2019-12-14

目黒真澄の薫り高い名訳/『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン


 ・目黒真澄の名訳

『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 大きな仕事よりも、むしろ人格によって、その時世に非常な貢献(こうけん)をする人が、30年に一度か、60年に一度くらい出現することがある。そうした人物は、死後20~30年の間は、ただ功績をもって知られているのみであろうが、歳月の経(た)つにしたがって、功績そのものが、その人格に結びついて、ますます光りを放つ時がくる。たとえば軍人であるとすれば、その統率(とうそつ)した将士の遺骨が、墳墓(ふんぼ)の裡(うち)に朽(く)ちてしまい、その蹂躙(じゅうりん)した都城(とじょう)が、塵土(じんど)と化してしまった後までも、なおその人格と、人格より発する教訓とが、永遠に生ける力となってゆくからである。乃木大将は実にかくのごとき人であったのだ。
 乃木大将は、日本古武士の典型であり、軍人にして愛国者であった。そして1912年(明治45年)9月、明治天皇の崩御(ほうぎょ)し給(たま)うと同時に、渾身(こんしん)の赤誠(せきせい)を捧(ささ)げ、畢生(ひっせい)の理想を纏綿(てんめん)させていた。その対象を失ってしまったため、この上はいたずらに生きながらえるより、むしろ白刃(はくじん)を取って、自(みずか)ら胸を貫(つらぬ)くにしかずと思い定めたのである。

【『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン:目黒真澄〈めぐろ・ますみ〉訳(講談社学術文庫、1980年/『乃木』目黒眞澄譯、創元社、1941年改題改訂/初訳は1924年、文興院/原書は1913年米国】

 大正12年(1923年)、幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉が原書を目黒に手渡した。幣原が外務大臣となる直前のことだから駐米大使時代か。翻訳当時、目黒真澄は東京高等商船学校(後の商船大学。現・東京海洋大学海洋工学部)の教授。100ページ足らずの小品でありながら乃木希典〈のぎ・まれすけ〉を見事に素描(そびょう)している。それを目黒が薫り高い名文で奏でる。

 子供があれば本書や『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』を素読させ、書写させるとよい。意味などわからずとも構わない。『万葉集』の時代から続く日本語の伝統の響きを感じ取れればそれでよい。日本人は一方では言の葉と軽んじ他方では言霊(ことだま)と重んじた。この両義性に言語の本質がある。言葉はサイン(象徴)であり事そのものを表しはしない。それでも人々は言葉を手掛かりにコミュニケーションを図る。ヒトの群れが国家にまで進化したのも言葉の成せる業(わざ)である。「始めに言葉ありき」(ヨハネによる福音書)というデマカセが西洋でまかり通るのも故(ゆえ)なきことではない。

 若い頃に司馬遼太郎の『殉死』を読んだがそれほど心を動かされることはなかった。ただ乃木が十文字に切腹したことだけが記憶に残っている。その後私が司馬遼太郎の小説を読むことはなかった。ウォシュバンはロンドン・タイムズの記者である。彼は従軍し乃木と親しく接することで「父」とまで仰ぐようになった。作家の想像力は特定の判断や評価に基づいている。いわば最初から色のついた人物像を見せつけられるわけだ。私が本書に注目するのは、世界で有色人種が劣った存在と見なされていた時代にあって白人記者を魅了してやまなかった武人が存在した事実である。


 乃木希典〈のぎ・まれすけ〉は水師営の会見で敗軍の将ステッセルに示した配慮で世界的な英雄となった。

 乃木はこの時ステッセルに対し、深い仁慈と礼節を以て接した。会見においてアメリカの映画関係者が一部始終の撮影を希望したが、乃木はそれは敗軍の将に恥辱を与えるとして許さず、ただ一枚の記念写真だけ認めた。乃木とステッセルが中央に坐り、その両隣りに両軍の参謀長、その前後が両軍の幕僚たち、ロシア側は勲章を胸につけ帯剣している。全く両者対等でそこには勝者も敗者もない。

