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2022-03-04

ワシントン・コンセンサスが世界中を破壊/『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『ボーダレス・ワールド』大前研一
IMF(国際通貨基金)を戯画化するとこうなる

 ・ワシントン・コンセンサスが世界中を破壊
 ・ブレトン・ウッズ体制の崩壊~米国債本位性=ドル債務本位制

世界銀行は米軍の一部門
『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ

必読書リスト その二

 2001年の9月11日は、どうしてアメリカが――そして特にアメリカ政府が――これほど広範に憎まれているのかという問題をアメリカ人を含む世界中の人々につきつけた。アメリカの評論家ですらもが、テロリストの攻撃は、かなりの程度アメリカ自身の外国での行動の結果であったと述べているが、それは、軍事面ばかりか、大多数の国々に対する財政的な圧力を通じての行動を指している。この意味で、9月11日は、アメリカの金融がIMFと世界銀行を支配し、それらの機関を経済的破壊の道具としていたことの間接的な結果と言えるかもしれない。
 パキスタン政府がわずかな収入を外国の債権者への支払いにあてざるをえなくなったのは、結局のところ何年か前のIMFとの“付帯条件”(コンディショナリティ)のせいだった。外貨調達にあたり、IMFのアドバイザーたちが繰り返したのは、過去50年間ワシントン・コンセンサス〔アメリカ政府、IMF、世界銀行などによって唱導された経済的綱領で、民営化、規制緩和、自由化を強調し市場至上主義的傾向が強い〕の核心となってきたフレーズだ。パキスタン政府は、外国の債権者に支払うためさらに多くの収入を“とりのける”べく、緊縮財政を実施するよう指図を受けたのである。
 特に腹立たしく思えるのは、アメリカ国際開発局(AID)が債権者となっていることだ。現在“対外援助”と称されているものは、主として、ドルで支払わねばならない貸付の形を取っている。そこでパキスタンは、国内収入を国民の教育に振り向けることをやめてまでも、外国の債権者に支払わざるをえない。公教育システムとそれにかかわる文化活動を奪い去るのは、子供たちに読み書きを教える役割を宗教教育施設に任せることにほかならない。そういう施設こそが、“学生”を意味するタリバンなのである。ワシントンが押しつけたそういう緊縮財政に対する返答が激しい憤りであり、それが最も顕著な形で爆発した場所が、あのニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンのペンタゴンだった。(日本語版への序文)

【『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン:広津倫子〈ひろづ・ともこ〉訳(徳間書店、2002年)】

 冒頭より。こうした正確な情報がニュースとして報じられない。アメリカは人工国家である。たかだか2世紀半程度の歴史しかないし、サブカルチャー以外の文化も乏しい。人種の坩堝(るつぼ)と化しているため民族性も無色透明だ。西部開拓を原動力にして、インディアンを殺戮し、黒人奴隷の労働力を駆使しながら、日本にマシュー・ペリーを送り込み(1853年)、1945年にはダグラス・マッカーサーが占領の指揮を執った。ペリーが司令を受けたのが1852年で、GHQの占領終了が1952年でちょうど100年である。林房雄はこれを「百年戦争」と名づけた(『大東亜戦争肯定論』)。その後、ゴー・ウエストは中国を目指したが奏功することはなかった。

 軍事力と借金の押しつけがアメリカの流儀であれば、世界を動かす力は獣の時代からそれほど進化していないと考えるのが妥当だろう。日本人が考える「平和」は甘すぎる。我々は島国で安閑と過ごしているうちに世界の現実を見失ってしまったのだろう。

 ウクライナが戦火に包まれている。在日ウクライナ大使館が義勇兵を募るツイートをしたところ、直ちに70人の日本人が名乗り出たという。敗戦後、帰国することなくアジア諸国独立のために戦った日本兵を思い出させる義挙である。願わくは金門島決戦を指揮した根本博中将のような人物が現われんことを。

 アメリカは自らの悪逆非道によって滅ぶことだろう。株式市場に流れ込んだ緩和マネーがそろそろ逆流してもおかしくない頃合いだ。個人的には間もなく大暴落が訪れると睨んでいるが、ドル崩壊でグレート・リセットへ誘導するのは確実だと思われる。

2021-10-31

GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 GHQは、敗戦後の日本国民がいまだ昭和天皇に尊崇の念を抱き、秩序を保っていることに注目し、【天皇を元首とする大日本帝国の形を残したまま、間接統治をする】ことにしました。政府や国会の上に置かれたGHQから、超法規的な「GHQ指令」が発せられ、日本政府にこれを実行させたのです。【ナチス国家を完全に解体し、直接軍政を敷いたドイツとは対照的】です。
 GHQの統治下で内閣を組織したのは、皇族出身の東久邇宮稔彦王〈ひがしくにのみやなるひこおう〉、元外交官の幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉、同じく元外交官の吉田茂〈よしだ・しげる〉の順番です。
 幣原は、大正デモクラシー期に長く外相を務め、ワシントン海軍軍縮条約をまとめて軍と対立したことが、GHQに評価されました。この「英語ができる平和主義者」幣原のもとで、日本の交戦権を制限する新憲法を制定させることになりました。
 戦時国際法の基準とされるハーグ陸戦条約は、こう定めています。

「第43条 国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、【占領地の現行法律を尊重】して、なるべく公共の秩序および生活を回復確保するため、施し得べき一切の手段を尽すべし」

 アメリカの日本占領は、1951年のサンフランシスコ平和条約発効まで続きました。この間、占領者アメリカには、ハーグ陸戦条約に基づいて【占領地日本の現行憲法を尊重する、】という国際法上の義務があったのです。
 したがって、GHQが日本の憲法を制定することはできません。そこで【マッカーサーは、幣原内閣に圧力をかけ、日本政府自らの意思で新憲法を起草したように見せかけた】のです。
 この「圧力」とは、つまり公職追放と検閲(プレスコード)です。
 公職追放は、戦時下の軍と政府の要人、思想家など「軍国主義者」に始まり、GHQを批判する者すべてを公職から解雇しました。空襲で産業が壊滅し、戦地からの帰還兵がどっと戻ってきたため、失業率が異常に高かった当時の日本で職を失うことは飢餓(きが)と直面することを意味します。幣原内閣は、組閣の直後に幣原首相、吉田外相ら3名を除く全閣僚を公職追放され、親英米派の幣原も「マックのやつ、理不尽だ」とうめきます。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

 こうした屈辱の歴史を教えない限り、自民党の変節も見えてこない。

日本国憲法の異常さ/『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れてマッカーサー』西鋭夫
GHQは日本の自衛戦争を容認/『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
国民の国防意志が国家の安全を左右する/『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八

 ただし、日本は議会制民主主義を採用しているのだから、国民の意思が問われて然るべきだろう。「日本の近代史を知らなかった」という言いわけは通用しない。無知に甘んじてきた己を恥じるのが先だ。真珠湾攻撃から敗戦までは3年8ヶ月であったが、GHQの進駐は6年半にも及んだ。実は戦争そのものよりも占領期間の方が長いのだ。どう考えてもおかしい。この間、WGIPで日本国民を洗脳し、憲法を与え、アメリカ流の民主政を押しつけた。

 だがそれは既に遠い過去のことだ。現在にあっても安全保障についてはアメリカに依存しているが、国民が自立を望めば憲法改正はいつでも可能なはずだ。それをやろうともしないのは国民の意思が戦後レジームをよしとしている証拠である。

 近代化した日本は常にロシアの南下を警戒していた。韓国を併合したのも彼(か)の国がロシアの軍門に降(くだ)ることを防ぐためだった。日清戦争が起こった1894年(明治27年)の軍事費は国家予算の69.4%を占めた。日露戦争が勃発した1904年(明治37年)は81.9%にも及んだ(帝国書院 | 統計資料 歴史統計 軍事費(第1期~昭和20年))。国家存亡の危機意識がどれほど高かったかを示して余りある。

 1969年に国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性があることが指摘されると、それまで何ら主張を行っていなかった中国は、日本の閣議決定から76年後の1971(昭和46)年になって、初めて尖閣諸島の「領有権」について独自の主張をするようになりました。

尖閣諸島|内閣官房 領土・主権対策企画調整室

 2010年には尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こった。仙谷由人〈せんごく・よしと〉官房長官の独自判断で釈放されたと報じられた。sengoku38なる人物が衝突動画をYou Tubeにアップロードした。当時、海上保安官だった一色正春〈いっしき・まさはる〉の義憤に駆られた行動がなければ、日本国民の国防意識は今もまだ眠ったままとなっていたに違いない(尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件)。

尖閣諸島周辺海域における中国海警局に所属する船舶等の動向と我が国の対処|海上保安庁

 民主政が正しく機能するためには情報公開が前提となる。私が民主政を信用しないのは情報公開がなされていない現実と、たとえ公開されたとしても国民が正しく判断するとは到底思えないためだ(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。

 国家は国民を欺(あざむ)き、歴史は嘘で覆われている。その最たるものが日本国憲法である。

2021-10-17

アメリカの軍事予算削減を補う目的で平和安全法制が制定された/『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘


『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘 2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘 2013年
『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘 2014年

