2019-12-15

脇役が光る/『許されざる者』レイフ・GW・ペーション


 ・脇役が光る

ミステリ&SF

「いや、平手です」マックスは、ヨハンソンの親友よりもまだ大きい右手を広げてみせた。
「鼻を平手打ちしただけで。だって、やつはその前におれのことを車で轢いたんですよ?」
「鼻だって?」こいつ、前にもやっているな――。平手と拳では処分がちがうのを知っていやがる。
「殺さずに出血させるにはいちばんいい場所ですから」マックスは肩をすくめた。「顎や額を殴ったら、死なせてしまうかもしれない。おれは、血を流さずに頭蓋骨を割ることもできますから」
「それだけか」どうやら優しい心ももちあわせているようだ。
「はい。あとはその場を去っただけです」
「やつが生きているといいが」
「もちろん生きてますよ。ちょっと鼻血を出したくらいで死ぬやつはいないでしょう」
「そうだな。他に方法はなかったんだな?」
「ええ。レストランに入って殴ることもできたけど、そんなことしたらたくさんの人に見られてしまう。長官、おれのこと怒ってますか」
「大丈夫だ。お前の言うとおりだとしたら、怒るに怒れない状況だからな」それに、今この瞬間にお前を養子にしたいと名乗り出るやつらを、少なくとも二人は知っている。
「長官、安心してください。おれは嘘はつきません。嘘をつくのは悪いやつだけだ。おれは今まで嘘をつく必要などなかった」

【『許されざる者』レイフ・GW・ペーション:久山葉子〈くやま・ようこ〉訳(創元推理文庫、2018年)】

 元国家犯罪捜査局長官が脳塞栓(心臓由来の脳梗塞)で倒れた。入院先の病院で女性主治医から25年前の未解決事件を聞かされる。9歳の少女を強姦した犯人は捕まっていなかった。ラーシュ・マッティン・ヨハンソンは車椅子生活を余儀なくされながらも非公式の捜査に取り掛かる。昨今話題の北欧ミステリだがスウェーデンの微妙な地政学が伺えて興味深い。

 ヨハンソンは主役だから人物造形が優れていて当然だが、介護人のマティルダと用心棒役のマックスが秀逸なキャラクターだ。マティルダはピアスまみれだが実は賢い。マックスはロシア生まれ。養護施設で悲惨な目に遭いながら育った。無口だが腕っ節は滅法強い。形を変えた親と子の物語だ。

 ラストの賛否が分かれるところだが作者は読者のカタルシスを優先したのだろう。個人的にはマックスを主役にしたシリーズを待望する。

2019-12-14

青はこれを藍より取りてしかも藍より青し/『中国古典の言行録』宮城谷昌光


青はこれを藍より取りて
   しかも藍より青し《荀子》

 これを読んだ方は、おや、と思うかもしれない。「青は藍より出でて」ではないのか。
 たしかに「元刻版」であれば、そうなのだが、その本より古い本では、さきの箇所は、「青はこれを藍より取りて」となっている。(中略)
 このつづきは、どうなっているのか。『荀子』の説くところを、すこしたどってみよう。
「氷は、水からできるが、水より冷たい。【墨なわ】にぴったりするまっすぐな木も、たわめて輪にすると、コンパスにあてはまるほど、まるくなる」
『荀子』によれば、人間はもとの素朴な性より、ぬけでることができるが、そうさせる大きな推進力は、学問であり、見聞であり、正しい人に親しむことであるという。それを一言でいえば、
「自身の環境整備」
 である。べつな言い方をすれば、時代の流れに、即応できる自分に、過去の自分を、つくりかえることである。
 となると、「出藍」のニュアンスは、ちょっとちがうのではないか。青が弟子で、藍が先生ではなく、青も藍も自分のことをいっているのである。
 青は、新しい自分で、藍は、古い自分、あるいは、青は、洗練された自分で、藍は、素朴な自分、といってもよい。そのように自己改革をすることで、時代の波にのること、時代にひきずられて傷つかないようにすることを、『荀子』はおしえているのではあるまいか。

【『中国古典の言行録』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(海越出版社、1992年/文春文庫、1996年)】

「勧学篇第一」の冒頭は「君子曰く、学は以(もっ)て已(や)む可からず」から始まり、「青は――」と続く。

勧学篇第一(1) | 新読荀子
高等学校古典B/漢文/学不可以已 - Wikibooks
青はこれを藍より取りて藍より青し(出藍の誉れ) 勧学篇第一 荀子 漢文 i think; therefore i am!

