2019-01-13

読み始める

最新版 ヨガのポーズが丸ごとわかる本

エイ出版社
売り上げランキング: 132,847
聖路加国際病院のナースが教えるメディカルヨガ (扶桑社ムック)
鈴木 陽子
扶桑社 (2017-10-28)
売り上げランキング: 25,941



「1日1分」を続けなさい!  一生太らない〝神〞習慣
竹下 雄真
世界文化社
売り上げランキング: 124,981

中国古典の言行録 (文春文庫)
宮城谷 昌光
文藝春秋
売り上げランキング: 137,697

史実を歩く (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋
売り上げランキング: 427,195

新装版 海の祭礼 (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋
売り上げランキング: 68,323

黒船 (中公文庫)
黒船 (中公文庫)
posted with amazlet at 19.01.13
吉村 昭
中央公論社
売り上げランキング: 70,020

ポーツマスの旗 (新潮文庫)
吉村 昭
新潮社
売り上げランキング: 122,469

クマムシ?!―小さな怪物 (岩波 科学ライブラリー)
鈴木 忠
岩波書店
売り上げランキング: 354,602

クマムシ博士の「最強生物」学講座: 私が愛した生きものたち
堀川 大樹
新潮社
売り上げランキング: 167,118

思考を鍛えるメモ力 (ちくま新書)
齋藤 孝
筑摩書房
売り上げランキング: 40,308

「読む・書く・話す」を一瞬でモノにする技術 (だいわ文庫)
齋藤 孝
大和書房
売り上げランキング: 396,416

アイデアはどこからやってくるのか 考具 基礎編
加藤昌治
CCCメディアハウス
売り上げランキング: 165,191

ヤセるホルモンがふえる!さば缶ダイエット (別冊すてきな奥さん)
黒瀬 佐紀子
主婦と生活社 (2013-10-23)
売り上げランキング: 286,300

身につく作り置き-料理の腕がぐんぐん上がる-
スガ
セブン&アイ出版 (2017-02-13)
売り上げランキング: 7,031

無限レシピ
無限レシピ
posted with amazlet at 19.01.13
大友 育美
ワニブックス
売り上げランキング: 34,957

2019-01-12

思想する体/『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス


『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『究極の身体(からだ)』高岡英夫

 ・思想する体

『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操
『アイ・ボディ 脳と体にはたらく目の使い方』ピーター・グルンワルド
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編

身体革命
必読書リスト その二

 われわれは自らの自己イメージ通りに行動する。この自己イメージは――他方ではわれわれのあらゆる行動を支配するが――程度の差こそあれ、遺伝、教育、自己教育という三つの要因に制約される。
 遺伝的にうけついだものは、もっとも不変の部分である。個人の生理学的資質――神経系、骨格、筋肉、体内組織、腺、皮膚、感覚器の形態と能力――は、なんらかの独自性が確立されるはるか以前に、身体的遺伝によって決定されている。その自己イメージは、自然の成り行きのなかで体験する行動と反応から生まれ発育する。
 教育は、ひとの言語を決定し、特定の社会に共通した概念と反応のパターンをつくりあげる。このような概念と反応は、生をうける環境次第でさまざまであろう。それらは種としての人間の特質ではなくて、ある集団や諸個人の特質なのである。
 教育が自己教育の方向を大部分決定するとはいえ、自己教育は、われわれの成長発展にとってもっとも積極的な要素であり、生物学的起源をもつ諸要素よりもはるかに多く社会的に活用される。自己教育は、外からの教育を身につける方法を左右するだけでなく、習得すべき材料の選択と同化できない材料の拒絶に影響を与える。教育と自己教育は断続的に行なわれる。

【『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス:安井武訳(大和書房、1982年/新装版、1993年)】

 フェルデンクライス・メソッドは動作法である。体操ではない。正式にはソマティック・エデュケーションというらしい。直訳すれば「身体教育」だが「心身技法」とすべきだろう。気づきや内発性に重きを置くところに特徴がある。

 ルドルフ・シュタイナーオイリュトミーリトミックよりも負荷は弱い。

 アレクサンダー・テクニーク成瀬悟策〈なるせ・ごさく〉の心療動作法と同じジャンルと考えてよい。モーシェ・フェルデンクライスはフレデリック・マサイアス・アレクサンダーからレッスンを受けていたとのこと(ソマティック・エデュケーションとは | アレクサンダーテクニークの学校)。

 肉体との対話によって思想する体が形成される。無自覚な姿勢や動きが体の自由を損ない、肩凝りや猫背、腰痛となって現れる。日常生活で筋肉や骨を意識することは殆どない。我々が体を意識するのは病気や怪我をした時に限られる。身体障碍者のリハビリは時に運動部の練習よりも過酷の度合いを増すという。であれば元気なうちから体の内側に眼を向け、耳を澄まし、鍛えておくべきだろう。

 プロスポーツ選手でもフェルデンクライス・メソッドを実践している人がいる。やはり人によるのだろう。私は全くやる気が起こらなかった。ところがである。フェルデンクライスの言葉は刮目(かつもく)に値する。竹内敏晴や高岡英夫と完全に共鳴している。むしろ思想性では一歩先を行っている。

