ラベル 新書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 新書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021-07-26

左翼とは何か/『左翼老人』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗

 ・左翼とは何か
 ・「リベラル」と「左翼」の見分け方
 ・マルクス思想の圧倒的魅力

・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 本書は、1人でも多くの高齢者が「左翼」であることを悔い改め、死にゆく前に祖国日本の発展に貢献していただくために書いた本です。
 ですから、その大前提として「左翼」とは何かを明らかにしておかなければなりません。ただし、定説と呼べるほどの学説はないので、これから述べることは、あくまで本書における「左翼」であることをお断りしておきます。
 人々の政治スタンスは、基本的に「左翼」「左派」「中道」「右派」「右翼」に大別できると考えられています。新聞や地上波テレビなどのオールドメディアでは、これらがあたかも連続的であるかのごとく伝えられていますが、「左翼」「右翼」と「左派」「中道」「右派」の間には大きな断絶があると考えるべきです。
 現在の日本は、「主権国家を基本とする国際秩序」の中で、「資本主義という経済システム」と「間接民主制と権力分立を基礎とする政治システム」を採用していますが、これらのいずれかを、抜本的に破壊・変更しようとする勢力が「左翼」「右翼」であり、これらの枠組みの中で自分が大切と考える価値を実現しようと考えるのが「左派」と「右派」(「左派」は平等、「右派」は自由)、常に双方のバランスを取ろうとするのが「中道」です。
 左翼思想の中で最も強力なものは言うまでもなくマルクス思想ですが、これは理念的には「主権国家を基本とする国際秩序」「資本主義という経済システム」「間接民主制と権力分立を基礎とする政治システム」のすべての破壊を目指す思想です。

【『左翼老人』森口朗〈もりぐち・あきら〉(扶桑社新書、2019年)以下同】

 実にわかりやすい図式である。森口の価値観を踏襲すると政治イデオロギーとは「異なる意見に対する態度」にあるのだろう。左翼と右翼は原理主義で、中道両派は共に生きるという点において町内会的関係(歩み寄り≒妥協)が窺える。

 もっと驚いたのは自分が左派であることに気づかされた(笑)。っていうか私は元々リベラルのつもりだったんだよね。10年ほど前までは。なぜ右派でないのかというと、官僚支配が横行する日本の資本主義制度で自由競争の実現はあり得ないと考えているためだ。

 マルクス思想は元来過激な思想ですから、それを信じる人々の行動が先鋭的になりがちです。マルクス思想を基礎にしてソビエト連邦(以下「ソ連」)という悪夢のような帝国を創り上げたレーニンは、過激な行動をする人やマルクスからさらに思想を先鋭的にする人々を「左翼小児病」と評しました。現在の老人たちが若かりし頃、日本ではマルクス・レーニン思想が大流行したのですが、レーニンの左翼小児病への警鐘は届かなかったのか、多くの人がこの病も併発していました。そして、数十年経った今でも、若かりし時の症状が出てしまうのです。
 左翼小児病は、大学に進学して学生運動をしていた人たちだけが罹(かか)った訳ではありません。学校教育やオールドメディアの宣伝(プロパガンダ)を通じて、あの時代を生きた大多数の人が感染していた病と言っても過言ではないのです。そして、この左翼小児病の後遺症から私たち日本人、とりわけ老人たちはいまだに自由になっていません。左翼小児病の困ったところは、自分が幸せになれないだけでなく、周りの人までも不幸にする点ですが、それは本書で詳述します。
 左翼小児病の主な症例としては次のようなものがあります。
「主権国家を基本とする国際秩序」を否定するのがマルクス思想ですから、彼らは主権国家に住む住人の基本道徳である愛国心を忌み嫌います。また、暴力で主権国家を乗っ取る(彼らが言うところのプロレタリア革命)のが当面の目標ですから、それを妨げる自衛隊や警察にも敵意をむき出しにします。
 彼らは「資本主義という経済システム」こそが貧富の格差をつくっていると確信しているので、大企業や金持ちを目の敵(かたき)にし、それを公言して恥じません。ただし、大企業に勤務していた方は大企業全体が悪いのではなく自分がなれなかった地位の人(ヒラ社員で終わった人なら管理職以上、部課長で終わった人は経営層の人たち)だけを悪者と捉(とら)え、1000万円以上の給与を得ていた方は倒すべき金持ちは年収3000万とか5000万といった超富裕層だけとします。また、労働運動を労働条件改善のためではなく、社会主義政権樹立のための道具だと考えているので、本来の活動に使うべき組合費を、政治活動に費やすことにためらいがありません。
 さらに「間接民主制と権力分立を基礎とする政治システム」は偽りの民主主義だと考えているので選挙結果で左翼政党が支持されなかった時は「民意」は別にあると考えます。

 左翼小児病に該当するのは、創価学会を始めとする日蓮系新興教団、エホバの証人統一教会ヤマギシ会なども同様だ。彼らは既成の社会秩序を否定することで自分たちの正義を鼓吹する。家族や友人たちとの関係をズタズタにするところにささやかな殉教精神を見出す。むしろ過去の人間関係を断絶するのがイニシエーション(通過儀礼)となっている。

 端(はな)から政権を取る気のない立憲民主党や共産党も左翼小児病と考えてよい。彼らは責任がないから理想を語れるのだ。ま、小学生が将来の夢を発表するようなものだ。ただし厄介なのは理想を語りながら伝統的な価値観の破壊を目論むところだ。女系天皇や夫婦別姓、あるいは在日外国人や女性の権利など、ポリティカルコレクトネスの概念に基づいて弱者を擁護するポーズを示す。

 民主党政権の失敗以降、左翼が民意を勝ち取ることができない政治状況に業を煮やして、佐藤優池上彰あたりが本音を漏らし始めた。佐藤優はラジオ番組などで一貫して民主党政権を援護射撃してきた人物である。その後創価学会に急接近する。

 それにしても暴力革命を成し遂げ、粛清と大虐殺を断行したレーニンが心配する「先鋭」とは、常人が考えるそれとは別次元のものだろう。

「20歳の時にリベラルでなければ情熱が足りない。40歳の時に保守主義者でなければ思慮が足りない」とはチャーチルのよく知られた言葉であるが、リベラルを左翼と誤訳する向きも多い。地位もカネもない若者が「世の中を変えたい」と望むのは尊いことだが、その感情を利用して破壊へと誘(いざな)うのが左翼である。若さには破壊への衝動もある。例えば団塊ジュニア(1970年代生まれ)の琴線に触れる政策を示すことができれば、彼らを左翼に取り込むことは容易であったはずだ。いつの世代も社会に対する負の感情を抱いているものだが、彼らが受けた仕打ちは目に余るものがあった。就職面接会場でテロが頻発してもおかしくはなかった。彼らは政治の犠牲者であった。

 日本は世界最古の国である。この国に革命は馴染まない。もしも政権が代わり得るとすれば天皇陛下を中心に据えた社会民主主義政党であると推測する。

2021-07-23

新左翼の「加入戦術」/『日教組』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗

 ・新左翼の「加入戦術」

『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

 このようにエリート用の本音と大衆用の建前が分離している状態のとき、社会学や政治学では宗教になぞられて前者を「密教」あるいは「秘儀」、後者を「顕教」あるいは「公儀」と表現することがあります。
 例えば、明治国家のエリート内では天皇機関説は常識でした。しかし一方で、大衆には天皇は現人神(あらひとがみ)だと教えていました。この場合、天皇機関説が「密教」「秘儀」で、天皇は神様だという考えが「顕教」「公儀」になります。
 日教組も同様で、幹部用の思想=「共産主義」と、一般組合員用の思想=「戦後民主主義」を分離したといえます。ただ、日教組が明治国家と異なる点は、組合活動を通じて顕教信者が徐々に密教信者へと変っていくことでした。

【『日教組』森口朗〈もりぐち・あきら〉(新潮新書、2010年)以下同】

 森口朗は説明能力が高い上にバランス感覚が優れている。むしろ保守系であれば異を唱える人が出かねないほどのバランス感覚である。その批判は左翼のやりたい放題を不問に付してきた自民党や官僚にまで向けられる。55年体制の馴れ合いこそが戦後レジームの本質であり、自主憲法制定を阻んできたのだろう。GHQが作った枠組みの中で、ぬくぬくと防衛費を惜しみながら国防を米軍に委ね、経済的繁栄を謳歌してきたのが日本の戦後であった。

 顕教は「けんぎょう」と読む。一般的には経典に説かれた教えが顕教で、秘密の教えが密教とされている。最澄が台密で、空海が東密である。禅宗以外の鎌倉仏教はおしなべて密教と考えてよい。

 密教とは後期仏教(大乗)が大衆に迎合してヒンドゥー教的色彩を施したものである。すなわちブッダの教えを信仰のレベルに貶めたのが密教化であり、瞑想を祈りに摩り替えた。これが私の考えだ。そもそもブッダはこう説いている。「わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳)。それを「実は握拳があった」とするのが密教の立場であろう。師の冒涜これに過ぎたるはなし。

