2018-10-17

二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子/『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行

 ・二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子

『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 有名なエピソードがある。1936年(昭和11年)の二・二六事件のときだ。神奈川県湯河原町の別荘として借りていた伊藤旅館の別棟にいた牧野伸顕のところに、早朝、反乱軍がなだれ込んできた。反乱軍から逃れ、庭続きの裏山に脱出しようとした彼が、銃殺されそうになったとき、和子さんは祖父を救うためにハンカチを広げて銃口の前に立ちはだかったという。
 彼女は聖心女子学院の出身だが、在学中に週刊誌主催のミス日本に選ばれたくらいの美人である。反乱軍兵士は、銃口の前に飛び出して祖父をかばった美女にさぞ驚いたに違いない。孫娘の気迫に気圧(けお)されて、牧野伸顕は命拾いしたといわれている。

【『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2015年/文春文庫、2018年)】

 麻生和子吉田茂の娘で、麻生太郎の母。武家の育ちであるとはいえ、いざという時に行動できるかどうかは日常の覚悟の賜(たまもの)といってよい。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』)との寸言は、命の捨て時に迷わぬ精神を示す。ここにおいて「捨てる」とは「最大限に燃焼し尽くす」ことと同義である。日常の中で死を意識することが生の深き自覚となる。武士が望むのは長寿や安穏ではない。名を上げることこそ彼らの望みであり、名を惜しむためには死をも辞さない。

 江戸時代において武家の子女は必ず懐剣(かいけん)を持っていた。用途は二つ。護身と自決である。自決する場合は喉内部や心臓を突いた。

 残念なことに立派な女性が立派な母親になるとは限らない。野中広務〈のなか・ひろむ〉(魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』)が引退してから麻生太郎はタガが外れたように態度がでかくなった。公私を弁えぬ言葉遣いは肥大した自我の為せる業でみっともないことこの上ない。

私を通りすぎたマドンナたち (文春文庫 さ 22-20)
佐々 淳行
文藝春秋 (2018-04-10)
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2018-10-16

細川護煕の殿様ぶり/『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 ・細川護煕の殿様ぶり

『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

(※細川護煕〈もりひろ〉氏は)日本新党のとき、政治的知名度も新鮮さもあったが、殿様だからお金はなかった。政治資金がなくて日本新党は大変苦しんだ。私が冗談半分で「細川家代々の文化財をお売りになれば1億ぐらすぐ出来るでしょう」と言うと、「いや、戦災で消失してしまって」と言われる。「京都は戦災を免れたではないですか」と問うと、「いや、応仁の乱で」とのお答え。どうも浮世離れしていて、やはりお殿様だと思ったものだ。

【『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2014年/文春文庫、2017年)】

 応仁の乱は500年以上前の歴史である。「京都は戦災を免れた」という歴史を知っていればこそ生まれた諧謔(かいぎゃく)に富むエピソードだろう。抱腹絶倒ではなくジワリと来るだけに余韻が長い。

 洒落っ気はあるものの佐々はやはり新党ブームに業を煮やしていたのだろう。自民党は長期政権で腐敗し、その上中道左派的な政策を推進してきた。日本の安全や安定を思えば少々政治が腐敗しているくらいが国民にとっては丁度いいのかもしれない。

私を通りすぎた政治家たち (文春文庫)
佐々 淳行
文藝春秋 (2017-03-10)
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コレステロールは「安全」/『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁


『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル

 ・コレステロールは「安全」

『大豆毒が病気をつくる 欧米の最新研究でわかった!』松原秀樹
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『DNA再起動 人生を変える最高の食事法』シャロン・モアレム

「栄養」を考えるうえでの基本――人間にとって、昔は入手できなかったものは不要である。
 この基本さえ覚えておけば、あとはすべて自分で判断できる。実に簡単だ。大昔「食べていなかった」もの、それは、栄養学的には「要らないもの」なのである。
 たとえば植物油。太古の昔にコーン油、オリーブ油、ゴマ油などの植物油があっただろうか? もちろん、なかった。だから食べなくても大丈夫なのだ。
(中略)
 なぜ、大昔に食べていないものは不要といいきれるのだろう。
 古来、人間は、「その土地で入手できるもの」だけを食べて生きてきた。生活するために必要なものが得られない場所では、人は死に絶えていた。たとえば、飲料水が毎日入手できないような場所には人は住んでいない。逆に、昔から人が住んでいた土地で入手できるものだけあれば、人は生きていけるのだ。

【『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉(講談社+α新書、2011年)以下同】

『コレステロール 嘘とプロパガンダ』より端的にエビデンスが示されていて理解しやすい。浜崎は翻訳を手掛けた人物で医学博士。植物油を批判した上記テキストは不思議にも地産地消を示していて興味深い。海外の大規模農業や低賃金が輸送コストを加えても安価な農産品となって市場に出回っている。消費者が注目するのは価格で、たとえ内容を吟味としたとしても買う買わないは価格で判断する。しかも食品は毎日のように買う必要があるため消費者のコスト意識は極めて高い。よく言われることだが数円安い卵を買うために数キロ先のスーパーへゆくことも主婦はよしとする。

 日本動脈硬化学会が発表している「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」は総コレステロール値を重視していたが、総死亡率との関係で不都合が生じてきたため、悪玉コレステロール(LDL-コレステロール)を重要視になる。だが総死亡率との関連性は明らかになっていないという。大体「日本動脈硬化学会」なんて名称自体が利益団体にしか見えない。

 2007年度版の「ガイドライン」では、「LDL-コレステロール値が高いと心筋梗塞になる」という疫学(えきがく)調査がないどころか、いくつかの疫学調査により「LDL-コレステロールは高くても、総死亡率から見れば問題ない」ことが判明してしまっている。(中略)
 せっかく乗り換えた「悪玉」LDL-コレステロールも、こうして情けない結末を迎えることになり、早くも次の「悪玉」を出す準備をしないといけないわけだ。

