2014-10-17

教科書問題が謝罪外交の原因/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 いまは日中関係も日韓関係も北朝鮮との関係もガタガタになっているけれど、その根源はどこにあるのかといえば、第一の要因は、1982年の教科書問題に発しています。これは高等学校の歴史教科書の記述において文部省が日本の中国華北への「侵略」を「進出」と書き改めさせたという報道がマスコミによって一斉になされ、この報道を受けて中国が猛然と反発抗議してきた事件です。
 しかし調べてみると、どの教科書にもそんな事実はなく、マスコミの明らかな誤報だったのですが、いろいろすったもんだしたあげく、あろうことか当時の宮沢喜一官房長官が「今後、教科書検定については国際理解と国際協調の見地から、アジア近隣諸国の感情を害さないように配慮する」と発言しました。いわゆる「近隣諸国条項」というものです。
 そもそも「侵略→進出」の誤報も、一部のマスコミが意図的にミスリードしたふしがあるのですが、そうした流れのなかで日本政府はこのときからひたすら「謝罪外交」の道を歩み始めることになりました。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)以下同】

 菅沼光弘はかつて公安調査庁で第二部長を務めた人物だ。公安警察国家公安委員会と混同しやすいので要注意。公安調査庁は情報機関である。

 一読してその見識と憂国の情に胸を打たれる。菅沼は入庁直後、ドイツのゲーレン機関に送られ訓練を受けている。ラインハルト・ゲーレンも健在であった。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉と同じ精神の光を感じてならなかった。すなわちこの二人は国士といってよい。

陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 私は本書を開くまで教科書問題が誤報だと知らなかった。つまり30年以上にわたって「右傾化する日本に反発する中国」という構図を信じ込んできたわけだ。ものを知らないことは本当に恐ろしい。

教科書誤報事件
教科書問題の発端「世紀の大誤報」の真実

 しかも事実無根の誤報である。誰かが情報を与え、マスコミが意図的にリークしたわけだ。東アジア諸国の友好関係を阻む動きと理解していいだろう。

 最近、またぞろ韓国は「従軍慰安婦」の問題を持ち出していますが、中国も韓国も北朝鮮も、何か事あるごとに過去のことを引っ張りだしてきては日本を非難する。それに対して日本はひたすら謝罪、謝罪を繰り返してきました。宮沢発言以来、そればかりです。
 ではそれで日中関係がよくなってきたかといったら、少しもよくならない。韓国・北朝鮮ともだんだん悪くなる一方で、謝れば謝るほど相手を外交的に優位に立たせるだけのことです。世界中でこんな稚拙な外交をやっているのは日本だけです。たとえばイギリスはインドをはじめビルマ(ミャンマー)、マレーシア、シンガポールなど東南アジア諸国を植民地にしたけれど、何一つ謝罪などしていません。そんな過去の話など関係ないよと、まったく相手にしないのです。それが普通のことです。

 確かにそうだ。アフリカの黒人を誘拐同然で輸入したアメリカも謝罪している様子はない。そもそもあいつらはインディアン虐殺すら反省していないことだろう。イギリス、フランスはアフリカのほぼすべてを植民地化したが謝ったという話は聞いたことがない。

 宮沢喜一の謝罪は政治判断であったのか、それとも官僚の入れ知恵であったのかを明らかにする必要があるだろう。

 日本の外交がなぜこんなにも弱腰になってしまったのかといえば、戦後日本を占領したアメリカ(GHQ=連合軍総司令部)の対日戦略に始まることであって、ひと言で言ってそれは精神的な日本解体のシナリオだということです。戦後65年あまり、アメリカの対日政策は一貫して日本解体にあったといっていいのです。

 やや飛躍しているように感じるが、本書はその「不都合な真実」を次々と暴き出す。基本となるのは憲法、自虐史観そして日米安保である。

 本書を読めば、GHQによる占領の意味と占領後の日本がどのように変えられたかを知ることができる。また菅沼はTPPについても警鐘を乱打しているのでどんどん紹介する予定だ。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
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日本を凋落させた宮沢喜一/『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一

集団化した正義の嘘を見抜け/『「正義」を叫ぶ者こそ疑え』宮崎学


 つまり「正義」とは、ある共同体における支配的な論理のうち、「人の命」を奪うことが正当化される原理を指す言葉と考えてもいい。

【『「正義」を叫ぶ者こそ疑え』宮崎学(ダイヤモンド社、2002年)以下同】

 宮崎学の自伝『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた五十年』(南風社、1996年)を読んだ時の衝撃を忘れることができない。バブル景気崩壊後の澱(よど)んだ空気を吹き払う風のようにすら思えた。私がインターネットを始めた頃(1999年)には通信傍受法廃止を目的に政治団体「電脳突破党」を結党した。

 好きな人物ではないが、かといって嫌いになることもできない男である。体を張って生きてきた者には嘘がない。だが全共闘世代に顕著な理論をこねくり回す姿勢が肌に合わない。

 昔の正義はわかりやすかった。その質が変わり始めたのはテレビ版「デビルマン」(1972年)あたりからだと思う。その後「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年)によって、それまで単独であった正義の味方が集団(組織)となった。きっと正義を一人で担うことができなくなったのだろう。

 ポイントその一「正義は人を裁く」。

 ロシアの革命家トロツキーは「悪魔でさえ聖書の引用で自分の言葉を飾ることができる」と言った。

 ポイントその二「盗っ人には盗っ人の正義がある」。先の言葉と併せれば集団(共同体)内部の正義は利害へと概念が変質していることに気づく。

 いったん正義という名の原則を立てると、その原則に反するもの、すなわち「不正義」を排除する。どんな原則であれ、その原則をめぐる集団においてであれ、必ずこの「排除の構造」が現れる。そして「排除の構造」のもとに「人殺し」が正当化され、殺人は正義と化すのである。

 教団とは禁忌(タブー)を共有するコミュニティであり、共同体は罰を共有する集団と考えられる。これが「法」(掟)である。宮崎の言葉が浅いのは科学的な視点を欠くためだ。文学レベルにとどまっている。

 原理が集団に共有されるように働きかける者がいつの時代にもいる。宗教でも人権でも民主主義でも民族の優秀性でもどんな原理でもいい。旗を振り、正義を唱える者たちだ。正義という名の原理こそ、そしてその旗を振る人間こそ「殺人を正当化する」ものとして、一番疑わなくてはいけない存在であることが、これで解るだろう。

 わからない。「魔女狩りは悪しき歴史だ」という言説にさしたる意味はない。なぜそれが起こったかが重要なのだ。英雄とは脳の構造が一段階進んだ人物のことだ。英雄の言葉と振る舞いが人々のシナプス結合を一変させる。その瞬間に時代は変わるのだ。宮崎の言いたいことは理解できるが、親や経営者、はたまた裁判官にまで当てはまってしまう。

 日本共産党の機関紙・赤旗のキャッチフレーズは「正義の味方、真実の報道」である。昔の子供たちの素朴な倫理観に訴えた、かなり安易なドラマ「月光仮面」並みのキャッチフレーズではないか。大の大人が口にするのは相当恥ずかしい言葉であり、かなり崩れてしまったとはいえ、我々の世代にはまだまだ根強く残っている「恥の文化」に反するものだ。普通は恥ずかしくてこんなことは言えない。臆面もなく「正義の味方、真実の報道」と口にできる精神に、通常の神経では「ついてはいけない」と思うものだ。
 しかし、共産党幹部、支持者はそう思わない。それが正義の怖さだろう。正義を体現していると信じた瞬間から、この言葉が恥ずかしくなくなる。臆面もないとは思わない。自分を疑うことを忘れる。客観性を喪失して、自分が世界の中心になってしまう。幼児的自我の中に埋没する。そして、その正義に従わない者こそ悪と断じてしまうのである。
 正義を信じてしまう恐ろしさが、ここにある。しかも従わない者を悪と断ずるだけでなく、罰して矯正しなければならないとまで考え始める。倫理の独占者と化す。つまり、人であることをやめて神の位置に昇ってしまうのである。革命政党が宗教組織になぞらえられ、その論争を神学論争に喩えるのは、正義を信じた瞬間から、それは人間にとって宗教と同じく倫理観に裏打ちされるからだ。
 神の位置に昇ることは、正義の体現者となったときから、革命政党が「無謬(むびゅう)性」を打ち出すことでも解る。「党は間違えない」のである。
 なんという厚顔無恥。わたしも、よくその一員でいられたものだと、つくづく思う。

 赤旗のキャッチフレーズはいみじくもプロパガンダの本質を言い当てている。正確さよりも正しさ。正しさとは「正しいと人々に思わせること」でもある。「私は正しい」。その後に何がくるだろうか? 当然「私に従え」だ。1+1=2くらいわかりやすい公式だ。

 縮小を願う組織はあり得ない。常に拡大発展を目的として動くのが組織である。これはやくざであれ、株式会社であれ、党派であれ、同じである。創価学会でいえば、戦前の弾圧による殉教や平和志向などの「信仰の原理」よりも、政治的判断・数値目標・保身などの「組織の論理」を優先するようになるのである。
 官僚は、その組織の上に乗ることで自分の立場を成立させている。組織が維持発展することと官僚の利害は一致する。そこで、組織(この場合創価学会の官僚)は、組織の維持すなわち自分たちの存立基盤の強化拡大という路線を選択することになる。教理、宗派の理念に沿い、それを時代とともに進化させる方向は、組織維持の原則と官僚の利害の前に二次、三次の選択肢となっていく。かくして壇上に並んだ幹部は「裏切り者」の集団となる。

 政治は宗教を目指し、宗教は政治に向かう。正義とは教条(ドグマ)なのだ。創価学会の機関紙・聖教新聞には「正義」の文字が極太ゴシック体でこれでもかといわんばかりに印刷されている。あたかも嘘をついているようにすら見えるほどだ。共産党の創価学会化と創価学会の共産党化は研究に値すると思われる。なぜなら二つの団体はメカニズムがほぼ一致しているためだ。党の無謬性と指導者の絶対性やオルグと折伏(しゃくぶく)など。

 宮崎は「集団化した正義の嘘を見抜け」と言いたいのだろう。アウトローだからこそ見えるものがある。インサイダーは見ざる聞かざる言わざるで臭いのもに蓋(ふた)をする。

 本物の正義は他人を説得しない。自(おの)ずから従わざるを得ない光のような性質をはらんでいる。太陽はしゃべらない。ただ暖かさを与えるだけだ。

 自分自身の問題でも、また組織の側の問題でも、どんな問題が起こったら、あるいはどんな環境下で自分のどこに抵触したら組織を離れるか、身を退くか。要するにやめる理由を整理整頓しておくべきではないか。

 これは千鈞の重みがある言葉だ。自分で自分にルールを課す。身の処し方とはそういうものだ。毒に気づかなければ皿まで食べる羽目となる。離れる。そして離れた後で、離れることからも離れる。そこに自由がある。

「正義」を叫ぶ者こそ疑え
宮崎 学
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2014-10-15

