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2014-12-22

瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・瀬島龍三はソ連のスパイ
  ・瀬島龍三スパイ説/『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
  ・瀬島龍三と堀栄三/『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
 ・イラク日本人人質事件の「自己責任」論

『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 国際的な大事件も、時が経てば忘れられていく。戦後史に残る一大事件になった【「ラストポロフ事件」】も、今やほとんどの人が知らないのではないだろうか。
 1954(昭和29)年1月、駐日ソ連大使館のユーリ・ラストポロフ二等書記官がアメリカに亡命し、日本でスパイ活動をしていたことを暴露したのである。彼はNKVD(内務人民委員部)という情報機関に所属していたのだが、スターリンの死去によって、内務省内の粛清が始まると噂されており、自分もその対象になると恐れたらしい。
 ラストポロフの日本での任務は、シベリア抑留から帰国した日本人エージェントと接触し、コントロールし、スパイ網をつくることだった。ソビエトは抑留した日本人を特殊工作員としてリクルートし、教育・訓練していたのである。いわゆる誓約引揚者としてスパイになって帰国した日本人は、【「スリーパー」】になった。
「出世するまでスパイとしては眠っていろ」というわけで、何もスパイ活動をしない。むしろ逆に反ソ的言動、反共産主義的な言動を取るように教育されていた。
 政界、財界、言論界、あらゆるところにシベリア抑留からの復員者がいたから、それぞれ管理職なりしかるべき役職なりに就いた頃合いを見て、駐日ソ連大使館の諜報部員が肩をたたく。そこで目覚めてスパイ活動を始めるから【「スリーパー」】と呼ばれていたのである。
 ラストポロフは亡命先のアメリカで、36人の日本人エージェントを持っていたと供述したから大騒ぎになった。元関東軍参謀の中佐や少佐が自首してきたほか、外務省欧米局などの事務官らが逮捕されたのだが、事務官の一人が取り調べ中に自殺したり、証拠不十分で無罪になったりで、全容解明にはほど遠い結末だった。

【『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)以下同】

 旧ソ連は終戦後、日本人捕虜50万人を強制労働させたのみならず、共産主義の洗脳を施していた。唯物思想は人間をモノとして扱うのだろう。歴史の苛酷な事実を知り、私は石原吉郎〈いしはら・よしろう〉を思った。石原は沈黙と詩作で洗脳に抗したのだろう。鹿野武一〈かの・ぶいち〉の偉大さがしみじみと理解できる(究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』~「ペシミストの勇気について」)。

 洗脳は睡眠不足にすることから始められる。酷寒の地で激しい肉体労働をさせられていたゆえに睡眠不足で死んだ人々も多かったことだろう。日本政府がはっきりとソ連に抗議してこなかったのも、やはり後ろ暗いところがあったためと思われる。

「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治

 ラストポロフの証言によって明らかになったスリーパーの中で、最大の要人となったのが、【元陸軍大本営参謀で、戦後は伊藤忠会長も務めた瀬島龍三〈せじま・りゅうぞう〉氏】である。自首してきた元関東軍参謀らとともに、捕虜収容所で特殊工作員として訓練されていた。
「シベリア抑留中の瀬島龍三が、日本人抑留者を前に『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』」と拳を突き上げながら絶叫していた」という、ソ連の対日工作責任者の証言もある。抑留中、「日本人捕虜への不当な扱いに対し身を挺して抗議したために、自身が危険な立場になった」と瀬島本人は語っているが、多くの証言があり、事実ではない。
 戦後、彼はスリーパーであることを完全に秘匿(ひとく)して、経済界の大物になってしまった。さらには、中曽根政権では、第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員などを務めたほか、中曽根総理のブレーンになったのである。
 私は警視庁のソ連・欧米担当の第一係長や、警視庁の外事課長も務めていたから、当然、瀬島龍三氏がスリーパーであることを知っていた。さまざまな会議は部会などで会う機会も多かったが、【彼は必ず目を逸(そ)らすのである】。お世辞を使った手紙をよこしたこともあった。
 内閣安全保障室長を辞めたとき、中曽根さんが会長を務める世界平和研究所の仕事を手伝ってくれと、ご本人からも熱心に頼まれたのだが、丁重にお断りしたところ、ほどなくして後藤田さんに呼ばれた。
「中曽根さんがあれだけ来てほしいと言って、礼を尽くして頼んでいるのに、どうしておまえは断るんだ」
「中曽根さんはいいけど、脇についているブレーンが気にくいません」
「たとえば誰だ?」
「瀬島龍三です」
「おまえはよく瀬島龍三の悪口を言っているけど、何を根拠にそう言ってるんだ?」
「私、外事課長だったんですよ。警視庁の」
 警視庁外事課が何をしていたのか一端を明かそう。KGBの監視対象者を尾行していると、ある日、暗い場所で不審な接触をした日本人がいた。別の班がその日本人をつけていったところ瀬島氏だったのだ。それを機に瀬島氏をずっと監視していたのである。
 彼が携わったと考えられるいちばん大きな事件が、1987(昭和62)年に発覚した「東芝機械ココム違反事件」である。
 東芝機械と伊藤忠商事は和光交易の仲介の下、1982年から84年にかけて、ソ連に東芝機械製のスクリュー加工用の高性能工作機械と数値制御装置やソフトウェア類を輸出した。これは対共産圏輸出統制委員会(ココム)の協定に違反していた。
 この工作機械によってソ連の原子力潜水艦のスクリュー音が静粛になり、米海軍に大きな脅威をもたらしたとして、日米間の政治問題に発展したのだが、【瀬島氏にとってはスターリン勲章ものの大仕事】だったはずだ。
 後藤田さんは「そうか。瀬島龍三は誓約引揚者か」と独りごちた。
 しばらくしたら、また後藤田さんが呼んでいるというので出かけていった。
「おまえの言っているのは本当だな。鎌倉警視総監を呼んで、佐々がこう言っているが本当かと聞いたら、『知らないほうがおかしいんで、みんな知ってますよ』と言っておった。君が言ってるのは本当だ」
「私の言うことを裏を取ったんですか、あなたは」
 そう言って苦笑したものだ。

 資料的価値があると考え、長文の引用となった。

 特定秘密保護法に反対する連中はこうした事実をどのように考えるのか? 報道の自由、知る権利、平和などを声高に叫ぶ輩(やから)は事の大小を弁(わきま)えていない。国家あっての自由であり、権利であり、平和である。

 この国は敗戦してから、平和という名の甘いシロップにどっぷりつ浸(つ)かり、その一方でアメリカの戦争によって経済的発展を享受してきた(アメリカ軍国主義が日本を豊かにした/『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー)。そして国家の威信は失墜した。既に国家の体(てい)を成していないといっても過言ではない。

 北朝鮮による拉致被害をなぜ解決できないか? それは憲法9条があるためだ。であれば、アメリカの民間軍事会社に救出を依頼してもよさそうなものだが、日本政府は指をくわえて眺めているだけだ。まともな国家であれば、直ぐさま戦争を起こしてもおかしくはない。それどころか日本政府は長らく拉致被害の事実すら認めてこなかったのだ。

 もちろん戦争などしない方がいいに決まっている。しかし戦争もできないような国家は国家たり得ないのだ。それでも平和を主張したいなら、パレスチナやチベット、ウイグルに行って平和を叫んでみせよ。



「瀬島龍三はソ連の協力者であった」(『正論』10月号)
マッカーシズムは正しかったのか?/『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
情報ピラミッド/『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯
「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎
「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
丹羽宇一郎前中国大使はやっぱり"売国奴"だった

2021-06-30

瀬島龍三を唾棄した昭和天皇/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫


『日本の秘密』副島隆彦
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 ・会津戦争のその後
 ・昭和天皇に御巡幸を進言
 ・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
 ・田中清玄の右翼人物評

『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 もう一つ彼(※中曾根康弘首相)に言っているのは、付き合う人間を考えろということです。彼の周りにはいろんな人間がいましたからねえ。
 例えば瀬島龍三がそうだ。第二臨調の時に彼は瀬島を使い、瀬島は土光さんにも近づいて大きな顔をしていた。伊藤忠の越後(正一元会長)などは瀬島を神様のように持ち上げたりしていたが、とんでもないことだ。かつて先帝陛下は瀬島龍三について、こうおっしゃったことがあったそうです。これは入江さんから僕が直接聞いた話です。
「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎(とが)めるわけにはいかない。しかし、許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし、戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」
 陛下は瀬島の名前をお挙げになって、そう言い切っておられたそうだ。中曾根君には、なんでそんな瀬島のような男を重用するんだって、注意したことがある。私のみるところ瀬島とゾルゲ事件の尾崎秀実は感じが同じだね。

【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)】

 かような人物が「昭和の参謀」と持て囃(はや)され、2007年(平成19年)まで生きた。これが「日本の戦後」であった。その狡猾と無軌道ぶりこそ戦後日本の歩みであった。国防を蔑(ないがし)ろにしながら経済一辺倒の政治を国民の支持し続けた。安倍政権は戦後レジームからの脱却を目指したが、瀬島龍三の影響を払拭していなかった。日本の弱さ、デタラメさがここにある。

 祖国を貶(おとし)める反日勢力を一掃できるかどうかに日本の命運が掛かっている。作家風情の丸山健二三島由紀夫を小馬鹿にするような風潮を見逃してはならないのだ。戦後教育の巧妙な刷り込みに気づかぬ国民が国を亡ぼすと銘記せよ。

2020-08-31

瀬島龍三と堀栄三/『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸


『情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記』堀栄三
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治

