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2016-04-05

戦争は文明である/『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹

 ・戦争は文明である
 ・戦争は制度である

『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
・『封印の昭和史 戦後50年自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

 それゆえ“野蛮な戦争はもうごめんだ”という主張は、自己矛盾をはらんでいる。戦争は野蛮な行為ではないからである。
 第一次大戦と第二次大戦の戦間期に、パシフィズムといわれる運動が、ヨーロッパを席巻(せっけん)したことがあった。パシフィズムとは「平和主義」という意味だ。学生も労働者も野蛮な戦争はもういやだ、絶対に銃はとらないと叫んだ。(中略)
 それでは平和がもたらされたか。歴史は皮肉なことになった。パシフィズムは、世界史上、もっとも悲惨な、もっとも大きな戦争をもたらした。彼らの平和運動は、ヒットラーの揺籃(ようらん/ゆりかご)となったのだ。なぜ、そんな馬鹿なことになったのか。それは、一(いつ)にかかって、全員が、戦争を野蛮な行為と誤解した点にある。
 本質を誤った運動は、たいへんな副作用をもたらす。平和をとなえ、願えば、平和がくるという、心情的な「念力主義」は、役にたたないだけでなく、危険だ。戦争を、人類が生みだした最高の文明として、とらえ直し、論理をそこから再出発させる必要がある。

【『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹(カッパ・ビジネス、1981年/光文社文庫、1990年/ビジネス社、2018年『国民のための戦争と平和』改題)】

 迂闊(うかつ)であった。読書日記に記していなかった。昨年の8月に読了している。小室作品における戦争もの・国家論の筆頭に位置すると考えてよい。

 ひとつ言いわけをさせてもらうと、一方でクリシュナムルティやブッダの初期教典を読みながら、他方で歴史認識の再構築やリアリズムを追求することは離れ業といってよい。クリシュナムルティ流にいえば「分離の過程」そのものである。理想と現実の狭間(はざま)で時折、混乱気味になることもあると思われるが、ご了承願いたい。

 複数の国家が連合する大きな戦争の原因は地球の寒冷化にあると私は考える。この環境史に基づくスケールを超える視点はまだ出てきていない。具体的には食糧とエネルギーを巡る争いであると見なすことができよう。21世紀になった今日においても尚、アメリカの国防戦略は原油を中心に構築されている。中東はその犠牲者である。

 小室の場合は文明史的かつ社会科学的な視点である。ヒトの脳は宇宙を思わせる領域で膨大な情報と精密なシステムから成る。エリック・J・チェイソンは、ヒトの脳よりもはるかに複雑なシステムが「文明化した社会」であると指摘する。これは複雑系科学の創発・自己組織化・相転移などを踏まえると納得できる(『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ、2012年)。

<パシフィズム(平和主義)は、臆病・『卑劣』を意味する>:チャンネル桜・瓦版、朝日廃刊が日本を救う

 日本における平和主義は「文学」といってよい。心情的な物語が合理性を無視する。歴史を振り返れば一目瞭然だが、平和的な国家・民族は必ず侵略され、後に滅んだ。白人の奴隷にされたアフリカ人、突然やってきたヨーロッパ人に虐殺されたインディアン、ユダヤ人を受け入れたパレスチナを見よ。

 江戸時代のミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)を可能にしたのは鎖国であった。しかし帝国主義の大波が押し寄せ、日本は内を守るため外に向かって打って出ざるを得なくなった。これが日清・日露戦争である。

「戦争は文明である」という事実は少し冷静になれば理解できよう。社会や組織が一つの目的に向かって進む時、集団は必ず軍隊性を帯びる。つまり意思決定に始まり計画立案~目的遂行というシステムが戦争に集約されている。日本が大東亜戦争に敗れたのは最初から最後まで合理性を欠いていたためだ。日清戦争における三国干渉(1895年)が国民の間に強いストレスとなって不満が溜まりに溜まっていた。尊王の精神も裏目に出たと言わざるを得ない。

 戦争が文明であるならば、負ける戦争を絶対にしてはならないし、万が一戦争になっても最小限の戦闘で最大限の効果を得る戦略が求められる。相手が攻めてきた時に平和主義は通用しないのだ。


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人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

2015-11-20

会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

 ・会津藩の運命が日本の行く末を決めた

・『日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ

 新政府軍は、警固をキビしくし、「脱走者は発見しだい斬り捨て」の命令を下した。藩主松平容保(かたもり)の謹慎している滝沢村妙国寺でも、警戒はいっそう厳重になった。万一に備えて、大砲の砲口を容保の居室に向けている、という噂もあった。
 そこに夜陰の暴風雨に乗じて、また5人の少年が脱走した。その中には山川健次郎、赤羽四郎、そして柴四朗ら、かつてのフランス語仲間もまじっていた。
 ――これは、じつは会津藩の重役たちの「命令」によるものだった。
 重役の関心事は、藩に下される罪の程度であった。彼らは、さすがに藩士全員が斬罪などということは考えなかったが、家老の何人かが切腹、あるいは斬罪は免れまい――と、覚悟していた。問題は、藩主容保に対する処分である。
 その寛厳をうらなうために、重役たちは少年たちを脱走させた。少年たちは若松城にある政府本営に出頭して、主君の助命嘆願をおこなう。そして、それに対する「敵」の出方をうかがってみよう、という目論見だった。
 まかり間違えば、斬り捨てである。あるいは脱走の罪に問われ、みせしめに切腹におよぶかも知れない。
 しかし、十五、六歳の少年たちには、よもやそこまでの厳科は下さないだろう。そして、その処罰の程度によって藩の将来をうらない、考えよう。……それが藩の重役たちの腹づもりであった。

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)以下同】

 まだ読み終えていないのだが書き残しておく。文庫で774ページの大冊。読書日記としては155冊目の読了本ということにしておく。光人社は2012年に同系列の潮書房と合併し、現在は潮書房光人社となっている。潮書房は軍事雑誌『丸』で知られる。光人社NF文庫も殆どが戦争・軍事・戦記ものである。NFはノンフィクションの略だろう。

 柴四朗は五郎の兄で、白虎隊の一員であったが病で戦線から離れ生き永らえた。西南戦争では谷干城〈たに・たてき〉に目をかけられた。その後、岩崎弥太郎の援助を得てアメリカへ留学。帰国後、東海散士〈とうかい・さんし〉のペンネームで帝国主義と小国の民族解放を描いた小説『佳人之奇遇』(かじんのきぐう/4篇全16巻)を著しベストセラーとなる。1892年(明治25年)以降は長く政治家を務めた。

 山川健次郎は東京帝国大学・京都帝国大学総長、九州帝国大学の初代総長。赤羽四郎は外交官となる。いずれも日新館出身の逸材といってよい。そして柴五郎は、乃木希典東郷平八郎に先んじて世界に勇名を馳せた日本軍将校である。

 参謀の乾退助(のち板垣)の部下、伴中吉が少年たちを引見した。「自分らは藩主の身を思うあまり、あえて規則を破って推参したものでございます。どうか主君の処置を寛大にして頂きたい」との申し立ては「聞きおく」にとどめられたが、彼らの命がけの行為には好感が寄せられた。長く待たされた後、贅(ぜい)を尽くした膳が供された。

「遠慮なく、食べるがよい」
 係の侍はそういって退いたが、頃を計って部屋に戻ってみると、誰一人箸をつけている者がない。
「いかが致した……?」
 山川健次郎が5人を代表してこたえた。
「謹慎中の藩士たちは、十分な食事も摂(と)らずにおります。せっかくのご好意ながら、私どものみが、このようなご馳走をいただくわけには参りませぬ」

 敗者であり、かつ力弱き少年たちの嘆願を知った瞬間、頭の中で閃光がほとばしった。「これは大東亜戦争に敗れた日本の姿そのものではないか!」と。日本の首脳陣は国体すなわち天皇陛下の処遇を最優先事項とし、提出した憲法草案は明治憲法と変わるところがなかった(『國破れてマッカーサー』西鋭夫、1998年)。京都守護職を務め、孝明天皇からも信頼されていた会津藩がなにゆえ朝敵となったのか? ここに明治維新の矛盾がある。新生日本を牛耳ったのは薩長閥で、やがて大東亜戦争を招き(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)、現在にまで影響を及ぼす(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人、2008年)。

 もともと朝敵であった長州藩がなにゆえ官軍となり得たのか? その疑問はまだ晴れていない。調べれば調べるほど南北朝の歴史、岩倉具視や徳川慶喜の役割がはっきりしなくなる(落合莞爾『南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』2013年、『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』2012年)。

 更にたった今、驚くべき事実を知った。戊辰戦争を前にした会津・庄内両藩がなんとプロイセン(ドイツ)のビスマルクに北海道の一部売却を打診していたというのだ。

維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認

 東大史料編纂(へんさん)所の箱石大准教授らが、会津、庄内両藩が戊辰戦争を前にプロイセン(ドイツ)との提携を模索したことを物語る文書をドイツの文書館で確認した。日本にはまったく記録がないが、薩摩、長州を中心とした新政府軍に追いつめられた両藩が、外交に活路を求めていたことが明らかになった。

 ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通あった。1868年7月31日、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントは「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を出した。両藩は当時、北方警備のため、幕府から根室や留萌などに領地を得ていた。手紙には「交渉は長引かせることができる。どの当事者も困窮した状況で、優位な条件を引き出せる」と記されていた。

 船便なので届くのに2カ月ほどかかったようだ。「軍港の候補になるが、断るつもりだ」と宰相ビスマルクは10月8日に海相に通知。この日は、新政府軍が会津若松の城下に突入した日に当たる。ほぼ1カ月後に会津、庄内は降伏。戦争がこれほど早く展開するとは、プロイセン側は予想していなかったのだろう。

◆顧みなかったビスマルク

 ビスマルクは欧米列強間の協調と戦争への中立という視点から、両藩の提案を退けた。それに対して海相は「日本が引き続き混迷の一途をたどった場合は、他の強力な海軍国と同様に領地の確保を考慮すべきだ」と10月18日に返信していた。

 箱石さんらは当時の政治状況や人間関係も調査、研究した。新政府の背後には英国がいて、新式の武器や弾薬は英国商人が供給していた。幕府が頼りにしてきた仏国は中立に転じていた。

「会津、庄内両藩は新政府軍の最大の標的であり、懸命に活路を見いだそうとしてブラントの意向と合致したのだろう」と箱石さんは見る。

 ドイツの公文書と同時に東大には貴重な資料がもたらされた。スイス在住のユリコ・ビルト・カワラさん(86)が長年調査したシュネル兄弟の記録だ。会津藩の奉行で戊辰戦争で戦死したカワラさんの曽祖父と親交があった。

 国学院大栃木短大の田中正弘教授によると、新潟港を拠点に東北諸藩に武器をあっせんしたシュネル兄弟は会津藩の軍事顧問をつとめたが、国籍不明で謎の人物とされてきた。兄が政治面を、弟がビジネス面を、分担したという。

