2018-11-30

外務省の極秘文書『日本外交の過誤』が公開/『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一


 ・外務省の極秘文書『日本外交の過誤』が公開

『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 やがて元勲たちが国政の表舞台から退き、軍人がわが世の春を謳歌する時代となるにつれて、外務省は軍部追随の色彩を徐々に強めていく。この間の事情を最もよく物語っているのは、外務省資料『日本外交の過誤』である。
 2003年4月、外務省は極秘文書『日本外交の過誤』の秘密指定を解除し、これを公表した。これは1951年に作成された外務省の文書であるが、吉田茂総理の命により、課長クラスの若手省員が精力的に作業を行い、満州事変から敗戦までの日本外交の過誤を洗い出し、後世の参考にせんとして作成したものである。この資料の本体は、膨大な作業の結論としてまとめられた、50ページ程度の『調書』であるが、これに加えて、『調書』についての堀田正昭、有田八郎、重光葵、佐藤尚武、林久治郎、吉沢謙吉ら、先輩外交官や大臣の所見(インタビューでの談話録)および省員の批評があり、これも付属文書(以下においてはこれを『所見』と記すことにする)として公開された。さらに、『調書』作成の基礎となった259ページに及ぶ『作業ペーパー』が残されており、これは『調書』『所見』からは1年以上遅れて、2004年6月に公表された。こうして『調書』『所見』『作業ペーパー』の3点セットが2004年には完全に揃うこととなった。これらの資料は、満州事変以降、終戦に至る日本の対外政策を考える上で、よりどころとなる貴重な手がかりを与えている。

【『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一(勁草書房、2005年)以下同】

『植民地残酷物語』で山口洋一は竹山道雄を引用していた。そして本書では岡崎久彦を引用している。竹山道雄~山口洋一~岡崎久彦という流れが今年の読書遍歴の中軸を成した。本物の知性は良識に支えられている。学者は専門知識に溺れて世間を侮る。そして知らず知らずのうちに社会から離れてゆく。彼らが語る死んだ知識は生きた大衆の耳に届かない。山口は外交官、岡崎は外務官僚、竹山は文学者である。彼らは自分の専門領域を超えて歴史に着手した。実務経験に裏打ちされた確かな眼が人間の姿をしっかりと捉える。更に歴史と人間の複雑な絡み合いやイレギュラーをも見据えている。

 元勲たちに代わって登場してきたのは、陸軍大学校、陸軍士官学校、海軍大学校、海軍兵学校などで教育を受けた軍事エリートたちだった。明治になってからの、こうした軍の高等教育機関は、欧米列強の軍事れべるに追いつかねばならないという焦りから、目先のことに役立つ軍事教育に専念するようになった。政戦合わせた国家戦略を構築するというステーツマンとしての教育はなおざりにされ、国家経営のジェネラリストではなく、軍事に特化したスペシャリストを育成したのである。そしてこのような軍事スペシャリストが徐々に国家の枢要ポストを占めるようになる。

 武士から明治維新の志士を経て国士となったのが元勲である。明治開国で不平等条約を結ばされ、治外法権を受け入れた日本がステーツマン(見識のある政治家)やジェネラリスト(広範な分野の知識・技術・経験をもつ人)を育成する余裕はなかった。半植民地状態を脱するには廃藩置県によって誕生した国軍を強化する他ない。富国強兵・殖産興業は国家としての一大目標であった。惜しむらくは大正デモクラシー後に政党政治が育たなかったことである。

 山口の文章には日本から武士が滅んでしまった歴史への恨みが滲み出ている。もはや国士も見当たらない。ステーツマン・ジェネラリストであるべき官僚は省益のために働くサラリーマンと化してしまった。国が亡びないのが不思議なくらいだ。きっと人の知れないところで日本という国家を支えている人々が存在するのだろう。

