2018-10-31

「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子


『免疫の意味論』多田富雄
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史
『寡黙なる巨人』多田富雄
『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄

 ・「書く」行為に救われる

『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一

必読書リスト その二

 先生は一晩にして、声が出ないためにお話ができない(構音障害)という状態になられました。これはどんなにかお辛いことだったと存じますが、失語症(言葉が理解できなくなる)になられなくてほんとうに良かったと存じます。言葉を失うということは、人格を否定されるのと同じくらい辛いことではないかと思います。
 それに致しましても、たおられてから半年も経たないうちに、この「文藝春秋」の原稿を書き上げられるというのは、何というエネルギーでしょう。
 私は思わず字数を数えてしまいました。6000字余り、原稿用紙にして15枚。先生は右半身麻痺になられ、左手しかお使いになれないはずです。左手でワープロを打つと書いておられますが、6000字全部を左指で打ち込まれるご苦労はどんなだったでしょうか。それに締め切りのある原稿は、健康な人にとってもきついものですのに。
 何かに憑かれたように、左手でワープロを打っておられる先生のお姿が目に浮かびます。お座りになることはできるのでしょうか。先生も書くということの不思議を強く感じられたと存じます。
 私も次第に動けなくなり、たいせつにしてきたマウスの研究もやめなければならなかったときに、書くということがどれだけ私を救ってくれたかしれません。私は先生のように有名ではなかったので、書いた原稿が本として出版されるかどうかはまったくわかりませんでした。それでも、書いて書いて、書くことが生きることだったのです。(柳澤桂子)

【『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄〈ただ・とみお〉、柳澤桂子〈やなぎさわ・けいこ〉(集英社、2004年/集英社文庫、2008年)】

 幾度となく読むことを躊躇(ためら)った本である。高齢・病気・障碍(しょうがい)というだけで気が重くなる。ブッダは生老病死という人生の移り変わりそのものを苦と断じた(四苦八苦の四苦)。まして功成り名を遂げた二人である。落魄(らくはく)の思いがあって当然だろう。「露の身」というタイトルが露命の儚(はかな)さを象徴している。

 恐る恐るページを繰った。指の動きがどんどん速度を増して気がついたら読み終えていた。私の懸念は完全な杞憂であった。むしろ自分の浅はかさを暴露したようなものだ。人間の奥深さを知れば知るほど謙虚にならざるを得ない。人の偉大さとは何かを圧倒することではなく、真摯な姿を通して内省を促すところにある。

 私はまず老境のお二方が男と女という性の違いを豊かなまでに体現している事実に驚いた。男の優しさと女の気遣いが際立っている。しかも尊敬と信頼の情に溢れながらも慎ましい静謐(せいひつ)さが漂う。エロスではない。プラトニックラブでもない。これはもう「日本の男と女」としか形容のしようがない。

 老いとは衰えの季節である。老いとは弱くなることで、今までできたことができなくなることでもある。そして「死んだ方がましだ」という病状にあっても尚生きることなのだ。

 多田富雄は脳梗塞で一夜にして構音障害失語症とは別)、嚥下障害、右麻痺の体となった。臨死体験から生還した彼は雄々しく「新しい生」を生き始める。過去の自分と現在の自分を比較するのではなく、ただ現在の自分をひたと見据えた。

「書く」行為に救われたと柳澤桂子が書いているが、我々が普段当たり前にできることの中に実は本当の幸せがあるのだろう。話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと……。ひょっとすると生そのものが幸福なのかも知れない。私は生きることをどれほど味わっているだろうか? 美酒を舐め、ご馳走に舌鼓を打つように瞬間瞬間を生きているだろうか? 渇きを癒やすように生の水を飲んでいるだろうか? そんな疑問が次々と湧いて止まない。

「詩は、『書くまい』とする衝動なのだ」と石原吉郎〈いしはら・よしろう〉は書いた(『石原吉郎詩文集』)。多田富雄と柳澤桂子は「動くまい」とする体の衝動と戦うために書いたのだ。

アメリカが行ったベトナム・ホロコースト/『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース


『ベトナム戦記』開高健
『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン

 ・アメリカが行ったベトナム・ホロコースト

・『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』松岡完
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

必読書リスト その二


「アメリカが戦争に勝ってよかったと思う。日本が勝ったらアメリカ人に対してどれほど残虐なことをしたか知れない」「アメリカのお蔭で日本は民主主義になった」――20~30年前まではこう考える人々が多かった。日本人に対して戦争の罪を刷り込ませるGHQの宣伝工作(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)は見事なまでに成功し、長期間にわたって日本人の精神を呪縛した。

 東京裁判では「平和に対する罪」というそれまでなかった概念を創作し、新しい基準を設けて過去の罪を裁くトリックまで行った。「平和に対する罪」を犯した人々がA級戦犯で25名中7名が処刑された。誤解している人々が多いが、ABCは罪のランク付けを意味するものではなく、A項・B項・C項の違いにすぎない。

 アメリカは日本に平和憲法を与えた。そのアメリカが第二次世界大戦後、朝鮮戦争(1950-53年)・ベトナム戦争(1955-75年)を行った。米兵はベトナムで何をしたのか。ご覧いただこう。

