2020-01-12

トレイルランニング/『ランニング・サイエンス』ジョン・ブルーワー


『最速で身につく 最新ミッドフットランメソッド』高岡尚司、金城みどり

 ・トレイルランニング

・『サブスリー漫画家 激走 山へ!』みやすのんき
『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー

 もしあなたが体幹、やる気、バランス、スピード、持久力を1回のランニングで鍛えたいなら、スポーツジムの会員になることは忘れて、トレイルに出かけよう。オフロードのランニングは新しいスキルを丸ごと習得することでもあるが、同時に細かい距離や精確なスピードを気にするのを一切やめることでもある。絶景を楽しんだり、急峻な上りを制覇したり、野生動物を見つけたりしているときに、誰がペースなんか知りたいだろう? トレイルランニングとは体力を鍛えるだけでなく、減速して周囲のものを吸収する営みとも言える。ある意味では、わだちのついた柔らかな、予測のつかないでこぼこの地面を走るという行為の副産物として、体幹の強さ、足関節の可動性、全身のバランスの向上があるとも言える。足関節の可動性がすぐに向上し、地勢の読みかたや姿勢の変えかたが身につく。上りのゆっくりしたペースに対処し、下りの恐いほどのスピードに対処するために、走る速さを調整することも学ぶ。バランス、筋肉協調運動、反応速度の向上はすべて、定期的なトレイルランニングから生まれる。

【『ランニング・サイエンス』ジョン・ブルーワー:菅しおり〈すが・しおり〉訳(河出書房新社、2017年)】

 舗装していない道をトレイルという。一般的には登山道・遊歩道を指す言葉だ。類語にオフロードクロスカントリーなどがある。

 自転車で坂を目指した以上、ランニングでも坂に向かうのは当然である。最終的には丹沢周辺を走り回りたいと夢見ている。

 私にとって走る目的は二つしかない。まず汗をかくこと。次に煙草を減らすことである。健康や体力の増進はどうでもいい。今だからわかるのだが自転車に乗ろうと思ったのも結局汗をかきたかったからだろう。

 ランニングに関しては速度と距離もさほど気にしていない。とにかく長い時間走れるようになりたいのだ。そうすれば煙草の本数を減らせる。それゆえ私が目標とするのは12時間ランニングである。帰宅して12時間寝てしまえば5~6本の煙草で済みそうだ。「いっそのことやめてしまったらどうなんだ?」という声が聞こえてきそうだが、それができたら誰も苦労しない。

 私にとってランニングは瞑想である。家にいればどうしても本を読んでしまう。本から離れるためには運動が一番手っ取り早い。老境は晴走雨読で行こう。

進歩的文化人の仄めかし話法/『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武

 ・反日売国奴の原型・藤原惺窩
 ・進歩的文化人の仄めかし話法

『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 そこで進歩的文化人はそろって暗示論法を用いた。いわゆる仄(ほの)めかしの語法である。絶対に揚(あ)げ足をとられない口ごもりの発声である。天皇制打倒などとは口がさけても言わない。ひたすら皇室をあてこする。遠まわしに皮肉を並べる。用心深いことこのうえなしであった。
 たとえば大塚久雄(おおつか・ひさお/経済史学者、東大名誉教授)は、社会主義とも共産主義とも言いたくなかった。それらの言葉を用いた途端に底が割れるからである。そこで、よく考えた戦術として、「近代化」という聞こえのいい名称を活用することにした。日本はまだ近代化していない、と国民を叱りつけたのである。
 言葉面(づら)だけを受けとれば、そんな無茶苦茶な話はない。しかしこの近代化というあいまいなめいじは符牒(ふちょう)であった。のちに自分で解説するところによれば、彼の言う近代化なる用語は、実は、「社会主義への移行をも含めるようなものだったのである」そうな。大塚久雄が唱えた近代化のすすめとは、本当は、社会主義化のすすmであったのだ。それをかくして近代化、近代化とふりまわすのが、暗示論法の身上なのである。

