2020-01-04

国旗国歌放映をやめてNHKは左傾化した/『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣

 ・国旗国歌放映をやめてNHKは左傾化した

『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗

 1990年代に入ると、NHKは草創期から続けていた放送終了時の国旗国歌放映を、24時間放送を理由に次々に止めてしまった。これは、後の国旗・国歌法(平成11年/1999年)に逆行する動きであるが、むしろ国家的支援によってなり立つはずの公共放送局のかかる行動が、当時の国家不斉唱、伴奏拒否事件などと相俟って、同法成立への言動力となる危機意識の創出に一役買ったのかも知れない。
 この国旗国歌放映こそ、左翼勢力による受信料不払いの言わば最大の理由であり、まさに国家主義的および国家権力との連繋の象徴として、執拗に非難の的とされてきた。かかる左翼陣営からの不払い闘争に屈し、あるいはおもねり、またあるいは便乗するかたちで、国旗・国歌放映をやめたのか否か、それは定かではないが、いずれにせよこれをひとつのターニング・ポイントとして、NHKの報道姿勢全般が左傾化し、反日化していったことは否めない。もちろん、左翼勢力による対NHK工作は、単なる不払い闘争のみならず、それなりの人材育成策を地道に積み上げきた点も看過することはできないであろう。

【『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸〈おやま・かずのぶ〉(展転社、2014年/増補版、2019年)】

 長らくテレビを所有していないため国旗国歌の放映をやめた事実を知らなかった。私がテレビを視なくなったのは17歳の頃である。バレーボール部の練習で体力を根こそぎ奪われ、テレビを視る気力は失せていた。もちろんNHKの受信料を支払ったことは一度もない。

 世界各国の放送局と交流をしているため、NHK本社には米中などを始めとする放送局の部屋が設けられているという。スパイが身を隠すのはメディア、ジャーナリスト、大学教授というのが相場だから、当然のように魑魅魍魎(ちみもうりょう)がウヨウヨしていることだろう。

 小山は大学教授だけあって当を得た批判をしている。が、これを放置している自民党の責任はどうか? 反日番組を見過ごし、脅迫まがいの受信料徴収を放置しているのは政権与党ではないのか?

 あるいは徴収員が殺害されるのを待っているのだろうか? それともNHK幹部にテロが仕掛けられるまで「国民はおとなしいもの」と高を括っているのだろうか?

『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』が堂々と放映される日本は意外とテロに優しい国家だ。「弱きを助け強きを挫く」ためなら犯罪にも目をつぶる国民性がある。

 いつまで経ってもスパイ防止法ができないのは自民党内部にスパイがいるためだと囁かれる。個人的にはもう手遅れのような気がしてならない。北朝鮮による拉致被害を無視してきた罰(ばち)だろう。

少年老い易く学成り難し



Wikipedia

【我那覇真子「おおきなわ」#95】激白!南北朝鮮・チュチェ思想・反日の真実を暴く沖縄トークショー


2020-01-03

篠原常一郎×岩田温





『チュチェ思想の恐怖、脱北者の実態とは…』篠原常一郎×松田学



『韓国保守派ピンチか?大反響!日本にも浸食?チュチェ思想の本質とは…』篠原常一郎×松田学



『衝撃!チュチェ思想と文政権の正体、反日運動にも…』篠原常一郎×松田学



医療事故は防げない/『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ


 ・医療事故は防げない

・『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 本書のタイトル Complications とは、治療によって思いがけないことが起きるという意味だけでなく、治療に伴う不確かさとジレンマも意味している。これは、教科書に書かれていない医学の世界について、そしてこの職業に就いてからというもの、私がずっと戸惑ったり悩んだり驚いたりしてきた医療について書かれた本である。

【『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ:古屋美登里・小田嶋由美子訳、石黒達昌監修(みすず書房、2017年/医学評論社、2004年『コード・ブルー 外科研修医救急コール』改題/原書は2002年)以下同】

