2021-09-07

養老孟司「新型コロナウィルスとワクチンの話」


バイクを押して歩く/『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史

 ・バイクを押して歩く

『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖

身体革命

 私は長年、スポーツ選手を中心にパフォーマンス向上のための動作改善を「歩行動作」を中心に指導してきました。また、江戸時代までの身体運動文化についても研究してきました。その指導や研究で明らかになってきたことは、現在ウォーキング教室などで指導されている「エクササイズウォーク」や「パワーウォーク」などはエネルギーのロスが大きく、特に中高年には無理がある「歩き方」だということです。これらの歩きは地面を蹴って膝などの関節を伸ばしながら歩きます。このような歩き方を「伸展(しんてん)歩き」と言います。しかし、江戸時代までの日本人が得意として歩きは、地面を蹴らずに膝を曲げて進む「屈曲(くっきょく)歩き」なのです。その「屈曲歩き」が剣術や柔術などの伝統的な動作を支えていました。

【『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史〈きでら・えいし〉(東邦出版、2015年)以下同】

 実は簡単なことほど難しい。健康であれば誰もが歩ける。だが、きちんと歩ける人は少ない。私が常歩(なみあし)を始めたのは5月のことである。既に3ヶ月以上経ったが、まだまだしっくりこない。膝を抜くことはできるのだが拇指球の蹴りを打ち消すのが難しい。ま、試行錯誤している間は成長の余地があるわけだから結構楽しい。

 ある日、突然思いついた。バイクを押しながら歩いてみようと。実は2年ほど前にエンジントラブルに見舞われ、数キロの距離を押して自宅まで戻ったことがあった。「あれを思えばどうってことはないな」と直ぐエンジンスイッチを切り、ギョサンで歩いた。案の定、ほぼ完璧な常歩(なみあし)だ。バイクを所有している人は直ぐ試してみるといい。もちろんリヤカーでも可能だ。我が原付バイクは80kgである。少し上り勾配があると尚更よい。拇指球に力を入れる余地はない。足裏全体を地面に押し付け、踵の摩擦力で前に出るのが一番楽だ。

「伸展歩き」では膝を伸ばして歩きます。すると、脚全体が内側に回ろうとします。さらに現代人はシューズを着用しています。すでにお話ししたように、一般的にはシューズのインソールはつま先よりかかと部が高くなっていますから、足関節(足首の関節)を伸展させます。足関節の伸展は膝関節の伸展を促しますので、脚は内側に回り、過剰回内の状態をつくり出すのです。現代人の8割以上が過剰回内であると言われています。(中略)
 外反母趾を発症している方はほぼ例外なく、過剰回内による「伸展歩き」をしています。さらに、過剰回内は下腿が内側にひねられていますから、足首や膝の障害を発症する危険性が高まります。

 伸展歩きで内旋するのは以前からわかっていた。大転子ウォーキングで気づいたことだ。足指が横一直線に並ぶような感覚があった。

 頭の中でまたまた電球が点(とも)った。時折閃きの神が舞い降りてくる。氷の上を歩くつもりで足を運ぶと脚は自然と屈曲する。早速やってみた。おお、これはいい。更に電球が明るさを増した。薄氷を踏む意識にまで高めるのだ。「俺って天才?」と心の底から思った瞬間だ。

 畳の上で生活する日本人は骨盤が後傾しやすい。年寄りの腰が曲がってくるのも骨盤の後傾から始まる。そして日本の国土は約75%が山である。普通に暮らしていれば伸展歩きになることはあり得ない。坂道の上り下りで腕を大きく振る人はいないだろう。まして昔の人々は荷物を持って移動することが多かっただろうから尚更である。

 膝を曲げた瞬間は自分自身では力を発揮している感覚がほとんどありませんが、大きな地面反力が得られます。つまり、膝の屈曲をうまく利用する「屈曲歩き」は地面を味方にした歩きなのです。

