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2020-11-27

戦争をめぐる「国民の物語」/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也


・『乃木希典』大濱徹也
・『近代日本の虚像と実像』山本七平、大濱徹也
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・戦争をめぐる「国民の物語」
 ・紀元節と天長節
 ・日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた

・『庶民のみた日清・日露戦争 帝国への歩み』大濱徹也
・『天皇と日本の近代』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 戦争は、多様な従軍記録、日記・手紙などを読んだとき、生活の場である村から外の世界に出ていくことで、新しい世間を具体的に見聞させる世界でした。出征兵士の足跡は、異質な世界との出会いを重ねることで、閉された空間をおしひろげ、多様な見聞をふまえ、己が体験を豊かに結実していく日々にほかなりません。
 この戦争において経験した出来事は、死と向きあって生きたなかで刻印された体験に昇華されたとき、一個の稀有な戦争体験となり、戦争を生き遺(のこ)った思いに重ね、一つの「戦争譚(たん)」として説き聞かされていきます。かくて戦争譚は、戦争をめぐる多様な記憶をとりこむことで、国民が共有しうる記憶として神聖視されたのです。
 歴史は、この聖なる記憶を積み重ねていくなかで、「国民の物語」となりえたのです。かくて国民は、語りつがれてきた戦争譚を身に刻み、記憶として共有するとき、「愛国者」の相貌を顕としました。

 日本の歴史は、こうした戦争をめぐる「国民の物語」を聖なる記憶として共有させるべく、国家のもとに営まれた歩みを記す作業が生み育てた世界にほかなりません。それだけに、歴史像を問い質すには、国民をめぐる記憶の場を析出(せきしゅつ)し、記憶の構造を解析することが求められています。

【『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也〈おおはま・てつや〉(刀水書房、2002年)】

 出版社名の「刀水」(とうすい)とは利根川の異称である。雪山堂(せっせんどう)の掲示板で私の義兄弟が「刀水」を名乗っていた。

 講演を編んだ書籍なのだが執筆と遜色のない情報密度で、自身に向けた問いの深さにたじろがされる。同時期にやはり講演を編んだ『近代の呪い』(渡辺京二)を読んだが、知識人の良心という点で双璧を成す。他を論(あげつら)い己を省みることのない昨今の言論情況は寒々しい限りである。イデオロギーに基づく言葉は人間を操作対象と捉え、言葉を論理の道具に貶(おとし)める。特に最近はリベラルを装った左翼を見抜く眼が必要だ。

 戦争の功罪を説く文章にハッとした。移動が自由な現代からは、戦争を「新世界との交流」と捉えることが難しい。我々は「自分の眼」でしかものを見ることができない。山頂から山容を眺めることは不可能だ。逆もまた真なりで麓(ふもと)から彼方(かなた)は見えない。

 近代化は戦争によって成し遂げられたと言ってよい側面がある。イギリスで興った産業革命はフランス革命を経て国民国家による総力戦へと道を開いた。日本の義務教育は明治19年(1886年)に始まるが、これは国民皆兵を準備したものである。その後、日清戦争(1894-95年)・日露戦争(1904-05年)を経て一等国の仲間入りを果たす。特に日露戦争は人類史上初めて有色人種が白人を打ち負かした歴史で世界に衝撃を与えた。

 大濱は「玄関からではなく勝手口の視点」に立って歴史を見つめたいとの心情を冒頭で吐露している。生活の息遣いを見失った歴史解釈の不毛を突いた一言である。国家とは「他国が侵略してくれば戦争をしてでも国民を守る」コミュニティであろう。だからこそ国民は徴税と徴兵に応じるのだ。「戦争は悪」という価値観はあまりにも稚拙で子供じみている。

2020-03-30

勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す/『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦

 ・勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す

『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵(ぞう)す。
 勝った戦争にも敗(ま)けたかもしれない敗因が秘められている。敗けた戦争にも再思三考(さいしさんこう)すれば勝てたとの可能性もある。
 これを探求して発見することにこそ勝利の秘訣(ひけつ)がある。成功の鍵(かぎ)がある。行き詰まり打開の解答がある。これが歴史の要諦(ようてい)である。(まえがき)

【『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹〈こむろ・なおき〉(講談社、2000年/講談社+α文庫、2001年)以下同】

 21世紀の日中戦争はもはや時間の問題である。マーケットはチャイナウイルス・ショックの惨状を呈しており、4月に底を打ったとしても実体経済に及ぼす影響は計り知れない。既にアメリカでは資金ショートした企業が出た模様。既に東京オリンピックの延期が決定されたが、国民全員が納得せざるを得なくなるほど株価は下落することだろう。そして追い込まれた格好の中国が国内の民主化を抑え込む形で外に向かって暴発するに違いない。

 小室直樹は学問の人であった。自分の知識を惜し気(げ)もなく若い学生に与え、後進の育成に努めた。赤貧洗うが如き生活が長く続いた。あまりの不如意に胸を痛めた編集者が小室に本を書かせた。こうしてやっと人並みの生活を送れるようになった。日本という国には昔から有為な人材を活用できない欠点がある。小室がもっと長生きしたならば中国が目をつけたことと私は想像する。

 日本はアメリカの物量に敗(ま)けたのではない。たとえば、ミッドウェー海戦において、日本は物量的に圧倒的に優勢だった。それでも日本は敗けた。ソロモン消耗戦においても、アメリカの物量に圧倒されないで、勝つチャンスはいくらでもあった。
「勝機(しょうき/勝つチャンス)あれども飛機(ひき/飛行機)なし」などと、日本軍部は、勝てない理由を飛行機不足のせいにしたが、この当時、ソロモン海域(ウォーターズ)における日本の飛行機数はアメリカに比べて、必ずしもそれほど不足してはいなかった。
 アメリカの物量に敗けた。これは、敗戦責任を逃れるための軍部の口実にすぎない。
 あの戦争は、無謀な戦争だったのか、それとも無謀な戦争ではなかったのか。答えをひとことでいうと、やはり、あの戦争は無謀きわまりない戦争だった。
 しかし、無謀とは、小さな日本が巨大なアメリカに立ち向かったということではない。腐朽官僚(ロトン・ビューロクラシー)に支配されたまま、戦争という生死の冒険に突入したこと。それが無謀だったのである。
 明治に始まった日本の官僚制度は、時とともに制度疲労が進み、ついに腐朽(ふきゅう)して、機能しなくなった。軍事官僚制も例外ではない。いや、軍事官僚制こそが、腐朽して動きがとれなくなった。典型的なロトン・ビューロクラシーであった。
 そんな軍部のままに戦争に突入したのは、たしかに無謀だった。その意味で、あの戦争は「無謀」だったのである。

 大東亜戦争の敗因が腐朽官僚にあったとすれば、戦後の日本は「敗者敗因を重ねる」有り様になってはいないだろうか。特に税の不平等が極めつけである。官僚は省益のために働き、天下りを目指して働いている。巨大な白蟻といってよい。日本のエリートがエゴイズムに傾くのは教育に問題があるのだろう。やはり東大が癌だ。

 侍(さむらい)は官僚であった。語源の「侍(さぶら)ふ」は服従する意だ。責任を問われれば切腹を命じられた。個人的には主従の関係性を重んじるところに武士道の限界があると思う。主君が道に背けば大いに諌め、時に斬り捨てることがあってもいいだろう。

 日本は談合社会であり腐敗しやすい体質を抱えている。特に戦後長く続いた自民党の一党支配は政治家を堕落させた。金券腐敗は田中角栄の時代に極まった。そんな政治家に仕えている官僚が腐敗せずにいることは難しい。政官の後を追うように業も落ちぶれたのはバブル崩壊後のこと。日本からノブレス・オブリージュは消えた。

 国防を真剣に考えることのない国民によって国家は脆弱の度を増す。この国の国民は隣国からミサイルが飛んできても平和憲法にしがみついて安閑と過ごしている。日中戦争は必至と考えるが、負けるような気がしてきた。

2019-11-15

国際法成立の歴史/『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『ゲームチェンジの世界史』神野正史

 ・国際法成立の歴史
 ・無責任な戦争アレルギー

『「米中激突」の地政学』茂木誠
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

世界史の教科書
必読書リスト その四

 1856年、広州沖で海賊船アロー号が清朝官憲に拿捕されます。拘束された乗組員12名は中国人でしたが、イギリス領香港の船籍を示すため船尾に英国国旗ユニオン・ジャックを掲げていたのです。
 実はアロー号は船籍登録期限が過ぎており、ユニオン・ジャックを掲げること自体が違法だったのですが、清朝の官憲がこれを引きずり下ろしたとの報を受けたイギリスの広州知事パークスは、「英国国旗に対する侮辱である」として謝罪を要求。清朝側がこれを拒否すると、香港総督ボーリングは現地のイギリス艦隊を動員して広州一帯の砲台を占領します。
 首相となっていたパーマストン卿は本国から5000人を増派し、フランスも共同出兵しました。北京の外港である天津(てんしん)を占領した英・仏連合軍は、外国公使の北京常駐、賠償金の支払い、キリスト教の布教の自由などを認める天津条約を強要しました。大使・行使の相手国首都への常駐は、英・仏はもはや朝貢国ではなく、清朝と対等に扱われることを意味します。イギリスは、清朝をウェストファリア体制に引き込もうとしたのです。