 柔らかな精神と透徹した眼差し、そして薫り高い文章が竹山道雄と似通っている。ガワンデのデビュー作だ。彼の著作は全部読んだが今のところ外れなし。

 かつて日本語ラップの嚆矢(こうし)とされたのが佐野元春の「COMPLICATION SHAKEDOWN」(1984年)だった。ライナーノーツには「物事が複雑化してゆれ動いていること」とある。SHAKEDOWNには「間に合わせの寝床」という意味があるので性的な含みを持たせているのだろう。複雑系は complex system なのでコンプレックスでもよさそうなものだが、やはりニュアンスが違うようだ(「複雑」のcomplexとcomplicatedの違い | ネイティブと英語について話したこと)。

 著者は研修医で一般外科での8年に及ぶ訓練を終える時期に差し掛かっていた。大いなる疑問が胸をよぎる。「8年?」。なんと8年を要しても一人前とは言えないのだ。医大を卒業して8年経てば30歳である。その間に培われる知識や技術を思えば医療を取り巻く複雑な様相が何となく見えてくる。

 もちろん、患者は飛行機に比べてはるかに複雑で、それぞれがまったく違う体質を持っている。それに、医療は完成品を納品したり製品カタログを配布したりする仕事とはわけが違う。どんな分野の活動でも、医療ほど複雑ではないだろう。認知心理学、「人間」工学、あるいはスリーマイル島ボパールの事故などの研究から、私たちが過去20年に学んできたことだけをとっても、同じことがわかる。つまり、すべての人間が過ちを犯すだけでなく、われわれは予測可能なパターン化された方法で、頻繁に過ちを犯している。そして、この現実に対応できないシステムは、ミスを排除するどころかそれを増加させるのである。
 英国の心理学者ジェームズ・リーズンは、著書『ヒューマンエラー』の中で、次のように主張している。激しく変化する状況で、入ってくる知覚情報を無駄なく切り替えるためには、直観的に考え行動する能力がなければならない。人間がある一定の間違いを犯してしまう性癖は、この優れた脳の能力と引き替えに支払わなければならない代償なのである。このため、人間の完全さを当てにしたシステムは、リーズンが呼ぶところの「潜在的ミス(起きることを待っているようなミス)」をもたらす。医学の現場はこの実例に満ちている。たとえば、処方箋を書くときのことを考えてみよう。記憶に頼る方法は当てにならない。医者は、誤った薬や誤った分量を処方してしまうかもしれないし、処方箋が正しく書かれていても、読み間違えることもある(コンピュータ化された発注システムでは、この種のミスはほとんど起こらないが、こうしたシステムを採用している病院はまだ一握りしかない)。また、人が使うことを十分に考慮して設計されている医療器具は少なく、それが原因で潜在的なミスを引き起こすことがある。医師が除細動器を使うときにたびたび問題が起こるのは、その装置に標準的な設計規格がないためである。また、煩雑な仕事内容、劣悪な作業環境、スタッフ間でのコミュニケーション不足といったことも潜在的ミスを引き起こす。
 ジェームズ・リカーズは、もう一つ重要な意見を述べている。失敗はただ起こるのではなく波及する、ということだ。

 例えば少し考えれば想像できることだが保険は多種多様な病気や怪我、複雑化する事故や災害を網羅することは難しい。既に保険会社の社員ですら保険でカバーできる範囲を認識できていない。医療の場合、病気の種類、薬の種類、人体の構造、医療器具の使い方、感染症の予防対策、患者と家族の病歴、そして個人情報など知っておかねばならない情報量は厖大なものとなる。しかも病気や薬は次々と増え続ける。

 ガワンデは医療事故を防ぐことはできないと述べる。それは医師の単なる言いわけではない。現実問題として「防げる」と考えるのが間違っているのだ。医療現場の救急処置がドラマチックに描かれている。どのエピソードを読んでも判断の難しさがよく理解できる。世間は医療過誤に目くじらを立てるが、いくらミスを追求してもミスがなくなることはない。社会が折り合いをつけて許容するしかなさそうだ。ただし必要とされる代償はあまりにも大きい。生け贄(にえ)と言ってよかろう。何らかの補償制度が不可欠だ。

