2021-07-04
2021-07-03
多剤併用(ポリファーマシー)の危険性/『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
・『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
・多剤併用(ポリファーマシー)の危険性
・『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
・『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
・『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
・『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
・『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
・『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
・『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
・『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
・『「体幹」ウォーキング』金哲彦
・『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
・『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
・『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
・ナンバ歩きと古の歩術
・『表の体育・裏の体育』甲野善紀
・『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
・『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
・『ナンバ式!元気生活 疲れをしらない生活術』矢野龍彦、長谷川智
・『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
・『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
・『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
・『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
・『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
・『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
・『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
・『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修
・身体革命
●歩けば、抗酸化物質が増える
●歩けば、ホルモンバランスが変わる
●歩けば、寿命を左右する「テロメア」が伸びる
●歩けば、若さの源「テストステロン」が増える
●歩けば、腸内環境が良くなる
【『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏〈ながお・かずひろ〉(山と渓谷社、2018年)以下同】
長尾和宏が信用できるのは医師でありながら、医療あるいは医療行政をきちんと批判しているからだ。これは中々できそうでできることではない。ある意味で自分の首を絞めているわけだから。自分で吐いた言葉が読者から今度は自分に突きつけられるのだ。「だったら、お前さんはどうなんだ?」と。
批判の度合いはリスク許容度と相関性がある。左翼の場合は例外だが、普通の常識人であれば利害関係者から突き上げを食らうことは容易に想像できる。正義感に駆られて告発した者が殺されるケースもある(石井紘基など)。あるいは出過ぎた真似をすると村八分にされる慣行が日本にはある。
・静岡県上野村村八分事件 - Wikipedia
・「私のしたことは間違っていたのでしょうか」選挙違反を告発した女子高生と家族が味わった“重すぎる報酬” 日本一の非文化村「村八分事件」 | 小池新
つまり本当の情報が100%公開されることはあり得ない。私が民主政を支持しない理由の一つである。ディスクロージャーを欠けば選択の基準を失う。長尾の批判は穏当であるが、穏当であるがゆえに説得力を持つのだ。
「人が老いるには、3つの理由がある」は間違い。というか古い考え方だ。更新された情報は、ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン著『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』(集英社インターナショナル、2018年)を参照せよ。
階段昇降はとてもおすすめです。生活の中で行うスクワットのようなもの。足腰の筋肉がかなり鍛えられます。さらに、スクワット以上に優れているのが、実は平衡感覚の練習にもなること。足腰だけでなく、脳も鍛えられるのです。
私は近頃、同じ姿勢の反復を繰り返す筋トレについてはかなり疑問を抱いている。そもそも日常生活の中でそんな単純な動きは見られない。人の行為・行動はもっと全体的で流動性がある。ダイナミックストレッチ(動的ストレッチ)のように動きの中で反射を探るのが正しいと考える。
階段や坂道が推奨されるようになったのは20年ほど前のこと。当時はスローピングという名称で持て囃(はや)された。私の中で初めてハイキングや登山が意識されたことをよく覚えている。
