体が硬くても簡単にできる! 究極のシンプル・ヨーガ (体が変わり、生きる力が高まる35のポーズ)
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成瀬雅春
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「なんだっけか?」彼は自問した。
【『ぼくを忘れたスパイ』キース・トムスン:熊谷千寿〈くまがい・ちとし〉訳(新潮文庫、2010年)】
「そんな長距離なんてとてもとても」と思うかもしれない。でも、あなたがロードレーサーを手に入れたならば、50kmがたやすく走れる距離であること、100kmが手の届く距離であることにすぐに気がつくだろう。そしていずれは200km、300kmという距離を走ることも不可能ではないと気がつくはずだ。
今は信じてもらえないかもしれないが(東京近郊に住んでいる人ならば)その気になれば1日で往復200km、東伊豆で海鮮丼を食べて帰ってくることも、片道300km、日本海まで走って夕焼けを眺めることさえできる。そして、その距離を走る間に見ることができる景色は、エンジン付きの乗り物から見る景色とはまったく違うものだ。もちろん辿り着いた目的地で見る景色もまったく違って見えるはずだ。
ロードレーサーとはそういう乗り物だ。
僕はロードレーサーに出会って、生活が一変した。見たことのなかった景色をたくさん見た。走ったことのなかった道をたくさん走った。自転車仲間という多くの新しい友人も得た。体型もずい分変わった。そして何より、僕の心の奥底の何かが大きく変わった。再生した、と言ってもいい。(中略)
自転車で遠くへ行きたい。
その「遠く」とは物理的な距離だけではない。ロードレーサーはあなたの心も「遠く」へ連れていってくれるはずだ。
【『自転車で遠くへ行きたい。』米津一成〈よねづ・かずのり〉(河出書房新社、2008年/河出文庫2012年)】
図書館では、何万冊もの本を収めた書庫のあいだを歩き回って、革の、布の、そして乾きゆくページのかびくささを、異国の香(こう)のようにむさぼり嗅(か)いだ。ときおり足を止め、書棚から一冊抜き出しては、大きな両手に載せて、いまだ不慣れな本の背の、硬い表紙の、密なページの感触にくすぐられた。それから、本を開き、この一段落、あの一段落と拾い読みをして、ぎこちない指つきで慎重にページをめくる。ここまで苦労してたどり着いた知の宝庫が、自分の不器用さのせいで万が一にも崩れ去ったりしないようにと。
友人はなく、生まれて初めて孤独を意識するようになった。屋根裏部屋で過ごす夜、読んでいる本からときどき目を上げ、ランプの火影(ほかげ)が揺れる隅の暗がりに視線を馳(は)せた。長く強く目を凝らしていると、闇が一片の光に結集し、今まで読んでいたものの幻像に変わった。そして、あの日の教室でアーチャー・スローンに話しかけられたときと同じく、自分が時間の流れの外にいるように感じた。過去は闇の墓所から放たれ、死者は棺から起き上がり、過去も死者も現在に流れ込んで生者にまぎれ、そのきわまりの瞬時(ひととき)に、ストーナーは濃密な夢幻に呑み込まれて、取りひしがれ、もはや逃れることはかなわず、逃れる意思もなかった。
【『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ:東江一紀〈あがりえ・かずき〉訳(作品社、2014年)】
クラスの女の子は一人残らず彼に首ったけだったけれど、それは彼が学校代表のサッカー・チームのキャプテンだというだけが理由ではなかった。
学校時代のわたしにはちらりとも関心を見せなかったにもかかわらず、彼が西部戦線から帰ってきた直後に、それに変化があった。あの土曜の夜の《パレ》で、わたしとわかっていてダンスを申し込んできたのかどうかはいまだによくわからないけれども、公平を期すために言うなら、わたしも相手が彼とわかるまで、二度もその顔を見直さなくてはならなかった。
【『時のみぞ知る』ジェフリー・アーチャー:戸田裕之〈とだ・ひろゆき〉訳(新潮文庫、2013年)】
そのころ、大和(やまと)の五条という天領にいた本屋の主人が、たまたま和歌山に来ていて、宗光が復讐(ふくしゅう)、復讐と叫ぶのを聞いて、これは面白い子だと思って、ぼっちゃん(紀州では、ぼんぼんという)、紀州家に仇討ちをされるなら、天領の代官になりなさい、と言ってくれた。
宗光は雀躍(じゃくやく)して喜び、大和五条にある老人の家の食客(しょっかく)となって『地方凡例録』(じかたはんれいろく)とか、『落穂集』(おちぼしゅう)とかを勉強した。これらは、幕府の民政の書で、代官の教科書であった。後年、陸奥が、日本の近代化を一挙に促進した地租改正の議(ぎ)などを提案したのは、このときの素養があったからという。
こんなものは、大人が読んでも面白いもののはずがない。それを、数え年10歳の少年が読んで、あとに残るほど理解し、吸収し得たとすれば、それは仇討ちの気魄(きはく)があって初めてできることと思う。昔話に、仇討ちの執念でたちまちに剣道が上達する話がよくあるが、やる気というものは、恐ろしいものである。(※ルビの大半を割愛した)
【『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、1999年/PHP文庫、2003年)】
