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2020-10-08

定住革命と感染症/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

 紀元前1万年の世界人口は、ある慎重な推定で約400万だった。それから丸5000年が過ぎた紀元前5000年でも、わずかに増えて500万人だった。新石器革命の文明的達成である定住と農業が行われていたとはいえ、これでは人口爆発とはとてもいえない。ところが対照的に、その後の5000年で世界人口は20倍の1億人超にまでなっている。このように、新石器時代への移行期である5000年間は人口統計学上のボトルネックのようなもので、繁殖レベルはほぼ横ばいだったことを示している。人口増加率が人口置換水準をわずかに(たとえば0.015パーセント)上回るだけでも、総人口はこの5000年で2倍以上になっていたはずだ。人類の生業技術は進歩したように見えるのに、長期間にわたって人口が停滞してしまったこのパラドックスの有力な説明は、疫学的に見てこの時期が、おそらく人類史上で最も致死率の高い時期だったということだ。メソポタミアの場合でいえば、まさしく新石器革命の効果によって、この地域に慢性、急性の感染症が集中し、人口に繰り返し壊滅的な打撃を与えたのである。
 ただし、考古学的記録の証拠はほとんど役に立たない。こうした病気は栄養不良と違って、その痕跡が骨に残ることはまずないからだ。思うに伝染病は、新石器時代の考古学記録で「最も声の大きい」沈黙だ。考古学が評価するのは掘出しものだけだから、この場合は、たしかな証拠を越えた部分まで推測するしかない。それでも、最初期の人口センターの多くが突如として崩壊した理由を壊滅的な伝染病だったと考えるだけの証拠は十分にある。それまで人口の多かった場所が突然、ほかに説明のつかない理由で放棄された証拠が繰り返し見つかっている。気候の悪化や土壌の塩類化によっても人口は減少すると予測されるが、そうしたことは地域全体で起こるだろうし、もっとゆっくり進むだろう。もちろんこれ以外にも、人口の多い場所が急にもぬけの殻になったり消えたりしてしまったりしたことの説明は可能だ。内戦、征服、洪水などがそうなのだが、伝染病は、新石器革命のまったく新しい群集状態によって初めて可能になったものだ。その甚大な影響は、文字記録が利用可能になって以後の時代の記述を見ても明らかだから、やはり最も有力な容疑者だろう。また、この文脈での伝染病は、ホモ・サピエンスのものだけにとどまらない。伝染病は、同じように後期新石器時代復習種再定住キャンプに閉じ込められていた家畜動物や作物にも影響した。なにかの疾患で家畜の群れや穀物畑が全滅してしまったら、疫病で人間が直接脅かされたときと同じくらいかんたんに、人口は激減しただろう。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 人類がアフリカから発祥したとすれば最も遠くまで移動したホモ・サピエンスはインディアンで、次が日本人となる。インディアンはたぶんアイヌ同様、縄文人の末裔(まつえい)だろう。アメリカへ渡ったインディアンはウイルスに晒(さら)されることが少なかった。そのためヨーロッパ人が持ち込んだ感染症によって千万単位の死亡者を出した。

 紀元前1万~5000年は日本だと縄文時代(紀元前16000~3000年)である。世界最古の土器は青森県大平山元(おおだいらやまもと)遺跡から出土したもので約1万6500年前に作られた無文土器である(No.1078 なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか?: 国際派日本人養成講座)。因(ちな)みに日本列島が大陸から分離したのが2000年前である(日本海がどうしてできたか知っていますか?(海洋研究開発機構) | ブルーバックス | 講談社)。

 農耕革命・定住革命・食料生産革命を併せて新石器革命という。ここで注意を要するのは我々の思考が革命=進歩という社会主義的観念に毒されていることだ。本書は国家というメカニズムに異を唱え、人類が穀物栽培を選んだのは徴税しやすいためだったと指摘している。

 感染症は過密な人口に対する地球からの警鐘なのだろう。



累進課税の起源は古代ギリシアに/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子
栄養と犯罪は大きく深く関わっている/『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
炭水化物抜きダイエットをすると死亡率が高まる/『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし

2020-09-19

人生の岐路/『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆


『政治を考える指標』辻清明
伊藤隆の藤岡信勝批判

 ・人生の岐路

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 6月15日、国会突入デモで樺美智子〈かんば・みちこ〉さんが亡くなった日のことはよく覚えています。
 樺さんは国史研究室の4年生でした。あの日、大学で樺さんに会った時、「卒論の準備は進んでいるか」と聞いたのです。あまり進んでいないようでした。
「何とかしなきゃな」と、私は言いました。
「でも伊藤さん、今日を最後にしますから、デモに行かせてください」と彼女は答えます。
「じゃあ、とにかくそれが終わったら卒論について話をしよう」
 そう言って、別れました。

【『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆〈いとう・たかし〉(中公新書、2015年)以下同】

 日常の何気ない選択が人生を決定的に変えることがある。もしもデモに参加していなければ樺美智子は長生きしたことだろう。ブントと訣別していた可能性もある。国史を研究していたわけだからひょっとすると保守論客になってもおかしくはない。今日の行き先次第では自分が死ぬこともあり得るのだ。

 その後、伊藤の提案で樺美智子合同慰霊祭が執り行われた。

 不謹慎な言い方かもしれませんが、60年安保の打ち上げとして最高のイベントになったと思いました。それで一切の政治活動をやめたのです。
 しばらくして佐藤(※誠三郎)君と、安保運動のイデオローグと言われた清水幾太郎〈しみず・いくたろう〉氏(1907~88)に会う機会がありました。東大赤門隣の学士会分館で、学習院大学教授となった香山健一〈こうやま・けんいち〉君や、全学連書記長だった小野寺正臣〈おのでら・まさおみ〉君、評論家になった森田実〈もりた・みのる〉君など、清水と行動を共にした人たちも一緒でした。佐藤君と香山君の付き合いからそうなったのだと思います。
 この時、清水幾太郎氏は、日本共産党に裏切られたと言って泣きました。それを見て私は、がっくりきました。闘争というものは負けたからといって泣くものじゃないだろう。そこで何かをつかんで、もう一度相手をやっつけるならわかる。だが、泣くものではない。しかもわれわれ若い奴に向かって泣くとは、と思ったことを覚えています。

 伊藤は新しい歴史教科書をつくる会にも参加しているが左翼からの評価も高い学者である。司馬遼太郎をやり込めたエピソードも綴られているが、静かな気骨を感じさせる人物だ。

 会話調の文章が読みやすく、史料学の大変さがよくわかる。予算が足りなくて頓挫した企画も多いようだ。史料の乏しい昭和史の道をオーラル・ヒストリーの手法で切り拓いた人物といってよい。一般人でも取っつきやすい作品として岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉にインタビューをした『昭和陸軍謀略秘史』(日本経済新聞出版、2015年/日本近代史料研究会、1977年『岩畔豪雄氏談話速記録』改題)がある。



樺美智子さんの「死の真相」 (60年安保の裏側で) ―60年安保闘争50周年 | ちきゅう座

2020-07-18

血のにじむような苦労をした蘭方医の功績/『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・血のにじむような苦労をした蘭方医の功績

『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ
『病が語る日本史』酒井シヅ
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

必読書リスト その四

 しかし、鎖国時代、封建制の束縛下、船しか交通手段のない時代にあって肝心の痘苗(とうびょう)が、手に入らない。痘苗は、現代風にいえば天然痘用の予防ワクチンのことである。痘苗を接種することを種痘と言うが、「苗」と言い、「種」と言い、植物学用語が使われている所が面白い。冷蔵庫・冷凍庫のない当時にあっては、種痘によってできた痘内の液体(痘漿)やかさぶたを次から次へと人間に植え継いで伝えて行くしか保存方法が無かった。つまり、人間の体内で増殖保存し、かさぶたなどで移送していたのである。しかも、それは、長崎であればはるかオランダから船でもたらされる。もちろん実際には、直接オランダからではなく、人から人へ植え継がれながらはるばる日本までたどり着いた。実際に長崎の通詞や医官たちは、痘苗入手の依頼を何度も出島のオランダ商館医にしているが、熱帯を通ってくるオランダ船内でウイルスは死滅してなかなかそれが果たせなかった。しかし、バタビヤ(今のインドネシアのジャカルタ)から来た船によって、ついに何とかまだ生きている痘苗が手に入った。これがモーニケによって公式にもたらされたわが国最初の痘苗である(1849年)。(中略)
 このように西洋医の熱意とネットワークができ上がって来た折に、待ちに待った痘苗がもたらされたので、その全国普及は早かった。多くの蘭方医が血のにじむような苦労をして、この普及に貢献している。楢林宗建(1802~1852年、佐賀藩医、シーボルトの弟子、モーニケのもたらしたかさぶたを3人に接種して、その一人のわが子にのみ発痘し、そこから痘苗が全国へ伝播されて行った。わが国最初の種痘成功例である)、日野鼎哉(ていさい/1797~1850年、楢林宗建から分苗を受けて、京都で除痘館を開いた)、笠原良策(1809~1880年、日野鼎哉から分苗を受けて、痘苗を受け継ぐべき子供達をつれて雪の山越えをして福井に運び除痘館を開いた)、桑田立斎(りゅうさい/1811~1868年、江戸で種痘。6万人に種痘を実施。蝦夷地において6400人のアイヌへの種痘接種を行う)。(句点ママ)長与俊達(しゅんたつ/1791~1855ねん、長崎大村藩で古田山に人痘種痘所を開く。牛痘入手後は、1850年一早く牛痘接種に切り替えた。公認種痘では1番早い)などである。
 中でも、普及を担った中心人物は大阪(当時は大坂)で適塾(てきじゅく)を開いていた緒方洪庵(1810~1863年)である。実施当初は、種痘をすれば牛になるという風評被害で苦しんだが、効果が幕府から認められて、やがて江戸に出て1862年西洋医学所所(ママ)の頭取となった。惜しいことに洪庵は、翌1863年病を得て急逝する。