 外務省資料『日本外交の過誤』には伏線があった。

 しかし、人間でも国家でも失敗の経験というのは貴重なものである。大失敗などめったにするものでもないし、またすることが許されるわけでもないのだから、ここから教訓を学びとらない手はない。
 ところが、戦後の史観は、真珠湾攻撃が悪かったというだけならまだしも、統帥権(とうすいけん)の独立があったから、さらには明治憲法があったから、しょせん日本は滅びたということで、あれだけ全国民が全身全霊で打ち込んだ大戦争をしながら、そこから具体的な教訓を得ようという姿勢に乏しかった。
 じつは敗戦直後、天皇は東久邇宮成彦〈ひがしくにのみや・なるひこ〉総理に対して「大東亜戦争の原因と敗因を究明して、ふたたび日本民族がこういう戦争を起さないようにしたい」とのお言葉があり、幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉内閣も敗戦の原因究明こそ日本再建にとって最重要課題の一つと考えて、昭和20年12月20日に戦争調査会が設置され、幣原自身が会長となった。ところが昭和21年7月、対日理事会でソ連代表が、会に旧軍人が参加していることを理由として、これは次の戦争に負けないように準備しているのだと非難し、英国もこれに同調した。当時の吉田茂総理からマッカーサーの了承を得ようとしたがそれも失敗し、幣原の憤懣(ふんまん)のなかで廃止された経緯がある。この作業がきちんと行われていれば、日本もあの戦争から多々教訓を学びえたはずであるが、もうその後は占領軍の言論統制のなかで、日本の過去はすべて悪だったのだから、戦略の是非など論じるのはおこがましい、極端な場合は「むしろ負けてよかった」というような史観だけが独り歩きすることとなった。

【『重光・東郷とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、2001年)/PHP文庫、2003年】

 偶然にも先ほど読んだ箇所に出てきた。読書の醍醐味は知識と知識がつながり、人と人とがつながるところにある。敗戦はつくづく残酷なものだ。日本は反省する機会すら奪われたのだから。しかしながら敗戦から半世紀を経て近代史を見直す動きが現れたことは日本人の魂がまだ亡んでいなかった証左といえよう。

 老人が生活を憂(うれ)えるのは構わない。若者であれば貧しくとも国家を憂(うれ)えよと言いたい。一身の栄誉など踏みつけて国家の行く末を案じるべきだ。

敗戦への三つの“思いこみ”―外交官が描く実像
山口 洋一
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重光・東郷とその時代 (PHP文庫)
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戦争調査会 幻の政府文書を読み解く (講談社現代新書)
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2018-11-29

ジム・キャリー「全てとつながる『一体感』は『自分』でいる時は得られないんだ」



 悟りには段階がある(『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃)。四向四果(しこうしか)だと預流果→一来果→不還果→阿羅漢果で完成となる(藤本晃)。

 悟りを説明することに意味はあるのだろうか? ないね。ちっともないよ。むしろ説明することによって悟りは知識の範疇(はんちゅう)に押し込められる。レシピ本を読んで料理を語ることはできても決して満腹にはならない。

 知識や考え方、概念から離れるのが悟りである。いかに努力を積み重ねても自分の価値観を変えることは難しい。努力の過程そのものに自分の価値観が入っているためだ。すなわち悟りは努力の果てに得られるものではない。悟りを「理想」と捉えるのも誤っている(『自由とは何か』J・クリシュナムルティ)。

 例えば宮崎哲弥の該博な知識や頭のよさに唸(うな)らされることはあっても、そこに悟りの明晰さは見られない。通説の経・論・釈(経典・論書・釈書)にこだわるつもりはないが次元の違いを見極める必要がある。

 人類にとって最大の問題は悟りを社会に展開できるのかどうかだ。政治・経済は差別の世界である。軍隊を持たぬ平和主義は脆弱(ぜいじゃく)だ。チベットは中国に侵攻され、いまだ独立がかなわない。もしも国民全員が悟った国があったとすれば直ちに隣国から攻撃されることだろう。人類史上最も攻撃的なキリスト教白人が帝国主義以降の世界をまだ牛耳っていることからも明らかである。

2018-11-26

人生を変える発見/『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 ・自己治癒コンクリート
 ・人生を変える発見

