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2016-05-12

強欲な人間が差別を助長する/『マネーロンダリング入門 国際金融詐欺からテロ資金まで』橘玲


 ・強欲な人間が差別を助長する

『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・ジャクソン
『タックス・ヘイブン 逃げていく税金』志賀櫻
税金は国家と国民の最大のコミュニケーション/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹

【マネーロンダリング Money Laundering】
 資金洗浄。タックスヘイブンやオフショアと呼ばれる国や地域に存在する複数の金融機関を利用するなどして、違法な手段で得た収益を隠匿する行為。テロマネーやトラフィッキング(麻薬・武器密売・人身売買など“人道にもとる”犯罪)にかかわる資金が「マネロン」の主な対象となる。法的には脱税資金の隠匿はマネーロンダリングに含まれないが、広義には所得隠しなど裏金にかかわる取引を総称することもある。
【タックスヘイブン Tax Haven】
 租税回避地。金融資産の譲渡益や利子・配当所得に課税されず、相続税・贈与税がなく、国外(域外)で得た所得に対して所得税・法人税が課されないなど、富裕な個人や企業・機関投資家に多大の便宜を提供している国や地域。モナコ、リヒテンシュタインなどヨーロッパの小国、ケイマン諸島などカリブ海の島々、バヌアツなど南太平洋の島々がよく知られている。
【オフショア Offshore】
 国内金融機関(オンショア)から隔離され、税制などの優遇措置を与えられた国際金融市場の総称。狭義にはタックスヘイブンを指す。
【オフショアバンク Offshore Bank】
 オフショアに設立された銀行。国外(域外)の個人・法人を顧客とし、ドル・ユーロ・ポンドなど主要通貨の外貨口座を持ち、現地通貨は扱わない。

【『マネーロンダリング入門 国際金融詐欺からテロ資金まで』橘玲〈たちばな・れい〉(幻冬舎新書、2006年)以下同】

 オフショア企業の設立・管理および資産管理サービスの提供をしてきたモサック・フォンセカ法律事務所の機密情報が漏洩(ろうえい)した。ご存じ、パナマ文書である。WikiLeaksのデータ量が1.7GBであったのに対し、パナマ文書は2.6TBと伝えられる。およそ1500倍という桁外れの情報量だ。

 マネーは意志を持っている。金融マーケットに流れ込むマネーは基本的に剰余資金である。今、なぜダウ平均株価が上昇しているのか? マーケットにマネーが集まっているからだ。債券であれ通貨であれコモディティ(商品)であれ原理は一緒である。マーケットを動かすのはマネーの量である。

 そしてマネーは増殖を求めてリターンの大きいマーケットを目指す。確かな意志を持って。

 多くの人が誤解しているが、プライベートバンクは本来、「個人のための」銀行ではなく「個人所有」の銀行のことである。(中略)伝統的プラベートバンクの特徴は、オーナー一族が自らの財産で設立し、無限責任によって運営されていることだ。経営に失敗すればオーナー自身が破産するというこの仕組みが、資産の保全を臨む顧客の信用の源泉になっている。

 プライベートバンクといえばスイスが有名である。しかしながら9.11テロ以降、アメリカが断固たる態度を示し、プライベートバンクやタックスヘイブンに情報開示を迫った。もはやスイス銀行やプライベートバンクに優位性はない。テロ資金を断つために世界は共同歩調をとったかに見えた。

 マネーはグローバルな金融市場を自由に行き来するが、それを管理するのは「国家」という地理的な枠組みでしかない。プライベートバンクは市場と国家のこの制度的な矛盾を利用し、国内の法制度に穴を穿(うが)ち、司法・行政権の及ばない擬似的なタックスヘイブンをつくり出していく。

 アメリカはあろうことか自国にタックスヘイブンを用意した。デラウェア州である(世界最悪のタックスヘイブンはアメリカにある)。タックスヘイブンといえばケイマン諸島やバミューダ諸島が知られているが、いずれもイギリス領だ。で、世界最大のタックスヘイブンはロンドンのシティ(シティ・オブ・ロンドン金融特区)といわれる。結局、アングロサクソン主導で好き勝手な真似をしているわけだ。

 富裕層や大企業はなぜ租税を回避するのだろう? ハハハ、政府が愚かだからだよ。政治家は利権に基いて予算を組む。富の再分配は阻害される。政府は常に無駄な予算を組み、天下りを容認し、他方では国民に増税を求める。

 優れた国家があれば、高額な税負担は誇りとなるはずである。強い者が弱い者を助けるのは当たり前だ。チンパンジーの世界ですら利益分配は行われている(『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。


 ――いまの離職率が高いのはどう考えていますか。
「それはグローバル化の問題だ。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」

 ――付加価値をつけられなかった人が退職する、場合によってはうつになったりすると。
「そういうことだと思う。日本人にとっては厳しいかもしれないけれど。でも海外の人は全部、頑張っているわけだ」

「年収100万円も仕方ない」ユニクロ柳井会長に聞く/朝日新聞DIGITAL 2013年04月23日

 それ(経営者としての仕事)ができないのであれば、当然ですけど、単純労働と同じような賃金になってしまう。

甘やかして、世界で勝てるのか ファーストリテイリング・柳井正会長が若手教育について語る/日経ビジネスONLINE 2013年4月15日

 二つ目のインタビューでは「『ブラック企業』という言葉は、これまでの旧態依然とした労働環境を守りたい人が作った言葉だと思っています」とも語っている。ユニクロの離職率は3年で5割、5年で8割を超える(ユニクロ 「離職率3年で5割、5年で8割超」の人材“排出”企業)。

 経営の才能はあるのだろうが人間としての魅力は全く感じられない。強欲な人間が差別を著しく助長する。使い切れないほどのおカネを持つ連中が更に稼ごうと人件費を抑制する。租税を回避するのは最高の節税対策となる。

 世界各国の金融緩和でジャブジャブになったマネーがマーケットに集まり、貧富の差を極限化している。今年から来年にかけて緩和マネーバブルも崩壊へ向かうことだろう。

 富める者を支えているのはネットカフェ難民やホームレスかもしれない。彼らの存在があればこそ低賃金労働は成り立つ。極度の貧困は国家を毀損(きそん)する。富の再分配ができないのであれば、国家というコミュニティは不要だろう。

マネーロンダリング入門―国際金融詐欺からテロ資金まで (幻冬舎新書)

2015-09-28

愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 人は、生まれつき愛情を受け取るようにできている。だから、生まれてすぐに赤ちゃんは愛情に反応する。母子関係の最初、この世の存在の出発点だ。しかし、求めていた愛情が受け取れないばかりか、それをあからさまに否定されると、子どもは愛情を受け取ろうとする心にブレーキをかけ、ついにはロックして使えないようにする。期待して裏切られるよりは最初から受け取らないと決めるほうが、苦しみは小さく、生きやすいからだ。
 被虐者に限らず、人の愛情や親切、感謝を、遠慮したり、躊躇したり、時には拒否してしまう心理は誰にでもある。
 しかし、被虐者の場合は、それが人一倍強く、人生全体を支配している。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 これを愛着障害という。生きるために心を閉ざすのだ。そして三つ子の魂は百まで引き継がれる。幼児期に閉ざした心が開くことは稀だ。なぜなら「閉ざした」自覚がないゆえに。

 39歳の一人暮らしの男性、青井椋二さんが語ってくれた。
 彼は虐待を受けて育った。小さい頃、十分な食事をもらえなかった。もの心ついた頃には、彼は台所の米びつから生の米を食べていた。
「近くに住む叔父の家が農家だったので、家にお米はあったのだと思う。小学校5年生の時、近所のおばさんからお米の炊き方を教えてもらった。自分で炊いて初めて温かいご飯を食べた。すごく柔らかくて甘かった。
 小学校に入る前だったと思うが、台所の引き出しの奥に、破けた即席ラーメンの袋を見つけた。その中には麺のかけらが残っていた。ほんの少ししかなかったけど、とてもうれしかった。まるごとの即席ラーメンを食べられることはなかった。だから、18歳で家を出て、自分で働くようになっても、きちんと袋に入った即席ラーメンは、長い間、僕のご馳走だった。
 20歳の頃、恐る恐る、思い切って、母親に言ってみた。
『小さい頃、食事をもらえなかった』と。
 あの人が何と返事をするかと思ったら、『あんたは食が細かったからね』と、あっさり返された。まったく覚えていないようだった」

 コミュニティは崩壊し、セーフティネットの機能を失った。生米を食べて生きる少年に誰一人気づかなかったとすれば、そこに社会は存在しない。虐待する親というたった一本の線にすがって生きることが唯一の選択肢である。

 少し前に映画『アクト・オブ・キリング』を見た。インドネシアで100万人の大虐殺を行ってきた「英雄」たちが再現映画を制作する。彼らは笑いながら思い出を語る。殺人の効率化を同じ現場で実演し、昂奮に酔って歌い踊る。そして映画のカットを自慢気に孫たちに見せる。終盤に至ってわずかばかりの罪悪感が頭をもたげるが、多分彼らの生き方が変わることはないだろう。