 一方で医師には人間のクズが多い。世間の常識も知らないような輩が白衣をまとっている。しかも勉強不足だ。そして勉強不足を恥じることがない。私は医師の話をありがたがって拝聴するタイプの人間ではないので、あからさまに異論を述べ、反論し、「医学を利用する気はあるが医学の言いなりにはならない」との信条を披瀝する。

 医療リテラシーを充実させるべきだ。で、病院側はもっと修理屋としての自覚を持ち、「治るか治らないかはわかりません。失敗すれば死ぬこともあります」とはっきり告げた方がいいと思う。医療への過剰な信頼が患者の瞳を曇らせている側面がある。医療に万能を求めてはなるまい。我々は諦(あきら)める術(すべ)を身につけ、観念すべき時を見極める勇気を持つべきだ。

 医療といえども需給関係が経済性を決める。我々が不老不死を求めれば医療費は無限に増え続けることだろう。それでも人は死ぬ。必ず死ぬ。死は恐るべきものではないという社会常識を構築できないものか。

2020-01-02

手段から目的への転換/『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット


『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード

 ・手段から目的への転換

 歩くこと、そのはじまりを思い描こう。筋肉に力が漲ってゆく。一本の脚は、柱になって体を大地と空の間に浮かべている。もう一本の脚が、振り子のように背後から振り出されてくる。踵が大地を掴む。全体重が転がるようにつま先へ繰り出されてゆく。親指が後ろへ蹴り上げると、あやういバランスを保ちながら重心が移動してゆく。そして脚は互いに役割を交代する。一歩にはじまり、さらに一歩、そしてさらに一歩と、打楽器を叩きはじめるように積み重なってゆく歩行のリズム。歩行はたやすくわたしたちを誘い出す。宗教、哲学、風景への眼差し、都市の政治、人体の解剖学、アレゴリー、そして癒やしがたく傷ついた心の奥へ。世のなかにこれほどありふれていて、これほど謎めいたものがあるだろうか。
 歩行の歴史は書かれざる秘密の物語だ。書物に書き残された何げない断片の数々や、歌、街、そして誰もが胸に抱く冒険のうちにそれは潜んでいる。身体という点からみれば、歩行の歴史は二足歩行への進化と人体の解剖学の歴史だ。たいていの場合、歩行とは二つの地点を結ぶほとんど無意識的な移動手段でしかない。しかし思索や儀式や瞑想と重なることによって、歩くという行為には特殊な領域が形成されている。それは手紙を運ぶ郵便夫や列車に向かうオフィスワーカーの動作と生理学的には同じでも、哲学的には異なる。つまり、歩行という主題は、わたしたちがありふれた行為に賦与している特殊な意味を考えることともいえる。食事や呼吸がさまざまな意味を担っているように、歩行が担いうる文化的な意味には大きな幅がある。セックスから宗教、さらに革命から芸術まで。ゆえにその歴史は、想像力と文化の歴史の一隅を占める。さまざまな時代の多様な歩行者たちとその歩行は、いかなる歓びや自由や価値を追求するものだったのだろうか。

【『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット:東辻賢治郎〈とうつじ・けんじろう〉訳(左右社、2017年)】

 左右社〈さゆうしゃ〉という出版社を初めて知った。

 3年前から歩き始めた。それまでは仕事で階段を上ることが多かったのだがいつしか坐っている時間の方が長くなった。歩き方も自分なりに工夫したつもりであったが、やはり我流だと限界がある。10kmから20kmほどの距離は歩いたが疲労が濃かった。みやすのんきを読んで完全に蒙(もう)が啓(ひら)いた。

 一昨年から自転車に乗り始め、自転車EDの症状が出てからまたぞろ歩くようになった。元々私の場合は歩くことが目的と化していたのだが本書を読んでからは歓びに変わった。歩くことが単なる移動手段であれば、その遅さと疲労は忌むべきものとなろう。いつか歩けなくなる日が来るかもしれない。その時を思えば歩けることは「大いなる歓び」であろう。

 文章が思弁に傾きすぎて読み終えることができなかった。日本人の文化的なDNAは句歌や漢詩のような圧縮度の高さが好みであり、散文であればあっさりとした情感を志向する。西洋の言葉をこねくり回す思弁、形而上学、修辞法、合理性とは極めて相性が悪い。日本人は哲学者よりも詩人であろうとする。

