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2022-03-08

術と法の違い/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光

 ・術と法の違い
 ・策と術は時を短縮
 ・人生の転機は明日にもある
 ・天下を問う
 ・傑人
 ・明るい言葉
 ・孫子の兵法
 ・孫子の兵法 その二
 ・人の言葉はいかなる財宝にもまさる

『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

「病気をなおす医者がもちいるのは、術です。また、いまの戦いで、兵を動かす将軍がもちいるのも術です。医術と兵術は、特別な人がもちるもので、法とはちがいます。術はそのときそこにいる人にかかわりをもちますが、法はそういう限定の外にあります。ゆえに術を知らぬわれは死にかけましたが、楚王と楚の国民を、法によって活(い)かすことも殺すこともできるのです」

【『湖底の城 呉越春秋』(全9冊)宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】

 孫武〈そんぶ〉の言葉である。「あれ?」と思った目敏(ざと)いファンも多いことだろう。『孟嘗君』に登場するのは孫臏〈そんぴん〉で孫武の末裔である。1972年に「孫臏兵法」が発見され、『孫子』の著者は孫武が有力視された。

兵とは詭道なり/『新訂 孫子』金谷治訳注

 若き伍子胥〈ごししょ〉があまりにも賢(さか)しらで共感が湧きにくい。第七巻からは越国(えつこく)の范蠡〈はんれい〉が主役となる。ところが伍子胥とキャラクターが被っていて、段々見分けがつかなくなってくる。あまり好きになれない作品だが、再読に堪(た)える内容であることに間違いない。特に孫武が生き生きと躍動しており、『孫子』を学ぶ者にとっては必読書といえる。

 孫武はそれまでの兵術を兵法にまで高めた天才である。枢軸時代を彩る主要人物の一人だ。

「西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた」(『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー)。

「学、論、法、と来て、さらにいっそう頭より手の方の比重が大きくなると、何になるか、というと、これが術、なんです。術、というのは、アートです」(『言語表現法講義』加藤典洋」)。

技と術/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー、『言語表現法講義』加藤典洋

 もともと技は秘伝であったのだろう。孫武の兵法は術(手)から法(頭)の転換であり、兵士一人ひとりの技よりも大軍としての動きに注目した。それまでは雨滴のような波状攻撃が主流であったが、孫武は激流を生み出し、波浪を出現せしめた。軍にスピードを導入したのも孫武であった。戦局を卜(ぼく)で占いながら進む緩慢さを排したのだ。将軍が頭となり兵士が手足の如く動くことで、軍組織は生命体のように振る舞った。

 法の訓読みは「のり」である。「則・矩・式・典・憲・範・制・程・度」も「のり」と読む(コトバンク)。語源は「宣(の)り」で、やがて「のっとる」意が加味されて、「乗り」に掛けられた。言葉には呪力(※呪には祝の義もある。祝の字は後に生まれた)があると信じられていた時代である。王の言葉はそのまま法と化した。

 現代で兵法が最も生かされているのはスポーツの世界だろう。プロであっても監督次第で成績がガラリと変わる。一方、本来であれば最も兵法が発揮されなければいけない政治はといえば、官僚主導で省益の奪い合いをやっている始末で、世界からスパイ天国と嘲笑されても目を覚ますことがない。既に戦争を経験した政治家は存在しない。東大法学部出身の優秀な頭脳が乾坤一擲(けんこんいってき)の場面で判断を誤ることは大いにあり得る。

2022-01-31

砕氷船テーゼ/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 米国は先に述べたように、日本と蔣介石麾下(きか)の国民政府軍とを戦わせて泥沼化させ、日本の疲弊(ひへい)を待ってから、日米戦を挑発(ちょうはつ)したのであるが、一方、毛沢東主席の方も、廷安に追いつめられ、国民政府軍に完全に包囲され、あと一歩で国外(ソ連へ)亡命の寸前まで追いつめられながら、張学良の起こした西安事件によって、「国共合作して対日抗戦をやろう」という方向へ大勢を転換させることに成功した、「したたかな悪党」である。
 毛沢東が考えたことは「まず、蔣介石軍は日本軍に叩きつぶさせよ。中共軍は背後にかくれていて、決して日本軍の正面に出て戦ってはならぬ。勢力を温存しておくためである。そして、蔣介石軍の精鋭が壊滅したあと、日本軍を叩きつぶす役目は米国にやらせよう。そのためには、日本国内の仮装マルキストと共謀して、日米決戦を大声で呼号させよ。日本が支那大陸に大軍を残したまま、米国との戦争に入れば、海洋と大陸の両面作戦となり、疲弊した日本は必ず敗北するであろう。日本が敗北したあと、日本の荒らしまわった跡は、そっくり、われわれの手にいただくのだ」という大謀略であった。
 この戦略は「砕氷船テーゼ」とよばれる地政学の最も邪悪なテーゼであり、レーニン、もしくはスターリンが提起したものといわれているが、ソ連内部の密教については、明確にされていないものが多いので、文献として明示できないのは残念である。スターリンも、この砕氷船テーゼを採用して、次のように考えていたといえる。
 ドイツと日本を砕氷船に仕立てあげよ。ドイツがソ連へ攻めこんでこないよう、ドイツをフランス、英国の方向へ西進させよ。ヨーロッパ共産党はナチス・ドイツヘの非難を中止して、ドイツと英仏の開戦を促進させよ。また、日本が満州を固め、蔣介石と和解して、シベリアヘ北進してこないよう、日本と中華民国との間に戦争を誘発させよ。中国共産党は国民党内部に働きかけて対日抗戦論を煽(あお)れ。日本の共産主義者は偽装転向して右翼やファシショの仮面をかぶり、軍部に接近して、「暴支膺懲」「蔣介石討つべし」の対中国強硬論を煽れ。
 日本が中華民国との戦闘行為に入ったら、できるだけ、これを長期化させるように仕向けよ。そのためには「長期戦論」「百年戦争論」を超愛国主義的論調で煽れ。日本と国民政府との和平工作は、あらゆる方法で妨害せよ。そして、長期戦によって疲弊した日本を対米戦に駆り立て、「米英討つべし」の強硬論を右翼の仮面をかぶって呼号せよ。
 日独が疲れた頃を見はからって米国を参戦させよ。米国の力をかりて、ドイツと日本を叩きつぶしたあと、ドイツと日本が荒らしまわったあとは、そっくり、ソ連の掌中のものになるであろう。
 大体、以上のようなものであったと推測されている。つまり、「共産主義者は自ら砕氷船の役目を演じて、氷原に突進し、これを破粋するためエネルギーを浪費するような愚かな真似をしてはならない。砕氷船の役割はアナーキストや、日本、ドイツのような国にまかせるように仕組み、われわれはその背後からついて行けばよい。そして、氷原を突破した瞬問、困難な作業で疲労している砕氷船を背後から撃沈して、われわれが先頭に立てばよいのだ」という狡猾(こうかつ)な戦略である。ロシア革命の前夜においても、アナーキストが砕氷船の役割を演じたが、十月革命後、アナーキストはことごとくレーニンの党によって処刑され消されてしまった。
 第二次大戦では日本とドイツが砕氷船の役割を、まんまと演じさせられ、日独の両砕氷船が沈没したあとを、ソ連と毛沢東の中国と米国の三者が、うまく分け前をとり合ったわけである。ゾルゲ尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は、日本を砕氷船に仕立てるために多大の功績を残したソ連のエージェントであった。
 尾崎秀実が対中国強硬論の第一人者であったこと、対米開戦を最も強く叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣伝がおこなわれている。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)】

砕氷船理論 - Wikipedia
敗戦革命 - 砕氷船テーゼ
砕氷船のテーゼ ~ 日本共産党が「アメリカ反対」な理由 - 親子チョコ

 外国からの侵略を経験したことがない日本は謀略に弱い。その意味では反植民地状態にあった明治外交の方が現在よりもはるかに強(したた)かであった。政治家に「国家的危機意識」があった。その後、大正デモクラシー~政党政治を経て日本の民主政は五・一五事件に至る。すなわち政党政治の行き詰まりから国民は軍部を支持したのである。これを軍部による独裁と見ると歴史を誤る。

 大正デモクラシーと同時期に起こったのがロシア革命(1917年/大正6年)であった。大正デモクラシーは社会主義的な色彩の濃い民主政であった。個人の権利よりも、平等な社会制度の構築を目指した。ここに共産主義が付け入る余地があった。

