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2018-12-06

建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ


『國破れて マッカーサー』西鋭夫
・『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

 ・もしもアメリカが参戦しなかったならば……
 ・建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義

『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦

日本の近代史を学ぶ

 この本の見どころはいくつかある。
 まず第一に、内容が絶対に信頼できるので安心して読めるということである。公人として、不正確さが、いささかも許されない環境の中に、数十年を過したせいもあろうが、おそらくは、それ以上に、フィッシュの性格と教育からくるものであろう。決して嘘をつかない、時流と迎合していい加減なことは言わない、言行不一致のことはしない、というインテレクチュアル・オネスティーに徹した良きアメリカ人の典型なのである。そもそもフィッシュがルーズベルトに対して怒っているのは、政策論の違いはさておいても、ルーズベルトのやり方が不正直で、汚く、非アメリカ的であるということにある。(中略)
 第二に、彼自身は「孤立主義者」という言葉は、ルーズベルトがプロパガンダのために捏造(ねつぞう)した、不正確な表現で、本当は、自分は不干渉主義者だ、と言っているが、いわゆるアメリカの孤立主義者というものの、物の考え方を、これほど明快に示した本はない。
「孤立主義」を論ずるにあたっては、この本なしでは語れないと言っても過言でないし、この本の各所を引用するだけで、真の「孤立主義」というものを説明してあまりあると思う。
「われわれの祖先は、皆、旧大陸の権力政治から脱(のが)れるために、新大陸まで来た」のであり、「旧大陸の昔からの怨念のこもった戦争にまきこまれない」という、アメリカの建国の精神にまで遡(さかのぼ)る「孤立主義」である。
 第三は、国際政治の本質に立ち戻って考えて、ルーズベルトとフィッシュのどちらが正しかったか、ということである。(岡崎久彦)

【『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ:岡崎久彦監訳(PHP研究所、1985年/PHP文庫、1992年)】

 一般的にはモンロー主義といわれる。

 山口洋一の本で知ることがなければ岡崎久彦の著書を開くことは一生なかったと思う。テレビの討論番組で見たことのある岡崎は高い声で癇(かん)に障(さわ)る話し方をする老獪(ろうかい)な人物だった。周囲と異なる論理をかざして微動だにすることなく相手に理解を求める姿勢はこれっぽっちもなかったことに驚いた。訳知り顔の偏屈な年寄りにしか見えなかった。

 ところが、である。山口が引用した文章は流麗でキラリと光を放っていた。まず本書を読み、次に『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』(1991年)を開き、そして『陸奥宗光とその時代』(1996年)と進んだ。私は唸(うな)った。唸り続けた。慌てて動画を検索してみたが、やはり岡崎は偏屈なジイサンだった(笑)。きっと文の人なのだろう。

 牛場信彦駐米大使から本書を紹介され岡崎が翻訳する運びとなった。

 ハミルトン・フィッシュ3世(1888-1991年)は彫像のような面立ちで実に立派な顔をしている。1945年まで四半世紀にわたって米国の下院議員を務めた(共和党選出)。原著は1983年に刊行されている。太平洋戦争開戦時にフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)を全面的に支持したのはた自身の過ちであり、ルーズベルト大統領が卑劣な手段で米国を戦争に導いたことを糾弾する。

 フィッシュの筆致は烈々たる愛国心に支えられており、為にする批判とは一線を画している。後味の悪さがなく、むしろ静かな晴朗さが広がる。

 複雑系科学の視点(『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン)だと時代を変えた歴史的な人物も一要素として扱われるが、国家元首や教祖が果たす導火線の役割は決して無視できるものではない。ルーズベルトにけしかけられた国民が愚かであるというよりも、戦争の気運が満ちつつある時代であったのだろう。他国の戦争に巻き込まれることを忌避した米国民も、国際社会でアメリカが主導権を握る政策には賛同せざるを得なかったものと想像される。

 第二次世界大戦は英仏が凋落(ちょうらく)しアメリカが台頭する間隙(かんげき)にソ連が食い込んだ歴史であった。ルーズベルト大統領の周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた(『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫)。容共の域を越えていたのは明らかだ。日本の占領政策においてもGHQの半分が左翼勢力であったため戦後に長く影を落とした。

 ルーズベルト大統領が行ったことは一言でいえば日本を叩き、ソ連を増長させ、戦後の冷戦構造へと道を開いたことであった。戦時中の日本人の思いは市丸利之助〈いちまる・りのすけ〉海軍中将の「ルーズベルトニ与フル書」に言い尽くされている。

日米・開戦の悲劇―誰が第二次大戦を招いたのか (PHP文庫)
ハミルトン フィッシュ
PHP研究所
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文庫 ルーズベルトの開戦責任 (草思社文庫)
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変節と愛国 外交官・牛場信彦の生涯 (文春新書)
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2018-11-30

外務省の極秘文書『日本外交の過誤』が公開/『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一


 ・外務省の極秘文書『日本外交の過誤』が公開

『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 やがて元勲たちが国政の表舞台から退き、軍人がわが世の春を謳歌する時代となるにつれて、外務省は軍部追随の色彩を徐々に強めていく。この間の事情を最もよく物語っているのは、外務省資料『日本外交の過誤』である。
 2003年4月、外務省は極秘文書『日本外交の過誤』の秘密指定を解除し、これを公表した。これは1951年に作成された外務省の文書であるが、吉田茂総理の命により、課長クラスの若手省員が精力的に作業を行い、満州事変から敗戦までの日本外交の過誤を洗い出し、後世の参考にせんとして作成したものである。この資料の本体は、膨大な作業の結論としてまとめられた、50ページ程度の『調書』であるが、これに加えて、『調書』についての堀田正昭、有田八郎、重光葵、佐藤尚武、林久治郎、吉沢謙吉ら、先輩外交官や大臣の所見(インタビューでの談話録)および省員の批評があり、これも付属文書(以下においてはこれを『所見』と記すことにする)として公開された。さらに、『調書』作成の基礎となった259ページに及ぶ『作業ペーパー』が残されており、これは『調書』『所見』からは1年以上遅れて、2004年6月に公表された。こうして『調書』『所見』『作業ペーパー』の3点セットが2004年には完全に揃うこととなった。これらの資料は、満州事変以降、終戦に至る日本の対外政策を考える上で、よりどころとなる貴重な手がかりを与えている。

【『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一(勁草書房、2005年)以下同】

『植民地残酷物語』で山口洋一は竹山道雄を引用していた。そして本書では岡崎久彦を引用している。竹山道雄~山口洋一~岡崎久彦という流れが今年の読書遍歴の中軸を成した。本物の知性は良識に支えられている。学者は専門知識に溺れて世間を侮る。そして知らず知らずのうちに社会から離れてゆく。彼らが語る死んだ知識は生きた大衆の耳に届かない。山口は外交官、岡崎は外務官僚、竹山は文学者である。彼らは自分の専門領域を超えて歴史に着手した。実務経験に裏打ちされた確かな眼が人間の姿をしっかりと捉える。更に歴史と人間の複雑な絡み合いやイレギュラーをも見据えている。

 元勲たちに代わって登場してきたのは、陸軍大学校、陸軍士官学校、海軍大学校、海軍兵学校などで教育を受けた軍事エリートたちだった。明治になってからの、こうした軍の高等教育機関は、欧米列強の軍事れべるに追いつかねばならないという焦りから、目先のことに役立つ軍事教育に専念するようになった。政戦合わせた国家戦略を構築するというステーツマンとしての教育はなおざりにされ、国家経営のジェネラリストではなく、軍事に特化したスペシャリストを育成したのである。そしてこのような軍事スペシャリストが徐々に国家の枢要ポストを占めるようになる。

 武士から明治維新の志士を経て国士となったのが元勲である。明治開国で不平等条約を結ばされ、治外法権を受け入れた日本がステーツマン(見識のある政治家)やジェネラリスト(広範な分野の知識・技術・経験をもつ人)を育成する余裕はなかった。半植民地状態を脱するには廃藩置県によって誕生した国軍を強化する他ない。富国強兵・殖産興業は国家としての一大目標であった。惜しむらくは大正デモクラシー後に政党政治が育たなかったことである。

 山口の文章には日本から武士が滅んでしまった歴史への恨みが滲み出ている。もはや国士も見当たらない。ステーツマン・ジェネラリストであるべき官僚は省益のために働くサラリーマンと化してしまった。国が亡びないのが不思議なくらいだ。きっと人の知れないところで日本という国家を支えている人々が存在するのだろう。

 外務省資料『日本外交の過誤』には伏線があった。

 しかし、人間でも国家でも失敗の経験というのは貴重なものである。大失敗などめったにするものでもないし、またすることが許されるわけでもないのだから、ここから教訓を学びとらない手はない。
 ところが、戦後の史観は、真珠湾攻撃が悪かったというだけならまだしも、統帥権(とうすいけん)の独立があったから、さらには明治憲法があったから、しょせん日本は滅びたということで、あれだけ全国民が全身全霊で打ち込んだ大戦争をしながら、そこから具体的な教訓を得ようという姿勢に乏しかった。
 じつは敗戦直後、天皇は東久邇宮成彦〈ひがしくにのみや・なるひこ〉総理に対して「大東亜戦争の原因と敗因を究明して、ふたたび日本民族がこういう戦争を起さないようにしたい」とのお言葉があり、幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉内閣も敗戦の原因究明こそ日本再建にとって最重要課題の一つと考えて、昭和20年12月20日に戦争調査会が設置され、幣原自身が会長となった。ところが昭和21年7月、対日理事会でソ連代表が、会に旧軍人が参加していることを理由として、これは次の戦争に負けないように準備しているのだと非難し、英国もこれに同調した。当時の吉田茂総理からマッカーサーの了承を得ようとしたがそれも失敗し、幣原の憤懣(ふんまん)のなかで廃止された経緯がある。この作業がきちんと行われていれば、日本もあの戦争から多々教訓を学びえたはずであるが、もうその後は占領軍の言論統制のなかで、日本の過去はすべて悪だったのだから、戦略の是非など論じるのはおこがましい、極端な場合は「むしろ負けてよかった」というような史観だけが独り歩きすることとなった。

【『重光・東郷とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、2001年)/PHP文庫、2003年】

