2021-07-28

骨で歩く/『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
・『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智

 ・骨で歩く

『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二

身体革命

 ナンバ歩きのメリットは、以下のとおりです。

・長く歩いても疲れない
・腰や膝、かかとが痛くならない
・身体の調子がよくなる
・歩いているうちに気分が向上する
・集中力があっぷする
・うつ気味な気持ちが解消する
・やせる

(中略)ひと言でいい表せば、【現代ウォーキングは「筋肉を酷使(こくし)した“頑張り感”がある歩き方」で、ナンバ歩きは「骨を動かして全身を運動させ、無理なく使う歩き方」】だと言えます。

【『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉(河出書房新社、2016年)】

 具体的な歩き方はこうだ。

・上半身を捻らない。
・歩幅は狭く、摺り足気味。蹴らない。
・腕は肩に“ぶら下げる”。
・踵から着地しない。

 盆踊りの動きを取り入れた歩き方が一番実践しやすい。

 動画「ナンバ歩きと古の歩術」を参照せよ。

 以前からナンバには興味があり試行錯誤してきたのだが、さっぱりわからなかった。私の志向は伊藤式胴体トレーニング~初動負荷理論~スロージョギングを経て、再びウォーキングに回帰し、ナンバ~常歩(なみあし)に辿り着いた。

 本書を読んで、「あ!」と気づいた。ナンバの正体が見えた瞬間だ。私は腿(もも)に手を置くナンバ歩きを直ぐ実践した。膝と同じ側の肩を連動させるのだ。右膝を上げる時は右肩を同時に上げる。体は正面を向いたままだ。骨盤を振る必要はない。もう少しテクニカルなことを言うと、【骨盤と胸骨】の動きを一体化させるのだ。短い距離を歩いただけで腑に落ちた。

 私はかなり運動神経がいいので直ぐ理解できたが、これは一筋縄ではいかない。盆踊り式の手を動かすやり方が確実だ。それでもわからなければロボット歩きをしてみるといい。

 本書を通ってから常歩(なみあし)に至るのが正道である。

サンセベリアの葉挿し


サンセベリアの植え替え
サンセベリアの土を考える
サンセベリアの根腐れ
サンセベリアの用土はこれで決まり
サンセベリアの裸苗
サンセベリアの肥料

 ・サンセベリアの葉挿し



 梅雨明けのタイミングでいくつか芽が出てきた。10ヶ月もかかるとは思わなかった。それだけに嬉しさも一入(ひとしお)である。


 時折横に伸びる葉がある。これを挿すのがいいだろう。上下を間違えないようにマジックなどで必ず矢印を書くこと。株分けする場合は切り口をしっかりと乾燥させてから植えないと菌が侵入してしまう。今年は鉢を外に出すのが1週間ほど早かったようで、ほぼ全ての葉が傷んでしまった。貸し出してあった鉢が大きく育ったので持ち帰って二つに分けた。今日現在、全部で8鉢にまで育った。命を育むことが人間にとって最大の喜びではないだろうか。教育やマネジメントもこの一点を欠けば、社会に適合するロボットを作る作業となってしまうだろう。

ストレスの一番の害は楽しさを奪い去ってしまうこと/『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智


『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎

 ・ストレスの一番の害は楽しさを奪い去ってしまうこと

『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン

身体革命

 そもそも健康法というものも、すべての人に当てはまるものではありません。まず、自分で試してみて、自分にあったものだけを取りいれるようにすればいいのです。
「~するべきだ」「~してはいけない」というのは、心にとってかなり強い縛(しば)りとなって相当なストレスになりますから、注意しなければいけません。それが証拠に、健康を意識すると、食べること運動することから途端に楽しさが奪われてしまいます。
【ストレスの一番の害は、楽しさを奪い去ってしまうこと】です。楽しめないということは、要注意です。健康を意識するというストレスが、結果として健康を害しているのも皮肉な話です。
 そもそも「健康を求める」ということが間違っているのかもしれません。「健康」というものは求めるものではなく、結果的にそうなるというもの。こういう生活をしていたから、結果的に健康になったというものです。生活の仕方が反映されたものが、健康ということの尺度だろうと思います。
 あなたも、「健康」に振りまわされていないか、ふりかえってみましょう。