 60年代後半に大学生だった世代が70年代前半になると教員社会に流出しはじめます。この世代は学生運動が盛り上がった世代として知られていますが、彼らの中では、従来の左翼=日本共産党や社会主義協会派とは異なる、いわゆる新左翼と呼ばれる集団が大きな支持を得ていました。
 新左翼は、平和革命を志向する社会主義協会派や、一向に暴力革命を起こしそうにない日本共産党を「既得権にしがみついて闘わない左翼である」と批判し、自らを彼らと一線を引く戦闘的左翼だと位置づけました。そして暴力革命を真正面から肯定し、実際に火炎瓶を交番に投げつけるなどの暴行を行いました。当然ながら警察は治安を維持するために新左翼団体に所属しているだけでブラックリストに載せてマークします。今でも彼らが、ヘルメットをかぶり、サングラスをかけ、タオルでマスクのように顔を覆っているのは警察のリストに載るのをさけるためです。
 新左翼の学生たちは、就職を機に学生運動から足を洗って企業戦士になった者もいましたが、足を洗わずに社会に潜入する連中も少なからずいました。その潜入先として多くを占めたがの、教育を含めた地方公務員や郵便局・国鉄・電電公社・専売公社など現業系の国家公務員です。
 同じく就職するのに、なぜ足を洗った人は民間企業に就職し、足を洗なわなかった人は公務員になったのか。そのなぞを解くためには、新左翼独特の「加入戦術」という考え方を理解しなければなりません。
 彼らが夢想する暴力革命を実現させるためには、仲間を増やさなければなりません。しかし、まともに暴力革命を説いても相手にされるはずはないですから、なるべく思想的に近い組織に潜り込み、組織内で仲間を増やして乗っ取る戦術が考案されました。これを加入戦術と言います。加入戦術は旧社会党やその支持母体である官公労に対して行われました。こうして、70年代に大量の新左翼が教育を含めた公務員になったのです。

 新左翼は一種の先祖返りである。キリスト教でいえばプロテスタントに近い。運動が澱(よど)むと必ず原理主義的回帰に向かう。教祖であるマルクスに忠実であろうとすれば自ずと暴力革命を志向する。否、暴力革命を避ければ最早マルキシズムとは言えない。

 加入戦術から細胞を形成し、既成組織を白蟻のように喰い付くし、赤い色で染め上げるのが左翼の手法である。日本では革命という言葉が世直しと同義で受け止められたこともあって、多くの若者が取り込まれていった。知的な若者は左翼に、貧困で苦しむ者は創価学会に参加したのが当時の世相といってよい。

 大衆には才覚がない。財力もなければ人脈もない。国民の7割が凡人だとすれば、社会主義思想に魅力を感じるのは当然ともいえる。またそこに資本主義の脆弱さもあるのだろう。要は競争と分配の比率に尽きるわけだが、一君万民の伝統を有する我が国は元々社会主義との親和性が高い。企業や組織の内部では社会主義が堂々と罷(まか)り通っている。

 本音を隠すという一点において、左翼を信ずるのは誤っていると断言できる。

2021-07-05

5本指ソックスは足底筋を痛める/『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓


『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術を語る 身体を通しての「学び」の原点』甲野善紀
『足・ひざ・腰の痛みが劇的に消える足指のばし』湯浅慶朗

 ・5本指ソックスは足底筋を痛める

【禁断の検証】〈5本指・足袋・ノーマル〉イス軸法と相性が良い靴下はどれだ!?
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午

身体革命

松村●要するに、腹筋を固めてしまうと、動作の奥になる大腰筋が使えなくなってしまうんです。表層の筋肉をガチガチに硬くしてしまうことで、肝心のインナーマッスルの動きが制限されてしまうんですね。

【『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、松村卓〈まつむら・たかし〉(ディスカヴァー携書、2014年)以下同】

 松村卓は骨ストレッチの考案者で、短距離の桐生祥秀〈きりゅう・よしひで〉を指導した人物。腹の柔らかさは古来から日本武術で重要視されているが、腹筋を鍛えることがインナーマッスルの動きを阻害することまでは想像が及ばなかった。知識には必ず落とし穴があるという好例だ。

松村●そうした火事場の力を引き出すのに、先生は何が大事だと思われますか?

甲野●大事なのは、先を占わない気持ちですよ。こうしたらこうだろうとか、ああだろうとか、そうしたことを思わない。火事場でおばあさんが大きなタンスを担ぎ上げて逃げたという話がありますが、そんな時にタンスを見て「これ、私に持てるかしら」って考えないでしょう?

松村●考えたら絶対に持てないですよね(笑)。

甲野●そうです。でも、普通は必ず先を占うんですよ。できるかどうか。予測を立てることが人間の習い性になっているんです。
 逆説的な言い方になりますが、できるかできないかを判断しようとするからできない。緊急時にはそんなこと言ってられない。判断する間がないから火事場の力が発揮できるということでしょう。

 実は一度挫けている本だ。私はかねがね甲野の理窟っぽさが好きになれず、実際の動きも部分に傾いていて全体性を欠いているように感じていた。ところが『甲野善紀と甲野陽紀の不思議なほど日常生活が楽になる身体の使い方 日常動作を磨く77のコツ』(山と渓谷社、2016年)を読んで見直さざるを得なくなった。彼の武術家としての姿勢は全く正しいもので、武術が振る舞いにまで昇華されていることを知った。

「先を占わない気持ち」などという言葉は中々出てくるものではない。武術家の身体を通して放たれる言葉が文学者の修辞を軽々と超えている。

甲野●5本指ソックスって、そんなに負荷がかかるんですか?

松村●結局、浮き指になっちゃうんです。ソックスをピッと強く履いてしまう人が多いんで、5本の指が反ってしまう。指が反ると接地の時に指が使えませんから、足の裏の筋肉(足底筋)が張るんですね。酷使すると足底筋膜炎になってしまう。

 余談ですが、桐生君にその話をしたら、「僕も5本指ソックスを履いた後、足底筋が痛くなったことがあります。やめたらすぐに治ったんですが、その理由がやっとわかりました」と言っていました。

甲野●5本指ソックスのほうが足の指が動かしやすいので、お遍路をする時にすすめられているという話を聞いたことがあります……。

松村●お相撲さんは、相手のまわしをしっかりつかむため、手の指をテーピングで固定させますよね? これと同様、足の指も開いていないほうが力が出せるんです。「家族が離れ離れではさみしいでしょ?」って言っているわけですが(笑)。

甲野●5本指ソックスを履くと指が分離して、力が分散してしまう。

松村●はい。ちょっと指にかぶっているくらいならいいんですが、たいていの人はピチッと履こうとしますよね? そうすると一つ一つの指が独立してしまって、過緊張を起こすので、足底が張って動きが落ちる。

 吃驚(びっくり)仰天した。私は日常的に鼻緒がある履き物を使用しているため、鼻緒の優れた操作性についてはよく理解している。よくよく考えると意外でもない。なぜなら5本指の草鞋(わらじ)が存在しないためだ。Vibram FiveFingersという5本指シューズがあるが是非とも検証してもらいたいものだ。

 近頃、地下足袋ウォーキングを行っていることもあり、今後は足袋ソックス一本にしようと考えている。



浮き指が進行すると腰が曲がる/『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』

2021-06-19

サグ渋滞/『高速道路の謎 雑学から知る日本の道路事情』清水草一


 ・サグ渋滞

『眠れないほど面白い 「道路」の不思議 路線、地図、渋滞、取締り……』博学面白倶楽部

 週末や連休の各高速道路で発生する渋滞は、その6割以上が“サグ”を先頭にした自然渋滞です。一見何も障害がないところを先頭に、渋滞が発生するのです。
“サグ”とは、くぼ地のこと。高速道路が、下り坂から上り坂に差し掛かるポイントを言います。かつては、知る人ぞ知る専門用語でしたが、現在は一般常識になりつつあります。
 道路が、ドライバーが気付かないほどゆるやかな上り坂に切り替わると、意識しないうちにスピードが落ち、追いついてしまった後続車がブレーキを踏むなどして急激に速度が低下。その連鎖により渋滞が発生します。

【『高速道路の謎 雑学から知る日本の道路事情』清水草一〈しみず・そういち〉(扶桑社新書、2009年)】


 本書でサグ渋滞という言葉を知った。これは錯視というよりは運動神経の鈍さによるものだろう。自転車であれば緩い坂道に入る直前から加速するのは当然である。クルマも同様だ。上手な運転とは一定の速度をキープすることだ。なるべくブレーキを使わないことも含まれる。ただし車重の重いトラックであれば減速することはあり得る。

 事故を防ぐためには道路状況を把握する必要がある。危険予測もさることながら、こうした一般的なドライバーの癖を知っておけば事故を回避できる。特に人間の視力は正面の距離をつかみにくい傾向がある。早めの減速が生死(しょうじ)を分ける場合もある。