 それにしても頭がいい。砕氷船テーゼを考案したのは多分ユダヤ人だろう。ソ連建国の主要メンバーも殆どがユダヤ人であった。ヨーロッパの地で迫害や虐殺をくぐり抜けてきた彼らの知恵は英知と狡猾の幅を有する。

 砕氷船を砕氷船たらしめるために第五列(スパイ)を送り込むのだ。何と用意周到なことか。しかも描く絵の構図が大きい。その壮大さに心惹かれてシンパシーを抱く者すら存在したことだろう。優れた論理や明るい理想には人の心をつかんで離さない力がある。

 そしてあろうことかソ連が崩壊しても尚、第五列は生き続けているのだ。彼らは口々に平和を説き、人権を語り、平等を訴えながらポリティカル・コレクトネスを吹聴する。そして70年以上を経ても尚、日本軍の戦争犯罪を声高に糾弾し、中国・韓国を利する言論活動を至るところで行う。

 この思想の力はあまりにも強靭だ。既にコミンテルンが存在しないにも関わらず自律運動が継続されているのだ。共産党はなくなっていないし、旧社会党勢力は立憲民主党で生き延びている。学術の世界は今でもほぼ真っ赤な色を維持している。また政権与党の公明党が完全な親中勢力の一翼を担っており、支持母体の創価学会は中国による不動産売買に手を貸しているとも伝えられる。

 沖縄と北海道は籠絡(ろうらく)寸前の状況といってよい。どこかで国民の人気を集めた強権的な政権が誕生しない限り、中国の侵略を防ぐことはできないだろう。

 一朝事ある時には、防衛ではなく満州を取りにゆく覚悟で臨むべきだ。

仮説の陥穽/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 地政学は、その他の科学と同じように、いくつかの仮説によって構築された理論体系である。米国民主主義もソ連式共産主義も、虚構論理の代表例であるが、地政学も、それに劣らぬほどの虚構論理といえる。しかも、虚構論理というものは、一章の中にも述べたとおり、その「仮説性の大きさ」ゆえに、つねに人を陶酔させる作用を持っている。それは両刃(もろは)の剣であり、毒にも薬にもなる。
 科学はすべて仮説群のうえに成立するものであることは、科学を学ぶ者の基本的な常識である。たとえば、ユークリッド幾何学は五つの公理群を前提として成立しているもので、それを別な公理群におき変えたリーマンが19世紀末に非ユークリッド幾何学を提示してみせた。また、絶対時間、絶対空間という大仮説の上(ママ)に構築されたニュートンの力学体系に対し、アインシュタインは時間と空間の概念を変えただけで相対性理論をみちびき出した。このように前提となる仮説を変更しさえすれば、科学の体系は根底から変わり得るものである。
 社会科学の論理も例外なく大仮説のうえに構築されているものであるから、われわれは複雑な世界の動きを分析し、その中から、最適と思われる道を選択する際の武器として、さまざまの理論をためしてみてよいのであって、単なる道具にすぎないものを絶対視することは、人間としての智恵の浅さを示すものといえる。
 地政学も、いうまでもなく、いくつかの仮説群から構成される地理科学、もしくは政治科学の一分野であるが、そのテーゼは、確かに国際的な政治戦略を策定する上で強力な武器として役立つ。したがって、地政学を知る者と、知らない者とでは、国際政治力学への理解度において雲泥(うんでい)の差が生じてくるであろう。
 それゆえ、人間という愚かな生きものに対する洞察(どうさつ)の浅い軽率な人間は、地政学のといこになりやすい。「たとえ、地政学が虚構論理であろうとも、これに賭(か)ける」などという者が出現する。これが戦前のドイツや日本の一部の指導者がおちいった陥穽(かんせい)なのである。戦後になると丸山眞男氏のように、「たとえ戦後民主主義が虚構であろうとも、それに賭ける」という人が現われた。いずれも、科学の仮説群をわきまえていない小善人たちの自己陶酔というべきであろう。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)】

 ブログ内検索対応で「丸山真男」は正字(旧字)に変えた。また「うえ」と「上」が混在しているがテキスト通りである。

 かつて「学問」は「労働」と反対に位置するものであった。昭和初期の頃は庶民や女性にとっては不要とされた。現在のアフガニスタンとさほど変わらぬ情況であった。高度経済成長を通して「学問」は「学歴」という通行手形となった。1990年代から始まったデジタル革命によって世界の高度情報化が推進されたが、学問が生かされているのは専門職に限られており、社会の推進力となるには至っていない。これが日本に限った実状であるとすれば、文部科学省と教科書の問題であろう。

 例えば法学部や経済学部を卒業した善男善女は多いが、彼らが法律問題や経済問題を鋭く論及し、現状打開の方途を指し示し、規制改革や法改正に言及するという場面を私は見たことがない。憲法改正が遅々として一向に進まず、バブル崩壊後の失われた20年を漫然と過ごしたのも、学問の無力を見事に証明していると考える。

 第二次大戦後、日本とドイツでは地政学を学ぶことを禁じられたという。アメリカを中心とする連合国は復讐を恐れたのだろう。第一次大戦の苛烈な制裁がヒトラーを誕生せしめた事実はまだ記憶に新しかった。アメリカは地政学が牙となり得ることをよく理解していたのだろう。

 茂木誠が常々指摘するように地政学は生物学に近い。地理的条件とは国家が置かれた環境であり、国家という生きものはそこに適応するしかない。戦乱が続いたヨーロッパが落ち着いたのはウェストファリア体制(1648年)以降のことである。これに先んじていた「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)で植民地獲得は進んでいたゆえ、「戦争を輸出した」と考えることもできよう。

 特に好戦的なアングロサクソン系やアーリア系をどう扱うか、あるいは封じ込めるかが平和の肝である。

 科学の強味は「仮説の自覚」がある点に尽きる。宗教には「絶対性の自覚」しかないゆえに独善を修正することが敵わない。

2022-01-16

天才オイラーの想像を絶する記憶力/『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ


『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ

 ・天才オイラーの想像を絶する記憶力
 ・コネクターがハブになる

『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)マルコム・グラッドウェル
『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 スイスに生まれたオイラーは、ベルリンとサンクトペテルブルグで研究を行い、数学、物理学、工学のあらゆる領域に絶大な影響を及ぼした。オイラーの仕事は、内容の重要性もさることながら、分量もまた途方もなく多い。今日なお未完の『オイラー全集』は、1巻が600ページからなり、これまでに73巻が刊行されている。サンクトペテルブルグに戻ってから76歳で世を去るまでの17年間は、彼にとっては文字通り嵐のような年月だった。しかし、私的な悲劇に幾度となく見舞われながらも、彼の仕事の半分はこの時期に行われている。そのなかには、月の運動に関する775ページに及ぶ論考や、多大な影響力をもつことになる代数の教科書、3巻からなる積分論などがある。かれはこれらの仕事を、週に1篇のペースで数学の論文をサンクトペテルブルグのアカデミー紀要に投稿するかたわらやり遂げたのだ。しかし何より驚かされるのは、彼がこの時期、一行も本を読まず、一行も文章を書かなかったことだろう。1766年、サンクトペテルブルグに戻ってまもなく視力を半ば失ったオイラーは、1771年、白内障の手術に失敗してからはまったく目が見えなかったのだ。何千ページに及ぶ定理は、すべて記憶の中から引き出されて口述されたものなのである。

【『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ:青木薫訳(NHK出版、2002年)】

スモール・ワールド現象」、「六次の隔たり」に息を吹き込んだ一冊である。パソコンが普及した背景もあり、この分野の著作が一気に花開いた。

 レオンハルト・オイラー( 1707-1783年)の全集はデジタル・アーカイブで2020年までの完成を目指しているとのこと(Wikipedia)。「ニコニコ大百科」のエピソードを読めば天才の片鱗が我々凡人にも理解できる。

 人類の課題はオイラーとガウスを超える天才数学者を輩出できるかどうかである、と言いたくなるほどこの二人の業績は他を圧倒している。

2021-10-31

GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 GHQは、敗戦後の日本国民がいまだ昭和天皇に尊崇の念を抱き、秩序を保っていることに注目し、【天皇を元首とする大日本帝国の形を残したまま、間接統治をする】ことにしました。政府や国会の上に置かれたGHQから、超法規的な「GHQ指令」が発せられ、日本政府にこれを実行させたのです。【ナチス国家を完全に解体し、直接軍政を敷いたドイツとは対照的】です。
 GHQの統治下で内閣を組織したのは、皇族出身の東久邇宮稔彦王〈ひがしくにのみやなるひこおう〉、元外交官の幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉、同じく元外交官の吉田茂〈よしだ・しげる〉の順番です。
 幣原は、大正デモクラシー期に長く外相を務め、ワシントン海軍軍縮条約をまとめて軍と対立したことが、GHQに評価されました。この「英語ができる平和主義者」幣原のもとで、日本の交戦権を制限する新憲法を制定させることになりました。
 戦時国際法の基準とされるハーグ陸戦条約は、こう定めています。

