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2022-02-24

6挺が放つ銃弾をかわす植芝盛平/『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖


 ・6挺が放つ銃弾をかわす植芝盛平

『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命

 この話は陸軍の砲兵官が、合気道という素晴らしい武道があるからと軍の関係者を9人ばかり連れて植芝道場に見学にやってきたことからはじまります。そのときにいっしょにきた人たちというのは鉄砲の検査官でした。そういう人たちを前にして演武を行った植芝翁が、そのとき「ワシには鉄砲は当たらんのや」と言ってしまったのです。しかし彼らは鉄砲検査官。プライドを傷つけられ、怒ってしまいました。
「本当に当たりませんか?」
 彼らが先生に詰め寄ると、「ああ当たらん」「じゃあ、試してみていいですか」「けっこうや」と売り言葉に買い言葉となりました。
 植芝翁は撃たれて死んでも、文句が言えないように、その場で何月何日に大久保の射撃場で鉄砲の的になる、と拇印まで押し誓約書を書かされます。彼らはその写しを軍の裁判所のようなところへ持っていって、確認までしてもらったそうです。奥さまやお弟子さんに大変心配されても、「いや、大丈夫。あんなもん当たらんよ」とのんきに答えたそうです。そして射撃場での拳銃の一斉射撃となるのです。
 たっている植芝翁に向かって六つのピストルの引き金が引かれます。ところが、次の瞬間には、25メートルの距離を移動して、人一人投げ飛ばしているのです。
 25メートルの距離を瞬時に移動して投げ飛ばすなんて、信じられますか? その時にお供したお弟子さんの一人は合気道養神館館長、故・塩田剛三〈しおだ・ごうぞう〉先生です。
 塩田先生は現代武術において達人と尊敬される武術家です。その塩田先生が、何が起こるか見極めてやろうと目をこらしていても植芝翁の動きはなにひとつ見えなかったと告白しています。【あまりにも凄まじい話なので、誰もが嘘だと思ってしまうかもしれません。それを嘘だと疑ってかかるか、または人間の潜在的な力の実例ととらえるかでは自己の能力開発において大きな違いが生まれるでしょう】。

【『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖〈こうの・ちせい〉(経済界、2005年)】

 小野田寛郎もまた射撃をかわすことができると語っている。

小野田寛郎の悟り

 予備動作を見抜く以上の何かがあるのだろう。気配に先んじる何かがあるとすれば、それはもう量子力学的な世界だ。人間の認知能力には限りがないということか。

 河野智聖はユニークな武術家である。ただし文章があまりよくない。本書が一番おすすめできる。

2022-01-13

窒息を知らせるチョークサインを広めよう/『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』西山耕一郎


『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之
『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
『ずっと健康でいたいなら唾液力をきたえなさい!』槻木恵一
『舌(べろ)トレ 免疫力を上げ自律神経を整える』今井一彰
『舌をみれば病気がわかる 中医学に基づく『舌診』で毎日できる健康セルフチェック』幸井俊高
『あなたの老いは舌から始まる 今日からできる口の中のケアのすべて』菊谷武
『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』西山耕一郎

 ・窒息を知らせるチョークサインを広めよう

『つらい不調が続いたら 慢性上咽頭炎を治しなさい』堀田修

身体革命

「声のかすれ」や「人とあまりしゃべらない」ことと同じなのですが、「声が小さくなること」も、のどの老化のサインです。
 声帯は声を大きく出すほど大きく動きます。もともと声が小さい人は、それだけのどが老化しやすい、ということになりますし、年をとって大きい声が出せなくなった場合は、のどの筋肉が衰えているサインです。
 声帯を動かす筋肉は、いくつになっても鍛えることができますし、使うほど強くなっていきます。ふだんから声が小さいと指摘される人も、大きな声を出せるように、のど筋トレを行うことをおすすめします。

【『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』西山耕一郎〈にしやま・こういちろう〉(幻冬舎新書、2020年)以下同】

 長らく人と話をしないと声がでにくくなる。帰国した小野田寛郎がそうだった。ガラガラ声のおばあさんも多い。「声帯は内側に筋肉(声帯筋)があり、外側を粘膜(声帯粘膜)で覆っています」(声について - 東京ボイスクリニック品川耳鼻いんこう科【公式】)。だったらトレーニングにしようもあるというものだ。

 みなさんはどんなときに幸せや喜び、楽しさを感じますか?
 答えは人それぞれだと思いますが、「おいしいもの、好きなものを食べているときが幸せ」という方は、かなりいらっしゃるのではないでしょうか。
 食欲は、性欲、睡眠欲と並び、ヒトの根源的な欲求のひとつです。「食べたい」という欲求が満たされたとき、幸福感や充足感を覚えることでしょう。おいしいものを食べたときに覚える満足感を「口福」(こうふく)と言うくらいですから、「食べる喜び」はヒトにとって最上の幸せのひとつだと私は思います。
 のどが衰えて飲み込む力が低下するということは、この食べる喜びが失われてしまうことを意味します。少しずつ食べるものが限られていって、やがて自力で飲み込むことができなくなり、「口から食事を摂ることができなくなる」ということです。
 生物にとって、「食べられないこと」は「死」に直結します。
 人間は、自分でものを食べられなくなっても、飲み込むことができれば、介助や介護によって、口から食べる器官をかなりのばすことができます。

 喉の衰えは食べる喜びを苦しみに変える。食べることが苦しみになれば、生きることもまた苦しみとなるだろう。そのストレスは生きる気力を奪い、あたかも植物のような人生を強いるに違いない。

 肥田春充〈ひだ・はるみち〉は食を断って死んだ。一つの見識だと思う。

 合わせて覚えておいていただきたいのが、のどがつまったときに知らせるための「【チョークサイン】」です。窒息すると息ができないだけでなく、しゃべれないので、ジェスチャーで知らせる必要があります。
 チョークサインはのどを親指と人差し指で挟むだけ。万国共通なので、いざというときに合図するために覚えておきましょう。
 このサインが広まれば、周囲で窒息事故が起こったとき、すぐに対処してもらえます。1分1秒を争うときだからこそ、至急の対応が必要です。
 誤嚥してのどにものがつまったときには5分が勝負です。


 不覚にも知らなかった。是非とも周囲のお年寄りに知らせて欲しい。

2021-10-29

意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 この状況(※大東亜戦争敗戦)において、国家再生のためには新しいモデルが必要でした。
【日本人はそのモデルを、恐るべき敵であったアメリカに求めた】のです。
ストックホルム症候群」という精神医学の概念があります。1973年にスウェーデンで起こった銀行強盗で、銀行員数名が人質として監禁され、死の恐怖に怯(おび)えて数日間を過ごした事件がありました。事件は結局、警察が突入して犯人を逮捕しますが、この間、人質となっていた被害者が、犯人を擁護するような言動を繰り返したのです。この事例から、極度の恐怖を体験した人間は、加害者を自分と同一視することで恐怖を免れるという心理的メカニズムがあることが理論化されました。日常的に夫から虐待を受ける妻、親から虐待を受ける子どもがなかなか被害を訴えようとしないもの、同じメカニズムによるものです。
 連日連夜の空爆を受け、原爆を投下され、米軍に軍事占領された日本人の深層心理に、同じメカニズムが働いたと私は見ています。アメリカという悪魔にこれ以上蹂躙(じゅうりん)されないためには、アメリカを理想国家として賞賛し、アメリカと一体になるしかない……。
 これは日本人の集団的な無意識として働いたものですから、文献として残っているわけではありません。しかし【この無意識は、意識化されない限り、戦後日本人に世代を超えて強迫的に受け継がれていく】のです。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

「意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく」――衝撃的な一言である。これを読むだけでも本書には必読書の価値がある。意識化とは「見る」ことだ。ありのままに真っ直ぐ見つめれば答えは自ずから導き出される。

 黒船襲来を「強姦」と位置づけたのは司馬遼太郎であった(『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー)。ただ、歴史は振り返った時にしか見えてこない。当事者たちは川の流れの中で自分たちの位置すら理解できない。

 意識化されるのは一瞬である。「あ!」と気づけば違う世界が開ける。例えば私の場合、北海道で育ったこともあって長らく皇室制度を軽んじてきた。義務教育を苫小牧~帯広~札幌で受けてきたが、君が代を歌ったことは一度しかない。それも音楽の授業で習ったのだ。国旗に対する敬意を教わることもなかった。これが社会党王国の現状だった。もちろん道民が由緒正しい血筋と無縁であった背景にも由来しているのであろう。父方の祖父は戦争で樺太から引き揚げてきたと聞いている。北海道に家意識はない。「内の嫁」「内のしきたり」という言葉を聞いたことがない。このため全国で一番離婚が多い。家を背負っていないのだから当然だ。感覚はややアメリカに近いものがある。私は上京して「なんと因習が深いのだろう」と驚いた憶えがある。寺社仏閣も桁違いに多い。