 学問研鑽に終わりがないことを勧めているゆえ、「今日より明日へ」と成長を促す文であるのは確かだろう。儒家(じゅか)の学とは礼法であり、荀子が性悪説に傾いていたことを踏まえれば、「師を超越する」という発想が出てくるようには思えない。

 荀子が紀元前313年に生まれたとすれば、孔子の死後から150年余りが経過している。その人となりはまだ生々しく人口に膾炙(かいしゃ)していたことだろう。日本は弥生期で古墳時代の前である。2000年以上も前に学問が人間の可能性を開くことを高らかに宣言する人物が存在した。果たして現代の知識人の言説が2000年後の人々の胸を打つことがあるだろうか?

 枢軸時代を経てからというもの人間は小粒になる一方だ。民主政となってからも歴史に名を残すのは悪人が殆どだ。権勢を振るうアメリカ大統領にしても名を残すのは暗殺されたケネディくらいではあるまいか。ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポル・ポトの4人は虐殺者として長く歴史に記されることだろう。

 ヒトの宗教的感情を新たに喚起することは可能だろうか? 新時代の教祖はミュージシャンとして現れるというのが私の見立てだが、もはや言葉(歌詞)にそれほどのメッセージ性を持たすことが困難になりつつある。言葉が情報に格下げされたとなれば教祖が人である必要はない。人工知能(AI)が我々を幸福へと誘(いざな)ってくれることだろう。

目黒真澄の薫り高い名訳/『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン


 ・目黒真澄の名訳

『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 大きな仕事よりも、むしろ人格によって、その時世に非常な貢献(こうけん)をする人が、30年に一度か、60年に一度くらい出現することがある。そうした人物は、死後20~30年の間は、ただ功績をもって知られているのみであろうが、歳月の経(た)つにしたがって、功績そのものが、その人格に結びついて、ますます光りを放つ時がくる。たとえば軍人であるとすれば、その統率(とうそつ)した将士の遺骨が、墳墓(ふんぼ)の裡(うち)に朽(く)ちてしまい、その蹂躙(じゅうりん)した都城(とじょう)が、塵土(じんど)と化してしまった後までも、なおその人格と、人格より発する教訓とが、永遠に生ける力となってゆくからである。乃木大将は実にかくのごとき人であったのだ。
 乃木大将は、日本古武士の典型であり、軍人にして愛国者であった。そして1912年(明治45年)9月、明治天皇の崩御(ほうぎょ)し給(たま)うと同時に、渾身(こんしん)の赤誠(せきせい)を捧(ささ)げ、畢生(ひっせい)の理想を纏綿(てんめん)させていた。その対象を失ってしまったため、この上はいたずらに生きながらえるより、むしろ白刃(はくじん)を取って、自(みずか)ら胸を貫(つらぬ)くにしかずと思い定めたのである。

【『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン:目黒真澄〈めぐろ・ますみ〉訳(講談社学術文庫、1980年/『乃木』目黒眞澄譯、創元社、1941年改題改訂/初訳は1924年、文興院/原書は1913年米国】

 大正12年(1923年)、幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉が原書を目黒に手渡した。幣原が外務大臣となる直前のことだから駐米大使時代か。翻訳当時、目黒真澄は東京高等商船学校(後の商船大学。現・東京海洋大学海洋工学部)の教授。100ページ足らずの小品でありながら乃木希典〈のぎ・まれすけ〉を見事に素描(そびょう)している。それを目黒が薫り高い名文で奏でる。