「第43条 国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、【占領地の現行法律を尊重】して、なるべく公共の秩序および生活を回復確保するため、施し得べき一切の手段を尽すべし」

 アメリカの日本占領は、1951年のサンフランシスコ平和条約発効まで続きました。この間、占領者アメリカには、ハーグ陸戦条約に基づいて【占領地日本の現行憲法を尊重する、】という国際法上の義務があったのです。
 したがって、GHQが日本の憲法を制定することはできません。そこで【マッカーサーは、幣原内閣に圧力をかけ、日本政府自らの意思で新憲法を起草したように見せかけた】のです。
 この「圧力」とは、つまり公職追放と検閲(プレスコード)です。
 公職追放は、戦時下の軍と政府の要人、思想家など「軍国主義者」に始まり、GHQを批判する者すべてを公職から解雇しました。空襲で産業が壊滅し、戦地からの帰還兵がどっと戻ってきたため、失業率が異常に高かった当時の日本で職を失うことは飢餓(きが)と直面することを意味します。幣原内閣は、組閣の直後に幣原首相、吉田外相ら3名を除く全閣僚を公職追放され、親英米派の幣原も「マックのやつ、理不尽だ」とうめきます。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

 こうした屈辱の歴史を教えない限り、自民党の変節も見えてこない。

日本国憲法の異常さ/『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れてマッカーサー』西鋭夫
GHQは日本の自衛戦争を容認/『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
国民の国防意志が国家の安全を左右する/『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八

 ただし、日本は議会制民主主義を採用しているのだから、国民の意思が問われて然るべきだろう。「日本の近代史を知らなかった」という言いわけは通用しない。無知に甘んじてきた己を恥じるのが先だ。真珠湾攻撃から敗戦までは3年8ヶ月であったが、GHQの進駐は6年半にも及んだ。実は戦争そのものよりも占領期間の方が長いのだ。どう考えてもおかしい。この間、WGIPで日本国民を洗脳し、憲法を与え、アメリカ流の民主政を押しつけた。

 だがそれは既に遠い過去のことだ。現在にあっても安全保障についてはアメリカに依存しているが、国民が自立を望めば憲法改正はいつでも可能なはずだ。それをやろうともしないのは国民の意思が戦後レジームをよしとしている証拠である。

 近代化した日本は常にロシアの南下を警戒していた。韓国を併合したのも彼(か)の国がロシアの軍門に降(くだ)ることを防ぐためだった。日清戦争が起こった1894年(明治27年)の軍事費は国家予算の69.4%を占めた。日露戦争が勃発した1904年(明治37年)は81.9%にも及んだ(帝国書院 | 統計資料 歴史統計 軍事費(第1期~昭和20年))。国家存亡の危機意識がどれほど高かったかを示して余りある。

 1969年に国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性があることが指摘されると、それまで何ら主張を行っていなかった中国は、日本の閣議決定から76年後の1971(昭和46)年になって、初めて尖閣諸島の「領有権」について独自の主張をするようになりました。

尖閣諸島|内閣官房 領土・主権対策企画調整室

 2010年には尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こった。仙谷由人〈せんごく・よしと〉官房長官の独自判断で釈放されたと報じられた。sengoku38なる人物が衝突動画をYou Tubeにアップロードした。当時、海上保安官だった一色正春〈いっしき・まさはる〉の義憤に駆られた行動がなければ、日本国民の国防意識は今もまだ眠ったままとなっていたに違いない(尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件)。

尖閣諸島周辺海域における中国海警局に所属する船舶等の動向と我が国の対処|海上保安庁

 民主政が正しく機能するためには情報公開が前提となる。私が民主政を信用しないのは情報公開がなされていない現実と、たとえ公開されたとしても国民が正しく判断するとは到底思えないためだ(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。

 国家は国民を欺(あざむ)き、歴史は嘘で覆われている。その最たるものが日本国憲法である。

2021-08-30

ネオコンのルーツはトロツキスト/『米中激突の地政学 そして日本の選択は』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

 ・世界恐慌で西側諸国が左傾化
 ・ネオコンのルーツはトロツキスト

ジョン・バーチ協会の会長に就任したラリー・マクドナルド下院議員が、国家主権を解体し世界統一政府構想を進めるエリート集団を暴露
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

世界史の教科書
必読書リスト その四

 これまで見てきた保守やリベラルとは異質の、「ネオコン」と呼ばれる一派がアメリカにはいます。ネオコンとは「ネオ・コンサーバティズム」の略で、「新保守主義」と訳されます。(中略)
 さかのぼれば、ネオコンのルーツはロシア革命にあります。帝政ロシアはユダヤ人を迫害してきたので、ロシア革命には多くのユダヤ人が参加し、共産党の中にはユダヤ人が多数いました。そもそもマルクスがユダヤ人ですし、レーニンは母方の祖母がユダヤ人、トロツキーもユダヤ人です。
 ところが革命後、1924年にレーニンが死ぬと、共産党内でユダヤ人グループと反ユダヤ・グループが衝突します。ユダヤ人グループのリーダーがトロツキーで、赤軍の創始者として諸外国の干渉から革命政権を守った立役者でした。
 しかし反ユダヤ・グループを率いるスターリンの謀略(彼はジョージア人)によりトロツキーは失脚して国外追放され、共産党内部のユダヤ人たちは粛清されます。トロツキーは1940年、亡命先のメキシコで、スターリンの放った刺客に暗殺されました。
 アメリカにはロシア革命にシンパシーを持つユダヤ人がたくさんいたのですが、スターリンによってユダヤ人が粛清されたため、スターリンを敵視するようになります。その反動でトロツキーの思想を支持する「トロツキスト」を自称し、スターリンはロシア革命をねじ曲げた裏切り者であり、ソ連を打倒すべきだという考えを持つようになりました。彼らトロツキストこそが、ネオコンの始まりなのです。
 スターリンはヨーロッパで革命運動が次々に失敗するのを見て、「一国社会主義」に転換しますが、トロツキーは、赤軍による「世界革命論」を唱えていました。ですから、トロツキストであるネオコンは当然、「世界革命論」を支持するのです。
 この「世界革命論」は、世界に干渉して、アメリカ的価値を世界に浸透させるというウィルソンやF・ローズヴェルトの思想と共振します。実際、ネオコンはこの二人の大統領を高く評価しています。そしてローズヴェルトがアメリカでやったような、ニューディール的な社会政策を世界で実施していこうとします。こうして、民主党はネオコンの温床となりました。
 ネオコンはユダヤ人から始まっただけに、一貫して親イスラエルでした。1948年の建国以来、イスラエルは四次にわたる中東戦争をはじめ、アラブ諸国と紛争を繰り返しています。そのたびにネオコンは、イスラエル支持を表明しています。
 もともと共和党はイスラエルに冷淡でした。なぜなら、共和党のバックには石油産業がついているからです。ロックフェラー系のエクソンやモービルなど、石油産業はアラブ諸国に石油利権を持っているので、アラブに親米政権をつくることには熱心ですが、油田のないイスラエルには、関心がありません。そのことも、ネオコンが共和党ではなく民主党を支持した理由の一つでした(副島隆彦世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社+α文庫)。

【『米中激突の地政学 そして日本の選択は』茂木誠〈もぎ・まこと〉(WAC BUNKO、2021年/ワック、2020年『「米中激突」の地政学』改題新書化)以下同】

 フランス革命にもユダヤ人が参画していた(「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン)。国民国家には人種を乗り越える力があった。ロシアで虐げられたユダヤ人をパレスチナの地へ送り込んだのがロスチャイルド家であった(『パレスチナ 新版』広河隆一)。「ロシア革命の実態はユダヤ革命」という指摘もある(『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫)。

 ウッドロウ・ウィルソンとフランクリン・ルーズベルトは民主党選出の大統領である。両者ともに国際主義者で新生ソ連にエールを送った人物だ(馬渕前掲書)。ウィルソン大統領はパリ講和会議(1919年)で日本が提案した人種的差別撤廃提案を廃案に導いた。F・ルーズベルトはアメリカの本当の敵(ソ連)と味方(日本)を見誤った。どうやら国際主義者の眼は曇っているらしい。あるいは遠くを見すぎて足元を見失っているのだろう。