 ・瀬島龍三と堀栄三

・『「諜報の神様」と呼ばれた男 連合国が恐れた情報士官・小野寺信の流儀』岡部伸
・『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』小野寺百合子
・『杉原千畝 情報に賭けた外交官』白石仁章
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 クリミアのヤルタで密約が交わされる4ヶ月前の1944年10月10日、ハルゼー提督率いるアメリカ海軍の太平洋艦隊第三艦隊の艦載機が、沖縄、奄美諸島、宮古島などを爆撃した。12日からは台湾にある飛行場が集中的に攻撃された。しかし、これは、レイテ島上陸作戦を敢行するためのアメリカ側の陽動作戦だった。当時の大本営はそれに気づかず、連合艦隊司令部は、この爆撃に対して、傘下の空母の航空部隊や南九州に控えていた第二航空艦隊の爆撃機にハルゼー艦隊を攻撃するように命じたのだった。
 そこで12日からの4日間で、総数約900機の航空機が空母や各航空基地から飛び立ち、ハルゼー艦隊への攻撃を行った。
 攻撃から帰還したパイロットの報告を受けて日本海軍は多大な戦果を挙げたとして、大本営発表は5回にわたり続けられ、19日の6回目の発表では、「5日間にわたる猛爆。空母19、戦艦4など撃沈破45隻、敵兵力の過半を壊滅、輝く陸空一体の偉業」という大戦果とされた。戦況が悪化の一途を辿っているなかで、日本軍が久々の大戦果と言うことで大本営にも国民にも異様な興奮があった。そこで戦局の行方にも期待が高まった。
 台湾沖航空戦の大戦果に基づいて、捷(しょう)一号作戦として準備されていたルソン決戦は急遽レイテ決戦に変更された。
 しかし、作戦は失敗する。陸軍は第十四方面軍の精鋭部隊や内地からも部隊を送ったが、大本営発表とは逆にほとんど無傷だったアメリカ艦隊に補給路を断たれ、結果としてレイテ島も玉砕、10万人近くの日本兵が戦死する莫大な人的損害を出した。連合艦隊は事実上壊滅した。
 台湾沖航空戦の戦況認識に誤りがあったからだ。正確な戦果が判明するのは戦後になってからだが、実際には重巡洋艦2隻が大破にしたにすぎなかった。大戦果というのはまったくの虚報であった。その虚報をやみくもに信じた参謀本部の参謀たちの誤りによって、レイテ決戦の悲劇は引き起こされたのだった。
 ところが、この「台湾沖航空戦の大戦果」に疑問を持ち、「点検の要あり」という電報を出張先から大本営に打って報告していた人物がいたのである。これが大本営情報参謀だった堀栄三である。レイテ決戦から42年を経た1986(昭和61)年、大本営の元参謀だった朝枝繁春が明らかにしたのだった。
 第十六師団があるフィリピンに出張を命じられ、陸路で九州に向かった堀は、44年10月13日、フィリピンへの出発地である新田原(にゅうたばる)飛行場(陸軍航空機基地)に到着するや、同航空戦の影響と、悪天候のため離陸不可能と知らされた。そこで偶然にも台湾沖航空戦の本拠地となっていた鹿屋(かのや)飛行場に転進すると、事情の違いに驚かされた。帰還したばかりのパイロットから話を聞いてまわると、華々しい戦果の根拠が薄弱であることを突き止め、その場で参謀本部情報部長あてに、「戦果はおかしい。よく点検して作戦行動に移す必要あり」との暗号電報を打った。
 惜しむらくは堀の情報は参謀本部首脳に届かず、作戦行動に生かされることはなかった。打った電報は戦後も行方不明のままとなっていた。
 しかし、堀は、1958(昭和33)年になって、その電報の顚末について意外な人物から告白を受ける。その人物がシベリアから帰国した2年後のことであった。戦後、自衛隊に入っていた堀は第十四方面軍の元同僚から連絡を受け、虎ノ門にあった共済会館の地下食堂に向かい、その人物と対面した。

「そのとき【かれ】が言うんです。『ソ連抑留中もずっと悩みに悩み続けた問題の一つは、日本中が勝った勝ったといっていたとき、ただ一人それに反対した人がいた。あの時に自分が、きみの電報を握り潰した。これが捷一号作戦の根本的に誤らせた。日本に帰ったら、何よりも君に会いたいとずっと思っていた』と。握り潰したという言葉は、このとき初めて私が耳にした言葉でした。これが事実です」(保阪正康『瀬島龍三 参謀の昭和史』)

「握り潰した」という言葉を聞いて堀は言葉を失った。この意外な人物に、死活的な情報が大本営上層部に届けられる前に抹殺されていた。誤った過大な戦果情報を訂正することなく、その情報をもとにルソン決戦をレイテ決戦に作戦変更し、日本軍は玉砕し、幾万の命が散って行ったのであった。
 この人物こそ大本営作戦参謀だった瀬島龍三であった。開戦時から参謀本部作戦課に所属していた瀬島は、いうまでもなく堀が書簡で指摘した「奥の院」の実力者であった。
 堀は、この瀬島の告白を長い間、胸に収めて伏せていた。瀬島と同じ大本営作戦参謀だった朝枝には伝えたが、公表することはなかった。その朝枝が1986年になって初めて公にしたのだった。
 ところが、瀬島は後に、この告白を覆している。
「堀君の誤解じゃないかなあ」「記憶がない」
 多くのインタビューでは、否定を貫いた。自伝『幾山河』では、「この時期、自宅療養中」のため参謀本部にいなかったことにして、やはり、「堀君の思い違いではないないか」と告白したことを否定している。
「瀬島さんが父に告白したことは間違いありません。実は、その場(虎ノ門の共済会館地下食堂)に私も同席して聞いていましたから」
「賀名生(あのう)皇居」の屋敷で筆者を向かえてくれた堀の長男、元夫は柔和な笑顔で断言した。堀の電報を握り潰したことへの贖罪意識があったのだろうか、瀬島は、元夫に就職の斡旋を持ちかけた。大手商社マンだった元夫は断わり、その代わりに夫人が、瀬島が会長まで上り詰めた伊藤忠商事に勤務することになったという。瀬島が“手打ち”をしたのかもしれない。(中略)

 証言の確認は取れていないが、大本営参謀の間で密かに語られている次のような事実がある。

「堀の暗号電報は解読されたうえで、作戦課にも回ってきた。この電報を受けとった瀬島参謀は顔色をかえて手をふるわせ、『いまになってこんなことを言ってきても仕方がないんだ』といって、この電報を丸めるやくず箱に捨ててしまったという。そのときの瀬島の異様な表情を作戦課にいた参謀たちは目撃しているというのである」(『瀬島龍三』)

 瀬島が属していた超エリート集団である大本営作戦部作戦課は、堀が「奥の院」と指摘するように、どうにもならないほどに硬直化していた。自分たちが立てた作戦に合致する情報だけを選択し、それ以外は不都合なものとして抹殺していたのである。あくまで作戦上位、そのため主観的願望に溺れるということだ。この許し難い官僚主義こそ情報軽視の本質であった。それは日本型官僚機構が持つ倨傲(きょごう)であった。堀の電報握り潰し事件は、瀬島ひとりの責任ではなく、官僚化した作戦課という「奥の院」が生んだ悲劇であったのかもしれない。

【『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸〈おかべ・のぶる〉(新潮選書、2012年)】

 戦後日本を振り返ると瀬島龍三はキーマンの一人であると考える。瀬島は戦前の超エリートで陸軍中枢にいた。大東亜戦争はエリートが判断を誤ったところに大きな敗因があった。終戦後はシベリアに抑留されソ連に洗脳を施された。帰国後、堀栄三に謝罪したのはまだ良心の炎が辛うじて消えていなかったのだろう。彼の転向・二枚舌・無責任・経済的成功が日本の姿とピッタリと重なる。

 田中清玄入江相政侍従長から直接聞いた話として、「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」という昭和天皇の発言を自著に記している(Wikipedia)。

【『田中清玄自伝』大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉インタビュー(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)】

 この無責任こそが新生日本の方向を決定づけた。善悪を不問に付して政策は経済一辺倒に傾き、国防はアメリカに委ねた。高度経済成長を経てバブル景気に至る中で国民が憲法改正を望むことはなかった。占領期間に日本から牙を抜くことが戦後レジームだとすればそれは見事に成功した。

 小野寺信〈おのでら・まこと〉はバルト三国の公使館附武官を兼務した後、スウェーデン公使館附武官となりヤルタ会談の密約を入手し日本に打電したが、これを揉み消された。ここにも瀬島龍三が関与していると考えられる。その後、スウェーデン国王の仲介による和平を推し進めたが岡本季正〈おかもと・すえまさ〉駐スウェーデン公使の妨害で頓挫する。外務省の罪を検証する必要があるだろう。

 戦後レジームから脱却できない理由はただ一つだ。それは我々日本国民が自分たちの手で敗戦の責任を問うていないためだ。その意味から申せば、国民による「新東京裁判」が必要であると考える。

2019-12-31

瀬島龍三スパイ説/『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治


『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 ・第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった
 ・瀬島龍三スパイ説

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 瀬島龍三は関東軍高級参謀であり、ジャリコーヴォの停戦会談に同行し、東京裁判にソ連側承認として出廷するなど、シベリア抑留では何かと話題になった人物である。瀬島についてはシベリ抑留密約説やソ連スパイ説のような疑惑が根強く流されている。
 しかし、スパイとなった菅原(道太郎)は昭和22年に、志位(正二)は昭和24年に帰国していることからもわかるように、「スパイに同意すれば早く帰す」が条件だった。そうでなければ帰国後スパイとして利用価値のある高い地位に昇進できないからだ。現に、「日本新聞」編集長だったコワレンコは、シベリア抑留者から徴募する「エージェントの条件は、まず頭が切れる人、そして帰国後高い地位に就ける人だ」とし、そういう人を【早期に帰還する】グループに入れたとインタビューで証言している。(共同通信社社会部編『沈黙のファイル』)。
 瀬島は「戦犯」として長期間勾留され11年後に帰還しているが、対日スパイなら監獄で長々と無駄飯を食わせず早期帰国させたはずだ。瀬島は職業軍人と受刑者という人生経験しかないのに48歳という中年で伊藤忠商事に入社し、20年でトップの会長にまで上り詰める異例の出世を遂げたし、中曽根内閣でブレーンになるなど政治の世界でも活躍した。結果的には「帰国後高い地位」に就いたとはいえ、これをしもKGBの深慮遠謀とはいえまい。