 これに乗じた健康食品の広告もツイッターのタイムラインで最近よく見掛ける。宗教と製薬会社は不安産業といってよい。「不安を解消したければカネを払え」というのが彼らの論法である。

 結論からいおう。もともとコレステロールは【安全】なのだ。動物に【必要】な、細胞膜の構成成分なのだから、どこまでいってもきりがない。
「コレステロール悪玉説」を唱える人たちが、こうして次から次へと方針を変えることになるのは、いったいなぜなのだろう。
 その理由は、恐ろしいことに、コレステロール=悪玉としておいたほうが、圧倒的に経済効果が高いからだ。コレステロール値を低下させる「スタチン」という薬だけで、日本では年に2500億円も使用されている。全世界だとその金額は3兆円に上る。
 そうなると、スタチンの関係者にとって「コレステロール【無害】説」など許せるはずがない。大量の「情報」を発信して、反対派の声をかき消さなければならないことになる。コレステロールの是非に関して何十年も決着がつかないのは、間違った理論を守るために巨大な金銭的バックがついているからである。

 非科学的といえば真っ先に浮かぶのが栄養学であるが、2位には医学を推薦したい。私は55年生きてきたが頭のよい医者は一人しかお目にかかったことがない。他は見るからに不勉強で本業は「金儲け専門」といった印象を受けた。

 医学は裁判と似ていて、ただ単に過去の判例に基づいて判断を下しているだけだ。患者や体そのものを直接見ようとはしない。医師は薬を処方するだけの小役人に成り下がってしまった。

 幼い子供がいる家庭では大変かもしれないが、マーガリンではなくバターを、植物油ではなくラードを使った方がいいだろう。

百田尚樹著『日本国紀』が予約開始でベストセラー1位に


 11月15日発売。西尾幹二著『国民の歴史』を超えるかどうか。空前のベストセラーになりそうな予感。西尾や中西輝政、伊藤隆といった大御所はもちろんだが、私が幻冬舎の社長であれば佐藤優、小林よしのり、宮台真司に書評を依頼する。

日本国紀
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百田 尚樹
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2018-10-15

現実の虚構化/『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル


『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美

 ・現実の虚構化

『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁
『大豆毒が病気をつくる 欧米の最新研究でわかった!』松原秀樹

 コレステロールとスタチン(訳注:世界中でもっとも売られているコレステロール低下薬、総称名)の問題は、どう見ても、途方もない医学的・科学的詐欺である。しかも現代社会、ポストモダン社会で前例のない詐欺である。これが私の結論だ。
 大多数の専門家や一般大衆に非常識な考えを認めさせるために、恐ろしく手の込んだプロパガンダと情報操作が行われたのである。(序文)

【『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル:浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉訳(篠原出版新社、2009年)以下同】

 コレステロール値が低ければ低いほどよいとする考えを支持する科学的データはないという。つまりコレステロールという名の悪魔を作り出すことに製薬会社は成功したわけだ。当たり前のことだが薬はもともと毒である。健康な人が服用することはない。毒をもって毒を制すのが薬の役割だ。著者の指摘が正しければ副作用を避けられないことだろう。

 20世紀末には、もっと手の込んだプロパガンダが登場した。これはコレステロール学説の不合理な成功を理解するうえでも興味深い。このプロパガンダのテクニックを用いた新たなマーケティングは【ストーリーテリング】と呼ばれる。この悪夢を理論的に解明しているクリスティアン・サーモンは以下のように説明している。
「人間の想像力に対してピストルを突きつけることであり、合理的理性に取って代わるしゃべる機械である…この新たな『語りの秩序』は、思考を罠にかけるメディア的ニュースピーク(訳注:新語法ともいう。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が英語を基に作っている新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を抱かないようにして、支配を盤石なものにすることである)の創造以上のものとなるだろう。つまり、この『語りの秩序』が画一化しようとする個人とは、架空の世界に呪いをかけられ、そこに埋没した人たちなのだ。その世界では知覚は検閲され、感情は刺激され、行動や思考は枠に嵌められている」
 コレステロールの問題、およびその問題が消費者ばかりか医師の側にも引き起こした行動は――私たちの社会で今日観察される行動――この「現実の虚構化」に対する顕著な反応である。「現実の虚構化」は私たちの日常のいたるところで、日々発生している事態だ。ホワイト・ハウスの【スピン・ドクター】たちは戦争を正当化するためにイラクの大量破壊兵器をでっち上げた。一方、製薬業界の【スピン・ドクター】たちも彼らの戦争を正当化するためにコレステロールを不倶戴天の敵としてでっち上げた。バーチャル・リアリティを創り上げ、疑う能力を停止させること、これが【ストーリーテリング】によるプロパガンダの真骨頂である。

 製薬会社は「患者を消費者」に変えるマシンだ。そのために「投薬=治療」という物語を編み出す。更には病気という不安をこれでもかと煽り立て、溺れる者に藁(わら)を示すのだ。患者が望むのは治癒であるが消費者が求めるのは購入に過ぎない。しかも薬には一定のプラシーボ(偽薬)効果が認められる。恐ろしいことに高価な薬になればなるほどプラシーボ効果は高まる。つまり効果は高価というわけだ。

『一九八四年』は全体主義を戯画化した傑作だが、我々が生きる社会(群れ)は大なり小なり全体主義化を避けることができない。民主政は少数の犠牲の上に多数の幸福を築くシステムである。日本の安全保障のためには沖縄県民に我慢してもらう必要があるというわけだ。政治がわかりにくいのは政治家が「国民」を語りながら、特定の利益団体のために働いているからだ。彼らもまた「現実の虚構化」を試み、一部の問題があたかも全体の問題であるかのように絵を描き、言葉巧みに飾り立てた政策を喧伝する。財務省にとっては増税こそ正義であり、大企業にとっては安価な労働力としての移民政策が理想となる。