 クアンナム省と同様クアンガイ省でも、すさまじい砲撃や空爆が加えられる一方、地上部隊による目を覆うばかりの残虐行為がくり広げられた。数年後、エスクァイ誌の記者、ノーマン・ポワリエが軍の記録をもとに、そうした恐ろしい出来事のひとつを生々しく再現した記事を書いた。このような残虐行為の詳細が雑誌に掲載されるのは、戦争中としては異例のことだったが、そこに書かれた民間人の受難は、少しもめずらしくない、むしろありふれたものだったのだ。
 ポワリエの記事によれば、1966年9月23日、海兵隊のある部隊がスアンゴック集落に降り立った。彼らの狼藉は、まず1軒の家に押し入るところからはじまった。家の主人はコメ農家兼大工のグエン・ルウという61歳の男性だった。海兵隊員たちはこの武器を持たない住人に殴る蹴るの暴行を加えた。ひとりの兵士が「このベトコン野郎め!」と叫んでいたという。彼らはルウの民間人身分証明書を破り、家のなかを荒らした。ルウの若い姪たちは恐怖のあまり悲鳴をあげた。70歳近い妻は手荒な扱いを受け、ルウの妹も容赦なく足蹴にされた。
 それからほどなく、38歳の農民、グエン・チュックの家の扉がさっと開いた。チュックの妻は5人の子供たちのもとへ駆け寄ろうとしたが、海兵隊員たちにつかまって外へ放り出された。そのあとチュックはさんざんに殴られ、立ち上がることもできなくなった。やがてふたりの兵士が彼の両脚をつかんで逆さ吊りにし、もうひとりが彼の顔を力いっぱい蹴りつけた。悲鳴とすすり泣く声が部屋に満ちた。
 何度もあがったその叫び声は、16歳のグエン・チ・マイの家まで聞こえてきた。彼女は母とおばといっしょに地下壕に逃げ込んだ。3人が身をすくめてしゃがんでいると、海兵隊員たちが上からのぞき込み、手招きで出てこいと指示した。母とおばは従ったが、マイは恐怖のあまり動けなかった。手が伸びてきて、片脚をつかまれ、彼女は引きずり出されてしまった。兵士たちは3人の民間人身分証明書を破り捨てた。アメリカ人のひとりがマイの首すじに手をあてがい、もう一方の手で彼女の口をふさいだ。すると別のふたりの兵士が彼女の両脚をつかんで地面に引き倒し、荒々しくズボンを剥ぎ取った。
 海兵隊員たちはこのようにしてさらに5~6軒の家に押し入って集落を恐怖に陥れたが、武器も禁制品も見つからず、敵に関する情報さえも入手することができなかった。彼らが次に襲ったのは、18歳のブーイ・チ・フォンとその20歳の夫、ダオ・クアン・ティンの家だった。ティンは農民で、病気のために兵役につけなかったのだ。ふたりは3歳の息子と、ティンの母、姉、その5歳になる娘といっしょに暮らしていた。海兵隊員たちは、ティンをベトコンと決めつけ、ほとんど意識がなくなるまで殴った。彼らはティンを外へつれ出し、家の前の壁にもたせかけておいて、その横に恐怖にすくみ上がった姉と母親とふたりの子供を立たせた。
 妻のフォンは家のわきへと引きずっていかれた。ひとりの兵士が彼女の口を手で覆い、ほかの者が両腕と両足を地面に押さえつけた。米兵たちは彼女のズボンを脱がせ、シャツを引き裂き、体をまさぐった。そして輪姦がはじまった。最初はひとりの兵士が、次に別の兵士が襲いかかり、合計5人で彼女を陵辱した。ティンは妻のすすり泣きを聞き、大声で叫んで抗議した。すると海兵隊員たちはまた彼を殴りはじめた。やがて銃が乱射され、その声がやんだ。次の一連射がティンの母親の嗚咽に終止符を打ち、さらなる銃撃が姉を黙らせた。まもなく、子供たちの声もフォンの耳に届かなくなった。パン!という音に続いて閃光が弾け、灼けるような痛みが走ったかと思うと、フォンはどっと倒れた。
 海兵隊員たちは、現場の「見栄えをよくする」ために手榴弾を爆発させ、無線で戦果を報告した。ベトコン3名を殺害した、と。だが指揮所に戻ると、彼らは中尉に、あらかじめ決めておいた待ち伏せ場所では銃撃戦が起こらず、誤って民間人を数人死なせてしまったと話した。中尉は隊員たちに集落へ案内させ、自分の目で事実を確かめた。
 中尉は部下が大量虐殺を犯したことにショックを受けたが、すぐに犯罪の隠蔽に取りかかった。ティンの遺体を、当初計画していた1キロほど先の待ち伏せ場所まで運んでいき、細工をして、そこで銃撃があったように見せかけた。彼らはスアンゴック集落の殺戮現場にも手を入れた。ティンの5歳の姪は血まみれになり、裸で倒れていた。その体を抱きあげたとき、いきなり彼女が泣きだした。死んでいなかったのだ。しかしジョン・ポッター上等兵が二度と生き返らないようにした。彼はほかの兵士たちにカウントしろと言い、ある隊員によれば、たっぷり時間をかけて「ライフルでぐしゃぐしゃにした」という。別の隊員はこう証言している。「わたしは、1……2……3……と数えました。すると上等兵は(ライフルの)台尻であの子を何度も何度も殴りつけたんです!」
 じつはブーイ・チ・フォンもまだ生きていたのだが、隊員たちは気づかなかった。彼女は銃で撃たれたあと、意識を失っていた。数時間後、激しい痛みを感じて目を覚ました。どこもかしこも血まみれだった。手当てをしてもらうため、村人のひとりがもよりの米国海兵隊基地まで彼女をつれていってくれた。そこでフォンはベトナム人通訳者に、自分がレイプされたこと、家族が惨殺されたことを話した。通訳はこのことを同情的なアメリカ人医師に伝えてくれた。医師はフォンを診察し、性暴力被害に遭った確証を得ると、大隊指揮官に犯罪行為がおこなわれたことを報告した。フォンが一命をとりとめなければ、そして海兵隊員たちが戻ってきたあいだも意識が戻らず、基地へ運ばれてから勇気ある通訳者に話をし、その人物がフォンのために働いてくれそうなアメリカ人士官を見つけてくれなければ、ほかの多くの大量虐殺事件と同様、スアンゴック集落の事件も闇に葬られていたことだろう。しかしフォンの証言に基づく公式の捜査が実施されたにもかかわらず、殺戮にかかわったアメリカ人9名のうち、3名は無罪となり、4名は短期の懲役刑を受けただけですんだのだった。

【『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース:布施由紀子〈ふせ・ゆきこ〉訳(みすず書房、2015年)】

 かような事実が300ページにわたって羅列されている。一片の罪もない婦女子や老人を暴行し、切り裂き、銃で撃ち、家屋には火を放ち、避難壕に手榴弾を放り込み、ナパーム弾で焼き尽くした。ありとあらゆる兵器が試され、白リン弾クラスター爆弾も投入された。白リン弾は破片が体内に刺さっても燃え続ける兵器で、クラスター爆弾は1発の爆弾に数百もの子爆弾が搭載され、金属片の飛散によって人間の手足を吹き飛ばしたり人体を切り刻む。意図的に殺傷能力を低くして多数の怪我人を出すことで社会機能にダメージを与える目的がある。