 フェルデンクライスがいう「イメージ」とはスタイルと言い換えてよい。「表現のなかで、人間がいちばん惹(ひ)かれるのは、その文体、スタイルである。人間を好きになる場合でも、その人のスタイルを好きになるのだ。どう生きているか、といった対他的、対社会的スタイルに共鳴するかしないか、である」(『書く 言葉・文字・書』石川九楊)。

 自分が自分らしくあろうと努めて確立したスタイルの結晶が「私」である。つまり「私」とは単なるイメージに過ぎない。そこにあるのは「私」という反応だけだ。ひょっとすると「私」という情報すら錯覚かもしれない。

 しかしながら、観察者と観察されるものとのあいだに分裂があるときには、葛藤があります。
 私たちの、他の人たちとの関係というのはすべて――親密なものであろうとなかろうと――分裂や分離に基づいています。
 夫は妻についてのイメージをもち、妻は夫についてのイメージをもっています。そういったイメージが、何年にもわたり、快楽や苦痛、いらだち、その他もろもろを通じて、ひとまとめにされてきたのです――ご承知のとおりの、夫と妻とのあいだの関係です。
 ですから、夫と妻との関係というのは、実際にはふたつのイメージのあいだの関係なのです。性的なことすら――その行為のなか以外のところでは――そのイメージが重要な役どころを演じているのです。
 そういうわけで、人が自分を観察すると、関係のなかで絶えずイメージを構築し、それゆえ分裂を生じさせていることがわかります。
 そのため、実際には関係というものなどまったくないのです。
 人は家族や妻を愛していると言うかもしれませんが、それはイメージであり、それゆえそこには実際の関係などなにもないのです。
 関係とは、物理的な接触だけではなく、心理的になんの分裂もない状態をも意味します。(スタンフォード大学での四つの講話)

【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ:竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】

 病気や障碍を受け容れることが難しいのも過去のイメージを手放すことができないためだ。我々はイメージを持つことで現実性を見失っているのだ。ジョン・レノンは「想像してごらん」と歌ったが、想像を振り捨てて目の前の現実をありのままにただ見つめることが正しい。

フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく
M. フェルデンクライス
大和書房
売り上げランキング: 93,464

あなたは世界だ
あなたは世界だ
posted with amazlet at 19.01.12
J. クリシュナムルティ
UNIO
売り上げランキング: 476,632

2019-01-10

最後の元老・西園寺公望/『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦

 ・最後の元老・西園寺公望

『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『村田良平回想録』村田良平『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 西園寺(さいおんじ)は公卿(くぎょう)である。公卿は百六十家あるというが、そのなかでもっとも格式が高いのは五摂家(ごせっけ)であり、近衛篤麿(このえあつまろ)、その子の文麿(ふみまろ)を出した近衛家はその一つである。その次は九清華(せいが)であり、維新後の太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)を出した三条家西園寺家が含まれる。つまり、公卿のなかでもトップの十分の一に属する名門である。

【『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、2000年/PHP文庫、2003年)以下同】

 西園寺公望〈さいおんじ・きんもち〉は明治維新から支那事変までを生き抜いた最後の元老(げんろう)である。陸奥宗光と共に伊藤博文を支えた。伊藤の腹心とする向きが多いが彼らの関係は朋友であった。

 政治の場においては、すべての歴史家が指摘するように無欲恬淡(てんたん)、権力にも金にもまったく執着するところがなかった。というよりも、公卿育ちのわがままで、面倒なことにかかずらうのが嫌だったのであろう。
 東洋自由新聞社の社長になったときも、「社長もいいが僕には到底真面目(まじめ)の勤めはできぬ」というと、「それもよく心得ている」といわれてなったと追想しているが、謙譲でなく本音であろう。外国でも日本でも、文人墨客(ぶんじんぼっかく)、才子佳人(さいしかじん)と付き合うほうに強い関心があった。かつて大磯の伊藤博文の邸(やしき)で、尾崎行雄に対して「政治などということは、ここのおやじのような俗物(ぞくぶつ)のすることだ」と吐き棄てるようにいったという。

 最後の一言がいい。8歳違いの伊藤を「おやじ」呼ばわりした若気(わかげ)の至りも好ましい。一億総町人のような現代社会には貴族が存在しない。金持ちはいる。が、彼らに西園寺のような矜恃(きょうじ/「矜持」と「矜恃」の本来の意味と違い)は持ち得ない。金儲けに腐心する輩は利で動く。経団連を見れば一目瞭然である。国の行く末よりも自社の利益しか眼中にない連中だ。

 かねがね記しているように私は民主政という制度を全く信用していない(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。むしろエリートや貴族が政治を担い、国民をリードするべきだと考える。戦前の政治家で私腹を肥やした者は殆どいないという。井戸塀政治家(いどべいせいじか)という言葉があったほどだ。自民党が金権腐敗に染まったのは田中角栄以降のことだろう。

 貴族は遊民というよりも国家にとっての遊撃と私は考える。

幣原喜重郎とその時代
岡崎 久彦
PHP研究所
売り上げランキング: 696,366

若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃

2019-01-09

若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃


 ・中国人民の節度
 ・若き日の感動

『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦

「我々は口ではどんな格好のよい事も言える。しかし、問題は実践だ。君達は準備討議の時、たくさん立派な事を言った。でも実際行動はまるで正反対だ。働けば疲れる。コヤシは臭い。臭くないと言ったら嘘だ。しかし、疲れるのを嫌がったり、臭い仕事から逃げるのは思想問題だ。それに、疲れる仕事、臭い作業も誰かがやらねばならない。僕はそういう仕事こそ進んでやるべきだと思う。それを一つの鍛錬の場と思い、喜んでやるべきだ。それでこそ進歩するんだ。口でいくら進歩すると言っても、結局は実践の中で努力して、初めて実現するんだ。口先だけの革命の本質は、不革命か反革命なんだ」