そして、「50代、60代以降の特に女性に多い悩みの一つが、めまい」だという。更年期障害や自律神経失調症などの影響もあるのだろう。
診察室で「歩く」という話が出ることはほとんどありません。何の話になるかといえば、結局のところ、薬です。
しかし、薬を飲めば飲むほど病気になる。これは真実です。
薬を5~6種類以上飲むことを「多剤併用(ポリファーマシー)」といいます。その怖さについては、高齢者の医学・医療を研究・実践する「日本老年医学会」も、「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」のなかで指摘しています。
具体的には、薬が増えると、薬物間の相互作用によって薬が効きすぎたり、逆に効果が薄れたりすること。あるいは処方や調剤の間違い、飲み忘れ、飲み間違いが増えるということ。また、薬が5種類以上で転倒しやすくなり、6種類以上になると何らかの有害事象が起こりやすくなるということを指摘しています。(中略)
ところが現実には、5~6種類以上の薬を服用している方はたくさんいます。10種類以上の薬を飲んでいる方もたくさんおられます。実際に、多剤併用から転倒・骨折して寝たきりになったり、入院して認知症がひどくなったり……ということは珍しくありません。
精神疾患や認知症患者はザラに20錠以上の薬を日々服用している。薬は毒である。病気の人体に対して毒を以て毒を制するのが薬の目的だ。毒には必ず副作用がある。一番簡単な例を示そう。睡眠薬と覚醒剤を併用すればどうなるだろうか? 食べ合わせですら間違えると腹痛などを起こすのだ。医学はまだ体内の化学作用を解明するほど進化していない。
医師の仕事は処方箋を書くことに堕してしまった。特に精神疾患が「脳の病」と喧伝されるようになってからは薬物治療がメインストリームに格上げされた。製薬会社と病院は強固な利権で溶接されてしまっている。
2021-07-01
田中清玄の右翼人物評/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
・『日本の秘密』副島隆彦
・『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
・『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
・『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
・『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
・『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
・『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
・『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
・会津戦争のその後
・昭和天皇に御巡幸を進言
・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
・田中清玄の右翼人物評
・『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
・『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
・『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
――話は飛びますが、安岡正篤氏とはお付き合いがありましたか。
全然ありません。そんな意思もありませんしね。有名な右翼の大将ですね。私が陛下とお会いしたという記事を読んで、びっくりしたらしい。いろいろと手を回して会いたいといってきたけど、会わなかった。私は当時、アラブ、ヨーロッパなどへ言ったり来たりで、寸刻みのスケジュールだったこともありましたが、天皇陛下のおっしゃることに筆を加えるような偉い方と、会う理由がありませんからと言ってね(笑)。私には自己宣伝屋を相手にしている時間の余裕などなかった。
【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)以下同】
「筆を加えるような」とは終戦詔書(=玉音放送)を校閲したことを指す(『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒)。細木数子が結婚騒動を起こして安岡の晩節を汚している。多分そういう人物だったのだろう。戦前戦後を通して長く政治家の指南役を務めた人物だ。田中の人物評は寸鉄人を刺す趣がある。しかも直接見知っているのだからその評価は傾聴に値する。
・終戦の詔書 刪修 | 公益財団法人 郷学研修所・安岡正篤記念館
児玉(誉士夫)は聞いただけで虫唾(むしず)が走る。こいつは本当の悪党だ。児玉をほめるのは、竹下や金丸をほめるよりひでえ(笑)。赤尾敏というのもいたな。彼をねじあげて摘み出したことがあった。俺がまだ学生の頃です。
児玉誉士夫〈こだま・よしお〉は特攻生みの親・大西瀧治郎〈おおにし・たきじろう〉の自決(介錯なしの十字切腹)に立ち会ったエピソードが有名だ。児玉も後に続こうとしたが「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と大西は諫(いさ)めた。首と胸を刺したが大西は半日以上も苦痛の中で生きた。いかなる悪事に手を染めようと児玉の心中では大西が生きているのではないかと私は考えてきた。が、違ったようだ。
――戦後の右翼はどうですか。
ほとんど付き合いはありません。土光さんが経団連会長の時に、野村秋介(しゅうすけ)が武器を持って経団連に押し入り、襲撃したことがありましたね。政治家と財界人の汚職が問題になった時のことでした。どこかの新聞社の電話と野村とが繋がっていると聞いたので、俺はすっ飛んで行って、その電話を横取りするようにひったくって、こう言ってやった。