白リン弾
ローラ・ブシュナク: クラスター爆弾の破壊的な負の遺産 | TED Talk

「平和に対する罪」を規定したアメリカの残虐行為をどう考えればいいのだろう? きっと彼らが説く「平和」とは「アメリカに逆らわないこと」なのだろう。かつてアメリカ大陸を【発見】したヨーロッパ人は先住民インディアンを大量虐殺した(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス)。合衆国政府はインディアンの頭皮に懸賞金をかけた。インディアンは報復のために白人の頭の皮を剥(は)いだ。あろうことかハリウッドは映画作品を通して皮剥ぎの刑をインディアンの一方的な蛮行として描いた。自分たちの悪行を相手になすりつけるプロパガンダを行ったわけだ。日本に対して行われた戦後のイメージ操作もこれとよく似ている。

 白人なかんづくアングロサクソンの暴虐振りは人類史の中で際立っている。アジアは平和的であったがゆえに侵略されたのだろう。アジア人がボノボであれば白人はチンパンジーほどの違いがある(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 米軍が行ったベトナム民間人の大虐殺は「ベトナム・ホロコースト」と名づけるべきだ。日本に対して行った「原爆ホロコースト」や「東京ホロコースト」(東京大空襲)と同じく人類史に大書される歴史的蛮行である。やがて彼らの血に流れる暴力性によって自ら滅びる時が訪れることだろう。

 それにしても北ベトナムはよくぞアメリカの攻撃に耐えたものだ。私がベトナム戦争を意識したのは8歳の頃である。テレビで聴き、児童雑誌で見るたびにベトナム戦争は永遠に続くのだろうと思った。

 上記テキストの直後に韓国軍の残虐行為が描かれている。「1961年11月、クーデターにより政権を掌握した朴正煕〈パク・チョンヒ〉国家再建最高会議議長はアメリカを訪問するとケネディ大統領に軍事政権の正統性を認めてもらうことやアメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開すること、また共産主義の拡大が自国の存亡に繋がるという強い危機感を持っていた為にベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、ジョンソン大統領に代わると1964年から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた」(Wikipedia)。カネ目当てで投入された韓国軍は米兵同様、非道の限りを尽くした。韓国兵による強姦でライダイハンと呼ばれる子供が5000~3万人も生まれた。実際は犯された後で手足や頭部を斬り落とされる女性も数多く存在した。韓国は現在でも性犯罪大国でアジアの中では強姦犯罪率が突出している。そんな自分たちの残虐性を基準にして旧日本軍を見ているのだろう。従軍慰安婦にまつわる嘘の物語も韓国の似姿としか思えない。

 組織の理想型は軍隊であるが、どの軍隊も必ず嘘をつく現実がある。戦果を偽り、戦争犯罪を誤魔化し、平然と政治家や国民に対して嘘をつく。ここに軍隊の致命的な問題があるように思う。戦闘の最前線では何があるかわらかない。であればこそ「君命をも受けざる所有り」(『香乱記』宮城谷昌光)との孫子の言は重い。時にシビリアン・コントロール(文民統制)を無視する局面があってもおかしくない。ただし、軍という組織の暴走に向かう傾向を踏まえれば、軍法を厳しくするのが望ましい。

 私は心底驚いたのだが、クアンナム省もクアンガイ省も南ベトナムである。クアンガイ省にはあのソンミ村がある。ソンミ村虐殺事件を本書ではミライ事件と表記されているが、米兵に殺された500人以上の村人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子供173人)は本来なら米兵が守るべき人々であった。この事件に関与した者も曖昧で中途半端な処分しか受けていない。

 ベトナム民主共和国は圧倒的な軍事力を誇る米軍にゲリラ戦で勝った。ナチス・ホロコーストはその量において圧倒したが、ベトナム・ホロコーストはその質において人類史上最悪の大虐殺といえよう。こう考えると、ジョン・F・ケネディ、リンドン・B・ジョンソン、リチャード・ニクソンら米大統領はヒトラーと肩を並べる十分な資格がある。

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2018-10-28

43年間に及んだサバイバル/『洞窟オジさん』加村一馬


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 ・43年間に及んだサバイバル

・『失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語』マリーナ・チャップマン
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

必読書リスト その二

 なだらかな斜面を、持ってきたスコップを杖(つえ)代わりに登った。岩肌のところは四つんばいになってかけ登る。足場が悪く、小石が転がり落ちる。シロが前になり後ろになっておれを守ってくれる。
「シロ、大丈夫か。頑張れっ、頑張れっ! もう少しだ!」
 家を飛び出してからほぼ1週間、ほとんど寝ないで歩いてきた。13歳のおれには体力はもう残っていなかった。ただ、気力で岩肌を登るだけだ。シロに声をかけ続けたのは自分自身への励ましだったのかもしれない……。
(中略)
 加村一馬さん、57歳。昭和21年8月31日、群馬県の大間々町で生まれた。8人きょうだいの4男坊だった。両親のたび重なる折檻に耐え切れず、13歳で家出をし、後を追ってきた飼い犬のシロと足尾鉱山で獣や山菜を採って空腹を満たしながら生きる生活を選んだ。以来43年間、栃木、新潟、福島、群馬、山梨の山中などを転々としてきた。人里離れた山の洞窟で、ときには川っぺりで、ときには町でホームレスをしながら人とかかわることを避けて生き抜いてきた。子供のころの虐待やいじめ体験がトラウマとなっていた。後年、人の情けに触れることはあっても、結局は43年間人間社会から逃げ出すことしかできなかった。

【『洞窟オジさん』加村一馬〈かむら・かずま〉(小学館、2004年『洞窟オジさん 荒野の43年 平成最強のホームレス驚愕の全サバイバルを語る』改題/小学館文庫、2015年)】

 昔は折檻(せっかん)と言って親の虐待が罷(まか)り通っていた。雪が積もる外へ裸で投げ出されたり、物置に閉じ込められたりということが珍しくなかった。物置の中から外を覗いていた子供が慌てて扉を占めたために首を挟んで死亡した事故もあった。江戸時代の日本では子供が大切にされた。野放し状態の子供を避けるため往来では馬から人が降りたという。戦争や工業化の影響か。巨大な集団は多くの人々に様々なストレスを与える。