 ネオコンはレーガン政権からクリントン政権を挟んでブッシュ(子)政権まで共和党を支配しました。その間、盛んにアメリカが中東に出兵したのは、すべてネオコンの影響です。

 ネオコンは共和党のジョージ・W・ブッシュに巣食ったことで広く知られるようになった。「ネオコンは元来左翼でリベラルな人々が保守に転向したからネオなのだ」(元祖ネオコン思想家の一人であるノーマン・ポドレツ)とは言うものの、新保守主義との看板には明らかな偽りがある。まるで中島岳志が唱える「リベラル保守」みたいな代物だろう。左翼と嘘はセットである。平然と嘘をつきながら正義を語るのが左翼の本領なのだ。 9.11テロ以降のアメリカによる戦争を主導したのがネオコンであった。

 私は人類の社会性は国家が限界であると考えている。国家を超えてしまえば言語や文化の差異もなくなることだろう。それがいいことだとは思えないのだ。人格形成やアイデンティティを考えると、やはり気候や風土、食べ物や環境に即した個性がある方が望ましいだろう。もっと具体的に言えば、それぞれの民族や地域に特有な宗教の存在を認めるということである。

 国際主義者の恐るべき欺瞞は「ルールを決めるのは自分たちである」との思い込みだ。自由と民主政は確かに貴重な財産だとは思うが、他の国に強制するようなものではあるまい。個人的には日本のように官僚支配が強くなり過ぎた国は、いっぺん独裁制を認めていいように思う。それくらいのことをしないとこの国が変わることはない。

2021-08-24

世界恐慌で西側諸国が左傾化/『米中激突の地政学 そして日本の選択は』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

 ・世界恐慌で西側諸国が左傾化
 ・ネオコンのルーツはトロツキスト

『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

世界史の教科書
必読書リスト その四

 日本がアメリカに敗れて中国から引き揚げると、国民党と共産党の内戦(1946~49年)が始まりました。ところが不思議なのは、あれほど蒋介石を支援してきたアメリカが、急に国民党に冷たくなるのです。ほとんど援助もしません。
 ここにもアメリカの民主党政権内に巣くう新ソ派の明確な意思が働いていたのでしょう。彼らはソ連のスターリンと世界を分割し、中国を毛沢東に委ねることを決定したのです。
 西側諸国がここまで左傾化した最大の原因は、世界恐慌の影響だと私は思います。世界恐慌で資本主義の限界があらわになり、西側エリートの間に「資本主義は終わった」論が広がったのです。ソ連の計画経済をモデルにして国をつくり直さなければいけない。そう考えるエリートが世界中にいました。それが、アメリカのニューディーラーであり、日本の革新官僚だったのです。
 日本でも東京帝国大学の教授、高級官僚、政治家、陸軍士官学校出の青年将校……エリートであればあるほど、その思いは切実でした。
 第二次世界大戦でアメリカは、中国というマーケットを確保するために蒋介石を支援して日本を叩き出すことに成功しておきながら、その次はやすやすと毛沢東に中国を明け渡してしまったのです。

【『米中激突の地政学 そして日本の選択は』茂木誠〈もぎ・まこと〉(WAC BUNKO、2021年/ワック、2020年『「米中激突」の地政学』改題新書化)】

 重要な指摘であると思う。個人的には二・二六事件の背景に世界恐慌があったことは知っていたが、国際的な容共につながっていたとは考えもしなかった。

 こうした事実を踏まえた上で、例えば以下の書籍あたりを再読する必要がある。

『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 社会主義の本質を見抜いていたのはウィンストン・チャーチルだけだったのかもしれない。だが、そのチャーチルも1955年(昭和30年)に首相の座から退く。

2020-11-27

問いの深さ/『近代の呪い』渡辺京二


『逝きし世の面影』渡辺京二
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也

 ・問いの深さ

世界史の教科書
必読書リスト その四

 では、近代とは何でありましょうか。このような民衆世界の国家と関わりない自立性を撃滅したのが近代だったのであります。ただし近代といっても、アーリイ・モダン段階まではヨーロッパにおいても、このような自立した民衆世界は存在していたのでありますから、18世紀末以降のモダン・プロパーのことになります。モダン・プロパーの成立は実体的にいえば国民国家の創出であります。ヨーロッパにおいては、これがフランス革命でありまして、その意義はブルジョワ支配の確立なんてところにあるのではなくて、国民国家の創出にこそその第一の意義が認められねばならない。フランス革命が創造したのはナショナル・ガード、つまり国民兵であります。お国のことなんて知らねえよと言っていた民衆が、よろこんでお国のために死ぬことになった。これは画期的なことでありまして、フランス革命のキー・ポイントは民衆世界の自立性を解体するところにあったのです。  国民国家の創成には、絶対主義国家という前史があります。しかし、この絶対主義国家というものはもちろん国家の統合・中央集権を強化しましたけれども、国民を直接把握したわけではないのです。国民と王権の間には様々の中間団体がありまして、絶対主義王権はそれを解体することはしなかった。この中間団体を解体したのがフランス革命であります。中間団体が解体されるということは、民衆の自立性が浸食されてゆくということです。  戦争という点をみても、この時代の戦争は国民全体を巻きこむものではなかった。だから、イギリスとフランスが戦争をしているのに、イギリス人が自由にフランス国内を旅行するということが可能だったのです。国民と国民が全体的に戦争によって対立するというのはナポレオン戦争が生みだした新事態であって、それがすなわち国民国家の創出ということであったのです。  国民国家の創成については、世界経済の成立という点も併せて考えてみる必要がありましょう。先に述べましたように、世界経済は環大西洋経済として出発したのでありますが、この環大西洋経済圏のヘゲモニーを握るためには、民衆を国民として統合する強力な国家が必要でありました。もちろん、インドから日本に至るアジア経済、具体的にいえばインド洋貿易圏と南シナ海貿易圏のヘゲモニーを握る争いも重要でありました。そういった世界経済におけるヘゲモニーは、スペイン、オランダ、英国という順に推移してゆくわけでありますが、結局は強力な国民国家を創出できた者がヘゲモニーの保持者となります。  幕末において、日本の先覚者といわれる連中が直面したのは、こういったインターステイトシステム、つまり世界経済の中で占める地位を国民国家単位で争うシステムであります。それを彼らは万国対峙の状況と呼んだのである。このシステムは、ぼやぼやしている連中は舞台の隅に蹴りやって冷飯を喰わせるシステムでありますから、幕末の先覚者たちが、天下国家のことには我関せず焉(えん)という民衆の状態にやきもきしたのは当然です。ぼやぼやしていたら、冷飯どころか植民地にされてしまうかもしれないのです。

【『近代の呪い』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社新書、2013年)】

 ポストモダン用語に苛々(いらいら)させられるがアーリーモダンは「初期近代」(その前にプレモダンがある)、モダンプロパーは初耳だが「本格的な近代」といったところか。

『逝きし世の面影』で外国人の手記を通して幕末から明治の日本を鮮やかに抽出した渡辺だが、私は信用ならぬ感触を懐(いだ)いていた。その後、石牟礼道子に心酔した渡辺が身の回りの世話までするようになった事実を知った。対談にも目を通した。『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)は紛(まが)うことなき傑作だが、実はノンフィクションを装った文学作品である。第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退したのは石牟礼の良心が疼(うず)いたためか。水俣の運動はやがて市民色を強めていった。彼女は『週刊金曜日』の創刊時にも参画している。

「どうせ、リベラルの仮面をつけた隠れ左翼だろうよ」という私の疑問は本書で完全に氷解した。渡辺京二は臆することなく左翼であることを白状しているのだ。嘘がないことはそれだけでも人として称賛できる。しかも現代を照射するための近代への問い掛けの深さが生半可ではない。渡辺は時代と世相を問いながら、更に自分自身をも問う。もはや評論の域を超えて哲学にまで迫っている。

「中間団体」なる言葉を私は佐藤優の著書で知った(『人間の叡智』)。佐藤は精力的に中間団体へアプローチし、現在も例えば創価学会などに秋波を送り続けている(『AERA』)。

 宗教と個人主義の関係について重要な指摘がなされているのは、ウェーパーの『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神』([1904-5] 1920)においてである。「個人」意識が発生する契機になったのは中世的構造原理の解体であったが、なかでも宗教改革によって促進された教会の衰退が大きく作用している。教会という中間集団が弱体化し、神と信者を媒介していた教会や司祭は、この時に取り除かれることになったのである。