 この有名な写真が内外に伝わるや、全世界が敗者を恥ずかしめぬ乃木の武士道的振舞、「武士の情」に感嘆したのである。世界一強い陸の勇将はかくも仁愛の心厚き礼節を知る稀有の名将と、賛嘆せずにいられなかったのである。欧米やシナの軍人には決して出来ぬことであった。

「敗軍ロシアの将にも救いの手 乃木希典が示した日本人の誉れ」岡田幹彦

 本書は乃木の死後に書かれた。明治大帝が 1912年〈明治45年/大正元年〉に7月30日崩御(ほうぎょ)。大喪の礼が行われた9月13日の午後8時頃、乃木は十文字に腹を切り、静子夫人の自害を見届けてから自身の喉を突いた。

 明治天皇の崩御と乃木の殉死は、国民に激しい衝撃を与え、それは小説など文化活動にも反映されて今に伝えられている。

 中でも夏目漱石が代表作『こゝろ』につづった一節は、明治世代の日本人の心情を、表象しているといえよう。(中略)

 このほか新渡戸稲造は乃木の殉死を「武士道といふものから見ては実に一分の余地も残さぬ実に立派なもの」と評し、森鴎外は「阿部一族」「興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書」など殉死をモチーフにした秀作を残した。

 だが一方、漱石が「時勢の推移から来る人間の相違」と書いたように、乃木の殉死を時代錯誤とみなし、むしろ茶化すような風潮が、とくに若い世代の一部に生まれていたのも事実だ。

 学習院出身で白樺派の代表格だった志賀直哉は日記で、乃木の殉死を「『馬鹿な奴だ』といふ気が、丁度下女かなにかゞ無考へに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」と突き放した。

 芥川龍之介も小説「将軍」の中で乃木を茶化し、登場人物に「(乃木の)至誠が僕等には、どうもはつきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、尚更通じるとは思はれません」と語らせている。

昭和天皇の87年 乃木希典の殉死 明治の精神は「天皇に始まつて天皇に終つた」/社会部編集委員 川瀬弘至:産経ニュース 2018年9月2日

 倉前盛通の志賀直哉に対する評価は決して的外れなものではなかったことがわかる。他人の死を嘲笑うことのできる人物は精神のどこかが病んでいる。三島由紀夫の自決を愚弄した人々も同様だ(『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介)。乃木の至誠がはっきりと飲み込めなかった芥川は「ぼんやりとした不安」に飲み込まれて服毒自殺をした。

 乃木希典と東郷平八郎を超える英雄を日本はいまだに輩出し得ないことを我々は深く思うべきである。最後に乃木の肉声を紹介しよう(経緯)。


2019-12-11

スポーツドリンクのナトリウム濃度は低い/『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁


ウォーキング
『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』江上剛
・『スロージョギングで人生が変わる』田中宏暁

 ・スポーツドリンクのナトリウム濃度は低い

『最速で身につく 最新ミッドフットランメソッド』高岡尚司、金城みどり
『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン

 スポーツドリンクにはナトリウムが入っていますので、低ナトリウム血症を防げそうですが、アルモンドたちの研究では否定されています。その理由として、彼らはスポーツドリンクのナトリウム濃度は、生理食塩水に比べて5分の1と低すぎるから、としています。
 42.195kmの長い道のりを走り切るには、水分と糖分の補給をうまくおこなうことが大切です。しかし、とにかく水分の取りすぎには注意しなければなりません。

【『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁〈たなか・ひろあき〉(ブルーバックス、2017年)】

 アルモンドとしか書かれていないので詳細は不明だが、PDF論文「運動時の水分補給に関する変遷ならびに日本における運動習慣のある若年成人の現状と課題」宮川達・麻見直美の脚註にAlmond CSとある。たぶん正確な発音は「アーモンド」だろう。ナッツのアーモンドと同じスペルだ。

「経口補水液の濃度の目安は、生理食塩水の濃度0.9パーセントの約3分の1、すなわち500mlあたり塩1.5g(ナトリウム600mg)です。しかしながら代表的なスポーツドリンクの500mあたりのナトリウム量でみてみると、200mg~245mgしかなく、電解質補給には濃度が不足しています」(スポーツドリンクって実際どうなの?|佐賀市兵庫町のこうすけ歯科医院