【『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治〈ながせ・りょうじ〉(新潮選書、2015年)】

瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 歴史の評価もさることながら人物の評価ですらかくも難しい。瀬島が寝返るのに11年を要したと考えれば長勢の見方は崩れる。一方、佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉は印象や状況証拠に基づいており具体性を欠く。

 佐々は父の弘雄〈ひろお〉が近衛文麿のブレーンであり尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉と親しかったことが人生に長い影を落としている。また親友の石原慎太郎を「一流の政治家」とする判断力に蒙(くら)さを感じないわけでもない。それでも捜査現場で培ってきた勘を侮るわけにはいかない。個人的には「スパイの可能性がある」にとどめておきたい。

 ある情報を上書き更新するためには古い情報を上回る情報量が必要となる。例えば私が東京裁判史観から抜け出すためには数十冊の本を必要とし、100冊を超えてからは確信に変わり、200冊を上回ってからは国史から世界史を逆照射することができるに至った。学校教育やメディアから受けてきた些末な左翼思想を払拭するのにもこれほどの時間を要するのである。

 本書は過剰な形容がないため見過ごしてしまいそうな箇所に重要な事実が隠されている。440ページの労作が電車賃程度の値段で買えるのだから破格といってよい。敗戦の現実、列強の横暴、共産主義の非道、日本人の精神性の脆さ、国家の無責任を知るための有益な教科書である。

2020-09-17

大本営の情報遮断/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ

 また『戦史叢書』レイテ決戦の311頁には、

「既述のように大本営海軍部と連合艦隊は、16日から台湾沖航空戦の戦果に疑問を生ずるや、鹿屋航空部隊と共に調査して19日結論を出した。大本営陸軍部第二部は、台湾沖航空戦の戦果を【客観的に正確に】見ているのは堀参謀のみであるとしていた」

 と記述している(この既述から、堀が新田原〈にゅうたばる〉から打った電報は、大本営陸軍部は承知していたと想像されるが、これが握り潰されたと判明するのは戦後の昭和33年夏だから、不思議この上ないことである。しかし大本営陸軍部の中のある一部に、今もって誰も覗いていない密室のような奥の院があったやに想像される)。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)以下同】

「奥の院」(※大本営作戦部作戦課)はブラックボックスである。誰がどう判断したかがわからないのだから責任を取らずに済む。ここで采配を振るい、情報の吟味をしたとされるのが瀬島龍三中佐である。軍の頭脳ともいうべき超エリート集団は目や耳から入ってくる情報を遮断し、実現不可能な計画をひたすら妄想していた。

 当時レイテ島への米軍の上陸可能正面は、実に40キロ以上もあって、いかに精鋭とはいえ、一個師団では一列に並べても、至るところ穴だらけであることは、机の上で計算してもわかる。大本営作戦課の捷一号作戦を計画した瀬島龍三参謀が、8月13日にレイテを視察しているが、本当にこれで大丈夫だと思ったのだろうか。

 机上の計画は8万人の死者を生んだ。その多くが餓死であった。堀栄三の報告が容れられれば彼らは死なずに済んだ。瀬島が戦後官僚のテンプレートとなったような気がする。彼は11年のシベリア抑留を経て、帰国後伊藤忠商事へ入社。4年で取締役にまで昇進した。その後会長となり中曽根政権のブレーンを務めた。

 第二は、ソ連の参戦であった。2月11日のヤルタ会談で、スターリンは「ドイツ降伏後3ヶ月で対日攻勢に出る」と明言したことは、スウェーデン駐在の小野寺武官の「ブ情報」の電報にもあったが、実際にはこの電報は、どうも大本営作戦課で握り潰されたようだ。しかし情報部ソ連課でも、スターリンの各種の演説の分析、20年4月15日の日ソ中立条約破棄の通告、クリエールにいった朝枝参謀の報告、浅井勇武官補佐官のシベリヤ鉄道視察報告などで、極東に輸送されるソ連の物資の中に防寒具の用意が少いという観察などから、ソ連は8、9月に参戦すると判断していたくらいだから、当然米国でもソ連の参戦のことを日本本土上陸時期の選定に噛み合せて考えていたであろう。

 ここを確認するために再読せざるを得なくなった。堀の筆致は淡々としていて通り一遍で読むだけでは情報の軽重が測りにくい。「ブ情報」とはポーランドのブジェスクフィンスキ少佐を指す。ポーランドは連合国であったが小野寺信〈おのでら・まこと〉というキーパーソンを軸に諜報活動では協力関係にあった。戦争は人間同様複雑なものである。

 再読してわかったが三読、四読にも耐える教科書本である。

2020-04-26

丹羽宇一郎前中国大使はやっぱり"売国奴"だった


 かつて作家の深田祐介氏が当時、伊藤忠商事の役員だった丹羽氏をインタビューした時の発言をこう書いている。

〈中国熱に浮かされ、ほとんど発狂に近い陶酔状態にあった。丹羽氏は私に向かい、「将来は大中華圏の時代が到来します」と言い切ったのだ。

「すると日本の立場はどうなりますか」と私は反問した。「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」。丹羽氏は自信に満ちてそう明言したのだ。(中略)

「日本は中国の属国にならなくちゃならないんですか」と私が聞き返すと、「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と繰り返したのである〉

こんな人物を売国奴と言わなくてどうする。こんな人物を中国大使に任じた民主政権の罪は重い。

花田紀凱 - 個人 - Yahoo!ニュース 2014/6/25(水) 17:50

「丹羽氏の出身母体は『中国最強商社』を自任する伊藤忠商事ですが、『伊藤忠は中国で仕入れた食料をイオンにおろしている』(外務省筋)という関係もあるのかもしれません」と阿比留瑠比〈あびる・るい〉が書いている。伊藤忠商事と聞けば瀬島龍三〈せじま・りゅうぞう〉の名前が浮かぶが、彼もまた「ソ連のスパイ」疑惑がつきまとった。

瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

2021-06-29

昭和天皇に御巡幸を進言/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫


『日本の秘密』副島隆彦
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 ・会津戦争のその後
 ・昭和天皇に御巡幸を進言
 ・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
 ・田中清玄の右翼人物評

『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ――『入江日記』によれば、お会いになったのは、1945(昭和20)年12月21日ですね。

 ええ。場所は生物学御研究所の接見室で、石渡荘太郎宮内大臣、大金益次郎次官、藤田尚徳侍従長、木下道雄侍従次長、入江相政侍従、徳川義寛侍従、戸田康英侍従らがご臨席でした。大金さんは「君が思うことをお上にお話ししてくれて結構だ。君は思うことをズバズバ言う方だから、その通りにやってもらいたい」と言われた。

【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)以下同】

 これほど面白い人物はそうそういない。小室直樹池田大作を軽く凌駕していると思う。元々は瀬島龍三の部分だけ確認するつもりで読んだ。ところが一気に引きずり込まれた。大言壮語や嘘がつきまとう人物だが、それを割り引いても圧倒的な面白さがある。

 それから私は三つのことを申し上げた。一つは、
「陛下は絶対にご退位なさってはいけません。軍は陛下にお望みでない戦争を押し付けて参りました。これは歴史的事実でございます。国民はそれを陛下のご意思のように曲解しております。陛下の平和を愛し、人類を愛し、アジアを愛するお心とお姿を、国民に告げたいと思います。摂政の宮を置かれるのもいけません」
 ということ。当時、退位論が盛んでしたから、摂政の宮をおけという議論もあった。もう一つは、
「国民はいま飢えております。どうぞ皇室財産を投げ出されて、戦争の被害者になった国民をお救いください。陛下の払われた犠牲に対しては、国民は奮起して今後、何年にもわたって応えていくことと存じます」
 ということ。三つ目は、
「いま国民は復興に立ち上がっておりますが、陛下を存じ上げません。その姿を御覧になって、励ましてやって下さい」
 というものだった。

 ――それに対する昭和天皇のお答えは。

「うーん、あっ、そうか。分かった」と。そりゃあ、もう、びっくりしたような顔をされて、こっちがびっくりするぐらい大きく頷かれたなあ。その後、これを陛下はすべて御嘉納になられて、おやりになった。

 田中清玄(きよはる)が本当に日本のことを考えていたことがよくわかる。しかも自分を大きく見せようとする姿勢が微塵もない。昭和天皇の御巡幸を日本国民は伏し目がちに迎え、声の限りを尽くして万歳を叫んだ。この陛下と国民との邂逅(かいこう)が復興の転機となるのである。


 ――昭和天皇のほうからは、どんなお話があったのですか。

 次々と御下問がありました。私の出身の会津藩のことや、土建業をおこして、戦後の復興に携わっていることなど、いろいろ聞かれ、「田中、何か付け加えることはあるか」とおっしゃった。それで私は「昭和16年12月8日の開戦には、陛下は反対であったと伺っております。どうしてあの戦争をお止めにはなれなかったのですか」と伺った。一番肝心な点ですからね。そうしたら言下に、
「自分は立憲君主であって、専制君主ではない。憲法の規定もそうだ」
 と、はっきりそう言われた。それを聞いて私はびっくりした。我々は憲法を蹂躙(じゅうりん)して勝手なことをやって、俺なんか治安維持法に引っかかっている。そんなにも憲法というものは守らなければいかんものなのかと(笑)。最初は20~30分ということでしたが、結局、1時間余りですかねえ。それで僕は、お話し申し上げていて、陛下の水晶のように透き通ったお人柄と、ご聡明さに本当にうたれて、思わず「私は命に懸けて陛下並びに日本の天皇制をお守り申し上げます」とお約束しました。そうしたら、終わって出てきてから、入江さんに「あなた、大変なことを陛下にお約束されましたね」って言われたなあ。それと「我々が言えないことを本当によく言ってくれました」とね。

