2020-02-24

名言+偉人=伝説/『ルターのりんごの木 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』M・シュレーマン


自分は今日リンゴの木を植える

 ・名言+偉人=伝説

 今やまさに50年代以降のあの最初の確かな典拠の場合、いったい問題になるのは何であろうか。その典拠は、カール・ロッツ(ヘルスフェルト)が書いた1944年10月5日付で、クーアヘッセン州ヴァルデックの告白教会の親しい人びとに宛てた、タイプライターで打たれた内輪の回状の中にある。それは次のような言葉で終わる。

「どうぞ、われわれの国民の緊迫した状況に直面して書かれたわたしの手紙を不愉快に思われませんように。われわれはおそらくルターの言葉に従わなければなりません。すなわち、『たとえ明日世界が滅びようとも、われわれは今日りんごの木を植えようではないか』」。

【『ルターのりんごの木 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』M・シュレーマン:棟居洋〈むねすえ・ひろし〉訳(教文館、2015年)以下同】

 私が30年前に知ったのは「たとえ明日世界の終わりが来ようとも今日私はオレンジの木を植える」という言葉だった。新聞では「中東の格言」と紹介されていた。台風で青森県のリンゴ農家が被害を受け、機転を効かせた人物が受験生向けに「落ちないリンゴ」を売り出したことが話題になっていた。数年後、インターネットで調べたところコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウの言葉であることが判った(『第二のチャンス』)。ところが話はここで終わらない。ゲオルギウはルターの言葉として引用したのだが、寺山修司が『ポケットに名言を』で「ゲオルギウの言葉」としてしまい誤解が広まる。更に高木彬光がリルケの言葉として紹介する(「たとえ世界の終末が」の言葉)。まるで伝言ゲームさながらである。

「史料状況からすると、りんごの苗木の言葉の歴史の起源は1940年代でなければならない」とする著者はベストセラーの影響も見逃せないと指摘する。

「ひとりの著名な人が言います。『たとえ私が明日世界が滅びることを知ったとしても、わたしは今日それでもなおわたしのりんごの苗木を植えるであろう』と。神によって安らぎが与えられた心は、将来を問いません。その心は将来を左右する何の力も持たず、その日必要なことをします」。

 レナーテ・(フォン・デア)ハーゲン著『火の柱』(1947年刊行、9版5万6000部発行)の一文だ。

「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」――帯文を見ただけで翻訳の悪さがわかる。「たとえ明日世界が」と来れば「今日私は」とするのが当たり前だろう。翻訳は通訳と翻案の間に位置するものだが高度なセンスが問われる。

 名言が偉人と結びつけられて伝説が生まれる。印刷技術が発達した現代ですらそうなのだから文字のない時代はもっとでかい間違いがあったことだろう。ブッダやイエスにまつわる物語は創作と割り切るのが賢明だ。

 俗に「嘘も方便」という。個人的にはブッダが嘘を吐(つ)いたとは思えぬが大衆には嘘を許容する精神性があるのだろう。結果オーライという単純な指向(あるいは嗜好)に世俗の浅はかさが垣間見える。

 文字以前の時代を生きる人々は我々が想像する以上に記憶力が優れていたことだろう。中でも特段に優れた少数の人がブッダや孔子の言葉を編んだのだろう。しかし必ずいい間違えはあったはずだし、聞き間違えはもっとあったはずだ。まして文脈を読み誤れば言葉は正反対の意味すら持つ。

