2018-08-08

自転車運動の利点/『大人のための自転車入門』丹羽隆志、中村博司


 ・自転車運動の利点

『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春

 自転車運動はそのスピードによって、常に風を受けるので汗が蒸発しやすい運動なのだ。
 自転車運動では、大汗をかきながら苦しい運動をすることなく、汗の蒸発によって体温は適正に保たれる。そのため、必要な心拍数を保ちながら楽しく運動を継続できる。これが、自転車運動の最大のよさかもしれない。

【『大人のための自転車入門』丹羽隆志〈にわ・たかし〉、中村博司(日本経済新聞社、2005年/日経ビジネス人文庫、2012年)以下同】

 文章が硬くて読みにくいが内容はかなり充実している。食事の改善からメンテナンス法まで網羅。エンゾ早川や菊地武洋のような後味の悪さがないだけでも評価すべきか。

 自転車本は良書が少ない。好きなものに対してただ情熱を込めて好きと言われても説得力に欠ける。そこに知性と情緒が加わらなければ読み物としては成り立たない。

 肥満の人は主食(炭水化物)を必ず摂ること。脂肪を燃やすためには炭水化物が必要なので、まったく摂らないのは逆効果だ。

 これは糖質の間違いではないのか? 炭水化物は糖質+繊維である。だが炭水化物=糖質ではない。なぜなら糖質を含む食べ物はごまんとあるからだ(例えば根菜、果物、練り物、乳製品、お菓子など)。糖質が慢性的に不足すると筋肉が細くなるという(タンパク質を分解してアミノ酸からグルコースを合成する)。ただし反論もある。

「糖質制限をすると筋肉が減る」は嘘。根拠なし | 炭水化物は嗜好品

 ま、栄養学なんてえのあ科学とは無縁の学問である。彼らがやってきたことは多くの人々を不健康にしただけといっても過言ではない。そんな曖昧な領域に関して素人が断定的に物を書くべきではない。人の食べ物にまで口を挟む料簡を疑う。

 目立った瑕疵(かし)はこれくらいで他は正確な記述が多い。初心者にとっては有用な一冊である。

大人のための自転車入門 (日経ビジネス人文庫)
丹羽 隆志 中村 博司
日本経済新聞出版社
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2018-08-07

東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄


『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
『日本人の誇り』藤原正彦

 ・東亜百年戦争

・『緑の日本列島 激流する明治百年』林房雄

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 さて、やっと私の意見をのべる番がめぐってきたようだ。
 私は「大東亜戦争は百年戦争の終曲であった」と考える。ジャンヌ・ダルクで有名な「英仏百年戦争」に似ているというのではない。また、戦争中、「この戦争は将来百年はつづく。そのつもりで戦い抜かねばならぬ」と叫んだ軍人がいたが、その意味とも全くちがう。それは今から百年前に始まり、【百年間戦われて終結した】戦争であった。(中略)
 百年戦争は8月15日に終った。では、いつ始まったのか。さかのぼれば、当然「明治維新」に行きあたる。が、明治元年ではまだ足りない。それは維新の約20年前に始まったと私は考える。私のいう「百年前」はどんな時代であったろうか?(中略)

 米国海将ペルリの日本訪問は嘉永6年、1853年の6月。明治元年からさかのぼれば15年前である。それが「東亜百年戦争」の始まりか。いや、もっと前だ。この黒船渡来で、日本は長い鎖国の夢を破られ、「たった四はいで夜も寝られぬ」大騒ぎになったということになっているが、これは狂歌的または講談的歴史の無邪気な嘘である。
 オランダ、ポルトガル以外の外国艦船の日本近海出没の時期はペルリ来航からさらに7年以上さかのぼる。それが急激に数を増したのは弘化年間であった。そのころから幕府と諸侯は外夷対策と沿海防備に東奔西走させられて、夜も眠るどころではなかった。

【『大東亜戦争肯定論』林房雄(中公文庫、2014年/番町書房:正編1964年、続編1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)】

 歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。(読書日記転載)

 目から鱗(うろこ)が落ちるとはこのことだ。東京裁判史観に毒された我々は【何のために】日本が戦争をしてきたのかを知らない。「教えられなかったから」との言いわけは通用しない。朝日新聞が30年にもわたってキャンペーンを張ってきた慰安婦捏造問題や、韓国が世界各地に設置している慰安婦像のニュースは誰もが知っているはずだ。少しでも疑問を持つならば自分で調べるのが当然である。その程度の知的作業を怠る人はとてもじゃないが自分の人生を歩んでいるとは言えないだろう。情報の吟味を欠いた精神態度は必ず他人の言葉を鵜呑みにし、価値観もコロコロと変わってしまう。

 林房雄を1845年(弘化元年)から1945年までを100年としているが、私は、マシュー・ペリーがアメリカを出港した1852年(嘉永5年)からGHQの占領が終った1952年(昭和27年)までを100年とする藤原正彦説(『日本人の誇り』)を支持する。更に言えば東亜百年戦争の準備期間として2世紀にわたる鎖国(1639年/寛永16年-1854年/嘉永7年)があり、日本人が外敵に警戒するようになったのは豊臣秀吉バテレン追放令(1587年/天正15年)にまでさかのぼる。

 つまりだ、15世紀半ばに狼煙(のろし)を上げたヨーロッパ人による大航海時代(-17世紀半ば)の動きを日本は鋭く察知していたのだ。帝国主義の源流を辿ればレコンキスタ(718-1492年)-十字軍(1096-1272年)にまで行き着く。モンゴル帝国が西ヨーロッパまで征服しなかったことが悔やまれてならない。

 こうして振り返れば西暦1000年代が白人覇権の時代であったことが理解できよう。そして大航海時代は有色人種が奴隷とされた時代であった。豊臣秀吉はヨーロッパ人が日本人を買い付けて奴隷にしている事実を知っていたのだ。その後日本は鎖国政策によってミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)と呼ばれる時代を迎えた。一旦は採用した銃を廃止し得たのも我が国以外には存在しない。

 戦前の全ての歴史を否定してみせたのが左翼による進歩史観である。「歴史は進歩するから昔は悪かった、否、悪くなければならない」という馬鹿げた教条主義だ。これを知識人たちはついこの間まで疑うことがなかった。鎖国も単純に閉鎖的な印象でしか語られてこなかった。武士という軍事力が植民地化を防ぐ力となった事実も忘れられている。