 これは言い過ぎだ。反力とはランニングで得られるものであって歩行程度であるわけがない。そもそも膝を抜くのだから反力は得られない。

2021-09-06

竹山道雄と松原久子/『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子


竹山道雄

 ・竹山道雄と松原久子

『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ヨーロッパ人は自分たちが意識している以上に、歴史という躍動体を大切にする。相手の歴史の水準が自分たちと同じであるとわかった場合にのみ、相手をパートナーとして受け容れ、尊敬する。尊敬の念なくして本当の理解は育たない。日本人が長い長い歴史の中で何を学び、何を体験し、その結果何を大切にするようになったのか、何を侮蔑し嘲笑するのか、いかなる死生観をもち、なぜ働くのか、いかなる論法に参(ママ)り、どういう情緒に動かされ、何を美しいと感じるのだろうか、ヨーロッパ人の場合はどうだろうか。
 歴史的事実を例証として、こういった問いかけに答えていくことが日本人の急務である。経済発展により、うさんくさそうにじろじろ眺められている日本は、堂々と、そして真摯に自分の素性を語らなければならぬ。日本は数百年前にはどんな国であったのか、政治は、経済は、社会は、科学技術は、ヨーロッパと比べてどういう水準にあったのか。どこから現在が出てきたのか、よそから学んだ面があるとして、学ぶことのできた素地は日本人の過去の知恵にあったことを、例証しなければならない。

【『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子〈まつばら・ひさこ〉(三笠書房、1985年/知的生きかた文庫、1986年)】

 近代を巡る日本と西洋の比較文明論は竹山道雄と松原久子が頂点を成す。特にキリスト教に関する造詣の深さが一線を画している。この二人の衣鉢(いはつ)を継ぐ者がまだ見当たらないのが残念だ。竹山・松原の著作は小中高等学校の副読本にすべきである。

 松原久子の文章に一貫して硬質な気勢があるのは、彼女が実際にドイツの地で激しい有色人種差別感情にさらされているためだ。実際に鉄道駅で見知らぬ女性から平手打ちをされたこともある。かようにヨーロッパ人の自我は差別意識で支えられている。有色人種を下に見なければ自我を支えることができないのだろう。その戦闘性こそが欧州発展の原動力であった。

 ヨーロッパ人が歴史を重んじるのは「近代を開いた」自負があるためか。中世・古代となれば我々日本人に分(ぶ)がある。日本が鎖国を成し得たのは世界最大の武力を有していたからだ(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。欧州が中国に魔の手を伸ばす様を見て、日本国内では攘夷の風が吹き荒れた。徳川260年は軍事大国から極東の小国へと転落する平和な期間であった。

 少し古い本である。1990年代まではインターネット以前の時代と考えてよい。当時のドイツやアメリカで暮らす者ならではの焦燥もあったことだろう。アメリカが世界から一歩退いた今、日本は我が道を歩むべきだと私は思う。親米が有利に働く時代は終焉を迎えつつある。まずはアメリカ以外の国々との安全保障を探るべきだろう。

「正しい分析」が身を滅ぼす/『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ


『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』ジャック・D・シュワッガー
『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ』矢口新
『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー
『一目均衡表の研究』佐々木英信
『デイトレード マーケットで勝ち続けるための発想術』オリバー・ベレス、グレッグ・カプラ

 ・「正しい分析」が身を滅ぼす
 ・スロットマシンプレーヤーの視点
 ・新しい信念と古い信念が拮抗する

『規律とトレーダー 相場心理分析入門』マーク・ダグラス
『ゾーン 「勝つ」相場心理学入門』マーク・ダグラス
『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス
『ワイルダーのアダムセオリー 未来の値動きがわかる究極の再帰理論』J・ウエルズ・ワイルダー・ジュニア
『フルタイムトレーダー完全マニュアル』ジョン・F・カーター
『タープ博士のトレード学校 ポジションサイジング入門 スーパートレーダーになるための自己改造計画』バン・K・タープ
『週末投資家のためのカバード・コール』KAPPA
『なぜ専門家の為替予想は外れるのか プロが教える外国為替市場の不都合な真実』富田公彦
『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方』藤沢数希