【『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠〈もぎ・まこと〉(TAC出版、2019年)】

 国際法成立の歴史がよくわかる一冊。戦争といじめは人類の大好物であるがヒトという種が絶えてしまうことを防ぐ知恵が大きな戦争のたびに発揮されてきた。アロー号事件は第二次アヘン戦争に発展する。長らく愛国心を持つことを許されなかった我々は国旗の上げ下げが戦争の原因となり得る歴史をよくよく考える必要がある。朝貢国だった朝鮮はこうした歴史を知っていることだろう。その上で韓国人は日本国旗を切り裂き、燃やし、土足で踏みつけているのだ。彼らは戦争をしたがっている。そして日本が戦争できない事実を知悉している。少し前に日本人女性観光客が韓国で暴行された。挑発は限りなくエスカレートしてゆくことだろう。いつまで指をくわえて眺めているのだろうか。いつまで握り拳に力をこめながら「仕方がないさ」と冷笑しているのだろうか。国家の誇りを失えば国は必ず亡びる。

2016-07-18

必読書リスト その四


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『ニューステージ 世界史詳覧』浜島書店編集部編
『科学と宗教との闘争』ホワイト:森島恒雄訳
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳
『魔女狩り』森島恒雄
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『砂糖の世界史』川北稔
『歴史とは何か』E・H・カー
『歴史とはなにか』岡田英弘
『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔
『時計の社会史』角山榮
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『火縄銃から黒船まで 江戸時代技術史』奥村正二
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン
『お江戸でござる』杉浦日向子監修
『幕末外交と開国』加藤祐三
『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子
『逝きし世の面影』渡辺京二
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介
『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
『パール判事の日本無罪論』田中正明
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『二世兵士 激戦の記録 日系アメリカ人の第二次大戦』柳田由紀子
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『大東亜戦争肯定論』林房雄
『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
『昭和の精神史』竹山道雄
『西洋一神教の世界』竹山道雄:平川祐弘編
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代』竹山道雄:平川祐弘編
『みじかい命』竹山道雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『いま沖縄で起きている大変なこと』惠隆之介
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『近代の呪い』渡辺京二
『悪の論理 地政学とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『春宵十話』岡潔
『風蘭』岡潔
『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『日本人の身体』安田登
『左翼老人』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『「米中激突」の地政学』茂木誠
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄

2019-12-02

日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞/『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通

 ・日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞

『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 志賀直哉というたいへん高名であるが、そのじつ、たいへん愚かな老文士がいる。彼は日本が敗北した直後、「日本語は野蛮だからフランス語を国語にすべきである」と国会で述べた。いやしくも文筆をもって身を立ててきた人間でありながら、これほど軽蔑すべき人間はいないと私は今でも考えている。
「あれは一時の気の迷いだった」とあとで言ったそうだが、それは日本が復興してからのことである。
 このような輩が国家の指導的地位を占めるとき、その国は大戦略を誤まって敗北の戦(いくさ)をたたかう破目に落ちる。もし日本が勝っていたら、志賀直哉は「日本語は世界で一番すぐれた言葉だから、世界中の人間に強制し、全部日本語に変えるべきだ」と言ったに違いない。今も昔も、このような無節操なお調子者が国を誤まるのだ。
 戦争学といっても特別なものではなく、人間の本性をよく見きわめ、人間集団がいかに愚かな行為をくり返すものかという歴史の教訓を知ることにつきよう。

【『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1984年)以下同】

「小説の神様」と呼ばれた人物が日本語を捨てようとした事実を私は知らなかった。戦争という極限状況は人々の性根を炙(あぶ)り出した。生き延びようとする本能に急(せ)かされる時、論理は見過ごされ、過去は無視される。特に日本人の場合、いつまで経っても「お上には逆らえない」との意識が強く、敗戦後は天皇陛下からマッカーサーに乗り換えた人々も多かった。日本語に見切りをつけたのは志賀直哉だけではない。ローマ字表記にすべきだという意見も堂々と主張された。実に敗戦は惨めなものである。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、東京・日比谷で開かれた日露講和反対国民大会が暴動化した。暴徒と化した市民は、政府のロシアに対する弱腰を批判し、政府系新聞社、交番、馬車などを焼打ちしたのである。さらに、講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。
 このとき、もっとも無責任な講和反対論を掲げて世論に媚び、部数を増やしたのが、ほかならぬ朝日新聞だったことを、私どもはよくよく覚えておく必要がある。
 だが、時の首相・桂太郎は断固とした態度でこれに臨み、軍隊を出動させて民衆を鎮圧した。さらに、9月6日から11月29日のあいだ、東京に戒厳令を敷いてきびしい姿勢を示したのである。
 日本がなぜロシアと講和するのか、国民は真相を知らされていなかった。勝っているはずの日本である。なぜ徹底的にロシアを叩きのめさないのか。国民が不思議に感じ、政府が弱腰なのだと受けとめたのも、無理からぬところがあった。
 だが、日本政府のトップとしては、もうこれ以上ロシアと戦争を続けるだけの国力が残っていないことを、じゅうぶんに知っていた。だから、講和に踏み切ったのである。まさか国民に、もう弾が尽きはてたなどと真相を打ち明けるわけにはいかない。国家としての正しい選択を実行するために、桂首相はあえて涙をのんで、軍隊に民衆を鎮圧させたのである。
 朝日新聞の上層部は、このことを知らされていた。にもかかわらず部数を増やすため、世論を扇動した。まさに商業新聞の権化というにふさわしい。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介

 日比谷焼打事件は知っていたが朝日新聞のマッチポンプは知らなかった。かつては社会の木鐸(ぼくたく)と称した新聞だが、一度でも社会を正しくリードしたことはあったのだろうか? スクープ競争に明け暮れ、抜いた抜かれたの物差しだけで仕事をしている連中だ。特に朝日の場合、虚偽・捏造が代名詞になった感がある。

 全国紙の朝夕刊セット価格は月額4037円らしい(日経は4900円)。私が購読していた頃は2600円でそれから2800円に値上がりした。当時、主婦が気楽に支払える金額は3000円と言われており、3000円を超えると部数が減ることは避けられないと見られていた。消費税増税を推進する新聞社が何と自分たちには軽減税率を適用せよと署名まで集めた。結局、日刊の新聞にだけ適用され赤旗日曜版が狙い撃ちされる格好となった。聖教新聞はOKというわけだ。言っていることとやっていることが違う人間は社会で信用を得られない。販売店に不要な新聞を買わせる押し紙問題もクローズアップされた。

 ジャーナリズムといえば聞こえはいいが、映画に登場する新聞記者はただの野次馬である。ただただ問題を掻き回し、騒ぎ立て、センセーショナルな言葉を並べる。民主政にジャーナリズムは不可欠と言われるが、民主政を誤らせ続けてきたのもまたジャーナリズムであった。

 嘘を撒き散らす新聞を購読するくらいなら、毎月4000円で数冊の本を購入した方がはるかに賢明だ。

2014-08-29

軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り/『ものぐさ精神分析』岸田秀


宗教とは何か?