 次回紹介する予定だが高橋は虐待の原因として、親の知的障害・精神障害・発達障害などを挙げている。彼らは共感能力を欠くゆえに子供と愛着関係を結ぶことができないのだろう。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 カウンセリングを受ける中で小学5年生の頃の記憶がありありと蘇る。近所に住む優しいお姉さんがクッキーをくれた。透明の袋は赤いリボンで結ばれていた。そんなきれいなものを見るのは初めてのことだった。お姉さんは「遠慮しなくていいのよ」と声をかけた。彼はお姉さんの手からクッキーを奪うと、地面に叩きつけた。そして「こんなものいらない! いらない! いらない! いらない!」と叫びながらクッキーを足で踏みつけた。

 高橋はこれを「被虐待児の『試し行動』」と解説する。私はそうは思わない。試し行動は一種のテストクロージングであろう。少年の行動は鹿野武一〈かの・ぶいち〉やナット・ターナーと同じものである。

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン

「その優しさ」を受け入れてしまえば自己の拠(よ)って立つ世界が崩壊するのだ。少年は本能的にクッキーを拒むことで、優しいお姉さんと親の比較を回避したのだろう。穴の深さを知ってしまえば這い上がる気力もなくなる。それほどの深みに彼は位置していたのだ。

 ある地域の保育士によれば、感覚的には1/3から半分くらいの児童に発達障害傾向が見られるという(『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之、2015年)。とすると少子化とはいえ子虐待の比率は高まる可能性も考えられよう。私の頭では幼稚園や小学校で定期的に聞き取り調査を行うといった程度の策しか思い浮かばない。



「ママ遅いよ」
【衝撃事件の核心】見逃されたSOS…両親からの虐待で死亡した7歳男児の阿鼻叫喚
「死んじゃう」空腹耐えかね男児万引き 父らに傷害容疑

2015-08-28

大阪産業大学付属高校同級生殺害事件を小説化/『友だちが怖い ドキュメント・ノベル『いじめ』』南英男


大阪産業大学付属高校同級生殺害事件

 ・大阪産業大学付属高校同級生殺害事件を小説化

「矢吹がいる限り、わしらはどうにもならん。わし、もう我慢できんのや。夕べも、なんかくやしゅうて、よう眠れんかった」
「きのうは、わしも腹が立ってならんかったよ」
 幸夫が即座に応じた。(中略)
「ひとりじゃ無理かもしれんけど、ふたりなら殺(や)れると思うんや」登は言った。
「そうやな。ふたりだったら、なんぼ矢吹が強い言うても……」
「ああ、けど、まともに襲ったら、失敗するかもしれん。だから、殺(や)るときは不意討ちにするんや」
「そうやな。それで、どんな方法で殺(や)るんや?」
「金槌(かなづち)で頭を思いきりどついたら、どないやろ?」

【『友だちが怖い ドキュメント・ノベル『いじめ』』南英男(集英社文庫コバルトシリーズ、1985年)以下同】

 いじめに対する報復殺害事件である。事件の詳細についてはWikipedia削除記事を参照せよ。このやり取りは1984年11月1日8時半頃に京阪電鉄の駅で行われ、同日の19時40分に決行した。二人は10分間あまり70数回にわたって金槌で殴打。途中では釘抜きの方で目をつぶしたが相手はまだ死んでいなかった。その後川へ投げ込み、水死した。

 エスカレートするいじめを思えば、二人はやがて殺されていたかもしれない。そう考えると殺害は正当防衛であったと見ることもできよう。南英男はリベラルを気取って「そういう意味では、加害者のふたりも被害者の少年も現代社会の犠牲者といえそうだ」と書いているが、この論法でいけばあらゆる犯罪は「現代社会の犠牲者」として正当化し得る。

 ぼくは、被害者が自慰行為を強制したことと加害者たちが70数回も相手を金槌で殴打したことに“病(や)める時代”を感じないわけにはいかない。

「現代社会の犠牲者」とか「病める時代」だってさ(笑)。左翼が好むキーワードだ。相手が死んでなかったら、後に彼らは間違いなく殺されていたことだろう。想像力を欠いた作家の文章はナイーブに世を儚(はかな)んでみせ、ナルシスティックな憂鬱に浸(ひた)る。著者は冒頭にも次のように記している。

 それにしても、すさまじい仕返しだ。
 この烈(はげ)しい憎悪は何なのか。
 日ごとに陰湿化する弱い者いじめの背後には、いったい何があるのだろう? 何がきっかけで、いじめが起こるのだろうか。生(い)け贄(にえ)にされた者は、どんな苦しみを味あわされているのか。いじめを繰り返す者は、何かストレスをかかえているのではないか。もはや解決の道はないのだろうか。

 支離滅裂な文章である。2行目と3行目に脈絡がない。「もはや解決の道はないのだろうか」。ないね。あんたのような大人がいる間は。

 力の弱い者が協力して力の強い者をやっつけた。ここに民主主義の原点がある。民主主義は暴力から生まれた(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。すなわち一人の強者に対して弱者が力を合わせて対抗することが民主主義のメカニズムなのだ。

 更に人類は腕力よりも知恵によって生存率を高めてきた。平穏な生活からは想像しにくいが武器こそ知恵の結晶といえる。そもそもヒトが初めて作成した道具は小型の斧と考えられている。力弱きヒトは猛獣に対して火や石を使って身を防いだことだろう。スポーツの元型が狩りにあることを思えば、道具の発明が狩猟のシステム化に結びついたことは確実だ。

 二人は「環境に適応した」のだ。ゆえに生き残ることができた。ただしここで大きな疑問が湧く。適者生存が進化の現実であれば、「殺す側」が優位となってしまう。そこに歯止めをかけるのが「法」の役割なのだろう。

2015-03-13

「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 この説によれば、意識は何ら活動しておらず、実際、何もすることはできないという。ハーバート・スペンサー(訳注 1820-1903、イギリスの哲学者)は、厳密な進化論と矛盾しないためにはこのように意識を一段低く見るしかないとした。現実的な実験主義者の多くは今なお彼と意見を同じくしている。動物は進化し、その過程で神経系やその機械的反射作用の複雑性が増す。神経がある一定の複雑性に達すると、意識が生まれ、この世界の出来事をただ傍観者として眺めるだけの、救いのない行動を始めるというのだ。
 私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソン(訳注 1832-1912、イギリスの哲学者)が言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリー(訳注 1825-95、イギリスの生物学者)がある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 トマス・ヘンリー・ハクスリーは王立協会の会長を務めた人物で、オルダス・ハクスリーの祖父に当たる。彼もまたダーウィンの進化論を支持した。この文章は意識に対する様々な見解を紹介している件(くだり)なのだが、実は意識が「何であるのか」すらもわかっていない。

 ともすると意識を高等なものと考えがちだが、ただ単に意識という反応があるだけなのかもしれない。

 私は毎度書いている通り、「生とは反応である」との持論をもつゆえに異論はない。ただし教育と努力の可能性を考える必要があろう。

 チンパンジーの社会では力の強い者がボスとして君臨する。ボスが老いたり、弱ったりすれば若いオスがボスをこてんぱんにする。文字通り暴力が支配する世界だ。時には2位とそれ以下のチンパンジーが徒党を組んで襲うケースもある(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 ヒトの場合ももちろん体が大きくて力の強い者が優位である。子供社会を見れば一目瞭然だ。しかしながらヒトの場合、努力で力に対抗し得る。例えば空手・柔道・システマなどを習えば、その【技術】によって生まれついた力の差を克服できるのだ。

 そして高度に発達した社会では力よりも知性の優れた者が後世に遺伝子をのこす確率が高まる。具体的には人々を動かす政治力であり、時には人を騙す能力となる。「嘘をつく」というのは知的に高度な行為であることを見逃してはなるまい。

 こう考えてみると、教育の本質が「技の獲得」にあることが見えてくる。

 西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 近代の歴史とも見事に符合する。中世以降、宗教が後(おく)れをとったのもここに理由があると思われる。科学的視点を欠いた宗教は「秘伝」を重んじて、「技能」を軽視したのだろう。キリスト教においてはプロテスタントが登場するまで聖書すら「秘伝」であった。これまた16世紀の歴史である。

術とはアート/『言語表現法講義』加藤典洋

 そして中世に「マネー」が生まれた。

マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康

 もちろん貨幣経済は古くから存在したが信用創造という概念はなかった。ユダヤ人の金貸しが発行した預り証が紙幣の原型であり、彼らは更に為替・証券・債権を誕生させ、銀行・保険・株式会社をつくり上げる。

 資本主義は資本がすべてであり、あらゆるものが商品化されるシステムだ。欲望まみれの社会で生き残るのはカネを掴んだ者だ。幸福は金額と化す。我々の生き方や脳はマネーに支配されている。マネーこそは中世以降、完全に世界を征服した宗教といっても過言ではない。単なる約束事であるにもかかわらず、誰もがその存在と価値を信じ込んで疑うことがないのだから。

 現代社会はマネーに対する反応で動いている。そしてグローバリゼーションという名の下で、明らかに経済が政治よりも優位性を強めている。多国籍企業が持つ力は既に国家を凌駕しつつある。

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

「意識を持つ自動人形」をやめることは可能だろうか? 極めて困難だ。我々が小説や映画やドラマ、漫画などを好むのは、「感情を操られたい」願望がある証拠だろう。学校や企業では「自動」の速度や合理化を競っている節すら窺える。

 ではどうするのか? 「止まる」ことだ。動くのをやめて止まればいい。そして心の動きまで止めてしまう。これを止観(しかん)という。そう。瞑想だ。本当に生きるためには死の淵まで降りる必要がある。瞑想は時間を止める行為でもある。三昧に至れば欲望は洗い落とされる。ま、至っていない私が言うのも何だが。


あたかも一角の犀そっくりになって/『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳

2015-02-09

トマ・ピケティ関連動画
















 日本記者クラブの講演に先立ち、会田弘継〈あいだ・ひろつぐ〉が「大変お若い」と紹介しているが、長幼の序を重んじるのは東アジアの文化であり致命的な失言だと思う。

21世紀の資本トマ・ピケティの新・資本論【図解】ピケティ入門 たった21枚の図で『21世紀の資本』は読める!