【『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉(中央公論社、1971年)以下同】

 35年前に読んだ本である。同じ頃に本多勝一著『中国の旅』(朝日新聞社、1972年)も読んでいる。1980年代はまだ進歩的文化人が大手を振って歩いていた。知識がなければ判断力が働かない。直接会えば声や表情から真実を辿ることは可能だが、読書の場合かなり難しい。例えば相対性理論に関する間違いだらけの解説書を読んでも素人には判別しようがない。特に大東亜戦争を巡る歴史認識は専門家たちによって長く目隠しをされてきた。

 若さとは「ものに感じ入る」季節の異名であろう。10代から20代にかけてどれほど心の振幅があったかで人生の豊かさが決まる。西園寺少年が直接見聞した中国の姿に私は甚(いた)く感動した。社会主義国の高い政治意識に度肝を抜かれた。

「あの店はあなた方、外国同志達のためにあるのです。私もあの店の洋菓子がおいしいことを知っています。でも今は食べません。もう少ししたら、我々は今の困難(100年振りの大災害による食糧不足)を克服して6億人民全部がいつでも好きなだけ、おいしい菓子を食べられるようになります。そうしたら食べます。その時は、おいしい菓子が一段とおいしく感じられるでしょうから、その時までとっておきますよ」
 と言って笑った。彼はその日、中国の笑い話やことわざについて色々と話してくれ、僕達を腹の皮がよじれるほど笑わして帰っていった。しかし、彼の前に出されたシュークリームはそのまま残っていた。僕達一家4人は、同じように手をつけなかった菓子を前に、妙に白けた気持ちになった。僕は苦いものを飲み込むようにそれを食べた。少しもおいしくなかった。

 これらのテキストは当時私がノートに書き写したものだ。他にもまだある。

 西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉の父・公一〈きんかず〉が尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)の協力者でゾルゲ事件に連座して公爵家廃嫡となったのを知ったのは最近のことだ。公一〈きんかず〉は西園寺公望〈さいおんじ・きんもち〉の孫である。

 公一〈きんかず〉は真正の共産主義者であった。息子の一晃〈かずてる〉が同じ道を歩むのは当然だろう。とすると本書はただのプロパガンダ本ということに落ち着く。著者は嘘つきだったのか? その通り。西園寺は「大災害による食糧不足」としているが、実際は毛沢東が行った大躍進政策が原因であった。中国人が語った「今の困難」とは5000万人の餓死を意味する。まるで秋にやってくる台風のような書きぶりだ。左翼に限らず主義主張に生きる者は都合の悪い事実に目をつぶり、自分たちに都合のよいことは過大に評価する。

 若き日の感動は長く余韻を残しながらも、情報は書き換えられて更新されてゆく。今となっては嘘つきに騙された無念よりも、嘘つきに気づいた満足感の方が大きい。尚、親中派つながりで創価学会が組織を上げて本書を購入した経緯があり、後に西園寺は『「周恩来と池田大作」の一期一会』(潮出版社、2012年)という礼賛本を書いている。

青春の北京―北京留学の十年 (1971年)
西園寺 一晃
中央公論社
売り上げランキング: 1,180,055

狂者と獧者/『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
・『陸奥宗光』岡崎久彦

 ・長く続いた貧苦困窮
 ・狂者と獧者

『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

「バランスのとれた人物」という表現は、戦前の日本にはなかった。それよりも度胸とか腹とかいうことのほうが重視された。しかし、戦後の日本では「バランスのとれた」はすでに日本語として定着し、社会人の評価としては最高のほめ言葉の一つとなっている。

 宋(そう)の人、蘇東坡(そとうば)はいっている。
「天下がまだ泰平でないときは、人々は相争(あいあらそ)って自らの能力を発揮しようとする。しかし天下が治まると、剛健(ごうけん)で功名(こうみょう)を求める人を遠ざけ、柔懦(じゅうだ)、謹畏(きんい)の人(かしこまってばかりいる人)を用いるようになる。そうして数十年も過ぎないうちに、能力のある者は能力を発揮する場もなく、能力のない者はますます何もしなくなる。
 さて、そうなったときに皇帝が何かしようとして前後左右を見渡しても、使える人間が誰もない。……上の人はつとめて寛深不測(かんじんふそく)の量(りょう)をなし(度量が大きく、しかも中身が計り知れない大人物の恰好〈かっこう〉ばかりして)、下の人は口を開けば中庸(ちゅうよう)の道(バランスがとれている、というのが適訳であろう)ばかりい、……もってその無能を解説するのみなり」
 そして蘇東坡は、「中庸」のもとの意味はこれとはまったく異なることを論証している。そして、右のような人々を孔孟(こうもう)は「徳の賊」と呼び、むしろ「狂者」(志の大にして言行の足らない人)を得ようとし、それが得られない場合は、「者」(けんじゃ/たとえ知は足りなくても何か守るところのある人)を得ようとしたという。狂者は皆のしないことをやる人であり、獧者は皆がするからといってもこれだけは自分はしないというものをもっている人、つまり土佐の「いごっそう」である。蘇東坡はいま天下をその怠惰(たいだ)から奮いたたせるには、狂者、獧者であってしかも賢い人間を使うに如くはない、というのである。

