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2020-09-19

人生の岐路/『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆


『政治を考える指標』辻清明
伊藤隆の藤岡信勝批判

 ・人生の岐路

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 6月15日、国会突入デモで樺美智子〈かんば・みちこ〉さんが亡くなった日のことはよく覚えています。
 樺さんは国史研究室の4年生でした。あの日、大学で樺さんに会った時、「卒論の準備は進んでいるか」と聞いたのです。あまり進んでいないようでした。
「何とかしなきゃな」と、私は言いました。
「でも伊藤さん、今日を最後にしますから、デモに行かせてください」と彼女は答えます。
「じゃあ、とにかくそれが終わったら卒論について話をしよう」
 そう言って、別れました。

【『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆〈いとう・たかし〉(中公新書、2015年)以下同】

 日常の何気ない選択が人生を決定的に変えることがある。もしもデモに参加していなければ樺美智子は長生きしたことだろう。ブントと訣別していた可能性もある。国史を研究していたわけだからひょっとすると保守論客になってもおかしくはない。今日の行き先次第では自分が死ぬこともあり得るのだ。

 その後、伊藤の提案で樺美智子合同慰霊祭が執り行われた。

 不謹慎な言い方かもしれませんが、60年安保の打ち上げとして最高のイベントになったと思いました。それで一切の政治活動をやめたのです。
 しばらくして佐藤(※誠三郎)君と、安保運動のイデオローグと言われた清水幾太郎〈しみず・いくたろう〉氏(1907~88)に会う機会がありました。東大赤門隣の学士会分館で、学習院大学教授となった香山健一〈こうやま・けんいち〉君や、全学連書記長だった小野寺正臣〈おのでら・まさおみ〉君、評論家になった森田実〈もりた・みのる〉君など、清水と行動を共にした人たちも一緒でした。佐藤君と香山君の付き合いからそうなったのだと思います。
 この時、清水幾太郎氏は、日本共産党に裏切られたと言って泣きました。それを見て私は、がっくりきました。闘争というものは負けたからといって泣くものじゃないだろう。そこで何かをつかんで、もう一度相手をやっつけるならわかる。だが、泣くものではない。しかもわれわれ若い奴に向かって泣くとは、と思ったことを覚えています。

 伊藤は新しい歴史教科書をつくる会にも参加しているが左翼からの評価も高い学者である。司馬遼太郎をやり込めたエピソードも綴られているが、静かな気骨を感じさせる人物だ。

 会話調の文章が読みやすく、史料学の大変さがよくわかる。予算が足りなくて頓挫した企画も多いようだ。史料の乏しい昭和史の道をオーラル・ヒストリーの手法で切り拓いた人物といってよい。一般人でも取っつきやすい作品として岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉にインタビューをした『昭和陸軍謀略秘史』(日本経済新聞出版、2015年/日本近代史料研究会、1977年『岩畔豪雄氏談話速記録』改題)がある。



樺美智子さんの「死の真相」 (60年安保の裏側で) ―60年安保闘争50周年 | ちきゅう座

二・二六事件を貫く空の論理/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

  二・二六事件を貫いているのは、ギリシア以来の論理ではなく、まさしく、この空(くう)の論理である。
 決起軍は反乱軍である。ゆえに、政府の転覆を図った。それと同時に、決起軍は反乱軍ではない。ゆえに、政府軍の指揮下に入った。
 決起軍は反乱軍であると同時に反乱軍ではない。ゆえに討伐軍に対峙しつつ正式に討伐軍から糧食などの支給をうける。
 決起軍は反乱軍でもなく、反乱軍でないのでもない。ゆえに、天皇の為に尽くせば尽くすほど天皇の怒りを買うというパラドックスのために自壊した。
 二・二六事件における何とも説明不可能なことは、すべて右の空(くう)の「論理」であますところなく説明される。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)以下同】

 面白い結論だが衒学的に過ぎる。三島の遺作となった『豊饒の海』から逆算すればかような結果が導かれるのだろう。だが仏教の「空」を持ち出してしまえば、それこそ全てが「空」となってしまう。

 青年将校の蹶起(けっき)に対して上官は理解を示した。4年前に起きた五・一五事件では国民が喝采をあげた。ここに感情の共有を見て取れる。例えるならば腹を空かせた子供が泣きながら親に抗議をするような姿ではなかったか。その子供が天皇の赤子(せきし)であり、親が天皇であるところに問題の複雑さがあった。当時の閣僚は言ってみれば天皇が任命した家宰(かさい)である。怒りの矛先が天皇に向かえば革命となってしまう。それゆえ青年将校の凶刃は閣僚に振り下ろされた。

 唯識論によれば、すべては識のあらわれであり、その根底にあるのが阿頼耶(アーラヤ)識
 しかし、もし、識(しき)などという実体が存在するなどと考えたら、これは仏教ではない。
 識(しき)もまた空(くう)であり、相依(そうい/相互関係)のなかにあり、刹那(せつな)に生じ、刹那に滅する。確固不動の識などありえないのだ。ゆえに、識のあらわれたる外界(肉体、社会、自然)もまた諸行無常なのだ。
 二・二六事件の経過もまた、諸行無常そのものであった。
 決行部隊のリーダーたる青年将校たちの運命たるやまるで、平家物語の現代版である。
 名もなき青年将校が、一夜あければ日本の運命をにぎり、将軍たちはおびえて彼らの頤使(いし)にあまんずる。昭和維新も目前かと思いきや、あえなく没落。法廷闘争も空しく銃殺されてゆく。この間の世の動き、心の悩み、何生(なんしょう)も数日で生きた感がしたはずだ。
 将軍たちの無定見、うろたえぶり、変わり身の早さ、海の波にもよく似たり。
 この間、巨巌のごとく不動であったのは天皇だけであった。
 天皇という巨巌にくだけて散った波。これが三島理論による二・二六事件の分析である。

 小室の正確な仏教知識に舌を巻く。天台・日蓮系では九識を立て、真言系では十識を設けるが実存にとらわれた過ちである。識とは鏡に映る像と考えればよい。鏡の向きは自分の興味や関心でクルクルと動く。何をどう見るかは欲望や業(ごう)で決まる。しかも自分では鏡と思い込んでいるのだが実体は水面(みなも)で、死をもって水は雲のように散り霧の如く消え去る。像や鏡の存在が確かなものであることを追求したのが西洋哲学だ。神が存在すると考える彼らは実存の罠に陥ってしまう。

 一神教(アブラハムの宗教)が死後の天国を信じるのと、バラモン教が輪廻する主体(アートマン)を設定するのは同じ発想に基づいている。ブッダは輪廻そのものを苦と捉えて解脱の道を開いた。諸法無我とは存在の解体である。「ある」という錯覚が妄想を生んで物語を形成する。人類は認知革命によって虚構を語り信じる能力を身につけた(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)。

 人は物語を生きる動物である(物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答)。合理性も感情も物語を彩る要素でしかない。我々が人生に求めるものは納得と感動である。異なる物語がぶつかると争いが起こる。国家や文化の違いが戦争へ向かい、敵を殺害することが正義となる。

 昭和維新は国家の物語と国民の物語が衝突した結果であったのだろう。しかし日本国にあって天皇という重石(おもし)が動くことはなかった。終戦の決断をしたのも天皇であり、戦後の日本人に希望を与えたのも天皇であった。戦争とは無縁な時代が長く続き、天皇陛下の存在は淡い霧のように見えなくなった。明治維新によって尊皇の精神から生まれた新生日本は、いつしか「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」(「果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年」三島由紀夫)となっていた。

 畏(おそ)れ多いことではあるが日本の天皇は極めて優れた統治システムである。西洋の王や教皇は権力をほしいままにして戦争を繰り返した。天皇に権威はあるが権力はない。王政や共和政だと国家が亡ぶことも珍しくない。日本が世界最古の国家であるのは天皇が御座(おわ)しますゆえである。日本の左翼が誤ったのは天皇制打倒を掲げたことに尽きる。尊皇社会民主主義に舵を切ればそれ相応の支持を集めることができるだろう。

 最後に一言。天皇陛下が靖国参拝を控えた理由は「A旧戦犯の合祀に不快感を示された」ためと2006年に報じられたが(天皇の親拝問題)、二・二六事件での御聖断を思えばそれはあり得ないだろう。