アメリカにおける個人主義とニューエイジ運動 現代宗教の問題と課題:藤本龍児

 カルビニズムの到来が象徴する思想史の転換とほぼ時代的に重なって,社会史の転換が起こった。それは中世社会で強力であった中間集団,すなわち国家と個人の中間にある大家族,自治都市,ギルド,封建領主領,地区の教会などの集団が,しだいに自立性を失って,これらの集団に属していた個人がこれらの支配から解放されてきた,という転換である。中間集団からの個人の独立という転換と,思想史の上でのあの世的個人主義の世俗的世界への拡散という転換とが重なって,西欧の近代に個人主義が確立した。

世界大百科事典内の中間集団の言及

 ひょっとしたら共産主義革命のセオリーなのかと思いきやそうではなかった。エミール・デュルケムも『自殺論』などで中間集団論を述べているようだ(中間集団論 社会的なるものの起点から回帰へ:真島一郎)。

「インターステイトシステム」はイマニュエル・ウォーラステイン世界システム論で説かれた概念である。

 佐藤優がいう中間団体は党や組合を思わせるが、渡辺京二が説く中間団体は政治被害を防ぐ目的があるように感ずる。渡辺が抱く民衆世界への郷愁には共感できないが、その気持ちは理解できる。

戦争をめぐる「国民の物語」/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也


・『乃木希典』大濱徹也
・『近代日本の虚像と実像』山本七平、大濱徹也
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・戦争をめぐる「国民の物語」
 ・紀元節と天長節
 ・日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた

・『庶民のみた日清・日露戦争 帝国への歩み』大濱徹也
・『天皇と日本の近代』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 戦争は、多様な従軍記録、日記・手紙などを読んだとき、生活の場である村から外の世界に出ていくことで、新しい世間を具体的に見聞させる世界でした。出征兵士の足跡は、異質な世界との出会いを重ねることで、閉された空間をおしひろげ、多様な見聞をふまえ、己が体験を豊かに結実していく日々にほかなりません。
 この戦争において経験した出来事は、死と向きあって生きたなかで刻印された体験に昇華されたとき、一個の稀有な戦争体験となり、戦争を生き遺(のこ)った思いに重ね、一つの「戦争譚(たん)」として説き聞かされていきます。かくて戦争譚は、戦争をめぐる多様な記憶をとりこむことで、国民が共有しうる記憶として神聖視されたのです。
 歴史は、この聖なる記憶を積み重ねていくなかで、「国民の物語」となりえたのです。かくて国民は、語りつがれてきた戦争譚を身に刻み、記憶として共有するとき、「愛国者」の相貌を顕としました。

 日本の歴史は、こうした戦争をめぐる「国民の物語」を聖なる記憶として共有させるべく、国家のもとに営まれた歩みを記す作業が生み育てた世界にほかなりません。それだけに、歴史像を問い質すには、国民をめぐる記憶の場を析出(せきしゅつ)し、記憶の構造を解析することが求められています。

【『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也〈おおはま・てつや〉(刀水書房、2002年)】

 出版社名の「刀水」(とうすい)とは利根川の異称である。雪山堂(せっせんどう)の掲示板で私の義兄弟が「刀水」を名乗っていた。

 講演を編んだ書籍なのだが執筆と遜色のない情報密度で、自身に向けた問いの深さにたじろがされる。同時期にやはり講演を編んだ『近代の呪い』(渡辺京二)を読んだが、知識人の良心という点で双璧を成す。他を論(あげつら)い己を省みることのない昨今の言論情況は寒々しい限りである。イデオロギーに基づく言葉は人間を操作対象と捉え、言葉を論理の道具に貶(おとし)める。特に最近はリベラルを装った左翼を見抜く眼が必要だ。

 戦争の功罪を説く文章にハッとした。移動が自由な現代からは、戦争を「新世界との交流」と捉えることが難しい。我々は「自分の眼」でしかものを見ることができない。山頂から山容を眺めることは不可能だ。逆もまた真なりで麓(ふもと)から彼方(かなた)は見えない。

 近代化は戦争によって成し遂げられたと言ってよい側面がある。イギリスで興った産業革命はフランス革命を経て国民国家による総力戦へと道を開いた。日本の義務教育は明治19年(1886年)に始まるが、これは国民皆兵を準備したものである。その後、日清戦争(1894-95年)・日露戦争(1904-05年)を経て一等国の仲間入りを果たす。特に日露戦争は人類史上初めて有色人種が白人を打ち負かした歴史で世界に衝撃を与えた。

 大濱は「玄関からではなく勝手口の視点」に立って歴史を見つめたいとの心情を冒頭で吐露している。生活の息遣いを見失った歴史解釈の不毛を突いた一言である。国家とは「他国が侵略してくれば戦争をしてでも国民を守る」コミュニティであろう。だからこそ国民は徴税と徴兵に応じるのだ。「戦争は悪」という価値観はあまりにも稚拙で子供じみている。

2020-09-15

三島由紀夫『武士道と軍国主義』/『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝


・『三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦 市ケ谷決起への道程と真相』山本舜勝
・『君には聞こえるか三島由紀夫の絶叫』山本舜勝
・『サムライの挫折』山本舜勝
・『三島思想「天皇信仰」 歴史で検証する』山本舜勝

『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 ・三島由紀夫「檄」
 ・三島由紀夫『武士道と軍国主義』

70年安保闘争の記録『怒りをうたえ!』完全版:宮島義勇監督
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

(※暑中見舞いの)手紙に同封されていたのはB5版24枚の書類であり、『武士道と軍国主義』『正規軍と不正規軍』と表題のついた2篇からなっていた。
 自刃の年の7月、三島は、当時の保利茂官房長官から、防衛に関する意見を求められた。送られてきた書類は、その時三島が日頃からの持論を口述し、タイプ印刷に付したものだ。佐藤栄作総理大臣と官房長官が目を通した後、閣僚会議に提出されるはずだったが、実際には公表はされなかった。
 当時の中曽根康弘防衛庁長官が、閣僚会議に出すことを阻止したのではないかと、私は思う。
 この二つの論文は、三島の考えを理解するためには不可欠の資料であり、彼が国民に訴えたいと考えていた、いわば建白書である。(中略)