 これまた重要な歴史的証言である。田中の率直な問いに、陛下は率直な答えで応じている。天皇が神であるのは、一切の人間らしさを捨てて原理に生きているためなのだろう。私は「人間ではない」という意味において天皇陛下は神であると受け止めている。

2014-09-23

佐々淳行、沢木耕太郎


 2冊読了。

 65冊目『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)/菅沼光弘の発言(「謀略天国日本 日本は情報戦をどう戦うか?」か「さようなら韓国、さようなら戦後体制」のどちらか)を確認するために読んだ。「瀬島龍三はソ連のスリーパー(潜伏スパイ)だった」。確かに書いてあった。瀬島は伊藤忠商事会長を務め、中曽根首相のブレーンにまでなった人物だ。最大の仕事は東芝機械ココム違反事件(1987年)で、規制されていた工作機械をソ連に輸出し原子力潜水艦のスクリュー音を静かにすることが可能となった。瀬島は誓約引揚者だった。後藤田正晴のもとで八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をする姿を赤裸々に綴っており、佐々はフレデリック・フォーサイスの小説にまで登場している。こんな凄い人物だとは思わなかった。

 66冊目『』沢木耕太郎(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)/山野井泰史・妙子夫妻を描いたノンフィクション。かつてテレビ番組で紹介されていたので粗筋は知っていた。夫婦ともに世界トップクラスのクライマーである。どれどれと思いながら開いてみたところ、一日半で読み終えてしまった。8000メートルをわずかに下ることから今まで注目されてこなかったエベレストに連なるギチュンカンへの無酸素アタック。『神々の山嶺』そのままの世界だ。山野井泰史が単独で制覇。下山の際に夫妻は雪崩に襲われる。衝撃で二人は目が見えなくなる。素手でクラックをまさぐり、1本のハーケンを打ち込むのに1時間を要した。ロープだけのブランコ状態でのビバーク、ライターを落とし手袋まで落としてしまう。それでも二人は生還した。後日譚がまた泣かせる。山野井夫妻ほど自由に人生を謳歌している人物を私は知らない。

2021-07-01

田中清玄の右翼人物評/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫


『日本の秘密』副島隆彦
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 ・会津戦争のその後
 ・昭和天皇に御巡幸を進言
 ・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
 ・田中清玄の右翼人物評

『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ――話は飛びますが、安岡正篤氏とはお付き合いがありましたか。

 全然ありません。そんな意思もありませんしね。有名な右翼の大将ですね。私が陛下とお会いしたという記事を読んで、びっくりしたらしい。いろいろと手を回して会いたいといってきたけど、会わなかった。私は当時、アラブ、ヨーロッパなどへ言ったり来たりで、寸刻みのスケジュールだったこともありましたが、天皇陛下のおっしゃることに筆を加えるような偉い方と、会う理由がありませんからと言ってね(笑)。私には自己宣伝屋を相手にしている時間の余裕などなかった。

【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)以下同】

「筆を加えるような」とは終戦詔書(=玉音放送)を校閲したことを指す(『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒)。細木数子が結婚騒動を起こして安岡の晩節を汚している。多分そういう人物だったのだろう。戦前戦後を通して長く政治家の指南役を務めた人物だ。田中の人物評は寸鉄人を刺す趣がある。しかも直接見知っているのだからその評価は傾聴に値する。

終戦の詔書 刪修 | 公益財団法人 郷学研修所・安岡正篤記念館

 児玉(誉士夫)は聞いただけで虫唾(むしず)が走る。こいつは本当の悪党だ。児玉をほめるのは、竹下や金丸をほめるよりひでえ(笑)。赤尾敏というのもいたな。彼をねじあげて摘み出したことがあった。俺がまだ学生の頃です。

 児玉誉士夫〈こだま・よしお〉は特攻生みの親・大西瀧治郎〈おおにし・たきじろう〉の自決(介錯なしの十字切腹)に立ち会ったエピソードが有名だ。児玉も後に続こうとしたが「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と大西は諫(いさ)めた。首と胸を刺したが大西は半日以上も苦痛の中で生きた。いかなる悪事に手を染めようと児玉の心中では大西が生きているのではないかと私は考えてきた。が、違ったようだ。

 ――戦後の右翼はどうですか。

 ほとんど付き合いはありません。土光さんが経団連会長の時に、野村秋介(しゅうすけ)が武器を持って経団連に押し入り、襲撃したことがありましたね。政治家と財界人の汚職が問題になった時のことでした。どこかの新聞社の電話と野村とが繋がっていると聞いたので、俺はすっ飛んで行って、その電話を横取りするようにひったくって、こう言ってやった。
「おい、野村、貴様、即刻自首しろ。貴様は土光さんに会いたいというなら、それは俺が取り計らってやるとあれほど言ったじゃねえか。それを、約束を破って経団連を襲うとは何ごとだ」
 そうしたら、野村はつべこべ言った揚げ句に、謝りに来ると言うから「貴様は約束を反古にした。顔も見たくねえ」と言って、それっきり寄せつけない。約束を守らないようなやつは駄目だ。その前に藤木幸太郎さんに一度会わしたことがあったが、藤木さんは「あいつは小僧っ子だな」って、そう言ったきりだったな。

 昨今、ネット上で児玉誉士夫や野村秋介を持ち上げる人物がいるので、慌てて書評をアップした次第である。新右翼は「左翼への対抗」を目的としており理論武装せざるを得ない。そして左翼と同じ体臭を放つようになる。

 ――三島由紀夫という人物をどう評価されますか。

 剣も礼儀も知らん男だと思ったな。自衛隊に入りたいというので、世田谷区松原にあった僕の家に、毎日のように来ていたんだが、2回目だったか、「稽古の帰りですので、服装は整えてませんが」とか言って、紺色の袴に稽古着を着け、太刀と竹刀を持って寄ったことがある。不愉快な感じがした。これは切り込みか果し合いの姿ですからね。人の家を訪ねる姿ではありませんよ。

 生真面目な三島がそれを知らなかったとは思えない。悪ふざけか冷やかしのつもりだったのだろう。それが通用する相手ではなかった。三島が田中に胸襟を開いていれば長生きした可能性はあっただろうか? 否、長く生きて輝きを失うよりは、花の盛りで散ってゆくことが彼の願いであったに違いない。

 私が本当に尊敬している右翼というのは、二人しかおりません。橘孝三郎さんと三上卓君です。二人とは小菅で知り合い、出てきてからも親しくお付き合いを致しましたが、お二人とも亡くなられてしまった。橘さんは歴代の天皇お一人お一人の資料を丹念に集めて、立派な本を作られた。そのために私もいささかご協力をさせていただきました。

 三上卓については『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』(小山俊樹〈こやま・としき〉著、中公新書、2020年)が詳しい。野村秋介の師匠である。

2020-09-25

会津戦争のその後/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫


『日本の秘密』副島隆彦
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 ・会津戦争のその後
 ・昭和天皇に御巡幸を進言
 ・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
 ・田中清玄の右翼人物評

『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ――昭和3年、秩父宮殿下が松平家の勢津子さんと結婚されたとき、会津の人達は「これで賊軍の汚名は晴らされた」と、泣いて喜んだという話を聞いたことがあります。

 その通り。もともと会津武士たちを賊軍扱いにしなかったのは、大本営にいた西郷隆盛さんですよ。実際の司令官で会津まで来ていたのは黒田清隆、その下に板垣退助中島信行がいた。彼等は会津戦争の悲惨さを実際に見て知っている。田中の家の隣が西郷頼母の家で、そのあたり一帯は梅屋敷と呼ばれていたのですが、西郷家などは、12歳の少女まで21名全員が自決し、最後に奥方が命を絶っているんですね。板垣、中島はここへも検分に来ていますが、あまりの悲惨さに、黙って手を合わせただけで出てきたという話も残っています。こうした様子を二人は、大本営にいた西郷隆盛さんにつぶさに報告したんだと思いますね。
 ですからいくさがすんだ後は、函館の五稜郭に立て籠もった榎本武揚大鳥圭介以下、一人も殺されていないし、みな禁錮2年とか4年ぐらいで出てきて、その後、北海道開拓使長官となった黒田清隆が会津の武士たちを積極的に取り立てています。
 しかし、田中家としては中老・玄純は北海道で亡くなり、大老・玄清は会津で腹を切り、一族のものは散り散りばらばらですよ。それは悲惨なものでした。とくに新政府の命令で下北半島の斗南(となみ)にやられた者たちは大変でした。これはもう人間の住むところじゃないですよ。核燃料のリサイクル基地か何かにしようと、今もむつ小川原あたりでやっているが、大変な湿地帯のうえに土地が荒れて作物が育たないから、食べ物に難渋しましてねえ。
 田中玄純の倅に源之進玄直(はるなお)という者がおりますが、これが私の曾祖父です。この人も黒田清隆に取り立てられた一人です。

【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)】

「戦前に逮捕されて共産主義から転向し、戦後は政商になった人物」程度に思っていた。底の浅い先入観は見事に外れた。まあ、とんでもない人物だ。在野の国士と言ってよい。岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉は立場上、発言が慎重にならざるを得ないが、田中清玄(1906-93年)はビックリするほど明け透けに語る。筋を通す生き方がいかにも会津人らしい。

 田中は戦前の非合法時代における武装共産党の中央委員長を務めた。学生時代に空手を行っていたので腕っ節も滅法強い。田中が転向したきっかけは実母の諫死(かんし)であった。詳細には触れていないが多分切腹したものと思われる。その瞬間、田中は「やったな!」と直感したという。その後獄中にあってスターリンの胡散臭さを見抜いていた彼は「果たして何が真実なのか?」という哲学的煩悶に取り憑かれる。田中が出した答えは「尊皇」であった。会津士魂が蘇ったとしか思えない。

