・『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』ジャック・D・シュワッガー
・『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ』矢口新
・『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー
・『一目均衡表の研究』佐々木英信
・『デイトレード マーケットで勝ち続けるための発想術』オリバー・ベレス、グレッグ・カプラ
・「正しい分析」が身を滅ぼす
・スロットマシンプレーヤーの視点
・新しい信念と古い信念が拮抗する
・『規律とトレーダー 相場心理分析入門』マーク・ダグラス
・『ゾーン 「勝つ」相場心理学入門』マーク・ダグラス
・『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス
・『ワイルダーのアダムセオリー 未来の値動きがわかる究極の再帰理論』J・ウエルズ・ワイルダー・ジュニア
・『フルタイムトレーダー完全マニュアル』ジョン・F・カーター
・『タープ博士のトレード学校 ポジションサイジング入門 スーパートレーダーになるための自己改造計画』バン・K・タープ
・『週末投資家のためのカバード・コール』KAPPA
・『なぜ専門家の為替予想は外れるのか プロが教える外国為替市場の不都合な真実』富田公彦
・『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方』藤沢数希
つまり、こういうことだ。
まず、スロットマシンの結果はまったくランダムなので、勝ちも負けもいつ、いかなる順序でも現れる。そのため、私たちは毎回、勝つとは思わないようになる。そして、毎回勝つと思っていなければ、ほかに起きることは負けることだけだと間違いなく分かる。
第二に、たとえスロットマシンに組み込まれたコンピューターチップがランダムに結果を出すように設計されていると知っていても、チップにどういう力が働いて勝ち負けが決まるのかはまったく分からない。そのため、ボタンを押すかレバーを引いてマシンを動かしたあとに、どういう結果が出るかを絶えず正しく予測する合理的な方法はない。先程述べたように、結果がランダムなことははっきりしているので、結果を予測しようとするのは無意味だということはすぐ分かる。
第三に、プレーの過程で私たちが決める必要のあることは何もない。つまり、結果に影響を及ぼすためにできることは何もない。だから、結果をコントロールすることはできない。私たちが確実に勝つ方法はないし、プレーをしないこと以外に損を止める方法は絶対にない。
第四に、勝ち負けを支配する条件をコントロールすることはできないし、結果を予測するどんな方法もないと知っていれば、ほかの場合なら結果に対して感じる責任を感じないで済む。結果に対して責任がなければ、勝たなかったときに自分を負け犬や失敗者、あるいはどこかおかしいと考える必要はない。
負けたときに自分を責める必要がなければ、負けた経験によって、本当に負けているとは感じない。
【『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ:長尾慎太郎〈ながお・しんたろう〉監修、山口雅裕〈やまぐち・まさひろ〉訳(パンローリング、2017年)以下同】
所謂、ランダム・ウォーク理論である。マーク・ダグラスが主張するのは、偶然がマーケットを支配するのだから徹底してトレードルールを守れということに尽きる。スロットマシンプレーヤーはまさしく偶然に賭けている。確率や統計をもってしてもスロットマシンで勝ち続けることは無理だろう。感覚的には宝籤に近い。
上記テキストの直前にこうある。「これは人生で起きることに対する感情的な反応が、その人の見方にどれほど影響されるかの好例だ」。そしてスロットマシンプレーヤーの特長は「マイナスの感情から自由」なところにあると。
一つ悟った。ブッダが説いた因果は我々が感じる因果とは別次元であることを。凡夫の因果を支えているのは「感情」なのだ。苦痛、恐怖、嫉妬、劣等感、怒りなどの感情は、傷ついた自我から生まれるものだ。その状態をブッダは三悪道・四悪趣と説いた。例えば恋心を抱く女性に自分の想いを打ち明けたとしよう。彼女は少し沈黙した後で「あなたのことは決して嫌いじゃない。でも、できることならお友達のままでいて欲しい」と告げる。男は奈落の底に叩きつけられる。「自分には男としての魅力がない」「体よく断られただけで『嫌いじゃない』なんて言葉にしがみつくほど俺は落ちぶれていない」「『あんたなんか不特定多数の友人の一人よ』と言われたも同然だ」――背中には非モテ系男子の烙印が連打される。ま、こんな具合だろう。
いじめられた、受験に失敗した、就職試験が不採用だった、顧客からのクレームに対応しきれなかった、結婚できなかった、離婚した、子供が真っ直ぐ育たなかった、リストラされた、などなど、不確実性を思い知らされることはしばしばある。しかしながら、「だから自分は駄目なんだ」という結論を導くのは誤っている。なぜなら本当の原因や理由を我々は知ることができないからだ。
ところが我々は特定の結果から誘引される感情に支配されてしまう。人間関係にまつわる悩みは相手と自分の直線関係でしか問題を捉えていない。ともすると「あいつのせいで」「あいつさえいなければ」と考えがちだが、後で振り返ると自分の誤解だったということも決して少なくない。ヒトの脳には時系列で関係のない出来事を因果と結びつける癖がある(宗教の原型は確証バイアス)。
スロットマシンをやっているうちに、私たちはある時点で次のことを受け入れる。
1.何が起きるか分からない。
2.これから起きることを知る方法はない。
3.起きることに何の影響も及ぼせない。
これはまったく不確かでランダムだ。【まったく不確実でコントロールできないものだ。】
全く当たり前のことだ。ところが現実は違う。なぜなら我々は予測しなければ一歩も動くことができないからだ。人間の行動は予測することで成り立っている。道を歩いていても、無意識の内に落とし穴や地雷がないことを予測している。古女房が作った味噌汁に毒が入っていないことを予測し、電車の運転士が二日酔いでないことを予測し、勤務先の高層ビルに2機の飛行機が突っ込んでこないことを予測している。
現在に留(とど)まる修行を「止観」と訳したのはさすがである。高速回転するコマの状態だ。誰もが幸福を願う。現在が不幸ゆえに。明日なき今日を生きるのが仏道だ。必然と偶然の物語から離れて、「ただ在る」今に生きることが正しい。
感情の本来の目的は、コミュニティを正常に維持するためのシグナルであったように思われる。
スロットマシンプレーヤーの視点に立つのはそれほど難しいことではない。わからなければ実際にスロットマシンをやってみればいい。