 子供があれば本書や『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』を素読させ、書写させるとよい。意味などわからずとも構わない。『万葉集』の時代から続く日本語の伝統の響きを感じ取れればそれでよい。日本人は一方では言の葉と軽んじ他方では言霊(ことだま)と重んじた。この両義性に言語の本質がある。言葉はサイン(象徴)であり事そのものを表しはしない。それでも人々は言葉を手掛かりにコミュニケーションを図る。ヒトの群れが国家にまで進化したのも言葉の成せる業(わざ)である。「始めに言葉ありき」(ヨハネによる福音書)というデマカセが西洋でまかり通るのも故(ゆえ)なきことではない。

 若い頃に司馬遼太郎の『殉死』を読んだがそれほど心を動かされることはなかった。ただ乃木が十文字に切腹したことだけが記憶に残っている。その後私が司馬遼太郎の小説を読むことはなかった。ウォシュバンはロンドン・タイムズの記者である。彼は従軍し乃木と親しく接することで「父」とまで仰ぐようになった。作家の想像力は特定の判断や評価に基づいている。いわば最初から色のついた人物像を見せつけられるわけだ。私が本書に注目するのは、世界で有色人種が劣った存在と見なされていた時代にあって白人記者を魅了してやまなかった武人が存在した事実である。


 乃木希典〈のぎ・まれすけ〉は水師営の会見で敗軍の将ステッセルに示した配慮で世界的な英雄となった。

 乃木はこの時ステッセルに対し、深い仁慈と礼節を以て接した。会見においてアメリカの映画関係者が一部始終の撮影を希望したが、乃木はそれは敗軍の将に恥辱を与えるとして許さず、ただ一枚の記念写真だけ認めた。乃木とステッセルが中央に坐り、その両隣りに両軍の参謀長、その前後が両軍の幕僚たち、ロシア側は勲章を胸につけ帯剣している。全く両者対等でそこには勝者も敗者もない。

 この有名な写真が内外に伝わるや、全世界が敗者を恥ずかしめぬ乃木の武士道的振舞、「武士の情」に感嘆したのである。世界一強い陸の勇将はかくも仁愛の心厚き礼節を知る稀有の名将と、賛嘆せずにいられなかったのである。欧米やシナの軍人には決して出来ぬことであった。

「敗軍ロシアの将にも救いの手 乃木希典が示した日本人の誉れ」岡田幹彦

 本書は乃木の死後に書かれた。明治大帝が 1912年〈明治45年/大正元年〉に7月30日崩御(ほうぎょ)。大喪の礼が行われた9月13日の午後8時頃、乃木は十文字に腹を切り、静子夫人の自害を見届けてから自身の喉を突いた。

 明治天皇の崩御と乃木の殉死は、国民に激しい衝撃を与え、それは小説など文化活動にも反映されて今に伝えられている。

 中でも夏目漱石が代表作『こゝろ』につづった一節は、明治世代の日本人の心情を、表象しているといえよう。(中略)

 このほか新渡戸稲造は乃木の殉死を「武士道といふものから見ては実に一分の余地も残さぬ実に立派なもの」と評し、森鴎外は「阿部一族」「興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書」など殉死をモチーフにした秀作を残した。

 だが一方、漱石が「時勢の推移から来る人間の相違」と書いたように、乃木の殉死を時代錯誤とみなし、むしろ茶化すような風潮が、とくに若い世代の一部に生まれていたのも事実だ。

 学習院出身で白樺派の代表格だった志賀直哉は日記で、乃木の殉死を「『馬鹿な奴だ』といふ気が、丁度下女かなにかゞ無考へに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」と突き放した。

 芥川龍之介も小説「将軍」の中で乃木を茶化し、登場人物に「(乃木の)至誠が僕等には、どうもはつきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、尚更通じるとは思はれません」と語らせている。

昭和天皇の87年 乃木希典の殉死 明治の精神は「天皇に始まつて天皇に終つた」/社会部編集委員 川瀬弘至:産経ニュース 2018年9月2日

 倉前盛通の志賀直哉に対する評価は決して的外れなものではなかったことがわかる。他人の死を嘲笑うことのできる人物は精神のどこかが病んでいる。三島由紀夫の自決を愚弄した人々も同様だ(『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介)。乃木の至誠がはっきりと飲み込めなかった芥川は「ぼんやりとした不安」に飲み込まれて服毒自殺をした。