 長らく抱えていた疑問が氷解した。山川捨松〈やまかわ・すてまつ〉の留学(『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武)も同様の措置であったのだろう。ただし、それで清算できたわけではない。

 1986年に、友好都市提携の申し入れを拒否した。萩市は、戊辰戦争で会津藩と戦った長州藩の本拠地である。萩市から、敵として戦った戊辰戦争から120年を記念しての友好都市提携の申し入れがあったが、会津若松市民の間から「我々は(戊辰戦争の)恨みを忘れていない」、当時の福島県知事松平勇雄を指し「孫がまだ生きている」との意見があったため、これを拒否した。ただ、実際この騒動の後に萩市と会津若松市は友好都市関係を結ぶことこそ無かったが、活発に交流するようになり、この騒動はそのきっかけとなった。

Wikipedia:会津若松市

 会津藩は朝敵となってしまったため靖国神社にも祀(まつ)られていない。靖国神社にとっては瑕疵(かし)で済まされない歴史である。

2019-08-19

常識を疑え/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代

 ・石原吉郎と寿福寺
  ・寿福寺再訪
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 しょくん、しょくんは、テンノウとかコウシツとかゆうものをもち出されると、畏れ多いと頭を下げる。
 しかし、考えろ、いったい、テンノウがなぜ尊いのか? と。
 そんなことを考えちゃいけない、と言うやつがいる、また考えたってわかるもんじゃないなどとも。けれども、ほんとに尊く畏れ多いものなら、それを考えれば考えるほど、尊さありがたさがしみじみ魂にしみこむものでなければならないはずだ。
 しょくん、ごまかされちゃいけない。よく考えろ。それを考えるな、などとゆうのは、何か後ぐらいところがあるんだ。手品の種が、ばれそうなんだ。(※菅季治が京大で学びながら、京都府立五中の嘱託教師をしていた頃、試験問題の裏に鉛筆で書いた文章。1943.11.20)

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 圧力や熱は物質を変化させる。シベリア抑留は人々の地金(じがね)を炙(あぶ)り出し、純化した。

 菅季治〈かん・すえはる〉が上記文章を書いたのは1943年(昭和18年)のことである。日本が開戦以来初めて大敗を喫したミッドウェー海戦の翌年にあたる。戦局が日増しに厳しくなる中で26歳の青年が放った疑問は軍部の焦りを見事に照射している。仮に管が共産主義にかぶれていたとしても決して安易な天皇批判になってはいない。彼が批判したのは「盲信」であった。

 石原吉郎・鹿野武一・菅季治は三者三様の戦後を歩んだ。否、瀬島龍三〈せじま・りゅうぞう〉も香月泰男〈かづき・やすお〉も内村剛介〈うちむら・ごうすけ〉もそれぞれの道を歩んだ。シベリア抑留は人間を変えた。二度と元に戻ることはなかった。

 菅季治はシベリアで何を見たのだろうか? それが何であったにせよ、彼はもっと悲痛なものを帰国した日本で見たに違いない。プリーモ・レーヴィと同じだ。真の地獄はありふれた平和な日常の中にこそあるのだ。人間は人間の邪悪に絶望する。信じられるものがなくなった時、人間は人間であることをやめる。

2018-09-07

東大法学部系の憲法学者が日本を崩壊へと誘う/『憲法と平和を問いなおす』長谷部恭男


 ・東大法学部系の憲法学者が日本を崩壊へと誘う

『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
・『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』篠田英朗
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖

 より深刻に見える問題は、そうした身分制秩序の「飛び地」に暮らす天皇が、憲法によって、日本国の象徴とされていることである(憲法第1条)。全体としては、普遍的人権を享有する平等な国民によって担われるはずの日本の憲法体制を、固有の身分に即した特殊な特権と義務を持つ天皇が象徴することには、明らかに不自然さがある。
 もっとも、この問題は、みかけほど深刻ではないという見方もありうる。象徴、シンボルとは、抽象的な観念や事態を示す具体的なモノやヒトを指す。鳩は平和の象徴であり、白百合の花は純潔の象徴であり、マクドナルド・ハンバーガーはアメリカ帝国主義の象徴であるといった具合である。ある具体的なモノを抽象的な観念や事態の象徴であると実際に考えるか否かは、人々が、その具体的なモノを抽象的な観念や事態の象徴であると実際に考えるか否かに依存する問題である。鳩が平和の象徴であるのは、そのように多くの人々が考えるという事実があるからであって、多くの人がそうは考えなくなれば、鳩は平和の象徴ではない。

【『憲法と平和を問いなおす』長谷部恭男〈はせべ・やすお〉(ちくま新書、2004年)以下同】

 私自身は憲法改正を望んでいる。特に拉致被害や竹島問題、中国共産党による領空・領海侵犯、北朝鮮による核恫喝外交を鑑みて9条を変える必要があると考えている。っていうかさ、この期に及んで「護憲派」を名乗る連中は頭がどうかしているだろ? 私はまたその成り立ちからして現憲法は容認し難い。速やかに憲法を改正して、普通の軍隊と情報機関を設けるのが当然だろう。

国益を貫き独自の情報機関を作ったドイツ政府/『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 長谷部恭男は東大の名誉教授。衆議院憲法審査会(2015年6月4日)の参考人質疑で与党が推薦した憲法学者でありながら、集団的自衛権に対して「違憲」を主張したことで話題となった人物だ。公明党が長谷川の推薦に関与していないとすれば(憲法審査会 長谷部教授の参考人推薦、公明は関与否定)、自民党はしっかりと内部調査をするべきだ。

 天皇陛下の立場を「身分」と捉え、鳩やマクドナルドになぞらえるような人物なのだ。しかも筆が滑ったと見えてアメリカに「帝国主義」を付けてしまっている。「私は左翼です」と名乗ったも同然だ。

 既に何度も書いている通り、日本は天皇陛下を中心とした一君万民思想があったからこそ奴隷の存在がなかった(武田邦彦の受け売り)。そうした日本の歴史を無視する者は共産主義体制か共和制を目指していると考えざるを得ない。

 憲法は、天皇がこの抽象的な存在である日本の象徴だというのであるが、それには、「国民の総意に基づく」という限定がついている(憲法第1条)。鳩が平和の象徴であるか否かが、多くの人々がそのように鳩のことを考えるか否かという事実に依存しているように、天皇が日本の象徴であるか否かも、国民の多くがそのように天皇を考えるか否かという事実に依存している。日本国の象徴たる天皇の地位が「国民の総意に基づく」というのは、したがって、当然のことがらを確認しているだけのことである。
 つまり、多くの国民が、身分制秩序のなかで生きる天皇を現在の日本の象徴と考える不自然さに気づいて、天皇を日本の象徴と考えなくなれば、天皇は日本の象徴ではなくなり、冒頭の問題も解消する。そのことを、憲法は暗に示唆していることになる。

「国民の総意に基づく」と書いてある憲法の方こそおかしいのだ。現行憲法を金科玉条のごとく崇め、その解釈をするのが憲法学者だという思い上がりが見える。「身分制秩序のなかで生きる天皇を現在の日本の象徴と考える不自然さ」と書く自分の不自然さに気づいていない。日本の伝統を「不自然」と感じるのだから長谷部は共産主義者に違いあるまい。

 長谷部は近著で「憲法学者以外の者は、憲法について語るべきではない」とまで主張している模様。

長谷部恭男教授の「憲法学者=知的指導者」論に驚嘆する – 篠田英朗

 東大法学部系の憲法学者が日本を崩壊へと誘(いざな)う。彼らは自分を高みに起きながらも国防や外交において責任を取ることがない。9条を擁護するのであれば竹島に上陸してもらいたいよ、俺としては。また彼らは北朝鮮による拉致被害をどのように考えているのか? 憲法が国民を守っていない現実をどう見つめているのか?

 文部行政による補助金の扱い方を直ちに変える必要がある。反日教授や教師がのさばっている現状は政府与党にも責任がある。

日本の憲法学が憲法を殺した」という小室直樹の指摘がよくわかった。

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)
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2016-08-01

情報ピラミッド/『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯


『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義』北野幸伯

 ・情報ピラミッド

『プーチン最後の聖戦  ロシア最強リーダーが企むアメリカ崩壊シナリオとは?』北野幸伯
『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯
『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯
菅沼光弘

 実はこの世界には、いくつかの情報ピラミッドがあります。
 米英ピラミッド・欧州ピラミッド・中国ピラミッド・イスラムピラミッド・ロシアピラミッド等々。ピラミッドが違うと、同じ事件に対する見解が全く異なるのです。
 皆さんご存知ないかもしれませんが、日本は米英情報ピラミッドの下流にあります。
 日本にはもちろん報道の自由があります。しかし、その解釈はどうしても、米英ピラミッドの外に出ることはないのです。これは、いくらCNNを見ても、英字新聞を熟読しても同じこと。
 ロシアピラミッドの否定的な面は、あまりどっぷりつかりすぎると、クレムリンに洗脳されてしまうこと。肯定的な面は、ロシアピラミッドには、世界を支配する米英のネガティブ面について報道規制が全くないということです。
 これらの要因で、私は自然と多角的に物事を見るようになりました。そしてわかったことは、「政治経済というのは、【案外因果関係がはっきりしている】」ということでした。

【『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(ダイヤモンド社、2008年)】

「イスラムが行うとテロで、アメリカが行えばテロと呼ばれないのはおかしい」と武田邦彦が指摘するのも、米英ピラミッドを疑えというメッセージなのだろう。所属・帰属が情報を大幅に制限する。

 特に政治性や宗教性は人間の脳を束縛する。洗脳とは「ブレイン・ウォッシュ」の訳語であるが、洗われ、漂白された脳が特定の色に「染め上げられる」。完璧な洗脳は他人からの支配を自分の意志と錯覚させる。

