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2018-12-11

ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・天才戦略家の戦後
 ・ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 5月27日は、ソ連の予審判事が3人やってきた。陰湿な男で、いきなり満州事変について質問した。
 石原は昭和8年ジュネーブでの国際連盟臨時総会に出席する途中、招かれてソ連のエゴロフ総参謀長と会ったことを話した。するとソ連の検事は顔色を変え、一瞬言葉に詰った。相手が余りにも大物だったからである。
 ソ連の検事は「国体」について尋問した。石原は「天皇中心とした国家でなければ日本は治まらない」と理由を説明した。ところが共産党国家の検事はせせら笑って、スターリンのソ連国体を持ち出した。その時、石原はムッとして、
「自分の信仰を知らずして、他の信仰を嘲笑うような下司なバカ野郎とは話したくない。帰れ!」と激怒した。通訳官が慌てて、「この人は、ソ連では優秀な参謀です。話をすれば分かると思います。ぜひ進めてください」と頼んだ。
 すると石原は、「バカなことを言うな。こんなのはソ連では参謀で優秀かも知れんが、日本には箒で掃き出すほどいる。こんなバカとは口をききたくない、帰れ」と突っぱねた。
「分かるように話してやる。君らはスターリンといえば絶対ではないか。スターリンの言葉にはいっさい反発も疑問も許されないだろう。絶対なものは信仰だ。どうだ判ったか。自分自身が信仰を持っていながら、他人の信仰を笑うようなバカには用はない。もう帰れ」
 それきり、石原は口を固く閉じた。

【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)】

 天才とは規格外の才能を意味する。凡人が理解できるのは秀才までで天才が放つ光は時に「狂」と映る。やや礼賛に傾きすぎていて人物の描き方は浅いと言わざるを得ないが、それでもかつての日本にこうした人物がいたことを知る必要があろう。

 石原莞爾〈いしわら・かんじ〉は満州事変の首謀者で、1万数千名の関東軍を率いて23万人を擁する張学良〈ちょう・がくりょう〉軍を打ち破った。その名は軍事的天才として世界に知れ渡った。二・二六事件では単身で鎮圧に乗り出し、凄まじい剣幕で反乱軍兵士を怒鳴りつけ、青年将校にピストルを突きつけられても微動だにすることがなかった。

 二・二六事件のとき、石原は東京警備司令部の一員でいた。そこに荒木貞夫がやって来たとき、石原は「ばか! お前みたいなばかな大将がいるからこんなことになるんだ」と怒鳴りつけた。荒木は「なにを無礼な! 上官に向かってばかとは軍規上許せん!」とえらい剣幕になり、石原は「反乱が起こっていて、どこに軍規があるんだ」とさらに言い返した。そこに居合わせた安井藤治東京警備参謀長がまぁまぁと間に入り、その場をなんとかおさめたという。

Wikipedia

 後に昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している(『昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記』文藝春秋、1991年)。

 石原は満州国を建国した後は一貫して平和主義者の態度を変えていない。しかしながらさすがの彼も関東軍の暴走を抑えることはできなかった。ここが凡人にはわかりにくいところである。暴走した石原の腹心は石原の行動に倣(なら)っているつもりであったのだ。

 大東亜戦争の戦線拡大に反対し続けた石原は遂に犬猿の中であった東條英機〈とうじょう・ひでき〉の暗殺にゴーサインを出す。その時刺客を務めることになったのが木村政彦であった(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也)。また東京裁判の酒田出張法廷に出廷する際、病に伏していた石原をリヤカーに乗せて運んだのは大山倍達〈おおやま・ますたつ〉であったと伝えられる。

 極端から極端へと走る姿がいかにも日蓮主義者らしい。同時期の国柱会信者には宮沢賢治がいた。

2019-12-02

日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞/『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通

 ・日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞

『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 志賀直哉というたいへん高名であるが、そのじつ、たいへん愚かな老文士がいる。彼は日本が敗北した直後、「日本語は野蛮だからフランス語を国語にすべきである」と国会で述べた。いやしくも文筆をもって身を立ててきた人間でありながら、これほど軽蔑すべき人間はいないと私は今でも考えている。
「あれは一時の気の迷いだった」とあとで言ったそうだが、それは日本が復興してからのことである。
 このような輩が国家の指導的地位を占めるとき、その国は大戦略を誤まって敗北の戦(いくさ)をたたかう破目に落ちる。もし日本が勝っていたら、志賀直哉は「日本語は世界で一番すぐれた言葉だから、世界中の人間に強制し、全部日本語に変えるべきだ」と言ったに違いない。今も昔も、このような無節操なお調子者が国を誤まるのだ。
 戦争学といっても特別なものではなく、人間の本性をよく見きわめ、人間集団がいかに愚かな行為をくり返すものかという歴史の教訓を知ることにつきよう。

【『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1984年)以下同】

「小説の神様」と呼ばれた人物が日本語を捨てようとした事実を私は知らなかった。戦争という極限状況は人々の性根を炙(あぶ)り出した。生き延びようとする本能に急(せ)かされる時、論理は見過ごされ、過去は無視される。特に日本人の場合、いつまで経っても「お上には逆らえない」との意識が強く、敗戦後は天皇陛下からマッカーサーに乗り換えた人々も多かった。日本語に見切りをつけたのは志賀直哉だけではない。ローマ字表記にすべきだという意見も堂々と主張された。実に敗戦は惨めなものである。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、東京・日比谷で開かれた日露講和反対国民大会が暴動化した。暴徒と化した市民は、政府のロシアに対する弱腰を批判し、政府系新聞社、交番、馬車などを焼打ちしたのである。さらに、講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。
 このとき、もっとも無責任な講和反対論を掲げて世論に媚び、部数を増やしたのが、ほかならぬ朝日新聞だったことを、私どもはよくよく覚えておく必要がある。
 だが、時の首相・桂太郎は断固とした態度でこれに臨み、軍隊を出動させて民衆を鎮圧した。さらに、9月6日から11月29日のあいだ、東京に戒厳令を敷いてきびしい姿勢を示したのである。
 日本がなぜロシアと講和するのか、国民は真相を知らされていなかった。勝っているはずの日本である。なぜ徹底的にロシアを叩きのめさないのか。国民が不思議に感じ、政府が弱腰なのだと受けとめたのも、無理からぬところがあった。
 だが、日本政府のトップとしては、もうこれ以上ロシアと戦争を続けるだけの国力が残っていないことを、じゅうぶんに知っていた。だから、講和に踏み切ったのである。まさか国民に、もう弾が尽きはてたなどと真相を打ち明けるわけにはいかない。国家としての正しい選択を実行するために、桂首相はあえて涙をのんで、軍隊に民衆を鎮圧させたのである。
 朝日新聞の上層部は、このことを知らされていた。にもかかわらず部数を増やすため、世論を扇動した。まさに商業新聞の権化というにふさわしい。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介

 日比谷焼打事件は知っていたが朝日新聞のマッチポンプは知らなかった。かつては社会の木鐸(ぼくたく)と称した新聞だが、一度でも社会を正しくリードしたことはあったのだろうか? スクープ競争に明け暮れ、抜いた抜かれたの物差しだけで仕事をしている連中だ。特に朝日の場合、虚偽・捏造が代名詞になった感がある。

 全国紙の朝夕刊セット価格は月額4037円らしい(日経は4900円)。私が購読していた頃は2600円でそれから2800円に値上がりした。当時、主婦が気楽に支払える金額は3000円と言われており、3000円を超えると部数が減ることは避けられないと見られていた。消費税増税を推進する新聞社が何と自分たちには軽減税率を適用せよと署名まで集めた。結局、日刊の新聞にだけ適用され赤旗日曜版が狙い撃ちされる格好となった。聖教新聞はOKというわけだ。言っていることとやっていることが違う人間は社会で信用を得られない。販売店に不要な新聞を買わせる押し紙問題もクローズアップされた。

 ジャーナリズムといえば聞こえはいいが、映画に登場する新聞記者はただの野次馬である。ただただ問題を掻き回し、騒ぎ立て、センセーショナルな言葉を並べる。民主政にジャーナリズムは不可欠と言われるが、民主政を誤らせ続けてきたのもまたジャーナリズムであった。

 嘘を撒き散らす新聞を購読するくらいなら、毎月4000円で数冊の本を購入した方がはるかに賢明だ。

2015-11-09

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫


 ・ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた

『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫
『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫
『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思

渡部●ルーズベルトは社会主義的なものに惹(ひ)かれ、共産主義とソ連に寛容でした。大恐慌後の不況対策として打ち出したニューディール政策には財産権を侵害するものも含まれ、最高裁で無効とされたものもあります。また、夫人のエレノアとともに社会運動に熱心なあまり、コミンテルンの工作員や共産党同調者の影響を受けてしまい、国務省や大統領周辺には、500人に及ぶ共産党員とシンパがいたと言われています。

馬渕●ですから、歴史の真実は、まだまだ明らかになっていない。アメリカで公文書が公開されるにつれ、ルーズベルトの政策を再検討する動きが出ています。有名なチャールズ・ビーアドさんという歴史学会の会長が書いた本(『ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか』藤原書店)も、ようやく日の目を見るようになりました。ルーズベルトは一体何をしたのか。今までは英雄でしたけれども、現にアメリカの中から、それを見なおそうという機運が熟し、英雄像にほころびが出てきた。
 アメリカ人はあれほどの犠牲を払いながら、いまだに戦争の本当の理由を知らされていないと言えるでしょう。