 知人のライターが東日本大震災に対する天皇のメッセージをツイッターで紹介していた。彼は「陛下」と尊称をつけていた。それを見て、「へえー」と呟き、次の瞬間に「あ!」となった。胸の内に小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の生きざまがまざまざと蘇った。尊皇の精神が息を吹き、血の中に流れ通った瞬間であった。様々な知識が線となってつながった。大東亜戦争の歴史的な意味合いもストンと腑に落ちた。私は日本人となったのだ。

 これは決して大袈裟な話ではない。若い時分から本多勝一や鎌田慧〈かまた・さとし〉、黒田清〈くろだ・きよし〉、浅野健一などを読んで、完全に頭の中はリベラルに洗脳されていた。彼らの反日感情を見抜くことができなかった。左翼が主張するポリティカル・コレクトネスは破壊工作の手段に過ぎない。

 日本近代史に関する書籍を読み漁り、菅沼光弘を経て、竹山道雄に辿り着き、小室直樹倉前盛通で完璧に補強した。武田邦彦の影響も大きい。

 民族的な自覚は危機の中から芽生える。戦争や災害の中で国家の輪郭が際立ってくるのだ。

2021-09-27

自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること/『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ


『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』矢野和男
『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・自動化(オートマチック)、手順自動化(オートメーション)、自律(オートノミー)
 ・自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること

・『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克
『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール

 合意を基本とする調整は、分権の手法で、スウォーム・エレメント(小編隊)すべてが、互いに同時に通信し、行動の進路を共同で決める。これは“投票”もしくは“オークション”アルゴリズムで、行動を調整することで実行できる。つまり、スウォーム・エレメントはすべて、フライの捕球を“入札”したり“競売”したりすることができる。最高値をつけたものが“落札”して捕球し、あとのものは邪魔にならないように離れる。
 突発的調整は、もっとも分権が進んだ手法で、鳥の群れ、昆虫のコロニー、人間の暴徒の動きのように、周囲の個々の意思決定から、調整された行動が自然発生する。個々の行動の単純な法則から、きわめて複雑な共同行動が引き起こされ、スウォームは“集団的知性”を発揮する。たとえばアリのコロニーは、しばらくすると、個々のアリの単純な行動によって、食べ物を巣に運ぶ最適ルートに集まる。食べ物を運ぶアリは、巣に戻るときにフェロモンの足跡を残す。もっと濃いフェロモンが残っている既存の通り道にぶつかると、そのルートに切り替える。より早いルートでアリがどんどん巣に引き返すうちに、フェロモンの足跡が濃くなり、多くのアリはそこを通るようになる。アリはいずれも最速のルートがどれかを知っているわけではないが、アリのコロニーは集団として最速のルートに集まる。
 スウォーム(群飛)のエレメント間の通信は、外野手が“おれが捕る”と叫ぶのとおなじような直接の信号でも行なわれる。魚や動物の群れがいっしょにいる共同観察のような間接的手段もある。アリがフェロモンを残して通り道の印にするのは、“スティグマジー”と呼ばれるプロセスのたぐいで、環境に残された情報に反応して行動する。

【『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ:伏見威蕃〈ふしみ・いわん〉訳(早川書房、2019年)以下同】

 読書中に必読書にしたのだがその後、教科書本にとどめた。現在多忙につき、体力を整えてから再読する予定である。序盤はいいんだけどね。

 swarmの意味は「群れ、うじゃうじゃした群れ、大群、群衆、大勢、たくさん」(Weblio英和辞書)など。「スウォーム・エレメント」とはドローン兵器を指す言葉で、ドローンの小編隊同士を戦わせる実験が既に行われているという。そこで繰り広げられるのは「戦闘の自律化」である。スウォームの指揮統制モデルは以下の通りである。


 期せずして政治システムを表しているのが興味深い。直接民主制、議会制民主主義、談合、国際関係(安全保障・貿易体制)を思わせる。

 自律といえばアパッチ族の分権システムが知られる(『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム)。自律を支えるのは内発性だ。中央集権のハードパワー体制はリーダーが斃(たお)れれば組織が崩壊する。ヴェトナム戦争でアメリカはヴェとコンのゲリラ戦に敗れた。戦後長きにわたって一人戦争を続けた小野田寛郎もまた内発性ゆえに戦い得たのだ。

 自律には永続性がある。つまりロボットが自律性を獲得すれば「壊れるまで戦い続ける」ことが可能になる。電力供給や自動修復機能、更にはソフトウェアの自動更新が埋め込まれれば、AI兵器は永遠に戦い続けることだろう。精度の高い顔認証システムが完成すれば、ドローンから逃れることは不可能となる。テロリスト対策として開発され、やがては政敵を葬るために使われるはずだ。

 これらの例は、自律型兵器についてのよくある誤解――知能(インテリジェンス)〔認知・推論・学習能力〕を備えれば兵器は“自律”するという浅はかな考え――を浮き彫りにしている。システムの知能が高いことと、それが実行するタスクが自律的であることは、次元が違うのだ。自律型兵器の特徴は知能ではなく、自由であることだ。知能は自律を変えることなく、いくらでも兵器に付け加えられる。自律型兵器と半自律型兵器に使用されるターゲット識別アルゴリズムは、これまではしごく単純なものだった。このため、完全自律型兵器の有用性には制約があった。兵器の知能があまり高くない場合、軍は兵器に大幅な自由を委ねるのをためらう傾向があるからだ。しかし、機械の知能が進歩するにつれて、自律目標決定(ターゲティング)は幅広い状況で技術的に可能になった。

「!」――頭の中で電球が灯(とも)った。大人には大人の、子供には子供の、病人には病人の、障碍者には障碍者の「自律」があるのだ。「自律型兵器」を「自律型組織」に置き換えて私は読んだ。

 AIの自律性はヒューリスティクスソマティック・マーカーをも実装し、失敗とフィードバックを繰り返しながら機械学習をしてゆくに違いない。その行く末を思えば「感情なき人間」の姿が浮かんでくる。ヒトの感情は元々集団の中で生存率を高めるためのアルゴリズムだったのだろう。歴史を生み、文化を育み、国家を形成したのは民族的感情に拠(よ)るところが大きい。

 機械やコンピュータは機能で構成されている。ビッグデータは感情や理由は無視する。膨大なデータから関連性・相関性を探るだけだ。それでも因果関係に迫ることができるのだ。

 では人類の未来は薔薇色に輝いているのだろうか? 違うね。『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)みたいな完全管理の碌(ろく)でもない世界が、サーバーの地平から現実世界へ押し寄せるに決まってらあ。

2020-01-28

三島由紀夫の霊に捧ぐ/『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー

 ・三島由紀夫の霊に捧ぐ

日本の近代史を学ぶ

 三島由紀夫から、かつて次のように指摘された。君は日本の宮廷文化の優美とか光源氏の世界の静寂を称賛してきたが、その賛美を書くことで日本の民族性が持つ苛酷かつ峻厳そして悲壮な面を覆いかくしてはいないか、と言うのである。私はここ数年、短命な生涯を送り、しかもその生涯が闘争と動乱とに彩られた、現実社会に行動する人間群像に目をすえてきた。私の日本文化に対する見方に偏重があったとすれば、そうすることで均衡をもり返し得るのではないかと思う。以下の文章は、そのため、三島の霊に捧げられるべきものである。彼とは意見を異にすることが多かった。政治問題に関してとなると特にくい違うことが多かった。だが、考え方の相違が三島由紀夫に対する私の敬意と友情をそこなうことは、まったくなかった。

【『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス:斎藤和明訳(中央公論社、1981年)以下同】

「序」の冒頭で著者はこう記す。取り上げた英雄は日本武尊〈やまとたけるのみこと〉、捕鳥部万〈ととりべのよろず〉、有間皇子〈ありまのみこ〉、菅原道真源義経楠木正成天草四郎大塩平八郎西郷隆盛、そして神風特攻隊である(全10章)。


 英雄たる者の生涯とは、たとえいかにはなばなしい武勲に飾られようと、その最期が悲劇的でなければならない。日本の勇者たちはその生涯の幕の閉じ方を充分に心得ている。悲劇的最期とは浅薄な思考や誤算から、あるいは精神や肉体に欠陥があり持久力がないから、またある偶然の不運からもたらされるものではない。むろんそれらの要因が皆無であるとは言えまい。だがしかし、何よりも現世における英雄の生涯を支配する前世からの宿縁(カルマ)のため自力では避けることができない悲劇があって、英雄にふさわしい最期がもたらされるのである。宿縁のため彼は悲惨な運命を受け入れて生きる。
 そこで英雄たる者の不可欠の条件とは、その崇高な最期に対する覚悟であることになる。英雄は最期を迎えるための自らの行動の細目一切をわきまえていなければならない。日ごろから心の用意を備えて、生存本能のためその他人間の弱点のため、最後の瞬間に失態を演じてはならない。また、英雄は、生涯の最終点での、自らと自らの運命との間の火花散る対決こそ勇士たる者の人生に最大の意味を持つ出来事だということを知っている。勝目がいかに少ない苦闘であろうと彼は戦いを中断してはならない。最後の段階にいたって彼は自らの責務を、勇士にふさわしい死をもって完遂しなければならない。それによって彼のその死にいたるまでの努力と犠牲的行為とが初めて正当性を持つようになる。もしその死に方を誤ったならば、それまでの自己の生涯に意味を与えてきたすべての努力と功績は嘲笑の的にすぎなくなろう。そのため英雄たる者はつねに死ぬことを考えて生きねばならない。