 監禁・睡眠不足・暴力を伴う洗脳をソフトにしたものがマインドコントロールである。マインドコントロールはカルト宗教やマルチ商法の専売特許ではない。操作性という意図がマインドコントロールの本質である。教育は親子であろうと学校であろうと子供を自由にするためではなく、隷従させるために行われる。大人の指示・命令に子供が従う時、我々は「お利口だね」と言う。聞き分けのよいことが賢いこととされるのだ。褒められるという報酬によって子供は更なる隷従へ向かう。

 古来から伝わる神話には健全な社会秩序形成という目的があったと考えられるが、メディアのマス化(新聞・ラジオ・テレビ)以降は操作性が強くなる。社会主義国ではプロパガンダに進化し、資本主義国では広告に発展する。情報は加工・修正・粉飾を施され、人々を惑わす。

 なぜ日本は米英ピラミッドの下流にあるのか? それは情報(諜報)機関を持たないゆえである。

アメリカからの情報に依存する日本/『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 この国は同胞が北朝鮮に拉致されても目を覚ますことがない。戦後、国家の安全保障をアメリカに委ね、日本はのうのうと経済発展を遂げた。豊かさと引き換えに自国の歴史を見失い、確かな国家観を持つことを忌避し、漫然と平和を強調してきた。「ああ、平和は雄志を蝕む」(『三国志』吉川英治)。

 外側の視点に立たなければ閉ざされた世界を知ることができない。まずは新聞とテレビの情報を疑うことだ。

隷属国家 日本の岐路―今度は中国の天領になるのか?
北野 幸伯
ダイヤモンド社
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2015-04-24

イラク日本人人質事件の「自己責任」論/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・瀬島龍三はソ連のスパイ
 ・イラク日本人人質事件の「自己責任」論

『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 私が意見具申したのは、この事件は周囲の人が止めるのも振り切ってバクダッド陥落1周年というもっとも危険なときに、無謀にも現地入りをした本人たちの「自己責任」の問題であるということを前提に、
(1)善意のNGOを人質にするのは許しがたいとの日本政府の怒りの表明
(2)すぐ解放せよという要求
(3)自衛隊はイラク復興のためにサマワに派遣されたのであって、1発も撃っていない。老幼婦女子を殺しているという犯行グループによる非難は、まったく当たらないという、強い否定。
(4)したがって、撤退はしない
(5)だが日本政府は、人名尊重の見地からアメリカ特殊部隊の力を借りてでも人質は必ず救出する

 という5点だった。
 この意見具申の電話は、家内が後ろで聞いていた。また、私はすぐさま佐々事務所の石井事務局長にも内容を伝え、「官房長官はハト派だから、たぶんこのノー・バットの強硬な意見はボツだろうね」と話し合っていたところ、驚いたことに、この意見具申の12分後、福田官房長官が緊急記者会見を行い、順番まで私の言った通りに政府声明をテレビで発表したのである。

【『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)以下同】


(1分30秒から福田官房長官)

 佐々が伝えた相手は自民党国対委員長をしていた中川秀直だった。国家の危機管理という視点から見事なアドバイスが為されていると思う。だが佐々が提案した「自己責任」論は直ぐさま暴走を始め、人質となった3人に対して昂然とバッシングが行われた。まざまざと記憶が甦る。私も自己責任との言葉に乗せられた一人だ。テレビカメラ越しに見た彼らの印象がよくなかった。人質の一人(共産主義者であると自ら表明)が日本の空港で出迎えた両親と口論する様子まで報じられた(下の動画2分53秒から)。


 イラク日本人人質事件(2004年)はまず4月に高遠菜穂子〈たかとお・なほこ〉ら3人が解放され、同月さらに2人が解放された。しかし10月に1人が殺害された。インターネット上には斬首動画が出回った。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」との声明を発表した。

 後に高遠菜穂子がこう語っている。

 ちょうど新潟県中越地震が起きたばかりのときだったんですけど、「新潟の被災者とか、日本にも困ってる人はいっぱいいるのに、それを放っておいて外国で何をやってる」ということだったみたいです。でも、最初は意味がわからなくて。「うーん、でも私の身体は一個しかないし、今はイラクのことで忙しいので、じゃあすいませんけどあなたが新潟に行ってもらえますか」とか、真面目だけどかなりとんちんかんな返事をしてました(笑)。
 事件前から同じようなことは言われてたんだけど、私は「日本の中も外も同じ」みたいに思っていたから。事件後にものすごい剣幕でそう言われたときは、本当に意味がわからなかったです。

高遠菜穂子さんに聞いた その2

 当初から「これがアメリカであれば彼らは英雄として迎えられたことだろう」と言われた。日本のマスコミは彼らを袋叩きにした。「解放された人質3人の帰国を待っていたのは温かな抱擁ではなく、国家や市民からの冷たい視線だった」(ニューヨーク・タイムズ)。

 日本の共同体を維持してきた村意識にはリスクを嫌う性質がある。「出過ぎた真似をするな」というわけだ。善悪の問題ではなくして、こういうやり方で日本の秩序は保たれてきたのだろう。また「遠くの親戚より近くの他人」という俚諺(りげん)が人質となった彼らには不利に働く。日本人に深く根づく「内と外」意識は単純な理屈で引っくり返せるような代物ではない。

 もちろん自己責任は自業自得と同義ではない。自国民の救出・保護に全力を尽くすのは国家の責務である。日本政府としては、何としても人質を救出するぞという確固たる決意があった。

 国家の危機管理を行う立場からすれば、佐々が示した対応はほぼ完璧に近い。ただし自己責任論が予想以上の広がりを見せたことに苦い思いがあったのだろう。

 今年の1月、イスラム国で二人の日本人が殺害された。そして、またぞろ自己責任論がまかり通った。日本の民族的遺伝子には元々モンロー主義的要素があるような気がする。「君子危うきに近寄らず」「触らぬ神に祟りなし」と。

 佐々淳行や菅沼光弘の目の黒いうちに中央情報機関の設置を強く望む。特に最近、中国や韓国による歴史捏造は目に余るものがあり、日本にとって最大の危機といっても過言ではない。正確な情報できちんと反撃しておく必要がある。


2019-12-26

第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった/『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治


・『シベリア捕虜収容所』若槻泰雄
・『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん
・『スターリンの捕虜たち シベリア抑留』ヴィクトル・カルポフ:長勢了治訳
・『二つの独裁の犠牲者 ヒトラーとスターリンの思うままに迫害された…数百万人の過酷な運命』パーヴェル・ポリャーン:長勢了治訳
・『シベリア抑留全史』長勢了治

 ・第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった
 ・瀬島龍三スパイ説
・『知られざるシベリア抑留の悲劇 占守島の戦士たちはどこへ連れていかれたのか』長勢了治

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 第二次世界大戦の結果、連合国のアメリカ、イギリス、フランス、オランダは少しも領土を広げていないどころかむしろアジア・アフリカ諸国の独立によって広大な植民地を失うことになるが、ソ連だけはバルト三国、ポーランド東部、東プロイセンの一部(ケーニヒスベルク)、ルーマニア東部(北ブコヴィナ、ベッサラビア)、チェコスロヴァキア東部(ルテニア)、フィンランド東部(カレリア地方)、日本の樺太・千島を併合して領土を拡大した。さらにヤルタ協定によって東欧諸国(東ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア)を勢力下におき共産化した。
 戦後になって領土を拡大した国がもうひとつある。中国である。戦後、満州はそもそも八路軍の拠点となり、国共内戦中の昭和22(1947)年には早くも「内モンゴル自治区」が成立して、昭和24(1949)年10月に中華人民共和国が成立するや満州も内モンゴルも領土に組み込まれた。新疆地区には共和国成立後に人民解放軍が侵攻して昭和30(1955)年に「新疆ウイグル自治区」として編入した。チベットには昭和25(1950)年10月に人民解放軍が侵攻し、翌昭和26年5月のチベット協定で「チベット自治区」などとして中国に編入した。
 シナが他国を乗っ取るときに使う伝統的手法が「洗国」である。まず国内の流民を「他国」に数十万人規模で移住させ、次々に漢人を送り込んで漢人に同化させる(この入植政策を毛沢東は「砂を混ぜる)と呼んだ)と同時にその他国人の一部をシナ国内に強制的に移住させてシナ人の大海に埋没させる。やがてシナから官僚を送り込んで支配下に置く。まず満州が洗国されて満州人が民族としてほとんど消滅する運命をたどり、今は内モンゴル自治区、チベット自治区、新疆ウイグル自治区が洗国にさらされて内モンゴル人、チベット人、ウイグル人が「民族浄化」の危機に直面している。「洗国」は洗脳と並んでシナが用いる危険な手法で人口侵略といえよう。
 北、西、南の陸地に領土を拡大してきた中国はいま南シナ海(南沙諸島など)と東シナ海(尖閣諸島)、そして沖縄へと海洋への領土拡大を狙っている。中国はロシアと並ぶ拡張主義の国なのである。

【『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治〈ながせ・りょうじ〉(新潮選書、2015年)】

 著者の長勢了治は北海道美瑛町〈びえいちょう〉生まれ。北大を卒業後、サラリーマンとなり退職してからロシア極東大学函館校でロシア語を学んだ人物。その後シベリア抑留研究者として現在に至る。『シベリア抑留全史』(原書房、2013年)は日露双方の厖大な資料に基づき、抑留の実態を検証した労作で決定版といってよいだろう。それを一般向けに著したのが本書である。

 シベリア抑留については冷戦時代から体験者の手記などを中心に多数の本が刊行されたが、「肝心のソ連側の資料が利用できず、全体像解明が困難だった」と指摘。確かな研究書は実質的に『シベリア捕虜収容所』(若槻泰雄著)1冊しかないという状況が長く続いていた。「ソ連崩壊後、公文書を使ったロシア人研究者の本が1990年代後半から出始めた。だが日本の研究者の反応は鈍く、日本の方が2周くらい遅れた状況」。日本での本格的研究は、実はまだ始まったばかりだという。