誰のための靖国参拝

2020-09-16

二・二六事件の矛盾/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 決行部隊の主張(Cause)は、かくのごとくもおそろしい矛盾(ジレンマ)を内包している。
 あるいは、このジレンマには、はじから目をつぶって、天皇を傀儡(かいらい/あやつり人形)化し、ただ唯々諾々(いいだくだく)、彼らの違憲に盲従させるとでも考えていたのか。
 彼らの旗印(はたじるし)のひとつは、天下も知るごとく、天皇親政である。
 では質問す。彼らが主張する「天皇親政」とは天皇を彼らのロボットとして自由にあやつって勝手気ままなことをなすことであったのか。
 これこそまさに、彼らが攻撃してやまない奸臣の所為ではないか。いや、それ以上だ。二・二六事件、五・一五事件の青年将校たちが、軍官のトップや財閥を奸臣ときめつけ殺そうとする理由は、これらの「奸臣」が天皇と国民のあいだに立ちはだかって国政を壟断(ろうだん)しているとみたからである。
 しかるに、決行部隊のリーダーたる青年将校の思想と行動は、右にみたごとく、畢竟(ひっきょう)、天皇のロボット化にゆきつかざるをえないことになる。
 この根本問題について、誰も本気になって考えてみない。いや、意識にすらのぼらなかったと言ったほうがいいだろう。
 かれ(ママ)ら青年将校の「尊皇」は、結局、「大逆」にゆきつき、「天皇親政」は、「天皇のロボット化」にゆきつく。
 青年将校たちは、こんなこと、夢にも思ってはいなかっただろう。
 しかし、気の毒千万ながら、かれら青年将校たちが、生命をすてて、ただ誠心誠意行動すればするほど、そのゆきつく果ては、こういうことになってしまうのである。
 では、なぜ、そんなことになってしまうのか。
 これを説明しうるのは、三島哲学をおいてほかにない。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)】

 二・二六事件で気を吐いた将校は石原莞爾〈いしわら・かんじ〉ただ一人であった。現場に駆けつけるや否や誰何(すいか)してきた兵士を怒鳴りつけている。そして蹶起(けっき)将校に同調していた荒木貞夫大将と真崎甚三郎大将を「こんなバカ大将がおって、勝手なまねをするもんだから、こんなことになるんです」罵倒した。

 事件後、帝国ホテルのロビーで三者会談が行われた。橋本欣五郎大佐、石原莞爾大佐、満井佐吉中佐の顔ぶれで、彼らは次の首相を誰にするかを相談した。橋本は建川美次〈たてかわ・よしつぐ〉中将、石原は東久邇宮、満井は真崎甚三郎大将を推した。利害絡みの思惑が一致することはなかった。

 青年将校を衝き動かしたのは止むに止まれぬ感情であった。論理は後付で北一輝が補強した。貧困は悲惨だ。人々から人間性を剥(は)ぎ取り獣性に追いやる。義侠心は暴力の温床となりやすい。不幸を目の当たりにすればムラムラと怒りが湧いてくるのは人間性の発露といってよい。

 小室は論理の陥穽(かんせい)を突く。義憤は視野を狭(せば)める。目的が暴力を正当化し、怒りはテロ行為へと飛躍する。天皇親政を目指した彼らの行為は共産革命そのものだった。

 そしてまた石原らの密謀は憲法に謳われた天皇の任免権を犯すものだった。小室の筆は矛盾を刺し貫く。昭和初期は天皇陛下を仰ぎながらも一方で神輿(みこし)のように上げ下げしようとした時代であった。

2020-09-11

日本人の致命的な曖昧さ/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 そもそも(※二・二六事件の)決行部隊と正規軍との関係はいかなるものであったろうか。
 名前こそ“決行部隊”などとはいっても、勝手に軍隊を動かして、政府高官を殺し、首都の要衝を占領しているのである。いま仮に正当性の問題をしばらく措(お)いても、決行部隊は、反乱軍か、さもなくんば、革命軍(「維新軍」といってもよい)である。正規軍(政府軍)とは敵味方の関係である。生命がけで戦って、決行部隊が負ければ反乱軍として討伐され、勝てば、革命軍として新しい政府をつくる。
 これ以外の論理は、全くありえない。
 日本でも外国でも、これ以外の論理は、あったためしがない。その、ありうるはずのないことが、昭和11年2月26日の夜に起きた。(中略)
 決行部隊は、正規軍たる歩兵第三連隊長たる渋谷大佐の指揮下に入って、なんと、警備隊にくみこまれたのであった。
 想像を絶する出来ごとである。
 クロムウェルの鉄騎兵が、チャールズ二世の麾下(きか)に加わり、ロンドンを警備するようなものではないか。政府を潰滅(かいめつ)させ、東京を占領した決行部隊が、【政府】軍の指揮下に入って、自分たちが軍事占領している東京の警備にあたるというのである。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)以下同】

 二・二六事件を三島理論で読み解くという意欲的な試みである。宗教に造詣の深い小室ならではの着眼で、唯識を通した現象論を展開している。

 世界恐慌(1929年/昭和4年)は既に関東大震災(1923年/大正12年)、昭和金融恐慌(1927年/昭和2年)で弱体化していた日本経済に深刻な打撃を与えた。東北地方は1931-35年(昭和6-10年)にかけて冷害で大凶作となった。1933年(昭和8年)には昭和三陸地震で岩手県を中心に30メートル近い津波に襲われた。

 そのため恐慌時に打撃を受けていた農家経済はさらに悪化し、木の実や草の根を食糧とせざるをえない家庭や、身売りする娘、欠食児童の数が急増した。芸妓(げいぎ)、娼妓(しょうぎ)、酌婦、女給になった娘たちの数は、33年末から1か年の間に、東北六県で1万6000余名に達している。

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

二・二六事件と共産主義の親和性/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『親なるもの 断崖』曽根富美子

 東北出身の兵士はじっとしていることができなかった。自分の姉や妹が芸者として売られているのである。戦時中の慰安婦は職業であったが、当時の性産業は奴隷のような扱いをしていたと考えて差し支えない。避妊すらまともに行われていなかった。

 格差が革命の導火線となることは必定である。そもそも動物の群れを支えているのは平等原則なのだ(チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。第一次世界大戦に敗れたドイツをいじめ過ぎてヒトラーが登場したのは歴史の必然と言ってよい。

 渦中の1932年(昭和7年)に血盟団事件五・一五事件が起こる。昭和維新の激流は二・二六事件へと至るが、天皇という巌(いわお)の前に水しぶきとなって弾けた。

「警備」が必要になったというのも、もともと、決起部隊が、政府を消滅させ、東京を占領したからではないのか。かかる事態に対処するために警備が必要になったというのに、ことを起こしたご当人が、その警備役を買って出るというのだから、放火魔に火の用心をさせるようなものだ。
 もっと重大なことはこれだ。
 かくまで、ありうべからざる事態に直面して、軍首脳が、これは不思議だとは思わないことである。
 軍首脳のほとんどは、「反乱軍」をそのまま正規軍にくみ入れるなんて、そんなベラボーな、と思うかわりに、これは名案だとばかりにとびついた。いきりたっている決行部隊を正規軍の指揮下に入れれば、気もやすまって、もうあばれないだろう、というのである。
 いずれにせよ、なんでこんなベラボーといっても足りないことが起きたのか。その合法的根拠は、いったい、どこにあるのか。
 それは、戦時警備令による。
「戦時警備令」によって、決行部隊は、「合法的」に警備隊の一部に編入された。
 歩兵第三連隊長の渋谷大佐もこれを許可し、決行部隊の側でも、ヤレヤレこれで官軍になれたワイとよろこんだ。
 ここに、われわれは、「日本人の法意識」を、端的にみる思いがする。
 決行部隊は、日本政府を潰滅させ、東京を軍事力で占領した。
 これが合法的であるはずはない。決行部隊は、大日本帝国の法律を蹂躙(じゅうりん)した。これは、たいへんな日本帝国にたいする挑戦である。しかし、彼らのイデオロギーからすれば、国家の法律なんかよりも、「尊王」「討奸」の大義のほうがずっと重いのである。
 でも彼らの行為は非合法である。
 だれだってわかる。
 まして、陛下の軍隊を勝手に動かした。
 これは軍人的センスからいえば、非合法のなかでも、最大の非合法である。ほかのどんな非合法が許せても、この非合法だけは、断じて許すことはできない。大逆罪以上の大罪なのである。
 決行部隊は、すでにこの大罪をおかしている。
 これは、大日本帝国の法に対する真っ向からの挑戦である。
 欧米的センスからすると、彼らの行為は、大日本帝国そのものの否定ということにほかならない。
 いや、天皇の地位の否定とも解釈されかねない。いや、ほとんど確実に、このように解釈されることであろう。

 彼らは尊皇・討奸を掲げながら天皇に弓を引いた。二・二六事件を知った天皇は激怒した。自ら賊を討ちにゆこうとされた。青年将校らに同情的だった軍首脳は慌てふためいた。

 当時の政党政治の腐敗に対する反感から犯人の将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、将校たちへの判決は軽いものとなった。このことが二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押ししたと言われ、二・二六事件の反乱将校たちは投降後も量刑について非常に楽観視していたことが二・二六将校の一人磯部浅一の獄中日記によって伺える。