 ・アメリカの軍事予算削減を補う目的で平和安全法制が制定された
 ・戦死の法律的定義
 ・後藤健二氏殺害の真相

 対米関係で一番大事なことは何か。いま、アメリカの現状をつらつら考えるに、アメリカはイラク戦争をやったり、あるいはアフガニスタンに兵を出したりして、膨大な軍事費を使ってしまった。その結果、アメリカの財政が逼迫(ひっぱく)したことです。アメリカはドルさえ刷ればお金はつくれるのだけけれども、それにも限界があるわけです。あまりやり過ぎると、強烈なインフレが起きてにっちもさっちもいかなくなる。したがって、そこで締めなければいけない。軍事予算も緊縮しなければいけない。オバマ大統領は3年前から、今後10年間、国防予算を毎年10%、機械的に削減していくことにした。それは国際情勢いかんにかかわらず、そうするという方針を出したのです。アメリカの国防予算の10%というのは、日本の自衛隊の予算よりも多いのです。それだけの額を目標に毎年カットしていくというわけです。これはたいへんなことです。
 そのために、その削減分を、日本に、特に太平洋においては自衛隊に肩代わりしてほしいというのが、アメリカの最大の要望なのです。
 それに応え、アメリカに協力できるような法制をつくる。それが、2015年7月18日に衆議院を通った安保法制なのです。その中核は何かというと、集団的自衛権の行使を現憲法の下でも認めるということです。そこで、内閣法制局長官の首を切ってまで(2013年8月8日山本庸幸小松一郎)、安倍さんは、「解釈」を変更することで、集団的自衛権の行使を認めることにしたのです。
 そして、その法的根拠は、昭和32、33年の砂川闘争というのがあったわけですが、そのときの裁判で、最高裁は初めて「日本には自衛権がある」ことを認めた。その砂川判決に依ったのです。最高裁が自衛権を認めたことは、個別的自衛権の他に集団的自衛権もあると認めたことだ、という解釈で、歴代の内閣が慎重に「憲法違反」としてきた集団的自衛権を、内閣の一存で認めさせたのです。
 そのことによって、アメリカの軍事予算削減に起因する、軍事力の弱体化を日本の自衛隊が具体的に補えるようにしたのです。
 こういうことで「もう安倍内閣は大丈夫だ」というところまで見届けて、岡崎(久彦)さんは安心してお亡くなりになったと言われています。
 安保法制を、そんな具合にして政府はここまで押し通してきたわけです。ところが、国会が始まって、参考人として呼んだ憲法学者がみんな「集団的自衛権は憲法9条違反だ」と言った。与党が呼んだ参考人までが憲法違反だと言いました。それで国会審議の雰囲気はまたおかしくなったけれども、その流れの中で、しかし衆院を通したわけですから、これから安倍内閣自体が国内的にどうなるかはわかいませんが、アメリカは満足したでしょう。
 アメリカにしてみれば、これで中国に対してかなり大きな抑止力を構築できたということになります。

【『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘〈すがぬま・みつひろ〉(KKベストセラーズ、2015年)】

 久方振りの菅沼本である。語り下ろしであるが、やはり老いた感が否めない。

砂川裁判が日本の法体系を変えた/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治

 上記リンクは狡猾(こうかつ)な左翼本であるが一読の価値はある。

 平和安全法制制定の事情と背景はわかった。それにしても、なぜ日本政府はいつも受けばかりに回って、攻めに転じないのか? 吉田茂が経済を優先して軍事を後回しにしたのはそれなりの見識に基づいた政策であった。しかし吉田はその後変節する。

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行
憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
マッカーサーの深慮遠謀~天皇制維持のために作られた平和憲法/『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦

 岸信介が行った日米安保条約改定も極めて正当なものだった。とすれば池田勇人以降の首相責任が重いと考えざるを得ない。

 アメリカが日本に何かを肩代わりさせようと近づいてきた時に、なぜこれを梃子(てこ)にして攻勢に打って出ないのか。本書によればEUはドイツを封じ込める目的で結成されたとあるが、そのEUでドイツは見事に経済的な主導権を確立したのである。日本政府はアメリカを利用して自主憲法を制定するのが当然ではなかったか。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい戦後の歴史を思えば、日本の官僚制度がアメリカに牛耳られているような錯覚すら覚える。

 規制緩和も遅々として進まない現状を鑑みれば、一定程度の独裁政権が誕生しない限り、この国が変わることはなさそうだ。

2020-09-26

『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料/『日本の秘密』副島隆彦


『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優

 ・片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃
 ・『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料

『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 60年安保闘争で、「全学連主流派」という、元祖・過激派学生運動を、背後から使嗾(しそう/あやつり、そそのかす)したのは、まず岸信介を政権の座から追い落とそうとして動いた、自民党・吉田学校(宏池会〈こうちかい〉)の人々であった。その証拠となる文献を、以下にいくつか挙げることにする。
 まず、どうしても、田中清玄(せいげん)氏の『田中清玄自伝』(大須賀瑞生インタビュー、文藝春秋、1993年刊)からである。この本は、きわめて重要な本である。日本の戦後史を検証してゆく上で、陰画(ネガ)のような役割を果たす貴重な回顧録である。田中清玄の死に際の遺言集である。田中清玄は本書の中で、かなり大胆に正直に多くの歴史証言を行っている。しかし肝心の、日本の戦後史の大きな核心部分については、狡猾にも歴史の闇に葬るべく、いくつかの重要事実の公開を慎重に避けていると私は判断する。
 それ以外では、嘘は書かれていない本だ。

【『日本の秘密』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉(弓立社、1999年/PHP研究所新版、2010年)】

 うっかりしていた。私は田中清玄〈たなか・きよはる〉を本書で知った。2015年12月に読了。随分と遠回りしてしまった。ただし意味のある遠回りであった。副島隆彦には一部のコアなファン層がいるが私はあまり好きではない。この人はともすると過激に傾く嫌いがある。穏健なオールドリベラリズムとは反対の性質を感じる。

「戦後史の大きな核心部分」とはCIAによる工作のことか。アメリカは1947年、マーシャル・プランで反共に舵を切った。翌1948年1月6日、アメリカのロイヤル陸軍長官は「日本を共産主義の防波堤にする」と宣言した。同年、朝鮮戦争が勃発。GHQの占領が終了した1952年以降はCIAが様々な工作をしたと仄聞(そくぶん)する。日本が安全保障すら自前で賄(まかな)えないのは自民党が甘い汁を吸いすぎたためだろう。この国は右も左も売国奴だらけだ。

 私は三島由紀夫の純情には惹かれるが非常に危うい性質をも感じる。三島の見識と切腹には飛躍がありすぎる。田中清玄は三島のことを「礼儀知らず」と一言で切り捨てた。

2020-09-24

異能の軍人/『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄


『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆

 ・異能の軍人

『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 本書には、岩畔豪雄(1897~1970年)に対して木戸日記研究会・日本近代史料研究会が1967年に3回にわたり行った聴き取り調査の記録、および岩畔自身が記した41年の日米交渉の顛末に関する文書が収められている。
 岩畔豪雄は、昭和戦前期に軍事官僚として陸軍省と参謀本部(いわゆる省部)の要職を歴任、満州国の経営に参画し、さらには謀略工作も担当した。アジア・太平洋戦争勃発直前には日米交渉に関与し、そして開戦後はマラヤ作戦ビルマ作戦および対インド政治工作に従事する。この他にも中野学校機甲本部大東亜共栄圏戦陣訓登戸研究所偽造紙幣工作、など岩畔が関与した事案は枚挙にいとまなく、「異能の軍人」の面目躍如であった。(等松春夫〈とうまつ・はるお〉)

【『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉(日本経済新聞出版、2015年/日本近代史料研究会、1977年『岩畔豪雄氏談話速記録』を改題)以下同】

 古書店主の仕事は目録作りである。要は本の並べ方に工夫を凝らし、鎬(しのぎ)を削るのが古本屋の仕事だ。上記リンクの並びは思わずニンマリした出来映えである。岩畔豪雄と田中清玄〈たなか・きよはる〉には妙に重なる部分がある。裏方に徹して少なからず国家の動向に影響を及ぼした点もさることながら、二人の人物評が目を引く。何気ない一言が本質を浮かび上がらせ、偶像に亀裂を入れる破壊力がある。

 巻頭に「なお、本記録の編集は竹山護夫会員が担当した」とある。護夫〈もりお〉は竹山道雄の長男である。惜しくも44歳で没した。そのほか、伊藤隆、佐藤誠三郎、松沢哲成、丸山真男の名前がある。

「異能の軍人」とは言い得て妙だ。岩畔豪雄は軍人という枠に収まる人物ではなかった。戦時にあっても平時にあっても遺憾なく才能を発揮できる男であったのだろう。真の才能は韜晦(とうかい)を拒む。水のように溢れ出て周囲を潤すのだ。

 二・二六事件に関しても当時を知っているだけあって指摘が具体的で思弁に傾いていない。

―― それが、二・二六というものが将校だけの画策であれば、ああいう裁判はなされなかったのでしょうか。

岩畔●やっぱりやったでしょうね。
 二・二六というのは非常に遺憾なことだったのですが、大体が陸軍の首脳部の初めからこういう問題に対する態度が悪いですよ。一番最初の三月事件の時あたりに橋本欣五郎をパッとやるというようなことをやっておればけじめがついたのですが、その時なにもなかったから、あとからまた10月事件をやった。その時も処罰を20日か30日食って終り。これではいかんですよ。パッとやればそうすればその後にあんなことなど起こらないのですよ。
 一番態度が悪いのが首脳部ですよ。これはみなさんもよく注意して下さいよ、「その精神は諒とするも行動が悪い」と言っているのです。行動が悪いものは精神も悪いので、これが日本人の一つの欠点だと思うのです。だから、「お前行動も悪い、したがって精神も悪い」、こういかなければならないところを、みんなが「精神は可なるも行為が悪い」と言う。こんなバカな話があろうかというのですよ。これが三月事件、10月事件が二・二六事件に至った大きな原因であったわけですよ。だからなんでも同じなので、初めにスパッと手の中を見せんようにやっておけばあとはサッといったものを、そこがコツだと思うのですが。

 実務家の面目躍如である。三島由紀夫は反対方向へ行ってしまった。大東亜戦争における軍の暴走を解く鍵は二・二六事件にある。是非や善悪が極めてつかみにくく、責任の所在すら曖昧になりやすい。日本の談合文化が最も悪い方向へ露呈した歴史と言ってよい。司馬遼太郎が否定した気持ちも何となく理解できよう。

 調べれば調べるほどわからなくなる大東亜戦争や二・二六事件であるが、岩畔の指摘はスッキリしていてストンと腑に落ちる。二・二六事件は社会主義という流感のようなものだったのではあるまいか。そんな気がしてならない。