2021-06-18

体幹を平行四辺形に潰す/『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎


『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎

 ・「捻(ねじ)らず」「うねらず」「踏ん張らない」
 ・体幹を平行四辺形に潰す

『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン

 ・身体革命
 ・体幹を平行四辺形に潰す

 では体幹部を使うとはどういうことか。それは、鎖骨だけを動かすというような部分的な使い方ではなく、胸郭や骨盤を潰すということである。
 胸郭や骨盤をボックスとしてイメージする。そして、そのボックスを左右・前後・上下に、各面が平行四辺形になるように潰していくのである。また、ボックスを対角線上に引き合って潰していくやり方もある。
 このようにボックス全体を操作できるようになると、偏った部分的緊張や弛緩(しかん)がなくなる。一斉にパランスよく体幹を動かせる。
 また、胸郭や骨盤を潰すことにより、身体内部の動きに敏感になり、動きが洗練されてくる。
 動きが洗練されてくるというのは、無駄がとれてくると同時に、一つの動きに全身が参加するため、必要最小限の動きになるということである。これをリラックスした動きという。

【『ナンバの身体論 身体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉、金田伸夫〈かねだ・のぶお〉、長谷川智〈はせがわ・さとし〉、古谷一郎〈こや・いちろう〉(光文社新書、2004年)】

 これは理解しにくいと思うが本書の画像を参照せよ。小田伸午の著作と併せて読むと理解が深まる。体の使い方もあるが、視線を水平に保つ意味合いもある。こうした神経系の連関を古(いにしえ)の武術家は直観で見抜いた。スポーツ指導で頭の位置を注意されることは多いが、本質的な問題は頭よりも視線にある。

 自分で強く意識するために覚え書きを残しておく。

2021-06-17

「捻(ねじ)らず」「うねらず」「踏ん張らない」/『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎


『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎

 ・「捻(ねじ)らず」「うねらず」「踏ん張らない」
 ・体幹を平行四辺形に潰す

『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン

身体革命

 我々は、ナンバを「難場」と解釈し、それを切り抜けるための身体の動かし方を模索してきた。「難場」とは、外的には足元が不安定であったり暗闇の中にいるような状況、内的には身体に痛みがあったり疲れているような状況のことを指す。
 そんな「難場」を切り抜けるには、できるだけ「捻(ねじ)らず」「うねらず」「踏ん張らない」古武術の身体の動き――西洋式の運動理論とは正反対の動き――が最適である。
 結論から先にいえば、そういう動きを取り入れることで、全身を使って動くことになり、動きの効率性が高まり、動き自体が滑らかになって、身体の局部に負担がかからなくなる。

【『ナンバの身体論 身体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉、金田伸夫〈かねだ・のぶお〉、長谷川智〈はせがわ・さとし〉、古谷一郎〈こや・いちろう〉(光文社新書、2004年)以下同】

 著者の四人は桐朋(とうほう)高校バスケットボール部のコーチである。試行錯誤しながら前に進む様子が好ましい。我々は手探りの苦労をすることなく一冊の新書でノウハウやメソッドを学べるのだ。

「捻(ねじ)らず」「うねらず」「踏ん張らない」――これが基本である。胴体力の「捻る」は考え直した方がいいかもしれない。

 ナンバで歩くことの一つの利点として、着物が着崩れないということが挙げられる(現代の洋服では、どのような動きをしても気崩れるということはほとんどない。洋服の作りそのものが、そういう構造になっているのだ)。
 また、身体を捻ったり、うねったりすることが少ないので、内蔵の血流が悪くなったり、関節部分に負担がかかることなく長時間労働が可能になる。
 労働の中でも、腰を落としながら行なう農作業などは、このナンバ的動きが不可欠だ。日が出てから暮れるまでの農作業において、一日中局所に負担をかけ続けるのは、即身体を壊すことにつながりかねないからである。

 江戸時代の侍は帯刀していた。そのため右利きの人は左足が大きいと言われる。また歩行の際に手を振ることがなかったとも言われるが、荷物を持って歩くことが多かった。両手に荷物があれば体幹は正面を向いたままだ。極端に骨盤を振るモデル歩きもできない。

 一番わかりやすいのは坂道である。アップダウンを繰り返し歩けば、妙な歩行法は通用しない。何も考えずに歩けばミッドフット着地になる。正しい歩行を身につけるためには踵クッションの厚い靴は避けた方がよい。理想は地下足袋である。次にルナサンダルや草鞋(わらじ)来るわけだが、前者は高価で後者は入手しにくい。ギョサンは長距離を歩くと足裏が痛くなるし踵がやや厚すぎる。私は履いたことがないのだがベアフットシューズでもいいと思う。ただしビブラムファイブフィンガーズは微妙だ。個人的には5本指よりも鼻緒タイプの方が望ましいと考えている(靴下も)。

 昔を思えば多分ぬかるみが多かったことだろう。特に雨が多く、湿度の高い日本では道路が田んぼ状態になったことは用意に想像できる。砂浜を歩けばわかるが拇指球に力を入れることは無意味である。足全体を地面にしっかりつけて踵を推進力にするのが効率的だ。

 ところがどっこい拇指球の力を抜くことは中々容易ではない。今、様々なトレーニング法を思案しているところである。

2021-06-14

骨盤歩き/『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀

 ・「肉」ではなく「骨」を意識する
 ・骨盤歩き

『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン

身体革命

 ナンバ走りの「コツをつかむ」ための予備段階としては、まず歩きの中から習得するという方法がベストかもしれない。
 たとえば、階段や山を上る際、右足を踏み出したときに右手をその膝に添えるというやり方である。これは疲労困憊(こんぱい)したとき自然に出るポーズだが、体を楽にする意味で、しごく理に適った動きである。
 竹馬に乗って歩くのも、ナンバ的感覚を養う手段として有効である。竹馬は踏ん張ってはうまく前に進まない。スムーズに歩くためには前方へと一歩一歩倒すようにしなければならず、古武術で言う支点の崩しによるエネルギーの移動に通じるところがある。
 以上の動作を加味した上で、骨盤で走るという感覚を養うためには、俗に言う「骨盤歩き」の習得が有効になるだろう。この「骨盤歩き」は骨盤を形成する「仙骨」「腸骨」の分離感覚を促進し、それぞれの独立した動きを可能にしてくれる。第三章、第四章で後述する「骨盤潰し」による様々な技を可能にする予備段階としても、ぜひとも取り組んでもらいたいトレーニングである。


【『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉、金田伸夫〈かねだ・のぶお〉、織田淳太郎〈おだ・じゅんたろう〉(光文社新書、2003年)】

「そうか!」と膝を打った。まず膝に手を添えるというのは経験したことがなかった。更に小学生の時分に何度か竹馬に挑戦したことはあるが結局乗ることができなかった。飽きっぽい性格も手伝って直ぐに見向きもしなくなった。ただし骨盤歩きはストンと腑に落ちた。普段使っていない筋肉や骨を動かすことは明らかだ。しかも足を使えないため体幹勝負である。

 早速やってみた。直ぐにできた。これはいい。今まで動かすことのなかった体の深奥を揺さぶっている感覚がある。広いスペースで行えばもっと体が目覚めることだろう。

 問題は動かすことができるにもかかわらず動かしていない部位があまりにも多すぎることなのだろう。日常生活では手先や足先など末端を動かす営みが殆どだ。現代人は「体を使えていない」。つまりポルシェを時速30kmで運転しているような状態と言っていいだろう。

 ただし体はタイヤを回すような単純な構造ではない。複層構造の体幹に4台の油圧ショベルが据え付けられているような代物だ。

 ナンバ歩きや常歩(なみあし)を試すと筋肉よりも骨の重要さが自覚できる。例えば操り人形だ。傀儡子(くぐつし)が操る人形は関節部分を動かしているのだ。紐が筋肉だ。つまり筋肉の役割は骨を導くところにある。

 人工物が溢れる現代社会にあって体は人間に残された最後の自然である。コントロール不可能な自然であることを我々は不調や病によって知る。極端な運動は農業を行うような真似だ。そうではなく適度な運動で里山のような状態にすることが望ましいように思う。

2021-06-10

1600年を経ても錆びることのないデリーの鉄柱/『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏


鋼の庖丁を選べ
鉄フライパンの焼き直し

 ・1600年を経ても錆びることのないデリーの鉄柱

『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一

 インドのデリー市郊外の世界遺産クトゥプ・ミナールに、紀元4世紀に仏教国のグプタ朝期に建てられた鉄柱がある。直径42cm、高さ地上7m、重さ約7tで約1mは地中に埋まっていと言われている。鉄の純度は99.72%で、約1600年経つがほとんど錆が進行していない。このような大きな鉄の構造物を作った当時の技術はどのようなものであったであろうか。
 一方、我が国では、1400年前に建てられた法隆寺の修理の際、和釘が見つかっている。その和釘の表面は黒錆で覆われているが錆は進行しておらず、曲がりさえ直せば再度使えると言われている。1779年に作られた英国のアイアンブリッジや、1889年に完成したフランスのエッフェル塔も健在で、これらは前近代的製鉄法で製造された銑鉄(せんてつ)や錬鉄(れんてつ)でできている。