 時代と戦い、時代を開くのが英雄の使命だ。そして英雄は潔く次代の犠牲となるのだ。英雄とは生き様であり死に様でもある。英雄は走り続け天翔(あまが)ける流れ星のように消えてゆく。三島は英雄たらんと欲して悲劇を選んだ。

 大きな事故や災害が起こると英雄が次々と登場する(『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー)。社会には自己犠牲を犠牲と思わぬ人々が一定数存在する。見る人が見れば普段から惜し気(げ)もなく親切な振る舞いをしていることに気づくだろう。

 誰も見ていなければこれ幸いと手を抜く。そんな輩は英雄的行為と無縁だ。いざとなれば年寄りや子供を踏みつけても逃げようとするに違いない。

 三島が死んだのは1970年(昭和45年)のこと。学生はヘルメットをかぶり鉄パイプを振り回して学業を放棄していた。大人たちは高度成長の甘い汁を吸いながら冷めた眼で世間を眺めていた。三島の割腹自決はニュースの一つに過ぎなかった。この国は小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の帰還もニュースとしてしか受け止めなかった。アイヴァン・モリスの誠実を思わずにはいられない。

 今年は三島の死から半世紀となる。三島の魂は震え続けて後に続く若者の登場を待っている。

2019-07-27

小善人になるな/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 悪人とは何も邪悪な人間という意味ではなく、国際社会の非情冷酷さを知らず、デモクラシーとか人権とか人民解放なぞというような上っ面の飾り文句で、国際社会が動いているかのように思いこんでいる善人に対比して、人間と社会、ことに国際社会のみならず、力関係の入り乱れた社会の狡智と冷酷さを十分わきまえた上で、それに対応する手をうつことのできる強い人間のことを悪人と称してみただけのことである。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)以下同】

 小室直樹との対談本で倉前盛通を知った。あの小室御大が「先生」と呼ぶ人物である。そこそこ本を読んできたつもりであったが見落としている人物の大きさに気づいて愕然とした。学生運動のピークが1969年(昭和44年)であったことを踏まえれば、地政学を説いた先見の明に畏怖の念すら覚える。「人民解放」という言葉が古めかしく感じるが当時の大学生は大真面目でこれを叫んでいた。

 巻頭のドキュメント・フィクションはロッキード事件を仕組んだCIAの手口を推察したもので「さもありなん」と思わせる説得力がある。

 日本人は昔から「悪」という言葉に、強靭で、しぶとく不死身という意味を持たせていた。つまり「ええ恰好しい」ではなく、世の毀誉褒貶や、事の成否を意に介せず、まっすぐに自己の信念を貫いた人の強烈な荒魂を、崇め安らげる鎮魂の意味で「悪」という文字を使用してきた。これは日本人の信仰の深淵に根ざすものかもしれない。
 日本の社会は昔から女性的で優美な「もののあはれ」という美学を、生活の規範としてきた社会であり、男性的な硬直した儒教論理や、キリスト教、マホメット教のような一神教的男性原理によって支えられている社会ではない。それゆえ、男性的な行動原理に身をおくとき、日本の伝統美学から、やや遠ざかっているという美意識が生じてくる。それゆえ、一種の「はにかみ」をもって、「悪」とか、「醜(しこ)」と自称したのであろう。

 明治の男たちが愛した「狂」の字と同じである(狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次)。現在辛うじて残っているのは力士の呼び名である「醜名(しこな)」くらいか。「醜(しこ)」については、「本来は、他に、強く恐ろしいことの意もあり、神名などに残る」(デジタル大辞泉)。

 よく指摘されることだが日本のリーダーに求められるのは母親的要素が強く、度量や鷹揚さが示すのは優しさに他ならない。これは親分や兄貴分を思えば直ちに理解できることだ。原理原則で裁断する男性性は日本人の精神風土と相容れない。

「愛」という言葉も元々は小さなものに対する感情で「可愛い」という表現と同じ心理である。日本人の美的感覚が雄大なものより繊細に向かったのは当然というべきか。

 脆く、はかないものを美しいとする日本の伝統的美学の中では、強靭で不死身なものは、醜になり、悪になるのである。ここのところの日本の美学的発想がまだ外国の人々には、よく理解されてないようである。
 たとえば30年間、南海の小島のジャングルの中で戦い続けていた小野田少尉のような人こそ「醜の御楯」であり「醜のますらを」とよばれるにふさわしい人物といえよう。地政学は、その意味で、まさしく「悪の論理」であり、「醜の戦略哲学」である。
 これからの国際ビジネスマンは、人の見ていないところで、国を支えてゆく「醜のますらを」であり、「悪源太」であることを、ひそかに誇りとすべきであろう。そして小善人になり上がることをもっとも恥とすべきである。

 万葉集に「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つわれは」とあるようだ。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の帰還は1974年(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎)なので増補された内容か。「悪源太」とは源義平〈みなもと・の・よしひら〉のことらしい。楠木正成〈くすのき・まさしげ〉も悪党と呼ばれた。こうして見るとはかなさの対局にある太々(ふてぶて)しい様を示すのが「悪」や「醜」であることがよくわかる。

 1970年(昭和45年)に三島由紀夫が割腹し、その4年後に小野田寛郎が帰ってきた。私はこの二人を心より敬愛する者であるが、それを差し引いても二人のあり方は「潔さからしぶとさへ」という精神性の変化を象徴する事件であったと思われてならない。つまり腹を切って責任を取るよりも、もっと難しい選択を迫られる時代に入ったのだ。しかもこの「難しい選択」は容易に避けることが可能で、避けたとしても後ろ指をさされることがない。

 だからこそ「小善人になるな」とのメッセージが胸に突き刺さる。真面目や善良は尊ぶべき資質ではあるが、世間に迎合することを避けられない。真面目な官僚は省益のために働き、善良な組員は鉄砲玉となって抗争する組長の殺傷に手を染める。

 要は世間の評価や他人の視線を歯牙にも掛けない「悪(にく)まれ役」が求められているのだ。山本周五郎著『松風の門』で池藤八郎兵衛〈いけふじ・はちろべえ〉は主君の命に背いて百姓一揆の首謀者3人をあっさりと斬り捨てた。八郎兵衛は謹慎(閉門)を言い渡された。彼は言い訳一つせず、ただ畏(かしこ)まっていた。八郎兵衛の深慮が明らかになるのは後のことである。義を前にして己を軽んじてみせるのが武の魂であろう。いつ死んでもよいとの覚悟が壮絶な生きざまに表れる。



内気な人々が圧制を永続させる/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

2018-10-28

43年間に及んだサバイバル/『洞窟オジさん』加村一馬


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 ・43年間に及んだサバイバル

・『失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語』マリーナ・チャップマン
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

必読書リスト その二

 なだらかな斜面を、持ってきたスコップを杖(つえ)代わりに登った。岩肌のところは四つんばいになってかけ登る。足場が悪く、小石が転がり落ちる。シロが前になり後ろになっておれを守ってくれる。
「シロ、大丈夫か。頑張れっ、頑張れっ! もう少しだ!」
 家を飛び出してからほぼ1週間、ほとんど寝ないで歩いてきた。13歳のおれには体力はもう残っていなかった。ただ、気力で岩肌を登るだけだ。シロに声をかけ続けたのは自分自身への励ましだったのかもしれない……。
(中略)
 加村一馬さん、57歳。昭和21年8月31日、群馬県の大間々町で生まれた。8人きょうだいの4男坊だった。両親のたび重なる折檻に耐え切れず、13歳で家出をし、後を追ってきた飼い犬のシロと足尾鉱山で獣や山菜を採って空腹を満たしながら生きる生活を選んだ。以来43年間、栃木、新潟、福島、群馬、山梨の山中などを転々としてきた。人里離れた山の洞窟で、ときには川っぺりで、ときには町でホームレスをしながら人とかかわることを避けて生き抜いてきた。子供のころの虐待やいじめ体験がトラウマとなっていた。後年、人の情けに触れることはあっても、結局は43年間人間社会から逃げ出すことしかできなかった。

【『洞窟オジさん』加村一馬〈かむら・かずま〉(小学館、2004年『洞窟オジさん 荒野の43年 平成最強のホームレス驚愕の全サバイバルを語る』改題/小学館文庫、2015年)】

 昔は折檻(せっかん)と言って親の虐待が罷(まか)り通っていた。雪が積もる外へ裸で投げ出されたり、物置に閉じ込められたりということが珍しくなかった。物置の中から外を覗いていた子供が慌てて扉を占めたために首を挟んで死亡した事故もあった。江戸時代の日本では子供が大切にされた。野放し状態の子供を避けるため往来では馬から人が降りたという。戦争や工業化の影響か。巨大な集団は多くの人々に様々なストレスを与える。