「おい、野村、貴様、即刻自首しろ。貴様は土光さんに会いたいというなら、それは俺が取り計らってやるとあれほど言ったじゃねえか。それを、約束を破って経団連を襲うとは何ごとだ」
そうしたら、野村はつべこべ言った揚げ句に、謝りに来ると言うから「貴様は約束を反古にした。顔も見たくねえ」と言って、それっきり寄せつけない。約束を守らないようなやつは駄目だ。その前に藤木幸太郎さんに一度会わしたことがあったが、藤木さんは「あいつは小僧っ子だな」って、そう言ったきりだったな。
昨今、ネット上で児玉誉士夫や野村秋介を持ち上げる人物がいるので、慌てて書評をアップした次第である。新右翼は「左翼への対抗」を目的としており理論武装せざるを得ない。そして左翼と同じ体臭を放つようになる。
――三島由紀夫という人物をどう評価されますか。
剣も礼儀も知らん男だと思ったな。自衛隊に入りたいというので、世田谷区松原にあった僕の家に、毎日のように来ていたんだが、2回目だったか、「稽古の帰りですので、服装は整えてませんが」とか言って、紺色の袴に稽古着を着け、太刀と竹刀を持って寄ったことがある。不愉快な感じがした。これは切り込みか果し合いの姿ですからね。人の家を訪ねる姿ではありませんよ。
生真面目な三島がそれを知らなかったとは思えない。悪ふざけか冷やかしのつもりだったのだろう。それが通用する相手ではなかった。三島が田中に胸襟を開いていれば長生きした可能性はあっただろうか? 否、長く生きて輝きを失うよりは、花の盛りで散ってゆくことが彼の願いであったに違いない。
私が本当に尊敬している右翼というのは、二人しかおりません。橘孝三郎さんと三上卓君です。二人とは小菅で知り合い、出てきてからも親しくお付き合いを致しましたが、お二人とも亡くなられてしまった。橘さんは歴代の天皇お一人お一人の資料を丹念に集めて、立派な本を作られた。そのために私もいささかご協力をさせていただきました。
三上卓については『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』(小山俊樹〈こやま・としき〉著、中公新書、2020年)が詳しい。野村秋介の師匠である。
2021-06-30
瀬島龍三を唾棄した昭和天皇/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
・『日本の秘密』副島隆彦
・『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
・『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
・『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
・『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
・『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
・『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
・『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
・会津戦争のその後
・昭和天皇に御巡幸を進言
・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
・田中清玄の右翼人物評
・『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
・『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
・『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
もう一つ彼(※中曾根康弘首相)に言っているのは、付き合う人間を考えろということです。彼の周りにはいろんな人間がいましたからねえ。
例えば瀬島龍三がそうだ。第二臨調の時に彼は瀬島を使い、瀬島は土光さんにも近づいて大きな顔をしていた。伊藤忠の越後(正一元会長)などは瀬島を神様のように持ち上げたりしていたが、とんでもないことだ。かつて先帝陛下は瀬島龍三について、こうおっしゃったことがあったそうです。これは入江さんから僕が直接聞いた話です。
「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎(とが)めるわけにはいかない。しかし、許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし、戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」
陛下は瀬島の名前をお挙げになって、そう言い切っておられたそうだ。中曾根君には、なんでそんな瀬島のような男を重用するんだって、注意したことがある。私のみるところ瀬島とゾルゲ事件の尾崎秀実は感じが同じだね。
【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)】
かような人物が「昭和の参謀」と持て囃(はや)され、2007年(平成19年)まで生きた。これが「日本の戦後」であった。その狡猾と無軌道ぶりこそ戦後日本の歩みであった。国防を蔑(ないがし)ろにしながら経済一辺倒の政治を国民の支持し続けた。安倍政権は戦後レジームからの脱却を目指したが、瀬島龍三の影響を払拭していなかった。日本の弱さ、デタラメさがここにある。
祖国を貶(おとし)める反日勢力を一掃できるかどうかに日本の命運が掛かっている。作家風情の丸山健二が三島由紀夫を小馬鹿にするような風潮を見逃してはならないのだ。戦後教育の巧妙な刷り込みに気づかぬ国民が国を亡ぼすと銘記せよ。
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