―― 石原莞爾はどうだったんですか。

岩畔●この人は私もよくわからないのですが、大谷はそれを非常にはっきり書いておるようですが、大体ああいう態度を取ったと思うのだが、石原なんという人は、「よし、これは治める、しかし、これを利用してなにかやる」というそういう政治的な見透しはあったでしょうね。そういう感じがあの人については非常にするのです。

「某(なにがし)」ではなく「なん」というのが岩畔の口癖である。「なん」呼ばわりした人物は大抵評価が低い(笑)。自分たちで勝手に次期首相を決めようとしたわけだから(『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹)、岩畔の指摘は正鵠(せいこく)を射ている。

 それで石原莞爾〈いしわら・かんじ〉の軍事的才能が翳(かげ)りを帯びることはないが、満州事変が後進に与えた悪影響は計り知れない。



【赤字のお仕事】「インスタバエ」ってどんな「ハエ」? 「…映え」「…栄え」の書き分け原則とは(1/3ページ) - 産経ニュース
インターネット特別展 公文書に見る日米交渉
三月事件、十月事件の甘い処分が二・二六事件を招いた/『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2020-09-06

外交レトリックを誤った大日本帝国/『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八


・『日本を思ふ』福田恆存
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ・国民の国防意志が国家の安全を左右する
 ・外交レトリックを誤った大日本帝国
 ・五箇条の御誓文

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ですから敗戦後の「東京裁判」では、真珠湾攻撃に先行する、こうした日本政府部内や陸海軍部内の文書が、米国人(多くが法曹職のバックグラウンドをもつ)によって、洗いざらい調べ上げられました。彼らは、日本政府と日本軍が「パリ不戦条約」をあっけらかんと破るのに、いったいどのような公式レトリックを用いていたのかに、特に興味があったのです。公人が公的な嘘をついたら恥じなければならない近代人として、また、法曹の学徒として、それが当然でしたろう。
 彼らはついに、いくつかのマジック・ワードを発見したと思いました。「自存自衛」と「交戦権」です。そして将来の日本政府におけるそのマジック・ワードの再使用は封じなければならないと思いました。だから、マック偽憲法の中には、特別に入念に、ダメを押すような文言が、ちりばめられているという次第なのです。

【『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)以下同】

 本書は優れた外交論となっており他書とは一線を画している。ただしマッカーサーは後に上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と証言し、大統領になるチャンスを失った(マッカーサー「東京裁判は間違いだった」)。

 マッカーサーが語った「national security」がアメリカ人に何を示唆したのか。自衛にはself-defense 、self-protection、self-preservationなどの英語がある。

 マック偽憲法が押し付けられることになった第一原因は、日本の対米英開戦流儀にあります。同じ調子でまた将来あっけらかんとした侵略をやらせぬよう、アメリカ人の法律家たちは、念入りに文辞を練ったのです。
 しかし戦後のドイツに対してはそんな「憲法」を押し付ける必要は、ありませんでした。
 なぜなら、ドイツ人たちは「自衛」という言葉の厳密な意味を了解していて、ヒトラーすらそれを濫用(らんよう)してはいなかった(しようとしても外務省官吏や国際法学者たちに止められてできなかった?)のです。
 反して、日本の指導者層には、外務省官吏も含めて、それほどに大事な用語だという了解はなく、かつまた日本政府の誰にも、自国の重大な政策についての体外的な「説明責任」というものが、そもそも意識すらされていないように、外国からは見えた。この「落差」がきわだっていましたので、日本に対する占領政策は、ドイツに対する占領政策とは、すこぶる異なるものになったのでしょう。
 それゆえわたしたちは、ナチス・ドイツがスターリンのソ連に対して奇襲開戦を実行したときの「宣戦布告」のレトリックがどんなものだったか、またそれに応酬しているモスクワ政府のレトリックはどんなものだったか、知っておくことに価値があります。こうした外交上の正式の宣戦布告文や、応酬声明文は、どの法廷に出しても通用しそうな、近代的な説明文になっていることが、確かめられましょう。

 アメリカは日本軍の強さを恐れたと綴る書籍が多い。強い上に死ぬまで戦うことをやめない。降伏よりも玉砕を選ぶのが日本流だ。しかし兵頭の指摘は見落としがちな急所を抑えている。欧米からすると日本は「話が通じない相手」であったのだ。彼らは極東の島国に狂気を見た。

 二・二六事件から敗戦までの変遷に我が国の弱点が凝縮している。長崎に原爆が投下されたとき政府首脳は行方の定まらない会議を続けていた。鈴木貫太郎首相は策を講じて最終判断を天皇陛下に丸投げした。切腹した首脳もいたが腹を切ることで責任を果たせるとは思えない。

 外交レトリックを誤ったとすれば外務省の責任は重い。小野寺信〈おのでら・まこと〉の足を引っ張ったのも外務省だった。

 戦後の日本は経済の道をひた走った。バブル崩壊(1991年)まで46年を経た。その後失われた20年に入る。こうして敗戦を振り返る機会を失った。私は思う。修辞学や論理学という西洋の土俵に乗るよりは、子供でもわかるようなやさしい言葉で誠を貫くことが日本には向いている。1919年(大正8年)、世界で真っ先に人種差別の撤廃を叫んだ日本である(人種差別撤廃提案)。できないことはないだろう。

国民の国防意志が国家の安全を左右する/『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八


・『日本を思ふ』福田恆存
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ・国民の国防意志が国家の安全を左右する
 ・外交レトリックを誤った大日本帝国
 ・五箇条の御誓文

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 法理として「偽憲法」(これは菅原裕氏の言葉)以外のなにものでもない「当用憲法」(これは福田恆存〈つねあり〉氏の言葉)は、1946年から1950年にかけ、日本に共産主義が根付かない最大支障であるとモスクワがみなした天皇制を滅消したく念ずるソ連発の間接侵略工作を、阻止したというポジティヴな効用があります。

【『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)以下同】

 やっとクイック編集ができるようになった。編集画面の仕様が新しくなったための混乱のようだ。古本屋を畳んでからはレンタルサーバーと無縁なので、今からWordPressを使うとなると先が思いやられる。設定はともかくとしてFTPソフトの使い方などはきれいさっぱり記憶から消えている。ブログも長くやっていると自分の分身みたいに思えてくる。それゆえに妙なこだわりが生じて、自我を強く意識させられる羽目となる。なかなか諸法無我というわけにはいかないものだ。

 兵頭二十八は当たり外れがある。文章には独特の臭みがあって好き嫌いが分かれるところだ。上記テキストも長すぎて文章の行方がわかりにくい。このあたりは編集者にも半分程度の責任がある。資料を渉猟しているためと思われるが時折びっくりするほど古めかしい言い回しが出てくるのだが、それが様になっていない。ちぐはぐな印象を受けて、微妙に音程のずれた歌を聴いているような気分になる。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と憲法第一条で謳ったことが32年テーゼを防いだ。本来であれば天皇の存在は日本国の形成よりも先んじているから本末転倒といえよう。しかしながら主権在民を糊塗する苦し紛れの文章が戦後の激動を雄弁に物語っている。

 左翼は国家をシステムとして捉え、文化を見落とした。欧州ではキリスト教、日本では天皇が憲法の屋台骨となっている。これを「打倒」することは国家を漂白することに等しい。日本の公を重んじる精神性は社会主義と親和性がある。それを思えば天皇制社会民主主義に舵を切っていれば、二・二六事件前後で日本の運命は変わっていた可能性がある。

 そもそも国民の自由を担保してくれるのは国家だけです。国家が安全でなくなれば、国民の自由もなくなります。その国家の安全は、標榜(ひょうぼう)する憲法の文章が保障してくるわけではない。ただ、国民の抱く「国防の意志」が保障するのです。しかるに利己的で嫉妬深い人間は、不自然な中心点に向かっては、なかなか団結ができないものです。日本国民には自然な精神的な団結の中心はひとつきりしかありません。それが天皇です。もしも日本から天皇が消えてなくなれば、日本国民は間接侵略によって著しく分断されやすくなり、日本国家の防衛力は内側から脆(もろ)くなり、それにつれ、日本人の自由は、一見、合法的なきまりごとを装って、日本人ではない者たちの手の中に、回収されて行くでしょう。

 マッカーサー憲法は日本人から「国防の意志」を見事に奪い去った。戦後、国民の間からは国体意識すら消え失せた。守るべきはものは今日の食糧と自分の命に変わった。敗戦は事実上「魂の一億玉砕」であった。

 だが不思議なことに敗戦を経て日本国民は自由の空気を呼吸し始めた。戦時中の不自由さは社会主義国と遜色がなかった。自由にものを言うこともできなかった。政治家は軍の顔色を窺い、軍はいたずらに兵員を餓死に至らしめた。大東亜共栄圏は絵に描いた餅と化した。国家は国民を守れなかった。

 終戦前後のギャップが精神の真空地帯に風を吹かせた。国民が手にした自由は何の責任も伴わなかった。胃袋は相変わらず不自由なままだった。人々は食べることにしか関心がなかった。何とか食べられるようになると終戦前後に生まれた大学生たちが騒ぎ始めた。学生運動は戦争の余波と見ることができよう。60年安保に反対した彼らの姿は戯画的ですらある。新世代もまた玉砕を望んだのであろう。

 日本国が国民を守れないことはシベリア抑留北朝鮮による拉致被害が証明している。GHQに牙を抜かれた日本はスパイ天国となり、中国や南北朝鮮がほしいままに日本の国益を毀損している。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2020-08-29

