2011年よ、さらば。
2011-12-31
靴
歯を食い縛りながら写真に見入る。
Shoes I | Flickr - Photo Sharing! http://t.co/sn1IA9Qf40
— 小野不一 (@fuitsuono) July 31, 2013
Shoes II | Flickr - Photo Sharing! http://t.co/NlKgcC2LKP
— 小野不一 (@fuitsuono) July 31, 2013
・ペットボトルのサンダル
2011年に読んだ本ランキング
うっかりしていた。例年だと11月後半からランキング作成に着手するのだが、今日の今日まで失念していた。はてなから引っ越したことも影響したのだろう。というわけで時間がないため、「ベスト30」を紹介する。尚、クリシュナムルティは除いた。読書は年季によって選球眼が高まる。私は文才もなければ学識があるわけでもない。そんなことは自分が一番よくわかっている。強みは感受性と直観のみだ(笑)。だから書評には自信がないが、本を選ぶ眼には過剰なまでの自信がある。かつて私よりセンスのある人物を見たことがない。ま、そんなわけでご参考になれば、これ幸い。それでは皆さん、よいお年を。
・2010年に読んだ本ランキング
・2011年に読んだ本
・2011年に読んだ本ランキング
・2012年に読んだ本ランキング
番外『まんが パレスチナ問題』山井教雄
番外『旅行者の朝食』米原万里
番外『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
番外『自動車の社会的費用』宇沢弘文
30位『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人
29位『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎
28位『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ
27位『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン
26位『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
25位『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
24位『絶対製造工場』カレル・チャペック
23位『最悪期まであと2年! 次なる大恐慌 人口トレンドが教える消費崩壊のシナリオ』ハリー・S・デント・ジュニア
22位『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
21位『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
20位『緑雨警語』斎藤緑雨
19位『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)
18位『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
17位『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
16位『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
15位『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
14位『哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題』河本英夫
13位『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
12位『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
11位『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
10位『イエス』R・ブルトマン
9位『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
8位『歴史とはなにか』岡田英弘
7位『歴史とは何か』E・H・カー
6位『孟嘗君』宮城谷昌光
5位『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
4位『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
3位『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
2位『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
1位『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
武田邦彦
1冊読了
76冊目『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)/遅れ馳せながら武田の著作を初めて読んだ。「武田邦彦」というカテゴリーを設けていることからもわかるように、私は武田の大ファンである。まず朗らかである。そして明快である。歯切れがよく、声に響きがある。3.11の大震災を期に武田は原発推進派から否定派に方向転換する。それは原発事故を踏まえた上での合理的判断であり、学問に忠実な生きざまを示したものだ。被災直後から武田は毎日のようにメッセージを発信し続けている。今日も尚。本書はリサイクル問題というよりも、合理的思考の教科書として広く読まれるべきである。相関関係=因果関係ではないことが実によく理解できる。その意味で「ものの見方」が変わる一書である。一方、武田批判もかまびすしい。『サンデー毎日』(2011年10月2日号)では佐高信〈さたか・まこと〉が書いたようだ。他人の悪口ばかり書いている左翼野郎だ。古新聞みたいな顔つきをしている。誰かが回収して然るべきだ。じゃあ、てめえは何かやったのか? エッ、佐高よ。この愚か者は物事の大小や長短も見分けがつかないのだろう。ま、せいぜい排泄物のような文章を書くがいい。以下の動画を見て、私はますます武田が大好きになった。先生と呼ぶに相応しい人物だ。
2011-12-30
蝶結び
色んなチョウチョ結び、このサイト面白い。くわしいイラストつき! http://t.co/6TEYQH6u http://t.co/S4hBTbjE http://t.co/6TEYQH6u
— 長戸 基 (@nagato_motoi) 2011, 12月 29
2011-12-29
落合博実
1冊挫折。
『徴税権力 国税庁の研究』落合博実(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)/矢野絢也著『乱脈経理 創価学会 vs. 国税庁の暗闘ドキュメント』で引用されていた本。第一章の「金丸信摘発の舞台裏」が出色。その後明らかにトーンダウン。最終章の「国税対創価学会」も尻すぼみの感が拭えない。文章が巧みであるにもかかわらず、腰が据わっていないため内容がフラついている。落合は元朝日新聞の記者。記者クラブという権力機構に身を置きながら、国税庁の権力と対峙することは考えにくい。限りなく「隣」に近い斜めの位置といったところだろう。抜いた抜かれたというスクープの体験談も綴られているが、狭い世界の物語であって一般人にはピンと来ない。スクープと発行部数の相関関係って証明されているのかね?