 世界史の動きや日本の来し方に思いを致さず、ただ単に大東亜戦争を侵略戦争だからという理由で国旗や国歌を拒否する人々がいる。しかも児童の教育に携わる教員の中にいるのだ。国家反逆罪で逮捕するのが筋ではないか。いかなる思想・宗教も自由であるべきだが国を否定する者はこの国から出てゆくべきである。

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2018-08-06

「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫


『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎

 ・「児玉誉士夫小論」林房雄

『大東亜戦争肯定論』林房雄
・『われ敗れたり』児玉誉士夫
・『芝草はふまれても 巣鴨戦犯の記録』児玉誉士夫
・『悪政・銃声・乱世 児玉誉士夫自伝』児玉誉士夫
・『われかく戦えり 児玉誉士夫随想・対談』児玉誉士夫
・『随想 生ぐさ太公望』児玉誉士夫
・『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』有馬哲夫

 児玉誉士夫を知って早くも30年が過ぎた。互いに仕事の場を異にしているので、会い語る機会は少なかったが、目に見えぬ心の糸はつながっていた。その糸の最も強いものの一つは、この不思議な人物がときどき発表する自伝風の著書である。
 巻数は少なかったが記された文字のすべてが、強く私の胸を打った。私も長く文字の道にたずさわっている者の一人だから、文章の真贋だけはわかるつもりだ。この人は嘘の言えない人、嘘を行えない人である。爆発する激情のみに身をまかせて生きてきた行動家であるかのような印象を、世間の一部の人々は持っているかもしれぬが、そんな単純な人物ではない。深い内省と謙虚を内に蔵している。生れながらの叛骨と権力者嫌いは生涯消えることはないであろうが、あふれる温情を胸底に秘めて、人情の正道を歩き通した。肩をいからした国士面と強面(こわもて)の愛国者顔のきらいな、永遠の憂国者。常に迅速、果断な行動によって裏づけられる適確無比の洞察力と決断力は、これまた天与のものであろう。ある公開の席上で、私は彼を「天才」と呼んだことがあるが、決してお世辞ではなかった。(「児玉誉士夫小論」林房雄、以下同)

【『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(アジア青年社出版局、1943年/広済堂出版、1974年)】

 ま、酒呑みの言葉をそのまま信用するほど私は初(うぶ)ではない。三島由紀夫も最後は林房雄に対して厳しい評価をせざるを得なかった。児玉誉士夫もまた毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物である。この二人には似た面影(おもかげ)がある。良い意味でも悪い意味でも日本人的なのだ。志は清らかなのだが清濁併せ呑むことで自身を汚(けが)していったようなところがある。振り返れば大東亜戦争における旧日本軍もまた同様であった。

 意外と知られていないことだが児玉誉士夫は創価学会と間接的な縁がある。大日本皇道立教会(1911年設立)には牧口常三郎(創価学会初代会長)や戸田城聖(同二代会長)に遅れて参加しているし、岸信介と親(ちか)しいところも共通している。すなわち戦後の保守における本流にいたことは間違いないと思われる。

 私が児玉に注目したのは神風(しんぷう)特別攻撃隊の生みの親である大西瀧治郎中将(ちゅうじょう)の末期(まつご)に立ち会ったことを知った時である。

 終戦を迎えた翌日、1945年8月16日に児玉と懇意にしていた大西が遺書を残し割腹自決した。児玉誉士夫も急行し、駆けつけた児玉に「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ。」と話した。児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」といさめた。

Wikipedia

継母への溢れる感謝/『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

「児玉は死期が近づいた時、『自分はCIAの対日工作員であった』と告白している」(Wikipedia)。正力松太郎(元読売新聞社主)もポダムというコードネームを持つ工作員だった(『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫)。保守というよりは反ソ感情を利用されたのだろう。敵の敵と組むことには一定の利がある。やがては大きすぎる利に目が眩(くら)んだのかもしれない。

 敗戦後、独立独歩の道を塞(ふさ)がれた日本はGHQの占領期間において完全なコントロール下に置かれたと見てよい。それは今もなお解けない呪縛だ。

 児玉誉士夫は酒を飲まない。飲めないのではなく、飲まない。
 まだつきあいの浅かったころは、これは体質的なもので、即ち“下戸”なのだろうと思っていた。私の方は親譲りの“上戸”で、豪酒というよりも暴酒というべき、浴びるような飲み方をして、乱に及ぶこともしばしばであった。見兼ねたのであろう、彼は時折り私に言った。
「あんたは酒をつつしみなさい。わたしは、このとおり飲まぬ」
 その言葉の意味がわかったのは、だいぶ後になって、彼自身の口から次のような告白を聞いた時であった。
 若いころには、人並みに飲み、飲めばいい御機嫌にもなり、つきあいとなれば酒場の梯子も辞さなかった。ある晩、酒場のカウンターで友人たちとグラスを片手に放談し、さて帰ろうとして気がつくと、上着の背が鋭い刃物で縦一文字に切り裂かれていた。
「これはいけない」と思ったそうだ。「生死の覚悟というような問題ではない。酒場で酔って刺されるなどは男の名誉ではないし、しかも、刺されたのならまだしも、背中に刃物を当てられて、それに気がつかなかったというのは醜態以外何物でもない。こんな飲み方と酔い方はやめよう」
 以来、飲めないのではなく【飲まない】児玉誉士夫が生れた。

 国士とか壮士の気風が確かに残っているエピソードである。上場企業の社長がTシャツで公の場に出てくる時代は、もはや正すべき襟(えり)すらないのだろう。信念とは誰も見ていないところで貫かれるものである。口にして宣伝する道具ではない。

 児玉がCIAの工作員であることを吐露したのは、CIAに裏切られたためではあるまいか。そんな気がしてならない。日本人は人が好(よ)すぎて国際関係で失敗することが多い。最大の原因は情報機関と国軍がないことに因(よ)る(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。帝国主義はまだ死んでいない。先進国と名前を変えてのうのうと生き続けている。

獄中獄外―児玉誉士夫日記 (1974年)
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2018-08-04

川内康範の侠気(きょうき)/『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎


『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労
『蓮と法華経 その精神と形成史を語る』松山俊太郎

 ・川内康範の侠気(きょうき)

「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫

 海外同朋の遺骨引揚げ運動は10年間も続くんです。1955年までですよ。このとき俺に協力してくれたのが竹中労なんだ。

 ――竹中さんといえば、当時はバリバリの共産党員だったのでは?