「要するに、医療用医薬品開発の歴史の中で洗い出されてきたあらゆる問題が、スポーツドリンクの世界では野放しになっているというわけです」(スポーツドリンクの似非科学)。

「まずスポーツドリンクに科学性を付与するため、企業がなりふり構わず御用学者、専門雑誌、メディア、そしてIOCを含むスポーツ団体を巻き込み、「小さな科学」を武器に脱水にもっとも効果のあるスポーツドリンクというイメージを作り上げセールスを行っている点だ。BMJの調べでは、このような科学的データを提供したほとんどの研究者は多くの助成金をスポーツドリンク販売会社から得ている」(7月15日:科学の衣をまとったスポーツドリンクに潜む危険(7月24日号British Dental Journal 掲載論文) | AASJホームページ

 汗はしょっぱい。つまり体内から塩分(ナトリウム+クロール=塩化ナトリウム)が排出されている。汗をかいた時は水を飲んでも熱中症になるのは水分過剰で血液中のナトリウム濃度が下がるためで、これを低ナトリウム血症という。

 健康常識における減塩信仰は根強いものがあるが近頃ようやく見直されるようになってきた。私はもともと塩分摂取よりも汗をかかない生活習慣に問題があると考えてきたので減塩を意識したことはなかった。塩分は毒のように思われているが実はミネラルなのだ。高血圧を悪と認定することで病院は降圧剤を処方しボロ儲けしてきた。その市場規模は1兆円レベルに達しようとしている(降圧剤市場なおも拡大 18年に1兆円市場に 配合剤登場で競争激化 | ニュース | ミクスOnline)。血圧の正常値を120/80未満と低く設定(高血圧治療ガイドライン2009)したことで多数の認知症患者が生まれた。

 田中宏暁はスロージョギングの提唱者でその効果は世界的に認められている。ただし著書を読む限りではものの見方が一方に傾く嫌いがあり、科学的な姿勢が弱い。例えば活性酸素に関する記述がないのは明らかな片手落ちだろう。そのため必読書ではなく教科書本とした。

2019-12-10

ブッダが悟った究極の真理/『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート


『マインドフルネス瞑想入門 1日10分で自分を浄化する方法』吉田昌生
『マインドフルネス 気づきの瞑想』バンテ・H・グナラタナ

 ・ブッダが悟った究極の真理

『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
『「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり』山本清次

 ブッダはからだを観察しながら、心も観察した。そして、心が意識(ヴィンニャーナ)、知覚(サンニャー)、感覚(ヴェーダナー)、反応(サンカーラ)という、大きくわけて四つのプロセスから成り立っていることを発見した。

【『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート:日本ヴィパッサナー協会監修、太田陽太郎訳(春秋社、1999年)以下同】

ホモ・デウス』の扉でユヴァル・ノア・ハラリが「重要なことを愛情をもって教えてくれた恩師、S・N・ゴエンカ(1924~2013)に」と献辞を捧げている。私はたまたま3年前に本書を読んでいた。ハラリがヴィパッサナー瞑想を行っていることを知ったのもつい最近である。ユダヤ人とは人種概念ではなくユダヤ教信者を指す(厳密には違うが→ユダヤ教~ユダヤ人とユダヤ教~:イスラエル・ユダヤ情報バンク)。寡聞にして知らなかったのだがイスラエルのユダヤ教人口は75.4%であるという(2011年)。つまりユダヤ人ではない人々が存在する(※母親がユダヤ人であれば子供はユダヤ人と認められる。父親だけの場合は不可)。20%はアラブ系らしいがパレスチナ人なのかもしれない。ひょっとするとハラリは内面において既にユダヤ人ではない可能性もある。

 原題は『The Art of Living: Vipassana Meditation: As Taught by S. N. Goenka』(1987年)である。アート・オブ・リビングは通常「生の技法」と訳される。日本語の技はテクニックに近いイメージがあるので「生きる業(わざ)」としてもいいのだが、今度は業(わざ)が業(ごう)につながってしまう。とはいえ「生の芸術」だと直訳すぎるし、「生の嗜(たしな)み」だと控えめすぎる。ここは思い切って「洗練された生き方」でどうだ? 個人的には「流れるように生きる」と受けとめている。