「日本のヤクザと裏社会」菅沼光弘 2006年10月19日

養老孟司、池田清彦、吉岡忍


 1冊読了。

 77冊目『バカにならない読書術』養老孟司、池田清彦、吉岡忍(朝日新書、2007年)/前半100ページが養老のエッセイ、後半が鼎談(ていだん)となっている。タイトルは『バカの壁』(新潮新書、2003年)に因(ちな)んだのだろうが、慣用句のため「(費用も)バカにならない」とも読めてしまう。どうせつけるのなら「バカにならないための読書術」にするべきであった。養老のわかりやすさを前面に出した軽い筆致があまり好きではないのだが、相変わらず着眼点が鋭く、特に「挨拶が苦手な自分」の原因が判明した件(くだり)は感動的だ。読み聞かせについても書かれているので若いお母さんの手引きとなろう。鼎談も面白い。ただ2回以上読める本ではない。3人の関係性について何も書かれていないのが不親切で、結局、養老におんぶに抱っこという企画のようだ。

2014-10-14

付加価値税(消費税)は物価/『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓

 ・湖東京至の消費税批判
 ・付加価値税(消費税)は物価

 富岡幸雄(中央大学名誉教授)は中曽根首相が売上税を導入しようと目論んだ時に、体を張って戦った人物。元国税実査官。月刊『文藝春秋』の1987年3月号に寄稿し、三菱商事を筆頭に利益がありながら1円も税金を支払っていない企業100社の名前を列挙し糾弾した。売上税は頓挫した。

岩本●結局8%、10%に消費税が上がると、スタグフレーション(不況でありながら物価上昇が続く状態)にもなりかねません。
 今、円安で物価は上がっているけれど、所得は上がっていません。上がったところで一時金、ボーナスだけで、固定給までは上げようとしていない。

富岡●そのことは、日本の大企業の経営姿勢に問題があると同時に、会社法との関係があります。【会社法は年次改革要望書、つまりアメリカの要求によってできた】もの。だから日本の経営者は会社法の施行後、経営のあり方をアメリカナイズした。短期利益、株主利益中心主義です。利益の配当という制度が剰余金の配当制度に変わり、利益がなくても株主には配当をすることができるのです。

岩本●そのしわ寄せが従業員に来ていますよね。付加価値の配分が歪んでしまって、配当がものすごく多くなる一方で労働への分配が減るという現象が起きています。

【『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓(自由国民社、2014年)以下同】

 年次改革要望書については関岡英之著『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』が詳しい。

 流れとしては、日米構造協議(1989年)→年次改革要望書(1994年)→日米経済調和対話(2011年)と変遷しているが、日本改造プログラムであることに変わりはない。非関税障壁を取り除くために日本社会をアメリカナイズすることが目的だ。で、規制緩和をしてもアメリカ製品が日本で売れないため、遂にTPPへと舵を切ったわけだ。多国間の協定となれば拘束力が強くなる。

富岡●繰り返しますが、【付加価値税というのは税金じゃない。物価、物の値段】なの。
 人間は物を買わなければ生きていけないんですから、付加価値税は「生きていること」にかかる税金です。人間と家畜、生きとし生けるものにかかる「空気税」みたいなものです。生きることそれ自体を税の対象物とするのは、あってはならないことです。

岩本●しかし先生、私自身も最初にそう言われてもピンとこなかったように、消費税が物価であるということを一般の国民はなかなか理解できないのではないかと思うんですが。

富岡●単純に考えていいんですよ。だってお腹が空いたら駅の売店でパンを買うでしょう。それが本来1個100円だとしたら、それが105円になる。105円払わないとパンは食えない。それが物価というものです。だから消費税は、消費者を絶対に逃れられない鉄の鎖に縛りつける税金。悪魔の仕組みなんです。

 これはわかりやすい。消費税を間接税と意義づけるところに国税庁の欺瞞がある。

消費税は、たばこ税と同じ「間接税」なのか?法人税と同じ「直接税」なのか?
消費税は間接税なのか

富岡●トランスファープライシング。日本の親会社が海外関連企業と国際取引する価格を調整することで、所得を海外移転することです。
 移転価格操作とタックスヘイブンを結びつけて悪用すれば、税金なんてほとんどゼロにできてしまうテクニックがある。
 簡単に説明するとね、日本にAというメーカーがあるとします。A社は税金の安いカリブ海などのタックスヘイブンに海外子会社Bをつくって、そのB社に普通よりも安い値段――たとえば本来の卸価格が80円だとすれば、70円などで売る。そしてB社はアメリカにあるもうひとつの子会社である販売会社のC社に100円で売る。実際にアメリカで売るのはC社です。
 これをすることで、日本にあるA社は利益を減らすけれど、タックスヘイブンにあるB社に利益が集中する。要するに、会社を3つつくれば、税金なんてすぐなくなっちゃうの。

 タックスヘイブン(租税回避地)に関しては次の3冊がオススメ。

マネーロンダリング入門 国際金融詐欺からテロ資金まで』橘玲
タックス・ヘイブン 逃げていく税金』志賀櫻
タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン

 ただしマネーロンダリングについてはアメリカが法的規制をしたため、ブラックマネーと判断されれば米国内の銀行口座は凍結され、彼らと取引のある金融機関も米国内での業務を停止させられる。こうなるとドル決済の取引がほぼ不可能となる。

 大局的な歴史観に立てば、やはりサブプライム・ショック(2007年)~リーマン・ショック(2008年)で金融をメインとする資本主義は衰亡へと向かいつつある。既に新自由主義は旗を下ろし、国家による保護主義が台頭している。

 不公平な税制が改善される見込みはない。どうせなら全部直接税にしてはどうか? 正しい税制が敷かれていれば、税金を支払うことに企業や国民は誇りを抱くはずだ。

 尚、湖東同様、富岡の近著『税金を払わない巨大企業』に対する批判も多いので一つだけ紹介しよう。

巨大企業も税金を払っています。 - すらすら日記。Ver2

あなたの知らない日本経済のカラクリ---〔対談〕この人に聞きたい! 日本経済の憂鬱と再生への道筋

サードマン現象は右脳で起こる/『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー


 どうやら極限状態で命と向き合った人びとに起こる共通の体験があるらしく、おかしな言い方かもしれないが、それまで耐えてきた艱難辛苦を思えば、その体験はおそろしくすばらしいことなのだ。人間の忍耐力の限界に達した人たちが成功したり生還したりした背景には見えない存在の力があったという、突飛とも思えるこの考えは、極限的な状況から生還した多数の人びとの驚くべき証言にもとづいている。彼らは口をそろえて、重大な局面で正体不明の味方があらわれ、きわめて緊迫した状況を克服する力を与えてくれたと話す。この現象には名前がある。「サードマン現象」というものだ。

【『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー:伊豆原弓(いずはら・ゆみ)訳(新潮文庫、2014年/新潮社、2010年『奇跡の生還へ導く人 極限状況の「サードマン現象」』改題)】

 別名は守護天使。ま、守護神と考えてよかろう。文庫本の改題は誤解を与える。「サードマン」が存在となっているためだ。飽くまでも「サードマン現象」と考えることが望ましい。

 山野井泰史の手記にもサードマンが現れる。しかし生還へと導いたわけではない。ただ現れただけだ。本書は「生還へと導かれた人々」の話を集めているが、必ずしもそうではないことを心に留めておく必要がある。

 これはたぶん右脳に起こる現象なのだろう。ジュリアン・ジェインズの理論(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』)で解けそうな気がする。もっと強烈な体験をすると教祖になるのだ。現代社会は左脳に支えられているため我々には不可思議と映るが、言語の誕生以前は日常的にそのような出来事があったと想像する。

 例えとしてはよくないが幼児は夢と現実の区別がつかず、夜中に激しく泣き出すことがある。古代人であれば「夢のお告げ」と受け止めたことだろう。コンスタンティヌスもその一人だ(『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ)。

 あるいはサードマンが現れても生還できなかった人々もいるに違いない。8000メートル級の高所登山で幻覚・幻聴は頻繁に起こる。それが原因で山から飛び降りてしまう人もいる。たまたま幸運だったケースだけ取り上げるのはやはり問題がある。

 いずれにせよ右脳には知られざる豊かな世界が眠っている。ジル・ボルト・テイラー著『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』を読めば、人は瞬時に悟りに至ることが理解できる。

サードマン: 奇跡の生還へ導く人 (新潮文庫)

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

菅沼光弘


 1冊読了。

 76冊目『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘(徳間書店、2012年)/財政健全化を口実に消費税増税をするのは倍国債購入のためと明言している。昨今のドル高もそれで説明できる。先方としては高い値段で売りたいわけだ。菅沼の一連の著作は語り下ろしだと思われる。それだけに読みやすいのだが、本書の編集はやや散漫で統一性を欠く。日本の政治家・官僚の多くが親米なら反中、親中なら反米となることを憂慮し、「なぜ独自の道を歩まないのか」と指弾する。菅沼は赤裸々に原発とオスプレイを肯定している。だがそれはタメにする議論ではなく、飽くまでも日本が国家として自立する道を志向してやまないためだ。国民の感情的な反応には確かに問題があろう。重複する内容も多いが、アメリカの戦略的な日本支配に慄然とする。

2014-10-13

湖東京至の消費税批判/『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓(2010年)

 ・湖東京至の消費税批判
 ・付加価値税(消費税)は物価

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
消費税が国民を殺す/『消費税のカラクリ』斎藤貴男
消費税率を上げても税収は増えない
【日本の税収】は、消費税を3%から5%に上げた平成9年以降、減収の一途

 湖東京至〈ことう・きょうじ〉は静岡大学人文学部法学科教授、関東学院大学法学部教授、関東学院大学法科大学院教授を務め現在は税理士。輸出戻し税を「還付金」と指摘したことで広く知られるようになった。岩本は既に『バブルの死角 日本人が損するカラクリ』(2013年)で湖東と同じ主張をしているので何らかのつながりはあったのだろう。更に消費税をテーマにした『アメリカは日本の消費税を許さない 通貨戦争で読み解く世界経済』(2014年)を著している。

 私にとっては一筋縄ではゆかない問題のため、湖東の主張と批判を併せて紹介するにとどめる。

湖東●私が写しを持っているのは2010年度版なのでちょっと古いのですが、これを見るとたしかに10年度時点で日本国の「負債」は1000兆円弱、国債発行高は752兆円あります。しかし一方で日本には「資産」もあります。これは預金のほか株や出資金、国有地などの固定資産などさまざまなものがありますが、この合計額が1073兆円あるのです。しかもこの年は正味財産(資産としての積極財産と、負債としての消費財産との差額)がプラス36兆円あるんですね。だから借金大国ではなくて、ひと様からお金を借りて株を買っている状態。そういう国ですから、ゆとりがあると言えばある。

【『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓(自由国民社、2014年)】
 国債発行額は1947年(昭和22年)~1964年(昭和39年)まではゼロ。大まかな推移は以下の通りだ。

