・『政治を考える指標』辻清明
・伊藤隆の藤岡信勝批判
・人生の岐路
・『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
6月15日、国会突入デモで樺美智子〈かんば・みちこ〉さんが亡くなった日のことはよく覚えています。
樺さんは国史研究室の4年生でした。あの日、大学で樺さんに会った時、「卒論の準備は進んでいるか」と聞いたのです。あまり進んでいないようでした。
「何とかしなきゃな」と、私は言いました。
「でも伊藤さん、今日を最後にしますから、デモに行かせてください」と彼女は答えます。
「じゃあ、とにかくそれが終わったら卒論について話をしよう」
そう言って、別れました。
【『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆〈いとう・たかし〉(中公新書、2015年)以下同】
日常の何気ない選択が人生を決定的に変えることがある。もしもデモに参加していなければ樺美智子は長生きしたことだろう。ブントと訣別していた可能性もある。国史を研究していたわけだからひょっとすると保守論客になってもおかしくはない。今日の行き先次第では自分が死ぬこともあり得るのだ。
その後、伊藤の提案で樺美智子合同慰霊祭が執り行われた。
不謹慎な言い方かもしれませんが、60年安保の打ち上げとして最高のイベントになったと思いました。それで一切の政治活動をやめたのです。
しばらくして佐藤(※誠三郎)君と、安保運動のイデオローグと言われた清水幾太郎〈しみず・いくたろう〉氏(1907~88)に会う機会がありました。東大赤門隣の学士会分館で、学習院大学教授となった香山健一〈こうやま・けんいち〉君や、全学連書記長だった小野寺正臣〈おのでら・まさおみ〉君、評論家になった森田実〈もりた・みのる〉君など、清水と行動を共にした人たちも一緒でした。佐藤君と香山君の付き合いからそうなったのだと思います。
この時、清水幾太郎氏は、日本共産党に裏切られたと言って泣きました。それを見て私は、がっくりきました。闘争というものは負けたからといって泣くものじゃないだろう。そこで何かをつかんで、もう一度相手をやっつけるならわかる。だが、泣くものではない。しかもわれわれ若い奴に向かって泣くとは、と思ったことを覚えています。
伊藤は新しい歴史教科書をつくる会にも参加しているが左翼からの評価も高い学者である。司馬遼太郎をやり込めたエピソードも綴られているが、静かな気骨を感じさせる人物だ。
会話調の文章が読みやすく、史料学の大変さがよくわかる。予算が足りなくて頓挫した企画も多いようだ。史料の乏しい昭和史の道をオーラル・ヒストリーの手法で切り拓いた人物といってよい。一般人でも取っつきやすい作品として岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉にインタビューをした『昭和陸軍謀略秘史』(日本経済新聞出版、2015年/日本近代史料研究会、1977年『岩畔豪雄氏談話速記録』改題)がある。
・樺美智子さんの「死の真相」 (60年安保の裏側で) ―60年安保闘争50周年 | ちきゅう座