 加村はそれでも尚生きた。そして生き延びた。彼の命を救ってくれたシロは間もなく死んだ。43年間に及んだサバイバルを可能にしたのは彼に生きる知恵があったからだ。私なら10日間ほどで死んでいるだろう。火を熾(おこ)すこともできなければ、山菜の見分け方も動物の捌(さば)き方も知らないのだから。

 ある時、山の中で見知らぬ夫婦から声を掛けられる。おばさんが「黒い三角の物体」をくれた。生まれて初めて見たオニギリだった。親切なおじさんとおばさんは加村を家に招き、風呂に入れ、ご飯を食べさせた。人の情に触れ加村は涙を流し続けた。おじさんは「ずっといていいんだよ」と言った。ところが数日後、加村は去ることにした。この辺りの心の揺れはナット・ターナーや鹿野武一〈かの・ぶいち〉と通じている(ナット・ターナーと鹿野武一の共通点)。論理で探れば複雑であるが、情緒で読み解けば腑に落ちる。目の前の幸せを拒絶したところに加村の自由があったのだ。

 サバイバルは適応能力に左右される。加村は周囲のちょっとした情報から生き延びるヒントを得た。文字を書くことすらできなかった彼が商売をするまでになる。

 小学校の課程にサバイバルを設けてはどうか。家庭科・図工・理科・社会の要素も含まれている。何があっても一人で生きることのできる力が備われば、国力も大いに上がることだろう。併せて、いじめや虐待に遭遇した時の作法も教えるべきだろう。生きることを学ぶ。生きる能力を磨く。そこに生きる喜びが生まれるはずだ。

2018-10-27

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鎖国の意味を書き換える新たな視点/『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新


『西洋一神教の世界』竹山道雄:平川祐弘編
『火縄銃から黒船まで 江戸時代技術史』奥村正二

 ・鎖国の意味を書き換える新たな視点

『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
『幕末外交と開国』加藤祐三

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ポルトガルとスペインに続いて、オランダとイギリスがアジア世界に進出してきた。インドや東南アジアの港湾都市に一定の地歩を築いた両国が日本にやってきたのは、1600年頃のことである。ポルトガルとスペインに遅れること、およそ半世紀であった。カトリック(旧教)国であるポルトガル・スペインと、プロテスタント(新教)国であるオランダ・イギリスは、ヨーロッパでの宗教的対立だけではなく、植民地支配や貿易の主導権をめぐって、アジアの海でも、この日本でも激しく対立した。

【『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新〈ひらかわ・あらた〉(中公新書、2018年)】

竹山道雄に読ませたかった」というのが率直な感想である。豊臣秀吉の朝鮮出兵は誇大妄想の取り憑かれた一方的な侵略とされてきたが、実は軍事大国日本を世界に宣言することで西欧の侵略を阻んだことを論証している。200年以上に及んだ鎖国(1639年〈寛永16年〉-1854年〈嘉永7年〉)も武士という存在があればこそ成し得た政策で、日本は有色人種国家としては唯一植民地となることを避けられた。鎖国の意味を書き換える新たな視点が読者の脳にまで突き刺さる。日本の近代史は秀吉から始まったと考えるべきだ。

 オランダがプロテスタントだとは知らなかった。というか考えたこともなかった。オランダは八十年戦争(1568-1648年)を経てスペインから独立したわけだから、宗教的対立があったのはむしろ自然なことだろう。対立から発展を築くのがヨーロッパ文明の流儀である。

 大航海時代とは、15世紀におけるポルトガルとスペインの海外進出を先鞭(せんべん)とし、16世紀後半には両国に加えてイギリス、オランダ、フランスなどが、非ヨーロッパ世界における領土獲得と植民地交易をめぐって覇権を争った時代である。1648年にヨーロッパ諸国によって締結され、領土の相互尊重と内政干渉を控えることを約したウェストファリア条約をもって、大航海時代の区切りとされることが多い。(中略)
 そうしたヨーロッパ列強とアジアおよび日本との関係をか考えるさいに、歴史的大前提としてふまえておかなければならないことがある。それは1494年に、スペインとポルトガル両国がトルデシリャス条約を締結して、デマルカシオン(世界領土分割)体制を確立させたということである。(中略)
 この条約を承認したローマ教皇は、両国に新世界住民のキリスト教化を委託したということになる。

 平川新は1950年生まれだが、漢字表記を減らす心憎い配慮をしている。

 このデマルカシオン体制という発想が二度の大戦に受け継がれ、更には米ソ冷戦構造や米中G2体制にまで引き継がれているのだろう。つまり大国の「覇権」意識である。ところがオバマ大統領やトランプ大統領が「アメリカはもはや世界の警察ではない」と言い出した。とすれば世界はグローバルからローカルに向かうことが予想される。中国の膨張が懸念されるが日本が軍事的に独立すれば封じ込めることが可能だろう。きっとアメリカもそれを望んでいるはずだ。

 地中海の出入り口イベリア半島に盤踞(ばんきょ)するスペインとポルトガルは、世界征服をめざして競合しつつも、世界領土分割条約を結んで共存の道を歩んだ。とはいえ、境界ゾーンとなった東南アジアや日本では国益がぶつかりあった。また同じカトリック国ではあったが、宣教組織であるイエズス会はポルトガル系、フランシスコ会やドミニコ会はスペイン系であったことから、日本宣教をめぐっては宗派の対立も表面化することになった。

 極東の位置でよかったとつくづく思った。ま、ヨーロッパから見りゃ極東ってなだけで、これからは太平洋を中心とした文明圏を見つめるべきだろう。アメリカ中心のバランス・オブ・パワーが揺らぐのは大いに結構なことである。国家は軍事的独立を勝ち得なければ自立できない。経済力は軍事の後に続くものである。

 日本の場合、軍事以前に国家意識が育っていない。GHQの占領政策は今も尚日本人の精神を蝕み続けている。日本人の意識には世間や社会はあっても国家がない。図らずも国家意識が芽生えたのは中国・韓国が反日の牙を剥き出しにした1990年代のことだ。日本の国旗を燃やしたり、首相の似顔絵を踏みつけたり、大使館を襲撃する行動は「戦争」と捉えるべきだろう。

 もしもアメリカが日米安保からも一歩退くとなれば、日本は核保有国の道を選ばざるを得ない。個人的には核保有を優先して、日中戦争を回避した方が賢明だと考える。でもまあ無理だろうね。戦争を経なければこの国は憲法改正すらできないよ。



『戦国日本と大航海時代』/平川新インタビュー|web中公新書
竹山道雄と松原久子/『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子

2018-10-26

まだヒートテックを着てるの?