 カワラさんの調査で兄弟の出自が判明。プロイセンの生まれで、父の仕事の都合でオランダの植民地だったインドネシアで育ち、開港直後に横浜にやってきていた。

 オランダ語ができたことが兄弟の強みだったようだ。プロイセンの外交文書は、ドイツ語の原文をオランダ語に訳し、2通そろえて幕府に出した。そうした文書が東大史料編纂所に残っており、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調べて、オランダ語への翻訳に兄のサインを見つけた。武器商人に転じるまで兄はプロイセン外交団の一員だったことが確認された。「会津、庄内両藩とプロイセンを結びつけたのはシュネル兄弟でしょう」と田中さん。

 一連の研究は明治維新に新たな視点をもたらした。「英―仏の対抗図式に目を奪われるあまり、維新や戊辰戦争をより広い世界の中に位置づけることや、東北諸藩が武器、弾薬をどのように調達したのか分析する視点が不足していた」と東大の保谷徹教授は話している。

朝日新聞DIGITAL 2011年2月7日

戊辰戦争の史料学』を読まねばなるまい。

 最後にもう一点だけ。村上兵衛は「あとがき」で「『ある明治人の記録』もすでに出版されているが、潤色がある。私はそれには拠(よ)らなかった」と記す。私が確認し得たのは、犬の肉に難儀する少年五郎を父が叱責する場面くらいだ。村上は「自著に潤色なし」と言いたいのであろう。表現者としてはいささか狭量の謗(そし)りを免れない。原文と違うから潤色では短絡が過ぎるだろう。老境の柴本人から聞いた可能性も考えられる。事実を重んるあまり想像力の翼を畳んでいる印象を全体から受ける。ただしそれで柴五郎という素材が曇るわけではない。

【付記】「お家存続」は日本の価値観のテーマたり得ると思う。山本七平が「日本において機能集団は共同体(擬制の血縁集団)と化す」と指摘している(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平、1980年)。小室直樹も同じことを主張する。これは日本全体が天皇陛下を中心とする「家」を形成しているためと考えてよさそうだ。血脈信仰といってよいかどうかは今のところ判断しかねる。女系天皇を巡る問題の本質もこのあたりにあるのだろう。尚、藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉によれば、血液型と性格には相関性があるという(『脳はバカ、腸はかしこい』2012年)。



マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ

2015-04-29

日本にとって危険なヒラリー・クリントン/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年

 ・フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意
 ・日本にとって危険なヒラリー・クリントン

『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 売国奴という言葉がありますが、国家観を持たない人間は平気で国を売ります。自分では国を売るという意識もないまま、「親米」だの「親中」だのと体(てい)のいい言葉の裏で、国を売って平然としています。私はこれまでどれほどそういう政治家を見てきたか。本当に嫌になるくらい見てきました。

【『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘(徳間書店、2012年)以下同】

 今から30年ほど前までは「愛国心」という言葉が右翼を示すキーワードであった。この国は戦争に敗れて以来、「国を愛すること」すら許されなかった。

 本多勝一〈ほんだ・かついち〉の「菊池寛賞を改めて拒否しなおす」(『潮』1983年11月号)に感激した私は、当然のように彼が批判する山本七平からは遠ざかった(『殺す側の論理』すずさわ書店、1972年)。浅見定雄の『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫、1986年)にも私は手を伸ばした。時代の風は左側から吹いていた。それに断固として異を唱えたのが渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉や谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉であった。彼らは「右翼」と目された。

 菅沼の指摘は右左の問題ではない。政治家が国益よりも私益を重んじたとの一点にある。新聞・テレビ・企業がこれに続くのは当然であろう。祖国は売り物と貶められた。

 日韓関係についてもそうです。例の従軍慰安婦の問題について、ヒラリー・クリントン国務長官が従来の「コンフォート・ウーマン(慰安婦)」という英語の呼称を「セックス・スレイブ(性奴隷)」にするしかないと言いはじめています。
 これは韓国の圧力によるもので、アメリカのニュージャージー州とニューヨーク州の2ヵ所には、旧日本軍従軍慰安婦の記念碑が建てられています。いずれも公共施設の中です。そこには「20万人の韓国の若い女性が日本帝国政府に拉致されてセックス・スレイブになった」と書かれている。せいぜい数万人とされていたのがいまや20万人になっているのです。
 日本政府はこれを撤去するように申し入れていますが、アメリカはまったく撤去しようとしません。
 この記念碑を見たアメリカ人は、これはひどい、日本は許せないとなるでしょう。それを受けてヒラリー・クリントンはセックス・スレイブと言い出した。
 李明博大統領は来年2月で任期は終りですが、韓国というのは政権の末期になると必ず反日の気運を高めることになります。まして李明博政権は身内の収賄事件などが発覚してボロボロですから、世論を反日に向けさせて自分に矛先が向かないようにしています。それにアメリカも加担しているわけです。


「米国は,アメリカ合衆国下院121号決議の成立と,ヒラリークリントンやバラクオバマの声明によって,韓国の売春婦(政府と売春婦の両方)をサポートした」(アメリカ人ジャーナリストのマイケル・ヨンさんの日本語のブログ)。

 バブル景気に酔い痴れる日本に対して「経済戦争」を仕掛けたのが夫君のビル・クリントンであった(『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘)。その妻女が親日家であるとは考えにくい。夫婦揃って左派的要素が強いことでも知られる。

 慰安婦問題を歴史的事実としないためにも、「いわゆる慰安婦問題」と表記することが望ましい。結果的に見ればアメリカにおける韓国のロビー活動に我が国が敗れたということだ。

 本来であれば朝日新聞の慰安婦虚報が明らかになった時点で、これをテコに全国民的な歴史検証を開始すべきであった。アメリカ議会に対するロビー活動も必要だとは思うが、まずきちんとした英語情報を書籍やウェブサイトの形で日本から発信すべきである。

渡部昇一の考える、いわゆる慰安婦問題について

 そもそもなぜ慰安婦が必要になったか? 兵士に強姦させないためである。こんな簡単な理屈もわからなくなっている。欧米やロシアの場合は徹底的な強姦を行う。ノルマンディー上陸作戦に参加した米軍兵士たちはフランス人女性を思う存分犯した(AFP 2013-05-27)。ヒトラー率いるナチス・ドイツを破ったロシア軍も手当たり次第にドイツ人女性をレイプした。老女までもが犠牲となった。

 東京裁判史観を完全に払拭することなしに戦後レジームからの脱却はあり得ない。現段階では正確な自国の歴史を述べる機会すら与えられていないのが日本の現状である。

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2015-04-28

日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平


 ・断章取義と日蓮思想
 ・日本における集団は共同体と化す

岸田 つまり日本というのは、あらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っているわけですね。

【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 ま、早い話が親分子分の世界だ。確かにそうだ。後進の育成を我々は「面倒を見る」と表現する。この時点でもう兄貴分だ(笑)。結局、日本の集団は「一家」のレベルに過ぎないのだろう。日本経済をバブル景気まで支えてきた終身雇用制は、まさしく「擬制血縁の原理」が機能していた。

山本 私はね、ヨーロッパが血縁幻想を持つための条件をなくしたとすれば、それは二つあると思っているんです。一つは奴隷制ですね、人間を買ってくる。もう一つは僧院制、これは独身主義です。血縁ができない。したがって、これらは真の意味の組織だけになってくるんです。
 奴隷制度はヨーロッパに唯一神が現れる前から、一種の組織だったんですね。あの時代の自由の概念はきわめてはっきりしていて、契約の対象か売買の対象かで自由民か奴隷かが決まるわけです。ひと口に奴隷といっても、いわゆる技能奴隷、学問奴隷などはムチでひっぱたいてもダメで、報酬を与えないと働かない。その結果、ずいぶん金持の奴隷もいたわけなんです。だけど、金を持っただけでは自由民になれない。奴隷は契約の対象じゃないんですから、いわば家畜が背中に貨幣でも積んでいるような形にすぎないんですね。

「民族的伝統と見られているものの大半が過去百数十年の間に『創られた伝統』に過ぎない」(『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優)としても、やはりヨーロッパには異なる宗教や言語が存在したわけだから「敵」が多かったことは確かだろう。第二次世界大戦に至るまで戦争に次ぐ戦争の歴史を経てきた。それゆえ集団内にあっても徹底的に主張をぶつけ合う。日本のように小異を捨てて大同につくなどということはあり得ない。

岸田 やはりヨーロッパは家畜文化であるというところに、根本の起源があるのかもしれませんね。

山本 そうかもしれません。

岸田 日本には奴隷制はなかったわけですからね。

山本 ないです。「貞永(じょうえい)式目」を見ると人身売買はありますが、ローマのような制度としての奴隷制というものはない。これははっきりしている。

 人間を家畜化したのが奴隷である。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 日本に奴隷制がなかった事実が、ヨーロッパと日本の帝国主義の違いにつながる。イギリスやフランスは植民地を奴隷として扱った。日本は一度もそんな真似をしたことがない。朝鮮も併合したのであって植民地ではなかった。イングランドとスコットランドのようなものだ。

 ヨーロッパ人がアフリカ人やインディアンに為した仕打ちを見るがいい。キリスト教による宗教的正義がヨーロッパ人の残虐非道を可能とした。アメリカでは黒人奴隷が動産として扱われた(『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン)。

岸田 では、日本の集団はどういう原理で動いているでしょうかね。

山本 ただ一つ、言えるだろうと思う仮説をたてるとしますと、日本では何かの集団が機能すれば、それは「共同体」になってしまう。それを擬制の血縁集団のようにして統制するということじゃないでしょうか。ただ、機能しなくちゃいけないんです、絶対に。血縁集団というものは元来、機能しなくていいんですね。機能しなくても血縁は血縁。しかし、機能集団は別にある。しかし、日本の場合、それは即共同体に転化しちゃう。

 これは日本がもともと母系社会であったことと関係しているように思う。父は裁き、母は守るというのが親の機能であるが、日本のリーダーに求められるのは母親的な役回りである。親分・兄貴分も同様で父としての厳しさよりも、母親的な包容力が重視される。考えてみれば村というコミュニティや談合という文化も極めて女性的だ。

 ま、天照大神(あまてらすおおみかみ)は女神だし、卑弥呼(?-248年頃)という女性権力者がいたことを踏まえると、キリスト教ほどの男尊女卑感覚はなかったことだろう。

 今この本を読むと、意外なことに「日本はそれでいいんじゃないか」という思いが強い。自立した人格の欠如とか散々自分たちのことをボロクソに言ってきたが、寄り合い、もたれ合いながらも、奴隷制がなかった歴史的事実を誇るべきだろう。俺たちは『「甘え」の構造』(土居健郎)でゆこうぜ(笑)。今更、砂漠の宗教にカブれる必要はない。自然に恵まれた環境なんだから価値観が異なるのは当たり前だ。それゆえ私は今こそ日本のあらゆる集団が「確固たる共同体」を構築すべきだと提案したい。

日本人と「日本病」について (文春学藝ライブラリー)
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会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光

2015-03-15

馬渕睦夫、池田清彦、養老孟司、田中英道、他


 5冊挫折、1冊読了。

編集狂時代』松田哲夫(本の雑誌社、1994年/新潮文庫、2004年)/松田哲夫は「ちくま文学の森」を編んだ人物。蒐集(しゅうしゅう)と編集の遍歴。文章は読みやすく、滲み出る狂気も好ましい。しかしこちらのギアがはまらず。

