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2021-02-14

精神障碍者を町に解き放つ/『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄

 ・精神障碍者を町に解き放つ

『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 べてるのメンバーはどんどん町へ出ていく。病気が治ってからとか、症状がよくなってから、というのではない。症状が良くても悪くても、よほど状態が悪かったり急性期の錯乱状態でもなければ、本人に外に出ていきたいという意志や意欲があれば、積極的に後押しして町へ出ていけるようにしている。(中略)
 患者さんが町に出ていくと問題が起きやしないかと心配する人がいる。しかしべてるでは、誰もそんな心配はしない。むしろ問題が起こることを歓迎する。問題が起こった方が、問題の在りかが明らかになり、それが問題解決の手がかりになる。そもそも、べてるには、問題は必ず解決しなければいけないという発想がない。すぐに解決するような問題は放って置いてもたいしたこがないし、逆に、本質的な大問題は少々の努力をしてみても、すぐにどうこうなるものではないからだ。

【『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男〈しのみや・てつお〉(北海道新聞社、2002年)】

 四宮鉄男はドキュメンタリー映画監督で、長期間に渡ってべてるの家を撮り続けてきた。斉藤道雄著『悩む力 べてるの家の人びと』と同年に刊行されており、べてるが広く社会に知られるきっかけとなったことだろう。驚くほど文章が巧みで著作が一冊しかないのはもったいない限りである。必読書に入れてもよかったのだが既にべてる本は3冊あるため教科書本とした。

『ベリー オーディナリー ピープル』は全8巻、続いて『シリーズ・精神分裂病を生きる』は全10巻のビデオ作品となっている。たった今知ったのだが林竹二〈はやし・たけじ〉の映像作品も撮っていた。こりゃ本物ですな。現在入手可能な作品は限られているが、図書館を探せばビデオ作品は見ることができるかもしれない。尚、一連の映像はコピー可で営利を目的としていない。

 精神障碍者といえばどうしてもレッサーパンダ帽男殺人事件(2001年)を思い出してしまう。

『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫

 あの頃は幼児を高層マンションから投げ落とす事件が何度も起こった(児童投げ落とし事件の考察 異常犯罪行動学の試み:佐藤弘弥)。後日報道が途絶えた。いずれも知的障碍者や精神障碍者の犯行だった。本書でも池田小事件(2001年)が起こった際のべてるメンバーの反応が紹介されている。犯人は統合失調症であった。

 こうした事件があると「精神障碍者は危ない」となりがちだが、そこには認知バイアスが働いている。殆どの障碍者は罪を犯していない。健常者だって人を殺す。正確な犯罪率を出すことにも意味はないだろう。例えば都道府県の窃盗犯罪率を調べて、最も多い県名を挙げて「泥棒県」と評価するような行為に堕してしまう。こうしたデータは原因を究明するところに意味があり、長期的な視点に立たないと単純な現状批判の刃(やいば)になりかねない。

「開かれた社会」という言葉がある。べてるが行ったのは「社会を開かせる」一種の蛮行であった。横紙破りといっていい。地域に迷惑をかけ、110番通報されることも多かった。しかし数年を経て地域に溶け込み、更にはなくてはならない存在にまでなるのである。べてるの家は地域密着サービス事業を行い、勇名を馳せてからは観光資源にまでなる。ともすれば障碍者の自由は地域住民の不自由につながりなけないが、不自由と自由が入り乱れて予測し得ない化学反応を起こした。

 私が知る限り、べてるの家は最高に理想的なコミュニティである。ダイアローグ(対話)の意味はべてるを知らずして理解できまい。向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉(ソーシャルワーカー)と川村敏明医師の功績は年々輝きを増している。





2020-10-28

ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳


『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳

 ・ストア派の思想は個の中で完結

必読書リスト その五

 「なぜ多くの逆境が善き人に生じるのですか」。善き者には悪は何一つ生じえない。正反対のもの同士は混ざらないからである。それはちょうど、かくも多数の河川が、上空から落下した、かくも多量の雨水が、鉱泉のかくも多大な成分が、海の味を変えないどころか、薄めすらしないのと同じである。同様に、逆境の攻撃は勇者の精神を背(そむ)かせはしない。同じ姿勢を保ち、生じ来(きた)るいっさいを己の色に変える。いかなる外部の事象よりも協力だからである。それらを感じないというのではない。打ち克つのだ。そして、いつまでも、平穏に穏やかに、襲いかかるもの抗して屹立(きつりつ)し、あらゆる逆境を鍛錬とみなす。しかし、いかなる男子が、高潔な行為へと一度その意を定めた者ならば、正義の労苦を熱望しつつ、危険のともなう任務を志願せずにいられようか。

【『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也〈かねとし・たくや〉訳(岩波文庫、2008年/『怒りについて 他一篇』茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳、岩波文庫、1980年)】

 旧訳と併せて読むのが正しい。茂手木訳には「神慮について」が、兼利訳には「摂理について」と「賢者の恒心について」が収められている。甲乙つけがたい翻訳だ。

 ストア派の思想は個の中で完結している。時代や社会がどうあれ、問われるのは己の生き方だ。否、「あり方」というべきか。人の悩みや葛藤は往々にして比較と競争から生まれる。そこに社会的動物の所以(ゆえん)もあるのだろう。

 他人にどう見られるかよりも、自分がどうあるかを問う。集団の中で生きれば様々な問題を他人のせいにしたくなるのは人情だが、「あいつが悪い、こいつが悪い」と言ったところで、そこにあるのは「変わらぬ自分の姿」だ。他人をコントロールすることは難しい。自分で自分を動かす方が賢明だ。

 セネカの言葉はあたかも鹿野武一〈かの・ぶいち〉を語っているかのようである(『石原吉郎詩文集』石原吉郎)。酷寒の地シベリアに抑留されながらも自分の人生を決して手放すことのなかった稀有な人物だ。私はどんな功成り名を遂げた有名人よりも鹿野の生き様に憧れる。

 西洋哲学はおしなべて思弁に傾く嫌いがあるが、セネカの言葉には決意の奔流ともいうべき勢いが溢れ、2500年を経ても留(とど)まるところを知らない。

2020-07-02

解放の時/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社
 ・解放の時

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その二

 巨大な馬にまたがった彼らは、灰色の空と灰色の雪の間で、宙に浮いているかのようで(道は収容所よりも高かった)、その骨肉をそなえた存在感は圧倒的だった。彼らは雪解けの気配を感じさせる湿った風にあおられながら、じっと立(ママ)たずんでいた。
 私たちが光の消えた天体のようにして、十日間、内部をさ迷い続けた、死でいっぱいの虚無が、その堅固な核を、凝結する核を見出したように思えたし、それは実際にそうだったのだ。4人の武装した男たち。だがその武器は私たちに向けられたものではなかった。4人の平和の使者。彼らは厚い毛皮の帽子の下に、まだ幼さの残る素朴な顔つきを見せていた。
 彼らはあいさつもせず、笑いもしなかった。彼らは憐れみに以外に、訳の分からないためらいにも押しつぶされているようだった。それが彼らの口をつぐませ、目を陰うつな光景に釘付けにしていた。それは私たちもよく知っていたのと同じ恥辱感だった。選別の後に、そして非道な行為を見たり、体験するたびに、私たちが落ち込んだ、あの恥辱感だった。それはドイツ人が知らない恥辱感だった。正しいものが、他人の犯した罪を前にして感じる恥辱感で、その存在自体が良心を責めさいなんだ。世界の事物の秩序の中にそれが取り返しのつかない形で持ち込まれ、自分の善意はほとんど無に等しく、世界の秩序を守るのに何の役にも立たなかった、という考えが良心を苦しめたのだ。
 こうして私たちにとっては、解放の時さえも、重苦しく、閉ざされたものになった。心は、喜びと同時に、過度の慎みの感覚に満たされた。私たちはこうした感覚によって、良心の呵責(かしゃく)を軽減し、わだかまっている不快な記憶を取り去れると思った。だが心の中には苦痛も入り込んできた。なぜなら私たちはそれが起こりえないことを感じていたからだ。冒涜(ぼうとく)の印は私たちの中に永遠に刻まれ、それに立ち会ったものたちの記憶に、それが置きた場所に、これから語られる物語の中にずっと残るはずだった。というのも、これは私たちの民族、私たちの世代の恐ろしい特権なのだが、私たち以上に、疫病のように伝染する、その冒涜(ぼうとく)の癒(い)やしがたい性質を理解しているものはいなかったからだ。人間の正義がそれを根絶するなどと考えるのは愚かなことである。それは無尽蔵の悪の根元なのだ。それは収容所に入れられた犠牲者の体と心をずたずたにし、打ちのめし、破滅させた。そして虐待者には汚名としてつきまとい、生き残ったものには憎悪として永遠に巣くって、みなの意志に反し、復讐(ふくしゅう)の渇望、道徳的敗北、拒絶感、厭世(えんせい)観、諦念(ていねん)といった具合には、様々な形で現れるのだった。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