 この後、「意識は心のアンテナ」「知覚は、認識をする」「データ識別~価値判断~快・不快の感覚」「心は好き嫌いという形で反応する」というプロセスが示される。認識を深めたのが唯識(ゆいしき)だ。


 五つの感覚器官のどこでなにを受信しても、それはかならず、意識、知覚、感覚、反応というプロセスを通ることになる。この四つの心のはたらきは、物質をつくる微粒子よりスピードが速いという。心がなんらかの対象物に接触すると、その瞬間、電光石火のごとく四つのプロセスが走る。つぎの瞬間、また接触が起こり、同じようなプロセスが走る。これをつぎつぎにくりかえしてゆくのである。そのスピードがあまりにも速いため、人はそのことに気がつかない。ある反応が長時間くりかえされて強化されたとき、はじめてそれが意識のなかにあらわれ、気がつくのである。
 人間をこのように説明してゆくと、その実体というよりも、その虚体とでもいうべき事実におどろかされる。わたしたちは、西洋人であれ、東洋人であれ、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、無神論者、そのほかどんな人間であれ、だれもが自分のなかに「わたし」という一貫したアイデンティティー(主体)を持ち、それを生来信じて疑わない。10年前の人間が本質的には今日なお同じ人間であり、10年後も同じ人間であり、さらに死んだあとの来世も同じ人間でありつづけるだろう、とばくぜんと仮定して生きている。どのような人生観、哲学、信仰を持っていたとしても、実際はめいめいが「過去の自分、いまの自分、将来の自分」というものを中心にすえて生きているのである。
 ブッダはこのアイデンティティーという直観的な概念に挑戦した。だからといって、あらたに独自の概念をつくり、理論に理論をぶつけたわけではない。ブッダは何度もこう念を押している。自分は意見を述べているのではない。実際に体験した事実、だれもが体験できる道、それを述べているにすぎない、と。「さとりを開いた者は、すべての理論を放棄する。なぜなら彼は、物質、感覚、知覚、反応、意識、それらの本質およびその生成と止滅を見きわめているからである」外見はどうであれ、人間は一つ一つの密接に関係した減少が連なって起こる存在でしかない。ブッダはそのことに気づいたのである。個々の減少はその直前の現象の結果であり、直前の現象のあと間髪をいれずに起こる。酷似した現象が切れ目なく起こると、連続したもの、一つのアイデンティティーを持つもののように見える。しかし、それはうわべの真理にすぎず、究極の真理ではない。
 川とわたしたちが呼ぶものは、実はたえまない水の流れである。ローソクの火は止まっているように見えるが、よく見るとローソクの芯から生じた炎がつぎからつぎへと燃えている。一つの炎が燃え、その瞬間またつぎの炎が燃える。一瞬一瞬、炎が燃えつづけている。電球の光も川のように連続した流れである。フィラメントのなかの高周波によって生じるエネルギーの流れなのである。しかし、わたしたちはいちいちそこまで考えない。一瞬一瞬、過去の産物として新しいものが生まれ、つぎの瞬間、またべつの新しいものが生まれる。この現象はとてつもないスピードで切れ目なく起こり、わたしたちには感じ取る力がない。このプロセスのある一瞬をとらえて、その一瞬の現象が直前の現象と同じだともいえないし、また同じでないともいえない。だが、いずれにしろプロセスは進行してゆく。
 同様に人間は完成品でも不変の存在でもなく、一瞬一瞬、休みなく流れつづけるプロセスにすぎない、とブッダはさとった。ほんとうに「存在している」ものなどなにもない。ただ現象のみが起こりつづけている。ひたすら何かに「なる」というプロセスが起こっているにすぎないのである。(中略)より深いレベルの現実を見れば、生物、無生物を問わず、宇宙全体がたえずなにかに「なる」というプロセスの集まりであり、生まれては消える現象なのである。(中略)
 これこそが究極の真理である。だれもがいちばん関心を持っている「自分」というものの現実である。これこそが、わたしたちが巻き込まれた世界のからくりだ。この現実を自分でじかに体験し、正しく理解することができたなら、苦から抜け出すいとぐちを見つけることができるだろう。