 分析によって生じかねない誤った安心感は幻想だ。自分自身の考え以外にその安心感の裏付けになるものはないからだ。リスクが消え去ったように見えるのは、それが本当だからではなく、本当だと自分が信じているからだ。本当に分かっているのは、売買注文はあらゆる市場参加者からどの瞬間にも取引所に入ってくる可能性があるということだ。それらの注文理由はあらゆることが考えられるし、注文数も実質的に制限はない。だから、ほかのトレーダーがどんな理由で何をするか「分かる」と信じていても、それは自分の頭で「ひねり出した」ものだ。なぜなら、それが本当だと証明できるどんな情報も入手できないからだ。
 混乱している人がいるといけないので、はっきりさせておきたい。勝ったときに、ほかのトレーダーたちが価格を自分の有利な方向に動かした理由の分析が正しいこともあり得る、という考えが幻想だと言いたいのではない。そうした分析が正しいか、正しかったと「分かる」という考えから幻想が生じる、と言いたいのだ。一見すると、これはわずかな違いに思われるかもしれない。しかし、リスクをどう認識して、それについて何をして何をしないかを決めるときに、「明確な分かる」と「ひょっとするとあり得る」とでは、天と地ほどの違いが出る。着実な成果を上げるという観点からこの違いを見れば、トレードにおける誤りとみなされる行為はいずれも、「分析に対する幻想」から生じるのだ。
 つまり、予測が正しい理由を適切に分析していると信じているから、自分が勝つのが分かると思うようになるのだ。私たちが犯しやすいあらゆる誤りを考えると、分析をしたから「自分には分かる」という考えでトレードに取り組めば、たとえ分析が結果的に当たっても、保証されるのは着実な成果が得られないということだけだ。

【『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ:長尾慎太郎〈ながお・しんたろう〉監修、山口雅裕〈やまぐち・まさひろ〉訳(パンローリング、2017年)以下同】

 仏教では将来という言葉を使わない。必ず未来とする(『仏教と精神分析』三枝充悳、岸田秀)。「将(まさ)に来(きた)る」は予測をはらんでいる。「未(いま)だ来らず」はランダム・ウォーク理論である。その意味から申せば「外典に曰く未萠(みぼう=未来)をしるを聖人(しょうにん)という内典(仏典)に云く三世(さんぜ)を知るを聖人という」と解釈した日蓮は誤っている。過去~現在~未来(三世)と因果関係を辿るのは科学である。

 本書はゾーン三部作の最終章となっているが、その内容からすれば最初に読むべきである。マーク・ダグラスの遺稿と夫人の共著であるが前二作が理解できない読者を想定している。

「わかった」と思い込めば不可知の可能性は消える。物理の世界はニュートン力学~相対性理論~量子力学と視野を拡大してきたが、現在に至ってもまだ全てを説明できるわけではない。量子論においては素粒子の存在すら確率として示される。その上、素粒子は粒でもあり波でもあるというのだから我々が認識する「ある」が大きく揺らぐ。五蘊仮和合(ごうんけわごう)の「仮」の字を思うのは私だけではあるまい。

 人間は不完全な情報システムである(『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人)。複雑系科学やビッグデータは直線的な因果関係を超越した。

 そもそも、「わかる」とは「分ける」ことである(坂本賢三)。我々が知り得るのは部分情報に過ぎない。そして部分をいくら集めたところで創発を見出すことは困難だ。

「分析をしたので、自分は正しい」という考えを持ちつつ動くことのマイナス面は何か

 第一に、ドローダウン(資産の最大下落)が破滅的なほど大きくなりやすい。(中略)
 第二に、分析に幻想を抱きながらトレードすると、リスクを認識しないというトレードの典型的な誤りを犯しているときでも、それに気づかない。(中略)
 第三に、個々のトレードで正しくあろうとして分析をしていれば、間違いなく分析の堂々巡りに陥る。

「正しい分析」が身を滅ぼすのだ。投機の機とは確率の異名だ。飽くまでも確率の優位性に注目すべきである。分析に固執すれば損切りできなくなる。なぜなら「相場の動きが誤っている」との結論を導き出すからだ。