     1965年 1972億円
     1966年 6656億円
     1971年 1兆1871億円
     1975年 5兆6961億円
     1978年 11兆3066億円
     1985年 21兆2653億円
     1998年 76兆4310億円
     2001年 133兆2127億円
     2005年 165兆379億円
     2014年 181兆5388億円

国債発行額の推移(実績ベース)」(PDF)を参照した。湖東のデータが何を元にしているのかわからない。Wikipediaの「国債残高の推移」を見ると2010年の国債残高は900兆円弱となっている。

「実績ベース」があるなら「名目ベース」もありそうなものだが見つけられず。以下のデータでは昭和30~39年も発行されている。

国債残高税収比率

 まあ、こんな感じでとにかく税金のことはわかりにくいし、政府や官僚は意図的にわかりにくくしていると考えざるを得ない。響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉は「国家予算とはすなわちブラックボックスであり、我々のイデオロギーとは旧ソビエトを凌ぐ官僚統制主義に他なりません」と指摘する(『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』)。

 日本以外では「付加価値税」という税を、なぜか日本だけが「消費税」と命名している。直訳すれば世界で通用せず、反対に別の税だと受け止められると湖東は指摘する。

 以下要約――付加価値税という税を最初に考えたのはアメリカのカール・シャウプであるとされる。「シャウプ勧告」のシャウプだ。アメリカではいったん成立したものの1954年に廃案となる。フランスはこれを「間接税」だと無理矢理定義して導入した。日本やドイツに押されて輸出を伸ばすことができなかったフランスは輸出企業に対して補助金で保護してきた。しかし1948年に締結されたGATT(関税および貿易に関する一般協定)で輸出企業に対する補助金が禁じられる。

湖東●そこでフランスがルールの盲点を突くような形で考えたのが、本来直接税である付加価値税を間接税に仕立て上げて導入することでした。税を転嫁できないことが明らかな輸出品は免税とし、仕入段階でかかったとされる税金に対しては、後で国が戻してやる。その「還付金」を、事実上の補助金にするという方法を思いついたのです。

岩本●ほとんど知られていないことだと思いますが、消費税には輸出企業だけが受け取れる「還付金」という制度がある、ということですね。

湖東●あるんです。たとえばここに年間売上が1000億円の企業があり、さらにこの1000億円の売上高のうち500億円が国内販売で、500億円が輸出販売。これに対する仕入が国内分と輸出分を合わせて800億円だったとします。
 このモデルケースでは、国内販売に対してかかる消費税は500億円×5%で25億円であるのに対し、輸出販売にかかる消費税は500億円×0でゼロ。したがって全売上にかかる消費税は、国内販売分の25億円だけです。
 一方で控除できる消費税は年間仕入額の800億円×5%で40億円になりますから、差し引き15億円のマイナスになります。これが税務署から輸出企業に還付されるのです。
 私の調査では、日本全体で毎年3兆円ほどが還付されています。

岩本●仮にその会社の販売比率が、国内3に対し輸出7だとすれば、消費税は300億円×5%で15億円。還付される額は25億円になりますから、売上に締める輸出販売の割合が高ければ高いほど還付金が増える仕組みですね。

湖東●そうです。ですから日本の巨大輸出企業を見るとほとんどが多額の還付金を受け取っており、消費税を1円も納めていません。

 これが問題だ。国税庁は「消費税とは、消費一般に広く公平に課税する間接税です」と定義している(「消費税はどんな仕組み?」PDF)。間接税であれば事業者負担はない。これに対して湖東は中小企業が消費税分を価格に上乗せすることができないケースや、大企業が中小企業に消費税分を値引きさせるケースを挙げている。こうなるとお手上げだ。ってなわけで以下に湖東批判を引用する。

 消費税はすべて消費者に転嫁されるので、実は税率がいくらであっても、企業の付加価値は変わらない。(中略)企業は、受け取った消費税分から支払った消費税分を引いた金額を納税(マイナスになれば還付)するため、還付されたからといって収益に変化はない。(高橋洋一:「輸出戻し税は大企業の恩恵」の嘘 消費増税論議の障害になる

 しかし、それと輸出免税還付金とは別のハナシであります。なんとなれば、トヨタの値引き圧力にあらがうことができずに、60万円で売りたいところ50万円にしなさいという圧力に涙を呑んで受け入れても、実務的には消費税は伝票に記入せざるをえません。(雑想庵の破れた障子:消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(4)無理を承知の上で、あえて主張している…。

消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(その1)消費税額の2割強が還付されている。
消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(その2)豊田税務署は “TOYOTA税務署” なのか?
消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(3)直感的に正しく見えることは、必ずしも真ならず。
消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(5)消費税の増税は、逆に税収を減らす…。

 以下のまとめもわかりやすい。

「輸出戻し税」で本当に大企業はボロ儲けなの?(仮) - Togetterまとめ

 こうして考えると、湖東の分が悪いように思う。次回は富岡幸雄(中央大学名誉教授)との対談を紹介する予定だ。

あなたの知らない日本経済のカラクリ---〔対談〕この人に聞きたい! 日本経済の憂鬱と再生への道筋

2014-10-12

白川静


 1冊読了。

 75冊目『回思九十年』白川静(平凡社、2000年/平凡社ライブラリー、2011年)/日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と呉智英〈くれ・ともふさ〉によるインタビューおよび対談で構成。対談者は10人ほど。白川本人の話を1000円で聴けると考えれば破格の値段である。ネット上を跋扈(ばっこ)する有料情報はこれに比すれば1円でも高すぎる。白川の文章は硬筆で書かれたハードボイルド文体の趣がある。自分を飾るところが全く見られない。淡々と事実を簡略に記す。それで物足りないかといえば決してそうではない。若き日に『詩経』と『万葉集』の間に東洋の橋を架けることを志し、やがて漢字に辿り着き、遂には甲骨・金文の解読に至る。白川漢字学は長らく日の目を見ることがなかった。白川は学生運動の嵐が吹き荒れる中でも大学での研究を絶やさなかった。その集大成が『字統』『字訓』『字通』となって花開くわけだが、この字書三部作に着手したのは何と73歳の時であった。「その真意を解明した独自の学説は、1900年もの長い間、字源研究の聖典として権威をもった後漢の許慎『説文解字』の誤りを指摘した」(東洋文字文化研究所)。凄いよね。1900年振りの大幅更新だよ。尚、『三国志読本』の宮城谷昌光との対談は本書からの転載のようだ。個人的には酒見賢一〈さけみ・けんいち〉、江藤淳、石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉、吉田加南子〈よしだ・かなこ〉の対談が面白かった。多少難しいところはあるが若い人にこそ読んでもらいたい。

サインとシンボル/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ


『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 ・サインとシンボル
 ・アルゴリズムとは

『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 デジタルコンピューターは機械であり、あらゆる物質的対象と同じく、熱力学の冷酷な法則がもたらす結果に縛られている。時間が尽きると、活力も尽きてしまう。緊張した2本の指の先でキーボードを叩くコンピュータープログラマーのように。私たちすべてと同じように。だが、アルゴリズムは違う。アルゴリズムは刺すような欲望と、その結果生じる満足の泡とを仲介する、抽象的な調整手段であり、さまざまな目的を達成するためての手続きを提供する。アルゴリズムは、サインとシンボルから構成され、思考と同じく時間を超えた世界に属する。

【『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2001年/ハヤカワ文庫、2012年)】

 アルゴリズムは算法と訳す。問題を解決する方法や手順を意味する。函数(関数、ファンクション)と混同しやすいので注意が必要。

アルゴリズムってなんでしょか

 つまり「アルゴリズムが優秀であれば、計算量を減らすことができる」(ニコニコ大百科)。巡回セールスマン問題を考えるとアルゴリズムの本質がわかりやすいだろう。そしてアルゴリズムの概念を定式化したのがチューリングマシンであった。「つまり、アルゴリズムの判定をする機械がチューリング機械である」(チューリング機械の解説)。

 上記テキストだけではわかりにくいと思うが、デイヴィッド・バーリンスキはコンピュータ以前からアルゴリズムが存在したことを指摘する。例として古代中国の官僚機構を示す。思わず膝を打った。なるほど、確かに計算手順だ。社会には必ずルールが存在する。それが効率や成果を目的としていることは明らかだ。社会や教育をアルゴリズムと捉えれば一気に抽象度が高まる。

 そしてアルゴリズムが「サインとシンボルから構成され」ているとの指摘に私は度肝を抜かれた。「サインとシンボル」といえばマンダラである。「ああ、あれはアルゴリズムだったのか」と思わず溜め息をついた。だとすれば宗教ってのは「生のアルゴリズム」なのか? そうかもしれない。

 もう一段思索を伸ばしてみよう。文字と言葉もまた「サインとシンボル」である。つまり言語とは「コミュニケーションのアルゴリズム」なのだろう。とすれば天才とは演算能力の高い人物を指すのだろう。y=f(x) の x の質が違うのだ。

 スポーツの場合だと作戦やセオリーがアルゴリズムとなる。アルゴリズムvs.アルゴリズムというわけだ。

 社会機能がアルゴリズムとすれば、政治家の本質はプログラマーでなくてはならない。社会の歪みは無駄な計算手順によって生まれる。日本の場合、第二次世界大戦に敗戦して以来、オペレーションシステムはアメリカ製でセキュリティソフト(日米安全保障)もアメリカ頼みだ。しかもGHQによって最初からバグを埋め込まれている。更に教育においてマシンへの愛着(愛国心)は否定的に扱われる有り様だ。

 求人:日本をプログラムし直す若者を募集します。希望者は次の衆院選に立候補されよ。

史上最大の発明アルゴリズム―現代社会を造りあげた根本原理
デイヴィッド バーリンスキ
早川書房
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血で綴られた一書/『生きる技法』安冨歩


『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩

 ・血で綴られた一書
 ・心理的虐待

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 しかし、私が受けてきた教育は学んだ学問の大半は、この簡単なことを隠蔽するように構成されていました。ですから、この簡単なことを見出すのが、とても大変だったのです。

【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)以下同】

 昨年は同い年ということで1位にした佐村河内守〈さむらごうち・まもる〉にまんまと騙されてしまったわけだが、何と安冨も同い年であった。そして今年の1位はよほどのことがない限り本書で決まりだ。『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店、2012年)の柔らかな視点と剛直な意志の秘密がわかった。

 タイトルの「技法」はテクニックのことではない。エーリッヒ・フロム著『愛するということ』の原題"The Art of Loving"に由来している。つまり「生の流儀」「生きる術(すべ)」という意味合いだ。

 サティシュ・クマールが説く依存は調和を志向しているが、安冨がいう依存はストレートなものだ。クマール本は綺羅星の如き登場人物の多彩さで読ませるが、私はさほど思想の深さを感じなかった。これに対して安冨の精神性の深さは思想や哲学を超えて規範や道に近い性質をはらんでいる。もちろん著者はそんなことは一言も書いていない。その謙虚さこそが本物の証拠である。