 加村はそれでも尚生きた。そして生き延びた。彼の命を救ってくれたシロは間もなく死んだ。43年間に及んだサバイバルを可能にしたのは彼に生きる知恵があったからだ。私なら10日間ほどで死んでいるだろう。火を熾(おこ)すこともできなければ、山菜の見分け方も動物の捌(さば)き方も知らないのだから。

 ある時、山の中で見知らぬ夫婦から声を掛けられる。おばさんが「黒い三角の物体」をくれた。生まれて初めて見たオニギリだった。親切なおじさんとおばさんは加村を家に招き、風呂に入れ、ご飯を食べさせた。人の情に触れ加村は涙を流し続けた。おじさんは「ずっといていいんだよ」と言った。ところが数日後、加村は去ることにした。この辺りの心の揺れはナット・ターナーや鹿野武一〈かの・ぶいち〉と通じている(ナット・ターナーと鹿野武一の共通点)。論理で探れば複雑であるが、情緒で読み解けば腑に落ちる。目の前の幸せを拒絶したところに加村の自由があったのだ。

 サバイバルは適応能力に左右される。加村は周囲のちょっとした情報から生き延びるヒントを得た。文字を書くことすらできなかった彼が商売をするまでになる。

 小学校の課程にサバイバルを設けてはどうか。家庭科・図工・理科・社会の要素も含まれている。何があっても一人で生きることのできる力が備われば、国力も大いに上がることだろう。併せて、いじめや虐待に遭遇した時の作法も教えるべきだろう。生きることを学ぶ。生きる能力を磨く。そこに生きる喜びが生まれるはずだ。

2018-08-04

戦前の高度なインテリジェンス/『秘境 西域八年の潜行』西川一三


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 ・戦前の高度なインテリジェンス

・『チベット潜行十年 』木村肥佐生
・『チベット旅行記』河口慧海
・『城下の人 新編・石光真清の手記 西南戦争・日清戦争』石光真人編
『サハラに死す 上温湯隆の一生』長尾三郎編

「あなたは親切心で言ってくれるのでしょうが、私は、ヒマラヤを、この体でこの二本の足で七度も越えて鍛え上げているのだ。私がこんな姿をしているのは、あなたのそんな親切なめぐみを、待ち望んでしているのとは、まったく意味が違う。私達は戦争には負けた。しかし、私は、精神的には負けてはいないのだ」
 日本人と同じ顔をした、栄養状態のよいこの米人は、顔色ひとつ変えずに私のはげしい言葉を聞くと、その軍服を片づけた。
 私とこの通訳とは、さらにその後半年、この個室で同じ毎日をつづけた。私が、自分の足跡の一切を、相手の質問の尽きるまで語りつくしたときは、完全に一年間が経過していた。通訳がこの間に、私から調べ上げた調書の原稿は数千枚にも及ぶうず高いものだった。彼は、この功によって二階級特進した。
 八年間死地をくぐり、日本政府から一顧にも付せられなかった私は、この間、日当一千円を米軍から受取っていた。当時、私にはかなり高額の金である。私は貴重な情報を、アメリカに売るのかという、心のとがめを感じないわけではなかった。が、それならば何故、外務省が私んしかるべき態度をとらなかったのかという反撥の心があった。すべて、敗戦のしからしめるところであったと思う。しかし私は、通訳と向き合う生活をはじめて間もなく、すすめてくれる旧師もあって私なりのひそなか決心を固めていた。なんのためという具体的な目標があったわけではないが、決してGHQには売らない八年間の自分の足跡というものを、自分のものとして真実の記録として残すことを思い立ったのである。

【『秘境 西域八年の潜行』西川一三〈にしかわ・かずみ〉(芙蓉書房、1967年/中公文庫、1990年)】

 西川一三は戦前の情報部員である。チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」)を名乗り、チベット・ブータン・ネパール・インドなど西域秘境の地図を作成し地誌を調べ上げた。その活動はなんと敗戦後の1949年まで続いた(敗戦は1945年)。帰国後、直ちに外務省に報告をするべく訪ねたが、全く相手にされなかったという。直後にGHQから出頭せよとの命令があり、西川の情報を引き出すべく1年にも及ぶ取り調べが行われた。

 小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉のように敗戦後も戦い続けた日本軍兵士や諜報員は数多くいた。たぶん数千人規模でひょっとすると万を超えていた。大半の兵士はアジア諸国独立のために加勢した。そのまま現地で生活をし続け、骨となった人々もまた少なくない。大東亜会議で掲げた理想の旗は日本が敗れても尚、アジアの地で高々と翻(ひるがえ)った。そんな彼らに国家は報いることがなかった。否、見捨てたといってもよい。こうしたところに真の敗因があったと思われてならない。

 日本人は個々人の志操は高いのだが組織になると「村」レベルの惨状を露呈する。武士はいたものの貴族が存在しなかったゆえであろうか。社会学の大きなテーマになると個人的には考えているのだが、小室直樹が触れている程度で手つかずのような気がする。厳しい階級制度がなかったことも遠因の一つだろうし、天皇陛下の存在が悪い意味での安心感を生んでいることも見逃せない点である。長らく外敵の不在が続いたことも体制がシステマティックにならなかった要因だ。そして体制が変わると閥(ばつ)がはびこるのも我が国の悪癖であろう(戦後、組織化に成功した日本共産党や創価学会においても同様である)。優秀な人材がいながらも江戸時代に総合的な学問が発展しなかったのも同じ理由と思われる。

 時代は変わっても日本人には職人肌なところがあるように思う。オタクなどが好例だ。現代にあっても国際的な舞台で活躍する個人は多い(中村哲〈なかむら・てつ〉やビルマの内戦を止めた井本勝幸など)。スポーツ、芸術、音楽、美術においても白人と伍し、漫画に至っては世界を牽引(けんいん)している。我々のDNAは個人や小集団で発揮するようにできているのかもしれない。

 官僚が支配する息苦しい日本で出世競争に血道を上げるよりは、若者であれば単独者として世界を目指せと言いたい。

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2016-07-09

エキスパート・エラー/『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠

 ・集団同調性バイアスと正常性バイアス
 ・エキスパート・エラー

『人が死なない防災』片田敏孝
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 9.11同時多発テロ事件発生時、世界貿易センタービルで勤務していたジョンソンさんのケースを見てみよう。55階のオフィスにはジョンソンさんを含め約10名のスタッフがいた。テロ発生後、彼らは、ビルの防災センターに電話をかけた。マニュアルでは災害や火災が発生したときは防災センターの指示に従うことになっていた。「我々はどうしたらいいのか」と尋ねると、警備員が出て「救助に行くから、待機していてください」と答えた。ジョンソンさんたちは待った。しかし煙がオフィスにまで迫ってきたので再度電話をすると「もう少し待ってください」。さらに煙は立ち込めて「これ以上ここにいるのは危険です」と言うと警備員は「それじゃ、すぐ非常階段で脱出してください」と言ったのだ。ジョンソンさんたちは愕然とした。直ちに脱出したがスタッフのうち4人は、命を落とした。自分たちで判断していれば、もう少し早く逃げていれば助かったと、ジョンソンさんは専門家の意見を信頼しすぎた自分を責めていた。
 一般の人は、専門家が指示するとそれを疑わず信じてしまう。【専門家の言うことだからと依存しすぎることを「エキスパート・エラー」という】。
 たとえ専門家といえども事故現場にいない以上、完全に正しい指示をくれるとは限らない。現場の情報は現場にいる人が一番把握しているはずである。だから、【生死に関わることは、自分の五感で確認した情報に基き、自分で意思決定をすることが重要】なのである。

【『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦(宝島社、2015年/宝島社、2005年『人は皆「自分だけは死なない」と思っている 防災オンチの日本人』改訂・改題)】

 ここでいうところのエキスパート(専門家)とは安全管理責任者・消防・警察などと考えてよい。彼らは「動くな」と指示する傾向が強い。ところが大規模災害の場合、災害の全容と動向を把握することは極めて困難である。9.11テロの場合、世界貿易センタービル・ツインタワーが崩落することは誰も予測し得なかった。根強い陰謀説があるのもこれが原因となっている。

 要は生きるか死ぬかという危機に際しては、専門家の権威を当て込むのではなく自らの責任で判断し、行動する他ないということだ。もちろんエキスパートですらエラーするわけだから、各人の判断も誤る可能性は高い。だが人生最後となるかもしれない選択を他人に委ねるか、自分が決めるかの差は大きい。

 韓国旅客船セウォル号沈没事故(2014年)でも「動かないで下さい。動くと危険です。動かないで!」(CNN 2014-04-17)との指示が再三に渡ってアナウンスされた。助かったのは直ぐ動いた人々だった。乗員・乗客 476人のうち295人が死亡する大惨事となった。そのうち250人が修学旅行中の高校生であった(海外「韓国・セウォル号から生還した高校生のクラス写真が切なすぎる…」)。

 災害に限らず専門家の言葉が当てになるのは平時のみである。経済学者やアナリストが経済危機を言い当てたことはない。専門家は事が起こった後で理屈をこねくり回すのが常だ。「わかったつもり」の専門家が一番怖い。