ブルース・リー「学ぶことは、はじまりも終わりもないひとつの動きなのだ」
加算的なプロセスは、機械的な記憶を深めるものでしかない。学ぶことは、決して累積するものではない。それは、はじまりも終わりもないひとつの動きなのだ。
— ブルース・リー (@Tao_JKD) 2010, 12月 12
2011-12-28
山井教雄
1冊読了。
75冊目『まんが パレスチナ問題』山井教雄〈やまのい・のりお〉(講談社現代新書、2005年)/イスラエル問題(※私の認識ではパレスチナ側に問題はない)のアウトラインがよくわかる内容でパレスチナ入門にはうってつけ。文献や根拠が明示されてないため最初は胡散臭く感じたが、片方に与(くみ)するところがなくリベラルな立場が窺える。ただし、様々な人物のセリフとして書くのは問題があるだろう。ユダヤ人とパレスチナ人の少年、そして猫の三者による鼎談(ていだん)として進行する。ラストで信じ難いほどの感動が待ち受けていた。「あとがき」も爽やかで清々(すがすが)しい。
ハゲと生足
女子中学生と擦れ違うと「うわー短いスカート。しかも生足」と思い、
あちらは「うわーハゲ」と思っている。
そしてお互い「寒くないのかな」という感想だけが一致する。
— t-lav (@t_lav95) 2011, 12月 16
2011-12-27
フランス支配者層のイスラム教恐怖症 ブルカ禁止法
2009年9月22日。イスラム教・イスラム教徒の悪魔化・侮辱的扱いはメディアだけでなく法律にも見られる。学校でのヴェ-ル禁止、ブルカ禁止法は、それに関する無数の討論(番組も含め)や記事でイスラム教徒を強く問題視し貶める結果になった。この法律案の運動の裏にはフリーメイソンの存在が大きい。
ブルカ禁止法施行後、初の拘束 フランス
顔全体を覆うベールの着用を禁止する法律が11日に施行されたフランスで同日、首都パリでの抗議行動中、体をすっぽりと覆い目だけを出す「ニカブ」を着用した女性2人が警察に一時拘束された。
ただし女性たちはベールの着用ではなく、ノートルダム寺院(Notre-Dame Cathedral)前で発生したデモに参加したことが、無許可の抗議行動への参加とされ拘束された。しかし、同法の施行後であるため法律上では、公共の場で顔を見せることを拒否するイスラム女性に当局は罰金を科すことができる。
拘束された1人、ケンザ・ドリデル(Kenza Drider)さん(32)は「わたしたちについてどうするか検察官が決めるまでの間、警察署に3時間半、拘束された。その後『いいでしょう。行っていい』と言われた」と語った。
拘束されるも罰金科されず
ドリデルさんとは別に、実業家で活動家のラシド・ネッカ(Rachid Nekkaz)氏も、ニカブをかぶった女性の友人と一緒にいて、大統領府前で警察に拘束されたと語った。ネッカ氏はAFPの取材に「わたしたちはニカブをかぶっていたことで罰金を科されたかったが、警察のほうが罰金を科したがらなかった」と語った。
ネッカ氏は今回の禁止法に反対しており、ベールをかぶっていて罰金を科された人の肩代わりするために、200万ユーロ(約2億4000万円)相当の自己資産を競売にかけ、基金を設立すると宣言している。
一方、フランス警察は、同法に違反した人がいても強制的にベールをはがす権限は与えられておらず、さらにすでに緊張関係にある移民居住区で抵抗に遭う恐れもあり、施行はされたものの、同法の執行には困難があると懸念している。
【AFP 2011-04-12】
ダニエル・C・デネット
『自由は進化する』ダニエル・C・デネット:山形浩生〈やまがた・ひろお〉訳(NTT出版、2005年)/前々から池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉以外の根拠を探す必要に駆られていた(「人間に自由意志はない」こと)。デネットの本はどれも厚いので正月に取り組もうと考えた。数ページ読んで「どうも文章がしっくりこないな」と思ったら、山形浩生の翻訳であった。彼の名前を見て潔くあきらめた。文体が問題なのははっきりしているのだが、自分でもよく把握していない。主語と述語の距離感かもしれない。とにかく肌が合わない。山形訳で読み終えたことがあるのは、ミルグラムの『服従の心理』のみである。興味があるテーマだけに残念極まりない。他だと自由意志で参考になりそうなのは、『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』『量子力学の哲学 非実在性・非局所性・粒子と波の二重性』の2冊くらいしか見当たらない。決定論だと『行為と必然性 決定論的世界観と道徳性』か。生命現象の本質は「反応」であろう。「能動性」ではない。
本を裁断しデータ化する「自炊」を、まるごと否定できる人は幸せな人だ
@zohnohana
Minoru Iwasaki (岩崎稔) 僕は本を手で持てなくなってから、長いこと読書を諦めていました。でもその後、スキャンしてデータ化することを始めて、今では読書の喜びを取り戻しました。それができたときは、うれしかった。
Dec 26 via webFavoriteRetweetReply
@zohnohana