【『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝〈かとう・しげたか〉(丸善出版、2013年)】

 注目すべきはアイヌへの種痘である。「1857(安政4)年には、蝦夷地開発政策の一環としてアイヌに牛痘接種する幕命により、函館から国後まで6400名余りのアイヌ人に種痘を実施した」(諸澄邦彦〈もろずみ・くにひこ〉)。異民族として差別するような真似はしなかったという歴史的事実は重い。


 後に適塾(てきじゅく)は大阪大学となり、西洋医学所は東大医学部となる。洪庵の門下生であった福澤諭吉は慶応大学を創立した。適塾の門下生は18年間で636名に及んだ(Wikipedia)。松下村塾といい、小さな私塾から近代に向かう日本を支えた人材を多数輩出したことは日本の教育史に燦然と輝く偉大な事績である。現代の大学に松蔭や洪庵のありやなしやを問いたくなる。

 それにしても痘苗(とうびょう)がかさぶたを通して人から人へ移されるというのは驚きである。文字通り人柱といってよい。私が子供の時分はまだ種痘を行っていた。当時は天然痘を疱瘡(ほうそう)と呼んでいた。左肩に2ヶ所やれらたのだが痒(かゆ)くてかさぶたを剥いた覚えがある。痕跡は今でもくっきりと残っている。

 まだ読んでいる最中だが文章が素晴らしく、その博識に驚かされる。普段は横書きというだけで本を閉じてしまうことが多いが、本書は読まずにはいられない。

2020-06-26

海洋型発想と大陸型発想/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 英米の地政学は海洋国家型のそれであり、ドイツ、ソ連、中国の地政学は大陸国家型のそれであるといえよう。このように、大陸国家と海洋国家とで、地政学の趣きが異なるということ自身、地政学の仮説性を示すものである。
 海洋国は、海洋交通の自由、貿易の自由、物資交流の自由を重視し、そのための戦略を考える。それに対して、大陸国は閉鎖的な自給自足と、生存圏としての一定領域の占拠を考える傾向が強い。海洋国は広大な海面を安全のための戦略空間と見なし、それを支持する海軍基地の設定を考える。それぞれのおかれた立場によって、追求する主題が異なってくるのは当然であろう。
 日本はいうまでもなく海洋国であるから、地政学の発想も海洋型でなければなるまい。事実、明治20年代から大正のはじめ(1890年から1915年まで)の日本の戦略は明らかに海洋型であった。その結果、大幅な国力の伸長をみせたのであるが、不幸にして大正7、8年頃から昭和20年頃まで(1915年から1945年まで)の間は、日本の陸軍参謀本部を中心とする勢力が、ドイツ流の大陸国家型地政学に心酔してしまった。ここに日本の失敗の最大の原因がひそんでいた。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)】

 孟子の言葉に「天の時は地の利に如(し)かず。地の利は人の和に如かず」とある(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず 公孫丑章句下 孟子 漢文 i think; therefore i am!)。地政学とは地の利と不利を踏まえた国際力学を考量する学問である。天候を含めた地理的要素は人々の性格形成にも影響を及ぼし、文化・文明をも育む。

 本書はベストセラーになったようだが私は長らく倉前の名を知らなかった。小室直樹を通じて『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』に辿り着いたのは僥倖(ぎょうこう)としか言いようがない。本書の登場はあまりにも早すぎたのだろう。かつての保守系論壇人といえば小林秀雄、竹山道雄、福田恒存〈ふくだ・つねあり〉あたりが有名だが、その後真夏の太陽のような存在感を放った三島由紀夫が自決したことで一気に停滞した。ここで踏ん張ったのが倉前盛通その人である。少し経ってから渡部昇一、谷沢永一、小室直樹が続いた。

 1990年過ぎまで保守系=右翼と世間では受け止められていた。論壇は完全に進歩的文化人が制圧していた。その絶頂期を土井ブーム(1990年)と考えてよさそうだ。個人的なことを言わせてもらえば、新しい歴史教科書をつくる会(1996年)はもちろんのこと、チャンネル桜(2004年)も右翼だと長らく思っていた。私が日本の近代史をひもとき始めたのは2015年である。東日本大震災を契機に初めて天皇陛下への尊崇の念が湧いてきたが、まだまだ政治的にはリベラルを気取っていた。

 佐藤優が山口二郎を「天才だ」と持ち上げた。二人は沖縄の米軍抗議集会を熱烈に支持した。佐藤はラジオ番組でも沖縄独立を掲げる候補者(創価学会員)を何気ない調子で紹介した。更に小林よしのりを昂然と批判し、孫崎享〈まごさき・うける〉著『戦後史の正体』を腐した。「小林秀雄を読んでも全然理解できない」とも語っていた。「あれ?」と疑念が湧いた。「おかしいな」と気づいた。嘘を嘘と見破ることが真実への近道だ。それから数百冊の近代史本を読んで我が眼(まなこ)から鱗(うろこ)を一枚一枚落としていった。

 佐藤優の論壇デビューを後押ししたのは米原万里〈よねはら・まり〉と井上ひさしである(『打ちのめされるようなすごい本』米原万里)。真正の左翼がお墨付きを与えたわけだから彼らが期待する人材であることは確かだろう。更に佐藤はロシアの大学で教鞭をとっていた過去の持ち主だ。彼の博覧強記は日本を破壊するために使われるのだろう。池上彰同様に注意が必要だ。

 大東亜戦争は中国大陸に深入りして負けた。そして今、大陸国家の中国が海洋へ進出している。日本は台湾やASEAN諸国と海洋同盟を結び、中国を封じ込める政策を速やかに実施すべきだ。

2020-06-14

生態系を支える微生物/『土と内蔵 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー


『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『免疫の意味論』多田富雄
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『感染症の世界史』石弘之
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
・『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

 ・生態系を支える微生物

・『土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて』藤井一至
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『ミミズの農業改革』金子信博
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ

 結論から言えば、微生物は木の葉、枝、骨など地球上のありとあらゆる有機物をくり返し分解し、死せるものから新しい生命を創りだしてきた。それでも隠された自然の半分との私たちの関わり方は、その有益な面を理解して伸ばすのではなく、殺すことを基準としたままだ。過去1世紀にわたる微生物との戦いの中で、私たちは知らず知らずのうちに自分たちの足元を大きく掘り崩してしまった。
 そして、すばらしく革新的な新製品や微生物療法が、農業と医学の両分野に姿を現そうとしていること以外にも、隠された自然の半分に関心を持つべき実に単純な理由がある。それは私たちの一部であって、別のものではないのだ。微生物は人体の内側から健康を引き出す。その代謝の副産物は私たちの生命現象に欠かせない歯車となる。地球上でもっとも小さな生物たちは、地質学的時間の進化の試練を経て、すべての多細胞生物と長期的な協力関係を築いた。微生物は植物に必要な栄養素を岩から引き出し、炭素と窒素が地球を循環して、生命の車輪を回す触媒となり、まわりじゅう至るところで文字通り世界を動かしている。
 今こそ微生物が私たちの生命にとって欠かせない役割を果たしていることを、認識するときだ。微生物は人類の過去を形作った。そして微生物をどう扱うかで未来が決まり、それがどのような未来か私たちはわかり始めたばかりだ。なぜなら私たちは微生物というゆりかごから抜け出すことはないからだ。私たちは隠された自然の半分に深く埋め込まれており、同じくらい深くそれは私たちに埋め込まれている。

【『土と内蔵 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー:片岡夏実〈かたおか・なつみ〉訳(築地書館、2016年)】

 関連書を辿ってゆくうちに、腸~細菌~ウイルス~土という流れになったわけだが意外なほど知的刺戟(しげき)に満ちている。

 人体のスケールは約2メートルだが視力を踏まえれば我々が認識できるのは1mmから数千メートル、つまり山の大きさ程度だろう。科学が発達するに連れてマクロ(天体物理学)やミクロ(量子力学)の世界は我々の常識とは異質な作用が働いている。生態系を支える微生物の世界を知ると、とてもじゃないが人間が地球に君臨しているとは言い難い。本気で戦えば多分ヒトは昆虫や微生物に敗れることだろう。否、植物すらヒトよりも強い可能性がある。

 仏教に依正不二(えしょうふに)という言葉がある。湛然(たんねん/妙楽大師)が立てた解釈である十不二門(じっぷにもん)の一つだ。依報(えほう/環境)正報(しょうほう/主体)は密接不可分にして一体不二であることを説いたものだ。ここで私が注目したいのは「報」の字である。環境も自己も過去の業(ごう/行為)によって形成されており、それを「報い」として受け取る。因縁果報(いんねんかほう)のサイクルは瞬間瞬間織り成してとどまることがない。それでも尚、環境から感受する情報は「報い」となり、受け取る生命主体の感覚や判断は過去の業に引きずられて、これまた「報い」となる。

 ともすると環境とは自己の外部と考えがちだが、意識からすれば肉体もまた環境である。普段は自分の意思で好き勝手に動かしているつもりになっているが、病気や怪我をすればその不自由さにたじろぐ。「体は自然である」と養老孟司が常々言っている通りだ。そう考えると脳すら環境なのかもしれない。

 結局、自我は意識から生まれているわけだが意識なんぞは当てにならない。一日の中で意識が立ち上がっている時間は意外と短い。何か上手く行かなかったり、頭に来たり、褒められたり、威張ったりする時にしか意識は芽生えない。クルマの運転も初心者の時は一つ一つの操作を強く意識するが、慣れてしまえば完全に無意識である。生活の実態は「ただ反応している時間」が最も長い。