 タイトルにある通り、人は皆「自分だけは死なない」と思っている。我々は「自分が死ぬ」という前提で物事を発想することができない。文明は死から目を背け、死を忌避することで発展してきた。現代社会においては死を目撃することすら稀(まれ)である。死は病院に封印され、社会から隔離している。

 災害から学ぶといっても特別なことではない。日常生活の中から不注意を一掃することに尽きる。外へ出歩けば、いつ交通事故に遭ってもおかしくない。注意を払えば危険は至るところに見出すことができる。その意味で大東亜戦争を生き抜いた小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(『たった一人の30年戦争』)や坂井三郎(『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子)から学ぶことは多い。

2016-04-10

大東亜戦争の理想/『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
日下公人×関岡英之

 ・大東亜戦争の理想

『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
・『革命家チャンドラ・ボース 祖国解放に燃えた英雄の生涯』稲垣武
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

日本の近代史を学ぶ

 私は同行の将校を一室に集めて、総長の意向を説明し私の決意を【ひれき】した。私は特に若輩未経験かつ不徳の者であることを皆にわびた。しかし、私はかねがね私が信念とする日本思想戦の本質を、万難を排し身をもって実践することを皆に誓った。そして皆に協力と補佐を願った。私は信ずる日本思想戦の本質を【じゅんじゅん】と説いた。「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのでなくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりするいことを厳に慎まねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって戦うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」と申しでた。一同は私の決意と所信に、心から感銘してくれたように見受けられた。

【『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市〈ふじわら・いわいち〉(バジリコ、2012年/原書房、1966年『F機関』/原書房、1970年『藤原機関 インド独立の母』/番町書房、1972年『大本営の密使 秘録 F機関の秘密工作』/振学出版、1985年『F機関 インド独立に賭けた大本営参謀の記録』)】

 日本の近代史にまつわる書物を取り上げる時、キーボードを叩こうとする指が宙で止まる。常に躊躇(ためら)いが付きまとうのは近代史に数多くの嘘が紛(まぎ)れているためだ。GHQの抑圧に対する反動、デタラメ極まりない左翼史観への対抗もさることながら、「過ぎたことは水に流す」「負け戦をあれこれ考えても仕方がない」といった日本人気質が混じり合って、混沌の様相を呈している。そのため、「必読書」に入れる近代史本は厳選しているつもりだ。

 藤原岩市は33歳の時(当時少佐)、大東亜戦争勃発に備え、東南アジアのマレイ・北スマトラ民族工作の密命を受けた。10人余りの陣容で出発し、後に現地で日本人をリクルートし30名の体制となる。F機関の「F」とは、フリーダム、フレンドシップ、藤原の頭文字を取ったものである。「アジア人のアジア」「大東亜の共栄圏」建設を目指した。

 机上の作戦だけで物事は進まない。そこには必ず実務を遂行する「人」がいる。F機関は藤原という人物を得て、八紘一宇(はっこういちう)の輝かしい足跡(そくせき)を残した。

 藤原が大東亜戦争を「思想戦」と捉えていた事実が興味深い。民族工作とは現地住民に国家独立を促し、白人のもとで戦う現地兵士を寝返らせる任務であった。後に「マレーのハリマオ(虎)」と呼ばれた谷豊もF機関に加わる。妹を惨殺された谷は復讐の鬼と化して盗賊団の首領に納(おさ)まっていた。サイドストーリーではあるが谷の短い一生(享年30歳)に涙を禁じ得ない。音信の途絶えていた日本の家族に藤原は谷の活躍を伝えた。


 F機関は、シーク族(シーク教徒か?)の秘密結社IILと連携し、次々と人心をつかみシンガポールを中心にマレイ、タイ、ビルマ、スマトラの広大な地域に拡大。遂にはインド独立の機運をつくり、チャンドラ・ボースにバトンを渡す。藤原は大東亜共栄圏の理想に生きた。だが大本営はそうではなかった。シンガポールでは日本軍が華僑を虐殺している。藤原は歯噛みをしながら上官に意見を具申する。高名な山下奉文〈やました・ともゆき〉陸軍大将の振る舞いもスケッチされている。英軍探偵局長(階級は大佐)の取り調べに対して藤原は堂々とアジア民族の共存共栄を語る。局長はイギリスが人種差別感情を払拭できなかった本音を吐露する。昭和36年(1961年)、F機関の慰霊祭が初めて挙行された。巻末の「慰霊の辞」を涙なくして読むことのできる者はあるまい。



 上の地図が戦前の領土である。海洋面積を見れば半分以下になっている。結局のところ明治維新当時に戻ってしまった。日本が帝国主義に敗れた現実がひしひしと迫ってくる。


 藤原岩市は大東亜共栄圏の理想に生きた。インド独立の影の功労者といっても過言ではない。だがそれは大東亜戦争の一部であったが全部ではない。同様にパール判事の主張や神風特攻隊の美しいエピソードを強調して大東亜戦争を美化することは戒めるべきだろう。歴史は細部の集合体ではあるが、細部にとらわれてしまえば全体を見失う。

 日本は戦争に負けた。本来であれば「なぜ負けたのか」「どうすれば勝てるか」というところから復興しなければならなかったはずだ。ところが現実の政治は国体護持のみに腐心して、経済一辺倒で進んでしまった。日本人の誇りも結構だが、この国にまず必要なのは「戦略」である。

 尚、本書の文章が粗(あら)く、平仮名表記が目立つのは、1947年(昭和22年)にシンガポールのイギリス軍刑務所から解放されて帰国し、一気呵成に認(したた)めたせいである。校訂の不備には目をつぶり、筆の勢いを味わうべきだ。



果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年/『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫

2016-02-06

靖國神社/『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集


 ・靖國神社

『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
・『保守も知らない靖国神社』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

 海軍大尉 植村 眞久 命
 神風特別攻撃隊大和隊
 昭和19年10月26日 比島海域にて戦死
 東京都出身 立教大学卒 25歳

 素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人なるやうにと思つて、お父様が考へたのです。私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのを見届けたいのですが、若(も)しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
 お前が大きくなつて、父に會(あ)ひたい時は九段へいらつしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前を幸せ者と思ひます。(中略)
 お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
昭和19年9月吉日          父
植村素子へ

 追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、御父様が戴いて自分の飛行機に御守り様として乗せてをります。だから素子は父様といつも一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。

【『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集(産経新聞出版、2010年)】


 靖國神社で販売されている『英霊の言乃葉』の第1~9輯(しゅう)の選集。産経新聞出版社が小林に選者を依頼したという。その経緯については小林の「まえがき」に詳しい。戦時中の遺書といえば『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(日本戦没学生記念会編、1949年)が有名だが、CIE(GHQの民間情報局)の検閲が施されていることが判明した(日本経済新聞 1982年8月22日/戦後の風潮)。

 靖國に祀(まつ)られた英霊は神に位置づけられるため名前の末尾に命(みこと)が付く。名前「のみこと」と読む。数詞は「柱」(はしら)。ペリー来航(1853年)以降の戦没者などが祀(まつ)られていることから「日本近代化の犠牲者」と見ることもできよう。ただし祀られているのは政府軍側の人物に限られる。私は靖國神社を否定する気は毛頭ないが、ひとつだけすっきりしないのは「政府軍側」と天皇陛下の整合性である。具体的には戊辰戦争における会津藩を逆賊と位置づける歴史には加担できない。

 植村が娘に宛てた遺書は老境を思わせるほどの風格がある。我が子にキラキラネームをつけるような現代の馬鹿親とは何が違うのか? それはやはり「責任感」であろう。子の幸福を思う心の深さが異なるのだ。

 私が胸を打たれたのは「お前が大きくなつて、父に會(あ)ひたい時は九段へいらつしゃい」との一言であった。九段とは靖國神社である。若き特攻隊員たちは「靖國で会おう」と口々に約し合いながら大空へ飛び立った。その聖地ともいうべき靖國が現在では政争の具とされている。

 敗戦から29年後に復員した小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉は「天皇陛下万歳」と叫んだ。帰国後、検査入院を経て真っ先に靖國を参拝し、皇居を遥拝した。また政府からの見舞金100万円と義援金の全てを靖國神社に奉納している。マスコミは狂ったように「軍国主義の亡霊」と書き立てた。日本は変わってしまった。変わってしまった日本に耐えられなくなった小野田はブラジルへ去った(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎、1995年)。

 植村の戦死から22年後の'67(S42)、愛児であった娘の素子は父と同じ立教大学を卒業。 同年4月に父が手紙で約束したことを果たすため、靖国神社にて鎮まる父の御霊に自分の成長を報告し、母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、文金高島田に振袖姿で日本舞踊「桜変奏曲」を奉納した。 素子は「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語ったという。

歴史が眠る多磨霊園:植村眞久

 死して尚、親の想いが子を育む。人の一念は時を超えるのだ。

 尚、靖国神社公式サイトの「靖国神社について > 今月の社頭掲示」では平成20年(2008年)以降のものが紹介されている。




国民の遺書  「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選
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2015-09-11

