2009-04-18

脆弱な良心は良心たり得ない/『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一


 ・脆弱な良心は良心たり得ない
 ・自我と反応に関する覚え書き

『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一
『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

権威を知るための書籍

 組織のあるところには必ず「無責任の構造」が潜んでいる、と著者は説く。確かにそうだ。まず、責任を支えているのは能力である。そして次に正義感だろう。能力はあっても正義感を欠いた人物はおしなべて、“構造的な無責任”に遭遇しても見て見ぬふりを決め込む。真っ当な責任感は、一段高い位置から自分の業務を部分として捉えることができる。

 岡本浩一はJCO臨界事故の調査委員を務めた。事故の経緯に一章が費やされていて、断片的なニュースでは窺い知ることのできなかった貴重な記録となっている。

 このプロセス(※JCOの工程違反)で、「それは危険だ」と声をあげようとしてその勇気がなくてできなかった人や、声をあげたために地位や人間関係で不利益に耐えねばならなかった人たちが、幾人かいたことだろう。彼らが声をあげ、その声が聞かれていれば、あの不幸な事故は起こらなかったに違いない。彼らの圧殺された良心を思うとき、私は刺すような痛みを心に感じる。しかし、それでも酷なことを書くが、圧殺され表明されなかった良心は、究極のところ、存在しなかったのと同じである。
 脆弱な良心は良心たり得ない。

【『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

「脆弱な良心」とは、思っただけで行動に移せなかった人々が後から口にする言いわけに過ぎない。なぜなら、勇気はいつの場合でも決意を生み、その決意が極まれば必死の行動に結びつくからだ。私はこれを「小さな革命」と名づける。小さな改革のさざ波なくして、偉大なる変革はなし得ない。惰性は「死」を象徴しているのだ。

 あらゆる組織がそれぞれの論理で運営されている。組織は常識や道徳で動いているわけではない。そこに社会とは異質な価値観が必ず存在している。はびこっていると言ってもいいだろう。若者や女性というだけの理由で軽んじられる場面も多い。営業の世界にあっては文字通りの弱肉強食であり、売れない営業マンに人権なんぞないに決まっている。

 組織はヒエラルキー(階級)で構成されている。職権を階層化したものが組織といえなくもない。サラリーマンは人事と給与で首根っこを押さえられている。上司に逆らうようなことがあれば、当然査定に影響する。こうして威勢のよい若者も牙を抜かれ、事なかれ主義の権化と変貌してゆく。

 結局のところ、“正義の実現”と“失業というリスク”を天秤に懸ける営みを強いられる。多くの場合は葛藤を経て、いかなる煮え湯にも耐え得る強靭かつ鈍感な神経を鍛えることとなる。やっぱり、正義感は安定した生活に勝てないってことだな。

 ってことはさ、同じ会社で何十年も働いている人々は、正義感が弱いのかもね。

 本書は好著なんだが如何せん文章がよくない。まるで、下手糞な翻訳ものを読んでいるような気にさせられる。同語反復も目に余る。特に最終章は読む価値なし。総体的な内容が素晴らしいだけにもったいない。

無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))
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2009-04-17

国民的物語「忠臣蔵」に代表される「意地の系譜」と「集団主義」/『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄


 文化は世代間で継承される。つまり、世代を超えて継承される普遍性があるわけだ。思い切り簡単に言ってしまえば、「老若男女みんなの好きな物語」となる。

「好き」とは「逆らえない状態」である。なぜか心が惹かれる、魅了される、虜(とりこ)になる――何らかの不満・鬱積・抑圧がカタルシスを求めて、かような内面的状況に至るのだろうと私は想像している。

 熊田一雄は、継承される文化としての「忠臣蔵」に注目する――

 それでは、近代日本における覇権的男性性はいかなる種類のものだろうか。関東学院大学の細谷実の研究をヒントに私なりに考えてみた。それは時代に応じて微修正を繰り返しながらも、基本的には「忠臣蔵」という国民的物語(四十七士的男性連帯)に代表される「意地の系譜」と「集団主義」にかたちづくられているといえないだろうか(そしていまでも依然としてある程度まではかたちづくられている)。  ここで言う忠臣蔵幻想とは、1702(元禄15)年に起こった史実としての赤穂浪士討ち入り事件のことではなく、事件を題材に日本人が300年間にわたって、時代によって微修正を繰り返しながら延々と紡ぎ続けてきた「国民の物語群」総体のことを指す。討ち入り事件発生直後から、江戸の庶民の世論は四十七士をスーパースターとみなした。庶民はこの事件を幕藩体制に対する「叛乱」の物語としてとらえ、世論に配慮した幕府は事件を「忠義」の物語という解釈を与え、両者は吉良上野介をスケープゴートとすることで一致し、この時点で四十七士は当時の日本社会の全階級から「男のなかの男たち」と称賛されることになった。