 トール・ノーレットランダーシュは意識を「ユーザーイリュージョン」(使用者の幻影)と名づけた。脳は理性・感情・本能を駆使して生き延びるための計算をしているわけだが、一朝(いっちょう)事がある時は命を空しくすることは決して珍しくはない。英雄的な行為は自己犠牲とセットだ(『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー)。人助けは常に条件反射で行われる。

 意識が幻影だとすれば私は環境であり世界だ。それが証拠に私もまた多くの微生物によって成り立っている。

2020-06-11

根を通して助け合う植物=森という社会/『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』ペーター・ヴォールレーベン


『森のように生きる 森に身をゆだね、感じる力を取り戻す』山田博
・『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』ダニエル・チャモヴィッツ

 ・根を通して助け合う植物=森という社会

『宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け』一志治夫

必読書リスト その三

 ここで一つの疑問が生じる。木の根は地中をやみくもに広がり、仲間の根に偶然出会ったときにだけ結ばれて、栄養の交換をしたり、コミュニティのようなものをつくったりするのだろうか? もしそうなら、森のなかの助け合い精神は――それはそれで生態系にとって有益であることには変わりないのだが――“偶然の産物”ということになる。
 しかし、自然はそれほど単純ではないと、たとえばトリノ大学のマッシモ・マッフェイが学術誌《マックスプランクフォルシュンク》(2007年3月号、65ページ)で証明している。それによると、樹木に限らず植物というものは、自分の根とほかの種類の植物の根、また同じ種類の植物であっても自分の根とほかの根をしっかりと区別しているらしい。
 では、樹木はなぜ、そんなふうに社会をつくるのだろう? どうして、自分と同じ種類だけでなく、ときにはライバルにも栄養を分け合うのだろう? その理由は、人間社会と同じく、協力することで生きやすくなることにある。木が1本しかなければ森はできない。森がなければ風や天候の変化から自分を守ることもできない。バランスのとれた環境もつくれない。
 逆に、たくさんの木が手を組んで生態系をつくりだせば、暑さや寒さに抵抗しやすくなり、たくさんの水を蓄え、空気を適度に湿らせることができる。木にとってとても棲みやすい環境ができ、長年生長を続けられるようになる。だからこそ、コミュニティを死守しなければならない。1本1本が自分のことばかり考えていたら、多くの木が大木になる前に朽ちていく。死んでしまう木が増えれば、森の木々はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。倒れる木も増える。そうなると夏の日差しが直接差し込むので土壌(どじょう)も乾燥してしまう。誰にとってもいいことはない。
 森林社会にとっては、どの木も例外なく貴重な存在で、死んでもらっては困る。だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養を分け、その回復をサポートする。数年後には立場が逆転し、かつては健康だった木がほかの木の手助けを必要としているかもしれない。

【『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』ペーター・ヴォールレーベン:長谷川圭訳(早川書房、2017年/ハヤカワ文庫、2018年/原書は2015年)】

 地上の「見える世界」では太陽光を巡って熾烈な争いを繰り広げる木々が、見えない地中では協力し合っているというのだから驚きだ。人間社会はといえば陰で足の引っ張り合いをするのが常だ。「支え合う」関係性は1990年代のリストラ(整理解雇)や派遣法改正(2004年)などを通して完全に廃(すた)れてしまった。

 世界的ベストセラーとなっているのも頷ける。本書を読むと樹木を見る目が一変する。彼らは意志する存在なのだ。人間の都合で植えられた街路樹や学校・公園などの木はやはり可哀想だ。日本の場合、森林といえばほぼ山を意味するが、里山文化を受け継いでゆくことが正しいと思う(新しい里山文化の創出に向けて - 全国町村会)。

 皆で森を育くめば、再び支え合う社会が構築できるかもしれない。そんな希望が湧いてくる一書である。

2020-05-09

サンセベリアの植え替え/『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード


『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴

 ・不自然な姿勢が健康を損なう
 ・サンセベリアの植え替え

サンセベリアの土を考える
『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『土と内臓 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー
・『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生”のスキルをめぐる冒険』クリストファー・マクドゥーガル
『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

身体革命

観葉植物をとり入れる

 観葉植物は屋内の空気によい効果を与えることで知られる(私たちの心理にも測定可能な影響を与える)。植物は毒性のあるガス(とくにベンゼン、一酸化炭素、ホルムアルデヒド)を吸収し、私たちのためにリサイクルしてくれる。土壌中の細菌が出す蒸気はセロトニンレベルを上げる(セロトニンには数々の効果があり、何より気分をよくしてくれる)。研究によれば、病人は植物のある部屋のほうが早く快復するという。空気を加湿してくれる(風邪や喉の痛みを予防する)。
 もし羽根でできた埃とりをあまり好きでないなら、植物が空気中から埃をとり除いてくれるだろう。(中略)観葉植物をとり入れると、屋内の埃が最高で40パーセント減る。これはアレルギーのある人にはとくに朗報だ。(中略)これに加えて、植物は肺に病気のある人に悪影響をおよぼすカビの胞子を分解してくれる。
 1989年、アメリカ航空宇宙局(NASA)はアメリカ造園建設業協会(ALCA)の協力を得て、宇宙ステーション内の空気をいちばんよく清浄に保つ植物を探る実験をはじめた。リストに入った植物は、屋内空間(家庭やオフィス)の少なくとも9平方メートルをきれいにする能力を持つ。セイヨウキヅタ、スパティフィラム、カンノンチク、セイヨウタマシダ、ゴムノキ、オリヅルランなどの植物は、みな空気をきれいにするすばらしい能力を持つ。なかでもすぐれているのがサンセベリア・ローレンティで、あなたが観葉植物に慣れていればまず枯らすことはないし、夜間に酸素をつくってくれるという恩恵もある。(中略)
 観葉植物を家のなかに入れたら、あなたの居間は空気農場になる。

【『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード:水谷淳〈みずたに・じゅん〉、鍛原多惠子〈かじはら・たえこ〉訳(飛鳥新社、2018年)】

 この件(くだり)を読んでサンセベリア・ローレンティを買ったのが昨年の8月のこと。本当はゼラニカの方が好みなのだが中々売っているところがない。その後、インターネットでゼラニカを手に入れたのだが実は小振りなハーニーだった(個性的で魅力あふれるサンスベリア40種類と傷んだ場合の復活方法)。

 サンスベリアという表記も多いが正確にはサンセベリアのようだ。「もともとイタリアのサン・セヴェーロ侯という人名に由来しているのですから」(Yahoo!知恵袋)。折に触れて植え替え方法を調べた。計画は常に緻密であるべきだ。ま、心配性なんだよね。相手は生き物だから。

 満を持して5月を迎えた。新型コロナウイルスの影響で自粛続行の5月である。私は勇んで土を買いに行った。目星をつけたホームセンターは2ヶ所。少しばかり遠いが後悔をしないための選択だった。ホームセンターの正面にダイソーがあった。シャベルを買おうと入ったところ、な、な、なんと土が売っていた。しかも数種類だ。いやはや驚いた(【100均】ダイソーで土【園芸・ガーデニング】をたくさん見てきた!)。さすがの私も「100円ショップ+土」で検索したことはなかった。そのうち位牌や戒名まで売り出すかもね。

 念の為ホームセンターに足を運んだ。土の量を踏まえるとホームセンターに軍配が上がった。土って安いのね。しかも大きいほど安い。持ってきたメモには「観葉植物用+鹿沼土」or「赤玉+腐葉土+軽石もしくはパーライト」と書いてあった。観葉植物用14Lと鹿沼土14Lを買った。二つで850円だった。ただし丁度よい植木鉢が見当たらなかった。一旦帰宅して近所のホームセンターに行った。思わず「ウーン」と唸(うな)ってしまった。こちらの方が土の種類が豊富だった。灯台下暗し。植木鉢を二つ買った。家に戻ると植木鉢がかなりでかいことに気づいた。やはりスケール(メジャー)を持ち歩くべきである。

 鹿沼土(かぬまつち)は土を名乗っているが実は軽石だ。ま、カニカマみたいなものだ。鉢底石代わりになるかどうか調べたところダメだった。しかも酸性であることが判明した。再度ホームセンターへゆき、鉢底石(10L)と苦土石灰(くどせっかい/20kg)を買ってきた。苦土石灰とは凄いネーミングだ。『苦海浄土』を省略したような名前だ。穢土(えど)より酷い名前だわな。

 風が強かったので作業は風呂場で行った。ローレンティとハーニーの土が全然違った。しかもローレンティは根が伸びた形跡がなかった。面倒なんで両方の土を混ぜて、買ってきた土も適当に投入した。鉢が大きいので石を多めに入れた。「ひょっとして天才?」と言いたくなるほどピッタリの量だった。子株・カビはなし(サンスベリア(トラノオ)の育て方や植え替え方法、増やし方(葉挿し、株分け))。本当は丸一日乾燥させた方がいいようだが2時間ほど放置して我慢できなくなった。

 上手く育ってくれればいいのだが。私はためつすがめつして眺めた。土をいじると元気が出てくる。生命を育むことは何という喜びなのだろう。

 そして大量の土が残った。構わん。数年後にはサンセベリア屋になるつもりなのだから。



老人ホームに革命を起こす/『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

2020-04-27

微生物の耐性遺伝子は垂直にも水平にも伝わる/『感染症の世界史』石弘之


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝

 ・人口過密社会と森林破壊が感染症拡大の原因
 ・微生物の耐性遺伝子は垂直にも水平にも伝わる

『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ
『病が語る日本史』酒井シヅ
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『土と内臓 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