Minoru Iwasaki (岩崎稔) 痛ましく裁断なんかしなくても本が読めたら、どんなにいいか。大切な本を本棚に置いて蔵書できること、手にとって紙の感触を感じながらページをめくることができたら、どんなにいいか。 本を裁断しデータ化する「自炊」を、まるごと否定できる人は幸せな人だ。
Dec 26 via webFavoriteRetweetReply
2011-12-26
松井孝典、イングリッド・ベタングール、高岡英夫
5冊挫折。
『松井教授の東大駒場講義録 地球、生命、文明の普遍性を宇宙に探る』松井孝典〈まつい・たかふみ〉(集英社新書、2005年)
『宇宙生命、そして「人間圏」』松井孝典〈まつい・たかふみ〉(ワック、2005年)
『宇宙で地球はたった一つの存在か』松井孝典〈まつい・たかふみ〉(ウェッジ選書、2005年)/松井の著書は予想した内容ではなかったため後回し。文明論と思いきや、天文学であった。
『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール:永田千奈〈ながた・ちな〉訳(草思社、2002年)/麻薬組織と癒着するコロンビアで不正を糾弾し続けた女性議員の手記。どれほど凄まじいかというと、本書を著した直後に著者が誘拐されている。 これは良書。ただし私が今読むタイミングではない。
『だれでも「達人」になれる! ゆる体操の極意』高岡英夫(講談社+α文庫、2005年/運動科学総合研究所、2003年『カガヤクカラダ』改題、新版)/twitterで五十肩の痛みを訴えたところ、後輩が「ゆる体操」を教えてくれた。半分ほど飛ばし読み。発想が斬新。直ちに実践している。メソッドと呼吸法も読む予定。
フランス・メディアの「オーウェル化現象」
仏記者リシャール・ラベヴィエール。2008年にイスラエル大使館の要請でラジオ・フランス・インターナショナルから解雇されたラベヴィエールは、シオニズムロビーの圧力でメディアが単一思想を強制するオーウェル現象を告発する。
ここに総ての人類が住んでいる
ここに総ての人類が住んでいる
愛する人も、知り合いも、友達も
今までに存在した総ての人が
ここで人生を送っている
喜びも、悲しみも
宗教も、思想も、経済主義も
狩りをする人も、牧場で働く人も
英雄も、卑怯な人も
文明を築く人も、破壊する人も
王も、農民も
愛し合う夫婦、両親、目を輝かせている子供も
発明家も、探検家も
人の道を説く先生も、汚職する政治家も
スーパースターも、偉人も
聖者も、罪人も
人類の歴史上すべての人が
ここに住んでいる
(カール・セーガン)
【楽しい!クリエイト作品!」より転載】
今年最も強烈だったのはこれ
今年最も強烈だったのはこれ。何度でも読み返す。/頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。 http://t.co/DbKqPOiL
— 小野不一 (@fuitsuono) 2011, 12月 26
2011-12-25
仏イスラエルロビーがメディアに圧力をかける
9.11テロに関しアルカイダ説を否定する本を出版したティエリ・メサンを出演させた番組の司会者を仏ユダヤ人団体CRIFの代表が批判する。
傲岸不遜な態度に反吐(へど)が出そうだ。
他者の苦痛に対するラットの情動的反応/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
・『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
・『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ
・『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
・“思いやり”も本能である
・他者の苦痛に対するラットの情動的反応
・「出る杭は打たれる」日本文化
・『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
・フランス・ドゥ・ヴァール「良識ある行動をとる動物たち」
・『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
・『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
「他者の苦痛に対するラットの情動的反応」という興味ぶかい標題の論文が発表されていた。バーを押すと食べ物が出てくるが、同時に隣のラットに電気ショックを与える給餌器で実験すると、ラットはバーを押すのをやめるというのである。なぜラットは、電気ショックの苦痛に飛びあがる仲間を尻目に、食べ物を出しつづけなかったのか? サルを対象に同様の実験が行なわれたが(いま再現する気にはとてもなれない)、サルにはラット以上に強い抑制が働いた。自分の食べ物を得るためにハンドルを引いたら、ほかのサルが電気ショックを受けてしまった。その様子を目の当たりにして、ある者は5日間、別のサルは12日間食べ物を受けつけなかった。彼らは他者に苦しみを負わせるよりも、飢えることを選んだのである。