 環境問題が叫ばれるようになってからナチュラリストなる言葉が持て囃(はや)されるようになったが、日本人は生まれながらにしてナチュラリストであり、無神論者ですらアニミズムに支配されている。日本のアニメーションが世界的に評価されているのもアニミズムというバックボーンがあるためだ。どちらもラテン語のアニマに由来する言葉だ。アニマは生気と訳す。

 そう考えると幽霊に足がないのも理解できよう。浮かばれない霊は淡い存在として漂っている。生者は足で大地を踏む。すなわち歩くことは生きることなのだ。

 クラシック音楽で歩く速度をアンダンテという。適度な運動としてのウォーキングは1分間に100歩といわれるが(日本生活習慣病予防協会)、心拍数を考慮すれば1分間に60~100のリズムが最も心地よく感じられるのではあるまいか。また、この速度を超えると五感の情報量が下がると考えてよい。

生きるとは繁殖すること/『生命とはなにか 細胞の驚異の世界』ボイス・レンズバーガー


・『生命とは何か 物理的にみた生細胞』シュレーディンガー
『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博
『生物と無生物のあいだ』福岡伸一
・『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス

 ・生きるとは繁殖すること

・『生命とは何か 複雑系生命科学へ』金子邦彦
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント

 しかしながら、生命がその種の定義によってしか規定できないということであれば、誰もが奇跡をひきおこすことができるし、それについては手間暇はかからない。タンクの中には、溶接密封された2~3センチばかりのガラスの小瓶(ヴァイアル)、つまり、アンプルが3万本ばかり収められており、その中には、活力を完全に封じ込められてしまった200万ばかりの生命体がスプーン一杯に満たないごく少量の溶液の中で冷凍されているので、そのうちの一つを取り出して体温まで温めてやればよい。ちっぽけな生命体は、冷凍による仮死状態から数分で復活する。今日、ほとんどすべての生物医学の研究室でごくあたりまえになってしまったこうした光景というものは、私たちが生きている年月という概念によっては想像することもできないのだが、これらの生命体は、「生命を取り戻す」のである。微細な有機体は、アンプルの表面を動きまわったり、這いまわったりするようになる。溶液に溶け込んでいる養分を吸収するようになる。私たちは、しばらくすると、こうした生命体がまぎれもなく生きている何よりの証拠を目にすることができる。生命体が繁殖を始めるようになるからだ。

【『生命とはなにか 細胞の驚異の世界』ボイス・レンズバーガー:久保儀明〈くぼ・よしあき〉、楢崎靖人〈ならさき・やすと〉訳(青土社、1999年/原書は1996年)】

 392ページ上下二段。価格を2800円に抑えたのは立派だ。さすが青土社〈せいどしゃ〉と言いたいところだが紙質の悪さが目立つ。更に著者・訳者のプロフィールがないのは手抜きが過ぎる。Webcat Plusで調べる羽目となった。

 思考は人間の尺度に支配されている。時間的なスケールは数時間・1日・1年・一生という具合で100年に収まる。一方空間的なスケールが自分の移動距離を超えることが少ない。生きるとは動くことであるとの思い込みは人間の時間的スケールに基づくものだ。もっと長い尺度で見れば「生きるとは繁殖すること」と言えよう。

 連綿とつながる子孫の流れを俯瞰すれば確かに「生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」(リチャード・ドーキンス)と考えることも可能だ。ただしかつて我が世の春を誇った恐竜は滅んだ。原因は直径10キロ級の隕石衝突によるものと考えられているが(第2回 恐竜絶滅の原因は本当に隕石なのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト)、生物学的には神経伝達の速度が遅すぎることが挙げられる。

