【『川島隆太教授の脳を鍛える大人の計算ドリル 単純計算60日』川島隆太〈かわしま・りゅうた〉(くもん出版、2003年)】
単純計算は認知機能の衰えに効果がある。私の場合、算数から初めて数学に挑戦する予定なので今直ぐやる気にはなれなかった。
1931年(昭和6年)9月18日午後10時すぎ、中国東北地方の満州・奉天(ほうてん/現在の瀋陽〈しんよう〉)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本経営の南満州鉄道(満鉄)線路が爆破された。
まもなく、関東軍(南満州に駐留する日本軍)から中国軍の犯行によるものとの発表がなされる。一般国民には太平洋戦争終結まで、そのように信じられていたが、実際には関東軍によって実行されたものだった。
首謀者は、関東軍の板垣征四郎〈いたがき・せいしろう〉高級参謀、石原莞爾〈いしは(ママ)ら・かんじ〉作戦参謀、爆破の直接の実行は、独立守備隊第2大隊第3中隊付の河本末守〈こうもと・すえもり〉中尉ら数名で行われた。爆破そのものは小規模に止まり、レールの片側のみ約80センチを破損したが、直後に急行列車が脱線することなく通過している。
この時、板垣高級参謀は、奉天の日本側軍施設で待機していた。板垣は、実行部隊から鉄道爆破の連絡を受けると、中国側からの軍事行動だとして、独断で北大営(ほくたいえい/中国側兵営)と奉天城への攻撃命令を発した。高級参謀にはこのような攻撃命令の権限はなく、軍司令官の追認がなければ軍法会議で処断される行為だった。
攻撃命令が出された直後に、板垣に面会した奉天総領事館の森島守人〈もりしま・もりと〉領事は、外交的解決を主張した。だが、板垣高級参謀は、「すでに統帥(とうすい)権の発動を見たのに、総領事館は統帥権に容喙、干渉せんとするのか」と恫喝(どうかつ)した。また、同席していた花谷正〈はなたに・ただし〉奉天特務機関補佐官も、抜刀して、「統帥権に容喙する者は容赦しない」と、森島を恫喝した(森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』)。
【『昭和陸軍全史1 満州事変』川田稔〈かわだ・みのる〉(講談社現代新書、2014年)】
【疲れがとれないのは、身体の「センサー」の使い方の問題です。】(中略)
身体のセンサーがうまく働かなくなると、身体は緊張して固くなります。目の奥が痛くなったり、首のつけ根が重くなったり、みぞおちのあたりが窮屈(きゅうくつ)になって呼吸が浅くなったり……。そんな経験をしたことはないでしょうか?
これらは身体のセンサーをうまく使えず、身体の緊張がとれなくなってしまった状態なのです。
【『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖〈ふじもと・やすし〉(さくら舎、2012年/講談社+α文庫)】
ここで何よりも重要なことは、これからの企業はデータ・テクノロジーを活用できなければ確実に衰退し、淘汰されていくという現実だ。そのデータ・テクノロジーの主役が、【人工知能(AI)、5G、クラウド】の3つのメガ(基幹)テクノロジーである。これらの3つが組み合わさることで形成される【三角形=トライアングル】のちからこそが、次代の産業・社会・国家を大きく変えていく原動力となる。とくに次代の企業は、そのすべてがこのトライアングルによって生まれるか、新しく生まれ変わることになる。
【『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正〈やまもと・やすまさ〉(講談社現代新書、2020年)以下同】
ディープラーニングは、人間の脳の仕組みを模したニューラルネットワークが基本となっている。情報を入力する層と、答えを出力する層の間に、情報を判断する層を多層(ディープ)に重ねたため、その名で呼ばれている。