 偶然にも先ほど読んだ箇所に出てきた。読書の醍醐味は知識と知識がつながり、人と人とがつながるところにある。敗戦はつくづく残酷なものだ。日本は反省する機会すら奪われたのだから。しかしながら敗戦から半世紀を経て近代史を見直す動きが現れたことは日本人の魂がまだ亡んでいなかった証左といえよう。

 老人が生活を憂(うれ)えるのは構わない。若者であれば貧しくとも国家を憂(うれ)えよと言いたい。一身の栄誉など踏みつけて国家の行く末を案じるべきだ。

敗戦への三つの“思いこみ”―外交官が描く実像
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戦争調査会 幻の政府文書を読み解く (講談社現代新書)
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2018-11-20

カルロス・ゴーンと青い鳥/『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆


『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆

 ・襲い掛かる駄洒落の嵐
 ・カルロス・ゴーンと青い鳥

『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 つまり、チルチルとミチルがお家の中で遊んでいると、ふらんすからごーんという名前のおじさんがやってきて、青い鳥を焼き鳥にして食ってしまうのである。
 この場合、青い鳥は何の象徴だろう?
 ブルーバード?
 ははは。違うね。
 ブルーカラーに決まってるだろ。

【『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆(BNN、2003年)】

 カルロス・ゴーンは青い鳥をたらふく食った挙げ句に勘定を誤魔化していたようだ。コストカッターが自分の税金もカットしていた模様である。

 社員の首を切りまくり、工場の土地を売りまくり、経費を節減することで利益を出したゴーン社長をマスコミは手放しで称賛した。私は「フン、まるでマッカーサーだな」と業を煮やした。

 ゴーンが行ったことは地域に根差した日産ファンや日産文化の破壊であった。それまでは経営者の禁じ手であった人員整理が以後当たり前の経営手法に格上げされた。派遣社員も企業側の要望から適用業種が拡大された。富国の要であった経済が今度は国を亡ぼそうとしている。まるで癌細胞だ。癌は人体と共生することを拒んで人体と共に亡ぶ。

 ヨーロッパには「ノブレル・オブリージュ」(高貴なる者の義務)という観念があり、昔の戦争では貴族が先頭に立って出撃した。現代の高貴なる者は納税の義務すら回避しようと節税対策に余念がない。

かくかく私価時価―無資本主義商品論1997‐2003
小田嶋 隆
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2018-11-13

憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温


『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修

 ・憲法9条に対する吉田茂の変節

・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦

 当初、憲法第9条は、どのように解釈されていたのかを確認しておこう。
 この問題について考える際、最も参考になるのが、吉田茂総理の国会答弁だ。
 昭和21年6月26日、吉田茂は、憲法と自衛権との関係について次のように答弁している。
「戦争抛棄(ほうき)に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」(1946年6月26日、衆議院本会議)
 ここで吉田茂は、憲法第9条が直接自衛権を否定しているものではない、との留保をつけながらも、「自衛権の発動としての戦争」まで否定しているのだ。(中略)
 今日では考えられないことかもしれないが、こうした吉田茂の自衛権を否定する発言に対して、批判したのが日本共産党だ。日本共産党の野坂参三が、「侵略戦争」と「自衛戦争」を区別し、後者を擁護したうえで、次のように指摘した。
「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある、二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。(中略)他国征服、侵略の戦争である。是は正しくない。同時に侵略された国が自由を護るための戦争は、我々は正しい戦争と云って差支えないと思う(中略)一体此の憲法草案に戦争一般抛棄と云う形でなしに、我々は之を侵略戦争の抛棄、斯(こ)うするのがもっとも的確ではないか」(1946年6月28日、衆議院本会議)
 日本共産党の野坂は、祖国を防衛する自衛のための戦争までも放棄する必要はなく、他国を武力によって侵略する「侵略戦争」のみを禁じればよいのではないか、という極めて常識的な指摘をしている。
 これに対して、吉田茂は、次のように応じている。
「戦争抛棄に関する憲法草案の條項に於きまして、国家正当防衛に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於(おい)て行われたることは顕著なる事実であります、(中略)故に正当防衛、国家の防衛権に依(よ)る戦争を認むると云うことは、偶々戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若(も)し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自身が有害であると思うのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」

【『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温〈いわた・あつし〉(並木書房、2015年)以下同】

 多くの書籍で引用されている会議録だがまだまだ知らない人が多いと思われるので資料として記録しておく。吉田発言は芦田修正を完全に無視した妄言で、日本の政治が気分によって動く様相をありありと映し出す。敗戦からまだ1年を経てない時期ゆえ、戦争に対する嫌悪感は理解できるが、床屋のオヤジが言うならまだしも一国の総理が議会で説くような内容ではあるまい。原理原則を軽んじ、本音と建前を器用に使い分ける国民性を恥じるべきだ。

「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」

芦田均の証言:昭和32(1957)年12月5日、内閣に設けられた憲法調査会

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 しかし、こうした吉田の「自衛」を放棄するという主張は、戦後日本の一貫した国防方針とはならなかった。
 こうした国防方針を否定することになったのは国際情勢が激変したことによる。冷戦の激化にともない、日本の再軍備が必要だとアメリカが考え始めたのだ。
 1950年の元旦、マッカーサーが「日本国民に告げる声明」において、次のように指摘した。
「この憲法の規定は、たとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」
 これは、極めて重大な指摘だ。憲法の規定について、従来、吉田茂は、自衛戦争も否定する旨の発言を繰り返してきた。だが、マッカーサーが日本国憲法には、「自己防衛の冒しがたい権利」を否定したものではないと強調したのだ。
 これは、明らかに、日本の再軍備を念頭に置いたものであり、このマッカーサー発言以降、吉田茂の「自衛」論も変化を遂げることになる。

 1952(昭和27)年4月28日まで日本はGHQの占領下にあった。このため憲法制定も憲法解釈も自主的に行うことができなかった。占領下の憲法は廃棄すべきであるとの主張には一定の説得力がある。押し付け憲法論の最右翼で「青年将校」の異名を取った中曽根康弘は衆議院5期目の時に「この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり/マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり」と歌った(「憲法改正の歌」1956年)。



 国民は食べることに必死だった。政治家は経済発展を何よりも優先した。やがて高度経済成長を迎えた。そして国家を見失った。飽食の時代に至り、バブル景気が弾けた時、長く続いた平和が精神を蝕んできたことにようやく気づいた。

 中国が領空・領海侵犯を繰り返し、沖縄に魔手を伸ばす現実がありながらも、「平和憲法擁護」を叫ぶ人々がまだ存在する。平和の美酒は甘く、薫り高い。アメリカの核の傘の下で目覚めることのない酔いに浸(ひた)るのは無責任な快楽主義といってよい。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2018-11-02

もしもアメリカが参戦しなかったならば……/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ


『國破れて マッカーサー』西鋭夫
・『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

 ・もしもアメリカが参戦しなかったならば……
 ・建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義

『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦

日本の近代史を学ぶ

 日本との間の戦争は不必要であった。これは、お互い同士よりも共産主義の脅威をより恐れていた日・米両国にとって、悲劇的であった。われわれは、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的であった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。
 イギリスは、それ以上に多くのものを失った。イギリスは、中国に対しては、特別の利益と特権を有していたし、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドおよびセイロンをも失った。
 蒋介石は、オーエン・ラティモアの悪い助言を受け入れて、日本軍の中国撤兵を要求する暫定協定に反対した。同協定は、蒋介石の中国全土掌握を可能にしたかもしれない。これはヤルタ会談でルーズベルトがスターリンに譲歩を行なったその3年前のことである。
 われわれの同盟であったスターリンの共産軍に対して、満州侵攻を許す理由は何もなかったはずである。蒋介石は、米国の友人として、中国共産主義者の反攻を打ち砕くに必要な、すべての武器および資源を持ちえたはずであった。
 われわれが参戦しなかったならば、すなわち日本のパールハーバー攻撃がなかったならば、事態はどう進展していたか、という疑問はしばしば呈される。この疑問は、詳細な回答を与えられるに値する。
 私は、米国は簡単に日本との間で和平条約を締結できたであろうし、その条約の中で日本は、フィリピンとオランダ領東インドを含む極東における全諸国との交易権とひきかえに、中国およびインドシナからの友好的撤退に合意したであろうことを確信している。

【『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ:岡崎久彦監訳(PHP研究所、1985年/PHP文庫、1992年)】

 ハミルトン・フィッシュは共和党の党首を務めた下院議員で、戦時中の議会においてフランクリン・ルーズベルト(民主党)を批判した人物として広く知られる。

 開戦当初、フィッシュは議会で挙国一致を説きルーズベルト大統領を力強く支持した。ところが後にルーズベルトの秘密外交や日本を戦争にけしかけた手法、更には真珠湾攻撃を事前に知りながらアメリカ海軍を犠牲にしたことなどを知り、大統領を猛々しく糾弾するようになる。戦時中にありながらも議会やマスコミが正常に機能していたところにアメリカの真の勝因があったのだろう。

 フィッシュの指摘によればアメリカは戦略を誤り、友邦のイギリスをも凋落(ちょうらく)させてしまった。その後、ヤルタ体制(1945年)によって冷戦がソ連崩壊(1991年)まで続くことを思えばルーズベルトの判断がどれほどアメリカの国益を損ねたか計り知れない。それまでモンロー主義(孤立主義)を貫いてきたアメリカは以降、次々と世界各地で軍事介入をするようになる。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストはルーズベルト以前のアメリカを取り戻すということなのだろう。

 日本が開戦を決意したのは永野修身〈ながの・おさみ〉軍令部総長の言葉に言い尽くされている。「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」(昭和16年〈1941年〉9月6日の御前会議)。

 最後の一言に慚愧(ざんき)の念を覚えぬ者があろうか。我々の父祖は子や孫を信じて敗れ去る戦いに臨んだのだ。

 もしもアメリカが参戦しなかったならば……日本は領土を拡大し、アメリカと手を組むことでソ連を封じ込め、中国の共産主義化を防ぐことができたに違いない。しかしながら帝国主義が50年から100年は続き、アジア・中東・アフリカ諸国は植民地のまま21世紀を迎えたことだろう。とすれば大東亜戦争は日米にとっては不幸な戦争であったが、世界のためには植民地の歴史にとどめを刺す壮挙であったと考えるべきだろう。日本人310万人、世界では5000-8000万人(病死・飢餓死を含む)の死者は大惨事であったが、もしも第二次世界大戦がなければ長期間に渡ってもっと多くの人々が殺されたに違いない。