陸軍中将の見識/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ

 堀はここで生れて初めて情報電報に目を通す身となった。大多数の電報は、枢軸国といわれた独、伊、ルーマニヤや中立国の武官、大公使からの電報で、右肩に親展、極秘という朱肉の大きな角印が目にしみた。その他は内外の通信社の速報ニュース、外国系ラジオ放送、新聞などが机の上に並べられていた。
 家に帰った堀はその晩、父堀丈夫〈たけお〉に情報をやることになった旨を話した。父は晩酌の盃を置いて、一瞬考えてから、
「俺も40年近く軍人生活をしてきたが、情報だけはやったことがない。強いて言えば大佐時代に2年間フランスに航空の勉強にいったのが、情報といえばいえるだけ。情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。相手といっても、第一線の指揮官には自分の正面の敵の指揮官になるし、大本営だったら国家の主権の中枢が相手ということになろう。主権の中枢から直接聞くことが出来たら一番良いが、それは至難であって、時には嘘もつかれる。そうなるといろいろ各場面で現われる仕草を集めて、それを通して判断する以外にはないようだな」
 父は何度も「仕草」という言葉を使った。仕草とは軍隊用語でいう徴候のことである。情報のことは知らないという父から受けた初めての情報教育であった。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)】

 堀栄三は「正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、『マッカーサー参謀』とあだ名された」(Wikipedia)。上念司〈じょうねん・つかさ〉が毎年8月15日に繰り返し読む書籍と知って興味を抱いた。

 俚諺(りげん)に「一葉落ちて天下の秋を知る」とある。孔子は「一を聞いて十を知る」(『論語』)と説き、日蓮も「一をもつて万を察せよ。庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり」(「報恩抄」)と述べる。わずかな予兆から変化を見抜くことは生存率を高める。堀栄三の養父はそれを「仕草」と表現した。陸軍中将の高い見識に驚かされる。法華経方便品(ほうべんぽん)に「諸法実相十如是」とある。仕草という言葉が十如是に通じる。

 私は上念ほどの感動を覚えなかったのだが、小野寺信〈おのでら・まこと〉を知り再読せざるを得なくなった。

2020-08-23

創価学会の思想は田中智学のパクり/『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉
・『石原莞爾と昭和の夢 地ひらく』福田和也
・『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』保阪正康
・『血盟団事件 井上日召の生涯』岡村青

 ・創価学会は田中智学のパクり

 その結果、智学は決意する。日輝の教学は時勢の推移のなかでは妥当だと思われることもあったが、万代不易の道理ではない。しかし、日蓮の主張は万古を貫いて動かざるものである。いまこそ、「祖師に還る」「純正に、正しく古に還らなければならぬ」、と。
 日輝は摂受を重視しる「折退(しゃくたい)・摂進(しょうじん)」論を採ったのにたいして、智学は「超悉檀(ちょうしつだん[大谷註:悉檀とはサンスクリットのsiddhāntaの音訳で、教説の立てかたの意]の折伏)」にもとづく「行門の折伏」(実行的折伏)を強調した。折伏が祖師・日蓮の根本的立場であると捉え、それへの復古的な回帰を唱えたのである。この折伏重視の立場性こそが、智学生涯の思想と運動を貫く通奏低音であり、政府にたいする「諌暁(かんぎょう)」(いわゆる国家諌暁)もこの折伏の精神にもとづく。
 明治12年(1879)1月、病気再発の兆しがみえたため、智学は、横浜にいた医師の次兄・椙守普門(すぎもりふもん)の家で療養した。病気は小康を得たが、同年2月、還俗の意思を兄に伝え、病気療養を理由として、17歳で還俗することになる。また、3月には日蓮宗大教院の教導職試補の辞任届も提出している。以後、生涯を通じて、智学は在家仏教者として活動することになる。

【『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一〈おおたに・えいいち〉(講談社、2019年)】

 田中智学・本多日生北一輝〈きた・いっき〉-大川周明〈おおかわ・しゅうめい〉は昭和初期の軍人に多大な影響を及ぼしたが、これを日蓮主義で括ると視野が狭まる。むしろ大正デモクラシーの流れを汲んだ社会民主主義と捉えるのが正当だろう。佐藤優がわざわざ保守論客の関岡英之に近づいて大川周明を持ち上げているのも社会民主主義というタームで考えると腑に落ちる。

 大谷栄一は宗教社会学者である。それゆえ宗教や教団に固執して近代史全体の流れが見えにくくなっている。むしろ話は逆で、時代が揺れ動く波しぶきの一つに日蓮主義があったと私は見る。鎌倉時代にあって日蓮ほど国家意識を持った宗教指導者はいない。出家の身でありながら迫害に迫害を加えられても尚、政治的意見を進言し続けた。昭和初期は内憂外患の時代であり鎌倉の時代相と酷似している。

 日蓮主義は戦後にも継承された、と私は考える。田中智学の国立戒壇論が創価学会に継承されたのである。戦後の一時期まで、智学の国立戒壇論は創価学会の運動の中核部分に保持されていた。創価学会の国立戒壇論は「国柱会譲り」のものだった。

 創価学会は元々日蓮正宗の一信徒団体であったが、戦前より折伏(しゃくぶく)を標榜し原理主義に傾いていた。初代会長の牧口常三郎〈まきぐち・つねさぶろう〉にも田中智学の影響が及んでいた事実が興味深い。戦後、国柱会の勢いは已(や)んだが、創価学会は共産主義的な組織運営で教勢を拡大した。折伏はオルグと化した。公明党が政権与党入りしてからは尖鋭(せんえい)さを失い、与党内野党みたいな中途半端なブレーキ役に甘んじている。創価学会もまた本質的には社会民主主義傾向が顕著なため、外患の多い現代にあって国政をリードすることは不可能だろう。

 尚、大谷栄一には『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館、2001年)との著作もある。

2020-08-21

満洲建国と南無妙法蓮華経/『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之

 ・満洲建国と南無妙法蓮華経

・『石原莞爾と昭和の夢 地ひらく』福田和也
・『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』保阪正康
・『血盟団事件 井上日召の生涯』岡村青
『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一

 旧満洲国時代、「爆破地点」と麗々しく記念標識を線路ぎわにかかげながら、その地点から「柳条湖」という固有名詞を抹殺し、存在もしない「柳条溝」としたことは日本名に書き替えたにひとしい。それこそ侵略である。
 こうした身勝手さが、無神経ぶりが明治人間には旋毛のようにこびりついている。徳川300年の鎖国から由来する蛮性であるか。

【『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉〈てらうち・だいきち〉(毎日新聞社、1988年/中公文庫、1996年)以下同】

 寺内は浄土宗の坊さんである。尚且つ戦前を黒歴史と認識しているところから左翼史観に毒されていることが判る。ま、1990年代までの知識人はおしなべてこのレベルで批判するのがリベラルと錯覚していた。大東亜戦争を批判するのは一向に構わないのだが、白人帝国主義という時代背景を見落としている人物が多すぎる。

 ところがである。この記念スナップは、ただ一点で世にも不可思議な装飾を撮しだしていた。画面の右端で天井から垂れさがる達筆な七文字であった。

 ――南無妙法蓮華経

 不気味とも異妖でもある上貼りセロファン紙の説明がなければ特定の宗教結社の集会を思わせる。それにしては軍服姿が多すぎる。
「これ……何でしょうねぇ」
 改作は写真部長に指で示した。無論セロファン紙のそこに注釈、説明はなかった。
「知らんのかいな。お題目やがな」
 ことなげに言い捨てて、かえりみようともしない。
「わかってますよ、それくらいは……でもなぜ、こんなものが会場にぶら下がっているんだろう」
 建国会議のスローガンにしては面妖だし、さりとて関東軍が日常にぶら下げていたとしら、いよいよ奇怪である。
「そやなぁ、改作よ。石原参謀は熱心な法華信者やさかい、あの人が持ちこんだんとちがうかいな」
 写真部長は相変らずの無関心ぶりである。(中略)

 日中両国の共存共栄が、満蒙三千万無産大衆の楽園が、石原莞爾にあってはナショナリズムを超越した南無妙法蓮華経からみちびき出されるということになる。だからこそ国旗も軍旗も飾らない会場を染め上げtあ七文字の題目であった。
「改作よ。思い出した」
 写真部長はあわてて補足しようとする。
「何ですか」
「関東軍ハンが言うとったな。この2月16日は日蓮聖人の誕生日なんやと」
 この関東軍ハンは大連支局長のことだ。彼は石原莞爾から教えられたのであろう。
 日蓮聖人の誕生日だからお題目を会場へかかげた……いよいよその無神経さが疑われるではないか。曲がりなりにも建国会議は国際会議である。これを世界へ訴えて日本に領土的野心が絶無なことを理解してもらおうと意図もしている。
 そこへ個人の信教を持ち出して、押しつけようとする。公私混同も甚だしく、国際感覚はゼロにひとしい。


 主人公の改作は尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉をモデルにしている(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)。ソ連のスパイに身を落とした尾崎もまた獄に囚(とら)われたのち法華経に傾倒している。改作という名前は池田大作をもじったものか。

 石原莞爾〈いしわら・かんじ〉は国柱会(立正安国会)の信徒であった。「田中智学先生に影響を受けた人々」を見ると著名人が名を連ねている。田中よりも10歳年下の牧口常三郎は創価教育学会を立ち上げたが、これほどの影響は及ぼしていない。先が見えない動乱の時代にあって指導性を発揮し得た事実を単なるカリスマ性でやり過ごすことはできない。それなりの悟性が輝いていたと考えて然るべきだろう。

 一応私が過去に読んできた書物を列挙してみたが、やはり近代史の中で捉える必要があり、日蓮系の系譜に固執すると全体が見えなくなる。石原莞爾については大変面白い人物だとは思うが、昭和天皇ですら「わからない」と判断を留保した将校だ。小室直樹は「天才」と評価しているが、偏った傾向があまり好きになれない。岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉の評価あたりが正確だと思われる。

2020-06-30

無責任な戦争アレルギー/『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『ゲームチェンジの世界史』神野正史