【『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール:藤井留美訳(早川書房、2005年)】
既に二度紹介しているのだが、三度目の正直だ。
・ネアンデルタール人も介護をしていた/『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠
カラパイアで米シカゴ大学チームの実験動画が紹介されていた。
・ネズミは仲間を見捨てない(米研究)
興味深い映像ではあるが、実験手法の有効性には少々疑問が残る。っていうか、わかりにくい。
動画より下に書かれているカラパイアの記事は完全な誤読である。フランス・ドゥ・ヴァールが明らかにしたのは、共感や利他的行為も本能に基づいている事実である。つまり、群れ――あるいは同じ種――の内部で助け合った方が進化的に有利なのだ。
もちろん、これを美しい物語に仕立てて本能を強化することも考えられるが、実験結果を読み誤ってはなるまい。
・チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
強欲は子孫を破滅させる。世紀末から現在に至る世界の混乱は、白人文化の終焉を告げるものだと思う。
・意思決定そのものがストレスになる/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ
・マネーと言葉に限られたコミュニケーション/『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
・大塩平八郎の檄文/『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子
2011-12-24
大橋力
1冊挫折。
『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力〈おおはし・つとむ〉(岩波書店、2003年)/安田喜憲著『一神教の闇 アニミズムの復権』で世界的な評価を受けていると紹介されていた一冊。プロフィールを見てびっくりしたのだが、大橋は芸能山城組の主催者であった。映画『AKIRA』の音楽も手掛けている。定価4400円の大冊でよほど腰を据えてかからないとダメ。ビタミン同様、人間には「必須音」があるという。森で安らぎを感じるのは意識に上らぬ音が心地よいためであった。そして実は都会よりも森の方が音が賑やかであるとのデータには驚愕した。「音の環境学」の嚆矢(こうし)にして決定版といってよい。耳根得道(にこんとくどう)を考える上でも重要な資料だ。
国家崇敬に差異はあるのか?
自分の国を強制的に尊敬させられるのと、盲目的に尊敬しているのとに、差違はあるのか。各々に自分の意志は存在するのか。
— とんこつ (@tnkt42) 2011, 12月 23
仏シオニスト偽装人道的介入「SOSシリア」
2011年7月4日。ベルナール=アンリ・レヴィの主催したシオニスト著名人を集めたパリの会合は、シリア政権打倒へ人道的介入という口実を与えるために他ならない。
魔法使いみたいな顔つきをしている。これほどまでに自我が肥大した人物を見たことがない。
・ベルナール=アンリ・レヴィ
ウゴ・チャベス カダフィからの書簡 2011年8月1日
ベネズエラ大統領はリビア指導者ムアンマル・アル・カダフィから受け取った書簡を発表し、NATO軍事介入批判とカダフィ、リビア国民への支持を新たに表明する。
2011-12-23
石川知裕
1冊読了。
74冊目『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕〈いしかわ・ともひろ〉(朝日新聞出版、2011年)/「人間・小沢一郎」が飾らぬ言葉で綴られている。石川は見るからに好青年である。畏敬の念が行間から滲み、時折盛り込まれる「当たり前だろうが」などといった本音がまた面白い。小沢の素顔を描いて出色の出来。小沢との巻末対談に至っては編集の手すら入っておらず、テープ起こしと思われる文章がそのまま掲載されている。小沢は実に素っ気ない態度で写真に収まっている。好き嫌いは分かれるだろうが、やはり大人物だ。何らかの政治信念を持つ政治家はいるだろうが、小沢のように確固たる原理・原則を有する政治家はまずいない。
光の道
大川隆法総裁が金正日氏の霊と金正恩氏の守護霊を招霊
Reading... 大川隆法・幸福の科学総裁は、金正日氏の霊と金正恩氏の守護霊を招霊し、金正日氏の死の真相を聞いた。守護霊は「注射を打てば死ぬでしょ」と薬物で殺したことを明らかにした。http://t.co/H7FTRJvO
— 深津 貴之 (@fladdict) 2011, 12月 23
・【スクープ】大川隆法氏がメモリ不足でフリーズ「自分の生き霊呼び出して…」
ルワンダの大量虐殺で2被告に終身刑 国際犯罪法廷
アフリカ中部ルワンダで80万人あまりが殺害された大量虐殺事件の首謀者らを裁く国連のルワンダ国際犯罪法廷は21日、ジェノサイド(集団虐殺)や人道に対する罪に問われた同国の元閣僚2人に終身刑を言い渡した。