【『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉、長谷川智〈はせがわ・さとし〉(ミシマ社、2008年)以下同】

 パラパラとページをめくってガックリきた。具体的な体操の数があまりにも少なかったからだ。気が乗らないまま読み始め、そのまま読み終えた。矢野龍彦は桐朋学園大学教授で体育の専門家だ。桐朋高校バスケット部コーチも務め、バスケットボールにナンバの動きを導入した。本書はナンバの概念をわかりやすく教える優れたエッセイである。

 ストレスについてはガボール・マテ著『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』が詳しいが、「ストレスの一番の害は楽しさを奪い去ってしまうこと」という簡にして要を得た一言が見事に本質を言い当てている。仕事も人間関係も楽しくなければ苦しみに変わる。

「痩せたい」という気持ちも魔物です。
「なぜ痩せたいか」
 と自分に問うてみてください。もっといい服が着られる、人から魅力的に見られるなどというのは動機が不純であるし、まさに邪心です。外見を気にしている人は、いつも不安を持っています。人からどう見られるか、人にどう思われるかというのは、自分ではどうしようもないから不安の種になります。ですから、動機に明るさが感じられません。
「人によく思われたい」という邪心はストレスとなり、ますます痩せにくくなります。結局、そういうあなたは、何度も痩せようと挑戦して、いつも失敗しているのではないでしょうか。いい加減に目を覚まさなくてはいけません。
 痩せたら世界が変わるというのは、あなたの間違った思い込みです。あなたが痩せても、世界はそんなあなたに気がつかず、何も変わらない。
【あなたの中身が変わらないかぎり、世界は変わらない】。
「肥っているから~だ」と言い訳をしているあなたが、肥っているなどということを何も気にもしなくなったとき、初めて世界は変わる。そして、自然にあなたにあった適正体重になってきます。

 さすが体育系だけあってズバリと痛いところを突いている。「痩せたい」という思いは世間への迎合に他ならない。もう一つは、食べ過ぎもまたストレスの現れであることだ。スナック菓子など栄養の乏しい食べ物はいくら食べても食欲が満たされない。砂糖は味覚を操作し、「食べられる時に食べておかないと飢えるぞ」とDNAに埋め込まれた記憶を呼び覚ます。

 美の基準が自分の外側にある人はどうしても流される。自分らしく溌剌(はつらつ)と生きるところに美は滲み出るものだ。私は道端で掃き掃除をしている女性を見ると心の底から美しさを感じる。老若は関係ない。箒(ほうき)で掃き清める所作には、地神(ちじん)をも鎮(しず)める効果があると考えている。

 女性はすべからく見た目の美醜よりも、生き方の美醜を問うべきである。テレビを見よ。可愛い顔をした醜い女どもがウヨウヨしている。

中野正剛の雄弁


東條英機への反発

 内閣総理大臣東條英機が独裁色を強めるとこれに激しく反発するようになる。1942年(昭和17年)に大政翼賛会を権力強化に反対するために脱会している。同年の翼賛選挙に際しても、自ら非推薦候補を選び、東条首相に反抗した。東方会は候補者46人中、当選者は中野のほか、本領信治郎(早大教授)、三田村武夫たち7人だけであった。それでも翼賛政治会に入ることを頑強に拒み、最終的には星野直樹の説得でようやく政治会に入ることを了承した。

 そして、同年11月10日、早稲田大学大隈講堂において、「天下一人を以て興る」という演題で2時間半にわたり東條を弾劾する大演説を行った。

 諸君は、由緒あり、歴史ある早稲田の大学生である。便乗はよしなさい。歴史の動向と取り組みなさい。天下一人を以て興る。諸君みな一人を以て興ろうではないか。日本は革新せられなければならぬ。日本の巨船は怒涛の中にただよっている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君は自己に目覚めよ。天下一人を以て興れ、これが私の親愛なる同学諸君に切望する所である。