 ・国際法成立の歴史
 ・無責任な戦争アレルギー

『「米中激突」の地政学』茂木誠
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

世界史の教科書
必読書リスト その四

 第二次世界大戦後の歴史教育は、戦争を悲惨なもの、あってはならないものとしてタブー視し、戦争について語ることさえはばかられるという風潮を作ってきました。サッカーの公式試合にぼろ負けしたチームが、敗因の分析をまったく行わず、「二度とサッカーはしない。ボールは持たない」と誓いを立てたのです。
 あの軍民合わせて300万人もの日本人を死に至らしめた満州事変から第二次世界大戦に至る戦争についても「そもそも間違っていた」と断罪するだけで、「なぜ負けたのか? 今後二度と負けないためにはどうすればよいのか?」という議論は封殺されてきたのです。
 しかし現実の世界では苛烈な「試合」が今も続いており、日本が望むと望まざるとにかかわらず、巻き込まれる可能性が高まってきました。北朝鮮の核兵器搭載可能な弾道ミサイルが日本列島の上空を通過し、中国海上警察の公船が日本の領海侵犯を繰り返しているのです。武力紛争に巻き込まれないためにはどうすればいいのか、もし巻き込まれた場合はどうするのか、を真剣に議論しないのは、あまりにも無責任だと思います。

【『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠〈もぎ・まこと〉(TAC出版、2019年)】

「ゲームに負けた」というカテゴライズだと戦争とサッカーにさしたる差はない。確かに。それまで馬関戦争薩英戦争など特定の地域が敗れたことはあった。黒船ペリーに膝は屈したものの倒れはしなかった。日米戦争は日本にとって初めての敗北であった。その衝撃はあまりにも大きかった。日本人の精神的な空白状態を衝いてGHQが洗脳を施した(WGIP)。吉田茂首相は粘り腰で老獪(ろうかい)な交渉を行ったが、マッカーサーの顔ばかり窺って国民の表情を見ることがなかった。日本人は一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)状態に陥り、生々しい記憶を封印した。明治以降の急激な近代化を想えば、虐待された幼児のような心理状態であったことだろう。

 敗戦の原因を軍部の暴走に求めるのは左翼史観で日本が民主政であった事実を見失っている。日清戦争の三国干渉以降、日本国民は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を合言葉にロシアへの報復を待った。その後日露戦争には勝利したものの大きな戦果はなかった。こうした心理的抑圧は第一次世界大戦の戦勝国となったことで益々肥大していったのだろう。抑圧を解消するには戦争をする他なかった。その姿は家庭内暴力に目覚めた中高生のような姿であった。しかし白人帝国主義を打ち破ったわけだから彼らの権益を奪ったことは大いなる戦果とせねばなるまい。

 GHQ支配の往時を知るアメリカ人は日本がいまだに憲法第9条を改正していない事実に皆驚く。「確かに我々はあの時、日本から爪と牙をもぎ取ったが、その後のことは自分たちで選択したのだろう。それをアメリカのせいにするのはお門違いだ」と言う。アメリカからの政治的圧力は現在でもある。日本の政治家は結局吉田茂と同じ道を歩んだといってよい。しかしながらそれは飽くまでも経済面に限られていた。

 戦争アレルギーは1960年代の学生運動や進歩的文化人の言論を通して強化された。彼らの目的は日本を「戦争のできない国」にすることだった。ソ連が侵略する地ならしをしていたのだ。ベトナム戦争反対運動やウーマンリブ運動は何となく時代の先端を行っているようなムードがあった。その後、左翼知識人は犯罪をおかした少年の権利を擁護し、ジェンダー問題(女性の権利)~セクハラ糾弾、環境問題など、手を変え品を変え伝統的文化の破壊を試みている。

 中国や北朝鮮は既に沖縄と北海道を侵略しつつあるが日本政府は何ら対応をしようとしていない。将棋でいえば先手が10手くらい指したような状態だ。ここから挽回するのは難しいだろう。日中戦争は必至と見ているが勝てる見込みが年々薄くなっている。

2020-02-18

「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

 ・貨幣経済が環境を破壊する
 ・紙幣とは何か?
 ・「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン
 ・ミヒャエル・エンデの社会主義的傾向
 ・世界金融システムが貧しい国から富を奪う
 ・利子、配当は富裕層に集中する

・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『無税国家のつくり方 税金を払う奴はバカ!2』大村大次郎
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

必読書リスト その二

 フランス革命のスローガンである『自由・平等・博愛』は革命前からある言葉で、もとはフリーメーソンのスローガンにほかなりません。

【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年/講談社+α文庫、2011年)】

 悪夢の民主党政権で鳩山由紀夫首相は「友愛」を掲げた。祖父の鳩山一郎はフリーメイソンのメンバーだった(Wikipedia)。「フリーメイソンは、中世ヨーロッパの石工職人組合を祖にして生まれた秘密結社だが、その後、政財界や知識階級などのエリート達が集う、世界的な巨大組織に発展した」(ユダヤ=フリーメイソン説)。このくらいは大勢の人が知っていることだろう。

 フリーメイソンと陰謀がセットになっているのはその影響力の大きさによる。アメリカ合衆国大統領はジョージ・ワシントンを始めとする14人が会員だった。日本に縁のある人物だと黒船のマシュー・ペリーやダグラス・マッカーサーもフリーメイソンである。音楽界だとモーツァルト、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンなど。ボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなども派生団体である。

 プロビデンスの目や原型であるホルスの目などを調べてゆくと、キリスト教が古代宗教の寄せ集めであることまで見えてくる。


【ホルスの左目】プロビデンスの目とは?由来と解説、さらに企業ロゴや身の回りに隠されているものをまとめてご紹介【万物を見通す目】 – Gossip Repository

 かつてのフリーメイソンから宗教色を取り除いたのはフランス大東社で、石工(いしく)の職人団体から知識人の友愛団体へと変貌を遂げた。実は歴史の潮流がここから変わるのだ。ピーター・F・ドラッカーが唱えた「知識社会」の源流を見出すこともできよう(ドラッカーの父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった:『傍観者の時代』)。

 つまりだ、友愛団体となったフリーメイソンは超国家組織となって潰されたテンプル騎士団の生まれ変わりなのだろう。彼らは科学革命を背景に理神論を唱え、啓蒙思想を牽引し、フランス革命で近代の扉を大きく開いた。ナポレオン・ボナパルトもフリーメイソンの会員だった。

 国民国家となったフランスでユダヤ人は初めて国民として認められた。プロテスタントとは異なる第三の道が示されたわけだ。

フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令

 フランス市民革命は、アメリカ独立革命の影響が旧大陸に波及したものである。ユダヤ人にとっては、アメリカにユダヤ人も自由に活動できる「自由の国」ができた後、フランスで市民革命を通じて、ユダヤ人の解放がされることになった。
 フランスでは、早くからロックの思想が摂取され、急進化していた。また、18世紀後半のフランスでは、フリーメイソンが活動していた。絶対王政やカトリック教会を批判した啓蒙主義者、百科全書の編纂者等には、メイソンがいた。また市民革命の指導者には、多くのメイソンがいた。
 フランス啓蒙思想は、イギリス啓蒙思想を源流として発達した。その発達には、フリーメイソンの組織と活動が関係している。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、『百科全書』である。1751年に第1巻が刊行された『百科全書』は、イギリスのチェインバーズ百科事典のフランス語訳を、ドゥニ・ディドロが行ったことを契機とする。チェインバーズ百科事典は、編纂者も版元もフリーメイソンだった。ディドロは不明だが、盟友のジャン・ル・ロン・ダランベールはメイソンだった。百科全書派は、総じてメイソンの影響を強く受けている。

ユダヤ42~フランス市民革命におけるメイソンとユダヤ人解放令 - ほそかわ・かずひこの BLOG

 ぶったまげた。こんなことは岡崎勝世ですら書いていない。近代の本質は「知識とマネー、そしてネットワーク」にあるのだろう。

「自由・平等・博愛」はフランスからカトリック色を漂白するための仕掛けか。この流れはアメリカに受け継がれ「民主政こそ正義」という概念に飛躍する。その後、フランスではドレフュス事件(1894年)が起こるのだがこれまた再考が必要だ。



フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
私の政治哲学 祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印:鳩山由紀夫
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠

2019-12-02

日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞/『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通

 ・日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞

『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 志賀直哉というたいへん高名であるが、そのじつ、たいへん愚かな老文士がいる。彼は日本が敗北した直後、「日本語は野蛮だからフランス語を国語にすべきである」と国会で述べた。いやしくも文筆をもって身を立ててきた人間でありながら、これほど軽蔑すべき人間はいないと私は今でも考えている。
「あれは一時の気の迷いだった」とあとで言ったそうだが、それは日本が復興してからのことである。
 このような輩が国家の指導的地位を占めるとき、その国は大戦略を誤まって敗北の戦(いくさ)をたたかう破目に落ちる。もし日本が勝っていたら、志賀直哉は「日本語は世界で一番すぐれた言葉だから、世界中の人間に強制し、全部日本語に変えるべきだ」と言ったに違いない。今も昔も、このような無節操なお調子者が国を誤まるのだ。
 戦争学といっても特別なものではなく、人間の本性をよく見きわめ、人間集団がいかに愚かな行為をくり返すものかという歴史の教訓を知ることにつきよう。

【『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1984年)以下同】

「小説の神様」と呼ばれた人物が日本語を捨てようとした事実を私は知らなかった。戦争という極限状況は人々の性根を炙(あぶ)り出した。生き延びようとする本能に急(せ)かされる時、論理は見過ごされ、過去は無視される。特に日本人の場合、いつまで経っても「お上には逆らえない」との意識が強く、敗戦後は天皇陛下からマッカーサーに乗り換えた人々も多かった。日本語に見切りをつけたのは志賀直哉だけではない。ローマ字表記にすべきだという意見も堂々と主張された。実に敗戦は惨めなものである。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、東京・日比谷で開かれた日露講和反対国民大会が暴動化した。暴徒と化した市民は、政府のロシアに対する弱腰を批判し、政府系新聞社、交番、馬車などを焼打ちしたのである。さらに、講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。
 このとき、もっとも無責任な講和反対論を掲げて世論に媚び、部数を増やしたのが、ほかならぬ朝日新聞だったことを、私どもはよくよく覚えておく必要がある。
 だが、時の首相・桂太郎は断固とした態度でこれに臨み、軍隊を出動させて民衆を鎮圧した。さらに、9月6日から11月29日のあいだ、東京に戒厳令を敷いてきびしい姿勢を示したのである。
 日本がなぜロシアと講和するのか、国民は真相を知らされていなかった。勝っているはずの日本である。なぜ徹底的にロシアを叩きのめさないのか。国民が不思議に感じ、政府が弱腰なのだと受けとめたのも、無理からぬところがあった。
 だが、日本政府のトップとしては、もうこれ以上ロシアと戦争を続けるだけの国力が残っていないことを、じゅうぶんに知っていた。だから、講和に踏み切ったのである。まさか国民に、もう弾が尽きはてたなどと真相を打ち明けるわけにはいかない。国家としての正しい選択を実行するために、桂首相はあえて涙をのんで、軍隊に民衆を鎮圧させたのである。
 朝日新聞の上層部は、このことを知らされていた。にもかかわらず部数を増やすため、世論を扇動した。まさに商業新聞の権化というにふさわしい。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介