私はかねがね、西郷(さいごう)など徳川時代の教養を深く身につけた人が西欧の合理主義になじまなかった罪は陽明学にあると思っている。陽明学は儒学の行きついた極致であり、すべて自己完結している。個人の人格さえ完成すれば、それが社会全体の幸福にまでつながると信ずれば、日々の生活になんの迷いも生じない。物質的な貧乏(後進性)も、毀誉褒貶(きよほうへん/世論〈よろん〉)も気にすることはない。何もかも失敗しても、天の道をふんでいるのだから、志は天に通じていると思っている。そんな思想に凝り固まっている「立派な人」に近代思想を説いても、結局は歯車が噛み合わないであろう。
明治維新の過程をみると、行動を重んじる陽明学はたしかに革命の原動力にはなった。江戸時代唯一の革命の試みといえる1837年の乱を起した大塩平八郎も陽明学者だった。吉田松陰が長州の革命家を育てた役割も大きい。しかし、維新後の近代化の過程では西南戦争の西郷隆盛と言い、後に議会政治を弾圧した品川弥二郎(しながわやじろう)と言い、陽明学の士は、近代化の足を引っ張っている。しょせん革命には有用であっても、近代化にはなじまない思想なのであろう。
モデルスキーの「世界政治の長期周期」説などがそれである。大ざっぱにいうと、16世紀をポルトガルの世紀、17世紀をオランダの覇権時代、18世紀はイギリス覇権の第1期、19世紀はその第2期、20世紀をアメリカの世紀と考えて、大体1世紀毎の興亡の周期があるという理論の下で、やがて来るべきアメリカの衰運に警告を発するという考え方である。
私自身としては、この種のシェマティック(図式的)な分析というものには必ず無理があり、国家や人間の生きるか死ぬかの争いの場である歴史の流れを把握するには役に立たないと思っている。現にオランダの覇権時代といっても、それはあとで論じるように、英国がスペイン帝国に併呑されないように必死に抗争している間に、オランダが世界的規模でその経済力を伸ばすチャンスをつかんだという話であり、もともと英国との友好協力関係が前提であって、スペインの脅威が去るや否や英国の嫉視の的となって衰退するまでの期間に過ぎない。(中略)
その圧巻ともいうべきものは、日露戦争の翌年である1906年に出版されたエリス・バーカーの500頁近い大著『オランダの興亡』である。(中略)
私がこの本を知ったのは、昭和7年に出版された大類伸編の『小国興亡論』の中にその短い抄訳があったからである。以来、多年、その原著を求めていたが、英国内の図書館にはついに見あたらず、アムステルダムの王立図書館でようやくそのフォト・コピーを手に入れることが出来た。その後、アメリカの議会図書館にも1部あることも確かめた。また、上智大学の図書館にも寄贈図書として1巻がある由である。(中略)
右の本はいずれも、かつて英国より経済、技術の面でははるかに先進国だったオランダが、英蘭戦争などを通じて衰えていく過程を記述して、英国も同じ運命を辿ることを憂いた警世の書である。もともとオランダの繁栄を嫉視して、これを破壊したのはイギリスであるが、かつてカルタゴを滅ぼした小スキピオ・アフリカヌスが、同行していた歴史家ポリビウスの手を取って、「次に来るものはローマの衰亡か?」と長嘆息したのと同工異曲というべきであろうか。
バーカーは、ポール・ケネディと違ってより伝統的な史観の上に立っている。つまり、富んで栄えた国が武事を閑却し、質実剛健、尚武の未開人に滅ぼされるというローマ帝国の衰亡、平家の滅亡の史観であり、この方が本来は人類の常識であって、その意味ではポール・ケネディの理論は独創的であるといえるが、まだどこか未熟であやふやなところがあり、多くの専門家にその弱点を突かれているのもそのためである。
【『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦(初出誌『文藝春秋』1990年1月号~10月号/文藝春秋、1991年/文春文庫、1999年/土曜社、2016年)】
ところが、(※国家とは異なり)国際社会はこのような公権力によって秩序が保たれる組織化された社会ではないので、個々のメンバーである各国は、国の安全を守り、権利を保全するのに、自国の軍隊で独自に防衛したり(自衛)、腕っ節の強そうな他の国と同盟を結んでお互いに守りあう(集団的自衛)ことをしないと存立し得なくなるのである。あたかも国内社会で、公権力が機能しない無法地帯では、一人ひとりが自分自身で刀やピストルを持って自衛したり、強そうなやくざやマフィアと手を結んで安全を期するしか生き延びていかれないのと似ている。
【『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一(新風舎、2007年/文芸社、2008年/文芸社文庫、2013年)】
軍事大国の身勝手な論理が、あからさまに通っている典型的な例は核拡散防止条約(NPT)である。在来兵器に比べて桁違いの威力をもつ核兵器が拡散して、各国がこれを持つようになると、世界の平和維持が著しく不安定になるどころか、それこそ地球が木っ端微塵になり、人類全体の破滅を招く事態となりかねない。核兵器がテロリストの手に渡る危険も増大する。