『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン

必読書リスト その三

 そのあと書類に記入する段になったとき、隣に座っていた両親が心配そうに、私が何を躊躇しているのかといぶかった。自分の名前と住所を忘れでもしたのか? 実は1枚目の上部に止(ママ)められていたステープラー(ホチキスなどの閉じ〈ママ〉金)の針に目を奪われはじめていたのだ。これも鋼鉄でできているに違いない。一見何の変哲もないこの銀色の金属片は、手際よく正確に紙を貫いている。書類は裏返してみると、針の両端をきれいに揃えて折り曲がり、数枚の用紙をきつく抱きかかえて束ねている。宝石職人もこれほどうまくはできないはずだ(あとで知ったことだが、最初のステープラーはフランス国王ルイ15世のために手づくりされたもので、針1本1本に記章が刻まれていた。王侯の血が流れていたとは誰が想像しただろう?)。私が「なんとも美しい」と言って指さすと、両親は不安げに顔を見合わせ、この子はノイローゼになったに違いないと思った。
 実際そうだったのだろう。何かとても奇妙なことがはじまったのは確かだ。あれは私の材料に対する執着が生まれた瞬間だった――鋼鉄を手はじめに、私は突然、どこへ行っても鋼鉄の存在にめざとく気づくようになった。あなたも意識して探せば気づくはずだ。鋼鉄は、警察で書類の記入に使っていたボールペンの先にあった。落ち着かない様子で待つ父のキーホルダーでじゃらついて、私をせかした。そのあと、私を中に入れて家まで連れ帰った――葉書ほどの厚みの層として車の外部を覆って、変な話だが、いつもならうるさいとしか思わないわが家の鋼鉄のミニ(MINI)が、その日はつとめて神妙に平謝りしているように感じた。家に着くと、私は台所のテーブルで父と並んで座り、母のつくったスープを黙って食べた。ふと、食器を持つ手が止まった。自分が鋼鉄を口に含みさえすることに気づいたのだ。そこで、食べるのに使っていたステンレスのスプーンを意識してなめ、口から出して光沢のある外観をしげしげと眺めた。表面はぴかぴかで、自分のゆがんだ顔がスプーンのくぼみに映る。私は「この材料、何?」と言って父に向かってスプーンを振り、「それに、味がしないのは何で?」と尋ねると、確かめるために口の中に戻して熱心になめまわした。
 それをきっかけに膨大な数の疑問が沸(ママ)いてきた。自分たちのために大活躍しているこの材料を、私たちはどうしてほとんど話題にしないのか? 鋼鉄とは暮らしのなかでずいぶん親しくしているのに、口に含むし、余計な髪を切るのに使うし、乗り込んで走り回ったりもする。いちばん信義に篤い友人なのに、その性質の出自についてはほとんど知らない。なぜカミソリの刃は切れ、ゼムクリップ(ペーパークリップ)は曲がるのか? そもそもなぜ金属には光沢があるのか? さらに言えば、なぜガラスは透明なのか? なぜ誰もがコンクリートを嫌ってダイヤモンドを好むのか? そして、なぜチョコレートはあれほどおいしいのか? どんな材料についても、なぜそれぞれの外見と振る舞いを見せるのか?

【『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク:松井信彦訳(インターシフト、2015年)】

 著者のマーク・ミーオドヴニクが若い頃、暴漢にカミソリで襲われた事件のエピソードである。彼はまず薄いカミソリの刃が重ね着していた5枚の衣服を貫いたことに心底興味を抱いた。押収された証拠品を眺めながら彼は忽然(こつぜん)と「鉄」を発見した。それは人生を変える発見だった。「見る」ことは「感じる」ことでもあった。そして「感じる」ことが「観じる」ことに戻り現在世が押し拡げられる。「先が見えない」状況は未来への展望に固執するあまり、現在性が見えなくなっているところに問題があるのだろう。一つの発見が次の発見につながり、豊かな世界に気づく様が生き生きと描かれている。

 鉄の他には紙、コンクリート、チョコレート、フォーム(泡)、プラスチック、ガラス、グラファイト、磁器、インプラントが取り上げられている。どれ一つとして私の興味を掻き立てる物はない。ところがマーク・ミーオドヴニクという人間を通すと色とりどりの鮮やかな世界が見えてくるのだ。我々の身の回りに存在するありふれた何の変哲もない物が実は科学技術の粋を凝らした製品なのだ。