 歴史は死者の存在によって変わる。これが人類の宿痾(しゅくあ)であろう。

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文庫 ルーズベルトの開戦責任 (草思社文庫)
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2018-10-17

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行

 ・日米安保条約と吉田茂の思惑

 思わず語気を強めて詰め寄った。
「憲法改正して再軍備をするのだと、そうおっしゃっていたじゃないですか。今後自衛隊をどうなさるおつもりですか」
「今は経済再建が第一である。経済力が復活しなくて再軍備などあり得ない。経済力がつくまで、日米安保条約によってアメリカに守ってもらうのだ」
 明確な返答には説得力があった。
 たしかに現在の経済力では、実効性のある自衛軍などとても持てない。経済は平和が確保できてこそ発展することは論を俟(ま)たない。冷静に国際情勢を考慮し、経済力に思いを至らせながら判断すると、平和の確保にはアメリカの力を借りるほかはないと理解できた。
 安保条約には反対していたわれわれは、「経済力がついたら憲法改正して自衛軍にするのだ。それまでの間は身を潜めていなくてはいかん」という吉田氏の言葉に納得して、安保条約支持派になったのだった。

【『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(SB新書、2016年)】

 伊藤隆に請われて佐々が90冊の手帳を国会図書館の憲政資料室に寄贈した。その佐々メモが元になっている。上記テキストは確か大学生の佐々が吉田茂と面会した時のやり取りである。

 吉田茂は二枚腰ともいえる粘り強い外交でマッカーサーを翻弄した。外部要因としては朝鮮特需(1950-55年)があったわけだが高度経済成長への先鞭(せんべん)をつけたのは吉田茂である。ところが自主憲法制定を党の綱領に謳った自民党は経済成長を遂げても憲法に手をつけようとはしなかった。タイミングとしては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年/昭和28年)あたりでもよかったように思うが経済的にはまだまだ脆弱だった。日米安保が結ばれたのが1951年(昭和26年)のこと(発効は翌年)。そうすると学生運動の嵐が過ぎた頃からバブル景気の前くらいの時期で憲法改正するのが筋だろう。

 本来であれば憲法改正をする時に自民党は不祥事で揺れ続けた。その結果対米依存を強める羽目となり、大蔵省や郵便局の解体をアメリカの言いなりで行った。憲法改正を掲げて安倍晋三が登場したものの、敗戦から70年以上を経て国民の平和ボケは行き着くところまで行き着いた感がある。

 たとえ憲法が改正されなくとも戦争は起こる。既に中国が仕掛けてきているのだから時間の問題だ。その時に国民が目を覚ますのか、あるいは寝たフリをするのかが見ものである。



憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

2018-09-25

東亜の解放/『朝鮮・台湾・満州 学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄


『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン

 ・東亜の解放

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

「植民」とは「ある国の国民または団体が、本国と政治的従属関係にある土地に永住の目的で移住して、経済的活動をすること。また、その移住民」を意味する言葉です(『広辞苑』第6版)。つまり単なる移住や移民ではなく、征服やその他の隷属手段によって「政治的従属関係」を伴うのが「植民」ということになります。
 一般的には、比較的高度・強力な文化を持った国や民族が、文化の低い属領に移住して、その開発・利用することを指します。ここでの「高度な文化」とは、特に生産や貿易などの技術において社会的発展していることを意味します。インドのように高度な宗教文化を持っていても、イギリスの植民地になっている例があり、精神的文明の高低とは関係ありません。
 またオランダやイギリスの東インド会社のように、国家でなくても行政権を行使して従属関係を形成する場合があります。
 もう一つ、植民の特徴としてあげられるのは、植民者が現地に同化するのではなく、先住民の同化・隷属を目的としている点です。植民者の所属する社会的関係を強引に再現するのですから、先住民との間に必ず不平等が生じることになります。

【『朝鮮・台湾・満州 学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄〈コウ・ブンユウ〉(ビジネス社、2013年)】

 植民という言葉からは「人間栽培」といった印象を受けるが実態としては「人間の畜産化」であった。植民地の歴史を古代にまでさかのぼっているのでやや焦点がぼやけてしまい、各節の流れが悪い。少々忍耐力が必要だ。

 黄文雄は台湾人である。冷静な視点で朝鮮・台湾・満州を統治した大日本帝国の歴史を取り上げる。

 明治維新以降、日本は脱亜入欧・富国強兵・殖産興業の道をひたすら突き進んできました。西洋近代化のコースをひた走るうち、欧米と同じアジア侵略を意図するようになった、と指摘されることもあります。しかし実際はどうだったのでしょうか。
 ヨーロッパ諸国がアジアに進出するさなか、日本は独立自尊を維持するために必死に戦っていました。日本の安全を確保するにはアジアの保全が不可欠だったにもかかわらず、中国や朝鮮は西洋化を進める日本を見下し、これに味方しようとしませんでした。
 台湾、朝鮮、満州といった地域を清国から解放し経営することが、列強と渡り合うために不可欠でした。清の支配下にある限り、これらの地域は列強に奪われ、日本、そしてアジア全体が危機にさらされることになります。
 日本は朝鮮を独立、近代化させて共にアジア防衛にあたろうと図りました。しかし清は日清戦争でそれを妨害し、さらにロシアと提携して日露戦争を起こしました。アジアを守るため、まず列強と戦わなければならなかったのです。
 清が崩壊した後、中国は英米やロシア(ソ連)の操り人形となっていきます。日本はアジア防衛の陣地である満州、そして中国での権益を守るため、支那事変、大東亜戦争への道を歩んでいきました。
 日本にとってそれまで最も脅威だったのはロシアであり、国防の中心は朝鮮、満州、華北(中国北部)でした。しかし強大になっていく日本を「黄禍」(おうか)と英米が敵視するようになると、アジア防衛の重点は英米の植民地である東南アジアに移っていきます。これは当然の流れで、「日本がアジアに野望の牙をむけた」というには当たりません。
「東亜の解放」の名のもとに日本は逆襲し、それによって英米の支配から解放された東南アジア諸国は実際に独立を果たしていきます。1943年にはビルマ、フィリピン、1944年にはインドシナがそれぞれ独立を果たしました。
 その他にも、日本が組織したインドネシア義勇軍(PETA)、マレー興亜訓練所、インド国民軍などは、その後の独立運動に大きく貢献しています。
 これらの史実に対して「『東亜の解放』はただの建前だ。日本の真の目的はアジア侵略であって、植民地の独立はたまたまに過ぎない」という見方もあります。もちろん「東亜の解放」のためだけに戦争したわけではありませんし、現地住民からの抵抗や反発もありました。
 しかし当時の日本人にとって、「列強を追い出し、アジアの諸民族と共存共栄をはからなければ、日本の生存権は守れない」という意識を多くの国民が持っていました。「東亜の解放」は決して形だけのスローガンだったのではなかったのです。

 端的でわかりやすい文章だ。このような歴史すら知らない人々がまだまだ多い。日本が統治した国々は白人の植民地とは全く異なっていた。欧米は植民地から搾取するだけであったが日本は国家予算を割いてインフラを整備し、帝国大学を設け、医療・教育・民族文化の学術的な保全まで行った。奴隷にすることがなかったのはもちろんのこと、努力次第では出世をすることも可能だった。

 たぶん本当に頭のいい白人が日本の植民地経営を見て、「このままゆけば日本が世界を支配するに違いない」と危機感を募らせたことだろう。有色人種が決して劣っていないことを日本人が証明してしまったのだ。白人の怒りがどれほど凄まじかったかは日本の敗戦処理を見れば一目瞭然だ。マッカーサー率いるGHQは「日本が軍事的に二度と立ち上がることができないようにする」のが目的だった。その目論見は見事成功した。

 数百年にわたって欧米の支配から逃れられなかった植民地諸国を、日本はわずか数年で解放へと導きました。そして一度支配から解き放たれた植民地は、もはや欧米の言いなりにはならなかったのです。
 東アジアにおけるイギリスの最大拠点だったシンガポールが日本の手で陥落した際、フランスの軍人(のちの大統領)ド・ゴールは「アジアの白人帝国の終焉(しゅうえん)だ」と日記に書き記しています。

 白人帝国を終わらせたがゆえにいまだ日本は国際社会で悪者扱いをされるのだ。イギリスが旧植民地に対して謝罪したことはただの一度もない。

 やはり白人と日本人は情緒が異なる。結果的に利用される同盟関係となることを避けられないように思う。歴史的なつながりを考えれば、台湾・インド・トルコと連携するのが望ましい。

学校では絶対に教えない植民地の真実
黄文雄
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2018-09-11

中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ/『サヴァイヴ』近藤史恵


『サクリファイス』近藤史恵
『エデン』近藤史恵

 ・余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望

  ・中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ

 ・ペダリングの悟り

・『キアズマ』近藤史恵
・『スティグマータ』近藤史恵
・『逃げ』佐藤喬

 もちろんこの程度の坂で速度が変わることもなく、足が乱れることもない。だが、感触の違いは脚に伝わってきて、それがおもしろい。徒歩ならば気づかないことが、自転車に乗っていればわかる。
 ロードバイクに乗り始めて、すでに10年以上経つ。今では、歩くよりも、ただ立っているよりも、自転車の上にいる方が楽だ。そう言えば多くの人は驚く。
 身体が自転車によって変えられるのだ。自転車に、乗る人間の癖がつくのと同じことだ。歩くのに必要な筋肉は次第に衰え、ペダルを回す筋肉だけが発達してくる。

【『サヴァイヴ』近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】

 昨日は大山を目指したのだが雨に祟(たた)られて途中で引き返してきた。「裏切りの天気予報」というタイトルが浮かんだ。1時間ほどコインランドリーの軒下で雨宿りをしていたのだが、時折私は大山目掛けて大きく息を吐いた。ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスに竜巻を引き起こすなら、私の吐息が大山の雲を払うことも十分あり得ると考えたのだ。雨は強くなるばかりだった。多分山の反対側で誰かが息を吐いているのだろう。帰宅すると中華サイコンが成仏していた。

 伊東の川奈に富士急が開発した別荘地がある。海越しに小さい三角形の山がきれいに見える。道往く人に訊ねたところ、「あれは大山ですよ」と呆れ顔で答えた。私は胸の内で呟いた。「大山はのぶ代と倍達〈ますたつ〉しか知らねーよ」と。後日、江戸時代にはお伊勢参りに次いで関東で人気の高い山だったと物の本で読んだ気がする。