 抗生物質によってほとんどの細菌は死滅するが、耐性を獲得したものが生き残って増殖を開始する。細菌は抗生物質を無力化する酵素をつくりだし、自身の遺伝子の構造を変えて攻撃に耐えられるように変身できるからだ。
 とくに、人と微生物の世代交代の時間と変異の速度を考えると、抗生物質と耐性獲得のこの追いかけっこは圧倒的に微生物側に分がある。ヒトの世代交代には約30年かかるが、大腸菌は条件さえよければ20分に1回分裂をする。ウイルスの進化の速度は人(ママ)の50万~100万倍にもなる。現生人類の歴史はせいぜい20万年だが、微生物は40億年を生き抜いてきた強者(つわもの)だ。
 この耐性の獲得は「親から子へ」という「垂直遺伝」だが、非耐性の菌が別の菌から耐性遺伝子を受け取る「水平遺伝」も耐性菌の勢力拡大の強力な武器である。

【『感染症の世界史』石弘之〈いし・ひろゆき〉(角川ソフィア文庫、2018年/洋泉社、2014年『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』を加筆修正)】

 遺伝子の水平伝播は初めて知った。こりゃ、かなわんな。我々人類はウイルスに対してまず白旗を掲げるのが正しい所作なのかもしれない。

 恋愛感情を支えているのは遺伝子だ。美人(あるいはハンサム)がモテるのは顔が遺伝的優位性を示しているためだ(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ)。体型も同様である。多くの男性がくびれた腰を好むが、「ウェストとヒップの黄金比率は7対10。この比率、実は女性の健康と深い相関関係がありました。この比率から離れれば離れるほど、女性は病気にかかりやすくなり、妊娠力にも深い関係があることがわかっています」(女性の魅力…男性が「腰のくびれ」を好む深い理由! | NotesMarche (ノーツマルシェ))。

 口づけの真の目的は細菌の交換にある。それでもヒトの遺伝子が水平に伝わることはない。せいぜいエピジェネティックな変化が関の山だ。

 結局のところ大小の犠牲を払いながらウイルスに適応するしか道はなさそうだ。

2020-04-26

逃げない社会=定住革命/『人類史のなかの定住革命』西田正規


『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス

 ・逃げない社会=定住革命

『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ

必読書リスト その四

 不快なものには近寄らない、危険であれば逃げていく。この単純きわまる行動原理こそ、高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略である。
 しかし、快なる場所に集まる動物は、そのためしだいに多くなり、ついに、あまりに多くなってしまえば、この楽園の食料も乏しくなり、そして排泄物に汚れた不快な場所に変わるだろう。侵入してくる他の動物を追い払って縄張りを主張することも、また多くの動物社会に見られることである。
 サルや類人猿たちは、あまり大きくない集団を作り、一定の遊動域のなかを移動して暮らしている。集団を大きくせず遊動域を防衛することで、個体密度があまりに増加するのをおさえ、そして頻繁に移動することによって環境の過度な荒廃を防ぎ、食べ物にありつき、危険から逃れるのである。このようにして霊長類は、数千万年にもわたって自らの生きる場を確保してきたのである。
 霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境が荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を行き続けてきたのである。
 だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快があったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。(中略)
 ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えたのである。この変化を「定住革命」と呼んでおこう。およそ1万年前、ヨーロッパや西アジア、そしてこの日本列島においても、人類史における最初の逃げない社会が生まれた。(まえがき)

【『人類史のなかの定住革命』西田正規〈にしだ・まさき〉(講談社学術文庫、2007年/新曜社、1986年『定住革命 遊動と定住の人類史』改題)】

『サピエンス全史』を読んだ人は必読のこと。歴史とは出来事だが文明は脳内の変化を示すものと私は考えている。それは一人の脳内で起きたシナプス結合の変化が短時間で伝染する様を現している。文明とはネットワークそのものだ。

 人間社会の適切な規模についてはダンバー数(150人)が参考になる(『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』ロビン・ダンバー/『人類進化の謎を解き明かす』ロビン・ダンバー/『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル)。簡単に言ってしまえばAとBという友人がおり、二人の関係性を知るCがいる、という集団である。狩猟で賄(まかな)うことができるサイズを考えるとダンバー数が上限と考えて差し支えないだろう。あまりに増えてしまえば動植物が根こそぎ失われる可能性がある。

 西田が「逃げない社会=定住革命」としたのには理由がある。それは定住革命を経てから農業革命が起こったとする主張で、従来考えられてきた農業革命=定住という概念に対する異論である。当然ながら想像も交えているが一々説得力があって腑に落ちる。

 丸山健二は「動く者」と「動かざる者」の対比を通して自由を訴求した(『見よ 月が後を追う』 )。ホモ・サピエンスが誕生したのは25万年前で、農耕が確認されているのは23000年前である。人類の歴史を振り返れば狩猟・漁撈の時期が殆どであるといってよい。ユヴァル・ノア・ハラリは農業革命が人類を穀物に依存させ、豊かな栄養を失ったと批判している。

 農業革命から都市革命へと進み、やがて国家が形成される。農耕で得た蓄えは富となった。これを奪おうとした者もいたであろうし、手伝おうと進み出た者もいたことだろう。そして富を守るためには武力が必要であった。自分たちを守ることできない部族は滅び去った。

 古い日本社会は屎尿(しにょう)をリサイクルした稀有なシステムを構築した。中世ヨーロッパでは窓から糞尿を捨てていた。そこで発明されたのがハイヒールである。フーブスカートは女性がどこでも排尿・排便ができるようにと作られたもので、この時期には上から降ってくる糞便を避けるために日傘・サンルーフ・シルクハットなどが流行した(ふたたびトイレ話...昔の西洋編 | 耳(ミミ)とチャッピの布団)。西洋が日本並みにきれいになったのは1900年代に入ってからのこと。幕末に日本を訪れた西洋人がその清潔さに驚いたのもむべなるかな(18世紀のフランスは悪臭にまみれていた/『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント)。

 定住革命は感染症の温床となった。都市部の過密な人口が成り立っているのは動物(特にネズミとコウモリ)との接触が少ないためである。我々が極度にゴキブリを恐れるのも感染症の恐怖が呼び起こされるせいだろう。

 定住の歴史はまだ浅い。しかしながらこの間に発達した文明は既に後戻りを許さないところまで来てしまったように見える。それでも漂泊に対する止み難い憧れが年々強まってくる。ノマド(遊牧民)ワーカーとの言葉も狩猟時代への回帰を示しているのだろう。



栄養と犯罪は大きく深く関わっている/『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博

2020-03-23

縄文時代の介護/『病が語る日本史』酒井シヅ


『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠

 ・縄文時代の介護

『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

 ポリオの歴史は古い。紀元前3000年ごろの古代エジプト王朝の壁画に、右足が極端に細くて、短く、つま先立ちの王子が杖(つえ)をついて立つ姿が描かれている。同時に、この王子のミイラが残る。両者を調査した結果、王子はポリオを患っていたというのが定説になっている。
 縄文人の小児がポリオであったことが確かであれば、アジアの東の果ての日本でも、ポリオが発生していたことになる。興味深い問題を投げかけている。
 話は変わるが、ポリオの骨が一家族の中にあったことは、縄文社会では身体障害児が親の保護のもとで生活していたことを物語る。彼らの生活は障害者を養う余裕があったといえる。

【『病が語る日本史』酒井シヅ〈さかい・しづ〉(講談社、2002年/講談社学術文庫、2008年)以下同】

 最後の一言がずっしりと胸に堪(こた)える。現在でも大家族が織りなすインド社会では家族や親戚による介護が可能だが、核家族化が進んだ日本ではとっくに介護をアウトソーシングするようになった。1980年代から90年代にかけて共働きが増えたがバブルが弾けてからというもの生活が楽になる気配は一向にない。


 1948年(昭和23年)は5171万人(15歳以上人口):3484万人(労働力人口)で67%となっている。

・1964年 7122:4710=66%
・1981年 9017:5707=63%
・1990年 10089:6384=63%
・2019年 11092:6886=62%

 尚、15歳以上人口については2011年の11117万人で頭打ちとなっており、労働力人口は1990年以降6000万人台を推移している。労働力人口の人口比があまり変わっていないことに驚いた。高校・大学の進学率上昇と未婚率増加が共働き世帯と相殺しているのだろうか? にわかには信じ難い数字である。

 今後の人口構成に関しては人口減少と65歳以上の人口比が高まることがわかっている。


 人口ピラミッドは既にピラミッドの形を形成していない。


 ポリオを患った骨は北海道南西部の縄文後期の遺跡からも出土している。ここから出た入江9号がポリオを患っていた。鈴木隆雄氏によると、この人骨は20歳未満の男性であった。頭や胴体は正常に発育していたが、腕や足の骨が、まるで幼児の骨と間違えるほど華奢(きゃしゃ)であった。骨の発育不全をもたらす病を患っていたのだろう。
 鈴木氏は幼児期にポリオにかかって、手足が不自由になったのだと推測する。このからだでは狩猟に行っても、獲物を捕まえることはできなかっただろう。しかし、この骨は20歳ごろまで生きることができた。家族の愛情に恵まれた生活があったことを物語っている。

 人口減少社会を生きる我々は縄文人よりも豊かな生活を送ることができるだろうか? 消費税を10%に増税し国民に負担ばかりを強いてくる国家で弱者を守ることは可能だろうか? 学校で繰り広げられるいじめが大人社会を映したものであるとすれば、我々は弱者を踏みつけにすることで社会の安定を保っているのだろう。

 尚、酒井は入江9号を「男性」と書いているが、鈴木の論文には「正確な性の判定は困難である」(「北海道入江貝塚出土人骨にみられた異常四肢骨の古病理学的研究」鈴木隆雄、峰山巌、三橋公平)とある。また東京博物館の展示には「おそらく女性」と紹介されている(縄文がえりの勧め 心優しき縄文の村)。小さな誤りだが見逃せない。

2020-03-14

人口過密社会と森林破壊が感染症拡大の原因/『感染症の世界史』石弘之


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝

 ・人口過密社会と森林破壊が感染症拡大の原因
 ・微生物の耐性遺伝子は垂直にも水平にも伝わる

『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ
『病が語る日本史』酒井シヅ
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子
『土と内臓 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