 マーク・ダグラスが説くのはまさしく「無知の知」である。しつこいほど同じことを繰り返し、言葉を変えて読者に訴えているのは、最初の思い込みを外すことの難しさを示している。

2021-09-04

ロボットは「自動的に動く」存在から「自律的に動く」存在へ/『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
・『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』松田卓也
全地球史アトラス
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 ・ロボットは「自動的に動く」存在から「自律的に動く」存在へ

『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

情報とアルゴリズム

「ロボットによって暮らしが便利になるなら、とにかくいいことなのでは?」
 そう思う方もいるかもしれませんが、事はそう単純ではありません。なぜなら、これからのAIが搭載されたロボットは、「自動的に動く」存在から「自律的に動く」存在へと、さらに劇的に転換していくからです。(中略)
 ロボットが自律的に動くとは、それが自律性(オートノミー:autonomy)を獲得していることを意味します。自律とは「自らを律する」と字のとおり、他の支配を受けず、自分が持つ規律に従って行動を設計し、実行することです。

 自分の行動を選択するとき、人間なら身体的な感覚や感情、さらには道徳や倫理まで動員して、意思決定を行います。「私は~したい」「~すべきだ」「~すべきではない」という内発的な決断を通して、行動に移ります。
 人間には、長い進化の歩みの中で獲得された生存意欲があります。本能と呼ばれるものです。人間のあらゆる意思決定の根底には、それが生存にどう寄与するかということに翻訳され、ある意味でスコア化されたものがあるのです。
 では、ロボットはどうなのか。生きた肉体を持たないロボットが、生存価値を最上位とする本能を自分の力で身に付けることはありません。何が価値あるものなのか、その根本を自分でゼロから探し出すことはできないのです。しかし、ロボットに行動の選択をさせるためには、価値判定のための何らかのルールが必要です。結局それは、人間が授けるものになるでしょう。

【『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗〈おおた・ひろあき〉(幻冬舎、2020年)】

「自律的に動くロボット」とは我々のことではないだろうか? 競争というルールの下(もと)で勝ち上がった者が選良(エリート)のメダルを手に入れる。資本主義社会で行われるのはマネー獲得ゲームである(「我々は意識を持つ自動人形である」)。

 テクノロジー進化の速度がシンギュラリティ(特異点)を超える時、自律型ロボットはロボット同士で通信を始め、ロボット集合体が超個体と化す。ヒトは農業や都市化において超個体性を発揮するが、残念ながら最大限に発揮されるのは戦争である。つまり人類は永続性のある超個体にまでは進化できていない。まだまだシロアリやハキリアリにも劣る存在だ。

 ロボットとヒトの上下関係を決定するのは超個体性である。ロボットが人間以上の想像力を発揮してロボットを作ることができれば、人類が必要とされるのは奴隷労働しかなくなるかもしれない。我々がかつてロボットに行わせていたことを、今度は我々がやる羽目になるのだ。

 感情の意味は共感するところにあり、超個体性へと誘(いざな)う目的があったと思われる。神話や宗教が説くのは正しい感情の方向性なのだろう。産業革命を通して人々の仕事が農業から工業へと移り変わると、コミュニティは村(地域)から会社へと変化した。近代化の意味はこの辺りから探るのが適切だろう。

 コーポレーションは現代の超個体と言い得るが、さほど永続性がない。更に役割分担(人事や分業)がデタラメで有用な超個体性を発揮しているとは思えない。軍事ほどの計画性を欠いており、死の覚悟はどこにも見当たらない。その意味からいえば宗教の方が成功しているように見える。殉教という一点において。しかも信者は喜んで税金を支払う。

 人類は感情の意味を問い直す時期を迎えつつある。マスメディアから流れてくる情報を一瞥しても感情の有益よりも害悪を思わせるものが圧倒的に多い。そして業(ごう)を形成するのもまた感情なのだ。バイアスが世界を歪める。晴朗かつ豊かな感情で人類が結びつかない限り、ロボットの未来が待ち受けている。