【命題1-1】★自立とは、多くの人に依存することである

 このトリッキーな命題から本書は始まる。人々の心に根強く巣食う執着を揺さぶる言葉だ。命題は以下のように次々と深められる。

【命題1-2】★依存する相手が増えるとき、人はより自立する

【命題1-3】★依存する相手が減るとき、人はより従属する

【命題1-4】★従属とは依存できないことだ

【命題1-5】★助けてください、と言えたとき、あなたは自立している

 ここで安冨は自分の人生を振り返り、親や配偶者から精神的な虐待を受けてきたことを明けっ広げに述べる。そこから文字が立ち上がってくる。魂の遍歴と精神の彷徨(ほうこう)を経て、いわば血で綴られた一書であることに気づかされるためだ。安冨の柔らかな精神は自分自身と対峙(たいじ)することで培われたのだろう。

 私はたぶん安冨と正反対の性格だ。そもそもハラスメントの経験がない。若い時分から態度がでかいし、何かあったらいつでも実力行使をする準備ができている。そんな私が読んでも心が打たれた。否、「撃たれた」というべきかもしれない。なぜなら、自分自身と向き合うという厳しさにおいて私は安冨の足元にも及ばないからだ。

 朱序弼〈シュ・ジョヒツ〉との出会いを通して、この命題は見事に証明される。そしてハラスメントを拒絶した安冨の人間関係は一変した。価値観とそれに伴う行動が変われば世界を変えることができるのだ。

 もう一つだけ紹介しよう。

 友だちを作るうえで、何よりも大切な原則があります。それは、

  【命題2】☆誰とでも仲良くしてはいけない

ということです。これが友だちづくりの大原則です。誰とでも仲良くしようとすれば、友だちを作るのはほぼ絶望的です。なぜかというと、世の中には、押し付けをしてくる人がたくさんいるからです。誰とでも仲良くするということは、こういった押し付けをしてくる人とも、ちゃんと付き合うことを意味します。

 私は幼い頃からやたらと悪に対して敏感なところがあり、知らず知らずのうちにこれを実践してきた。たぶん父親の影響が大きかったのだろう。30代を過ぎると瞬時に人を見分けられるようになった。日常生活において善を求め悪を斥(しりぞ)ける修練を化せば、それほど難しいことではない。抑圧されるのは人のよい人物に決まっている。結果的にその「人のよさ」に付け込まれるわけだ。拒む勇気、逃げる勇気がなければハラスメントの度合いは限りなく深まる。何となく心が暗くなったり、重くなったりする相手とは付き合うべきではない。その理由を思索し、見極め、自分で決断を下すことだ。慣れてくると数秒で出来るようになる。

 人生や生活で何らかの抑圧を感じている人は必ず読むこと。アダルトチルドレンやハラスメント被害者は本書を書写することで精神科の名医と同じ効果を得ることができるだろう。いかなる宗教者よりも安冨は真摯に自分と向かい合っている。

 一つだけケチをつけておくと(笑)、ガンディーや親鸞はいただけない。ガンディーは国粋主義者であり、カースト制度の擁護者でもあった。アンベードカルを知ればガンディーを評価することはできない(『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール)。鎌倉仏教についてもブッダから懸け離れた距離を思えば再評価せざるを得ないだろう。

 私からは、『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル、『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ、『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳を薦めておこう。

2014-10-11

交換可能な存在とされた労働者/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編

 ・交換可能な存在とされた労働者

 企業はさらに生産性をあげ、もっと金もうけのできる方法を求めていた。その一つが、すべての生産工程をいくつもの単純作業に分けるという“分業”だ。分業によれば、たとえば、一人で一つの家具を最初から最後までつくる必要がなくなり、男であれ女であれ、その者は分担された一つの作業だけをすればよいことになる。ドリルで穴をあける、接着剤をしぼり出す、というような単純作業をひたすらくり返せばよいのだ。これで、会社は高い技術をもった者を雇わなくてもすむようになった。そして労働者は、その者がまさに動かしている機械類と大差のない、交換可能な存在にされ、個性と人間性は奪われてしまった。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)】

 近代の扉を開いた産業革命の本質は機械化にある。その機械化が労働の質を変えた。労働者は部品となった。こうして働く喜びが人類から奪われたのだろう。

 驚くべきことだが、この部分に続いてアメリカ国内で社会主義旋風が起こった歴史が記されている。もちろん実現することはなかった。町山智浩によると自動車産業が隆盛を極めた頃は労働組合の力が強かったというから、それなりにアメリカ社会のバランスは取れていたのだろう。その後、新自由主義の台頭によって労働組合は骨抜きにされる。

 21世紀に入り、格差は多重的な構造を形成している。世界には先進国と発展途上国という格差があり、国内にも格差が生まれ、地域内・会社内・学校内にまで格差が広がっている。

 労働も政治も経済に収斂(しゅうれん)される。資本主義とは社会の一切が資本へと向かうメカニズムを意味する。そして富める者はますます富み、貧しき者は貧窮を極める。

 現在、凄まじい勢いでロボット産業が前進している。ロボットに労働が奪われる日も近い。その時我々は何を糧(かて)として生きてゆくのだろうか。

 近代は先進国には意味のある歴史だが発展途上国を利することはなかった。それどころか先進国の発展を支えるために途上国は植民地とされた。

 過剰な貿易依存は国を傾ける。近代を否定するとなれば鎖国することが望ましいと私は夢想する。国内で産業や資本が回るようになれば貿易は最小限で済む。問題はエネルギーをどうするかだ。

 世界がひとつになることはあり得ないし、人類が皆兄弟になる日も来ない。国際化は必ず国際的な紛争に巻き込まれることを意味する。「日本はどちらにつくんだ?」とアングロサクソンは問う。

 国家の安全保障をアメリカに依存する以上、日本はアメリカにノーと言えない。我々が米軍基地と認識しているものは、ひょっとするとGHQかもしれない。

 

2014-10-10

虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


 ・虐殺者コロンブス

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編

 自分の過(あやま)ちを正すには、わたしたち一人ひとりが、その過ちをありのままに見つめなければならない。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)以下同】

 歴史は繰り返す(古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉)。なぜなら人類は歴史から学ぶことがないからだ。唯物史観は進歩を謳ったが歴史も人類も進歩することはないだろう。ただ「自分を正すかどうか」が問われる。「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公第十五)と。過ちを知りながら悔い改めないところに過ちの本質がある。

将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー

 ルビが多いので多分中高生向けと思われるが、アメリカ合衆国の歴史を知るには打ってつけの一書である。アメリカが反省していないところを見ると本書もさほど読まれていないことだろう。テレビに向かう人は多いが良書に向かう人は少ない。

 私の考える愛国心とは、政府のすることをなんでも無批判に受け入れることではない。民主主義の特質は、政府の言いなりになることではないのだ。国民が政府のやり方に異議を唱えられないなら、その国は全体主義の国、つまり独裁国家である――わたしたちは幼いころ、そう学校で教えられたはずだ。そこが民主国家であるかぎり、国民は自分の政府の施策を批判する権利をもっている。

 メディア・ファシズムが投票民主主義を葬った。そして政府は大企業と金融に支配された。資本主義経済-大衆消費社会の構図がそれを可能にしたのだ。我々は国の行く末よりも今月の給料で何を買うかに関心がある。響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉は次のように指摘する。

「有権者」と称しつつ、国あるいは自治体の財政収支、つまり【社会資本配分の内訳】を理解して投票する者など1%にも満たないわけです。【99%の国民にとって政治とは感情的に参画する抽象概念であり、統治の本質とは認知捜査に過ぎず、社会システムは迷妄(めいもう)の上に成立しています】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】

 そして国家のバランスシートは全てを公開しているわけではない。私も含めて国民の99%はB層なのだ。

 アラワク族の男たち女たちが、村々から浜辺へ走り出してきて、目をまるくしている。そして、その奇妙な大きな船をもっとよく見ようと、海へ飛びこんだ。クリストファー・コロンブスと部下の兵たちが、剣(つるぎ)を帯びて上陸してくるや、彼らは駆けよって一行を歓迎した。コロンブスはのちに自分の航海日誌に、その島の先住民アラワク族についてこう書いている。
〈彼らはわれわれに、オウムや綿の玉や槍(やり)をはじめとするさまざまな物をもってきて、ガラスのビーズや呼び鈴と交換した。なんでも気前よく、交換に応じるのだ。彼らは上背があり、体つきはたくましく、顔立ちもりりしい。武器をもっていないだけでなく、武器というものを知らないようだ。というのは、わたしが剣をさし出すと、知らないで刃を握り、自分の手を切ってしまったからだ。彼らには鉄器はないらしく、槍は、植物の茎でできている。彼らはりっぱな召使になるだろう。手勢が50人もあれば、一人残らず服従させて、思いのままにできるにちがいない〉
 アラワク族が住んでいたのは、バハマ諸島だった。アメリカ大陸の先住民と同じように、客をもてなし、物を分かち合う心を大切にしていた。しかし西ヨーロッパという文明社会から、はじめてアメリカへやってきたコロンブスがもっていたのは、強烈な金銭欲だった。その島に到着するや、彼はアラワク族数人をむりやりとらえて、聞き出そうとした。金(きん)はどこだ? それがコロンブスの知りたいことだった。

 黄金と香辛料を持ち帰れば利益の10%がコロンブスのインセンティブとなる契約だった。当初、黄金は見つからなかった。船を空(から)にしたままスペインへ帰るわけにはゆかない。そこでコロンブスは1495年に大掛かりな奴隷狩りを行う。捕虜の中から500人を選別しスペインへ送った。

 航海の途中で、200人が死んだ。残る300人はなんとかスペインに到着し、地元の教会役員により競(せ)りにかけられた。
 コロンブスはのちに、信心深い調子でこう書いている。〈父と子と聖霊の御名(みな)において、売れんかぎりの奴隷をさらに送りつづけられんことを。〉

 ヨーロッパ人の恐ろしさはここにある。何かトラブルがあって殺害に至ったわけではなく、最初から略奪・虐殺を目的としていたのだ。その後、アフリカ大陸の黒人も奴隷としてアメリカに輸送される運命となる。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 サミュエル・エリオット・モリソンは、コロンブス研究でもっとも有名な歴史学者の一人だ。モリソンはみずからコロンブスの航海をたどり、大西洋を横断した。1954年には『大航海者コロンブス』という、一般向けの本も出版した。そのなかで彼は、コロンブスやあとに続くヨーロッパ人による残虐な行為のせいで、インディアンの〈完全な大量殺戮(ジェノサイド)〉が引き起こされた、と述べている。ジェノサイドとは、とても強い言葉だ。ある民俗的、または文化的集団の全員を計画的に殺害する、という恐ろしい犯罪の呼び名である。

 宗教的正義が大量殺戮を可能にする。アメリカ人の祖は人殺しと泥棒であった。自由の国とはヨーロッパ人が暴力を振るう自由であった。一神教(アブラハムの宗教)こそが世界を混迷させる一大要因であると私は考える。ハワード・ジンの良心はキリスト教を攻撃するまでには至っていない。それは東洋の仕事だ。一神教を撃つ学問を立ち上げる必要があろう。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 