 解放の時は静かに訪れた。姿を見せたのは若いソ連兵だった。プリーモ・レーヴィがアウシュヴィッツから解放されたのは1945年のこと。カティンの森事件が1940年である。ソ連兵はスターリンによる粛清の嵐を呼吸しながら育ったのだろう。強大な暴力の痕跡は驚くほど酷似している。それがどんな暴力であったにせよ。人々を傷つけ、切り裂き、踏みつけ、穴を開け、ズタズタにし、朽ち果てさせるのだ。

 長い無力感の中で潮が満ちるように増した怒りは歳月にしたがって大きく育ってゆくに違いない。「歴史を変えることはできない」というプリーモ・レーヴィの宣言とも読める。しかしながら当事者以外は改竄(かいざん)された歴史を鵜呑みにし、歴史から目を背け、歴史を忘却し、同じ歴史を繰り返すのだ。殺戮(さつりく)が人間の業であれば、これを転換した宗教はいまだにない。むしろ宗教は虐殺の燃料として憎悪の火炎を拡大させた。

 あまりにも静かな精神は「変えることのできない過去」をじっと見つめていた。それが起こり得た世界を許すことは決してできないだろう。アウシュヴィッツを出ても、癒えぬ傷から血を流しながら生きてゆくことに変わりはない。まるで生きることは罪であるかのようだ。

2020-05-18

幕末の日本は「子どもの楽園」だった/『逝きし世の面影』渡辺京二


『日本人の誇り』藤原正彦
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

 ・失われた日本の文明
 ・幕末の日本は「子どもの楽園」だった
 ・「日本ほど子供が大切にされている国はない」と外国人が驚嘆

『幕末外交と開国』加藤祐三
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本について「子どもの楽園」という表現を最初に用いたのはオールコックである。彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわ」してそう感じたのだが、この表現はのちのち欧米人訪日者の愛用するところとなった。
 事実、日本の市街は子どもであふれていた。スエンソンによれば、日本の子どもは「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。1873(明治6)年から85年までいわゆるお雇い外国人として在日したネットーは、ワーグナーとの共著『日本のユーモア』の中で、次のようにそのありさまを描写している。「子供たちの主たる運動場は街上(まちなか)である。……子供は交通のことなどすこしも構わずに、その遊びに没頭する。かれらは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担いだ運搬夫が、独楽を踏んだり、羽根つき遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、紙鳶(たこ)の糸をみだしたりしないために、すこしの迂り道はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者(うまののりて)や馭者を絶望させうるような落着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する」。
(中略)こういう情景はメアリ・フレイザーによれば、明治20年代になってもふつうであったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって坐っている太った赤ちゃんを抱きあげながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤード(=9.144m)ごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ」のだった。

【『逝きし世の面影』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社ライブラリー、2005年/葦書房、1998年『逝きし世の面影 日本近代素描 I』改題)】

「子は授(さず)かりもの」と日本人は考える。誰から授かったのであろうか? 天である。ただしシナのとは異なり天地(=人智の及ばぬ大自然)の意味合いが強い。

 人力車が発明されたのは明治に入ってからのことだから往来はまだまだ人のものであった。それでも尚、外国人の目を瞠(みは)らせる何かがあったのだろう。欧米の児童教育は矯正を目的としており、子は鞭打たれる存在であった。そんな彼らからしてみると日本の子供たちはさながら野生動物のように見えたのだろう。

 私の小学生時代がちょうど100年後(1973年)である。札幌ではアスファルト舗装されていない道路も多かった。モータリゼーションが興ったのは1960年前後からで80年代までクルマは増え続けた。それでもまだ私が子供の時分は道路で遊ぶことができた。時折走るクルマはけたたましいクラクションを鳴らした。ドライバーからすれば子供と年寄りは交通を妨げる邪魔な存在でしかなかった。道路はクルマのものとなったのだ(『自動車の社会的費用』宇沢弘文)。

 渡辺京二は『苦海浄土 わが水俣病』(石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉著)の編集者として知られる。「当初『海と空のあいだに』と題されたこの小説の原稿を郷土文化雑誌の編集者として受け取ったのが、評論家・思想史家の渡辺京二さんだ」(88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」 | 文春オンライン)。原稿の校正はもとより、掃除から食事に至るまで面倒を見たという。戦後の一時期は左翼として活動していた過去を持つ人物だ(【インタビュー】渡辺京二(思想史家・87歳)「イデオロギーは矛盾だらけ。だから歴史を学び直し人間の真実を追究するのです」 | サライ.jp)。

『苦海浄土』は紛(まが)いなく傑作である。私が「必読書」に入れなかったのは小説であるにもかかわらずノンフィクションとして扱われることを石牟礼がよしとしたためだ。水俣の被害者を左翼が支援したのは当然だろう。しかしそれが政治臭を帯びると反権力闘争のために水俣病が利用される本末転倒が起こる。チッソは違法行為を犯したわけではなかった。文明が発達する時には必ず何らかの犠牲が生じる。そこで国家の振る舞いが問われるのだ。

 1990年代まで知識人が赤く染まっていた事実を踏まえれば石牟礼道子はまだリベラルと言えるのかもしれないが、どうも私は好きになれない。渡辺京二も本書を通して古きよく日本を懐かしんでいるわけではなく、断絶した時代として相対化しているのである。「逝きし世」は「滅んだ文明」を意味する(『荒野に立つ虹』)。

 石原吉郎と比べると石牟礼や渡辺はヒモ付きに見えてしまう。

2020-02-10

「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 小説は短篇の方が難しいといわれる。限られた紙数で物語を描くのだから構成や結構で勝負するしかない。石原吉郎は詩人であるが、味わい深い短篇小説も残している。

「気がかりな夢から目を覚ますと男は毒虫になっていた」というカフカ的手法に近い。不条理を戯画化することでシンボリックに描き出している。

 主人公の男は棒をのんでいる。なぜ棒をのまないといけないのかは一切語られない。

 要するにそれは、最小限必要な一種の手続きのようなものであって、「さあ仕度しろ」というほどの意味をもつにすぎない。それから僕の返事も待たずに、ひょいと肩をおさえると、「あーんと口を開けて」というなり、持ってきた棒をまるで銛でも打ちこむように、僕の口の中へ押しこんでしまうのである。その手ぎわのたしかさときたら、まるで僕という存在へ一本の杭を打ちこむようにさえ思える。
 一体人間に棒をのますというようなことができるのかという、当然起りうる疑問に対しては、今のところ沈黙をまもるほかはない。なぜなら、それはすでに起ったことであり、現に今も起りつつあることだからだ。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)以下同】

 石原吉郎はシベリア抑留という不条理を生きた。

 敗戦必至という状況下で日本政府は天皇を守るため、ソ連に労働力を提供する申し出をしていた。この取引は実現することはなかったが、酷寒のシベリアに連れ去られた同胞を政府が見捨てたのは事実であった。

 それはまさしく「棒をのまされた」様相を呈していた。

 それにしても僕が、なんの理由で刑罰を受けなければならないかは、やはり不明である。

 僕はその日いちにち、頭があつくなるほど考えてみたが、何がどういうふうにしてはじまったかは、ついにわからずじまいだった。

 こうした何気ない記述の中には石原が死の淵で叫んだであろう人生に対する疑問が込められている。具体的には国家に対する疑問でありながら、理不尽や不条理はやはり神に叩きつけるべき問題だ。

 理由が不明で、いつ始まったかもわからない──こんな恐ろしいことがあるだろうか? 不幸はいつもそんな姿で現れる。

 僕がこころみたおかしな抵抗やいやがらせは、もちろんこれだけではない。だがそれはつまるところ、棒に付随するさまざまな条件に対する抵抗であって、かんじんの棒をどう考えたらいいかという段になると、僕にはまるっきり見当がつかないのである。僕が棒について、つまり最も根源的なあいまいさについて考えはじめるやいなや、それは僕の思考の枠をはみだし、僕の抵抗を絶してしまうのだ。要するに災難なんだ、と言い聞かせておいて、帽子をかぶり直すという寸法なのだ。

 ここだ。巧みな描写で石原は政治と宗教の違いを示している。「棒に付随する条件への抵抗」が政治、「棒の存在そのもの」が宗教的次元となろう。

 棒をのまされたことで、主人公はどうなったか?

