2021-09-08

スロットマシンプレーヤーの視点/『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ


『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』ジャック・D・シュワッガー
『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ』矢口新
『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー
『一目均衡表の研究』佐々木英信
『デイトレード マーケットで勝ち続けるための発想術』オリバー・ベレス、グレッグ・カプラ

 ・「正しい分析」が身を滅ぼす
 ・スロットマシンプレーヤーの視点
 ・新しい信念と古い信念が拮抗する

『規律とトレーダー 相場心理分析入門』マーク・ダグラス
『ゾーン 「勝つ」相場心理学入門』マーク・ダグラス
『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス
『ワイルダーのアダムセオリー 未来の値動きがわかる究極の再帰理論』J・ウエルズ・ワイルダー・ジュニア
『フルタイムトレーダー完全マニュアル』ジョン・F・カーター
『タープ博士のトレード学校 ポジションサイジング入門 スーパートレーダーになるための自己改造計画』バン・K・タープ
『週末投資家のためのカバード・コール』KAPPA
『なぜ専門家の為替予想は外れるのか プロが教える外国為替市場の不都合な真実』富田公彦
『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方』藤沢数希

 つまり、こういうことだ。
 まず、スロットマシンの結果はまったくランダムなので、勝ちも負けもいつ、いかなる順序でも現れる。そのため、私たちは毎回、勝つとは思わないようになる。そして、毎回勝つと思っていなければ、ほかに起きることは負けることだけだと間違いなく分かる。
 第二に、たとえスロットマシンに組み込まれたコンピューターチップがランダムに結果を出すように設計されていると知っていても、チップにどういう力が働いて勝ち負けが決まるのかはまったく分からない。そのため、ボタンを押すかレバーを引いてマシンを動かしたあとに、どういう結果が出るかを絶えず正しく予測する合理的な方法はない。先程述べたように、結果がランダムなことははっきりしているので、結果を予測しようとするのは無意味だということはすぐ分かる。
 第三に、プレーの過程で私たちが決める必要のあることは何もない。つまり、結果に影響を及ぼすためにできることは何もない。だから、結果をコントロールすることはできない。私たちが確実に勝つ方法はないし、プレーをしないこと以外に損を止める方法は絶対にない。
 第四に、勝ち負けを支配する条件をコントロールすることはできないし、結果を予測するどんな方法もないと知っていれば、ほかの場合なら結果に対して感じる責任を感じないで済む。結果に対して責任がなければ、勝たなかったときに自分を負け犬や失敗者、あるいはどこかおかしいと考える必要はない。
 負けたときに自分を責める必要がなければ、負けた経験によって、本当に負けているとは感じない。

【『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ:長尾慎太郎〈ながお・しんたろう〉監修、山口雅裕〈やまぐち・まさひろ〉訳(パンローリング、2017年)以下同】

 所謂、ランダム・ウォーク理論である。マーク・ダグラスが主張するのは、偶然がマーケットを支配するのだから徹底してトレードルールを守れということに尽きる。スロットマシンプレーヤーはまさしく偶然に賭けている。確率や統計をもってしてもスロットマシンで勝ち続けることは無理だろう。感覚的には宝籤に近い。

 上記テキストの直前にこうある。「これは人生で起きることに対する感情的な反応が、その人の見方にどれほど影響されるかの好例だ」。そしてスロットマシンプレーヤーの特長は「マイナスの感情から自由」なところにあると。

 一つ悟った。ブッダが説いた因果は我々が感じる因果とは別次元であることを。凡夫の因果を支えているのは「感情」なのだ。苦痛、恐怖、嫉妬、劣等感、怒りなどの感情は、傷ついた自我から生まれるものだ。その状態をブッダは三悪道四悪趣と説いた。例えば恋心を抱く女性に自分の想いを打ち明けたとしよう。彼女は少し沈黙した後で「あなたのことは決して嫌いじゃない。でも、できることならお友達のままでいて欲しい」と告げる。男は奈落の底に叩きつけられる。「自分には男としての魅力がない」「体よく断られただけで『嫌いじゃない』なんて言葉にしがみつくほど俺は落ちぶれていない」「『あんたなんか不特定多数の友人の一人よ』と言われたも同然だ」――背中には非モテ系男子の烙印が連打される。ま、こんな具合だろう。

 いじめられた、受験に失敗した、就職試験が不採用だった、顧客からのクレームに対応しきれなかった、結婚できなかった、離婚した、子供が真っ直ぐ育たなかった、リストラされた、などなど、不確実性を思い知らされることはしばしばある。しかしながら、「だから自分は駄目なんだ」という結論を導くのは誤っている。なぜなら本当の原因や理由を我々は知ることができないからだ。