【『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(飛鳥新社、2014年)】

 アメリカは世論の国である。いかに権限のある大統領といえども世論には逆らうことができない。ゆえに「世論をつくり上げる」。

 やり方は至って簡単だ。自国民をわざと犠牲にした上で国民感情を復讐に誘導するのだ。

アラモの戦い」(1836年)では当時メキシコ領であったテキサス州でアメリカ義勇軍が独立運動を起こした。義勇軍は何度も援軍を頼んだが合衆国軍はこれを無視。200人の義勇軍は全滅した。アメリカは惨殺の模様を誇大に宣伝し、「アラモを忘れるな!(リメンバー・アラモ)」を合言葉にテキサス独立戦争(1835-36年)に突入した。メキシコ合衆国は半分の領土を失った。テキサス共和国はアメリカに併合される。

 19世紀後半になるとスペイン帝国が弱体化した。フィリピンではホセ・リサール(1861-96年)が立ち上がり、キューバではホセ・マルティ(1853-95年)がゲリラ戦争を展開。この頃アメリカの新聞は読者層を伸ばそうと激しい競争を繰り広げていた。「1897年の『アメリカ婦人を裸にするスペイン警察』という新聞記者による捏造記事をきっかけに、各紙はスペインのキューバ人に対する残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激した」(Wikipedia)。「ピュリッツアーは、『このときは戦争になってほしかった。大規模な戦争ではなくて、新聞社の経営に利益をもたらすほどのものを』と公然と語っている」(「死の商人」と化した新聞)。嘘にまみれた新聞の演出によって参戦の機運が国民の間で高まる。アメリカ海軍は最新鋭戦艦メイン号をキューバに派遣。ハバナ湾でメイン号は原因不明の爆発を起こし、260人余りのアメリカ人が死亡した。アメリカの新聞は「メイン号を忘れるな!」と連呼し米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)に至る。アメリカはキューバ、フィリピン、グアム、プエルトリコを手中にし、世界史の表舞台に登場する。

 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてアメリカはモンロー主義(孤立主義)を貫いた。1915年、米客船ルシタニア号がドイツ軍のUボートによる魚雷で攻撃され沈没した。乗客1200名に128名のアメリカ人が含まれていた。アメリカ世論の反独感情は沸騰し第一次世界大戦に参戦する。後にルシタニア号が173トンの弾薬を積載していることが判明。当時の国際法に違反しており、ドイツ軍の攻撃は正当なものと考えられている。

 フランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目の大統領選に出馬。「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約した。ルーズベルトは日本に先制攻撃をさせるべく、ありとあらゆる手を尽くした。大東亜戦争における日本軍の紫暗号は当初から米軍に解読されていた。日本はその事実も知らないまま真珠湾攻撃を行う。この時不可解なことが起こる。日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」をコーデル・ハル国務長官に渡すのが遅れたのである。攻撃開始の30分前に渡す予定だったのが、実際は攻撃から55分後となってしまった。本来なら責任があった駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官は切腹ものだが、何と敗戦後、吉田茂によって外務省で事務次官に任命され、キャリアを永らえている。ルーズベルトは議会で「対日宣戦布告要請演説」を行う。「日本は太平洋の全域にわたって奇襲攻撃」「計画的な侵略行為」「卑劣な攻撃」との言辞を弄してアメリカ国民を欺いた。米軍は真珠湾から空母2隻と新鋭艦19隻は攻撃前に避難させていたのだ。「真珠湾を忘れるな!(リメンバー・パールハーバー)」を合言葉にアメリカは第二次世界大戦に加わる。ルーズベルトは日本に対する最後通牒ともいうべきハル・ノートの存在を国民に知らせなかった。


 1964年、トンキン湾事件によってアメリカはベトナム戦争(1960-75年)に介入する。1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者がペンタゴンの機密文書を入手し、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。

 こうして振り返ると自作自演こそアメリカという国家の本性であり、「マニフェスト・デスティニー」(明白なる使命)に基づくハリウッド国家、ブロードウェイ体制と考えてよい。

 そのアメリカがソ連にコントロールされていたというのだから、やはり歴史というのは一筋縄ではゆかない。マッカーシズムの嵐が起こるのは1950年のことである。

  

建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

2016-01-19

天才戦略家の戦後/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・天才戦略家の戦後
 ・ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 片倉(衷)は陸大教官石原の教え子で、昭和6年の満州事変の時は見習い参謀だった。ともに満州事変を乗り切った、いわば子弟である。その片倉が、重病の石原に変わって供述書を口述・代筆する。
 石原はむしろ戦犯になり、ペリー来航まで遡って戦う腹だった。しかし4月8日の参与検事会議で戦犯リストから外され、残念がった。それでも彼は、検事たちが新しい証拠を見つけては再び戦犯リストに挙げてくるだろうと、むしろ期待した。

【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)以下同】

 礼賛本である。客観性に乏しいため割り引いて読む必要があろう。にもかかわらず「必読書」としたのは、やはり石原莞爾〈いしわら・かんじ〉という男が規格外の日本人であったためだ。稀代の天才戦略家は合理性の権化(ごんげ)であった。不合理には昂然と異を唱え、たとえ上官であったとしても罵倒した。普通の日本人とは立つ位置が異なっていたのだろう。

 病室にアメリカ軍の法務官と通訳が新聞記者たちと一緒に入ってきて、「これから証人尋問を開始する!」と宣告した。

「オレは戦犯だ。なぜ逮捕しないのだ。裁判になったら何もかもぶちまけてやる。広島と長崎に原爆を落としたのはトルーマンだ。彼こそ第一級の戦犯ではないか。どうした。なぜオレを逮捕しないんだ」

 と、石原は怒鳴りつけた。


 敗戦後、原爆に関する報道はGHQにより規制された。日本国民が初めて原爆の惨禍を知ったのはサンフランシスコ講和条約が発効した(1952年4月28日)独立後のことで、『アサヒグラフ』が1952年8月6日号で報じた。


米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人

 昭和21年4月29日は月曜日で、戦後初めて迎えた天長節である。キーナン首席検事は起訴状を読み上げ、裁判開始の日どりは5月3日からとした。起訴された名前は荒木貞夫から始まって梅津美治郎までの28名。
 石原は、翌30日の連盟会員が持ってきた新聞でそのことを知ると、
「オレの名前があったらな。この裁判を引っくり返してやるんだが――」
 と残念がった。

 Wikipediaの石原記事は読み物として通用するほど面白い。個人的にはハンガリー人宇宙人説の筆頭ジョン・フォン・ノイマンと双璧をなす記事だと思う。

戦犯自称の真相」という中途半端な記述があるが、酒田臨時法廷における石原の堂々たる態度や、公判終了直後にその場でアメリカ人検事が非礼を詫(わ)びたことなどを併せ鑑み、各人が判断すればいいだろう。

「ときに東京裁判は、日清日露戦争まで遡って戦犯を処罰するべきだ、という者がいる。君はどう思うかね」
 すると法務官は「そうする方針です」と答えた。
 その時だった。石原はニヤリとして、
「これは面白い。大いにやってくれ。それだったら、ペリーこそが戦争犯罪人だ。ペリーを呼んでこい」と言った。

 ペリーを知らないという法務官に石原は歴史を語り、「だからペリーを呼んでこい。彼をあの世から呼んで来(ママ)て、戦犯としてはどうかね」と言いくるめた。返答に窮した法務官が「今度の戦犯の中で、いったい誰が第一級と思われますか」と尋ねると、間髪を入れず「それはトルーマンだよ」と、アメリカ大統領の名前を上げ、具体的な国際法違反を懇々と語り、更にはナポレオンの話までする。法務官は「まるで陸軍大学の講義を聴いているみたいでした」と感激しながら帰っていった。

 石原は国際法の仕組みをきちんと理解していたのだろう。それゆえ欧米の土俵(≒論理)に上がろうとも、「勝てる戦略」が見えていたのではないか。ただし寺内大吉著『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義』(1988年)は石原の日蓮主義を批判的に捉えている。

2020-09-26

『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料/『日本の秘密』副島隆彦


『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優

 ・片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃
 ・『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料

『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 60年安保闘争で、「全学連主流派」という、元祖・過激派学生運動を、背後から使嗾(しそう/あやつり、そそのかす)したのは、まず岸信介を政権の座から追い落とそうとして動いた、自民党・吉田学校(宏池会〈こうちかい〉)の人々であった。その証拠となる文献を、以下にいくつか挙げることにする。
 まず、どうしても、田中清玄(せいげん)氏の『田中清玄自伝』(大須賀瑞生インタビュー、文藝春秋、1993年刊)からである。この本は、きわめて重要な本である。日本の戦後史を検証してゆく上で、陰画(ネガ)のような役割を果たす貴重な回顧録である。田中清玄の死に際の遺言集である。田中清玄は本書の中で、かなり大胆に正直に多くの歴史証言を行っている。しかし肝心の、日本の戦後史の大きな核心部分については、狡猾にも歴史の闇に葬るべく、いくつかの重要事実の公開を慎重に避けていると私は判断する。
 それ以外では、嘘は書かれていない本だ。

【『日本の秘密』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉(弓立社、1999年/PHP研究所新版、2010年)】

 うっかりしていた。私は田中清玄〈たなか・きよはる〉を本書で知った。2015年12月に読了。随分と遠回りしてしまった。ただし意味のある遠回りであった。副島隆彦には一部のコアなファン層がいるが私はあまり好きではない。この人はともすると過激に傾く嫌いがある。穏健なオールドリベラリズムとは反対の性質を感じる。

「戦後史の大きな核心部分」とはCIAによる工作のことか。アメリカは1947年、マーシャル・プランで反共に舵を切った。翌1948年1月6日、アメリカのロイヤル陸軍長官は「日本を共産主義の防波堤にする」と宣言した。同年、朝鮮戦争が勃発。GHQの占領が終了した1952年以降はCIAが様々な工作をしたと仄聞(そくぶん)する。日本が安全保障すら自前で賄(まかな)えないのは自民党が甘い汁を吸いすぎたためだろう。この国は右も左も売国奴だらけだ。

 私は三島由紀夫の純情には惹かれるが非常に危うい性質をも感じる。三島の見識と切腹には飛躍がありすぎる。田中清玄は三島のことを「礼儀知らず」と一言で切り捨てた。

2016-01-12

小林秀雄の戦争肯定/『国民の歴史』西尾幹二


 ・白人による人種差別
 ・小林秀雄の戦争肯定
 ・「人類の法廷」は可能か?