 ・唯幻論の衝撃
 ・吉田松陰の小児的な自己中心性
 ・明治政府そのものが外的自己と内的自己との妥協の産物
 ・軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り

『続 ものぐさ精神分析』岸田秀

 日本にペリー・ショックという精神外傷を与えて日本を精神分裂病質者にしたのも、日本を発狂に追いつめたのもアメリカであった。そのアメリカへの憎悪にはすさまじいものがあった。この憎悪は、単に鬼畜米英のスローガンによって惹き起こされたのではなく、100年の歴史をもつ憎悪であった。日米戦争によって、百年来はじめてこの憎悪の自由な発現が許された。開戦は内的自己を解放した。
 軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤りである。いくら忠君愛国と絶対服従の道徳を教えこまれていたとしても、国民の大半の意志に反することを一部の支配者が強制できるものではない。この戦争は国民の大半が支持した。と言ってわるければ、国民の大半がおのれ自身の内的自己に引きずられて同意した戦争であった。軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう。

【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)】

 特定の思想・信条・宗教を持つ者は必読のこと。岸田唯幻論に価値観を揺さぶられるのは確実だ。吉本隆明が『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)で国家というシステムは共同幻想であると説いたが、岸田は価値観そのものを幻想と捉えている。

 抑圧された感情は消えることがない。意識から無意識へと追いやられても超自我となって自我に影響を及ぼす。

 黒船来航を「強姦」と表現したのは司馬遼太郎であった(『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー:トレヴィル、1986年)。そこから太平洋戦争敗北に至るまでの日本を一人の人格と見なして岸田は精神分析を試みた。

 黒船来航(1853年)から88年後に太平洋戦争(1941年)が始まった。1945年の東京大空襲と原爆投下は日本人のメンタリティをずたずたにした。東京裁判を経て戦後教育が自虐史観を植えつけても抑圧された感情は消えることがない。そして今まさに日本国民は歩調を揃えるようにして右方向へ歩みつつある。

 何事においても責任を自分の外部に求めることは、その容易さゆえに自分を変革することがない。

ものぐさ精神分析 (中公文庫)続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2014-03-16

戦後民主主義は民主主義に非ず/『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹

 ・戦後民主主義は民主主義に非ず

『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

 戦後民主主義は、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された。この尖鋭な矛盾が、「民主主義」の実質をその正反対のものに転化させた。これを「虚妄(きょもう)の民主主義」と称した人がいたが、「虚妄」などの生易(なまやさ)しいものではない。似而非(えせ)民主主義でもない。少しも似ていないからである。
 もっと悪いことに、日本人は少しも、この民主主義が、その正反対のものになりはてたことに気付いていないのである。また、「民主政治」最悪の衆愚政治に堕落したことを痛感していないのである。
 そのために、「平等」「自由」「人権」「議会」などの意味がとんでもなく誤解され、この誤解が教育の無間地獄をつうじて、おそろしい惨禍(さんか/わざわい)をまきちらしているのである。
 たとえば、「平等」の誤解は、「どの生徒にも同じことをさせる」という結果を生み、受験戦争を最終戦争にした。知的エリートを根絶させ、優者の責任(ノーブレス・オブリージュ)を埋没させて無責任体制を完成させた。「自由」の誤解は、権威と規範を失わせ若者を本能のままに放置する放埒(ほうらつ)となった。「人権」の誤解が殺人少年をのさばらせている。「議会」の誤解が、政治家を役人の傀儡(かいらい)にしている。
 民主主義教育の惨禍(さんか)は、新左翼の無目的殺人、カルト教団の無差別殺人と、とめどもなくエスカレートしていったが、ついに日本の舵(かじ)取りたる官僚制の究極的腐朽(ふきゅう)にいたった。この惨禍を激化しているのが凶悪犯罪の低年齢化である。
 今の日本にとっての急務(イマージェンシー)は、民主主義の真の理解である。

【『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹(青春出版社、1997年)以下同】

「架空デモクラシーは日本を廃人国家へと導く!」との帯が目を惹く。小室直樹の原論シリーズにはハズレがない。合理的かつ科学的である。

 私は民主制を信じていない上、悪しき制度であると考えている。そもそも「民主主義」という言葉自体が誤訳であろう。デモクラシーに「イズム」は付いていないのだから。住民自治程度の単位であれば民主制で構わないと思う。

 一応、選挙の投票と義務教育の学級会やホームルームで行われているのが民主制である。その他ではお目にかかったことがない。ただし民主制とはいえ、自由意志で投票判断することは考えにくい。業界団体や職場、あるいは教団の指示に従って投票しているだけのことだ。学校ではやはり友人の視線を気に掛けながら賛否を決めることだろう。コミュニティとは利益を共有する共同体であるため損得が優先される。政(まつりごと)はもともと祭り事であった。村から追い出されてしまえば祭りに参加することは不可能だ。村八分。

 民主とは名ばかりで、かつて私が主(あるじ)になったのは小学校4~6年生で学級代表を務めた時だけだ(笑)。そう。主には権力が必要なのだ。憲法すら形骸化するこの国で民が主となれるわけがない。

「民主主義」(デモクラシー)は、プラトン、アリストテレスの昔からずっとマイナス・イメージであった。それが、ウイルソン米大統領による第一次世界大戦における対独宣戦布告文にある「この世界をしてデモクラシーが住みよい所にするために」という宣言から、俄然(がぜん)プラス・イメージに転じたのであった。

 デモクラシーを鼓吹した連中も殆どが貴族制を支持していた(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。

 民主主義が華々しい服装で登場したのは20世紀になってからとは知らなかった。以下のページが参考になる。

『民主主義』(8) デモクラシーと進歩主義|Generalstab

 ただしアメリカの説く民主制はアメリカ独自のものでアメリカン・デモクラシーといってよい。学問的にも分けて考えられている。それも当然だ。インディアンを大量虐殺し、黒人奴隷を保有していた連中が説く「民主」なんて誰も信じないに決まっている。

 民主制が群衆の叡智(集合知は群衆の叡智に非ず/『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)を意味するなら、議会制を廃止してその都度インターネット国民投票で決めればよいことだ。運営コストも格段に安くなることだろう。

 私は政党政治にも嫌悪感を抱いている。党議拘束で所属議員を縛りつける政党が国民を縛るのは当然であろう。

 議論が成立する人数はどの程度であろうか? 私は20~30人くらいだと思う。だから政治家の数もその程度でよいのではないか? で、参議院は少し人数を増やして50人にすればよい。政党は廃止。賢人会議のようにする。議会はカメラが入り放題。議員は人口構成の世代別に準じて選別する。更に政治家は官僚の人事権を完全に掌握する。このくらいやらないと日本はまともな独立国になれない。官僚ファシズムは権力者の顔が見えない。そこが恐ろしい。

悪の民主主義―民主主義原論
小室 直樹
青春出版社
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2018-11-21

従軍慰安婦は破格の高給だった/『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹

 ・いわゆる従軍慰安婦問題を焚き付けた朝日ジャーナル
 ・従軍慰安婦は破格の高給だった
 ・伊藤博文の慧眼~憲法と天皇

『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 近年の歴代内閣がやってきたことはただ一つ、「謝罪外交」であった。政治はすべて官僚の言いなり。周辺国のご機嫌(きげん)を伺(うかが)いながら、平身低頭ひたすら政権の維持だけに努めてきた。
 鳩山由紀夫(はとやまゆきお)、邦夫(くにお)兄弟、菅直人(かんなおと/元厚相)らが平成8年の秋に発足させた新党「民主党」に至っては、元従軍慰安婦への深い反省と謝罪を党の基本政策として掲げている。彼らが基本政策の第一として掲げる「民主党の歴史認識」とは、以下のとおりである。
「日本社会は何よりも、アジアの人々に対する植民地支配と侵略戦争に対する明瞭な責任を果たさずに今日を迎えている。21世紀に向け、アジアと世界の人々の信頼を取り戻すため、アジアの国々の多様な歴史を認識することを基本に、過去の戦争によって引き起こされた元従軍慰安婦などの問題に対する深い反省と謝罪を明確にする」
 いったい、彼らは「謝罪」の意味が分かっているのだろうか。

【『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹〈こむろ・なおき〉(クレスト社、1996年ワック出版、2005年/WAC BUNKO、2018年)以下同】

 これまた自分の不明を恥じるばかりである。鳩山兄弟は鳩山一郎の孫である。敗戦から1ヶ月後の9月15日付朝日新聞は鳩山一郎の「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」という談話を掲載した。更に17日付で米兵の犯罪を批判する記事を載せた。これがGHQの逆鱗に触れ、朝日新聞は48時間の発行停止処分を受ける。これ以降、朝日新聞はGHQに額(ぬか)づく言論機関に成り下がった。鳩山は間もなく首相になる身でありながら公職追放となる。その鳩山の孫が東京裁判史観に毒されているのだから空いた口が塞がらない。

 本論に先立って、従軍慰安婦問題などの教科書問題がマスコミに現われ、決着がつけられるときのパターンを見ておこう。

 そのパターンとは――。
 反日的日本人が騒ぐ→マスコミが騒ぎを拡大する→これを奇貨(きか)として外国が干渉してくる→日本政府が内政干渉に屈する
 いつでもいつも、このパターンになって、定着してしまったのである。パターンが定着し、模型化したことだけ見ても、裏には必ず計画性のあることが見えてくるであろう。
 いくら戦慄しても足りないほどの恐ろしいことは、これが、「反日史観が新たに製造され人々に定着するプロセス」(藤岡信勝「反日史観はこうしてつくられる」――『サンサーラ』平成8年11月号)だからである。

 これは武田邦彦も常に指摘している。売国奴ならぬ亡国奴といってよい。反天皇制を正面から説くのではなく、裏から手を回して体制転覆を目論む左翼的な謀略である。




 貧富の差が激しいとどうなるか。自発的に「慰安婦」になる人びとが出現する。当時、売春は合法であったし、「慰安婦」は儲かる商売だった。『関東軍女子特殊軍属服務規程』によると、「女子特殊軍属」すなわち慰安婦の月給は、信じがたいことに800円であった。当時の巡査の初任給が45円、陸海軍の大将の月給が550円だから、破格の高給である。3年間、働けば、警察官が一生働いても買えない家が60軒近くも買えた(当時、500円あれば家が買えた)。