 政治・経済・学術・教育のありとあらゆる社会で「現実の虚構化」が繰り広げられる。最もわかりやすいのは宗教であろう。そして罪と罰を規定し幸福と恩寵を与える彼らが望むのもまたカネである。布施・寄付・賽銭・喜捨を不要とする宗教は存在しない。

 一切は経済化する。そこに流通する最大の情報は「マネー」である(『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード)。我々が普段考える情報はマネーにとっての付加価値でしかない。ここに「現実の虚構化」=プロパガンダの目的がある。我々は「カネがなければ生きてゆけない」と信じて疑うことがない。もはや完全なマネー教徒である。とすれば騙される度合いの問題であって、被害の大小が幸福のバロメーターと化すことだろう。

2018-10-13

東日本大震災~「自衛隊への御嘉賞」は戦後初めて/『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・東日本大震災~「自衛隊への御嘉賞」は戦後初めて

『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 平成23年3月16日、天皇はすすんで東日本大震災に戦(おのの)く日本国民に向けて、御自分の言葉で、異例の呼びかけをビデオメッセージという形で行われた。
 しかも【「自分のメッセージの間に臨時ニュースが入ったら、メッセージを中断してニュースを優先するように」と指示】しておられたのだ。(中略)
 知る人ぞ知る、知らない人は知らない、民主党の人々、菅内閣の人々は多分誰も知らないだろうが、【戦後67年間、天皇の口から「自衛隊への御嘉賞」が出されたのはこれが初めて】である。
 しかも、順序が大きな問題なのだ。
 ふつう、総理や政府高官は、「警察、消防、自衛隊」と言う。長い間の自衛隊への複雑な感情を反映して、自衛隊は後回しにされる。
 警察と防衛庁で30余年を過ごした私は、真っ先に「自衛隊」とよびかけた天皇のお気持ちを忖度(そんたく)すると、日夜泥にまみれ、死臭、簡素な給食、風呂もシャワーもままならない中で汚れ仕事に愚痴ひとつ言わず国民に奉仕している自衛隊の姿をテレビでご覧になり、これは推測だが、菅内閣の仙谷前官房長官が昨年「暴力装置」などと貶(おとし)めたことに心を痛められ、その名誉回復のために意図的に「自衛隊」と真っ先によびかけられたものと拝察する。

【『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)】

「嗚呼(ああ)――」と頭(こうべ)を垂れた。大御心(おおみごころ)という言葉の意味がやっとわかったような気がする。直ぐ下の弟が航空自衛隊にいることもあって陛下の御心が一入(ひとしお)身にしみる。

 私の中で尊皇の精神が芽生えたのは、メッセージの内容によるものではなかった。何の気負いもなく淡々と国民に呼びかけるあのお姿であった。「ああ、ありがたいな」と心の底から思った。「日本人でよかったな」とも思った。まったく新しい感情であった。

 天皇陛下には基本的人権がない。苗字もなければ一片の自由もない。常人ではないという意味において「神」と考えてよかろう。「ただ国民のために生きる人生」を強いられるのだ。様々な祭祀(さいし)を司っていることももっと広く知られるべきだ。

ほんとに、彼らが日本を滅ぼす
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敵前逃亡した東大全共闘/『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行


 ・敵前逃亡した東大全共闘

『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 自衛隊を「暴力装置」と呼んだ仙谷前官房長官は、東大時代に「フロント」と呼ばれる社会主義学生運動組織のシンパとして活動していたことが知られている。
 彼ら、全共闘世代は「破壊の世代」と呼ばれる。
 かつて極左過激派の長期にわたる暴力革命闘争、世界・同時・急進・武装革命を目指し、「目的は手段を正当化する」というレーニン思想や、「革命は銃から」と説く毛沢東主義に影響された「造反有理」のトロツキズムの武力闘争は、日本共産党の平和革命論よりもっと左で、もっと過激だった。
 武装の上、大学をバリケード封鎖して主張を通そうとして、全国の大学が激しい紛争状態となった。全共闘に煽動(せんどう)された学生たちは、投石や火炎瓶、角材などを武器にした「ゲバ闘争」によって、少なくとも1万5000人が逮捕され、まともな就職ができず、その人生を大きく狂わせてしまった。
 殉職者十余名を含む1万2000人の機動隊員が重軽傷を負い、なかには失明、四肢喪失、顔面火傷のケロイドなど、癒しがたい公傷を負い、今でも辛(つら)い後遺症に苦しんでいる者もいる。
 人生を狂わされた多くの“同志”や後遺症に苦しむ警察官がいるというのに、仙谷由人氏は、うまく転向して官房長官の栄職まで出世した。
 その上で国のために命がけで働く自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。かつて機動隊を「公的暴力装置」と呼んだという証拠こそがないが、彼らの思想・思考の中ではそういう用語で呼ばれていた。今、仙谷氏が反体制イスラム武装勢力を見るかのような目で、自衛隊や警察官、海上保安官を見ているといわれても仕方があるまい。

【『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)】

 民主党政権批判の書である。佐々らしからぬ徹底した猛々しさを感じるのは、彼が大学生時代から闘ってきた左翼の政権誕生に業を煮やしたせいだろう。民主党政権では旧社会党勢力が大臣ポスト3分の1ほどを占めていた。