『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

 人間が生きるとは運命を生きることである。未来は見えない。過去は反省しても始まらない。取らぬ狸(たぬき)の皮算用と言うし、後悔は先に立たずである。同様に、後悔は犬にくれてやり、見えない未来を一歩ずつ切り拓(ひら)くようにして生きていくべきだ。
 かつて福田恆存〈ふくだ・つねあり〉は、自分は「大東亜戦争否定論の否定論者」だという名文句を吐いたことがある。あの戦争を肯定するとか、否定するとか、そういうことはことごとくおこがましい限りだという意味である。肯定するも否定するもない、人はあの戦争を運命として受けとめ、生きたのである。そのむかし小林秀雄が、戦争の終わった時点で反省論者がいっぱい現れ出たので、「利口なやつはたんと反省するがいいさ。俺は反省なんかしないよ」と言ってのけたという名台詞(めいせりふ)と、どこか一脈つながっている。

【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】

 批判されがちな小林秀雄の戦争肯定は「運命を生きる」者の赤裸々な心情の吐露であった。やっと理解できるようになった。全文を紹介しよう。

小林●僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについもて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

【「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」『近代文学』昭和21年2月号/『小林秀雄全作品 15 モオツァルト』所収】

 せっかくなんでもう一つ紹介する。

 宮本武蔵の「独行道」のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。自分はつねに慎重に正しく行動して来たから、世人の様に後悔などはせぬという様な浅薄な意味ではない。今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、そういう小賢しい方法は、寧ろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味合いがあると私は思う。昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道が屹度あるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。

【『小林秀雄全作品 17 私の人生観』初版は創元社、1949年】

「日本が悪い」と宣告したのは連合国であった。GHQは軍人・党人派政治家を始めとする保守層を公職から追放した。その一方でマッカーサーは共産党員を獄から放ち、援護射撃までした。軍国主義という言葉は呪詛となって国民に広く行き渡り、左翼は大手を振って闊歩した。

 東京裁判は復讐裁判であった。連合国の罪は不問に付しながら日本軍の罪は状況証拠や伝聞情報で確定した。「平和に対する罪」「人道に対する罪」という奇妙な価値観で日本の首脳を裁いた。東京裁判は「文明の裁き」であった。つまり裁かれる日本は非文明であり、劣った人種であり、日本人が猿であることを示す舞台装置であったわけだ。

 戦後、左翼と進歩的文化人はこのレールの上に乗っかった。彼らの目的は「天皇制打倒」にあった(日本共産党はコミンテルンの日本支部/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)。

 大東亜戦争は日本の自衛に始まり、アジア諸国の植民地解放を目指した。日本が立ち上がらなければ帝国主義に終止符を打つことはできなかったことだろう。日本の快進撃は世界を震わせ、中東を経てアフリカ諸国まで独立させるに至るのである。

 座談会で小林を囲んだのは左巻きの作家連中であった。多くの日本人は戦争にうんざりしていた。そして皆が少しばかり左側に転向した。平和・人権・平等を重んじた分だけ天皇陛下の存在が軽くなった。そうした時代を取り巻く空気の中にあって小林は自己弁護をすることもなく「反省なぞしない」と言い切った。これが一億総懺悔に対する鉄槌でなくして何であろうか。

 ついこの間まで大東亜戦争は忌むべき歴史と位置づけられ、太平洋戦争と呼ぶことを余儀なくされた。米ソ冷戦構造が崩壊するや否や、中国と韓国が図に乗り始めた。世界のパワー・バランスが揺らぐ時、弱味を見せた国家は必ず付け込まれる。そして今も尚この国では安全保障を普通に議論することすらできない有り様だ。

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2014-08-19

化け物とは理性を欠いた動物/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世


『魔女狩り』森島恒雄

 ・コロンブスによる「人間」の発見
 ・キリスト紀元の誕生は525年
 ・「レメクはふたりの妻をめとった」
 ・化け物とは理性を欠いた動物

『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書
必読書リスト その四

 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンがキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。

【『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、1996年)以下同】

 すなわち彼らが認識する理性とは、「神を理解できる能力」を意味する。東アジアの道理とは異なるので注意が必要だ。アウグスティヌス(354-430年)については、ま、アリストテレスに次ぐ思想的巨人と考えてよかろう。で、奴の議論は植民地主義の理念そのものである。大航海時代の1000年も前からこういう人物がいたのだから堪(たま)ったものではない。

 普遍史的な世界では、ヨーロッパ以外の地は、妖怪的な人間、つまりは劣った人間たちの住む世界であり、ヨーロッパ人と同一の人間が住む場所ではなかった。こうした伝統的世界観への執着が、この議論の、もう一つの心理的背景となっていると考えるのである。

 聖書に基づく史観を普遍史というのだが、これに対するキリスト教の反省はなされたのだろうか? ひょっとすると我々ジャップはいまだにイエローモンキーと見られている可能性がある。

 ダグラス・マッカーサーが「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である」(日本人は「12歳」発言)と述べたことは広く知られるが、彼にとって民主主義の成熟度は日本をキリスト教化することに他ならなかった。あいつは偉大なる宣教師のつもりだったのかもしれない。

 学問的にキリスト教を検証し、普遍史の誤謬を衝くメッセージをアジアから放つべきだろう。

2018-11-02

もしもアメリカが参戦しなかったならば……/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ


『國破れて マッカーサー』西鋭夫
・『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

 ・もしもアメリカが参戦しなかったならば……
 ・建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義

『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦

日本の近代史を学ぶ

 日本との間の戦争は不必要であった。これは、お互い同士よりも共産主義の脅威をより恐れていた日・米両国にとって、悲劇的であった。われわれは、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的であった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。
 イギリスは、それ以上に多くのものを失った。イギリスは、中国に対しては、特別の利益と特権を有していたし、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドおよびセイロンをも失った。
 蒋介石は、オーエン・ラティモアの悪い助言を受け入れて、日本軍の中国撤兵を要求する暫定協定に反対した。同協定は、蒋介石の中国全土掌握を可能にしたかもしれない。これはヤルタ会談でルーズベルトがスターリンに譲歩を行なったその3年前のことである。
 われわれの同盟であったスターリンの共産軍に対して、満州侵攻を許す理由は何もなかったはずである。蒋介石は、米国の友人として、中国共産主義者の反攻を打ち砕くに必要な、すべての武器および資源を持ちえたはずであった。
 われわれが参戦しなかったならば、すなわち日本のパールハーバー攻撃がなかったならば、事態はどう進展していたか、という疑問はしばしば呈される。この疑問は、詳細な回答を与えられるに値する。
 私は、米国は簡単に日本との間で和平条約を締結できたであろうし、その条約の中で日本は、フィリピンとオランダ領東インドを含む極東における全諸国との交易権とひきかえに、中国およびインドシナからの友好的撤退に合意したであろうことを確信している。

【『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ:岡崎久彦監訳(PHP研究所、1985年/PHP文庫、1992年)】

 ハミルトン・フィッシュは共和党の党首を務めた下院議員で、戦時中の議会においてフランクリン・ルーズベルト(民主党)を批判した人物として広く知られる。

 開戦当初、フィッシュは議会で挙国一致を説きルーズベルト大統領を力強く支持した。ところが後にルーズベルトの秘密外交や日本を戦争にけしかけた手法、更には真珠湾攻撃を事前に知りながらアメリカ海軍を犠牲にしたことなどを知り、大統領を猛々しく糾弾するようになる。戦時中にありながらも議会やマスコミが正常に機能していたところにアメリカの真の勝因があったのだろう。

 フィッシュの指摘によればアメリカは戦略を誤り、友邦のイギリスをも凋落(ちょうらく)させてしまった。その後、ヤルタ体制(1945年)によって冷戦がソ連崩壊(1991年)まで続くことを思えばルーズベルトの判断がどれほどアメリカの国益を損ねたか計り知れない。それまでモンロー主義(孤立主義)を貫いてきたアメリカは以降、次々と世界各地で軍事介入をするようになる。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストはルーズベルト以前のアメリカを取り戻すということなのだろう。

 日本が開戦を決意したのは永野修身〈ながの・おさみ〉軍令部総長の言葉に言い尽くされている。「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」(昭和16年〈1941年〉9月6日の御前会議)。