 今日も時間があったので再び大山を目指した。家を出てから道順を記したメモを忘れたことに気づいた。神奈川の県央地域は道路が入り組んでいる。マッカーサーが厚木飛行場(綾瀬市、大和市)から日本入りするためにこの界隈は爆撃を免れているという話がある。地図かメモがなければ辿り着くことは難しい。意外と起伏に飛んでいて山の姿も直ぐに見えなくなる。きっと山の神に嫌われているのだろう。

 中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ、と申し上げたい。っていうか私が現在心掛けていることだ。距離を目標にするとどうしても疲れる。しかも私は山の中を走ることが多いので遭難しかねない。いや、ホントの話ですぜ。チューブ交換で済む程度のパンクならどうってことはないが、タイヤが破損したり、衝突でホイールが変形したり、クルマにひき逃げされたりした暁には徒歩で数十kmの道のりを歩く羽目となる。私は夜のサイクリストなのだ。

 ロードバイクを買う前から私の心はなぜか湖を目指していた。宮ヶ瀬湖、津久井湖、相模湖を制覇してわかったのだが、私が求めていたのは湖ではなくせせらぎの音だった。湖の近くを走っているとどこからともなく水の流れる音が聞こえてくる。生命を支えているのは水と空気だ。苦しみながらペダルを踏んでいると生きる実感が湧いてくる。

 しかも湖付近には必ず道がある。地図を見ていて不思議に思ったのだが多分湖が山の中でも低い位置にあるためなのだろう。それに気づいた瞬間、私の興味は峠に向かった。つまり地図で波打っている道路に注目したのだ。まあ、あるわあるわ。いくらでもある。日本の国土の7割は山間部といわれるのだから当然だ。一生困らないほど峠道はある。

 坂道をじっくりと登ることで脚力がつく。衰えつつある体に鞭を打ち、念仏を唱えるように「踏む、踏む」と呟くと、「不無、不無」という瞑想の境地に至る。更には「クランクを回せ、回せ」と念じていると「輪廻」(りんね)の文字が頭を支配するようになる。凡夫ゆえ転法輪(てんぽうりん)とならないところが悲しい。

 ひと月半ほどで700km走った。ふくらはぎの筋肉は造形が変わり、心拍は20近く減った。

 本書は短篇集で『サクリファイス』以前の物語も描かれている。最初に読んでも問題はない。

サヴァイヴ (新潮文庫)
近藤 史恵
新潮社 (2014-05-28)
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2018-08-29

過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる/『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明


『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄

 ・過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる

『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

日本の近代史を学ぶ

 過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる。日本は先の戦争に敗れてから、自国の歴史を盗まれた国となってしまった。
 歴史は記憶だ。記憶を喪失した人は、正常な生活を営むことができない。国家についても、同じことである。

【『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明〈かせ・ひであき〉(ベスト新書、2015年)以下同】

 著者は加瀬俊一〈かせ・としかず〉の子息である。名前は知らなくても誰もが必ず一度は見たことがあるはずだ。日本が大東亜戦争に敗れ、ミズーリ号で降伏を調印した際、重光葵〈しげみつ・まもる〉外相に付き添っていた外交官である(※当時42歳、Wikipedia、右上の画像)。

 加瀬英明の著作や言論にはやや脇の甘さがあるものの貴重な証言が多い。

「(小学3年生の)私は『東京がこんなにめちゃくちゃになったが、日本は大丈夫なのか』とたずねた。父は『アメリカは日本中壊すことができるが、日本人の魂を壊すことはできない』といった」「(ミズーリ号降伏文書調印式の)その前夜、祖母が父を呼んで、『あなた、ここにお座りなさい』といった。座ると、『母はあなたを降伏の使節にするために、育てたつもりはありません』と叱って、『行かないでください』といった。父は『お母様、この手続きをしないと、日本が立ち行かなくなってしまいます』と答えて、筋を追って説明した。祖母は納得しなかった。『私にはどうしても耐えられないことです』といって立つと、嗚咽(おえつ)しながら、父の新しい下着をそろえたという」(【戦後70年と私】加瀬英明氏 ミズーリ号で降伏文書調印に臨んだ父の無念と誇りを胸に - 政治・社会 - ZAKZAK)。

「私は重光さんに晩年まで可愛がられました。よく存じ上げて、いろいろ話を伺う機会がありました。重光さんは私の父とミズーリの艦上に立ったときのことを、次のように述懐されました。『あの日、敗れたという屈辱感よりも、日本が今度の戦争で多くの犠牲を払ってアジアを数世紀にわたった白人・西洋の植民地から解放したという高い誇りを胸に抱きながら、ミズーリ号の甲板を踏んだ』」(戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印と戦争犯罪(加瀬英明氏のコラム) - 東アジア歴史文化研究会)。

 冒頭の指摘はジョージ・オーウェルと完全に一致している。「そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば――すべての記録が同じ作り話を記すことになれば――その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と」(『一九八四年』ジョージ・オーウェル)。

 オーウェルの『一九八四年』や『動物農場』は社会主義国家の風刺といわれるが敗戦後の日本と重なって仕方がない。GHQの半分が左翼であったことが判明しているが、マッカーサー以下GHQの総意として、白人に歯向かった日本の歴史を書き換える必要があったのは確実だ。上書き更新された歴史は半世紀に渡って日本を蝕み続け、今もなお余燼(よじん)がくすぶっている。

 ルーズベルト大統領が中国を愛して、日本を疎(うと)んでいたことが、日米戦争の大きな原因となった。
 ルーズベルトの母サラの父は、帆船(クリッパー)時代の清朝末期に、阿片貿易によって巨富を築いて、香港にも豪邸を所有していた。サラは少女時代に香港に滞在して、中国を深く愛するようになった。(中略)
 多くのアメリカ国民が、中国をアメリカの勢力圏のなかにあると、みなしていた。
 中国は、多くのキリスト教宣教師をアメリカから受け入れていたし、アメリカ国民が“巨大な中国市場”を夢みて、中国に好意を寄せていた。ところが、日本は市場が地位さすぎたし、伝統文化を守って、キリスト教文明に同化することを拒み、アメリカに媚(こ)びることがない、異質な国だった。(中略)
 ルーズベルトはそれにもかかわらず、日本が中国を侵略したとみなした。(中略)
 ルーズベルトは盧溝橋事件も、第二次上海事変も、日本が中国を計画的に侵略したと、曲解した。
 日華事変は、日本から仕掛けたのではなかった。
 戦後になって、日華事変は日中戦争と呼ばれるようになったが、日本も中国も、日米戦争が始まるまで、互いに宣戦布告をしなかった。事変と呼ぶのが正しい。
 ルーズベルト政権は、日本がアメリカに対して、いささかの害も及し(ママ)ていなかったのにもかかわらず、日本を敵視した。(中略)
 ルーズベルト政権は、中国へ惜しみなく、援助資金と、兵器、軍需物資を注ぎ込んだ。
 多くのアメリカ国民が、蒋介石総統とその宋美齢夫人がキリスト教徒だったために、キリスト教国である中国が、異教の日本による侵略を蒙(こうむ)っているとみなした。
 蒋政権はアメリカの世論を工作するために、アメリカのマスコミや、大学、研究所に、ふんだんに資金をばら撒(ま)いた。
 翌年、シェンノートは大佐として、中華民国空軍航空参謀帳に任命された。
 シェンノートは、蒋介石政権に戦闘機と、アメリカ陸軍航空隊のパイロットを、「義勇兵」(ボランティア)として、偽装して派兵する案を、ルーズベルト政権に提出した。ルーズベルト大統領はこの提案を、ただちに承認した。
 これは、重大な国際法違反だった。シェンノートの航空機は、機首に虎の絵を描いていたので、「フライング・タイガース」として知られた。アメリカが戦闘機を供給した。中国の「青天白日」のマークをつけて、アメリカの「義勇兵」が操縦する「フライング・タイガース」は、アメリカで大きく報道された。

 検索したのだが中々これだという情報が見つからない。フライング・タイガースと日本軍の初戦が1941年(昭和16年)12月25日(加藤隼戦闘隊 VS フライングタイガース - かつて日本は美しかった)だとすれば、Wikipediaの「実際に戦闘に参加し始めたのは日米開戦後であったため、このような経緯から『義勇軍』の意義もうやむやになった」という指摘は正しい。正しいのだが、「昭和16年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月18日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書『JB355』にOKのサインをした」(「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった。 真珠湾攻撃、その真実の歴史  正しい日本の歴史 | 正しい日本の歴史 | 正しい歴史認識)のだから、先に戦争を始めたのはアメリカだったという見方ができるのだ。

 しかも戦後、毛沢東率いる共産党に敗れつつあった蒋介石を根本博中将が助けるのである。歴史というものはつくづく厄介だと思われてならない。個人的には孫文や蒋介石を評価する気にはなれない。

 ナチス・ドイツがポーランドに進攻して第二次世界大戦の幕が開く。イギリス、フランスは2日後ドイツに宣戦布告をし、2週間後にはソ連も参戦した。ヨーロッパで死闘が繰り広げられる時に、ルーズベルトは反戦・孤立主義の公約を掲げて3選目の大統領選挙に勝利したのだった(1940年)。大衆はいつの時代も愚かだ。世論なんぞは雰囲気や感情で一夜にして変わる性質のものである。そもそも大衆には責任がないのだから。そして世論は常に誘導・操作される。

 インディアンを大量虐殺し、黒人を奴隷にして栄えたアメリカが、黄色人種の国日本に原爆を2発落とした。アメリカの歴史を1行に要約すればこうなる。

 せめて我々の世代が「正しい記憶」を取り戻し、子々孫々が「正しい判断」をできるようにしておくことが責務であると強く思う。

大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか (ベスト新書)
加瀬 英明
ベストセラーズ
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2018-08-27