今日、人類が到達した科学技術の水準からすれば、国が核兵器を持っているかどうかは、刀やピストルを持っている人と丸腰の人との違いと変わらない。190人余りの後世ん(国家)がいる社会(国際社会)で、5人だけがピストルを持ち、他の者たちに「お前らには鉛筆削りのナイフも持たせない、素手でいろ」と命じて、監視の目を光らせ、やりたい放題の振る舞いを許しているのがこの条約なのである。しかもこの5人は国連安保理で拒否権をもった常任理事国なので、国連での重要な決定を自由自在に妨げることができ、一人が「ノー」と言えば国連は動きがとれなくなってしまう。こんな実情に国際社会からのブーイングすら起きていないのが不思議でならない。
もっとも「核拡散防止条約」にも言い分はある。これがなければ190人余りのそれぞれが、各自飛び道具を手にして争うことになり、そうなると大変なことになる。地球が破滅してしまうという理屈だ。だから、核兵器保有国が悪兵器を他国に移譲しない義務を負い(NPT条約第1条)、核保有国が核兵器を受領せず、製造せず、製造について援助を求めたり、受けたりしないと約束すること(同第2条)は、重要であるように思える。
確かに、無制限、無秩序に核軍備競争が進む状況に比べれば、なんらかの歯止めがあった方がいいという理屈は、一見もっともに聞こえる。しかし飛び道具を独占している5人が「正義」を実現してくれるという保証はどこにもない。彼が唱える「正義」は、彼らの独善による身勝手な言い分に過ぎず、彼ら自身が「ならず者国家」に変身する危険は常に覚悟していなければならない。
ここで忘れてならないのは、飛び道具独占を正当化するこの理屈は、あくまで最終的には、核兵器保有国も核兵器廃絶に向かうことを前提にしたものだということである。そうでなく、保有国が未来永劫に核兵器を保有し続けるのであれば、軍事面における保有国の、非保有国に対する有利な立場を決定的に固定化してしまうこととなる。
現にNPT条約の前文には「……核兵器の製造を停止し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去することを容易にするため、国際間の緊張の緩和及び諸国間の信頼の強化を促進することを希望し、……」この条約を締結することが謳われており、また第6条には「各締約国は、各軍備競争の早期の停止及び各軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する」と明記されている。
ところが、この世から核兵器が廃絶に向かう気配は一向にない。
5月27日は、ソ連の予審判事が3人やってきた。陰湿な男で、いきなり満州事変について質問した。
石原は昭和8年ジュネーブでの国際連盟臨時総会に出席する途中、招かれてソ連のエゴロフ総参謀長と会ったことを話した。するとソ連の検事は顔色を変え、一瞬言葉に詰った。相手が余りにも大物だったからである。
ソ連の検事は「国体」について尋問した。石原は「天皇中心とした国家でなければ日本は治まらない」と理由を説明した。ところが共産党国家の検事はせせら笑って、スターリンのソ連国体を持ち出した。その時、石原はムッとして、
「自分の信仰を知らずして、他の信仰を嘲笑うような下司なバカ野郎とは話したくない。帰れ!」と激怒した。通訳官が慌てて、「この人は、ソ連では優秀な参謀です。話をすれば分かると思います。ぜひ進めてください」と頼んだ。
すると石原は、「バカなことを言うな。こんなのはソ連では参謀で優秀かも知れんが、日本には箒で掃き出すほどいる。こんなバカとは口をききたくない、帰れ」と突っぱねた。
「分かるように話してやる。君らはスターリンといえば絶対ではないか。スターリンの言葉にはいっさい反発も疑問も許されないだろう。絶対なものは信仰だ。どうだ判ったか。自分自身が信仰を持っていながら、他人の信仰を笑うようなバカには用はない。もう帰れ」
それきり、石原は口を固く閉じた。
【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)】
二・二六事件のとき、石原は東京警備司令部の一員でいた。そこに荒木貞夫がやって来たとき、石原は「ばか! お前みたいなばかな大将がいるからこんなことになるんだ」と怒鳴りつけた。荒木は「なにを無礼な! 上官に向かってばかとは軍規上許せん!」とえらい剣幕になり、石原は「反乱が起こっていて、どこに軍規があるんだ」とさらに言い返した。そこに居合わせた安井藤治東京警備参謀長がまぁまぁと間に入り、その場をなんとかおさめたという。
【Wikipedia】
総体的に、日本の保守政治は、選挙区への利益誘導と、その海外への延長である利権ばら撒きしかないのである。それ以外のことは無関心で、全部アメリカに任せてある。
いま、ブッシュ政権に憎悪され敵視されているのは、この体制なのである。
日本は悪いことはしないと誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が置きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑俗化した。気品を失った。
大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
【『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈かたおか・てつや〉(講談社+α文庫、1999年/講談社、1992年『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』の改訂増補版)】