 明治の人はよく自らを「狂」と呼んだ。山県有朋(やまがたありとも)は「狂介」(きょうすけ)と名乗り、陸奥宗光(むつむねみつ)は雅号(がごう)を「六石狂夫」(きょうふ)とした。まさに身に過ぎた志をもつ狂者と自らを呼んでいるのである。
 小村は、まさに狂者であり獧者であった。とても「バランスのとれた人物」という範疇(はんちゅう)には入りようがない人物であった。明治維新から30年近く経て官僚制度もそろそろ硬直化してくる時期に、その小村が「余人(よじん)をもって代え難い」として重用(ちょうよう)されたのは、やはり日清、日露という日本の危機の時代だったからであろう。小村の業績に毀誉褒貶(きよほうへん)が現われるのは日露戦争の勝利後であり、それまでの危機の時期においては、あらゆる局面において小村の判断は結果として正確であり、小村の起用が正しかったことが実証されている。時代が狂者、獧者を必要とし、小村がその時代の要請に応えたのである。

【『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、1998年/PHP文庫、2003年)】

 諸橋轍次〈もろはし・てつじ〉著『中国古典名言事典』(1972年)では「狷者」という表記になっている。異体字なのだろうが正字が判らず(Jigen.net - 漢字と古典の総合サイト)。

 バランスは均衡と訳す。衡は秤(はかり)の意。バランスする、バランスさせると自動詞や他動詞を付けると「権」の字が浮かび上がってくる。権力の権には「はかる」という意味がある(『孟嘗君』宮城谷昌光)。「所体のなかにおいて、軽重を権(はか)る。これを権という」(墨子)。とすると権力を擁(よう)する者の慎みとして「軽重を権(はか)る」姿勢は堅持すべきものだが、彼の周囲にいる人々は種々雑多で構わない。むしろ宋江(そうこう)のように梁山泊(りょうざんぱく)の猛者(もさ)どもをバランスさせる能力が望ましい。平和の世には能吏(のうり)が、混乱する時代には狂者、獧者が求められるのだろう。

 風変わりな人を見直し、称(たた)えよ。新しい時代を開くのは今表に出ていない人々なのだから。



『銀と金』福本伸行
恩讐の彼方に/『木村政彦外伝』増田俊也

2019-01-07

長く続いた貧苦困窮/『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦

 ・長く続いた貧苦困窮
 ・狂者と獧者

『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『村田良平回想録』村田良平『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 もう一つ小村について書かざるをえないのは、その貧乏であった。おそらく世界史上、政治家、外交官のなかで、小村より貧乏な人物はいかなったといってよいであろう。
 着ているものといえば、夏も冬も着古しのフロック・コート一つだけだった。夏は暑いだろうというと、貧乏していると暑さを感じないと答えたという。昼食時には、そのフロック・コートからほつれて出てくる糸を鋏(はさみ)で切るのを習慣にしていたという。その昼食の金もなく、しばしばお茶だけで過していた。
 親が事業に失敗した借金をそのまま引き継いだのが原因であったが、東京中の金貸しから借金をしていて、家のなかに金になりそうなものがあればみな借金取りがもっていくので、家財(かざい)はまったくなく、座布団も2枚しかないので客が来れば布団なしで座ったという。雨が降っても傘はなく、まして車に乗る金もないので、帽子から雨の雫(しずく)をたらしながら歩き、それでも外務省の裏門のほうが家から近いのに堂々と正門から入ったという。
 北京の代理行使として赴任するとき、新橋駅に見送りに来た友人が、小村が時計をもっていないのを見て自分の時計を贈ろうとした。小村はそれを遮(さえぎ)って、見送りのなかに高利貸しがいて何か餞別(せんべつ)を貰(もら)えばただちに取り上げようと待ちかまえているから、くれる気があるならば先の駅でくれ、といったという。別の本では、北京赴任に際して陸奥(むつ)は小村に対面をもたせるために金時計を贈ったが、北京着任のときは、小村はもうその時計はまったくもっていなかったという。

【『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、1998年/PHP文庫、2003年)】

 北京赴任は1893年(明治26年)のことである。小村寿太郎〈こむら・じゅたろう〉は1855年(安政2年)生まれだから38歳である。没したのが56歳だから人生の大半を貧苦困窮の内に過ごしたといってよい。第1回文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学していることを思えば、よほど圭角のある人物だったのだろう。貧困は人を惨めにする。志を手放すことがなかったところに強靭な精神力が窺える。

 小村を引き上げたのは陸奥宗光である。陸奥~小村という外交官によって日本は不平等条約を解消し、日清・日露戦争を乗り越え一等国の仲間入りを果たした。この二人は真正のエリート(選良)であった。近代人の存在があって近代の扉が開かれる様子がよくわかる。彼らはまた愛国者でもあった。世論の誹謗中傷を恐れることなく、ただただ国の行く末を案じて身を処した。