 乃木希典と東郷平八郎を超える英雄を日本はいまだに輩出し得ないことを我々は深く思うべきである。最後に乃木の肉声を紹介しよう(経緯)。


2019-12-11

スポーツドリンクのナトリウム濃度は低い/『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁


ウォーキング
『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』江上剛
・『スロージョギングで人生が変わる』田中宏暁

 ・スポーツドリンクのナトリウム濃度は低い

『最速で身につく 最新ミッドフットランメソッド』高岡尚司、金城みどり
『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン

 スポーツドリンクにはナトリウムが入っていますので、低ナトリウム血症を防げそうですが、アルモンドたちの研究では否定されています。その理由として、彼らはスポーツドリンクのナトリウム濃度は、生理食塩水に比べて5分の1と低すぎるから、としています。
 42.195kmの長い道のりを走り切るには、水分と糖分の補給をうまくおこなうことが大切です。しかし、とにかく水分の取りすぎには注意しなければなりません。

【『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁〈たなか・ひろあき〉(ブルーバックス、2017年)】

 アルモンドとしか書かれていないので詳細は不明だが、PDF論文「運動時の水分補給に関する変遷ならびに日本における運動習慣のある若年成人の現状と課題」宮川達・麻見直美の脚註にAlmond CSとある。たぶん正確な発音は「アーモンド」だろう。ナッツのアーモンドと同じスペルだ。

「経口補水液の濃度の目安は、生理食塩水の濃度0.9パーセントの約3分の1、すなわち500mlあたり塩1.5g(ナトリウム600mg)です。しかしながら代表的なスポーツドリンクの500mあたりのナトリウム量でみてみると、200mg~245mgしかなく、電解質補給には濃度が不足しています」(スポーツドリンクって実際どうなの?|佐賀市兵庫町のこうすけ歯科医院

「要するに、医療用医薬品開発の歴史の中で洗い出されてきたあらゆる問題が、スポーツドリンクの世界では野放しになっているというわけです」(スポーツドリンクの似非科学)。

「まずスポーツドリンクに科学性を付与するため、企業がなりふり構わず御用学者、専門雑誌、メディア、そしてIOCを含むスポーツ団体を巻き込み、「小さな科学」を武器に脱水にもっとも効果のあるスポーツドリンクというイメージを作り上げセールスを行っている点だ。BMJの調べでは、このような科学的データを提供したほとんどの研究者は多くの助成金をスポーツドリンク販売会社から得ている」(7月15日:科学の衣をまとったスポーツドリンクに潜む危険(7月24日号British Dental Journal 掲載論文) | AASJホームページ

 汗はしょっぱい。つまり体内から塩分(ナトリウム+クロール=塩化ナトリウム)が排出されている。汗をかいた時は水を飲んでも熱中症になるのは水分過剰で血液中のナトリウム濃度が下がるためで、これを低ナトリウム血症という。

 健康常識における減塩信仰は根強いものがあるが近頃ようやく見直されるようになってきた。私はもともと塩分摂取よりも汗をかかない生活習慣に問題があると考えてきたので減塩を意識したことはなかった。塩分は毒のように思われているが実はミネラルなのだ。高血圧を悪と認定することで病院は降圧剤を処方しボロ儲けしてきた。その市場規模は1兆円レベルに達しようとしている(降圧剤市場なおも拡大 18年に1兆円市場に 配合剤登場で競争激化 | ニュース | ミクスOnline)。血圧の正常値を120/80未満と低く設定(高血圧治療ガイドライン2009)したことで多数の認知症患者が生まれた。

 田中宏暁はスロージョギングの提唱者でその効果は世界的に認められている。ただし著書を読む限りではものの見方が一方に傾く嫌いがあり、科学的な姿勢が弱い。例えば活性酸素に関する記述がないのは明らかな片手落ちだろう。そのため必読書ではなく教科書本とした。

2019-12-10

ブッダが悟った究極の真理/『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート


『マインドフルネス瞑想入門 1日10分で自分を浄化する方法』吉田昌生
『マインドフルネス 気づきの瞑想』バンテ・H・グナラタナ

 ・ブッダが悟った究極の真理

『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
『「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり』山本清次