【『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄〈くまた・かずお〉(風媒社、2005年)以下同】

「覇権的男性性」とは、オーストラリア人の社会学者ボブ・コンネル(※性転換後、レイウィン・コンネルに改名)が提唱した概念で、「覇権的(hegemonic)/従属的(subordinated)/周縁的(marginarized)」という類型のこと。ジャイアン、スネ夫、のび太が見事に当てはまっている。固定されたヒエラルキー――あるいはステレオタイプによる人間関係――を掻き回すトリックスターがドラえもんなのだろう。

「史実としての赤穂浪士討ち入り」と「国民の物語群としての忠臣蔵」という二重性は、「ナチ・ホロコースト」と「ザ・ホロコースト」(ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』三交社、2004年)と響き合う。事実から創出された物語という点において。

 私は少なからずドラマを何度か見ており、大佛次郎〈おさらぎ・じろう〉の『赤穂浪士』も読んでいるが、まったく感情移入することができなかった。道産子特有の淡白さのゆえかと思ったがそうではない。私の目には、浅野内匠頭が短気な男として映った。であるからしてこの物語は、激情に駆られて刃傷沙汰を起こした主君のために、四十七士が犠牲になったというアウトラインとなり、主従関係という封建時代の矛盾を示した物語にしか見えないのだ。

 しかし、私が何をどう主張しようとも、年末になれば「忠臣蔵」がテレビで放映されることだろう。こうした文化そのものに、私は日本人特有の「短慮」を感じてしまう。

 熊田一雄は、「忠臣蔵」という物語に込められたテーマを、「プロジェクトX」に結びつける――

「意地の系譜」と「集団主義」の持続力を見せつけているのが、NHKのテレビ番組「プロジェクトX」(放映は2000年から)の国民的人気である。この番組では、「挑戦者たち」に女性が参加していても、ナレーションは必ずといっていいほど「その時、ひとりの男が立ち上がった」で始まり、男性の私生活(家事・育児・介護)は基本的には切り捨てられている。もちろん、「集団主義」がある程度は後退し、「男女共同参画社会」と少なくとも表面ではうたわれる時代に対応して、時々アリバイ工作程度には男性の私生活に触れることはけっして忘れられていないのだが。そして、「男の意地」を貫き通して、「挫折から最後には再生した」男たちの「男泣き」で締めくくられ、集団主義の男性の連帯が称揚され、中島みゆきの曲『地上の星』が、男たちを力づける「妹の力」(伝統的民俗信仰において兄弟を支える姉妹の霊力)として利用されている。

 こいつあ、お見事。ジェンダー論の切れ味を鮮やかに示している。思想や価値観は、語り手次第でいかようにでも面白くなるという証拠だ。

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2009-04-15

グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人


『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・環境・野生動物保護団体の欺瞞
 ・環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義
 ・「環境帝国主義」とは?
 ・環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する
 ・グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない
 ・反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ
 ・有色人捕鯨国だけを攻撃する実態

『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

 目的にも大中小の種類がある。仏教ではこれを「上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)」(九品〈くほん〉)と表した。現在使用している上品(じょうひん)・下品(げひん)の語源である。

 私が言いたいことはこうだ――小目的のために大目的が利用されてはいけない。そりゃそうだろう。今日、明日の何かのために人生を棒に振っていいはずがないのだから。

 動物保護運動の大目的は美しい。だが中身はといえば、保護の対象となる動物は意図的に選び抜かれ、自分達の暮らしにマイナスの影響が及ばないものに限定されていた――

 クジラ、アザラシ、象、海亀……。これらの動物に共通しているのは神秘性があり、十分な愛玩性を備えていることだろう。ペットにはできないが、観賞用としては野生動物の中では上位を占める。
 このような動物が有色人種によって無駄に殺され、資源が絶滅に向かっているとのキャンペーンは、欧米諸国で広く深く、そして急速に受け入れられた。そして「この動物を保護するために寄付を」との呼びかけに数百万人が反応した。グリーンピースは、80年代に年間約200億円のカネを集めている。だが、このカネは動物の保護に使われることはなく、組織の拡大と新たなキャンペーンへの経費に充てられた。

【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

 これが連中のやり方だ。誰も反対できない大義名分を掲げておいて、中目的・小目的はやりたい放題。しかも、環境問題・気候変動対策として国家予算が割り振られている現在においては、その気になればいくらでも金を引っ張り込むことが可能だ。

 人間の脳は納得させられると洗脳状態に陥る。自分の概念になかったテーマや問題を突きつけられると、なぜか逆らい難くなる性質を持っている。キャンペーンはお手の物だ。動物が殺される場面の背景に悲しい音楽を流せば、間違いなく人々の同情を集められる。プロパガンダ。

 ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(三交社、2004年)によれば、ドイツがユダヤ人に対して行った戦後の賠償金の大半が被害者の手に渡らず、ユダヤ人組織が収奪しているという。

 嘘にも大中小がある。大きな嘘は見抜くことが難しい。

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