 既に書いたことだが私は当時、佐藤優のラジオ番組をよく聴いていたせいで民主党政権にさほど違和感を覚えなかった。ラジオには「耳を傾ける」必要がある。視覚情報がないだけにマインドコントロールされやすいのだろう。更に佐藤はその後自民党が政権を取り戻すと、さり気なく沖縄二紙の論調を紹介するようになった。沖縄独立論の動きがあることも「馬鹿馬鹿しいエピソード」として取り上げているのかと思ったが実はそうではなかった。突飛な事実を紹介している風を装いながら、その後彼は独立論へと沖縄を誘導したのだ。

 仙谷由人の「暴力装置発言」は今尚記憶に新しい。自分たちのかつての暴力行為を振り返ることなく左翼用語を振りかざす態度が浅ましい。樺美智子〈かんば・みちこ〉の死は語り継がれるが機動隊員の犠牲は誰も覚えていない。彼女のために中国から1000万円のカンパが寄せられたが、「前衛政党に送られたもの」と主張した共産党が全額をせしめた。

60年安保闘争~樺美智子と右翼とヤクザ/『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘

 東大安田講堂封鎖解除警備が行われた1969(昭和44)年1月18日の前夜、真っ先に東大から逃げ出したのは、代々木(共産党)系の民青だった。(中略)
 これに次いで脱出したのが、法文系1号館と2号館に籠城していた革マル派だった。今でも続く中核派と革マルの陰惨な内ゲバは、この東大紛争の裏切りから始まった。(中略)
 念のため、東大安田講堂事件における逮捕学生の内訳を詳しく記すと、
 安田講堂に籠城していた極左過激派 377名
 この逮捕者のうち、東大生はたったの 20名
 東大構内、工学部列品館、医学部など22カ所に籠城していた全共闘 256名
 うち東大生はわずか 18名
【合計逮捕者 633名中 東大生 38名】
 であった。
 東大生はわずか6%で、あとの94%は東大全共闘を助けようと全国からはせ参じた“外人部隊”だった。外人部隊は最後まで愚直に戦い、逮捕され、前述のごとく人生を大きく狂わせてしまった。東大全共闘はその外人部隊を尻目に、前夜“敵前逃亡”していたのである。

 驚くべき事実である。旧制高校を廃止したGHQの策略はまんまと成功した。日本のエリートの体たらくがこれである。しかも日本にとっては格段に改正された日米安保に反対していたのだから馬鹿丸出しといってよい。

 日本の経済は高度成長を遂げていたが政治は迷走を続けた。自民党はアメリカから、社会党・共産党はソ連から資金提供を受けていた。

 樺美智子の死によって辞意を表明した岸信介首相が右翼暴漢に臀部(でんぶ)を三度刺されて瀕死の重症を負った(1960年、砂川裁判が日本の法体系を変えた/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治)。

 東大安田講堂事件(1969年)の後にあさま山荘事件(1972年)が起こる。そして東大に乗り込み全共闘学生と対話をした三島由紀夫が1970年に自決した。

 私はこうした一連の出来事を「敗戦のジレンマ」で片づけたくない。明治開国に始まる東亜百年戦争(『大東亜戦争肯定論』林房雄)が終結に至る混乱であったと見る。三島の死がピリオドを打ったのだ。

 にもかかわらず、学生運動の風が止んでも日本の政治は落ち着くことがなかった。1989年の参院選ではマドンナブームが起こり何と社会党が自民党を上回る議席を獲得した。リクルート事件が社会党への追い風となったわけだが、今考えると実に不思議な事件で未公開株の譲渡は普通に行われていることだった。ロッキード事件と同じ臭いがする。

1993年に非自民・非共産の8党連立で細川内閣が誕生した。新党ブームで戦後長らく続いた55年体制が崩壊し、新しい時代の幕開けを国民は確かに感じた。社会党からは6人と江田五月(社民連)が入閣している。非自民政権は細川内閣8ヶ月、羽田内閣2ヶ月で終わった。各党の理念が一致してない上、意思の疎通を欠いており、何にも増して小沢一郎の豪腕が嫌われた。

 1994年に自社さ連立政権が発足し村山内閣が誕生した。自民党は禁じ手を使ったといってよい。バブルが崩壊しデフレが進行する中で政治は野合の季節を迎えた。95年には阪神淡路大震災とオウム事件が起こる。「社会党ではダメだ」と誰もが痛感した2年間だった。

 その後橋本内閣(1996年)から小泉内閣(2001~2006年)にかけて次々と規制改革が行われ、日本の伝統的な価値観(終身雇用制、護送船団方式株式持ち合いなど)が崩壊した。

 バブル景気の中からオバタリアンが生まれ、デフレになると若き乙女が援助交際に走った。

 こうした流れを振り返ると、長く左翼と闘ってきた佐々が民主党政権(2009~12年)に対してどれほどの危機感を抱いていたかがわかるような気がする。国民はいつだって無責任だ。何かを買い換えるように新しいものに飛びつくだけである。世論を重視する政治的風潮が強いが世論などは一日にして変わり得る性質のもので、政治家たる者は進むべき方向をきちんと指し示す覚悟を持つべきだ。

 東日本大震災(2011年)と福島原発事故は「日本が滅びるか」というほどの衝撃を与えた。民主党政権は何らリーダーシップを発揮することができなかった。日本に新生の息吹きを吹き込んだのは天皇陛下のメッセージであった。そして安倍晋三が「日本を取り戻す!」と叫んで立ち上がった。この四半世紀は一旦死んだはずの社会党勢力が内閣に巣食い続けた期間であった。現在彼らは立憲民主党となって蠢(うごめ)いている。団塊の世代を中心とする「懐かしサヨク」は憲法改正を阻止すべく、なりふり構わぬ闘争を展開することだろう。

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2018-10-11

佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
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『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行