 生命とは永続性を示す言葉なのだろう。あらゆる宗教が死と永遠を説く理由もそこにある。我々が自分の存在についてあれこれ悩むのも「生きている証し」を求めているからだ。

 2055年には世界人口が100億人に達すると見込まれている。日本の人口は1億2808万人(2008年)がピークでそれ以降減少に転じた。人口問題は食糧とエネルギーの資源を巡るテーマとして論じられることが多いが、政治色が濃く国際問題というよりは国家エゴをきれいな言葉で表明しているだけで、発展途上国を貧しくした欧米の帝国主義や戦争の責任を完全に無視している。昨今話題の移民問題も戦争責任と合わせて考える必要がある。

 天敵がいないからといって人間が無限に増え続けることはできない。そもそも100年後には今生きている人はほぼ全員が死んでるわけで、その時どんな世界が待ち受けているかは誰にもわからない。病気・戦争・自殺は人間の世界と細胞の世界に共通する歴史である。

 マイクロバイオームから本書にまで辿り着いたのだが、私は貴族政から民主政に宗旨変えを迫られた。エリート主義は大脳を司令塔とする政治制度である。ところが人体は腸内細菌という市民が思いの外、全体に影響を与えているのだ。人間が多細胞生命体で一つの巨大なコロニーだとすれば、投票の有無にかかわらず一人ひとりの感情・行動・反応が国家や世界に及ぼす影響を軽視するべきではない。

 暴飲暴食や過剰な運動は一種の帝国主義の表れだ。健康が持続可能性を示すのであれば粗衣粗食、適度な運動、瞑想(思考の停止)が秘訣となるだろう。

2019-12-31

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 今年は稀に見る豊作であった。手にした本は500冊強。読了したのは180冊ほどか。読書日記が書けていないので多目に紹介する。いずれも必読書・教科書本で、特にベスト10については甲乙つけがたく僅差の違いしかない。6歳から本を読み始めて丁度半世紀を経たわけだが、本に導かれて歩んできた道が妙味を帯びてきた。尚、『悪の論理』は三度読み、他の倉前本は二度読んでいる。

『許されざる者』レイフ・GW・ペーション
・『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰
・『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司
『将棋の子』大崎善生
・『したたかな寄生 脳と体を乗っ取る恐ろしくも美しい生き様』成田聡子
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
・『オオカミ少女はいなかった スキャンダラスな心理学』鈴木光太郎
・『森林飽和 国土の変貌を考える』太田猛彦
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
・『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
・『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』ルイーザ・ギルダー
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン
・『やさしい図解 「川平法」歩行編 楽に立ち、なめらかに歩く 決定版!家庭でできる脳卒中片マヒのリハビリ』川平和美監修
『ベッドの上でもできる 実用介護ヨーガ』成瀬雅春
・『寡黙なる巨人多田富雄
・『56歳でフルマラソン 62歳で100キロマラソン』江上剛
・『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
・『体の知性を取り戻す』尹雄大
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル:柴田治三郎訳
・『1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門』吉田昌生
・『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』『経済は世界史から学べ!』『ニュースの“なぜ?”は世界史に学べ 日本人が知らない100の疑問』茂木誠
・『日教組』『左翼老人』『自治労の正体』森口朗
・『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
・『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
・『「よど号」事件最後の謎を解く 対策本部事務局長の回想』島田滋敏
・『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』下川正晴
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『評伝 小室直樹』村上篤直
『中国古典名言事典』諸橋轍次
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン
・『陸奥宗光』『重光・東郷とその時代』『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
・『なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか中西輝政、西岡力
・『英霊の聲』三島由紀夫
・『自衛隊幻想 拉致問題から考える安全保障と憲法改正』荒木和博、荒谷卓、伊藤祐靖、予備役ブルーリボンの会
・『奇蹟の今上天皇』『アメリカの標的 日本はレーガンに狙われている』『韓国の呪い 広がるばかりの日本との差』『アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか』小室直樹

 10位 倉前盛通『悪の論理』『新・悪の論理』『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方
 9位 『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
 8位 『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
 7位 『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
 6位 『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
 5位 『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
 4位 『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー
 3位 『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
 2位 『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
 1位 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ

『2019年を科学的に振り返る! 過去30年とこれからの30年』武田邦彦×松田学

『日本悪化の亡国奴!』松田学×武田邦彦



『政治、経済、メディア、医療、学会…武田先生に色々訊く!』武田邦彦×松田学



肥田春充の色心不二/『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行


『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛龍会編
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
・『幻の超人養成法肥田式強健術 腰腹同量正中心の鍛錬を極めよ!』佐々木了雲