 すると、その時までまるで節穴ではないかとしか思えなかった僕の目から、涙が、それこそ一生懸命にながれ出すのである。
 だがそれにしても、奇妙なことがひとつある。というのは、いよいよ涙が、どしゃ降りの雨のように流れ出す段になると、きまってそれが一方の目に集中してしまうのである。だから、僕が片方の目を真赤に泣きはらしているあいだじゅう、僕のもう一方の目は、あっけにとられたように相手を見つめているといったぐあいになるので、僕は泣いているあいだでも、しょっちゅう間のわるい思いをしなければならないのだ。やがて、いままで泣いていた方の目が次第に乾いてきて、さもてれくさそうに、または意地悪そうにじろりと隣の方を見つめると、待っていたといわんばかりに、もう一方の目からしずかに涙がながれ出すというわけである。

 私は震え上がった。不条理は一人の人間の感情をもバラバラにしてしまうのだ。悲哀と重労働、飢えと寒さがせめぎ合い、生きる意志は動物レベルにまで低下する。希望はあっという間に消え失せる。今日一日を、今この瞬間をどう生き抜くかが最大の課題となる。

 帰国後、更なる悲劇が襲った。抑留から帰還した人々をこの国の連中は赤呼ばわりをして、公然とソ連のスパイであるかのように扱ったのだ。菅季治〈かん・すえはる〉は政治家に利用された挙げ句に自殺している(徳田要請問題)。

 石原の心の闇はブラックホールと化して涙を吸い込んでしまった。

「それに場所もなかったよわね。あんなところで問題を持ち出すべきじゃないと思うな。」
「じゃ、どこで持ちだすんだ。」
「そうね、裁判所か……でなかったら教会ね。」
 僕は奮然と立ちあがりかけた。
「よし、あした教会へ行ってやる。」
「そうしなさいよ。」
 彼女は僕の唐突な決心に、不自然なほど気軽に応じた。
「それでなにかが変ることはないにしてもね。」

 裁判所と教会の対比が鮮やか。どちらも「裁きを受ける場所」である。最後の一言が辛辣(しんらつ)を極める。政治でも宗教でも社会を変えることは不可能であり、まして過去を清算することなど絶対にできない。それでも人は生きてゆかねばならない。

 果たして、「棒」は与えられた罪なのだろうか? そうであったとしても、石原は過去を飲み込んだのだろう。鹿野武一〈かの・ぶいち〉や菅季治の死をも飲み込んだに違いない。体内の違和感に突き動かされるようにして、石原は言葉を手繰ったのだろう。

ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 自覚された状態としての失語は、新しい日常のなかで、ながい時間をかけてことばを回復して行く過程で、はじめて体験としての失語というかたちではじまります。失語そのもののなかに、失語の体験がなく、ことばを回復して行く過程のなかに、はじめて失語の体験があるということは、非常に重要なことだと思います。「ああ、自分はあのとき、ほんとうにことばをうしなったのだ」という認識は、ことばが取りもどされなければ、ついに起こらないからです。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 言葉を取り戻さなければ失語の体験を語ることができない。人は語り得ることを失った時、言葉を失うのだろう。凍てつく大地で強制労働をさせられ、目の前で同胞が虫けら同然に殺されてゆく。しかも祖国は手を差し伸べてはくれない。更に周囲は社会主義の洗脳で赤く染まってゆく。語るべき言葉を失い、沈黙の中で死んでいった人々もまた多かったことだろう。その壮絶を思え。日本政府は北朝鮮による拉致事件でも同じことを繰り返した。この国には命を捨てて守るほどの価値はないかもしれない。

詩は、「書くまい」とする衝動なのだ/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。(「詩の定義」)

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 これは決して「気取った文章」ではない。戦後、シベリアのラーゲリに抑留された石原にとって「言葉を語る」ことは、そのまま実存にかかわることもあった。言葉にした途端、事実は色褪せ、風化してゆく。時間の経過と共に自分の経験ですら解釈が変わってゆく。物語は単純化され、デフォルメされ、そして変質する。

 石原は「語るべき言葉」を持たなかった。シベリアで抑留された人々は、「国家から見捨てられた人々」であった。ロシアでも人間扱いをされなかった。すなわち「否定された存在」であった。

 消え入るような点と化した人間が、再び人間性を取り戻すためには、どうしても「言葉」が必要となる。石原吉郎は詩を選んだ、否、詩に飛び掛かったのだ。沈黙は行間に、文字と文字との間に横たわっている。怨嗟(えんさ)と絶望、憎悪と怒り、そしてシベリアを吹き渡る風のような悲しみ……。無量の思いは混濁(こんだく)しながらも透明感を湛(たた)えている。

 帰国後、鹿野武一(かの・ぶいち)を喪った時点で、石原は過去に釘づけとなった。シベリアに錨(いかり)を下ろした人生を生きる羽目となった。石原は亡霊と化した。彼を辛うじてこの世につなぎ止めていたのは、「言葉」だけであった。


「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子

2019-12-31

瀬島龍三スパイ説/『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治


『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 ・第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった
 ・瀬島龍三スパイ説

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 瀬島龍三は関東軍高級参謀であり、ジャリコーヴォの停戦会談に同行し、東京裁判にソ連側承認として出廷するなど、シベリア抑留では何かと話題になった人物である。瀬島についてはシベリ抑留密約説やソ連スパイ説のような疑惑が根強く流されている。
 しかし、スパイとなった菅原(道太郎)は昭和22年に、志位(正二)は昭和24年に帰国していることからもわかるように、「スパイに同意すれば早く帰す」が条件だった。そうでなければ帰国後スパイとして利用価値のある高い地位に昇進できないからだ。現に、「日本新聞」編集長だったコワレンコは、シベリア抑留者から徴募する「エージェントの条件は、まず頭が切れる人、そして帰国後高い地位に就ける人だ」とし、そういう人を【早期に帰還する】グループに入れたとインタビューで証言している。(共同通信社社会部編『沈黙のファイル』)。
 瀬島は「戦犯」として長期間勾留され11年後に帰還しているが、対日スパイなら監獄で長々と無駄飯を食わせず早期帰国させたはずだ。瀬島は職業軍人と受刑者という人生経験しかないのに48歳という中年で伊藤忠商事に入社し、20年でトップの会長にまで上り詰める異例の出世を遂げたし、中曽根内閣でブレーンになるなど政治の世界でも活躍した。結果的には「帰国後高い地位」に就いたとはいえ、これをしもKGBの深慮遠謀とはいえまい。

【『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治〈ながせ・りょうじ〉(新潮選書、2015年)】

瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 歴史の評価もさることながら人物の評価ですらかくも難しい。瀬島が寝返るのに11年を要したと考えれば長勢の見方は崩れる。一方、佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉は印象や状況証拠に基づいており具体性を欠く。

 佐々は父の弘雄〈ひろお〉が近衛文麿のブレーンであり尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉と親しかったことが人生に長い影を落としている。また親友の石原慎太郎を「一流の政治家」とする判断力に蒙(くら)さを感じないわけでもない。それでも捜査現場で培ってきた勘を侮るわけにはいかない。個人的には「スパイの可能性がある」にとどめておきたい。

 ある情報を上書き更新するためには古い情報を上回る情報量が必要となる。例えば私が東京裁判史観から抜け出すためには数十冊の本を必要とし、100冊を超えてからは確信に変わり、200冊を上回ってからは国史から世界史を逆照射することができるに至った。学校教育やメディアから受けてきた些末な左翼思想を払拭するのにもこれほどの時間を要するのである。

 本書は過剰な形容がないため見過ごしてしまいそうな箇所に重要な事実が隠されている。440ページの労作が電車賃程度の値段で買えるのだから破格といってよい。敗戦の現実、列強の横暴、共産主義の非道、日本人の精神性の脆さ、国家の無責任を知るための有益な教科書である。

2019-12-26

第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった/『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治


・『シベリア捕虜収容所』若槻泰雄
・『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん
・『スターリンの捕虜たち シベリア抑留』ヴィクトル・カルポフ:長勢了治訳
・『二つの独裁の犠牲者 ヒトラーとスターリンの思うままに迫害された…数百万人の過酷な運命』パーヴェル・ポリャーン:長勢了治訳
・『シベリア抑留全史』長勢了治

 ・第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった
 ・瀬島龍三スパイ説
・『知られざるシベリア抑留の悲劇 占守島の戦士たちはどこへ連れていかれたのか』長勢了治

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 第二次世界大戦の結果、連合国のアメリカ、イギリス、フランス、オランダは少しも領土を広げていないどころかむしろアジア・アフリカ諸国の独立によって広大な植民地を失うことになるが、ソ連だけはバルト三国、ポーランド東部、東プロイセンの一部(ケーニヒスベルク)、ルーマニア東部(北ブコヴィナ、ベッサラビア)、チェコスロヴァキア東部(ルテニア)、フィンランド東部(カレリア地方)、日本の樺太・千島を併合して領土を拡大した。さらにヤルタ協定によって東欧諸国(東ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア)を勢力下におき共産化した。
 戦後になって領土を拡大した国がもうひとつある。中国である。戦後、満州はそもそも八路軍の拠点となり、国共内戦中の昭和22(1947)年には早くも「内モンゴル自治区」が成立して、昭和24(1949)年10月に中華人民共和国が成立するや満州も内モンゴルも領土に組み込まれた。新疆地区には共和国成立後に人民解放軍が侵攻して昭和30(1955)年に「新疆ウイグル自治区」として編入した。チベットには昭和25(1950)年10月に人民解放軍が侵攻し、翌昭和26年5月のチベット協定で「チベット自治区」などとして中国に編入した。
 シナが他国を乗っ取るときに使う伝統的手法が「洗国」である。まず国内の流民を「他国」に数十万人規模で移住させ、次々に漢人を送り込んで漢人に同化させる(この入植政策を毛沢東は「砂を混ぜる)と呼んだ)と同時にその他国人の一部をシナ国内に強制的に移住させてシナ人の大海に埋没させる。やがてシナから官僚を送り込んで支配下に置く。まず満州が洗国されて満州人が民族としてほとんど消滅する運命をたどり、今は内モンゴル自治区、チベット自治区、新疆ウイグル自治区が洗国にさらされて内モンゴル人、チベット人、ウイグル人が「民族浄化」の危機に直面している。「洗国」は洗脳と並んでシナが用いる危険な手法で人口侵略といえよう。
 北、西、南の陸地に領土を拡大してきた中国はいま南シナ海(南沙諸島など)と東シナ海(尖閣諸島)、そして沖縄へと海洋への領土拡大を狙っている。中国はロシアと並ぶ拡張主義の国なのである。