 そうだよ。僕は竹中を通じて共産党の実態を知ったんだ。彼はのちに共産党を脱党してフリーライターになるけど、その間も僕と竹中のつきあいはずっと続いていた。右翼から見ると「川内は左翼とつきあっていておかしいんじゃないのか」っていわれるんだ。隠れ左翼じゃないのかという声も出てくる。でも「民族派の人間がどう思おうと勝手だ。俺は俺の信念でやっているんだ」と思っていたよ。

 ――実は今回、先生の記事を過去にさかのぼって調べさせていただきましたが、一番驚いたのは、先生は昭和天皇の戦争責任についてはっきり「ある」とおっしゃっていますね。

 僕は陛下の真意として、戦争を望まれたとはけっして思っていない。あれはまわりの軍人や政治家が天皇を利用してああなったんだよ。しかしね、開戦の勅語(ちょくご)に陛下は署名されただろう。その意味での責任は、やはりあると思う。僕は児玉誉士夫さんと会って、「私は天皇に戦争責任があると思う。だから(終戦に際して)自分はどうなってもいいと陛下はおっしゃったんじゃないのか」っていった。児玉さんも「私もそう思う。けれど、そうおっしゃられた陛下を、われわれ日本人がこれ以上責めるのはいかがなもんだろう」っていうんだ。その気持ちも理解できるよな。それ以来、児玉さんとも友だちになったよ。

 ――竹中労さんは、天皇の戦争責任問題に対し最後まで追及すべきだという姿勢でしたよね。

 そう、竹中はそういうことは僕にしかくわしくいわないよ。それはともかく、一緒に沖縄で遺骨を引揚げながら思ったね。この人たちはいったい誰のために死んだんだと。生き残った人間は死者の気持ちを踏みにじっていないか。遺骨は千鳥が淵に納めるしかない。マレーシアからベトナム、カンボジアと僕は遺骨引揚げのために何回もまわった。政府からは援助がないので、自費で出かける。原稿料で稼ぐしかないから、書きまくりましたわ。
 そのうち遺骨の引揚げ援護費が認められたんだ。園田直氏が厚生大臣をやっていた頃ですよ。「川内さんやっと許可が下りたよ」って、園田さんと二人で乾杯しましたよ。児玉さんもロッキード事件であんなことになったけれど、遺骨の引揚げ運動に関しては協力的でしたよ。船をひとつ借りて引揚げなければ、とてもじゃないけれどらちがあかない。それには少なくとも2~3億はかかる。60年代の話ですよ。現在の額に直したらもっとでしょ。児玉さんは「金は用意する」っていってくれたんだが……。用意しているかしていないうちにロッキード事件の心労で倒れたんだよ。病院から出てきた児玉さんから電話をもらって、「金は用意してあったけれど、この事件で銀行の金も動かせない。川内さん、わかってくれ」といわれた。児玉さんは民族派の中でもきちんと筋を通す人だったね。児玉さんと話をすれば、一方で竹中ともつきあう。竹中には俺が何をやったかは書くなといってある。だから彼の書いたものに僕の名前はほとんど出てこないんだ。竹中が「ゴラン高原に行きたい」っていえば、100万を渡してやる。ゴラン高原に行きたいというのは、つまりは赤軍派に会うってことだよ。なのに右翼の俺が金を出す(笑)。彼には彼なりの志があるから俺は協力するんだ。

【『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎〈たけくま・けんたろう〉(河出文庫、2007年)】

 康芳夫〈こう・よしお〉、石原豪人〈いしはら・ごうじん〉、川内康範〈かわうち・こうはん〉、糸井貫二〈いとい・かんじ〉のインタビュー集である。竹熊の作戦勝ちともいうべき内容で、「謀(はかりごと)を帷幄(いあく)の中に運(めぐ)らし勝つことを千里の外(ほか)に決す」(漢書)意気込みすら窺える(笑)。「戦後サブカルチャー偉人伝」とあるが、とてもサブカルの領域に収まる面々ではない。戦前の大陸浪人や明治維新の志士を思わせる雰囲気が漂う。世間から見れば型破りなのだが、彼らなりの信念・哲学がさらりと語られていて引きずり込まれる。

 侮れないのは戦前・戦後の貴重な証言がちりばめられていることで、学術書からは窺い知れない当時の生々しい世情が伝わってくる。彼らはエリート官僚とは正反対に位置する浪人といってよい。自由を論じる人物は多いが、自由に生きる人は稀(まれ)だ。そんな稀有(けう)の生きざまがここにはある。

篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 (河出文庫 た 24-1)
竹熊 健太郎
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戦前の高度なインテリジェンス/『秘境 西域八年の潜行』西川一三


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 ・戦前の高度なインテリジェンス

・『チベット潜行十年 』木村肥佐生
・『チベット旅行記』河口慧海
・『城下の人 新編・石光真清の手記 西南戦争・日清戦争』石光真人編
『サハラに死す 上温湯隆の一生』長尾三郎編

「あなたは親切心で言ってくれるのでしょうが、私は、ヒマラヤを、この体でこの二本の足で七度も越えて鍛え上げているのだ。私がこんな姿をしているのは、あなたのそんな親切なめぐみを、待ち望んでしているのとは、まったく意味が違う。私達は戦争には負けた。しかし、私は、精神的には負けてはいないのだ」
 日本人と同じ顔をした、栄養状態のよいこの米人は、顔色ひとつ変えずに私のはげしい言葉を聞くと、その軍服を片づけた。
 私とこの通訳とは、さらにその後半年、この個室で同じ毎日をつづけた。私が、自分の足跡の一切を、相手の質問の尽きるまで語りつくしたときは、完全に一年間が経過していた。通訳がこの間に、私から調べ上げた調書の原稿は数千枚にも及ぶうず高いものだった。彼は、この功によって二階級特進した。
 八年間死地をくぐり、日本政府から一顧にも付せられなかった私は、この間、日当一千円を米軍から受取っていた。当時、私にはかなり高額の金である。私は貴重な情報を、アメリカに売るのかという、心のとがめを感じないわけではなかった。が、それならば何故、外務省が私んしかるべき態度をとらなかったのかという反撥の心があった。すべて、敗戦のしからしめるところであったと思う。しかし私は、通訳と向き合う生活をはじめて間もなく、すすめてくれる旧師もあって私なりのひそなか決心を固めていた。なんのためという具体的な目標があったわけではないが、決してGHQには売らない八年間の自分の足跡というものを、自分のものとして真実の記録として残すことを思い立ったのである。