【『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1995年/ワニ文庫、1999年)】

 肚(はら)の底から唸るように「ウム」と私は首肯した。顎が胸にのめり込んだほどだ(ウソ)。「仄めかし話法」とは言い得て妙だ。念頭に浮かぶのは佐藤優、姜尚中〈カン・サンジュン〉、森達也など。筑紫哲也〈ちくし・てつや〉はそのものと言ってよい。衣鉢を継ぐのは金平茂紀〈かねひら・しげのり〉か。TBSの「サンデーモーニング」も典型だ。彼らは答えを隠して疑問を口にする。「おかしいのではないでしょうか?」「疑問があると言わざるを得ません」「果たして国民は納得するのでしょうか?」ってな具合である。

 敗戦から21世紀に至るまで「愛国心」は禁句となった。他方、レッドパージ(1950年/昭和25年)以降、左翼は表立って共産主義革命を叫ぶことができなくなった。ゾルゲ事件シベリア抑留の影響も見逃せない。

 学生運動は終戦前後に生まれた若者たちによる一過性の暴発であった。それが証拠に60年安保(日米安保改定)後の選挙では自民党が圧勝している。国民は暴れ回る大学生ではなく岸信介を支持したのだ。とはいうものの新聞・テレビは学生運動に理解を示し、好意的な報道を続けた。こうしたムードの中で赤軍派によるよど号ハイジャック事件(1970年/昭和45年)が起こり、北朝鮮への拉致につながるのである(『宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作』高沢皓司)。

 簡単なリトマス試験紙を用意しよう。

 1.憲法改正をするべきではない。
 2.女系天皇を容認する。
 3.外国人参政権を認める。
 4.国旗・国歌に反対する。
 5.夫婦別姓に賛成する。

 すべて該当すれば真性左翼であり、純粋シンパといってよい。その他、政治家に関しては親中派・親韓派と親米派に大きく分かれる。独立派・自立派は今のところ現実的ではない。もしも有力代議士の中でそんなのがいたら田中角栄のように葬られることだろう。

2020-01-11

多すぎる指示詞・代名詞/『ウイルスは生きている』中屋敷均


『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『生命とはなにか 細胞の驚異の世界』ボイス・レンズバーガー

 ・多すぎる指示詞・代名詞

 このことは二つの大きな疑問を我々に突きつける。一つは、我々ヒトとは一体、何者なのか? という深刻な問いだ。その昔、シンシチンを提供したウイルスと我々の祖先はまったく別の存在で、無関係に暮らしていたはずである。しかし、ある時、そのウイルスは我々の祖先に感染した。そしてシンシチンを提供するようになり、今も我々の体の中にいる。そのウイルスがいなければ胎盤は機能せず、ヒトもサルも他の哺乳動物も現在のような形では存在できなかったはずである。つまり我々の体の中にウイルスがいるから、我々は哺乳動物の「ヒト」として存在している。逆に言えば、ウイルスがいなければ、我々はヒトになっていない。少なくとも今とまったく同じヒト科ヒトではなかったであろう。我々は親から子へと遺伝子を受け継ぐだけでなく、感染したウイルスからも遺伝子を受け継いでいるのだ。もう一度言おう。我々はすでにウイルスと一体化しており、ウイルスがいなければ、我々はヒトではない。それでは我々ヒトとは、一体、何者か? 動物とウイルスの合いの子、キメラということなのだろうか?

【『ウイルスは生きている』中屋敷均〈なかやしき・ひとし〉(講談社現代新書、2016年)】

 帯に「成毛眞氏絶賛!」とある。見事に騙された。15ページに「その」が6ヶ、「それ」が4ヶ、「この」が1ヶ出てくる。たった15行に指示詞・代名詞がてんこ盛りで講談社の編集者は無能と評価せざるを得ない。どんなに内容がよくても、文章が悪いと思考力が揺れる。