 最後の一言に慚愧(ざんき)の念を覚えぬ者があろうか。我々の父祖は子や孫を信じて敗れ去る戦いに臨んだのだ。

 もしもアメリカが参戦しなかったならば……日本は領土を拡大し、アメリカと手を組むことでソ連を封じ込め、中国の共産主義化を防ぐことができたに違いない。しかしながら帝国主義が50年から100年は続き、アジア・中東・アフリカ諸国は植民地のまま21世紀を迎えたことだろう。とすれば大東亜戦争は日米にとっては不幸な戦争であったが、世界のためには植民地の歴史にとどめを刺す壮挙であったと考えるべきだろう。日本人310万人、世界では5000-8000万人(病死・飢餓死を含む)の死者は大惨事であったが、もしも第二次世界大戦がなければ長期間に渡ってもっと多くの人々が殺されたに違いない。

 歴史は死者の存在によって変わる。これが人類の宿痾(しゅくあ)であろう。

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2018-11-20

カルロス・ゴーンと青い鳥/『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆


『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆

 ・襲い掛かる駄洒落の嵐
 ・カルロス・ゴーンと青い鳥

『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 つまり、チルチルとミチルがお家の中で遊んでいると、ふらんすからごーんという名前のおじさんがやってきて、青い鳥を焼き鳥にして食ってしまうのである。
 この場合、青い鳥は何の象徴だろう?
 ブルーバード?
 ははは。違うね。
 ブルーカラーに決まってるだろ。

【『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆(BNN、2003年)】

 カルロス・ゴーンは青い鳥をたらふく食った挙げ句に勘定を誤魔化していたようだ。コストカッターが自分の税金もカットしていた模様である。

 社員の首を切りまくり、工場の土地を売りまくり、経費を節減することで利益を出したゴーン社長をマスコミは手放しで称賛した。私は「フン、まるでマッカーサーだな」と業を煮やした。

 ゴーンが行ったことは地域に根差した日産ファンや日産文化の破壊であった。それまでは経営者の禁じ手であった人員整理が以後当たり前の経営手法に格上げされた。派遣社員も企業側の要望から適用業種が拡大された。富国の要であった経済が今度は国を亡ぼそうとしている。まるで癌細胞だ。癌は人体と共生することを拒んで人体と共に亡ぶ。

 ヨーロッパには「ノブレル・オブリージュ」(高貴なる者の義務)という観念があり、昔の戦争では貴族が先頭に立って出撃した。現代の高貴なる者は納税の義務すら回避しようと節税対策に余念がない。

かくかく私価時価―無資本主義商品論1997‐2003
小田嶋 隆
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2016-05-30

ヘレン・ミアーズ、ラッセル・ブラッドン、猪瀬直樹、那智タケシ、他


 7冊挫折、4冊読了。

世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊』ウルリッヒ・ベック:島村賢一訳(ちくま学芸文庫、2010年)/チンプンカンプン。

フェアトレードのおかしな真実 僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た』コナー・ウッドマン:松本裕訳(英治出版、2013年)/環境保全やフェアトレード認証ラベルの欺瞞を暴くノンフィクション。説明が冗長。

地震雑感/津浪と人間 寺田寅彦随筆選集』寺田寅彦:千葉俊二、細川光洋編(中公文庫、2011年)/意外と読みにくい。「天災は忘れた頃にやってくる」というのは寺田寅彦の言葉。

マキアヴェッリ語録』塩野七生〈しおの・ななみ〉(新潮文庫、1992年)/原書の雰囲気を重視する抄訳。最初に読むべきではない。

よいこの君主論』架神恭介〈かがみ・きょうすけ〉、辰巳一世〈たつみ・いっせい〉(ちくま文庫、2009年)/小学生向け君主論という体裁。えげつない小学生がぞろぞろ登場する。キャラクターは吹き出してしまうほど面白い。時間が惜しいのでやめた。

偽りの楽園(上)』トム・ロブ・スミス:田口俊樹訳(新潮文庫、2015年)/二度目の挫折。正真正銘の駄作。田口を使う出版社の姿勢を疑う。

ジョーカー・ゲーム』柳広司〈やなぎ・こうじ〉(角川グループパブリッシング、2008年/角川文庫、2011年)/悪書だ。D機関は誰が見ても陸軍中野学校がモデルになっている。中野では天皇陛下よりも日本国に価値を置いたのは確かだが、天皇陛下を軽視することはなかった。創作だから虚実を取り混ぜることに異論はないが、虚の部分が劣悪で知識がない読者は鵜呑みにせざるを得ない。戦後教育に毒されただけなのか、左翼なのかは判断がつかず。

 70冊目『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ(明窓出版、2011年)/侮れない一書である。『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』と併読のこと。那智はクリシュナムルティを通して悟りに至った。私の知人にもほぼ同じ経験をした人物がいる。悟りは宗教に依らない。むしろ現代の宗教は悟りを阻害しているといえる。悟った人間の言葉に触れると、悟っていいない宗教者たちがくっきりと浮かび上がる。

 71冊目『昭和16年夏の敗戦』猪瀬直樹(世界文化社、1983年/文春文庫、1986年/中公文庫、2010年)/一読の価値あり。猪瀬の本を初めて読んだが意外と文章に冴えがない。大東亜戦争に先立って全国各地からBest and brightest(最良にして最も聡明な)エリート達が招集された。設立された総力戦研究所は模擬内閣を組み、戦争のあらゆる事態をシミュレーションする。その結果が「昭和16年の敗戦」であった。当時、陸相であった東条英機も彼らの研究を知っていた。そして実際の戦局はほぼシミュレーション通りに進行する。本来であれば皇族内閣とするはずであったが、戦争責任が及ぶことを考えて天皇に忠誠心の厚い東条に白羽の矢が立った。本書は東条のマイナス部分に関しては殆ど触れていない。また南京大虐殺を歴史的事実として描いている点が気になった。

 72冊目『ウィンブルドン』ラッセル・ブラッドン:池央耿〈いけ・ひろあき〉訳(新潮社、1979年新潮文庫、1982年/創元推理文庫、2014年)/34年振りに再読。今読んでも全く古くなっていない。テニス小説としても十分に通用することだろう。巻半ばからスリラーと化す。ツァラプキンとキングの友情もさることながら、ソ連の現実がきちんと盛り込まれている。唯一の難点は捜査陣に魅力がないところ。それにしてもミステリ界で北上次郎を重んじる風潮が全く理解できない。

 73冊目『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ:伊藤延司〈いとう・のぶし〉訳(角川ソフィア文庫、2015年/角川文芸出版、2005年『アメリカの鏡・日本 新版』/アイネックス、1995年『アメリカの鏡・日本』)/新書で抄訳版も出ているが、「第一章 爆撃機からアメリカの政策」と「第四章 伝統的侵略性」が割愛されているようだ。頗る評判が悪い。完全版が文庫化されたので新書に手を伸ばす必要はない。むしろ角川出版社は新書を廃刊すべきである。「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない」とマッカーサーは書簡に記した。GHQが恐れた一書といってよい。ミアーズは東洋史の研究者で、戦後はGHQの諮問機関である労働政策委員会の一員として来日した。原書は1948年(昭和23年)に刊行。戦前のアメリカ政府とあまりに異なる内容のためミアーズの研究者人生は閉ざされたようだ。私は打ちのめされた。アメリカに敗れた真の理由を忽然と悟った。アメリカにはミアーズがいたが、日本にミアーズはいなかった。近代以降の日本はアメリカの鏡であった。遅れて帝国主義の列に連なった日本は帝国主義の甘い汁を吸う前に叩き落とされた。本書を超える書籍が日本人の手によって書かれない限り、戦後レジームを変えることは困難であろう。

2018-12-06

建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ


『國破れて マッカーサー』西鋭夫
・『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

 ・もしもアメリカが参戦しなかったならば……
 ・建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義

『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦

日本の近代史を学ぶ

 この本の見どころはいくつかある。
 まず第一に、内容が絶対に信頼できるので安心して読めるということである。公人として、不正確さが、いささかも許されない環境の中に、数十年を過したせいもあろうが、おそらくは、それ以上に、フィッシュの性格と教育からくるものであろう。決して嘘をつかない、時流と迎合していい加減なことは言わない、言行不一致のことはしない、というインテレクチュアル・オネスティーに徹した良きアメリカ人の典型なのである。そもそもフィッシュがルーズベルトに対して怒っているのは、政策論の違いはさておいても、ルーズベルトのやり方が不正直で、汚く、非アメリカ的であるということにある。(中略)
 第二に、彼自身は「孤立主義者」という言葉は、ルーズベルトがプロパガンダのために捏造(ねつぞう)した、不正確な表現で、本当は、自分は不干渉主義者だ、と言っているが、いわゆるアメリカの孤立主義者というものの、物の考え方を、これほど明快に示した本はない。
「孤立主義」を論ずるにあたっては、この本なしでは語れないと言っても過言でないし、この本の各所を引用するだけで、真の「孤立主義」というものを説明してあまりあると思う。
「われわれの祖先は、皆、旧大陸の権力政治から脱(のが)れるために、新大陸まで来た」のであり、「旧大陸の昔からの怨念のこもった戦争にまきこまれない」という、アメリカの建国の精神にまで遡(さかのぼ)る「孤立主義」である。
 第三は、国際政治の本質に立ち戻って考えて、ルーズベルトとフィッシュのどちらが正しかったか、ということである。(岡崎久彦)