 明治から昭和初期にかけて政治家は辛労の限りを尽くし、絶命することも決して珍しくはなかった。財を成した人物も殆どいない。国を造ることに真剣であった。

小村寿太郎とその時代―The life and times of a Meiji diplomat
岡崎 久彦
PHP研究所
売り上げランキング: 604,822

2019-01-06

狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次


『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋

 ・狂者と狷者
 ・人生の目的
 ・「武」の意義

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登

必読書リスト その五

 狂者(きょうしゃ)は進(すす)みて取る。(『論語』「子路」)

 中道を行なう人間がもっとも好ましい。しかし、中庸(ちゅうよう)の人は少ない。そこで次に選ぶとしたら、狂者である。なぜか。狂者とは、実行はまだともなわないが、志は高く、進取的な人間だからである。

 狷者(けんしゃ)は為さざる所あり。

 中庸の人が第一、狂者が第二、これについでとるべきは狷者である。狷者は引っ込み思案ではあるが、そのかわり、不善、不義はだんじてしないという操(みさお)の固い所がある。

【『中国古典名言事典』諸橋轍次〈もろはし・てつじ〉(新装版、2001年/座右版、1993年講談社、1972年講談社学術文庫、1979年)】

 何度か中国古典に取り組んできたが『論語』すら読了できない始末だ。いずれも訳文がしっくり来ない。本来であれば原典に当たるのが基本であるが、人生に残された時間を思えばそろそろ好き勝手な放浪も許されない時期だ。たとえそれが読書であったとしてもだ。「名言集」の類(たぐ)いはつまみ食いである。文脈も見落としかねない。名言集だと「読書百遍義自(おの)ずから見(あらわ)る」(「意自ずから通ず」とも)は通用しない。しかしながら私がやろうとしているのは言葉によってシナプス結合を整理することである。もっと言えば半世紀近く読んできた本や出会った人々で入り乱れた配線をつなぎ直し、太く短いケーブルにしようと目論んでいるのだ。

 本書に関しては文庫本を避けた方がよい。解説のフォントが小さくて読みにくい。7ポイントから6ポイントだと思われる。老眼気味の人は迷うことなく座右版を選ぶこと。

 岡崎久彦著『陸奥宗光とその時代』で「狂者と獧者(狷者)」という言葉を知った。山縣有朋〈やまがた・ありとも〉は狂介と名乗り、陸奥宗光は雅号を六石狂夫と称した。

 吉田松陰が「諸君、狂いたまえ」と教えた理由も腑に落ちる。時代が激動する時に中庸の人の居場所はない。中庸人が支えるのは過去の時代である。「吉田松陰が彼らに教えたのは『狂』という字でした。狂うという字は、クレイジーという意味ではなく、本来は『自分でも持て余してしまうような情熱』を指します」(山縣有朋(狂介)の「狂」の字 -どういういきさつで名前に「狂」という- 歴史学 | 教えて!goo)。

 白川静もまた「狂」の字を愛した。「狂は気がくるうことではない。好むところに溺れること、憑(つ)きものがおちないことをいう。例えば風雅に徹する人のことを風狂の徒という。それは〈世間の埒外(らちがい)に逸出しようとする志をもつもの〉であり、狂とは〈最大の讃辞(さんじ)〉だった」(「天声人語」2014年1月3日付)。

 狂の字のけもの偏はもともと犬を意味する。つまり犬がくるくると激しく動き回る様を「狂う」と名付けたのだろう。維新回天の志士たちが狂の字を好んだのも当然か。

 一方、狷の字は狷介(けんかい)で辛うじて生き残っている。「自分の意志をまげず、人と和合しないこと」で頑固・頑迷と同意である。一方的な言葉のイメージに囚(とら)われると豊かさを失う。乱れた世の中において狷者たり得る者は賢者に通じる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」(ビートたけし)という時に「人と和合しないこと」は正しいのである。

 世の中の大勢に流されないことは簡単なようで難しい。例えば2005年の郵政解散とその後の総選挙である。私はさしたる考えもなく小泉首相を支持した。自民党内の造反議員に敬意を抱くこともなかった。資本主義は競争原理で動いているのだから巨額な貯金を有する郵便局も競争に晒されるべきである、と考えた。郵便局が社会インフラだとは思いもしなかった。時流に流された事実を言い逃れする言葉を私は持たない。人生にくっきりと残した汚点の一つである。

 映画や漫画の世界だともっとわかりやすい。ヒーローは常に狂者である。常識から「はみ出す」ところにドラマが生まれるからだ。

 誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる。だが本当に生きる者は当然誤解される。誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ。

【『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』岡本敏子(小学館文庫、1999年)】



『銀と金』福本伸行
小善人になるな/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
恩讐の彼方に/『木村政彦外伝』増田俊也

読み始める

中国古典名言事典 (講談社学術文庫)
諸橋 轍次
講談社
売り上げランキング: 18,094



発想法の使い方 (日経文庫)
加藤 昌治
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 231,433

アイデアパーソン入門 (講談社BIZ)
加藤 昌治
講談社
売り上げランキング: 181,610

プリズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ
ポール・ウェイド
CCCメディアハウス
売り上げランキング: 178

プリズナートレーニング 超絶‼グリップ&関節編 永遠の強さを手に入れる最凶の自重筋トレ
ポール・ウェイド
CCCメディアハウス
売り上げランキング: 1,114

2019-01-03

体幹の奥に背骨あり/『究極の身体(からだ)』高岡英夫


『だれでも「達人」になれる! ゆる体操の極意』高岡英夫
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『人生、ゆるむが勝ち』高岡英夫