一下級将校の見た帝国陸軍』山本七平(朝日新聞出版、1983年/文春文庫、1987年)/山本の文章が苦手である。老獪(ろうかい)な体臭を感じる。読み手をコントロールしようとする意図が透けて見える。帝国陸軍の病巣を自己の体験から捉えた作品だが小室直樹ほどの合理性がない。体験は認知の歪みをはらむ。部分から全体を描くのは困難な作業だ。

決算書はここだけ読め!』前川修満〈まえかわ・おさみつ〉(講談社現代新書、2010年)/これは後回し。今読んでも頭に入らないため。

戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』田中英道(展転社、2011年)/学者のせいか文章が読みにくい。チャンネル桜の討論に登場するが、あの語り口を思わせる文章である。独り言っぽい雰囲気で、相手を説得しようとする意志が感じられない。たぶん論証に重きを置いているためなのだろう。ルーズベルト大統領は左翼であるとの指摘あり。馬渕睦夫をフォローする人は読んでみるといい。

ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司(新潮社、2008年)/粗製濫造気味。養老の部分はインタビューだろう。話し言葉となっている。『正義で地球は救えない』がよかっただけに精彩を欠く。

 20冊目『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)/書評でも触れたがアメリカが左翼に支配されている構造を歴史的に辿る。国際主義はユダヤ人の価値観に基づくもので、米ソが同根から生まれたとする見方が斬新だ。ただし物語としては大変面白いのだが、回顧録などの書籍情報に拠(よ)っているため、絵としてのオリジナリティが色褪せる。そしてややもすると筆致が陰謀論に傾く悪い癖が見受けられる。馬渕もチャンネル桜でお馴染みだが、やはり彼の話しぶりがそのまま文章に反映している。言葉が弱い。内容は駐ウクライナ兼モルドバ大使が綴るウクライナ問題となっていて時宜を得た一冊。

2014-12-13

北朝鮮は核開発の基礎を日本で学んだ/『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年

 ・朝鮮併合~日本企業による開発
 ・日朝国交正常化を二度に渡って阻んだアメリカ
 ・北朝鮮は核開発の基礎を日本で学んだ

『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 まずこの動画を見てもらおう。知識がなければ理解できないことは多い。


 また北朝鮮といえば核開発が大きな問題となっていますが、北朝鮮の核開発を最初に手がけたのは誰かというと、戦時中に日本でも原子爆弾の研究をしていて、仁科芳雄博士の研究所などで極秘に進められていました。そして技術的には原爆を作るのは可能であるとなったのですが、残念ながら日本には原爆の材料となるウラニウムがなかった。
 そのとき仁科研究所で日本国民として研究に携わっていた朝鮮人科学者や技術者たちが北朝鮮に帰って、核開発の基礎を築きました。仁科研究所で学んだ人たちが、さらにソ連のドブナー科学センターという原子力研究所に行ってソ連の核技術を習得し、ソ連の支援によって1980年代に寧辺に実験炉を作ったのです。しかも北朝鮮にはかなりのウラニウム鉱山がある。だからウラニウム鉱石を掘り出して濃縮することが自前でできるのです。
 繰り返しますが、このように人材においても資源の開発においても、また技術や設備についても、北朝鮮の近代工業の基礎はことごとく日本がつくったのです。あの国の経済は日本がつくった遺産から出発しています。口では言いませんが、彼らはそのことをよくわかっています。

【『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

 吃驚仰天(びっくりぎょうてん)した。衝撃の歴史である。また別の角度から見れば日本人に朝鮮人を差別する意識がなかった証左であると思う。菅沼によれば特攻隊に志願した朝鮮人も多かったという。

 親切は日本人の美徳であるが、国際社会では仇になることが多い。企業が開発した技術をアジア諸国に教え、結果的にマーケットを奪われてきた苦い過去がある。日本人の島国根性を批判する声が多いが、実際はお人好しで損をしている。

 恩を仇で返すような国々に対して日本の政治家は抗議の声を上げるどころか、平身低頭して謝罪を繰り返してきた。1982年の教科書問題(『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘)に始まり、歴代政権は謝罪外交一色に染まった。東京裁判史観に基づく戦後教育が効果を発揮し、日本の世論も右傾化を警戒していた。

 失われた20年にあって少しずつではあるが目を覚ます日本人が増えてきた。少し振り返ってみよう。

 教科書誤報事件に異を唱えたのは渡部昇一であった。GHQによる日本人洗脳プログラム「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を明らかにした『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(江藤淳)が刊行されたのが1989年。1996年には「新しい歴史教科書をつくる会」が結成された。

 この頃はまだ右方向に風は吹いていなかった。コミュニストである本多勝一が1993年に『週刊金曜日』を創刊し、1995~97年まで編集長を務めた。

 潮目が少し変わったのは長野冬季オリンピック(1998年)で行われたフリーチベット運動であったと私は考えている。中国がチベットで虐殺をしている事実が少しずつ伝えられるようになった。人権問題というよりは、単なる殺人、暴力、強姦である。軍事力を持たない国の悲惨さを私は思い知らされた。

 そして潮流が完全に変わったのは2002年の小泉首相訪朝で5人の拉致被害者が北朝鮮から帰国した時であった。日本の政治と軍事はあまりにも無力すぎた。

 2008年に田母神俊雄の論文「日本は侵略国家であったのか」が『「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀藤誠志賞を受賞。1990年代であれば右翼の戯言(たわごと)と一蹴されたであろう論文が予想外の脚光を浴びた。

 本多勝一が見捨てられ、山本七平が読まれている事実がこの間の世論の変化を示している。

 正しい日本の近代史を世界に向けて発信し、デタラメなプロパガンダを徹底的に糾弾する必要がある。特に欧米に向けた情報発信が重要だ。組織的かつシステマティックに行わなければ、東京裁判史観は事実として世界史に記されてしまうだろう。

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2014-03-25

失業と破産こそ資本主義の生命/『小室直樹の資本主義原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹

 ・失業と破産こそ資本主義の生命

『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

 生き残った企業は、資本主義市場に相応(ふさわ)しい企業である。生き残った労働者は、資本主義市場に相応しい労働者である。
 いま、「資本主義市場に相応しい」企業を単に「企業」、同じく「資本主義市場に相応しい」労働者を単に「労働者」と呼ぶことにすれば、つぎの命題(文章)が成立する。
【市場は労働者を作る。】
 また、
【市場は企業を作る。】
 では、如何(いか)にして、
【淘汰(とうた)によってである。】
 資本主義は、労働者と企業とから作られる。資本主義のメンバーは、労働者と企業である。労働者と企業とがなければ、資本主義は生成も存続もできない。その労働者と企業とは、市場における淘汰によって作られる。
 市場淘汰こそ資本主義の生命である。
 市場で淘汰された労働者は失業者となる。市場で淘汰された企業は破産する。
 ゆえに、
【失業(者)と破産こそ資本主義の生命である。】
 という命題(文章)が成立するのである。

【『小室直樹の資本主義原論』小室直樹(東洋経済新報社、1997年)】

 これが市場原理である。まったく疑問の余地がない。資本主義経済においては資本の運動がすべてである。資本家からすれば「高く売れるか売れないか」であり、消費者からすれば「買うか買わないか」というだけの世界だ。

 市場で公正な競争が行われ、消費者が賢い選択をすれば、淘汰によってよりよき世界が現れるはずだ。だが現実は異なる。全然よくなっていない。それどころか日本はデフレが20年も続いた。この間の付加価値はどこへ行ってしまったのか?

 わかりやすく極論を述べよう。事業を立ち上げるにはカネが必要だ。企業は銀行などから借金をする。これが「資本」だ。そのカネを事業に投資する。企業は銀行からの借金+労働者の賃金を上回る利益を出さなくてはならない。つまり資本主義は借金で回っているわけだ。それゆえ経済は銀行の金利+αのインフレになるのが自然なのだ。

 にもかかわらず長期間に渡るデフレは進行した。日銀も政府も無能であった。投資先を失った日本のマネーは海外へ向かわざるを得ない。それどころか円高に悲鳴を上げた多くの企業は生産拠点を海外へ移した。雇用までもが流出したのだ。世界各国が金融緩和をしている中で日本だけが躊躇していた。

 世界経済は2007年にサブプライム・ショック、翌2008年にリーマン・ショックに襲われた。これ以降、富の過剰な集中が目立ってくる。インターネットとグローバリゼーションによって資本の移動は一瞬で国境を超える時代となった。多国籍企業はタックス・ヘイブンを経由することで租税を回避する。既にイギリスやアメリカ国内にもタックス・ヘイブンが存在する。

 明らかに公正な競争が行われていない。更に巨大資本を有する連中がマーケットをやすやすと動かす。最大の問題は資本主義を称しておきながら、米ドルが基軸通貨として流通している事実である。だから本来であれば第二次世界大戦以降の資本主義は米ドル資本主義と名づけるべきだ。しかもドルを発効するFRBは中央銀行機能を有しながらも実体は私企業なのだ。通貨発行権を国家の手に取り戻そうとした大統領も何人かいたが全員暗殺されている。

 すなわち米ドル資本主義は資本の運動ではなく、資本家の思惑で動いていると見てよかろう。米ドルの価値が極限まで下がった時が資本主義の終焉と個人的には考えている。



消費を強制される社会/『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
信用創造の正体は借金/『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎

2014-03-16

戦後民主主義は民主主義に非ず/『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹

 ・戦後民主主義は民主主義に非ず

『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

 戦後民主主義は、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された。この尖鋭な矛盾が、「民主主義」の実質をその正反対のものに転化させた。これを「虚妄(きょもう)の民主主義」と称した人がいたが、「虚妄」などの生易(なまやさ)しいものではない。似而非(えせ)民主主義でもない。少しも似ていないからである。
 もっと悪いことに、日本人は少しも、この民主主義が、その正反対のものになりはてたことに気付いていないのである。また、「民主政治」最悪の衆愚政治に堕落したことを痛感していないのである。
 そのために、「平等」「自由」「人権」「議会」などの意味がとんでもなく誤解され、この誤解が教育の無間地獄をつうじて、おそろしい惨禍(さんか/わざわい)をまきちらしているのである。
 たとえば、「平等」の誤解は、「どの生徒にも同じことをさせる」という結果を生み、受験戦争を最終戦争にした。知的エリートを根絶させ、優者の責任(ノーブレス・オブリージュ)を埋没させて無責任体制を完成させた。「自由」の誤解は、権威と規範を失わせ若者を本能のままに放置する放埒(ほうらつ)となった。「人権」の誤解が殺人少年をのさばらせている。「議会」の誤解が、政治家を役人の傀儡(かいらい)にしている。
 民主主義教育の惨禍(さんか)は、新左翼の無目的殺人、カルト教団の無差別殺人と、とめどもなくエスカレートしていったが、ついに日本の舵(かじ)取りたる官僚制の究極的腐朽(ふきゅう)にいたった。この惨禍を激化しているのが凶悪犯罪の低年齢化である。
 今の日本にとっての急務(イマージェンシー)は、民主主義の真の理解である。

【『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹(青春出版社、1997年)以下同】

「架空デモクラシーは日本を廃人国家へと導く!」との帯が目を惹く。小室直樹の原論シリーズにはハズレがない。合理的かつ科学的である。

 私は民主制を信じていない上、悪しき制度であると考えている。そもそも「民主主義」という言葉自体が誤訳であろう。デモクラシーに「イズム」は付いていないのだから。住民自治程度の単位であれば民主制で構わないと思う。