【『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治〈ながせ・りょうじ〉(新潮選書、2015年)】

 著者の長勢了治は北海道美瑛町〈びえいちょう〉生まれ。北大を卒業後、サラリーマンとなり退職してからロシア極東大学函館校でロシア語を学んだ人物。その後シベリア抑留研究者として現在に至る。『シベリア抑留全史』(原書房、2013年)は日露双方の厖大な資料に基づき、抑留の実態を検証した労作で決定版といってよいだろう。それを一般向けに著したのが本書である。

 シベリア抑留については冷戦時代から体験者の手記などを中心に多数の本が刊行されたが、「肝心のソ連側の資料が利用できず、全体像解明が困難だった」と指摘。確かな研究書は実質的に『シベリア捕虜収容所』(若槻泰雄著)1冊しかないという状況が長く続いていた。「ソ連崩壊後、公文書を使ったロシア人研究者の本が1990年代後半から出始めた。だが日本の研究者の反応は鈍く、日本の方が2周くらい遅れた状況」。日本での本格的研究は、実はまだ始まったばかりだという。

翻訳家の長勢了治さん「シベリア抑留」刊行 日露の資料駆使、悲劇の全容に迫る - 産経ニュース

 第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけであったという事実は意外と見落としがちだ。武田邦彦がよく「大東亜戦争は3勝1敗だ」と語る。日本はアメリカには敗れたがイギリス・オランダ・フランスは斥(しりぞ)けたことを指摘したものだ。

 そのソ連だが実は第二次世界大戦で最も多くの死者を出している。その数なんと2660万人である。日本人の死亡者数は310万人であった(Wikipedia戦争による国別犠牲者数図録▽第2次世界大戦各国戦没者数【まとめ】第二次世界大戦(WW2)の国別死者数(犠牲者数)と激戦地一覧)。ソ連の死亡者で見逃せないのは軍人よりも民間人が多いことである。このような事態は多分ソ連だけだと思われる。日本は軍人2:民間人1の比率だ。

 ソ連は領土を拡げたものの最大の死者を出した。つまり第二次世界大戦の勝者は存在しない。

 私は石原吉郎〈いしはら・よしろう〉を通してシベリア抑留に眼を開いた。長年にわたって引っ掛かっていた多田茂治〈ただ・しげはる〉の記述(「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた)も本書で経緯が明らかになった。また「関東軍文書とシベリア抑留密約説」についても本書で完全に否定されている。

2019-08-19

プリーモ・レーヴィの最期/『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『休戦』プリーモ・レーヴィ
『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ

 ・プリーモ・レーヴィの最期

『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 ある春の日、アウシュヴィッツの生き残り、67歳のプリーモ・レーヴィは、アパート4階の自宅前の手すりを乗り越え階下のホールに身を投げた。遺書はなかった。それから9年……。夫人はいまもひとりきりでその場所に暮らし続けている。私はこれから、その場所を見に行こうとしているのである。

【『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植〈ソ・キョンシク〉(晃洋書房新版、2014年/朝日新聞社、1999年)】

 プリーモ・レーヴィの最期が自死であったのかどうかは判明していない。遺書もなかった。自死と断定しているのは多分本書だけではないか? それを確認するために読んだのだが、たったこれしか書かれていなかった。私は直ちにパタンと本を閉じた。

 67歳の老人が【誤って階段の手摺りを乗り越える】ことがあるだろうか? 仮に物を落としたとしても身を乗り出すことはまずない。少し経ってから覗く程度が普通だ。とすればそこに【明白な意志】があったと考えてよかろう。フッと風が吹くように死魔が訪れたのかもしれない。

 元々本書は読みたくなかった。徐京植〈ソ・キョンシク〉は曰く付きの人物だ。兄二人が韓国に留学していた際に北朝鮮のスパイとして韓国当局に逮捕されているのだ(学園浸透スパイ団事件)。冤罪とも伝えられているが、長兄の徐勝〈ソ・スン〉については朝鮮総連の活動家である張明秀〈チャン・ミンス〉の『徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ 金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』が詳しい。

大高未貴氏「なぜ徐勝氏は立命館大学の教授でいられるのか」【虎ノ門ニュース】: テレビにだまされないぞぉⅡ


 徐兄弟は3人とも反日活動家である。日本を貶(おとし)め、罵り、足蹴(あしげ)にする彼らを信用するわけにはいかない。

プリーモ・レーヴィへの旅―アウシュヴィッツは終わるのか?
徐 京植
晃洋書房
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常識を疑え/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代

 ・石原吉郎と寿福寺
  ・寿福寺再訪
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 しょくん、しょくんは、テンノウとかコウシツとかゆうものをもち出されると、畏れ多いと頭を下げる。
 しかし、考えろ、いったい、テンノウがなぜ尊いのか? と。
 そんなことを考えちゃいけない、と言うやつがいる、また考えたってわかるもんじゃないなどとも。けれども、ほんとに尊く畏れ多いものなら、それを考えれば考えるほど、尊さありがたさがしみじみ魂にしみこむものでなければならないはずだ。
 しょくん、ごまかされちゃいけない。よく考えろ。それを考えるな、などとゆうのは、何か後ぐらいところがあるんだ。手品の種が、ばれそうなんだ。(※菅季治が京大で学びながら、京都府立五中の嘱託教師をしていた頃、試験問題の裏に鉛筆で書いた文章。1943.11.20)

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 圧力や熱は物質を変化させる。シベリア抑留は人々の地金(じがね)を炙(あぶ)り出し、純化した。

 菅季治〈かん・すえはる〉が上記文章を書いたのは1943年(昭和18年)のことである。日本が開戦以来初めて大敗を喫したミッドウェー海戦の翌年にあたる。戦局が日増しに厳しくなる中で26歳の青年が放った疑問は軍部の焦りを見事に照射している。仮に管が共産主義にかぶれていたとしても決して安易な天皇批判になってはいない。彼が批判したのは「盲信」であった。

 石原吉郎・鹿野武一・菅季治は三者三様の戦後を歩んだ。否、瀬島龍三〈せじま・りゅうぞう〉も香月泰男〈かづき・やすお〉も内村剛介〈うちむら・ごうすけ〉もそれぞれの道を歩んだ。シベリア抑留は人間を変えた。二度と元に戻ることはなかった。

 菅季治はシベリアで何を見たのだろうか? それが何であったにせよ、彼はもっと悲痛なものを帰国した日本で見たに違いない。プリーモ・レーヴィと同じだ。真の地獄はありふれた平和な日常の中にこそあるのだ。人間は人間の邪悪に絶望する。信じられるものがなくなった時、人間は人間であることをやめる。

2019-07-20

管季治〈かん・すえはる〉-徳田要請問題


『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 ・管季治〈かん・すえはる〉-徳田要請問題

 2009年8月18日に関連リンク集を作成したのだがあまりにもリンク切れが多いため、若干のテキストコピーと共に紹介する。

 しかし、上京して間もない同年2月中旬、日本共産党の徳田球一が在外同胞引き揚げの妨害をしたとする「徳田要請問題」が彼の身に降りかかった。これは「徳田書記長から、捕虜が民主的な分子となってから還してくれるようにという要請がきている」との発言をシベリア収容所のソ連将校から聞いた抑留者が帰国後に真相究明を求めて衆議院に訴えたもので、この問題に際し、彼は抑留時、意図的に誤った翻訳をしたのではないかという嫌疑を掛けられ、国会で証人喚問を受けることになる。菅は「要請」について否定も肯定もせず「将校の講話は(徳田の言葉の引用については)『反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している』というものであった」、「ナデーエツァというロシア語には『期待する』という意味はあるけれども『要請する』という意味はない」という内容の手記を参議院に提出し、共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」とした(菅はこの件で共産党に対し抗議した)。また、このとき「天皇制についてどう思うか」と問われ、菅が「天皇制に対して私は批判的です」と答えると、「(天皇制を認めている日本)共産党以上の本物の共産党じゃないか」と罵倒されている。