川はどこにあるのか?
現象に関する覚え書き
湯殿川を眺める

死別を悲しむ人々~クリシュナムルティの指摘」は自我という現象が川そのものであり、思い出(記憶)に潜む六道輪廻まで明らかにしている。

 アントニオ・ダマシオ著『進化の意外な順序』を読めなくなるのも当然だろう。現代社会のホメオスタシスを成り立たせているのは知識と技術であり、我々は言葉という幻想を共有しながら進化に進化を遂げて地球環境を破壊するまでに至った。

「サティア・ナラヤン・ゴエンカ(英: Satya Narayan Goenka、1924年1月30日 - 2013年9月29日)は、ミャンマー出身のヴィパッサナー瞑想の在家指導者。レディ・サヤド系の瞑想法の伝統を、その孫弟子にあたるサヤジ・ウ・バ・キンから受け継ぎ、欧米・世界に普及させた」(Wikipedia)。ほほう。在家指導者なのね。現代のミリンダ王の一人か。

 これは簡単そうで実に難しい作業である。一言でいえば「映画を見るように現実を見ることができるかどうか」である。例えばあなたのことを誰かが馬鹿にしたとする。「何だコラ、てめえは喧嘩を売ってんのか?」と応じるのが私の常であるが、ここで「馬鹿にする人がいる」とただ見つめるのが瞑想である。瞑想とは観察なのだ。殴られた時に「殴る人がいる」と観察するのはかなり難しい。病苦も同様で「苦しさ」を客観的に見つめる視点が求められる。見るためには距離が必要である。この距離こそが「私という自我から離れる」ことを意味する。

 苦楽に永続性はない。喜怒哀楽は刻々と流れ去る。確かに存在するのは現在だけだが、今この一瞬は次々と過去のものとなってゆく。

 死を前にして苦しむことは多い。むしろありふれた光景と言ってよい。なぜ苦しむのであろうか? それは苦こそが生の本質であるからだ。登山は山頂が最も苦しいし、長距離走も短距離走もゴールが一番苦しい。我々は苦しむために生きているのだ。苦しみが薄いと味気ない人生となってしまう。そうであれば自ら勇んで走り出すことだ。ただ独り己(おの)が道を。

2019-12-09

感情とホメオスタシス/『進化の意外な順序』アントニオ・ダマシオ


・『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』スティーヴン・ストロガッツ
・『非線形科学 同期する世界』蔵本由紀
『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ

 ・感情とホメオスタシス

『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』郡司ぺギオ幸夫
『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート

 だがポイントは、人間の文化という物語(サガ)の幕を切って落とすためには、それ以外の何かが必要になるということだ。この「それ以外の何か」とは、動機づけにほかならない。ここで私が念頭に置いているのは、とりわけ痛み、苦しみから健康、快に至る感情である。

【『進化の意外な順序』アントニオ・ダマシオ:高橋洋〈たかはし・ひろし〉訳(白揚社、2019年/原書は2018年)以下同】

 70ページで挫折。小難しい言葉がずらりと並び、これでもかと読む気を削いでくれる。「一人でも多くの人に読んでもらいたい」という気持ちはさらさらないのだろう。『意識と自己』(2018年)は30ページほどで挫折している。興味のあるテーマなのだが、やや遅きに失した感がある。

 ならば単純に考えれば、健康から不快や病に至る、痛みや快の感情は、人間の心を他の生物の心から根本的に区別する、問いを立て、理解し、問題を解決するプロセスの媒介として機能しているはずだ。そうすることで人間は、日常生活で遭遇する苦境に対処するための巧妙な解決策をあみ出し、自らの繁栄を促進する手段を築いていくことができたのだろう。そして衣食住に関するニーズを満たし、身体の損傷を治療する手段を考案し、医術を発明するに至った。(他者をどう感じるかによって、あるいは他者が自分をどう感じているかを認識することで)痛みや苦しみが引き起こされたりしたときには、人間は拡大された個人的、集団的な資源を利用し、道徳的なきまりや正義に関する規範から社会組織、政治的ガバナンス、芸術表現、宗教的信念に至るさまざまな反応を生み出してきた。