 無論、慰安婦が一律に高給取りだったとは思わないが、それでも性奴隷(セックス・スレイブ)でなかったことは明らかだろう。朝鮮半島にはキーセンという芸者のような文化もあった。

 それにしても70年以上も昔の戦争犯罪を糾弾されてオロオロする政府は日本以外に存在するのだろうか? イギリスが旧植民に謝罪したことは一度もない。アメリカに至っては原爆投下も謝っていないし、ベトナム戦争についても同様だ。日本と同じく第二次世界大戦で敗れたドイツは全てをナチスのせいにして国民の罪は棚上げしている。

 日本に対する歴史戦の手引きをする左翼勢力は国家反逆罪で裁くべきだろう。

2022-01-31

砕氷船テーゼ/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 米国は先に述べたように、日本と蔣介石麾下(きか)の国民政府軍とを戦わせて泥沼化させ、日本の疲弊(ひへい)を待ってから、日米戦を挑発(ちょうはつ)したのであるが、一方、毛沢東主席の方も、廷安に追いつめられ、国民政府軍に完全に包囲され、あと一歩で国外(ソ連へ)亡命の寸前まで追いつめられながら、張学良の起こした西安事件によって、「国共合作して対日抗戦をやろう」という方向へ大勢を転換させることに成功した、「したたかな悪党」である。
 毛沢東が考えたことは「まず、蔣介石軍は日本軍に叩きつぶさせよ。中共軍は背後にかくれていて、決して日本軍の正面に出て戦ってはならぬ。勢力を温存しておくためである。そして、蔣介石軍の精鋭が壊滅したあと、日本軍を叩きつぶす役目は米国にやらせよう。そのためには、日本国内の仮装マルキストと共謀して、日米決戦を大声で呼号させよ。日本が支那大陸に大軍を残したまま、米国との戦争に入れば、海洋と大陸の両面作戦となり、疲弊した日本は必ず敗北するであろう。日本が敗北したあと、日本の荒らしまわった跡は、そっくり、われわれの手にいただくのだ」という大謀略であった。
 この戦略は「砕氷船テーゼ」とよばれる地政学の最も邪悪なテーゼであり、レーニン、もしくはスターリンが提起したものといわれているが、ソ連内部の密教については、明確にされていないものが多いので、文献として明示できないのは残念である。スターリンも、この砕氷船テーゼを採用して、次のように考えていたといえる。
 ドイツと日本を砕氷船に仕立てあげよ。ドイツがソ連へ攻めこんでこないよう、ドイツをフランス、英国の方向へ西進させよ。ヨーロッパ共産党はナチス・ドイツヘの非難を中止して、ドイツと英仏の開戦を促進させよ。また、日本が満州を固め、蔣介石と和解して、シベリアヘ北進してこないよう、日本と中華民国との間に戦争を誘発させよ。中国共産党は国民党内部に働きかけて対日抗戦論を煽(あお)れ。日本の共産主義者は偽装転向して右翼やファシショの仮面をかぶり、軍部に接近して、「暴支膺懲」「蔣介石討つべし」の対中国強硬論を煽れ。
 日本が中華民国との戦闘行為に入ったら、できるだけ、これを長期化させるように仕向けよ。そのためには「長期戦論」「百年戦争論」を超愛国主義的論調で煽れ。日本と国民政府との和平工作は、あらゆる方法で妨害せよ。そして、長期戦によって疲弊した日本を対米戦に駆り立て、「米英討つべし」の強硬論を右翼の仮面をかぶって呼号せよ。
 日独が疲れた頃を見はからって米国を参戦させよ。米国の力をかりて、ドイツと日本を叩きつぶしたあと、ドイツと日本が荒らしまわったあとは、そっくり、ソ連の掌中のものになるであろう。
 大体、以上のようなものであったと推測されている。つまり、「共産主義者は自ら砕氷船の役目を演じて、氷原に突進し、これを破粋するためエネルギーを浪費するような愚かな真似をしてはならない。砕氷船の役割はアナーキストや、日本、ドイツのような国にまかせるように仕組み、われわれはその背後からついて行けばよい。そして、氷原を突破した瞬問、困難な作業で疲労している砕氷船を背後から撃沈して、われわれが先頭に立てばよいのだ」という狡猾(こうかつ)な戦略である。ロシア革命の前夜においても、アナーキストが砕氷船の役割を演じたが、十月革命後、アナーキストはことごとくレーニンの党によって処刑され消されてしまった。
 第二次大戦では日本とドイツが砕氷船の役割を、まんまと演じさせられ、日独の両砕氷船が沈没したあとを、ソ連と毛沢東の中国と米国の三者が、うまく分け前をとり合ったわけである。ゾルゲ尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は、日本を砕氷船に仕立てるために多大の功績を残したソ連のエージェントであった。
 尾崎秀実が対中国強硬論の第一人者であったこと、対米開戦を最も強く叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣伝がおこなわれている。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)】

砕氷船理論 - Wikipedia
敗戦革命 - 砕氷船テーゼ
砕氷船のテーゼ ~ 日本共産党が「アメリカ反対」な理由 - 親子チョコ

 外国からの侵略を経験したことがない日本は謀略に弱い。その意味では反植民地状態にあった明治外交の方が現在よりもはるかに強(したた)かであった。政治家に「国家的危機意識」があった。その後、大正デモクラシー~政党政治を経て日本の民主政は五・一五事件に至る。すなわち政党政治の行き詰まりから国民は軍部を支持したのである。これを軍部による独裁と見ると歴史を誤る。

 大正デモクラシーと同時期に起こったのがロシア革命(1917年/大正6年)であった。大正デモクラシーは社会主義的な色彩の濃い民主政であった。個人の権利よりも、平等な社会制度の構築を目指した。ここに共産主義が付け入る余地があった。

 それにしても頭がいい。砕氷船テーゼを考案したのは多分ユダヤ人だろう。ソ連建国の主要メンバーも殆どがユダヤ人であった。ヨーロッパの地で迫害や虐殺をくぐり抜けてきた彼らの知恵は英知と狡猾の幅を有する。

 砕氷船を砕氷船たらしめるために第五列(スパイ)を送り込むのだ。何と用意周到なことか。しかも描く絵の構図が大きい。その壮大さに心惹かれてシンパシーを抱く者すら存在したことだろう。優れた論理や明るい理想には人の心をつかんで離さない力がある。

 そしてあろうことかソ連が崩壊しても尚、第五列は生き続けているのだ。彼らは口々に平和を説き、人権を語り、平等を訴えながらポリティカル・コレクトネスを吹聴する。そして70年以上を経ても尚、日本軍の戦争犯罪を声高に糾弾し、中国・韓国を利する言論活動を至るところで行う。

 この思想の力はあまりにも強靭だ。既にコミンテルンが存在しないにも関わらず自律運動が継続されているのだ。共産党はなくなっていないし、旧社会党勢力は立憲民主党で生き延びている。学術の世界は今でもほぼ真っ赤な色を維持している。また政権与党の公明党が完全な親中勢力の一翼を担っており、支持母体の創価学会は中国による不動産売買に手を貸しているとも伝えられる。

 沖縄と北海道は籠絡(ろうらく)寸前の状況といってよい。どこかで国民の人気を集めた強権的な政権が誕生しない限り、中国の侵略を防ぐことはできないだろう。

 一朝事ある時には、防衛ではなく満州を取りにゆく覚悟で臨むべきだ。

2018-10-06

「空気」と「事実」/『日本教の社会学』小室直樹、山本七平


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・「空気」と「事実」

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

必読書リスト その四

山本●つまり、「空気」をつぶす方法というのは一つしかないんです。事実を事実としていうことです。重要なことは、「空気」が規範化されればドグマになるというような前提のもとでいえば、ある場合には事実をいうことが日本教の背教になる。

小室●そこに「空気」の恐ろしさがある。また「事実」と「実情」との連関でいえば、実情というのは「空気」を通してみた事実でなければならないのであって、生(なま)の事実をいったら背教です。

(中略)

小室●ですから、日本人の嘘つきの定義と、欧米人の嘘つきの定義は全然違う。欧米では事実と違うことをいう人が嘘つき。日本でなら「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことをいっても嘘つきとはいわれない。これが、日本人が欧米人に誤解される大きなポイント。

【『日本教の社会学』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年学研、1985年/ビジネス社、2016年)】