当時のルワンダ与党幹部だったカレメラ元内相ら被告人2人は、ジェノサイドを扇動し、強姦や暴行、殺人などに関与したとして有罪判決を言い渡された。国際犯罪法廷は、両被告が犯罪集団を組織して民兵や殺人部隊を雇い、武器などを供給したと認定した。
ルワンダの大量虐殺事件では、1990年代にフツ人の一部政治エリートが少数派のツチ人に対する憎しみをあおるプロパガンダを展開、94年4月6日にフツ人の大統領を乗せた航空機が撃墜された事件が引き金となって、フツ人によるツチ人の大量虐殺が始まった。
国連の推計では20万人がこの虐殺に加担し、ツチ人を中心に女性と子どもを含む80万人あまりが殺害された。穏健派のフツ人も犠牲になった。
【CNN 2011-12-23】
・『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
・『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
・ルワンダ大虐殺の始まり/『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ
チェコのハベル前大統領、75歳で死去 ビロード革命を主導
旧チェコスロバキアで共産政権を無血で崩壊させた「ビロード革命」を主導したバツラフ・ハベル前チェコ大統領が18日、死去した。75歳だった。
報道担当者の声明によると、同氏は夫人に見守られながら、眠るように息を引き取った。
ハベル氏は劇作家から反共産政権の活動家に転じ、4年半に及ぶ収監を経て1989年のビロード革命を率いた。同年チェコスロバキアの大統領となり、93年のスロバキア分離後にチェコ初代大統領も務めた。
思索の深さや演説の長さで知られる一方、ユーモアのセンスも持ち合わせ、大統領在任中は官邸の廊下をスクーターで走り回っていた。ロック音楽を愛し、同国のバンド「プラスティック・ピープル・オブ・ザ・ユニバース」の逮捕をきっかけに、共産党政権の人権侵害に抗議する「憲章77」を起草したとされる。
ノーベル平和賞の候補者として何度も名前が挙がり、昨年受賞した中国の民主化運動家・劉暁波氏への支援でも中心的な役割を果たした。
96年に肺がんの切除手術を受け、余命数年の宣告を受けていたとされる。今年3月にはCNNとのインタビューで、中東の民主化運動「アラブの春」と20年余り前の中・東欧民主化との共通点を指摘。自由へのあこがれが雪だるま式に成長し、「雪崩」を起こしたと話していた。
英国のヘイグ外相は同氏を「冷戦下で東欧民主化への扉を開いた英雄」とたたえた。米国のオバマ大統領は声明で「世界何百万の人々と同様、私もハベル氏の言葉と指導力に影響を受けた」と述べた。
【CNN 2011-12-19】
2011-12-22
矢野絢也
1冊読了。
73冊目『乱脈経理 創価学会 vs. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也〈やの・じゅんや〉(講談社、2011年)/これは面白かった。何といっても読み物としてよくできている。単なる暴露本で終わっていない。抑制された筆致がストーリーの幅を膨(ふく)らませているのだ。マンモス教団の乱脈経理もさることながら、最大の問題は公明党が創価学会の私党と化していることだ。矢野は自ら行った各所への口利きを赤裸々に綴っている。それにしてもこれほどの汚れ仕事をやらせておきながら、10年後には聖教新聞で罵倒の限りを尽くし、切り捨てるのだから恐ろしい。本書を先に読んでから、『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』を開くことをお勧めする。税務調査を手加減させた最大の功績者である竹下登元首相を裏切る場面には衝撃を受けた。公明党は「政治と金」を糾弾する前に「宗教と金」の問題を明らかにするのが筋だ。
治安維持の強化
治安維持の強化という動向が世界規模で見受けられる。要は「大衆が暴動を起こさざるを得ない情況」がこれから現れることを意味するのだろう。大学生は既に就職氷河期によって牙をもぎ取られている。それゆえ1960年代の学生運動は起こり得ない。環境史では地球の寒冷期に戦争が起こることが判明している。地球温暖化は操作されたデータによる国際規模の詐欺と考えられるが、経済格差という心理的な寒冷が世界各地で擾乱(じょうらん)を招くに違いない。警察という暴力装置が権力者の走狗となって国民に暴力を振るう様をしかと見よ。
9.11テロ ペンタゴン演出に関わったタクシー運転手
タクシー運転手ロイド・イングランドは、飛行機が南側から来たとする公式説の証拠とされた街灯の破損を裏付ける証言を行っていた。ところが、目撃者は全員「飛行機」がそれとは異なるルートでペンタゴンに向かっていたことを証言した。ロイドはかつての証言を正当化するため、自分の車に街灯が突入したのは街灯の立っていた橋から遠いペンタゴンの近くだったと主張する。
目撃された人々 25
めじろ台駅の前の道を城山方面へ向かうと山王坂がある。我が家からだと上り坂だ。殆どの人が坂の下で自転車を降りて押してゆく。私の自転車は「バイク」と呼べるほどの代物ではないが、21段変速なので何とか必死で漕(こ)いでゆく。ほぼ体力の限界に近い。