 ブッダはからだを観察しながら、心も観察した。そして、心が意識(ヴィンニャーナ)、知覚(サンニャー)、感覚(ヴェーダナー)、反応(サンカーラ)という、大きくわけて四つのプロセスから成り立っていることを発見した。

【『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート:日本ヴィパッサナー協会監修、太田陽太郎訳(春秋社、1999年)以下同】

ホモ・デウス』の扉でユヴァル・ノア・ハラリが「重要なことを愛情をもって教えてくれた恩師、S・N・ゴエンカ(1924~2013)に」と献辞を捧げている。私はたまたま3年前に本書を読んでいた。ハラリがヴィパッサナー瞑想を行っていることを知ったのもつい最近である。ユダヤ人とは人種概念ではなくユダヤ教信者を指す(厳密には違うが→ユダヤ教~ユダヤ人とユダヤ教~:イスラエル・ユダヤ情報バンク)。寡聞にして知らなかったのだがイスラエルのユダヤ教人口は75.4%であるという(2011年)。つまりユダヤ人ではない人々が存在する(※母親がユダヤ人であれば子供はユダヤ人と認められる。父親だけの場合は不可)。20%はアラブ系らしいがパレスチナ人なのかもしれない。ひょっとするとハラリは内面において既にユダヤ人ではない可能性もある。

 原題は『The Art of Living: Vipassana Meditation: As Taught by S. N. Goenka』(1987年)である。アート・オブ・リビングは通常「生の技法」と訳される。日本語の技はテクニックに近いイメージがあるので「生きる業(わざ)」としてもいいのだが、今度は業(わざ)が業(ごう)につながってしまう。とはいえ「生の芸術」だと直訳すぎるし、「生の嗜(たしな)み」だと控えめすぎる。ここは思い切って「洗練された生き方」でどうだ? 個人的には「流れるように生きる」と受けとめている。

 この後、「意識は心のアンテナ」「知覚は、認識をする」「データ識別~価値判断~快・不快の感覚」「心は好き嫌いという形で反応する」というプロセスが示される。認識を深めたのが唯識(ゆいしき)だ。


 五つの感覚器官のどこでなにを受信しても、それはかならず、意識、知覚、感覚、反応というプロセスを通ることになる。この四つの心のはたらきは、物質をつくる微粒子よりスピードが速いという。心がなんらかの対象物に接触すると、その瞬間、電光石火のごとく四つのプロセスが走る。つぎの瞬間、また接触が起こり、同じようなプロセスが走る。これをつぎつぎにくりかえしてゆくのである。そのスピードがあまりにも速いため、人はそのことに気がつかない。ある反応が長時間くりかえされて強化されたとき、はじめてそれが意識のなかにあらわれ、気がつくのである。
 人間をこのように説明してゆくと、その実体というよりも、その虚体とでもいうべき事実におどろかされる。わたしたちは、西洋人であれ、東洋人であれ、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、無神論者、そのほかどんな人間であれ、だれもが自分のなかに「わたし」という一貫したアイデンティティー(主体)を持ち、それを生来信じて疑わない。10年前の人間が本質的には今日なお同じ人間であり、10年後も同じ人間であり、さらに死んだあとの来世も同じ人間でありつづけるだろう、とばくぜんと仮定して生きている。どのような人生観、哲学、信仰を持っていたとしても、実際はめいめいが「過去の自分、いまの自分、将来の自分」というものを中心にすえて生きているのである。
 ブッダはこのアイデンティティーという直観的な概念に挑戦した。だからといって、あらたに独自の概念をつくり、理論に理論をぶつけたわけではない。ブッダは何度もこう念を押している。自分は意見を述べているのではない。実際に体験した事実、だれもが体験できる道、それを述べているにすぎない、と。「さとりを開いた者は、すべての理論を放棄する。なぜなら彼は、物質、感覚、知覚、反応、意識、それらの本質およびその生成と止滅を見きわめているからである」外見はどうであれ、人間は一つ一つの密接に関係した減少が連なって起こる存在でしかない。ブッダはそのことに気づいたのである。個々の減少はその直前の現象の結果であり、直前の現象のあと間髪をいれずに起こる。酷似した現象が切れ目なく起こると、連続したもの、一つのアイデンティティーを持つもののように見える。しかし、それはうわべの真理にすぎず、究極の真理ではない。
 川とわたしたちが呼ぶものは、実はたえまない水の流れである。ローソクの火は止まっているように見えるが、よく見るとローソクの芯から生じた炎がつぎからつぎへと燃えている。一つの炎が燃え、その瞬間またつぎの炎が燃える。一瞬一瞬、炎が燃えつづけている。電球の光も川のように連続した流れである。フィラメントのなかの高周波によって生じるエネルギーの流れなのである。しかし、わたしたちはいちいちそこまで考えない。一瞬一瞬、過去の産物として新しいものが生まれ、つぎの瞬間、またべつの新しいものが生まれる。この現象はとてつもないスピードで切れ目なく起こり、わたしたちには感じ取る力がない。このプロセスのある一瞬をとらえて、その一瞬の現象が直前の現象と同じだともいえないし、また同じでないともいえない。だが、いずれにしろプロセスは進行してゆく。
 同様に人間は完成品でも不変の存在でもなく、一瞬一瞬、休みなく流れつづけるプロセスにすぎない、とブッダはさとった。ほんとうに「存在している」ものなどなにもない。ただ現象のみが起こりつづけている。ひたすら何かに「なる」というプロセスが起こっているにすぎないのである。(中略)より深いレベルの現実を見れば、生物、無生物を問わず、宇宙全体がたえずなにかに「なる」というプロセスの集まりであり、生まれては消える現象なのである。(中略)
 これこそが究極の真理である。だれもがいちばん関心を持っている「自分」というものの現実である。これこそが、わたしたちが巻き込まれた世界のからくりだ。この現実を自分でじかに体験し、正しく理解することができたなら、苦から抜け出すいとぐちを見つけることができるだろう。