アミール・D・アクゼル、斎藤充功、舩坂弘、岩下哲典、磯田道史、他


 10冊挫折、6冊読了。

シリーズ日本近現代史10 日本の近現代史をどう見るか』岩波新書編集部編(岩波新書、2010年)/書き手は井上勝生、牧原憲夫、原田敬一、成田龍一、加藤陽子、吉田裕〈よしだ・ゆたか〉、雨宮昭一〈あめみや・しょういち〉、武田晴人〈たけだ・はるひと〉、吉見俊哉〈よしみ・しゅんや〉。岩波書店は戦後、雑誌『世界』の誌面を進歩的知識人(左翼)に提供してきた出版社である。左翼の呻き声みたいな代物で読む価値はないと判断した。

シリーズ日本近現代史1 幕末・維新』井上勝生(岩波新書、2006年)/amazonの★一つレビューを読むと、やはり左翼であると思われる。日本を貶めるのが彼らの仕事だ。

日本の歴史18 開国と幕末改革』井上勝生(講談社学術文庫、2009年)/というわけで1頁も読まず。井上は北大名誉教授。北海道は日教組が強く左翼の巣窟である。北海道に渡った人々には長男が少なく、先祖を敬う気風に欠ける。と道産子である私が断言しておこう。離婚率が高いのも「家を背負っていない」ため。

ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』ランドール・ マンロー:吉田三知世訳(早川書房、2015年)/池谷裕二の書評に騙された。ネット上で寄せられた質問に答えたQ&A集。それほど面白くない。

日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人〈まるたに・はじめ〉(ハート出版、2014年)/ダメ本。文章がいいだけに惜しまれる。イデオロギーとしての右翼はその姿勢において左翼と変わりがない。先入観に染まった景色に興味はない。

面白い本』成毛眞〈なるけ・まこと〉(岩波新書、2013年)・『もっと面白い本』成毛眞(岩波新書、2014年)/全然面白くない。成毛がノンフィクション専門とは知らなんだ。ノンフィクションに重きを置く態度が今ひとつ理解できない。

モチーフで読む美術史』宮下規久朗〈みやした・きくろう〉(ちくま文庫、2013年)/説明に傾き過ぎて文章が平板。エッジを効かせた文体が欲しいところ。

生きていくための短歌』南悟(岩波ジュニア新書、2009年)/定時制高校に通う生徒諸君の歌集。短歌は著者サイトでも読める。授業の成功と短歌の良し悪しは別物であろう。あまり心に引っ掛からず。

時間の図鑑』アダム ハート=デイヴィス:日暮雅通〈ひぐらし・まさみち〉訳、山田和子協力(悠書館、2012年)/ヴィジュアル本はフォントが小さくて読みにくい。前半は素晴らしいのだが後半まで息が続かない。仏教と量子力学までフォローしてもらいたかった。高価な本はまず図書館で借りてから購入を検討するのがセオリーだ。

 102冊目『いくらやっても決算書が読めない人のための 早い話、会計なんてこれだけですよ!』岩谷誠治〈いわたに・せいじ〉(日本実業出版社、2013年)/今まで読んだ中では一番わかりやすかった。それでも決算書を読めるようになるには遠い道のりである。

 103冊目『日本人の叡智』磯田道史〈いそだ・みちふみ〉(新潮新書、2011年)/著者は大学教授にして古文書オタク。題材で読ませる。文章に締まりを欠くが内容は素晴らしい。読むだけで背筋が伸びる。

 104冊目『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(新書y、2006年)/文章に冴えがない。黒船来航といえば「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」との狂歌が思い出されるが、この歌が後代の作であることを示す。ペリー来航は予想された出来事であった。当時のインテリジェンス能力は現在の政府よりも遥かに上である。しかも適切な対応ができた。阿部正弘、黒田斉溥、島津斉彬を中心に、佐久間象山・吉田松陰らの役割が明らかにされている。阿片戦争に対する危機意識の高さが彼らの能力を十二分に引き出したのだろう。

 105冊目『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉(光人社NF文庫、1996年/新装版、2014年/文藝春秋、1966年『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル』を改題)/舩坂弘は超人的な身体能力と体力の持ち主で「不死身の分隊長」と呼ばれた人物。白兵戦における強さは和製ランボーといってもターミネーターといってもよい。隣のペリリュー島の玉砕については知られていたが、アンガウルの戦いを公にしたのは本書が嚆矢(こうし)と思われる。剣道を通して親交のあった三島由紀夫が一文を寄せる。偉大なる父祖の戦いに涙止まらず。大小20ヶ所以上の傷を抱えながら船坂は米軍司令部で自爆攻撃を試みる。が、手榴弾の安全ピンを抜こうとした瞬間に狙撃される。阿修羅のような船坂にアメリカ軍人たちは「勇敢なる兵士」の名称を送り絶賛した。

 106冊目『日本スパイ養成所 陸軍中野学校のすべて』斎藤充功〈さいとう・みちのり〉、他(笠倉出版社、2014年)/小野田寛郎の任務が山下財宝(丸福金貨)の秘匿であったという想像が紹介されている。全体的には悪くないのだが、いささか予断と臆見が目立つ。

 107冊目『量子のからみあう宇宙』アミール・D・アクゼル:水谷淳訳(早川書房、2004年)/アミール・D・アクゼルの本には外れがない。量子力学を築いた人々の系譜。各章もすっきりしていて実にわかりやすい。図や式は飛ばして構わない。私もチンプンカンプンであった。量子力学の天敵アインシュタインを巡る物語でもある。

2014-12-31

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 今年は菅沼光弘との出会いが衝撃であった。菅沼は正真正銘の国士であると思う。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉と同じ精神の輝きを放っている。こういう人物を知ると何となく佐藤優の正体が透けて見える。本物が偽物を炙(あぶ)り出すのだ。菅沼本はあと2冊を残すのみ。ただ、語り下ろしが多いため著作の完成度はやや低く、既に紹介中ということもありランキングからは除外した。

 再読のため『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリーも除いた。二度目の方が面白いという傑作だ。

 印象に残ったものをアトランダムに紹介しよう。

 まずは山岳ものから。

』沢木耕太郎
垂直の記憶』山野井泰史

 私が山男に憧れるのは彼らを「現代の僧侶」と考えているためである。酸素が薄い酷寒の高所を登攀(とうはん)するストイシズムは大衆消費社会と全くの別世界である。沢木本は山野井夫妻を描いたノンフィクション。著名な作家が一隅を照らす人物に光を当ててくれた。よくぞ! と感嘆せずにはいられない。山野井の童顔は雰囲気がジョージ・マロリーとよく似ている。

 次にマネー本から。

国債は買ってはいけない!』武田邦彦
2015年の食料危機 ヘッジファンドマネージャーが説く次なる大難』齋藤利男

 武田本は粗雑ではあるものの、税と国債の矛盾を指摘したところが卓越している。齋藤本は食料安全保障への警鐘を鳴らした内容で、素人にもわかりやすい。

 続いて漢字本を。

三国志読本』宮城谷昌光
回思九十年』白川静

 白川と宮城谷の対談が重複している。このあたりと以下の小林本は若い人に読んで欲しい。

小林秀雄対話集 直観を磨くもの』小林秀雄
学生との対話』小林秀雄

 私は小林秀雄を感情スピリチュアリズムと考えており嫌いなのだが、この2冊は凄い。特に後者は私も待望していた作品だ。

苦海浄土  池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集 III-04』石牟礼道子

 迷いに迷った挙げ句、「必読書」に入れなかった本である。入れても構わないのだが、ノンフィクションと謳いながら、後年になって創作があったことを石牟礼は述べている。その政治性に嫌悪感を抱いてしまう。最初から「被害者の呪い」を描いた文学作品とすればよかったのだ。当時の公害に違法性がなかった事実を忘れてはなるまい。

「食べない」健康法 』石原結實

 実践中。実用書は読者の行動を変えるかどうかが勝負の分け目。わたしゃ、直ぐ実践したよ。ただし合理性には疑問が残る。

 続いて小室直樹による近代史の講義。

封印の昭和史 [戦後50年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹

 小室は合理主義者であり、学問における原理主義者であるといってよい。政治性やイデオロギーとは無縁の人物だ。その小室を通して渡部昇一が「日本近代史を正しく伝える」先駆者であることを知った。1990年代、渡部や谷沢永一は右翼の片棒を担いでいると思われていた。私もその一人だ。今になってわかるが、彼ら以外は時流に阿(おもね)る学者でしかなかった。東京裁判史観を粉砕することなくして日本の独立はない。

 以上は甲乙つけがたいがゆえにランキングから外したがどれも面白い。続いてベスト15を。今年も我が選球眼が衰えることはなかった。ヨガナンダとローリング・サンダーは密教研究の重要なテキストであると考える。

 15位『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
 14位『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
 13位『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』ジョージ・ジョナス
 12位『ブッダの教え 一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
 11位『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
 10位『サバイバル宗教論』佐藤優
 9位『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾
 8位『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
 7位『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
 6位『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄&『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
 5位『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ
 4位『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド
 3位『生きる技法』安冨歩
 2位『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
 1位『生物にとって時間とは何か』池田清彦