 一応、選挙の投票と義務教育の学級会やホームルームで行われているのが民主制である。その他ではお目にかかったことがない。ただし民主制とはいえ、自由意志で投票判断することは考えにくい。業界団体や職場、あるいは教団の指示に従って投票しているだけのことだ。学校ではやはり友人の視線を気に掛けながら賛否を決めることだろう。コミュニティとは利益を共有する共同体であるため損得が優先される。政(まつりごと)はもともと祭り事であった。村から追い出されてしまえば祭りに参加することは不可能だ。村八分。

 民主とは名ばかりで、かつて私が主(あるじ)になったのは小学校4~6年生で学級代表を務めた時だけだ(笑)。そう。主には権力が必要なのだ。憲法すら形骸化するこの国で民が主となれるわけがない。

「民主主義」(デモクラシー)は、プラトン、アリストテレスの昔からずっとマイナス・イメージであった。それが、ウイルソン米大統領による第一次世界大戦における対独宣戦布告文にある「この世界をしてデモクラシーが住みよい所にするために」という宣言から、俄然(がぜん)プラス・イメージに転じたのであった。

 デモクラシーを鼓吹した連中も殆どが貴族制を支持していた(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。

 民主主義が華々しい服装で登場したのは20世紀になってからとは知らなかった。以下のページが参考になる。

『民主主義』(8) デモクラシーと進歩主義|Generalstab

 ただしアメリカの説く民主制はアメリカ独自のものでアメリカン・デモクラシーといってよい。学問的にも分けて考えられている。それも当然だ。インディアンを大量虐殺し、黒人奴隷を保有していた連中が説く「民主」なんて誰も信じないに決まっている。

 民主制が群衆の叡智(集合知は群衆の叡智に非ず/『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)を意味するなら、議会制を廃止してその都度インターネット国民投票で決めればよいことだ。運営コストも格段に安くなることだろう。

 私は政党政治にも嫌悪感を抱いている。党議拘束で所属議員を縛りつける政党が国民を縛るのは当然であろう。

 議論が成立する人数はどの程度であろうか? 私は20~30人くらいだと思う。だから政治家の数もその程度でよいのではないか? で、参議院は少し人数を増やして50人にすればよい。政党は廃止。賢人会議のようにする。議会はカメラが入り放題。議員は人口構成の世代別に準じて選別する。更に政治家は官僚の人事権を完全に掌握する。このくらいやらないと日本はまともな独立国になれない。官僚ファシズムは権力者の顔が見えない。そこが恐ろしい。

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2014-03-10

古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた/『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた

『日本人のための憲法原論』小室直樹

 近代数学はギリシャに始まった。ギリシャの優れた論理学と結びついたからである。ギリシャの論理学は、アリストテレス形式論理学に結実した。しかし、完璧(かんぺき)な形式論理学を人類精神として成果させたのは、古代イスラエル人の宗教であった。
 古代イスラエル人の宗教(のちのユダヤ教)は、「神は存在するのか、しないのか」の問いかけから始まる。それが、古代ギリシャ人の人類の遺(のこ)した「存在問題」に発展して、完璧(かんぺき)な論理学へと育っていったのであった。

【『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)以下同】

 ぶっ飛んでる。数学本の書き出しがこれだ。「論理」というターム(学術用語)でいきなり数学と宗教を結びつける。知的な掘削作業が異なる世界の間にトンネルを掘る。ひとつ穴を開ければ地続きの大地が広がる。言われてみればあっさりと腑に落ちる。神の存在問題が真偽や証明に関わってくるためだ。

 小室の鋭い指摘は人類の知能が進化する様相を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 日本人ははじめ何となく「論理」といってもピンと来(き)にくいが、実は論理こそ数学の【生命】(いのち)なのである。
「論理」という字は漢字であるが、この言葉は西洋からきた。英語で logic' ドイツ語で Logik' フランス語で logique という。その源は logos(ロゴス)である。
 キリスト教に身近い人ならば、「はじめにロゴスあり」(「第一ヨハネ書」)という言葉を思い出すであろう。すべてのはじめにはロゴスがあって、神はロゴスから天地を創造したもうた、というのである。「ロゴス」とは、もともと、神の言葉、神そのもの、神の子イエス、……などという意味である。それが「論理」という意味になっていくのであるが、「論理」とは【論争のための方法のこと】を指す。
 それでは、一体、誰(だれ)と論争をするのか。人と人との論争、と読者は思われるであろうが、究極的には「神と人との論争」なのである。

 キリスト教のロジックについては以下を参照せよ。

教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン

 たぶん多種多様な人種や民族の存在が論理を必要としたのだろう。ヨーロッパの血塗られた歴史は魔女狩りを挟んで20世紀まで続いた。「ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年、17世紀においてはただの21年にすぎなかった」(『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳:論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)。

 このように古代イスラエル人の宗教からユダヤ教に至るまでは、神と人間との論争を機軸(きじく)として進歩してきたゆえに、論争は極限まで進んでいった。
 ここに、イスラエルの宗教が機軸(きじく)となって論理学を限りなく育てて、論理学を数学に合体させ、無限の発展の可能性をはらんだ秘密がある。
 論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期(かっき)的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。

 神と人間との関係は「契約」にとどまらず「論理」をも生んだ。そして古代イスラエルの宗教的価値観はキリスト教に受け継がれ、現代世界を席巻しているわけだ。この世界を変えるためには「新しい宗教的価値観」を示す必要がある。

 論証性の欠如(けつじょ)は、何も中国数学だけの特徴(とくちょう)ではない。後述するユークリッド幾何学(きかがく)以外の数学は、みな論証性が欠如(けつじょ)していたといっても過言ではない。このことに関する限り、ある意味では大変発達した古代の諸高度文明における数学も大同小異であった。つまり、論証性が欠如(けつじょ)しているほどであったから、一貫(いっかん)した体系的論理はあり得なかった。
 一貫(いっかん)した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学諸科学の王となり、これらを制御(せいぎょ)し、その下に発展させた理由である。

 中国に歴史はあった(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)が論理はなかった。黄色人種しか存在しない東アジアで重んじられるのは「道理」であった。ここに「天」と「神」の根本的な思想的差異がある。天の定めは神が下した運命とは異なる。

 東洋と西洋の概念の違いを岡田英弘が明快に説いている。

 誤訳の例で言うと、先にも書いたが、「革命」という術語は、中国では本来、天が地上支配の命令を引っこめることなのだけれども、これを「レヴォリューション」の訳語に当てる。「レヴォリューション」は「ころがしてもとへ戻す」という意味で、「回転」ならいいが、「革命」とは訳せない。
 ローマの「アウグストゥス」(augustus)を「皇帝」と訳するのも誤訳で、「アウグストゥス」の実体は「元老院の筆頭議員」だった。中国には元老院はないから、「皇帝」は「アウグストゥス」の同義語ではない。
「フューダリズム」(feudalism)を「封建」と訳するのも、ひどい誤訳だ。秦の始皇帝以前の中国では、首都から武装移民が出ていって、新しい土地に都市を建設し、独自の政治生活を始めることが「封建」だった。のちには、皇帝が派遣した軍隊の司令官が、都市に駐屯して、その一帯を支配し、その地位を世襲することを「封建」と言うようになった。ところが日本人は、「封建」を「フューリダリズム」に当てはめてしまった。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

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2014-02-27

憲法は慣習法/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 アメリカの例でも明らかであるが、また、ヒットラーも同じである。
 ヒットラーは4年(全権委任法で定められた期間)経っても、権力を国民に還(かえ)す積(つも)りなんか全然なかった。
 それどころか、独裁権力は、増々強力にされるばかりであった。
 それでも、ワイマール憲法が改正される事はなかった。
 より正確に言うと、改正の手続きが取られる事はなかった。
【形式上】、ワイーマール憲法は【生きていた】。
 しかも、【実質的】にはワイマール憲法は【死んだも同然】であった。
 こんな時、どう解釈する。
 ワイマール憲法は改正されたのか、未だ改正されてはいないのか。
 この場合、ワイマール憲法は改正された。
 こう解釈される。
【憲法学者は、全権委任法成立の時点を以って、ワイマール憲法は廃止された】。こう解釈する。
 1933年3月24日を以ってワイマール憲法は死んだ。
 そして、ヒットラーのドイツ第三帝国が生まれた。
 ワイマール憲法改正の為の手続きが取られようと取られまいと、そんな事は結局どうでもいい事なのである。
 憲法は、本質的には慣習法である。
【前例が慣習として確立されると、それは憲法の一部となる】。
 と言う事は、【憲法改正したも同じ事だ】。
 こう言う事なのである。
 この際、形式的に憲法改正の手続きが踏まれようと踏まれまいと、それは所詮どうでもいい事なのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 PKO(国際連合平和維持活動法案(1992年のPKO国会)がこの典型か。それまで平和と福祉を標榜してきた公明党が外交政策を転換して賛成に回った。後に自衛隊はインド洋イラクにも派遣される。

 また昨年暮れに自民党は自衛隊の海外武器携行制限を撤廃する方針を決めた。

 憲法とは国家権力に対する国民からの命令である。既に解釈改憲がまかり通っている以上、国家は民意に背いているといってよい。つまり憲法も民主主義も死んでしまったのだ。どおりで原発もなくならないわけだ。

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2014-02-25

イギリス革命は税制改革に端を発している/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 イギリスこそがデモクラシーの元祖開山である。
 日本人は、大概こう思っている。
 その【イギリス革命は税制改革に端を発している】。
 1649年の清教徒革命。イギリス諸革命の中でも最初にして最も根本的(ラディカル)と言われる【清教徒革命は、1634年の建艦税(シップ・マネー)に始まった】。(中略)
 チャールズ1世は、絶対君主たる王の命令に依って、中世封建的税制を改革しようとした訳であった。
 が、この税制改革には、待ったが掛かった。
 地主達の猛反対に遭遇(そうぐう)する羽目(はめ)になったのであった。
 ジョン・ハムプデンは、20シリングの建艦税を支払う事を拒絶した。ハムプデンは、「建艦税は、違法なり」として、裁判所に訴えたのであった。
 過半数の判事は、王によって任命され、王の影響下にあった。建艦税は合法である。「非常の際に於いては、王の大権は制限を受ける事がない」
 こう判決が下った。
【この判決に、清教徒達は抗議した】。王の圧政に抵抗したと、ジョン・ハムプデンは、一躍英雄になった。
 この建艦税騒動が、1649年における清教徒革命の発端(ほったん)となったのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 もちろん税はきっかけであって、それだけでピューリタン革命が成ったわけではない。社会の歪みが税という形に極まり、民の怒りが沸点に達したのだろう。そして新しい思想(宗教)が興(おこ)る。