 経典主義・聖典主義に宗教の限界がある。人の心は言葉に収まるものではない。真理は言葉や数式の彼方にある。

2020-02-23

武士の美学が鉄砲を斥けた/『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン


『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

 ・武士の美学が鉄砲を斥けた

『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳
『逝きし世の面影』渡辺京二
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 長篠の合戦信長が勝利をおさめたのち半世紀は、火器の使用が日本で最高潮に達した時代である。火器の使い方を知らねば、兵隊にはなれなかった。しかし同時に、火器に対する最初の抵抗も強まった。なぜなら、この新式の兵器が優れいたがために、武器の使い手の技量が従来ほどに問われなくなったからである。長篠の合戦以前にあっては、日本の合戦は、通常は相当数にのぼる一騎打ちと小ぜり合いとであった。鉄砲隊でなければ、互いに名乗りをあげたあと、一騎打ちとなった。こうした戦いぶりにあっては、それに加わった人数だけの武勇伝を生む。それは一種の道徳性さえともなっていた。というのは、一人一人の運命は自分の能力や鍛錬次第で大きく左右されたからである。むろん甲冑も重要であった。防御用の武具はことに重要なものと考えられた。ジョージ・ストーンは「日本人はさまざまな鎖かたびらを製作し、その数は世界中の鎖かたびらを合わせた数よりも多い」と述べている。そして立派な出来栄えの武具は讃嘆のまととなった。1562年の合戦〔鴻台(こうのだい)の合戦〕の古い物語のなかに近代広告として読んでも十分通じる出来事がある。太田資正〈おおた・すけまさ〉という武将が二度の深手をすでに負わされたあと、敵の清水某なる武士と一騎打ちとなった。
「太田資正に襲いかかった武士は名うての豪傑として知られ、いまや傷を負いすっかり疲労困憊していた資正を投げとばし、首級をあげんとしたところ、首が切れなかった。これを見てとった太田資正は、怒りに眼をかっと見開き、こう叫んだ、『うろたえたか。拙者の首には喉輪(のどわ)がかかっておる。喉輪をとれ。しかる後に首を落とせ』と。
 清水はこれに答えて、『ご教示かたじけない。あっぱれなる死に際、感じ入って候』。しかるに、まさに清水が喉輪をはずだんとする刹那(せつな)、太田資正の家来が飛びかかって清水をなげ倒し、主君を敵の手から助け出して戦場からとってかえし、事なきをえた」という。
 こうした出来事は、火縄銃を用いた大合戦では、めったに起こらない。目標を定めた一千発の一斉射撃は、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)していようが泰然自若(たいぜんじじゃく)としていようが、敵とあれば見境いなく、相手を声も届かぬ離れた地点から撃ち殺した。鉄砲に立ちむかう場合、勇敢さはかえって不利になり、攻守ところを変えて自分が鉄砲隊となると、もはや相手の顔かたちは見分けがつかなくなったであろう。その場合、鉄砲隊何千の一員として、攻撃をしかけてくる敵を掃討するべく土塁の背後で待ちかまえておればよいわけだ。それには大した技術もいらない。技量が問われるのは、今や兵士ではなく、鉄砲鍛冶と指揮官たる者に変わったのである。織田信長の鉄砲隊が、本来の武士というよりも、農民もしくは郷士(ごうし)や地侍あがりのものであった、というのもそのためである。ともあれ、鉄砲をもつ農民が最強の武士をいともたやすく撃ち殺せることを認めるのは、誰にとっても大きな衝撃であった。
 その結果、長篠の合戦後まもなく、鉄砲に対する二つの違った態度が現われはじめた。一方で、鉄砲は、遠く離れた敵を殺す武器としてその優秀性をだれにも認められるところとなり、戦国大名はこぞってこれを大量に注文したのであった。少なくとも鉄砲の絶対数では、16世紀末の日本は、まちがいなく世界のどの国よりも大量にもっていた。他方で、正真正銘の軍人すなわち武士階級の者はだれもみずから鉄砲を使おうとする意思はなかった。かの織田信長でさえ、鉄砲をおのれの武器としては避けた。1582年信長は、死を招いた本能寺の変で、まず弓を用い、弦が切れたあとは槍で闘ったと言われる。その翌年、大砲で約200名の兵隊が死んだ合戦で、手柄ありとされた10名ばかりの武勲者は刀と槍で闘った者である。
 武士の戦闘は刀、足軽のそれは鉄砲という分離は、もちろん、うまくいくはずのものではない。