【『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏〈ながた・かずひろ〉(ブルーバックス、2017年)】

「グプタ朝期に建てられた鉄柱」とはデリーの鉄柱である。一般的にアショーカ・ピラーと呼ばれているようだが誤り。アショーカ王碑文が認(したた)められているのは摩崖・洞窟・石柱である。

 また錆びない理由については「『純度の高い鉄製だから』という説明がされることがあるが、これは誤りである。(中略)1500年の間風雨に曝されながら錆びなかった理由は、鉄の純度の高さではなくむしろ不純物の存在にあるという仮説が有力である」(Wikipedia)。永田の記述はギリギリのところで踏みとどまっている。

法隆寺 千年の釘 – MAQ設計事務所

 デリーの鉄柱同様、黒錆が美しい。

 人の寿命を超えるものに惹かれるのは永遠への憧れもさることながら、エントロピー増大則に反するあり方そのものが面白いのだろう。その意味では生物の方がずっと面白いわけだが。

 新石器は青銅器を経て鉄器に至った。鉄器は生産性を爆発的に増加させ、都市の形成につながる。枢軸時代の思想革命も鉄器による余剰と余暇が生んだものと武田邦彦は指摘している。

 永田和宏については、『学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層』(晶文社、2021年)に名を連ねているところを見ると、評価できる人物ではなさそうだ。

2021-06-01

「肉」ではなく「骨」を意識する/『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓

 ・「肉」ではなく「骨」を意識する
 ・骨盤歩き

柳生心眼流の極意 平直行×菊野克紀
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン

身体革命

 ちょうどその頃、同大学(※桐朋学園大学)音楽科の教授を務める矢野や、演奏に体育を取り入れようと躍起になっていた。体の使い方が演奏をより良いものにするという確信からだったが、何を取り入れても常に物足りなさを引き摺っていた。
 ある日、甲野氏の『表の体育・裏の体育』(壮紳社)を読んだ。矢野を襲ったのは、「こんな身体運用が果たして人間に可能なのか」という驚き。さらに「可能ならば、演奏にも活かせるかもしれない」という閃(ひらめ)きだった。
 矢野はさっそく古谷に相談を持ちかけた。その古谷が矢野に紹介したのが、甲野氏の術理に傾倒していた長谷川だった。ここに古武術の叡智(えいち)に魅了された三人が結集することになる。それぞれの探求心が導いた“出会い”だったが、当時はまだ三人ともバスケットボール部のコーチを務めていたわけではない。この時点でスポーツを通じた金田との接点はなかった。
 だが、「縁は異なもの」という。98年、長谷川が同部のメンタルコーチに就任したのが、すべての始まりだった。古武術からのアプローチによるバスケット革命への序章である。

【『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉、金田伸夫〈かねだ・のぶお〉、織田淳太郎〈おだ・じゅんたろう〉(光文社新書、2003年)】

 甲野本はこれから読む予定である。上記7冊を読めばナンバ~常歩(なみあし)の概念は理解できる。ただし実際の動きはまた別の話である。

 ナンバが矢野・古谷・長谷川の出会いから始まったように、常歩(なみあし)もまた3人の出会いから始まった。まるで三国志のようなエピソードである。「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、3人程度の情報交換が脳は心地よく感じるのだろう。5人以上になると損得が芽生え、10人を超えれば政治が頭をもたげる。

「コツをつかむ」という言葉がある。この「コツ」という文字を漢字に置き換えると、何があてはまるのか。
 答えは「骨」(こつ)である。ちなみに、広辞苑第四版をひもとくと、「骨」という漢字には、人体的な意味意外にこんな解釈が付け加えられている。
〈物事をなす、かんどころ。要領〉〈ほねのように、物事のしんとなっているもの。かなめ〉
 つまるところ、「コツをつかむ」とは、「かなめである骨の位置を把握する」「物事をなす骨の働きを熟知する」といった言葉に置き換えることができる。あるいは「骨に体の動きを覚えさせること」という意味にも繋がるかもしれない。
 実際、一流の板前が魚をさばくのに見事な腕前を見せるのは、その骨の位置をしっかり把握しているからである。まさに「コツをつかんだ」包丁さばきということになるだろう。

「骨を意識する」ことは重力を利用することにつながる。古武術は踏ん張らない。逆に膝の力を抜くのである。ナンバ歩きも同様で、拇指球に力を入れて蹴る動きを封ずる。踵(かかと)から着地するのではなく、足裏全体をそっと置く感覚で足を運ぶ。着地側の足も伸び切らないようにする。膝を真っ直ぐに伸ばす歩き方こそが膝痛の原因である。つまり、ありとあらゆる衝撃を柔らかくかわすところに日本の伝統的な振る舞いがある。

 尚、amazonの画像リンクを貼ってあるが、送料が480円も掛かるのでヨドバシドットコムか楽天ブックスで購入すればよい。

2021-03-25

タントリズムは全てをシンボルに置き換える/『はじめてのインド哲学』立川武蔵


『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集
『ウパニシャッド』辻直四郎

 ・宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との相違を意識した合目的的な行為
 ・宇宙開闢(かいびゃく)の歌
 ・タントリズムは全てをシンボルに置き換える

『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編
『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵、1992年
『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵、2003年

 タントリズムにあっては、すべてがシンボルに置きかえられる。世界も仏もシンボルとなる。シンボルあるいは記号の集積の中で、タントリズムの儀礼あるいは実践が行われるのである。後ほど考察するマンダラも、シンボルあるいは記号の統合された集積にほかならない。かたちのあるもろもろのもの(諸法)が、かたちあるままで「熱せられて線香花火の火の玉のように震えながら」シンボルとなるのである。

【『はじめてのインド哲学』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

 昔アップした抜き書きを下書きに戻し、少しでも何か書かねばと思いながらもいたずらに歳月が流れる。1年も経てば読んだ時とは全く異なる感想が湧いてくる。中にはどうして書き出したかすら覚えてないテキストもある。思いや考えは、きちんとつかまえておかないと飛び去ってしまう。思念には羽があるのだ。

 シンボルが「記号の集積」であればそれはデータである。データからは計算が導かれる。にもかかわらず儀礼や儀式にとどめておいた理由は何か? それはコンピュータ(計算機)がなかったからではあるまいか。数珠(じゅず)は計算機ではあったが自然数を勘定するだけだ。

 つまりタントリズム(密教)は数学概念を用いなかったがために呪術という罠にはまってしまったのだろう。

 ただしマンダラを侮ってはいけない。マンダラ制作者は望遠鏡もない中で宇宙の実像を把握したのだから。

西暦1500年、人類は世界を知った/『火縄銃から黒船まで 江戸時代技術史』奥村正二


 ・西暦1500年、人類は世界を知った

『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『時計の社会史』角山榮

必読書リスト その四

「鉄砲(ママ)記」は1543年(天文12)に種子島へ漂着したポルトガル人アントニオ・ダモア他2名が、火縄銃を伝えたときのことを記録したもので、1606年に僧南浦玄昌によって書かれたものである。この年次については異説もあるが、ここでは一応もっとも確からしい1543年としておいて、それが日本ではどんな年であったかふりかえってみよう。この年は足利幕府12代義晴の治世で、謙信と信玄が川中島で戦う年のちょうど10年前にあたる。戦国のただなかである。この新兵器の導入が、当時の社会に衝撃をあたえないはずはない。この年信長は9歳、秀吉は7歳、家康は1歳であった。

【『火縄銃から黒船まで 江戸時代技術史』奥村正二〈おくむら・しょうじ〉(岩波新書、1970年/岩波書店特装版、1993年)】

 まだ読書中なのだが、押さえておくべき歴史が出てきたので書いておこう。鉄砲伝来が1543年でキリスト教伝来が1549年であることは知っていた。ところが、なぜか私は「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)の渦中とは認識していなかった。何となくヨーロッパから極東までの物理的な距離を時間的距離にまで拡大していたようだ。