 この正剛の呼びかけに、学生たちは起立し、校歌「都の西北」を合唱してこたえた。演説会場には東條の命を受けた憲兵隊が多数おり、中野の演説を途中制止しようと計画していたが、中野の雄弁と聴衆の興奮熱気はあまりにすさまじく、制止どころではなくなってしまった。当時、早稲田第一高等学院の学生であった竹下登は、この演説を聴いて感動し政治家の道を志している。このエピソードにみられるように、中野は雄弁家の資質をもった人物であった。

Wikipedia

2021-07-27

マルクス思想の圧倒的魅力/『左翼老人』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗

 ・左翼とは何か
 ・「リベラル」と「左翼」の見分け方
 ・マルクス思想の圧倒的魅力

・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 日本は欧米に並ぶ先進国のはずです。それなのに何故、アメリカのリベラルやヨーロッパの社会民主主義のような健全な左派が存在しなのでしょうか。それは、戦前からインテリの間に共産主義ブームがあり、1933年から1945年の間だけ弾圧されましたが、戦後すぐに息を吹き返したために、ほとんどの人が共産主義者の枠組みで思考するという悪弊から抜け出せていないからだと考えます。
 そして、恐ろしいことに、その思考スタイルは中等教育(中学・高校)や高等教育(大学以降)を通じて、今でもほとんどの人の意識下に浸透しています。その代表例が「資本主義VS共産主義」という思考スタイルです。
 高校の政治経済だけでなく、大学の教育でさえも資本主義と共産主義が対立的なものと教えます。しかし、資本主義と共産主義は決して対立的なものではありません。なぜなら、資本主義は人類の歴史の中で徐々に形成された現在の経済の仕組みであるのに対して、共産主義はマルクスの思想とそれを信じた人々が創った人工国家の理念の中にしか存在しない、つまりこの世に一度も存在したことのない妄想だからです。
 アダム・スミスは近代経済学の祖と言われますが、資本主義はアダム・スミスが考えたものでも提唱したものでもありません。これに対しマルクス経済学はマルクスが提唱した考え方やその発展を学ぶ学問です。近代経済学は先に「経済という現実」があるのに対し、マルクス経済学は先に「理念」があり、この二つはまったく異なる学問です。事実、この二つを対立的に考えるのは、先進国の中では日本だけです。他の先進国においてマルクス経済学など、ほとんど相手にされない「経済学を自称する一派」にすぎません。
 これは、残念ながら欧米先進国と異なり近代日本にとって、資本主義も自然発生的なものではなく、外来の人工的な香りのするものだったかもしれません。渋沢栄一をはじめとする天才的な実業家が、ほとんど一代で欧米資本主義国家に近い仕組みを創り上げることができたのだから、共産主義者が政権を取れば数十年で「労働者の楽園」を創れると夢想しても無理はありません。
 もう一度書きますが、資本主義と共産主義が対立するという思考スタイルは、資本主義社会の次に共産主義社会が到来すると信じる共産主義者だけです。確かに冷戦時代は資本主義国家群と社会主義国家群は対立しましたが、これは軍事外交上の対立にすぎません。
 日本以外の先進国の住人にとって資本主義は所与であり、それゆえに改良し続けるべきものです。それは右派自由主義者も左派平等主義者も同じです。ところが、日本はインテリ層のほとんどが(資本主義の側に立つ人まで)共産主義的思考スタイルの中でモノを考えるので、今の社会を所与として改良を重ねるというこ健全な思考が苦手です。

【『左翼老人』森口朗〈もりぐち・あきら〉(扶桑社新書、2019年)以下同】

 なるほど。進歩史観だと資本主義が共産主義の前提となるわけだ。Wikipediaにも「ただし、現実には合ってなく、社会主義・共産主義国で経済学とは社会を分析する道具でなく、理念を擁護するプロパガンダのため、マルクス経済学を学んでも経済をまともに理解するのは難しい」とある。高橋洋一は「学生時代にマルクスの『資本論』を読んで、こいつは馬鹿だなと思った」と語った。需給関係を無視した労働価値説を嘲笑ったものだ。