「日本教」は山本七平の造語で、「空気」もまた山本が息を吹き込んだキーワードである(『「空気」の研究』1997年)。

 私は長らく山本七平を嫌悪していた。10代後半で本多勝一を読んだためだ。1980年代といえばまだまだ左翼が猛威を振るっていた頃である。『貧困なる精神』で「菊池寛賞を返す」(『潮』1982年1月号)を読んだ時は「これぞ男の生き方だ」と友人のシンマチにも無理矢理読ませたほどだ。その後、私は『週刊金曜日』を創刊号から購読し、首までどっぷりと戦後教育の毒に浸かりながらいつしか50歳となっていた。四十で惑いの中にいた私が五十で天命を知る由(よし)もない。

 少しばかり変わったのは3.11の震災後、天皇陛下に対する敬愛の念が深まったことである。道産子で皇室に関心を抱く人は少ない。日教組が強いこともあって国歌を歌う機会もほぼ無い。不敬を恐れず申し上げれば、かつての私にとっては先進国の国家元首よりも影の薄い存在だった。それがどうだ。国民へのメッセージを読み上げる陛下のお姿を拝見した途端、心の底から日本人の魂が噴き出した。それは噴火といってもよい激情だった。

 自虐史観に気づいたのはつい4年前のことだ。菅沼光弘の著作が私の迷妄を打ち破った。それから山本七平も読むようになったのだが文章が馴染めず読了できない。文体が粘ついていて虫唾が走る。その点、対談なら読みやすい。

「空気を読めよ」という言葉は漫才ブーム(1980年)の頃に出てきたと記憶する。その後2000年代になって「KY」として復活した時、吃驚仰天した覚えがある。「その場の空気」には脈絡があり、共有される感情が流れている。日本人にとってはそこに「合わせる」のが一種の礼儀と見なされる。

「事実を事実としていうこと」を山本は「水を差す」との一言で表す。確かに「それを言っちゃあおしまいよ」という発言を我々は極度に恐れる。やはり日本人は論理よりも情緒を重んじるためなのか。

 会社の会議であればまだしも、戦争の決定すら空気が支配していたという。日本は外交において「信義を貫けば相手も応える」と思い込んでいて、特にヨーロッパ諸国の権謀術数に振り回された。平沼騏一郎首相は「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」との談話を発表し内閣は総辞職した(1939年)。

 戦前の日本はヒトラーを礼賛する声が多かった。極東という地理的要因も疎外感を生んだのかもしれない。日本の宿敵ソ連と手を組むとは何事かという思いは理解できる。今となってはあまりにもウブな外交認識が嘲笑の的となっているがあながち的外れでもなかった。内閣総辞職からひと月も経たぬうちにドイツとソ連はポーランドを侵攻した。ソ連はポーランドの将校・官僚・聖職者・大学教授を収容所へ送り、半年後に4000人以上を殺戮した。カティンの森事件(1940年)である。ソ連を攻めたドイツが遺体を発見したが、あろうことかソ連は「ドイツによる虐殺だ」として戦後のニュルンベルク裁判でもこれを告発した。戦争に敗れたドイツは強く抗弁することができなかった。ナチスの暗号を解読していたイギリスは真実を知りながらも沈黙を保った。戦勝国としてソ連の嘘に加担したわけである。ソ連が自らの蛮行を認めたのは何と1990年になってからのことである。

 話を戻そう。日本人の言論空間が「空気」に支配されているのであれば、「空気」を薄める努力をするべきだ。「空気」は抑圧として働くので自由な発言が損なわれる。地域活性の鍵を握るのは「若者、馬鹿者、よそ者」と言われるが、固定観念に囚われない人、既成の枠に収まらない人、今までのやり方を知らない人を巧く配置することが望ましい。

 要はリーダーが何でも話し合える雰囲気を作れるかどうかに掛かっている。「場を弁えろ」などという居丈高な姿勢であれば決まりきった結論しか出ない。

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2015-12-09

真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた真相/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八


『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『國破れて マッカーサー』西鋭夫

 ・黒船の強味
 ・真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた真相

『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八

日本の近代史を学ぶ

Q●宣戦布告を定めた国際法はどのようなものでしたか。

A●「開戦に関する条約」といい、日本の代表は1907年10月18日に、オランダのハーグ会議の場で署名をした。欧州の主だった国々の間で効力を発生したのは、1910年1月26日からである(これ以前は、まだどの国も義務を負わされない)。日本は、1911年12月13日に批准書を寄託し、日本に関しては、条約の効力は、1912年2月11日から発生した。それに先立つ1912年1月13日に、政府が日本国民に向けて公布している。
 条約が国際法として有効になるためには、出席した代表者のサイン(調印)だけではだめで、本国の国会の批准が必要である。アメリカ合衆国であれば、連邦議会上院の外交委員会で審議の上、上院が批准する。日本でも、貴族院や枢密院が反対すれば、批准はできないようになっていた。
「開戦に関する条約」は、「戦争は予告なくして之を開始せざるべし。また、戦争状態は遅滞なく之を中立国に通告すべし」と謳(うた)い、これが主な趣意である。

【『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉以下同】

 1907年は明治40年。1912年は明治45年で7月30日以降は大正元年となる。19世紀末、多くの国々が普仏戦争(1870-71年)に勝ったドイツ軍の動員奇襲に学ぶべくドイツ軍人を招聘(しょうへい)した。日本陸軍はメッケルを教官として受け入れた。本書はQ&Aの体裁となっているが、陸軍参謀の兒玉源太郎が動員奇襲によってロシアを防ぎ、満州国を最初に発想し、それが後に不良資産となってゆく様を詳述する。

 兵藤は真珠湾奇襲を「卑劣」と断じている。日米開戦の情況について再確認しておこう。

 アメリカ東部時間午後2時20分(ハワイ時間午前8時50分)野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」を手交する。日本は「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」を発して、米国と英国に宣戦を布告した。この文書は、本来なら攻撃開始の30分前にアメリカ政府へ手交する予定であったのだが、駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官らが翻訳およびタイピングの準備に手間取り、結果的にアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後となってしまった。そのため「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」と、アメリカから批判を受ける事となった。

Wikipedia

 事務上の責任が問われる井口・奥村の罪は切腹ものだ、と指摘する声も少なくない。ところが実際はこの二人、戦後になって重用(ちょうよう)されているのである。対米覚書の手交が遅れた模様については、以下の説明が一般的だ。

【外務省の本性】“日米開戦”という国難において『自国破壊行為』を行った2名の在米キャリア外交官はどう処分されたか

 ところが2012年に新事実が判明する。

真珠湾攻撃の通告遅れ 大使館の怠慢説に反証/通信記録を九大教授発見 外務省の故意か

 1941年12月8日の日米開戦をめぐる新事実が明らかになった。最後通告の手直しが遅れ、米国に「だまし討ち」と非難された問題で、修正を指示する日本から大使館への電報が半日以上を経て発信されていたことを示す傍受記録が米国で見つかった。これまで不明だった発信時刻が判明。「在ワシントン大使館の職務怠慢による遅れ」とする通説に一石を投じそうだ。

 米メリーランド州にある米国立公文書記録管理局で9月末、記録を発見したのは九州大学の三輪宗弘教授。外務省が東京中央電信局からワシントンの大使館に向けた電報の発信時刻や、米海軍がそれを傍受した時刻などを記録した資料だ。
 開戦直前に外務省が大使館に送った公電は901号に始まり、911号まである。中核となる電報は902号で、米政府が戦争回避のための条件を日本に突きつけた文書、いわゆるハル・ノートに対し、これ以上の交渉を打ち切るとした覚書がその中身である。それ以外の電報は、誤字訂正や暗号解読機の破壊を命じた訓電などだ。

■誤字など175カ所

 902号電報は長文のため14部に分かれ、第1部から第13部までほぼ予定通りの時刻に発信された。しかし、12月7日午前1時(日本時間)までに発信するはずの14部は15時間以上遅延した。

 しかも902号電報には多くの誤字脱字があり、外務省は175カ所に及ぶ誤字などの訂正を903号、906号の2通に分けて大使館に送信した。
 外務省は戦後に、この2通の原本を紛失したとして、発信時刻に関して謎が残ったままだったが、三輪教授が今回の調査で2通の発信時刻を突き止めた。前に送った電報に誤りなどがあれば直ちに訂正電報を打つのが通例だが、調査結果によって、2通の発信時刻は前の電報(902号第13部)から十数時間後と大幅に時間がたっていることがわかった。

 当時は文書の清書にタイプライターを使っていた。ワープロと違って、字句の修正や挿入、削除があると最初から打ち直さなければならない。つまり訂正電報が届かない限り、大使館は通告文書を清書できないが、この2通の遅れが、最終的に米政府に通告文書を手交する時刻が遅れる大きな要因となった。

 なぜ2通は遅れたのか。訂正電報2通の発見は、通告遅延の真相解明に大きな意味を持つが、三輪教授は「発信の大幅遅れは、陸軍参謀本部のみならず外務省も関与していたことを示す証拠」と語り、外務省が故意に電報を遅延させた可能性が高いという。