昨日、坂の下で3人の小学生が自転車を降りた。私は彼らを追い越した。坂の中ほどに掛かった時、私は自転車を押す小学生に抜かれた。少なからずショックを受けた。まだ低学年と思われる彼らは、半ズボンに長袖という軽装であった。まったく信じ難い話だ。私はといえばヒートテック上下、靴下2枚重ね、タートルネックの上にポケットがたくさん付いたベスト、ネックウォーマー、厚手の手袋とウールの帽子、そして防寒ズボンとダウンパーカーを着用していた。八王子の寒さはかくも手強いものだ。
私は二重のショックを受けた。3日間ほど寝込んでやりたい心境だ。太い溜息を吐いて呟いた。「わかったわかった、俺の負けだよ」と。そして「君らに譲るよ。未来を」と。
坂の上に栄光はなかった。少し心地よい敗北感が空に向かって広がっていった。
・目撃された人々(旧)
宇宙が3次元になった仕組みを説明
現在の宇宙空間が「タテ・ヨコ・高さ」の三つの次元からなる姿になった仕組みを、日本の研究グループが、世界で初めて、スーパーコンピューターによる計算で説明することに成功し、どこかに存在する可能性が指摘されている「別の宇宙」の研究にもつながるものとして注目されています。
私たちの宇宙の姿は「タテ・ヨコ・高さ」の三つの次元から出来ていますが、現代物理学の理論では、137億年前にビッグバンによって宇宙が誕生する前の極めて微小な空間には、ほかに六つの次元があったとされ、なぜ三つの次元になったのかが謎になっています。茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構などのグループは、ビックバンが起きる前に、九つあった次元がどのように変化したのか調べるため、独自の計算式によって、ことし2月から京都大学にあるスーパーコンピューターで分析を進めてきました。その結果、九つの次元のうち、「タテ・ヨコ・高さ」の三つだけが急速に膨張して、残りの六つの次元は膨張せずに小さいままとどまったことを、世界で初めて計算によって説明することに成功したということです。
次元は宇宙空間の広がり方を決める基本的な材料とも言える存在で、さまざまな次元の実態が解明できれば、私たちの宇宙以外にも「別の宇宙」が存在するのかという謎にも迫れる可能性があります。研究グループは、今回の計算方法を発展させると残りの六つの次元の解明につながる可能性もあるとして、研究を進めることにしています。この研究成果は、来年1月4日にアメリカの科学誌「フィジカル・レビュー・レターズ」のオンライン版に掲載されます。
【NHKニュース 2011-12-22】
・光は年をとらない/『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン
人間はパンドラの箱をこじあけ、原子力を盗み出してしまった
人間にガイガーカウンターがついていないのは、地球上に放射能の危険がないからである。ところが、人間はパンドラの箱をこじあけ、原子力を盗み出してしまった。そして、広島と長崎に原子爆弾を投下し、福島第1原発のメルトダウンを引き起こした。日本は2度の放射能汚染にさらされたのである。最初はアメリカによって、2度目は日本人自らの手によって。
【週刊スモールトーク】
2011-12-21
縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ
・自由の問題 1
・自由の問題 2
・自由の問題 3
・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
・教育の機能 1
・教育の機能 2
・教育の機能 3
・教育の機能 4
・縁起と人間関係についての考察
・宗教とは何か?
・無垢の自信
・真の学びとは
・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
・時のない状態
・生とは
・習慣のわだち
・生の不思議
ランスケさんとの出会いは、レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』によってであった。一冊の本を通して人と人とが邂逅(かいこう)する。何と不思議なことか。最初にコメントがあり、ランスケさんのブログで私の記事を紹介していただいた。
・「ルワンダ大虐殺」及び「ルワンダの涙」
我がブログは反応らしい反応が乏しいこともあって、大変ありがたかった。また私が綴る諸法無我についても敏感に応じてくださった。感受性の鋭い人は侮れない。彼の文章に私も思うところがあった。
そこで議論、というよりは私自身の考えを確認する意味でこの一文を書いておこう。
諸法無我という言葉(キーワード)が、重苦しい閉塞感の先に光明を見出す切っ掛けとなるだろうか?
自我という実体が幻想なら、私という記号は人やモノとの関係性のなかで常に変化するのなら、
私は「自我の地獄」から解放される。
それは地球上のすべての生物種がそうであるように、
人も生命の循環のなかに組み込まれた一つの生物種であることの証明だろう。
人だけが自我という主体を持つ別個の存在という発想の方が歪に思えてくる。
その関係性は「縁起」であり「慈悲」へと辿り着くのなら、これは幸福のかたちではないだろうか?