 おたふく手袋が最強である。




フレームの大きさ/『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢


『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春
『自転車の教科書』堂城賢

 ・フレームの大きさ

 サイズやメーカーによって、フレームのシート角やヘッド角は違います。私が小さなフレームを薦めない理由は、【フレームが小さくなるほどシート角が立ち、ヘッド角は寝ていて、ヘッドチューブが短い】からです。おじぎが深くなると、どうしてもサドルを後ろに引きたくなりますが、シート角が立っているフレームでは十分にサドルを後ろに引くことができないので、付けたい部分にサドルが付けられない、ということになってしまいます。

【『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢〈たかぎ・まさる〉(小学館、2015年)】

【Eがヘッド角、Dがシート角、Cがヘッドチューブ。GIANT社から拝借】

 初心者にとってフレームのジオメトリーは小難しい。これからロードバイクを購入するのであれば、身重に対して少し大きめのフレームを選べばいいだろう。

「サドルを後ろに引きたく」なる、というのが凄い。素人は前傾姿勢が馴染まないため上体を起こしたくなる。つまり「サドルを前に出したくなる」のである。ジオメトリーに関するリンクをいくつか紹介しよう。

ロードバイクで腕が遠く感じる原因とスタックと前傾姿勢とポジションの関係について - Fertile-soil
フレームのジオメトリと材質で違う、クロス・フラットバーロード・ロードバイクのお話。 : 自己満足の自転車いじりと戯言。
ジオメトリの見方!ロードバイクの特性を読み解く:続き : 低身長でも貧脚でもロードバイクを楽しみたい!
なぜ700Cにこだわるのか、わかりません : 空まかせ~二輪歩行でいこう
ジオメトリの話 - K Frameworks

 おじぎ乗りのわかりやすいイラストがあった。


 私はひと目で嘘を見抜いた。猫背であっても頭を前に倒せば拇指球に荷重をかけることができる。つまり背の曲直にかかわらず前傾姿勢の深さが問題なのだ。更に足首の柔軟性が高まれば前傾が浅くても拇指球に体重を乗せることは十分可能だろう。

 登坂土踏まずペダリングをすると拇指球の意識も変わる。平地走行ではペダルに拇指球がかかるのは当然なのだが、拇指球に不要な力を入れる必要はない。むしろ意識としては足首を曲げないことが重要で、拇指球からは力を抜くべきなのだ。そう考えると平地でも土踏まずペダリングをしてハムストリングが使えるようになることを優先した方がいいかもしれない。

 歩く時のことを想像してみよう。踵(かかと)から地面に着地した時、拇指球に力は入らない。力を入れてしまえばブレーキと化す。足首を前方向に傾けるためには拇指球から力を抜かねばならない。力を入れるのは地面を蹴る瞬間だけである。

 古武術の移動法だともっとわかりやすい。通常の運動で体を左方向に移動する場合は一旦右足に体重を掛けて左方向に移動するが、古武術の場合は左膝を折ることで体を左方向に傾けてしまう。右足に体重を乗せれば1、2という2拍の運動だが、左膝を折ってしまえば1拍の動作で済む。しかも力を抜いているので筋肉の疲労がほぼない。

 スポーツにおける姿勢の問題は体の中心や軸・体幹に関わるテーマである。ヒトは脳を使い過ぎて体を使えなくなってしまったのだろう。体の刺激から脳を鍛え直す作業が求められる。

自転車の教科書 ー身体の使い方編ー (やまめの学校)
堂城 賢
小学館
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2018-10-25

「基本」は背中まっすぐの「おじぎ」の姿勢/『自転車の教科書』堂城賢


『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春

 ・「基本」は背中まっすぐの「おじぎ」の姿勢

『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢

 僕が教えている自転車の乗り方は【「おじぎ乗り」】と言います。【「背中をまっすぐにした『おじぎ』の姿勢」】で乗ることです。皆さんが一番知りたがっているハンドルやサドルの位置、つまり「自転車のポジション」は、おじぎの姿勢をしたまま、手を前に振った軌道にハンドル、お尻の位置の下にサドルとなります。
 たったそれだけです。

【『自転車の教科書』堂城賢〈たかぎ・まさる〉(小学館、2013年/小学館文庫、2016年)以下同】


 背中を丸めた姿勢でハンドルを低く遠くにしている人をよく見かけますが、背中を丸めてぐーっと手を伸ばしていると、後ろの足にものすごく荷重が掛かるのです。プロの選手の真似をしてこの乗り方を一般の人がやると、まったく前に進みません。
 後ろ足に自分でたくさん荷重を掛けて、自分で作り出した負荷に苦しめられていたわけです。ですから、姿勢の悪い人はステムを短くすると足が回るように感じるのです。

 レース実績のある専門家が相反する主張をしている場合は、結局自分で探るしかない。堂城賢〈たかぎ・まさる〉は言葉が拙い。本書は意図的に話し言葉を使い読みやすくしたのだろうが言葉の重複が目立ち表現の浅さが先立つ。方や森幸春は雑誌におけるコメントというおしゃべり程度の代物だ。

 YouTubeで「やまめの学校」と検索すると堂城の実際の講義を見ることができる。そのネーミングセンスの悪さや自分を「校長」と紹介する節操のなさもさることながら、「イチロー選手は一流のアスリートだと思う」などといった陳腐な言葉にはやはり問題があろう。おじぎ乗りの傍証としてイチローが守備につく際、両手を膝に乗せて背中を伸ばすポーズを挙げているが、あれは一種のストレッチであって打者が打つ瞬間は猫背になるに決まっている。

 実際にやってみたが、骨盤を立てるべきなのか、おじぎ乗りにすべきなのかよくわからない。何となく中間の位置で乗っているが疲れてくると全てがどうでもよくなる(笑)。素人感覚からすると最初は前立腺の痛みに苦しめられるので、骨盤はやや起こした方がいいような気がする(※関係ないけどこんな記事を発見→長時間のサイクリングは危険?前立腺がんの発症リスクに|男の健康|ダイヤモンド・オンライン)。