【『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン:川勝平太〈かわかつ・へいた〉訳(中公文庫、1991年/紀伊國屋書店、1984年『鉄砲を捨てた日本人』改題)】


 武士の美学が鉄砲を斥(しりぞ)けたとすれば、鉄砲での殺傷を彼らは「卑怯」と憎んだのだろう。そこにあるのはフェア(公正)の精神だ。銃を持てば中学生でも宮本武蔵に勝つ可能性がある。どう考えてもおかしい。何がおかしいかを考えるのも厭(いや)になるほどおかしい。ところが武器の進歩はどんどんおかしな方向に遠慮なく進んだ。鉄砲→機関銃→ロケット弾→原子爆弾と。武器の産業革命といってよい。殺傷までもが効率化・最大化を目指す。

 日本が中世において世界最大の軍事国家であったことを知る人は意外に少ない。私が知ったのも最近のことである。江戸時代のミラクル・ピースを支えたのが「鉄砲を捨てた」決断であったことは確実だ。ただしその平和はマシュー・ペリー率いる黒船の砲艦外交で止(とど)めを刺された。

 アングロ・サクソンの侵略主義もそろそろ年貢の納め時だろう。歴史は緩やかに大河のごとくうねる。ノエル・ペリンは「鉄砲を捨てた日本人に倣(なら)えば人類は核爆弾を捨てることも可能だ」と説く。そこからもう一歩進めて「軍備増強が損をする」経済状況にまで高めるのが望ましい。日本の伝統と文化にはその最大のヒントがある。

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2020-02-20

国民の血税を中国に貢ぐ沖縄/『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一

 ・中国帰化人の子孫たちが沖縄の親中政策を推進
 ・国民の血税を中国に貢ぐ沖縄

『北海道が危ない!』砂澤陣
・『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』篠原常一郎、岩田温
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『実子誘拐ビジネスの闇』池田良子
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介

必読書リスト その四

 沖縄県と福建省との関係も深化していく。1997年(平成9)9月、沖縄福建友好県省が締結された。
 大田昌秀知事時代の94年(平成6)10月には、沖縄県と福建省政府が福州市内に建設する共同ビル「福建・沖縄友好会館」の起工式が行われた。この計画を推進したのが吉元政矩〈よしもと・まさのり〉副知事(当時)である。吉元氏は日頃、「私のルーツは福建省」と自慢げに語っていた。
 同会館建設計画書の冒頭に、こういう文言がある。
〈福建省と沖縄は過去600年にわたる長い歴史がある。かつて琉球王朝時代、我々は福建省を始め中国から幾多の恩恵を受けてきた。(中略)歴史的に得てきた恩恵、昨今の福建省の沖縄に対する特別な配慮に対する県民の感謝の気持を表す施設として建設する〉