日本の憲法学が憲法を殺した/『日本人のための憲法原論』小室直樹


『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温

 ・日本の憲法学が憲法を殺した

『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖

小室直樹
必読書リスト その四

 現在の日本には、さまざまな問題があふれかえっています。
 10年来の不況、財政破綻(はたん)、陰惨(いんさん)な少年犯罪、学級崩壊、自国民を拉致(らち)されても取り返さない政府……実はこうした問題の原因をたどっていくと、すべては憲法に行き着くのです。
 現在日本が一種の機能不全に陥(おちい)って、何もかもうまく行かなくなっているのは、つまり憲法がまともに作動していないからなのです。
 こんなことを言うと、みなさんはびっくりするかもしれませんが、今の日本はすでに民主主義国家ではなくなっています。いや、それどころか近代国家ですらないと言ってもいいほどです。
 憲法という市民社会の柱が失われたために、政治も経済も教育も、そしてモラルまでが総崩れになっている。これが現在の日本なのです。
 では、なぜ日本の憲法がちゃんと作動しなくなったのか。
 その理由は憲法学そのものにあると、私は考えます。
 たしかに大学の法学部に行けば、そこでは憲法の講義が行われています。しかし、その中身はといえば、要するに司法試験や国家公務員試験を受験するためのもの。憲法の条文をどのように解釈すれば、試験に合格できるかが講じられているに過ぎません。こんな無味乾燥(むみかんそう)な「憲法学」に誰が興味を持つでしょう。こんなことで、誰が憲法に関心や理解を示すでしょう。(まえがき)

【『日本人のための憲法原論』小室直樹(集英社インターナショナル、2006年/集英社インターナショナル、2001年『痛快!憲法学 Amazing study of constitutions & democracy』改題、愛蔵版)】

 その無味乾燥な憲法学を学び教える憲法学者が数年前に平和安全法制関連法案(いわゆる安保関連法案)は「違憲である」と表明した。憲法学の中身は知らないが憲法学者の飯の種であることはわかる。憲法で飯を喰っている以上、憲法を金科玉条と奉(たてまつ)り解釈の違いを訳知り顔で解説し、学問の世界で徒弟関係を構築しているのだろう。もちろん彼らに国家の行く末を案じるような責任感はない。日本の憲法学が憲法を殺したとの指摘はあまりにも重い。

 小室直樹は世の混乱を「憲法がまともに作動していない」ためだと喝破(かっぱ)する。なぜ作動していないのか? まともな日本語じゃないからだよ。元が英語だからおかしな日本語になっているのだ。占領期間中に、しかも多くの人々が公職追放される中でマッカーサーの指示でアメリカ人が作った憲法が作動するわけがない。

「憲法とは、統治の根本規範(法)となる基本的な原理原則に関して定めた法規範をいう(法的意味の憲法)」(Wikipedia)。その根本規範がどのような経緯で作られたかを教えられることもなく、我々日本人は経済成長の中で漫然と憲法を軽んじてきた。私自身、数日前に生まれて初めて憲法全文を読んだ。憲法に対する無関心は大東亜戦争敗北に対する無関心と深く響き合っている。

 憲法の本義を思えばいたずらにテクニカルな文言を盛り込むより、五箇条の御誓文(ごせいもん)を軸として抽象度の高い格調ある文章にするのが望ましい。解釈の余地を多く残した方が安易な憲法改正を防げるだろう。

2018-08-07

東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄


『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
『日本人の誇り』藤原正彦

 ・東亜百年戦争

・『緑の日本列島 激流する明治百年』林房雄

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 さて、やっと私の意見をのべる番がめぐってきたようだ。
 私は「大東亜戦争は百年戦争の終曲であった」と考える。ジャンヌ・ダルクで有名な「英仏百年戦争」に似ているというのではない。また、戦争中、「この戦争は将来百年はつづく。そのつもりで戦い抜かねばならぬ」と叫んだ軍人がいたが、その意味とも全くちがう。それは今から百年前に始まり、【百年間戦われて終結した】戦争であった。(中略)
 百年戦争は8月15日に終った。では、いつ始まったのか。さかのぼれば、当然「明治維新」に行きあたる。が、明治元年ではまだ足りない。それは維新の約20年前に始まったと私は考える。私のいう「百年前」はどんな時代であったろうか?(中略)

 米国海将ペルリの日本訪問は嘉永6年、1853年の6月。明治元年からさかのぼれば15年前である。それが「東亜百年戦争」の始まりか。いや、もっと前だ。この黒船渡来で、日本は長い鎖国の夢を破られ、「たった四はいで夜も寝られぬ」大騒ぎになったということになっているが、これは狂歌的または講談的歴史の無邪気な嘘である。
 オランダ、ポルトガル以外の外国艦船の日本近海出没の時期はペルリ来航からさらに7年以上さかのぼる。それが急激に数を増したのは弘化年間であった。そのころから幕府と諸侯は外夷対策と沿海防備に東奔西走させられて、夜も眠るどころではなかった。

【『大東亜戦争肯定論』林房雄(中公文庫、2014年/番町書房:正編1964年、続編1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)】

 歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。(読書日記転載)

 目から鱗(うろこ)が落ちるとはこのことだ。東京裁判史観に毒された我々は【何のために】日本が戦争をしてきたのかを知らない。「教えられなかったから」との言いわけは通用しない。朝日新聞が30年にもわたってキャンペーンを張ってきた慰安婦捏造問題や、韓国が世界各地に設置している慰安婦像のニュースは誰もが知っているはずだ。少しでも疑問を持つならば自分で調べるのが当然である。その程度の知的作業を怠る人はとてもじゃないが自分の人生を歩んでいるとは言えないだろう。情報の吟味を欠いた精神態度は必ず他人の言葉を鵜呑みにし、価値観もコロコロと変わってしまう。

 林房雄を1845年(弘化元年)から1945年までを100年としているが、私は、マシュー・ペリーがアメリカを出港した1852年(嘉永5年)からGHQの占領が終った1952年(昭和27年)までを100年とする藤原正彦説(『日本人の誇り』)を支持する。更に言えば東亜百年戦争の準備期間として2世紀にわたる鎖国(1639年/寛永16年-1854年/嘉永7年)があり、日本人が外敵に警戒するようになったのは豊臣秀吉バテレン追放令(1587年/天正15年)にまでさかのぼる。

 つまりだ、15世紀半ばに狼煙(のろし)を上げたヨーロッパ人による大航海時代(-17世紀半ば)の動きを日本は鋭く察知していたのだ。帝国主義の源流を辿ればレコンキスタ(718-1492年)-十字軍(1096-1272年)にまで行き着く。モンゴル帝国が西ヨーロッパまで征服しなかったことが悔やまれてならない。

 こうして振り返れば西暦1000年代が白人覇権の時代であったことが理解できよう。そして大航海時代は有色人種が奴隷とされた時代であった。豊臣秀吉はヨーロッパ人が日本人を買い付けて奴隷にしている事実を知っていたのだ。その後日本は鎖国政策によってミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)と呼ばれる時代を迎えた。一旦は採用した銃を廃止し得たのも我が国以外には存在しない。

 戦前の全ての歴史を否定してみせたのが左翼による進歩史観である。「歴史は進歩するから昔は悪かった、否、悪くなければならない」という馬鹿げた教条主義だ。これを知識人たちはついこの間まで疑うことがなかった。鎖国も単純に閉鎖的な印象でしか語られてこなかった。武士という軍事力が植民地化を防ぐ力となった事実も忘れられている。

 世界史の動きや日本の来し方に思いを致さず、ただ単に大東亜戦争を侵略戦争だからという理由で国旗や国歌を拒否する人々がいる。しかも児童の教育に携わる教員の中にいるのだ。国家反逆罪で逮捕するのが筋ではないか。いかなる思想・宗教も自由であるべきだが国を否定する者はこの国から出てゆくべきである。

大東亜戦争肯定論 (中公文庫)
林 房雄
中央公論新社 (2014-11-21)
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2018-07-30

オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された/『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子

 ・オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された

・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

「イギリスは、日本人に激しい反露感情をたきつけることを、極東政策とすべきである。日本を煽動(せんどう)するためには、あらゆる手段を講じなければならない……ロシアはなんとしても抑えるべきだ。東清(とうしん)鉄道の完成を妨害し、不凍港の獲得・強化を阻止しなければならない……そして、それを日本にやらせるのだ」
 これは、ロンドンタイムズ北京(ペキン)駐在特派員、豪州人のジョージ・アーネスト・モリソンが、同社上海(シャンハイ)特派員J・O・P・ブランドに宛てた書簡の一部である。書かれたのは、1898年1月17日、日露戦争勃発(ぼっぱつ)の6年前である。日露戦争は「モリソンの戦争」といわれ、モリソンは「戦争屋」と呼ばれた。それは、モリソンが、日露戦争を惹起(じゃっき)することと日本を勝利に導くことを自己の使命として全力を尽くしたからであり、また、彼の仕事の効果が日本および世界に認められたからである。
 モリソンは、なぜ、日露戦争を切望したのであろうか。それは、オーストラリアの安全保障を確保するためであった。

【『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1988年/新潮文庫、2004年)】

 修士論文が元になっているので読み物としては面白くない。しかしながら資料的価値が極めて高く、日本近代史なかんずく日露戦争を知るためには外せない一冊だ。ジョージ・アーネスト・モリソンはロンドン・タイムズの記者でオーストラリア生まれ。彼の日記と手紙を中心に日露戦争の経緯を描く。七つの海を制覇した大英帝国はボーア戦争で国力に翳(かげ)りを見せ始めた。ドイツ、ロシア、アメリカの力が英国に迫ろうとする。イギリスは極東で南下しようとするロシアを阻むだけの余裕がなかった。自国の安全保障上の必要から日英同盟を締結するに至る。イギリスの「栄光ある孤立」は幕を下ろす。モリソンはタイムズ紙を通して親日反露報道を繰り返し、日露を戦争させるべく誘導する。ただし現在のアメリカを牛耳るユダヤ・メディアのような嘘は感じられない。国家から兵士に至るまでロシアの不道徳ぶりは凄まじかった。国境線が長いこととも関係しているように思われる。小村寿太郎外相が臨んだポーツマス条約も熾烈な外交戦であったことがよく理解できた。イギリスのボーア戦争とアメリカのイラク戦争が重なる。強大国が衰える時、戦乱を避けることはできない。世界の覇権はまたしても東アジアで戦火を交えることだろう。文庫解説は櫻井よしこ。ついこの間読んだ菅沼本でも紹介されていた(読書日記転載)。