「医学の発達によって感染症はいずれ制圧されるはず」と多くの人は信じてきた。世界保健機構(WHO)が1980年に、人類をもっとも苦しめてきた天然痘(てんねんとう)の根絶を宣言したとき、そしてその翌年にポリオ(小児マヒ)の日本国内の発生がゼロになったとき、この期待は最高潮に達した。
 ところが、皮肉なことに天然痘に入れ替わるように、エイズが想像を超える速度で地球のすみずみまで広がった。インフルエンザウイルスも、ワクチン開発の裏をかくように次々に「新型」を繰り出している。なおかつ、エボラ出血熱、デング熱、西ナイル熱といった予防法も治療法もない新旧の病原体が流行し、抑え込んだはずの結核までが息を吹き返した。
 微生物が人や動物などの宿主(しゅくしゅ)に寄生し、そこで増殖することを「感染」といい、その結果、宿主に起こる病気を「感染症」「疫病」「流行病」の語も使われるが、現在では農業・家畜関連を除いては、公的な文書や機関名では感染症にほぼ統一された。
 私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った、「幸運な先祖」の子孫である。そのうえ、上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、さまざまな対抗手段によって感染症と戦ってきた。それでも感染症は収まらない。私たちが忘れていたのは、感染症の原因となる微生物も、40億年前からずっと途切れることなく続いてきた「幸運な先祖」の子孫ということだ。人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すれば、微生物もそれに対抗する手段を身につけてきた。
 人間が次々と打つ手は、微生物から見れば生存が脅かされる重大な危機である。人が病気と必死に戦うように、彼らもまた薬剤に対する耐性を獲得し、強い毒性を持つ系統に入れ替わって戦っているのだ。まさに「軍拡競争」である。
「あらゆる生物は、自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めるために利己的にふるまう」という動物行動学者のリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」説でみれば、人も微生物も自らの遺伝子を残すために、生存と繁殖につとめていることはまったく同じである。
 人類は遺伝子という過去の遺伝情報が詰まった「進化の化石」を解明したお陰で、この軍拡競争の実態や歴史に迫れるようになった。本書ではその最先端の研究成果を紹介する。
 感染症が人類の脅威となってきのは、農業や牧畜の発明によって定住化し過密な集落が発達し、人同士あるいは人と家畜が密接に暮らすようになってからだ。インフルエンザ、SARS(サーズ)、結核などの流行も、この過密社会を抜きには考えられない。
 急増する肉食需要に応(こた)えるために、鶏や豚や牛などの食肉の大量生産がはじまり、家畜の病気が人間に飛び移るチャンスが格段に増えた。ペットブームで飼い主も動物の病原体にさらされる。農地や居住地の造成のために熱帯林の開発が急ピッチで進み、人と野生動物の境界があいまいになった。このため、本来は人とは接触がなかった感染力の強い新興感染症が次々に出現している。
 大量・高速移動を可能にした交通機関の発達で、病原体は時をおかずに遠距離を運ばれる。世界で年間10億人以上が国外にでかけ、日本にも1000万人を超える観光客が訪れる。エイズ、子宮頸(けい)がん、性器ヘルペスといった性感染症が増加の一途をたどっているのは、性行動の変化と無縁ではないだろう。つまり、ここでも「天災」は「人災」の様相を強めているのだ。(まえがき)

【『感染症の世界史』石弘之〈いし・ひろゆき〉(角川ソフィア文庫、2018年/洋泉社、2014年『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』を加筆修正)】

 遺伝子は垂直に伝わるがウイルスは水平に移動する。主に水・虫(蚊やノミ)・動物(ネズミやコウモリ)・人・注射針などを介して広がる。人類は定住革命~農業革命~都市革命と歴史を重ねてきた。食物・生産性・蓄えといった経済的観点よりも情報の集約性という視点に立った方が把握しやすい。

 人口過密社会が感染症の拡大に拍車をかけることは理解できよう。もう一つ見逃せないのはストレスが増すことだ。生物にはサイズに応じた適切な距離がある。昆虫や動物の群れには縄張りがあり、軍拡競争は一定の範囲にとどまっている。文明の大きな変化は脳内の変化と即時性があると私は考える。外部情報と内部処理の双方向性が文明として結晶するのだろう。

 また森林が破壊されることで生息場所を奪われた動物が人間の住む地域に現れる。新しいウイルスの殆どはこうした形で人に乗り移る。つまり豊かな森はウイルスや寄生虫をとどめるダムの役割をしているのだ。そのダムが決壊すれば水は怒涛の勢いで下流に放たれる。環境問題や自然破壊はウイルスとの共生という視点から捉え直す必要がある。

 定住革命や都市革命は何かを犠牲にしても情報集約を優先した結果と見てよい。折しも新型コロナウイルスのパンデミックが社会を恐怖に陥れ、世界の株価が暴落している。我々は感染症をくぐり抜けた先祖の末裔である。しかしながらウイルスは人類以前からの長大な歴史を生き永らえてきたのだ。地球上の生物の大半は微生物が占めている。人体すらその例外ではない。

 新しい感染症への対策として次の文明を築けるかどうかが今問われているのだろう。

2020-01-25

人類が獲得した投擲能力/『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生"のスキルをめぐる冒険】クリストファー・マクドゥーガル


・『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"』クリストファー・マクドゥーガル

 ・人類が獲得した投擲能力

「人間は驚嘆すべき投擲手です。あらゆる動物のなかでも人間は異色の存在で、投射物を速いスピードで、かつ信じがたい精度で投げる能力をもっています」。そう語るのはジョージ・ワシントン大学のニール・ローチ博士。地球上のほかの霊長類とは異なり、なぜわれわれだけが必殺の投擲で獲物を殺せるのか、という謎に取り組んだ2013年の研究の筆頭著者だ。(中略)
 では、われわれにあってチンパンジーにないものとは何か? 肩に広がる「ゴムのようなぬるぬるしたもの」――筋膜と靭帯、そして伸縮性のある腱だ。腕を振りあげることは、ぱちんこ(スリングショット)のゴム紐を引くようなものだと、ローチ博士は説明する。「このエネルギーが解き放たれると、上腕の急激な回転の動力となります。それは人体が生み出すもっとも速い動作です――プロのピッチャーなら角度にして毎秒9000度の回転(25回転)にも達するのです!」速い投擲は単なる筋肉の活動ではなく、弾力の三段階にわたる解放の賜物だ。

 投げる手の反対側の足で【踏みこむ】。
 腰を、つづいて肩を【回転させる】。
 そして腕、手首、手の関節を弾いて【しならせる】。

 われわれは昔からそんな榴弾砲を具えていたわけではない、とローチ博士はつづける。およそ200万年前、われわれの祖先はいくつか重要な構造的変化を発展させ、木登りや腐肉漁りをする者から生ける投擲器に変貌を遂げた。腰はやや広がり、肩はやや下がり、手首はしなやかさを増し、上腕は若干まわしやすくなった。いったん〈揺らぎ力〉のこつをつかみ、棒に先端をつけることを学ぶと、われわれは地球上でもっとも殺傷能力が高いばかりか、もっとも賢い生き物となった。投げ方がうまくなればなるほど、どんどん知的になっていった。

【『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生"のスキルをめぐる冒険】クリストファー・マクドゥーガル:近藤隆文訳(NHK出版、2015年)】

 野球の魅力がやっとわかった。投げることは元より打撃もまた形を変えた投擲(とうてき)である。バットを手放せばそこそこ飛んでゆくことだろう。私は野球を観ない。ずっと「一体どこが面白いんだ?」と思ってきた。中学の時は札幌優勝チームの4番打者をしていたがそれほど面白くはなかった。まず第一に動きが乏しい。体育に野球を取り入れてないのもこれが理由だ。バレーボールやバドミントンの方がはるかに面白い。だが投擲という動きに注目するとこれほどはっきりと「投げる」スポーツは他にない。槍で獲物を仕留める感覚に最も近いのではあるまいか。

 日本の武術と同じ次元の話がてんこ盛りである。体の智慧を思わせるエピソードが豊富だ。しかしながら訳文が悪く読みにくい。私は『BORN TO RUN』も読み終えることができなかった。つくづくもったいないと思う。

 関連動画を紹介しておく。




2020-01-20

祭りと悟り/『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎


 ・祭りと悟り

『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武

 これとともにみのがしてならないことは、まつりにおける慣習的な儀式の重要性ということである。われわれ文明人の宗教にとつては第一義的に重要なものは教義であり、内的な信仰ないし【さとり】にあるのであるが、古代人にとつては逆に社会的歴史的に伝統化された儀式そのものに最大の意義があるのである。だから発生史的にいえば神話や教義や哲学からまつりやその儀式が生まれたのではなく、まず【まつり】が行われその中から神話その他の観念的なものが発展してきたのである。

【『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎〈やなぎだ・けんじゅうろう〉(創文社、1956年)】

 柳田謙十郎はクリスチャンで政治的には保守派であったが戦後になってマルクス主義に転向した人物。進歩的文化人の一人に挙げられ、稲垣武は「ソ連をユートピア視する元皇国論者の柳田謙十郎」と評している。聖書の引用が目立つ程度で妙な誘導や画策めいた筆致は見当たらない。敗戦という絶望状況が価値観を引っくり返す跳躍台となったことは何となく想像ができる。

 刊行されたのが昭和31年だから新興宗教が全盛の頃である。宗教をも情報と捉える現在からすれば古色蒼然ともいうべき内容だが静かな内省が窺える。

 人類史において宗教が確固として興ったのは農業革命~定住(新石器革命)の時期である。サルやチンパンジーの群れは十数頭~100頭で、ダンバー数が100~250人ということを踏まえると、最初の定住は数千人規模と見てよさそうだ。つまり数千、数万単位の人々を協力させるソフトとして宗教は誕生したのだろう。