犬を犬と判断するには、本来はいくつもの特徴を総合的に判断しなければ特定できないはずだ。ディープラーニングが登場する前のマシンラーニング(機械学習)では、ある一つのパターンを人間が細かく設定し、それをAIに犬と認識させた。AIは、そのパターンに当てはまるものだけを犬と判断し、当てはまらないものを犬ではないと判断した。そのため、大雑把な判断しかできなかった。
ところが、ディープラーニングでは目、耳、鼻、口、体型などを多層に分け、それぞれのパーツにおける犬の特徴を膨大なデータを使って自ら学習していく。この学習によって、犬であるか犬でないかの判断の精度が上がっていく。
このディープラーニングの精度を高めるには、大量のデータが必要だ。それには「大量のデータを蓄積する」ためのテクノロジーである【クラウド】が必要になる。
「チェスよりも将棋のほうが難しい」は本当か? | 人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか? | ダイヤモンド・オンライン https://t.co/DQCyKdMt5A pic.twitter.com/D0R1RDzlvE
— 小野不一 (@fuitsuono) November 3, 2021
近未来に必ず起こる7つの大変化
【大変化1】データがすべての価値の源泉となる
【大変化2】あらゆる企業がサービス業になる
【大変化3】すべてのデバイスが「箱」になる
【大変化4】大企業の優位性が失われる
【大変化5】収益はどこから得てもOKで、業界の壁が消える
【大変化6】職種という概念がなくなる
【大変化7】経済学が変わっていく
下町の朝は、物売りの声で始まる。一番早いのが浅蜊(あさり)や蜆(しじみ)売りの声で、午前6時頃には、もう聞こえてくる。
「あさり~しじみ~」
朝の空気をふるわすように、その声が響くと、工藤家の子供たちは家の中から全員で声を揃えて怒鳴り返す。
「あっさり~死んじめぇ~」
外を歩く物売りに、この声が聞こえるのではないかと、初めはハラハラして子供たちを叱りつけていたやすだったが、近頃はあきらめている。どうしたって、毎朝1回は怒鳴らないことには子供たちはおさまらないのだ。
大騒ぎで子供や弟子たちが、顔を洗ったり身づくろいをしていると、今度は納豆屋が町々を通り抜ける。
「なっとぉ~なっと、なっとぉ~」
こちらは少年の声だった。肩から籠を下げている。その中には藁の筒に包んだ納豆と辛子が入っている。
青森育ちの哲朗は納豆が好物なので、朝食の膳に出ない日はなかった。
続いて、豆腐屋のラッパが悲しいような、くぐもった音で鳴る。朝夕、必ず2回、このラッパの音が聞こえるのだが、夕暮れの方が、より物悲しい感じがする。豆腐屋は天秤棒の両端に盥を下げて、ピチャピチャと豆腐を泳がせている。頼むと厚い木のまな板を出して、「はい、味噌汁ね、やっこね」と、料理に応じた大きさに豆腐を切ってくれた。朝の味噌汁に、きちんと間に合う時間に現れる。
少し遅れて煮豆屋が、チリンチリンと、遠慮がちな鈴の音を響かせて、ゆっくりと荷車を引いて来る。お多福、うぐいす、うずら、ぶどう、黒豆など様々な種類の煮豆が、甘辛く味つけされていた。下町育ちのやすは、煮豆にちょこっとでも箸をつけないと気がすまないので、これも納豆と並んで朝食には欠かせなかった。
冷蔵庫もなく、お手伝いさんもいなかったが、買い物は家にいて、ほとんどの用が足りた。午前中のうちに魚屋は、今日仕入れた魚の種類を経木に書いて、注文を取りに来る。夕方には頼んだ魚が配達される。八百屋も酒屋も必ず御用聞きに来た。
子供たちは学校が始まる時間に合わせて、順番に家を出る。一番早いのは、平井にある府立第七高女に通う初枝だった。
その日は朝から、しんしんと雪が降っていた。そして、どうしてか物売りの声が、雪に封じ込められたようにどこからも聞こえてこない。
なんだか変だ――と、初枝は思っていた。ラジオも雑音ばかりで、ガーガーと嫌な音を立てるので消してしまった。
多分、この大雪のせいであろう。それでも、やっぱり学校には行かなくちゃと、初枝はオーバーを着て手袋をはめた。それから、生まれて10日しかたっていない赤ん坊の顔を、ちょっと覗き込んだ。