 翻訳がよくない。ワンセンテンスが長過ぎる上、読点が多くて何度も読み返す羽目になる。要は感情が群れを形成する動力となっているとの指摘である。これをホメオスタシスにつないだところに本書の独創性がある。

 人間の本性のゆえに引き起こされた諸問題に対して、感情が知的で文化的な解決手段を講じる動機となったという確からしい考えと、心を欠く細菌が人間の文化的な反応の前兆となる社会的行動を呈してきたという事実を、いかに折り合わせられるのか? 進化の歴史のなかで数十億年の期間を隔てて出現した、これら二つの生物学的な現われを結びつける糸とは、いったい何なのか? 私の考えでは、それらを結びつける共通基盤は、「ホメオスタシス」の動力学(ダイナミクス)に見出せる。
 ホメオスタシスは、生命の根幹に関わる一連の基本的な作用を指し、初期の生化学によって生命が誕生した、生命の消失点(バニシングポイント)をなす原初の時代から今日に至るまで続いてきた。それは思考も言葉も関与しない強力な規則であり、大小あらゆる生物が、その力に依存して他ならぬ生命の維持と繁栄を成就してきた。(中略)
 感情は、生体内の生命活動の状態を、その個体の心に告知する手段であり、正(ポジティブ)から負(ネガティブ)の範囲で表現される。ホメオスタシスの不備は、おもにネガティブな感情で表現されるのに対し、ポジティブな感情は、ホメオスタシスが適切なレベルに保たれていることを示し、その個体を好機へと導く。感情とホメオスタシスは、一貫して密接な連携を取り合う。感情は、心と意識的な視点を備えるいかなる生物においても、生命活動の状態、すなわちホメオスタシスに関する主観的な経験をなす。したがって、感情とはホメオスタシスの心的な代理であるととらえればよいだろう。

 ホメオスタシスとは恒常性と訳す。体内では心拍数や血圧・体温などを一定のレベルに保とうとする働きがあり、これをホメオスタシスと言う。ところがダマシオはもっと広い意味を持たせており、集団の恒常性にまで発展させている。血圧に倣(なら)えば同調圧と呼んでもよさそうだ。そう考えると確かに社会には体温や心拍数と呼べるような何かがある。

 知覚の恒常性(例えば日中に見る信号の青と夕方に見る信号の青を同じ青と認識する性質など)の場合はホメオスタシスではなくコンスタンシーと言うようだ。

 ダマシオは神経学者である。進化と群れに関する神経学的アプローチという方向性が目を引く。問題は彼が面白味に欠ける人物の可能性が高いという一点だ。知的ではあるが興奮が欠如している。

 読む必要があれば再読するかもしれない。ま、今回はタイミングも悪かった。ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』と重なったのが運の尽きだ。更にウィリアム・ハート著『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』の書評を書いていたのが致命傷となった。

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2019-12-07

さあ、瞑想を始めよう!/Art of Livingの世界【シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールのプログラム】



捨てる覚悟/『将棋の子』大崎善生


『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
『聖(さとし)の青春』大崎善生
「女性は男性より将棋が弱い」

 ・捨てる覚悟

『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司
『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編
『決断力』羽生善治
『フフフの歩』先崎学
『先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学
『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学
・『赦す人』大崎善生

必読書リスト その一

 心の片隅に貼りついてしまったシールのように、剥がそうとしてもなかなか剥がすことのできない一枚の写真がある。
 平成8年3月13日に発行された「週刊将棋」の13面という、あまり目立たない場所にひっそりとそのモノクロ写真は掲載された。
 ダイレクトに胸を衝く、衝撃的な写真だった。それを見た瞬間に私は確かに何かが、たとえば鋭利な硝子(ガラス)の破片が胸に突き刺さったような痛みを覚えた。
 一人のセーター姿の青年ががっくりと首を落として座りこんでいる。場所は東京将棋会館4階の廊下の片隅である。
 青年は膝を抱え腕の中に顔を埋めるようにして、へたりこんでいる。精も根も尽き果て、まるで魂を何ものかに奪われてしまったかのようにうなだれている。その日一日で、まるで大波に弄ばれる小船のようにくるくると変わっていった自分の運命への驚きを隠そうともせず、受け入れることも嚥下(えんか)することもできず、また涙さえ流すこともできずにただ茫然と座りこんでいる。
 その姿をカメラは冷静にとらえていた。
 写真は3月7日に行われた第18回奨励会三段リーグ最終日に写されたもので、被写体は中座真(ちゅうざまこと/現五段)である。