 元外務官僚で退官後に東海大学などで近現代史を教えた井口武夫氏は、こうした問題を長年にわたり追究、戦後の極東軍事裁判での証言、関係者の手記などを基に902号第14部の遅延は陸軍参謀本部が関与、これに外務省が協力した結果と推定している。今回、見つかった新資料はそれを補完するものとなる。

 米国の通信会社が、日本からの暗号化したこれら電報を大使館に届けたのは7日午前9時前後(米国東部時間)とみられ、大使館が暗号を解読してタイプで清書、コーデル・ハル国務長官の手に渡ったのは真珠湾攻撃が始まった後の7日午後2時20分(同)だった。

 遅くとも真珠湾攻撃の30分前と設定していた最後通告が攻撃の後になったのは、大使館の怠慢によるとされてきた。米国で客死した大佐の葬儀に大使が参列しミサが長引いたほか、届かない公電を待ちくたびれて帰宅、翌朝になって出勤したため、米政府に手交する通告文書作成が遅延したというものだ。
 が、井口氏はそれを否定。「真実を歪曲(わいきょく)した開戦物語が一人歩きして国民に誤った印象を与えている」と指摘する。

■奇襲成功“支援”

 近年の研究によって様々な事実も明らかになっている。開戦直前の緊迫した状況だったにもかかわらず、大使館宛てのこれらの訓電の「至急」の指定が取り消され、「大至急」を「至急」に引き下げたものがあった。
 また、大佐の葬儀も、遅延には無関係だったことが長崎純心大学の塩崎弘明教授の研究によって明らかになった。
 さらに今回とは別に、三輪教授は国立公文書館で「A級裁判参考資料 真珠湾攻撃と日米交渉打切り通告との関係」を発見している。通告文の遅れを在米大使館に責任転嫁するとした弁護方針を記した資料だ。目的は東郷茂徳外相が重い罰を科されないようにするためとされる。
 今回の資料発見について、塩崎教授は「真珠湾の奇襲を成功させるため意図的に電報を遅らせたことがこれで明らかになった。打電時間についての新資料自体は細かなことだが、正確な歴史認識を得るためには、こうした史実を丁寧に掘り起こしていく必要がある」と語る。
 また、東京大学の渡辺昭夫名誉教授は「通告の前に攻撃が始まったという問題の本質は(新資料によっても)変わらないと思うが、隠されていた事実を明らかにし、政策決定における問題を追究するのは学問的に意味がある」と評している。

【日本経済新聞 2012年12月8日付】

 わかりにくい。実にわかりにくい。ストンと腑に落ちるものが一つもない。

 一方では、「宣戦布告の有無など大した問題ではない」「アメリカはベトナムやイラクに宣戦布告していない」との意見も多い。ただし、ベトナムやイラクは軍事制裁であって戦争ではないとの声もある。そもそも「開戦に関する条約」は日露戦争に由来する。日本が宣戦布告なしで戦闘に突入したことを問題視したわけだ(宣戦布告の歴史については「宣戦布告とは何か」を参照せよ)。

 更に二つある。「日本の暗号をアメリカはとっくに解読していたのだから、真珠湾攻撃は事前に知っていたはずだ」との指摘が一つ(真珠湾攻撃陰謀説)。そして「支那事変においてアメリカはフライング・タイガース(アメリカ合衆国義勇軍との位置づけ)を派遣して国民党を支援した時点において日米は戦闘状態に入った」とする説である。

 どの指摘ももっともらしく聞こえる。が、すっきりしない。兵藤は「日本が意図的に遅らせた」と言い切る。

Q●1941年12月の対米開戦前に、野村吉三郎大使がすでに2月からワシントンに赴任していたのに、11月になって、あとからもう一人、来栖大使を二重にアメリカへ送り込んだのは、なぜなのですか? 来栖大使を送って野村大使を呼び戻すというのならばともかく、野村大使はそのまま残り続けて、駐米の特命全権大使が二人も居ることになってしまった。しかも、日米交渉の打ち切りの通告は、元から居た野村大使が、アメリカの外務大臣であるハル国務長官に手交していますよね。だったら来栖大使は、何をしに来ていたのか? これを説明してくれる参考書がみつかりません。

A●二人の大使の帯びていた任務が180度サカサマであったと考えれば、得心がしやすいだろう。簡単に言えば、野村大使の使命は、赴任の最初から、来た(ママ)るべき対米開戦通告をできるだけ遅らせることにしかなかった。つまり米国海軍を奇襲することしか頭にない帝国海軍の利害の、暗黙の代理人だった。それに対して、外務省のプロ外交官である来栖大使は、〈昭和天皇の避戦の意向を、東条内閣としては大いに尊重し、このように動いておりますから〉という、いわば昭和天皇を騙すための芝居をさせられたのだ。
 対米開戦のプログラムはすでに9月から走り始めていて、11月ではもう誰にも止めようがない。来栖大使の派遣は、東条の天皇に対するポーズに過ぎなかっただろう。
 もちろん外務省は、子飼いの来栖の方を重く用いたかったろう。しかし、帝国海軍(海軍省、軍令部、連合艦隊)は、野村を無理に使わせ続けた。
 野村大使は元海軍大将だ。(中略)
 野村にしかできぬと大いに期待された仕事とは、日本海軍の秘密の願望――つまり開戦通告を遅らせて、いざというときに以心伝心で大使館業務のサボタージュ(もし開戦通告が実際の攻撃開始時刻よりも前すぎるなと思われた場合は、それを独断で攻撃開始直後まで遅らせてしまう)をやってのけることだったろう。
 日本外務省としても、外交官出身ではない野村などを駐米大使に発令されるのは、初めから面白くはなかった。大いに不満だったのだが、明治いらい(ママ)、日本外務省は、帝国陸海軍の奇襲開戦に奉仕するのが秘密の使命になっていたので、さいしょから米国に奇襲開戦する意欲に燃えていた海軍省からの露骨な人事要求を呑んでいたまでだ。

 ヘッケルから教わったプロシア式動員奇襲の伝統から日本軍は抜け出すことができなかった。真相はやはり「真珠湾奇襲」であったのだろう。

 確かに真珠湾奇襲は卑劣な行為であった。だが戦争行為そのものが罪とされるわけではない。ナチス・ドイツが第二次世界大戦において殆どの戦争において宣戦布告をしていないにもかかわらず、なぜ真珠湾だけが特筆されるのか? それはアメリカの開戦理由による。フランクリン・ルーズベルトは「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約して大統領になった。だが彼はイギリスがナチス・ドイツに苦戦するのを見て、参戦せずにはいられなかった。アメリカは世論の国である。大統領といえどもこれを無視することはできない。そこでエネルギーや資源の乏しい日本を禁輸で締め上げ、暴発する瞬間を待った。ルーズベルトは真珠湾奇襲を神に感謝したことだろう。モンロー主義を堅持してきたアメリカの世論は完全に引っくり返った。

 近代日本の迷走は明治維新に始まり大東亜戦争で頂点に至り、敗戦以降、東京裁判史観に覆われた挙げ句に国家観を見失った。奇襲は卑劣な行為であったとしても、戦争行為そのものが卑劣とされるわけではない。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」(クラウゼヴィッツ)。国家には戦争をする権利があるのだ。戦後教育は戦争=悪という図式を児童に刷り込んだ。そんな国民が安全保障や憲法改正を正しく考えることなど不可能だろう。

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2015-02-09

比類なき言葉のセンス/『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳


『われら』ザミャーチン:川端香男里訳

 ・比類なき言葉のセンス

『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、〈中央ロンドン孵化・条件づけセンター〉の文字と、盾形紋章に記した世界国家のモットー、“共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)”。

【『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫、2013年/『みごとな新世界』渡邉二三郎訳、改造社、1933年/「すばらしい新世界」松村達雄訳、『世界SF全集』第10巻、早川書房、1968年/『すばらしい新世界』 高畠文夫訳、角川文庫、1971年)】

 一昨年初めて読んで、昨年再読。二度目の方が堪能できた。回数を経るごとに新しい発見がある。本物の作品とはそういうものだ。

 原著が刊行されたのは1932年。つまり第一次世界大戦(1914-18年)と第二次世界大戦(1939-45年)の間に生まれたわけだ。佐藤優が「二つの世界大戦を区別せずに『20世紀の31年戦争』と呼んだ方が正確かもしれない」(『サバイバル宗教論』)と指摘しているが、そう考えると「大戦の中で生まれた」とすることもできよう。

 人類は群れることで環境に適応した。思いやりも本能であり(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)、利他的行動は種の保存を目的にしていると考えてよい(「なわばりから群れへ」を参照せよ)。