2014-10-08

菅沼光弘


 1冊読了。

 74冊目『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘(徳間書店、2011年)/東日本大震災による福島原発事故を通して、日本が原発を導入するに至った歴史的・政治的経緯に始まり、GHQの占領政策が戦後の日本をどのように破壊してきたかを様々な角度から説く。その膨大な知識と情報に圧倒される。しかも金融・経済にまで目配りが行き届いている。菅沼は原発を憂慮する国民が多いことをわかりながら、敢えて核武装の必要性を提言する。私自身は数年前から核武装に賛成の立場だ。理由は単純である。もともと民主主義というのは類人猿時代に始まる。それは弱い者が力を合わせてアルファオス(ボス猿)を暴力的に排除することに由来している。人類が起こしてきた革命はすべてこれに該当する。ところが金融の電子化と原子爆弾の発明によって民主主義は滅んだと私は考える。なぜなら国民の大半が蜂起したとしても、これらを奪うことができないためだ。米よこせ運動は可能だが、マネーよこせ運動や核よこせ運動は不可能だ。そもそも銀行には一部の資産しか存在しないのだ。行間に憂国の情がほとばしり、結論で日本人への信頼を述べている件(くだり)は胸に込み上げてくるものがある。手引きとしては、『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之→『戦後史の正体 1945-2012』孫崎享→『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン→『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー→菅沼光弘と進めば理解が深まることだろう。

2014-10-07

「六師外道」は宗教界の革命家たち/『沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる』アルボムッレ・スマナサーラ


『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・「六師外道」は宗教界の革命家たち

 これらの先生方は「六師外道」といわれる人たちです。仏教では、六師外道を「仏教以外の教えを説いている6人の先生」という程度の意味で使っています。でもここに登場する人々は、外道という蔑称で簡単に切り捨てられるものではありません。本当は、インドの当時の宗教世界の革命家として、厳密に考えなくてはいけない人々だったのです。
 その先生方の教えは、我々がインドの宗教として知っているヒンドゥー教のような生ぬるい教えではありませんでした。ヒンドゥー教のもとであるバラモン教は、当時の人々の生活に深く浸透していました。土台であって、かなり根深いものだったのです。そんな中で大胆な教えを説いて宗教革命を起こしたのが、これらの人々です。バラモン教の悪弊に縛られて苦しんでいた社会に天才たちが現れ、とてつもないことを言って人々の目を覚ましてしまったのです。

【『沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ、2009年)】

 仏教が内道であるのに対し仏教以外の教えを外道という。これが敷衍(ふえん)して「道に外れた者」を外道と呼ぶに至った。現在ではプロレスラーの名前にまでなっている。私の印象では鎌倉仏教も六師外道を異端として扱っているように思う。

 ヒンドゥー教の六派哲学六師外道が対応しているならば、ヒンドゥー教をテーゼとして正反合が成り立つのだろうか? ブッダの場合は当然、止揚ではなく中道だが。

 もちろん私も本書で初めて六師が宗教的天才であり革命家であったことを知った。ただしスマナサーラの筆は勢いあまって「生ぬるい」とか「とてつもない」などと軽々しく余計な表現を盛り込んでいることに注意する必要がある。大体「人々の目が覚めた」ならばブッダの登場は不要だ

 大いなる懐疑の時代を経てブッダが誕生したと考えればよかろう。諸学説を六十二見にまとめて説いたのが梵網経である。

梵網経の検索結果

 ティク・ナット・ハン著『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』で私は六十二見を知った。近いうちに紹介しよう。

菅沼光弘、山嶋哲盛


 1冊挫折、1冊読了。

そのサラダ油が脳と体を壊してる』山嶋哲盛〈やましま・てつもり〉(ダイナミックセラーズ出版、2014年)/安っぽいフォントを見て、「こりゃダメだな」と思った。著者名の読みも書かれていない。そして肩書が「医学博士・脳科学専門医」と。あとは推して知るべし。念のためパラパラめくってみたが、読むに堪えず。

 73冊目『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎(扶桑社、2010年)/菅沼の著書は全部読む予定。須田もなかなか侮れない。菅沼と佐藤優の違いを思う。小野田寛郎と菅沼の対談を読んでみたかった。

2014-10-04

石原の言葉/『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎

 ・石原の言葉

『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

「ただいま」
 清美さんは内心、ぼう然としていた。写真で見た父は、がっしりしてかっぷくがよかった。目の前の父は、やせ衰えてほおがこけ、歯が一本もなかった。

【『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代〈はたや・ふみよ〉(岩波ジュニア新書、2009年)以下同】

 浦野清美さんは当時8歳だった。もう少し引用する。

 酔って機嫌のいいとき、勝さんはごくまれに、抑留中の話をした。
「(強制収容所では)自分の物を盗まれても、盗(と)られるやつが悪い」
「食べる物がなかったから、大きいの(大便)をした後、そこに食べられるものがあればかち割って食べた」
「金歯を抜いて、黒パンと交換した」――
 引揚げてきたとき、父の歯が一本もなかった理由がわかった。

 ソ連という国家の本質が窺える。唯物論は人間を物のように扱うのだろう。「では、イスラエルやアメリカはどうなんだ?」と反論されたら一言も抗弁できないが。

 好著である。石原の人となりをコンパクトにすっきりとまとめている。初めて知ることも多かった。

 24歳で招集された石原は、すでに38歳になっていた。
 復員後の混乱の日々のなかで、石原は一冊の本に出会う。第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者ヴィクトール・E・フランクル(1905-97年)が、自らの体験をまとめた『夜と霧』(霜山徳爾訳・みすず書房)。石原はこの本を支えに、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)での体験を、自分自身に問い直していく。

〈私に、本当の意味でのシベリヤ体験がはじまるのは、帰国したのちのことである〉
(「『望郷と海』について」初出掲載年不明)

 戦後の日本で、石原が問い返し続けた「内なるシベリア」。黙して隠し抜こうとする意志と、書き残そうとする意志のせめぎ合いのなかから、石原の言葉は生み出された。それがエッセーとして世に出るまでには、復員から16年の時間が必要だった。

『夜と霧』は霜山訳よりも池田香代子訳(みすず書房、2002年)を薦める。

 単なる表現の問題ではない。一度死んだ人間が再び生き直すために失った言葉を手繰り寄せるのに要した時間だ。しかも帰国直後に鹿野武一〈かの・ぶいち〉は逝去しているのだ。石原は胸の内に鹿野の姿を浮かべ、何度も何度も対話したことだろう。

 シベリアでの絶望は日本に戻ったことでより一層深くなったに違いない。抑留者の帰国はいっときのニュースでしかなかった。「よかったよかった」以上、である。石原や鹿野よりも早く日本に帰った菅季治〈かん・すえはる〉も既に自殺していた。

 60万人もの同胞を見捨てたことなど多くの人々は気にしていなかった。責任を取る者など一人もいなかった。それどころか大半の引揚者が「赤のスパイ」と疑惑の眼差しで見られた。

 言葉はあまりにも無力であった。そして軽すぎた。風が吹けば消え去るようなものであった。石原は石を穿(うが)つように言葉を紡いだ。再び獲得された言葉は澄明で技工とは無縁であった。そして失ったからこそわかった重みが増した。

 氾濫(はんらん)する言葉の多くは最初から死んでいる。我々はもっと躊躇(ためら)い、戸惑い、沈黙を見据えながら言葉を吐くべきなのだろう。


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳

山野井泰史、菅沼光弘


 2冊読了。

 71冊目『垂直の記憶』山野井泰史〈やまのい・やすし〉(山と溪谷社、2004年/ヤマケイ文庫、2010年)/沢木耕太郎の『』を読めば本書に進まざるを得ない。自由に生きる人は少なからずいる。山野井はそれに加えてきれいな生き方をしている。夫妻ともにコマーシャリズムやプロパガンダとは無縁だ。決して我慢しているわけではなく本人は「物欲がない」と言う。凍傷で大半の指を失っても山への情熱は衰えることがない。妻の妙子は元々指先を殆ど失っていたが、あのギャチュン・カンで第一関節から切断する羽目となる。それでも畑仕事をし、リハビリを重ねて料理全般を行う。幸せのあり方を深く考えさせられる。山野井が登攀するのは素人からすれば崖である。一歩誤れば死に直結する。多くの仲間が山で死んでいった。だからこそ、そこで生は輝きを放つ。クライマーは現代の僧侶であると私は考える。もちろん丸山直樹の『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』も読む予定だ。

 72冊目『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)/ぶったまげた。ここまで書いて大丈夫なのか? びっくりするようなことが次々と出てくる。孫崎享の『戦後史の正体』を読んだ人は必読のこと。TPPについてこれほどわかりやすい解説もない。「スパイの見識」に驚嘆した。

2014-10-03

Anna-Wili Highfield のペーパースカルプチャー(紙の彫刻)








視覚の謎を解く一書/『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン
視覚と脳
騙される快感/『錯視芸術の巨匠たち 世界のだまし絵作家20人の傑作集』アル・セッケル
視覚的錯誤は見直すことでは解消されない

2014-10-02

土俗性と普遍性/『涙の理由』重松清、茂木健一郎


【茂木】普遍性が、ある種の土俗性を切り捨てたところに成り立っている。そこに、忸怩(じくじ)たるものを感じるのかもしれない。

【『涙の理由』重松清、茂木健一郎(宝島社、2009年/宝島SUGOI文庫、2014年)】

 茂木健一郎が精力的に対談本を出し、佐藤優がそれに続いたような印象がある。「どれどれ」と思いながら開いたところ、そのまま読み終えてしまった。初対面の中年男二人がちょっとぎこちない挨拶を交わし、茂木がリードしながら会話が進む。この二人、実は少年時代から抱えている影の部分が似ている。

 茂木の指摘は小説に対するものだが、そのまま宗教にも当てはまる。民俗信仰(民俗宗教)が世界宗教に飛躍する時、儀式性よりも理論が優先される。ここで民俗的文化が切り捨てられる。それを個性と言い換えてもよかろう。つまり味を薄めることで人々が受け入れやすい素地ができるのだろう。これが妥協かといえば、そう簡単な話でもない。

 唐突ではあるが結論を述べよう。私はインディアンのスピリチュアリズムは好きなのだが、ニューエイジのスピリチュアリズムは否定する。両者の違いは奈辺にあるのだろうか? それが土俗性であり、もっと踏み込めばアニミズムということになろう。

 一神教や大衆部(大乗仏教)は神仏を設定することで土俗性を破壊する。そして必ず政治的支配(権力)と結びつく。日本が仏教を輸入したのも国家戦略に基づくものであった。

 そう考えるとよくわかるのだが、ブッダやクリシュナムルティの教えは最小公約数的な原理を示しているだけで、特定の神仏への帰依を強要するものではない。手垢まみれになった宗教という言葉よりも、根本の道というイメージに近い。

ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎


 ・目次
 ・ジェノサイドの恐ろしさ

『海を流れる河』石原吉郎
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 確認されない死のなかで
   ――強制収容所における一人の死