翻訳家の長勢了治さん「シベリア抑留」刊行 日露の資料駆使、悲劇の全容に迫る - 産経ニュース

 第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけであったという事実は意外と見落としがちだ。武田邦彦がよく「大東亜戦争は3勝1敗だ」と語る。日本はアメリカには敗れたがイギリス・オランダ・フランスは斥(しりぞ)けたことを指摘したものだ。

 そのソ連だが実は第二次世界大戦で最も多くの死者を出している。その数なんと2660万人である。日本人の死亡者数は310万人であった(Wikipedia戦争による国別犠牲者数図録▽第2次世界大戦各国戦没者数【まとめ】第二次世界大戦(WW2)の国別死者数(犠牲者数)と激戦地一覧)。ソ連の死亡者で見逃せないのは軍人よりも民間人が多いことである。このような事態は多分ソ連だけだと思われる。日本は軍人2:民間人1の比率だ。

 ソ連は領土を拡げたものの最大の死者を出した。つまり第二次世界大戦の勝者は存在しない。

 私は石原吉郎〈いしはら・よしろう〉を通してシベリア抑留に眼を開いた。長年にわたって引っ掛かっていた多田茂治〈ただ・しげはる〉の記述(「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた)も本書で経緯が明らかになった。また「関東軍文書とシベリア抑留密約説」についても本書で完全に否定されている。

2021-06-28

「一隅を守り、千里を照らす」人のありやなしや/『ビルマの竪琴』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄

 ・敗戦の心情
 ・「一隅を守り、千里を照らす」人のありやなしや

『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その一

 私はよく思います。――いま新聞や雑誌をよむと、おどろくほかはない。多くの人が他人をののしり責めていばっています。「あいつが悪かったのだ。それでこんなことになったのだ」といってごうまんにえらがって、まるで勝った国のようです。ところが、こういうことをいっている人の多くは、戦争中はあんまり立派ではありませんでした。それが今はそういうことをいって、それで人よりもぜいたくな暮らしなどをしています。ところが、あの古参兵のような人はいつも同じことです。いつも黙々として働いています。その黙々としているのがいけないと、えらがっている人たちがいうのですけれども、そのときどきの自分の利益になることをわめきちらしているよりは、よほど立派です。どんなに世の中が乱脈になったように見えても、このように人目につかないところで黙々と働いている人はいます。こういう人こそ、本当の国民なのではないでしょうか? こういう人の数が多ければ国は興(おこ)り、それがすくなければ立ち直ることはできないのではないでしょうか?

【『ビルマの竪琴』竹山道雄(中央公論社ともだち文庫、1948年/新潮文庫、1959年)】

「最もよき人々は帰ってこなかった」(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳)。きっとそういうことなのだろう。

 若き特攻隊員たちは花と散った。そして瀬島龍三のような連中が生き残った。当初、自主憲法の制定を悲願とした自民党も変節した。

「一隅を守り、千里を照らす」(最澄「山家学生式」)人のありやなしやを問う。

2011-08-21

「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎

 ・石原吉郎と寿福寺
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 すでにヤルタ会談(45年2月)で、ルーズベルト米大統領がスターリンに対して、対日参戦の代償として、「莫大な戦利品の取得」「南樺太・千島列島の割譲」「大連を自由港とし、ソ連の優先権を認める」などの密約をしていたし、「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていたが、日本政府にそうしたスターリンの横暴を許す姿勢がなかったとは言えない。
 45年5月には、同盟国だったナチス・ドイツが無条件降伏して、ますます窮地に追い込まれた日本政府は、不可侵条約を結んでいたソ連を仲介にして和平交渉を進めようと、7月20日、近衛文麿元首相を特使としてソ連に派遣する計画を立て、「和平交渉の要綱」なるものをつくったが、それには次のような条件が含まれていたという。
 一、国体護持は絶対にして、一歩も譲らざること。
 二、戦争責任者たる臣下の処分はこれを認む。
 三、海外にある軍隊は現地において復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、やむを得ざれば、当分その若干を残留せしむることに同意す。
 四、賠償として、一部の労力を提供することに同意す。
 事態が急速に悪化して、この近衛特使派遣は実現しなかったが、日本政府みずから、「国体護持」(天皇制護持)を絶対的条件とする代りに、“臣下”の戦犯処分、シベリヤ抑留・労働酷使に道を開くような提案を用意していたのだ。

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 そして今、シベリア抑留者と全く同じように、福島の人々が見捨てられているのだ。守るべき国民の生命は脅かされ、国家の体面だけを優先している。


「岸壁の母」菊池章子
「国家と情報 Part2」上杉隆×宮崎哲弥
真の人間は地獄の中から誕生する/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎

2015-11-07

マッカーシズムは正しかったのか?/『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア


『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫
『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男
・『ハリウッドとマッカーシズム』陸井三郎

 ・マッカーシズムは正しかったのか?

『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
・『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する』馬渕睦夫

 さらに重大なのは、驚くほど多くの数のアメリカ政府高官がソ連とつながっていたことが、「ヴェノナ」解読文によって判明したことだった。彼らは、そうと知りつつソ連情報機関と秘密の関係をもち、アメリカの国益をひどく損なう極秘情報をソ連に渡していたのである。アメリカ財務省におけるナンバー2の実力者で、連邦政府の中でも最も影響力のある官僚の一人であり、国際連合創立のときのアメリカ代表団にも参加していたハリー・デクスター・ホワイトが、どのようにすればアメリカの外交をねじまげられるかをKGBに助言していたこともわかってきた。
 また、フランクリン・ルーズベルトの信任厚い大統領補佐官だったラフリン・カリーは、ソ連のアメリカ人エージェントとして重要な地位にあったグレゴリー・シルバーマスターをFBIが調べ始めたとき、そのことをKGBに通報していた。このため、米政府内の大変有益なスパイ一団を指揮していたシルバーマスターは、捜査を逃れてスパイ活動を続けることができた。当時のアメリカの主要なインテリジェンス機関であったOSS(戦略事務局)で調査部長の地位についていたモーリス・ハルパリンは、数百ページものアメリカの秘密外交通信をKGBに渡していたのであった。
 アメリカ政府のすぐれた若手航空科学者だったウィリアム・パールは、アメリカのジェット・エンジンやジェット機についての極秘の設計試験結果をソ連に知らせており、彼の裏切りのおかげで、ソ連はジェット機開発でアメリカが技術的にリードしていた大きな格差を克服し、早期に追いつくことができた。朝鮮戦争で、米軍指導部は自分たちの空軍力なら戦闘空域で敵を制圧できると考えていたが、これは北朝鮮や共産中国の用いるソ連製航空機がアメリカのものにはとうてい太刀打ちできない、と考えていたからである。しかし、ソ連のミグ15ジェット戦闘機はアメリカのプロペラ機よりはるかに速く飛行できただけでなく、第一世代のアメリカのジェット機と比べても明らかに優っていたため、米空軍は大きな衝撃を受けた。その後、アメリカの最新ジェット機のF-86セイバーの開発を急ぐことででやっと、アメリカはミグ15の技術的能力に対抗することができた。アメリカ空軍はようやく優位を得たが、それはアメリカ航空機の設計よりも大部分、米軍パイロットの技量によるものであった。

【『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア:中西輝政監訳、山添博史〈やまぞえ・ひろし〉、佐々木太郎、金自成〈キム・ジャソン〉訳(PHP研究所、2010年/扶桑社、2019年)以下同】

 ほぼ学術書である。中西輝政は自著で「ヴェノナ文書によってマッカーシズムが正しかったことが証明された」と言い切っているが、私にその確信はない。ただ明らかなのは米国首脳部にまでKGB(カーゲーベー)の手が及んでいた事実である。はたまたルーズヴェルト本人が左翼であったという説もある(『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する』馬渕睦夫、2015年)。

 日本の読者がこの本の中でとくに関心をもつのは、ソ連がアメリカの原爆開発「マンハッタン・プロジェクト」に多くのスパイを送り込んでいたため、アメリカの原爆開発の実態を非常によく知っていた、という部分だと思います。事実、1945年の7月にポツダムでトルーマン大統領はスターリンに会い、アメリカは非常に強力な新兵器をすぐに日本に対して使用することができる、と話しましたが、そのときスターリンには驚いた様子は全くありませんでした。おそらくスターリンは原爆について、トルーマンよりも早く、そしてより多くのことを知っていたのでしょう。(日本語版に寄せて)

 また、今日読み終えた『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』(水間政憲、2015年)によれば、実は長崎に原爆は2発落とされていて、もう1発の不発弾はソ連に渡った可能性があるという。証拠として瀬島龍三元中佐が署名した「原子爆弾保管ノ件」という機密文書を掲載している(ロシア国防省中央公文書館所蔵)。

 冷戦前夜の第二次世界大戦は米ソのスパイが暗躍する時代であった。日本だとソ連の手先としてはリヒャルト・ゾルゲ尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉が知られる(いずれも死刑)。

 ひょっとすると帝国主義を葬ったのはコミンテルンの指示を受けた工作員の活躍によるところが大きいのかもしれない。彼らに下された使命は国家転覆を狙った破壊と混乱であった。