 ・体幹の奥に背骨あり

『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命
必読書リスト その二

 私の「運動化理論」の考え方で言うと、人間の身体というのは実は「魚類」なのだ。

【『究極の身体(からだ)』高岡英夫(講談社、2006年/講談社+α文庫、2009)以下同】

「!」――頭の中で電球が灯(とも)った。背骨が重要なのだ。腸腰筋や体幹が注目されるようになったのは最近のことである。体幹の奥に背骨あり。つまりはトレーニングの方向が背骨に向かっていたのだろう。私がピンと来たのは介護の視点からである。

 魚の動きをよく観察してみると、やはり全身の中間から後方の尾ひれ側のほうがよく動いている。魚の後半身の波動運動はまさに鞭のような動きだ。
 その魚類の鞭の動きを体現する二本足の人魚が、「究極の身体」の下半身なのだ。
「究極の身体」では、立ったり歩いたり走ったりジャンプしたりした時に、魚類の身体運動と同じように、胸椎の下端を中心に、足先までを鞭打たせる運動をしている。しかもその運動は、決して魚類と同じレベルではない。
 人間が鞭のような下半身の扱い方をできるようになった時は、魚類よりもはるかにハイレベルな運動になる。なぜかというと、人間の下半身の運動は交互運動だからだ。人間は身体をX・Y平面で割って左右交互に鞭打つことができるのだ。それに対し、魚類の鞭は一本だ。左右二本の鞭を振り回せる人類の運動のほうが、はるかに複雑な運動なのである。(中略)
 つまり「究極の身体」というのは、魚が尾ひれで立っている状態なのだ。

 スピードは失ったが複雑な動きに対応できるという意味なのだろう。我々は木登りができる。

 私は今、歩行困難なおばあさんを歩かせる計画を進行中で、まず第一段階として曲がった背中を伸ばすために鋭意努力をしているところである。背筋を鍛える運動を中心に行ってきたが、本書を読んで腰をひねる運動を取り入れることにした。90近い年齢のせいもあり可動域が狭いため、チューブやゴムまりを使って負荷を掛ける。

 ちょっと小馬鹿にしていたゆる体操を本気で15分ほどやってみた。ひたすら魚が泳ぐようにゆらゆらと体を揺らしただけである。次の日、背筋が筋肉痛になっていた。水泳が健康にいい理由もたぶん背骨の運動にある。フラダンスやフラフープは腰の動きに特徴があるが、背骨を中心とした肩甲骨~骨盤の運動が理想的だと思う。水泳、ダンス、木登り、ロッククライミング、スキーなど。

「丹田を意識する」というのも多分背骨の動きに関係しているのだろう。まったくの素人考えだが背筋を伸ばすというよりは肩甲骨を引き上げることによって胸骨を開く意味合いがあるのではないか。

 高岡英夫は東大卒だけあって説明能力が極めて高い。ただし書籍は重複した内容が多く粗製乱造気味でマーケティング目的が透けて見える。更に「ゆる体操指導員」になるためには数多くの著作やDVDを購入しなくてはならない。こうなると形を変えた代理店商法といってよい。よもや高岡教を目指しているとまでは思わないが、宗教やマルチ商法の臭いが漂ってくる。

 また我が田に水を引くように有名人を「ゆる理論」に利用する悪癖があり、誇大広告紛いの危うい記述が少なくない。読むに値するものは今のところ3~4冊ほどか。

2018-12-31

注意喚起:冬季ハクキンカイロ依存症候群


加湿器代わりの霧吹き
冬は扇風機よりもサーキュレーター

 ・注意喚起:冬季ハクキンカイロ依存症候群

石油ストーブの売り切れが目立ってきた

 届いたその日から「これなしでは生きられない」体となってしまった。翌朝、寝ぼけ眼でハクキンカイロを探す自分の姿は依存症そのものであった。

 数年前までは暖房を使っていなかったのだが、やはり寄る年波には勝てなく石油ファンヒーターを買った。灯油代を節約すべく霧吹きとサーキュレーターも使っているが、それでもまだ寒い。そこで昨年から目をつけていたハクキンカイロを思い出した。小一時間ほどネット上を調べた。以下は依存症希望者に対する覚え書きである。

 まずサイズが3種類ある。上から大中小となる。

ハクキンカイロ PEACOCK GIANT
ハクキンカイロ
売り上げランキング: 18,948


ハクキンカイロ ハクキンウォーマー ミニ 1個入 【保温約18時間】
ハクキンカイロ (2014-09-06)
売り上げランキング: 1,067

 私が買ったのはスタンダードである。2ヶ買うと高くなる不思議な価格設定であるため、複数個必要な場合は注文を分ければよい。またminiの方が高いのも不思議である。ZIPPO社からOEM製品が出ているようだが出来が悪い模様。

 ハクキンカイロの燃料はカイロ用ベンジンだが、ジッポオイル、ホワイトガソリンも代用できる。ランニングコストを抑えるためにはホワイトガソリンの一斗缶がベストだ。で、カイロに注ぐためジッポオイルの缶を一つ用意しておく(amazonの608円はホームセンターよりも安い)。