 さきのポルトガル人は2年ほど後ふたたび日本を訪れるが、この頃にはもう堺や紀伊、九州で鉄砲の製造と売買が大量に行われていた。これを知ってかれらは驚嘆したという。

 刀鍛冶の技術によるものだが、もちろんそんな単純な話ではない。『時計の社会史』を参照せよ。

 コロンブスの新大陸発見が1492年、バスコ・ダ・ガマのインド航路開発が1498年、マジェラン船隊の世界周航が1519~22年。こうして世界地図の大勢が明らかになったあと、ヨーロッパ諸国によるアジア侵略の歴史が展開される。先頭に立ったのはポルトガルとスペインで、1510年ポルトガルによるゴア占領、1513年同じくマカオ進出、1541年スペインによるフィリピン占領と続き、1543年ポルトガル船の種子島来航となる。以来寛永の鎖国まで約100年の間におびただしい数の外国人が来航したが、一方日本人も御朱印船で大がかりに南方へ進出した。遠くヨーロッパへ旅したものもある。それらのうち歴史に特記されるものを摘録しよう。
 1547年(天文16)、最後の遣明船肥前の五島から出港。
 1549年(天文18)、ザビエル鹿児島へ来着。
 1582年(天正10)、大友宗麟他2名のキリシタン大名は、宣教師ワリニヤーニの斡旋により、4人の少年使節をローマへ派遣、乗船はポルトガル船インヤース・リマ号。使節は8年後に長崎帰着。
 1600年(慶長5)、オランダ船リーフデ号漂着。航海長はイギリス人ウイリアム・アダムス(日本名三浦按針)
 1609年(慶長14)、スペイン船サンフランシスコ号房総沖で難破漂着。家康は乗員中のドン・ロドリゴ・デ・ヴィヴェロ(フィリピン総督)と対メキシコ通商交渉を行う。
 1610年(慶長15)、三浦按針の指導で帆船サンベナベンツール号120トンを製作。ドン・ロドリゴを乗せ、メキシコへ送り届ける。日本人22名同行。日本船最初の太平洋横断。
 1613年(慶長18)、伊達政宗は宣教師ソテロの斡旋で、支倉常長を長とする使節団をメキシコ経由スペインへ送る。乗船は伊達藩製500トン級、乗員180人、出航(ママ)地は牡鹿半島月浦。支倉は7年後に帰国。
 こうやってふりかえってみると、鎖国前の日本が思いのほか雄大な動きをしていたことがわかる。

 西暦1500年、人類は世界を知った。欧州が凄いのは国内では魔女狩りをしながらも海に打って出たことである。

「一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を『鎖国』 (英closed country) と呼ぶ」(Wikipedia)。日本が鎖国できたのは世界最大の軍事力を擁していたためである。種子島に鉄砲が伝わっていなければ日本もアジア諸国同様、数百年間にわたって植民地とされたことだろう。

2021-01-06

奴隷制とリンカーン大統領/『奴隷船の世界史』布留川正博


 ・イギリスにおけるカトリック差別
 ・奴隷制とリンカーン大統領

『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 ただし、奴隷解放は当初南北戦争の争点では必ずしもなかった。重要だったのは合衆国の連邦体制を維持することである。リンカン大統領は戦争中の1862年8月、「私の最大の目的は、連邦を救うことである。奴隷制を保持するか廃止するかは喫緊の課題ではない」と述べている。ただし彼は、奴隷制は道徳的に誤りであるという信念は大統領就任以前から抱いていた。
 1863年、リンカンが奴隷解放を宣言したのは、南部連合を孤立させるための戦略の一環であった。北軍の連邦諸州の目的に、連邦の維持だけでなく、奴隷解放も付け加わったのである。これによって南部連合は動揺し、国際的にも孤立してゆく。戦争は南北あわせて60万人以上の戦死者をだす未曽有の事態となったが、ゲティスバーグの戦い(1863年7月)での北軍勝利が転回点となり、経済力にまさる北部連邦諸州が勝利した。北軍には解放奴隷を含む多数の黒人兵も従軍した。戦争終結後の1865年4月15日、リンカンは暗殺されるが、同年12月、憲法修正第13条によって合衆国における奴隷制度廃止が実現されたのである。

【『奴隷船の世界史』布留川正博〈ふるかわ・まさひろ〉(岩波新書、2019年)】

「リンカーン大統領が奴隷解放を唱えたのは黒人を兵士に起用するための方便だった」と物の本で読んだ覚えがある。布留川正博の視点は中庸に貫かれていて妙な偏りがない。学問とはかくあるべきだろう。

 3分の1ほど読んで「奴隷ではなく奴隷船の歴史」であることに気づいた。本を閉じそうになったが最後まで読ませられたのは著者の筆力が優れている証拠だろう。

 ジム・クロウ法(1876~1964年)という人種差別法があったことを踏まえると、リンカーンが掲げたのは単なる理想だったのだろう。つまり餅の画(え)を描(か)いてみせたのだ。

 リンカーンが奴隷制反対を聴衆の前で公言したのは1854年だが、

 1858年には、「これまで私は黒人が投票権をもったり、陪審員になったりすることに賛成したことは一度もない。彼らが代議士になったり白人と結婚できるようにすることも反対だ。皆さんと同じように白人の優位性を疑ったことはない」と語っている。

Wikipedia

 公民権運動のきっかけとなったモンゴメリー・バス・ボイコット事件が起こったのが1955年だ。黒人専用座席に坐っていたローザ・パークスが運転手から立つよう促された。パークス女史は静かに「ノー」と言った。そして彼女は逮捕された。ここからマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが立ち上がるのである。

公民権運動の母ローザ・パークスが乗ったバス

 アメリカ建国の200年は人種差別の時代と言ってよい。根深い差別感情は現在もまだ途絶えることなく連綿と続く。しかしながら間もなくアメリカは有色人種の国となる。白人人口が減少した時、現在の大統領選挙以上の混乱が待ち受けているような気がしてならない。

2021-01-05

翻訳語「恋愛」以前に恋愛はなかった/『翻訳語成立事情』柳父章


 ・明治以前、日本に「社会」は存在しなかった
 ・社会を構成しているのは「神と向き合う個人」
 ・「存在」という訳語
 ・翻訳語「恋愛」以前に恋愛はなかった

・『「ゴッド」は神か上帝か』柳父章
・『翻訳とはなにか 日本語と翻訳文化』柳父章

「恋愛」とは何か。「恋愛」とは、男と女がたがいに愛しあうことである、とか、その他いろいろの定義、説明があるであろうが、私はここで、「恋愛」とは舶来の概念である、ということを語りたい。そういう側面から「恋愛」について考えてみる必要があると思うのである。  なぜか。「恋愛」もまた、「美」や「近代」などと同じように翻訳語だからである。この翻訳語「恋愛」によって、私たちはかつて、1世紀ほど前に、「恋愛」というものを知った。つまり、それまでの日本には、「恋愛」というものはなかったのである。  しかし、男と女というものはあり、たがいに恋しあうということはあったではないか。万葉の歌にも、それは多く語られている。そういう反論が当然予想されよう。その通りであって、それはかつて私たちの国では、「恋」とか「愛」とか、あるいは「情」とか「色」とかいったことばで語られたのである。が、「恋愛」ではなかった。

【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】

「エ!?」となった。人を好きになるのは自然なことだ。私が初めて好きになった女の子は同じ幼稚園に通うヨーコちゃんだった。同じ想いを抱いていたカタギリで二人でヨーコちゃんの頬にチューをしたことがある。淡い感情は思春期に入ると性的色彩を帯びてどす黒くなってゆく。それでもまだ中学生くらいまでは話していて面白いレベルでうろうろしている。

 恋愛以前にあったものは何だろうか? それは「情」である。「恋」の語源は「乞(こ)う」で、「愛」は「かなしい」とも読む。ここまで解説すると、「じょう」(情)や「なさけ」(情け)と通底していることがおわかりいただけよう。

 ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。要はこうだ。誰かが誰かを好きになる。言葉や恋文で赤裸々な真情を伝える。相手はそれを持ち帰ってあれこれ迷う。自分も想いを寄せていた人物であればハッピーエンドとなるわけだが、犬が涎(よだれ)をこぼしながら餌にありつくような真似はしたくない。少し時間を置いて焦(じ)らしてみようか。それとも……。

 実はこうした駆け引き、あるいはセオリー(理論)、はたまた概念は近代ヨーロッパで生まれた。恋愛という新しい概念で人類を束縛したのが実は『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ著、原著は1774年刊、和訳は1891年高山樗牛訳)であった。つまりゲーテこそが恋愛の父なのだ。

 それ以前にも『ロミオとジュリエット』(1595年前後)など恋愛作品は存在したがゲーテほどの衝撃を与えていない。『若きウェルテルの悩み』はヨーロッパでベストセラーとなり自殺者が続出した。