2014-11-18

国益を貫き独自の情報機関を作ったドイツ政府/『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年

 ・国益を貫き独自の情報機関を作ったドイツ政府
 ・アメリカからの情報に依存する日本

『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 私がドイツにいた頃、BND関係者からは、情報機関が国家にとっていかに重要なのか、よく聞かされた。
 かつてドイツは第一世界大戦(ママ)に敗れたことで、連合国によって、軍の情報機関はすべて廃止に追い込まれた。ドイツが再び立ち上がることを阻止するためだ。
 しかし、ドイツ海軍は、その後ドイツ国防軍の情報長官になった、ヴィルヘルム・カナリス提督が若き士官だった頃、情報士官を集めて民間会社を作った。連合国から禁止されていたため、公式に情報機関は作れなかったが、民間会社を作って、そこで密かに情報活動を行った。
 ナチスが政権を握った後は、民間会社を隠れ蓑にすることもなく、堂々と情報機関が設立された。ドイツ陸軍で対ソ情報活動を行っていた部隊は、第二次世界大戦中、バルト海南岸の東プロイセンの辺りに駐在していた。その部隊の司令官が、後にBND初代長官に就いたゲーレン将軍である。
 敗戦間近になると、ゲーレン将軍らは要員とともに、資料を全部持って、スイスの山中に逃げ込んだ。なぜそういう行動に出たかというと、「我々はもう負ける。しかしいずれ我々の持てる情報を、アメリカが必要とするだろう」という読みがあったからだ。
 第一次世界大戦後に情報聞かを壊滅させられた経験があったから、「何が何でも情報機関を残さなければならない」というただ一心だったという。
 その後、CIAの前身組織であるOSS(戦略事務局)のヨーロッパ本部責任者だったアレン・ウェルシュ・ダレス氏と掛け合った。その甲斐あって、CIAの全面的な支援の下で、対ソ情報活動を専門的に行う「ゲーレン機関」が設立され、独立後に連邦の情報機関であるBNDへと発展していったのだ。
 ドイツには、国が自立するためには、情報機関が必要不可欠だという認識がある。また占領下において、つまり主権のない時期に作られた法律は、独立後はすべて見直すという強い意思があったから、日本のように改正が難しい憲法は作らなかった。ドイツ連邦共和国基本法は、必要とあらばいつでも改正できる基本法であって、憲法と呼ばれるものではない。
 日本は占領期間中に、帝国憲法の改正という形だ。日本国憲法を作ったから、60年以上も改正できないまま今日に至っている。同じ敗戦国にして、これだけの違いがある。
 憲法制定の経緯についてはいろいろなことが言われているが、つまりはアメリカが日本の自立を認めなかったということだ。逆に言うと、独自の情報を集めるシステムがないと、独立自尊の国家としての政策は展開できない。

【『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘(青志社、2012年/旧版、2009年)】

 菅沼光弘がどの書籍においても必ず触れている歴史で、日本独自の情報機関をつくることがアメリカ支配という戦後レジームを変革する第一歩であるとの主張である。

 カナリス提督やゲーレン将軍はドイツを舞台とした冒険小説やミステリで馴染みが深い。菅沼は東大法学部を卒業し公安調査庁に入庁。その後直ちにドイツのマインツ大学へ留学させられているが、これはゲーレン機関で訓練を受けるためであった。菅沼が「最後のスパイ」と呼ばれる所以(ゆえん)である。


 カナリスはアプヴェーアの責任者も務めた。知性と良心を眠らせない人物が皆そうであるように、彼もまた複雑な人物であった。カナリスはSS(ナチス親衛隊)と反目し合っていた。そして最後は部下たちが企てたヒトラー暗殺に協力する。絞首刑にされたのはナチス・ドイツが降伏する1ヶ月前であった。


 ドイツは白人国家であるがゆえに当然、日本とは占領政策が異なった。それでも尚、なぜドイツにはゲーレンがいて、日本にはいなかったかを考える必要があるだろう。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の生きざま(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎)を見れば、陸軍中野学校がそう易々(やすやす)とGHQに屈するとは思えない。


 逆に言えばゲーレンのような先見の明をもつ者が存在しなかったがゆえに日本は戦争に敗れたのだろう。ゲーレン機関は正式にBND(連邦情報局)となる。ゲーレン機関の諜報員はソ連・東欧の各地に配置され、米ソ冷戦下で活躍する。

 戦後憲法が日本のよき伝統を破壊したと菅沼は言う。その一々に説得力がある。更にアメリカは日本に情報機関を持たせないことで完全に属国とした。日本のインテリジェンスはその殆どをアメリカからの情報に頼っているのだ。しかも自民党は1950年台から60年台にかけてCIA(中央情報局)から数百万ドルの資金提供を受けている。つまり日本共産党がソ連のスパイ(『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)で、自民党がアメリカのスパイであった可能性が強い。

 同様に朝日新聞(慰安婦問題捏造記事)と読売新聞(原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略)を比較することもできるだろう。正力松太郎には「ポダム」というCIAのコードネームがあった。


 晩年のゲーレン将軍と思われるが、顔つきが菅沼とよく似ている。カナリスもゲーレンも菅沼も国家・国民のためにという国益志向が一致している。彼らこそ国士と呼ばれるのに相応(ふさわ)しい人物だ。

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菅沼 光弘
青志社
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2014-10-17

教科書問題が謝罪外交の原因/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 いまは日中関係も日韓関係も北朝鮮との関係もガタガタになっているけれど、その根源はどこにあるのかといえば、第一の要因は、1982年の教科書問題に発しています。これは高等学校の歴史教科書の記述において文部省が日本の中国華北への「侵略」を「進出」と書き改めさせたという報道がマスコミによって一斉になされ、この報道を受けて中国が猛然と反発抗議してきた事件です。
 しかし調べてみると、どの教科書にもそんな事実はなく、マスコミの明らかな誤報だったのですが、いろいろすったもんだしたあげく、あろうことか当時の宮沢喜一官房長官が「今後、教科書検定については国際理解と国際協調の見地から、アジア近隣諸国の感情を害さないように配慮する」と発言しました。いわゆる「近隣諸国条項」というものです。
 そもそも「侵略→進出」の誤報も、一部のマスコミが意図的にミスリードしたふしがあるのですが、そうした流れのなかで日本政府はこのときからひたすら「謝罪外交」の道を歩み始めることになりました。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)以下同】

 菅沼光弘はかつて公安調査庁で第二部長を務めた人物だ。公安警察国家公安委員会と混同しやすいので要注意。公安調査庁は情報機関である。

 一読してその見識と憂国の情に胸を打たれる。菅沼は入庁直後、ドイツのゲーレン機関に送られ訓練を受けている。ラインハルト・ゲーレンも健在であった。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉と同じ精神の光を感じてならなかった。すなわちこの二人は国士といってよい。

陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 私は本書を開くまで教科書問題が誤報だと知らなかった。つまり30年以上にわたって「右傾化する日本に反発する中国」という構図を信じ込んできたわけだ。ものを知らないことは本当に恐ろしい。

教科書誤報事件
教科書問題の発端「世紀の大誤報」の真実

 しかも事実無根の誤報である。誰かが情報を与え、マスコミが意図的にリークしたわけだ。東アジア諸国の友好関係を阻む動きと理解していいだろう。

 最近、またぞろ韓国は「従軍慰安婦」の問題を持ち出していますが、中国も韓国も北朝鮮も、何か事あるごとに過去のことを引っ張りだしてきては日本を非難する。それに対して日本はひたすら謝罪、謝罪を繰り返してきました。宮沢発言以来、そればかりです。
 ではそれで日中関係がよくなってきたかといったら、少しもよくならない。韓国・北朝鮮ともだんだん悪くなる一方で、謝れば謝るほど相手を外交的に優位に立たせるだけのことです。世界中でこんな稚拙な外交をやっているのは日本だけです。たとえばイギリスはインドをはじめビルマ(ミャンマー)、マレーシア、シンガポールなど東南アジア諸国を植民地にしたけれど、何一つ謝罪などしていません。そんな過去の話など関係ないよと、まったく相手にしないのです。それが普通のことです。

 確かにそうだ。アフリカの黒人を誘拐同然で輸入したアメリカも謝罪している様子はない。そもそもあいつらはインディアン虐殺すら反省していないことだろう。イギリス、フランスはアフリカのほぼすべてを植民地化したが謝ったという話は聞いたことがない。

 宮沢喜一の謝罪は政治判断であったのか、それとも官僚の入れ知恵であったのかを明らかにする必要があるだろう。

 日本の外交がなぜこんなにも弱腰になってしまったのかといえば、戦後日本を占領したアメリカ(GHQ=連合軍総司令部)の対日戦略に始まることであって、ひと言で言ってそれは精神的な日本解体のシナリオだということです。戦後65年あまり、アメリカの対日政策は一貫して日本解体にあったといっていいのです。