 運動に関する理論を参照するのは正しいが鵜呑みにしてはいけない。なぜなら人の体は個体差があるからだ。他人の言葉を額面通りに受け止めてそれを墨守すれば、硬直した精神性が硬直した体を形成して必ず故障や怪我につながるだろう。自分の体に耳を傾けて答えを導くことが大切だ。むしろ、自分なりの創造性を発揮するところにトレーニングの目的があるといっても過言ではない。

 散々腐してしまったが、本書の評価が高い(文庫本の解説は高千穂遙)ところを見るとそれ相応の理由があるのだろう。私が初心者ゆえ気づいていないだけかもしれない。数年後に再読して検証するつもりだ。

自転車の教科書 (小学館文庫)
堂城 賢
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2018-10-23

骨盤を起こして肩甲骨を開く/『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春


『大人のための自転車入門』丹羽隆志、中村博司

 ・骨盤を起こして肩甲骨を開く

『自転車の教科書』堂城賢
『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢

「初級者が上級者のようにいきなり100回転/分でペダルを回そうとすると、よけいなところに力が入って、むしろ心拍数が上がってしまいます。まあ、いずれはできるようになればいいことなんで、まずは90回転/分くらいからはじめてみましょう。これくらいの回転数なら、さほど筋力が必要なわけでもないし、十分に低い負荷で効率よく走ることができるはずです。とにかく小手先……っていってもこの場合は足ですが……を使うんじゃなくて、ふとももの付け根からさらに上、お腹の奥のほうを意識します。もちろんクランクの長さは同じなんですけど、ペダルを大きな円で回すイメージがほしいですね」と森師匠は言う。

【『ロードバイク初・中級テクニック改訂版 BiCYCLE CLUB別冊』森幸春(エイ出版社、2011年)】

「森師匠」と呼ぶのは編集部のおべんちゃらではないようだ(「日本ロード界の師匠  森幸春さん逝く」)。既に物故していることを今知った。謹んでご冥福を祈る。

 大きな雑誌の体裁でパラパラとめくって一通り読んだのだが、何度となく読み返して「ああ、そうか」と腑に落ちるところが多かった。7月27日から自転車に乗り始め、10月12日でやっと1000kmを走破した。まだまだ体作りの段階だ。焦ってオーバーワークしてしまえば必ず怪我の原因となる。今は走りたくて脚が疼(うず)き出すのを待っている。それでもケイデンス90は難しい。週に二度リカンベントタイプのエアロバイクに跨(またが)っているが、私が心地よく回せるのはせいぜい80回転/分である。

 ペダリング革命で多少は股関節を動かせるようになっていると思う。まあ、この辺はまだまだ気にするレベルではない。今はとにかくひたすらペダルを踏むことに力を注ぐ。



 骨盤を起こして肩甲骨を開くとあるが、肩甲骨を開くのが案外難しい。1000km走ってもまだまだ上半身に余計な力が入ってしまう。上半身をリラックスさせないと肩甲骨は開けない。また、堂城賢〈たかぎ・まさる〉は骨盤を寝かせた方がよいと説く。ポジショニングに関しては自分の体に耳を傾けるしかない。一番楽な姿勢が正しいのだ。

 初心者にとってはわかりやすい内容であるが、なぜかエンゾ早川が登場して読み手のやる気を思い切り削(そ)いでくれる。

ロードバイク初・中級テクニック 改訂版 (エイムック 2120 BiCYCLE CLUB別冊)
エンゾ早川 森 幸春
エイ出版社 (2011-02-15)
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「ならば、変えなければならない」/『果断 隠蔽捜査2』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏

・「ならば、変えなければならない」

『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花 隠蔽捜査9』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 世間のことを知らなければ的確な指示が出せないという警察官僚もいるが、竜崎にいわせれば、その程度の者は警察官僚になるべきではない。一生現場にいればいいのだ。
 国家公務員がすべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ。竜崎はそう信じている。世俗の垢にまみれる必要などない。指揮官に求められるのは、合理的な判断なのだ。

【『果断 隠蔽捜査2』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】

 家族の不祥事で左遷の憂き目に遭った竜崎は警察署長となった。主人公が現場の最前線で指揮を執ると、やはりストーリーの精彩が上がる。立場が変わっても竜崎の信念が揺らぐことはなかった。彼は警察の仕事に心から誇りを抱いていた。

 前巻では父子の対話であったが、本巻ではPTAとの会話がエリートと大衆の落差を象徴している。発想が違うのだ。竜崎の発言にPTAはさることながら、教師や同行した警察幹部までが唖然とする。

 竜崎は、手を止めて貝沼を見つめた。貝沼の表情は読めない。真意がまったくわからなかった。
「じゃあ、方面本部が死ねと言えば、君は死ぬのか?」
「時と場合によありますが、そういうこともあるという覚悟はしております」
「警察の指揮系統と言ったが、それは幹部がまともな命令を下すという前提で重視されるべきものだ。そうじゃないか? 理不尽な命令に盲従する必要などない」
「ですが、それが警察というものです」
「ならば、変えなければならない」
 貝沼副署長が無表情のまま見返してきた。斎藤警務課長も、無言のまま立ち尽くしている。
「なんだ?」
 竜崎は、二人に尋ねた。「私は何か、おかしなことを言ったか?」
「いえ」
 貝沼副署長が言った。「本当に、野間崎管理官のことはよろしいのですか」
「いい」
「では、お任せします」
 ようやく二人は出て行った。
 竜崎にだって、二人が何を恐れているかくらいはわかる。警察というのは、古い体質が残っている。それは、ひょっとしたら明治に警察庁ができて以来変わらないのではないかとすら思えてしまう。冗談のようだが、いまだに薩長閥が幅をきかせている。

「ならば、変えなければならない」との一言に竜崎の真骨頂がある。清濁併せ呑んで物分かりがよくなることが大人なのではない。大人とはある責任を引き受けた上で若者の手本となる人物をいうのだ。幾度となく煮え湯を呑まされている内に精神が澱(よど)み、濁ってゆく男がそこここにいる。彼らが上司に逆らったり、組織を改革することはないだろう。せいぜい酒場で他人の悪口を言うのが関の山だ。