 このような全体観に立った安全保障的視点を我々日本人は欠いている。どうしても卑怯な手に思えてしまう。たぶん元軍と戦う際に名乗りを上げて一騎打ちに持っていこうとして殺された鎌倉武士のメンタリティから進歩していないのだろう。その点、アングロサクソン人は一枚も二枚も上手(うわて)だ。分割統治も同じ発想から生まれたものだろう。中世のヨーロッパは戦争を繰り返してきた。ひしめき合う国家間の中で狡知(こうち)や奸智(かんち)が育まれ、騙し合いに巧みな文化が形成されたのだろう。

 当時の国際政治の世界は、ジャングルの掟(おきて)のまかり通る弱肉強食の世界であった。そして、清国は列強の帝国主義的侵略の格好のえじきとなっていた。
 日清戦争(1894-95年)の敗北は、清国にとって二重の災難を意味した。
 まず、第一の災難は戦勝国・日本との間に締結した下関条約の履行で、これは敗戦の汚名と共に、重く清国の肩にのしかかった。ちなみに、下関条約とは、清国が朝鮮の独立を承認し、日本に遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)列島を譲渡し、2億両(約3億6000万円)の賠償金を支払うことを規定して、1895年4月に調印された条約である。
 しかし、第二の災難はさらに苛酷(かこく)であった。飢えた猛獣のように西欧列強が襲いかかってきたのである。アフリカ分割の余勢を駆って、アジアに迫った帝国主義的勢力は、清国を「眠れる獅子(しし)」とみなして手出しができず、遠まきにむらがり寄っていた。ところが、清国は新興の小国・日本との戦いにもろくも破れ、その弱体をさらけだしてしまったのである。もう、こうなったら遠慮はいらない。列強は猛然と襲いかかった。

 朝鮮独立の立役者が日本だったとは知らなかった。韓国の学校教育でどのように教えているのか気になるところだ。それにしても隔世の感とはまさにこのことで、1世紀後の中国がアメリカや日本を脅かすようになるのだから歴史が動くスピードは想像以上に速い。

 いつの時代も大衆は煽動される。民主政においても変わらない。むしろメディアを通じた煽動は広告技術や心理学をも駆使してマインドコントロール並みに行われる。群れを形成する動物には「従う」本能がある。従うことと引き替えに何らかの優位性を手に入れているのだ。一匹狼という言葉はあるが実際にはそのような狼は存在しない。狼もまた群れをなす動物だ。もしも 一匹狼がいたとすれば確実に飢え死にする(笑)。

 中国は必ず日本を攻めてくることだろう。戦火を開くのは尖閣諸島あたりか。モリソンが日露を戦わせたのと全く同じ手法でアメリカが日中をぶつけるのだ。自分たちの手で憲法改正すらできないとなれば米軍は日本から撤収するに違いない。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストとは、アメリカが世界覇権から一歩退いて内向きになることを雄弁に物語っているのだ。大東亜戦争(1937-45年)の「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念は後付ではあったものの、決して間違ったものではない。1919年のパリ講和会議で日本が主張した「人種的差別撤廃提案」とも整合性がとれている。帝国主義の本質はキリスト教に基づく人種差別であった。本来であれば来る日中戦争を契機に日本がアジア・太平洋地域の警察として機能すべきであるが、学校教育で近代史すら教えていないのだからそうした気風が涵養(かんよう)されるに至っていない。ビジョンなき国家の弱味である。

日露戦争を演出した男 モリソン〈上〉 (新潮文庫)
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日露戦争を演出した男 モリソン〈下〉 (新潮文庫)
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白虎隊の落し児、柴五郎/『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛

 ・白虎隊の落し児、柴五郎

『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

白虎隊の落し児、柴五郎

 交民巷の要・王府の防衛は、籠城者全員の命にかかわる。この大役を柴が担い、日本軍は度胸をすえた。そこへ、イタリア軍がのこのこ入ってきた。このイタリア兵と日本兵の組合せが実に奇妙で、イタリア兵は心ならずも日本兵の引立て役を演ずることになってしまった。それについては、外国人の口から語ってもらおう。以下は、ピーター・フレミングの著書『北京籠城』の一節である。
「戦略上の最重要地・王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。日本を補佐したのは頼りにならないイタリア兵で、日本を補強したのはイギリス義勇兵であった。
 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」
 P・C・スミス嬢の前述の書における柴観は次の通り。
「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。なぜならば、第1回目(6月21日)の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐も特に発言しようとはしなかったと思います。でも、今(7月2日)では、すべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間ない激戦で怪腕を奮(ママ)い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」
 スミスの記述にはだんだん熱が入り、柴から日本兵へ、そしてイタリア兵へと及んでいく。
「彼(柴中佐)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、柴中佐の下でやはり王府の守護にあたっているイタリア兵とは大違いです。北京に来ているイタリア兵はイタリア本国の中でも最低の兵隊たちなのだ、と私はイタリアの名誉のためにも思いたいくらいです」
 清帝国海関勤めのイギリス人下級職員、23歳のB・レノックス・シンプソン(ペンネームはパットナム・ウイール)は、籠城中、義勇兵となり、柴のもとに派遣されて戦った。彼は当時の日記を、1907年になって出版した。『率直な北京便り』というその題が示すように、実に遠慮のない日記である。彼の6月21日付日記をみよう。
「数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢日本軍は、王府の高い壁の守護にあたった。その壁はどこまでも延々と続き、それを守るには少なくとも500名の兵を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付武官・柴中佐である。彼は他の日本人と同様、ぶざまで硬直した足をしているが、真剣そのもので、もうすでに出来ることと出来ないこととの見境をつけていた。ぼくは長時間かけて各国受持ちの部署を視察して回ったが、ここで初めて組織化された集団をみた。
 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめ込んでいた。彼は自分の注意を要する何千という詳細事を処理することに成功していた。彼は部下たちを組織化し、さらに、大勢の教民を召集して前線を強化した。実のところ、彼はなすべきことはすべてした。ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」
 このように、ウイール青年は籠城第1日目にして、柴にほれこんでいる。

【『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1989年)】


 ウッドハウス暎子ジョージ・アーネスト・モリソン(タイムズ紙特派員/1862-1920年)の研究者である。著作はすべてモリソンに関するもので、ジャーナリストが歴史を見つめ、歴史を動かしゆく様を実証的に描く。カテゴリーを「自伝・評伝」としたが学術書である。

 日清戦争(1894-95年)後、義和団という白蓮教(びゃくれんきょう)の秘密結社が貧困に喘ぐ農民を糾合して戦闘に至ったのが義和団事変(北清事変/1900-01年)である。

 義和団は清国各地で外国人やクリスチャンを襲撃した。言うなれば帝国主義・キリスト教宣教に対する攘夷運動である。北京にあった列国大公使館区域に襲いかかり、西太后がこれを支持したことで戦争状態に突入した。最終的には日本を含む8ヶ国の連合軍が出動して鎮圧したが、公使館区域での籠城(ろうじょう)は2ヶ月間に及んだ。

 阿片戦争(1840-42年)からの100年は中国大陸にとって蹂躙(じゅうりん)の季節だった。結局、清朝は亡び、中華民国は台湾へ追いやられた。鬱屈したエネルギーが共産主義革命の原動力となったに違いない。

 阿片戦争は日本の進路をも変えた。明治維新の直接的なきっかけとなったのは黒船来航(1853年)だが、指導層や知識人の問題意識は阿片戦争によって生まれた。

 大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を通して帝国主義が生まれ、ヨーロッパ人はキリスト教宣教の旗をなびかせながら有色人種を殺戮(さつりく)し、あるいは奴隷にした。逸(いち)早くそれに気づいた日本は鎖国(1639-1854年)をして侵略から防いだ。そのおかげで戦乱とは無縁の平和な時代が200年にも渡った。

 選民思想はユダヤ教に基づくものだがキリスト教もこれを受け継いでいる。神を理解せぬ者は虫けら以下の扱いを受ける。我々のような「一寸の虫にも五分の魂」という情緒は彼らに通用しない。虫に魂を認めないのが西洋の流儀である。血塗られた思想は20世紀に入りナチズムと共産主義の母胎となった。

 薩長の陰謀によって逆賊とされた会津藩出身の柴五郎がヨーロッパ人からの信頼を勝ち得たことに妙味を覚えてならない。しかも事変が起こった翌日は柴の40歳の誕生日であった。北京籠城を共にしたモリソンの報道や、イギリス公使クロード・マクドナルドの柴に対する篤い信頼が、やがて日英同盟(1902年)として花開く。1822年から「光栄ある孤立」を貫いてきたイギリスが初めての同盟国に選んだのが日本であった。

北京燃ゆ―義和団事変とモリソン
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2018-03-03

GHQは日本の自衛戦争を容認/『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修


『憲法と平和を問いなおす』長谷部恭男

 ・GHQは日本の自衛戦争を容認

『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖

 それでは、「国際紛争解決のための戦争」とは何でしょうか。この戦争に自衛戦争が含まれるのでしょうか。この問いに対して、条約の提案者、ケロッグ米国務長官ははっきり述べています。
「(自衛権は、)すべての主権国家に固有のものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのようなときでも、また条約の規定のいかんを問わず、自国領域を攻撃または侵入から守る自由をもち、また事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する」(1928年4月28日、米国国際法学会における講演)
 ブリアンもまったく同じ考えでした。このような共通認識のもとに、当初、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本など15カ国が署名、のちにソ連などが加わり、同条約の参加国は63カ国にまでなりました。
 このようなことから、「紛争を解決するための手段としての戦争」は、侵略戦争を意味し、自衛戦争を含まないというのが、国際的な理解でした。マッカーサーも、このことは十分に理解していました。
 ちなみにマッカーサーは、超エリート軍人の登竜門である陸軍士官学校(所在地からウエストポイントと呼ばれる)を首席で卒業し、4年間の成績の平均点は98.14点、いくつかの科目はウエストポイントが始まって以来の100点満点だったと伝えられています。39歳で史上最年少の将軍に昇進(陸軍士官学校長)、さらに50歳まで参謀長を歴任するという経歴の持ち主です。
 マッカーサーは、「不戦条約」の規定を承知のうえで、日本の憲法に侵略戦争だけでなく、自衛戦争をも放棄することを規定しなければならないと考えていたのです。