 上記テキストもくどくてイライラさせられる。

キラキラした、もしくはギラギラした人生/『メッセージ 告白的青春論』丸山健二


『穴と海』丸山健二
『さらば、山のカモメよ』丸山健二

 ・キラキラした、もしくはギラギラした人生

『ミッドナイト・サン 新・北欧紀行』丸山健二
『野に降る星』丸山健二
『千日の瑠璃』丸山健二
『見よ 月が後を追う』 丸山健二
『丸山健二エッセイ集成 第四巻 小説家の覚悟』丸山健二
『虹よ、冒涜の虹よ』丸山健二
『逃げ歌』丸山健二
『鉛のバラ』丸山健二
『荒野の庭』丸山健二

必読書リスト その一

 サラリーマンは上からの命令であまりにも立ち入った重大なことが左右され過ぎる。おれが小学校の6年生になるとき親父は転勤を命じられ、おれもいっしょに引っ越しをしなければならず、だがその新しい土地は実にくだらなかった。子どもながらにもおれはひどく腹を立てたものだ。自分の気に入った土地にも住めないなんて、ひどく屈辱的な立場ではないかと思った。世間にはそれがよくあることでも、おれには許せなかった。「この世にはままならないことがたくさんあるのだ」というような忠告には耳を貸したくなかった。
 おれの胸のうちにポカっと穴があいたのは、おそらく自由な生きざまへの入口の扉が開いた瞬間ではなかっただろうか。その計り知れない空しさの奥へ突っこんで行かなければ、キラキラした、もしくはギラギラした人生を歩むことができなかったのではないだろうか。何度でも繰り返すが、それは誰のためでもなくおれの人生だった。だから当然、時間も空間もすべておれのものでなければならなかった。社会的な、あるいは道義的な制約の存在などおれの知ったことではなかった。

【『メッセージ 告白的青春論』丸山健二(角川書店、1980年/角川文庫、1985年)】

 一部が『丸山健二エッセイ集成 第四巻 小説家の覚悟』に収められている。こうして見るとあまり書評を書いていないことがわかる。『逃げ歌』までの作品は粗方(あらかた)読んだ。

 私が初めてインターネットの回線を引いたのは1998年のことだ。Windows 98が搭載されたデスクトップパソコンは15万円以上した。パソコンに詳しい友人を伴って秋葉原の電気街を歩き回り、店員を騙して値引きさせたことを憶えている。私は既に友人宅でネット上の丸山健二情報を検索していた。「丸山健二ファンのページ」なるサイトがあって、書き込みデビューもそこの掲示板だった。翌年には読書グルームのサイトを自ら立ち上げ、少し経って「雪山堂」(せっせんどう)なる古本屋を開業した。2000年代初期において丸山健二の古書を最も扱ったのは間違いなく私であった。

 読書チームや古本屋の掲示板を通して実に様々な出会いがあった(『臨死体験』をめぐる書き込み)。元はと言えばこれまた丸山健二を通してつながった人脈だった。男臭い人々が多かったのは当然だろう。はみ出し者とまでは言わないが、少しばかりアウトローの雰囲気を漂わせるタイプが目立った。例外は品行方正を絵に描いたような私だけだ。

 私の父も転勤が多かった。旭川~函館~札幌~苫小牧~帯広と私が生まれてから8年間で四度も引っ越している。嫌がらせの意味もあったようだと後年母から聞いた。業を煮やした父は札幌で独立する。単身赴任という言葉を耳にするようになったのは1980年代のこと。幼い子供にとって転校は深刻な問題である。今までの友達全員を失うのだから当然だ。私も三度転校しているが皆の前に立って挨拶をするのも大きなストレスとなる。北海道内の転校だったから差別のようなものはなかったが、訛(なま)りの異なる地方へ行くことともなれば、いじめられることもあり得るだろう。

 会社の都合で家族が振り回されるというのがサラリーマン一家の宿命だ。嫌なら辞めればいい。そもそも人生の有限を思えば通勤に1時間以上かけるのは馬鹿げている。往復で2時間、つまり1週間で10時間、1年で21日間もの時間を移動に費やすこととなる。