Wikipedia

 国民の人気ほど当てにならないものはない。民草はいともたやすく風になびく。助命嘆願運動に責任があったとは思えない。時代の暗がりの中でヒーローと錯覚しただけの話だろう。

 日本人の致命的な曖昧さは今日に至っても変わることがない。例えば朝日新聞の慰安婦捏造記事だ。日本人の信頼を地に落とし、どれほど国益を毀損したか測り知れない。木村伊量〈きむら・ただかず〉社長の辞任などで到底収まる話ではない。しかも英語版では執拗に「従軍慰安婦」の記事を配信し続けたのだ。発行停止処分にするべきだった。

 また慰安婦に関して言えば、外務省の誰が「comfort woman」と訳したのか? この語訳が国際理解を得られるはずもない。翻訳した者を投獄するのが当然だろう。

 尖閣諸島問題も同様で日中国交回復(1972年)の際、田中角栄首相は日本の領土であることをはっきりと言わなかったことに端を発している。自民党の首相は内弁慶ばかりで外国へゆくと相手の顔色を窺うの常だ。

 官僚は江戸時代であれば侍である。国益を損なうようなことがあれば切腹するのが当然だという意識を持つべきだ。

 昭和維新の余韻は宮城事件(1945年終戦前日)にまでつながった。



二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2020-08-17

宇宙と素粒子のスケール/『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』村山斉


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 ・宇宙と素粒子のスケール

・『宇宙は本当にひとつなのか 最新宇宙論入門』村山斉

 もちろん、物質を原子レベルまでバラバラにするのは容易ではありません。たとえば直径10センチメートルのリンゴをバラバラにすると、ざっと1026個ぐらいの原子になります。どんなに鋭いナイフで刻んでも(その刃は必ず原子より大きいので)無理ですね。
 ちなみに、リンゴ1個と原子1個の大きさの比は、天の川銀河と地球の軌道の大きさの比と同じぐらい。天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさしかないということです。
 さて、原子1個の直径は10-10メートル。かつては、これが「この世でいちばん小さいもの=素粒子」だと考えられていました。
 しかし、やがて原子にも「内部構造」がある――つまり「もっとバラバラにできる」ことが判明します。原子の中心には「原子核」と呼ばれるものがあり、そのまわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10-10メートル)」とは、電子が回る軌道の直径だったわけです。
 そして、電子の軌道から原子核までの距離は、決して近くありません。地球と人工衛星ぐらいの距離感をイメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに小さく、10-15メートル。電子の軌道の10万分の1です。もちろんミクロの世界の話ですから、私たちの目から見ればどちらも同じようなものですが、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。
 この原子核の発見によって、「素粒子」のサイズは一気に小さくなりました。ところが、話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。
 その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、クォークこそが真の「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても10-19メートル。かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真ん中にある原子核とも4桁違うのです。
 さらに重力と電磁気力、そしてあとで説明する強い力と弱い力も統一すると期待されている「ひも理論」では、素粒子の大きさは10-35メートルだと考えられています。

 宇宙は1027メートル、素粒子は10-35メートル。この途方もないスケールが、私たちが存在する自然界の「幅」ということになります。その両端にある宇宙研究と素粒子研究のあいだには62桁もの距離がある、と言ってもいいでしょう。

【『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』村山斉〈むらやま・ひとし〉(幻冬舎新書、2010年)】

 するってえと1万メートルを基準にすればべき乗は31で釣り合うことになるわけだな。1メートルを基準にするのはヒトの身長に合わせたもの。あるいはヒトの視力と言ってもいいだろう。1メートルの大きさなら、かなり離れてもよく見える。

 一番驚かされたのはミクロ世界の方が8桁もの奥行きがあることだ。真に広大なのは外なる宇宙ではなく微小な宇宙とは俄(にわか)に信じ難い。しかもその全てが、物質もエネルギーも光も性質も性格も本を正せば一点から生じたのである。これに優る不思議はない。

 宇宙の営みは素粒子の移動とエネルギーの変換といえよう。その壮大さを思えば歴史や心理の意味も色褪せる。諸行は一瞬もとどまることなく移ろい、常ならざる様相を展開する。感情は人生に重みを与えるが進化の産物であり、集団内部で生存率を高めるところに本来の目的がある。



2乗や3乗などのn乗(べき乗)をHTMLで表示する方法 | DEVRECO

2020-07-29

ヴァン・リード「生麦事件は自業自得」/『史実を歩く』吉村昭


『破獄』吉村昭

 ・ヴァン・リード「生麦事件は自業自得」

・『生麦事件』吉村昭

 生麦事件の資料を収集している間に、二人の特異な人物が浮び上るのを感じた。
 一人は、事件当時、アメリカ領事館の書記生をしていたアメリカ人ヴァン・リードである。
 島津久光の行列が、高輪の薩摩藩下屋敷を出立し、品川宿、川崎宿を過ぎ、先導組が鶴見村の橋にかかった時、前方から茶色い馬に乗ってやってくる外国人が見えた。ヴァン・リードである。
 先導組の藩士たちは激しい憎悪の眼をむけたが、ヴァン・リードは行列が近づくのを見て馬から降り、馬を街道から畠の中に引き入れた。
 さらに先導組が進んでくると、かれは羽毛のついた青い帽子を脱ぎ、さらに帽子を胸にあてて片膝を突いた。先払いが近づき、かれは頭をさげた。
 それは、大名行列に対して畏敬の念をしめすもので、先導組の藩士たちは、横眼で見ながら通りすぎた。
 ヴァン・リードは、つづいてやってきた行列の本隊と後続組にも同じ姿勢をとりつづけ、何事もなく行列は過ぎ、かれは再び馬に乗って川崎方面にむかった。
 この行為について、後に外務大臣となる林董〈はやし・ただす〉は、
「予が知れるヴァンリードと云ふ米人は、日本語を解し、頗る日本通を以て自任したるが、リチャードソン等よりも前に島津の行列に逢ひ、直に下馬して馬の口を執り、道の傍に停り駕の通る時脱帽して敬礼し、何事なく江戸に到着したる後、リチャードソンの生麦事件を聞き、日本の風を知らずして倨傲無礼の為めに殃(わざはひ)を被りたるは、是れ自業自得なりと予に語れり」
 という談話を残している。

【『史実を歩く』吉村昭(文春新書、1998年/文春文庫、2008年)】

 吉村昭が苦手である。読み終えた作品は『破獄』一冊のみ。たぶん5~6冊ほど手に取ったが数十ページも読むことができなかった。私にとっては相性の悪い作家だが、冒頭の“「破獄」の史実調査”で引き込まれた。淡々と綴られた文章が鈍い銀色を放っていた。人と人との不思議な邂逅(かいこう)をモノクロ写真のように描いている。敢えて色彩を落とすところにこの人の味がある。

 生麦という地名がまだ残っていることを一昨年知った。横浜市内をクルマで走っていた時に経路案内の標識に「生麦」と出てきたのだ。思わず「生麦!」と大きな声に出した。同乗していた若者に「これは生麦事件の生麦だよね」と訊いたら、「そういうのわかんないんスけど」で終わった。ま、「早口言葉ですか?」と言わなかっただけまだいい。

 生麦事件は日本文化を理解しない西洋人が犯した非礼が発端となっている。


 個人的には4人のイギリス人に対して1名殺害、2名重症、1名逃亡という結果はだらしがないように思う。で、当時から文化的な衝突であったことはよく知られていた。

 また当時の『ニューヨーク・タイムズ』は「この事件の非はリチャードソンにある。日本の最も主要な通りである東海道で日本の主要な貴族に対する無礼な行動をとることは、外国人どころか日本臣民でさえ許されていなかった。条約は彼に在居と貿易の自由を与えたが、日本の法や慣習を犯す権利を与えたわけではない。」と評している。(中略)
 事件直後に現場に駆けつけたウィリス医師はリチャードソンの遺体の惨状に心を痛め、戦争をも辞すべきでないとする強硬論を持ちながらも、一方で兄への手紙にこう書いている。「誇り高い日本人にとって、最も凡俗な外国人から自分の面前で人を罵倒するような尊大な態度をとられることは、さぞ耐え難い屈辱であるに違いありません。先の痛ましい生麦事件によって、あのような外国人の振舞いが危険だということが判明しなかったならば、ブラウンとかジェームズとかロバートソンといった男が、先頭には大君が、しんがりには天皇がいるような行列の中でも平気で馬を走らせるのではないかと、私は強い疑念をいだいているのです」