 やや飛躍しているように感じるが、本書はその「不都合な真実」を次々と暴き出す。基本となるのは憲法、自虐史観そして日米安保である。

 本書を読めば、GHQによる占領の意味と占領後の日本がどのように変えられたかを知ることができる。また菅沼はTPPについても警鐘を乱打しているのでどんどん紹介する予定だ。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
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日本を凋落させた宮沢喜一/『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一

2014-10-07

菅沼光弘、山嶋哲盛


 1冊挫折、1冊読了。

そのサラダ油が脳と体を壊してる』山嶋哲盛〈やましま・てつもり〉(ダイナミックセラーズ出版、2014年)/安っぽいフォントを見て、「こりゃダメだな」と思った。著者名の読みも書かれていない。そして肩書が「医学博士・脳科学専門医」と。あとは推して知るべし。念のためパラパラめくってみたが、読むに堪えず。

 73冊目『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎(扶桑社、2010年)/菅沼の著書は全部読む予定。須田もなかなか侮れない。菅沼と佐藤優の違いを思う。小野田寛郎と菅沼の対談を読んでみたかった。

2014-09-16

必読書リスト その一


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・クリシュナムルティ著作リスト
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ
『書斎の鍵  父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰
『あなたを天才にするスマートノート』岡田斗司夫
『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
『メッセージ 告白的青春論』丸山健二
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝
『あの時、バスは止まっていた 高知「白バイ衝突死」の闇』山下洋平
『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『証拠調査士は見た! すぐ隣にいる悪辣非道な面々』平塚俊樹
『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則』吉田たかよし
『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』小林弘幸、玉谷卓也監修
『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明
『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子
『将棋の子』大崎善生
『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
『通りすぎた奴』眉村卓
『13階段』高野和明
『隠蔽捜査』今野敏
『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ
『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン
『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム
『生か、死か』マイケル・ロボサム
『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ
『ユゴーの不思議な発明』ブライアン・セルズニック
『日日平安』山本周五郎
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰
『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア
『廃市・飛ぶ男』福永武彦
『中島敦 ちくま日本文学12』中島敦
『雷電本紀』飯嶋和一
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『千日の瑠璃』丸山健二
『人生論ノート』三木清
『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編
『読書について』ショウペンハウエル:斎藤忍随訳
『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー
『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎
『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三
『知的好奇心』波多野誼余夫、稲垣佳世子
『自動車の社会的費用』宇沢弘文
『山びこ学校』無着成恭編

2014-01-19

残置諜者の任務を全うした男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎、『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月


『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎

 ・陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男
 ・残置諜者の任務を全うした男

『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月
・『奇蹟の今上天皇』小室直樹
『秘境 西域八年の潜行』西川一三

 残置諜者(ざんちちょうじゃ)――何と酷(むご)い言葉だろう。残の字が無残を表しているようで「惨」にも見えてくる。日本の敗戦を知らず、30年もの長きにわたって残置諜者の任務を全うした男が16日黄泉路(よみじ)へと旅立った。小野田寛郎、享年91歳。

 小野田は1944年(昭和19年)情報将校としてフィリピンに派遣される。陸軍中野学校二俣分校で育成された彼はサバイバル技術と遊撃戦(ゲリラ戦)の訓練を受けていた。スパイは死ぬことを許されない。たとえ捕虜になろうとも生還して報告する義務があるからだ。そもそも小野田が派遣された時点で日本の敗戦は織り込み済みであった。中野学校では米軍が原子爆弾を投下することまで予想していた(『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月)。

 残置諜者の任務は情報収集と共に敵へ撹乱(かくらん)攻撃を加えることであった。ルバング島での敵とは米軍を指す。これは終戦後も変わらなかった。小野田は米軍基地から弾薬を奪い、いつでも使用できるように手入れを行っていた。体力の限界を60歳と定め、その時が来たら単独で米軍基地を奇襲する覚悟を決めていた。

 そして1974年(昭和49年)3月10日、遂に「参謀部別班命令」が口達(こうたつ)され任務解除~投降となる。

 一 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
 二 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
 三 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

  第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美

 小野田はそれまでに百数十回に及ぶ戦闘を展開し在比アメリカ軍およびフィリピン警察軍関係者を30名殺傷していた。またルバング島で殺人事件があるたびに「山の王」「山の鬼」(現地人がつけた小野田の渾名〈あだな〉)の仕業とされた。投降した小野田は処刑されると思っていた。

 翌3月11日朝、小塚の墓標にひざまずいたあと、私はマニラのマラカニアン宮殿にヘリコプターで運ばれた。マルコス大統領が待っていた。
 大統領は私の肩を抱き、こういった。
「あなたは立派な軍人だ。私もゲリラ隊長として4年間戦ったが、30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する。われわれは、それぞれの目的のもとに戦った。しかし、戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為のすべてを赦(ゆる)します」

【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)】


 眼光の鋭さが多くを物語る。小野田は30年間にわたって油断とは無縁であった。風呂どころか行水(ぎょうずい)すら一度もしていない。眠る時は常に傾斜のある場所で敵を見下ろせるようにしていた。これが祟(たた)って帰国後、平らなベッドで眠ることができなかったほどである。厚生省によって3週間入院させられたが、ドアの外に看護師の気配がしただけで目が醒めた。

 マニラでは軍楽隊が小野田を送り、羽田ではわずか1本のラッパだけが小野田を迎えたという(『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月)。日本は平和という温もりの中で背中を丸めていた。

 私が知っているのは、戦争と自然だけである。
 帰還直後は、とにかく人間が怖かった。

【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)以下同】

 小野田は背筋を伸ばしたまま上体を少し傾けて礼をし、そして、ゆっくりタラップを下りた。小野田が地面に足をつけるなり、政治家たちが先を争って名刺を差し出し、自分の名前や肩書きを口にした。昨日まで何の関係もなかった人間たちが群がってくる──これから始まる大騒ぎの、それが最初の洗礼だった。訳も分らぬ小野田は、傲慢で破廉恥な政治家たちの自己宣伝にも、いちいち「お世話になりました」と丁寧な挨拶で応えた。

【『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月〈とい・じゅうがつ〉(新潮社、2005年)】

 カメラの前で「天皇陛下万歳」をしたことが一部の人々の神経を逆撫でした。知識人がまだ左翼を気取っている時代であった。小野田は政府から支給された見舞金100万円と全国から寄せられた義援金のすべてを靖国神社に奉納した。待ってましたとばかりに小野田を叩く連中が現れた。また帰国後、元々ウマが合わなかった父親と口論し切腹未遂にまで至っている。

 色々と調べているうちに最初の著作『わがルバン島30年戦争』(講談社、1974年/日本図書センター、1999年、『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』と改題)をゴーストライターが書いた事実を初めて知った。その後この人物は臆面もなく舞台裏を本に著した。子息が全文を公開している。

『幻想の英雄 小野田少尉との三ヵ月』津田信〈つだ・しん〉(図書出版社、1977年)

 行間から異臭が漂う。津田の瞳は当初から先入観で曇っていた。かつて文学賞候補となった人物の思い上がりもあったことだろう。人の悪意は心の中で生まれ、あっという間に泥沼が形成される。国家間が平和な時代は人と人との間で戦争が行われるのだろう。

 昨日、戸井十月のインタビュー動画を視聴した。


 小野田に理解を示した戸井でさえ、「敵を殺す」ことに思いは至っても、「常に殺される状況にある」事実にまで想像が及んでいない。生きるか死ぬかを迫られている時に罪悪感の出番などあるはずもない。

 私はかつてこう書いたことがある。

 本書を読みながら、とめどなく涙がこぼれる。だが、私の心を打つものの正体がいまだにつかめないでいる。

陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 動画を見てやっとわかった。


 小野田の話は実にわかりやすい。小難しい論理や複雑性がまったくない。そこには明快な原理・原則がある。

 日本に嫌気が差してブラジルへ渡った小野田が数年後日本へ戻ってくる。神奈川金属バット両親殺害事件(1980年)に衝撃を受けた彼は日本の子供たちを放っておけなかった。そして1984年にサバイバル塾「小野田自然塾」を開講した。

 かつて国家から見捨てられた男は追い詰められた子供たちを見捨てなかった。残置諜者が「心の長者」となった瞬間である。



小野田寛郎関連動画
小野田寛郎の盟友・小塚金七の最期
人物探訪:小野田寛郎の30年戦争 - 国際派日本人養成講座

2012-10-02

小野田寛郎の盟友・小塚金七の最期


 小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉がルバング島で任務解除~投降(※横井庄一と異なり発見されたわけではない)したのが1974年のこと。実はその2年前に盟友であった小塚金七がフィリピン警察によって射殺された。小野田の著作では触れられていないが、吉村昭著『漂流』(新潮社、1976年/新潮文庫改版、1980年)でフィリピン法医学官の検視証明書が紹介されている。吉村は被弾した小塚が島民の手で撲殺されたとしているが、実際は遺体損壊だったのではないか。いずれにしても小野田の手記を読んできた一人として歴史の事実に粛然とせざるを得なかった。

陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
言葉の重み/『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎
小野田寛郎を中傷した野坂昭如/『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月
ザ・ラスト・サムライ~小野田寛郎

漂流 (新潮文庫)