 日比谷焼打事件は知っていたが朝日新聞のマッチポンプは知らなかった。かつては社会の木鐸(ぼくたく)と称した新聞だが、一度でも社会を正しくリードしたことはあったのだろうか? スクープ競争に明け暮れ、抜いた抜かれたの物差しだけで仕事をしている連中だ。特に朝日の場合、虚偽・捏造が代名詞になった感がある。

 全国紙の朝夕刊セット価格は月額4037円らしい(日経は4900円)。私が購読していた頃は2600円でそれから2800円に値上がりした。当時、主婦が気楽に支払える金額は3000円と言われており、3000円を超えると部数が減ることは避けられないと見られていた。消費税増税を推進する新聞社が何と自分たちには軽減税率を適用せよと署名まで集めた。結局、日刊の新聞にだけ適用され赤旗日曜版が狙い撃ちされる格好となった。聖教新聞はOKというわけだ。言っていることとやっていることが違う人間は社会で信用を得られない。販売店に不要な新聞を買わせる押し紙問題もクローズアップされた。

 ジャーナリズムといえば聞こえはいいが、映画に登場する新聞記者はただの野次馬である。ただただ問題を掻き回し、騒ぎ立て、センセーショナルな言葉を並べる。民主政にジャーナリズムは不可欠と言われるが、民主政を誤らせ続けてきたのもまたジャーナリズムであった。

 嘘を撒き散らす新聞を購読するくらいなら、毎月4000円で数冊の本を購入した方がはるかに賢明だ。

2019-10-26

消費税は「消費行動についての罰金」/『「10%消費税」が日本経済を破壊する 今こそ真の「税と社会保障の一体改革」を』藤井聡


『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』中野剛志
・『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』中野剛志

 ・消費税は「消費行動についての罰金」

 そもそも消費税というものは、消費者にとっては、【「消費行動についての罰金」】のようなものだ。だから、消費税を上げれば、必然的に消費にブレーキがかかることとなるわけだ。
 いずれにせよ、私たちの世帯は平均で、消費増税によって実に年34万円(369万円→335万円)もの消費を削ることとなったのである。
 これは別の角度から言うなら、【消費増税のせいで、私達(ママ)は1世帯あたり年間34万円分も「貧しい暮らし」を余儀なくされるようになった】ことを示している。
 当たり前の話だが、年間34万円といえば、決して少なくない金額ではない。これは、消費増税の直前の消費水準からすれば実に9.2%もの水準に達する。つまり、【消費増税によって、私たちは、買えるモノが1割近くも少なくなってしまった、】というわけだ。

【『「10%消費税」が日本経済を破壊する 今こそ真の「税と社会保障の一体改革」を』藤井聡〈ふじい・さとし〉(晶文社、2018年)】

 わかりやすい話である。ただ如何せん文章が悪い。タイトルも冗長だ。藤井聡はチャンネル桜でもMMTの話になると甲高い声で感情的になる悪い癖がある。「我こそは正義」との思い込みがあればたちまち説得力を失う。本当に正しい態度は常に静かなものだ。

 髙橋洋一によれば安倍首相自体は消費税増税に賛成しているわけではないが、麻生財務大臣に配慮した結果であるという。で、麻生財務大臣がなぜ増税を推進するかといえば、「財務官僚と頭のレベルが違いすぎる」から。ただそれだけのことらしい。


 麻生の父・太賀吉〈たかきち〉は経済同友会の幹事を務めたので、麻生セメントとしての判断なのかもしれない。

 消費税増税、対中政策の甘さ、香港デモに対する無関心など安倍政権に対する風当たりが強くなっている。特に最近は保守層からの批判が目立ち、チャンネル桜に至っては「反安倍」に舵を切ったようにさえ見える。長期政権に対する飽きもあるのだろう。宿願だった憲法改正が遠のいてやる気がなくなったような印象も受ける。

 トランプ大統領の登場によってグローバリズムが終焉し、新たな帝国主義時代が幕を開けようとしている。アメリカが保護主義に走るのだから日本の覇権からも退くのは当然であろう。沖縄から米軍が撤退するのも時間の問題だと思われる。その時アジアの覇権を巡って中国が前に出てくる。これに対して日本が自国の防衛だけにとどまるのか、それとも台湾・ASEAN諸国と同盟を結ぶかどうかが問われる。

 マッカーサーが占領期のどさくさに紛れて制定した憲法を破棄することはおろか、改正すらできない国民が西太平洋の平和に責任を持てるはずがない。つまり新たな日中戦争の直前になし崩し的な格好で憲法は変えられる可能性が大きい。とすると、またぞろ大東亜戦争のように行きあたりばったりの戦闘が行われることだろう。

 愚民の常として私も偉大なリーダーを待望する者であるが、教育改革やメディア改革に大鉈を振るう人物でなければ、この国の国民はいつまで経っても無責任な平和主義者として戦争に反対を唱え続けることだろう。

2019-09-15

進歩的文化人を真正面から批判した嚆矢(こうし)/『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武


 ・進歩的文化人を真正面から批判した嚆矢(こうし)

・『「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛』稲垣武
・『「悪魔祓い」のミレニアム 袋小路脱出へのメディアの役割』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

日本の近代史を学ぶ

 惨憺たる敗戦によってそれまでの神がかり的な皇国思想の迷夢から醒めた日本人は茫然自失した。大多数の知識人も喪家の犬のように右往左往した。戦後に積極、消極を問わず協力した知識人は、そのことを負目としていたうえ、戦犯扱いされる恐れもあったから、その贖罪と救済のためにも何か強力な救い主、メシアが必要だった。
 そこへ戦争に反対して17年も獄中にあったという共産党幹部が出獄し、凱旋将軍のように迎えられた。また彼等の信奉する共産主義も革命とプロレタリアートの独裁による社会主義の建設を経て、共産主義社会という千年王国が地球上に実現するという福音を説くものであったから、メシアとしては十分の資格を備えており、風にそよぐ葦のようなか弱いインテリの連中は先を争って共産主義になびいた。
 また資本主義から共産主義への移行は「歴史の必然」だとする理論も説得力があった。確かに西欧では封建制から絶対王朝、フランス革命を経て資本主義へという歴史の流れがあり、ロシア革命を契機に世界は遅かれ早かれ共産主義へ移行するとの共産主義教の坊主どもの説教は、俗耳に入りやすいものであった。そこでインテリ連中はわれがちに共産主義という天国に入れていただくための免罪符、つまり入場券を買ったのである。
 共産党に入党するのをためらった連中も、シンパになるくらいは気が楽だった。彼等が共産主義の祖国であるソ連をユートピアとして渇仰したのも自然の勢いである。

【『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武〈いながき・たけし〉(文藝春秋、1994年/文春文庫、1997年/新装版PHP研究所)】

 労作である。単行本は上下二段、文庫本は550ページのボリュームだ。進歩的文化人を真正面から批判した嚆矢(こうし)といってよいだろう。文章は冷静かつ緻密で淡々と事実を記している。安易な批判を寄せ付けない気風が滲んでいる。

 共産党幹部が出獄したのは昭和20年(1945年)10月10日に始まる。出獄した彼らは意気揚々とデモ行進を行い、連合国軍最高司令官総司令部おわします第一生命ビルの前で「マッカーサー元帥、万歳!」をした(『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲、『林芙美子・宮本百合子』平林たい子)。共産党はアメリカ占領軍を「解放軍」と持ち上げ、GHQとの蜜月が続く。ところが共産党の声が大きくなるに連れてデモやストライキの規模が大きくなってゆく。昭和25年(1950年)5月30日、共産党が指揮するデモ隊と占領軍が東京の皇居前広場で衝突した(人民広場事件)。GHQは直ちにレッドパージを実施した。

 6月25日に朝鮮戦争が勃発したことを踏まえるとレッドパージはアメリカの都合で行われたものと考えてよい。そもそもルーズベルト政権に共産党分子がかなり侵食しており、ハリー・デクスター・ホワイトなどの高官から常勤スタッフに至るまでソ連のスパイだらけであった。こうした影響はGHQにも及んでおり半分は左派勢力であったことが判明している。

 戦後行われた公職追放は日本の保守陣営を一掃してしまった。その穴に左翼とシンパが入り込んだ。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとマルクス史観は「過去の日本を貶める」という一点において親和性が高かった。日教組や日弁連などは一種の分割統治と考えられるが、現在にまで禍根を残しているのは自民党の無作為という他ない。


祭りと悟り/『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎

2019-06-15

マッカーサー「東京裁判は間違いだった」/『パール判事の日本無罪論』田中正明


『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
・『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ
・『東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎

 ・マッカーサー「東京裁判は間違いだった」

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
・『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール
・『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会
・『東京裁判 全訳 パール判決書』ラダビノード・パール

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 この裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって1年半後、ウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白し、さらに3年後の5月3日、アメリカに戻って上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と言明したのである。

【『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫、2001年/小学館新書、2017年/慧文社、1963年『パール博士の日本無罪論』改題)】