【『将棋の子』大崎善生〈おおさき・よしお〉(講談社、2001年/講談社文庫、2003年)以下同】

『聖の青春』は一度挫折している。もう一度読まねばなるまい(講談社文庫版角川文庫版がある)。

 読みやすく流れるような文章、人と人との出会い、そしてどうしようもない運命。更に講談社文庫という共通点で毛利恒之著『月光の夏』と重なった。もしも「読書が苦手」という若者がいれば、この2冊を読んで感動にのた打ち回れと言っておく。

 ミステリアスな書き出しが巧い。冒頭から惹(ひ)き込まれる。種明かしをするようで恐縮だが画像を見つけたので紹介しよう。


 中座は稚内生まれだという。そして主役ともいうべき成田英二は夕張生まれだ。大崎は中学生の時に札幌の北海道将棋会館で次々と大人たちを打ち負かす小学5年生の天才少年を目撃した。それが成田であった。

 10年間にわたり将棋世界編集長を務め、そして私は退職の決心を固めた。
 どうしても書かなければならないことがあったからである。
 それは、将棋棋士を夢見てそして志半ばで去っていった奨励会退会者たちの物語である。栄光のなかにある多くの棋士たちを見てきたのと同時に、それと正反対の立場でただの一度も注目を浴びることなく将棋界を去っていった大勢の若者たちも見てきた。
 桜が散り、やがて花びらが歩道を埋め尽くし、いつの間にかその花びらさえもどこかに消えていってしまうように、彼らはもう将棋界にはいない。
 彼らの夢はどうしたのだろうか。挫折した夢とうまく折り合って、いきいきと生きているのだろうか。
 私の胸には彼らの残した夢の破片が突き刺さっている。それは時としてちくちくとした痛みとともに、私の心に鮮明に蘇ってくる。あるいは自分自身も彼らの残していった無数の夢の破片とともに生きているのかもしれない。
 その痛みが胸に蘇るたびに私は抑えることのできない衝動に駆られた。
 どうしても、彼らのことを書かなければならない。歩道の上に散り、いつの間にか跡形もなく消えてしまった一枚一枚の花びらたちのことを。
 いや、もっと正直に言おう。
 どうしても書いてみたいのだ。

 捨てる覚悟が傑作を生んだ。それ自体が一つのドラマである。しかも敗れ去って行った者たちの鎮魂歌にとどまっていない。将棋という物差しで測れば彼らは敗北者だが、人としての勝ち負けはまた別なのだ。奨励会の門をくぐった者たちは一切を犠牲にしてただ将棋に打ち込む。そこに掛けたものが大きければ大きいほど去ってゆく時の傷もまた大きくなる。だが将棋だけが人生の全てではない。手負いの虎たちは新たな道を歩み始める。

 私は『聖(さとし)の青春』というタイトルが好きになれなかった。そして『将棋の子』にも同様の思いを抱いた。安直な印象を拭えなかった。ところが330ページ(講談社文庫版)でその意味がわかった時、活字が涙で歪んだ。札幌は私の故郷(ふるさと)である。成田と大崎の交情が望郷の念を掻き立てた。

 それは零落の奇跡でもなければ落魄の人生でもない。若き日に将棋で灯(とも)した松明(たいまつ)の火を決して心で消さなかった者たちの勇気のドラマだ。近頃、才能否定の研究(『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァンなど)が賑々(にぎにぎ)しいが、選ばれし者たちの厳しい世界を知ると、ほんの一握りの人しか登れない高みが確かにあると思わざるを得ない。



先崎学八段(当時)の書評『将棋の子』 - 将棋ペンクラブログ