【『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修〈にし・おさむ〉(海竜社、2015年)】

 マッカーサーが修正を加えた総司令部案をチャールズ・L・ケーディス陸軍大佐(民政局次長・運営委員会委員長)が更に修正したものが現行憲法の第9条となっている。

西●あなたは「マッカーサー・ノート」に定められていた全面的な戦争放棄を部分的な戦争放棄に変更なさったそうですが、事実でしょうか。

ケーディス●そのとおりです。私は例の黄色い紙(西注:「マッカーサー・ノート」をさす)にかかれていた「自己の安全を保持するための手段としてさえも」の文言を削除しました。そしてその代わりに、「戦争」のみならず、「武力による威嚇または武力の行使」をも放棄するように加えました。なぜならば、「自己の安全を保持するための手段としてさえもの戦争放棄」を憲法に規定すれば、日本が攻撃されてもみずからを守ることができないことになり、そのようなことは現実的ではないと思えたからです。私は、どの国家にも自己保存の権利があると思っていました。日本は、他国の軍隊に上陸された場合、みずから防衛することは当然できるはずです。ただ座して侵略を舞ったり、侵略者に我が物顔でのし歩かせる必要はないでしょう。

 昭和20年(1945年)のアメリカ軍人にはまだ常識があったという歴史的事実を忘れてはならないだろう。ところがどっこい現在の日本にはこの常識に反対する勢力が存在するのだから恐ろしい。実に憲法学者の6割が「自衛隊を違憲」と主張してはばからない。国民から大東亜戦争の記憶が薄れるにつれて平和ボケの度合いは重篤となった。

 憲法改正の機運が高まったのは2001年のアメリカ同時多発テロ事件の影響が大きい。NHKの世論調査でも2002年に「改正する必要がある」との声が過半数を大きく超えた。次に2011年の東日本大震災で自衛隊の存在が脚光を浴び、国民からの大きな支持を得たことも憲法改正の動機となっている。そして竹島・尖閣を巡る領土問題や、昨今の中国・北朝鮮による領海・領空侵犯を通して日本国民はようやく目覚めつつあるというのが現状だろう。

 2017年5月3日の憲法記念日に開催された「第19回公開憲法フォーラム」に安倍首相がビデオメッセージを寄せ「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」との抱負を語った。因みに西修も登壇している。これを機にメディアは一斉に森友学園・加計学園問題で安倍夫妻を叩き始めた。「朝日新聞は倒閣運動に舵を切った」と須田慎一郎は語る。

 ジャーナリズムが偏向報道を繰り返せば民主政は機能しない。一方、国民の側に情報開示を迫る意欲があるかといえばそうでもない。何となくテレビを見て、何となく怪しいと感じている人が大半だろう。安倍首相が議会で度々指摘する「印象操作」が奏功しているのだ。

 マッカーサーが日本から自衛権すら奪おうとしたのは日本軍の強さ、なかんずく玉砕するまで一歩も退くことのない精神性を恐れたからに他ならない。日本は戦争には敗れたがアジアを植民地から解放するという戦争目的は結果的に果たした。しかも厳密に見れば日本が敗れたのはアメリカだけであり、イギリス・フランス・オランダは完全に斥(しりぞ)けたのだ。有色人種の歴史としては日露戦争に次ぐ革命的壮挙であったことは確かであろう。

 敗戦のどさくさに紛れてGHQは、日本という国家から牙はおろか爪までもぎ取ろうとした。その象徴が日本国憲法であった。吉田茂は経済復興を最優先するために軍事面はアメリカに依存する道を選んだ。ここを外すと議会でのあやふやな発言を読み誤ってしまう。

 吉田は後々独立した軍隊をつくるつもりであったが、戦中から要所要所に巣食っていた左翼分子が戦後になると大手を振って闊歩し始めた。知識人は進歩の風に染め抜かれ、大学生は民主化を要求し、加えて反戦デモを強行するに至った。実に戦後の四半世紀は左からの旋風に世界が巻き込まれたといってよい。

 日本の来し方を思えば憲法を改正するのは当然の帰結である。反対勢力は憲法9条に問題を矮小化する傾向があり、9条擁護を唱える連中はその殆どが天皇制に反対する勢力であることを見逃してはならない。

 とはいうものの具体的な改正となると困難を極めることだろう。ゆえに安倍首相は公明党の加憲に歩み寄ったのだ。にもかかわらず公明党は今もなお政府を牽制し続けている。与党内ですら一致しないものを国民のレベルでまとめることは無理だろう。すなわちこの国は自分で憲法を決めることもできない政治レベルなのだ。

 そんな日本の政治情況に国際情勢は歩調を合わせてくれない。平和ボケという宿痾(しゅくあ)から脱するためには、【米軍が日本から撤退~中国による日本攻撃】という図式しか今のところ浮かばない。2020年代には日中戦争が現実になることだろう。次期首相が日本の命運を決する。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2017-09-10

世界史対照年表の衝撃/『ニューステージ 世界史詳覧』浜島書店編集部編


 ・世界史対照年表の衝撃

『科学と宗教との闘争』ホワイト:森島恒雄訳

世界史の教科書
必読書 その四

人名の表し方 世界には様々な人物が登場するが、その人名の由来や成り立ちがわかると、その歴史的背景も見えてくる。

1 ヨーロッパ圏
◆解説 英語・フランス語・ドイツ語など、各言語で表記は異なるが、キリスト教、古代ギリシア・ローマ文化、ゲルマン文化に由来するものが多い。

●キリスト教と名前の由来
 ●パウロ(イエスの弟子、「異邦人の使徒」)
  →ポール(英)、パブロ(スペイン)
 ●ミカエル(天使の名)
  →マイケル、マイク(英)
 ●ヨハネ(イエスの洗礼者)
  →ジョン(英)、ジャン(仏)、イヴァン(露)
 ●ヤコブ(イエスの弟子)
  →ジェームズ(英)

●ギリシア・ローマ文化と名前の由来
 ●ヒッポ(ポセイドンの別称・馬を意味する)
  →フィリッポス(ギリシア)、フィリップ(英)、フェリペ(スペイン)
 ●ガイア(大地の神)
  →ジョージ(英)、ゲオルク(独)、ジョルジュ(仏)
 ●ニケ(勝利の女神)
  →ニコラス(英)、クラウス(独)、ニコライ(露)
 ●マルス(ローマの軍神)
  →マーク(英)、マルコ(伊)、マルクス(独)

●ゲルマン文化と名前の由来
 ●Karl(「男」を表すゲルマン系の言葉)
  →チャールズ(英)、シャルル(仏)、カール(独)カルロス(スペイン)
 ●Hluodowig(「高名な戦士」を表すゲルマン系の言葉)
  →クローヴィス(仏)
  →ルイ(仏)、ルートヴィヒ(独)、ルイス(英)
 ●Heinrich(「家の主」を表すゲルマン系の言葉)
  →ヘンリ(英)、アンリ(仏)、ハンリヒ(独)



「~の子ども」という名
 父祖の名に由来した名前や、それが姓として定着した例は、世界の各地に見られる。




【『ニューステージ 世界史詳覧』浜島書店編集部編(浜島書店、1998年)】

 テーブルタグがわからないので先程慌てて写真を撮った次第である。多分中高生向けの副読本と思われるが、はっきり言って子供に読ませるのがもったいないほど(※飽くまでもレトリックね)の出来栄えだ。似たような副読本(いずれも1000円以下)を一通り読んだが本書が一頭地を抜いている。

 若い頃から海外ミステリに親しんできたこともあって西洋人の名前に不思議な共通点があることは気づいてた。例えばマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)とミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)のファーストネームは綴りが同じだ。外国人名に興味が高まったのは堀堅士〈ほり・けんじ〉著『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』を読んでのこと。

 また、仏教とキリスト教の酷似するキーワードが次々と示される。釈迦の母親・摩耶(Maya)=イエスの母・マリヤ(Maria:Mary)、釈迦の父・浄飯王(じょうぼんのう)は、イエスの父・ヨセフ(Ioseph:Joseph)と関係ないが、イエスの宗教上の父であるヨハネ(Ioannes:John)という名は、イタリア語で「ジョヴァンニ」(Giovanni)と発音する。

依法不依人/『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士

 よもや本書で長年にわたる疑問が氷解するとは思わなかった。宗教と神話の彩(いろど)りが強いのは根強い信仰の表れか。また父祖の名を名乗る文化が何となく男系天皇の正統性と重なる。

 西洋人名の意味を知ればユダヤ系ミステリ作家が描くナチスものなどには必ずこうしたアイコン的要素が埋め込まれていることだろう。「名は体を表す」のではなくして、「名は宗教的正義を示す」のだ。

 本書はどこを開いても目から鱗が落ちるのは確実で、一気に読もうとするよりはトイレに置いて少しずつ堪能するのがよかろう。巻頭の「世界史対照年表」で衝撃を受けるのは私一人ではあるまい。


 日本は「世界最古の国」である。天皇制を巡る政治的な議論も「永き伝統を破壊しよう」と目論む勢力があることを見失ってはならない。週刊誌による皇室報道も同様で様々な国の諜報機関が情報提供していると囁かれている。天皇陛下がどの国へゆかれても丁重なもてなしを受けるのは、こうした歴史を世界が知っているからだ。

 尚、ポツダム宣言に署名したのは米・英・中華民国であって中華人民共和国ではない。巷間指摘される通り「中国3000年の歴史」という言葉はデタラメなもので、中華人民共和国の歴史は70年にも満たない(1949年建国)。シナという地理的要件がたまたま一致しているだけで国家としての連続性はなく、王朝がコロコロ変わるのがシナの歴史であった。「中国」という幻想をしっかりと払拭しておく必要があろう。

マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ

 また日本の領土の変遷も図示されており大東亜戦争で東南アジアにまで版図が拡大する。


 ただし日本が戦ったのは白人帝国主義であって侵略・簒奪(さんだつ)を目的としわけではない。もちろん侵略的要素はあったが、宣戦布告をするしないはまだまだ曖昧で確固たる国際基準が成立していたわけではなかった。

 参考までに私が目を通した世界史副読本を挙げておく。

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2016-10-13

東條英機首相暗殺計画/『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也


『北の海』井上靖
『七帝柔道記』増田俊也

 ・『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』関連動画
 ・東條英機首相暗殺計画

『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
・『ヤクザと妓生が作った大韓民国 日韓戦後裏面史』菅沼光弘、但馬オサム
・『ナポレオンと東條英機 理系博士が整理する真・近現代史』武田邦彦
・『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』深田祐介