【『秘境 西域八年の潜行』西川一三〈にしかわ・かずみ〉(芙蓉書房、1967年/中公文庫、1990年)】

 西川一三は戦前の情報部員である。チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」)を名乗り、チベット・ブータン・ネパール・インドなど西域秘境の地図を作成し地誌を調べ上げた。その活動はなんと敗戦後の1949年まで続いた(敗戦は1945年)。帰国後、直ちに外務省に報告をするべく訪ねたが、全く相手にされなかったという。直後にGHQから出頭せよとの命令があり、西川の情報を引き出すべく1年にも及ぶ取り調べが行われた。

 小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉のように敗戦後も戦い続けた日本軍兵士や諜報員は数多くいた。たぶん数千人規模でひょっとすると万を超えていた。大半の兵士はアジア諸国独立のために加勢した。そのまま現地で生活をし続け、骨となった人々もまた少なくない。大東亜会議で掲げた理想の旗は日本が敗れても尚、アジアの地で高々と翻(ひるがえ)った。そんな彼らに国家は報いることがなかった。否、見捨てたといってもよい。こうしたところに真の敗因があったと思われてならない。

 日本人は個々人の志操は高いのだが組織になると「村」レベルの惨状を露呈する。武士はいたものの貴族が存在しなかったゆえであろうか。社会学の大きなテーマになると個人的には考えているのだが、小室直樹が触れている程度で手つかずのような気がする。厳しい階級制度がなかったことも遠因の一つだろうし、天皇陛下の存在が悪い意味での安心感を生んでいることも見逃せない点である。長らく外敵の不在が続いたことも体制がシステマティックにならなかった要因だ。そして体制が変わると閥(ばつ)がはびこるのも我が国の悪癖であろう(戦後、組織化に成功した日本共産党や創価学会においても同様である)。優秀な人材がいながらも江戸時代に総合的な学問が発展しなかったのも同じ理由と思われる。

 時代は変わっても日本人には職人肌なところがあるように思う。オタクなどが好例だ。現代にあっても国際的な舞台で活躍する個人は多い(中村哲〈なかむら・てつ〉やビルマの内戦を止めた井本勝幸など)。スポーツ、芸術、音楽、美術においても白人と伍し、漫画に至っては世界を牽引(けんいん)している。我々のDNAは個人や小集団で発揮するようにできているのかもしれない。

 官僚が支配する息苦しい日本で出世競争に血道を上げるよりは、若者であれば単独者として世界を目指せと言いたい。

秘境西域八年の潜行〈上〉 (中公文庫)
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秘境西域八年の潜行〈中〉 (中公文庫)
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秘境西域八年の潜行〈下〉 (中公文庫)
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2018-08-02

ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念/『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム

 ・目次
 ・ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念

『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、アジア主義の旗を掲げて、有色民族に誇りをいだかせることによって、白人の誇りを貶(おとし)めたことだった。
 極東国際軍事裁判は、なによりも日本が白人上位の秩序にって安定していた、世界の現状を壊した。「驕慢(きょうまん)な民族主義」を大罪として、裁いた。
 事実、日本は白人の既得権益を壊して、白人から見ておぞましい成功を収めた。

【『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン:加瀬英明監修、藤田裕行訳(祥伝社、2015年)以下同】


 禁を破って読書中の本を紹介する。想像した通りジェラルド・ホーンはアフリカ系アメリカ人であった。軽く1000を超えるであろう膨大な量の証言で構成されており、行間から真正の怒りが伝わってくる。いずれにせよアメリカ本国から大東亜戦争を正しく研究する学者が登場したことは歓迎すべきで、破れかぶれになった左翼が大手を振ってデモ行進をする我が国の惨状が情けなくなってくる。著者の日本に対する心酔ぶりはやや過剰に感じるが、長らく虐げられてきた黒人の父祖たちを想えば、数百年間にわたって続いた人種差別に鉄槌を下ろした点において日本をヒーロー視することは決して的外れではないだろう。

 まだ100ページほどしか読んでないのだが90%以上のページに付箋を貼ってしまった。元気と時間があれば全部ここに書写したいくらいだ。

白人側が使った人種差別の宣伝(プロパガンダ)とは

 ところが、事実を捻(ね)じ曲げて、「日本軍がアジア人に対して、ありとあらゆる『残虐行為』に及んでいる」という、宣伝(プロパガンダ)が行なわれた。日本軍が白人に対して「残虐行為」を行なっていると報告すると、かえって「アジア人のために戦う日本」のイメージを広めかねなかったからだった。
 白人と有色人種が平等だという戦後になってからの人種政策や、「白人の優越」が否定されることは、日本軍の進攻によってすでに戦時中から明らかになっていた。
 アメリカはイギリスよりも、人種問題に敏感だった。先住民を虐殺し、黒人を奴隷(どれい)にすることによって建国したからだった。
 1942年半ばに、アメリカの心理戦争(サイコロジカル・ウォーフェアー)合同委員会は、イギリスに「太平洋戦争を『大東亜戦争』(パン・アジア・ウォー)にすり替える日本の宣伝を阻止(そし)することが、重要だ」との極秘の提案書を送った。
「アメリカの白人社会に対して、有色人種に対する激しい人種差別を和(やわ)らげる宣伝を行なうべきである。そうした宣伝は、人種偏見に直接、言及してはならないが、有色人種のよい面を伝えることで、間接的に可能だ」と提言し、「『こびと』『黄色い』『細目(ほそめ)の』『原住民』といった表現を避ける」ことや、「アメリカの黒人活動家が、白人を非難する日本の宣伝を受け売りしていること」にも言及した。
 戦争が終結に近づくにつれて、後に「ポリティカリー・コレクト」という表現が用いられるようになった戦後の人種への太陽が、形成されようとしていた。過去に人種差別を蒙(こうむ)った人々について、むしろ国際的な場で「黒人のリーダー」を前面に出すことで、黒人蔑視(ジム・クロウ)に対する批判を避けようとした。

 ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい言葉遣い)は自分たちの悪行を覆い隠す狙いがあったというのだから驚きを通り越してあまりの欺瞞に尊敬の念すら覚える。もちろん皮肉であるが。日本人であれば常識と良識にそれほどの差異を感じないが、アメリカ人の古い常識は「白人が奴隷を所有するのは当然の権利」であったがゆえに新しい常識を必要としたのだ。神の名の下に虐殺を繰り返してきた白人にやっと道徳心が絵芽生えたわけではない。飽くまでも戦略として道徳を扱っているだけだ。

 アメリカは広島・長崎における原爆ホロコーストから目を逸らさせるために南京大虐殺を編み出した。わざわざ死者数も同数に揃えている(約30万人)。大東亜戦争という言葉が使えるようになったのはここ数年のことだろう。私自身、数年前まで嫌悪感を抱いていた。ところがアメリカの心理戦争合同委員会は日本の意図を正しく理解していたのだ。だからこそ叩き潰しておく必要があった。彼らの狙いは見事に成功した。我々日本人は半世紀以上に渡って大東亜戦争という言葉を使わなかったのだから。

「1990年代に入ってアメリカで大きく注目された考え方で『偏見・差別のない表現は政治的に妥当である』『偏見や差別の用語を撤廃し、中立な表現を利用しよう』との運動から始まり、差別是正に関する社会運動を内包する場合が多い」〈ニコニコ大百科(仮)〉とされているが、現代のポリコレはフェミニズム論やジェンダー論が推進してきた経緯があり、左派系概念となってしまった。日本ではヘイトスピーチに対する攻撃目的で市民派を名乗る左翼が振りかざしていて逆ヘイトと化しつつある。

 この部分を読んで、ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』のカラクリがわかった。ヒトラーが行ったユダヤ人を中心とする大量虐殺は明白な犯罪であるが、これをテコにしてそれまでヨーロッパ中で殺され続けてきたユダヤ人は彼らなりのポリコレを編み出したのだろう。第二次世界大戦後、サイモン・ウィーゼンタール・センターなどのユダヤ人右翼団体は差別言論を取り締まる検閲役を務めた。日本でも文藝春秋社が発行する『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれたことは記憶に新しい(マルコポーロ事件、1995年)。

 スポーツの世界ではオリンピックや国際大会で日本人が好成績を残すとルールを変更するという手法が露骨に行われている。「統治するのは白人だ」と言わんばかりのやり方である。こうした動きに対抗し得る学問的なバックボーンが日本にはない。戦後教育は自虐史観で覆われ、大学教育は官僚輩出システムに堕してしまった。幕末の私塾にすら到底及ばぬ現状である。

 本書を読めば、大東亜戦争に立ち上がった日本が世界中の有色人種に与えた衝撃の度合いと感激の深さが理解できよう。我々の父祖が戦った本当の相手は「白人による人種差別」であった。日本の近代史は「黄禍論~アメリカの排日移民法~大東亜戦争」を中心に学校教育で教えるのが筋である。



レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア

2018-07-31

読み始める

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2018-07-30

オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された/『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子

 ・オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された

・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

「イギリスは、日本人に激しい反露感情をたきつけることを、極東政策とすべきである。日本を煽動(せんどう)するためには、あらゆる手段を講じなければならない……ロシアはなんとしても抑えるべきだ。東清(とうしん)鉄道の完成を妨害し、不凍港の獲得・強化を阻止しなければならない……そして、それを日本にやらせるのだ」
 これは、ロンドンタイムズ北京(ペキン)駐在特派員、豪州人のジョージ・アーネスト・モリソンが、同社上海(シャンハイ)特派員J・O・P・ブランドに宛てた書簡の一部である。書かれたのは、1898年1月17日、日露戦争勃発(ぼっぱつ)の6年前である。日露戦争は「モリソンの戦争」といわれ、モリソンは「戦争屋」と呼ばれた。それは、モリソンが、日露戦争を惹起(じゃっき)することと日本を勝利に導くことを自己の使命として全力を尽くしたからであり、また、彼の仕事の効果が日本および世界に認められたからである。
 モリソンは、なぜ、日露戦争を切望したのであろうか。それは、オーストラリアの安全保障を確保するためであった。

【『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1988年/新潮文庫、2004年)】

 修士論文が元になっているので読み物としては面白くない。しかしながら資料的価値が極めて高く、日本近代史なかんずく日露戦争を知るためには外せない一冊だ。ジョージ・アーネスト・モリソンはロンドン・タイムズの記者でオーストラリア生まれ。彼の日記と手紙を中心に日露戦争の経緯を描く。七つの海を制覇した大英帝国はボーア戦争で国力に翳(かげ)りを見せ始めた。ドイツ、ロシア、アメリカの力が英国に迫ろうとする。イギリスは極東で南下しようとするロシアを阻むだけの余裕がなかった。自国の安全保障上の必要から日英同盟を締結するに至る。イギリスの「栄光ある孤立」は幕を下ろす。モリソンはタイムズ紙を通して親日反露報道を繰り返し、日露を戦争させるべく誘導する。ただし現在のアメリカを牛耳るユダヤ・メディアのような嘘は感じられない。国家から兵士に至るまでロシアの不道徳ぶりは凄まじかった。国境線が長いこととも関係しているように思われる。小村寿太郎外相が臨んだポーツマス条約も熾烈な外交戦であったことがよく理解できた。イギリスのボーア戦争とアメリカのイラク戦争が重なる。強大国が衰える時、戦乱を避けることはできない。世界の覇権はまたしても東アジアで戦火を交えることだろう。文庫解説は櫻井よしこ。ついこの間読んだ菅沼本でも紹介されていた(読書日記転載)。

 このような全体観に立った安全保障的視点を我々日本人は欠いている。どうしても卑怯な手に思えてしまう。たぶん元軍と戦う際に名乗りを上げて一騎打ちに持っていこうとして殺された鎌倉武士のメンタリティから進歩していないのだろう。その点、アングロサクソン人は一枚も二枚も上手(うわて)だ。分割統治も同じ発想から生まれたものだろう。中世のヨーロッパは戦争を繰り返してきた。ひしめき合う国家間の中で狡知(こうち)や奸智(かんち)が育まれ、騙し合いに巧みな文化が形成されたのだろう。

