミステリ作品挫折率を思えば、そこそこ良作だと思う。

流刑の街 (ヴィレッジブックス)

2014-03-23

アメリカ礼賛のプロパガンダ本/『犬の力』ドン・ウィンズロウ


 寝間着姿――高価な絹のパジャマやネグリジェ――の者もいれば、Tシャツ姿の者もいる。裸の男女がひと組――情交のあとの睦(むつ)まやかな眠りを引き裂かれたのか。かつて愛欲だったものが、今は剥(む)き出しの猥褻(わいせつ)と化した。
 向かいの壁の沿って、亡骸(なきがら)がひとつ、ぽつんと横たわる。老人。家長。おそらく最後に撃たれたのだろう。家族が殺されるのを見届けたあと、みずからもあの世に送られた。慈悲の計らい? これは一種のゆがんだ慈悲なのだろうか? しかし、そのとき、アートの目が老人の手をとらえる。爪が剥(は)ぎ取られ、指が切り落とされている。老人の口は悲鳴の形に開いて硬直し、何本かの指が舌にへばりついている。
 敵はつまり、この一家の中に“指”(デド)――密告者――がいると考えていた。
 そう考えるように、わたしが仕向けたせいで。
 神よ、赦(ゆる)したまえ。
 アートは特定の一体を捜して、屍をひとつひとつ検分していく。
 捜し当てたとき、胃の腑(ふ)が揺さぶられ、喉(のど)へ突き上げてきた嘔気(おうき)を懸命に抑えつける。その若者の顔が、バナナのように皮を剥かれていたからだ。生皮が首から醜く垂れ下がっている。これが息絶えた【あと】に施された仕置きであることをアートは願ったが、そう甘くはあるまい。
 若者の頭蓋(ずがい)の下半分が吹き飛ばされている。
 口を撃たれたということだ。
 反逆者は後頭部を、密告者は口を撃たれる。
 敵はこの男を密告者だと考えた。
 まさにおまえが仕向けたとおりだ、とアートは胸に言い聞かせる。見るがいい――おまえが意図したとおりになったのだ。
 だが、わたしは想定していなかった。連中がこんなことをするとは。

【『犬の力』ドン・ウィンズロウ:東江一紀〈あがりえ・かずき〉訳(角川文庫、2009年)】

 世界は主観で構成される。だから人の数だけ世界が存在する。つまり私が言いたいのはこうだ。書評は当てにならない。優れた書評本ですら鵜呑みにすると痛い目に遭う。例えば『狐の書評』で一躍有名になった山村修など。米原万里〈よねはら・まり〉すら信用ならない。ま、そんなわけで私は抜き書きを多用しているのだ。

 このテキストを慎重に読み解けば本書の内容は窺える。吉川三国志の劉備玄徳を思わせる優柔不断さである。暗に良心の呵責を盛り込むことで主人公を読者の側に近づけたつもりなのだろう。私の目には単なる小心としか映らない。

 一言でいえばメキシコのドラッグ・ウォー(麻薬戦争)を舞台にしたアメリカ・プロパガンダ本である。アート・ケラーはDEA(アメリカ麻薬取締局)のエージェントだ。麻薬戦争については以下のページを参照せよ。

殺戮大陸メキシコの狂気(1)麻薬に汚染されてしまった国家(記事末尾に関連記事リンクあり)

 既にメキシコのマフィアは軍隊並みの武器を保有しており、警察が手をつけられるような状態ではない。そこでエンターテイメント小説の出番となるわけだ。たぶん各所に目立たぬ真実が書かれている。大衆の位置からは現実の全体像が見えない。映像やテキストによるプロパガンダ作品の目的は「どうせ映画や小説の話」として喧伝するところにある。そして我々はフィクションであることに安心して、事実から目を逸(そ)らして日常生活に戻るのだ。

 アメリカが正義の味方だと思ったら大間違いだ。かの国こそ世界で最も邪悪な国家と言い切ってよい。本書のプロパガンダを見抜くのは意外と簡単で、ジョン・パーキンス著『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』と、ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』を読むだけで十分だ。

 ドン・ウィンズロウは『ストリート・キッズ』が秀作であっただけに残念だ。嘘を見抜く力を養うためには有益な作品といえよう。

犬の力 上 (角川文庫)犬の力 下 (角川文庫)

ストーリー展開と主人公の造形が雑/『流刑の街』チャック・ホーガン

2014-03-01

超高度化されたデータ社会/『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『コフィン・ダンサー』 ジェフリー・ディーヴァー
『エンプティー・チェア』ジェフリー・ディーヴァー
・『石の猿』ジェフリー・ディーヴァー
・『魔術師(イリュージョニスト)』ジェフリー・ディーヴァー
・『12番目のカード』ジェフリー・ディーヴァー
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー

 ・超高度化されたデータ社会

『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー
『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー

 2年前に読んだ時は「やがてそんな時代がくるのか」と思った。そして今実現しつつある。ビッグデータを始め、広告や検索結果のパーソナライズド化など。更にフェイスブックの登場がウェブ空間に実名主義をもたらし、プライバシーを本人が垂れ流すという奇妙な事態が現れた。ツイッターでは現在進行形のいたずらや悪事を紹介し、飲食店が閉鎖に追い込まれるケースが続いた。

 あらゆる情報はデータとなり管理される時代となったのだ。ディストピアの現実化だ。

 しかし、ほかのすべてのものと同じように、まもなく紙幣にもタグ――RFIDが付くようになるに違いない。すでに導入している国もある。銀行は、どの20ドル札がどのATMや銀行から誰の手に渡ったか、追跡することができる。その札が〈コカ・コーラ〉や愛人に贈るブラジャーを買うのに使われたのか、殺し屋を雇うのに使われたのかだって当然わかるわけだ。ときどきこう思うことがある。黄金を通貨代わりにしていた時代に戻ったほうが幸せなのではないかと。
 網の目につかまらぬように。

【『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2009年/文春文庫、2012年)以下同】

 一昔前まで監視カメラはプライバシー侵害の象徴として人々から忌み嫌われていた。それが特異な猟奇的犯罪が起こるたびに設置箇所が増え、現在では防犯カメラと呼ばれて安心の代名詞となった。アメリカではITバブルの後にセキュリティ・バブルが興ったという指摘もある(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)。

 Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)も政治的議論を経ずに設置されている。

 紙幣にタグを付ければ人々の欲望の流れが丸見えとなる。細かな流れがわかれば、そこから支流へ導いて大河を形成することも可能になる。

「(データマイナーとは)名前のとおりのものです。情報サービス会社ですよ。顧客の個人情報や購入履歴、住居、車、クレジットカードの利用履歴……とにかく、ありとあらゆるデータを採掘(マイン)するんです。集めた情報を分析して、販売する。で、企業はそれを利用して市場の動向を把握したり、新しい顧客を獲得したり、ダイレクトメールを送る顧客を絞りこんだり、広告戦略を練ったりするわけです」

 本書に登場する殺人鬼はデータマイニングに通じ、まったく関係のない第三者を犯人に仕立て上げる。それどころか物証まで用意するのだ。従兄弟が被害者となったことでリンカーン・ライムは捜査に乗り出す。

「いや、何一つ。どこを掘り返しても、出てくるのは一人だけ――私だ。そいつは私から私を奪った……奴らは、万が一に備えた予防策は用意されている、データは守られてると言う。笑止千万だ。たしかに、クレジットカードを紛失したくらいなら、ある程度までは守ってもらえるかもしれないな。だが、誰かが本気できみの人生を破滅させようとしたら、きみにできることは何一つない。人はコンピューターが言うことを鵜呑(うの)みにする。コンピューターが、きみには借金があると言えば、きみには借金があるんだ。きみと保険契約を結ぶのは危険だと言えば、きみと保険契約を結ぶのは危険なんだよ。きみには支払い能力がないと言えば、たとえ現実には億万長者だとしても、きみには支払い能力がない。人はデータを信じる。真実なんか意味を持たないのだよ」

 これが超高度情報社会の実態だ。データとは歴史でもある。「書かれたもの」だけが歴史なのだ(『歴史とはなにか』岡田英弘)。ここにおいて存在は「記録されたもの」へと矮小化される。

 私を証明するのは私自身ではない。免許証や保険証・パスポートである。パスワードを失念すれば自分の預金すらおろすことができない社会だ。個人は限りなくID化されてゆくことだろう。アイデンティティはアイデンティフィケイション(identification=ID)に置き換えられる。

 私のデータを書き換えるのは私自身ではない。そしてデータは常に上書き更新される。どこにもログインできなくなったとしたら、それは社会的抹殺を意味する。「ソウル」(魂)はデータ化される。

2013-11-22

ジョン・ル・カレ著『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の新訳(村上博基)が不評



ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ (ハヤカワ文庫NV)
【左が村上訳、右が菊池訳】

スクールボーイ閣下〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)スクールボーイ閣下〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)スマイリーと仲間たち (ハヤカワ文庫 NV (439))
【2部、3部はもともと村上訳】