 先代のジェームズ1世の迫害から逃れたピルグリム・ファーザーズの渡米が1920年だから、ほぼ同時と見てよい。

 圧政や苛政は必ず税となって民を苦しめる。そして民の忍耐が限界に達すると革命が起こる。ただし日本の場合は江戸時代が長すぎて、黒船(=外圧)を待つ傾向が強い。

【清教徒革命のテーマは、「国民の同意抜きの税制改革には応じられない」ここにあった】。(中略)
 この際の【イギリス国民の同意とは、議会の議決と言う事である】。

 議会の議決にはこれほどの重みがある。ジョン・ハムデンはたった20シリングの税を拒むことでピューリタン革命の端緒を開いた。この4月から消費税は5%から8%にアップする。我々は3月までに駆け込みで大きな買い物を済ませ、4月から倹約するだけでよいのだろうか? 消費税は低所得者になればなるほど痛税感が高まる。その「痛み」を私が許した覚えはない。一方では法人税引き下げの検討が活発化している。孔子は政治を行う上で最も大切なものを「民信無くば立たず」と示した(『論語』)。立たねば倒れるのみ。

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2014-02-24

税金は国家と国民の最大のコミュニケーション/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

「消費税の呪(のろ)いに依(よ)って、日本資本主義は破綻(はたん)するだろう。デモクラシーも滅びるだろう」と小室は予告する。

 その理由は、第一に伝票(インヴォイス)方式を採用しなかったからである。
 伝票方式にすると、仕入れと販売のエッセンスは、丸(まる)でガラス張りになる。
 少なくともその重要な部分は見え見えになる。消費者にも税務署にもお金の流れがはっきりするから、税金を誤魔化(ごまか)す余地は非常に少なくなる。
 伝票方式の最大の良い処(ところは)、脱税がし難(にく)くなる事である。
 誰しも一番頭に来る事は、脱税のチャンスの不平等である。【クロヨン】(9-6-4)、【トーゴーサンピン】(10-5-3-1)と言う例のあれだ。
 サラリーマンや著述業などの所得が殆ど100パーセント透明ガラス張りなのに、中小企業は曇りガラス。農業等は雨戸張り。(中略)
 武田信玄は、租庸(そよう/税金)の取り方に付(ママ)いて言った。
【「租庸で大切な事は、重きにあらず軽きにあらず、公平にあり」】と。(中略)
 徴税(税金を取り立てる)の不公平となると、根本的に違ってくる。
 それは【不公平であるだけでなく、不正でもある】からである。
 特に、デモクラシー諸国に於いては致命的である。
【デモクラシー諸国に於いては、税金の遣(や)り取りこそ国と国民との最大のコミュニケーションである】からである。
【税金こそ、デモクラシーの血液】である。
 血液の循環に依って身体が保たれる様に、税金の循環に依ってデモクラシーは保たれる。
 血液の循環が詰まれば大変である。脳血栓(のうけっせん)、脳梗塞(のうこうそく)等の重病となる。町税が出来なくて税金の循環が詰まれば、デモクラシーは死に兼ねない。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 資本主義は資本を所有する者が強者となる世界だ。で、強者は自分に都合のよい仕組みをつくりだす。経団連を見れば一目瞭然だ。多分インボイス方式を採用しなかったのは竹下登首相(当時)による政治的配慮だろう。

 一方で国民はものわかりがよい。「ま、国も赤字で困っているようだから仕方がない」と財布を開くたびに消費税を支払う。一片の疑問を抱くこともなく。

 トータルの税金で日本は既にスウェーデンを抜いている。

消費税率を上げても税収は増えない

 実に所得の55.4%が税という名目で奪われているのだ。にもかかわらず福祉大国ではない事実がおかしい。富の再分配が偏っていることは明らかだろう。人体に例えるなら、きっと心臓から上の方にしか血液が回っていない状態だ。足はとっくに壊死状態だ。

 よき国家であれば、国民は税を支払うことに誇りをもつことだろう。だが資本主義はそれを許さない。なぜなら企業の目的は利潤の最大化にあるからだ。

 巨大資本は多国籍企業となり、タックス・ヘイヴン経由で租税を回避する。アメリカもイギリスも国内にタックス・ヘイヴンが存在する。資本は税を嫌うのだ。

 そして今や、ショック・ドクトリンによって発展途上国の予算やIMFからの融資金を一部の多国籍企業が簒奪(さんだつ)する。資本主義とは不平等の異名である。人類の限界に至るまで差別を助長するに違いない。

 たとえ世界大戦が起こったところでこの仕組みが変わることはない。なぜなら実際の資本は既に眼に映らぬオンライン上に存在するからだ。銀行にある現金は預金の20%程度といわれる。

 この邪悪な資本主義金融体制を倒すためには、スーパーリッチと呼ばれる連中を死刑にするしかない。私に浮かぶアイディアはそれくらいだ。


力の強いもの、ずる賢いものが得をする税金/『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎
マネーと言葉に限られたコミュニケーション/『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎

2014-02-23

下位文化から下位規範が成立/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 小室は消費税の簡易課税制度(※売上の20%を付加価値と見なし、これに消費税を課す。残りの80%は仕入れと原材料費と見なされる)が脱税の温床であると指摘する。それどころか「脱税制度そのもの」であると言い切る。

 そして企業間で脱税が日常茶飯の社会行動と化す時、事業計画の中で「重要な変数」として扱われる。脱税プログラミングが開発され、悪徳数学者と悪徳経済学者と悪徳弁護士らが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、手を組んで、やがて日本経済を危機に陥れる。これが小室の懸念だ。

【定常的な犯罪集団が形成されると、そこに下位文化(サブ・カルチャー)が生まれる。】
 犯罪者集団独自の下位文化だ。この下位文化は、確(しっか)りと成員の行動を規定する(縛り付ける)。
 そして、各成員は、斯くの如く規定された行動をする事が当然だと思い込む様になる。それが正しいと思ってしまうのである。【ここが恐ろしい】。
 ぞっとしても足りない程である。
 社会にとっては紛(まぎ)れもなく犯罪に違いない事も、犯罪者集団は全く正しい事だと思い込む様になってしまうのである。
 と言う事は、どう言う事か。
 犯罪者集団の成員は、堂々と犯罪行為を行なうと言う事だ。堂々と、良心の呵責(かしゃく)なんか何もなく。
 社会全体の人々にとって、これより恐ろしい事は、またと考えられない。
 だって、そうだろう。
 普通、犯罪者と雖(いえど)も良心の呵責に苛(さいな)まれる。こんな事、心ならずも仕出かしてしまったが、本心ではやりたくはなかったんだ。
 これこそ、犯罪に対する最大・最強の歯止め、バラバラな犯罪者の行為が、それほど恐ろしくないと言うのも、右の理由に因(よ)る。が、犯罪者集団が、定常的に、存在するとなると、事情は根本的に変わってくる。この犯罪者集団の中に下位文化が発生する事になると、尚更(なおさら)の事だ。
 そうなると、下位規範(サブ・ノルム)が成立するであろう。詰(つ)まり、社会全体の規範(ノルム)とは全く違った規範が成立してしまうんのだ。これは大変である。
 社会全体が正しいと思った事でも、この犯罪者集団では正しくない。社会全体が許さないと言ったところで、この犯罪者集団でなら許される。
 犯罪者集団の構成員は、確信を以(も)って犯罪行為を遂行する。
 決して、オドオドしたりしない。後悔を感じたりはしないものなのである。
 確信を以って、所謂(いわゆる)「犯罪行為」を遂行する。オール確信犯と言って良い。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 脱税が常態化した企業内部のメカニズム原理を見事に抽出している。小室の文体には独特の臭みとしつこさがあるが、何も考えずに慣れた方がよい。漢字表記についても同様だ。

 小室は学問の原理に忠実な人物であった。一切の妥協を許さなかった稀有な学者であった。弟子の一人である宮台真司は常々「天才」と絶賛している。あの宮台がである。

 このテキストが凄いのは、あらゆる閉鎖的集団の内部構造を説明しきっているところだ。例えば政治的談合、あるいは省益・庁益のために働く官僚、そしてコンプライアンスを無視して利益のみを追求する企業。はたまたブラック企業・健康食品のマルチ商法、更には宗教団体やテロリスト集団にまで適用可能だ。

 下位文化から下位規範が成立する。その規範とは「村の掟」だ。村人たちにとって「村の掟」は法律よりも重い。なぜなら彼らはそこに住み、生きてゆく他ないからだ。

 人間の脳は同調圧力に対して屈する傾向が強い。それを社会心理学的に証明したのがソロモン・アッシュの同調実験であった。

アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 ヒトの社会性は本能に同調を促し、集団生活に収まることで生き延びる確率を高めたのだろう。つまり「集団に属する」ことは「その集団に同調する」ことを意味すると考えてよい。

 我々は「皆がやっていることだから」という事実に基づいて自分自身をたやすく免罪する。営業マンを見れば一目瞭然だ。不自然なハイテンション、リスクに触れることのない説明、特定商取引法第16条を無視した営業トーク。あいつらは売れさえすればそれでいいのだ。自分のグラフを伸ばすためならどんなことでもやりかねない。

 規範というものはある行動を規制しながらも別の行動を強く促す。集団内のモラルは時に世間のインモラルと化す。しかも官僚や企業の場合、賃金という形で返ってくる。どうせ労働力を売るなら高い方がよい。しかも多少我慢すれば一生面倒を見てもらえる。

 結局のところ我々全員が損得で物事を判断しているのだろう。賃金の上昇を望む人は多いが、モラルの上昇を望む人を見たことがない。時折、正義感を発揮して内部告発をする勇者が登場すると、「馬鹿だよなー。おとなしくしていれば安全な人生を歩めたのに」などとテレビ越しに見つめる人も多い。

 ザル法が日本経済を破壊することを覚えておこう。この春から消費税が増税される。デフレ脱却前に増税を決定したのは致命的な判断ミスだ。ワーキングプアも放置されたままだ。また消費税と自殺者数には相関関係があることも忘れぬように(『消費税のカラクリ』斎藤貴男)。

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読書人階級を再生せよ/『人間の叡智』佐藤優

2013-07-20

断章取義と日蓮思想/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平


 ・断章取義と日蓮思想
 ・日本における集団は共同体と化す

 昔から保守系論壇に登場する学者が苦手だ。知が光となって人間世界を明るく照らすのであれば、やはり世の中の矛盾や理不尽を浮かび上がらせるのが学問の目的ではないのか? 私にはそんな思い込みがある。チャーチル曰く「若いうちに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。大人になっても左翼に傾倒している者は知能が足りない」と(※注)。ま、十代で本多勝一を読んできたせいかもしれない。

 弁当兄さん(finalvent)山本七平を愛読してきた、とツイートしていたので本書を開いてみた。面白かった。

山本 徳川時代の町人学者の行き方は「断章取義」と言われています。章を断って義を取る、つまり原典の文脈をバラバラにして、自分に必要なものだけを取るんですね。(中略)いわば、自分の体系を聖人の片言隻句の引用ですべてつないでしまう。原典は仏教だろうと儒教だろうとかまわないわけで、これはつまり思想を取り入れたということではなく、表現を採用して権威化したに過ぎないんです。そのため真の思想的対決には決してならない。

【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)】

「あ!」と思った。「俺のことだ」と(笑)。抜き書きの多用、おんぶに抱っこ、著作を杖と頼む行為だ。

「町人」「義」というフレーズで思い出されるのは京都町衆である。断章取義は日蓮思想に由来するのではないだろうか?