 当時の国際政治の世界は、ジャングルの掟(おきて)のまかり通る弱肉強食の世界であった。そして、清国は列強の帝国主義的侵略の格好のえじきとなっていた。
 日清戦争(1894-95年)の敗北は、清国にとって二重の災難を意味した。
 まず、第一の災難は戦勝国・日本との間に締結した下関条約の履行で、これは敗戦の汚名と共に、重く清国の肩にのしかかった。ちなみに、下関条約とは、清国が朝鮮の独立を承認し、日本に遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)列島を譲渡し、2億両(約3億6000万円)の賠償金を支払うことを規定して、1895年4月に調印された条約である。
 しかし、第二の災難はさらに苛酷(かこく)であった。飢えた猛獣のように西欧列強が襲いかかってきたのである。アフリカ分割の余勢を駆って、アジアに迫った帝国主義的勢力は、清国を「眠れる獅子(しし)」とみなして手出しができず、遠まきにむらがり寄っていた。ところが、清国は新興の小国・日本との戦いにもろくも破れ、その弱体をさらけだしてしまったのである。もう、こうなったら遠慮はいらない。列強は猛然と襲いかかった。

 朝鮮独立の立役者が日本だったとは知らなかった。韓国の学校教育でどのように教えているのか気になるところだ。それにしても隔世の感とはまさにこのことで、1世紀後の中国がアメリカや日本を脅かすようになるのだから歴史が動くスピードは想像以上に速い。

 いつの時代も大衆は煽動される。民主政においても変わらない。むしろメディアを通じた煽動は広告技術や心理学をも駆使してマインドコントロール並みに行われる。群れを形成する動物には「従う」本能がある。従うことと引き替えに何らかの優位性を手に入れているのだ。一匹狼という言葉はあるが実際にはそのような狼は存在しない。狼もまた群れをなす動物だ。もしも 一匹狼がいたとすれば確実に飢え死にする(笑)。

 中国は必ず日本を攻めてくることだろう。戦火を開くのは尖閣諸島あたりか。モリソンが日露を戦わせたのと全く同じ手法でアメリカが日中をぶつけるのだ。自分たちの手で憲法改正すらできないとなれば米軍は日本から撤収するに違いない。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストとは、アメリカが世界覇権から一歩退いて内向きになることを雄弁に物語っているのだ。大東亜戦争(1937-45年)の「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念は後付ではあったものの、決して間違ったものではない。1919年のパリ講和会議で日本が主張した「人種的差別撤廃提案」とも整合性がとれている。帝国主義の本質はキリスト教に基づく人種差別であった。本来であれば来る日中戦争を契機に日本がアジア・太平洋地域の警察として機能すべきであるが、学校教育で近代史すら教えていないのだからそうした気風が涵養(かんよう)されるに至っていない。ビジョンなき国家の弱味である。

日露戦争を演出した男 モリソン〈上〉 (新潮文庫)
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日露戦争を演出した男 モリソン〈下〉 (新潮文庫)
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白虎隊の落し児、柴五郎/『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛

 ・白虎隊の落し児、柴五郎

『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

白虎隊の落し児、柴五郎

 交民巷の要・王府の防衛は、籠城者全員の命にかかわる。この大役を柴が担い、日本軍は度胸をすえた。そこへ、イタリア軍がのこのこ入ってきた。このイタリア兵と日本兵の組合せが実に奇妙で、イタリア兵は心ならずも日本兵の引立て役を演ずることになってしまった。それについては、外国人の口から語ってもらおう。以下は、ピーター・フレミングの著書『北京籠城』の一節である。
「戦略上の最重要地・王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。日本を補佐したのは頼りにならないイタリア兵で、日本を補強したのはイギリス義勇兵であった。
 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」
 P・C・スミス嬢の前述の書における柴観は次の通り。
「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。なぜならば、第1回目(6月21日)の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐も特に発言しようとはしなかったと思います。でも、今(7月2日)では、すべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間ない激戦で怪腕を奮(ママ)い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」
 スミスの記述にはだんだん熱が入り、柴から日本兵へ、そしてイタリア兵へと及んでいく。
「彼(柴中佐)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、柴中佐の下でやはり王府の守護にあたっているイタリア兵とは大違いです。北京に来ているイタリア兵はイタリア本国の中でも最低の兵隊たちなのだ、と私はイタリアの名誉のためにも思いたいくらいです」
 清帝国海関勤めのイギリス人下級職員、23歳のB・レノックス・シンプソン(ペンネームはパットナム・ウイール)は、籠城中、義勇兵となり、柴のもとに派遣されて戦った。彼は当時の日記を、1907年になって出版した。『率直な北京便り』というその題が示すように、実に遠慮のない日記である。彼の6月21日付日記をみよう。
「数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢日本軍は、王府の高い壁の守護にあたった。その壁はどこまでも延々と続き、それを守るには少なくとも500名の兵を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付武官・柴中佐である。彼は他の日本人と同様、ぶざまで硬直した足をしているが、真剣そのもので、もうすでに出来ることと出来ないこととの見境をつけていた。ぼくは長時間かけて各国受持ちの部署を視察して回ったが、ここで初めて組織化された集団をみた。
 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめ込んでいた。彼は自分の注意を要する何千という詳細事を処理することに成功していた。彼は部下たちを組織化し、さらに、大勢の教民を召集して前線を強化した。実のところ、彼はなすべきことはすべてした。ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」
 このように、ウイール青年は籠城第1日目にして、柴にほれこんでいる。

【『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1989年)】


 ウッドハウス暎子ジョージ・アーネスト・モリソン(タイムズ紙特派員/1862-1920年)の研究者である。著作はすべてモリソンに関するもので、ジャーナリストが歴史を見つめ、歴史を動かしゆく様を実証的に描く。カテゴリーを「自伝・評伝」としたが学術書である。

 日清戦争(1894-95年)後、義和団という白蓮教(びゃくれんきょう)の秘密結社が貧困に喘ぐ農民を糾合して戦闘に至ったのが義和団事変(北清事変/1900-01年)である。

 義和団は清国各地で外国人やクリスチャンを襲撃した。言うなれば帝国主義・キリスト教宣教に対する攘夷運動である。北京にあった列国大公使館区域に襲いかかり、西太后がこれを支持したことで戦争状態に突入した。最終的には日本を含む8ヶ国の連合軍が出動して鎮圧したが、公使館区域での籠城(ろうじょう)は2ヶ月間に及んだ。

 阿片戦争(1840-42年)からの100年は中国大陸にとって蹂躙(じゅうりん)の季節だった。結局、清朝は亡び、中華民国は台湾へ追いやられた。鬱屈したエネルギーが共産主義革命の原動力となったに違いない。