【『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ:岡崎久彦監訳(PHP研究所、1985年/PHP文庫、1992年)】

 一般的にはモンロー主義といわれる。

 山口洋一の本で知ることがなければ岡崎久彦の著書を開くことは一生なかったと思う。テレビの討論番組で見たことのある岡崎は高い声で癇(かん)に障(さわ)る話し方をする老獪(ろうかい)な人物だった。周囲と異なる論理をかざして微動だにすることなく相手に理解を求める姿勢はこれっぽっちもなかったことに驚いた。訳知り顔の偏屈な年寄りにしか見えなかった。

 ところが、である。山口が引用した文章は流麗でキラリと光を放っていた。まず本書を読み、次に『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』(1991年)を開き、そして『陸奥宗光とその時代』(1996年)と進んだ。私は唸(うな)った。唸り続けた。慌てて動画を検索してみたが、やはり岡崎は偏屈なジイサンだった(笑)。きっと文の人なのだろう。

 牛場信彦駐米大使から本書を紹介され岡崎が翻訳する運びとなった。

 ハミルトン・フィッシュ3世(1888-1991年)は彫像のような面立ちで実に立派な顔をしている。1945年まで四半世紀にわたって米国の下院議員を務めた(共和党選出)。原著は1983年に刊行されている。太平洋戦争開戦時にフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)を全面的に支持したのはた自身の過ちであり、ルーズベルト大統領が卑劣な手段で米国を戦争に導いたことを糾弾する。

 フィッシュの筆致は烈々たる愛国心に支えられており、為にする批判とは一線を画している。後味の悪さがなく、むしろ静かな晴朗さが広がる。

 複雑系科学の視点(『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン)だと時代を変えた歴史的な人物も一要素として扱われるが、国家元首や教祖が果たす導火線の役割は決して無視できるものではない。ルーズベルトにけしかけられた国民が愚かであるというよりも、戦争の気運が満ちつつある時代であったのだろう。他国の戦争に巻き込まれることを忌避した米国民も、国際社会でアメリカが主導権を握る政策には賛同せざるを得なかったものと想像される。

 第二次世界大戦は英仏が凋落(ちょうらく)しアメリカが台頭する間隙(かんげき)にソ連が食い込んだ歴史であった。ルーズベルト大統領の周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた(『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫)。容共の域を越えていたのは明らかだ。日本の占領政策においてもGHQの半分が左翼勢力であったため戦後に長く影を落とした。

 ルーズベルト大統領が行ったことは一言でいえば日本を叩き、ソ連を増長させ、戦後の冷戦構造へと道を開いたことであった。戦時中の日本人の思いは市丸利之助〈いちまる・りのすけ〉海軍中将の「ルーズベルトニ与フル書」に言い尽くされている。

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変節と愛国 外交官・牛場信彦の生涯 (文春新書)
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2020-08-29

陸軍中将の見識/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ

 堀はここで生れて初めて情報電報に目を通す身となった。大多数の電報は、枢軸国といわれた独、伊、ルーマニヤや中立国の武官、大公使からの電報で、右肩に親展、極秘という朱肉の大きな角印が目にしみた。その他は内外の通信社の速報ニュース、外国系ラジオ放送、新聞などが机の上に並べられていた。
 家に帰った堀はその晩、父堀丈夫〈たけお〉に情報をやることになった旨を話した。父は晩酌の盃を置いて、一瞬考えてから、
「俺も40年近く軍人生活をしてきたが、情報だけはやったことがない。強いて言えば大佐時代に2年間フランスに航空の勉強にいったのが、情報といえばいえるだけ。情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。相手といっても、第一線の指揮官には自分の正面の敵の指揮官になるし、大本営だったら国家の主権の中枢が相手ということになろう。主権の中枢から直接聞くことが出来たら一番良いが、それは至難であって、時には嘘もつかれる。そうなるといろいろ各場面で現われる仕草を集めて、それを通して判断する以外にはないようだな」
 父は何度も「仕草」という言葉を使った。仕草とは軍隊用語でいう徴候のことである。情報のことは知らないという父から受けた初めての情報教育であった。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)】

 堀栄三は「正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、『マッカーサー参謀』とあだ名された」(Wikipedia)。上念司〈じょうねん・つかさ〉が毎年8月15日に繰り返し読む書籍と知って興味を抱いた。

 俚諺(りげん)に「一葉落ちて天下の秋を知る」とある。孔子は「一を聞いて十を知る」(『論語』)と説き、日蓮も「一をもつて万を察せよ。庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり」(「報恩抄」)と述べる。わずかな予兆から変化を見抜くことは生存率を高める。堀栄三の養父はそれを「仕草」と表現した。陸軍中将の高い見識に驚かされる。法華経方便品(ほうべんぽん)に「諸法実相十如是」とある。仕草という言葉が十如是に通じる。

 私は上念ほどの感動を覚えなかったのだが、小野寺信〈おのでら・まこと〉を知り再読せざるを得なくなった。

2017-09-10

世界史対照年表の衝撃/『ニューステージ 世界史詳覧』浜島書店編集部編


 ・世界史対照年表の衝撃

『科学と宗教との闘争』ホワイト:森島恒雄訳

世界史の教科書
必読書 その四

人名の表し方 世界には様々な人物が登場するが、その人名の由来や成り立ちがわかると、その歴史的背景も見えてくる。

1 ヨーロッパ圏
◆解説 英語・フランス語・ドイツ語など、各言語で表記は異なるが、キリスト教、古代ギリシア・ローマ文化、ゲルマン文化に由来するものが多い。

●キリスト教と名前の由来
 ●パウロ(イエスの弟子、「異邦人の使徒」)
  →ポール(英)、パブロ(スペイン)
 ●ミカエル(天使の名)
  →マイケル、マイク(英)
 ●ヨハネ(イエスの洗礼者)
  →ジョン(英)、ジャン(仏)、イヴァン(露)
 ●ヤコブ(イエスの弟子)
  →ジェームズ(英)

●ギリシア・ローマ文化と名前の由来
 ●ヒッポ(ポセイドンの別称・馬を意味する)
  →フィリッポス(ギリシア)、フィリップ(英)、フェリペ(スペイン)
 ●ガイア(大地の神)
  →ジョージ(英)、ゲオルク(独)、ジョルジュ(仏)
 ●ニケ(勝利の女神)
  →ニコラス(英)、クラウス(独)、ニコライ(露)
 ●マルス(ローマの軍神)
  →マーク(英)、マルコ(伊)、マルクス(独)

●ゲルマン文化と名前の由来
 ●Karl(「男」を表すゲルマン系の言葉)
  →チャールズ(英)、シャルル(仏)、カール(独)カルロス(スペイン)
 ●Hluodowig(「高名な戦士」を表すゲルマン系の言葉)
  →クローヴィス(仏)
  →ルイ(仏)、ルートヴィヒ(独)、ルイス(英)
 ●Heinrich(「家の主」を表すゲルマン系の言葉)
  →ヘンリ(英)、アンリ(仏)、ハンリヒ(独)



「~の子ども」という名
 父祖の名に由来した名前や、それが姓として定着した例は、世界の各地に見られる。




【『ニューステージ 世界史詳覧』浜島書店編集部編(浜島書店、1998年)】

 テーブルタグがわからないので先程慌てて写真を撮った次第である。多分中高生向けの副読本と思われるが、はっきり言って子供に読ませるのがもったいないほど(※飽くまでもレトリックね)の出来栄えだ。似たような副読本(いずれも1000円以下)を一通り読んだが本書が一頭地を抜いている。

 若い頃から海外ミステリに親しんできたこともあって西洋人の名前に不思議な共通点があることは気づいてた。例えばマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)とミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)のファーストネームは綴りが同じだ。外国人名に興味が高まったのは堀堅士〈ほり・けんじ〉著『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』を読んでのこと。

 また、仏教とキリスト教の酷似するキーワードが次々と示される。釈迦の母親・摩耶(Maya)=イエスの母・マリヤ(Maria:Mary)、釈迦の父・浄飯王(じょうぼんのう)は、イエスの父・ヨセフ(Ioseph:Joseph)と関係ないが、イエスの宗教上の父であるヨハネ(Ioannes:John)という名は、イタリア語で「ジョヴァンニ」(Giovanni)と発音する。

依法不依人/『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士

 よもや本書で長年にわたる疑問が氷解するとは思わなかった。宗教と神話の彩(いろど)りが強いのは根強い信仰の表れか。また父祖の名を名乗る文化が何となく男系天皇の正統性と重なる。

 西洋人名の意味を知ればユダヤ系ミステリ作家が描くナチスものなどには必ずこうしたアイコン的要素が埋め込まれていることだろう。「名は体を表す」のではなくして、「名は宗教的正義を示す」のだ。

 本書はどこを開いても目から鱗が落ちるのは確実で、一気に読もうとするよりはトイレに置いて少しずつ堪能するのがよかろう。巻頭の「世界史対照年表」で衝撃を受けるのは私一人ではあるまい。


 日本は「世界最古の国」である。天皇制を巡る政治的な議論も「永き伝統を破壊しよう」と目論む勢力があることを見失ってはならない。週刊誌による皇室報道も同様で様々な国の諜報機関が情報提供していると囁かれている。天皇陛下がどの国へゆかれても丁重なもてなしを受けるのは、こうした歴史を世界が知っているからだ。