 人間とは「概念を生きる動物」なのだ。夢や理想と言えば聞こえはいいが所詮妄想である。

2020-12-27

初期仏教は宗教の枠に収まらず/『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿


『原始仏典』中村元
『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿

 ・小部は苦行者文学で結集仏典に非ず
 ・初期仏教の主旋律
 ・初期仏教は宗教の枠に収まらず

ブッダの教えを学ぶ

 冒頭で私は仏教を「宗教」と呼んだが、じつを言うと、この初期仏教が、近代西欧で作られた「宗教」概念に、あるいは我々が抱いている「宗教」の印象に当てはまるのか、はなはだ疑わしい。
 まず初期仏教は、全能の神を否定した。ユダヤ教、キリスト教やイスラム教で信じるような、世界を創造した神は存在しないと考える。神々(複数形)の存在は認めているが、初期仏教にとって神々は人間より寿命の長い天界の住人に過ぎない。彼らは超能力を使うことはできるが、しょせん生まれ死んでいく迷える者である。もし「神」を全能の存在と定義するなら、初期仏教は「無神論」である。
 神々もまた迷える存在に過ぎない以上、初期仏教は、神に祈るという行為によって人間が救済されるとは考えない。そのため、ヒンドゥー教のように、神々をお祭りして、願いをかなえようとする行為が勧められることはない。願望をかなえる方法を説くのではなく、むしろ自分自身すら自らの思いどおりにならない、ということに目を向ける。
 さらに、初期仏教は、人間の知覚を超えた宇宙の真理や原理を論じないため、老荘思想のように「道」と一体となって生きるよう説くこともない。主観・客観を超えた、言語を絶する悟りの体験といったことも説かない。それどころか、人間の認識を超えて根拠のあることを語ることはできないと、初期仏教は主張する。
 宇宙原理を説かない初期仏教は、宇宙の秩序に沿った人間の本性があるとは考えない。したがって、儒教(朱子学)のような「道」や「性」にもとづいて社会や個人の規範を示すこともしない。人間のなかに自然な本性を見いだして、そこに立ち返るよう説くのではなく、人という個体存在がさまざまな要素の集合であることを分析していく。
 こうした他教だけではない。初期仏教は、日本の仏教ともずいぶんと様相を異にしている。初期仏典では、極楽浄土の阿弥陀仏も、苦しいときに飛んで助けに来てくれる観音菩薩も説かれない。永遠に生きている仏も、曼荼羅(まんだら)で描かれる仏世界も説かれない。
 また初期仏教では、修行はするが、論理的に矛盾した問題(公案〈こうあん〉)に集中するとか、ただ坐禅(只管打座〈しかんだざ〉)をするといったことはない。出家者が在家信者の葬送儀礼を執り行うことはなく、祈禱をすることもない。出家者が呪術行為にかかわることは禁止されていた。
 初期仏教は、それに代わって、「個の自律」を説く。超越的存在から与えられた規範によってではなく、一人生まれ、一人死にゆく「自己」に立脚して倫理を組み立てる。さらに、生の不確実性を真正面から見据え、自己を再生産する「渇望」という衝動の克服を説く。

【『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(岩波新書、2018年)】

 真理は言葉にし得ないゆえに否定形をもって伝えられる。馬場のテキストはまるでクリシュナムルティを語っているかのようである。人類は2000年周期で行き詰まり、その度にブッダと称される人物が登場するのだろう。人類は果たして生き方を変えることができるだろうか? あるいは同じ運命を繰り返しながら、やがては滅んでゆくのだろうか? その答えは私の胸の中にある。

2020-12-23

パラリンピックを3倍楽しむために/『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』伊藤亜紗


・『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗

 ・パラリンピックを3倍楽しむために

・『どもる体』伊藤亜紗
・『記憶する体』伊藤亜紗
・『手の倫理』伊藤亜紗
『ポストコロナの生命哲学』福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史『悲しみの秘義』若松英輔

 けれど、同じことをしたとしてもやはりそこには違いがあるはずです。「視覚なしで走るフルマラソン」や「視覚なしでするダイビング」がどんな経験なのかが気になる。たとえば、ある中途失明の女性が、「走るっていうのは両足を地面から同時に離す快楽なんです」と興奮ぎみに話してくれたことがありました。視覚なしの生活になって、常に摺(す)り足をする癖がついていた彼女にとって、それは大きな解放感をもたらしたそうです。それまで、私は走ることを「両足を地面から同時に離す行為」と捉えたことなどありませんでした。こうした「同じ」の先にある「違い」こそ、面白いと私は信じています。
 それは感情ではなく知性の仕事です。私たちの多くがいつもやっているのとは違う、別バージョンの「走る」や「泳ぐ」。それを知ることは、障害のある人が体を動かす仕方に接近することであるのみならず、人間の身体そのものの隠れた能力や新たな使い道に触れることでもあります。「リハビリの延長」でも「福祉的な活動」でもない。身体の新たな使い方を開拓する場であることを期待して、障害スポーツの扉を叩きました。

【『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』伊藤亜紗〈いとう・あさ〉(潮新書、2016年)以下同】

 恐るべき才能の出現である。2冊読み、思わずBABジャパン社にメールを送った。直ちに伊藤亜紗を起用して日野晃初見良昭〈はつみ・まさあき〉を取材させるべきである、と。単なる説明能力ではない。柔らかな感性から紡ぎ出される言葉が音楽的な心地よさを感じさせるのだ。その文体は福岡伸一を凌駕するといっても過言ではない。

 街や家はあくまで私たちが生活する場。最低限の法律やルールは用意されているけれど、基本的には個人がそれぞれの目的や思いにしたがって自由に動き回っています。不意に立ち止まって写真を撮る人もいれば、立ち止まったその人をよけて小走りで先を急ぐ人もいる。お互いの配慮は必要ですが、思い思いの活動が許されています。
 それに対して、スポーツが行われる空間は、圧倒的に活動の自由度が低い空間です。管理されているのです。物理的な意味でも地面や水面が線やロープで区切られていますし、ルールという意味でも明確な反則行為が規定されています。
「自由度が低い」というとネガティブな印象を与えますが、近代スポーツとはそもそもそういうものでしょう。つまり、運動の自由度を下げることで、競争の活性を高めるのです。
 このような「生活の空間」と「スポーツの空間」の違いを、「エントロピー」という言葉で説明するならこうなるでしょう。生活の空間はエントロピーが大きく、スポーツの空間は逆にエントロピーが小さい空間である、と。
 エントロピーとは「乱雑さ」を意味する熱力学の用語です。分子が空間内をあちこち自由に動き回っている気体のような状態は、分子が整列して結晶構造を成している固体の状態に比べると、エントロピーが大きいということになります。(中略)
 グラウンドやプールに引かれた空間的な仕切りや実施上の細かなルールは、いわばエントロピーを調節するためのコントローラーのようなもの。コントローラーのツマミをどのように設定するかによって、その空間で行われる競技の内容は変わってきます。

 スポーツが「運動の自由度を下げることで、競争の活性を高める」との指摘自体が卓見であるが、更に続いてエントロピーの概念を引っ張り出すところが凄い。しかも正確な知識だ。エントロピーはしばしば誤って語られることが多い。

 障碍(しょうがい)は情報量を少なくする。眼や耳の不自由な人を思えば五感が四感になったと考えてよかろう。そんな彼らがエントロピーの小さな舞台で不自由な体を躍動させるのだ。障碍とルールという二重の束縛が競技を豊かなものにしていることがよく理解できる。

「パラリンピックを3倍楽しむために」というのは釣りタイトルであるが、明年のパラリンピックがあろうとなかろうとスポーツ観戦に興味がある人は必読である。

2020-12-17

イギリスにおけるカトリック差別/『奴隷船の世界史』布留川正博


 ・イギリスにおけるカトリック差別
 ・奴隷制とリンカーン大統領

『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 イギリスの政治的状況は、ちょうどこの時期に劇的に変化した。イギリスの「アンシャン・レジーム」ともいうべき制度であった審査法(1673年制定)が1828年に廃止され、翌年にはカトリック解放法が制定された。これによって国教徒以外でも公職に就くことや議員になることが可能になり、また、アイルランドのカトリック教徒にプロテスタントと同等の市民権が与えられることになった。

【『奴隷船の世界史』布留川正博〈ふるかわ・まさひろ〉(岩波新書、2019年)】

「この時期」とはジャマイカにおける奴隷叛乱が起こった時期を指す。Wikipediaには「バプテスト戦争」との表記あり。サム・シャープ(ジャマイカ国家的英雄サム・シャープ | African Symbol Jamaica アフリカンシンボルのジャマイカブログ)は平和的なストライキを行うつもりであったが、一部の奴隷が暴れ始めて遂には大暴動へと発展した。

 この手の文章は正確かつ丹念に読む必要がある。「公職」と「市民権」とある。参政権については、「その当時選挙の参政権は財産によって決定づけられたので、この救済は、年間2ポンドの賃貸価値のある土地を所有するカトリック教徒に票を与えることとなった」(Wikipedia)。

 宗教コミュニティは「禁忌(タブー)を共有する人々」である。市民革命は階級間の差別を解消すべく人権という概念を生み、やがては宗派間の差異をも超越するに至った。日本に人権概念が生まれなかったのは惻隠の情があったのもさることながら、ヨーロッパほどの過酷な差別がなかったためとも考えられよう。

 一神教の絶対性は壮絶な争いを志向する。宗教的正義はドグマに基づいて敵を殺戮する。我々は八百万(やおよろず)の神でよい。争うことなく、クリスマスもハロウィンも祝い、正月は神社を参拝し、節分には豆を撒(ま)き、お彼岸には墓参りをするのが正しい。