 小学館文庫は巻頭に小林よしのりの「推薦のことば」があり、新書の新版には百田尚樹の解説がある。腑に落ちない改版だ。皇位継承の女系容認をしたあたりから小林のファンが離れた経緯はあるにせよ、『戦争論』『天皇論』の功績を無視することはできない。

 ウェーク島会談は1950年10月15日に行われた。米国議会上院の軍事外交合同委員会の聴聞会は1951年5月3日のこと。東京裁判(極東国際軍事裁判)が終わったのは1948年11月12日である。

 これは原文でわずか4行のテキストだが説明能力に問題があり、しかも誤謬が紛れ込んでいる。マッカーサーが「侵略ではなかった」と言明した事実はない(対訳 マッカーサー証言)。せめて括弧書きにするべきである。田中正明は松井石根〈まつい・いわね〉大将の秘書を務めた人物で、南京大虐殺が嘘の歴史であることを証明しようと精魂を傾けた(『「南京事件」の総括』他)。多分そうした強い思いが筆を滑らせてしまうのだろう。気持ちはわからないでもない。だが「文を書く行為」に慎重さを欠いてしまえば、嘘を批判するために嘘をつくような真似となってしまう。

 中島岳志〈なかじま・たけし〉が『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007年/白水Uブックス、2012年)で「パール判決書は日本無罪論ではない」と主張した。ここに「パール判決論争」が勃発した。

 中島岳志は山口二郎の弟子で、リベラル保守を名乗りながら日本共産党を応援するような手合いである。私は9年前に中島のツイッターをフォローしていたのだが少し経って「ああ、これはダメだな」と気づいた。その後、師匠の山口二郎が大きく左旋回し「アベ政治を許さない!」とやり出す。私の鼻が「尊皇の精神を語る佐藤優」と同じ匂いを嗅ぎ取った。2ちゃんねらーからは「善人面したひき逃げ詐欺師」「飛んで火に入る生け贄詐欺師」「保守ヲタクの薄らサヨク詐欺師」「逃走する新進気鋭詐欺師」と呼ばれているようだ(笑)。

amazonレビュー:星1つ評価

「この本には、戦後世代を覚醒させる力がある」(小林よしのり)。同感だ。少々の誤謬(ごびゅう)があったとしても、やはり本書は読んでおくべき一書である。日本人であればラダビノード・パールという恩人を知らずに生きることは許されないと思う。

 パール判事の死去に際し、田中は次のように詠んだ。「汝(な)はわれの子とまで宣(の)らせ給ひける 慈眼の博士京に眠りぬ」。「君は私の子だ」とまで寄せた信頼を軽んじてはなるまい。

 検索したところ有益な資料が多いため、ここからは他人の褌(ふんどし)で相撲を取る。

 10月15日にウェーク島で、トルーマンとマッカーサーは朝鮮戦争について協議を行った。トルーマンは大統領に就任して5年半が経過していたが、まだマッカーサーと会ったことがなく、2度にわたりマッカーサーに帰国を促したが、マッカーサーはトルーマンの命令を断っていた。しかし、仁川上陸作戦で高まっていたマッカーサーの国民的人気を11月の中間選挙に利用しようと考えたトルーマンは、自らマッカーサーとの会談を持ちかけ、帰国を渋るマッカーサーのために会談場所は本土の外でよいと申し出た。トルーマン側はハワイを希望していたが、マッカーサーは夜の飛行機が苦手で遠くには行きたくないと渋り、結局トルーマン側が折れて、ワシントンから7,500 km、東京からは3,000kmのウェーク島が会談場所となった。

 トルーマンが大いに妥協したにもかかわらず、マッカーサーはこの会談を不愉快に思っており、ウェーク島に向かう途中もあからさまに機嫌が悪かった。同乗していた韓国駐在大使ジョン・ジョセフ・ムチオに、「(トルーマンの)政治的理由のためにこんな遠くまで呼び出されて時間の無駄だ」と不満をもらし、トルーマンが自分の所(東京)まで来てしかるべきだと考えていた。トルーマンの機を先に着陸させるために島の上空でマッカーサー機が旋回していた、会談に1時間遅れて到着したためトルーマンが激怒して「最高司令官を待たせるようなことを二度とするな。わかったか」と一喝したなどのエピソードが流布されているがこれは作り話である。実際にはマッカーサーはトルーマン機の到着を滑走路上で出迎え、そのまま共に会談が行われた航空会社事務所に向かっている。

 その後の会談ではマッカーサーが、「どんな事態になっても中共軍は介入しない」「戦争は感謝祭までに終わり、兵士はクリスマスまでには帰国できる」と言い切った。トルーマンは「きわめて満足すべき愉快な会談だった」と言い残して機上の人となったが、本心ではマッカーサーの不遜な態度に不信感を強め、またマッカーサーの方もよりトルーマンへの敵意を強め、破局は秒読みとなった。

ダグラス・マッカーサー - Wikiwand

 マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。

 米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。

   × × ×

 米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。

 マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。

 5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。

 質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。

 マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。

「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」

「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」

「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」

 会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう。

 もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。

 この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。

【産経新聞 2015年12月24日 【戦後70年~東京裁判とGHQ(5完)】「老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…」石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世】

 リンクが切れているので1~4も紹介しよう。

戦後70年~東京裁判とGHQ 1
戦後70年~東京裁判とGHQ 2
戦後70年~東京裁判とGHQ 3
戦後70年~東京裁判とGHQ 4

 マッカーサーが大統領になれなかったのはこの証言が原因であったというのだ。これは知らなかった。共和党の反応は、GHQと本国の日本に対する認識の違いまで示唆しているように思われる。

 吉本貞昭著『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実 GHQの検閲下で報じられた「東京裁判は誤り」の真相』(ハート出版、2013年)から抄録した以下の動画も参照されたい。


 マッカーサーは絶大な権力を有していたが本国からの指示を無視できる立場ではなかった。日本の首相であった吉田茂はマッカーサーを崇拝しながらも密かに利用した。日本国民は鬼畜米英の旗を下ろしてマッカーサーに親愛の情を示した。歴史の細部は政治的行動に染まっている。そう考えると「真実の歴史」など存在しないことがわかる。ただ、嘘の歴史と新しい事実が交錯する中で我々の史観が練り上げられるのだろう。

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2019-02-06

マッカーサーの深慮遠謀~天皇制維持のために作られた平和憲法/『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦

『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

 ・マッカーサーの深慮遠謀~天皇制維持のために作られた平和憲法

『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図』五百旗頭真
『村田良平回想録』村田良平『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 マッカーサーは、日本占領のためには、天皇制の下(もと)の政治体制維持が必要であり、それに反対する連合国、ワシントンの強硬派からその政策を守るために日本に絶対平和主義を維持させることが必要だ、という大戦略を決めて、それを徹底的に守った。そして朝鮮戦争勃発後でさえ、ダレスの再軍備論に反対して、日本の経済力を使えばよいと主張している。
 この間、吉田の言動は影が形を追う如く、このマッカーサーの言動と一致している。そうした発言は周知のことであり、引用するまでもないが、ここで一つ特異な例を挙げると、1950年1月の施政方針演説で吉田は突然自衛権を認める発言を行い、態度の豹変と非難されたが、じつはその内容は元旦に発表されたマッカーサーの年頭メッセージとまったく同じであった。この発言の背景については追って考察するが、再軍備しないで自衛権を認めるとなると論理的にはアメリカ軍による庇護(ひご)にならざるをえず、のちの日米安保条約の伏線(ふくせん)ともなりうるものである。
 いずれにしても吉田としては、平和条約を締結して独立を回復するためには、あくまでもマッカーサーの意に反しない行動をとる必要があったことは理解できる。吉田にとって大事なのは、遠いワシントンから着ているダレスではなく、げんに日本を支配しているマッカーサーとの関係であるのは当然である。仮定の問題として、もしマッカーサーが朝鮮戦争勃発後、180度方針を転換し、ダレスと同じ日本再軍備路線をはっきりとっていたならば、吉田がそれに抵抗して反戦、経済中心主義を貫いたとはとうてい考えられない。

【『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦(PHP研究所、2002年/PHP文庫、2003年)】

 現行憲法制定についてはアウトラインもはっきりせず様々な輪郭(りんかく)を描くスケッチが多い。そのいくつかを知るだけでも岡崎の指摘の重要さを理解できるだろう。

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行
憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れて マッカーサー』西鋭夫

 もちろんマッカーサーは占領政策のために天皇を利用したのであり、日本が唯一念願した国体護持に応えたものではない。まして戦後日本に現行憲法が及ぼした悪影響を思えば、安易な感謝は卑屈と紙一重となろう。ただありのままの事実を見て歴史の妙に感慨を深くするものである。

 近頃は保守言論人からもウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP:戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)やコミンテルン陰謀説(ヴェナノ文書)で戦後史を片付けることをよしとしない声が挙がり始めた。

 よく言われることだが「アメリカは一つではない」。当時も現在も相反する考え方があり、様々な駆け引きや妥協を通して政策が決定される。日本においても同様で大正デモクラシーで花開いた政党政治から昭和初期の軍部の台頭まで主要な動きが民意の反映であったことは疑いない。「愚かな指導者に国民が引きずられた」とするのは典型的な左翼史観である。

 敗戦という精神の空白時代に平和憲法を受け入れたことはある意味自然な流れであろう。また戦前に弾圧された左翼勢力が社会で一定の支持を得ることも予想できる範囲内だ。あの二・二六事件ですら社会主義的な色彩が濃度を増していたのだ。

 GHQの占領は6年半に及んだ。日本はサンフランシスコ講和条約(1951年9月8日署名、1952年4月28日発効)をもって主権を回復する。本来であればこのタイミングで憲法を変えるべきであった。あるいは「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年〈昭和28年〉8月3日)でもよかった。