工藤家にまた男の子が生まれたのである。名前は敏朗とつけられた。目がクリクリして、全体にまん丸い赤ん坊だった。「あの子の仇名、南京豆がいいや」。そう思いながら、初枝はゴム長を下駄箱から引っ張り出して履いた。準備完了。昭和11年2月26日、午前7時30分だった。
学校は、どんなことがあっても休んではいけなかった。頭から、固く信じ込んでいた。初枝だけでなく、同級生はみんなそうだった。だから、去年の秋に、台風で中川が氾濫し、平井の駅前の大通りが水浸しになった時は、なんと舟に乗って学校までたどり着いた。まさ、あの大通りを舟で渡るなんて……と、初枝は思い出すたびにおかしくなる。学校側が、ちゃんと生徒のために、舟を出して、高台になっている駅から、4~5人ずつ乗せて運んでくれたのだった。
あの時はさすがに遅刻しても、先生に怒られなかった。しかし、今日はそうはいかない。8時45分までには、教室に入っていなければと、いつもより15分も早く家を出た。
ほとんど小走りに、雪を蹴散らしながら靖国通りに出て、国技館の前の交差点のところで、信号を見ようと傘を上げたとたんに、異様な感覚が全身を打った。
音がない。靖国通りの音が消えていた。市電が通っていないのだ。市電だけではない。車も走っていない。朝のあの喧騒が、ぽっかりと嘘のように雪の中に消えていた。
その代わりに、今まで見たこともない光景が、目の前にあった。交通が遮断された大通りの真ん中に、佩刀(はいとう)して武装した兵士たちが、何十人も並んでいる。彼らの前には機関銃が一列に地面に据えつけられていた。
武装した本物の兵士を見るのは、初枝は初めてだった。しかも、こんなにたくさん、いっぺんに白い雪を被って立っている。ぎょっとして、しばらく立ちすくんだが、また気を取り直した。なにがあったか知らないが、とにかく学校へ行かなければならない。敢然と、初枝は信号を渡り始めた。両国駅へ行くには、ここを渡るしかない。
通りの半分くらいまで来たところで兵士の一人に呼び止められた。
「君、駅へ行っても電車は走っとらんよ」
「でも、学校へ行かなきゃならないんです」
必死の形相で初枝が答えると、
「学校も今日は休みだ」
と、はっきりした口調でその兵士は言い切った。初枝は通りの真ん中で立ち往生した。兵隊さんが嘘を言うはずはない。しかし、どうして、電車も通っていなければ、学校も休みなのか。駅へ行けば、その理由を書いた貼り紙でも出ているのではないだろうか。
じっと初枝が兵士の顔を見詰めたまま考えていると、まるで外観にそぐわぬやさしい声で傍へ酔って来て説明してくれた。今朝早く、反乱軍が首相官邸その他を襲った。今はもう鎮圧にあたっているから心配はいらないが、千葉方面から援軍が駆けつけるらしいとの情報が入った。それで、我々は待機して、もしも反乱軍が来たら、ここで喰い止めて一歩も都心に入れないつもりなのだ。
こう言われて、はっと気づくと、確かに機関銃はピタリと千葉の方角を指して並んでいる。
とにかく家へ帰って、今日は一歩も外へでるんじゃない。家族にもそう伝えておきなさいと言われて、初枝はすごすごと家へ引き返した。
【『工藤写真館の昭和』工藤美代子〈くどう・みよこ〉(朝日新聞社、1990年/講談社文庫、1994年/ランダムハウス講談社文庫、2007年)】
墨田区回向院。 https://t.co/rOgTAhKfjw pic.twitter.com/brsyG96GiW
— 小野不一 (@fuitsuono) November 2, 2021
もともと、日本全国で写真館が飛躍的に増えたのは、日露戦争のためといわれている。出生記念に兵士が写真を撮るのと同時に、家族たちも肖像写真を撮って、兵士に持たせた。まだ一般家庭に写真機などなかった時代に、人々は写真館で今生の名残となるかもしれない瞬間を凍結した。
その思いは、昭和の代になっても変わってはいないのだろう。中国大陸がどれほど希望に満ちた約束の地であったとしても、兵士たちの顔には隠し切れない悲壮感や不安が漂っていた。