 最近聞かれなくなったサラリーマンとは俸給生活者の謂(いい)である。日本企業の70%を占める中小企業も元請けの言いなりにならざるを得ないという点ではサラリーマンと大差がない。最大の問題は喧嘩ができなくなることだ。譲ってはいけない部分や越えてはならない一線で闘うのが普通だが、サラリーマンは賃金と引き替えにこれを手放す。小さな忍耐を繰り返すうちに家畜のような人生の色合いになってゆく。もう一つは会社という狭い世界の出来事ばかりが関心の対象となり、会社員以外の可能性が見えなくなってしまうことだ。一旦社会の規格にはまってしまうとそこから抜け出すことは思いの外難しい。

 バブル景気が絶頂に差し掛かった頃(1990年)、社畜なる言葉が生まれた。その後登場するブラック企業を想起させる言葉だ。ただし当時はそれほど悲惨な印象を受けなかった。給与は上がっていたし使える経費も多かった。東京ではコンビニエンスストアが次々と開店した。カラオケがブームとなり、外食産業は隆盛の一途をたどった。当時と比べると「魂を売り渡す金額」が明らかに下落している。

 キラキラするのは水で、ギラギラするのは油だ。こんな言葉にも丸山の流動性志向が表れている。その対比は「動く者」と「動かざる者」として『見よ 月が後を追う』 で描かれる。一歩間違えればやくざ者になりかねなかった丸山が二十歳(はたち)で芥川賞を受賞した。彼にとっては短刀とペンの違いでしかなかったことだろう。本書を開くと自立の強風が至るところに吹いている。

2020-01-10

知覚の限界/『交通事故学』石田敏郎


『自動車の社会的費用』宇沢弘文
『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳
『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕

 ・知覚の限界

 自動車が発明されて拍手喝采で世の中に迎えらられたとき、将来大変なことになる、と言った心理学者がいたそうである。彼の心配は、人間はその知覚特性から見て、動いているものの速度や距離の見積もりが非常に苦手ということだった。予言は的中し、毎年世界中で何十万人もが自動車事故で亡くなっている。

【『交通事故学』石田敏郎〈いしだ・としろう〉(新潮新書、2013年)】

 私自身、若い頃から「人間が走る以上のスピードで移動する時、何かがおかしくなるのではないか?」と思ってきた。ジェット機に乗ったスー族は魂の到着を待った(『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン)。我が意を得たりと膝を打った覚えがある。一方、本川達雄〈もとかわ・たつお〉は「エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む」と言う(『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』)。相対性理論と逆行するようだが言いたいことはわかる。距離と時間は時空と言い換えてよい。文明は人生の時空を拡大し、情報の密度を高めた。ただし、それがもたらした結果はよくよく吟味する必要があるだろう。我々の社会は自動車という利便性のために交通事故の死傷者を受容している。戦争で死者が出るのは当然だが、文明の発達もまた死者を必要とする。果たしてそんな考えでいいのだろうか?

 もう一つ昔から考えているのは、犬や猫がタイヤの音に反応できないことである。昔はクルマに轢(ひ)かれた犬猫を見ることは珍しくなかった。普段は人間以上にすばしっこい動物がなぜクルマを避(よ)けることができないのか不思議に思っていた。やがてタイヤが原因であることに気づいた。動物は足音には反応するが滑らかに転がるタイヤには対応できないのだ。

 交通事故を防ぐためには、1.自動車と歩行者の分離、2.運転未熟ドライバーの排除、の二本柱で望むのがいいと思う。1については時間を要するだろうが、まず自宅に駐車するのをやめて500メートル区画ほどの住宅地はクルマの進入を禁止する。運送・配送・緊急車両のみ通行可とし制限速度は20kmとする。2は簡単だ。運転することには公的責任が伴うためプライバシーを制限する。全車にカーナビ&GPS及びドライブレコーダーを義務づけ、明らかにおかしな運転をする者を検知できるシステムを構築する。これで95%くらい事故を減らすことができるだろう。

 日常の移動手段としては路面電車程度の速度が最も望ましい。自動車を減らして路面電車網を全国に張り巡らすのが私の考える理想である。

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2020-01-08

貨幣やモノの流通が宗教を追い越していった/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博


『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

 ・貨幣やモノの流通が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

宗教とは何か?