Wikipedia

 生麦事件は翌年(文久3年/1863年)薩英戦争に発展する。同年、長州藩が下関戦争を起こしている。ここで歴史が予想しない方向に跳ねた。薩摩藩とイギリスが気脈を通じ最先端技術が入ってくるのである。幕府は生麦事件の賠償金10万ポンド(44万ドル=27万両)と下関戦争の賠償金(300万ドルのうち150万ドル=94万両)を支払わされた。当時の10万ポンドは現在の200億円に相当する。つまり幕府は800億円強の負債を抱え込んだことになる。これが幕府崩壊のボディブローとして決定的なダメージを残した(『お金で読み解く明治維新』大村大次郎、2018年)。

 150年後、尖閣諸島周辺で中国公船が領海侵犯を100日以上続けても、我々は日々報じられるニュースの一つとしてしか感じられなくなってしまった。

 生麦事件は私が生まれるちょうど100年前の出来事である。

2020-07-27

成人病が生活習慣病に変わった理由/『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大
『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎

 ・成人病が生活習慣病に変わった理由

・『日本人の身体』安田登

小池●かつて「成人病」という語がありましたが、あれが今は「生活習慣病」になっていますよね。名前が変わった理由は、成人だからかかるのではなく、「生活習慣が原因だから」というのが、表面的な理由ですが、実はもっと深い理由があります。
 それは成人になったら誰もがしようがなくかかってしまうものならば、国や他人が面倒を見なきゃいけない。けれども生活習慣病という概念になった途端、「おまえの生活習慣が悪いから病気になったのだから、おまえの責任だ」といえてしまえる。つまり、自己責任の時代が来たんだという意味があるというものです。これは当然医療経済的な意味もあるわけで、ただ単に原因論的な名前に変わったという以上の意味があるわけです。そして一方で「生活習慣」といわれても急に変えられる人は少ないのが実情です。そうなると理想とはうらはらに「自己責任」にもどついてクスリで何とかしようと考える人も出てくるわけです。「急がば回れ」の反対の姿勢です。すると生活改善による予防を目的とした数値が、いつしか薬物治療の目標値になってしまうわけです。
 そうなると反対に病気でもないのに無理やり病気みたいに扱われてしまうこともありえるわけです。

【『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、小池弘人〈こいけ・ひろと〉(集英社新書、2013年)】

 厚生省(当時)が生活習慣病との改称を提唱したのは1996年12月18日のことである(生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申))。厚生大臣は菅直人(新党さきがけ)から小泉純一郎(自民)に変わった直後だ(11月7日就任)。大臣主導というよりは橋本内閣が掲げた「六つの改革」を踏襲したものだろう。

 但し、疾病の発症には、「生活習慣要因」のみならず「遺伝要因」、「外部環境要因」など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、「病気になったのは個人の責任」といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある。

生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)

 つまり厚生省(当時)は「疾病原因は生活習慣に限らない」が「生活習慣病」と呼ぶよう促しているのだ。支離滅裂である。現在、健康診断などの問診票を見ても自己責任を問う内容が増えており、運動をしていない人には自己嫌悪を覚えるような代物となっている。

 玄米食に興味を抱いている時に読んだ本なので今見返すと随分印象が違う。玄米は解毒性が強いため長期間にわたって摂取するのは問題があると私は考える(玄米の解毒作用)。本当に玄米が体にいいのであれば糠(ぬか)を食べればいいだけのことだ。生野菜も勧めているが短期間の感覚を重視するのは極めて危うい。

 身体(しんたい)や病気に関することで「これが正しい」との主張は眉に唾をした方がよい。体は人によって違うのだから。

2020-07-20

体と思考/『体の知性を取り戻す』尹雄大


 ・体と思考

『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎
『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命

 体よりも思考が重視されている世の中では、現実と出会うのはなかなか難しい。私たちが「これが現実だ」と言うとき、他人とのあいだで共通認識が取り結べ、必ず頭が理解できる程度のものになっているからだ。いわば【頭の理解に基づく社会的な現実】と言っていい。それは【体にとっての現実】とは違う。
 体の現実とはつかの間、感覚的にのみ垣間見えるものかもしれない。たとえば火にかけた薬缶(やかん)に触れてパッと手を離すとき、のんびりと「熱い」などと認識していないはずだ。手を離す行為と感覚が現実の出来事にぴたりと合っていて、そこに「熱い」という判断の入る余地はない。
 それでも私たちは「熱いと感じて、思わず手を離した」と自分や他人に向けて言う。それは常に後から振り返った説明なのだ。「感じた」と言葉で言ってしまえるのは、リアルタイムではなく、認識された過去の出来事にすぎない。というのは、現実は「~してから~した」といった悠長な認識の流れで進んではいないからだ。「間髪を入れず」というように、髪の毛ほどの隙間もないのが現実だ。
 つまり私たちにとっての現実は、常に言葉にならない感覚の移ろいでしかない。わずかにその変化を掴むことで、現実の一端を知ることができる。

【『体の知性を取り戻す』尹雄大〈ユン・ウンデ〉(講談社現代新書、2014年)】

 入力しながら気になったのだが一般的には「手放す」と書くので「手を離す」は誤字かと思いきや、そうではなかった(「離す」と「放す」 - 違いがわかる事典)。

 尹雄大〈ユン・ウンデ〉はスポーツ選手のインタビュアーを生業(なりわい)としているが、格闘技や武術を嗜(たしな)んでいるので思考の足がしっかりと地についている。全体的には社会に対する違和感を体の緊張として捉え、哲学的に読み解こうとしている。

「頭の理解に基づく社会的な現実」や「認識された過去の出来事」といった表現に蒙(もう)を啓(ひら)かれる思いがする。脳は妄想装置である。その最たるものが政治や軍事におけるリアリズムであろう。民意や国際合意の捉え方次第でクルクル動く現実だ。認識が過去であるならば唯識は現在性を見失っていることになる。識とは受信機能である。しかも知覚は常に遅れを伴う(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 悩みは過去であり、希望は未来である。どちらも現在性を見失った姿だ。人は過ぎ去った過去と未だ来ない未来を想像し苦楽を味わう。存在しないものを信じるという点では一神教の神とよく似ている。信ずる者は掬(すく)われる。足元を。

 おしなべて思考のトレースがわかりやすい言葉で書かれていて着眼点も鋭い。必読書に入れようと思ったのだが「あとがき」に余計な一言があったのでやめた。

2020-07-13

金融工学という偽り/『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人


『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
鉄オタ父子鷹と思いきや……原丈人が描く壮大な日本の未来図
原丈人〈はら・じょうじ〉の父と祖父

 ・金融工学という偽り

・『「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉』原丈人

必読書リスト その二

 だが、そのようにして金融ばかりを大きくすればするほど、実業の部分はどんどん疎(おろそ)かにされ、力を失っていく。金融に都合のいい仕組みを振りまわせば振りまわすほど、価値の源泉を踏みにじり、壊してしまう。そこで、「金融工学」なるものを駆使して、お金がお金を生む方法ばかりを加速させるしかなくなってしまったのである。
 この金融工学が、また曲者(くせもの)である。なぜなら、まず経済学そのものが、「完全競争」「参入障壁はない」などといった、いくつものありえない話を構築しているものだからである。前提が狂ってしまったら、すべてが文字どおり台無しだ。「サブプライムローンがあれほどの破綻(はたん)に見舞われたのも、その前提が間違っていたから」というのは、まさに象徴的だろう。
 そのような架空の前提に立って、さらに数式で表現できない部分を捨て去ることで組み立てられているものこそ「金融工学」なのである。
 端的にいおう。「幸せ」を数式で表すことができるだろうか。人間の感情を数式で表すことができるだろうか。新しい技術の芽はどこにあるかを数式が教えてくれるだろうか。たとえば、社員の家族の健康まできちんと見てくれるような経営であれば、みんな喜ぶだろうが、社員の家族の健康と株価をどう評価できるだろう。

【『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人〈はら・じょうじ〉(PHP新書、2009年)】

21世紀の国富論』(平凡社、2007年)は挫折していたので、やや腰が引けたのだが驚くほど読みやすく、動画の語り口そのものだった。原丈人〈はら・じょうじ〉は威勢がいい。気持ちのよい躍動感がある。更に実務的で観念を弄(もてあそ)ぶところがない。そして見逃すことができないのは相槌の深さである。「この人は武士だな」と私は直観した。

 新自由主義に異を唱えた人物としては宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉が有名だが、原はより具体的かつ実際的にアメリカ型の株主資本主義の誤りを説く。

 経済学の基本的な考え方だと「会社は株主のもの」である。会社の目的は利潤追求だから株主利益を最大化するのが社長の仕事となる。しかもアメリカ型経営ではヘッドハンティングで経営者の首をすげ替えることが日常的に行われている。経営と労働が棲み分けされているのだ。経営者はより短期間で収益を上げることを求められるので一番簡単なコストカットに手を染める。こうして工場は低賃金の海外へ誘致され、技術が流出する。日本のメーカーも同じ道を歩み、そして日本経済の地盤沈下が今も尚続いている。