『武士道と軍国主義』

 第一に戦後の国際戦略の中心にあるものは核であると規定する。核のおかげで世界大戦が回避されているが、同時に、各は総力戦態勢をとることをどの国家にも許さなくなった。総力戦は、ただちに核戦争を誘発するからである。従って、第二次世界大戦後の戦争は、米ソ二大核戦力の周辺地域で、限定戦争という形態をとって行われるようになった。
 限定戦争の最大の欠点は、国論の分裂をきたすという事である。総力戦の場合、国民の愛国心の昂揚が、必然的に祖国のために戦う気分を創り出す。しかし限定戦争の場合には、それが曖昧であるため、反対勢力は互角の戦いを国家権力に対して挑むことができる。従って、限定戦争のある国では、平和運動や反戦運動が大きな勢力を持ち得、国論は分裂する。これは、必ずしも共産国家の陰謀のせいばかりとは思えない。
 共産国家は、閉鎖国家でその中での言論統制を自由に行なえる体制であるから、国論統一は、自由主義国家よりもはるかに有利に行なうことができる。アメリカの反戦運動の高まりを見ると、限定戦争下における国論統一の困難さが、これと比較してよくわかる。
 さらに、代理戦争は、二大勢力の辺境地帯で行なわれる戦争であるから、その地域の原住民同士が相闘うという形をとる。そしてこれは、民族独立とか植民地解放などの理念に裏付けられて闘われる。自由諸国としては正規軍を派遣して、これに対処しなければならない。これに対し、共産圏は『人民戦争理論』をもって、不正規軍によるゲリラ戦を闘う。この『人民戦争理論』によって、国の独立と植民地解放という大義名分が得られる点で、共産圏の非常な利点となるのは、ヒューマニズムをフル活用できることである。
 ゲリラ戦は、女や子供も参加する以上、彼らも殺されることは多々ある。世のヒューマニストたちは、正規軍の軍人が死んでも、それは死ぬ商売の者が死んだだけだ、として深い同情など示さないが、女や子供が虐殺されたとなると、大いに感情移入してヒューマニズムの見地から反戦運動に立ちあがる、ということになる。
 また、自由諸国のマスコミュニケーションは、国論分裂が得意である故、ヒューマニズムの徹底利用という点で、むしろ共産圏に有利にはたらく。なぜなら、自由ということを最高最良の主義主張とする以上、自国が加担している限定戦争に反対することは、自由の最大の根拠となるからである。
 以上の観点から、自由諸国は、二つの最大の失点を初めから自らの内に包含していることになる。日本も、その意味では同じことである。
 しかし、日本は、天皇という民族精神の統一、その団結心の象徴というものを持っていながら、それを宝の持ち腐れにしてしまっている。さらに、我々は現代の新憲法下の国家において、ヒューマニズム以上の国家理念というものを持たないことに、非常に苦しんでいる。それは、新憲法の制約が、あくまでも人命尊重以上の理念を日本人に持たせないように、縛りつけているからである。
 防衛問題の前提として、天皇の問題がある。ヒューマニズムを乗り越え、人命よりももっと尊いものがあるという理念を国家の中に持たなければ国家たり得ない。その理念が天皇である。我々がごく自然な形で団結心を生じさせる時の天皇、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統。この二つを持っていながら、これをタブー視したまま戦後体制を持続させて来たことが、共産圏・敵方に対する最大の理論的困難を招来させることになったのだ。この状態がずるずる続いていることに、非常な危機感を持つ。
 我々は、物理的な、あるいは物量的な戦略体制というものにとらわれすぎている。例えば中国の核の問題。この核に対抗する手段を我々は持っていない。従って、集団安全保障という理念から、日米安保条約によってアメリカの核戦略体制に入ることを、国家の安全保障の一つの国是としている。しかし、アメリカはABM(弾道弾迎撃ミサイル)を持っているが日本は持っていない。従って、核に対しては、我々はアメリカの対抗手段に頼ることはできても、アメリカの防衛手段は我々から疎外されている。
 我々は、自分で防衛手段を持たなければならない。しかし、非核三原則をとる現政府下では、核に対しる核的防御手段も制限されていると言わねばならない。
 我々は核がなければ国を守れない。しかし核は持てない、という永遠の論理の悪循環に陥っているのである。
 この悪循環から逃れるには、自主防衛を完全に放棄して、国連の防衛理念に頼るしかない。国連軍に参加して、国連軍として海外派遣も行ない、国連管理下に核をおいてそれを使用することも時には行ない得る、こういう形で国防理念を完全に国連憲章に一致させることしかあり得ない。国連憲章の上に成り立っている新憲法を、論理的に発展させればそうなるだろう。
 しかし、どうしても自主防衛の問題が出て来る。これは、理念の問題ではなく、アメリカのベトナム戦争以来の戦略体制の政治的反映のせいである。ベトナム戦争の失敗以降のアメリカの孤立主義の復活が、アジア人をしてアジア人と闘わしめ、自らはうしろだてとなって、アメリカ人の血を流すことを避けるという方向にむかっている。つまり、これは『人民戦争理論』の反映であり、アメリカは、各国に自主防衛を強制して、自らは前面から撤退するという政策に変更しつつある。
 こうなると、日本はアメリカのアジア戦略体制に利用されるのだ、という左翼の批判にさらされても仕方がない。なぜなら、自由諸国は人民戦争理論というものを絶対に使わないからだ。
 そこで問題になって来るのが、日本人の自主防衛に対する考え方である。
 日本の防衛体制を考える時、最も重要で最も簡単なことは、魂の無い所に武器はないということである。すなわち、防衛問題のキイ・ポイントは、魂と武器を結合させることである。この結合が成り立てば、在来兵器でも、充分日本は守れると信ずる。この結論は、核の問題から導き出される。なぜなら、核は使えない、からである。
 使えない核は、恫喝(どうかつ)の道具として使うしかない。もし核を保有していなくても、そこに核があるのだと相手側に信じさせることができれば、それで充分に恫喝となり得る。持っていなくても、持っているぞと脅すことができれば充分に心理的武器となり得る。
 このことが、人間の心理に非常な悪影響を及ぼしたと思う。かつて、人間のモラルを支えたのは武器による決闘であった。自分の主張とモラルを通すためには、刀に頼るしかなかった。しかし、核の登場により、モラルと兵器との関係は、無限に離れてしまった。あるかないかわからないものに、人間はモラルをかけることなどできないからだ。
 故に、在来兵器の戦略上の価値をもう一度復活させるべきだと考える。つまり日本刀の復活である。むろん、これは比喩であり、核にあらざる兵器は、日本刀と同じであるという意味である。
 その意味で、武士と武器、本姿と魂を結びつけることこそが、日本の防衛体制の根本問題だとするのである。
 ここに、武士とは何かという問題が出て来る。
 自衛隊が、武士道精神を忘れて、コンピューターに頼り、新しい武器の開発、新しい兵器体系などという玩具に飛びつくようになったら、非常な欠点を持たざるを得なくなる。軍の官僚化、軍の宣伝機関化、軍の技術集団化だ。特に、技術者化が著しくなれば、もはや民間会社の技術者と、精神において何ら変わらなくなる。また官僚化が進めば、軍の秩序維持にのみ頭脳を使い、軍の体質が、野戦の部隊長というものを生み出し得なくなる。つまり、軍の中に男性理念を復活できず、おふくろ原理に追随していくことになる。こうして精神を失って単なる戦争技術集団と化す。この空隙(くうげき)をついて、共産勢力は自由にその力を軍内部に伸ばして来ることになる。
 では、武士道とは何か。
 自己尊敬、自己犠牲、自己責任、この三つが結びついたものが武士道である。このうち自己犠牲こそが武士道の特長で、もし、他の二つのみであれば、下手をするとナチスに使われた捕虜収容所の所長の如くになるかもしれない。しかし、身を殺して仁をなす、という自己犠牲の精神を持つ者においては、そのようにはなりようがない。故に、侵略主義や軍国主義と、武士道とは初めから無縁のものである。この自己犠牲の最後の花が、特攻隊であった。
 戦後の自衛隊には、ついに自己尊敬の観念は生まれなかったし、自己犠牲の精神に至っては、教えられることすらなかった。人命尊重第一主義が幅をきかしていたためだ。
 日本の軍国主義なるものは、日本の近代化、工業化などと同様に、すべて外国から学んだものであり、日本本来のものではなかった。さらに、この軍国主義の進展と同時に、日本の戦略、戦術の面から、アジア的特質が失なわれてしまった。
 日本に軍国主義を復活させよ、などと主張しているのではない。武士道の復活によって日本の魂を正し、日本の防衛問題の最も基本的問題を述べようとしているのだ。日本と西洋社会の問題、日本の文化とシヴィライゼーションの対決の問題が、底にひそんでいるのだ。

【『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝〈やまもと・きよかつ〉(講談社、2001年)】

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(S・G・タレンタイア)。これが言論の自由であり、自由主義の基底をなす。共産主義と自由主義は意思決定の方法が異なる。極論すれば命令か合意かの違いに過ぎない。是非を問えばイデオロギーに堕する。要はまとまった方が強いわけで、自由主義が優れていると思い込むのは錯覚であろう。

 自由主義には嘘をつく自由もあり、腐敗する自由まである。国民には嘘を信じる自由があり、腐敗を見逃す自由もある。自由はあっという間に放縦へと傾き、得手勝手がまかり通る。

 その国の国情は政治と報道に表れる。政治の大黒柱は国民を守ることであり国防が基礎となる。遠くはシベリア抑留、近くは北朝鮮による日本人拉致を見れば日本政府が国民を守れない、あるいは守る意志がないことは火を見るよりも明らかである。たとえブルーリボンバッジを胸に着けていたとしても信用することは難しい。国民に至っては北朝鮮がミサイルを発射しても安閑としている有り様で、75年も平和が続くと精神が麻痺して生命の危機を察知できないようだ。中国が国境を無視して日本の領海を自由に航行しているのは既に戦闘行為に入ったと見てよい。それでも尚惰眠を貪り続ける我々はいつになったら目を覚ますのだろうか?