ZIPPO(ジッポー) Zippo オイル缶 【大缶355ml】
ZIPPO(ジッポー)
売り上げランキング: 5

 ホワイトガソリンはここが一番安かった(6650円)。送料無料。

JXTG ホワイトガソリン 18L :w-gas-18:エスフィールド オイルショップ - 通販 - Yahoo!ショッピング

 一斗缶からジッポオイル缶にはオイラー(油差し)で移す。参考画像を上げておくがホームセンターに行けば200円前後で売っている。スポイトのように吸い上げて使うつもりなので私は400ccのを選んだ。一斗缶を傾ける→オイラーで吸い上げる→ジッポオイル缶に入れる、という段取りだ。


 更にどうしても欠かせないのがカイロベルトである。

カイロベルトマジック
立石春洋堂 (2003-01-20)
売り上げランキング: 2,741

 届く前からわかってはいたものの驚くほど安っぽい品物だ。100円で売れと言いたくなるほどだ。これがダメになったら、ランニング用のウエストバッグを試す予定である。



 で、いよいよ使い方である。付属の取扱説明書はわかりにくい。




 続いて主要サイト・ページを紹介する。

ハクキンカイロ 非公式ファンサイト
注意編:これはやっちゃだめ! なTips
連続使用・オイルの注ぎ足しは厳禁ハクキンカイロの使い方を丁寧に解説!他カイロとの比較も
ハクキンカイロにホワイトガソリンはかなり使える
ホワイトガソリンの保管方法
市販されているホワイトガソリンを別の容器に入れ替え持ち運びたい
Q05:ホワイトガソリンの寿命はどれくらいですか?
【実験】寝袋にハクキンカイロとZIPPOカイロ(改)を入れた時の温度変化はどうなる?

2018年に読んだ本ランキング


2017年に読んだ本ランキング

 ・2018年に読んだ本ランキング

 今年手をつけた本は368冊+αで、390冊ほどか。春から夏にかけては地図ばかり見ていたので、そこそこ読んだといってよかろう。確認していないが読了本は120冊くらいだと思う。野球の出場試合数と打率に例えれば、500冊開いて150冊読了すればちょうど3割打者となる。読むに値する本はそれほど多くはない。読書のコツは簡単だ。とにかく多くの書物を併読することである。私の場合、大体10~50冊ほどを併読している。時間には限りがあるので面白くない本は自然淘汰される。人間関係と一緒だ。

 まずはオススメ本から。

・『わが夫 新田次郎』藤原てい
・『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』大井幸子、片桐勇治
『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ
『サクリファイス』近藤史恵

 次に必読書入りしたもの。

『洞窟オジさん』加村一馬
『13階段』高野和明
『生か、死か』マイケル・ロボサム
『隠蔽捜査』今野敏
『金価格は6倍になる いますぐ金(ゴールド)を買いなさい』ジェームズ・リカーズ
『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳

 今年のベスト10は以下の通り。

 10位 『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

 岩田は以下もオススメである。

『平和の敵 偽りの立憲主義』
『だから、改憲するべきである』
『チベット大虐殺と朝日新聞』

 9位『究極の身体』高岡英夫

 高岡は以下もオススメである。

人生、ゆるむが勝ち
高岡英夫の歩き革命
頭が必ずよくなる!「手ゆる」トレーニング

 8位 『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク

 7位 『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

 6位 『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース

 5位 『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 4位は元外交官の山口洋一。私を岡崎久彦へと導いてくれた恩人である。

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』

 3位は岡潔。27歳も年長の柳田國男を泣かせた小林秀雄と互角に渡り合えるのは岡潔くらいなものだろう。情緒という一点に腰を落とした論調は敗戦に対する反省から生まれたものだ。

『風蘭』
『紫の火花』
『春風夏雨』
『人間の建設』

 2位は岡崎久彦。最終巻の『吉田茂とその時代 敗戦とは』はまだ読んでいる最中である。文章といい内容といい近代史本では最高の部類に入る。

『陸奥宗光とその時代』
・『小村寿太郎とその時代
・『幣原喜重郎とその時代
・『重光・東郷とその時代

 1位は竹山道雄。2014年から日本近代史に関する書籍を読み漁ってきたのは竹山道雄に出会うためであったと思えてならない。私の読書人生ではクリシュナムルティに次ぐ発見といってよい。

『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』
『みじかい命』

西洋一神教の世界 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第2巻〕
竹山 道雄
藤原書店
売り上げランキング: 763,750

主役としての近代 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第4巻〕
竹山 道雄
藤原書店
売り上げランキング: 665,390

みじかい命 (1975年)
みじかい命 (1975年)
posted with amazlet at 18.12.30
竹山 道雄
新潮社
売り上げランキング: 248,497