日蓮 京都での繁栄と受難

 日蓮の考え方に文義意というのがある。文(もん)は経文、義は経文の意義、意は仏の本意を指す。三重(さんじゅう)に深めてゆくといえば聞こえはいいが、読み手の恣意的解釈を拡大しているようにも思える。日蓮本人としては経文だけあって形骸化した仏教界に警鐘を鳴らしたのだろう。

 日蓮が激しい感情の持ち主であったこともあって日蓮系は極端に走る教団が多い。戦前の右翼に始まり、新興教団の創価学会顕正会にまで至る。

 日蓮系はことごとく断章取義である。日蓮の遺文を切り取っては水戸黄門の印籠みたいにかざす悪癖がある。そこに思想的格闘は見られない。印籠教学といってよいだろう。

 生き方に一貫性がないから「思想的対決」が生まれ得ない。日本人は思想・哲学よりも所属や党派を重んじる。「お前はどこのどいつだ?」。我々は皆、○○村の誰ベエだ。村の掟こそが正義なのだ。

 京都町衆について詳しいことは知らない。知っているのは本阿弥光悦〈ほんあみ・こうえつ〉の名前くらいだ。

 日蓮は鎌倉時代にあって思想的対決を望んだ稀有な人物であった。その末裔(まつえい)が断章取義に陥るのだからこれほどの矛盾もあるまい。

日本人と「日本病」について (文春学藝ライブラリー)
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Estatua de Nichiren del siglo 13

2012-04-26

岸田秀、山本七平

1冊読了。

24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。

2011-12-11

自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他


『唯脳論』養老孟司

 ・霊界は「もちろんある」
 ・夢は脳による創作
 ・神は頭の中にいる
 ・宗教の役割は脳機能の統合
 ・アナロジーは死の象徴化から始まった
 ・ヒトは「代理」を創案する動物=シンボルの発生
 ・自我と反応に関する覚え書き

 文明の発達は、存在を情報に変換した。いや、ちょっと違うな。文字の発明が存在を「記録されるもの」に変えた。存在はヒトという種に始まり、性別、年代、地域へと深まりを見せた。そして遂に1637年、ルネ・デカルトが「私」を発明した。「我思う、ゆえに我あり」(『方法序説』)と。それまで「民衆は、歴史以前の民衆と同じことで、歴史の一部であるよりは、自然の一部だった」(『歴史とは何か』E・H・カー)。

 魔女狩りの嵐が吹き荒れ、ルターが宗教改革の火の手を上げ、ガリレオ・ガリレイが異端審問にかけられ、アメリカへ奴隷が輸入される中で、「私」は誕生した。4年後にはピューリタン革命が起こり、その後アイザック・ニュートンが科学を錬金術から学問へと引き上げた。120年後には産業革命が始まる。(世界史年表

 近代の扉を開いたのが「私」であったことは一目瞭然だ。そして世界はエゴ化へ向かって舵を切った。

 デカルトが至ったのは「我有り」であったと推察する。神学は二元論で貫かれている。「全ては偽である」と彼は懐疑し続けた。つまり偽に対して真を有する、という意味合いであろう。

 ここが仏教との根本的な違いである。仏法的な視座に立てば「我在り」となる。そしてブッダは「私」を解体した。「私」なんてものは、五感など様々な要素が絡み合っているだけで実体はないと斥(しりぞ)けた。またブッダのアプローチは「私」ではなく「苦」から始まった。目覚めた者(=ブッダ、覚者〈かくしゃ〉)の瞳に映ったのは「苦しんでいる生命」であった。

 貧病争はいつの時代もあったことだろう。苦しみや悲しみは「私」に基づいている。ブッダは苦悩を克服せよとは説かなかった。ただ「離れよ」と教えた。

 産業革命が資本主義を育てた。これ以降、「私」の経済化が進行する。一切が数値化され、幸不幸は所有で判断されるようになる。「私の人生」と言う時、人生は私の所有物と化す。だが、よく考えてみよう。生を所有することなどできるだろうか?

所有のパラドクス/『悲鳴をあげる身体』鷲田清一

 生の本質は反応(response)である。人間に自由意志が存在しない以上、選択という言葉に重みはない。

人間に自由意思はない/『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
自由意志は解釈にすぎない

 人は自分の行為に色々な理由をつけるが、全て後解釈である。

 認知的不協和を低減する方法として、選択的情報接触というものもあげられている。
 たとえば、トヨタの車と日産の車を比較して、迷った後、かりにトヨタを買ったとする。買った後、「トヨタの車を買った」という認知と「日産のほうがよい選択肢だったかも知れない」という認知は、不協和となる。認知的不協和は不愉快な状態なので、人は、認知の調整によってその不協和を低減しようとする。この場合、「トヨタの車を買った」というほうはどうにもならないから、「日産のほうがよい選択肢だったかも知れない」という認知のほうを下げる工夫をすることになる。
 実際に、車を買った人の行動を調べてみたところ、車を買った後で、自分が買った車のパンフレットを見る時間が増えることがわかった。パンフレットは、通常、その車についてポジティブな情報が載せられている。したがって、自分の車のパンフレットを読むという行動は、自分の車が正しい選択肢で、買わなかったほうの車がまちがった選択肢であったという認知を自分に植え付ける行動だということになるわけである。認知的不協和理論の観点では、これは、行動後の認知的不協和低減のために、それに有利な情報を選択して接触する行動だと考えることができるわけである。このような行動を、選択的情報接触と言っている。

【『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
情報の歪み=メディア・バイアス/『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』松永和紀
ギャンブラーは勝ち負けの記録を書き換える

 生命が反応に基づいている証拠をお見せしよう。


 時間軸を変えただけの微速度撮影動画である。まるで川のようだ。果たして実際に川を流れる一滴一滴の水は悩んだり苦しんだりしているのだろうか? 多分してないわな(笑)。では人間と水との違いは何であろう? それは思考である。思考とは意味に取りつかれた病である。我々は人生の意味を思うあまり、生を疎(おろそ)かにしているのだ。そして「私の思考」が人々を分断してしまったのだ。

比較が分断を生む/『学校への手紙』J・クリシュナムルティ

 山本(七平)氏の書かれるように、鴨長明が傍観者のように見えるとすれば、そこには視覚の特徴が明瞭に出ているからである。「観」とは目、すなわち視覚系の機能であって、ここでは視覚が表面に出ているが、じつは長明の前提は「流れ」あるいは「運動」である。長明の文章は、私には、むしろ流れと視覚の関係を述べようとしたと読めるのである。
「人間が流れとともに流れているなら」、確かに、ともに流れている人間どうしは相対的には動かない。それなら、流れない意識は、長明のどこにあるのか。なにかが止まっていなければ、「流れ」はない。答えを言えば、それが長明の視覚であろう。『方丈記』の書き出しは、まさにそれを言っているのである。ここでは、運動と水という質料、それが絶えず動いてとどまらないことを言うとともに、それが示す「形」が動かないことを、一言にして提示する。形の背後には、視覚系がある。長明の文章は、われわれの脳の機能に対するみごとな説明であり、時を内在する聴覚-運動系と、時を瞬間と永遠とに分別し、時を内在することのない視覚との、「差分」によって、われわれの時の観念が脳内に成立することを明示する。これが、ひいては歴史観の基礎を表現しているではないか。

【『カミとヒトの解剖学』養老孟司〈ようろう・たけし〉(法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」(『方丈記』)。養老孟司恐るべし。養老こそはパンクだ。

 生は諸行無常の川を流れる。時代と社会を飲み込んでうねるように流れる。諸法無我は関係性と訳されることが多いが、これだと人間関係と混同してしまう。だからすっきりと相互性、関連性とすべきだろう。「相互依存的」という訳にも違和感を覚える。

 ブッダは「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す」と説いた(『自説経』)。此(これ)に対して彼(あれ)と読むべきか。

クリシュナムルティの縁起論/『人生をどう生きますか?』J・クリシュナムルティ

 同じ川を流れながら我々は憎み合い、殴り合い、殺し合っているのだ。私の国家、私の領土、私の財産、私の所属を巡って。

 大衆消費社会において個々人はメディア化する。確かボードリヤールがそんなことを言っていたはずだ。

知の強迫神経症/『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール

 そしてボディすらデザインされる。

 ダイエット脅迫からくる摂食障害、そこにはあまりに多くの観念たちが群れ、折り重なり、錯綜している。たとえば、社会が押しつけてくる「女らしさ」というイメージの拒絶、言い換えると、「成熟した女」のイメージを削ぎ落とした少女のような脱-性的な像へとじぶんを同化しようとすること。ヴィタミン、カロリー、血糖値、中性脂肪、食物繊維などへの知識と、そこに潜む「健康」幻想の倫理的テロリズム。老いること、衰えることへの不安、つまり、ヒトであれモノであれ、なにかの価値を生むことができることがその存在の価値であるという、近代社会の生産主義的な考え方。他人の注目を浴びたいというファッションの意識、つまり皮下脂肪が少なく、エクササイズによって鍛えられ、引き締まった身体というあのパーフェクト・ボディの幻想。ボディだってデザインできる、からだだって着替えられるというかたちで、じぶんの存在がじぶんのものであることを確認するしかもはや手がないという、追いつめられた自己破壊と自己救済の意識。他人に認められたい、異性にとっての「そそる」対象でありたいという切ない願望……。
 そして、ひょっとしたら数字フェティシズムも。意識的な減量はたしかに達成感をともなうが、それにのめりこむうちに数字そのものに関心が移動していって、ひとは数字の奴隷になる。数字が減ることじたいが楽しみになるのだ。同様のことは、病院での血液検査(GPTだのコレステロール値だの中性脂肪値だのといった数値)、学校での偏差値、競技でのスピード記録、会社での販売成績、わが家の貯金額……についても言えるだろう。あるいはもっと別の原因もあるかもしれないが、こういうことがぜんぶ重なって、ダイエットという脅迫観念が人びとの意識をがんじがらめにしている。

【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】

 バラバラになった人類が一つの運動状態となるためには宗教的感情を呼び覚ますしかない。思想・哲学ではない。思想・哲学は言葉に支配されているからだ。脳の表層を薄く覆う新皮質ではなく、脳幹から延髄脊髄を直撃する宗教性が求められよう。それは特定の教団によって行われるものではない。あらゆる差異を超越して普遍の地平を拓く教えでなければならない。

 上手くまとまらないが、長くなってしまったので今日はここまで。

無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)方丈記 (岩波文庫)悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

ネオ=ロゴスの妥当性について/『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
人間の問題 2/『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ
暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ

2011-11-17

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ

 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 近代ヨーロッパの繁栄を支えたのは奴隷の存在であった。つまり産業革命も国民国家もアフリカ人を踏みつけることで成立したわけだ。

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔

 植民地アメリカでは1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある(Wikipedia)。その後、アメリカ先住民を大量虐殺したヨーロッパ人は労働力として1000万人を超える黒人を輸入した。

Slave trader ledger p.12
(奴隷商人の元帳、1848年)

 奴隷は「物」であった。本書でも法的には「動産」として扱われている。ナット・ターナー(1800-1831年)は実在した人物だ。彼が首謀者となって55人の白人を殺害し、20名あまりが身体に障害を被(こうむ)った。

 本書の冒頭に掲げる《公示》と題した一文は、このボードに関して当時記録された唯一の重要文書に付せられた序文である。この文書は約20ページからなる小冊子で、『ナット・ターナの告白』と大され、翌年初頭リッチモンドで出版されたものであるが、私はその小冊子のいくつかの部分を本書に織りこんだ。物語を書き進めるにあたり、私はナット・ターナーと彼を首謀者とする反乱に関して、【既知の】事実はできるだけ忠実にたどったつもりである。