 ・佐々弘雄の遺言

『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 父は、そのあとも、我々の知らない人名を挙げては、くどくどと説明していく。泥酔し、自宅でもさらに飲んで酒杯を離さず、母が止めても大声をあげて怒鳴る。
「大事なことを話しているんだ」と、
「尾崎がソビエト(ゾルゲ)のスパイだった、という情報がある。そんなばかげたことがあるはずがない。でっちあげもはなはだしい」「しかし、万一そうであるならば、よしんば、それがでっちあげであっても、国防保安法とか治安維持法、軍機保護法と、いろいろな法律があって、これは重大な犯罪になる。もう、近衛は退陣した。当局がひっかけようと思えば、近衛公でさえもあぶない」「そこでもし、お父さんの身におよぶようなことがあれば、ほかの理由ならば取調べに応ずるが、スパイ容疑ということの場合には、身の潔白を証明するため、腹を切る。いいな」と。
 父の目はすで「すわっていた」。尾崎が「ソビエトのスパイ」、つまりゾルゲと共にソ連のために日本を裏切った。もし、自分がその仲間であったとでっちあげられたりしたら、父は本気で切腹するかもしれない。
 そう思ったのか、母は、こっそりと台所に行くようなふりをして、家宝でもあったいくつかの日本刀をいつものところからどこかへ隠しにいった。
 そのあと、さとすような口調で、「(あなたが)腹を切ったりしたら、かえって潔白を証明する機会がなくなってしまうのではありませんか」と父をたしなめる。
 すると父は、武士のように「黙れ、男の気持ちがわからんのか」と母を一喝し「検挙されるまえに自害すれば、おまえたちが、スパイの家族とうしろ指をさされずにすむ。みんなの名誉を守るためなんだぞ」と。
 武士の末裔(まつえい)である佐々家の主としては、「家名を汚してはならない」という思いにかられての、跡継ぎである兄と、私への「遺言」 のつもりだったのかもしれない。

【『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2016年)】

 著者は佐々弘雄〈さっさ・ひろお:1897-1948年〉の次男である。弘雄は美濃部達吉吉野作造の薫陶を受けた法学者・政治学者で、後に朝日新聞編集委員、参議院議員を務めた人物。何よりも近衛文麿の私的ブレーン「昭和研究会」の一人として知られる。尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉とは朝日新聞社の同僚であり、尾崎を昭和研究会に招じ入れたのも弘雄であった。

 佐々淳行はインテリジェンス・オフィサーである(初代内閣安全保障室長)。上記テキストは「スパイというものがどれほど卑劣な存在であるかを思い知らされた」との文脈で書かれているのだが、額面通りに受け止めるかどうかは読み手次第だろう。その後、尾崎秀実がソ連のスパイであったことが判明する(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)が、父親の不明に関する考察はなかったように記憶している。また親中派の後藤田正晴に長く仕えたことも私の中では燻(くすぶ)り続ける疑問の一つである。

 それでも「危機管理」という意識を日本社会に定着させた佐々淳行の功績は大きい。日本のインテリジェンスはいまだに黎明期すら迎えていないが、佐々と菅沼光弘が一条の光を放ったことは歴史に刻印されるだろう。

 あの柔らかな口調、ダンディな物腰、そして険しい眼差しを見ることはもうできない。昨日、日本の情報機関創設を見ることなく逝去した。

私を通りすぎたスパイたち
佐々 淳行
文藝春秋
売り上げランキング: 2,330

2018-10-10

西洋至上主義/『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一


『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

 ・西洋至上主義

『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 16世紀のポルトガルの年代記作家、ジョアン・デ・バロスは「元来、海は航海する者すべてに共有されるが、それはローマ教会の信仰を受け入れ、ローマ法で統治されるキリスト教徒にのみ適用される権利で、東洋では守る必要はない」として、ポルトガル艦隊が軍事力により、東洋の海の支配者になっていることの正当性を述べている。

【『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一(カナリアコミュニケーションズ、2015年)以下同】

 本年度のベスト10に入る一冊である。小さな出版社から刊行されているため声を大にして推(お)しておく。著者の山口洋一は元外交官である。文章・構成・内容ともに文句なしで、一読後視野が広がることを実感できる。

 それまでは小競り合い程度しかなかった平和な世界がヨーロッパ人の航海によって一変した。彼らは文字通り世界を蹂躙(じゅうりん)し、略奪し、虐殺した。やがて植民地主義は帝国主義へと成長し二度の大戦に至る。

 やがてオランダ、次いでイギリス、フランスによる海外制覇の時代になると、宗教改革の進展もあり、ローマ法王庁のお墨付き万能の時代ではなくなり、キリスト教の布教という大義名分に代わる錦の御旗が必要となってきた。
(中略)
 ここで大義名分として、浮上してきたのが、西洋文明の絶対的な価値を認め、西洋的価値観に至上の優位的位置づけを与えんとする考え方である。価値観ばかりか、言語、生活様式、風俗習慣、礼儀作法など、西洋のものはすべて優れているとの確信が持たれ、植民地の土着文化を抹殺して、あまねくこれを押し付けようとしたのである。未開の地に西洋文明の光をもたらすことこそ植民者の重要な使命であるされ、これが大義名分となった。
 しかもこの時代、遅れをとって植民地獲得競争に参入した国々は、スペイン、ポルトガルに対抗するために、「国際法の父」と呼ばれるオランダのグロティウスが考え出した「先占」(occupation)の原則を大いに活用した。それは、「たとえその地域を事実上支配する住民がいても、国際法の主体たり得る国家によって支配されていない限り、無主の地であり、最初に実効支配した国家の領有が認められる」とする原則で、ヨーロッパ諸国が植民地を拡大する際の論拠とされた。なんのことはない、「西洋文明の国に非ずんば、国家に非ず」というわけで、たとえ現地の王様が統治していようが、西洋文明の国でない限り、そんなものはお構いなく植民地にしてしまえというのである。これ又、西洋文明だけにしか価値を認めない立場を国際法という形に体現したに過ぎない。
 やがて彼らのこの考え方は、ダーウィンの進化論の影響を受けて、「文化進化論」へと理論化され、体系化された。