山極●世界宗教と呼ばれる宗教は、最初は価値の一元化、倫理の一元化を目指して文化を取り込んでいき、それぞれが交じり合うこともあったと思いますが、いずれも大きな壁にぶつかってしまった。それを追い越していったのは経済のグローバル化だと思うんですよ。

小原●経済活動の拡大が宗教に及ぼした影響は、間違いなく大きいです。

山極●貨幣が、モノの流通が宗教を追い越していった。宗教の境界があるにもかかわらず、モノはどんどん交換され、貨幣は流通していった。だから、貨幣はユーロという統一を果たしましたが、言語までは変えられなかった。つまり、言語の一元化はできなかった。同様に、文化の一元化もなかなか起こりえない。なぜならば、言語や文化というものは身体化されたものだからです。一方、貨幣というのは、いうなれば幻想の価値観を一定のルールのもとに共有しているに過ぎない。ですからそれは普及しやすい。それによって、宗教の力がどんどん圧縮されて、経済の方が実は宗教としての力を持つようになってきている。

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

 思いつくままに関連書を挙げたが一冊の本が脈絡を変える。何をどの順番で読むかで読書体験は新たな扉を開く。それは一種の「編集」と言ってよい。実は細胞の世界でもコピー、校正、編集が繰り返し行われている(『生命とはなにか 細胞の驚異の世界』ボイス・レンズバーガー)。ミクロからマクロに至るあらゆる世界で実行されているのは「情報のやり取り」だ。

「貨幣やモノの流通が宗教を追い越していった」理由は情報の速度にあったのだろう。人々が「信じる」ことによって価値は創出される。神は存在があやふやだし、祝福には時間を要する。その点キャッシュ(貨幣)はわかりやすい。誰もがその価値を信用しているから即断即決だ。祈り(労働対価)と救済(消費)が数秒で交換される。

 日本で貨幣が流通するようになったのは鎌倉時代である。つまり宗教改革と金融革命が同時に起こった。更に国家意識が高まった事実も見逃せない。元寇によってそれまでは地方でバラバラになっていた武士集団が日本を守るために一つとなった。

 敗戦後に新宗教ブームが興ったが、これも高度経済成長で熱が冷めた。宗教は経済に駆逐される。

 貨幣は万人が信ずるという点において最強の宗教と化した。今となっては疑う者は一人もあるまい(笑)。果たしてマネーの速度を超える情報は今後生れるのだろうか? 経済を超える交換の仕様は成立するのだろうか? 現段階では全く思いつかない。

2020-01-07

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民の声/『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光


 ・桑の木は神木
 ・民の声

・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

「生れつき姓があるということは、人の上に立ってゆくように定められていることなのだ。人の上に立つには――」
 と、ことばを切った摯は、足もとに目をおとし、
「たとえば、ここに植える菽(まめ)のいうことが、ききとれるようになることだ。天の気も地の気も、その葉や茎にうつり、やがて結びあって実となる。いくら故実(こじつ)を識(し)っても、名なし草にひとしい民の、声なき声を聴きとる耳はそだたぬ。【まめ】に教えてもらうがよい」

【『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)以下同】

 摯〈し〉は伊尹〈いいん〉の諱(いみな)である。豆から学んだ人にメンデル(1822-1884年)がいる。

 伊尹は一階の料理人から宰相(さいしょう)にまで登りつめた人物である。湯王〈とうおう/天乙〉を助け、〈けつ〉王を討って天下を平定。こうして(いん/商)が建国される。

 民と農こそ国家の基(もとい)であろう。次に防衛がくる。農業革命によってホモ・サピエンスは定住し、やがて都市が生まれた。食糧を他国に依存する日本は定住の基盤を失ってしまったように見える。