【『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン:大橋吉之輔〈おおはし・きちのすけ〉訳(河出書房新社、1970年)以下同】

 事実を元にしたフィクションである。当然ではあるが実際のナット・ターナーとは違っていることだろう。しかしながら、ウィリアム・スタイロンの想像力が吹き込まれて、ナット・ターナーが歴史の彼方から蘇ってくるのだ。その意味では著者の己心に実在したナット・ターナーといえるだろう。

Slave

 闇は眼に快かった。長年のあいだ、この時刻には祈りをあげるか、聖書を読むのが私の習慣だった。しかし、囚人となってからのこの5日間、私は聖書を持つことを禁じられ、祈りについては――そう、唇から祈りの言葉をむりやりにでも押し出すことが全くできなくなっていることは、私にとってもはや驚きでもなんでもなくなっていた。だが、この日々の勤行をやりたいという強い欲求はまだあった。それは私が大人になってからずっと長いあいだ、肉体の機能のように単純で自然な習慣になっていたのだ。だがいまは、私の理解を越えた幾何学とか他の不可思議な学問の問題のように、やりとげることがまるで不可能なように思えるのだった。今となっては、いつ自分に祈る力がなくなったかを思い出すこともできない――1ヵ月、2ヵ月、あるいはそれ以上前だったかもしれない。何故その力が私から消え失せたか、その理由でも分かっていれば、せめてもの慰めになっていただろう。ところが、それすらわからず、私と神とへだてる深淵にはいかなる形のかけ橋も見当たらなかったのだ(後略)

 本書のテーマは宗教と暴力である。『一九八四年』は全体主義と暴力を描いた。『黒い警官』は権力と暴力を描いた。この3冊は暴力三部作と名づけていいだろう。私が読んできた小説で最高の部類に君臨する。

 ナット・ターナーは奴隷でありながら読み書きができた。また霊感も強かったようだ。弁護士のグレイはナットのことを「神父さん」と呼んでいる。

 人を疑うことを知らなかったアフリカ人が、まんまとヨーロッパ人に騙されてアメリカへ輸入された。船倉に押し込められ、劣悪な環境の中で死んでいった人々も多かった。鎖に縛られて運ばれたアフリカ人は、アメリカに降ろされると今度は鞭を振るわれた。

whippingPostDover,Del

 鞭を持つのは神の代理人である白人であった。彼らは「神の支配」という妄想に取りつかれているため、その反動として現実世界で支配せずにはいられないのだ。他国をヨーロッパの植民地とするのは当然の権利であり、グローバルスタンダードという名を借りた自分たちのルールを押しつけるのも朝飯前だ。

「南部だけじゃなく北部でも、アメリカじゅうで、みんなが不思議に思った、どうして黒んぼどもがあんなに団結できたんだろう? どうしてあいつらがあんな【計画】を考えだし、それを整然と言ってもいいくらいにおし進めて、実行に移すことができたんだろう、とね。だが、だれにもわからなかった、真相はどうしてもつかめなかった。なにがなにやらさっぱりで、五里霧中の有様だったわけだ」

 白人が黒人を猿同様に考えていたことがよくわかる。

 すべての黒人が12歳か10歳かあるいはそれよりも早くから、自分は白人から見れば人格も道徳観も魂も欠けたただの商品、品物にすぎぬことを自覚するときにもつようになるあの内的な感じ――それは言葉で表わすことはほとんど不可能な実在感だ――を表現したのもハークだった。その感じをハークは【黒ぼけ】と名づけたが、それは私の知っているどの言葉よりも、すべての黒人の心情にひそむ麻痺状態と恐怖とを簡明に表現している。

 黒人が奴隷となる様相を見事に描いている。自由を奪われた人間は無気力になる。奴隷という身分自体が強制収容所と同じ機能を果たすのだ。

「お前の評判は、いわば、お前に先行してるんだ。ここ数年間、ひとりの非凡な奴隷についての驚くべき噂がわしの耳にとどいていた。その奴隷は、このクロス・キーズの近在で何人かの主人に、転々と所有されたが、もって生まれた卑賤な境遇をよく克服して――語るも不思議(ミーラーピレ・デイクトゥ)や――すらすらと読み書きができるようになり、その証拠をみせろとあれば、自然科学のむつかしい抽象的な著作も読解してみせるし、また、口から出まかせの口述筆記もみごとな書体で何ページでもやってのけるし、さらに、簡単な代数が分かるくらいに算数もマスターしているし、他方、聖書のほうの理解もずいぶん深いもので、数少ない神学の大家のうち彼の聖書の知識を試験したものたちは、彼の博学のすばらしさに驚いて首をふり退散したそうだ」彼は言葉を切り、げっぷをした。

「要するに、この呪われた国のもっとも惨めな底辺の一人でありながら、自分の悲惨な境遇をよく克服して物ではなく【人間】になった一人の奴隷の存在を想像するということは――そんなことは、どんな奔放な想像の域をも越えた話だ。否(ノー)、否(ノー)! そんな異形(いぎょう)のイメージを受け入れることを拒否する! 説教師さん、【ネコ】という字はどう書くのかいってみてくれ、え? さあ、この悪ふざけの流言の本当のところをわしに証(あか)してみせてくれ!」

 読み書きは自問自答へといざなった。信仰は神との対話であった。ナット・ターナーの内側では他の奴隷たちと隔絶した自我が芽生えたのだろう。そもそも学ぶこと自体が自由を意味する。そして自由を享受するほど不自由に敏感となってゆく。

 ナットの主人であるサミュエル・ターナーは奴隷制に反対していた。しかし不幸なことにナットの知性は本質を見抜いていた。

 しかしいぜんとして不幸な事実は残る。暖かい友情や一種の【愛情】が(※主人であるサミュエル・ターナーとナットの)二人のあいだに通いあってはいたが、私が養豚とか新式肥料の散布のばあいとまったく同じような実験対象にされていたことに変わりはないのだ。

 ある日のこと、仲間が売られてしまったことにナットは気づく。サミュエル・ターナーは弁明した。

「たしかに、真の人間といえるものはまだどこにもいはしない。【たしかに】そうなんだ! なぜなら、これまでの人間は分別のない愚かものばかりで、それだけがおのれの同属、同胞と卑劣きわまる関係を保って生きているのだ。それ以外にどうしてあんなにぶざまで恥かしい憎むべき残酷さを説明できようか! ふくろねずみやスカンクでさえもっと分別がある! いたちや野ねずみでさえ自分の同類い対しては天性の愛情というものをもっている。人間と同じように低劣ことがやれるのはただ虫けらだけだ――夏になるとポプラの木に群がって、甘い蜜を分泌する小さなあぶらむしどもと貪婪(どんらん)に結ばれようとする蟻のように。そうだ、たぶん真の人間らしい人間はまだどこにもいはしないのだ。ああ、神はどんなにか痛恨の涙を流していらっしゃることか、人間の他の人間に対する所業をごらんになって!」急に言葉がとぎれた。見ると彼は発作を起こしたように首をふり、とつぜんこう叫んだ、「それもすべて金の名において行なわれているのだ! 【金】の!」

 サミュエル・ターナーは罪悪感を隠せなかった。そしてナットをも手放すことになる。新しい主人はエップス牧師だった。

「話によるとだな、黒んぼの男は一般にふつうよりも1インチ長い一物(いちもつ)をもっとるそうだが、そうなのかい、ぼうや?」
 私は、ふるえる指を太腿に感じながら、じっと押し黙っていた。

 エップス牧師は男色家だった。ナットが拒むや否や苛酷な労働を命じ、あろうことか近隣の人々に無料でナットを貸し出した。この二つの出来事がナットの心に暗い影を落としたことは容易に想像がつく。

 飢えと同様、私は鞭も経験したことがなかった。鞭がふりおろされて首筋に火縄のようにまきついたとき、痛みが光のように炸裂して頭蓋の空洞のなかでぱっと花ひらいた。私は思わずあえいだ。痛みは喉の内側につきぬけて尾をひき、私を窒息させてしまいそうな気がしたので、さらにまたあえいだ。そのときになってはじめて、つまり数秒後のことだが、やっと鞭の音が私の心に知覚され――それは空を切る鎌のような妙にもの静かなひゅうという音だった。またそのときはじめて、私は片手をあげて生皮鞭が肉にくいこんだ箇所をさわってみたが、熱くねばねばした血の流れを指先に感じた。

1863
(鞭打ちによる傷痕、1863年)

 白人に対する鋭くはげしい憎悪は、もちろん、黒人たちが心のなかに容易に抱きうる感情である。しかし実をいえば、すべての黒人の心のなかにそのような憎悪が充満しているわけではない。それが至るところで華々しくはびこるには、あまりにも多くの神秘的な生活や機会の様式(パターン)が必要なのである。そのような真実の憎悪――それは非常に純粋かつ頑固な憎しみで、どんな人間味のあるあたたかい気持も、どんな共感や同情も、その石のような表面には微細な刻み目やひっかき傷すらつけられないほどのものだ――は、すべての黒人に共通しているものではない。それは、残忍な葉をつけた花崗岩の花のように、育つときには育っていくが、それももとはといえば不確かな地面にまかれた弱い種子から出てくるのである。その憎悪が完全に結実するには、悪意にみちた充分な育ち方をするには、多くの条件が必要だが、そのうちでも、黒人がそれまでのある時点において白人とあるていど親しく暮らした経験があるという事実はもっとも重要な条件である。黒人が自分の憎悪の対象をよく知るということ、白人の策略、欺瞞、貪欲さ、腐敗の極致、を知るようになるということは、もっとも必要なのだ。
 なぜなら、白人を親しく知らなければ、その気まぐれで不遜な温情に屈服したことがなければ、その寝具や汚れた下着や便所の内部の臭いをかいだことがなければ、自分の黒い腕が白人女の指にさりげなく横柄にさわられたことがなければ、また、白人がふざけたり、くつろいだり、心にもない信心をしたり、下劣な酔っ払いかたをしたり、干し草畑で欲情まるだしに不倫の交接をしたりするところを目撃したことがなければ――そういう打ちとけた内輪の事実を知悉していなければ、黒人の憎悪はあくまでたんなる【見せかけ】にすぎないのだ。そんな憎しみは抽象的な幻想にすぎない。

 奴隷が立ち上がるには白人の権威を失墜させる必要があった。権威とは神格化の異名でもある。天上人(てんじょうびと)と思い込んでしまえば、手が届かないから殴る気も起こらない。

 ナットは実際には一人の白人娘を殺しただけであった。そのことについて書かれたページがあるのを今思い出した。

ウイリアム・スタイロン 『ナット・ターナーの告白』をめぐる諸問題

 ナットは弁護士のグレイにこう告げた。

 しかし、これだけはいっておきたい、それをいわなければ黒人の生存の中心にある狂気を理解していただけないからだ――すなわち、黒人というものは、叩きのめし、飢えさせ、自分自身のたれた糞の中にまみれさせておけば、これは生涯あなたのいいなりになるだろう。突拍子もない博愛主義のようなものを仄めかして畏れさせ、希望を持たせるようなことをいってくすぐると、彼はあなたののどをかっ切りたいと思うようになるだろう。