 日本が1956年に国際連合へ加わったがこの時、日本を代表して演説を行った重光葵〈しげみつ・まもる〉外務大臣は元A級戦犯である。つまり東京裁判で認定した日本の戦争犯罪がナチスのそれとは違っていたことが国際的にも認められたと考えられる。かつての戦犯が政治家として復活しても昨今のネオ・ナチズムのように批判されることはなかったのだ。

 問題はなぜ憲法を変えなかったのか、である。

 男が言うには、戦争に行って生きて帰ってきた人間の魂は皆死んでしまっており、その魂の死を断固として拒んだ勇敢な人間たちは皆肉体が死んでしまったのだそうだ。つまり戦争というものは行けば誰一人として生きて帰らないのであり、男もまたフィリピンの密林の中で魂を失った、人間の抜け殻なのだと言う。

【『増大派に告ぐ』小田雅久仁〈おだ・まさくに〉(新潮社、2009年)】

 そういうことなのかもしれない。

 

2018-12-11

ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・天才戦略家の戦後
 ・ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 5月27日は、ソ連の予審判事が3人やってきた。陰湿な男で、いきなり満州事変について質問した。
 石原は昭和8年ジュネーブでの国際連盟臨時総会に出席する途中、招かれてソ連のエゴロフ総参謀長と会ったことを話した。するとソ連の検事は顔色を変え、一瞬言葉に詰った。相手が余りにも大物だったからである。
 ソ連の検事は「国体」について尋問した。石原は「天皇中心とした国家でなければ日本は治まらない」と理由を説明した。ところが共産党国家の検事はせせら笑って、スターリンのソ連国体を持ち出した。その時、石原はムッとして、
「自分の信仰を知らずして、他の信仰を嘲笑うような下司なバカ野郎とは話したくない。帰れ!」と激怒した。通訳官が慌てて、「この人は、ソ連では優秀な参謀です。話をすれば分かると思います。ぜひ進めてください」と頼んだ。
 すると石原は、「バカなことを言うな。こんなのはソ連では参謀で優秀かも知れんが、日本には箒で掃き出すほどいる。こんなバカとは口をききたくない、帰れ」と突っぱねた。
「分かるように話してやる。君らはスターリンといえば絶対ではないか。スターリンの言葉にはいっさい反発も疑問も許されないだろう。絶対なものは信仰だ。どうだ判ったか。自分自身が信仰を持っていながら、他人の信仰を笑うようなバカには用はない。もう帰れ」
 それきり、石原は口を固く閉じた。

【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)】

 天才とは規格外の才能を意味する。凡人が理解できるのは秀才までで天才が放つ光は時に「狂」と映る。やや礼賛に傾きすぎていて人物の描き方は浅いと言わざるを得ないが、それでもかつての日本にこうした人物がいたことを知る必要があろう。

 石原莞爾〈いしわら・かんじ〉は満州事変の首謀者で、1万数千名の関東軍を率いて23万人を擁する張学良〈ちょう・がくりょう〉軍を打ち破った。その名は軍事的天才として世界に知れ渡った。二・二六事件では単身で鎮圧に乗り出し、凄まじい剣幕で反乱軍兵士を怒鳴りつけ、青年将校にピストルを突きつけられても微動だにすることがなかった。

 二・二六事件のとき、石原は東京警備司令部の一員でいた。そこに荒木貞夫がやって来たとき、石原は「ばか! お前みたいなばかな大将がいるからこんなことになるんだ」と怒鳴りつけた。荒木は「なにを無礼な! 上官に向かってばかとは軍規上許せん!」とえらい剣幕になり、石原は「反乱が起こっていて、どこに軍規があるんだ」とさらに言い返した。そこに居合わせた安井藤治東京警備参謀長がまぁまぁと間に入り、その場をなんとかおさめたという。

Wikipedia

 後に昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している(『昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記』文藝春秋、1991年)。

 石原は満州国を建国した後は一貫して平和主義者の態度を変えていない。しかしながらさすがの彼も関東軍の暴走を抑えることはできなかった。ここが凡人にはわかりにくいところである。暴走した石原の腹心は石原の行動に倣(なら)っているつもりであったのだ。

 大東亜戦争の戦線拡大に反対し続けた石原は遂に犬猿の中であった東條英機〈とうじょう・ひでき〉の暗殺にゴーサインを出す。その時刺客を務めることになったのが木村政彦であった(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也)。また東京裁判の酒田出張法廷に出廷する際、病に伏していた石原をリヤカーに乗せて運んだのは大山倍達〈おおやま・ますたつ〉であったと伝えられる。

 極端から極端へと走る姿がいかにも日蓮主義者らしい。同時期の国柱会信者には宮沢賢治がいた。

2018-12-09

大東亜戦争は武士の時代から商人の時代へと日本を変えた/『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉


『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『日本の秘密』副島隆彦

 ・大東亜戦争は武士の時代から商人の時代へと日本を変えた

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 総体的に、日本の保守政治は、選挙区への利益誘導と、その海外への延長である利権ばら撒きしかないのである。それ以外のことは無関心で、全部アメリカに任せてある。
 いま、ブッシュ政権に憎悪され敵視されているのは、この体制なのである。
 日本は悪いことはしないと誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が置きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
 そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑俗化した。気品を失った。
 大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
 戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。

【『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈かたおか・てつや〉(講談社+α文庫、1999年/講談社、1992年『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』の改訂増補版)】

 ノーブル(noble、英語)とは高貴さのこと。ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige、高貴なる者の義務)のノブレス(フランス語)と同じ意味だ。

 片岡鉄哉のスケッチは実にわかりやすい。55年体制が自民党内に腐敗を生み、社会党は時代の変化に対応することなく野党の位置に甘んじてきた。この体制を38年間にわたって国民は支持した。かつては武士道のイメージで見られた日本人は、貧相な顔と体そして眼鏡とカメラというアイコンに変わり果てた。戦時中から敗戦後に抱えた「生活さえよければ」との願望はバブル景気に至っても止(や)むことがなく、バブル崩壊後長い低迷期を経てますます強くなっている感がある。日本人が目指したのは飽食だったのだろう。国家を顧みる人はいなかった。

 大東亜戦争は武士の時代から商人の時代へと日本を変えた。経済的成功者を英雄と見なす風潮がはびこった。政治家や官僚、学者や僧侶までもが商人と堕した。いかにマネーを獲得するかというゲームが現代の狩猟である。

 かつては投資=利殖ではない時代があった。タニマチのような存在が各所にいた。まだ若く貧しかった勝海舟を見込んだ渋田利右衛門〈しぶた・りえもん〉は初めて会ったその日に200両もの大金を渡して「あなたの好きな本を買って、読み終えたら私に送って下さい」と申し出た(『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編)。かような金満家は現在いるだろうか?

『世界!ニッポン行きたい人応援団』を見ると、日本の伝統工芸が落ちぶれてゆく様子がありありとわかる。売れない物は淘汰されてゆくのが資本主義の原則である。篤志家がいないのであれば国が補助金を出すべきだと思うのだが、クールジャパンに出すカネはあっても伝統工芸に回すカネはないようだ。

 人を育て才を伸ばすために喜捨されたカネがどれほど日本を豊かにしてきたことか。現代のスポンサーシップはメディアに向かってのみ発揮される。新聞・テレビが新たな利殖の温床と化し、広告代金を分配するシステムが構築されている。芸人と呼ぶのも躊躇(ためら)われるようなお笑いタレントが数千万円~数億円もの年収を稼ぐ時代となった。世も末である。

2018-12-07

片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃/『日本の秘密』副島隆彦


『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優

 ・片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃
 ・『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料

『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『國破れて マッカーサー』西鋭夫

 国立公文書館に通うかたわら、私はワシントンのいわゆる“Kストリート”と呼ばれる地区に散在する戦略研究所(シンクタンク)を回って、紹介者を介して東アジア専門の戦略研究の学者・研究員たちの部屋を訪ねた。
 そのうちのひとつであるケイトリー研究所の安全保障問題(ナショナル・セキュリティ/軍事・防衛)の責任者であるテッド・ガレン・カーペンターに面会して話した。そのとき「自分は今、敗戦直後の国務省の対日本占領政策関係の文書を読んでいる」と私が話すと、「日本人学者の本でいい本があるぞ。それはカタオカという人の本だ。知らないのか」と教えられた。その本を出して来て見せてくれた。
“The Price of A Constitution,1991,by Tetuya Kataoka”という本だった。勝手に直訳すれば『ある憲法の代償』あるいは『ある政治体制が支払った代償』というタイトルの本である。
 私は東京に帰ってからこの本には邦訳があることを知った。『さらば吉田茂』(文藝春秋、1992年刊)である。著者の片岡鐵哉(てつや)氏はスタンフォード大学フーバー研究所上級研究員である。前は筑波大学や埼玉大学の教授をしておられた。(中略)
 私はこの本を読んで驚愕した。読みながら本当に手足が震えるのを感じた。自分が知りたかった日本の敗戦後の政治秘話が正確に書かれていたからだ。

【『日本の秘密』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉(弓立社、1999年/PHP研究所新版、2010年)】

 副島隆彦は『日本の秘密』で本書を取り上げ、「自民党内の凄まじい権力闘争」と書いているが、私はそうは思わない。むしろ敗戦後、国体を守ることができた事実に安堵し、瑣末な駆け引きの中で安全保障を見失ったように見える。やはり敗戦のショックが日本をバラバラにしたのだろう。民主化の虚しさを感じてならなかった(読書日記)。片岡本の読後感想だが今となっては思い出すことも難しい。スタンフォード大学フーバー研究所つながりで西鋭夫〈にし・としお〉と併せて読むことを奨(すす)める。

 私が驚いたのはアメリカの情報収集能力の高さである。「一体どこまで網を広げているのか?」というレベルである。やはりキリスト教文化は世界を把握する意識が抜きん出ている。

 副島本を先に読んでから片岡本に取り組むのがよい。で、再び副島本を読み返す。

 戦前戦後の流れを俯瞰すると、大正デモクラシー~軍部暴走=政党政治の挫折~戦争という流れの中で外交畑出身の幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉と吉田茂が果たした役割は大きい。