 続いて同年4月5日に菅は衆議院に証人喚問された。このときハルビン学院の第一期卒業生を自称する調査員が登場し「訳したければ『期待する』と訳すことも可能だが『要請する』と答えるのが自然だ」として、「菅は『要請』というロシア語を(恣意的に)『期待』と訳したのではないか」[4]と厳しい質問を浴びせ(菅があたかも共産党のシンパであるかのようにアピールし、その証言が信用できないことを印象づける戦術であった)、菅は精神的に追い込まれた。この結果、翌4月6日の夜、彼は自宅近くの吉祥寺駅付近で鉄道自殺を遂げた。このとき、同居する弟の学生服の上着を着て、ポケットには岩波文庫の『ソクラテスの弁明』が入っていたという。友人の石塚為雄と弟の忠雄に宛てた遺書には、自らの身の潔白と、事実が通らないことに対する絶望が書かれていた。享年32。

 菅の自殺事件は社会的に大きな反響を呼び、木下順二がこの事件をテーマとする戯曲『蛙昇天』(背景も含めすべて蛙の世界の出来事に置き換えたもの)を書いている。またこの事件は証人喚問が証人自身に多大なる精神的苦痛を与えた例とされ、これ以降、国会は菅のような一般人に対する証人喚問には慎重な姿勢を取っている。

菅季治 - Wikipedia



 これに関連し抑留時、ソ連将校の講話を通訳していた哲学者菅季治は、「要請」について否定も肯定もせず「将校の講話は(徳田の言葉の引用については)『反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している』というものであった」という内容の手記を参議院に提出し、共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」とした(菅はこの件で共産党に対し抗議した)。このため1950年4月5日に菅は衆議院に証人喚問され「『要請』というロシア語を(恣意的に)『期待』と訳したのではないか」と厳しい質問を浴び(菅があたかも共産党のシンパであるかのようにアピールし、その証言が信用できないことを印象づける戦術であった)、翌日鉄道に飛び込み自殺した。

徳田要請問題 - Wikipedia



 その後、彼は連合軍司令部に幾度も呼び出され、国会にも証人喚問されることになりました。
 自分が通訳したのは「要請」ではなく「期待する」であった事実を、孤立無援のまま、誠実に繰り返し証言しましたが、認められず、果ては「ソ連式共産党員」とのレッテルを貼られ、脅迫状まで寄せられるようになりました。昭和25年4月6日、彼は吉祥寺付近で列車に飛び込み自殺してしまいました。親友石塚為雄氏あての遺書には「あの事件で、わたしはどんな政治的立場にもかかわらないで、ただ事実を事実として明らかにしようとした。しかし政治の方ではわたしのそんな生き方を許さない。わたしは、ただ一つの事実さえ守り通し得ぬ自分の弱さ、愚かさに絶望して死ぬ。/わたしの死が、ソ同盟や共産党との何か後暗い関係によることでないことを、信じてくれ。/(中略)/人類と真理のために生命をささげようとしながら、わたしは、ついに何一つなし得なかった。しかし、死ぬときには、/人類バンザイ!/真理バンザイ!/と言いながら、死のう。」と書かれていました。享年32歳でありました。

ヌプンケシ103号 | 北見市



「わたしはまじめに自分の死について考えてみた。(中略)そして、次のような結論を得た。自分は凡人である、社会を変革したり、歴史の大波を押し返したりすることはできない。そうだとすれば、わたしの生涯でよい事としては、日常の小さな善行の総和以外にない。だから、もうすぐ死ぬ者として、死ぬまでの短い期間にできるだけ多くの日常的善行を積まなければならない。」菅はこう考えて、行動をおこしました。
hango まず私的制裁=リンチを禁止しました。初年兵に「私的制裁の事実があったらすぐ自分の所に知らせろ。」といい、「下士官や古年次兵は大いに不満だった。『なぐられない兵隊は強くならない』という信条が彼らを支配していたのである。わたし自身は軍隊で人をなぐったことはない。」
「見習士官は官物の被服をもらう。兵隊のと同じ型だがもちろん新しく、軍隊用語で『程度のいい』品物である。わたしは、朝鮮人の中でも最も悪い被服を着ている者を呼び寄せる。上衣の悪い者には自分の上衣を、ズボンの悪い者には自分のズボンを、シャツの悪い者には自分のシャツを与える。そしてわたしは、彼らの悪い上衣、悪いズボン、悪いシャツを身につける。自分にあるだけの布ぎれを修理材料として与える。同僚の見習士官はいやな顔をする。わたしだってこんな行為は、前には偽善的に感じたろうけれど、その時は、死の近づきがわたしを勇気づけたのである。」また、兵士に不満や希望を無記名で書かせ、解決できることは直ぐに実行しました。「わたしという見習士官は、中隊で、ひどい変り者と評判されるようになった。」

ヌプンケシ104号 | 北見市



 戦時中から「私的制裁」に反対していた菅には、これら将校たちの行為は目に余るもので、「収容所における軍隊機構改革の必要を感じた。」ものの、菅自身も将校の一人であり、「どうしていいかわからなかった。わたしは、自分だけ階級章を着けず、『五箇條』を唱えなかった。わたしに敬礼する兵隊に『なぜ敬礼するんだ?』と問うた。」と記しています。

ヌプンケシ105号 | 北見市



ヌプンケシ106号 | 北見市」を読めば書き手が左翼であることがわかる。



 私は日本へ還ってから平凡で真面目な国民の一人として生きようとした。今度の事件でも私はありのままの事実を公けにして国民の健全な判断力に訴えようとしたのである。しかし私を調べた人々には私とソ同盟、私と日本共産党との間になにか関係があると疑って、私の証言の純粋さを否定しようとする。いまの世の中は、ただ一つの事実を事実として明らかにするためにも多くのうそやズルさと闘わねばならぬ。しかし闘うためには私は余りにも弱すぎる。(中略)私はただ悪や虚偽と闘い得ない自分の弱さに失望して死ぬのである。私は人類のために真理のために生きようとした。しかし今までそのため何もしていない。だがやはり死ぬときには人類万歳、真理万歳といいながら死ぬ。(菅季治著「語られざる真実」戦争と平和 市民の記録19 1992.5.25)

蛙昇天



 1917年7月19日、愛媛県に生まれた彼は、6歳(数え)のとき、北海道にわたり、尋常少学校、旧制中学校に進みました。学業成績は非常に良く、中学卒業時には、「開校以来の神童」とうたわれたそうです。

蛙昇天



 翌1949年5月、ソ連は、日本人捕虜全員を11月までに送還すると発表、6月27日から引揚が再開されました。この再開第一回目の引揚船は、出迎えた人々を驚かせることになります。労働歌を合唱し、出迎えの家族にふりむきもせずスクラムを組んで、集団で共産党に入党しようとする、ソ連の思想教育の影響を大きく受けた人々だったのです。これらの人々は「赤い引揚者」と呼ばれ、この年に帰国した人の多くが、そうした引揚者でした。この頃の引揚者は、共産主義にかぶれているという先入観が人々の中に生まれていく中、菅季治も11月に帰国します。

 翌年の1950年の引揚船は、一転して様子が変わりました。右派、いわゆる反ソ組が圧倒的に増えたのです。 1950年1月23日の朝日新聞を見てみましょう。

蛙昇天



 衆議院考査特別委員会は1950年4月5日、菅季治を再度、国会に証人として呼びます。参議院で踏み絵を踏むことを拒否した菅に対して、衆議院は、菅に「共産主義者」というレッテルを貼ることに腐心しました。

蛙昇天



  左派社会党視察団は、過酷な状況で強制労働をさせられていた日本人抑留者から託された手紙を握りつぶし、帰国後、「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行った。抑留者帰国後、虚偽の発言であったことが発覚し、問題となる。

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2018-10-31

「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子


『免疫の意味論』多田富雄
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史
『寡黙なる巨人』多田富雄
『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄

 ・「書く」行為に救われる

『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一

必読書リスト その二

 先生は一晩にして、声が出ないためにお話ができない(構音障害)という状態になられました。これはどんなにかお辛いことだったと存じますが、失語症(言葉が理解できなくなる)になられなくてほんとうに良かったと存じます。言葉を失うということは、人格を否定されるのと同じくらい辛いことではないかと思います。
 それに致しましても、たおられてから半年も経たないうちに、この「文藝春秋」の原稿を書き上げられるというのは、何というエネルギーでしょう。
 私は思わず字数を数えてしまいました。6000字余り、原稿用紙にして15枚。先生は右半身麻痺になられ、左手しかお使いになれないはずです。左手でワープロを打つと書いておられますが、6000字全部を左指で打ち込まれるご苦労はどんなだったでしょうか。それに締め切りのある原稿は、健康な人にとってもきついものですのに。
 何かに憑かれたように、左手でワープロを打っておられる先生のお姿が目に浮かびます。お座りになることはできるのでしょうか。先生も書くということの不思議を強く感じられたと存じます。
 私も次第に動けなくなり、たいせつにしてきたマウスの研究もやめなければならなかったときに、書くということがどれだけ私を救ってくれたかしれません。私は先生のように有名ではなかったので、書いた原稿が本として出版されるかどうかはまったくわかりませんでした。それでも、書いて書いて、書くことが生きることだったのです。(柳澤桂子)