百万人の死は悲劇だが
百万人の死は統計だ。
アイヒマン

 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、【ひとりひとりの死】がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害において自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。

【『望郷と海』石原吉郎:岡真理解説(筑摩書房、1972年/ちくま学芸文庫、1997年/みすず書房、2012年)】

『望郷と海』が復刊された。みすず書房は最初から売れないものと決め込んだのだろう。3240円は高い。重複した内容が多いので『石原吉郎詩文集』の方がオススメできる。

 本書を「日本版 夜と霧」と評する向きもあるようだが的外れだ。石原吉郎は日本版プリーモ・レーヴィであり、本書は「日本版 アウシュヴィッツは終わらない」というべきだろう(『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ)。石原は長く生きたが、その末期(まつご)まで酷似している。

 強制収容所は労働を強制する場所だ。働けなくなればその場で殺されることも珍しくはない。石原自身何度も目の当たりにしてきた。彼らは単なる労働力であって人間と見なされることがない。石炭や石油と同じくエネルギーに例えることも可能だろう。

 石原が抱いた恐怖は存在に関わるものだ。まずシベリア抑留という国家から見捨てられた立場があり、次にいつ殺されるかわからない情況がある。つまり彼らは二重に否定された存在なのだ。

 人は尊厳を奪われるとただの動物と化す。石原は帰国後、失語症となり実際に言葉まで失った。

 血で書かれた言葉は石に彫(ほ)られた文字のように重い。その目方に耐えることのできる下半身の力が読み手に求められる。そんな本だ。

望郷と海 (始まりの本)
石原 吉郎
みすず書房
売り上げランキング: 182,218

2014-10-01

宮城谷昌光


 1冊読了。

 70冊目『三国志読本』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(文藝春秋、2014年)/ソフトカバーで1620円という値段を見れば、販促本と思われても仕方がないだろう。ところがどっこいそれで終わっていない。構成の勝利だ。11人との対談と語り下ろしが収められている。本当は白川静との対談だけ読むつもりであった。全員の名前を挙げると、水上勉、井上ひさし、宮部みゆき、吉川晃司、江夏豊、五木寛之、平岩外四、藤原正彦、秋山駿、マイケル・レドモンド。最後の3人が本当に面白かった。『月刊 文藝春秋』で10年の長きにわたって続いた連載が完結。三国志読本であると同時に秀逸な宮城谷昌光入門となっている。宮城谷は対談も上手くて驚いた。

2014-09-30

リー・チャイルド


 2冊読了。

 68、69冊目『警鐘(上)』『警鐘(下)』リー・チャイルド:小林宏明訳(講談社文庫、2006年)/一日半で読了。テレビドラマみたいなミステリだ。都合よくストーリーが進む。リー・チャイルドは女性の描き方が拙い。「美しい」と書くのは文筆家の敗北宣言も同様だ。「だけど読み終えたんだろ?」と言われれば、「はい」と答えるしかない。読ませるだけの筆力があるだけに、どうしても文句を言いたくなる。

2014-09-29

渡邉哲也の致命的なツイート



2014-09-28

グレゴリー・コルベール「Ashes and Snow」


 画像クリックで拡大。









Ashes and Snow by Gregory Colbert from Gregory Colbert on Vimeo.



Ashes and Snow Tokyo Exhibition Catalog (Ashes and Snow Books)Ashes and Snow, English/Japanese, Region-free/NTSC Edition [DVD]

2014-09-27

宇沢弘文逝く


 この碩学(せきがく)にして人前であがることがあった。86歳で死去した経済学者の宇沢弘文さんが1983年に文化功労者になり、昭和天皇に招かれて話をしたときである。「ケインズがどうの、だれがどうした」。そのうち自分でもわけが分からなくなってしまったのだという。▼すると天皇が身を乗り出してきた。「キミ。キミは経済、経済と言うけれども、要するに人間の心が大事だと言いたいんだね」。その言葉に電撃的なショックを受け、目がさめた思いがした、と本紙の「私の履歴書」で振り返っている。人間の心を大切にする経済学は、宇沢さんの研究を貫く芯になったテーマでもあった。▼公害問題にのめり込み、水俣では水俣病の研究、治療に尽くした医師・原田正純さんと親交を結んだ。重篤な患者が原田さんを見るとじつにうれしそうな顔をして、はいずって近づこうとする姿に感動した。経済の繁栄と一人ひとりの生活の落差を目の当たりにし、解決の道を探るための経済理論づくりを進めたのである。▼米国で研究生活を送ったのは平和運動、ベトナム反戦運動が盛んなころだった。ともに運動に関わった同僚が知らぬ間に大学を解雇されたりした。知人に連れられてよく集会に行き、歌のうまい女子高校生に感心した。のちに日本でもよく知られたフォーク歌手のジョーン・バエズである。人間臭さにも満ちた生涯だった。

日本経済新聞 2014年9月27日

行間に揺らめく怒りの焔/『自動車の社会的費用』宇沢弘文
人の心を大事にする経済学:伊勢雅臣

始まっている未来 新しい経済学は可能か経済学と人間の心経済学は人びとを幸福にできるか社会的共通資本 (岩波新書)

2014-09-26

新自由主義に異を唱えた男/『自動車の社会的費用』宇沢弘文


『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕
『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳

 ・行間に揺らめく怒りの焔
 ・新自由主義に異を唱えた男

『交通事故学』石田敏郎
『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

必読書リスト その二

 かつて、東京、大阪などの大都市で路面電車網が隅々まで行きわたっていたころ、いかに安定的な交通手段を提供していたか、想い起こしていただきたい。子どもも老人も路面電車を利用することによって自由に行動でき、街全体に一つの安定感がみなぎる。たとえ、道路が多少非効率的に使用されることになっても、また人件費などの費用が多くなったとしても、路面電車が中心となっているような都市が、文化的にも、社会的にもきわめて望ましいものであることを考え直してみる必要があるであろう。この点にかんして、西ドイツの都市の多くについて見られるように、路面電車の軌道を専用とし、自動車用のレーンとのあいだに灌木を植えて隔離し、適切な間隔を置いて歩行者用の横断歩道を設けているのは、大いに学ぶべきであろう。

【『自動車の社会的費用』宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉(岩波新書、1974年)以下同】

 宇沢弘文が亡くなった。新自由主義の総本山シカゴ大学で経済学教授を務めながら、猛然とミルトン・フリードマン(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)に異を唱えた人物だ。

 本書は教科書本である。興味があろうとなかろうと誰が読んでも勉強になる。何にも増して学問というものがどのように社会に関わることができるかを示している。宇沢は日本社会が公害に蝕まれた真っ只中で自動車問題にアプローチした。

 高度成長がモータリゼーションを生んだ。だが政治は高速道路をつくることに関心が傾き、狭い道路をクルマが我が物顔で走り、人間は押しのけられていた。私が子供の時分であり、よく覚えている。

 自動車を極端に減らすことは難しい。さりとて道路行政も向上しない。そして人々は移動する必要がある。そこで宇沢が示したのは路面電車であった。眼から鱗が落ちた。何と言っても小回りが効くし公害も少ない。更に事故も少ないことだろう。現在、Googleなどが自動運転のクルマを開発しているが、むしろ路面電車の方が自動運転はしやすいのではあるまいか?

 そして、いたるところに横断歩道橋と称するものが設置されていて、高い、急な階段を上り下りしなければ横断できないようになっている。この横断歩道橋ほど日本の社会の貧困、俗悪さ、非人間性を象徴したものはないであろう。自動車を効率的に通行させるということを主な目的として街路の設定がおこなわれ、歩行者が自由に安全に歩くことができるということはまったく無視されている。この長い、急な階段を老人、幼児、身体障害者がどのようにして上り下りできるのであろうか。横断歩道橋の設計者たちは老人、幼児は道を歩く必要はないという想定のもとにこのような設計をしたのであろうか。わたくしは、横断歩道橋渡るたびに、その設計者の非人間性と俗悪さとをおもい、このような人々が日本の道路も設計をし、管理をしていることをおもい、一緒の恐怖感すらもつものである。

 今となっては歩道橋もあまり利用されていない。私なんかは既に10年以上渡った記憶がない。結局、経済成長を優先した結果、人が住みにくい環境になってしまった。戦後だけでも50万もの人々が交通事故で死亡している(戦後50万人を超えた交通事故死者)。この数字は原爆の死亡者(広島14万人長崎7.4万人)に東京大空襲の死亡者(10万人超)を足した数より多いのだ。まさに「交通戦争」と呼ぶのが相応しいだろう。

 宇沢の声が政治家の耳に届いたとはとても思えない。交通事故の死亡者数が1万人を割ったのも最近のことだ。しかもその数字は24時間以内のものに限られている。碩学(せきがく)は逝った。だがその信念の叫びは心ある学徒の胸を震わせ、長い余韻を響かせることだろう。

2014-09-25

孫崎享


 1冊読了。

 67冊目『戦後史の正体 1945-2012』孫崎享〈まごさき・うける〉(創元社、2012年)/朝日新聞の書評欄で佐々木俊尚が「陰謀論」と切り捨てた。それに対して郷原信郎〈ごうはら・のぶろう〉が反論。ネット上では「トンデモ本」とかまびすしい。ラジオで佐藤優が孫崎の言論活動に対して「日本の国益を損なう」と発言したのを聞いて、これは読まねばと思った次第である。佐藤優の著作を数冊読んだ限りでは、どうも肝心なことを書いていないような気がする。むしろ該博な知識をもって何かを隠しているようにすら見える。著者は対米追随派と対米自主派という枠組みで歴代首相を捉え、アメリカとの綱引きによって日本がどのように動いてきたかを検証する。陰謀論・トンデモ本と一言で片付けるわけにはいかない労作である。本書は既に20万部以上売れている。売れれば売れた分だけ批判が出ることは避けようがない。でもまあ、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読めば、孫崎の主張がそれほどおかしいとは思えない。いずれにせよ日本人がGHQによる占領の意味を考える上で重要なテキストだと思う。この分量で1620円は破格の値段だ。

天木直人:孫崎享氏と対談した事について書く
「孫崎亨氏の解釈間違」佐藤優

2014-09-24

日本と国際インテリジェンス戦争











ロックフェラー兄弟財団、化石燃料投資から撤退宣言


 世界最大の石油財閥であるロックフェラー一家(Rockefellers)が22日、化石燃料に対する投資を止めると発表し、米ニューヨーク(New York)で23日に開かれる国連(UN)の気候変動サミットにとって大きな後押しとなりそうだ。

 サミットを翌日に控え、民間機関や個人、地方自治体などによる連合はこの日ニューヨークで、化石燃料に対する計500億ドル(約5兆4000億円)以上の投資撤退を宣言した。この連合には資産規模8億4000万ドル(約900億円)のロックフェラー兄弟財団(Rockefeller Brothers Fund)も含まれており今後、化石燃料との関わりを可能な限り減らし、また環境に最も有害なエネルギー源とされる石炭灰と油砂(オイルサンド)へのすべての投資を止めると発表した。