カメラのファインダーを覗くたびに哲朗は、それを感じていた。普通の家族の肖像写真とは、空気の密度がまるで違っている。まだ10代後半や20代の初めの、若々しい兵士たちの顔は、いやにくっきりと、その輪郭を縁どる空気が濃く凝縮して見える。
【『工藤写真館の昭和』工藤美代子〈くどう・みよこ〉(朝日新聞社、1990年/講談社文庫、1994年/ランダムハウス講談社文庫、2007年)】
リクルート事件で首相を辞任した竹下が、キングメーカーとして擁立した海部俊樹首相に対し、小泉は宮澤派(宏池会)の加藤紘一、中曽根派の山崎拓〈やまさき・たく〉と組んで海部続投阻止を訴え、3人の頭文字からYKKと呼ばれました。
【YKKは親米派の小泉、親中派の加藤紘一、親北朝鮮派の山崎と政治信条はばらばらですが、72年初当選の同期で、経世会支配の中で干されてきたという被害者意識が共通】していました。
【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】
大阪は不思議なことがよくあるな→山崎拓氏「小選挙区は辻元清美、比例は自民」 - 産経ニュース https://t.co/ruJCxXPUKc
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) October 27, 2021
イギリスはじめ欧州の国々が大西洋貿易を開始すると、ヨーロッパ、アフリカ大陸、カリブ及び新大陸を結ぶ三角貿易が始まる。三角貿易と言えば普通に聞こえるが、実態は奴隷貿易である。新大陸のインディオは、銀鉱山などの激しい奴隷労働で夥しい数が死に、人口が激減していた。カトリック僧たちはその非道を訴えたが、絶滅しかけたインディオの代わりに目を付けられたのがアフリカ人であった。三角貿易の主力商品はアフリカの黒人奴隷である。アフリカから黒人を奴隷として連れていって、カリブ海諸島や新大陸のプランテーション農場で働かせたのである。
プランテーションで栽培したのは、砂糖や煙草や綿花である。イギリスの砂糖成金は有名で、奴隷農場でとれた砂糖をイギリス本土で売り、そのお金で武器を買ってまたアフリカに行き、アフリカで武器を売りさばいて、そのお金で奴隷を買って新大陸やカリブ海諸島に売りさばいていた。国情のジョージ3世が「何で彼らは国王の自分より金を持っているんだ」と嘆いたとされるぐらい、三角貿易は儲かったのである。
【『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克〈かねはら・のぶかつ〉(新朝新書、2020年)】
藤原●アメリカのCIAは、インテリジェンスをうたっているけど、内閣調査室を「日本のCIA」と呼ぶ場合には、あれは日本のセントラル・インフォメーション・エージェンシーの略だと思えばいい。どうせインテリジェンスのやれる人材なんかがいるわけないですから。
小室●インテリジェンスというのは数学的な発想が基礎になっています。ところがそれが日本人にはない。私は、かつて、役人相手に数学の基礎理論を手ほどきしたことがあるけど、その実情に驚いたことがある。
藤原●それは生態環境としての生活圏の問題が多いに関係しているせいです。それもインテリジェンスのレベルまで行かずに、インフォメーションのレベルで決定的な役割を演じています。くわしいことは『情報戦争』や『日本が斬られる』という本で論じたが、情報に対しての理解の仕方と構えで見ると、農耕民族と遊牧民は本質的に異なっているんです。農耕民の情報は蓄積し発酵して知恵にしている。それに対して、遊牧民の情報はオンタイムでとらえ、的確に選択し行動に移すことで、そのグループの生存に結びつける。そうなると、リーダーシップが関係してきて、遊牧民はリーダー中心の社会で、いうならば、男の世界です。
小室●たしかに、農耕社会は大地と結びついているから女性的です。日本も天照大神が一番偉いし、かつ女性上位だし……。
藤原●トップの性別はあまり関係なくて、たとえ男であっても女性型支配をするのです。それが長老であり、農耕民族は蓄積だから長老が一番偉い。情報も新しさよりも知恵と結びついた古さのほうが重要視される。その辺にリーダー型の西欧や中東と、長老型のアジアの違いがあります。