 阿片戦争は日本の進路をも変えた。明治維新の直接的なきっかけとなったのは黒船来航(1853年)だが、指導層や知識人の問題意識は阿片戦争によって生まれた。

 大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を通して帝国主義が生まれ、ヨーロッパ人はキリスト教宣教の旗をなびかせながら有色人種を殺戮(さつりく)し、あるいは奴隷にした。逸(いち)早くそれに気づいた日本は鎖国(1639-1854年)をして侵略から防いだ。そのおかげで戦乱とは無縁の平和な時代が200年にも渡った。

 選民思想はユダヤ教に基づくものだがキリスト教もこれを受け継いでいる。神を理解せぬ者は虫けら以下の扱いを受ける。我々のような「一寸の虫にも五分の魂」という情緒は彼らに通用しない。虫に魂を認めないのが西洋の流儀である。血塗られた思想は20世紀に入りナチズムと共産主義の母胎となった。

 薩長の陰謀によって逆賊とされた会津藩出身の柴五郎がヨーロッパ人からの信頼を勝ち得たことに妙味を覚えてならない。しかも事変が起こった翌日は柴の40歳の誕生日であった。北京籠城を共にしたモリソンの報道や、イギリス公使クロード・マクドナルドの柴に対する篤い信頼が、やがて日英同盟(1902年)として花開く。1822年から「光栄ある孤立」を貫いてきたイギリスが初めての同盟国に選んだのが日本であった。

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2018-07-28

55歳から始めるロードバイク


ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと
ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)

 ・55歳から始めるロードバイク

格安ロードバイクを嗤(わら)うことなかれ
余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望


 5月に買ったのだが昨日デビューを果たした。愛機は「FUJI BALLAD Ω 2018年モデル」である。相模川の辺りを23kmほどぶらついてきた。体力の衰えをつくづく思い知らされた。「これは、あと20年もすれば確実に死んでるな」と実感するほどであった(当たり前)。大学教授の伊藤礼は何と定年間近の68歳でサイクリングに目覚めたというから、50代で遅いということはない。

 いやあでもね、前傾姿勢が辛いッスよ。もはや苦行のレベルである。しかもその姿勢のせいでハンドル操作がしにくい。帰宅してからビジネスバイクにまたがったところ、後ろに反っくり返っているような錯覚を覚えたほどだ。今朝、目覚めると腰と背中に痛みを覚えた。先が思いやられるが私は断固として明るい未来に向かって進む。

 1年ほど入念に調べてきたが、クロスバイクのストレートハンドルをドロップハンドルに替える人が何人もいた。ストレートハンドルは同じ場所を握っているため長距離走行だと掌が痛くなるようだ。ってなわけで私はドロップハンドルを選んだ。

 ここで自転車の選び方について一言申し上げておこう。

 通勤・通学や街乗りであれば5万円前後のクロスバイク一択である。盗難の可能性がないわけではないが低い。その辺に駐(と)めても鍵を切断したり破壊してまで盗むことは考えにくい。距離だって十分走れる。少し前まではGIANTのESCAPE R3かGIOSのMISTRAL(ジャイアント エスケープR3とジオス ミストラルを徹底比較 GIANT ESCAPE R3 vs GIOS MISTRAL | クロスバイクラボ)という選択肢しかなかったが、最近はいい自転車が陸続と登場している(尚、GIANT社は通販禁止)。とりわけアートサイクルスタジオはもはや価格破壊といっていいレベルである(楽天通販のみ)。

 次にシマノコンポが搭載されているとほぼ確実に盗難対象となる。コンポだけ盗まれるケースもあるようでこれは防ぎようがない。つまり自宅保管が前提となる。私は4階に住んでいるのだが車重が10Kgを切っているので持ち運びはさほど難儀しない。ただし中高年女性の場合、そうはいかないだろう。高額スポーツバイクの選択は飽くまでも自宅保管という軸から考えるのが筋である。すなわち階段の上り下りが大変な人は折り畳み式バイク一択となる(※ホイール径が短いミニベロではなく折り畳みである)。

 続いてコンポーネントだが、「最低でもシマノ105」などと御託を述べているブログが多い。私としては「ふざけるな」と申し上げたい。そんな高性能のコンポを必要とする脚力がお前にあるのかよ? エッ、どうなんだ?――私にはありません(涙)。また、ビンディングシューズは事故に遭った時のことを考えると極めて危険で(足がペダルから外れない)、素人は避けるべきだと考える。大体、引き足を推進力にする前に基本的な脚力を鍛えるのが先だ。私は最初っからギョサンで乗ることを前提にしていた。フラットペダルであればSORAかClarisで十分だろう。

 シフターはシマノSTI一択である。特にドロップハンドルの場合、ダブルレバーだとハンドルから手を離すことも難しいと思われる。セール品はダブルレバーが多いので要注意。


 我が座右の銘はブログトップに掲げている通り「ただ独り、不確かな道を歩め」(エリアス・カネッティ)である。不確かな道を不確かな前傾姿勢で歩んでみせるよ(笑)。

2018-07-27

エアロスポーク(扁平形状)にサイクルコンピュータのマグネットを取り付ける


ひょっとして電池よりも安い!? 中国製激安サイクルコンピュータ

 ・エアロスポーク(扁平形状)にサイクルコンピュータのマグネットを取り付ける

 中華サイコンのマグネットを上手く取り付けることができなかった。本来であればマグネットを横向きにしなければならないのだが、スポークが平たいため縦向きになった。案の定、コンピュータは反応せず。どこかの工場に持って行ってマグネットの溝を切ってもらおうかと考えていたのだが、検索したところ答えを見つけた。

エアロスポークについて

サイコン用マグネットはネオジム磁石NK022が美しい(笑 - 自転車で旅しよう!
サイクルスパイス:純正品?すごくしっくりくる二六製作所のネオジム磁石をサイコンマグネットにしました。

 ・NK022 ネオジム 10×3×3(N40)|【株式会社二六製作所】
 ・EO003 自己融着ブチルゴムテープ(約200mm程度)【株式会社二六製作所】
 (※いずれも送料無料、「支払い方法について」を参照のこと)