 ・肥田春充の色心不二

・『火の呼吸!』小山一夫、安田拡了構成
・『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』佐々木繁光監修、橋本馨
・『仙骨姿勢講座 仙骨の“コツ”はすべてに通ず』吉田始史
『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法システマ・ブリージング』北川貴英

身体革命
悟りとは
必読書リスト その二

 しかるにどうだ。それからわずか数年でこの虚弱(きょじゃく)な体が鋼鉄(こうてつ)の身に一変されてしまったのである。その間の経緯(けいい)を記(しる)した春充〈はるみち〉の著書が後に刊行されると、たちまち全国から講演、実演の依頼が殺到(さっとう)した。
 春充が上半身裸体となって壇上(だんじょう)に立つやいなや、会場は突如(とつじょ)として一変してしまう。触(ふ)れることさえできそうなほどの緊張感が全聴衆(ちょうしゅう)を支配する。まばたきする者もなく、身動きする者もない。
「裸体となって壇上に現れた氏の体格は、古代ローマの彫像(ちょうぞう)を見るが如(ごと)く、実に男性美を発揮したるものなり。殊(こと)にその腹胸(ふくきょう)式呼吸法における腹胸部膨張(ぼうちょう)力の旺(さか)んなること、3、4升(しょう)の鍋(なべ)を飲(の)みこみたる観(かん)あり。体格の調和せる、動作の敏捷(びんしょう)なる、気力の充実(じゅうじつ)せる、思わず驚嘆(きょうたん)の目を見張らしめたり」(大阪毎日新聞の一部)
「不思議といわんか、至妙(しみょう)といわんか、神の舞踏(ぶとう)といわんか。人間業(わざ)とは思われぬ優観(ゆうかん)、美観、否、壮観……瞬間我等(われら)は頭上より足の爪先(つまさき)まで電流を通じたるが如(ごと)く、或(あ)る力に撲(う)たれたり……」(東洋大学哲学科生)
「先生の体全体が力の泉の如くに見えた。四隣(しりん)に響き渡る気合いの発生はわれわれの心肝(しんかん)を突き、覚えず茫然自失(ぼうぜんじしつ)、ただ偉大(いだい)なる魅力に圧倒されてしまった」
「私は水が滴(したた)るような裸体姿の美しいのに見惚(みほ)れてしまいました。艶(つや)があって滑(なめ)らかで、緊張すれば鉄の如くに締(し)まる筋肉が自然のままでゆったりと肥(こ)えているところは実に見事なものでした……」(中里介山〈なかざと・かいざん〉、小説『大菩薩峠』の著者として有名)
「……その結果、以前の茅棒(かやぼう)は実に絶美(ぜつび)の体格を獲得し、この道に造詣(ぞうけい)の深い二木(ふたき)医学博士も理想的自然の発達よと嘆賞(たんしょう)するに至(いた)った」(「実業之日本誌」より)
 二木医学博士とは、玄米菜食(げんまいさいしょく)を唱導(しょうどう)し、桜沢如一〈さくらざわ・にょいち〉とならんで日本の食餌(しょくじ)法における草分け的存在である二木謙三〈ふたき・けんぞう〉のことだ。彼は春充の身体を「今まで見たなかでいちばん立派(りっぱ)な体だ」「即身即仏」といい、また強健術に関しては「それこそ真の理想的方法である」と絶賛(ぜっさん)した。このほか大隈重信〈おおくま・しげのぶ〉や東郷平八郎〈とうごう・へいはちろう〉などをはじめとする各界の名士も春充の肉体美を讃(たた)えている。
 春充の次なる著者(ママ)『心身強健術』は非常な売れ行きで重版(じゅうはん)また重版、ついに100版を突破するに至った。