日本の近代史を学ぶ

 もし暗殺が決行され、木村が東條とともに死んでも、牛島も間違いなく逮捕されて死刑になっていただろう。だから牛島は木村に仕事を押しつけたわけではない。決行するには若い木村の方が成功率が高くなると考えていたのだ。天覧試合時にも木村だけにきつい思いをさせることは絶対になかった牛島だ。全国民を守るため弟子の木村もろとも玉砕の覚悟だったのだ。
 勝負師牛島は、国の大事に、絶対に成功させなければならない計画に、自身が最も信頼する超高性能の“最終兵器”木村政彦を選んだのだ。もし内閣総辞職があと数日遅れれば、木村が東條暗殺を決行し、人間離れした身体能力と精神力で間違いなくそれを成功させたであろう。日本史は大きく塗り替っていたに違いない。

【『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也〈ますだ・としなり〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】

 第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞をダブルで受賞した作品である。『ゴング格闘技』誌上連載時(2008年1月号~2011年7月号)から話題騒然となった。ハードカバーは上下二段700ページの大冊である。単なる評伝に終わってなく、戦前戦後を取り巻く日本格闘技史ともいうべき重厚な内容だ。にもかかわらず演歌のような湿った感情が行間に立ち込めているのは、著者が七帝柔道の経験者であるためか。実際、増田は泣きながら連載を執筆し、「これ以上書けない」と編集者に弱音を漏らした。

 東條英機首相暗殺を計画したのは津野田知重〈つのだ・ともしげ〉少佐と木村の師匠・牛島辰熊〈うしじま・たつくま〉である。相談を受けた石原莞爾〈いしわら・かんじ〉が賛同した。東條英機は最悪のタイミングで首相となった。東條は陸軍大臣として対米開戦派であったが首相となって対米和平を強いられた。また性格に狭量さがあり敵対する人物を決して許さなかった。昭和天皇が後に「憲兵を使いすぎた」と東條を評したことも見逃せない。国家の舵取りが極めて困難な中で東條の負の部分が露呈したようにも感ずる。暗殺計画は青酸ガス爆弾を使うものだった。そして万一失敗した時に備えて木村政彦が用意された。言わば最終兵器といってよい。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

 表紙に配されたのは木村が18歳の時の肖像である。一見してわかるが「見せるための筋肉」ではない。鍛錬に次ぐ鍛錬から生まれた肉体が人間離れしており異形といってよい。木村に特定の政治信条は見受けられない。ただ師匠の命に従ったのだろう。ところが暗殺計画は東條内閣の総辞職によって実行されることはなかった。

 尚、東條英機については武田邦彦が「ナポレオン以上の英雄」と位置づけている。また菅沼本では力道山や大山倍達と彼らの祖国である朝鮮にまつわる記述があり、こちらも関連書として挙げておく。動画ページを既にアップしているがリンク切れが多いので再度紹介しよう。



2016-09-07

マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ


 ・マッカーサーが恐れた一書

『パール判事の日本無罪論』田中正明

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない。
   ――ダグラス・マッカーサー(ラベル・トンプソン宛、1949年8月6日付書簡)

【『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ:伊藤延司〈いとう・のぶし〉訳(角川ソフィア文庫、2015年/角川文芸出版、2005年『アメリカの鏡・日本 新版』/アイネックス、1995年『アメリカの鏡・日本』)以下同】

 新書で抄訳版も出ているが、「第一章 爆撃機からアメリカの政策」と「第四章 伝統的侵略性」が割愛されており、頗(すこぶ)る評判が悪い。完全版が文庫化されたので新書に手を伸ばす必要はない。むしろ角川出版社は新書を廃刊すべきである。

 マッカーサーが恐れた一書といってよい。ミアーズは東洋史の研究者で、戦後はGHQの諮問機関である労働政策委員会の一員として二度目の来日をした。原書は1948年(昭和23年)に刊行。戦前のアメリカ政府による主張とあまりに異なる内容のためミアーズの研究者人生は閉ざされた。

 私は打ちのめされた。アメリカに敗れた真の理由を忽然と悟った。アメリカにはミアーズがいたが、日本にミアーズはいなかった。近代以降の日本は「アメリカの鏡」であった。遅れて帝国主義の列に連なった日本は帝国主義の甘い汁を吸う前に叩き落とされた。本書を超える書籍が日本人の手によって書かれない限り、戦後レジームからの脱却は困難であろう。


なぜ日本を占領するか

 日本占領は戦争行動ではなく、戦後計画の一環として企てられたものである。私たちは勝利に必要な手段として、日本を占領したのではない。占領は日本に降伏を許す条件の一つだったのだ。この方針は1945年7月27日のポツダム宣言で明らかにされている。同宣言は日本民族が絶滅を免れる最後のチャンスとして、不定期の占領に服さなければならない、占領は日本の文明と経済の徹底的「改革」をともなうが、もし、これに服さなければ、日本は「即時かつ完全な壊滅」を受け入れなければならない、というのだった。
 この厳しい条件は日本の態度を硬化させた。そして、宣言発表から10日後、私たちは1発の原子爆弾を投下して、この条件が単なるこけ脅しではないこと、日本を文字どおり地球上から消し去ることができることを証明してみせた。私たちは、もし日本がすぐさま惨めにひれ伏して降伏しなければ、本気で日本を消滅させるつもりだったのだ。

 ポツダム宣言が発表されたのは「7月27日」ではなく26日である(アメリカ時間か?)。日本政府は8月14日にこれを受諾した。広島への原爆投下が8月6日で、長崎が9日である。ミアーズはアメリカ人なので致し方ないが、日本政府がポツダム宣言受諾を決定した最大の理由はソ連対日参戦(8月9日)であった。そして8月14日には陸軍エリートが宮城事件を起こし、埼玉では川口放送所占拠事件(8月24日)が発生する。

 尚、ポツダム宣言に署名したのは米・英・中華民国であって中華人民共和国ではない。巷間指摘される通り「中国3000年の歴史」という言葉はデタラメなもので、中華人民共和国の歴史は70年にも満たない(1949年建国)。シナという地理的要件がたまたま一致しているだけで国家としての連続性はなく、王朝がコロコロ変わるのがシナの歴史であった。「中国」という幻想をしっかりと払拭しておく必要があろう。

 つまり、日本占領はアメリカの戦争目的の一つだったのだ。では、いったい、日本を占領する私たちの目的は何なのか。その答えは簡単すぎるほど簡単だ。この疑問に悩んで眠れなくなったアメリカ人はいまい。答えはたったひと言「奴らを倒せ、そして倒れたままにしておけ」である。これ以上のことをいうにしても、せいぜい、日本人が二度と戦争を起こさないよう「民主化」しよう、ぐらいのものなのだ。
 国民の考えは、カイロとポツダムの両宣言から、占領後のホワイト・ハウス声明、ポーリー報告、マッカーサー将軍をはじめとする軍、政府首脳が出した数多くの通達にいたるまで、公の、あるいはそれに準ずる文書の中でいわれてきた戦争目的と見事に一致していた。
 すべての文書が、断固として日本を「懲罰し、拘束する」といっていた。懲罰によって「野蛮な」人間どもの戦争好きの性根を叩き直し、金輪際戦争できないようにする。そのために、生きていくのがやっとの物だけを与え、あとはいっさいを剥ぎ取ってしまおうというのだった。占領の目的は1945年9月19日、ディーン・アチソン国務長官代行が語った言葉に要約される。
「日本は侵略戦争を繰り返せない状態に置かれるだろう……戦争願望をつくり出している現在の経済・社会システムは、戦争願望をもちつづけることができないように組み替えられるだろう。そのために必要な手段は、いかなるものであれ、行使することになろう」

 ソ連参戦によって日本政府が恐れたのは共産主義化が国体を滅ぼすことであった。ゾルゲ事件(1941-42年)で近衛内閣のブレーンを務めた尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉までもがソ連のスパイであることが発覚した。

 中華民国の蒋介石は既に反共から容共に転じていた。そしてアメリカもまた共産党勢力に冒されていたのである(『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫)。GHQは分裂していた。占領初期~民主化~マッカーサー憲法を推進した民政局(GS)はニューディーラーと呼ばれる左派(社会民主主義者)の巣窟であった。一方、チャールズ・ウィロビー少将が率いる参謀第二部(G2)は保守派であり、GSとG2は激しく対立していた。

 世界恐慌(1929年)からブロック経済への移行が第二次世界大戦の導火線となったわけだが、大統領選挙でニューディール政策を掲げたフランクリン・ルーズベルトは社会民主主義色が強く、「ルーズベルトは民主主義者から民主主義左派・過激民主主義者を経て、社会主義者、そして共産主義支持者へと変貌していった」(ハミルトン・フィッシュ)との指摘もある(『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』深田匠)。

 日本政府が最後通牒と受け止めたハル・ノートには二案あり、採用されたのはモーゲンソー私案である。これを作成したハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイであった(『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男)。第一次世界大戦後、世界中を共産主義の風が吹いていた歴史の事実を忘れてはなるまい。

 敗戦が確定した時点で国体の命運は定まっていなかった。GSが支援した片山社会党内閣(1947-48年)に続き、芦田民主党内閣(1948年)を挟んで第二次吉田内閣(1948-49年)が誕生する。GHQの主導権はGSからG2へと移り変わり、レッドパージ(1949年)の追い風を受けた吉田内閣は第五次(1953-54年)まで続いた。吉田首相は国家の自主防衛を捨てても国体を護る道を選んだ。その功罪を論(あげつら)うのは後世の勝手である。しかし吉田が天皇制を護ったのは事実である。辛うじて国体は護持し得たが国家としての日本は破壊された。

 大東亜戦争は日本の武士道がアメリカのプラグマティズムに敗れた戦争であったと私は考える。大日本帝国の軍人は軍刀を下げていた。対面を重んじて実質を軽んじた。開戦そのものが見切り発車で、石油の備蓄は2年分しかなかった。つまり最初から2年以上戦うつもりはなかったのだ。明治維新の会津藩と日本の姿が重なる(会津藩の運命が日本の行く末を決めた)。規範を疑うことを知らず、視線は常に内側に向けられたまま、外部世界との戦いに翻弄された。

 GHQによって日本は「二度と戦争のできない国」に改造された。GSとG2の分裂による迷走は今尚、日本を二分している。冒頭に掲げたマッカーサーの言葉は意味深長である。多くの日本人が本書を読んでないのだから、GHQの占領はまだ続いていると思わざるを得ない。

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