 天変地異に対する祈りから始まった儀礼は宗教的天才の登場によって祭りに変貌する。二分心時代にはそうした連中がゴロゴロ存在したことだろう。宗教というものは感情に訴える。理を跳躍するところに宗教的感情が律動する。更に宗教はよそ者の通過儀礼(イニシエーション)として機能したはずだ。むしろ祭りへの参加を通して仲間入りした可能性もある。霊媒のお告げが当たれば人々は熱狂し結束を固めたのだろう。ヒトは社会的動物といわれるが、その社会性の根幹となったのは宗教であった。

 祭りから悟りへの素地を作ったのはヴェーダの宗教でブッダが決定的なものとした。

 信仰とは創造神を絶対と仰ぐ精神で、日本の信心はアニミズム的色彩が濃い。孔子は「民は信なくんば立たず」と。信こそはコミュニティを成り立たせる土台である。信頼と協力が薄くなれば社会は滅びる。一方、悟りに信は必要ない。真理は信じる対象ではなく理解するものである。

2020-01-13

社会学を騙る悪書/『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮


「ネット右翼」という語にしても、1990年代後半に成立した彼ら独自の言説の場「ネット右派理論」ではすでにしばしば用いられていたものだ。たとえば99年4月に結成されたネット上の右翼団体「鐵扇會」に関連し、この語が用いられていたことを示す記録も現存している。当時、「J右翼」「サイバー右翼」など、いくつかの類語の間を揺れ動きながらも次第にこの語が、そしてこの現象が定着していったという経緯がある。

【『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮〈いとう・まさあき〉(青弓社、2019年)以下同】

 社会学を騙(かた)る悪書だ。最初のページで露見している。

 はじめに

   「ネトウヨの妄言」を軽蔑する前に

 書籍のタイトルは出版社が会議で決めるのが普通だ。とすれば冒頭の表題に伊藤昌亮の本音が出たと考えてよい。

 しかし1991年ごろからそこでは右寄りの論調の記事が徐々に目につくようになる。やがて数々の特集とともにそれらが前面に押し出されるようになり、それに伴って雑誌全体としても、あたかも保守派の新しいオピニオン誌であるかのような趣が強く打ち出されるようになった。特に90年代半ば以降は、小林(よしのり)をはじめとする保守派の新しい論者の一大拠点となるに至る。こうして90年代を通じて徐々に「右傾化」していき、2000年代になるころには新種の「タカ派」雑誌として広く認知されるに至った『SAPIO』だが、ではそうした変化はどのような経緯で引き起こされたものだったのだろうか。

 本来であればその背景を探るのが社会学の仕事なのだが、伊藤にとっては「ネトウヨ」こそが問題であり、一部の行き過ぎた差別発言をあげつらうことで、保守層から安倍首相を支持する人々までをこき下ろすところに目的があるのだろう。

 そもそも高々20~30年の出来事を「歴史社会学」とは言わない。国政を俯瞰すると自民党こそが実は社会民主主義を実践してきた歴史がある。国際基準で見れば自民党は中道左派といってよい。それが証拠に小泉政権が誕生するまで日本は「大きな政府」であり続けた。また実際自民党内には右から左までの政治家を網羅しており、政策を決定する段階の議論で国会質疑以上に政策が練られてきた。改憲勢力ではない公明党が与党入りしてからは更にブレーキの効きが強くなった。

 ネット右派の功績は敗戦以降、ひた隠しにされてきた日本の近代史に目を開かせたことであろう。そして1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、1998年には『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小林よしのり作)が刊行された。当時は「保守=右翼」と見られていた。私自身そう思っていた。圧倒的な逆風が取り巻いていた。

 2004年にはチャンネル桜が開局。保守系論壇の人材を結集した功績は見逃せない。チャンネル桜が「虎ノ門ニュース」や「報道特注(右)」に道を開いたといっても過言ではない。

 伊藤昌亮は致命的な勘違いをしている。今語るべきは左翼である。左翼の鬱屈した感情を満たすだけの学問は恐ろしく不毛である。

2020-01-10

知覚の限界/『交通事故学』石田敏郎


『自動車の社会的費用』宇沢弘文
『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳
『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕

 ・知覚の限界

 自動車が発明されて拍手喝采で世の中に迎えらられたとき、将来大変なことになる、と言った心理学者がいたそうである。彼の心配は、人間はその知覚特性から見て、動いているものの速度や距離の見積もりが非常に苦手ということだった。予言は的中し、毎年世界中で何十万人もが自動車事故で亡くなっている。

【『交通事故学』石田敏郎〈いしだ・としろう〉(新潮新書、2013年)】

 私自身、若い頃から「人間が走る以上のスピードで移動する時、何かがおかしくなるのではないか?」と思ってきた。ジェット機に乗ったスー族は魂の到着を待った(『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン)。我が意を得たりと膝を打った覚えがある。一方、本川達雄〈もとかわ・たつお〉は「エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む」と言う(『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』)。相対性理論と逆行するようだが言いたいことはわかる。距離と時間は時空と言い換えてよい。文明は人生の時空を拡大し、情報の密度を高めた。ただし、それがもたらした結果はよくよく吟味する必要があるだろう。我々の社会は自動車という利便性のために交通事故の死傷者を受容している。戦争で死者が出るのは当然だが、文明の発達もまた死者を必要とする。果たしてそんな考えでいいのだろうか?

 もう一つ昔から考えているのは、犬や猫がタイヤの音に反応できないことである。昔はクルマに轢(ひ)かれた犬猫を見ることは珍しくなかった。普段は人間以上にすばしっこい動物がなぜクルマを避(よ)けることができないのか不思議に思っていた。やがてタイヤが原因であることに気づいた。動物は足音には反応するが滑らかに転がるタイヤには対応できないのだ。

 交通事故を防ぐためには、1.自動車と歩行者の分離、2.運転未熟ドライバーの排除、の二本柱で望むのがいいと思う。1については時間を要するだろうが、まず自宅に駐車するのをやめて500メートル区画ほどの住宅地はクルマの進入を禁止する。運送・配送・緊急車両のみ通行可とし制限速度は20kmとする。2は簡単だ。運転することには公的責任が伴うためプライバシーを制限する。全車にカーナビ&GPS及びドライブレコーダーを義務づけ、明らかにおかしな運転をする者を検知できるシステムを構築する。これで95%くらい事故を減らすことができるだろう。

 日常の移動手段としては路面電車程度の速度が最も望ましい。自動車を減らして路面電車網を全国に張り巡らすのが私の考える理想である。

2020-01-02

手段から目的への転換/『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン

 ・手段から目的への転換

『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史

 歩くこと、そのはじまりを思い描こう。筋肉に力が漲ってゆく。一本の脚は、柱になって体を大地と空の間に浮かべている。もう一本の脚が、振り子のように背後から振り出されてくる。踵が大地を掴む。全体重が転がるようにつま先へ繰り出されてゆく。親指が後ろへ蹴り上げると、あやういバランスを保ちながら重心が移動してゆく。そして脚は互いに役割を交代する。一歩にはじまり、さらに一歩、そしてさらに一歩と、打楽器を叩きはじめるように積み重なってゆく歩行のリズム。歩行はたやすくわたしたちを誘い出す。宗教、哲学、風景への眼差し、都市の政治、人体の解剖学、アレゴリー、そして癒やしがたく傷ついた心の奥へ。世のなかにこれほどありふれていて、これほど謎めいたものがあるだろうか。
 歩行の歴史は書かれざる秘密の物語だ。書物に書き残された何げない断片の数々や、歌、街、そして誰もが胸に抱く冒険のうちにそれは潜んでいる。身体という点からみれば、歩行の歴史は二足歩行への進化と人体の解剖学の歴史だ。たいていの場合、歩行とは二つの地点を結ぶほとんど無意識的な移動手段でしかない。しかし思索や儀式や瞑想と重なることによって、歩くという行為には特殊な領域が形成されている。それは手紙を運ぶ郵便夫や列車に向かうオフィスワーカーの動作と生理学的には同じでも、哲学的には異なる。つまり、歩行という主題は、わたしたちがありふれた行為に賦与している特殊な意味を考えることともいえる。食事や呼吸がさまざまな意味を担っているように、歩行が担いうる文化的な意味には大きな幅がある。セックスから宗教、さらに革命から芸術まで。ゆえにその歴史は、想像力と文化の歴史の一隅を占める。さまざまな時代の多様な歩行者たちとその歩行は、いかなる歓びや自由や価値を追求するものだったのだろうか。

【『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット:東辻賢治郎〈とうつじ・けんじろう〉訳(左右社、2017年)】

 左右社〈さゆうしゃ〉という出版社を初めて知った。

 3年前から歩き始めた。それまでは仕事で階段を上ることが多かったのだがいつしか坐っている時間の方が長くなった。歩き方も自分なりに工夫したつもりであったが、やはり我流だと限界がある。10kmから20kmほどの距離は歩いたが疲労が濃かった。みやすのんきを読んで完全に蒙(もう)が啓(ひら)いた。

 一昨年から自転車に乗り始め、自転車EDの症状が出てからまたぞろ歩くようになった。元々私の場合は歩くことが目的と化していたのだが本書を読んでからは歓びに変わった。歩くことが単なる移動手段であれば、その遅さと疲労は忌むべきものとなろう。いつか歩けなくなる日が来るかもしれない。その時を思えば歩けることは「大いなる歓び」であろう。

 文章が思弁に傾きすぎて読み終えることができなかった。日本人の文化的なDNAは句歌や漢詩のような圧縮度の高さが好みであり、散文であればあっさりとした情感を志向する。西洋の言葉をこねくり回す思弁、形而上学、修辞法、合理性とは極めて相性が悪い。日本人は哲学者よりも詩人であろうとする。