【『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄〈ただ・とみお〉、柳澤桂子〈やなぎさわ・けいこ〉(集英社、2004年/集英社文庫、2008年)】

 幾度となく読むことを躊躇(ためら)った本である。高齢・病気・障碍(しょうがい)というだけで気が重くなる。ブッダは生老病死という人生の移り変わりそのものを苦と断じた(四苦八苦の四苦)。まして功成り名を遂げた二人である。落魄(らくはく)の思いがあって当然だろう。「露の身」というタイトルが露命の儚(はかな)さを象徴している。

 恐る恐るページを繰った。指の動きがどんどん速度を増して気がついたら読み終えていた。私の懸念は完全な杞憂であった。むしろ自分の浅はかさを暴露したようなものだ。人間の奥深さを知れば知るほど謙虚にならざるを得ない。人の偉大さとは何かを圧倒することではなく、真摯な姿を通して内省を促すところにある。

 私はまず老境のお二方が男と女という性の違いを豊かなまでに体現している事実に驚いた。男の優しさと女の気遣いが際立っている。しかも尊敬と信頼の情に溢れながらも慎ましい静謐(せいひつ)さが漂う。エロスではない。プラトニックラブでもない。これはもう「日本の男と女」としか形容のしようがない。

 老いとは衰えの季節である。老いとは弱くなることで、今までできたことができなくなることでもある。そして「死んだ方がましだ」という病状にあっても尚生きることなのだ。

 多田富雄は脳梗塞で一夜にして構音障害失語症とは別)、嚥下障害、右麻痺の体となった。臨死体験から生還した彼は雄々しく「新しい生」を生き始める。過去の自分と現在の自分を比較するのではなく、ただ現在の自分をひたと見据えた。

「書く」行為に救われたと柳澤桂子が書いているが、我々が普段当たり前にできることの中に実は本当の幸せがあるのだろう。話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと……。ひょっとすると生そのものが幸福なのかも知れない。私は生きることをどれほど味わっているだろうか? 美酒を舐め、ご馳走に舌鼓を打つように瞬間瞬間を生きているだろうか? 渇きを癒やすように生の水を飲んでいるだろうか? そんな疑問が次々と湧いて止まない。

「詩は、『書くまい』とする衝動なのだ」と石原吉郎〈いしはら・よしろう〉は書いた(『石原吉郎詩文集』)。多田富雄と柳澤桂子は「動くまい」とする体の衝動と戦うために書いたのだ。

2018-06-06

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 鹿野の絶食さわぎは、これで一応おちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追求を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当たったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追求しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ(ママ)文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。
 その時の鹿野にとって、おそらくこの言葉は挑発でも、抗議でもなく、ただありのままの事実の承認であっただろう。だが、こうした立場でこのような発言をすることの不利は、鹿野自身よく知っていたはずである。私はまたしてもここで、ペシミストの明晰な目に出会うのである。私には、そのときの鹿野の表情がはっきり想像できる。そのときの彼の表情に、おそらく敵意や怒りの色はなかったのであろう。むしろこのような撞着した立場に立つことへの深い悲しみだけがあったはずである。真実というものは、つねにそのような表情でしか語られないのであり、そのような表情だけが信ずるに値するのである。まして、よろこばしい表情で語られる真実というものはない。
 施は当然激怒したが、それ以上どうするわけにも行かず、取調べは打切られた。爾後、鹿野は要注意人物として、執拗な監視のもとにおかれたが、彼自身は、ほとんど意に介する様子はなかった。
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」――強靭な精神が発した言葉は強烈に私の魂を打った。極寒と飢えに苛(さいな)まれる最果ての地で、抑留された日本人は涙も凍りつき、感情を喪い、抵抗する意志を奪われた。そんな中にあって鹿野武一〈かの・ぶいち〉はただ独り闘った。彼はソビエト当局に反抗したわけではない。ただ必死に自分の人生を生きようと試み、そして生きた。

 本テキストの直前の文章は「ナット・ターナーと鹿野武一の共通点」で紹介している。竹山道雄を読んでから今まで見えなかったものが見えるようになった。

 私はシベリア抑留に関してそれほど読んできたわけではない。ただ抑留者であった石原吉郎、香月泰男〈かづき・やすお〉、内村剛介の三者三様の態度にすっきりしないものを感じていた。香月は「とにかく一切の指導者、命令する人間という者を信用しない。だから組織というものも右から左までひっくるめて一切信用しない」(『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆)と叫んだ。内村は石原の沈黙を批判した。内村が左翼であるかどうは知らないが、左翼的思考の持ち主であることは確かだろう。佐藤優が推(お)しているので読む必要はないと判断する(内村剛介著『科学の果ての宗教』)。

 多田茂治は「『戦利品』の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた」(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』)と書いているが、敗戦国の罪を論(あげつら)うことによってソ連の罪を相対化する愚を犯している。

 沈黙の裏側には間違いなく国家不信があったことだろう。北朝鮮による拉致被害者の心情を推し量ることができる。また抑留者が全く語らぬ一つの事実がある。それはソ連当局による洗脳だ。抑留者であった瀬島龍三はソ連のスパイだったという説がある(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。彼らは二重の意味で国家に不信を抱いたことだろう。祖国にも敵国にも。

 本当の哀しみは深い穴の底に溜まった水のようなもので決して言葉にし得ない。その水を他人が汲(く)み上げることはできない。「絶望という名の悟り」とでも名づける他ない境地である。

 鹿野武一〈かの・ぶいち〉は指導者でもなければ英雄でもなかった。彼は単独者であった。

2018-04-28

安倍首相辞任の真相/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 最近、ブッシュ政権の国務長官だったコンドリーザ・ライスが回顧録を出しましたが、そのかで北朝鮮に対する日本政府の対応を痛烈に非難しています。ライス国務長官は、当時のチェイニー副大統領などの強硬派の意見を退けて、ブッシュ大統領に北朝鮮との話し合い路線を進めていたからです。アメリカは「テロ支援国家」の名簿に入れていた北朝鮮を、名簿から外す方向で考えていたのです。
 しかし安倍さんは、日本人を拉致するというのはまさしくテロではないか。北朝鮮はテロ支援国家どころかテロ国家そのものだと主張しつづけてきた。それで2007年9月9日にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)がオーストラリアのシドニーで開催されたとき、「北朝鮮をテロ支援国家から外さないように」とブッシュ大統領に懇願したのです。それに対してブッシュ大統領は「考えましょう」と返事をした。
 ところが帰国した翌日、安倍さんは午後の衆院本会議で施政方針演説をやる予定でしたが、その午前中に、アメリカ大使館から「ノー」という返事がきた。「大統領は北朝鮮のテロ支援国家指定解除をやります」と。安倍さんはいわばアメリカから梯子(はしご)を外されてしまったのです。これで完全にギブアップした安倍さんは、2日後の9月12日に「健康上の理由」で突如、辞任を表明することになってしまったのです。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った」の続きを。この事実をどう捉えるか? 中には「そんなことぐらいで……」と思う人もいるだろう。安倍首相は拉致問題に政治生命を懸けていたに違いない。小泉首相訪朝後、拉致被害者5人が日本に帰国したが、小泉は彼らを北朝鮮に帰すつもりだった。これに猛反対したのが安倍晋三官房副長官と中山恭子拉致担当内閣官房参与だった。

「戦後レジームからの脱却」とは史実に基づく日本近代史の見直しと、自立した国家すなわち自分の国は自分で守るという当たり前の姿を目指すものだ。アメリカに国家の安全保障を委ね、左翼政党や進歩的文化人に配慮する中で拉致被害が発生した。当初は政府はおろかどの政党もその事実を認めようとはしなかった。シベリア抑留の二の舞を踏んだといってよかろう。

「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治

 そして今再び北朝鮮を巡って世界が揺れている。アメリカは二度にわたって日朝国交正常化を阻んできた(『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘)。もう一つ重要な歴史として米中国交回復のためにアメリカは沖縄を返還した(『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘)事実を忘れてはならない。

 トランプ大統領が安倍晋三を信頼しているのは確かだが、アメリカ・ファーストのためとあらばまたしても梯子を外す可能性を考えておく必要がある。もしもアメリカがアジアから一歩退くとなればそこに中国が攻め込んでくる。アメリカ頼みの防衛は極めて危険である。インド・ロシアそしてASEAN諸国・台湾との連携を模索すべきだ。今直ぐに。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
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2017-11-09