 ところが我々は特定の結果から誘引される感情に支配されてしまう。人間関係にまつわる悩みは相手と自分の直線関係でしか問題を捉えていない。ともすると「あいつのせいで」「あいつさえいなければ」と考えがちだが、後で振り返ると自分の誤解だったということも決して少なくない。ヒトの脳には時系列で関係のない出来事を因果と結びつける癖がある(宗教の原型は確証バイアス)。

 スロットマシンをやっているうちに、私たちはある時点で次のことを受け入れる。

1.何が起きるか分からない。
2.これから起きることを知る方法はない。
3.起きることに何の影響も及ぼせない。

 これはまったく不確かでランダムだ。【まったく不確実でコントロールできないものだ。】

 全く当たり前のことだ。ところが現実は違う。なぜなら我々は予測しなければ一歩も動くことができないからだ。人間の行動は予測することで成り立っている。道を歩いていても、無意識の内に落とし穴や地雷がないことを予測している。古女房が作った味噌汁に毒が入っていないことを予測し、電車の運転士が二日酔いでないことを予測し、勤務先の高層ビルに2機の飛行機が突っ込んでこないことを予測している。

 現在に留(とど)まる修行を「止観」と訳したのはさすがである。高速回転するコマの状態だ。誰もが幸福を願う。現在が不幸ゆえに。明日なき今日を生きるのが仏道だ。必然と偶然の物語から離れて、「ただ在る」今に生きることが正しい。

 感情の本来の目的は、コミュニティを正常に維持するためのシグナルであったように思われる。

 スロットマシンプレーヤーの視点に立つのはそれほど難しいことではない。わからなければ実際にスロットマシンをやってみればいい。

2021-09-07

その食べ方、間違ってます/『その調理、9割の栄養捨ててます!』東京慈恵会医科大学附属病院栄養部監修


 ・その食べ方、間違ってます
 ・野菜の栄養素が激減している

『食は土にあり 永田農法の原点』永田照喜治


養老孟司「新型コロナウィルスとワクチンの話」


バイクを押して歩く/『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史

 ・バイクを押して歩く

『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖

身体革命

 私は長年、スポーツ選手を中心にパフォーマンス向上のための動作改善を「歩行動作」を中心に指導してきました。また、江戸時代までの身体運動文化についても研究してきました。その指導や研究で明らかになってきたことは、現在ウォーキング教室などで指導されている「エクササイズウォーク」や「パワーウォーク」などはエネルギーのロスが大きく、特に中高年には無理がある「歩き方」だということです。これらの歩きは地面を蹴って膝などの関節を伸ばしながら歩きます。このような歩き方を「伸展(しんてん)歩き」と言います。しかし、江戸時代までの日本人が得意として歩きは、地面を蹴らずに膝を曲げて進む「屈曲(くっきょく)歩き」なのです。その「屈曲歩き」が剣術や柔術などの伝統的な動作を支えていました。

【『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史〈きでら・えいし〉(東邦出版、2015年)以下同】

 実は簡単なことほど難しい。健康であれば誰もが歩ける。だが、きちんと歩ける人は少ない。私が常歩(なみあし)を始めたのは5月のことである。既に3ヶ月以上経ったが、まだまだしっくりこない。膝を抜くことはできるのだが拇指球の蹴りを打ち消すのが難しい。ま、試行錯誤している間は成長の余地があるわけだから結構楽しい。

 ある日、突然思いついた。バイクを押しながら歩いてみようと。実は2年ほど前にエンジントラブルに見舞われ、数キロの距離を押して自宅まで戻ったことがあった。「あれを思えばどうってことはないな」と直ぐエンジンスイッチを切り、ギョサンで歩いた。案の定、ほぼ完璧な常歩(なみあし)だ。バイクを所有している人は直ぐ試してみるといい。もちろんリヤカーでも可能だ。我が原付バイクは80kgである。少し上り勾配があると尚更よい。拇指球に力を入れる余地はない。足裏全体を地面に押し付け、踵の摩擦力で前に出るのが一番楽だ。