 官僚組織の複雑さを初めて知った。野間崎は役職が竜崎よりも上だがノンキャリアだ。キャリア組も同様で役職よりも入庁年度がものを言うらしい。

 もちろん竜崎一人が頑張ったところで警察組織が変わるはずもない。だが署内は確実に変わってゆく。

 捜査が差し迫ってゆく中で竜崎の妻が倒れる。ラストシーンでやり取りされる夫婦の会話が短篇小説のように味わい深く、静かな余韻を響かせる。

2018-10-22

真のエリートとは/『隠蔽捜査』今野敏


『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤

 ・真のエリートとは

『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花 隠蔽捜査9』今野敏
『惣角流浪』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 東大以外は大学ではない。それは実を言うと竜崎自身の考えというよりも、省庁の考え方だ。
 毎年国家公務員I種試験の合格者が省庁詣でをする。人気の高い省庁の側では、すでに対応は決まっている。どんなに試験の成績がよくても、私立大学や三流大学の卒業生は取らない。人気省庁にとって、大学というのは東大と京大しかないのだ。

【『隠蔽捜査』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)以下同】

 主人公は警視庁のキャリア官僚という毛色の変わった警察モノだ。役所と聞けば「融通が利かない」との答えが導かれる。竜崎は原理原則に忠実な堅物で節を枉(ま)げることがない。それは「決まりだから」という言いわけによるものではなく、原則が合理性に基づいているとの信念からである。時を経て信念は生き方そのものになっていた。

 彼の判断が厳しく感じるのは、我々が情に傾き理を侮っているためか。竜崎は周囲や家族に対して情け容赦がなかった。そして自分自身にも。

 それまで顧みることがなかった家庭が揺れる。大学浪人の一人息子がトラブルを起こしたのだ。

「それって何だ?」
「自分が正しいと思っていることを、家族に押しつけてんだよ」
「これ以上に正しいいことがあるか? 官僚の生活というのはこういうものだ。父さんなんてまだましなほうだ。財務省や外務省の高級官僚は、それこそ週に何日も家に帰れないんだ」
「だから、俺は嫌だったんだ」
「何がだ?」
「東大に入って、官僚になるという父さんの押しつけが、だ。俺、そんな人生、まっぴらだ」
「おまえは、何年生きた?」
「18年だ。子供の年も覚えていないのかよ」
「父さんは、46年だ。若い頃は全国を転々として見聞も広めた。おまえとは人生経験が違う。どちらの判断が正しいと思う?」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「俺の人生は俺のものだってことだ」
 竜崎は、この陳腐な言い回しに、またしてもあきれてしまった。
「そんなことはわかりきっている。だから、若いうちに可能性を増やせと言っただけだ。官僚になるかどうかは、東大に入ってから考えればよかったんだ。別に官僚になることを強制したわけじゃない。いいか。東大には日本の最高の英知と技術が集中している。東大に入るだけで、できることが格段に増えるんだ。それを利用しない手はない」
「利用だって……?」
「そうだ。おまえの人生はおまえのものだと言った。ならば、その人生のためにあらゆるものを利用しないと損じゃないか。利用するなら、最高のものを利用したほうがいい。東大はそのための一つの条件に過ぎない。だが、その条件すらクリアできないで、人生、好きに生きたいなどと言っているのは、所詮、負け惜しみに過ぎないじゃないか」
 邦彦は、ぽかんとした顔で竜崎を見ている。何も言い返せない様子だ。

 これは大衆とエリートとの対話だ。竜崎の言葉は常に単純なため時に誤解を生む。ところが彼の言い分には明確な目的意識があった。

 省庁が「東大以外は大学ではない」と考えるのも一つの見識なのだろう。そんな彼らが仕える政治家の多くが東大出身ではない。ネット上で元官僚の人物が安倍首相の学歴を嘲るのを見たことがある。で、その元官僚はといえば、全く売れない本を上梓しながら糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだ。学歴至上主義は知性を野蛮な性質に変える。しかも、よくよく見つめればそれは知性というよりも記憶力中心の学力に過ぎない。極論を述べれば、「東大生だけで、いざ戦争となった場合に勝てるかどうか?」まで考える必要があろう。

 偏屈な官僚が少しずつ魅力的な人間に変わってゆく。このシリーズで今野敏も化けたに違いない。思わず一気に全作を読破した。

 ここに描かれている真のエリート像を通して、日本型ピラミッド組織の脆弱さを思わずにはいられなかった。それを面白がって読む自分にも問題がある。竜崎は官僚の域を脱しておらず、武士道にまで至っていない。次の戦争の弱点が露(あら)わになっているような気がしてならない。

 かつて「近藤史恵は男が描けていない」と書いた(『サクリファイス』近藤史恵)。本書を読めばたちどころにその意味がわかるだろう。

2018-10-21

あらゆる国民が非人道的行為をした/『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄


『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『昭和の精神史』竹山道雄
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄

 ・あらゆる国民が非人道的行為をした

『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編

  I

 六百万分の一の確率
 私は拷問をした
 ジャングルの魂
 喫茶店の半時間
 最後の儒者

  II

 ゴッドの最初の愛
 狂信からの自由
 バテレンに対する日本側の反駁
 天皇制について

  III

 南仏紀行
 エーゲ海のほとり
 リスボンの城と寺院

 あとがき

【『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄(読売新聞社、1974年)以下同】

 何とはなしに1970年代のベストセラーを調べてみた。

1970年代 ベストセラー本ランキング | 年代流行

「1970年代半ばから続いた『雑高書低』と呼ばれる状態」があった(日本経済新聞 2016/12/26)。出版販売額は1996年をピークに下降線を辿っている(日本の出版統計|全国出版協会・出版科学研究所)。いわゆる出版不況だ。人が一日に読む活字の量はある程度決まっているため、インターネットに奪われた格好だ。

 1970年代といえば進歩的文化人がでかい顔をして学界やメディアを取り仕切っていた時代である。今読むと笑ってしまうよな文章が多い。今日読んだ本だと「政治実践」とか「歴史への参加」などといった革命用語(?)がゾロゾロ出てくる。