自分の手に病を取り戻す営み/『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男

 ・自分の手に病を取り戻す営み

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

「当事者研究」とは何か

 浦河で「当事者研究」という活動がはじまったのは、2001年2月のことである。きっかけは、統合失調症を抱えながら、“爆発”を繰り返す河崎寛くんとの出会いだった。入院していながら親に寿司の差し入れや新しいゲームソフトの購入を要求し、断られたことへの腹いせで病院の公衆電話を壊して落ち込む彼に、「一緒に“河崎寛”とのつきあい方と“爆発”の研究をしないか」と持ちかけた。「やりたいです!」と言った彼の目の輝きが今も忘れられない。
「研究」という言葉の何が彼の絶望的な思いを奮い立たせ、今日までの一連の研究活動を成り立たせてきたのだろう。その問いを別のメンバーにすると、「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、『研究』と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる」と答えてくれた。
「研究」のためには、「実験」が欠かせない。そして、その成果を検証する機会と、それを実際の生活に応用する技術も必要になってくる。その意味で統合失調症などの症状を抱える当事者の日常とはじつに数多くの「問い」に満ちた実験場であり、当事者研究で大切なことは、この「問う」という営みを獲得することにある。(向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉)

【『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家(医学書院、2005年)以下同】

「精神科や心療内科ほどデタラメな仕事はない」――精神疾患となった十数人を見てきてた私の結論である。とにかく医師に何の見識もなく、ただ症状に薬を当てはめるだけの作業だ。これほど気楽な稼業もない。患者が通院先を変更すると薬の種類がガラリと変わることも珍しくない。しかも病状によっては数十種類の薬が処方される。エリオット・S・ヴァレンスタイン著『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』を読んで私の所感は確信となった。

 ソーシャルワーカーの向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉はべてるの家を設立した一人でそのユニークさが異彩を放つ。浦河べてるの家は労働・生活・ケアを共有する精神障碍者のコミュニティである。自治を病状の寛解に結びつけた稀有な試みで、「先進的な取り組みがなされており、世界中から毎年2500人以上の研究者・見学者が訪れる」(Wikipedia)。

“「問う」という営みを獲得すること”は自分の手に病を取り戻す営みである。被害者意識にとらわれた浅い疑問であれば病院や医師あるいは薬物に依存することを避けられない。深刻な悩みを抱えた者同士であれば現実的な対応が可能となる。当事者研究は精神疾患を抱える者が自らの足で立ち上がろうとする行為であり、病院の無力さを郵便に物語っている。では具体的にご覧いただこう。

 今回、べてるしあわせ研究所では、経験者10名(男性2名、女性8名)による「摂食障害研究班」を立ち上げ議論を重ねた。その結果浮かび上がってきたのが、「どうしたら摂食障害になれるか」という視点であった。
 いままで、「いかに治すか」に腐心しながらも結果として食べ吐きに走り、罪悪感に苛まれてきた経験者たちにとって、「どうしたらなれるか」という視点は大いに受け、議論も盛り上がった。

 べてるを特徴づけているのはこの「センス」である。ユーモアは現実を笑い飛ばす精神の力から生まれる。エリート官僚が発想の転換を苦手とするのは彼らの精神が貧しいからだ。

 浦河ではみんなが自己病名をつけているので、ぼくも自分の苦労に合わせて「統合“質”調症・難治性月末金欠型」と名づけた。
 この“質”というのは「質屋」の質からとった。ぼくが浦河に来ていちばん最初にデイケアの仲間に聞いたのが「浦河って質屋はあるんですか?」だったのが、すっかり有名になってしまった。

 いかなる名医であってもこれほど秀逸な病名は思い浮かばないだろう。いつも金欠病の彼は借金の仕方をレクチャーする。マイナスをプラスに捉え直すのがべてる流だ。幼い子をもつ親御さんに是非とも読んで欲しい所以である。

 幻聴さんにジャックされる人とされない人の違いについて、仲間同士の議論のなかから出た意見を★2にまとめてみた。
 幻聴ジャックに苦しむ人は、左欄のような状態に陥っている人たちであるというのが、わたしたちの経験から出た結論である。このような話し合いができるところに、幻聴さんレスキュー隊の存在意義がある。(※以下左欄のみ)

【ジャックされる人】
 自分に自信がない人
 つけこまれるスキがある人
 幻聴とのなれあい状態……依存
 自分に無関心
 いつも自分を責める
 理解者がいない
 人間関係が悪い
 自分を大事にできない
 淋しさや孤独感が強い
 対処方法を知らない
 自分が嫌い

 幻聴は統合失調症に顕著な症状であるが、他人の意見に左右されやすい人も参考になるのではないか。ま、私からすればテレビを見て泣いたり笑ったりしているような人々はテレビに心をジャックされたも同然で、知らぬ間に価値観までテレビに毒される。

 この項目の反対ならよいのかというと決してそうではあるまい。精神が統合された状態は中庸を目指す。

 べてるが精神疾患を笑いと研究にまで高めた功績は大きい。多数のイラストも実に素晴らしい。文章がこなれているのは編集をした医学書院の白石正明の功績だろう。

2017-09-10

冤罪に陥れられながらも決して翻弄されることがなかった男の手記/『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行


 ・冤罪に陥れられながらも決して翻弄されることがなかった男の手記

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 私はこれまで、自分が生きてきた足跡というのは、日々、歩きながら消すものだと思ってきた。足跡を消しながら、また消しながら、最後に死ぬとき、ふっと地上から消えてなくなるのがいい。他人が気がついた時には、もう私はいなくなっていて、「そういえば河野という人間がいたな」というぐらい存在感のない、そういう生き方が好きだった。あらゆる意味で、名前はこの世に残したくなかった。
 それが私のささやかな人生観であり、無常ということばに心を惹かれるところがあった。
 しかし、そうした生き方は全てひっくり返されることになる。前年の松本サリン事件で妻澄子が重症を負ったばかりでなく、警察から私は犯人の扱いを受け、私の44年間の人生はこれ以上洗うものがないくらい徹底的に調べあげられた。私や妻の実家、子供たちはもちろんのこと、友人、知人、会社関係、およそ私たち家族に関係がありそうな膨大な人たちに警察は聞き込みに回り、予断を込めた質問が投げかけられ、あらゆることを調べていった。
 その意味で、私は丸裸になった。
 これまで私は一人の平凡な市民として生きてきた。それが突然、思いもよらない事件に巻き込まれてサリン被害を受け、なおかつ7人を死亡させた殺人犯の汚名を着せられ、プライバシーは跡形もなく踏みにじられた。

【『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行〈こうの・よしゆき〉(文藝春秋、1995年/文春文庫、2001年)】

 本書が1995年、そして『彩花へ――』が1997年に刊行された。失われた10年で日本が経済的に沈滞する中で2冊の本は眩しいほどの光を放った。「市井(しせい)にこれほどの人物がいるのか」と感嘆したことをありありと覚えている。「まだまだ日本も捨てたもんじゃないな」と希望が湧いた。その後、河野の講演会にも足を運んだが、著書から受けた印象そのままの好人物であった。

 バブル景気という狂宴を経てマスコミは災害や猟奇事件を延々と報じるようになった。そしてインターネットが登場すると特定の人物をバッシングする傾向が顕著となる。マスコミは常に虎視眈々と獲物を求めた。その最初にして最大の犠牲者が河野義行であった。

 時に不条理が人生を襲う場合がある。私は若い頃から「極限状況における人間の振る舞い」に関心を寄せてきたが、その意味から申せば上記関連書と併せて読むのが望ましい。

 貧しい想像力を働かせて「もしも自分だったら」と考えてみよう。私なら確実に犯罪的な暴挙に出る。躊躇(ためら)うことなく松本警察署の署長と目ぼしい新聞記者を手に掛けることだろう。だが河野は道徳心を失わなかった。終始、水の如く淡々と振る舞った。夫人が意識不明の重体であるにもかかわらず。

 検察・警察とマスコミを罰する法制度を整備すべきだろう。取り調べの可視化も必要だ。河野は文字通り社会的に抹殺されたわけだから、実際にミスを犯した者と責任者には懲役10年程度が相応(ふさわ)しい。刑事罰がないため彼らは同じ過ちを何度でも繰り返しながら平然としている。

 冤罪(えんざい)に陥れられながらも決して翻弄されることがなかった男の手記である。

2016-09-05

当事者研究/『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄

 ・当事者研究

『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男
『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト

 そうした事業や活動を通して、べてるの家は数ある精神障害者グループのなかでも際だつ異彩の集団として全国に知られるようになった。それは彼らが毎年開催する「幻覚妄想大会」といった人目を引くイベントや、「そのままでいい」という標語に象徴される一見自由奔放な生き方、「当事者研究」や「SST」などとよばれるミーティングの独自性や数の多さのせいだけではない。精神疾患の当事者として日々抱えなければならないあらゆる困難や問題を、彼ら自身の立場から捉え直そうとする「当事者性」を一貫して追い求め、その当事者性を見失わないためのさまざまなくふうを積み重ねてきたからだ。そこで彼らが見据えようとしたのは、日々山のような問題をかかえ、際限のないぶつかりあいと話しあいをくり返すなかで実感される、苦労の多い当たり前の人間としての当事者のあり方だった。精神障害者である前に、まず人間であろうとした当事者性だったのである。彼らは人間が人間であるがゆえにかかえる問題を精神障害に代弁させることなく、自らに引き受けようとしたのであり、問題だらけであることをやめようとしなかったがために、そこに浮かびあがる人間の姿をたいせつにしようとしたのである。