 尚、ポツダム宣言に署名したのは米・英・中華民国であって中華人民共和国ではない。巷間指摘される通り「中国3000年の歴史」という言葉はデタラメなもので、中華人民共和国の歴史は70年にも満たない(1949年建国)。シナという地理的要件がたまたま一致しているだけで国家としての連続性はなく、王朝がコロコロ変わるのがシナの歴史であった。「中国」という幻想をしっかりと払拭しておく必要があろう。

マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ

 また日本の領土の変遷も図示されており大東亜戦争で東南アジアにまで版図が拡大する。


 ただし日本が戦ったのは白人帝国主義であって侵略・簒奪(さんだつ)を目的としわけではない。もちろん侵略的要素はあったが、宣戦布告をするしないはまだまだ曖昧で確固たる国際基準が成立していたわけではなかった。

 参考までに私が目を通した世界史副読本を挙げておく。

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最新世界史図説 タペストリー

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山川 詳説世界史図録 第2版: 世B310準拠
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2020-09-24

異能の軍人/『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄


『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆

 ・異能の軍人

『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 本書には、岩畔豪雄(1897~1970年)に対して木戸日記研究会・日本近代史料研究会が1967年に3回にわたり行った聴き取り調査の記録、および岩畔自身が記した41年の日米交渉の顛末に関する文書が収められている。
 岩畔豪雄は、昭和戦前期に軍事官僚として陸軍省と参謀本部(いわゆる省部)の要職を歴任、満州国の経営に参画し、さらには謀略工作も担当した。アジア・太平洋戦争勃発直前には日米交渉に関与し、そして開戦後はマラヤ作戦ビルマ作戦および対インド政治工作に従事する。この他にも中野学校機甲本部大東亜共栄圏戦陣訓登戸研究所偽造紙幣工作、など岩畔が関与した事案は枚挙にいとまなく、「異能の軍人」の面目躍如であった。(等松春夫〈とうまつ・はるお〉)

【『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉(日本経済新聞出版、2015年/日本近代史料研究会、1977年『岩畔豪雄氏談話速記録』を改題)以下同】

 古書店主の仕事は目録作りである。要は本の並べ方に工夫を凝らし、鎬(しのぎ)を削るのが古本屋の仕事だ。上記リンクの並びは思わずニンマリした出来映えである。岩畔豪雄と田中清玄〈たなか・きよはる〉には妙に重なる部分がある。裏方に徹して少なからず国家の動向に影響を及ぼした点もさることながら、二人の人物評が目を引く。何気ない一言が本質を浮かび上がらせ、偶像に亀裂を入れる破壊力がある。

 巻頭に「なお、本記録の編集は竹山護夫会員が担当した」とある。護夫〈もりお〉は竹山道雄の長男である。惜しくも44歳で没した。そのほか、伊藤隆、佐藤誠三郎、松沢哲成、丸山真男の名前がある。

「異能の軍人」とは言い得て妙だ。岩畔豪雄は軍人という枠に収まる人物ではなかった。戦時にあっても平時にあっても遺憾なく才能を発揮できる男であったのだろう。真の才能は韜晦(とうかい)を拒む。水のように溢れ出て周囲を潤すのだ。

 二・二六事件に関しても当時を知っているだけあって指摘が具体的で思弁に傾いていない。

―― それが、二・二六というものが将校だけの画策であれば、ああいう裁判はなされなかったのでしょうか。

岩畔●やっぱりやったでしょうね。
 二・二六というのは非常に遺憾なことだったのですが、大体が陸軍の首脳部の初めからこういう問題に対する態度が悪いですよ。一番最初の三月事件の時あたりに橋本欣五郎をパッとやるというようなことをやっておればけじめがついたのですが、その時なにもなかったから、あとからまた10月事件をやった。その時も処罰を20日か30日食って終り。これではいかんですよ。パッとやればそうすればその後にあんなことなど起こらないのですよ。
 一番態度が悪いのが首脳部ですよ。これはみなさんもよく注意して下さいよ、「その精神は諒とするも行動が悪い」と言っているのです。行動が悪いものは精神も悪いので、これが日本人の一つの欠点だと思うのです。だから、「お前行動も悪い、したがって精神も悪い」、こういかなければならないところを、みんなが「精神は可なるも行為が悪い」と言う。こんなバカな話があろうかというのですよ。これが三月事件、10月事件が二・二六事件に至った大きな原因であったわけですよ。だからなんでも同じなので、初めにスパッと手の中を見せんようにやっておけばあとはサッといったものを、そこがコツだと思うのですが。

 実務家の面目躍如である。三島由紀夫は反対方向へ行ってしまった。大東亜戦争における軍の暴走を解く鍵は二・二六事件にある。是非や善悪が極めてつかみにくく、責任の所在すら曖昧になりやすい。日本の談合文化が最も悪い方向へ露呈した歴史と言ってよい。司馬遼太郎が否定した気持ちも何となく理解できよう。

 調べれば調べるほどわからなくなる大東亜戦争や二・二六事件であるが、岩畔の指摘はスッキリしていてストンと腑に落ちる。二・二六事件は社会主義という流感のようなものだったのではあるまいか。そんな気がしてならない。

―― 石原莞爾はどうだったんですか。

岩畔●この人は私もよくわからないのですが、大谷はそれを非常にはっきり書いておるようですが、大体ああいう態度を取ったと思うのだが、石原なんという人は、「よし、これは治める、しかし、これを利用してなにかやる」というそういう政治的な見透しはあったでしょうね。そういう感じがあの人については非常にするのです。

「某(なにがし)」ではなく「なん」というのが岩畔の口癖である。「なん」呼ばわりした人物は大抵評価が低い(笑)。自分たちで勝手に次期首相を決めようとしたわけだから(『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹)、岩畔の指摘は正鵠(せいこく)を射ている。

 それで石原莞爾〈いしわら・かんじ〉の軍事的才能が翳(かげ)りを帯びることはないが、満州事変が後進に与えた悪影響は計り知れない。



【赤字のお仕事】「インスタバエ」ってどんな「ハエ」? 「…映え」「…栄え」の書き分け原則とは(1/3ページ) - 産経ニュース
インターネット特別展 公文書に見る日米交渉
三月事件、十月事件の甘い処分が二・二六事件を招いた/『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2018-10-17

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行

 ・日米安保条約と吉田茂の思惑

 思わず語気を強めて詰め寄った。
「憲法改正して再軍備をするのだと、そうおっしゃっていたじゃないですか。今後自衛隊をどうなさるおつもりですか」
「今は経済再建が第一である。経済力が復活しなくて再軍備などあり得ない。経済力がつくまで、日米安保条約によってアメリカに守ってもらうのだ」
 明確な返答には説得力があった。
 たしかに現在の経済力では、実効性のある自衛軍などとても持てない。経済は平和が確保できてこそ発展することは論を俟(ま)たない。冷静に国際情勢を考慮し、経済力に思いを至らせながら判断すると、平和の確保にはアメリカの力を借りるほかはないと理解できた。
 安保条約には反対していたわれわれは、「経済力がついたら憲法改正して自衛軍にするのだ。それまでの間は身を潜めていなくてはいかん」という吉田氏の言葉に納得して、安保条約支持派になったのだった。

【『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(SB新書、2016年)】

 伊藤隆に請われて佐々が90冊の手帳を国会図書館の憲政資料室に寄贈した。その佐々メモが元になっている。上記テキストは確か大学生の佐々が吉田茂と面会した時のやり取りである。

 吉田茂は二枚腰ともいえる粘り強い外交でマッカーサーを翻弄した。外部要因としては朝鮮特需(1950-55年)があったわけだが高度経済成長への先鞭(せんべん)をつけたのは吉田茂である。ところが自主憲法制定を党の綱領に謳った自民党は経済成長を遂げても憲法に手をつけようとはしなかった。タイミングとしては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年/昭和28年)あたりでもよかったように思うが経済的にはまだまだ脆弱だった。日米安保が結ばれたのが1951年(昭和26年)のこと(発効は翌年)。そうすると学生運動の嵐が過ぎた頃からバブル景気の前くらいの時期で憲法改正するのが筋だろう。

 本来であれば憲法改正をする時に自民党は不祥事で揺れ続けた。その結果対米依存を強める羽目となり、大蔵省や郵便局の解体をアメリカの言いなりで行った。憲法改正を掲げて安倍晋三が登場したものの、敗戦から70年以上を経て国民の平和ボケは行き着くところまで行き着いた感がある。

 たとえ憲法が改正されなくとも戦争は起こる。既に中国が仕掛けてきているのだから時間の問題だ。その時に国民が目を覚ますのか、あるいは寝たフリをするのかが見ものである。



憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

2015-07-22

漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた/『漢字雑談』高島俊男


 ・漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた
 ・障害者か障碍者か

 漢字制限は敗戦直後昭和21年の「当用漢字」から始まる。固有名詞(福岡などの地名、佐藤などの姓、その時現在の名)を除き、政府が決めた1850字以外使ってはならぬという、強い制限である。罰則はないので作家などは使ったが、官庁(法令、公文書等)、学校、新聞の三大要所を抑えて励行させた。