山形浩生:ピケティ『21世紀の資本』訳者解説 v.1.1 (pdf, 686kb)

比類なき言葉のセンス/『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳


『われら』ザミャーチン:川端香男里訳

 ・比類なき言葉のセンス

『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、〈中央ロンドン孵化・条件づけセンター〉の文字と、盾形紋章に記した世界国家のモットー、“共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)”。

【『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫、2013年/『みごとな新世界』渡邉二三郎訳、改造社、1933年/「すばらしい新世界」松村達雄訳、『世界SF全集』第10巻、早川書房、1968年/『すばらしい新世界』 高畠文夫訳、角川文庫、1971年)】

 一昨年初めて読んで、昨年再読。二度目の方が堪能できた。回数を経るごとに新しい発見がある。本物の作品とはそういうものだ。

 原著が刊行されたのは1932年。つまり第一次世界大戦(1914-18年)と第二次世界大戦(1939-45年)の間に生まれたわけだ。佐藤優が「二つの世界大戦を区別せずに『20世紀の31年戦争』と呼んだ方が正確かもしれない」(『サバイバル宗教論』)と指摘しているが、そう考えると「大戦の中で生まれた」とすることもできよう。

 人類は群れることで環境に適応した。思いやりも本能であり(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)、利他的行動は種の保存を目的にしていると考えてよい(「なわばりから群れへ」を参照せよ)。

 群れ=社会には秩序と管理が不可欠だ。では、人類がひとつにまとまり、完全に管理された社会が出現したらどうなるか? それを描いたのが本書である。出産、教育から個人の快楽までもが完璧に管理された社会だ。

 21世紀に入り、パックス・アメリカーナに基づくグローバリズムが叫ばれるようになった。世界国家が実現した「すばらしい新世界」は文化や民族性を排除した無機質な世界であった。その対比として「悪しき野蛮人世界」が描かれる。インディアンを野蛮人としたのは差別主義からではなく、ハクスリーのスピリチュアリズムによるものであろう。

 骨太のストーリーを比類なき言葉のセンスが支える。そしてコピーやフレーズに深い知性の裏づけがある。

 クリシュナムルティに書くことを促したのはハクスリーその人であった(1942年)。ハクスリー本人はその後、神秘主義に傾くが、「条件づけセンター」という名称にはクリシュナムルティの影響があったのかもしれない。

 何度か挫けている松村達雄訳も読んでみようと思う。



邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ
自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること/『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ

2014-06-05

岩本沙弓、佐藤優、小玉歩、松沢哲郎


 3冊挫折、1冊読了。

想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』松沢哲郎〈まつざわ・てつろう〉(岩波書店、2011年)/期待外れ。「遺書のつもりで書いた」(あとがき)のが裏目に出た。何となく私的な記録に近いものを感じた。フランス・ドゥ・ヴァールを読めば十分だと思う。

仮面社畜のススメ 会社と上司を有効利用するための42の方法』小玉歩〈こだま・あゆむ〉(徳間書店、2013年)/新聞広告でよく見掛ける一冊。20代前半のサラリーマンが読むといいだろう。毒があるようで薄い。

地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く』佐藤優〈さとう・まさる〉(潮出版社、2014年)/かなり出来が悪い。池田・トインビー対談に寄り掛かりすぎていて、新たな価値を提示できていない。内容紹介にとどまっているような印象が強い。「創価学会のファン」を公言してはばからない佐藤であるが、孫引きしている池田の著作も明らかに少ない。佐藤が中間団体応援団長として創価学会にテコ入れした作品と考えてよかろう。『サバイバル宗教論』の方がはるかに面白い。

 36冊目『バブルの死角 日本人が損するカラクリ』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(集英社新書、2013年)/岩本沙弓に外れなし。消費税、税制改革、時価会計導入、為替介入について。岩本の真っ直ぐな性格が文章の端々から伝わってくる。言い回しに女性特有の細やかさが見られるが、もっと思い切って断言してよいと思う。もっともっと活躍してほしい女性アナリストだ。

2014-03-13

進化宗教学の地平を拓いた一書/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド


ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 ・進化宗教学の地平を拓いた一書
 ・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
 ・宗教と言語
 ・宗教の社会的側面

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

 宗教はとりわけ、共同体のメンバーが互いに守るべき道徳規範を示し、社会組織の質を維持する。まだ市民統治機構が発達していなかった初期の社会では、宗教だけが社会を支えていた。宗教は、同じ目的に向けた深い感情的つながりをもたらす儀礼をつうじて、人々を束ね、集団で行動させる。
 したがって、単独で存在する教会はない。教会とは、同じ信念を持つ人々が作る特別な集団、つまり共同体である。その信念はありふれた無味乾燥なものの見方ではなく、深い感情的つながりを持つ。象徴的儀礼や、合唱や一斉行動のなかで共通の信念を表現することによって、人々は、自分たちを共同体として束ねている共通の信仰に深くかかわっているという信号を送り合う。宗教(religion)という語が、ラテン語で「束ねる」を意味する religare からおそらく派生しているのは、この感情的な結びつきのためかもしれない。

【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)】

 余生が少なくなってきたので(あと30年くらいか)重要な書籍からどんどん紹介してゆこう。進化宗教学の地平を拓いた一書である。「宗教とは何か?」で順序を示してあるので参照せよ。相対性理論や数学の知識がある人は小室直樹から始めてよろしい。このラインナップですら省(はぶ)いている書籍は多い。本来であればやはり「キリスト教を知るための書籍」から入るのが正しい。流れとしてはキリスト教→科学→宗教→仏教&クリシュナムルティという順序が望ましい。ま、所詮は感性の問題であるが。

 人間と動物を分かつのは宗教行為である。政治や経済は類人猿にも存在する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。だが死を悼(いた)み、死者を弔(とむら)い、遺体を埋葬し祈りを捧げるのは人類だけだ。宗教行為は「死の認識」に基づく。

 ヒトのコミュニティが巨大化して国家にまで至ったのはなぜか? それは「悲しい」という感情を共有したためと考えられよう。「悲しみ」はたぶん後天的な感情だと思われる。既に学術的価値がないとされるJ・A・L・シング著『野生児の記録 1 狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記』(福村出版、1977年/原書は1942年)にもそのような件(くだり)があった。

 北朝鮮の国家主席が死亡した際に登場する泣き女もシャーマン(巫女)と関係があるのではないだろうか。

「笑い」が知的行為で人によって異なるのに対して、「悲しみ」の感情は同じ場面で現れる(『落語的学問のすゝめ』桂文珍)。つまりコミュニティとは「悲しみを共有する」舞台装置なのだろう。オリンピックがその典型であろう。浅田真央が転んだと聞けば、オリンピックをまったく見ない私ですら悲しくなる。国家は感情を分断する。戦争が国家単位で行われるのも不思議ではない。

 世界宗教と呼ばれるような宗教でも教義解釈によって絶えず分派を繰り返す。国家であろうと宗教であろうと権力は必ず腐敗する。その悪臭の中から必ず原点回帰運動が起こる。そして叫ばれた「正義」が人々に受け入れられると一気に暴力行為が花開くのだ。

 宗教の語源については以下も参照せよ。

宗教の語源/『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル

 細切れの時間で書いたため取りとめのない文章となったが今日はここまで。あと10回か20回は紹介する予定だ。

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
ニコラス・ウェイド
エヌティティ出版 (2011-04-22)
売り上げランキング: 55,882

宗教は人を殺す教え/『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
マントラと漢字/『楽毅』宮城谷昌光
『歴史的意識について』竹山道雄

2014-03-04

ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ


 過去何百年もの間に、数え切れないほど多くの科学者や哲学者がこの私たちのユニークさをあるいは認め、あるいは否定してあらゆる種類の人間らしさの前例をほかの動物に求めてきた。近年、独創的な科学者たちが、純粋に人間だけのものとばかり思われていた多種多様の事例の前例を見つけている。私たちは、自らの思考について考える(これを「メタ認知」という)能力を持つのは人間だけだと思っていた。だが、考え直したほうがよさそうだ。ジョージア大学の二人の神経科学者が、ラットにもその能力があることを立証した。ラットは自分が何を知らないかを知っていることがわかったのだ。

【『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ:柴田裕之訳(インターシフト、2010年)】

 メタには「高次な」「超」といった意味がある。ヒトは五感情報を統合し、更にもう一段高いレベルで自分の思考や感情を客観的に捉えることができる。これをメタ認知という。脳にダメージを受けると高次脳機能障害となる。メタ認知機能の崩壊といってよい。

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉

 以下、関連リンク。

脳とネットワーク/The Swingy Brain:「我思う」ラット
どっちにする?考え中!: 感性でつづる日記

 ってことは、マウスに思考があることを示唆する。あいつらにはあいつらの「考え」があるのだ。すると「意志」があっても不思議ではない。ただし言語が発達しているようには見えないから、たぶん視覚情報を言語化しているのだろう(『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン)。