【『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄(みすず書房、2010年)】

 まずは当事者研究をご覧いただこう。






 間延びした北海道弁が懐かしい。肯定・受容・傾聴・共感が直ちに見て取れる。確かなコミュニケーションが成立している。むしろ健常者コミュニティの異常性が浮かび上がってくるほどだ。

 当事者研究は自分の障碍(しょうがい)を客観視することで自ら立つことを目的としているのだろう。学者や医者に研究を任せていれば、実験モルモットのような存在になってしまう。当事者には専門家が気づかない「日常の現実」が見える。精神障碍を治療すべき病状と捉えるのではなくして、長く付き合わねばならぬ特性と受け止めれば、具体的な対処の仕方も明らかになる。現実を克服しようと力めば力むほど苦しくなる。それは我々も同じだ。

 社会が高度にシステム化されると人間の姿が見えなくなる(『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』清水潔)。我々は能力や役割でしか評価されない。しかも労働力というレベルで見れば、いつでも取り換え可能な存在となった。そんな「社会の不毛さ」が指摘されたのは高度成長期であった。やがて数年間のバブル景気を経て、日本経済は「失われた20年」に喘ぐ。一億総中流は完膚なきまでに破壊され、働いても貧困から脱出できない人々が現れる。果たして彼らは人間扱いをされているのだろうか?

 精神障碍の世界に新風を巻き起こしたべてるの家に事件が起こる。あろうことか殺人事件だった。入院患者が見舞い客に刺殺されたのだ。犯人もまた統合失調症であった。事件の詳細、マスコミのクズぶり、そして葬儀の模様が描かれている。べてるの精神は殺人事件をも受容した。被害者の親御さんの言葉が心に突き刺さる。

2016-09-03

精神障碍者の自立/『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『新版 分裂病と人類』中井久夫
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳

 ・精神障碍者の自立

『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男
『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト

 けれど、これがべてるの転機となる。
 先の見えない苦労がつづくなかで、いやもうそんな苦労を10年もつづけてきたところで、彼らは知らず知らずのうちにそれなりの力を身につけていた。泥沼のなかで、それでも萌え出ようとする芽が彼らのなかには生まれはじめていた。沈黙の10年の間、べてるの問題だらけの人たちは、ただ漫然と暮らしていたわけではない。ぶつかりあいと出会いをくり返しながら、そこにはいつしかゆるやかで不確かで気まぐれでありながら、肌身で感じることのできるひとつの「場」が作り出されていたのである。それはけっして強固な連帯に支えられた場でも、明晰な理念に支えられた場でもなかった。規則や取り決めや上下関係によって規定されたわざとらしい場でもなかった。ただ弱いものが弱さをきずなとして結びついた場だったのである。それはこの世のなかでもっとも力の弱い、富と地位と権力からいちばん遠く離れたところにいる人びとが作り出す、およそ世俗的な価値と力を欠いた人間どうしのつながりだった。
 けれどそこでは、だれが決めたわけでもなく、まためざしたわけでもなく、はじめから変わることなく貫き通されてきたひとつの原則があった。それは、けっして「だれも排除しない」という原則である。落ちこぼれをつくらないという生き方である。そもそも彼らのなかでは排除ということばが意味をなさない。彼らはすでに幾重にも、幾たびもこの社会から排除され落ちこぼれてきた人びとだったのだから。おたがいにもうこれ以上落ちこぼれようがない人びとの集まりが、弱さをきずなにつながり、けっして排除することなくまた排除されることもない人間関係を生きてきたとき、そこにあらわれたのは無窮の平等性ともいえる人間関係だった。そのかぎりない平等性を実現した「けっして排除しない」という関係性こそが、べてるの場をつくり、べてるの力の源泉になっていた。その力が、昆布内職打ち切り事件のさなかで発揮されようとしていた。

【『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄(みすず書房、2002年)以下同】

 後輩から勧められて読んだ一冊。べてるの家の名前は知っていたが、「どうせキリスト教だろ?」との先入観があった。斉藤道雄はガラスのように透明な文体で微妙な揺れや綾(あや)を丹念に綴る。本書で第24回講談社ノンフィクション賞を受賞した。

「三度の飯よりミーティング」がべてるの家のモットーである。彼らは話し合う。どんなことでも。生活を共にする彼らの言葉は生々しい。企業で行われる会議のような見せかけは一切ない。読み進むうちにハッと気づくのは「社会が機能している」事実である。私は政治に関しては民主政よりも貴族政を支持するが、組織や集団には民主的な議論が不可欠であることは言うまでもない。1990年代から正規雇用が綻(ほころ)び始め、格差が拡大した。普通のサラリーマンがあっという間にホームレスとなり、女子中高生が給食費や修学旅行費を納めるために売春行為に及んだ。親の遺体を放置したまま年金を受け取る家族や、生活保護の不正受給がニュースとなる裏側で、社会保障が切り詰められていった。弱者が切り捨てられるのは社会が機能していない証拠である。

 学級崩壊やブラック企業という言葉が示すのは集団のリスク化であろう。そして社会はおろか家族すら機能不全を起こしている。バラバラになってしまった人々が健全な社会を取り戻すことは可能だろうか? そんな疑問の答えがここにある。

 なにか仕事はないものか、倒れたり入院したりする仲間でもできることはないだろうか。メンバーは向谷地(むかいやち)さんとともに、道内の各所にある精神障害者の作業所も見学にいった。そこでさまざまなことを学んだが、帰るとまた延々と話しあいをくり返すばかりだった。そうした話のどこで、いつ、だれがいい出したのだろうか。ひとつのアイデアがミーティングに集う人びとのこころのなかに輝きはじめていた。
「どうだ、商売しないか」
 内職ではなく、自分たちで昆布を仕入れ、売ってみよう。
「そうだ、金もうけをするべ!」
 このひとことが、みんなの心を捉えていった。精神障害者であろうがなかろうが、金もうけと聞いて浮き立たないものはいない。人にいわれてするのではなく、内職なんかではなく、自分たちで働いて売って金もうけに挑戦してみよう。1袋5円の昆布詰めをいくらやっても仕事はきついし先は見えない。おなじ苦労をするなら、仕入れも販売も自分たちでやって商売した方がよほど納得できる。そうだ、やってみよう……。

 ケンちゃんが出入り業者と喧嘩をする。昆布詰めの内職は打ち切られた。そして彼らは自分の足で立つことを決意する。「精神障碍者の自立」と書くことはたやすい。だがその現実は決して甘くはない。本書に書かれてはいない苦労もたくさんあったことだろう。彼らは小規模共同作業所「浦河べてる」を設立した(※現在は社会福祉法人)。

 社会はコミュニケーションによって機能する。何でも話し合える組織は発展する。問題を隠蔽(いんぺい)し、陰で不平不満を吐き出すところから組織は腐ってゆく。斉藤道雄がべてるの家に見出したのは「悩む力」であった。我々は悩むことを回避し、誰かに責任を押しつけることで問題解決を図る。困っている人々は多いが本気で悩んでいる人は少ない。悩む度合いに心の深さが現れる。そして悩まずして知恵が出ることはない。

 家族に統合失調症患者がいる方はDVDも参照するといいだろう。



2016-07-18

必読書リスト その二


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『親なるもの 断崖』曽根富美子
『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『洞窟オジさん』加村一馬
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット
『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『5つのコツで もっと伸びる カラダが変わる ストレッチ・メソッド』谷本道哉、石井直方
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
『人生、ゆるむが勝ち』高岡英夫
『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修
『いつでもどこでも血管ほぐし健康法 自分でできる簡単マッサージ』井上正康
『「血管を鍛える」と超健康になる! 血液の流れがよくなり細胞まで元気』池谷敏郎
『血管指圧で血流をよくし、身心の疲れをスッと消す! 秘伝!即効のセルフ動脈指圧術』浪越孝
『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔
『新健康法 クエン酸で医者いらず』長田正松、小島徹
『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之
『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
・『病気が治る「気功入門」』中健次郎
『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎、古賀史健
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫
『永山則夫 封印された鑑定記録』堀川惠子
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン
『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環、水谷緑まんが
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン
『記憶喪失になったぼくが見た世界』坪倉優介
『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦』宮本省三
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『パレスチナ 新版』広河隆一
『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー
『黒い警官』ユースフ・イドリース
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント 経済的自由があなたのものになる』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ』橘玲
『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』橘玲、海外投資を楽しむ会
『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方』藤沢数希
『銀と金』福本伸行
『平成経済20年史』紺谷典子
『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー
・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎
『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン
『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵
『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン
『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
『金価格は6倍になる いますぐ金を買いなさい』ジェームズ・リカーズ
『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎
『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人