 群れ=社会には秩序と管理が不可欠だ。では、人類がひとつにまとまり、完全に管理された社会が出現したらどうなるか? それを描いたのが本書である。出産、教育から個人の快楽までもが完璧に管理された社会だ。

 21世紀に入り、パックス・アメリカーナに基づくグローバリズムが叫ばれるようになった。世界国家が実現した「すばらしい新世界」は文化や民族性を排除した無機質な世界であった。その対比として「悪しき野蛮人世界」が描かれる。インディアンを野蛮人としたのは差別主義からではなく、ハクスリーのスピリチュアリズムによるものであろう。

 骨太のストーリーを比類なき言葉のセンスが支える。そしてコピーやフレーズに深い知性の裏づけがある。

 クリシュナムルティに書くことを促したのはハクスリーその人であった(1942年)。ハクスリー本人はその後、神秘主義に傾くが、「条件づけセンター」という名称にはクリシュナムルティの影響があったのかもしれない。

 何度か挫けている松村達雄訳も読んでみようと思う。



邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ
自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること/『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ

2014-03-10

古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた/『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた

『日本人のための憲法原論』小室直樹

 近代数学はギリシャに始まった。ギリシャの優れた論理学と結びついたからである。ギリシャの論理学は、アリストテレス形式論理学に結実した。しかし、完璧(かんぺき)な形式論理学を人類精神として成果させたのは、古代イスラエル人の宗教であった。
 古代イスラエル人の宗教(のちのユダヤ教)は、「神は存在するのか、しないのか」の問いかけから始まる。それが、古代ギリシャ人の人類の遺(のこ)した「存在問題」に発展して、完璧(かんぺき)な論理学へと育っていったのであった。

【『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)以下同】

 ぶっ飛んでる。数学本の書き出しがこれだ。「論理」というターム(学術用語)でいきなり数学と宗教を結びつける。知的な掘削作業が異なる世界の間にトンネルを掘る。ひとつ穴を開ければ地続きの大地が広がる。言われてみればあっさりと腑に落ちる。神の存在問題が真偽や証明に関わってくるためだ。

 小室の鋭い指摘は人類の知能が進化する様相を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 日本人ははじめ何となく「論理」といってもピンと来(き)にくいが、実は論理こそ数学の【生命】(いのち)なのである。
「論理」という字は漢字であるが、この言葉は西洋からきた。英語で logic' ドイツ語で Logik' フランス語で logique という。その源は logos(ロゴス)である。
 キリスト教に身近い人ならば、「はじめにロゴスあり」(「第一ヨハネ書」)という言葉を思い出すであろう。すべてのはじめにはロゴスがあって、神はロゴスから天地を創造したもうた、というのである。「ロゴス」とは、もともと、神の言葉、神そのもの、神の子イエス、……などという意味である。それが「論理」という意味になっていくのであるが、「論理」とは【論争のための方法のこと】を指す。
 それでは、一体、誰(だれ)と論争をするのか。人と人との論争、と読者は思われるであろうが、究極的には「神と人との論争」なのである。

 キリスト教のロジックについては以下を参照せよ。

教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン

 たぶん多種多様な人種や民族の存在が論理を必要としたのだろう。ヨーロッパの血塗られた歴史は魔女狩りを挟んで20世紀まで続いた。「ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年、17世紀においてはただの21年にすぎなかった」(『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳:論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)。

 このように古代イスラエル人の宗教からユダヤ教に至るまでは、神と人間との論争を機軸(きじく)として進歩してきたゆえに、論争は極限まで進んでいった。
 ここに、イスラエルの宗教が機軸(きじく)となって論理学を限りなく育てて、論理学を数学に合体させ、無限の発展の可能性をはらんだ秘密がある。
 論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期(かっき)的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。

 神と人間との関係は「契約」にとどまらず「論理」をも生んだ。そして古代イスラエルの宗教的価値観はキリスト教に受け継がれ、現代世界を席巻しているわけだ。この世界を変えるためには「新しい宗教的価値観」を示す必要がある。

 論証性の欠如(けつじょ)は、何も中国数学だけの特徴(とくちょう)ではない。後述するユークリッド幾何学(きかがく)以外の数学は、みな論証性が欠如(けつじょ)していたといっても過言ではない。このことに関する限り、ある意味では大変発達した古代の諸高度文明における数学も大同小異であった。つまり、論証性が欠如(けつじょ)しているほどであったから、一貫(いっかん)した体系的論理はあり得なかった。
 一貫(いっかん)した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学諸科学の王となり、これらを制御(せいぎょ)し、その下に発展させた理由である。

 中国に歴史はあった(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)が論理はなかった。黄色人種しか存在しない東アジアで重んじられるのは「道理」であった。ここに「天」と「神」の根本的な思想的差異がある。天の定めは神が下した運命とは異なる。

 東洋と西洋の概念の違いを岡田英弘が明快に説いている。

 誤訳の例で言うと、先にも書いたが、「革命」という術語は、中国では本来、天が地上支配の命令を引っこめることなのだけれども、これを「レヴォリューション」の訳語に当てる。「レヴォリューション」は「ころがしてもとへ戻す」という意味で、「回転」ならいいが、「革命」とは訳せない。
 ローマの「アウグストゥス」(augustus)を「皇帝」と訳するのも誤訳で、「アウグストゥス」の実体は「元老院の筆頭議員」だった。中国には元老院はないから、「皇帝」は「アウグストゥス」の同義語ではない。
「フューダリズム」(feudalism)を「封建」と訳するのも、ひどい誤訳だ。秦の始皇帝以前の中国では、首都から武装移民が出ていって、新しい土地に都市を建設し、独自の政治生活を始めることが「封建」だった。のちには、皇帝が派遣した軍隊の司令官が、都市に駐屯して、その一帯を支配し、その地位を世襲することを「封建」と言うようになった。ところが日本人は、「封建」を「フューリダリズム」に当てはめてしまった。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

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2018-09-22

ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温


『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭

 ・「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因
 ・ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉

『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
・『パール判事の日本無罪論』田中正明

・『だから、改憲するべきである』岩田温

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

「伴天連追放令」に際し、秀吉はイエズス会のパードレ・ガスパール・コエリョに対して詰問しているのですが、この中で見逃すことが出来ない一言が登場しています。
 秀吉はコエリォ(ママ)に対し、次のように問うています。

「何故ポルトガル人は日本人を購い奴隷として船につれていくや」

 ――ポルトガル人は日本人を奴隷として売買していた。
 極めて重要な事実なのですが、多くの日本人はこの歴史を知りません。秀吉の「伴天連追放令」の背景には、知られざる日本人奴隷の問題があったのです。秀吉はポルトガル人が日本人を奴隷として売買していることに憤りを感じた政治家だったのです。
 秀吉は次のように主張しています。少々長いのですが、重要な文章なので引用します。

「予は商用のために当地方に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られて行ったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。もしそれが遠隔の地ゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」

 秀吉は、ポルトガル人をはじめとする外国人が日本人を奴隷としている事実を掴んでおり、日本人奴隷に同情しているのです。費用を支払ってもかまわないから、彼らを解放しろと主張しているわけです。
 何度読み返してみても、極めてまっとうな意見であり、筋の通った主張です。豊臣秀吉は同胞が悲惨な奴隷の境遇に置かれていることが我慢ならなかったのです。日本人を奴隷として扱うなど「許すべからざる行為」との言葉には、秀吉の強い憤りを感じることができます。

【『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温〈いわた・あつし〉(彩図社、2015年/オークラNEXT新書、2012年『だから、日本人は「戦争」を選んだ 』改訂改題)】

 売られた日本人奴隷は手足に鉄の鎖をつけ、船底に詰め込まれた。婦女子は当然のように強姦された。秀吉のバテレン追放令は1587年に発令されたものだが、400年という時を超えても私の胸は怒りで煮えたぎる。有色人種を家畜同然に扱いながらも性欲の刷毛口とするところに白人の非道が見て取れる。現代においても教会では青少年が性虐待されているとのニュースがしばしば報じられる。教義では性を抑圧しながらも陰では性衝動を狂乱させているのだ。ありのままの人間性を否定するドグマが精神を歪め、二重人格に至るのは当然だ。クリスチャンには取り澄ました顔つきの偽善者が多い。

 私は本書によってバテレン追放令の背景を知った。豊臣秀吉の鋭い国際感覚に脱帽し、日本人を思いやる心に涙を催した。秀吉はキリスト教の宣教が植民地支配の第一段階であることを見抜いていた。

 白人帝国主義は大航海時代(15世紀中頃-17世紀中頃)に始まる。

・1434年 エンリケ航海王子が派遣した船がボジャドール(ボハドル)岬を踏破。
・1492年 クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達。
・1494年 トルデシリャス条約によって世界をスペインとポルトガルで二分する。
・1498年 ヴァスコ・ダ・ガマが新航路を発見しインドに到達。
・1522年 マゼランが世界一周を成し遂げる。
・1542年 ラス・カサスが『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』を執筆。