 サルは非辺縁系の感覚を二つ、連合させることができない。人間はそれができる。そしてそれが、ものに名前をつけ、より上位の抽象化のレベルを進んでいく能力の基盤となっているのだ。

【『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック(リチャード・E・サイトウィック):山下篤子訳(草思社、2002年)】

 名前を付け(名詞化)、カテゴライズ(類推→アナロジー〈『カミとヒトの解剖学』養老孟司〉)することができるのは実は凄い能力なのだ。結びつける認知能力といってもよいだろう。

 それにしては人間と人間を結ぶ能力が発達しないのはどういうわけか? 個人的には人間の知性よりもラットの本能の方が優れていると思う(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

2014-02-07

殺人を研究する/『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン


 貴公子や高僧はかつらをつけた御者に戦車を操らせ、
 昂然と桂冠を戴いて時代の栄華を味わう。
 その足元で、見下され、見捨てられ、槍に取り囲まれた男たち。

 傷だらけの軍にあって死ぬまで戦う者たち、
 戦場の埃と轟音と絶叫に茫然と立ちすくむ者たち、
 頭を割られ、目に流れ込む血をぬぐうこともできぬ者たち。

 胸に勲章を飾った将軍たちは王に愛でられ、
 威勢のよい馬にまたがり、高らかにらっぱを鳴らして行進する。
 その陰で、泥にまみれて城を攻め、無名のまま死んでゆく若者たち。

 だれもが美酒と富と歓楽を謳い、
 堂々たる美丈夫の君主を讃えようとも
 私は土と泥を謳い、埃と砂を謳おう。

 だれもが音楽と豪華と栄光を愛でようとも、
 私は一握の灰を、口いっぱいの泥を謳おう。
 雨と寒さに手足を失い、倒れ、盲いた者どもを讃えよう。

 神よ、そんな者どものことをこそ
 謳わせたまえ、語らせたまえ――アーメン

ジョン・メースフィールド「神に捧ぐ」

【『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン:安原和見訳(ちくま学芸文庫、2004年/原書房、1998年『「人殺し」の心理学』改題)以下同】

 巻頭で「献辞」として紹介されている詩である(一般的な表記はジョン・メイスフィールド)。

 いつの時代も戦争を決めるのは老人で、若者が戦地へ送り出される。手足が凍傷するのは内蔵を守るためだ。我々は国家という人体の手足に過ぎない。あるいは伸びた分の爪かも。

 30cmに満たない足の裏が人体を支える。最も高い位置にあるのは頭だ。「頭(ず)が高い」とはよくいったもので、他人の頭を下げさせるところに権力有する根源的な力がある。

 戦争とは国家が人殺しを命令することだ。他者の命を奪うことが最大の罪であるならば、それ以下の罪――強姦・傷害・窃盗など――は容易に行われることだろう。しかも現代科学は瞬時の大量殺戮を可能にした。

 ハードカバーの書影は射殺された兵士の写真。頽(くずお)れて不自然な格好で息絶え、モノクロ写真であるにもかかわらず粘着性のある血糊(ちのり)が生々しい。

「人殺し」の心理学

 なぜ、殺人について研究しなければならないのか。セックスについて研究すると言えば、やはり同じように、なぜセックスを? と問われるだろう。この二つの問いには共通する部分が多い。リチャード・ヘクラーらはこう指摘している――「神話では、アレス(戦争の神)とアプロディテ(美と愛の女性)の結婚からハルモニア(調和の神)が生まれた」。つまり平和は、性と戦争とをふたつながら超克してはじめて実現するものだ。そして戦争を超克するためには、少なくともキンゼー(米国の動物学者。人間の性行動の研究で有名)やマスターズ(米国の婦人科医。男女の性行動の研究で有名)やジョンソン(米国の心理学者。人間の性行動について研究)のような真摯な研究が必要である。どんな社会にも盲点がある。直視することが非常にむずかしい側面、と言い換えてもよい。今日の盲点は殺人であり、1世紀前には性だった。

 キンゼーはアルフレッド・キンゼイで、他の二人はマスターズ&ジョンソンのウィリアム・マスターズとヴァージニア・ジョンソンだろう。名前表記の不親切さが気になる。著者名もデイヴとすべきではなかったか。

 もうひとつ見逃せない記述がある。

 かつてロバート・ハインラインはこう書いた――生きる喜びは「よい女を愛し、悪い男を殺すこと」にあると。

 性も暴力も接触行為である。ただ力の加減が異なる。人間の愛情と憎悪が同じ接触に向かう不思議。ハインラインの言葉は男の本性を巧みに言い当てている。

 本書によれば普通の人間は殺人行為をためらう傾向があり、戦場で殺人を忌避する行動が数多く見られるという。そりゃ当然だ。同類なのだから。しかし物語のルールを変更すれば人間はいくらでも殺人が可能となる。魔女狩り、インディアン虐殺、黒人リンチ、ルワンダ大虐殺……。

 ゆえに米軍では敵国人をゴキブリ呼ばわりし、徹底的に憎悪することを訓練してきた。

 個人的にはシステマティックに戦争を考えるよりは、フランス・ドゥ・ヴァールのようにヒトの本能から捉えた方が人間の本質に迫れると思う。

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

2013-11-12

いじめに関する覚え書き



『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール






『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ


凌遅刑(りょうちけい)


2013-10-26

トム・ロブ・スミス、綿本彰、矢上裕、金哲彦、ル・クレジオ、ファリード・ザカリア、他


 11冊挫折、5冊読了。

民主主義の未来 リベラリズムか独裁か拝金主義か』ファリード・ザカリア:中谷和男〈なかたに・かずお〉訳(阪急コミュニケーションズ、2004年)/竜頭蛇尾。ただし4分の3だけ読んでも十分お釣りがくる。民主主義の発生についてはフランス・ドゥ・ヴァール著『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』が参考になる。

秘密結社』綾部恒雄〈あやべ・つねお〉(講談社学術文庫、2010年)/アウトライン的内容。たぶん労作だ。巻末の「世界秘密結社事典」が有益。

儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』メアリー・ダグラス、バロン・イシャウッド:浅田彰〈あさだ・あきら〉、佐和隆光〈さわ・たかみつ〉訳(講談社学術文庫、2012年)/たぶん良書。ひょっとしたら名著かも。しかしながら私の知識ではついてゆけず。

意味の変容・マンダラ紀行』森敦(講談社文芸文庫、2012年)/文章がしつこい。

海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』ル・クレジオ:豊崎光一、佐藤領時訳(集英社文庫、1995年)/訳文が肌に合わず。ある作家の初めて読む作品に挫折してしまうと他の作品を読む気が失せる。その意味でも翻訳が重要だ。

悪魔祓い』ル・クレジオ:高山鉄男訳(岩波文庫、2010年)/こちらは翻訳が素晴らしい。ル・クレジオによるインディアン讃歌だ。類を見ない文体の華麗さである。後半は飛ばし読み。ちょっと濃過ぎる。

ボルツマンの原子 理論物理学の夜明け』デヴィッド・リンドリー:松浦俊輔訳(青土社、2003年)/翻訳名は統一してもらいたいもんだ。『そして世界に不確定性がもたらされた ハイゼンベルクの物理学革命』(デイヴィッド・リンドリー)と比較すると控えめな内容で華に欠ける。3分の1ほどで挫ける。

帰ってきたソクラテス』池田晶子(新潮文庫、2002年)/ソクラテスが現代社会の問題に答える、という設定が巧い。若い人にはオススメ。

唐詩選(上)』前野直彬〈まえの・なおあき〉注解(岩波文庫、2000年)/10年後に再読しようと思う。唐詩選偽作説についても率直に書かれている。ただ偽作であったとしてもこれに優る入門書はあるまい。

ディアスポラ』グレッグ・イーガン:山岸真訳(ハヤカワ文庫、2005年)/巨匠グレッグ・イーガンのSFはとにかく難しい。哲学書並みだ。

たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』行方昭夫〈なめかた・あきお〉編訳(岩波文庫、2009年)/全然面白くなかった。

 48、49冊目『エージェント6(上)』『エージェント6(下)』トム・ロブ・スミス:田口俊樹訳(新潮文庫、2011年)/トム・ロブ・スミスに外れはない。今のところは。レオ・デミドフ三部作の完結編。矛盾を抱えた家族が国家に翻弄される様を見事に描いている。ラストまでしっかり謎を残し、ミステリの王道をゆく。

 50冊目『DVDで覚えるシンプルヨーガLesson』綿本彰〈わたもと・あきら〉(新星出版社、2004年)/ヨガを習いにゆくと思えば安いものだ。入門書としてはよい出来だと思う。見ていると簡単そうなんだが、実際にやると中々きつい。私は「サルのポーズ」で一旦あきらめ、煙草を吸いながらDVDを見終えた。ヨガの難点は時間のかかるところ。

 51冊目『DVDで覚える自力整体』矢上裕(新星出版社、2005年)/あまりよくない。ヨガの方が断然いい。

 52冊目『「体幹」ウォーキング』金哲彦〈きん・てつひこ〉(講談社、2010年)/それほど大したことは書いていないのだが、肩甲骨と骨盤の姿勢について卓見が示されている。これだけでも読む価値あり。「胸を張る」のではなく「肩甲骨を寄せる」といううのがミソ。