 原が提唱するのは「公益資本主義」だ。会社は社会の公器であり、社中(しゃちゅう/社員・顧客・仕入先・地域社会・地球)に貢献することで企業価値を上げる。日本の伝統的な価値観ではあるが、多くの企業がバブル崩壊以降これを否定してきた。その結果としてもたらされたのが経済格差である。

 文明の発達は移動・通信を飛躍的に進化させ、国家という枠組みが融(と)け始めた。しかしながら国際ビジネスで行われているのは国力を背景にした熾烈な競争であり、その実態は経済戦争である。一方でGDP世界第2位までに経済発展した中国は一国二制度の約束を踏みにじり香港を弾圧している。中国では国家の枠組みを強化し、アメリカの衰退を待ち構えている。社会主義国は国家の負の側面を見事に象徴している。

 経済の語源は経世済民(けいせいさいみん)である。「世を経(おさ)め民を済(すく)う」と読む。経済とは利益分配に尽きると私は考える(チンパンジーの利益分配)。なぜ分配する必要があるのか? それは集団を維持するためだ。数十人単位で移動しながら生活していた古代を想像すればいい。集団は分業を可能にし子孫の生存率を高める。集団であれば他集団からの暴力にも対抗できる。一匹狼という言葉はあるが実際に一匹で生きる狼は存在しない。そもそも子ができないだろう。人類の集団は中世において国家へと成長を遂げた。これを超えることはないだろう。世界政府は言語や宗教を思えば現実的ではない。分裂と統合を繰り返すのが人間にはお似合いだ。

 リーマン・ショック以降、各国の中央銀行が驚くべき量の金融緩和をしているにもかかわらず景気が上向かない。マネーがどこかで堰(せ)き止められているのだ。ダムとなっているのは会社と金融市場である。緩和マネーは社内留保となって動きを失い、余剰マネーはマーケットに流れ込んで高い株価を支えている。

 戦争の原因は寒冷化にあるというのが私の持論だが、経済的な冷え込みは寒冷時の食物不足と同じ意味を持つと考えてよい。

 アメリカでは2011年に「ウォール街を占拠せよ」の運動が興(おこ)り、今年になって「ブラック・ライヴズ・マター」(BLM)が猛威を振るっている。前者はリベラルな抵抗であったが、後者は単なる破壊活動で左翼の存在がちらついている。ただ、いずれにしても格差が背景にあることは間違いないだろう。金融工学の成れの果てを見ている心地がする。



農業の産業化ができない日本/『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇

2020-07-04

法定通貨が政府の「信用」で成り立っているという誤解/『今だからこそ、知りたい「仮想通貨」の真実』渡邉哲也


『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン
『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

 ・法定通貨が政府の「信用」で成り立っているという誤解

 インターネット上で流通し、お金のように取引されている「仮想通貨」は、中郷銀行や金融機関を経由せずに取引されるデジタルデータで「紙幣」も「貨幣」もなく、国家による価値の保証もありません。しかし、専門の取引所(仮想通貨取引所)で円やドルなどの法定通貨に交換可能で、価格が大きく値上がりし、億単位の利益を得た「億(おく)り人(びと)」も登場したことで話題になり、仮想通貨の取引を始める人が増えました。

【『今だからこそ、知りたい「仮想通貨」の真実』渡邉哲也〈わたなべ・てつや〉(WAC BUNKO、2018年)】

 正確には暗号通貨(crypto currency)である。仮想通貨という言葉は現代のマネーシステムが仮想である事実を見失わせるので好ましくない。渡邉の著書は粗製乱造気味で食指が伸びない。本書もさほど期待せずに読んだのだが暗号通貨の取引をやめる契機になった。専門家はおしなべてブロックチェーン技術は優れているが暗号通貨そのものは危ういと説く。渡邉の主張は中央銀行がブロックチェーンを導入すれば現在流通しているデジタル通貨は吹き飛ばされるというものだ。確かに一定の説得力はある。

 今回紹介したいのは以下のテキストである。

 かつては紙幣は金や銀などと交換することができた。しかし現在流通しているドルや円は政府が何とも交換することのない不換紙幣である。「何もしない」ということが不換貨幣のそもそもの意味である。保証も何もあるはずがない。政府は逆に紙幣印刷でそれを暴落させることはするだろう。

 法定通貨が政府の「信用」で成り立っていると主張する人々もいるがこれも完全な間違いである。信用とは基本的に将来何かしてくれるかどうかという意味である。したがって紙幣における信用とは「紙幣を持っていけば政府が何か(例えばゴールド)と交換してくれる」信用があるという意味であり、何とも交換してはくれない不換紙幣にはそもそも信用という概念さえ存在しない。

 円やドルはファンダメンタルズで考えれば金本位制を廃止した時点で価値がゼロになっていなければおかしいのである。(あるいは紙としての価値は残るだろう。)現在の法定通貨は信用ではなく、単に完全なバブルによって成り立っている。

ジム・ロジャーズ氏: 仮想通貨の価値はゼロになる | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート

 これは難しい問題だ。ペイオフ解禁で預金の最低保証は1000万円までとなった。預金保険機構による保証は政府保証と考えてよい。ニクソン・ショック(1971年)でドルはゴールドの裏づけを失ったが、これは通貨の価値を変動相場制に委ねたことを意味する。現実にはアメリカ政府がドルとゴールドを交換することはないわけだが、マーケットや販売所にゆけば交換(トレード)できる。つまり国民がドルの価値を信用することで経済活動が成り立っているのだ。一方のゴールドを支えているのはその稀少性で、現在までの採掘量はオリンピックプール4杯分に満たない(3.8杯分)。マネーの価値はインフレ率分だけ年々下がっていくが、ゴールドは更なる高値を目指すことだろう。なぜなら中国がゴールドを買いまくっているためだ。そして世界各国の通貨の信用が剥げ落ちた時、ゴールド価格は想像を超える高値をつけるに違いない。

「信用という概念さえ存在しない」との指摘はどうか? 銀行が信用創造をしていることを踏まえれば「信用は機能している」と言えよう。ではニクソン・ショックをどう考えるべきなのか? アメリカ政府は1オンス35ドルの兌換(だかん)をやめたわけだが、現在ゴールドの価格は1オンス1800ドルとなっている。約半世紀でゴールド価格は51倍になった。逆に考えればドルの価値が1/51になったとも言える。対円だと360円から107.5円(今現在)に下がっている。円の価値は米ドルに対して3.35倍の価値が上がったわけだ。

 リーマン・ショック(2008年)以降、世界各国の中央銀行は量的緩和を行ってきた。わかりやすく言えば紙幣を刷りまくったわけだ(実際に印刷しているわけではない)。通貨の供給量が増えるわけだからコモディティ(商品)の相対的価値が上がる。ところがインフレ傾向にあるのは株価だけだ。デフレ後の経済は奇々怪々な状況を呈しており、ヘリコプターマネーは富豪の資産や大企業の内部留保となってとどまっている。川の流れが途絶えれば緑野は砂漠と化し、人体の血流が悪くなると冷え性が生じ、やがては動脈硬化・脳梗塞などを起こす。

 政治が格差を是正できなければ低所得者は社会主義になびくことだろう。左翼にとっては好機到来である。ソ連の崩壊で自由主義・資本主義が勝利したものと思い込んでいたが、もう少し長いスパンで見なければ本当の勝敗はわからない。

2020-06-29

税務調査を恐れる必要はない/『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】』大村大次郎


『お坊さんはなぜ領収書を出さないのか』大村大次郎
・『あらゆる領収書は経費で落とせる』大村大次郎

 ・税務調査を恐れる必要はない

『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎
・『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
・『起業のためのお金の教科書』大村大次郎
『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎
『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎
『お金で読み解く明治維新 薩摩、長州の倒幕資金のひみつ』大村大次郎
『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎
『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎
・『知らないと損する給与明細』大村大次郎

 所得控除の中には、雑損控除というものもあります。
 雑損控除というのは、災害、盗難、横領で、生活上の資産の被害を受けた場合に受けられる控除のことです。
 この雑損控除、一般の人はあまりご存知ないですよね? サラリーマンの方などもほとんど知らないのではないでしょうか?
 でもサラリーマンの方もちゃんと使えるのです。
 災害や盗難などの被害に遭った場合、その損失額が5万円以上だったら、控除の対象となるのです。スリに財布を盗まれたような場合も該当します。
 王女できる額は(被害額-5万円)です。
 たとえば、盗難に遭って50万円の被害に遭ったとします。この場合は、
 50万円-5万円=45万円
 この45万円を、所得から控除できるのです。税額にすれば、だいたい5万円から数十万円の還付になります。ただ詐欺による被害はダメです。詐欺の場合には自己責任の部分もあるということでしょうか。