【『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行〈たかぎ・かずゆき〉(学研プラス、1986年)】

 日野晃の著書で肥田式強健術を知った。創始者の肥田春充〈ひだ・はるみち〉は明治16年(1883年)生まれで生来の虚弱体質であった。幼い頃は茅棒(かやぼう)と渾名(あだな)され、死の宣告を受けたことも一度ではなかった。春充が風邪に伏していた時、父親が仏壇の前で泣きながら祈っている姿を見た。春充は不甲斐のなさに声を上げて泣いた。ここから一念発起して後の強健術が生まれるのである。17歳の少年は物に取り憑かれたように鍛錬を重ねた。

 肥田の相貌と肉体は人間離れしている。日本の武術においては筋肉よりも骨が重視される。腹部は柔らかくなくてはいけない。



 威風が吹いてくるような体である。「」(からだ)と旧字で書くのが相応(ふさわ)しい。

 肥田春充は悟った人物であり、生をコントロールした彼は死をもコントロールした。日本仏教が開いた禅的アプローチは後に「道」(武道、茶道、華道、歌道など)となるが、それを可能ならしめたのは「術」であった。すなわち仏道修行の「行」を「術」に変換することで「業」(ぎょう、ごう)へと昇華したところに独創の花が咲いた。それにしても武術の深さは際立つが、仏道修行の浅さはどういうわけか。

瀬島龍三スパイ説/『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治


『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 ・第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった
 ・瀬島龍三スパイ説

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 瀬島龍三は関東軍高級参謀であり、ジャリコーヴォの停戦会談に同行し、東京裁判にソ連側承認として出廷するなど、シベリア抑留では何かと話題になった人物である。瀬島についてはシベリ抑留密約説やソ連スパイ説のような疑惑が根強く流されている。
 しかし、スパイとなった菅原(道太郎)は昭和22年に、志位(正二)は昭和24年に帰国していることからもわかるように、「スパイに同意すれば早く帰す」が条件だった。そうでなければ帰国後スパイとして利用価値のある高い地位に昇進できないからだ。現に、「日本新聞」編集長だったコワレンコは、シベリア抑留者から徴募する「エージェントの条件は、まず頭が切れる人、そして帰国後高い地位に就ける人だ」とし、そういう人を【早期に帰還する】グループに入れたとインタビューで証言している。(共同通信社社会部編『沈黙のファイル』)。
 瀬島は「戦犯」として長期間勾留され11年後に帰還しているが、対日スパイなら監獄で長々と無駄飯を食わせず早期帰国させたはずだ。瀬島は職業軍人と受刑者という人生経験しかないのに48歳という中年で伊藤忠商事に入社し、20年でトップの会長にまで上り詰める異例の出世を遂げたし、中曽根内閣でブレーンになるなど政治の世界でも活躍した。結果的には「帰国後高い地位」に就いたとはいえ、これをしもKGBの深慮遠謀とはいえまい。

【『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治〈ながせ・りょうじ〉(新潮選書、2015年)】

瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 歴史の評価もさることながら人物の評価ですらかくも難しい。瀬島が寝返るのに11年を要したと考えれば長勢の見方は崩れる。一方、佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉は印象や状況証拠に基づいており具体性を欠く。

 佐々は父の弘雄〈ひろお〉が近衛文麿のブレーンであり尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉と親しかったことが人生に長い影を落としている。また親友の石原慎太郎を「一流の政治家」とする判断力に蒙(くら)さを感じないわけでもない。それでも捜査現場で培ってきた勘を侮るわけにはいかない。個人的には「スパイの可能性がある」にとどめておきたい。

 ある情報を上書き更新するためには古い情報を上回る情報量が必要となる。例えば私が東京裁判史観から抜け出すためには数十冊の本を必要とし、100冊を超えてからは確信に変わり、200冊を上回ってからは国史から世界史を逆照射することができるに至った。学校教育やメディアから受けてきた些末な左翼思想を払拭するのにもこれほどの時間を要するのである。

 本書は過剰な形容がないため見過ごしてしまいそうな箇所に重要な事実が隠されている。440ページの労作が電車賃程度の値段で買えるのだから破格といってよい。敗戦の現実、列強の横暴、共産主義の非道、日本人の精神性の脆さ、国家の無責任を知るための有益な教科書である。