2013-09-15

集合知は沈黙の中から生まれる/『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン


『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『群衆の智慧』ジェームズ・スロウィッキー

 ・集合知は群衆の叡智に非ず
 ・集合知は沈黙の中から生まれる
 ・真のコミュニケーション

『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環、水谷緑まんが
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その五

 それでは集合知が生まれる場面を見てみよう。

 踏み込んだ質問が、踏み込んだ答えを引き出した。

【『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン:上原裕美子〈うえはら・ゆみこ〉訳(英治出版、2010年/原書、2009年)以下同】

 議論が深まるのは皆に共通する疑問を探り当てた瞬間だ。問題は常に氷山の一角として現前する。表面化していない海中に実体を隠しながら。大切なのは「問い」の質である。

 筆者であるクレイグ・ハミルトンから取材を受けた別の女性は、自分が体験した集団体験についてこう語っている。
「誰かが喋ると、それはまるで自分が喋ったかのように感じられました。私が喋ると、そこには自分がまったく感じられませんでした。まるで、ほんとうは私じゃないみたいに。まるで、私よりも大きな何かが、私を通して喋っているかのように。室内の空気は、川の中にいるような感じでした。……私たちは、それまで考えたこともなかったことを喋り始めました……何かが開かれ、それがまた別の何かを開いていくようでした」
 こうした理解は、急に皆が次の行動を察せられるようになる、という形で表面化する場合がある。少ない言葉でも意思疎通ができ、連帯感や共通の目的意識が増幅されるのだ。
 この現象は「わからない」という状態から生じることが少なくない。わからないことがあれば、人はそれぞれ心の内で考えを深め、多様な視点に耳を傾ける。専門家たろうとするのをやめ、心を開こうとする。認知科学者のフランシスコ・ヴァレラは、これを、「断絶が起きる瞬間、すなわち、私たちが“知る者”ではなくなるとき……私たちは入門者のようになり、目の前の作業に馴染もうとする」からだと説明した。言い換えれば、世界が馴染みの薄いものとなる瞬間に、人は新たなる道を探し、新たな行動を起こすチャンスを手にするのだ。
 集団が進んでリスクを負い、「わからない」という事実を認めるとき、深い洞察力が生じやすいというのは、集合知のパラドックスのひとつである。

 共感から連帯感が生まれ、連帯感が洞察に至る。発言と傾聴それ自体が一体となる様はまるで音楽のようだ。私も幾度か経験しているが、人とのつながりがシナプスのつながりに直接通じるような実感を覚えた。

「わからない」という自覚があるからこそ新たな視点が生まれる。

 人が心を開き、なおかつ自分の思うままにしようとせず、進んでその一分になろうとするとき、集合知は出現する。その成果は、たいていは予想外のものだ。当初は想像もしていなかったものが出てくる場合もある。(中略)「わかる」と「わからない」の狭間、新たな意味と視点が生じる小さな隙間に、知がたちのぼってくるのである。

「わかっている人」は傾聴することができない。他人を値踏みし、自分の発言の効果だけ考えている。

 集合知は会話によって導かれるが、それがもっとも強く意識されるのは、会話と会話のあいだに生じる沈黙においてである。

 ここ、アンダーライン。沈黙の中から集合知は生まれ、余韻から智慧が生じる。これはもう議論ではない。個々の存在を融合させる祈りの世界だ。

 集合知が生じるのは、自分たちが単なる外面的部品の総和ではないと理解したときだ。そこには個々の、集団の、そして大きな集合体としての内面的領域がある。傾聴するというのは、その人の中で、その集団の中で、大きな集合体の中で、何がほんとうに起きているのか好奇心を持つ行為だ。

 次から次へと閃(ひらめ)きはとどまることを知らない。傾聴は責任と好奇心に支えられていたのだ。

 皆で何かを生み出せるかどうかは、個人または小集団の「自分(自分たち)はつねに正しい」という意識を保留できるかどうかにかかっているのだ。確信を意識的に保留することで、その集団から新しいもの、たいていは予想外のものが出現する。

 これは正義感というよりも「行動の正しさ」を意味する。ライト・スタッフ(正しい資質)と言い換えてもよかろう。その雰囲気の中から「正しい声」が上がる。

 イロコイ族の言葉には「我らがひとつの心であるように」という表現があります。ひとつの心にならなければ、合意にはならないのです。
「あらゆる決断は、七世代あとに与える影響を考えて決めなければならない」という言葉は、ご存じの方も多いでしょう。
 リーダーには、民衆の心(ハート)と魂(スピリット)に糧を与える責任があります。きちんとした情報という糧です。
 部族の母には、冬を越せるように、そして仮に翌年が凶作となっても3年ぶんの冬を越せるように、とうもろこしの数を数えておく責任があります。それと同じように、心と魂を育む責任があるのです。(※ポール・アンダーウッド)

 この辺りに人間の適切なコミュニティの大きさを量るヒントがありそうだ。国家は大きすぎるし、議員の数も多すぎる。

(※ポール・アンダーウッドは5歳から、来客の話を繰り返す訓練を課せられた)
 すると父はこう言いました。
「とても上手になったな。あの方の心は聞けたかな?」
 どいういうこと?――と私は思いました。そこで数日ほど、いろんな人の胸に耳をくっつけてまわり、心臓の音を聞こうとしてみました。
 すると父は、私のためにもうひとつ学びの場を作りました。母に言って、新聞の記事を読みあげてもらうのです。そしてこう言いました。
「今の記事を理解したかっったら、行間を読まなくてはならないよ」
 なるほど、と私は思いました。行間、つまり、言葉と言葉のあいだに耳を澄ますのです。次にトンプソンさんの話を聞く機会がめぐってきたとき、私は彼の言葉と言葉のあいだに耳を傾けるようにしました。
 父が「お話はわかったかね。心は聞けたかな?」と言うと、私は「聞けた」と答えました。トンプソンさんは寂しかったのです。自分の思い出を共有してほしくて、何度も何度も話しに来るのです。それは、私の内側からごく自然に出てきた気づきでした。言い換えるならば、私の心がトンプソンさんの心と響き合ったのです。そのレベルで耳を傾けることができれば、聞こえてくるのは人々の声だけではありません。ほんとうに心から聞こうとすれば、森羅万象の声が耳に入ってくるのです。

 傾聴とは「言葉と言葉のあいだに耳を澄ます」ことなのだ。言葉尻を捉えて非難するところに集合知など生じるはずがない。心と心が響き合う様子が美しい音色の谺(こだま)を思わせる。

 集合知の出現を促すには、個人として、そして集団として、論理的な思考と象徴形式的(シンボル・メイキング)な思考の両方を持たなければならない。「象徴(シンボル)は扉です。その扉を通って、より大きな理解へと進むのです」とアンダーウッドは話している。順を追ったロジックと、自然に生まれる洞察、段階的な展開と、直感的な飛躍。箇条書きの説明と、詩的な描写。それらを包含し、より洗練された理解を生むための素地を作らなくてはならない。複数の知性が合わさり、しれにもとづいた健全な判断が生じるとき、集合知が形成されやすいのである。

 何ということか。集合知は瞑想とマンダラ的要素(シンボル)をも含んでいたのだ。共感的な沈黙の中から突如として智慧の稲妻が光る。あたかも人類が進化する瞬間を見ているようだ。

 いくつか参考リンクを示す。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 共感は智慧を生むが、時に単なる同調へと傾く場合もある。

アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

コミュニケーションの本質は「理解」にある/『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ
比較が分断を生む/『学校への手紙』J・クリシュナムルティ
あなたは人類全体に対して責任がある/『学校への手紙』J・クリシュナムルティ

 あと一回書く予定である。



政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2012-10-28

「法人税の引き下げによる経済効果はゼロないしマイナス」/『消費税は0%にできる 負担を減らして社会保障を充実させる経済学』菊池英博


・「法人税の引き下げによる経済効果はゼロないしマイナス」
法人税と所得税の最高税率を引き上げるべきだ

 2年前に読んだのだが書き忘れていた。ま、結果的にはタイミングがよくなったかもしれない。

 消費税はやたらと複雑である。複雑であればこそ国民を騙(だま)すことが容易であるし、複雑であればこそ官僚への依存傾向を強化できる。既に来るべき総選挙を展望して消費税増税は既定路線と化した観がある。新聞各紙は大本営発表に先駆けて大政翼賛の一翼を担い、テレビが追走する。テーマは増税の是非ではなく、国民を懐柔する方法にシフトしている。

 国民は至って静かである。体温が不況に馴染んでしまったのだろうか? あるいはきな臭さを感じながらも、「魚を焼いているんでしょ?」と思っているのだろうか? 台所は火の車だ。すなわち火事なのだ。

 デフレの炎はもう20年間も燃え続けている。これを水(総需要拡大政策)ではなく、国民の手で抑えて消そうとするのが消費税増税の意図だろう。奇しくも「消」の字が一致している。

 1989年の消費税導入から始まる現在の日本の税制は、30年前にアメリカのレーガン大統領(1981~1988年)が採用した新自由主義市場原理主義型の税制であり、「失敗した時代遅れの考え」(レーガンの「税制と財政政策」に関するオバマ大統領の議会での発言)による経済政策と税体系を模倣した税制だから、自公政権は消費税しか税収増加を図る道がなく、行き詰まっているのだ。

【『消費税は0%にできる 負担を減らして社会保障を充実させる経済学』菊池英博(ダイヤモンド社、2009年)以下同】

 では、レーガン税制の何が間違っていたのか?