2020-12-15

エートスの語源/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子


『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子

 ・累進課税の起源は古代ギリシアに
 ・エートスの語源

SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

必読書 その三

 プラトンの時代には読み書き能力が急激に発達した結果、抽象化する能力が格段に高くなりました。具体的な意味を持った言葉が、抽象的概念を表現する言葉に変化していきました。たとえば、「エートス(ethos)」というギリシア語は、もともとは動物の「ねぐら」とか「生息地」を意味していたのですが、その後、「人の住処での暮らし方」から個人の習慣行動といった意味で用いられるようになり、アリストテレスのころには「性格(人柄)」という意味で使われるようになっています。アリストテレスは著書『弁論術』で、他人を説得するためには、倫理的にも尊敬できる信頼できるエートスが必要だと書いています。

【『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子(日経プレミアシリーズ、2013年)】

 エートスを私はずっと「気風」と読んできた。折角の機会なので定義を再確認しておこう。

《「エトス」とも》
1 アリストテレス倫理学で、人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格・習性。⇔パトス。
2 一般に、ある社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度。

エートスの意味 - goo国語辞書

 エートスは、「いつもの場所」を意味し、転じて習慣・特性などを意味する古代ギリシア語である。他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。

エートス - Wikipedia

 大塚久雄(1989)はこの2つのうち「エートス(ethos)」について、次のように定義している。
「『エートス』は単なる規範としての倫理ではない。宗教倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理綱領とか倫理徳目とかいう倫理規範ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった。いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです」。

PDF:職業エートスの形成に関する一考察 キリスト教精神との関係から 阿部正昭

 近代においては,1つの社会,民族の特色をなす性質,道徳をさす社会学的,人類学的用語としても用いられる。このような意味を明確化したのは M.ウェーバーである。(中略)その意味するところはまず,なんらかのあるべき姿をさし示す「倫理」 ethicsとは区別された,本人の自覚しない日常的生活態度であり,また「激情」 pathosとも対立的なものである。日常的生活行動や生活態度を最奥部で規定し,常に一定の方向に向わせる内面的原理を意味する。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

 エートスのラテン語訳 こそがモーレス——モスの複数形——でありモラルの語源なのである。これは、我々がもつ道徳的感情は、その共同体のモラルの遵守とそこからの逸脱から発生しているのだという説明の論理である(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)。

エートス: ethos

 私が啓発されたのは小室直樹の解説で、彼は「行動様式」とした(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』)。武士と武士道を思えば腑に落ちる。行動様式は努めているうちに自然な振る舞いとなり、やがては道と己が一体化して不可分となる。「簡単にいってしまえば、エシックス(倫理)は思考に訴え、エトスは情動を支配するのだ」と上記書評で書いた。思考は前頭葉で行われ、情動は大脳辺縁系が司る。我々がともすると理性よりも感情に振り回されるのは当然で、大脳辺縁系がより下層にあるためだ。その直線的な志向が既に否定されているポール・マクリーン「三位一体脳モデル」だが、生きるための爬虫類脳(脳幹、小脳)・感じるための哺乳類脳(大脳辺縁系、新皮質)・考えるための人間脳(前頭葉)との位置づけはあながち的外れではないだろう。

 エートスが行動様式であれば、倫理からエートスへの飛翔は前頭葉から大脳辺縁系への深化を示すものだ。前頭葉で考えれば切腹はできまい。意志よりも情動が重い。

 そう考えるとやはり若いうちに尊敬できる人物を知ることが重要だ。「このような人になりたい」「あのような生き方をしたい」との切望が人格の基底を成すからだ。

2020-12-07

累進課税の起源は古代ギリシアに/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子


『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子

 ・累進課税の起源は古代ギリシアに
 ・エートスの語源

SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

必読書 その三

 古代ギリシアでは、富裕層の市民がレイトゥルギアと呼ばれる民衆のためのイベントにおいて金を出す習慣がありました。アテナイでは、緊急の場合をのぞいて市民から税金を徴収することはありません。その代わりに金持ちがお祭りのための費用、お祭りのメインイベントである演劇や合唱舞曲を上演するための費用、体育行事のための費用などを負担するのです。
 これは、私有財産の一部を公共に(一般市民に)贈与することですが、途中からは、寄附とみなされたり、あるいは税金とみなされたりするようになります。
 小さな都市国家ですから、誰がいくらお金を出してくれたかは、ウワサですぐに広まります。人気のある悲劇や喜劇の上演にお金を出せば、お金持ちは名誉や評判を高めることができます。レイトゥルギアのなかには、アテナイの海軍の船の維持に必要な経費を出すことも含まれます。多額の経費を負担すれば、1年間海軍のキャプテンに就任するという名誉がついてきます。
 こういった人気のあるものなら贈与するが、あまり人気のないものだと誰もお金を出したがりません。仕方がないので、執政官が自発的に申し出なかった金持ちに割り当てます。こうなると、もはや寄附ではなく、税金の意味合いが強くなります。
 金持ちがより多くの公共コストを負担するという累進課税は、14世紀のイギリスで始まったと言われます。が、その考え方自体は、古代ギリシアにさかのぼることができるのです。

【『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子(日経プレミアシリーズ、2013年)】

 ジェームズ・C・スコット著『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』を読んで税金について眼が開いた。大村大次郎の著作もそれまでとはガラリと色彩が鮮やかになった。明き盲(めくら)とはよく言ったものである。

 渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉がかつて「所得税は1割の負担で国民全員が支払えば財政は賄(まかな)える」という大蔵官僚の発言を紹介していたのを思い出した。ところがどの本に書いてあったのかが思い出せない。渡部の著作はさほど読んでいないのだが画像データが多すぎるためだ。仕方がないので『歴史の鉄則 税金が国家の盛衰を決める』(1993年/改訂改題『税高くして民滅び、国亡ぶ』)と『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』(1999年)を読んだ。まだ残っていた鱗(うろこ)が目から落ちた。

 選挙権の歴史を振り返ると身分、宗教、性別、人種、納税などが挙げられよう。アメリカの独立はボストン茶会事件(1773年)に始まるが、この時の合言葉が「代表なくして課税なし」であった。渡部の著書に何度も出てくる言葉だが、説得力はあるものの日本国内においては外国人参政権との整合性がとれない。

「カネを出しているのだから口も出させろ」との主張には筋が通っている。しかしながら国家として考えた場合、いざ戦争となれば母国と日本のどちらにつくのかという問題が生じる。極端な例を想定すれば問題は単純化できる。中国が日本へ2億人の人々を送り込めばどうなるか? 実際に似たようなことが北海道で進行中だ。

 渡部は累進課税と相続税は自由主義に反すると主張する。財産権の侵害の他ならず、悪平等の考え方が社会主義的であるとまで説く。株式会社や二世議員は相続税を回避するシステムとして使われている。納税や節税にかかる労力が社会にブレーキをかけているのも確かである。

 企業の規模を問わず、所得の高低を問わず、誰もが租税を回避するのは政治家と官僚が愚かであると判断しているためだ。そもそも税制そのものが不平等だし、税金を支払うに値する国家かどうかが疑問である。大村大次郎は「この国(日本)に税金を支払う価値はない」と言い切っている。