 白人は強力な武器を持つ泥棒だった。世界はスペインとポルトガルで二分された(トルデシリャス条約、1494年)。コロンブスが「新大陸を発見」したのが1492年のことである。つまりヨーロッパ人は国内で魔女狩りを行いながら同時に世界で虐殺に手を染めていたわけだ。戦闘と殺戮こそが彼らの流儀である。

 第二次世界大戦後、文化相対主義が登場した。次いで文芸批評の世界でポスト・コロニアル理論が生まれ、この流れが1970年代のフェミニズム、そして80年代のポリティカル・コレクトネス(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)へとつながる。過去に対する反動であるのは確かだが、そこに罪の意識があるかどうかは定かではない。

 西洋の価値観を至上主義とする風潮は今尚衰えることがない。自由と民主主義(※正しくは民主政)がそれだ。自由は最重要の権利であるが他国から強制される性質のものではない。アメリカが民主政を吹聴するのはメディアをコントロールすれば世論は簡単に操作可能であるためだ。大衆に正しい政治家を選択する能力はない。そもそも制作や国家予算のバランスシートを知り得る機会もほぼない。せいぜい、声の大きさや見てくれで投票を決めるのが関の山だろう。

 文化進化論を思い知らせたのが東京裁判であった。アメリカは原爆投下と東京大空襲の戦争犯罪を隠蔽するために裁判という舞台装置を必要とした。そして白人に歯向かった唯一の有色人種である日本人に鉄槌を下した。日本は犯罪国家として裁かれ、今日までその呪縛を解くことができないでいる。

 尚、ほぼ同一のテキストが『〈思いこみ〉の世界史 外交官が描く実像』(2002年)にもあることを付け加えておく。

植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす
山口洋一
カナリアコミュニケーションズ
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2018-10-08

藤原ていの覚悟/『夫の悪夢』藤原美子


・『流れる星は生きている』藤原てい
・『旅路』藤原てい
『妻として母としての幸せ』藤原てい
『劒岳 点の記』木村大作監督
・『我が家の流儀 藤原家の闘う子育て』藤原美子
・『家族の流儀 藤原家の褒める子育て』藤原美子

 ・藤原ていの覚悟

・『藤原家のたからもの』藤原美子
・『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩藤原正彦、藤原美子

 まだ新婚生活がスタートしたばかりのころ、私が物干し竿に洗濯物を広げていると、私の姿を見つけた母が嬉しそうに庭に下りてきた。
「いい光景だねえ。お日様がさんさんと降り注いで、洗いたての洗濯物が風に揺れている。美子さんは若くて溌剌(はつらつ)としている。この幸せがいつまでも続くように思っているでしょうけど、私たちの時代にはある日、いきなり夫が戦地へ連れていかれたりしたのですよ」
 と言った。母は柿の若葉をまぶしそうに見上げた。そして「いま戦争が起きたら、美子さん、どうしますか」と聞いた。
 戦争が起きたら、なんて考えたこともなかった。(中略)
「美子さん、正彦をどんなことがあっても戦地に送ってはいけないですよ。そのときには私が正彦の左腕をばっさり切り落としますからね。手が不自由になれば、召集されることはありません。右手さえあればなんとか生きていけますから」
 と毅然として言った。ばっさり腕を切り落とす。まだ若い息子の白い腕をばっさりと。母と一緒に見上げていた柿の枝が夫の腕に見えてきた。私は柔らかな葉の隙間から洩れる光の中で、軽いめまいがした。微塵の迷いもない母の強い語気に、まだ若い私はしばらく言葉を継げずにいた。
「それにしてもお母様、よく幼い3人を満州から無事に連れ帰ることができましたね」とやっとの思いで言うと、
「引き揚げてきたときに一番弱かったのは独身男性ですよ。守るべき者がいない人は簡単に首をくくってしまう。私には命がけで守らなければいけない子供たちがいましたからね。しかしあのような状況のときには、溢れるように出ていたお乳もぴたりと止まってしまうんですよ。赤ん坊には噛み砕いた大豆を口移しで与えたりしてどうにか連れ帰ってきたけれども、日本にたどり着いたときには1歳2ヶ月になる娘の髪は真っ白、顔はしわくちゃ、おなかばかりが膨らんで身体は私の掌に乗るほど小さかったですよ」
 と言った。引き揚げの話になると、母はいつにもまして言葉に力こもるのだった。
 修羅場ともいえる世界をくぐってきた母は、その後の平和な世になっても常にいざという事態に備えているように見えた。

【『夫の悪夢』藤原美子〈ふじわら・よしこ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2012年)】

 藤原美子の名前は『月の魔力 バイオタイドと人間の感情』(1984年)で知っていた。よもやこんな美人だとは思わなかった。藤原正彦の顔を知っていれば、二人が夫婦であることに群雲(むらくも)のような疑問が湧く(笑)。しかも文章がよい。まさに才色兼備。

 藤原正彦は若い時分から父・新田次郎(本名は藤原寛人〈ふじわら・ひろと〉)の原稿を読み、美子は正彦の原稿を読み、文体が継承されている。そんな家族のつながりも興(きょう)をそそる。

 敗戦後に3人の子らと1年以上にわたる決死の逃避行(徒歩で700km以上)をした藤原ていの言葉には千鈞の重みがある。しかも子を守らんとする激しい愛情がいかにも女性らしい。戦う場所が男と女では違うのだ。