 こうした事実から、「ラッファー理論」や「トリクルダウン理論」は、経済的に実証された理論ではなく、レーガン政権の当初の見込みに反して、「法人税の引き下げによる経済効果はゼロないしマイナス」であり、「富裕層の所得税率を引き下げても、経済成長には寄与しない」というのが経験的に証明されたのである。レーガン・モデルは「まやかしの経済学に依存していたので大失敗した」といえよう。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 驚くべき指摘である。やはり経団連の薄汚いジイサン連中は国民の味方ではなかった。あいつらは自分たちさえよければいいのだ。彼らが消費税増税に賛成する理由がわかったよ。

 日本の税制が「失敗した時代遅れの考え」によっている上に、「小泉構造改革」によるデフレ政策によって、日本は「10年デフレ」「10年ゼロ成長」に陥り、それによって生じた財政赤字を補填するために、自公政権は人命(社会保障費)を人質にして、消費税引き上げの理由づけにしている。
 一大失政である。「欺瞞(ぎまん)の構造改革」の結果、日本はまさに「成長を忘れたシーラカンス」になってしまった。

 つまり「失敗した時代遅れの考え」が官僚にとっては都合がよいのだろう。財務省、経済産業省はシカゴ学派の軍門に降(くだ)ったと見て間違いない。

 人類の歴史は争うことで発展してきた。時に戦争で奪い、時に外交で駆け引きを行い、時に政治をもって利益を分配してきた。敢えて「健全な争い」とはいわない。冷戦構造の崩壊から既に20年が経つ。何らかの「乱」が必要なことは明らかだ。【続く】

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消費税が国民を殺す/『消費税のカラクリ』斎藤貴男

2012-09-04

民主主義と暴力について/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール


民主主義と暴力/『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎

 続きを書くとしよう。

 民主主義は暴力に対抗し得るだろうか? チト微妙だ。するともしないとも言える。

 いじめをモデルに考えてみよう。私に子供がいたとする。更にその子が私の意に反しておとなしい子に育ったものと仮定しておく。

 我が子に対する教育はコミュニケーション能力を磨くことに主眼を置く。誰とでも仲よくなることができ、人の心を理解できる子供に育て上げる。

 で、私の子か、あるいは子供の親友がいじめられた場合どうするか? 「心ある大衆を集めて反撃せよ」と私なら教えることだろう。

 2対1という構図は、チンパンジーの権力闘争を多彩なものにすると同時に、危険なものにもしている。ここで鍵を握るのは同盟だ。チンパンジー社会では、一頭のオスが単独支配することはまずない。あったとしても、すぐに集団ぐるみで引きずりおろされるから、長続きはしない。チンパンジーは同盟関係をつくるのがとても巧みなので、自分の地位を強化するだけでなく、集団に受けいれてもらうためにも、リーダーは同盟者を必要とする。トップに立つ者は、支配者としての力を誇示しつつも、支援者を満足させ、大がかりな反抗を未然に防がなくてはならない。どこかで聞いたような話だが、それもそのはず人間の政治もまったく同じである。

【『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール:藤井留美訳(早川書房、2005年)以下同】

Pan troglodytes

 政治の淵源はチンパンジーにあったのだ。我々の先祖は偉大だ(笑)。つまり政治とは暴力の異名であったのだ。民主主義が政治手続きである以上、暴力とは無縁でいられない。

 下の階層に属する者が、力を合わせて砂に線を引いた。それを無断で踏みこえる者は、たとえ上の階層でも強烈な反撃にあうのだ。憲法なるもののはじまりは、ここにあるのではないだろうか。今日の憲法は、厳密に抽象化された概念が並んでいて、人間どうしが顔を突きあわせる現実の状況にすぐ当てはめることはできない。類人猿の社会ならなおさらだ。それでも、たとえばアメリカ合衆国憲法は、イギリス支配への抵抗から誕生した。「われら合衆国の人民は……」ではじまる格調高い前文は、大衆の声を代弁している。この憲法のもとになったのが、1215年の大憲章(マグナ・カルタ)である。イギリス貴族が国王ジョンに対し、行きすぎた専有を改めなければ、反乱を起こし、圧政者の生命を奪うと脅して承認させたものだ。これは、高圧的なアルファオスへの集団抵抗にほかならない。

Pan troglodytes predation 2

 ボス猿vs.バトルロイヤル戦だ。重要なことは強いボスに従うよりも、ある程度利益を分配した方が進化的な優位性があると考えられることだ。実際、抜きん出たカリスマ指導者を持った集団は、指導者を失った途端に崩壊の坂を転げ落ちる。

 民主主義は積極的なプロセスだ。不平等を解消するには働きかけが必要である。人間にとても近い2種類の親戚のうち、支配志向と攻撃性が強いチンパンジーのほうが、突きつめれば民主主義的な傾向を持っているのは、おかしなことではない。なぜなら人類の歴史を振りかえればわかるように、民主主義は暴力から生まれたものだからだ。いまだかつて、「自由・平等・博愛」が何の苦労もなく手に入った例はない。かならず権力者と闘ってもぎとらなくてはならなかった。ただ皮肉なのは、もし人間に階級がなければ、民主主義をここまで発達させることはできなかったし、不平等を打ちやぶるための連帯も実現しなかったということだ。

Banksy Canvas Monkey Guns
Banksy作)

 そしていじめもなくならない。自殺も。警察庁の「自殺統計」によれば学生・生徒の自殺者数は微増傾向にあり、2011年に初めて1000人を超えた。

自殺対策白書

 この内、いじめが原因となっている数はわからない。だが一人でもいじめを苦に死を選んだ児童がいれば、決してそれを許すべきではない。

 意外と見落としがちであるが、暴力というのも実は文化と考えられる。まず始めに啖呵(たんか)を切る。突然殴ることは殆どない。次に相手の胸倉をつかむ。サルの世界でディスプレイと呼ばれる示威行為と一緒だ。つまり暴力は相手の命を奪うことを目的としていない。憎悪に猛り狂い、殺意がたぎっていたとしても、我々は相手の喉仏や鼻の下、眉間、耳の下を殴ることができない。ま、本気で喉元に手刀を入れれば、やられた方は死んでしまうことだろう。

 再び学校に目を戻そう。学校内で民主主義が実現されるのは多数決で何かを決める場合に限られる。実際はクラス委員や生徒会長を選出する時だけであろう。そしてクラス委員や生徒会長には大した権限がない。学校全体を仕切っているのは校長を始めとする教員たちであり、クラスを牛耳るのはいじめっ子なのだ。

 何となく日本を象徴するような話だ。校長先生がアメリカで、いじめっ子が暴力団と考えればわかりやすいだろう。

 革命とは政治主義の変更であって、国民全員に利益が分配される革命など存在しない。例えば米騒動を考えてみよう。現在、米に替わるものはマネーである。では貧しい人々が決起して、銀行を襲えばカネを奪えるだろうか? 無理だね。残念ながら銀行にカネはないのだよ。あってもせいぜい預金の20%程度であろう。あいつらは準備預金率というレバレッジで悪どく儲けているのだ。マーケットを見よ。デジタル化された数値がやり取りされているだけの世界だ。

 面倒になってきたので結論を述べる。我々はいざという時に暴力を振るえる覚悟がない限り、民主主義を実現することは不可能だ。更にすべての情報が公開されていない以上、投票行為すらメディアによって操作されてきた可能性がある。

 いじめを傍観する者が一人もいなくなれば、民主主義は完璧なものとなろう。

フランス・ドゥ・ヴァール

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

2012-08-29

民主主義と暴力/『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎


 1996年10月30日、岐阜県可児郡(かにぐん)御嵩(みたけ)町長を務めていた柳川喜郎は二人組の暴漢に襲われ、滅多打ちにされた。

 左前頭部頭蓋骨陥没骨折、頭部打撲傷、右上腕部骨折、右肋骨3本骨折、その1本は肺に刺さって右肺が気胸(ききょう)の状態、それに右鎖骨骨折との診断であった。

【『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎〈やながわ・よしろう〉(岩波書店、2009年)以下同】

 右腕上腕部は直角に折れていた。御嵩町長襲撃事件である。柳川は意識不明の重体となるが辛うじて一命を取り留めた。

 前年の1995年、産業廃棄物処理場の建設反対を公約に掲げて柳川は町長選で当選する。

 襲撃事件の1年以上前から、産廃についての勉強会を開いた住民たちに暴力団や右翼から脅しが入ったり、町長室に広域暴力団の幹部が私に面会を求めてやってきて、「介入する」と凄んでいったこともあった。
 襲撃事件の1年前の95年9月、産廃処分場計画の一時凍結を県知事に要望してからは、ミニ新聞が一斉に御嵩町政批判と私に対する個人攻撃を反復し、執拗に敵意をむき出しにしていた。