「湯のことではない。汝がどうするかだ」
 そう問われた摯はさらにしずまった声貌(せいぼう)で、
「人民の声に従うだけです」
「また、それか。遁辞(とんじ)をかまえるな。民草(たみくさ)に声なぞあろうか。強い風に靡(なび)くにすぎぬ」
「わたしには聞えます」
 と、摯はなぜか哀しげに眉をよせた。

 民衆が「自然の一部だった」(『歴史とは何か』E・H・カー)とすれば伊尹が聴いた「民の声」とは政治的要求ではなく、苦悩や呻吟(しんぎん)、溜息や悲鳴と考えられる。民情に思いを寄せるのが政治の出発点であり、庶民を圧迫すれば国は必ず滅びる。現在、中国や北朝鮮はたまたアラブ諸国で残酷非道な政治が行われているが、これを支えているのは情報統制である。人々の移動や交流あるいはインターネットの促進によって情報が行き交うようになれば一人が立ち上がり、二人、三人、百人と続いてゆくことだろう。

 ただし民草が「強い風に靡(なび)く」のもまた事実である。自由を望むのも民衆だが、支配を求めるのもまた民衆なのだ。全体主義やファシズム・ナチズムは形を変えて生き延びることだろう。

2020-01-06

桑の木は神木/『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光


 ・桑の木は神木
 ・民の声

・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 このころ、桑の木は神木で、「桑からなにが生れるか」と問われた者の十人中十人が、「日」(じつ)すなわち「太陽」とこたえたであろう。つまり太陽の数とは無限ではなく、十個あると考えられ、その一個ずつが、毎朝桑木から生れて、天に昇ると信じられていた。したがって、桑木とは太陽を生む木であり、そこから生れた児とは太陽でなくてなんであろう。

【『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)】

 八王子を桑都(そうと)という。江戸期から養蚕業・絹織物業が盛んであったためだ。更に古くは「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と西行が詠んだ。桑が神木とはにわかに信じ難かった。それは私が低い桑しか知らないためだった。


 こりゃ神木だな、確かに。また日本を扶桑国(ふそうこく)とも称した。鎌倉時代の日蓮も「扶桑国をば日本国と申す」(「諌暁八幡抄」〈かんぎょうはちまんしょう〉)と書いている。更に雷除けの「くわばら、くわばら」という呪文も「桑原」に因(ちな)むものだ。

「子供の時分、下の部屋で布団に入ると2階の部屋からワサワサと音が聞こえたものだ」という話を何度か耳にしたことがある。蚕(かいこ)が桑の葉を食(は)む音だ。幕末から明治にかけて八王子~横浜間には「絹の道」が存在した(八王子のシルクロード~幕末から明治期に賑わった「絹の道」を歩く)。

 八王子駅近くの甲州街道沿いに荒井呉服店がある。ユーミンの実家だ。

巧妙な脅し文句/『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易


『「捨てる!」技術』 辰巳渚
『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵

 ・巧妙な脅し文句

『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
・『たった1分で人生が変わる片づけの習慣 実践編』小松易
『大丈夫!すべて思い通り。 一瞬で現実が変わる無意識のつかいかた』Honami
『人生を掃除する人しない人』桜井章一、鍵山秀三郎
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士
『手ぶらで生きる。 見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』ミニマリストしぶ

 片づけられないと生活だけでなく、心も体もうまくいかずに「詰まって」しまうのです。

 玄関が片づいていなければ、新しい出会いやチャンスに恵まれません。
 キッチンが片づいていなければ、余計な出費が多くなり食生活も安定しません。
 仕事場が片づいていなければ、残業が多いわりに良い仕事ができません。
 本棚が片づいていなければ、本当に欲しい情報がすぐに得られません……。

 片づけられないせいでうまくいっていない人生は、どんどん「負のスパイラル」に陥ります。その結果、さらに仕事や生活で失敗が続いたりします。

【『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』原作:小松易〈こまつ・やすし〉、脚本:青木健生、マンガ:小田ピンチ(KADOKAWA、2015年)】