 私は後になって知ったのだが実は新田次郎よりも藤原ていの方が作家デビューが早い。しかも第一作がベストセラーとなった。新田は自分が書いた原稿を妻に見てもらっていたが、必ずクソミソに貶(けな)されたという。そうして次男の正彦に原稿が渡されるようになった。正彦に「書く」ことを勧めたのも新田である。

 藤原夫妻は既に日本を代表するエッセイスト(ユーモリストでもある)として知られるが、親子、夫婦、家族のつながりがしっかりとした軸になっており、更には戦前と戦後のつながりまでがよく見渡せる。それを一言で申せば「昭和」ということになろうか。

夫の悪夢 (文春文庫)
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藤原 美子
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流れる星は生きている (中公文庫)
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2018-10-07

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2018-10-06

「空気」と「事実」/『日本教の社会学』小室直樹、山本七平


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・「空気」と「事実」

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

必読書リスト その四

山本●つまり、「空気」をつぶす方法というのは一つしかないんです。事実を事実としていうことです。重要なことは、「空気」が規範化されればドグマになるというような前提のもとでいえば、ある場合には事実をいうことが日本教の背教になる。

小室●そこに「空気」の恐ろしさがある。また「事実」と「実情」との連関でいえば、実情というのは「空気」を通してみた事実でなければならないのであって、生(なま)の事実をいったら背教です。

(中略)

小室●ですから、日本人の嘘つきの定義と、欧米人の嘘つきの定義は全然違う。欧米では事実と違うことをいう人が嘘つき。日本でなら「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことをいっても嘘つきとはいわれない。これが、日本人が欧米人に誤解される大きなポイント。

【『日本教の社会学』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年学研、1985年/ビジネス社、2016年)】

「日本教」は山本七平の造語で、「空気」もまた山本が息を吹き込んだキーワードである(『「空気」の研究』1997年)。

 私は長らく山本七平を嫌悪していた。10代後半で本多勝一を読んだためだ。1980年代といえばまだまだ左翼が猛威を振るっていた頃である。『貧困なる精神』で「菊池寛賞を返す」(『潮』1982年1月号)を読んだ時は「これぞ男の生き方だ」と友人のシンマチにも無理矢理読ませたほどだ。その後、私は『週刊金曜日』を創刊号から購読し、首までどっぷりと戦後教育の毒に浸かりながらいつしか50歳となっていた。四十で惑いの中にいた私が五十で天命を知る由(よし)もない。

 少しばかり変わったのは3.11の震災後、天皇陛下に対する敬愛の念が深まったことである。道産子で皇室に関心を抱く人は少ない。日教組が強いこともあって国歌を歌う機会もほぼ無い。不敬を恐れず申し上げれば、かつての私にとっては先進国の国家元首よりも影の薄い存在だった。それがどうだ。国民へのメッセージを読み上げる陛下のお姿を拝見した途端、心の底から日本人の魂が噴き出した。それは噴火といってもよい激情だった。

 自虐史観に気づいたのはつい4年前のことだ。菅沼光弘の著作が私の迷妄を打ち破った。それから山本七平も読むようになったのだが文章が馴染めず読了できない。文体が粘ついていて虫唾が走る。その点、対談なら読みやすい。

「空気を読めよ」という言葉は漫才ブーム(1980年)の頃に出てきたと記憶する。その後2000年代になって「KY」として復活した時、吃驚仰天した覚えがある。「その場の空気」には脈絡があり、共有される感情が流れている。日本人にとってはそこに「合わせる」のが一種の礼儀と見なされる。

「事実を事実としていうこと」を山本は「水を差す」との一言で表す。確かに「それを言っちゃあおしまいよ」という発言を我々は極度に恐れる。やはり日本人は論理よりも情緒を重んじるためなのか。

 会社の会議であればまだしも、戦争の決定すら空気が支配していたという。日本は外交において「信義を貫けば相手も応える」と思い込んでいて、特にヨーロッパ諸国の権謀術数に振り回された。平沼騏一郎首相は「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」との談話を発表し内閣は総辞職した(1939年)。

 戦前の日本はヒトラーを礼賛する声が多かった。極東という地理的要因も疎外感を生んだのかもしれない。日本の宿敵ソ連と手を組むとは何事かという思いは理解できる。今となってはあまりにもウブな外交認識が嘲笑の的となっているがあながち的外れでもなかった。内閣総辞職からひと月も経たぬうちにドイツとソ連はポーランドを侵攻した。ソ連はポーランドの将校・官僚・聖職者・大学教授を収容所へ送り、半年後に4000人以上を殺戮した。カティンの森事件(1940年)である。ソ連を攻めたドイツが遺体を発見したが、あろうことかソ連は「ドイツによる虐殺だ」として戦後のニュルンベルク裁判でもこれを告発した。戦争に敗れたドイツは強く抗弁することができなかった。ナチスの暗号を解読していたイギリスは真実を知りながらも沈黙を保った。戦勝国としてソ連の嘘に加担したわけである。ソ連が自らの蛮行を認めたのは何と1990年になってからのことである。

 話を戻そう。日本人の言論空間が「空気」に支配されているのであれば、「空気」を薄める努力をするべきだ。「空気」は抑圧として働くので自由な発言が損なわれる。地域活性の鍵を握るのは「若者、馬鹿者、よそ者」と言われるが、固定観念に囚われない人、既成の枠に収まらない人、今までのやり方を知らない人を巧く配置することが望ましい。