 利権と暴力はセットメニューだ。利権に与(あずか)る企業にとって暴力団は必要悪の存在といえる。汚れ仕事はアウトソーシングするわけだ。

 柳川はNHK記者時代に戦場取材や暴動を経験してきた。そこに自信と油断があった。サポーターは監視カメラの設置を進言したが、結局間に合わなかった。

 御嵩(みかさ)町の隣りの可児(かに)市にある産業廃棄物処理業者、寿和(としわ)工業の韓鳳道(清水正靖)会長が平井儀男町長に面会して、御嵩町小和沢(こわさわ)に39ヘクタールの管理型産廃処分場を建設する計画について説明した。

 この会社は現在も営業中だ。

寿和工業

 木曽川には織田信長にもらったとされる農業用水の水利権、それに福沢桃介(ももすけ)がはじめた水力発電の水利権など、がんじがらめになっている。

 御嵩町には木曽川の水利権がなかった。この辺りについては以下のページが詳しい。

御嵩[1998/05]

 岐阜県は産廃処理場設置に積極的だった。柳川も梶原拓知事と小田清一衛星環境部長の名前を挙げて問題視している。

「協定書」の最大の問題点は、町民の知らないところで、いわば密室協議で決まり、締結されたことであった。それまで表向き産廃処分場は「不適」として建設に反対の意思を表明してきた町が180度方針を転換し、「協定書」で巨大産廃処分場受け入れを決めたことは、町民にはまったく知らされなかった。
 それに、町が産廃業者から受け取ることになっていた金額35億円は、町の年間一般会計予算額約60億円と対比させても巨額であり、町民の知らないまま受け取りを決定してよい金額ではなかった。

 ま、政治なんてえのあ、闇鍋みたいなもんだろう。この国ではジャーナリズムが機能していないため、政治家や大企業はやりたい放題だ。柳川は住民投票の実施を決意する。しかし、岐阜県がまた横槍を入れてきた。

 なぜならば、地元の御嵩町では住民投票で小和沢に産廃処分場を建設するか、しないかについて民意を問おうという矢先に、処分場の建設を前提とした「調整試案」を提示してきたのは、住民投票への妨害工作と解釈せざるをえなかったからである。

 こうなると寿和工業と岐阜県の間に何らかの利益構造があると見てよさそうだ。

 M右翼の元親分の追悼式は同じ年の9月7日におこなわれるが、その前日、寿和工業会長は高速道路のインター近くで、5000万円の現金をM右翼に渡す。香典にしては巨額であった。

 寿和工業の素性が知れる行為である。

 また、こんなこともあった。

 のちに捜査が進んで盗聴Aグループの実行犯が逮捕されたとき、新聞の犯人の顔写真を見て、私は飛びあがった。逮捕されたT興信所はテレビ取材班と一緒に現れた盗聴器発見プロ氏、その人であった。

 柳川の自宅電話は二つのグループによって盗聴されていた。

 結局、この事件は時効となる。なぜか?

「正直いって寿和にいる元警察幹部が障害になった」と、ある捜査官は私に語ったことがある。

 寿和工業には複数の警察幹部が天下りしていたのだ。警察OBが捜査に手心を加えさせることは決して珍しいことではない。

革マル派に支配されているJR東日本/『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介

 岐阜県警は凶器の特定すらできず、あろうことか柳川のX線写真すら確認していなかった。

 御嵩町で住民投票が実施された。

 即日開票の結果、産廃処分場建設に反対1万373票(79.6%)、賛成2442票(18.7%)、反対票が圧倒的だった。(※絶対得票率69.5%)

 この結果を受けて、

 産廃業者・寿和工業は住民投票後も町と町長に対する提訴を濫発し、合計10本となった。

 訴権の濫用ともいうべき醜態だ。凶暴な野獣を思わせる。

「民主主義は楽ではない」との一言があまりにも重い。柳川が描いたのは暴力に屈することのなかった地方自治の姿であった。柳川は我が身を暴力にさらすことで民主主義に魂を吹き込んだといってよい。民の無関心が民主主義のリスクを高める。その代償はあまりにも大きい。そして司法も警察もまともに機能していない現実がある。

 そもそも民主主義というものは理想的な概念であって、私としては信ずるに値するとも思っていないし、単なる欺瞞だと考えている。そんな私からしても柳川&御嵩町民の闘争は一筋の光明と感じた。

 本当はここからいじめについて書こうと思っていたのだが、長くなったので筆を擱(お)く。最後に新聞記事を紹介しよう。

犯人に異例の呼び掛け 岐阜・御嵩町長、事件10年で会見

 岐阜県御嵩町の柳川喜郎町長(73)が襲撃された事件から30日で10年になるのを前に、町長は26日、御嵩町役場で記者会見し、犯人に呼び掛ける異例のメッセージを発表した。事件は時効まで5年に迫ったが、捜査は難航している。

「犯人に告ぐ」と題したメッセージで柳川町長は「もし、君たちに良心がかけらでもあるならば、自首してもらいたい」と呼び掛けた。会見では「10年間心当たりを探してきたが、事件の背景への心当たりは産廃以外にない」と指摘し「自首するならば、県警に減軽の嘆願書を出すだろう」と心境を語った。

 襲撃事件は1996年10月30日午後6時すぎに発生。町内の自宅マンションに戻った柳川町長を、待ち伏せていた2人組の男が棒のようなもので殴り、頭や腕などの骨を折る重傷を負わせた。

 県警はこれまでに、延べ14万8000人の捜査員を投入。柳川町長宅の電話が盗聴されていた事件で11人を逮捕したが、襲撃事件の犯人逮捕には結びついていない。

 事件解決を訴えてきた町民グループは11月3日午後1時半から、同町の中公民館で暴力追放を訴える集会を開催。右翼団体構成員に実家を放火された加藤紘一衆院議員、元日弁連会長の中坊公平氏、柳川町長が講演する。



町長メッセージ「犯人に告ぐ」

 この10年間、考え続けてきたが、どう考えても、君たちと私は互いに見知らぬ関係だ。
 君たちは「雇われた男」なのだ。
 金のために、暗闇で待ち伏せて、無抵抗の人間をメッタ打ちにするなど、卑怯(ひきょう)とは思 わないのか。
 もし、君たちに良心がかけらでもあるならば、自首してもらいたい。
 許すことを約束する。

【中日新聞 2006-10-27】

襲われて―産廃の闇、自治の光
柳川 喜郎
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柳川喜郎さん襲撃事件、時効
柳川喜郎前御嵩町長が住民投票条例について講演(1)
柳川喜郎前御嵩町長が住民投票条例について講演(2)
急接近:柳川喜郎さん 言論封じる暴力に社会が立ち向かうには/【社説】「知る権利」を侵すな 秘密保全法制
民主主義と暴力について/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
合理的思考の教科書/『リサイクル幻想』武田邦彦
金儲けのための策略/『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司

2012-05-01

英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー


『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ

 ・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
 ・避難を拒む人々
 ・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
 ・英雄的人物の共通点

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

 人は極限状況に置かれると生理的な現象が変化する。

「時間と空間が完全に支離滅裂になった」と、彼は後に書いている。「わたしのまわりの動きが、最初はスピードを上げているように思えたのに、今度はスローモーションになった。現場はグロテスクな動きをする、混乱した悪夢さながらの幻影のようだった。目にするものはすべて歪んでいるように思えた。どの人も、どの物も、違って見えた」(ディエゴ・アセンシオ、米国大使)

【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】

 脳神経が超並列で機能することで認知機能がフル回転するのだろう。生命が危険に及んだ時、過去の映像が走馬灯のように駆け巡ったというエピソードは多い。ただし、この後で紹介されているが実験では確認できなかったようだ。

 生死にかかわる状況においては、人は何らかの能力を得る代わりにほかの能力を失う。アセンシオは突然、非常にはっきりと目が見えるようになったことに気づいた(実際、テロリストたちに包囲されたあとの数ヵ月間は、視力がそれまでよりよくなったままで、一時的にメガネの度数を下げてもらうことになった)。一方、多くの調査によると、大多数は視野狭窄(きょうさく)になっている。視野が70パーセントほど狭くなるので、場合によっては、鍵穴から覗いているように思えることもあり、周囲で起こっていることを見失ってしまう。たいていの人はまた一種の聴覚狭窄に陥る。不思議なことにある音が消え、ほかの音が実際よりも大きくなるのだ。
 ストレス・ホルモンは、幻覚誘発薬に似ている。

 これは何に対してストレス(≒緊張)を感じるかで変わってくる次元の話であろう。ストレス耐性の低い人は「逃避」のメカニズムが働く。そうすることが本人にとっては進化的に優位であるからだ。グッピーの実験でも明らかな通り、リスクの高い環境で勇気を示せば死ぬ羽目となる。

「準備をすればするほど、制御できるという気持ちが強くなり、恐怖を覚えることが少なくなる」(『破壊的な力の衝突』アートウォール、ローレン・W・クリステンセン)

 確かに「慣れて」いれば対処の仕様がある。恐怖が判断力を奪う。それゆえいかなる状況であろうとも判断できる余地を残しておくことが次の行動につながる。

 彼(ブルース・シッドル、セントルイスの警察学校指導教官)は、心拍数が毎分115回から145回のあいだに、人は最高の動きをすることを発見した(休んでいるときの心拍数はふつう約75回である)。【それ以上になると機能は低下する】