 それは、ない。ただし人生が順調でない人はこの言葉を真に受けてしまうことだろう。巧妙な脅し文句である。

「コミック版」となっているが、マンガ+テキストなので活字が苦手な人はこちらを読むといいだろう。マンガの出来栄えは決してよくないが、内容はしっかりと踏襲している。

 ブッダの弟子で最も愚かなチューラパンタカ(周梨槃特)は拭き掃除で悟りを開いた。

 掃除という単純作業には、目の前のことだけに打ち込むという美点がある。最小限の努力で最大限の成果を得られる、進み続けるべき正道だ。

【『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド:駒月雅子訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2006年/ハヤカワ文庫、2008年】

 乱雑な部屋は風の通りが悪い。これが気に影響を与えることは理解できよう。神道のお祓(はら)いも埃(ほこり)のように積み重なった罪や穢(けが)れを払う営みだ。汚れは穢れに通じる。

 掃除をすれば気持ちがいい。これは真理である。気持ちがいいから掃除をするのだ。それでいい。

文脈


 肚(はら)の底からジワジワとせり上がってくる妙な感覚がある。衝撃ではない。むしろ鳥肌が立つような感覚に近い。文章の順番すなわち文脈が変わるだけで物語が逆転するのだ。言葉の魔術と言ってよい。あるいは詐術か。教科書や経典を重んじる人物はよくよく吟味すべき広告である。

2020-01-05

モノが少ないほど人生は充実する/『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易


『「捨てる!」技術』 辰巳渚
『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵
『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易

 ・モノが少ないほど人生は充実する

・『たった1分で人生が変わる片づけの習慣 実践編』小松易
『大丈夫!すべて思い通り。 一瞬で現実が変わる無意識のつかいかた』Honami
『人生を掃除する人しない人』桜井章一、鍵山秀三郎
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士
『手ぶらで生きる。 見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』ミニマリストしぶ

必読書リストその一

 片づけるということは、過去に経験したことや体験したことに【「かたをつける」】ということです。過去に「かたをつける」と現在の自分が変わり、「自分の思い描いている未来」を手に入れることができるようになります。

 片づけは、あなたが思い描いている人生を実現させることのできる身近な方法です。片づけができている人とできていない人の差は徐々に広がっていきます。

【『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易〈こまつ・やすし〉(中経出版、2009年/中経の文庫、2012年)】

 掃除が苦手である。もちろん全くしないわけではないが収納の仕方に戸惑い、考えながらも後回しにすることが殆どである。致命的なのは縦方向への意識を完全に欠いていることだ。引っ越した時の段ボールでまだ解いてないのがいくつもある。たぶん化石になっているか、ひょっとすると石油になっているかもしれない。

 200×60cmのパソコンデスクはマウスを動かすのも難儀するほど散乱しており、二つの観葉植物が机から落ちるのは時間の問題と思われる。当然ではあるが拭くことができない。っていうか拭くほどのスペースが残っていない。小ぶりのゴキブリにとっては逃げやすいジャングルと化し、壁に這い上がってくるのを待たねばならない。

 更に私は洗濯物を畳むのを省略する。「どうせ着るんだから畳もうが畳むまいが一緒だろ?」との言いわけが、いつしか確固たる信念となってしまった。でもって出番の少ない物は時折踏んづけてしまい、何度も踏んでいるうちにカンピョウや切り干し大根のような姿に朽ち果てる。

「片づけができている人とできていない人の差」は簡単明瞭だ。できている人は労力と時間が少なくて済む。そりゃそうだよ、だってきれいなんだからね。

 近藤麻理恵よりも文章が巧みで抽象度も高いため必読書を入れ替えた次第である。

「何を捨て」「何を残すか」で人生は決まる

 古本屋にとっては頂門の一針にしたいフレーズである。

 片づけないと「モノ」「スペース」「ヒト」が死んでしまう

 これは古本屋の常識。

 モノが少ないほど、人生は豊かで幸せで充実する

 出家僧が持つことを許されるのは三衣一鉢(さんねいっぱつ)とされる。私は今まで「最低限の所持品」と考えてきたが、「豊かな生のスペースを広げるための小道具」と思い直した。