小室●一般にヨーロッパ的、アジア的と区分する人が多いが、中国やインドのほうが日本よりはるかにヨーロッパに近い。実は、世界中で日本だけが例外中の例外です。たとえば、牧畜を例にとってみても、牧畜をまったくやらないのは日本ぐらいで、中国もインドも農業と牧畜の二本建(ママ)てです。それに日本の驚くべき特徴として指摘していいのは、どんなに見かけ上近代化したように観察されても、日本では農業が絶対に産業化されない点です。こういうことはアジアでもめずらしい。
藤原●日本語では術語が十分にないので、議論がむずかしいから英語を借りて話すと、日本にはファーミングもアグリカルチャーもなくて、あるのはガーデニングだけです。ガーデニングは技術集約化がむずかしいから産業化するところまでは行かない。
小室●日本軍がフィリピン作戦をしたときに、フィリピンは農業しかないから、農村地帯では食糧が自給できるはずだと思い込んでいたら、それはとんでもないことだった。タバコ地帯ではタバコだけしかないし、麻を作るところには麻しかなかった。いわゆるモノカルチャーです。農村地帯は食糧があるはずだと期待したいのに、食糧はない。だがタバコや麻を食べるわけにいかないので、作戦は大混乱してしまったそうです。
藤原●ベトナムだってブラジルだって同じです。農業が労働力集約型から技術集約型への進化の系列の中で動いているので、産業が可能になる。それを植民地主義がプランテーション化を通じてやったわけです。
小室●フィリピンは遅れている、と日本人は頭から決めつけてかかる癖があるが、農業でみる限りでは、産業の組織化という点で、返っらのほうがはるかに進んでいる。日本の農業なんて何でも作るし、それも主な目的は家族が食べるところにある。
藤原●インダストリアライズして剰余価値を生み出すところまで行っていない。
小室●農業に見る限り、日本は世界で最も遅れた状態を維持している。しかも、この農業地帯を地盤にした政党が農本的な政治をやってきたのだし、これからも続けようとしているので救いがありません。
藤原●そこに日本の政治が近代以前のパターンでしか機能しない理由もあるし、日本人が情報一般に関して非常にニブイ原因もあると思います。その当然の帰結として、インテリジェンスの問題がいかに重要であるかについて誰も気がつかないし、また、それを論じようともしないのです。(中略)
藤原●とてもじゃないが、日本の農業社会を見る限りでは、近代資本制などの水準には達していないといえます。
小室●とてもキャピタリズムじゃない。
藤原●じゃあ、前に話したように原始(グラスルーツ)共産制ですね。
小室●農業だけでなく企業や産業界までが同じであり、労働力は労働と分化しないまま、労働者は会社という一種の共同体の所属物になってしまっている。古典的な資本主義では労働市場が存在して、そこでは完全な自由競争が行なわれるのに、日本ではそれさえなくて、賃金でさえ、生きる上で必要な給与を分配してもらう形をとっている。
藤原●原始共産制における分け前だから、交通費や厚生費の現物支給があったり、年功序列の手当てが給料の形をとるのです。
小室●それに〈生産者と生産手段が分離する〉という、資本主義にとって最も基本的なこの性格が欠けている日本の経済システムは、中世的な共同体のままといえます。
藤原●中世じゃなくて古代以前だと思いますね。政治を見ればわかるけれど、どう考えても呪術的ですよ。だから、情報以前なのは当たり前かもしれない。
【『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹〈こむろ・なおき〉、藤原肇〈ふじわら・はじめ〉(ダイヤモンド社、1982年)】
GHQは、敗戦後の日本国民がいまだ昭和天皇に尊崇の念を抱き、秩序を保っていることに注目し、【天皇を元首とする大日本帝国の形を残したまま、間接統治をする】ことにしました。政府や国会の上に置かれたGHQから、超法規的な「GHQ指令」が発せられ、日本政府にこれを実行させたのです。【ナチス国家を完全に解体し、直接軍政を敷いたドイツとは対照的】です。