 同会館建設の協定書によれば、「総工費2億円、全額を沖縄が負担する」、地下2階地上12階建てのビルのうち「沖縄県は1階の一部分と、4階から7階までの永久使用権を有する」となっていた。
 吉元副知事は、総工費2億円のうち5000万円は県内企業が完成時に支払い、1億5000万円を県が着工前に支払うと県議会に説明し、94年10月の県議会に突然、補正予算としてこれを計上した。
 予算審議中、野党の自民党議員から追求された県執行部は、「(もし否決されれば)」国際信義上きわめて重大な問題が惹起される」と答え、この資金の監査要求に対しても、「外国には及ばない」と否定している。この問題を追求した議員が、現在の那覇市長・翁長雄志その人である。
 県議会はこうして補正予算をやむなく可決、同会館は着工した。
 ところが福建省側は完成予定直前の96年(平成8)2月頃より、突然、インフレによる建設コストの上昇、付帯設備の増設などを理由に追加出費を迫り、6月には「沖縄が応じなければ工事を中断する」として、一方的に工事中断を宣言してきた。そして97年(平成9)8月には、総工費が当初の2億円から9億円に跳ね上がった。県庁は交渉の末、合計4億円の追加出費を余儀なくされた。
 その間、県内で2紙合計90%のシェアを占める『琉球新報』と『沖縄タイムス』は中国礼賛ムードを醸成するとともに、社説で同会館建設推進を主張した。「福建との友好県に期待」(『沖縄タイムス』97年7月9日付)、「時には理屈抜きの友好」(『琉球新報』同年7月5日付)といった具合である。
 こうして98年(平成10)7月28日、「福建・沖縄友好会館」は完成した。しかし、当初、所有権を折半すると公言していた福建省政府は、完成直後、沖縄県庁にFAXを送り、沖縄側の所有権を全面否定したのだ。この直前、中国側はビルメンテナンス会社共同設立の誘いも行っていたが、沖縄県庁が拒否したことから、両者の関係は急速に冷却化していたのである。
 高率補助に慣れた沖縄県民は、県予算の執行状況をチェックする気概を持っていない。国の沖縄振興予算は97年度から基地対策もあって、右肩上がりで急上昇しており、98年度はピークの4713億円を記録していた(平成26年度は3460億円)。
 結局、沖縄県は国民の血税、5億5000万円を中国に貢いだのだ。

【『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉(PHP研究所、2014年)】

 洗脳とマインドコントロールの違いは強制性にある。洗脳は閉ざされた環境、体力や睡眠を奪うといった身体操作、何度も繰り返す質問などに特徴がある。朝鮮戦争の際に中国共産党が米兵に対して行ったのが嚆矢(こうし)とされる。洗脳のハードパワーに対してマインドコントロールはソフトパワーである。自主的に従わせるのがマインドコントロールで最新技術を広告業界が積極的に採り入れている。

 中国や韓国で行われている反日教育が洗脳かマインドコントロールかは意外と難しい問題だ。学校を閉ざされた環境と見ることも可能だし、中国の場合は国家ですら閉ざされている。教育現場で嘘を教え込まれた時に児童は反証できる材料を持たない。まして韓国は最高裁が嘘の歴史に基づく判決を下した(徴用工訴訟問題)のだから社会全体が嘘を基底にして成り立っている。そもそも中国と韓国は日本と戦争をしていないのだ。戦争をしたのは中華民国で現在の台湾である(戦時中の台湾は日本領土であった)。

 人間の脳は物語に支配される。人は合理性があるから納得するのではない。納得した論理に対して合理性を感じるのである。それゆえ納得してしまえば心から正しいと信じて魔女狩りを行い、黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺するのだ。ま、白人の合理性なんぞその程度の代物だ。

哲学は神学の婢(はしため)」であり、その婢の子がマルクス主義といってよい。もちろんルーツはユダヤ教にあるわけだが一神教由来の絶対性が吹かせた風は知識人をなぎ倒し、今も尚やむことがない。リベラルとは仮面をつけた左翼を表す言葉と心得るのが正しい。

 振り返れば第二次世界大戦でソ連に手を貸し、1970年代に入ると中国に歩み寄ったアメリカの罪は決して軽くない。21世紀前後の世界的混乱はアメリカの脇の甘さが招いたものだ。オバマ政権が一時的にせよG2構想に乗ったとすれば多極化の一翼を担うのは中国と認めたも同然だ。つまり日本は切って捨てられる運命にある。中韓による史実を捻じ曲げた歴史攻勢や、北朝鮮チュチェ思想が沖縄と北海道に浸透している実態がその証拠である。

2020-02-18

「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

 ・貨幣経済が環境を破壊する
 ・紙幣とは何か?
 ・「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン
 ・ミヒャエル・エンデの社会主義的傾向
 ・世界金融システムが貧しい国から富を奪う
 ・利子、配当は富裕層に集中する

・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『無税国家のつくり方 税金を払う奴はバカ!2』大村大次郎
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