 日本人が漂泊に対する憧れを抱くのも、物の豊かさが不幸につながることを心のどこかで自覚しているためか。工業製品は製造過程で原材料を必要とし、熱で加工するため必ず環境に負荷を与える。人類が最も森林を破壊したのは製鉄のためであり、硬貨の鋳造が更に拍車をかけた。つまり鉄(かね)とカネだ。

 時代を近代へと押し上げたのはイギリスの産業革命だが、同時に金融革命(ユダヤ資本の確立)・メディア革命(新聞~ラジオ)が起こったことも見逃せない。資本主義経済が高度に発達することで、それまでは欧州内部にとどまっていた戦争が世界に拡散され、やがて二度の大戦へとつながるのである。

「モノが少ないほど人生は充実する」のは真実だろう。ただし、「軍事力が少ないほど国家は侵略される」事実をどう考えるべきか。

2020-01-04

国旗国歌放映をやめてNHKは左傾化した/『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣

 ・国旗国歌放映をやめてNHKは左傾化した

三宅博(日本維新の会)「NHKの受信契約は憲法違反」総務委員会2014年2月21日
受信料支払い義務はNHKと受信契約を結んで初めて生まれる
NHK受信契約を解約する方法
NHK解約と民主政
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『実子誘拐ビジネスの闇』池田良子
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 1990年代に入ると、NHKは草創期から続けていた放送終了時の国旗国歌放映を、24時間放送を理由に次々に止めてしまった。これは、後の国旗・国歌法(平成11年/1999年)に逆行する動きであるが、むしろ国家的支援によってなり立つはずの公共放送局のかかる行動が、当時の国家不斉唱、伴奏拒否事件などと相俟って、同法成立への言動力となる危機意識の創出に一役買ったのかも知れない。
 この国旗国歌放映こそ、左翼勢力による受信料不払いの言わば最大の理由であり、まさに国家主義的および国家権力との連繋の象徴として、執拗に非難の的とされてきた。かかる左翼陣営からの不払い闘争に屈し、あるいはおもねり、またあるいは便乗するかたちで、国旗・国歌放映をやめたのか否か、それは定かではないが、いずれにせよこれをひとつのターニング・ポイントとして、NHKの報道姿勢全般が左傾化し、反日化していったことは否めない。もちろん、左翼勢力による対NHK工作は、単なる不払い闘争のみならず、それなりの人材育成策を地道に積み上げきた点も看過することはできないであろう。

【『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸〈おやま・かずのぶ〉(展転社、2014年/増補版、2019年)】

 長らくテレビを所有していないため国旗国歌の放映をやめた事実を知らなかった。私がテレビを視なくなったのは17歳の頃である。バレーボール部の練習で体力を根こそぎ奪われ、テレビを視る気力は失せていた。もちろんNHKの受信料を支払ったことは一度もない。

 世界各国の放送局と交流をしているため、NHK本社には米中などを始めとする放送局の部屋が設けられているという。スパイが身を隠すのはメディア、ジャーナリスト、大学教授というのが相場だから、当然のように魑魅魍魎(ちみもうりょう)がウヨウヨしていることだろう。

 小山は大学教授だけあって当を得た批判をしている。が、これを放置している自民党の責任はどうか? 反日番組を見過ごし、脅迫まがいの受信料徴収を放置しているのは政権与党ではないのか?

 あるいは徴収員が殺害されるのを待っているのだろうか? それともNHK幹部にテロが仕掛けられるまで「国民はおとなしいもの」と高を括っているのだろうか?

『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』が堂々と放映される日本は意外とテロに優しい国家だ。「弱きを助け強きを挫く」ためなら犯罪にも目をつぶる国民性がある。

 いつまで経ってもスパイ防止法ができないのは自民党内部にスパイがいるためだと囁かれる。個人的にはもう手遅れのような気がしてならない。北朝鮮による拉致被害を無視してきた罰(ばち)だろう。

少年老い易く学成り難し



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【我那覇真子「おおきなわ」#95】激白!南北朝鮮・チュチェ思想・反日の真実を暴く沖縄トークショー