 武士道とは侍の道であるが、侍は官人である。語源は従うを意味する「さぶらう」(侍ふ・候ふ)に由来する。服従するという意味から申せば「イスラム」と同じだ。音も似ている。並べ替えればスムライだ。主君に逆らうことができないところに武士道の限界がある。暴力を様式化し道にまで高めた文化は誇るべきものだが、権力の下位構造を脱するところには達していない。

 自衛隊については無論武士道が必要であろう。だがそれを精神性で捉えてしまえば大東亜戦争末期の日本軍と同じ轍(てつ)を踏んでしまう。スポーツに置き換えて考えれば理解できよう。具体性と合理性を欠けば精神論は戯言(たわごと)だ。

 三島は暴力とは無縁であった。その一方で激情の人であった。文で収まることを潔しとせず武に目覚めた。彼は思想のために死んだのではない。ただ美学を生きたのだろう。

2020-09-06

国民の国防意志が国家の安全を左右する/『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八


・『日本を思ふ』福田恆存
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ・国民の国防意志が国家の安全を左右する
 ・外交レトリックを誤った大日本帝国
 ・五箇条の御誓文

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 法理として「偽憲法」(これは菅原裕氏の言葉)以外のなにものでもない「当用憲法」(これは福田恆存〈つねあり〉氏の言葉)は、1946年から1950年にかけ、日本に共産主義が根付かない最大支障であるとモスクワがみなした天皇制を滅消したく念ずるソ連発の間接侵略工作を、阻止したというポジティヴな効用があります。

【『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)以下同】

 やっとクイック編集ができるようになった。編集画面の仕様が新しくなったための混乱のようだ。古本屋を畳んでからはレンタルサーバーと無縁なので、今からWordPressを使うとなると先が思いやられる。設定はともかくとしてFTPソフトの使い方などはきれいさっぱり記憶から消えている。ブログも長くやっていると自分の分身みたいに思えてくる。それゆえに妙なこだわりが生じて、自我を強く意識させられる羽目となる。なかなか諸法無我というわけにはいかないものだ。

 兵頭二十八は当たり外れがある。文章には独特の臭みがあって好き嫌いが分かれるところだ。上記テキストも長すぎて文章の行方がわかりにくい。このあたりは編集者にも半分程度の責任がある。資料を渉猟しているためと思われるが時折びっくりするほど古めかしい言い回しが出てくるのだが、それが様になっていない。ちぐはぐな印象を受けて、微妙に音程のずれた歌を聴いているような気分になる。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と憲法第一条で謳ったことが32年テーゼを防いだ。本来であれば天皇の存在は日本国の形成よりも先んじているから本末転倒といえよう。しかしながら主権在民を糊塗する苦し紛れの文章が戦後の激動を雄弁に物語っている。

 左翼は国家をシステムとして捉え、文化を見落とした。欧州ではキリスト教、日本では天皇が憲法の屋台骨となっている。これを「打倒」することは国家を漂白することに等しい。日本の公を重んじる精神性は社会主義と親和性がある。それを思えば天皇制社会民主主義に舵を切っていれば、二・二六事件前後で日本の運命は変わっていた可能性がある。

 そもそも国民の自由を担保してくれるのは国家だけです。国家が安全でなくなれば、国民の自由もなくなります。その国家の安全は、標榜(ひょうぼう)する憲法の文章が保障してくるわけではない。ただ、国民の抱く「国防の意志」が保障するのです。しかるに利己的で嫉妬深い人間は、不自然な中心点に向かっては、なかなか団結ができないものです。日本国民には自然な精神的な団結の中心はひとつきりしかありません。それが天皇です。もしも日本から天皇が消えてなくなれば、日本国民は間接侵略によって著しく分断されやすくなり、日本国家の防衛力は内側から脆(もろ)くなり、それにつれ、日本人の自由は、一見、合法的なきまりごとを装って、日本人ではない者たちの手の中に、回収されて行くでしょう。

 マッカーサー憲法は日本人から「国防の意志」を見事に奪い去った。戦後、国民の間からは国体意識すら消え失せた。守るべきはものは今日の食糧と自分の命に変わった。敗戦は事実上「魂の一億玉砕」であった。

 だが不思議なことに敗戦を経て日本国民は自由の空気を呼吸し始めた。戦時中の不自由さは社会主義国と遜色がなかった。自由にものを言うこともできなかった。政治家は軍の顔色を窺い、軍はいたずらに兵員を餓死に至らしめた。大東亜共栄圏は絵に描いた餅と化した。国家は国民を守れなかった。

 終戦前後のギャップが精神の真空地帯に風を吹かせた。国民が手にした自由は何の責任も伴わなかった。胃袋は相変わらず不自由なままだった。人々は食べることにしか関心がなかった。何とか食べられるようになると終戦前後に生まれた大学生たちが騒ぎ始めた。学生運動は戦争の余波と見ることができよう。60年安保に反対した彼らの姿は戯画的ですらある。新世代もまた玉砕を望んだのであろう。

 日本国が国民を守れないことはシベリア抑留北朝鮮による拉致被害が証明している。GHQに牙を抜かれた日本はスパイ天国となり、中国や南北朝鮮がほしいままに日本の国益を毀損している。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2020-07-20

近代日本の進路を決定する視察/『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武


 ・近代日本の進路を決定する視察

日本の近代史を学ぶ

 本書は岩倉(いわくら)使節団の公式記録『特命全権大使 米欧回覧実記』の抜粋現代語訳と註釈です。
 岩倉使節団とは特命全権大使・岩倉具視(ともみ/右大臣)を団長、木戸孝允(きどたかよし/参議〈さんぎ〉)、大久保利通(おおくぼとしみち/大蔵卿〈おおくらきょう〉)、伊藤博文(工部大輔〈こうぶいたいふ〉)、山口尚芳(やまぐちなおよし/外務小輔)を副使として、以下、書記官、理事官、随行員(新島襄〈にいじまじょう〉など)、さらには留学生(津田梅子〈つだうめこ〉、山川捨松〈やまかわすてまつ〉、中江兆民〈なかえちょうみん〉など)を含め総勢107名からなる一行が明治4年から6年にかけて1年半余りの長期にわたりアメリカおよび欧州諸国を歴訪、外交交渉と各国事情視察にあたったものです。

【『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武編著:大久保喬樹訳註(角川ソフィア文庫、2018年/岩波文庫全5巻、1977-82年/水澤周訳注、慶應義塾大学出版会、2005年)】

「前書き」の冒頭より。『特命全権大使 米欧回覧実記』は、岩倉使節団の使節紀行纂輯(さんしゅう)専務心得(資料収集、記録係)を命じられた久米邦武〈くめ・くにたけ〉が明治11年に全100巻として完成したもの。各巻はそれぞれ400ページ近くある。


 検索して知ったのだが津田梅子は満年齢だと8歳である。また山川捨松は会津藩家老の娘だが、会津戦争(1968年)からわずか3年後に留学生として選ばれている。誰がどのような基準で選んだのかが不明だが、幼い留学生たちは後に大輪の花を咲かせる。

 岩倉使節団は新生日本国の耳目となり米欧を見聞した。薩英戦争(1863年)と下関戦争(1863、1864年)を経て既に薩長では攘夷の概念は粉砕され開国を志向していた。維新の立役者であった岩倉・木戸・大久保の三人が長期間外遊すること自体が常識外れで思考の柔軟性を示している。

 使節団のほとんどは断髪・洋装だったが、岩倉は髷と和服という姿で渡航した。この姿はアメリカの新聞の挿絵にも残っている。日本の文化に対して誇りを持っていたためだが、アメリカに留学していた子の岩倉具定らに「未開の国と侮りを受ける」と説得され、シカゴで断髪 。以後は洋装に改めた。

Wikipedia

 世界の風に吹かれる中で古い思い込みから脱却してゆく様子が窺える。結果的に不平等条約改正の予備交渉は少しも上手くゆかなかったが、近代日本の進路を決定する視察となった。使節団の帰国後、西郷隆盛の征韓論は斥(しりぞ)けられ西南戦争に至るのである。更に欧州のバックボーン(背骨)がキリスト教であることを見抜き、後の憲法制定では伊藤博文が天皇に置き換えることで憲法に息を吹き込んだ(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹)。


【※右は岩波文庫版5冊セット】

明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

2020-07-13

金融工学という偽り/『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人


『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
鉄オタ父子鷹と思いきや……原丈人が描く壮大な日本の未来図
原丈人〈はら・じょうじ〉の父と祖父