【『漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)以下同】

 いつの時代も権力は暦と文字を管理する。「どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行う」と佐藤優は説く(『国家の自縛』)。当用漢字とは「当座は用いて構わない漢字」という意味で、GHQには日本語のアルファベット化という案もあった。マッカーサーが日本文化の破壊を意図したことは疑問の余地がない。それにしても、官庁、学校、新聞はさながら権力という風になびく草の如し。

 今は「理屈」と書く。従前は「理窟」と書いた。
「理窟」が「理屈」になったのには経緯がある。敗戦直後政府が制定した漢字制限によって「窟」の字の使用が規制(事実上禁止)された。昭和31年にいたって政府は「同音の漢字による書きかえ」と題する文書で、「理窟」は今後「理屈」と書け、と指示した。これによって、法令、公文書、学校の教科書などはもとより、新聞・雑誌その他社会一般も「理屈」と書くことになった。
「りくつ」を「理屈」と書くのは、りくつから言えばおかしい。
「理が屈する」というのは、話のすじみちが通らなくなって行きづまることである。「りくつ」は話のすじみちが通ることだから正反対である。
 中国では一口に「理屈詞窮」と言う。理に屈し詞(ことば)に窮する、話のすじみちが通らなくなって言葉に窮することである。論語の朱子注から出た成語である。「屈」はまっすぐに行けず折れ曲ること、行きづまることである。
 ただし、日本では「りくつ」は昔から口頭語として広く用いられたことばだから、江戸時代にはあて字で「理屈」と書いた例はいくらもある。(中略)
 理窟の「窟」は穴カンムリが示す通り「ほらあな」である。「アルタミラの洞窟」の「窟」である。では「理のほらあな」がなぜ「すじみちの通った話」になるのか。
 さあこれがむずかしい。
 国語辞典でこの意義を書いてあるものはほとんどない。『大言海』(昭和10年冨山房)にこうある(「理窟」は第四巻、昭和10年)。
   〈理窟(マミアナ)ノ意ニテ、理ノアツマル所ノ義〉

 最後の行の「マミアナ」とは狸穴のことか。字面(じづら)も理窟とよく似ている。私は本書を読むまで「理窟」という文字がまったく頭になかった。恥ずかしい限りである。もちろん『岩窟王』で字は知っていた。自分勝手に「理正しければ理に屈する」と読んでいた。

 というわけで今後は「理窟」と表記することにした次第である。

漢字雑談 (講談社現代新書)

2018-09-11

中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ/『サヴァイヴ』近藤史恵


『サクリファイス』近藤史恵
『エデン』近藤史恵

 ・余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望

  ・中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ

 ・ペダリングの悟り

・『キアズマ』近藤史恵
・『スティグマータ』近藤史恵
・『逃げ』佐藤喬

 もちろんこの程度の坂で速度が変わることもなく、足が乱れることもない。だが、感触の違いは脚に伝わってきて、それがおもしろい。徒歩ならば気づかないことが、自転車に乗っていればわかる。
 ロードバイクに乗り始めて、すでに10年以上経つ。今では、歩くよりも、ただ立っているよりも、自転車の上にいる方が楽だ。そう言えば多くの人は驚く。
 身体が自転車によって変えられるのだ。自転車に、乗る人間の癖がつくのと同じことだ。歩くのに必要な筋肉は次第に衰え、ペダルを回す筋肉だけが発達してくる。

【『サヴァイヴ』近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】

 昨日は大山を目指したのだが雨に祟(たた)られて途中で引き返してきた。「裏切りの天気予報」というタイトルが浮かんだ。1時間ほどコインランドリーの軒下で雨宿りをしていたのだが、時折私は大山目掛けて大きく息を吐いた。ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスに竜巻を引き起こすなら、私の吐息が大山の雲を払うことも十分あり得ると考えたのだ。雨は強くなるばかりだった。多分山の反対側で誰かが息を吐いているのだろう。帰宅すると中華サイコンが成仏していた。

 伊東の川奈に富士急が開発した別荘地がある。海越しに小さい三角形の山がきれいに見える。道往く人に訊ねたところ、「あれは大山ですよ」と呆れ顔で答えた。私は胸の内で呟いた。「大山はのぶ代と倍達〈ますたつ〉しか知らねーよ」と。後日、江戸時代にはお伊勢参りに次いで関東で人気の高い山だったと物の本で読んだ気がする。

 今日も時間があったので再び大山を目指した。家を出てから道順を記したメモを忘れたことに気づいた。神奈川の県央地域は道路が入り組んでいる。マッカーサーが厚木飛行場(綾瀬市、大和市)から日本入りするためにこの界隈は爆撃を免れているという話がある。地図かメモがなければ辿り着くことは難しい。意外と起伏に飛んでいて山の姿も直ぐに見えなくなる。きっと山の神に嫌われているのだろう。

 中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ、と申し上げたい。っていうか私が現在心掛けていることだ。距離を目標にするとどうしても疲れる。しかも私は山の中を走ることが多いので遭難しかねない。いや、ホントの話ですぜ。チューブ交換で済む程度のパンクならどうってことはないが、タイヤが破損したり、衝突でホイールが変形したり、クルマにひき逃げされたりした暁には徒歩で数十kmの道のりを歩く羽目となる。私は夜のサイクリストなのだ。

 ロードバイクを買う前から私の心はなぜか湖を目指していた。宮ヶ瀬湖、津久井湖、相模湖を制覇してわかったのだが、私が求めていたのは湖ではなくせせらぎの音だった。湖の近くを走っているとどこからともなく水の流れる音が聞こえてくる。生命を支えているのは水と空気だ。苦しみながらペダルを踏んでいると生きる実感が湧いてくる。

 しかも湖付近には必ず道がある。地図を見ていて不思議に思ったのだが多分湖が山の中でも低い位置にあるためなのだろう。それに気づいた瞬間、私の興味は峠に向かった。つまり地図で波打っている道路に注目したのだ。まあ、あるわあるわ。いくらでもある。日本の国土の7割は山間部といわれるのだから当然だ。一生困らないほど峠道はある。

 坂道をじっくりと登ることで脚力がつく。衰えつつある体に鞭を打ち、念仏を唱えるように「踏む、踏む」と呟くと、「不無、不無」という瞑想の境地に至る。更には「クランクを回せ、回せ」と念じていると「輪廻」(りんね)の文字が頭を支配するようになる。凡夫ゆえ転法輪(てんぽうりん)とならないところが悲しい。

 ひと月半ほどで700km走った。ふくらはぎの筋肉は造形が変わり、心拍は20近く減った。

 本書は短篇集で『サクリファイス』以前の物語も描かれている。最初に読んでも問題はない。

サヴァイヴ (新潮文庫)
近藤 史恵
新潮社 (2014-05-28)
売り上げランキング: 79,578

2020-08-23

創価学会の思想は田中智学のパクり/『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉
・『石原莞爾と昭和の夢 地ひらく』福田和也
・『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』保阪正康
・『血盟団事件 井上日召の生涯』岡村青

 ・創価学会は田中智学のパクり

 その結果、智学は決意する。日輝の教学は時勢の推移のなかでは妥当だと思われることもあったが、万代不易の道理ではない。しかし、日蓮の主張は万古を貫いて動かざるものである。いまこそ、「祖師に還る」「純正に、正しく古に還らなければならぬ」、と。
 日輝は摂受を重視しる「折退(しゃくたい)・摂進(しょうじん)」論を採ったのにたいして、智学は「超悉檀(ちょうしつだん[大谷註:悉檀とはサンスクリットのsiddhāntaの音訳で、教説の立てかたの意]の折伏)」にもとづく「行門の折伏」(実行的折伏)を強調した。折伏が祖師・日蓮の根本的立場であると捉え、それへの復古的な回帰を唱えたのである。この折伏重視の立場性こそが、智学生涯の思想と運動を貫く通奏低音であり、政府にたいする「諌暁(かんぎょう)」(いわゆる国家諌暁)もこの折伏の精神にもとづく。
 明治12年(1879)1月、病気再発の兆しがみえたため、智学は、横浜にいた医師の次兄・椙守普門(すぎもりふもん)の家で療養した。病気は小康を得たが、同年2月、還俗の意思を兄に伝え、病気療養を理由として、17歳で還俗することになる。また、3月には日蓮宗大教院の教導職試補の辞任届も提出している。以後、生涯を通じて、智学は在家仏教者として活動することになる。

【『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一〈おおたに・えいいち〉(講談社、2019年)】

 田中智学・本多日生北一輝〈きた・いっき〉-大川周明〈おおかわ・しゅうめい〉は昭和初期の軍人に多大な影響を及ぼしたが、これを日蓮主義で括ると視野が狭まる。むしろ大正デモクラシーの流れを汲んだ社会民主主義と捉えるのが正当だろう。佐藤優がわざわざ保守論客の関岡英之に近づいて大川周明を持ち上げているのも社会民主主義というタームで考えると腑に落ちる。

 大谷栄一は宗教社会学者である。それゆえ宗教や教団に固執して近代史全体の流れが見えにくくなっている。むしろ話は逆で、時代が揺れ動く波しぶきの一つに日蓮主義があったと私は見る。鎌倉時代にあって日蓮ほど国家意識を持った宗教指導者はいない。出家の身でありながら迫害に迫害を加えられても尚、政治的意見を進言し続けた。昭和初期は内憂外患の時代であり鎌倉の時代相と酷似している。

 日蓮主義は戦後にも継承された、と私は考える。田中智学の国立戒壇論が創価学会に継承されたのである。戦後の一時期まで、智学の国立戒壇論は創価学会の運動の中核部分に保持されていた。創価学会の国立戒壇論は「国柱会譲り」のものだった。