必読書リスト その二

 フランス革命のスローガンである『自由・平等・博愛』は革命前からある言葉で、もとはフリーメーソンのスローガンにほかなりません。

【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年/講談社+α文庫、2011年)】

 悪夢の民主党政権で鳩山由紀夫首相は「友愛」を掲げた。祖父の鳩山一郎はフリーメイソンのメンバーだった(Wikipedia)。「フリーメイソンは、中世ヨーロッパの石工職人組合を祖にして生まれた秘密結社だが、その後、政財界や知識階級などのエリート達が集う、世界的な巨大組織に発展した」(ユダヤ=フリーメイソン説)。このくらいは大勢の人が知っていることだろう。

 フリーメイソンと陰謀がセットになっているのはその影響力の大きさによる。アメリカ合衆国大統領はジョージ・ワシントンを始めとする14人が会員だった。日本に縁のある人物だと黒船のマシュー・ペリーやダグラス・マッカーサーもフリーメイソンである。音楽界だとモーツァルト、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンなど。ボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなども派生団体である。

 プロビデンスの目や原型であるホルスの目などを調べてゆくと、キリスト教が古代宗教の寄せ集めであることまで見えてくる。


【ホルスの左目】プロビデンスの目とは?由来と解説、さらに企業ロゴや身の回りに隠されているものをまとめてご紹介【万物を見通す目】 – Gossip Repository

 かつてのフリーメイソンから宗教色を取り除いたのはフランス大東社で、石工(いしく)の職人団体から知識人の友愛団体へと変貌を遂げた。実は歴史の潮流がここから変わるのだ。ピーター・F・ドラッカーが唱えた「知識社会」の源流を見出すこともできよう(ドラッカーの父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった:『傍観者の時代』)。

 つまりだ、友愛団体となったフリーメイソンは超国家組織となって潰されたテンプル騎士団の生まれ変わりなのだろう。彼らは科学革命を背景に理神論を唱え、啓蒙思想を牽引し、フランス革命で近代の扉を大きく開いた。ナポレオン・ボナパルトもフリーメイソンの会員だった。

 国民国家となったフランスでユダヤ人は初めて国民として認められた。プロテスタントとは異なる第三の道が示されたわけだ。

フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令

 フランス市民革命は、アメリカ独立革命の影響が旧大陸に波及したものである。ユダヤ人にとっては、アメリカにユダヤ人も自由に活動できる「自由の国」ができた後、フランスで市民革命を通じて、ユダヤ人の解放がされることになった。
 フランスでは、早くからロックの思想が摂取され、急進化していた。また、18世紀後半のフランスでは、フリーメイソンが活動していた。絶対王政やカトリック教会を批判した啓蒙主義者、百科全書の編纂者等には、メイソンがいた。また市民革命の指導者には、多くのメイソンがいた。
 フランス啓蒙思想は、イギリス啓蒙思想を源流として発達した。その発達には、フリーメイソンの組織と活動が関係している。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、『百科全書』である。1751年に第1巻が刊行された『百科全書』は、イギリスのチェインバーズ百科事典のフランス語訳を、ドゥニ・ディドロが行ったことを契機とする。チェインバーズ百科事典は、編纂者も版元もフリーメイソンだった。ディドロは不明だが、盟友のジャン・ル・ロン・ダランベールはメイソンだった。百科全書派は、総じてメイソンの影響を強く受けている。

ユダヤ42~フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令 - ほそかわ・かずひこの BLOG

 ぶったまげた。こんなことは岡崎勝世ですら書いていない。近代の本質は「知識とマネー、そしてネットワーク」にあるのだろう。

「自由・平等・博愛」はフランスからカトリック色を漂白するための仕掛けか。この流れはアメリカに受け継がれ「民主政こそ正義」という概念に飛躍する。その後、フランスではドレフュス事件(1894年)が起こるのだがこれまた再考が必要だ。



フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
私の政治哲学 祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印:鳩山由紀夫
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