 ところが、高校の政治経済では「資本主義国家は市場の失敗から社会主義に近づき、社会主義国家も市場原理を導入して資本主義に近づいた」と教えているのです。「市場の失敗」という概念は存在しますし、20世紀の資本主義国家が福祉国家の理念の下に社会保障を充実させたのは事実ですが、それは資本主義国家が社会主義国家に近づいたのではありません。資本主義国家がより成熟したのです。これを「社会主義国家に近づいた」と称するためには、社会主義国家が資本主義国家以上に社会保障が充実していなければならないはずです。
 しかし、日本よりも医療保険制度が充実している社会主義国家など、どこにも存在しません。だからこそ、中国人がこの制度を悪用して日本の優れた医療を受けに来るのです。日本の年金制度は世界のトップレベルではありませんが、それでも老人が発展途上国で悠々自適の暮らしをするくらいはできます。旧ソ連や東ヨーロッパで悠々自適な老後を過ごせる人など共産党幹部くらいしかいなかったはずです。
 資本主義国家は社会主義、少なくとも共産主義者のいうところの社会主義(共産主義の前段階)などに近づいてはいません。ところが、リベラルや社会民主主義という穏健な左派が根付かず、「資本主義VS共産主義」という思考スタイルの者には、その現実が見えないのです。

 文科省の汚染は酷い。安倍晋三の肝煎りで萩生田光一〈はぎうだ・こういち〉が大臣に起用されたが、徹底的な文科省改革を断行してほしい。

 戦後、教科書を墨で塗ったことが想像以上に教育を軽んじる結果になったような気がする。昭和一桁生まれの少国民世代が反日に傾いたのもむべなるかな。そして戦後生まれが学生運動に没頭するのである。敗戦の影響は若い世代の心の傷となって長く国家を蝕む。

 なぜ、マルクスは戦前戦後を通じてインテリを魅了したのでしょう。私は、彼らが「神に挑戦したからだ」という仮説を持っています。マルクス思想が宗教だからと言い換えてもよいでしょう。言い古された表現ではありますが、それゆえ一面の真実を表しています。(中略)
 ちなみに、アメリカ国内の政治的左派を「リベラル」と呼ぶようになるきっかけについて、キリスト教的価値からの自由を指したことが始まりであるとする説が有力です。確かにアメリカの共和党と民主党が激しく対立する価値観の一つに「堕胎(だたい)の自由」(民主党が認め、共和党が認めない)があることを考えれば、この説には説得力を感じます。本当に日本にリベラリストが育つためには、その人たちこそがマルクス教からの自由を主張しなければ無理でしょう。

 これは卓見だ。ニーチェが「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」(『喜ばしき知恵』『悦ばしき知識』)と書いたのが1882年だが、マルクスはニーチェに先んじていた。「哲学が批判すべきは宗教ではなく、人々が宗教という阿片に頼らざるを得ない人間疎外の状況を作っている国家、市民社会、そしてそれを是認するヘーゲル哲学である」(『ヘーゲル法哲学批判序説』1844年)。

「1782年にスイスで行われた裁判と処刑が、ヨーロッパにおける最後の魔女裁判であるとされる」(Wikipedia)。マルクスが生まれたのは1818年である。ちょうど明治維新の半世紀前だ。魔女狩りの血腥(なまぐさ)い臭いはまだヨーロッパに立ち込めていたことだろう。宗教を阿片と切り捨てるには、まだまだ勇気を必要とした時代だ。その思い切った姿勢はマルティン・ルター以来のロックスターとして持ち上げる価値は十分にあったことだろう。

 森口は日本のリベラルを信用してはならないと警鐘を鳴らす。

「左翼」思想を「リベラル」と詐称するくらいの嘘つきですから、左翼集団の話の内容は基本的に嘘ばかりです。2018年に彼らが積極的に話題にしたLGBTなどはその代表でしょう。

 社会主義国では同性愛者がこれでもかと抑圧されてきた。結局、キリスト教の呪縛から脱却し得ていないことがわかる。

 まともな右派政党や左派政党が登場しないのは、それを求める民意がなかった証拠であろう。だが今、中国の軍事的脅威が高まるにつれて日本の輿論(よろん)も少しずつ変化している。親中派に対する批判は民意の成熟ぶりを示している。

 風頼みの国政選挙ではなく、地域に根を張った地方議会からコツコツと実績を上げ、卓越した政治理念を示すことが望ましいように感じる。