【『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(中公新書ラクレ、2012年)】

「税金は国家と国民の最大のコミュニケーション」(小室直樹)である。国家は道路を始めとするインフラや安全保障を提供し、国民は税と兵役を提供する。この交換関係・契約関係に国家-国民の基盤がある。元税務調査員の大村(仮名)がなぜ節税を勧めるのだろうか? それは日本が税を支払うに値しない国家であるからだ。メディアが情報の取捨選択をすることで大衆は目隠しをされている現状がある。昨年、消費税が10%に増税されたが、新聞・テレビはこれを推進し、国民は「やむなし」と判断した。大規模な反対運動やデモは起こっていないゆえ国民は合意したと判断できる。私はこれが日本を崩壊に導く楔(くさび)になったと考える。

 税務調査員には扶養家族が多いという。なぜなら別居でも扶養家族に入れることができるからだ。初耳だ。別居している親が年金収入一人約120万円以下であれば不要家族にすることができる。仕送り額の明確なルールは存在しない。また当然ではあるががフリーターやニートの子供も扶養家族にできる。大体、38~63万円の扶養控除が受けられる。更に夫が失業した場合、パートタイマーであっても妻の扶養家族にすることができる。

 領収書というのは、経費を証明する、重要な証票類ではあります。しかし、これがなくては絶対に経費として認められないのか、というとそうではないのです。実際に支払いがあるのなら、領収書がなくても経費として認められるのです。(中略)
 ですから、ちょっとした支払いや買い物ならば、レシートで十分なのです。レシートには、その支払内容と金額、日付などが明記されていますから、証票類として立派にその役目を果たすのです。
 何かの支払いをしたときに、必ず領収書をもらわなくてはならない、と思っている方も多いようですが、決してそうではありません。コンビニなどでも、わざわざ領収書をもらっている方をときどき見かけますが、あれはまったく無駄なことです。

 これは知っていた。レシートもない場合はメモ書きで十分だ。領収書の法的規定はない。要は事業に必要な経費として「いつ」「いくら」「何に」使ったかを証明できればいいわけだ。

 そして税金の申告は、原則として申告通りに認められます。つまり、納税者が申告した内容は、原則として認められるということです。税務当局は、申告内容に間違いがあるときに限って、それを修正させたり追徴したりできるわけです。
 つまり、納税者が「自分の申告が正しい」という証明をしなければ申告が認められないのではなく、税務当局がその申告が正しくないという証明をしない限り、申告は認められるのです。
 ということは、概算での申告であっても、一旦、申告は認められます。そしてその申告に誤りがあったときに初めて修正されたり、追徴されたりするわけです。

 税務調査と聞いただけで社長や個人事業主は震え上がってしまうものだが、実はそれほど恐れる必要はないことがわかった。ビクビクしてしまえば相手はそこに付け込んでくる。連中の仕事は「違反を見つてなんぼ」の世界である。思い上がったクズが多いようなので、一朝事が起こった場合は刺し違えてみせるほどの気概を見せておいた方がいいだろう。

 納税を年貢意識で支払っていれば国民が国家の主体となることはない。税務署の捕捉率は「トーゴーサン(10:5:3)」と言われる。サラリーマンは10割、自営業者は5割、農家が3割の所得を捕捉されているという意味だ。サラリーマンは源泉徴収で所得は完全にガラス張りだ。自営業者と農家は労働人口の1割ちょっとである。彼らが優遇されているのはどう考えてもおかしい。自民党が農家に甘いことはよく覚えておくべきだろう。

 大村は国民目線で税の不平等を指摘し続けている。高橋洋一でさえ言っていないような事実も多い。特に一貫して大企業や金持ち優遇のメカニズムを暴露している。立派な国をつくるためには国民が賢くなるしかない。なぜなら民主政で選ばれた政治家は国民の平均値を上回ることはないからだ。

2020-06-27

昆虫を入水(じゅすい)自殺させる寄生虫/『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子


『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『感染症の世界史』石弘之
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ

 ・昆虫を入水(じゅすい)自殺させる寄生虫

『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

 共生現象のうち利害関係がわかりやすいものにはそれが示す名が与えられています。双方の生物が共生することで利益を得る関係を「相利(そうり)共生」、片方のみが利益を得る関係を「片利(へんり)共生」、片方のみが害を被る関係を「片害(へんがい)共生」、片方のみが利益を得て、相手方が害を被る関係を「寄生」と呼んでいます。

【『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子〈なりた・さとこ〉(幻冬舎新書、2017年)以下同】

 そのまま人間関係にも当てはまりそうで笑った。

 水の中で泳げないはずのコオロギやカマキリ、カマドウマが水に飛び込んでいきます。それは、まるで入水自殺であり、水に飛び込んだ虫は溺れ死ぬか、魚に食べられるか、他に道はありません。これらの入水自殺する昆虫たちも体内にいる寄生虫に操られています。
 これらの昆虫の体内にいて宿主(しゅくしゅ)をマインドコントロールしているのは「ハリガネムシ」です。(中略)
 ハリガネムシは水中でのみ交尾と産卵をおこない、宿主を転々と移動して成長するという生活史を持ちます。
 簡単に概要を説明しますと、川で交尾・産卵→水生昆虫体内→陸生昆虫体内→再び川という流れです。(中略)
 ハリガネムシは宿主の脳を操り、奇妙な行動を起こさせるのです。宿主を水辺に誘導し、入水させるのです。そして、宿主が入水すると、大きく成長し成虫になったハリガネムシがゆっくりと宿主のお尻からにゅるにゅるとはい出てきます。その姿は時に全長30センチを超えます。そして、無事に川に戻ったハリガネムシは交尾をし、また産卵するのです。






 腹がモゾモゾしてくる。以下のページも参照のこと。

ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 これだけでも驚くべき事実だが寄生虫の仕事はもっと大きな影響を及ぼしていた。

 日本では、このハリガネムシが生態系において重要な役割を果たしていることを実証した研究が2011年に発表されました。
 研究では川の周りをビニールで覆ってカマドウマが飛び込めないようにした区画と、自然なままの区画を2ケ月間比較しています。また、カマドウマが入る量と、カマドウマ以外の虫が入る量を分けて操作をして実験しました。
 なんとその結果、川の渓流魚が得る総エネルギー量の60パーセント程度が、寄生され川に飛び込んでいたカマドウマであることがわかったのです。(中略)
 このように、小さな寄生者であるハリガネムシが、昆虫を操り、入水させることは、河川の群集構造や生態系に、大きな影響をもたらすことが実証されました。

 実は寄生行為そのものが自然の摂理にかなっていたのだ。微生物が人間の性格をも変えることが判明しているが、果たしてそれだけなのだろうか? ひょっとすると戦争や虐殺にも関係しているかもしれない。人類が成し遂げた都市革命は寄生虫を恐れた結果のような気がする。

キリスト教の教えでは「動物に魂はない」/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール

 ・経済が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

山極●聖書によれば、動物には魂はないのですか。

小原●そうです。

山極●なるほど。だからね、それは農耕牧畜とともに生まれたんだと思うんですよ。狩猟採集民の世界というのは、動物に魂があるか、人間に魂があるかという話ではなくて、動物と人間は対等ですから、動物と会話ができていたわけですね。

小原●そうですね。狩猟採集の時代にあった動物と会話できるという感覚は、その後、形を変えながらも、様々な神話や物語の中に引き継がれてきたと思います。日本の昔話では、動物と人間が会話を交わす物語がたくさんありますし、さらに言えば、動物にだまされたり、助けられたり、「鶴の恩返し」のように動物と結婚したり、いろいろなバリエーションがありますね。動物が人間をどう見ていたかはともかくとして、少なくとも人間の側からは、長きにわたって、動物は会話できる対象と見られてきたのではないでしょうか。

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

 日本人ならすかさず「一寸の虫にも五分の魂がある」と反論するだろう。一神教は神の絶対性を強調する。その神に似せて造ったのが人間だ。人間は神に最も近い動物であるが神には絶対になれない。この断絶性が「動物に魂はない」とする根拠になっているのだろう。

 具体的には南極観測隊の犬の扱い方が好例だ。日本は15頭の犬を南極に置き去りにした(1958年)。イギリスでは「日本人はなんと残酷な民族か!」と糾弾され、「イギリス犬の日本輸出を中止せよ!」という声まで上がった。翌年、奇蹟的に2頭の生存が確認された。これがタロとジロである。一方、イギリス隊は1975年、帰還を余儀なくされた時、100頭の犬を薬物で殺害した。「犬を殺すのが一番経済的だ」という理由で。こうした二面性は神の愛を説きながら殺戮(さつりく)を繰り返してきた彼らの歴史に基づく性質だ。彼らは一方で戦争を行いながら、もう一方で慈善活動を行うことができる。