 竹山道雄の文章は不思議なほど古さを感じない。問題意識の深さが現代にも達しているからである。つまり第二次世界大戦で露見した人類の問題は今尚解くに至ってないのだ。

 私は人を拷問したことがある。自分で手を出したわけではないが、もしその事件の責任者を問われれば、それは私だった。そして、異様なことだが、他人が苦しめられているのを見ているあいだ、私は悪が行われているという罪責感をもたなかった。
 最近に「追求」という、アウシュヴィッツでの残虐行為者をドイツ人みずからが裁判した、その実録を劇化した芝居を見た。被告たちは罪責感をもっていない。ナチスがユダヤ人のみならず、ポーランド人や最下級のジプシーまで、「劣等人種」を掃滅しようとしてそれを実行した人々は、たとえばアイヒマンのように罪悪感をもっていない。そしてドイツ人だけではなく、あらゆる国民がつねに多少なりとも非人道的行為をした。まったく潔白な国民はいない。西欧的ヒューマニズムの本家と自他共に認めているフランス人も、解放の時期やアルジェリアでは狼藉をはたらいた。前者についてはできるだけ語られないでいる。後者についてははじめのうちはただアルジェリア人側の残虐行為のみが報道されていたが、やがていよいよアルジェリアを独立させる方針が決ったからであろう、マルロー文化相の許しによって、一人のアルジェリア娘の手記が本になり、有名な画家(ピカソ?)の装幀に飾られて、ひろく読まれた。その娘の父も独立運動者として捕えられ、フランスの憲兵によって拷問された。「人体のもっとも敏感な部分」に電流をかけられ、苦しみのあまり「すこしは人道(ユマニテ)を――」と憐みを乞うた。フランス兵たちは「回教徒に対してはユマニテは不必要だ」と、拷問をつづけた。娘は裸にして吊され、水槽については引き上げられた。フランス兵たちはビールを呑みあおりながら追求をしていたのだったが、「ビール瓶の口で彼女の処女性をやぶった」
 このような乱暴が行われたのには、人間に潜んでいる獣性とかサジズムとかがはたらいたのだろうし、その場の群集心理もあったのだろう。しかし、人間はいったん他者に対して敵意や憎悪をもつと、相手は抽象的な「悪」に化してしまって、それに対する人間的な感情移入が断たれてしまうのではなかろうか。それであのようなことが起こるのではあるまいか。親衛隊の士官たちはガス室のすぐ近くに普通の家庭生活をして、モーツァルトの音楽をたのしんでいた。ある収容所の指揮官が残虐行為の故に告訴されると、友人たちは驚いて、「彼は慈悲ぶかい男で、田舎道を歩くときには、カタツムリなどを踏み殺さないようにと、注意ぶかくガニ股で歩きました」と懇願した。(「私は拷問をした」)

「あらゆる国民が非人道的行為をした。私もその一人である」との告白である。ハンナ・アーレントはアイヒマンの公開裁判を全て傍聴し、その無思想性を「悪の凡庸さ」と指摘した。大量虐殺を推進したアイヒマンの正体は職務に忠実な小心者の公務員だった(『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』1969年/1963年『ザ・ニューヨーカー』誌に連載)。時を同じくしてスタンレー・ミルグラムがアイヒマン実験の論文を発表した。尚、アイヒマン実験から派生したスタンフォード監獄実験(1971年)はアーレントの著書から考案されたもの。最近になってヤラセ疑惑が浮上している(スタンフォード監獄実験は仕組まれていた!?被験者に演技をするよう指導した記録が発見される : カラパイアスタンフォード監獄実験、看守役への指示が行われていたことを示す録音の存在が明らかになる | スラド サイエンス)。映画化したのが『es〔エス〕』で、同様の心理状況を描いたものに『THE WAVE』がある。

 竹山が行った拷問は私に言わせれば他愛ないものである。戦時中、旧制一高の寮に連続して泥棒が入った。ある晩、遂に捕まえたのだが中々白状しない。そこで居合わせた連中でしたたかに殴りつけた。泥棒はやっと罪を認めた。謂わば日常の延長線上にある小さな暴力である。ところが竹山はホロコーストの芽をそこに見出す。泥棒をとっちめることは倫理的に許される。とすれば「相手を殺す正当な論理」さえ編み出せば大量虐殺は可能となる。

 例えば中国や韓国では反日教育が行われているが幼い頃から憎悪を植え付ける営みは、日本人を大量虐殺する可能性を開くことに通じる。日本に対する戦争準備ともいうべき教育を行う国に惜しみなくODA(政府開発援助)を施す日本政府の方ががどうかしているのだ。しかもそのODAが日本の親中派政治家に再分配されている実態がある。

 竹山の随想は極めて内省的なもので読者に対してある考えを強要する姿勢は全くない。ただし私はここで巷間、左翼活動家が繰り広げるポリティカル・コレクトネスについて一言付言しておきたい。

 当たり前だが日本人にも差別感情はある。現代でも部落出身者や朝鮮人に対する蔑視は確かにある。戦時中は多くの日本人が中国人を馬鹿にしていた。しかしながら日本に奴隷が存在しなかった事実をよくよく弁える必要があろう。日本人は外国人を「人間ではない」と考えたこともなければ、外国から多くの人々を奴隷労働者として輸入することもなかった。そもそも奴隷文化はヨーロッパの家畜文明から生まれたものだ。

 また割譲された台湾や、併合した朝鮮においても、日本は本国以上に力や資本を注いで発展に務めた。皇民教育はやや行き過ぎの感があるが、それでもホロコーストと比べればさしたる問題ではない。これに対して西洋白人の植民地はただ削除される対象でしかなかった。

 戦後、欧米で日本軍の残虐さが流布したのは、飽くまでもナチスと同列に持ってゆくためであり、更には戦闘員でもない婦女子を殺戮したアメリカ軍の非道(原爆ホロコースト、東京ホロコースト)を隠すためであった。南京大虐殺も原爆死者とバランスを取るために30万人とされている。

 日本人は敗戦の原因を探ることもなく、敗戦後になされたマインドコントロールを自覚することもなく、安閑として平和を享受してきた。いつになったら眠れる精神が目覚めるのか。目覚めた人々は竹山の問いを受け継ぐべきであろう。

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竹山道雄を再読しよう 「乱世の中から」 竹山道雄評論集を読みつつ思う: 橘正史の考えるヒント

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