 ・金融工学という偽り

・『「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉』原丈人

必読書リスト その二

 だが、そのようにして金融ばかりを大きくすればするほど、実業の部分はどんどん疎(おろそ)かにされ、力を失っていく。金融に都合のいい仕組みを振りまわせば振りまわすほど、価値の源泉を踏みにじり、壊してしまう。そこで、「金融工学」なるものを駆使して、お金がお金を生む方法ばかりを加速させるしかなくなってしまったのである。
 この金融工学が、また曲者(くせもの)である。なぜなら、まず経済学そのものが、「完全競争」「参入障壁はない」などといった、いくつものありえない話を構築しているものだからである。前提が狂ってしまったら、すべてが文字どおり台無しだ。「サブプライムローンがあれほどの破綻(はたん)に見舞われたのも、その前提が間違っていたから」というのは、まさに象徴的だろう。
 そのような架空の前提に立って、さらに数式で表現できない部分を捨て去ることで組み立てられているものこそ「金融工学」なのである。
 端的にいおう。「幸せ」を数式で表すことができるだろうか。人間の感情を数式で表すことができるだろうか。新しい技術の芽はどこにあるかを数式が教えてくれるだろうか。たとえば、社員の家族の健康まできちんと見てくれるような経営であれば、みんな喜ぶだろうが、社員の家族の健康と株価をどう評価できるだろう。

【『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人〈はら・じょうじ〉(PHP新書、2009年)】

21世紀の国富論』(平凡社、2007年)は挫折していたので、やや腰が引けたのだが驚くほど読みやすく、動画の語り口そのものだった。原丈人〈はら・じょうじ〉は威勢がいい。気持ちのよい躍動感がある。更に実務的で観念を弄(もてあそ)ぶところがない。そして見逃すことができないのは相槌の深さである。「この人は武士だな」と私は直観した。

 新自由主義に異を唱えた人物としては宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉が有名だが、原はより具体的かつ実際的にアメリカ型の株主資本主義の誤りを説く。

 経済学の基本的な考え方だと「会社は株主のもの」である。会社の目的は利潤追求だから株主利益を最大化するのが社長の仕事となる。しかもアメリカ型経営ではヘッドハンティングで経営者の首をすげ替えることが日常的に行われている。経営と労働が棲み分けされているのだ。経営者はより短期間で収益を上げることを求められるので一番簡単なコストカットに手を染める。こうして工場は低賃金の海外へ誘致され、技術が流出する。日本のメーカーも同じ道を歩み、そして日本経済の地盤沈下が今も尚続いている。

 原が提唱するのは「公益資本主義」だ。会社は社会の公器であり、社中(しゃちゅう/社員・顧客・仕入先・地域社会・地球)に貢献することで企業価値を上げる。日本の伝統的な価値観ではあるが、多くの企業がバブル崩壊以降これを否定してきた。その結果としてもたらされたのが経済格差である。

 文明の発達は移動・通信を飛躍的に進化させ、国家という枠組みが融(と)け始めた。しかしながら国際ビジネスで行われているのは国力を背景にした熾烈な競争であり、その実態は経済戦争である。一方でGDP世界第2位までに経済発展した中国は一国二制度の約束を踏みにじり香港を弾圧している。中国では国家の枠組みを強化し、アメリカの衰退を待ち構えている。社会主義国は国家の負の側面を見事に象徴している。

 経済の語源は経世済民(けいせいさいみん)である。「世を経(おさ)め民を済(すく)う」と読む。経済とは利益分配に尽きると私は考える(チンパンジーの利益分配)。なぜ分配する必要があるのか? それは集団を維持するためだ。数十人単位で移動しながら生活していた古代を想像すればいい。集団は分業を可能にし子孫の生存率を高める。集団であれば他集団からの暴力にも対抗できる。一匹狼という言葉はあるが実際に一匹で生きる狼は存在しない。そもそも子ができないだろう。人類の集団は中世において国家へと成長を遂げた。これを超えることはないだろう。世界政府は言語や宗教を思えば現実的ではない。分裂と統合を繰り返すのが人間にはお似合いだ。

 リーマン・ショック以降、各国の中央銀行が驚くべき量の金融緩和をしているにもかかわらず景気が上向かない。マネーがどこかで堰(せ)き止められているのだ。ダムとなっているのは会社と金融市場である。緩和マネーは社内留保となって動きを失い、余剰マネーはマーケットに流れ込んで高い株価を支えている。

 戦争の原因は寒冷化にあるというのが私の持論だが、経済的な冷え込みは寒冷時の食物不足と同じ意味を持つと考えてよい。

 アメリカでは2011年に「ウォール街を占拠せよ」の運動が興(おこ)り、今年になって「ブラック・ライヴズ・マター」(BLM)が猛威を振るっている。前者はリベラルな抵抗であったが、後者は単なる破壊活動で左翼の存在がちらついている。ただ、いずれにしても格差が背景にあることは間違いないだろう。金融工学の成れの果てを見ている心地がする。



農業の産業化ができない日本/『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇

2020-06-30

無責任な戦争アレルギー/『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『ゲームチェンジの世界史』神野正史

 ・国際法成立の歴史
 ・無責任な戦争アレルギー

『「米中激突」の地政学』茂木誠
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

世界史の教科書
必読書リスト その四

 第二次世界大戦後の歴史教育は、戦争を悲惨なもの、あってはならないものとしてタブー視し、戦争について語ることさえはばかられるという風潮を作ってきました。サッカーの公式試合にぼろ負けしたチームが、敗因の分析をまったく行わず、「二度とサッカーはしない。ボールは持たない」と誓いを立てたのです。
 あの軍民合わせて300万人もの日本人を死に至らしめた満州事変から第二次世界大戦に至る戦争についても「そもそも間違っていた」と断罪するだけで、「なぜ負けたのか? 今後二度と負けないためにはどうすればよいのか?」という議論は封殺されてきたのです。
 しかし現実の世界では苛烈な「試合」が今も続いており、日本が望むと望まざるとにかかわらず、巻き込まれる可能性が高まってきました。北朝鮮の核兵器搭載可能な弾道ミサイルが日本列島の上空を通過し、中国海上警察の公船が日本の領海侵犯を繰り返しているのです。武力紛争に巻き込まれないためにはどうすればいいのか、もし巻き込まれた場合はどうするのか、を真剣に議論しないのは、あまりにも無責任だと思います。

【『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠〈もぎ・まこと〉(TAC出版、2019年)】

「ゲームに負けた」というカテゴライズだと戦争とサッカーにさしたる差はない。確かに。それまで馬関戦争薩英戦争など特定の地域が敗れたことはあった。黒船ペリーに膝は屈したものの倒れはしなかった。日米戦争は日本にとって初めての敗北であった。その衝撃はあまりにも大きかった。日本人の精神的な空白状態を衝いてGHQが洗脳を施した(WGIP)。吉田茂首相は粘り腰で老獪(ろうかい)な交渉を行ったが、マッカーサーの顔ばかり窺って国民の表情を見ることがなかった。日本人は一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)状態に陥り、生々しい記憶を封印した。明治以降の急激な近代化を想えば、虐待された幼児のような心理状態であったことだろう。

 敗戦の原因を軍部の暴走に求めるのは左翼史観で日本が民主政であった事実を見失っている。日清戦争の三国干渉以降、日本国民は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を合言葉にロシアへの報復を待った。その後日露戦争には勝利したものの大きな戦果はなかった。こうした心理的抑圧は第一次世界大戦の戦勝国となったことで益々肥大していったのだろう。抑圧を解消するには戦争をする他なかった。その姿は家庭内暴力に目覚めた中高生のような姿であった。しかし白人帝国主義を打ち破ったわけだから彼らの権益を奪ったことは大いなる戦果とせねばなるまい。

 GHQ支配の往時を知るアメリカ人は日本がいまだに憲法第9条を改正していない事実に皆驚く。「確かに我々はあの時、日本から爪と牙をもぎ取ったが、その後のことは自分たちで選択したのだろう。それをアメリカのせいにするのはお門違いだ」と言う。アメリカからの政治的圧力は現在でもある。日本の政治家は結局吉田茂と同じ道を歩んだといってよい。しかしながらそれは飽くまでも経済面に限られていた。

 戦争アレルギーは1960年代の学生運動や進歩的文化人の言論を通して強化された。彼らの目的は日本を「戦争のできない国」にすることだった。ソ連が侵略する地ならしをしていたのだ。ベトナム戦争反対運動やウーマンリブ運動は何となく時代の先端を行っているようなムードがあった。その後、左翼知識人は犯罪をおかした少年の権利を擁護し、ジェンダー問題(女性の権利)~セクハラ糾弾、環境問題など、手を変え品を変え伝統的文化の破壊を試みている。

 中国や北朝鮮は既に沖縄と北海道を侵略しつつあるが日本政府は何ら対応をしようとしていない。将棋でいえば先手が10手くらい指したような状態だ。ここから挽回するのは難しいだろう。日中戦争は必至と見ているが勝てる見込みが年々薄くなっている。