(※「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 船以外の通信がない当時を思えば、秀吉のバテレン追放令は大航海時代のリアルタイムといっても過言ではあるまい。日本以外の有色人種は白人に支配され、500年もの長きに渡って搾取の対象とされた。日本が辛うじて植民地を免れたのは武士を中心とした軍事国家であったためだ。秀吉は1591年(天正19年)にはフィリピンに、1593年(文禄2年)には台湾に対して朝貢を命じた。そしてキリスト教の魔手を防ぐために自ら打って出て朝鮮に出兵した(文禄・慶長の役)。天下統一の余勢を駆って無謀な戦争を仕掛けたものだとばかり思い込んでいたが実は違った。二度に渡り15万人もの出兵をし、スペインに対して軍事的脅威を与える狙いがあったのだ(『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一)。秀吉の目論見は見事に成功し江戸時代の日本を長く守ることとなる。

 明治維新によって武士は髷(まげ)を落とし刀を置いた。鎖国は解かれ国を開いた。不平等条約を結ばされ、いくつかの戦争を経て独立国とはなったものの最後の戦争で完膚なきまでに叩きのめされた。そして平和憲法を持たされた。かつて武士が守ったこの国では外国のスパイや共産主義者が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。官僚は当然のように天下りを繰り返し、政治家は甘い汁を啜(すす)りながら保身に走る。敗戦は昭和20年の出来事ではなく現在に至っても終わらぬ歴史である。その恐るべき事実を教えてくれる一冊だ。

人種差別から読み解く大東亜戦争
岩田 温
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2018-07-31

読み始める

賢者のネジ(螺旋)―21世紀を動かす「最終戦略論」
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だから、日本人は「戦争」を選んだ (オークラNEXT新書)
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2017-02-16

佐藤優は現代の尾崎秀実/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

 尾崎秀實は世上伝へられてゐる如き単純なスパイではない。彼は自ら告白してゐる通り、大正14年(1925年)東大在学当時既に共産主義を信奉し、昭和3年(1928年)から同7年まで上海在勤中に中国共産党上部組織及コミンテルン本部機関に加はり爾来引続いてコミンテルンの秘密活動に従事してきた【真実の、最も実践的な共産主義者】であつたが、彼はその共産主義者たる正体をあくまでも秘密にし、十数年間連れ添つた最愛の妻にすら知らしめず、「進歩的愛国者」「支那問題の権威者」「優れた政治評論家」として政界、言論界に重きをなし、第一次近衛内閣以来、近衛陣営の最高政治幕僚として軍部首脳部とも密接な関係を持ち、日華事変処理の方向、国内政治経済体制の動向に殆ど決定的な発言と指導的な役割を演じて来たのである。世界共産主義革命の達成を唯一絶対の信条とし、命をかけて活躍してきたこの尾崎の正体を知つたとき、近衛が青くなつて驚いたのは当然で、「全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」と陛下にお詫びせざるを得なかつたのだ。

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)以下同】


ゾルゲ事件
ゾルゲ諜報団
ゾルゲ事件
ゾルゲ事件の端緒をめぐる諸問題
ゾルゲ事件とは?(PDF)
ゾルゲと尾崎秀実を擁護する朝日新聞
東京新聞:伊藤律 告発の肉筆手記 ゾルゲ事件「スパイ説」冤罪

 ソ連にとってゾルゲ最大の功績はノモンハン事件(1939年)の不拡大方針と、その後日本が北進論から南進論に傾いた事実を逸(いち)早く察知したことであった。ソ連としては西側からドイツ軍が攻めてきているので、東から日本軍に攻撃されることだけは避けたかった。日本国内では三国干渉(1895年)や北清事変(1900年)を通してソ連に対する憎悪は高まっていた。陸軍参謀本部は北進論を主張したが、尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は南進論へと世論を誘導する。

「【私の立場から言へば、日本なり、独逸なりが簡単に崩れ去つて英米の全勝に終るのは甚だ好ましくないのであります】(大体両陣営の抗戦は長期化するであらうとの見透しでありますが)万一かゝる場合になつた時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会的体制の転換を以て、ソ連、支那と結び別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。此の意味に於て、【日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考へたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要点である】といふことをしきりに主張しておりましたのは【かゝる含みを籠めて】のことであります」(尾崎手記。強調点は筆者による)


 大東亜戦争は尾崎が描いた青写真通りに進む。日本は長期戦を余儀なくされ、共産主義者は敗戦革命の図式をも視野に入れていた。もちろんゾルゲや尾崎が戦局を決定したわけではない。彼らは自分の役割を忠実に果たしただけなのだが時の流れが加勢した。日本が受けるダメージが壊滅的であればあるほど共産主義革命の実現が近づくと彼らは信じた。

 筆者はコムミニストとしての尾崎秀實、革命家としての尾崎秀實の信念とその高き政治感覚には最高の敬意を表するものであるが、然し、問題は一人の思想家の独断で、8000万の同胞が8年間戦争の惨苦に泣き、数百万の人命を失ふことが許されるか否かの点にある。同じ優れた革命家であつてもレーニンは、昂然と敗戦革命を説き、暴力革命を宣言して闘つてゐる。尾崎はその思想と信念によし高く強靭なものをもつていたとしても、十幾年間その妻にすら語らず、これを深くその胸中に秘めて、何も知らぬ善良なる大衆を狩り立て、その善意にして自覚なき大衆の血と涙の中で、革命への謀略を推進してきたのだ。正義と人道の名に於て許し難き憤りと悲しみを感ぜざるを得ない。

 革命の理想が犠牲を強いる。その後の社会主義国家が辿ったのは大虐殺・大量死の歴史だ。スターリンは2000万人、毛沢東は6000万人(※多くは政策ミスによる餓死)を死へと導いた。

 三田村武夫は重要な指摘をする。「かれ(※尾崎)の優れた政治見識と、その進歩的理論に共鳴し、彼の真実の正体を知らずして同調した所謂、同伴者的存在も多数あつたであらう。更に亦、全くのロボットとして利用された者もあつたであらう」。人は理想から導き出された美しい言葉に弱い。正しい響きには逆らい難い。目的を隠蔽した尾崎の言葉に心酔する者がいてもおかしくはない。そして同伴者は「自らの意志」で同じ言葉を語り始めるのだ。ここに恐ろしい落とし穴がある。

 当時、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者と判断された。つまりイデオロギーを堅持した多くの人々が官庁に巣食っていた。彼らの影響も決して小さなものではないだろう。

 本書で初めて知ったのだが実は昭和13年の3~6月にかけて日華事変全面講和の動きがあったという。その舞台裏の詳細が生々しく綴られている。ところがあと一歩というところで講和は雲散霧消する。同盟通信の上海市局長をしていた松本重治〈まつもと・しげはる〉が国民政府の高宗武板垣陸相を会わせ、中華民国は戦意を喪失しており無条件和平を望んでいるとの偽情報を掴ませたのだ。近衛文麿も松本・高情報を信用した。ここから汪兆銘を中心とする新政権工作が始まる。

 三田村武夫は松本重治が共産主義者であるとは書いていない。ただし松本が著書で南京大虐殺を認める記述をしていることなどを踏まえると、中国やアメリカの手先となって動いた可能性は高いと考えられる。

 もし現代の尾崎秀実が存在するならばそれは佐藤優〈さとう・まさる〉を措(お)いて他にいないだろう。佐藤は「中間層が重要だ」と語っているが、彼が歩み寄るのはポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を重んじる国際主義者が多い。批判の矛先を向けるのは保守派といってよいだろう。天皇陛下には敬意を払っているようだが一種のポーズであると思う。

 私は長らく民主党に好ましい感情を抱いていた。それは佐藤優のラジオ放送をよく聴いていたためだ。民主党が政権を担っていた頃、佐藤は具体的な議員名を挙げて民主党を擁護してきた。普天間基地移設問題に関する鳩山首相(当時)の「最低でも県外」(2009年)という発言には佐藤の関与があってもおかしくない。「沖縄で独立論を唱える者が現れた」という話を初めて知ったのも佐藤の番組であった。大城浩という創価学会員が琉球独立を公約に掲げて沖縄県知事選に出馬したのだ(2014年)。そして今、佐藤本人も沖縄独立に肩入れしている。挙句の果てには「ニュース女子」にまで噛み付く始末だ。


 次に以下の動画の冒頭部分で紹介されている佐藤優の講演に注目して欲しい。


 見事なアジ演説である。佐藤の本気が日本と沖縄を分断に導く。沖縄県民の感情に佐藤は理論的根拠を与える。これほど危険なことはない。私の目には尾崎秀実の姿と重なって見える。





『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優
佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃
瀬島龍三を唾棄した昭和天皇/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