・自分は今日リンゴの木を植える
・名言+偉人=伝説
今やまさに50年代以降のあの最初の確かな典拠の場合、いったい問題になるのは何であろうか。その典拠は、カール・ロッツ(ヘルスフェルト)が書いた1944年10月5日付で、クーアヘッセン州ヴァルデックの告白教会の親しい人びとに宛てた、タイプライターで打たれた内輪の回状の中にある。それは次のような言葉で終わる。
「どうぞ、われわれの国民の緊迫した状況に直面して書かれたわたしの手紙を不愉快に思われませんように。われわれはおそらくルターの言葉に従わなければなりません。すなわち、『たとえ明日世界が滅びようとも、われわれは今日りんごの木を植えようではないか』」。
【『ルターのりんごの木 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』M・シュレーマン:棟居洋〈むねすえ・ひろし〉訳(教文館、2015年)以下同】
私が30年前に知ったのは「たとえ明日世界の終わりが来ようとも今日私はオレンジの木を植える」という言葉だった。新聞では「中東の格言」と紹介されていた。台風で青森県のリンゴ農家が被害を受け、機転を効かせた人物が受験生向けに「落ちないリンゴ」を売り出したことが話題になっていた。数年後、インターネットで調べたところコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウの言葉であることが判った(『第二のチャンス』)。ところが話はここで終わらない。ゲオルギウはルターの言葉として引用したのだが、寺山修司が『ポケットに名言を』で「ゲオルギウの言葉」としてしまい誤解が広まる。更に高木彬光がリルケの言葉として紹介する(「たとえ世界の終末が」の言葉)。まるで伝言ゲームさながらである。
「史料状況からすると、りんごの苗木の言葉の歴史の起源は1940年代でなければならない」とする著者はベストセラーの影響も見逃せないと指摘する。
「ひとりの著名な人が言います。『たとえ私が明日世界が滅びることを知ったとしても、わたしは今日それでもなおわたしのりんごの苗木を植えるであろう』と。神によって安らぎが与えられた心は、将来を問いません。その心は将来を左右する何の力も持たず、その日必要なことをします」。
レナーテ・(フォン・デア)ハーゲン著『火の柱』(1947年刊行、9版5万6000部発行)の一文だ。
「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」――帯文を見ただけで翻訳の悪さがわかる。「たとえ明日世界が」と来れば「今日私は」とするのが当たり前だろう。翻訳は通訳と翻案の間に位置するものだが高度なセンスが問われる。
名言が偉人と結びつけられて伝説が生まれる。印刷技術が発達した現代ですらそうなのだから文字のない時代はもっとでかい間違いがあったことだろう。ブッダやイエスにまつわる物語は創作と割り切るのが賢明だ。
俗に「嘘も方便」という。個人的にはブッダが嘘を吐(つ)いたとは思えぬが大衆には嘘を許容する精神性があるのだろう。結果オーライという単純な指向(あるいは嗜好)に世俗の浅はかさが垣間見える。
文字以前の時代を生きる人々は我々が想像する以上に記憶力が優れていたことだろう。中でも特段に優れた少数の人がブッダや孔子の言葉を編んだのだろう。しかし必ずいい間違えはあったはずだし、聞き間違えはもっとあったはずだ。まして文脈を読み誤れば言葉は正反対の意味すら持つ。
経典主義・聖典主義に宗教の限界がある。人の心は言葉に収まるものではない。真理は言葉や数式の彼方にある。