【Landscape diary ランスケ ダイアリー】
「自我の地獄」とは言い得て妙である。「地」は最低を意味し、「獄」には束縛の義がある。我々は生命を自我に閉じ込めてしまった。
欲望を巡って幸不幸が位置する。大衆消費社会における幸福とは欲望の充足である。矢沢永吉は「愛も金で買える」と嘯(うそぶ)いてみせた(『成りあがり』)。
で、欲望は「私」に基づいている。もう一歩踏み込もう。私とは「私の欲望」である。
自我は版図(はんと)の拡大を目指す。我々がこれほど所有に執着するのは、所有物をもって自我を延長・拡大するためと考えられる。財産はもとより学歴、家柄、氏素性に至るまで他人との差別化を図れるものは全て自我に収束される。
人が権力に憧れる理由もここにある。より多くの大衆を「手足のように」コントロールするところに権力の本質がある。男性にメカマニアが多いのも頷ける。機械は正確に応答するからだ。拳銃は機能性や様式美もさることながら、離れた場所に位置する人物の生殺与奪を決定する力が男の本能に強く訴えるのだろう。
縁起=諸法無我とは具体的にいえば「コントロール性から離れる」ことを意味する。仏典では権力に潜む魔性を「第六天の魔王」と説く。これを略して天魔と称する。第六天とは有頂天のこと。天は人間界の上に位置する。別名を「他化自在天」(たけじざいてん)とも。他人を化すること自在というのが権力現象とってよい。
これは本能に基づいたコミュニティがヒエラルキー構造を避けられないことを示していると思う。ブッダが生まれる以前からカースト制度は存在した。それゆえ弱肉強食からの超脱と考えることも可能だろう。
もう一つ付け加えておくと、仏法が理解されにくいのは我々が幸福を求めるのに対して、ブッダは苦からの解放を説くという微妙な擦れ違いがあるためだ。厳密にいえばブッダが教えたのは幸福になる道というよりは、自由への直道(じきどう)であった。
前置きが長すぎた。本論に入ろう。
ただし、私は縁起は人との関係性を含むと思います。世界との繋がりは、生けるもの全てを呑みこんだ連綿と続く循環だと信じたい。
【Landscape diary ランスケ ダイアリー:コメント欄】
私は次のように書いた。
生は諸行無常の川を流れる。時代と社会を飲み込んでうねるように流れる。諸法無我は関係性と訳されることが多いが、これだと人間関係と混同してしまう。だからすっきりと相互性、関連性とすべきだろう。「相互依存的」という訳にも違和感を覚える。
【自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他】
また次のようにも書いた。
最近になって気づいたのだが、ここで説かれる関係性とは「能動的な関わり」を勧めたものではない。ただ、「これがあれば、あれがある」としているだけである。すなわち教育的な上下関係ではなくして、存在の共時性を示したものと受け止めるべきだろう。
【クリシュナムルティの縁起論/『人生をどう生きますか?』J・クリシュナムルティ】
大抵の人間関係は自我に基づいている。国家とは自我である。アイデンティティを規定するのは所属である。「私」が空虚であれば、最終的にしがみつくものは国家しかない。すなわち「私は日本人である」ということが自我の規定となる。
大阪高等学校寮歌に「君が愁いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」との美しい一節がある。かくの如き友情でありたいと私も願う。だが醒めた目で見つめると、その同一性、一体性が戦争の原因ともなり得ることに気づく。
私が32歳の時、わずか半年の間で6人の後輩を喪ったことがある。文字通り涙が涸(か)れるまで泣いた。その後私は泣くことができなくなったほどである。それこそ身体の一部をもぎ取られるような感覚に陥った。ご家族の哀しみは想像にあまりある。私は彼らの死を力任せに引きずって生きてきた。彼らは私の胸で生き続けた。
「生きとし生けるものは必ず死ぬ」――そんな当たり前の真理に目をつぶりながら賃金を得るため身を粉にして働き、どうでもいいものに金をかけ、刺激を求めることに余念がなく、人の役にも立たない趣味にうつつを抜かし、のんべんだらりとブログを綴っているという寸法だ(※最後のは私のことね)。
・諸君は永久に生きられるかのように生きている/『人生の短さについて』セネカ
そして自我に基づいた人間関係は必ず依存へと向かう。
現在、自由というようなものはないし、私たちはそれがどのようなものかも知りません。自由にはなりたいけれども、気づいてみると、教師、親、弁護士、警察官、軍人、政治家、実業家と、あらゆる人がおのおのの小さな片隅で、その自由を阻むことをしています。自由であるとは単に好きなことをしたり、自分を縛る外の環境を離れるだけではなく、依存の問題全体を理解することなのです。依存とは何か、知っていますか。君たちは親に依存しているのでしょう。先生に依存して、コックさんや、郵便屋さん、牛乳を届けてくれる人に依存しています。このような依存はかなり簡単に理解できるのです。しかし、自由になる前に理解しなくてはならない、はるかに深い種類の依存があるのです。つまり、自分の幸せのための、他の人に対する依存です。自分の幸せのために誰かに依存するとはどういうことか、知っていますか。それほどに人を縛るのは他の人への単なる物理的な依存ではなくて、いわゆる幸せを招来するための、内面の心理的な依存です。というのは、誰かにそのような依存をしているときには、奴隷になってゆくからです。年をとるなかで、親や妻や夫や導師(グル)、ある考えに情緒的に依存しているなら、すでに束縛が始まっているのです。私たちのほとんどは、特に若いときには自由になりたいと思うけれども、このことを理解していないのです。