 創価学会は元々日蓮正宗の一信徒団体であったが、戦前より折伏(しゃくぶく)を標榜し原理主義に傾いていた。初代会長の牧口常三郎〈まきぐち・つねさぶろう〉にも田中智学の影響が及んでいた事実が興味深い。戦後、国柱会の勢いは已(や)んだが、創価学会は共産主義的な組織運営で教勢を拡大した。折伏はオルグと化した。公明党が政権与党入りしてからは尖鋭(せんえい)さを失い、与党内野党みたいな中途半端なブレーキ役に甘んじている。創価学会もまた本質的には社会民主主義傾向が顕著なため、外患の多い現代にあって国政をリードすることは不可能だろう。

 尚、大谷栄一には『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館、2001年)との著作もある。

2020-02-18

「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

 ・貨幣経済が環境を破壊する
 ・紙幣とは何か?
 ・「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン
 ・ミヒャエル・エンデの社会主義的傾向
 ・世界金融システムが貧しい国から富を奪う
 ・利子、配当は富裕層に集中する

・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『無税国家のつくり方 税金を払う奴はバカ!2』大村大次郎
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

必読書リスト その二

 フランス革命のスローガンである『自由・平等・博愛』は革命前からある言葉で、もとはフリーメーソンのスローガンにほかなりません。

【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年/講談社+α文庫、2011年)】

 悪夢の民主党政権で鳩山由紀夫首相は「友愛」を掲げた。祖父の鳩山一郎はフリーメイソンのメンバーだった(Wikipedia)。「フリーメイソンは、中世ヨーロッパの石工職人組合を祖にして生まれた秘密結社だが、その後、政財界や知識階級などのエリート達が集う、世界的な巨大組織に発展した」(ユダヤ=フリーメイソン説)。このくらいは大勢の人が知っていることだろう。

 フリーメイソンと陰謀がセットになっているのはその影響力の大きさによる。アメリカ合衆国大統領はジョージ・ワシントンを始めとする14人が会員だった。日本に縁のある人物だと黒船のマシュー・ペリーやダグラス・マッカーサーもフリーメイソンである。音楽界だとモーツァルト、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンなど。ボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなども派生団体である。

 プロビデンスの目や原型であるホルスの目などを調べてゆくと、キリスト教が古代宗教の寄せ集めであることまで見えてくる。


【ホルスの左目】プロビデンスの目とは?由来と解説、さらに企業ロゴや身の回りに隠されているものをまとめてご紹介【万物を見通す目】 – Gossip Repository

 かつてのフリーメイソンから宗教色を取り除いたのはフランス大東社で、石工(いしく)の職人団体から知識人の友愛団体へと変貌を遂げた。実は歴史の潮流がここから変わるのだ。ピーター・F・ドラッカーが唱えた「知識社会」の源流を見出すこともできよう(ドラッカーの父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった:『傍観者の時代』)。

 つまりだ、友愛団体となったフリーメイソンは超国家組織となって潰されたテンプル騎士団の生まれ変わりなのだろう。彼らは科学革命を背景に理神論を唱え、啓蒙思想を牽引し、フランス革命で近代の扉を大きく開いた。ナポレオン・ボナパルトもフリーメイソンの会員だった。

 国民国家となったフランスでユダヤ人は初めて国民として認められた。プロテスタントとは異なる第三の道が示されたわけだ。

フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令

 フランス市民革命は、アメリカ独立革命の影響が旧大陸に波及したものである。ユダヤ人にとっては、アメリカにユダヤ人も自由に活動できる「自由の国」ができた後、フランスで市民革命を通じて、ユダヤ人の解放がされることになった。
 フランスでは、早くからロックの思想が摂取され、急進化していた。また、18世紀後半のフランスでは、フリーメイソンが活動していた。絶対王政やカトリック教会を批判した啓蒙主義者、百科全書の編纂者等には、メイソンがいた。また市民革命の指導者には、多くのメイソンがいた。
 フランス啓蒙思想は、イギリス啓蒙思想を源流として発達した。その発達には、フリーメイソンの組織と活動が関係している。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、『百科全書』である。1751年に第1巻が刊行された『百科全書』は、イギリスのチェインバーズ百科事典のフランス語訳を、ドゥニ・ディドロが行ったことを契機とする。チェインバーズ百科事典は、編纂者も版元もフリーメイソンだった。ディドロは不明だが、盟友のジャン・ル・ロン・ダランベールはメイソンだった。百科全書派は、総じてメイソンの影響を強く受けている。

ユダヤ42~フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令 - ほそかわ・かずひこの BLOG

 ぶったまげた。こんなことは岡崎勝世ですら書いていない。近代の本質は「知識とマネー、そしてネットワーク」にあるのだろう。

「自由・平等・博愛」はフランスからカトリック色を漂白するための仕掛けか。この流れはアメリカに受け継がれ「民主政こそ正義」という概念に飛躍する。その後、フランスではドレフュス事件(1894年)が起こるのだがこれまた再考が必要だ。



フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
私の政治哲学 祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印:鳩山由紀夫
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠

2020-09-06

国民の国防意志が国家の安全を左右する/『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八


・『日本を思ふ』福田恆存
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ・国民の国防意志が国家の安全を左右する
 ・外交レトリックを誤った大日本帝国
 ・五箇条の御誓文

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 法理として「偽憲法」(これは菅原裕氏の言葉)以外のなにものでもない「当用憲法」(これは福田恆存〈つねあり〉氏の言葉)は、1946年から1950年にかけ、日本に共産主義が根付かない最大支障であるとモスクワがみなした天皇制を滅消したく念ずるソ連発の間接侵略工作を、阻止したというポジティヴな効用があります。

【『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)以下同】

 やっとクイック編集ができるようになった。編集画面の仕様が新しくなったための混乱のようだ。古本屋を畳んでからはレンタルサーバーと無縁なので、今からWordPressを使うとなると先が思いやられる。設定はともかくとしてFTPソフトの使い方などはきれいさっぱり記憶から消えている。ブログも長くやっていると自分の分身みたいに思えてくる。それゆえに妙なこだわりが生じて、自我を強く意識させられる羽目となる。なかなか諸法無我というわけにはいかないものだ。

 兵頭二十八は当たり外れがある。文章には独特の臭みがあって好き嫌いが分かれるところだ。上記テキストも長すぎて文章の行方がわかりにくい。このあたりは編集者にも半分程度の責任がある。資料を渉猟しているためと思われるが時折びっくりするほど古めかしい言い回しが出てくるのだが、それが様になっていない。ちぐはぐな印象を受けて、微妙に音程のずれた歌を聴いているような気分になる。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と憲法第一条で謳ったことが32年テーゼを防いだ。本来であれば天皇の存在は日本国の形成よりも先んじているから本末転倒といえよう。しかしながら主権在民を糊塗する苦し紛れの文章が戦後の激動を雄弁に物語っている。

 左翼は国家をシステムとして捉え、文化を見落とした。欧州ではキリスト教、日本では天皇が憲法の屋台骨となっている。これを「打倒」することは国家を漂白することに等しい。日本の公を重んじる精神性は社会主義と親和性がある。それを思えば天皇制社会民主主義に舵を切っていれば、二・二六事件前後で日本の運命は変わっていた可能性がある。

 そもそも国民の自由を担保してくれるのは国家だけです。国家が安全でなくなれば、国民の自由もなくなります。その国家の安全は、標榜(ひょうぼう)する憲法の文章が保障してくるわけではない。ただ、国民の抱く「国防の意志」が保障するのです。しかるに利己的で嫉妬深い人間は、不自然な中心点に向かっては、なかなか団結ができないものです。日本国民には自然な精神的な団結の中心はひとつきりしかありません。それが天皇です。もしも日本から天皇が消えてなくなれば、日本国民は間接侵略によって著しく分断されやすくなり、日本国家の防衛力は内側から脆(もろ)くなり、それにつれ、日本人の自由は、一見、合法的なきまりごとを装って、日本人ではない者たちの手の中に、回収されて行くでしょう。

 マッカーサー憲法は日本人から「国防の意志」を見事に奪い去った。戦後、国民の間からは国体意識すら消え失せた。守るべきはものは今日の食糧と自分の命に変わった。敗戦は事実上「魂の一億玉砕」であった。

 だが不思議なことに敗戦を経て日本国民は自由の空気を呼吸し始めた。戦時中の不自由さは社会主義国と遜色がなかった。自由にものを言うこともできなかった。政治家は軍の顔色を窺い、軍はいたずらに兵員を餓死に至らしめた。大東亜共栄圏は絵に描いた餅と化した。国家は国民を守れなかった。

 終戦前後のギャップが精神の真空地帯に風を吹かせた。国民が手にした自由は何の責任も伴わなかった。胃袋は相変わらず不自由なままだった。人々は食べることにしか関心がなかった。何とか食べられるようになると終戦前後に生まれた大学生たちが騒ぎ始めた。学生運動は戦争の余波と見ることができよう。60年安保に反対した彼らの姿は戯画的ですらある。新世代もまた玉砕を望んだのであろう。

 日本国が国民を守れないことはシベリア抑留北朝鮮による拉致被害が証明している。GHQに牙を抜かれた日本はスパイ天国となり、中国や南北朝鮮がほしいままに日本の国益を毀損している。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