 かつての捕鯨もそうだ。欧米は鯨油だけを採ってクジラの遺体は捨てた。黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。日本の場合、食用で尚且つ骨からヒゲに至るまでを活用する。そんな連中が「クジラは知能が高い」という理由で日本を始めとする捕鯨国を口汚く罵っているのだ(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)。日本は「動物に魂はあるのか?」と反論すべきであった。

   日本人がキツネに騙されなくなったのは高度経済成長の真っ只中で昭和40年(1965年)のことだ(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節)。暮らしが豊かになり我々は自然との交感を失ったのだろう。

2020-06-11

感染症とカースト制度/『感染症と文明 共生への道』山本太郎


『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄

 ・健康と病気はヒトの環境適応の尺度
 ・感染症とカースト制度

『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 高温多湿のガンジス川流域文明の感染症は、インダス川流域文明の住人を圧倒した。それがインド社会にカースト制度をもたらしたという研究者もいる。カースト制度とは、紀元前13世紀頃のアーリア人のインド支配にともなって作られた階級的身分制度である。階級間の移動は認められておらず、階級身分は親から子へ受け継がれる。結婚も同じ階級身分内で行うことを規定した社会制度である。人種差別的制度であり、現在は憲法で禁止されている。
 そのカースト制度について、歴史研究家であるウィリアム・マクニールは、著書『疫病と世界史』の中で以下のように述べている。
「もちろん、ほかにもさまざまな要素や考え方が、インド社会におけるカスト原理の形成と維持に影響している。だが、カストの枠を超えて身体的接触を持つことに対する禁忌(タブー)の存在、そうしたタブーをうっかり犯してしまった場合に体を清めるため守るべき念入りな規定、これらは、インド社会において次第にカストとして固定していったさまざまな社会集団の間で、相互に安全な距離を保とうとした時に、病気へのおそれがいかに重要な動機だtたかを暗示する」
 文化人類学者である川喜田二郎も、カースト制度の起源に、浄不浄によって社会の構成員の交流を管理し、感染症流行を回避しようとした意図があったと、先述のマクニールと同じ説を展開している。もちろん反対意見もある。
 一方、疫学の視点からいえば、これは、選別的交流を行っている集団における感染症流行の問題に置き換えることができる。

【『感染症と文明 共生への道』山本太郎(岩波新書、2011年)】

 人類の業病(ごうびょう)は「飢饉と疫病と戦争」(『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ)である。宗教は祈ることで人々の心をまとめ上げ、これらの業病に対処してきた。宗教的タブー(禁忌)はたぶん病(やまい)に対応したものと考えられる。

 異なる民族が出会う時、必ず病気が交換される。アメリカのインディアンは「コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス」を移され、ヨーロッパ人は梅毒に罹患(りかん)した(感染症の歴史 - Wikipedia)。ポンティアック戦争(1763-66年)では「今日でも知られている出来事としては、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘の菌に汚染された毛布を贈り物にし、周辺のインディアンにこれを感染させたことである」(Wikipedia)。

 洋の東西を問わず古いコミュニティがよそ者(ストレンジャー)を警戒したのは「この村の掟に従うかどうか」という疑心と、もう一つは伝染病に対する恐れからだ。

 カースト制度については米原万里が面白いことを書いている。

 親類筋の女性Tがかつてネルーの信奉者だった。ネルーの思想と活動に手放しで共鳴し、親譲りの潤沢な資産を惜しげもなく注(つ)ぎ込んだ。熱烈なる敬愛の念は相手にも通じたらしく、インド独立式典への招待状が舞い込み、いそいそと出かけていった。貴賓席で待ち受けていると、憧れの君は民衆の歓喜の声に包まれて颯爽(さっそう)と登場。ボロをまとった女たちが感極まって駆け寄り壇上のネルーの靴に口付けしようとした瞬間、ネルーはあからさまに汚らわしいという表情をして女たちを足蹴(あしげ)にし、ステッキを振り上げて追い払った。周囲の囁(ささや)きから、女たちが不可触賤民(アンタッチャブル)であることを知る。その刹那、Tの「百年の恋」は冷めた。

【『打ちのめされるようなすごい本』米原万里〈よねはら・まり〉(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)】

 左翼の米原が書くと階級闘争の政治臭を放つが、カーストの根深さはよく理解できる。かつては意味のあった禁忌(きんき)も形骸化すると悪しき伝統に変貌する。宗教は何千年も祈ることしかしてこなかった。一方、科学は原因を調べ対策を講じる。近代とは宗教が科学に追い越された時代であった。神の地位は科学が発達するに連れて低下した。それでもまだ死んではいないが。

 不可触民という言葉からも明らかなようにヒンドゥー教は極端なまでに「穢(けが)れ」を恐れる。このため日常的に接触を避ける行動が貫かれており衛生意識も高い。飲食についても厳格な規定がある。宗教的浄化を求める人々は肉食を避ける。こうした風習が感染症対策であることは明らかだろう。インドは歴史を通じて人種差別解消よりも感染症対策を重んじたということなのだろう。

2020-05-31

ハッブル「天文学発展の歴史は地平線後退の歴史である」/『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也、中沢清


 ・ハッブル「天文学発展の歴史は地平線後退の歴史である」

『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史
・『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』松田卓也
・『時間の本質をさぐる 宇宙論的展開』松田卓也、二間瀬敏史
『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
・『宇宙の謎 暗黒物質と巨大ブラックホール』二間瀬敏史

 天文学の発展の歴史は地平線の後退の歴史である、とはハッブルの言葉です。確かに望遠鏡の発達、大型化により、また60年代以降のX線、γ線、紫外線、赤外線、電波とあらゆる波長帯の望遠鏡の開発、発展により、我々の目のとどく範囲は広がり、宇宙の様々な姿がうきぼりにされてきました。しかし“地平線の後退の歴史”というのは、たんにこあれだけのことではないようです。天文学の発展の歴史が、すなわち我々の自然に対する古い考えの後退、すなわち自然の認識の拡大の歴史である、ということも意味しているようです。

【『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也〈まつだ・たくや〉、中沢清〈なかざわ・きよし〉(ブルーバックス、1977年)】

 文章にやや問題あり。私は松田卓也を通して二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉を知った。知識や人脈というのは時に意外なつながりを見せることがあって侮れない。かつて地平線の彼方には海の淵があると考えられていた。


【Kansas - Point Of Know Return、1977年】

 人々は海が飲み込まれる場所を「Point Of Know Return」(帰還不能点)と考えて長い間航海をためらった。この常識を打ち破ったのが「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)である。確かにハッブルが言うように遠くの地平線は宇宙への入り口にすぎない。

 望遠鏡が発明されたのは16世紀末で、ガリレオ・ガリレイが手製の望遠鏡を作成したのが1609年5月であった。一方、顕微鏡は16世紀後半に原型が生まれたが、17世紀後半にレーウェンフックの単式顕微鏡が作られた。電子顕微鏡が商用開発されたのが1939年のこと。人類は初めて原子を目の当たりにした(顕微鏡の歴史 | 顕微鏡を知る | 顕微鏡入門ガイド | キーエンス)。

 宇宙の輪郭がわかってきた時に、今度は量子論というミクロ宇宙が扉を開けた。地平線はまたぞろ遠ざかって結局元の位置にある(笑)。

2020-05-25

ペストは中世キリスト教会の権威も打ち負かした/『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新


『コロンブスが持ち帰った病気 海を越えるウイルス、細菌、寄生虫』ロバート・S・デソウィッツ
『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄

 ・ペストは中世キリスト教会の権威も打ち負かした

『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 かつて“黒死病”の悪名で恐れられたペストは、記録に残っているだけでも、これまでに三度の大流行を起こしている。最初の大流行は、6世紀半ばの東ローマ帝国(ビザンチン帝国)で起きた。ユスティニアヌス皇帝統治下の541年にエジプトで始まったペストの流行は、またたく間に北アフリカ、ヨーロッパ、中央アジア、アラビア半島へと広がっていった。首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)では、全人口の40パーセントがペストで命を落としたといわれている。
 二度目の大流行は、14世紀半ばのヨーロッパで起こる。シチリア島に突然現れたペストは、あっという間にヨーロッパ全土に広がった。ドーバー海峡を隔てたイギリスでも、フランス帰りの一人の船員が持ち込んだペスト菌が原因で、多くの犠牲者を出した。
 結局、このときの流行で命を落としたのはおよそ4400万人。これは、当時のヨーロッパの全人口の3分の1にあたる。ペストの大流行は、単に人口を激減させただけでなく、人々の精神面にも重大な影響を与えた。疫病から救ってくれなかったキリスト教会に対する強い不信感は、中世の終焉(しゅうえん)を早める大きな要因となった。イタリア・ルネッサンスを代表する作品の一つであるボッカチオの『デカメロン』には、こうした社会状況が見事に描き出されている。
 三度目の大流行は、1860年代に中国で始まった。1890年代に入ると流行は香港にも及び、そこから船で南米、アフリカ、アジアへ、さらにはアメリカ合衆国のありフォルニアにまで飛び火していった。インドは、この時期の大流行によって最も大きな被害を受けた国の一つで、20世紀前半だけで、1000万人以上がペストによって命をおとしている。
 1948年、抗生物質ストレプトマイシンがペストに有効であることが確認され、“感染するとただちに死に繋がる病気”として恐れられていたペストにも、ようやく治療の道が開かれた。
 しかし、その後もベトナムや中国、アフリカや南米の一部の国で散発的な小流行が続き、現在に至っている。

