・『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
・『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
・『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹
・『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
・『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
・『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
・『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
・『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
・日本近代史が見渡せる貴重な一書
・『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
・『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
・『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
・『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也
・『近代の呪い』渡辺京二
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
その革新将校の一人安藤輝三大尉は、かの二・二六事件首謀者の一人。彼はその朝、中隊を率いて侍従長鈴木貫太郎邸を襲撃したが、形勢非にして、29日朝来攻囲軍の攻撃を前にして、もっとも頑強に抵抗した人として、知られている。その彼は、すでに、2年前(昭和9年頃)鈴木侍従長を訪ねて、その革新につき意見を求めている。これにつき、当の鈴木侍従長は、その戦後の回想(『嵐の侍従長八年』)の中に、興味ある事実を明らかにしている。それによると、鈴木は安藤の意見の中の三点、その第一は軍人が政治に進出して政権を壟断すること、第二は総理大臣に荒木大将を起用せよということ、そして第三に兵の後顧の憂いをなくせとの、三点について反駁した。とくにその第三点については、
「『いま陸軍の兵は多く農村から出ているが、農村は疲弊しておって後顧の憂いがある。この後顧の憂いのある兵をもって外国と戦うことは薄弱と思う。それだから農村改革を軍隊の手でやって後顧の憂いをなくして、外敵に対抗しなければならんといわれる。が、これは一応もっとものように聞こえる。しかし、外国の歴史はそれと反対の事実を語っている。いやしくも国家が外国と戦争する場合、後顧の憂いがあるから戦いができないというような、弱い意思の国民なら、その国は滅びても仕方があるまい』
とて、フランスの歴史をひいて、これを反ばくし、日清日露戦役当時の日本人が、親兄弟が病床にあり、また妻子が飢餓に瀕していても、その家族たちは御国のために、心残りなく戦ってもらいたいと激励した。これが大国と戦う場合の国民の敵愾心であって、後顧の憂いがあるから、戦争に負けるというのは、とんでもない間違った議論だ」
と安藤の意見に不同意の旨を述べたとある。
だが、この鈴木の意見は、兵隊はただ国家のために黙々と戦陣に倒れてしかるべきものだというのだが、それは全くこの国の特権階級の思想であり、国民の犠牲において国家の発展をねがうもの。兵はその犠牲に甘んじ銃火の中に万歳をとなえて、この国に殉ずるものなるが故に、このようなことは、あえて隊附青年将校が叫ばなくとも、国家の手で手厚い保護が加えられて、しかるべきもの。だが、それがないところに、戦場でその部下に死を命ずる第一線青年将校、これを訓練する隊附青年将校たちの煩悶があり、それがつのって彼らの国家革新への志向となったのだ。(中略)
はたして、安藤大尉は、右の鈴木の説示に納得したものかどうか。彼はその2年後、みずからかって知るこの侍従長の斬奸に出た。その襲撃ぶりは安藤の統率がよくきいて倒れた侍従長に「とどめ」の声があったが、彼はあえてこれをすることなく、瀕死の侍従長に「捧銃の礼」を捧げて退散した。
【『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎〈おおたに・けいじろう〉(『皇軍の崩壊 明治建軍から解体まで』図書出版社、1975年/改題『陸軍80年 明治建軍から解体まで』図書出版社、1978年/『皇軍の崩壊 明治建軍から解体まで』光人社NF文庫、2014年)】
著者の大谷敬二郎は元憲兵将校で吉田茂を中心とするヨハンセングループの逮捕で指揮を執った人物である。私は『昭和陸軍謀略秘史』でその名を知った。国民から忌み嫌われた憲兵だが大谷の人物についてはよくわからないので評価はできず。
岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉が名を挙げるだけあって日本近代史が見渡せる貴重な一書である(※岩畔が示したのは二・二六事件関連書で書名は不明)。明治健軍から大東亜戦争敗北に至る歴史を綴っているが、落ち着きのない政治史よりも軍隊を巡る歴史の方がわかりやすい。
上記の文章からも明らかなように大谷が描くのは「国民の軍隊が皇軍意識に酔い痴れ暴走する」様相だ。岡崎久彦の「外交官とその時代」シリーズですら外交という限られた分野を描いていることがわかる。
安藤輝三と鈴木貫太郎の会話は気が入っていて興趣がある。「革新」とは昭和初期を席巻した思想である。革新派の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)が様々な化学反応を引き起こして戦争を敗北に導いたとも考えられるが、むしろ私はそれが日本国民の民意であったと見る。
大正デモクラシーで政党が暴走し、昭和維新で軍が暴走した。GHQの占領によって日本は骨抜きとされたわけだが、GHQが去った後も変わろうとしない姿を見れば、日本人が望んだあり方だと考えていいだろう。国家の命運を握るのは国民の意志である。
尚、全ての書影を挙げておく。amazonの検索は以前からデタラメだが、『陸軍80年』の別ページがあって私はこれに騙された。古い本なのでよもや文庫化されているとは予想せず、やはり本を売らなくなると探す感覚も鈍く劣化していることを痛感する。ハードカバーは上下二段で文字が小さいため文庫版をお勧めする。