Nat Turner -Nat_Turner_captured
(ナット・ターナー)

 この複雑性を理解するのは難しい。ただしヒントがある。

 夕食時限に近い頃、もしやと思っていた鹿野が来た。めずらしくあたたかな声で一緒に食事をしてくれというのである。私たちは、がらんとした食堂の隅で、ほとんど無言のまま夕食を終えた。その二日後、私ははじめて鹿野自身の口から、絶食の理由を聞くことができた。
 メーデー前日の4月30日、鹿野は、他の日本人受刑者とともに、「文化と休息の公園」の清掃と補修作業にかり出された。たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。
 これが、鹿野の絶食の理由である。人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった。そしてその頃から鹿野は、さらに階段を一つおりた人間のように、いっそう無口になった。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 恵まれた位置から施される優しさは、時に暴力と等しい力を発揮する。人間らしさに触れることで苦しみの純度が高まるのだろう。単なる惨めさではない。相手と自分との間に存在する世界の深淵を垣間見てしまうためだ。微温的な態度が人を傷つけることは日常でも決して珍しいことではない。

 またナットが叛乱を成功に導くことができなかったのは、ただ単に暴力への耐性がなかったためだろう。

William Styron
(ウィリアム・スタイロン)

 出版直後から異論・反論も多かったようだが、ウィリアム・スタイロンは見事にナット・ターナーを蘇らせた。

 ナットの人間的な資質もさることながら、私はキリスト教に巣食う暴力的な側面を見逃すことができないと考える。バイブルには暴力と死がゴロゴロ転がっている。で、一番人殺しに手を染めているのは神様自身なのだ。神は人間に命令する。それが妄想であったとしても、敬虔なクリスチャンであれば実行するに違いない。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた

 絞首刑に処されたナットの遺体は皮をはがれ、首を切られ、八つ裂きにされた。そして復讐の念に燃えた白人の暴徒は手当たり次第に黒人をリンチした。


ナット・ターナーが反乱を起こした日
キリスト教の浸透で広がった黒人霊歌の発展
ついに自由を我らに 米国の公民権運動(PDF)
クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義
大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平
愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
子供を虐待するエホバの証人/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎

2010-03-06

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


『人類史のなかの定住革命』西田正規
『砂糖の世界史』川北稔
『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 ・動物文明と植物文明という世界史の構図
 ・黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった
 ・中東が砂漠になった理由
 ・レッドからグリーンへ

『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

必読書リスト その四

 これは勉強になった。人類史の壮大なパノラマを「環境史」という視点で読み解く作業が実に刺激的である。最近よく聞かれるようになったが、世界の大きな戦争は寒冷期に起こっているという。これは少し考えればわかることだが、寒くなれば暖房などのエネルギーを多量に使うようになる上、農作物が不作となれば大量の人々が移動をする。当然のように温暖な地域を目指すことになるから衝突は必至だ。

 このように世界の歴史を「環境」から検討する学問を環境史という。人類の歴史が大自然との戦いであったことや、天候が人間心理に及ぼす影響を踏まえると、その相関関係はかなり説得力があるように思う。

 たまたま、ジョン・グレイ著『わらの犬 地球に君臨する人間』という陰気臭い本と一緒に読んでいたこともあり、本書に救われるような気がした。学問の王道はやはり「面白主義」である。予想だにしなかった事柄が結びつく時のスリルが堪(たま)らん。

 私は今まで、西洋文明=騎馬民族vs東洋文明=農耕民族と何となく考えていたが、本書では動物文明(家畜&麦作)vs植物文明(稲作&漁業)という構図が示されており、文明の違いを様々な角度から検証している。更に、アジアにおいて黄河文明などは動物文明であったとのこと。

 先進国は基本的に西洋のルールに従っていると思われるが、その暴力性・侵略性が実によく理解できる。

安田●やはり家畜の民がつくった文明が、現在の世界を支配しているということです。この点が21世紀には大変大きな意味をもつと思います。人間を家畜と同じようにコントロールして奴隷をつくる。そして人間の性、つまり子どもを産むことにまでタッチする文化をどう考えるのか。たとえば遺伝子操作やクローン技術は、全部ヨーロッパ文明=家畜の民が生み出した技術革新です。
 もともと家畜の民だった人がつくった地中海文明のうえに、キリスト教という家畜の民の巨大宗教がやってきて、自然支配の文明をつくりだした。これが人類の歴史における大きな悲劇だったと思う。

【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年)以下同】

 人間の家畜化が奴隷化であった。ヨーロッパの隣に位置するアフリカの歴史を見れば一目瞭然だ。

『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 西洋における農業は麦作が中心だった。麦作は畑を耕すために動物の力を必要とした。そして麦作は個人戦で展開することができた──

安田●僕は湯浅さんから教えられたんですが、ムギというのは天水農業の下では個人の欲望を自由に解放できる農作物です。つまり、自分の土地を所有し、水に支配される度合いが少ないために、自分の好きなように土地を耕していけば、それだけ生産性が上がる。ですから個人の欲望を解放しやすいわけです。一方稲作は、いつも水に支配されていますから、個人の欲望は解放しにくい。共同体に属さないことには農耕がしにくいという制約がありますね。

湯浅●水管理には協調性が必要です。

 別の見方をすれば、個人で開墾することができたからこそ、奴隷に任せることも可能であった──

安田●稲作は苗代をつくり、種籾をまき、田植えをし、草取りをし、刈り取るというように、かなり集約的で時期が制限された農耕ですから一所懸命やらないといけない。

石●稲作は技術集約的、かつ労働集約的ですね。

安田●奴隷には任しておけないということですね。ムギとコメはそこに根本的な違いがある。

石●それは面白い。稲作文明で大規模な奴隷が発生した例は思いつきませんね。

湯浅●僕は麦作文明からは、労働の生産性を追求する経済学、稲作文明からは土地の生産性を追求する経済学が誕生したと思っています。前者が今日の近代経済学にも通じる。マルクス経済学も労働の経済性の追求でしょう。労働の生産性というのは、自分以外のエネルギーを自分のエネルギーにしてしまうわけです。初めはウシ、ウマ、いまや石炭、石油になっています。

安田●これはあくまでも「家畜の経済学」ですね。

湯浅●そう。それに対してコメの経済は土地の生産性を重視する。つまり、一定の限界があり、最終的には水の量で決定するわけですね。

石●それと地形ですね。

湯浅●そう。日本の中世文書をご覧になればわかるように、紛争は入会と水をめぐる争いですよ。

 そして牧畜が森を破壊する──

安田●それまで、中世ヨーロッパの農業社会は非常に不安定だった。ところが、稲作農業というのは初期の段階から土地の生産性を生かす方向にいっていますから、非常に循環的だった。ですから、東と西の中世社会を比べてみたときに、日本やアジアの水田稲作農業のほうがはるかに生産性も高かったし、社会的な安定性という面においてもヨーロッパの中世社会よりもよかった。

湯浅●だいたい物質文明は、16世紀まではアジアのほうが高かったわけです。

安田●秋の終わりに家畜を殺して、やっと冬を越していた三圃式農業の悪循環を脱却するために、四圃式農業が登場した。それによって、初めてヨーロッパの農村が近代化への道を歩み出したのです。

石●しかし、家畜を森林に放したために、大規模な森林破壊が起きる。ブタの放牧によって、若芽とドングリを食われて木がなくなってしまう。

安田●もちろんこれもヨーロッパの森林破壊の一つの原因です。それは、もっと前から行われていた。

湯浅●僕は、鉄の破壊力も大きいと思っています。

 最後の「鉄の破壊力」というのは、鉄を精錬するために大量の木を燃やす必要があるためだ。また塩害によって、森を開拓せざるを得ない状況も生まれたようだ。

安田●ヨーロッパへ留学した研究者の多くは、21世紀は個人を解放し、個人が自立しなければならないというわけです(笑)。日本人は個人が自立していない。ヨーロッパ人はきちんと個を確立している、と。
 それはそうですが、逆にいったら個人が勝手気ままにやる社会ということです。これをコントロールしようと思ったら、厳しい法律を決めるしかない。「おまえ、これをやったらおちんちん切るぞ」という厳しい法律で個人をコントロールするしかないのが動物文明です。今の中国は、まさにこの方策を断行するしかない。そうしないと四分五裂してしまう。中国文明も黄河文明がそうであるように、動物文明、家畜文明の性格を強く持っている。

湯浅●僕は、日本的な個は充実していたと思っています。日本社会は西ヨーロッパと同じように、「多数中心社会」だと思っています。一つの中心に集中しないようにしている。たとえば天皇と将軍という複数のシステムができていて、一つが独走しないように常に片手が牽制している構造ができているわけです。 「個が充実してない」というよりも、その仕方が違うのではないでしょうか。日本の歴史で欧米的にいちばん個が充実していた時代は戦国時代です。その後、江戸的な抑制システムに転換していく。あの下剋上の時代こそ、個が充実することによってコミュニティも充実したのではないでしょうか。京都の祇園祭の母体となる「町衆」も戦国時代に誕生しました。

 個人戦によって西洋では過剰な自意識が芽生えた。そこに権利を守る必要が生まれたというわけだ。アメリカが訴訟社会であるのも、人種の坩堝(るつぼ)=多様な価値観が入り乱れているためなのだろう。価値観が異なるのだから「暗黙の了解」という文化は生まれない。

石●人間の欲望を抑制する「装置」は何かと考えたんですが、過去で最も効果的な装置は宗教ですよね。それと、農村社会も多分、立派な装置を備えていたようにみえる。常にお天道様が相手ですから、早稲まきのイネをまいて駄目だったら、すぐに遅まきに切り替える、というふうにいくつも装置がある。農耕社会というのは、常に生き残っていくためには同じ作物を植えないで、半分は収穫は低いけど乾燥に強いものを植えるようなやり方をしている。
 アフリカの農耕社会では、「ムゼー(長老)の知恵」といって、同じトウモロコシでも何種か何回かに分けて種をまきます。あるものは発育が遅いけれども収穫が非常にいい、あるものは早くできても収穫が悪いというように、常に安全装置をみています。
 たぶん牧畜社会では、そうした安全装置がないですから、病気で全部のヤギが死んでしまうと、結局隣の村へヤギを盗りにいくことになる。

 つまり、「生きるための侵略主義」ということになろうか。しかも西洋の連中には一神教の神様までついていたわけだから侵略を正当化するのも朝飯前だ。

 農業を支配しているのは気候である。西洋も稲作をすりゃよかったのに、と言ったところで、雨が少なければそれもかなわない。元々は自生していたのだろうから、突飛な作物を植え付けすることは考えにくい。それこそ畑違いというものだろう。

 我々にしたって、「稲作は循環型だから俺等の勝ちだ」なんて油断していられない。大体、食糧の殆どを輸入しているわけだから、農作物と国民性の相関関係も随分と変わっているに違いない。

 食べ物を自分達で供給しなくなったことによって、我々は根無し草のようになってはいないだろうか? どこで作られたのかもわからない加工食品を食べることで、ひょっとしたら無国籍になりつつあるような気がする。

 取り敢えず今のところは温暖化が進んでいるようだから、しばらくの間は世界の動乱は起こらないことを信じたい。



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