自由であるには、内的なすべての依存に対して反逆しなくてはなりません。そして、なぜ依存するのかを理解しなければ、反逆はできないでしょう。内的な依存のすべてを理解して、本当に離れてしまうまで、決して自由にはなれません。なぜなら、その理解の中にだけ自由はありうるからです。しかし、自由は単なる反動ではありません。反動とは何か、知っていますか。もし私が君を傷つけるようなことを言ったり、悪口を言うなら、君は私に対して怒るでしょう。それが反動で、依存から生まれた反動です。自立はさらに進んだ反動です。しかし、自由は反動ではありません。反動を理解して、それを超えるまで、決して自由ではないのです。
君たちは、人を愛するとはどういうことか、知っていますか。樹や鳥やペットの動物を愛するとはどういうことか、知っていますか。何も報いてくれないかもしれないし、木陰を作ってくれたり、ついてきたり、頼ってくれたりしないかもしれないけれども、世話をし、餌をやり、大事にするのです。私たちのほとんどはそのように愛していないし、私たちの愛はいつも心配や嫉妬や恐怖に閉ざされているために、それがどういうことかもまったく知りません。それは、私たちが内的に人に依存していて、愛されたがっているということを意味しています。私たちはただ愛して、放っておかず、何か報いを求めます。そして、まさにその求めることで、依存するのです。
それで、自由と愛は伴います。愛は反動ではありません。君が愛してくれるから愛するのでは、単なる取り引きで、市場で買える物なのです。それでは愛ではありません。愛するとは、何の報いも求めないし、与えていることさえも思わないことなのです。そして、自由を知りうるのはそのような愛だけです。しかし、君たちはこのための教育を受けていないでしょう。君たちは数学や化学や地理や歴史の教育を受けて、それで終わりです。なぜなら、親の唯一の関心は、君たちがよい仕事を得て、人生で成功するように助けることですから。親がお金を持っているなら、君たちを外国に行かせてくれるかもしれません。しかし、親のすべての目的は世間と同じで、君が豊かになり、社会の中で立派な地位を得ることなのです。そして、上に昇れば昇るほど、君たちは他の人々にもっと多くの悲惨を引き起こします。なぜなら、そこにたどり着くために競争し、非情にならなくてはならないからです。それで、親は野心と競争があり、まったく愛のない学校に子供を送ります。そのために、私たちのところのように社会は絶えず腐敗してゆき、絶えまない闘いの中にあるわけです。そして、政治家や裁判官、いわゆる土地の貴族が平和について語っても、何の意味もないのです。
そこで、君と私はこの自由の問題全体を理解しなくてはなりません。愛するとはどういうことかを自分自身で見出さなくてはなりません。なぜなら、愛していなければ、決して思慮深く、注意深くなることはできないからです。決して思いやることができないからです。思いやるとはどういうことか、知っていますか。大勢の素足が歩く道に尖った石が落ちているのを見たら、それをどけるのです。頼まれたからではなく、他の人を気づかうのです。その人が誰であろうと問題ではありません。その人にはまったく会わないかもしれません。木を植えて大事にしたり、河を見て地球の豊かさに歓喜する。飛んでいる鳥を観察し、その飛翔の美しさを見る。この生というとてつもない動きに敏感で、開いている――これらには自由がなくてはなりません。そして、自由であるには、愛さなくてはなりません。愛がなければ自由はありません。愛がなければ自由は単に、まったく価値のない考えにすぎません。それで、自由がありうるのは、内なる依存を理解して離れ、そのために愛とは何かを知る人だけなのです。そして、新しい文明、違う世界をもたらすのは、彼らだけでしょう。
【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】
同一化とは依存であり、依存は形を変えた所有である。そして自我は蓄積物でいっぱいになる。
・あらゆる蓄積は束縛である/『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
2年前に父が死んだ。まともに会話をするようになったのは私が結婚してからのことだった。「もう少し……」という思いは確かにある。もう少し教えてもらいたかったこともあるし、もう少し親孝行もしたかった。だが父は死んだ。私は生きている。私は父と共に生きている。やがて私も死ぬ。
我々は自分の周囲の死を嘆き悲しむ一方で、他人の死を深く心にかけることがない。世界が不幸に覆われている原因はその辺りにあるのだろう。
・死者数が“一人の死”を見えなくする/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
プラズマ状態はどうなった状態ですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
校庭に小学生を集めたとします。きちんと整列してる状態が「固体」、並ばずに適当にその辺でワイワイやってるのが「液体」、みんな自分勝手に散らばって遊んでるのが「気体」、半狂乱になってスッポンポンで走り回ってるのが「プラズマ」です。プラズマ状態では原子についてた電子が取れ、イオンの状態で飛び回っています。
【saiphysさん】