 マンモス教団では信者が嬉々として布施を行っている。仏教では喜捨と呼ぶ。理想的な徴税のあり方だと思う。決して皮肉ではなく。

2020-11-27

問いの深さ/『近代の呪い』渡辺京二


『逝きし世の面影』渡辺京二
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也

 ・問いの深さ

世界史の教科書
必読書リスト その四

 では、近代とは何でありましょうか。このような民衆世界の国家と関わりない自立性を撃滅したのが近代だったのであります。ただし近代といっても、アーリイ・モダン段階まではヨーロッパにおいても、このような自立した民衆世界は存在していたのでありますから、18世紀末以降のモダン・プロパーのことになります。モダン・プロパーの成立は実体的にいえば国民国家の創出であります。ヨーロッパにおいては、これがフランス革命でありまして、その意義はブルジョワ支配の確立なんてところにあるのではなくて、国民国家の創出にこそその第一の意義が認められねばならない。フランス革命が創造したのはナショナル・ガード、つまり国民兵であります。お国のことなんて知らねえよと言っていた民衆が、よろこんでお国のために死ぬことになった。これは画期的なことでありまして、フランス革命のキー・ポイントは民衆世界の自立性を解体するところにあったのです。  国民国家の創成には、絶対主義国家という前史があります。しかし、この絶対主義国家というものはもちろん国家の統合・中央集権を強化しましたけれども、国民を直接把握したわけではないのです。国民と王権の間には様々の中間団体がありまして、絶対主義王権はそれを解体することはしなかった。この中間団体を解体したのがフランス革命であります。中間団体が解体されるということは、民衆の自立性が浸食されてゆくということです。  戦争という点をみても、この時代の戦争は国民全体を巻きこむものではなかった。だから、イギリスとフランスが戦争をしているのに、イギリス人が自由にフランス国内を旅行するということが可能だったのです。国民と国民が全体的に戦争によって対立するというのはナポレオン戦争が生みだした新事態であって、それがすなわち国民国家の創出ということであったのです。  国民国家の創成については、世界経済の成立という点も併せて考えてみる必要がありましょう。先に述べましたように、世界経済は環大西洋経済として出発したのでありますが、この環大西洋経済圏のヘゲモニーを握るためには、民衆を国民として統合する強力な国家が必要でありました。もちろん、インドから日本に至るアジア経済、具体的にいえばインド洋貿易圏と南シナ海貿易圏のヘゲモニーを握る争いも重要でありました。そういった世界経済におけるヘゲモニーは、スペイン、オランダ、英国という順に推移してゆくわけでありますが、結局は強力な国民国家を創出できた者がヘゲモニーの保持者となります。  幕末において、日本の先覚者といわれる連中が直面したのは、こういったインターステイトシステム、つまり世界経済の中で占める地位を国民国家単位で争うシステムであります。それを彼らは万国対峙の状況と呼んだのである。このシステムは、ぼやぼやしている連中は舞台の隅に蹴りやって冷飯を喰わせるシステムでありますから、幕末の先覚者たちが、天下国家のことには我関せず焉(えん)という民衆の状態にやきもきしたのは当然です。ぼやぼやしていたら、冷飯どころか植民地にされてしまうかもしれないのです。

【『近代の呪い』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社新書、2013年)】

 ポストモダン用語に苛々(いらいら)させられるがアーリーモダンは「初期近代」(その前にプレモダンがある)、モダンプロパーは初耳だが「本格的な近代」といったところか。

『逝きし世の面影』で外国人の手記を通して幕末から明治の日本を鮮やかに抽出した渡辺だが、私は信用ならぬ感触を懐(いだ)いていた。その後、石牟礼道子に心酔した渡辺が身の回りの世話までするようになった事実を知った。対談にも目を通した。『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)は紛(まが)うことなき傑作だが、実はノンフィクションを装った文学作品である。第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退したのは石牟礼の良心が疼(うず)いたためか。水俣の運動はやがて市民色を強めていった。彼女は『週刊金曜日』の創刊時にも参画している。

「どうせ、リベラルの仮面をつけた隠れ左翼だろうよ」という私の疑問は本書で完全に氷解した。渡辺京二は臆することなく左翼であることを白状しているのだ。嘘がないことはそれだけでも人として称賛できる。しかも現代を照射するための近代への問い掛けの深さが生半可ではない。渡辺は時代と世相を問いながら、更に自分自身をも問う。もはや評論の域を超えて哲学にまで迫っている。

「中間団体」なる言葉を私は佐藤優の著書で知った(『人間の叡智』)。佐藤は精力的に中間団体へアプローチし、現在も例えば創価学会などに秋波を送り続けている(『AERA』)。

 宗教と個人主義の関係について重要な指摘がなされているのは、ウェーパーの『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神』([1904-5] 1920)においてである。「個人」意識が発生する契機になったのは中世的構造原理の解体であったが、なかでも宗教改革によって促進された教会の衰退が大きく作用している。教会という中間集団が弱体化し、神と信者を媒介していた教会や司祭は、この時に取り除かれることになったのである。

アメリカにおける個人主義とニューエイジ運動 現代宗教の問題と課題:藤本龍児

 カルビニズムの到来が象徴する思想史の転換とほぼ時代的に重なって,社会史の転換が起こった。それは中世社会で強力であった中間集団,すなわち国家と個人の中間にある大家族,自治都市,ギルド,封建領主領,地区の教会などの集団が,しだいに自立性を失って,これらの集団に属していた個人がこれらの支配から解放されてきた,という転換である。中間集団からの個人の独立という転換と,思想史の上でのあの世的個人主義の世俗的世界への拡散という転換とが重なって,西欧の近代に個人主義が確立した。

世界大百科事典内の中間集団の言及

 ひょっとしたら共産主義革命のセオリーなのかと思いきやそうではなかった。エミール・デュルケムも『自殺論』などで中間集団論を述べているようだ(中間集団論 社会的なるものの起点から回帰へ:真島一郎)。

「インターステイトシステム」はイマニュエル・ウォーラステイン世界システム論で説かれた概念である。

 佐藤優がいう中間団体は党や組合を思わせるが、渡辺京二が説く中間団体は政治被害を防ぐ目的があるように感ずる。渡辺が抱く民衆世界への郷愁には共感できないが、その気持ちは理解できる。

2020-11-12

人類史の99%以上は狩猟採集生活/『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子


『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 ・人類史の99%以上は狩猟採集生活

『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子

必読書 その三

 うつ病、不安障害、パニック障害といった心の病に悩む人たちが多くなっているのは、私たちの脳が、現代の環境にまだ適応していないからだといわれます。
 200万年前ごろに始まったとされる旧石器時代に生きていた先行人類のころから、私たちは、進化の歴史の99%以上を狩猟採集生活をして暮らしてきました。農業文明や工業文明になってからの歴史は1%にも満たないのです。私たちの脳は、まだ、群れをつくって狩猟採集生活をしていたころに適応していた心の仕組みから、現代の環境に合った仕組みには変わってきてはいないのです。
 遺伝子解説技術の発達によって、現生人類の中には10万年ほど前から故郷アフリカを出て、世界に広がっていったグループがいたことがわかっています。中東・中央アジアに進出したグループもあり、その一部が1万年以上前に日本にたどりつきました。その日本においても長い間狩猟採集生活が続いたわけで、稲作は紀元前3500年ごろには始まっていたといわれてはいますが、農業文明の始まりとなれば紀元前500年ごろでしょう。日本人の場合は、長い進化の時間の中で農業文明や工業文明が占める割合は0.1%です。

【『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子(日経プレミアシリーズ、2009年)】

 ナンシー・エトコフを思わせるほどの出来映えだ。マーケティング本の枠に収まらない広汎(こうはん)な知識がわかりやすい文章で綴られている。

 アメリカでパレオダイエットが持て囃(はや)されている。パレオとはパレオリシック=旧石器時代の略だ。原始人ダイエットとも称する。ダイエットは食習慣の意味だ。加工食品が体に悪いことは以前から指摘されていたが、グルテンフリー~パレオダイエットの流れはそれを不自然な穀物食にまで拡張したものだ。

 磨製石器の誕生によって新石器革命と名づけられているが重要なのは農耕(1万年前)と牧畜(5000年前)である。どちらも長い歴史を経て品種改良が施された。と同時に定住革命が起こる。

 一般的には第二次世界大戦以後(1945年)を現代と呼ぶが、それ以前の人類は貧困と飢餓を克服していなかった。日本人が食うのに困らなくなったのはたぶん昭和31年(1956年)あたりからだろう(「もはや戦後ではない」が流行語。ついでに書いておくと日本で公害問題が表面化したのも1950年代から60年代にかけてのこと)。

 で、鱈腹(たらふく)食べられるようになると今度は食べ過ぎで健康が阻害される羽目となった。中庸や少欲知足は難しいものだとつくづく思う。有吉佐和子が高齢者の認知症問題を取り上げたのが1972年である(『恍惚の人』)。

 食べ過ぎているなら食べる量を減らせばいいのだが食欲を抑えるのはかなり難しい。意志の強弱と考えられがちだがそうではあるまい。飢餓を回避する回路が埋め込まれているためだろう。もしも明日、世界から食料が消え失せれば、デブの方が長生きできることは明らかだ。

 糖質制限は元々糖尿病患者の食事療法であったが、狩猟生活が長かった人類の歴史を思えば理に適っている。農耕は穀物を食べることを強制する。穀物はいずれも高でんぷん質で消化された後ブドウ糖(糖質)となる。

 GI値(グリセミック・インデックス)は食品による血糖値上昇の度合いに注目した指数だが、「主な食品のGI値」を見ると高GI(70以上)の食品は狩猟民族が容易に食べられるものではないことに気づく。穀物の収穫は秋になるまで待つ必要があるし、根菜やイモ類も毎日見つけることは難しいだろう。さほど神経質になることもないと思うが、「食欲の秋」と言うくらいだから秋から冬(貯蔵食品に頼る季節)にかけては、むしろ高GIが望ましいのかもしれない。

 マラソンランナーは大会数日前から炭水化物を多く摂取する。軍隊の特殊部隊も同様で作戦数日前からは一切の訓練をやめて炭水化物漬けの食事を摂る。体力を使う場合は好きなだけ米を食べればいい。

 我々が伝統と考えていることは人類史のわずかな期間に過ぎない。文明に依存すればするほど家畜化が進む。狼なら大自然の中で生きてゆけるが座敷犬には無理だろう。内なる野生の声に耳を傾けよ。