 環境問題が叫ばれるようになってからナチュラリストなる言葉が持て囃(はや)されるようになったが、日本人は生まれながらにしてナチュラリストであり、無神論者ですらアニミズムに支配されている。日本のアニメーションが世界的に評価されているのもアニミズムというバックボーンがあるためだ。どちらもラテン語のアニマに由来する言葉だ。アニマは生気と訳す。

 そう考えると幽霊に足がないのも理解できよう。浮かばれない霊は淡い存在として漂っている。生者は足で大地を踏む。すなわち歩くことは生きることなのだ。

 クラシック音楽で歩く速度をアンダンテという。適度な運動としてのウォーキングは1分間に100歩といわれるが(日本生活習慣病予防協会)、心拍数を考慮すれば1分間に60~100のリズムが最も心地よく感じられるのではあるまいか。また、この速度を超えると五感の情報量が下がると考えてよい。

2019-12-19

ハリケーン・カトリーナとウォルマート/『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ


・『予期せぬ瞬間』(『コード・ブルー 外科研修医救急コール』改題)アトゥール・ガワンデ

 ・読書日記
 ・ハリケーン・カトリーナとウォルマート

・『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

必読書リスト その二

 その結果は悲惨だった。水と食糧を満載したトラックは、「我々が頼んだものではない」と政府に追い返された。避難用のバスの手配は何日も遅れ、正式な要請が運輸省に届いたのは、数万人が閉じ込められてから二日後のことだった。地元のバス200台が高地にあったのだが、それらは全く使われなかった。
 政府が決して非情だったというわけではない。だが、複雑な事態に対処するためには権限をできる限り分散させる必要がある、ということを理解していなかった。これが致命的だった。誰もが助けを求めていたが、権限を中央に集中させた政府の救援策は機能しなかった。
 後日、国土安全保障省長官のマイケル・チャートフは「誰にも予想できない、想定の枠をはるかに超えた大災害だった」と弁明した。しかし、それこそがまさしく「複雑な問題」の定義なのだ。それに対処するのが彼らのしごとなのだから、何の説明にもなっていない。「複雑な問題」に対処するには、昔ながらの一極集中の指令システムではなく、別の方法が必要なのだ。
 ハーバード・ケネディスクールの事例研究によれば、この複雑な状況に一番うまく対応したのは大手量販店のウォルマートだった。状況を伝え聞くと、社長のリー・スコットは「わが社はこの最大級の災害に対応していく」と宣言した。そして、ミーティングでこう言った。「自分が持つ権限以上の決断をくださなければならない状況もたくさん発生すると思う。手元にある情報を元にベストの決断をしろ。そして何より、正しいことをしろ」
 社長の命令はそれだけだった。(中略)
 ウォルマートの各店長は自主判断でおむつ、水、粉ミルク、氷を配り始めた。(中略)
 ウォルマートの役員は、細かい指示を出すのではなく、情報が円滑に伝達されるように全力を注いだ。(中略)
「アメリカ政府がウォルマートのような対応をしていれば、このような惨状は防ぐことができただろう」ジェファーソン郡の長官、アーロン・ブルッサードはテレビのインタビューでそう語った。

【『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ:吉田竜〈よしだ・りゅう〉訳(晋遊舎、2011年/原書2009年米国)】

 関連本は読書日記で紹介したので、こちらでは刊行順のリストにした。

 元々読むつもりのなかった本だ。ただアトゥール・ガワンデという著者を辿っただけのことだ。チェックリストに興味を抱く人はまずいないだろう。ところがどうだ。のっけから引き込まれた。恐るべき文才である。複雑化する医療業界にチェックリストを導入することで事故率の減少を目指す奮闘ぶりが骨子であるが、そこに至るまでのエピソードが短篇小説の如く鮮やかに描かれている。なかんづくハリケーン・カトリーナと航空機事故の件(くだり)が忘れられない。

 ヒトの最大の能力は「協力する」ところにある。人類における諸々の革命的な文明の変遷はいずれも集団の変化を示すものだ。一般的には1.農業革命、2.精神革命、3.科学革命とされるが、ユヴァル・ノア・ハラリは認知革命(0.5)を示した。他にも都市革命(2.5)を入れる場合がある。

 ヒトが社会的動物である以上、あらゆる集団・結社は何らかの公益を目的とする。公益を見出さなければ人類が血縁・地縁を超えることはなかったに違いない。ブラック企業や反社会的勢力が追求するのは私益のみだ。連中にはかつての暴力団ほどの連帯意識もない。

 高度経済成長期においてサラリーマンは「猛烈」を体現し、家庭よりも仕事を優先するのが当たり前だった。会社は家族そのものであり定年まで人生を捧げるのが普通だった。バブル景気が崩壊した後、そうした文化はすっかり廃(すた)れてしまったが、派遣社員であれパートタイマーであれ会社に身を置く以上は何らかの自己犠牲と協力、公益追求が求められる。

 ハリケーン・カトリーナ(2005年8月)は北米を襲った最大の台風被害である。

動画

 ウォルマートの社長が「正しいことをしろ」と命じたのは、言い換えれば「社会に尽くせ」ということだろう。社員はそれに応えた。ものの見事に。政府の混乱を尻目にウォルマートは為すべきことを成し遂げた。スーパーマーケットが利益を捨てて公益を優先した。人々は救われた。

 平時の理想よりも有事の行動である。百万言を費やすよりも無死の行動が優(まさ)る。ウォルマートは社会に必要な会社となった。晴れがましく誇らしい社員の顔が浮かんでくる。株価では表せないほどの財産がウォルマートを長く発展させることだろう。


コーネル大学・社団法人新日本スーパーマーケット協会2011年特別セミナー | Retailers

2019-11-28

『悪魔の飽食』事件の謎/『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通

 ・『悪魔の飽食』事件の謎

『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

 レフチェンコが表情の撮影を拒否していると聞いた時、思い出したのは“『悪魔の飽食』ニセ写真事件”の時の記者会見の様子だった。
 57年夏にニセ写真の使用が暴露された際、『悪魔の飽食』の著者・森村誠一氏は、取材パートナーと称する下里正樹氏と共に、写真提供者A氏なる人物を正面に出して、弁明の記者会見を行なった。その時のA氏の様子たるや、珍妙さを通り越して異様な印象を与えるものであった。
 ホテルの室内にもかかわらず、ハンチングをかぶり、黒いサングラスにガウン姿、ボクサーやレスラーではあるまいに、こんな奇妙な姿で記者会見に臨んだ人物が、かつてあっただろうか。森村氏らは、石井部隊(旧関東軍の細菌部隊で別名731部隊)関係者にA氏の身許が割れて危険が及ばないための措置としているが、そこに大いなる作為を感じるのである。(中略)
 そもそも、『悪魔の飽食』の誕生からして、マインド・コントロールの臭いがぷんぷんしているのである。日本共産党の幹部党員のもらしたところによれば、『悪魔の飽食』の赤旗日曜版への連載は、当時の宮本顕治委員長(現・最高幹部会議長)の一存で決まったという。
 当時、森村誠一氏は赤旗日曜版に小説『死の器』を連載中であった。連載開始は55年6月22日で、完結は56年9月27日である。この完結直前の56年7月19日から、74回にわたる『悪魔の飽食』の連載が突如開始される。
 同じ紙面に同じ筆者の連載が2ヵ月半にわたって続く形になるのだが、これはいかに党機関紙とはいえ、ブルジョワ・マスコミにできるだけ近い紙面形態を採ろうとしている赤旗にしては、異常なことである。ある幹部党員は、その背後の事情を“ミヤケンのツルの一声”と説明していた。
 日共にとって、『悪魔の飽食』の空前のヒットは、日本国民に対するマインド・コントロールという意味から、絶大なる効果を持つ戦略兵器となり得る存在であった。日米同盟の強化と“日本の右傾化”に対して、日本国民に戦時中の悪夢を思い起こさせ、警戒の念を抱かせるのに、これほどの効果的な“紙爆弾”はないと考えていたのだろう。
 この一大戦略に従って、流行大衆作家であり日共シンパの森村氏に白羽の矢が立てられたのである。しかし森村氏には泣所があった。取材力に乏しく、ノンフィクションを書く素養があまりないという点である。
 そこで、取材パートナーという形で、筋金入の党員が実質的な筆者として送り込まれた。それが下里正樹氏である。日共内での正式な肩書は、赤旗特報部長とういレッキとした幹部党員で、囲碁、将棋の世界ではかなり有名な観戦記者でもある。

 しかし、日共の一大野望も“ニセ写真事件”によって破綻してしまった。否、破綻したというよりむしろ、アメリカ側のマインド・コントロールに乗せられて“悪魔の飽食作戦”を開始した日共が、アメリカ側のスケジュール通りに陥穽にはまったと見たほうが正確かもしれない。
 問題になった例のニセ写真は、終戦直後の戦犯裁判用に中国の国民党や共産党が大量に作成したという経緯がある。その大部分が、日露戦争のあと、満州でペストが大流行したとき、その救援活動を日本赤十字と日本軍が協力して行なった当時の写真を修正したものであった。それを森村・下里チームは、前述のA氏から提供されたと主張している。
 だが、日共の幹部党員によれば、取材開始時点での1ヵ月にわたるアメリカ取材旅行の際、下里氏が米軍関係者もしくはアメリカの情報筋から入手したものだという。日共としては“米軍提供”と書くわけにはいかず、提供者A氏なる人物をデッチ上げたのではないか。
 それにしても、あの抜け目のない日共が、あんな粗悪なニセ写真にだまされたのか、あるいは知っていてもわざと使ったのかは別にして、この事実は、なによりも日共そのものがアメリカのマインド・コントロール下に置かれていたとでも考えるほかないのではなかろうか。日共は、米ソ双方からマインド・コントロールされているのかもしれない。
 また、森村氏自身についても、不審な点がある。ヒューマニズムと正義を売り物にしている森村氏にもかかわらず、「ああいう写真を見付け出すのが、ゾクゾクするほどうれしい」と語っている。これは異常な表現ではないか。人間なら心が痛むような写真である。ゾクゾクするとは尋常ではない。
 これには、焼跡左翼の野坂昭如氏も、「ゾクゾクするほどうれしいとは何事か」とカミついていた。これが当り前の人間の反応であろう。良心の痛みもなくあいいう発言をした森村氏自身、中国はソ連を旅行した際、なんらかの形でマインド・コントロールを受けた可能性はないか、自己点検してみてはいかがだろうか。