川はどこにあるのか?
現象に関する覚え書き
湯殿川を眺める

死別を悲しむ人々~クリシュナムルティの指摘」は自我という現象が川そのものであり、思い出(記憶)に潜む六道輪廻まで明らかにしている。

 アントニオ・ダマシオ著『進化の意外な順序』を読めなくなるのも当然だろう。現代社会のホメオスタシスを成り立たせているのは知識と技術であり、我々は言葉という幻想を共有しながら進化に進化を遂げて地球環境を破壊するまでに至った。

「サティア・ナラヤン・ゴエンカ(英: Satya Narayan Goenka、1924年1月30日 - 2013年9月29日)は、ミャンマー出身のヴィパッサナー瞑想の在家指導者。レディ・サヤド系の瞑想法の伝統を、その孫弟子にあたるサヤジ・ウ・バ・キンから受け継ぎ、欧米・世界に普及させた」(Wikipedia)。ほほう。在家指導者なのね。現代のミリンダ王の一人か。

 これは簡単そうで実に難しい作業である。一言でいえば「映画を見るように現実を見ることができるかどうか」である。例えばあなたのことを誰かが馬鹿にしたとする。「何だコラ、てめえは喧嘩を売ってんのか?」と応じるのが私の常であるが、ここで「馬鹿にする人がいる」とただ見つめるのが瞑想である。瞑想とは観察なのだ。殴られた時に「殴る人がいる」と観察するのはかなり難しい。病苦も同様で「苦しさ」を客観的に見つめる視点が求められる。見るためには距離が必要である。この距離こそが「私という自我から離れる」ことを意味する。

 苦楽に永続性はない。喜怒哀楽は刻々と流れ去る。確かに存在するのは現在だけだが、今この一瞬は次々と過去のものとなってゆく。

 死を前にして苦しむことは多い。むしろありふれた光景と言ってよい。なぜ苦しむのであろうか? それは苦こそが生の本質であるからだ。登山は山頂が最も苦しいし、長距離走も短距離走もゴールが一番苦しい。我々は苦しむために生きているのだ。苦しみが薄いと味気ない人生となってしまう。そうであれば自ら勇んで走り出すことだ。ただ独り己(おの)が道を。