「伸展歩き」では膝を伸ばして歩きます。すると、脚全体が内側に回ろうとします。さらに現代人はシューズを着用しています。すでにお話ししたように、一般的にはシューズのインソールはつま先よりかかと部が高くなっていますから、足関節(足首の関節)を伸展させます。足関節の伸展は膝関節の伸展を促しますので、脚は内側に回り、過剰回内の状態をつくり出すのです。現代人の8割以上が過剰回内であると言われています。(中略)
 外反母趾を発症している方はほぼ例外なく、過剰回内による「伸展歩き」をしています。さらに、過剰回内は下腿が内側にひねられていますから、足首や膝の障害を発症する危険性が高まります。

 伸展歩きで内旋するのは以前からわかっていた。大転子ウォーキングで気づいたことだ。足指が横一直線に並ぶような感覚があった。

 頭の中でまたまた電球が点(とも)った。時折閃きの神が舞い降りてくる。氷の上を歩くつもりで足を運ぶと脚は自然と屈曲する。早速やってみた。おお、これはいい。更に電球が明るさを増した。薄氷を踏む意識にまで高めるのだ。「俺って天才?」と心の底から思った瞬間だ。

 畳の上で生活する日本人は骨盤が後傾しやすい。年寄りの腰が曲がってくるのも骨盤の後傾から始まる。そして日本の国土は約75%が山である。普通に暮らしていれば伸展歩きになることはあり得ない。坂道の上り下りで腕を大きく振る人はいないだろう。まして昔の人々は荷物を持って移動することが多かっただろうから尚更である。

 膝を曲げた瞬間は自分自身では力を発揮している感覚がほとんどありませんが、大きな地面反力が得られます。つまり、膝の屈曲をうまく利用する「屈曲歩き」は地面を味方にした歩きなのです。

 これは言い過ぎだ。反力とはランニングで得られるものであって歩行程度であるわけがない。そもそも膝を抜くのだから反力は得られない。

2021-09-06

竹山道雄と松原久子/『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子


竹山道雄

 ・竹山道雄と松原久子

『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ヨーロッパ人は自分たちが意識している以上に、歴史という躍動体を大切にする。相手の歴史の水準が自分たちと同じであるとわかった場合にのみ、相手をパートナーとして受け容れ、尊敬する。尊敬の念なくして本当の理解は育たない。日本人が長い長い歴史の中で何を学び、何を体験し、その結果何を大切にするようになったのか、何を侮蔑し嘲笑するのか、いかなる死生観をもち、なぜ働くのか、いかなる論法に参(ママ)り、どういう情緒に動かされ、何を美しいと感じるのだろうか、ヨーロッパ人の場合はどうだろうか。
 歴史的事実を例証として、こういった問いかけに答えていくことが日本人の急務である。経済発展により、うさんくさそうにじろじろ眺められている日本は、堂々と、そして真摯に自分の素性を語らなければならぬ。日本は数百年前にはどんな国であったのか、政治は、経済は、社会は、科学技術は、ヨーロッパと比べてどういう水準にあったのか。どこから現在が出てきたのか、よそから学んだ面があるとして、学ぶことのできた素地は日本人の過去の知恵にあったことを、例証しなければならない。

【『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子〈まつばら・ひさこ〉(三笠書房、1985年/知的生きかた文庫、1986年)】

 近代を巡る日本と西洋の比較文明論は竹山道雄と松原久子が頂点を成す。特にキリスト教に関する造詣の深さが一線を画している。この二人の衣鉢(いはつ)を継ぐ者がまだ見当たらないのが残念だ。竹山・松原の著作は小中高等学校の副読本にすべきである。

 松原久子の文章に一貫して硬質な気勢があるのは、彼女が実際にドイツの地で激しい有色人種差別感情にさらされているためだ。実際に鉄道駅で見知らぬ女性から平手打ちをされたこともある。かようにヨーロッパ人の自我は差別意識で支えられている。有色人種を下に見なければ自我を支えることができないのだろう。その戦闘性こそが欧州発展の原動力であった。

 ヨーロッパ人が歴史を重んじるのは「近代を開いた」自負があるためか。中世・古代となれば我々日本人に分(ぶ)がある。日本が鎖国を成し得たのは世界最大の武力を有していたからだ(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。欧州が中国に魔の手を伸ばす様を見て、日本国内では攘夷の風が吹き荒れた。徳川260年は軍事大国から極東の小国へと転落する平和な期間であった。

 少し古い本である。1990年代まではインターネット以前の時代と考えてよい。当時のドイツやアメリカで暮らす者ならではの焦燥もあったことだろう。アメリカが世界から一歩退いた今、日本は我が道を歩むべきだと私は思う。親米が有利に働く時代は終焉を迎えつつある。まずはアメリカ以外の国々との安全保障を探るべきだろう。