 ロックフェラー兄弟財団は、ジョン・D・ロックフェラー(John D. Rockefeller)の子孫たちによる財団。石油王ロックフェラーが創始したスタンダード・オイル(Standard Oil)の後身である世界最大級の石油大手、米エクソンモービル(ExxonMobil)は、気候変動に関する取り組みの敵となることが多い。

 化石燃料産業全体の規模に比べれば投資撤退の規模は小さいが、気候変動問題に取り組む人々からは歓迎の声が上がっている。南アフリカのデズモンド・ツツ(Desmond Tutu)元大主教は、この宣言を歓迎するビデオ・メッセージを発表し「私たちはこれ以上、化石燃料への依存を支えるわけにはいかない」と述べた。

AFP 2014年9月23日

2014-09-23

ヒップホップの鎮魂歌(レクイエム)


「Def Tech - いのり feat. SAKURA」は25歳で亡くなった日本を代表するサーファー佐久間洋之介を、「DJ KRUSH - Candle Chant (A Tribute) feat.BOSS THE MC」は24歳で亡くなったラッパーのラフラ・ジャクソンを歌った曲だ。そして2Pacは友人であったマイク・タイソンの試合を観戦した帰りに銃撃を受け死亡した。まだ25歳だった。「死を悼(いた)む」営みこそ真の優しさである。亡き友が思い出されてならない。「Life goes on」を聴くと私の心臓は本当に鼓動が激しくなる。





佐々淳行、沢木耕太郎


 2冊読了。

 65冊目『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)/菅沼光弘の発言(「謀略天国日本 日本は情報戦をどう戦うか?」か「さようなら韓国、さようなら戦後体制」のどちらか)を確認するために読んだ。「瀬島龍三はソ連のスリーパー(潜伏スパイ)だった」。確かに書いてあった。瀬島は伊藤忠商事会長を務め、中曽根首相のブレーンにまでなった人物だ。最大の仕事は東芝機械ココム違反事件(1987年)で、規制されていた工作機械をソ連に輸出し原子力潜水艦のスクリュー音を静かにすることが可能となった。瀬島は誓約引揚者だった。後藤田正晴のもとで八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をする姿を赤裸々に綴っており、佐々はフレデリック・フォーサイスの小説にまで登場している。こんな凄い人物だとは思わなかった。

 66冊目『』沢木耕太郎(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)/山野井泰史・妙子夫妻を描いたノンフィクション。かつてテレビ番組で紹介されていたので粗筋は知っていた。夫婦ともに世界トップクラスのクライマーである。どれどれと思いながら開いてみたところ、一日半で読み終えてしまった。8000メートルをわずかに下ることから今まで注目されてこなかったエベレストに連なるギチュンカンへの無酸素アタック。『神々の山嶺』そのままの世界だ。山野井泰史が単独で制覇。下山の際に夫妻は雪崩に襲われる。衝撃で二人は目が見えなくなる。素手でクラックをまさぐり、1本のハーケンを打ち込むのに1時間を要した。ロープだけのブランコ状態でのビバーク、ライターを落とし手袋まで落としてしまう。それでも二人は生還した。後日譚がまた泣かせる。山野井夫妻ほど自由に人生を謳歌している人物を私は知らない。

2014-09-20

岩本沙弓


 1冊読了。

 64冊目『マネーの動きで見抜く国際情勢 経済メカニズムの“ウラ・オモテ”』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(PHPビジネス新書、2010年)/好著。岩本の近著よりもいいように感じた。『円高円安でわかる世界のお金の大原則』を読んだら本書に進むのが望ましい。実体経済がなぜ金融経済に振り回されるのかがよくわかる。今年は岩本沙弓と渡邉哲也を集中的に読んできたが、二人の意見が政治に反映されれば日本の現状はいくらでも打開できることだろう。

颯爽と飛び立つオウム

2014-09-19

カラフルなかがり糸

ピューリッツァー賞に輝いたベトナム戦争の写真~キム・フックとニック・ウトのその後





2014-09-18

クルト・ゲーデルが考えたこと/『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎


『死生観を問いなおす』広井良典

 ・ゲーデルの生と死
 ・すべての数学的な真理を証明するシステムは永遠に存在しない
 ・すべての犯罪を立証する司法システムは永遠に存在しない
 ・アインシュタイン「私は、エレガントに逝く」
 ・クルト・ゲーデルが考えたこと

『理性の限界 不可能性・確定性・不完全性』高橋昌一郎

 ゲーデル自身の哲学的見解については、「ドウソン目録6」の中から興味深い哲学メモが発見された。このメモは、ゲーデルが、自分の哲学的信念を14条に箇条書きにしたもので、『私の哲学的見解』という題が付けられている。ワンの調査によると、このメモは、1960年頃に書かれたものである。

 1.世界は合理的である。
 2.人間の理性は、原則的に、(あるテクニックを介して)より高度に進歩する。
 3.すべての(芸術も含めた)問題に答を見出すために、形式的な方法がある。
 4.〔人間と〕異なり、より高度な理性的存在と、他の世界がある。
 5.人間世界は、人間が過去に生き、未来にも生きるであろう唯一の世界ではない。
 6.現在知られているよりも、比較にならない多くの知識が、ア・プリオリに存在する。
 7.ルネサンス以降の人類の知的発見は、完全に理性的なものである。
 8.人類の理性は、あらゆる方向へ発展する。
 9.正義は、真の科学によって構成されている。
 10.唯物論は、偽である。
 11.より高度な存在は、他者と、言語ではなく、アナロジーによって結びつく。
 12.概念は、客観的実在である。
 13.科学的(厳密な学としての)哲学と神学がある。これらの学問は、最も高度な抽象化概念を扱う。これらが、科学において、最も有益な研究である。
 14.既成宗教の大部分は、悪である。しかし、宗教そのものは、悪ではない。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

 数学の限界を突き止めた頭脳は何を考えたのか? その答えの一端がここにある。不思議なことだが「数学は自己の無矛盾性を証明できない」ことを明らかにした男は死ぬまで神を信じていた。無神論者であったアインシュタインと神についての議論をしたのだろうか? 気になるところだ。


 メモからは理性への大いなる信頼が読み取れる。私が特に注目したのは11と12だ。11はコミュニケーションの真相に触れていそうだし、12は情報理論によって証明されつつある。

 類推(アナロジー)能力が「脳の余剰から生まれた」(『カミとヒトの解剖学』養老孟司)とすれば、動物と人間を分かつ英知の本質は類推にあるのだろう。言葉はシンボルである。「川」という言葉は川そのものではない。どこの川かわからないし、水量や幅もわからない。もしかすると三途の川かもしれないし、ひょっとすると「川」ではなく「革」か「皮」の可能性だってあり得る(言い間違いや誤変換)。

 にもかかわらず我々がコミュニケーションできるのは言葉というシンボルを手掛かりにして類推し合っているからだ。すなわち言葉そのものが類推の産物なのだ。であればこそ言葉は通じるのに意思の疎通が困難な場合があるのだろう。反対に言葉を介さぬコミュニケーションが成り立つこともある。団体で行う球技やシンクロナイズドスイミングなど。

 で、たぶん類推は視覚に負うところが大きい。「これ」と言われたら見る必要がある。通説だと言葉は名詞から始まったとされているが、多くの名詞は物の名前だ。とすると肝心なのは「何をどう見るか」というあたりに落ち着く。つまりコミュニケーションは「ものの見方」に左右されるのだろう。世界を、そして生と死をどう見つめているかが問われる。

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)

キリスト教と仏教の時間論/『死生観を問いなおす』広井良典


『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 ・キリスト教と仏教の「永遠」は異なる
 ・時間の複層性
 ・人間とは「ケアする動物」である
 ・死生観の構築
 ・存在するとは知覚されること
 ・キリスト教と仏教の時間論

『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎

 キリスト教の場合には、「始めと終わり」のあるこの世の時間の先に、つまり終末の先に、この世とは異なる「永遠の時間」が存在する、と考える。さらに言えば、そこに至ることこそが救済への道なのである(死→復活→永遠という構図)。他方、仏教の場合には、先に車輪のたとえをしたけれども、回転する現象としての時間の中にとどまり続けること、つまり輪廻転生の中に投げ出されていることは「一切皆苦」であり、そこから抜け出して(車輪の中心部である)「永遠の時間」に至ることが、やはり救済となる(輪廻→解脱→永遠という構図)。
 念のために補足すると、ここでいう「永遠」とは、「時間がずっと続くこと」という意味というよりは、むしろ「時間を超えていること(超・時間性)、時間が存在しないこと(無・時間性)」といった意味である。(中略)こうした「永遠」というテーマは、そのまま「死」というものをどう理解するかということと直結する主題である。だからこそ、あらゆる宗教にとって、というよりも人間にとって、この「永遠」というものを自分のなかでどう位置づけ、理解するかが、死生観の根幹をなすと言ってもよいのである。

【『死生観を問いなおす』広井良典(ちくま新書、2001年)】

 死を、もっと具体的にいえば「死の向こう側」をどう設定するかで人の生き方は変わる。「今さえよければいい」という態度を刹那的(せつなてき)と切り捨てるのは、国家や社会が揺らぐのを防ぐためだ。「将来のために現在を犠牲にすることが正しい」との価値観を刷り込まれると、知らず知らずのうちに奴隷的な生き方を強いられる。

 宗教と科学を根本で支えているのは時間であり、時間論という軸で宗教と科学は完全に結びつく。時間こそがこの世を解き明かす一大テーマである。

 宗教は「あの世の論理」(苫米地英人)であり、科学は「この世の論理」である。今気づいたのだが日蓮が政治(この世の論理)にコミットしたのは、一世を風靡した浄土思想からこの世に引き戻す企てであったのかもしれない。アインシュタインが宗教を滅ぼしたと私は考える。観測者の運動状態によって時間の進み方が異なる(相対性理論)ことがわかった時点で、もろもろの宗教は単なる一観測者となったのだ。時間が絶対的なものではないという事実が宗教に鉄槌を加えた。ところがそれに気づいた宗教者はいない。

 時間という概念を有する我々は一生という限定された時間を超越することを望み、死後にまで延長しようと目論む。だが永遠って何だ? 永遠に続く映画を見たい人はいるのか? ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』が『永遠 -FOEVER-』とタイトル変更をして120歳になっても戦うジャック・バウアーが想像できるか?