 要はリーダーが何でも話し合える雰囲気を作れるかどうかに掛かっている。「場を弁えろ」などという居丈高な姿勢であれば決まりきった結論しか出ない。

日本教の社会学
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2018-10-03

人の音曲の中心はその人固有のメロディー/『春風夏雨』岡潔


『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利
『春宵十話』岡潔
『風蘭』岡潔
『紫の火花』岡潔

 ・人の音曲の中心はその人固有のメロディー

『人間の建設』小林秀雄、岡潔

 真珠湾攻撃は、私は北海道でラジオで聞いたのですが、全く寝耳に水でした。私は直ぐに、しまった、日本は亡びたと思いました。しかし今から思えばこのころはまだよかったのです。終戦になりますと、それまで死なばもろともといっていた同胞が、急に食料の奪いあいを始めました。私は生きるに生きられずに死なれぬ気持になって、最後の存在の地を仏道に求めたのでした。(はしがき、1965年6月1日)

【『春風夏雨』岡潔(毎日新聞社、1965年/角川ソフィア文庫、2014年)以下同】

 タイトルは「しゅんぷうかう」と読む。はしがきの末尾には「このまま推移すれば、60年後の日本はどうなるだろうと思うと慄然とならざるを得ません」との有名な一言がある。我々は7年後にその60年後を迎える。多分新しい戦争が起こり、その戦争は終わっていることだろう。

 先日、『人間の建設』を再読したのだが初めて読んだ時には気づかなかったことが次々と見えて、己(おの)が眼(まなこ)の節穴ぶりを恥じ入った。敗戦後、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。(中略)僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(雑誌『近代文学』の座談会「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」1946年〈昭和21年〉1月12日)と啖呵を切ってみせた小林秀雄が「あなた、そんなに日本主義ですか」と問い、岡が「純粋の日本人です」と応じる件(くだり)がある。思わず吹き出した。小林は天才数学者の愛国心に驚いたのだろう。ただし岡はその辺にゴロゴロしている愛国者とは風貌を異にした。単なる政治・経済といったレベルから離れて、岡は日本人の情緒が破壊されることに我慢ならなかったのである。

 ところで、心の琴線の鳴り方であるが、自覚するにせよしないにせよ、たたけばともかく鳴るようになっており、好きな音だけ鳴らしていやな音を避けることはほとんどできない。だから、タイプライターを打ち続けるというようなこと、つまり微弱な、きれぎれの意志を働かせ続けるのは、絶えず細かな振動を心の中心に与えていることになる。きれぎれの音は不調(ママ)和音であり雑音である。しかも小さい細菌ほど防ぎにくいように、微弱な意志の雑音ほど防ぎにくい。
 人の音曲の中心はその人固有のメロディーで、これを保護するために周りをハーモニーで包んでいると思われる。そんなデリケートなものだから、たえず不調和音を受け取っていると、固有のメロディーはこわされてしまう。そうすれば人の生きようという意欲はなくなってしまうのであろう。
 してみれば、人の生命というものもその人固有のメロディーであるといえるのではないか。(中略)
 生命というのは、ひっきょうメロディーにほかならない。日本ふうにいえば“しらべ”なのである。そう思って車窓から外を見ていると、冬枯れの野のところどころに大根やネギの濃い緑がいきいきとしている。本当に生きているものとは、この大根やネギをいうのではないだろうか。

 仕事で計算機やタイプライターを扱う人が自殺した話を聞いて、岡の直観は生命の真相にまで迫る。人間の機械化に対する警鐘である。合理化を推し進めるのは分業だ。一人ひとりの人間にミクロな部分が押しつけられ単調な作業が繰り返される。そこに生きる喜びはない。労働対価は時間と賃金のみで計算され喜怒哀楽は含まれない。マーケティングや会計などが高度に発達すると軍事的な様相すら帯びてくる。戦略が奏功すればライバル企業には死屍累々と失業者が横たわるわけだ。

 頭がよくても尊敬できない人物は多い。私は長らく自分の嫌悪感が不思議でならなかった。元々幼い頃から好き嫌いが激しい性分なのだがそれにはきちんとした理由があった。言葉や表情、はたまた振る舞いや行動から人間性が透けて見えるのだ。私はネット上ですら人間関係を誤ったことがない。

 私の疑問は岡の著作を読んでいっぺんに解けた。頭の良し悪しよりも情緒の濃淡にその人の正体があるのだ。かつて宮台真司〈みやだい・しんじ〉が「援助交際を研究テーマにしたことで様々な批判を受けたが、小室直樹先生だけがそれを認めてくれた」という趣旨の話をしていた。宮台の頭の強さは凡百の学者を軽々と凌駕していると思うが私は彼をどうしても好きになれない。確かに社会学的には女子高生や女子大生がさしたる自覚もないままに売春行為に至る経緯から社会を読み解くことに意味はあるのだろう。だがその前に「売春はダメだ。ダメなものはダメだ」と言い切るのが大人の役割ではないのか? 長ずるにつれて必ず後悔することは火を見るよりも明らかだ。妊娠や性病というリスクもある。行き過ぎた自由の観念が「他人に迷惑を掛けなければ何をしても構わない」との放縦を許してしまった。一昔前なら恋愛に関しても一定の慎重さがあった。親の反対を押し切って付き合うのであれば駆け落ちする覚悟が求められた。小遣い目当ての売春行為に覚悟や決断があるとは到底思えない。

 気が合う友達や心の許せる友人は人生の宝である。しかしながらそれが自分を高めてくれる人間関係かどうかを吟味する必要があろう。尊敬できる人物の有無が人生の彩りを決定する。あの人に倣(なら)おうとする心が規範となって自分の弱さを克服する原動力となる。

「人の音曲の中心はその人固有のメロディー」であるならば曲そのものを変えることは難しい。要はきれいに響かせるかどうかである。

春風夏雨 (角川ソフィア文庫)
岡 潔
KADOKAWA/角川学芸出版 (2014-05-24)
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