 松井信彦の翻訳はこなれているのだが誤字が多い。このテキストでいえば、「止められて」→留められて、「閉じ金」→綴金、「沸いて」→湧いて、と三つもある。以前は出版社に直接教えてやったのだが、年を取ると面倒になってきてやめた。これは翻訳者というよりもインターシフト社の校正に責任がある。私は小学生の時分に新聞の誤字・誤植を見つけてからというもの誤字にはうるさいのだ。

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2018-11-25

ドイツ経済を見事に立て直したヒトラー/『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出

 ・ドイツ経済を見事に立て直したヒトラー

『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

必読書リスト その二

 ヒトラーが政権を取ったとき、ドイツは疲弊しつくしていた。
 第一次世界大戦で国力を使い果たした上に、多額の賠償金を課せられた。ようやく復興しようとした矢先に世界大恐慌に襲われた。ドイツという国はボロボロの状態になっていたのだ。
 しかし、ヒトラーが政権を取るや否や、経済は見る間に回復し、2年後には先進国のどこよりも早く失業問題を解消していたのである。
 ヒトラーの経済政策は失業解消だけにとどまらない。
 ナチス・ドイツでは、労働者の環境が整えられ、医療、厚生、娯楽などは、当時の先進国の水準をはるかに超えていた。
 国民には定期的にがん検診が行なわれ、一定規模の企業には、医者の常駐が義務づけられた。禁煙運動や、メタボリック対策、有害食品の制限などもすでに始められていた。
 労働者は、休日には観劇や乗馬などを楽しむことができた。また毎月わずかな積み立てをしていれば、バカンスには豪華客船で海外旅行をすることもできた。
 思想的な是非はともかく、経済政策面だけに焦点を当てた場合、ヒトラーは類(たぐい)まれなる手腕の持ち主ということにいなるだろう。
 ドイツ国民も、ヒトラーやナチス・ドイツに対して決して悪い印象を持ってはいなかった。

【『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘〈たけだ・ともひろ〉(祥伝社新書、2009年)】

 ユダヤ人はロシアを含むヨーロッパで長く虐げられてきた。反ユダヤ主義は新約聖書に始まる。虐殺は幾度となく繰り返されてきたがナチスによる虐殺はスケールが異なった。ユダヤ人がまともな人間として扱われるようになったのは国民国家が誕生したフランス革命以降のことである。彼らはヒトラーを絶対悪と規定することでユダヤ人差別の解消に成功した。更に金融・メディアを牛耳ることで世界経済に影響を行使し得る権力を獲得した。イスラエル建国に際してはロスチャイルド家が資金提供し、ユダヤ人の帰国事業をプロデュースした。

 民主政を善とする現代の常識からすれば独裁者は悪となるわけだが決してそう単純な話ではない。開発独裁という言葉が示す通り、経済発展が未熟な国では安定した政権運営のために独裁が正当化されることがある。所詮政治システムの違いでしかない。人類の歴史を振り返れば独裁や専制の方が長い。民主政が碌(ろく)でもない制度であることは大東亜戦争前の日本が既に証明している。日本は世論に押され、新聞に煽られて戦争への道を走った。これは日清・日露戦争から続く伝統である。

 また普通に考えても平時は民主政でよいが、戦時は独裁色を帯びることを避けられない。更に満州事変における関東軍の戦闘は暴走に思えても、『沈黙の艦隊』の海江田四郎艦長は英雄的行動に見える。結局のところ中身が問われているわけだ。

 第一次世界大戦に敗れたドイツは莫大な賠償金を背負わされた。税収の十数年分といわれる賠償金を支払えるわけがなく、ドイツは行き過ぎた金融緩和によってハイパーインフレに襲われる。物価は1兆倍にまでなった。この状況を果たして民主政で解決できるだろうか? 無理だね。断じて無理だ。むしろ無気力となった大衆が「私に任せよ!」という独裁者を待望したことは容易に想像できる。困った時に英雄を恃(たの)むのが大衆心理である。

 複雑系科学の視点からすれば「歴史を変えた英雄」は認められない。つまりヒトラーは要素の一つであってその背景にはドイツ国民の熱力学的なエネルギーが存在するのだ(『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン)。

 具体的にドイツ経済を復興させたのはヒャルマル・シャハト経済大臣の功績だ。彼は反ユダヤ主義者ではなかったという。

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)
武田 知弘
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