 永遠とは「終わりがない」ことを意味する。永遠のドラマが見たいならgif画像を見ればいい。その終わりがない、繰り返しの続く回し車を走るハムスターのような人生をブッダは六道輪廻と説いた。そう。六道回し車だ。

 永遠と無限は異なる。0と1の間に無限は確かに存在する。だが永遠は存在しない。なぜなら観測できる人がいないからだ。永遠の欺瞞を見抜け。特に「永遠の愛」。

2014-09-16

岩本沙弓、安冨歩


 2冊読了。

 62冊目『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(翔泳社、2009年)/迷うことなく必読書に指定。2冊買って1冊友人にプレゼントしたいくらいだ。これに優る為替入門書はない。ただし勘違いしないで欲しいのだが外国為替証拠金取引(FX)入門ではない。岩本は既に休筆宣言をしているが、英気を養って一日も早い執筆再開を願うものである。

 63冊目『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)/衝撃の一書だ。昨年は同い年ということで1位にした佐村河内守にまんまと騙されてしまったわけだが、何と安冨も同い年であった。そして本年の1位は本書となりそうだ。著者は東大教授という肩書をかなぐり捨てて、自分自身の魂の遍歴と精神の彷徨を綴る。『原発危機と「東大話法」』の柔らかな眼差しは自分自身と対峙することで手に入れたものだった。人生や生活で何らかの抑圧を感じている人は必ず読むこと。アダルトチルドレンやハラスメント被害者は本書を書写することで精神科の名医と同じ効果を得ることができるだろう。いかなる宗教者よりも安冨は真摯に自分と向かい合っている。その姿勢に頭を垂れる。なるべく早めに書評をアップする。

必読書リスト その一


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・クリシュナムルティ著作リスト
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ
『書斎の鍵  父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰
『あなたを天才にするスマートノート』岡田斗司夫
『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
『メッセージ 告白的青春論』丸山健二
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝
『あの時、バスは止まっていた 高知「白バイ衝突死」の闇』山下洋平
『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『証拠調査士は見た! すぐ隣にいる悪辣非道な面々』平塚俊樹
『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則』吉田たかよし
『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』小林弘幸、玉谷卓也監修
『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明
『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子
『将棋の子』大崎善生
『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
『通りすぎた奴』眉村卓
『13階段』高野和明
『隠蔽捜査』今野敏
『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ
『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン
『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム
『生か、死か』マイケル・ロボサム
『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ
『ユゴーの不思議な発明』ブライアン・セルズニック
『日日平安』山本周五郎
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰
『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア
『廃市・飛ぶ男』福永武彦
『中島敦 ちくま日本文学12』中島敦
『雷電本紀』飯嶋和一
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『千日の瑠璃』丸山健二
『人生論ノート』三木清
『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編
『読書について』ショウペンハウエル:斎藤忍随訳
『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー
『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎
『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三
『知的好奇心』波多野誼余夫、稲垣佳世子
『自動車の社会的費用』宇沢弘文
『山びこ学校』無着成恭編

斉藤道雄、山田昭男、白川静、梅原猛、田沼武能、他


 2冊挫折、11冊読了。

渡邉哲也のポジショントーク未来予測法 「経済の先行き」「世の中の動向」がなぜこれほど明確にわかるのか』渡邉哲也(ヒカルランド、2013年)/今まで読んできた中では一番つまらなかった。多作が祟って自分に酔っているところが見受けられる。著者名をタイトルに付けるセンスを疑う。

これからすごいことになる日本経済』渡邉哲也(徳間書店、2013年)/これもダメだった。100ページくらいで挫ける。

 51冊目『儲(もうけ) 国益にかなえば経済はもっとすごくなる!』渡邉哲也(ビジネス社、2013年)/安倍晋三応援団と化しつつある渡邉だが本書では数々の政策提言が行われていて侮れない。

 52冊目『「瑞穂の国」の資本主義』渡邉哲也(PHP研究所、2014年)/世界経済の最新動向を鋭く読み解いている。丸紅が穀物メジャーの一角に食い込んだ事実を私は知らなかった。新自由主義は既に崩壊した。

 53冊目『戦後の子供たち 田沼武能写真集』田沼武能〈たぬま・たけよし〉(新潮社、1995年)/昭和30年(1955年)頃の子供たちの姿が生き生きと躍動している。田沼の写真が時に中途半端に見えるのはシャッターチャンスを待つことなく瞬間的に被写体を捉えているためだろう。飾ることのない生々しさが伝わってくる。決して明るいだけの写真集ではない。貧富の差をもありのままに浮かび上がってくる。

 54、55、56冊目『日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり”』(ぱる出版、2011年)、『日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり"2』(ぱる出版、2013年)、『日本でいちばん社員のやる気がある会社』(中経の文庫、2010年/中経出版、2004年『楽して、儲ける!』改題)山田昭男/山田昭男の訃報(7月30日)に接し取り寄せた。山田こそは真の実業家である。ブラック企業と正反対の王道を歩む経営者がいた事実が胸を打つ。文章が易しいため見落としがちだが至るところにビジネスのアイディアがある。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)禁止、携帯電話禁止、営業ノルマ禁止、残業禁止(定時は16:45)。年刊休日は140、年末年始は20連休。全員が正社員でアルバイトは一人もいない。採用は面接順。未来工業は名証2部に上場しており、従業員1000人超、年商200億円規模。徹底して社員に考えさせる姿勢がまた凄い。山田は社員から知恵を引き出すことに成功したのだろう。

 57冊目『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄(みすず書房、2010年)/必読書。浦河の赤十字病院で殺人事件が起こる。殺されたのはべてるの家のメンバーだった。そして殺した人物もまた統合失調症であった。斉藤の文章にはどこかキリスト教的な臭みを感じるが、それでも心の柔らかい部分を見事に描ききっている。どんな宗教よりも彼らは生と死を直視しているし、コミュニケーションを通してありのままに病気を受け入れいている。

 58冊目『呪の思想』白川静、梅原猛(平凡社、2002年/平凡社ライブラリー、2011年)/ハードカバーには「神と人との間」と付く。途中でやめようと思ったのだが読み終えてしまった。梅原が「先生」と呼ぶのだからやはり白川は凄い人物だ。白川の手書きによる甲骨文字も多数掲載されている。対談集だがこの二人から講義を受けていると思えば安いものだ。

 59、60、61冊目『創価学会と「水滸会記録」 池田大作の権力奪取構想』(第三書館、2004年)、『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』(第三書館、2001年)、『法廷に立った池田大作 続「月刊ペン事件」』(第三書館、2001年)山崎正友/資料として読んだのだが、読み物の出来としてはかなり悪い。明らかな悪意が窺え、事実と風聞が入り乱れている。そもそも著者自身の葛藤が描かれていない。

2014-09-15

宗教の硬直化/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世


『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 ・目指せ“明るい教祖ライフ”!
 ・宗教の硬直化

『死生観を問いなおす』広井良典

 宗教は軌道に乗ると硬直化します。そして、硬直化すると「基本に返ろうぜ!」という人が現れ、別の一派を作ります。しかし、それもそのうち硬直化します。この繰り返しは様々な伝統宗教で見られてきたことです。
 なぜ、宗教は硬直化するのでしょうか? それは宗教が組織化するからです。元々、宗教というのは個人の霊的体験がベースになっています。霊的な体験をした一人一人がまず先にあり、それが集まったのが教団だったわけです。しかし、教団が軌道に乗って大きくなってくると、今度は逆に個人の霊的体験を危険視し始めるようになります。指導者の言うことを聞かなくなったりしますからね。
 つまり、教団というのは本来、「個人の霊的体験」という本質を包む外殻だったのですが、この外殻が、本質である「個人の霊的体験」を押し出そうとし始めるわけです。すると、教団にがんじがらめにされて、「個人の霊的体験」が失われていきます。宗教活動が儀式化すると言い換えても良いでしょう。

【『完全教祖マニュアル』架神恭介〈かがみ・きょうすけ〉、辰巳一世〈たつみ・いっせい〉(ちくま新書、2009年)】

 くだけた調子でありながらも洗練された説明となっている。キリスト教ではカトリックが制度宗教として極まった時、プロテスタントが産声をあげた。なぜ教団は組織化するのか? もちろん布教のためだ。布教とは上から目線で下々の連中を救うプロパガンダである。キリスト教の宣教師を見れば一目瞭然だろう。その本質は精神の征服にある。

 悟りから遠ざかる位置で組織化が始まる。悟っていない者が悟っていな者を支配する構図だ。そして教義こそは組織化の道具である。悟っていない連中は言葉にしがみつく。理屈で信者を縛りつけて自分たちの言いなりにする。

 組織的に行われるのは運動であって宗教行為ではない。教団内部の力学はビジネスと同じ様相を呈し、営業成績のよい者には心理的報酬を与える。硬直化した宗教は信者からカネと時間を巻き上げる。

「宗教は組織化された信念ではありません」(『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳)。この一言が理解できれば呪縛は解ける。

 これは宗教に限ったことではない。仕事やサークル活動であっても「自分が利用されている」と少しでも感じたならば、そこから去る勇気をもつことだ。最悪の場合は家族の中でも起こり得ることだ。心や情の通わない世界にいると必ず部分的に殺されてゆく。

2014-09-13

脳化社会/『カミとヒトの解剖学』養老孟司


『唯脳論』養老孟司

 ・アナロジーは死の象徴化から始まった
 ・霊界は「もちろんある」
 ・夢は脳による創作
 ・自我と反応に関する覚え書き
 ・脳化社会

『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 現代人はじつは脳の中に住んでいる。それは東京を歩いてみればすぐわかる。目に入るものといえば、人工物ばかりだ。人工物とはつまり脳の産物である。脳がさまざまなものを作りだし、人間はその中に住む。そこには脳以上のものはないし、脳以下のものもない。これを私は「脳化社会」と呼ぶ。大霊界がはやる根本の理由はそれであろう。大霊界もまた、脳の中にのみ存在するからである。われわれの社会では脳の産物は存在を許される。それを信仰の自由、表現の自由、教育の自由、言論の自由などと呼ぶ。他方、身体は徹底的に統制される。だから、排泄の自由、暴力の自由、性の自由、そういうものはない。許される場合は、仕方がないから許されているだけである。なぜか。脳は統御の器官だからである。脳は身体をその統御下に置く。さらに環境を統御下に置く。そうしてすべてを統御下に置こうとするのである。

【『カミとヒトの解剖学』養老孟司〈ようろう・たけし〉(法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】

 つまり脳が社会に溢れだしているわけだ。身近な例で考えるとわかりやすい。私の部屋もパソコン内も脳の産物に他ならない。本棚はその筆頭に位置する。

 反対に東京という都市から日本人の脳を探ることは可能だろうか? 迷路のような首都高速道路、人を人とも思わぬ高層ビル、ひしめき合う住宅、広い道路は渋滞し、狭い道路は見通しが悪く危険極まりない。公害こそ少なくなったものの絶えることのない騒音。そして山がない(多摩方面を除く)。

 英雄や大物が出るような脳でないことは確かだろう。落語を聴いてもわかるが、とにかく東京人はせわしない。落語に登場するのも粗忽者(そこつもの)が多い。

 結局、何でも揃っているが歴史を変えるような新しい何かが生まれる場所ではないように思う。敗戦から高度成長にかけて必死で働いてきたわけだが、整然とした住みやすい街並みができることはなかった。

 雑然とした街と脳をすっきりさせるためにも、まず狭い道路をすべて一方通行にすることを提案したい。

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存在と時間




川はどこにあるのか?

「野生動物に手を差しのべよう」WWF


2014-09-12

悪いいたずら


 只今、botに全力投球中。