・『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
・『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ
・『東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎
・マッカーサー「東京裁判は間違いだった」
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
・『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール
・『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会
・『東京裁判 全訳 パール判決書』ラダビノード・パール
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
この裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって1年半後、ウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白し、さらに3年後の5月3日、アメリカに戻って上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と言明したのである。
【『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫、2001年/小学館新書、2017年/慧文社、1963年『パール博士の日本無罪論』改題)】
小学館文庫は巻頭に小林よしのりの「推薦のことば」があり、新書の新版には百田尚樹の解説がある。腑に落ちない改版だ。皇位継承の女系容認をしたあたりから小林のファンが離れた経緯はあるにせよ、『戦争論』『天皇論』の功績を無視することはできない。
ウェーク島会談は1950年10月15日に行われた。米国議会上院の軍事外交合同委員会の聴聞会は1951年5月3日のこと。東京裁判(極東国際軍事裁判)が終わったのは1948年11月12日である。
これは原文でわずか4行のテキストだが説明能力に問題があり、しかも誤謬が紛れ込んでいる。マッカーサーが「侵略ではなかった」と言明した事実はない(対訳 マッカーサー証言)。せめて括弧書きにするべきである。田中正明は松井石根〈まつい・いわね〉大将の秘書を務めた人物で、南京大虐殺が嘘の歴史であることを証明しようと精魂を傾けた(『「南京事件」の総括』他)。多分そうした強い思いが筆を滑らせてしまうのだろう。気持ちはわからないでもない。だが「文を書く行為」に慎重さを欠いてしまえば、嘘を批判するために嘘をつくような真似となってしまう。
中島岳志〈なかじま・たけし〉が『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007年/白水Uブックス、2012年)で「パール判決書は日本無罪論ではない」と主張した。ここに「パール判決論争」が勃発した。
中島岳志は山口二郎の弟子で、リベラル保守を名乗りながら日本共産党を応援するような手合いである。私は9年前に中島のツイッターをフォローしていたのだが少し経って「ああ、これはダメだな」と気づいた。その後、師匠の山口二郎が大きく左旋回し「アベ政治を許さない!」とやり出す。私の鼻が「尊皇の精神を語る佐藤優」と同じ匂いを嗅ぎ取った。2ちゃんねらーからは「善人面したひき逃げ詐欺師」「飛んで火に入る生け贄詐欺師」「保守ヲタクの薄らサヨク詐欺師」「逃走する新進気鋭詐欺師」と呼ばれているようだ(笑)。
・amazonレビュー:星1つ評価
「この本には、戦後世代を覚醒させる力がある」(小林よしのり)。同感だ。少々の誤謬(ごびゅう)があったとしても、やはり本書は読んでおくべき一書である。日本人であればラダビノード・パールという恩人を知らずに生きることは許されないと思う。
パール判事の死去に際し、田中は次のように詠んだ。「汝(な)はわれの子とまで宣(の)らせ給ひける 慈眼の博士京に眠りぬ」。「君は私の子だ」とまで寄せた信頼を軽んじてはなるまい。
検索したところ有益な資料が多いため、ここからは他人の褌(ふんどし)で相撲を取る。
10月15日にウェーク島で、トルーマンとマッカーサーは朝鮮戦争について協議を行った。トルーマンは大統領に就任して5年半が経過していたが、まだマッカーサーと会ったことがなく、2度にわたりマッカーサーに帰国を促したが、マッカーサーはトルーマンの命令を断っていた。しかし、仁川上陸作戦で高まっていたマッカーサーの国民的人気を11月の中間選挙に利用しようと考えたトルーマンは、自らマッカーサーとの会談を持ちかけ、帰国を渋るマッカーサーのために会談場所は本土の外でよいと申し出た。トルーマン側はハワイを希望していたが、マッカーサーは夜の飛行機が苦手で遠くには行きたくないと渋り、結局トルーマン側が折れて、ワシントンから7,500 km、東京からは3,000kmのウェーク島が会談場所となった。
トルーマンが大いに妥協したにもかかわらず、マッカーサーはこの会談を不愉快に思っており、ウェーク島に向かう途中もあからさまに機嫌が悪かった。同乗していた韓国駐在大使ジョン・ジョセフ・ムチオに、「(トルーマンの)政治的理由のためにこんな遠くまで呼び出されて時間の無駄だ」と不満をもらし、トルーマンが自分の所(東京)まで来てしかるべきだと考えていた。トルーマンの機を先に着陸させるために島の上空でマッカーサー機が旋回していた、会談に1時間遅れて到着したためトルーマンが激怒して「最高司令官を待たせるようなことを二度とするな。わかったか」と一喝したなどのエピソードが流布されているがこれは作り話である。実際にはマッカーサーはトルーマン機の到着を滑走路上で出迎え、そのまま共に会談が行われた航空会社事務所に向かっている。
その後の会談ではマッカーサーが、「どんな事態になっても中共軍は介入しない」「戦争は感謝祭までに終わり、兵士はクリスマスまでには帰国できる」と言い切った。トルーマンは「きわめて満足すべき愉快な会談だった」と言い残して機上の人となったが、本心ではマッカーサーの不遜な態度に不信感を強め、またマッカーサーの方もよりトルーマンへの敵意を強め、破局は秒読みとなった。
【ダグラス・マッカーサー - Wikiwand】
マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。
米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。
× × ×
米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。
マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。
5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。
質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。
マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。
「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」
「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」
「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」
会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう。
もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。
この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。
【産経新聞 2015年12月24日 【戦後70年~東京裁判とGHQ(5完)】「老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…」石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世】
リンクが切れているので1~4も紹介しよう。
・戦後70年~東京裁判とGHQ 1
・戦後70年~東京裁判とGHQ 2
・戦後70年~東京裁判とGHQ 3
・戦後70年~東京裁判とGHQ 4
マッカーサーが大統領になれなかったのはこの証言が原因であったというのだ。これは知らなかった。共和党の反応は、GHQと本国の日本に対する認識の違いまで示唆しているように思われる。
吉本貞昭著『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実 GHQの検閲下で報じられた「東京裁判は誤り」の真相』(ハート出版、2013年)から抄録した以下の動画も参照されたい。
マッカーサーは絶大な権力を有していたが本国からの指示を無視できる立場ではなかった。日本の首相であった吉田茂はマッカーサーを崇拝しながらも密かに利用した。日本国民は鬼畜米英の旗を下ろしてマッカーサーに親愛の情を示した。歴史の細部は政治的行動に染まっている。そう考えると「真実の歴史」など存在しないことがわかる。ただ、嘘の歴史と新しい事実が交錯する中で我々の史観が練り上げられるのだろう。
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