2018-12-29

義を見てせざるは勇なきなり/『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳


『国家の品格』藤原正彦
・『名著講義』藤原正彦
・『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦

 ・義を見てせざるは勇なきなり

『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 義は武士の掟(おきて)中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。義の観念は誤謬であるかも知れない――狭隘(きょうあい)であるかも知れない。或る著名の武士〔林子平〕はこれを定義して決断力となした。曰く、「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予(ゆうよ)せざる心をいうなり。死すべき場所に死し、討つべき場合に討つことなり」と。また或る者〔真木和泉(いずみ)〕は次のごとく述べている、「節義は例えていわば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず。手も動くを得ず。足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と。孟子は「仁は人の心なり。義は人の路なり」と言い、かつ嘆じて曰く「その路を舎(す)てて由らず、その心を放って求むるを知らず」と。彼に後(おく)るること三百年、国を異にしていでたる一人の大教師〔キリスト〕が、我は失(う)せし者の見いださざるべき義の道なりと言いし比喩の面影を、「鏡をもて見るごとく朧(おぼろ)」ながらここに認めうるではないか。私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪(うしな)われたる楽園を回復するために歩むべき直(なお)くかつ狭き路である。
 封建時代の末期には泰平が長く続いたために武士階級の生活に余暇を生じ、これと共にあらゆる種類の娯楽と技芸の嗜(たしな)みを生じた。しかしかかる時代においてさえ、「義士」なる語は学問もしくは芸術の堪能を意味するいかなる名称よりも勝れるものと考えられた。我が国民の大衆教育上しばしば引用せられる四十七人の忠臣は、俗に四十七義士として知られているのである。
 ややともすれば詐術(さじゅつ)が戦術として通用し、虚偽が兵略として通用した時代にありて、この真摯正直なる男らしき徳は最大の光輝をもって輝いた宝石であり、人の最も高く賞讃したるところである。義と勇は双生児(そうせいじ)の兄弟であって、共に武徳である。

【『武士道』新渡戸稲造〈にとべ・いなぞう〉:矢内原忠雄〈やないはら・ただお〉訳(岩波文庫、1938年/櫻井鴎村訳、丁未出版社、1908年/英文原著は1908年)】

 孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」と教え、孟子は「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も、吾往かん」と説いた。これのみを10歳までに叩き込めば教育は成功するようにも思う。孔子と正反対に位置するのが「触らぬ神に祟(たた)りなし」との俚諺(りげん)である。いじめ、セクハラ、パワハラを支える振る舞いだ。

「卑怯」という言葉は私が小学生だった時分はまだ使われていた。それから「ズルい」「セコい」と移り変わる。北海道だと「半可臭い」(=愚か)が多用されるので各地方には同様の方言があることだろう。「卑怯」とは道に反することである。これに対して「狡(ずる)い」には利が絡み、「セコい」は人物の卑小を表す。言葉の変遷に人間が小さくなってゆく様子が窺える。

 藤原正彦はお茶の水女子大学で十数年にわたって行った読書ゼミで『武士道』を読ませた。私が読む気になったのは『日本人の矜持』を読んでのこと。源義家〈みなもとのよしいえ〉と安倍貞任〈あべのさだとう〉が衣川の戦い(1189年)で歌をやり取りしたエピソードに度肝を抜かれた(第三章 武士道における美意識 | 美しい日本)。死地に通う詩心と交情が胸を打つ。

 現代の正義は何と小ぢんまりとしていることか。我々の日常では言った言わないとか、納得できるできないというレベルで正しさを争っている。一億総町人あるいは一億総商人の時代といってよい。しかも日本の文化ではヨーロッパのように売る側が客に対して断固とした主張をすることもない(『自由の悲劇 未来に何があるか』西尾幹二)。モンスタークレーマーやモンスターペアレントを育む素地がもともとあった。「お客様は神様」ではない。企業が利益より道理を重んじて社員に堂々たる態度を取らせることも必要だろう。

 もう一つ私が注目したのは「骨」というキーワードである。不骨とい漢字は初めて見たが、後に続くのが不調法(ぶちょうほう)だから「ぶこつ」と読むのだろう(“ぶこつもの”のいろいろな漢字の書き方と例文|ふりがな文庫)。48歳で生まれて初めて肩凝りを知り、爾来(じらい)身体調整の勉強を続けてきた。気功、筋トレ、ヨガ、ストレッチ、呼吸法などである。鍛えることもよりも調整に重きを置いている。古武術家の甲野善紀〈こうの・よしのり〉は常々筋トレ偏重を批判し、骨の優位を説いている。イチローも筋肥大に否定的なのは有名な話だ(※腱を鍛えることができないため)。

 高岡英夫は『意識のかたち』(講談社、1995年)で「身体言語」なる概念を披露しているが、そこでも骨と腰というキーワードが重視されている。『フェルデンクライスの脳と体のエクササイズ 健康とリラックス、フィットネスのためのらくらくエクササイズ』(マーク・リース、デヴィッド・ゼメック・バースン、キャシー・バースン:かさみ康子訳、晩成書房、2005年)を開いてはたと膝を打った。


 體は体の旧字体である。すなわち、からだとは骨が豊かな様を表していたのである。現在でも「骨のある男」とか「気骨」などという言葉がそれを象徴している。人品骨柄ってえのあ死語だね(笑)。

 儒家の根本理念は仁(思いやり)と義(正義)である。やくざ者の口上を仁義と呼んだ時点で仁義は廃(すた)れたのだろう。

 こうして見ると日本人の情緒には孔孟のエッセンスが脈打っていることがよくわかる。惻隠(そくいん)も孟子に拠(よ)る。それは単なる舶来思想ではなくして、日本人の心情によく適(かな)った言葉で、翻訳された途端腑に落ちるほど見事にマッチしている。

 ただし儒教も武士道も官僚の道である。乱世を乗り切ることは難しいだろう。



英語で世界に発信した明治人/『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