【『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1983年)】

 このテキストの直前にラストポロフ事件が紹介されている。佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉の著書も関連書として挙げておく。

『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行

 志位正二〈しい・まさつぐ〉の名を初めて知った。日本共産党の志位和夫委員長の伯父に当たる人物だ。ラストボロフ事件発覚後、志位正二は自首した。その後航空機内で急死する。親交のあった倉前は「殺(や)られた!」と確信する。それがKGBによるものかCIAによるものかは不明だ。

『悪魔の飽食』は私も若い頃に読んだ。当時は本多勝一〈ほんだ・かついち〉を読んでいたこともあり、若き精神は反日に傾いていた。本多の山本七平批判がカッコよく見えた。私の歴史館は『中国の旅』に染められていた。『週刊金曜日』も創刊号から購入していた。私が戦後史観の迷妄から覚めたのは数年前のことだ。

 本書は竹村健一が企画した「日本の進路シリーズ」の一冊で、軽めの読み物となっている。超心理学とはマインド・コントロールと超能力のことで、ヒカルランド系の内容だ(笑)。

 尚、下里正樹〈しもざと・まさき〉はかつて松本清張の秘書を務めた人物らしい。

凡人はなぜ偉業を達成できないのか?/『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァン


・『天才は親が作る』吉井妙子
・『天才! 成功する人々の法則』マルコム・グラッドウェル/2009年
・『非才』マシュー・サイド

 ・凡人はなぜ偉業を達成できないのか?

・『超一流になるのは才能か努力か?』アンダース・エリクソン、ロバート・プール/2016年

 結局のところ、周囲のほとんどの人は、おそらく、そこそこ上手に良心的で、勤勉に取り組んでいる。なかには20年、30年、40年という長い期間にわたって取り組んできた人たちもいたはずだ。なのに、なぜこうした努力にもかかわらず、彼らは偉業を達成できないのか。その理由ははっきりしない。実際、偉業を達成したり、その域に近づいた者さえほとんどなく、いたとしてもほんの一握りにしかすぎないというのが厳しい現実の姿だ。
 この謎はあまりにも当たり前のことのように見えるので、謎であることにさえ気がついていない。にもかかわらず、この謎は、我々の組織、そして人生が成功するかどう失敗するかということや信じている理念が正しいのか間違っているのか、という点で決定的に重要なことなのである。

【『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァン:米田隆〈よねだ・たかし〉訳(サンマーク出版、2010年)】

 エリクソンの著書と内容の見分けがつかないほどだが文章は断然こちらの方がいい。因みにエリクソン本は1/3ほどで挫折した。「限界的練習」の中身をもったいぶって手の中に隠すような構成にウンザリしたためだ。尚、「究極の鍛錬」と「限界的練習」が単なる翻訳の違いなのかどうかは確認しておらず。たぶん一緒だと思う。マルコム・グラッドウェルの著作はまだ読んでいない。

 本書が説くのは「才能の否定」である。なんとタイガー・ウッズから果てはモーツァルトに至るまで才能が否定されている。天才と呼ばれ、偉業を成し遂げた人々は例外なく一定量の鍛錬を積んでおり、凡人と天才を分けるのは時間の差でしかないと断言する。つまり天才の所以(ゆえん)は「努力の天才」にあるのだ。「練習の虫」と言い換えてもよい。「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(『論語』)との孔子の教えが蘇る。

 当然ではあるが漫然と時間をかけても偉業は成し得ない。クルマの運転を思えばわかりやすいだろう。ある程度思う通りに操ることができるようになると、そこで技術の上達は止まってしまう。しかも「止まった」と思うのは錯覚で実際はレベルが低下してゆくのだ。

 あれこれ考えていると『ピーターの法則』や『パーキンソンの法則』が他人事とは思えなくなってくる。

 なぜか意を決して11月25日から走り始めた。走るのは幼い頃から苦手だった。私には人より秀でた運動神経があるので足は遅くてもいいや、くらいに思っていた。ランニングは短距離も長距離もダメだった。昨年から自転車に乗り始めたのだが長時間にわたって同じ姿勢でいるため微妙なストレスが溜まってきた。しかも股下が圧迫されるため自転車ED(勃起不全)を実感するまでになった。そこで近頃は散歩にいそしんできたわけだがムラムラと走る衝動が湧いてきた。やはりウォーキングだと負荷が物足りない。そしてランニング2日目の今日、3km走ってきた。私にとっては偉業である。


捨てる覚悟/『将棋の子』大崎善生

2019-10-26

米国三大死因の第3位は「回避可能な医療過誤」/『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド


『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 ・米国三大死因の第3位は「回避可能な医療過誤」

『予言がはずれるとき この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』L・フェスティンガー、H・W・リーケン、S・シャクター
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

必読書リスト その二

 実はこうした失敗と成功には、切っても切れない関係がある。まずはその関係を理解するために、安全重視にかかわる二大業界、医療業界と航空業界を比較してみよう。両者の組織文化や心理的背景には大きな違いがある。中でも根本的に異なるのが、失敗に対するアプローチだ。
 航空業界のアプローチは傑出している。航空機にはすべて、ほぼ破砕不可能な「ブラックボックス」がふたつ装備されている。ひとつは飛行データ(機体の動作に関するデータ)を記録し、もうひとつはコックピット内の音声を録音するものだ。事故があれば、このブラックボックスが回収され、データ分析によって原因が究明される。そして、二度と同じ失敗が起こらないよう速やかに対策がとられる。
 この仕組みによって、航空業界はいまや圧倒的な安全記録を達成している。しかし、1912年当時には、米陸軍パイロットの14人に8人が事故で命を落としていた。2人に1人以上の割合だ。(中略)
 今日、状況は大きく改善されている。国際航空運送協会(IATA)によれば、2013年には、3640万機の民間機が30億人の乗客を乗せて世界中の空を飛んだが、そのうち亡くなったのは210人のみだ。欧米で製造されたジェット機については、事故率は【フライト100万回につき0.41回】。単純計算すると約240万フライトに1回の割合となる。(中略)
 航空業界においては、新たな課題が毎週のように生じるため、不測の事態はいつでも起こり得るという認識がある。だからこそ彼らは過去の失敗から学ぶ努力を絶やさない。
 しかし、医療業界では状況が大きく異なる。1999年、米国医学研究所は「人は誰でも間違える」と題した画期的な調査レポートを発表した。その調査によれば、アメリカでは毎年4万4000~9万8000人が、【回避可能な医療過誤】によって死亡しているという。
 ハーバード大学のルシアン・リープ教授が行った包括的調査では、さらにその数が増える。アメリカ国内だけで、毎年100万人が医療過誤による健康被害を受け、12万人が死亡しているというのだ。(中略)
 現在世界で最も尊敬を集める医師の1人、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部のピーター・プロノボスト教授は、2014年の米上院公聴会で次のように発言した。

【つまり、ボーイング747が毎日2機、事故を起こしているようなものです。あるいは、2カ月に1回「9.11事件」が起こっているのに等しい。回避可能な医療過誤がこれだけの頻度で起こっている事実を黙認することは許されません】。

 この数値で見ると、「回避可能な医療過誤」は「心疾患」「がん」に次ぐ、アメリカの三大死因の第3位に浮上する。しかし、まだ不完全だ。老人ホームでの死亡率のほか、薬局、個人病院(歯科や眼科も含む)など、調査が行き届きにくい死亡事故はこのデータに含まれていない。

【『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド:有枝春〈うえだ・はる〉訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)】

 冒頭で医療ミスのエピソードが語られる。信じ難いヒューマンエラーがいくつも重なりエレインという女性が37歳の若さで亡くなった。続いて「生命を預かる仕事」の代表である医療業界と航空業界を比較して医療業界の杜撰さと被害者の多さを検証する。エレインの夫マーティンは死までの経過を知りたかった。決して医療ミスを見抜いたわけではなかった。ただ知りたかったのだ。マーティンの職業はパイロットであった。

 マーティン・ブロミリーは巻末にも登場する。彼は若き妻を失ったことにより、医療ミスを防止するための世界的なネットワークを構築した。航空業界は「失敗から学び」、医療業界は「失敗を隠す」。たったこれだけの違いが25万人もの人々を死なせているのだ(CNN.co.jp 2016年5月4日)。

 失敗には必ずパターンがある。ヒューマンエラーを防ぐことは不可能だが、仕組みや手順を変えることでエラーの数を減らすことは可能だ。これは仕事のみならず日常生活においても同様である。いくら「同じ轍(てつ)を踏まない」と力んでも無駄だ。システムを見直すことが最も重要で、ミスを犯す直前の動きを検証する眼が必要なのだ。

「命を守る」べき病院で殺される現実に現代社会の複雑さがある。医療の仕組みは保険報酬で規定される。薬を処方するのが医師の仕事と化した感があり、不要な薬が新たな医原病を生んでいる。

 一人の医療過誤被害者家族が立ち上がって世界の医療システムを変えつつある。一人の力は侮れない。

『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』を先に読めば衝撃の度合いが深まる。今年読んだ本の中で最も面白かった一冊である。