【『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新〈きょうどう・あらた〉(角川oneテーマ21、2001年)】

 環境史という学問的視点に立つと戦争は寒冷化で起こるという。農作物の不作~住居の移動が人々の衝突を生む。ペストが中世キリスト教会の権威も打ち負かしたとすれば、人類史の大きな変化は人間の主体性よりも環境要因の方が大きいように感じてくる。

 環境への適応が進化を決定するなら、あらゆる生物は環境が育んだと考えてよかろう。仏教東漸(とうぜん)で教義が目まぐるしく変遷してきた歴史を思えば、言語や民族の違いも環境に由来するのだろう。

 人類の課題は「飢饉と疫病と戦争」(『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ)である。日本が島国であることを卑屈に捉える向きもあるが、「飢饉と疫病と戦争」という観点から考えると明らかに地の利が優る。日本の国土は66%が森林で耕地面積は12.6%と少ない。しかしながら多くの海流が集まっており漁撈(ぎょろう)で賄(まかな)える。海で隔てられているため感染症リスクも低い。戦争に至っては200年を超える鎖国政策で平和を堅持してきた実績がある。

 日本は温暖湿潤気候で最も暮らしやすい環境である。雨も豊富だ。現在、世界を席巻している新型コロナウイルスについても「日本人は重症化を防ぐ免疫を持っている」のではないかという仮説が出てきた(中村ゆきつぐのブログ : 日本人は重症化しにくい理由 精密な抗体検査でわかった免疫学的な動き 完全な中和抗体ではないけど日本人は重症化を防ぐ免疫を持っている)。

 人類が病から解放されることは決してないだろう。ひょっとすると病んで恢復(かいふく)する中に進化の鍵があるのかもしれない。

2020-04-30

健康と病気はヒトの環境適応の尺度/『感染症と文明 共生への道』山本太郎


『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄

 ・健康と病気はヒトの環境適応の尺度
 ・感染症とカースト制度

『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 農耕の開始は、それまでの社会のあり方を根本から変えた。
 第一に農耕は、単位面積あたりの収穫量増大を通して、土地の人口支持力を高めた。第二に、定住という新たな生活様式を生み出した。定住は、出産間隔の短縮を通して、さらなる人口増加に寄与した。狩猟採集社会における出産間隔が、平均4-5年であったのに対し、農耕定住社会における出産間隔は、平均2年と半減した。移動の必要がなくなり、育児に労働力を割けるようになったことが大きい。ちなみに、樹上を主たる生活場所とする他の霊長類を見てみれば、チンパンジーの平均出産間隔は約5年、オランウータンのそれは約7年となっている。

【『感染症と文明 共生への道』山本太郎(岩波新書、2011年)以下同】

 著者は医師である。俳優上がりのそそっかしい政治家と同姓同名だが誤解なきよう。

「新型コロナウイルスに負けない 私たちは人間だ」と書かれた幟(のぼり)が天神橋筋商店街に掲げられたという(産経フォト 2020-04-30)。進化論的には適応するかしないかだけのことだ。感染症や自然災害は「戦って勝てる相手」ではない。どうも日本人の精神性は「進め一億火の玉だ」から変わっていないようだ。

「農耕定住社会」という正確な記述が目を惹く。出産間隔が短くなったことが人口を増加させた事実は覚えておく必要がある。

 健康と病気は、ヒトの環境適応の尺度とみなすことができる。ここでいう環境とは、気候や植生といった生物学的環境のみでなく、社会文化的環境を含む広義の環境をいう。この考えは、次のリーバンの定義と重なる。
 「健康と病気は、生物学的、文化的資源をもつ人間の集団が、生存に際し、環境にいかに適応したかという有効性の尺度である」
 こうした考えの下では、病気とは、ヒトが周囲の環境にいまだ適応できていない状況を指すことになる。
 一方、環境は常に変化するものである。このことは、環境への適応には、適応する側にも不断の変化が必要になることを意味する。こうした関係は、小説『鏡の国のアリス』のなかで、「赤の女王」が発した言葉を想起させる。「ほら、ね。同じ場所にいあるには、ありったけの力でもって走り続けなくちゃいけないんだよ」
 環境が変化すれば、一時的な不適応が起こる。変化の程度が大きいほど、あるいは変化の速度が速いほど、不適応の幅も大きくなる。農耕の開始は、人類にとって環境を一変させるほどの出来事であった。長い時間のなかで、比較的良好な健康状態を維持していた先史人類は、農耕・定住を開始した結果、変化への適応対処に苦慮することになり、その苦慮は現在も続いている、ということなのかもしれない。

「社会文化的環境」から精神疾患が生まれる。ストレス理論の開祖はウォルター・B・キャノン(1914年)とハンス・セリエ(1936年)の二人である(『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ)。PTSD(心的外傷後ストレス障害)が広く認知されるようになったのはベトナム戦争(1955-1975年)後のことだ。近代~大衆消費社会~高度情報化社会は「心の時代」と括ることができよう。

 農耕は自然を無理矢理ヒトの側に適応させる営みである。牧畜・魚介類の養殖も同様だ。ここでもまた病気を防ぐために様々な薬品が用いられる。人間の意図によって自然にかけられる負荷が自然にとってはストレスと化すのが当然だ。ブロイラーの実態を知ればケンタッキー・フライドチキンでニコニコできなくなる。

飼育密度が高すぎる日本の鶏肉(ブロイラー)

「赤の女王」は遺伝子本でもよく引用されている。マット・リドレーに『赤の女王 性とヒトの進化』という作品がある。

2020-04-27

遺伝子多様性の小さい集団は伝染病に弱い/『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄


『コロンブスが持ち帰った病気 海を越えるウイルス、細菌、寄生虫』ロバート・S・デソウィッツ

 ・遺伝子多様性の小さい集団は伝染病に弱い

『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

 遺伝子多様性の小さい集団は伝染病に弱い。特にウイルス病に対して弱い。通常、人がウイルスの感染を受けても、病気に(ママ)なりやすさは個人個人で異なる。個人個人の感染に対する遺伝的感受性が異なるからである。しかし、ウイルス感染を起こしやすくする遺伝子が個人個人で同じであった場合には、そのような人々が密集して居住する都市にいったんそのウイルスが侵入したら、あっという間に感染が広がってしまう。マクニールによれば、1520年、メキシコ地域の人口は2500万から3000万であったのが、100年後には10分の1以下になってしまった。これは戦争よりも、旧世界人が持ち込んだ天然痘および麻疹による死亡の影響の方が大なのである。
 新大陸文明の次の大きな特徴は、家畜がいなかったことである。牛、山羊、羊、馬、豚はいなかった。ヒト伝染病ウイルスは、もともとは動物から来たものと考えられる。新大陸には動物から人(ママ)へうつる病原体はたくさんあるが、ヒトだけに感染するように変化したウイルスはなかった。

【『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄〈いのうえ・さかえ〉(講談社現代新書、2000年)】

 感染症の本には大抵インディアンの歴史が書かれている。スペイン人を中心とするヨーロッパ人にインディアンは虐殺されたが、最も多かったのは感染症による死亡であった。家畜文明をもつヨーロッパ人はウイルスにさらされてきたのだろう。そのヨーロッパ人がアメリカで移されたのは梅毒であった。病気のフェアトレードだ。

 こうした歴史からも明らかなように感染症を起こす最大の原因は人の移動である。特に交通機関が発達してから人や食料、更には動物や昆虫の類いまでもが世界を駆け巡るようになった。日本が辺境(ヨーロッパから見て)の島国であることにネガティブな感情を抱く人も多いと思うが、人類が感染症と戦ってきた歴史を思えば海で隔てられているのは大きな利点である。また日本の国土は縦に長いため一定の遺伝子多様性があるようにも思う。

 動物由来の感染は触れたり食べることで移るケースと、ダニやノミを介して移るケースとがある。動物には害がなくとも人間を死に至らしめるウイルスも少なくない。

 ウイルスは生物と非生物の間に存在しており単独で生きることはできない。つまり人間を殺してしまえばウイルスも心中する羽目となるのだ。ウイルスと人間は共生系である。ウイルスを撲滅することは不可能ゆえ、互いに進化する他ない。