中華製サイコンでうまく測れないと困っている人にもおすすめ 投稿者ハゼドン

2018-07-26

科学革命を推進し、現代文明を支えるガラス/『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク

 ・科学革命を推進し、現代文明を支えるガラス

必読書リスト その三

 これはグーテンベルクの発明がたどった不思議に並行する道筋である。印刷が長年、科学革命と結びつけられている理由はいくつかある。ガリレオのような異端者とされる人たちの小論文や専門書が、教会の批判にとらわれることなくアイデアを広めることができ、最終的にその権威を弱体化させた。同時に、グーテンベルクの聖書から数十年を経て発展した引用と参照のシステムは、科学的手法を応用するにあたって不可欠のツールになった。しかしグーテンベルクの発明は、別のあまり知られていないところでも、科学の前進を促している。すなわち、レンズ設計の可能性、ガラスそのものの可能性を広げたのだ。私たちは二酸化ケイ素の特異な物理的特性を、自分の目ですでに見えていたものを見るのに初めて利用しただけでなく、持って生まれた人間の視力の限界を超越してものを見ることができるようになった。

【『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン:大田直子訳(朝日新聞出版、2016年)以下同】

 これは気がつかなかった! 印刷技術には誰もが注目するがガラス(二酸化ケイ素)が科学革命の推進力であったとは。眼鏡の発明が1284年頃のイタリアとされているので、ルネサンス(14世紀イタリア発)の導火線となった可能性も高そうだ。

 現在、あなたが住んでいる部屋を見回せば、二酸化ケイ素があるからこそ存在するもの、もっと言えばケイ素という元素そのものに依存しているものが、軽く100個は手の届くところにあるだろう。窓や天井にはまっているガラス、カメラつきスマホのレンズ、コンピューターの画面、マイクロチップやデジタルクロックが入っているものすべて。1万年前の日常生活の化学に登場する主役を選ぶとしたら、上位の序列は現在と同じになるだろう。私たちは炭素、水素、酸素のヘビーユーザーである。しかしケイ素はクレジットタイトルにさえ出てこないかもしれない。ケイ素は地球上にふんだんにある――地殻の90パーセント以上がケイ素化合物でできている――が、地球上の生命体の自然な代謝にはほとんどなんの役割も果たさない。私たちの体は炭素に依存しているし、私たちのテクノロジーの多く(化石燃料やプラスチック)も同じ依存関係にある。しかしケイ素の必要性は現代になってから強まったものだ。

 細いガラスの糸を作る実験が繰り返され、チャールズ・ヴァーノン・ボーイズが19世紀末に約27メートルのガラス繊維を作り出した。驚くべきはその繊維の強靭さであった。次の世紀の半ばにはガラス繊維が撚(よ)り合わされてグラスファイバーとなる。奇蹟の新素材は「家の断熱材、衣類、サーフボード、クルーザー、ヘルメット、最新のコンピューターのチップを接続する回路基板、エアバスの主要ジェット機」に使われている。そしてインターネットをつなぐ光ファイバーもまたガラス繊維でできている。「ワールド・ワイド・ウェブはガラスの糸で織り上げられているのだ」。

「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」の六つに焦点を当て、全く新たな角度から文明を切り取ってみせる手並みが鮮やかである。こうした良書を読むと、白人の説明能力の高さにたじろいでしまう。私が知る限りではポピュラーサイエンスの分野だと日本人に勝ち目はない。

ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)


ロードバイクを走らせる前に必要な準備
ロードバイク 後輪の外し方
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ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと

 ・ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)

55歳から始めるロードバイク

 自転車本には必ず「ロードバイクは最寄りのショップで買うべきだ」とのご託宣が書かれている。「てめえらはどうせグルなんだろ?」と最初は思ったのだが一定の根拠がある。ま、一度最寄りのショップに足を運んで欲しいバイクがあるかどうかを確認するのが先だろう。やはり高価な物は一目惚れするかどうかが重要だ。

 私がロードバイクを購入したのは娯楽目的ではなく飽くまでも健康増進のためだ。エコカーに減税するくらいならロードバイクの半額程度は国や自治体で出しても、社会保険料を考慮すれば十分お釣りが来るだろう。

 本日、防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)取得のために確認したことを書き残しておこう。

 防犯登録はどこの自転車屋でもやってくれる。問題はTSマークである。あちこちに電話をしてわかったのだが、まずTSマークを取り扱っていないショップがある。次にTSマークを取り扱っていても他店購入は断られる場合がある。更にTSマークには青(第一種)と赤(第二種)があるが両方扱っている店はない。「どうしてなんだ?」と訊ねたがきちんと答えた店は一つもなかった。

・セオサイクル――他店購入はお断り
・サイクルベースあさひ――調整○、TSマークは青のみ
・ダイシャリン――調整×、TSマークは青のみ、取扱メーカー以外はできないケースがある
・個人ショップ――TSマークの取扱なし

 何ということだ。しかも今は多忙で1~3日待ちになると告げられた。尚、「自転車安全整備店検索」は当てにならないので必ず電話で確認しておくこと。

 私は最初から保障額の高い赤にするつもりだったので、結局一番家から近い地元の自転車屋に頼んだ。

 初めてのロードバイクは恐ろしかった。やはり前傾姿勢に慣れるまで時間がかかりそうだ。ブレーキにきちんと手が届かないのだ。明日、ロードデビューする予定である。

【追伸】自転車ショップはロードバイクメーカーとの契約に縛られているため、自由に各社メーカーの自転車を取り扱えるわけではない。ここがオートバイショップとの最大の違いである。ダイシャリンの店員と話して判明したのだが、罪はショップではなくメーカーにあることを我々サイクリストは理解しなければならない。

【追々伸】他店購入のロードバイクを持ち込む場合、販売証明書(あるいは譲渡証明書)が必要になる。慌てて探したらカタログの間に挟まれていた。車体番号まであったのね。

ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと


ロードバイクを走らせる前に必要な準備
ロードバイク 後輪の外し方
ひょっとして電池よりも安い!? 中国製激安サイクルコンピュータ

 ・ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと

パンク対策:チューブ交換~CO2ボンベ(インフレーター)
ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)
55歳から始めるロードバイク

 ロードバイクは慣れると100km程度は軽く走ってしまうマシンである。当たり前だが山奥や田舎道を走っていればパンク修理は自分で行う必要がある。携帯用の空気入れを持つサイクリストも多いようだが、空気圧が高いため難儀をすることは必至である。手っ取り早い方法としてはチューブ交換をしてCO2インフレーターボンベで充填するという手がある。また空気圧が高いので走らなくても空気が抜ける。つまり走る前には必ず空気を入れなくてはならない。









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