 マッカーシズムを否定的に篤かった書籍に陸井三郎著『ハリウッドとマッカーシズム』(1990年)がある。個人的に読み物としてはどちらもあまり評価できない。

 これだけだと「ヴェナノ文書」を理解することはできないと思われるので動画と関連書を紹介する。








憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れて マッカーサー』西鋭夫

2018-06-06

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 鹿野の絶食さわぎは、これで一応おちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追求を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当たったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追求しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ(ママ)文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。
 その時の鹿野にとって、おそらくこの言葉は挑発でも、抗議でもなく、ただありのままの事実の承認であっただろう。だが、こうした立場でこのような発言をすることの不利は、鹿野自身よく知っていたはずである。私はまたしてもここで、ペシミストの明晰な目に出会うのである。私には、そのときの鹿野の表情がはっきり想像できる。そのときの彼の表情に、おそらく敵意や怒りの色はなかったのであろう。むしろこのような撞着した立場に立つことへの深い悲しみだけがあったはずである。真実というものは、つねにそのような表情でしか語られないのであり、そのような表情だけが信ずるに値するのである。まして、よろこばしい表情で語られる真実というものはない。
 施は当然激怒したが、それ以上どうするわけにも行かず、取調べは打切られた。爾後、鹿野は要注意人物として、執拗な監視のもとにおかれたが、彼自身は、ほとんど意に介する様子はなかった。
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」――強靭な精神が発した言葉は強烈に私の魂を打った。極寒と飢えに苛(さいな)まれる最果ての地で、抑留された日本人は涙も凍りつき、感情を喪い、抵抗する意志を奪われた。そんな中にあって鹿野武一〈かの・ぶいち〉はただ独り闘った。彼はソビエト当局に反抗したわけではない。ただ必死に自分の人生を生きようと試み、そして生きた。

 本テキストの直前の文章は「ナット・ターナーと鹿野武一の共通点」で紹介している。竹山道雄を読んでから今まで見えなかったものが見えるようになった。

 私はシベリア抑留に関してそれほど読んできたわけではない。ただ抑留者であった石原吉郎、香月泰男〈かづき・やすお〉、内村剛介の三者三様の態度にすっきりしないものを感じていた。香月は「とにかく一切の指導者、命令する人間という者を信用しない。だから組織というものも右から左までひっくるめて一切信用しない」(『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆)と叫んだ。内村は石原の沈黙を批判した。内村が左翼であるかどうは知らないが、左翼的思考の持ち主であることは確かだろう。佐藤優が推(お)しているので読む必要はないと判断する(内村剛介著『科学の果ての宗教』)。

 多田茂治は「『戦利品』の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた」(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』)と書いているが、敗戦国の罪を論(あげつら)うことによってソ連の罪を相対化する愚を犯している。

 沈黙の裏側には間違いなく国家不信があったことだろう。北朝鮮による拉致被害者の心情を推し量ることができる。また抑留者が全く語らぬ一つの事実がある。それはソ連当局による洗脳だ。抑留者であった瀬島龍三はソ連のスパイだったという説がある(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。彼らは二重の意味で国家に不信を抱いたことだろう。祖国にも敵国にも。

 本当の哀しみは深い穴の底に溜まった水のようなもので決して言葉にし得ない。その水を他人が汲(く)み上げることはできない。「絶望という名の悟り」とでも名づける他ない境地である。

 鹿野武一〈かの・ぶいち〉は指導者でもなければ英雄でもなかった。彼は単独者であった。

2017-02-16

佐藤優は現代の尾崎秀実/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

 尾崎秀實は世上伝へられてゐる如き単純なスパイではない。彼は自ら告白してゐる通り、大正14年(1925年)東大在学当時既に共産主義を信奉し、昭和3年(1928年)から同7年まで上海在勤中に中国共産党上部組織及コミンテルン本部機関に加はり爾来引続いてコミンテルンの秘密活動に従事してきた【真実の、最も実践的な共産主義者】であつたが、彼はその共産主義者たる正体をあくまでも秘密にし、十数年間連れ添つた最愛の妻にすら知らしめず、「進歩的愛国者」「支那問題の権威者」「優れた政治評論家」として政界、言論界に重きをなし、第一次近衛内閣以来、近衛陣営の最高政治幕僚として軍部首脳部とも密接な関係を持ち、日華事変処理の方向、国内政治経済体制の動向に殆ど決定的な発言と指導的な役割を演じて来たのである。世界共産主義革命の達成を唯一絶対の信条とし、命をかけて活躍してきたこの尾崎の正体を知つたとき、近衛が青くなつて驚いたのは当然で、「全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」と陛下にお詫びせざるを得なかつたのだ。

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)以下同】


ゾルゲ事件
ゾルゲ諜報団
ゾルゲ事件
ゾルゲ事件の端緒をめぐる諸問題
ゾルゲ事件とは?(PDF)
ゾルゲと尾崎秀実を擁護する朝日新聞
東京新聞:伊藤律 告発の肉筆手記 ゾルゲ事件「スパイ説」冤罪

 ソ連にとってゾルゲ最大の功績はノモンハン事件(1939年)の不拡大方針と、その後日本が北進論から南進論に傾いた事実を逸(いち)早く察知したことであった。ソ連としては西側からドイツ軍が攻めてきているので、東から日本軍に攻撃されることだけは避けたかった。日本国内では三国干渉(1895年)や北清事変(1900年)を通してソ連に対する憎悪は高まっていた。陸軍参謀本部は北進論を主張したが、尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は南進論へと世論を誘導する。

「【私の立場から言へば、日本なり、独逸なりが簡単に崩れ去つて英米の全勝に終るのは甚だ好ましくないのであります】(大体両陣営の抗戦は長期化するであらうとの見透しでありますが)万一かゝる場合になつた時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会的体制の転換を以て、ソ連、支那と結び別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。此の意味に於て、【日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考へたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要点である】といふことをしきりに主張しておりましたのは【かゝる含みを籠めて】のことであります」(尾崎手記。強調点は筆者による)


 大東亜戦争は尾崎が描いた青写真通りに進む。日本は長期戦を余儀なくされ、共産主義者は敗戦革命の図式をも視野に入れていた。もちろんゾルゲや尾崎が戦局を決定したわけではない。彼らは自分の役割を忠実に果たしただけなのだが時の流れが加勢した。日本が受けるダメージが壊滅的であればあるほど共産主義革命の実現が近づくと彼らは信じた。

 筆者はコムミニストとしての尾崎秀實、革命家としての尾崎秀實の信念とその高き政治感覚には最高の敬意を表するものであるが、然し、問題は一人の思想家の独断で、8000万の同胞が8年間戦争の惨苦に泣き、数百万の人命を失ふことが許されるか否かの点にある。同じ優れた革命家であつてもレーニンは、昂然と敗戦革命を説き、暴力革命を宣言して闘つてゐる。尾崎はその思想と信念によし高く強靭なものをもつていたとしても、十幾年間その妻にすら語らず、これを深くその胸中に秘めて、何も知らぬ善良なる大衆を狩り立て、その善意にして自覚なき大衆の血と涙の中で、革命への謀略を推進してきたのだ。正義と人道の名に於て許し難き憤りと悲しみを感ぜざるを得ない。

 革命の理想が犠牲を強いる。その後の社会主義国家が辿ったのは大虐殺・大量死の歴史だ。スターリンは2000万人、毛沢東は6000万人(※多くは政策ミスによる餓死)を死へと導いた。

 三田村武夫は重要な指摘をする。「かれ(※尾崎)の優れた政治見識と、その進歩的理論に共鳴し、彼の真実の正体を知らずして同調した所謂、同伴者的存在も多数あつたであらう。更に亦、全くのロボットとして利用された者もあつたであらう」。人は理想から導き出された美しい言葉に弱い。正しい響きには逆らい難い。目的を隠蔽した尾崎の言葉に心酔する者がいてもおかしくはない。そして同伴者は「自らの意志」で同じ言葉を語り始めるのだ。ここに恐ろしい落とし穴がある。

 当時、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者と判断された。つまりイデオロギーを堅持した多くの人々が官庁に巣食っていた。彼らの影響も決して小さなものではないだろう。

 本書で初めて知ったのだが実は昭和13年の3~6月にかけて日華事変全面講和の動きがあったという。その舞台裏の詳細が生々しく綴られている。ところがあと一歩というところで講和は雲散霧消する。同盟通信の上海市局長をしていた松本重治〈まつもと・しげはる〉が国民政府の高宗武板垣陸相を会わせ、中華民国は戦意を喪失しており無条件和平を望んでいるとの偽情報を掴ませたのだ。近衛文麿も松本・高情報を信用した。ここから汪兆銘を中心とする新政権工作が始まる。

 三田村武夫は松本重治が共産主義者であるとは書いていない。ただし松本が著書で南京大虐殺を認める記述をしていることなどを踏まえると、中国やアメリカの手先となって動いた可能性は高いと考えられる。

 もし現代の尾崎秀実が存在するならばそれは佐藤優〈さとう・まさる〉を措(お)いて他にいないだろう。佐藤は「中間層が重要だ」と語っているが、彼が歩み寄るのはポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を重んじる国際主義者が多い。批判の矛先を向けるのは保守派といってよいだろう。天皇陛下には敬意を払っているようだが一種のポーズであると思う。

 私は長らく民主党に好ましい感情を抱いていた。それは佐藤優のラジオ放送をよく聴いていたためだ。民主党が政権を担っていた頃、佐藤は具体的な議員名を挙げて民主党を擁護してきた。普天間基地移設問題に関する鳩山首相(当時)の「最低でも県外」(2009年)という発言には佐藤の関与があってもおかしくない。「沖縄で独立論を唱える者が現れた」という話を初めて知ったのも佐藤の番組であった。大城浩という創価学会員が琉球独立を公約に掲げて沖縄県知事選に出馬したのだ(2014年)。そして今、佐藤本人も沖縄独立に肩入れしている。挙句の果てには「ニュース女子」にまで噛み付く始末だ。


 次に以下の動画の冒頭部分で紹介されている佐藤優の講演に注目して欲しい。


 見事なアジ演説である。佐藤の本気が日本と沖縄を分断に導く。沖縄県民の感情に佐藤は理論的根拠を与える。これほど危険なことはない。私の目には尾崎秀実の姿と重なって見える。





『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優
佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃
瀬島龍三を唾棄した昭和天皇/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