GHQの統治下で内閣を組織したのは、皇族出身の東久邇宮稔彦王〈ひがしくにのみやなるひこおう〉、元外交官の幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉、同じく元外交官の吉田茂〈よしだ・しげる〉の順番です。
幣原は、大正デモクラシー期に長く外相を務め、ワシントン海軍軍縮条約をまとめて軍と対立したことが、GHQに評価されました。この「英語ができる平和主義者」幣原のもとで、日本の交戦権を制限する新憲法を制定させることになりました。
戦時国際法の基準とされるハーグ陸戦条約は、こう定めています。
「第43条 国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、【占領地の現行法律を尊重】して、なるべく公共の秩序および生活を回復確保するため、施し得べき一切の手段を尽すべし」
アメリカの日本占領は、1951年のサンフランシスコ平和条約発効まで続きました。この間、占領者アメリカには、ハーグ陸戦条約に基づいて【占領地日本の現行憲法を尊重する、】という国際法上の義務があったのです。
したがって、GHQが日本の憲法を制定することはできません。そこで【マッカーサーは、幣原内閣に圧力をかけ、日本政府自らの意思で新憲法を起草したように見せかけた】のです。
この「圧力」とは、つまり公職追放と検閲(プレスコード)です。
公職追放は、戦時下の軍と政府の要人、思想家など「軍国主義者」に始まり、GHQを批判する者すべてを公職から解雇しました。空襲で産業が壊滅し、戦地からの帰還兵がどっと戻ってきたため、失業率が異常に高かった当時の日本で職を失うことは飢餓(きが)と直面することを意味します。幣原内閣は、組閣の直後に幣原首相、吉田外相ら3名を除く全閣僚を公職追放され、親英米派の幣原も「マックのやつ、理不尽だ」とうめきます。
【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】
1969年に国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性があることが指摘されると、それまで何ら主張を行っていなかった中国は、日本の閣議決定から76年後の1971(昭和46)年になって、初めて尖閣諸島の「領有権」について独自の主張をするようになりました。
【尖閣諸島|内閣官房 領土・主権対策企画調整室】
そこで、手軽にできるO脚改善法、ひいてはひざ痛改善として、私がお勧めしているのが、「足の親指バンソウコウ」という方法です。
これは、名称のとおり、足の親指にバンソウコウを巻くだけの、いたって簡単な方法です。なぜ、そんな簡単な方法で、O脚やひざの痛みが改善できるかというと、O脚の根本原因である外側重心の悪いクセを矯正する、意識付けとして役立つからです。
ひざ痛の大きな原因となるO脚を改善するには、足の外側に偏っている重心を、意識的に足の親指寄りに戻し、「内側重心」にする必要があります。
しかし、「内側に重心をかけよう」とただ意識するだけでは、すぐに忘れてしまうのが人間です。ところが、親指にバンソウコウを巻いておくと、歩行のさい、そこに普段とは違う圧力がかかるので、自然に親指に意識が向き、内側重心になるのです。
また、足の親指にバンソウコウを巻いている感覚は、私たちの脳には一種の違和感として刻み込まれます。
これを解消したいという意識下の働きによって、歩くときに、親指側をグッと踏み締め、けり上げる動きが強化されます。
これにより、足裏のアーチ構造を強化でき、正常な土踏まずが再生されます。
このことによって、O脚が改善していくのです。(勝野浩〈かつの・ひろし〉)
【『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』(マキノ出版、2013年)】