 人間は適度なストレスがある時に最大の能力を発揮する。スポーツをしている人なら実感できよう。才能は練習よりも試合で開花することが多い。

 もっとも意外な戦術の一つは呼吸である。(中略)どうすれば恐怖に打ち勝つことができるのかを戦闘トレーナーに尋ねると、繰り返し彼らが語ってくれたのが呼吸法だった。(中略)警察官に教える一つの型は次のようになっている。四つ数える間に息を吸い込み、四つ数える間息を止め、四つ数える間にそれを吐き出し、四つ数える間息を止める。また最初から始める。それだけだ。

 人体の内部は自律神経によって制御されているが、自律神経系の中で唯一、意識的にコントロールできるのが呼吸である。

歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール

 緊張すると呼吸は浅くなり、スピードを増す。その動作がフィードバックされて脳を恐怖で支配する。ヘビに睨(にら)まれたカエルも同然だ。

 黙想をしている人たちは、黙想をしているときに使われる前頭葉前部の皮質の一部で、脳組織が5パーセント分厚くなっていたのである。そこは、そのどれもがストレスの制御を助ける、感情の統制や注意や作動記憶をつかさどる部位である。

 なぜ瞑想ではなく黙想と翻訳したのかは不明だ。原語は「meditation」ではなかったのだろうか? いずれにせよ、瞑想が脳を鍛えているという指摘が興味深い。欲望から離れ、本能から離れる行為が全く新しい刺激を生んでいるのだろう。脳のインナーマッスルみたいなものか。

 ここから本書の白眉となる。大きな事故や災害で英雄的な行動をした人々の共通点を探る。

 オリナー(社会学者サミュエル・オリナーと妻パール・オリナー。400人以上の英雄にインタビュー調査)が発見したことは、いわく言いがたいものだった。「なぜ人々が英雄的行為をするのかについて説明することはできません。遺伝的なものでも文化的なものでも絶対にないのです」。だがまず、何が問題に【ならなかった】かについて考えてみよう。信仰は違いをもたらしていないように見えた。

 まずこのような英雄・勇者を私は「人格者」と定義付けておきたい。人格とは「人間の格」を意味する。また、「格」には段階の他に「法則」「流儀」の意味もある。人格は言動と行動によって発揮される。口先だけの人格者は存在しない。

 仏教における「菩薩」、キリスト教における「善きサマリア人」が人格者を象徴している。彼らは困っている人を見て放置することができない。反射的に寄り添い、自動的に手を差し伸べる。

 では話を戻そう。英雄的人物=人格者の要素は遺伝的なものでも、文化的なものでも、宗教的なものでもなかった。何が凄いかって、ここに挙げられたものは全て「差別の要素」として機能しているものだ。つまり人格が差別的要素と無縁であるならば、人格こそは人間に共通する要素と言い切ってよい。そして差別主義者どもは当然ここから抜け落ちるわけだ。

「善なるものは私どもの専売特許です」――宗教者は皆、そういう顔つきをしている。奴等は自分たちの善を強要し、押し売りする。自分たちだけが真人間で、他の連中は人間もどきだと言わんばかりだ。そんな彼らにとっては深刻な実験結果だ。信仰と人格を関連付ける確証がないのだから。

 政治も行動を予測する要素にはならない、ということがオリナーの研究でわかった。救助者も被救助者もそれほど政治に関心を持っているわけではなかった。しかしながら、救助者たちは概して民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向があった。

 次に熱烈な政党支持者も脱落する(笑)。「民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向」とは「他人の意見を傾聴する者」と考えてよかろう。特定のドグマに染まった人物は「耳」を持たない。彼らは「党の決定に従う」存在である。スターリンの支配下にあってソ連では“「何が正しい文化や思想であるかは共産党が決める」という体制”になっていた。

中国-大躍進政策の失敗と文化大革命/『そうだったのか! 現代史』池上彰

 そして英雄的人物の共通点が浮かび上がる。

 しかし両者の間には重要な違いがあった。救助者のほうが両親との関係がより健全で密接である傾向があり、そしてまたさまざまな宗教や階級の友人を持っている傾向も強かった。救助者のもっとも重要な特質は共感であるように思われた。どこから共感が生じるのかを言うのはむずかしいが、救助者は両親から平等主義や正義を学んだとオリナーは考えている。

他者の苦痛に対するラットの情動的反応/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 結局、人格を陶冶する最大の要因は親子関係にあったのだ。驚天動地の指摘である。意外な気もするが、よく考えると腑に落ちる。

 認知機能はバイアス(歪み)を回避することができないが、人格者には「文化」や「宗教」に基づく差別的なバイアスが少ないのだろう。そもそも我々は最初の価値観を親から学んでいるのだ。その価値観を根拠にしてあらゆる事柄を判断するのだから、親子関係から築いた価値観は人生のバックボーン(背骨)と化す。より具体的には親というよりも、「よき大人」というモデルが重要なのだろう。更にこのデータは教育の限界をも示している。

 英雄的行為をとる人々は、日常生活においても「助ける人」であることが非常に多い。

 自分の周囲を見渡せば一目瞭然だ。英雄的素養のある人物は直ぐわかる。

 一方、傍観者は、制御できない力にもてあそばれているように感じがちである。

 主体性の喪失が人生を他罰的な色彩に染めてゆく。これまた親子関係が基調になっているのだろう。人は自分が大切にされることで、他人を大切にする行為を学んでゆくのだ。

 英雄たちは幾度となく自分がとった行動を「もしそうしなかったら、自分自身に我慢できなかったでしょう」という言い方で説明している。

 英雄は「内なる良心の声」に従って行動する。神仏のお告げではない。他人の視線も関係ない。ただ、「自分がどうあるべきか」という一点で瞬時に判断を下す。「それでいいのか?」という問いかけが鞭のように振るわれ、英雄はサラブレッドのように走り出すのだ。

 ここで終わっていれば、めでたしめでたしなのだが、著者はヘビに足を描くような真似をしている。

「利他主義も一皮むけば、快楽主義者なのだ」とギャラップは言う。

 別に異論はない。我々利他主義者は利他的行為に快感を覚えているのだから。たとえ自分が犠牲になったとしても、人の役に立てれば本望だ。

 九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くとはこのことだ。せっかくの著作を台無しにしたところに、アマンダ・リプリーのパーソナリティ障害傾向が見て取れる。彼女は何の悪意も抱いていないことだろう。そこに問題がある。

 同様の不満を覚えた人は、『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン:上原裕美子訳(英治出版、2010年)を参照せよ。


「リーダーは作られるものではなく生まれつくもの」、トゲウオ研究
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
REAL LIFE HEROES
進化における平均の優位性/『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ
平時の勇気、戦時の臆病/『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ

2012-01-04

シャンカール・ヴェダンタム


 1冊読了。

 1冊目『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム:渡会圭子〈わたらい・けいこ〉訳(インターシフト、2011年)/長い溜息をついた。既に15分ほど経過していると思う(ウソ)。ページを繰るごとに私は唸り、「なるほどねえ」と声を出し、「そう来たか」と目を瞠(みは)り、膝を100回ほど打った。これは本当の話だ。紛(まが)うことなき天才本である。「隠れた脳」とは無意識のバイアスを意味する。本書の驚愕度を深めるためには少々知識が必要だ。本気で取り組むつもりがあるなら次の順番で読まれよ。『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二→『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン→『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー→『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ→『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール→『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン→『服従の心理』スタンレー・ミルグラム→『木曜の男』G・K・チェスタトン→『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー→『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン→本書。で、次に『一九八四年』を読めば完璧だ。これらの本が全部つながる。一言で表現するなら「脳機能社会心理宗教人類学」だ。すまん、これじゃ寿限無だ(笑)。時間と金のない人は、せめてアマンダ・リプリーを読んでおくべきだろう。内容、翻訳ともに文句なし。インターシフトは良書が多い。

2011-12-31

2011年に読んだ本ランキング


 うっかりしていた。例年だと11月後半からランキング作成に着手するのだが、今日の今日まで失念していた。はてなから引っ越したことも影響したのだろう。というわけで時間がないため、「ベスト30」を紹介する。尚、クリシュナムルティは除いた。読書は年季によって選球眼が高まる。私は文才もなければ学識があるわけでもない。そんなことは自分が一番よくわかっている。強みは感受性と直観のみだ(笑)。だから書評には自信がないが、本を選ぶ眼には過剰なまでの自信がある。かつて私よりセンスのある人物を見たことがない。ま、そんなわけでご参考になれば、これ幸い。それでは皆さん、よいお年を。

2010年に読んだ本ランキング
2011年に読んだ本

 ・2011年に読んだ本ランキング

2012年に読んだ本ランキング

番外『まんが パレスチナ問題』山井教雄

番外『旅行者の朝食』米原万里

番外『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ

番外『自動車の社会的費用』宇沢弘文

30位『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人

29位『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎

28位『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ

27位『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン

26位『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

25位『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

24位『絶対製造工場』カレル・チャペック

23位『最悪期まであと2年! 次なる大恐慌 人口トレンドが教える消費崩壊のシナリオ』ハリー・S・デント・ジュニア

22位『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー

21位『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

20位『緑雨警語』斎藤緑雨

19位『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)

18位『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編

17位『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

16位『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要

15位『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン

14位『哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題』河本英夫

13位『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

12位『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

11位『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

10位『イエス』R・ブルトマン

9位『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン

8位『歴史とはなにか』岡田英弘

7位『歴史とは何か』E・H・カー

6位『孟嘗君』宮城谷昌光

5位『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

4位『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

3位『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン

2位『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

1位『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル