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2020-07-17

わかりやすい入門書/『マインドフルネス瞑想入門 1日10分で自分を浄化する方法』吉田昌生


 ・わかりやすい入門書

・『現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4』アルボムッレ・スマナサーラ
・『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』アルボムッレ・スマナサーラ
『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート
『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
『「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり』山本清次

 マインドフルネスとは、今という瞬間につねに注意を向け、自分が感じている感覚や感情、思考を冷静に観察している心の状態のこと。
 つまり、【「今、ここ」に100%心を向ける在り方】のことです。元々はパーリ語の「サティ」という言葉の英訳で、日本語では「気づき」、漢語では「念」と訳されています。「自覚」「集中」「覚醒」とも言い換えられます。

【『マインドフルネス瞑想入門 1日10分で自分を浄化する方法』吉田昌生〈よしだ・まさお〉(WAVE出版、2015年)以下同】

 ヴィパッサナー瞑想は静かにアメリカで広まっている。健康本で紹介されることも珍しくない。プラグマティズムの伝統が脈打っているのだろう。一方、鈴木大拙〈すずき・だいせつ〉によって日本の禅は世界で知られるようになったが、我が国で瞑想の潮流が深まることはなかった。かつて武士が禅に打ち込んでいた歴史を思えば武士道の衰退とも関係があるように思う。

 サティは八正道正念である。これが戒・定・慧の三学だと(じょう)=サマディ(三昧)となる。現在では三昧(ざんまい)と変化して残るが、無我夢中で没頭している様子を表す(贅沢三昧、読書三昧など)。

 吉田は「集中」を挙げているがこれは誤りで「注意」が正しい。集中と注意は異なる。一点に集中すれば周辺は見えなくなる。集中は眼、注意は耳と皮膚というのが私の持論だ。瞑想の観察は眼で行う性質ではない。仏像の半眼がそれを示している。眼は自己の内側を見ることができない。

 頭のなかの思考の世界に巻き込まれて、それに気づいていない状態です。そんな状態のことを「マインドレスネス」と言います。(中略)
 このように、「今、ここ」の現実とのつながりが失われ、なおかつそのことに気づいてもいない状態のことを「マインドレスネス」と言うのです。

 フルネス(fullness)は「満ちている状態」で、レスネス(lessness)は「より少ない状態」である。コマが回っている状態がフルネスである。フル回転しながら止まっているのが瞑想だ。その意味では自転車に乗る行為も瞑想と似ている。

 お釈迦様が仏教をつくったのは今から2500年前のインド。一方、世界初のペダル式自転車が登場したのは、150年ほど前のフランス。だから(あたりまえだが)お釈迦様は自転車を知らなかった。しかしもし、お釈迦様が自転車に乗ったなら、必ず「瞑想修行と自転車は似ている」と言ったに違いない。

【『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑〈ささき・しずか〉(ちくま新書、2009年)】

 具体的な瞑想の方法が書かれていて、わかりやすい入門書となっている。クリシュナムルティは方法を否定したが、我々凡夫は何らかの手掛かりがなければ瞑想の入り口に立つことも不可能だ。例えば無実の罪で獄につながれた時、怪我や病気で体の自由を失った時、災害や戦争に巻き込まれた時など、絶体絶命という場面を想像すれば平時に瞑想を行うことは生きるための備えといってよい。

2020-01-26

過去世と来世/『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ


『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』アルボムッレ・スマナサーラ、南直哉
『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

 ・過去世と来世

『沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ
『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ

 インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力を開発して、認識の次元を伸ばしたのです。現代風に言えば超能力です。普通の人間の能力を超越したのです。それは修行によって、訓練によって得たものです。そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。

【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(国書刊行会、2005年/角川文庫、2012年)以下同】

 この件(くだり)を読んで私はスマナサーラに疑問を抱き、南直哉〈みなみ・じきさい〉との対談を読んで性根を垣間見た。もともと彼の声が好きになれなかった。ティク・ナット・ハンは見るからに誠実だがスマナサーラには隠しきれない胡散臭さがある。

 認識は脳で行われる。「居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力」は確かにある。夢は目をつぶっているのに「見る」ことができる。幻聴・幻覚も同様だ。イマジネーションとは像を想い描く力である。ユヴァル・ノア・ハラリはその像が実は「虚構」であると指摘した(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』)。認知は歪み記憶は錯誤する。事実は脳によって解釈される。ヒトは幻想を生きる動物なのだ。

 お釈迦さまのことばを伝えているパーリ経典では経典を5種類に分けて編集していて、その第一は長部経典(ディーガニカーヤ)といいます。その町歩経典に収められた最初のお経は『梵網経(ぼんもうきょう/ブラフマジャーラスッタ)』です。この長い経典のなかで、お釈迦さまは古代インドにあったとされる62種類の宗教哲学を分析しています。その経典では62種類の宗教哲学を大きく分けて、過去を超能力で見て宗教哲学を論じる人々と、未来を考えて宗教哲学を論じる人々との二つのカテゴリーに分類してあります。過去を見て宗教哲学をつくったものだけで44種類あります。面白いことに、お釈迦さまはこの62種類の教えが正しいとは言わないのですが、頭から間違っているとも言ってはいません。
 お釈迦さまは、行者たちがさまざまな行をして、超能力を得て過去を観察して、このような教えを話しているのだとおっしゃいます。一度も「これはインチキだ」とは言っていないのです。確かに彼らは何劫年(こうねん)も自分の過去を見るのだとおっしゃいます。(中略)お釈迦さまは、彼らが発見したものが正しいと認めるけれど、それを哲学的に語る部分だけを批判します。(中略)
 お釈迦さまの批判は少々ややこしいのです。仙人たちの超能力はすべて認めたうえで、超能力から導き出した結論だけはよくないと言う。

 梵網経の六十二見はティク・ナット・ハン著『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』で知った。六十二見 - 古今宗教研究所のページが参考になる。

 過去世については『スッタニパータ』に「六四七 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くすに至った人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」とある。ただし直前では「六三四 現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、とらわれのない人、──かれをわたくしはバラモンと呼ぶ」とも言っている。形而上学的な疑問には無記で臨むのが正しい。厳密に読めば「前世の生涯を知り」とはあるが、「前世が存在する」とまでは言っていない。カーストは過去世をもって現世を支配するシステムである。つまり与奪(よだつ)の「与える」立場(容与)で教えたものと私は考える。過去世と昨日に大差はない。

 私はかつて仏教徒であった。現在は違う。ブッダの古い言葉は真理への梯子となるのは確かだが、訓詁注釈の罠にはまるとブッダが指し示すものが見えなくなる。スマナサーラの言葉はよき参考書であるが全てを鵜呑みにするつもりはさらさらない。

 死者を仏と呼ぶのは案外正しいのかもしれない。死の瞬間に脳は永遠を体験する(『スピリチュアリズム』苫米地英人)。一生が走馬灯のようにありありと見え、身口意(しんくい)の三業(さんごう)まで感じることだろう。そこでたぶん凡夫は深い悔悟の中で悟りに至るのだ。その後はない。深い眠りが永遠に続く。

2020-01-20

一切皆苦/『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ


『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・一切皆苦

『無(最高の状態)』鈴木祐

 では、仏教が生きることを研究して出た答えはなんでしょうか?
 それが「苦」という答えなのです。「生きることはとても苦しい」ということです。
 ヨーロッパ人は、形而上学的な立場で生きることについて、命について、いろいろ考えています。一方、仏教はとても具体的に合理的にこの問題を考えます。どちらかというと、経験論に基づいて生きるとは何かと発見するのです。それで「生きるとは感じることである」と語っています。それは感覚のことです。感覚があることが生きることです。物事を感じたり考えたりすることは生きることです。人は「感じては動く、感じては動く」ということです。
 ではなぜ動くのでしょうか? それは、感じることが苦しいからです。
 ずっと立っていると苦しくなるから歩く。ずっと歩いていると苦しくなるから座る。ずっと座っていると苦しくなるから寝る。ずっと寝ていたら苦しくなるからまた起きる。お腹が空くと苦しくなるから食べる。食べると苦しくなるから止める……。これが生きることなのです。息を吸うだけだと苦しいのです。だから吐くのです。吐いたら苦しいから吸うのです。
 このように感覚はいつでも「苦」なのです。
 だから必死に動いています。生きることは「動き(モーション)」でもあります。こう考えると、我々が思っている「生きる」という単語は曖昧で正しくありませんね。

【『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2007年)】

 スマサーラを初めて読んだのは2012年のこと。私が受けた衝撃は大きい。日本仏教の欺瞞が暴かれたような心地がしたものだ。クリシュナムルティを知ったのが2009年で仏教に対する熱はかなり冷めていた。しかしながら仏教とブッダの教えは違った。南伝仏教(上座部、テーラワーダ)は生き生きとしたブッダの言葉を伝える。

 日本の仏教界が私ほどの衝撃を受けたかどうかは知らぬが、今や仏教系信徒でスマナサーラを読まぬ者は田舎者(←差別用語)と蔑まれても致し方ない。仮にもブッダを師と思うのであれば胸襟を開いて傾聴すべきだ。

 スマナサーラ本を読んで私は初めて四法印の「一切皆苦」(いっさいかいく)がわかった。しかもパーリ語のドゥッカに「不完全」というニュアンスがあるとすれば、それこそ「満たされない」状態を示しているのであろう。苦と苦の合間を我々は快楽と錯覚するのだ。夢や希望が苦からの逃避であるケースがあまりにも多い。

 生の実相が苦であることは病院や老人ホームに行けば誰もが理解できよう。誰の役にも立てなくなった時、人は絶望を生きるしかない。

 現実の苦に対する無自覚こそが現代人の不幸なのだろう。だからこそ病んで死を宣告された時に命の尊さを知り、残された時間を嘆くのだ。我々は漫然と「永久に生きられるかのように生きている」(セネカ)。

 苦は欲望という油を注がれて深刻の度合いを増す。日蓮は「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや」(「八風抄」真蹟は断簡のみ)と書いているがそれは自受法楽ではない。わかりやすい教えには落とし穴がある。

 苦しみをなくすためには欲望の火を消す他ない。これを涅槃(ねはん)とは申すなり。(amazonの価格が1880円になっているのはどうしたことか?)

2019-10-23

洪水/『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元


『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳

 ・競争と搾取
 ・洪水

『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ

ブッダの教えを学ぶ

四六 この身は泡沫(うたかた)のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。
四七 花を摘(つ)むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように、――
四八 花を摘(つ)むのに夢中になっている人が、未だ望みを果さないうちに、死神がかれを征服する。(「真理のことば」〈ダンマパダ〉第四章 花にちなんで)

【『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1978年/ワイド版岩波文庫、1991年)以下同】

 東日本大震災を経験してそれまでとは全く異なった衝撃を受けた一文である。その後も自然災害が止むことはなかった。平成から令和に変わっても容赦なく台風が襲い掛かった。21の河川が氾濫し、堤防の決壊によって浸水した土地は2万5000ヘクタールに及ぶ。今日現在で70人が死亡、行方不明者が12人となっている。

 生きとし生けるものは必ず死ぬ。にもかかわらず災害死は生の基盤を揺るがす恐怖を与える。戦争やメガデス(大量虐殺)と同様に。

 本能なのか。それとも感情なのか。徒死を嫌い、無駄死にを恐れ、酔生夢死を忌(い)む裏側には「掛け替えのない人生」という誰もが信じる虚構が存在する。

 このテキストは「感興のことば」にも登場する。

一四 花を摘(つ)むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、――眠っている村を、洪水が押し流していくように――
一五 花を摘(つ)むのに夢中になっている人が、未だ望みを果さないうちに、死神がかれを征服する。
一六 花を摘(つ)むのに夢中になっている人が、まだ財産が集まらないうちに、死神がかれを征服する。(「感興のことば」〈ウダーナヴァルガ〉第一八章 花)

 花を摘む幸福が生を見失わせるのか。功成り名を遂げた人も、市井に埋没する人も、不遇をかこつ人も死が押し流してゆく。目を開いて周囲を見てみよう。死はありふれている。死はそこここに転がっている。中高年ともなれば親が死に、兄弟が死に、そして友人が次々と死んでゆくことにたじろぐ。だが私が見るのは他人の死だ。果たして「自分が死ぬ」という当たり前の現実を真剣に受け止めている人は少ない。

 人生の総決算が死ぬ姿にあると考えれば、死に方を問う人々が出てきて当然だ。そんな彼らが編み出した一つの解決法がたぶん「殉教」だったのだろう。“大義のために死ぬ”ことは誰が見ても絵になる。それまでの平凡な人生が突如としてドラマチックな色彩を帯びる。キリスト教宣教師は「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)から近代に至るまで殉教の旗を掲げて世界を駆け巡った。

 ところがそのキリスト教を排除してきた日本にはもっと凄い死に方があった。切腹である。自らの死を苦痛の中で決断する行為は人間の意志の極限に位置するものだ。武士という存在は刀を自他に突きつける中で絶妙なバランスを社会にもたらした。その精神は大東亜戦争の特攻隊にまで引き継がれる。

「感興のことば」は「無常」の章から始まる。ここで説かれる無常とは死を意味する。諸行無常とは「何をやっても(死ぬから)無駄」と言っているようにしか思えない。真実は単純の中にある。人々が思う幸福はきっと不幸の因なのだろう。幸福は真理と懸け離れている。それは単なる欲望に過ぎない。「洪水」とは煩悩の濁流を示している。

 河海の洪水を恐れても、煩悩の洪水を何とも思わぬ己をじっと見つめる。

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

岩波書店
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2019-04-19

我々が知り得るのは「脳に起こっていること」/『養老孟司の人間科学講義』養老孟司


『唯脳論』養老孟司
『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

 ・我々が知り得るのは「脳に起こっていること」

『人類が生まれるための12の偶然』眞淳平:松井孝典監修

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 科学は宇宙の起源や星の進化を論じ、物質の基礎をなす単位について語る。ヒトの遺伝子はすべて塩基配列がすべて解読された。われわれはそういう時代に生きている。
 それならわれわれが知っていることは、つまりなにか。
 自分の脳のなかだけである。われわれが世界について、なにか知っていると思っているとき、それは自分の脳のなかにある「なにか」を指している。脳を消せば、その「なにか」が消えてしまうからである。それだけではない。脳のなかにないものは、その当人にとって、存在しない。私が知っているさまざまな昆虫は、多くの人にとって、まさに「存在しない」のである。
 歯が痛いとき、われわれは当然、歯のことを直接に「知っている」と思っている。しかし、実際に知っているのは、脳のなかの知覚に関わる部位の、歯に相当する部分に、歯の痛みに相当する活動が起こっている、ということだけである。なぜなら歯から脳に至る知覚神経を麻酔してやると、もはや歯が痛くなくなる。それどころか、主観的には歯がなくなってしまう。だから歯医者に歯を抜かれても、「なにも感じない」。しかし歯では相変わらず炎症が進行しており、歯に生じている実際の事情は、なんら変化したわけではない。だから「歯が痛い」と思っているとき、「歯に起こっていること」を知っているわけではない。「脳に起こっていること」を知っているだけである。

【『養老孟司の人間科学講義』養老孟司〈ようろう・たけし〉(ちくま学芸文庫、2008年/筑摩書房、2002年『人間科学』改題)】

 関連する書評をはてなブログから移動しているのだがとにかく面倒臭い。当ブログのアクセス数や私の年齢を思うと無駄な行動にしか思えない。見知らぬ誰かが本を手繰り寄せる時に道標(みちしるべ)を示すことができればとの思いだけで、よくもまあ20年も駄文を綴(つづ)ってきたものだ。

 書評リンクを一々貼るのも煩わしいので今後は「ラベル」を活用しようと目論んでいる。記事タイトルの一覧表示ができればいいのだが、無料ブログなので多くを求めるまい。

 脳化社会(『カミとヒトの解剖学』養老孟司、1992年)では人生の万般が脳内現象に収まる。これを仏教では「識」(しき)と名付ける(唯識)。

 一冊の本を読んでも感想は人によって異なる。受け取るメッセージも様々だ。ある風景に心を奪われる人もいれば、漫然と見過ごす人もいる。すべての情報は受け手によって解釈され、一つの経典やバイブルから教義を巡って数多くの教団が派生する。その意味から申せば人が人を理解することは不可能だ。不可能という現実を受け入れた上で互いに歩み寄る努力が必要なのだろう。

 脳内現象をアイドリング状態に戻すのがスポーツで、脳内現象をゼロに向かわしめるのが瞑想なのだろう。

 人々の妄想をより大きな妄想に収束させるのが政治と宗教だ。

 そして現代の妄想は資本主義の発達によってマネーを媒介とした欲望の解放に向かう。神をも恐れぬ我々がカネの価値だけは信じているのだから、もはやマネー教と言ってよいだろう。

 人類がいつの時代も戦争を欲するのは種としてのヒトが一体感を感じるためなのだろう。祭りにもまた同様の効果がある。それを超えたコミュニケーションは可能だろうか? もっと静かでもっと知的でもっと和(なご)やか一体感を得る道はあるのだろうか? ある、とは思う。どこに? ここに、とまだ答えることのできぬ自分が歯痒(がゆ)い。

2018-12-21

2016年に読んだ本ランキング


2015年に読んだ本ランキング

 ・2016年に読んだ本ランキング

2017年に読んだ本ランキング

 2016年のランキングを書いてないことに気づいた。書けなかった理由すら思い出せない。付箋(ふせん)を貼ったページは全て画像で保存しているので記録に漏れはないのだが、量が多すぎて読んだ時の心の動きがわからない。まあ、そんなわけで不正確な覚え書きとして残しておく。

 まずは印象に残った巧妙な悪書を2冊。

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治
『ジェノサイド』高野和明

 続いて良書。

『なぜ専門家の為替予想は外れるのか』富田公彦
『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義』北野幸伯
『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯
『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯
『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯
「三木清における人間の研究」今日出海(『日本文学全集 59 今東光・今日出海』)

 次に再読、三読した必読書。外れなし。私の眼は確かだ(笑)。

『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『ウィンブルドン』ラッセル・ブラッドン
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ
『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン
『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 次にオススメ本。

『声』アーナルデュル・インドリダソン
『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン
『風の影』カルロス・ルイス・サフォン
『「読まなくてもいい本」の読書案内 知の最前線を5日間で探検する』橘玲
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思
『さらば、資本主義』佐伯啓思
『自滅するアメリカ帝国 日本よ、独立せよ』伊藤貫
『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話 3』アルボムッレ・スマナサーラ
『心の中はどうなってるの? 役立つ初期仏教法話5』アルボムッレ・スマナサーラ
『結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6』アルボムッレ・スマナサーラ
『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄
『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』福岡伸一
『動的平衡2 生命は自由になれるのか』福岡伸一
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー
・『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』松田卓也
『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』鈴木猛夫
『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』マリン・カツサ
『天皇畏るべし 日本の夜明け、天皇は神であった』小室直樹
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII』岸見一郎、古賀史健

 必読書入りしたのが以下。

『5つのコツで もっと伸びる カラダが変わる ストレッチ・メソッド』谷本道哉、石井直方
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘
『大東亜戦争肯定論』林房雄
『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー
『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント 経済的自由があなたのものになる』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ
『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ
『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ
『人が死なない防災』片田敏孝
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 で、ベスト10である。

10位 『量子力学で生命の謎を解く 量子生物学への招待』ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン
9位 『砂の王国』荻原浩
8位 『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
7位 『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子
6位 『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
5位 『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
4位 『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
3位 『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
2位 『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
1位 『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン

『人間の本性について』は一度挫折しているだけに思い入れが深い。

人間の本性について (ちくま学芸文庫)
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筑摩書房
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2018-06-09

鋸の復原を通して古代人と対話/『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一


『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『仕事の話 日本のスペシャリスト32人が語る「やり直し、繰り返し」』木村俊介

 ・鋸の復原を通して古代人と対話

『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏
『手業(てわざ)に学べ 天の巻』塩野米松
『日本鍛冶紀行 鉄の匠を訪ね歩く』文:かくまつとむ、写真:大𣘺弘

吉川金次●そんななかで、いまから30年ほど前、いやもっと以前かな、古社寺展というのが盛んにおこなわれ、私もかならず見にいきました。そしたらね、おもしろいものを発見しちゃったんですよ。描かれている絵の鋸が、私たちがつくるような鋸とは違う。これは丹念に調べてみたら、鋸の進化が分かるにちがいない。よし、調べてやろう、という気になったんです。43歳の暮れでした。
 鋸を調べるには、まず、日本鋼(はがね)で鋸をつくる技術を正しく記録しておく必要があると気づいたわけです。それで家内に話したら、やってみたらというんです。乞食(こじき)になってもいいから、やってみようじゃないか、ノートに書いておけば、みなさんが読んで使ってくださる。それだけでもいいからやってみよう、とはじめたんです。

【『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一〈もり・こういち〉(小学館、1987年/小学館ライブラリー、1994年)以下同】


 言葉には責任が伴う。というわけで責任を果たしておこう。「鋸喩経」(こゆきょう)を調べて辿り着いた一冊。鋸(のこぎり)以外は飛ばし読み。サンケイ新聞大阪版に昭和58年(1983年)9月~60年(1985年)12月まで連載された「対談シリーズ 古代は語る」28回分のうち14回分を増補・加筆したもの。ネット上に書誌情報が少ないので対談者を挙げておく。永留久恵、松岡史、日下雅義、森博達、江守五夫、嶋倉巳三郎、布目順郎、久野雄一郎、清水欣吾、安田博幸、後藤和民、中尾佐助、吉川金次、三輪茂雄。

 吉川は絵巻物に描(か)かれていた鋸(のこぎり)を「見た」。何をどのように見るかで人生は変わる。我々には「見えていないもの」が多すぎるのだろう。奥方の反応はいかにも東京の下町らしい味わいがある。背中の押し方が絶妙だ。吉川は栃木県氏家(うじいえ/現在のさくら市)で鍛冶職人の家に生まれ、幼い頃から鋸鍛冶を手伝っていた。21歳で上京し、鋸の歯を直す目立て屋を始める。後に収集した鋸や製作した鋸をさくら市ミュージアムに寄贈し、「のこぎり館」として展示されている。また彼は俳人でもあった

 職人だから思い立ったら行動するのが早い。兄と弟に手伝ってくれと頼むと二人は協力すると応じる。

吉川●古代の鋸をつくるのは、その構造を理解するためです。(中略)
 古代の鋸を、いまの鋸みたいに解釈している人が多いんですが、いまの鋸のように使える道具じゃぜったいない。どうやってつくったかということを調べていくと、どういうところに使ったかも、はっきり分かってくるんです。

 構造に概念がある。

森●黄金塚古墳のころの鋸は、何を切っていたんですか。

吉川●いまの鋸のように使える道具じゃありませんね。歯を見ると、アセリもナゲシもない。

森●アセリですか。

吉川●ええ、アセリがない。アセリというのは、歯を互い違いに曲げることです。アセリがないと木質は切れません。

森●歯を互い違いに曲げるのをアセリというんですか。

吉川●齟齬(そご)という人もいるんですが、齟齬という言葉を使うのはやめてもらいたいですね。齟齬というと、くいちがいでしょう。ところが、鋸の歯はくいちがいじゃないんですよ。間に釘1本を通すとスーッと通るくらい整然としているんです。齟齬なんてことを言ったら、大工に頭を張り倒されちゃいますよ。齟齬だったら、家が建てられるはずがない。材木というのは、断面が非常に重要なんです。断面がきれいでなかったら、日本の木材建築なんてできない。その断面をきれいにするために、日本の鋸は工夫されているんです。

 思わず大笑いした箇所だ。「同志社大学の顔」と呼ばれた名物教授の森が職人の吉川に教えを請う姿も実に清々(すがすが)しい。

吉川●それから、鋸の歯はヤスリで立てたと思うでしょう。ぜんぜん違いますね。4世紀や5世紀の鋸はヤスリで歯を立てていません。タガネで立てたんです。その証拠もちゃんとつくってあります。実験してみましたから。そうすると、ヤスリと鋸は、タガネを母とし、槌(つち)を父とする同じ兄弟だったということになってくるんですよ。使い方も非常に近縁なんです。さっきも言ったように、黄金塚古墳の鋸なんか、使い方がヤスリとそっくりでした。

 頭ではなく体でわかった知識には理論をこねくり回すような無駄がない。まったく鋸みたいな人だよ、あんたは(笑)。

吉川●まあ、こうやって復原してみると、古代人たちがどんなに苦労したかということが、よく分かりますね。いまの人ならすぐにでもできるようなものでも、古代人にとっては、とんでもないことだったんでしょうね。でも、それはやっぱり、おもしろかったんでしょうね。古代人と話しているような気になるのも、そのためなんです。苦しいばっかりじゃない。ものをつくるのは、なんでもそうでしょう。そうそう、いま鍬(くわ)をつくっているんですよ。鍬なんか、考古学者は軽蔑しているみたでね。しかし、鍬は大切ですぜ。

「でも、それはやっぱり、おもしろかったんでしょうね」の一言に千鈞の重みがある。興味を追求するところに人生は開け、技術も花開く。吉川の生き様は孔子の言葉を髣髴(ほうふつ)とさせる。「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず」(『論語』)。

 森浩一は吉川との対談を振り返ってこう締め括る。

「復原をして、すっかり貧乏になりました」
 と、屈託なく笑われる吉川さんの研究を、私は、文部省の研究費を受けて“研究”している大学人や研究所などのいわゆる専門家の研究なるものと、どうしても比較せざるをえなかった。研究費をもらうどころか、生活費をさいてまでつぎこんで、学問に役立つ研究が、下町の職人の家から生まれたのである。
 対談が終わって、帰りぎわ、1回分の土量を知るために鍬をつくっていると、吉川さんが述べたとき、横から奥さんが、つぎのように言ったものである。
「いやだね、また実験だとかいって、土掘りをやらされるね。前は木こりをやらされたけど」
 どうもこれは、吉川ご夫妻の研究とでもいうべきものである。(1983年10月18日)

 人と人との出会いが誠実さに彩られていると必ず何らかのスパークを放つ。互いの脳内でシナプスが発火する様が見えるようだ。

2017-08-23

テーラワーダ仏教の歩み寄りを拒むクリシュナムルティ/『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ


『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ

 ・テーラワーダ仏教の歩み寄りを拒むクリシュナムルティ

クリシュナムルティ、瞑想を語る

ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト

仏教学者ワルポラ・ラーフラ、イルムガルト・シュレーゲル、及びデヴィッド・ボーム教授その他との第一の対話
          1978年6月22日、ブロックウッド・パークにて

ワルポラ・ラーフラ(以下WR):わたしは若いころからずっと、あなたの教え(と言ってよければ、ですが)を追い続けてきました。ほとんどの著書は多大な深い関心を持って読ませていただきましたし、長いあいだ、このような対話ができたらと願っていました。
 ブッダの教えをそれなりによく知っている者にしてみれば、あなたの教えはとても親近感があって、新奇なものではありません。ブッダが2500年前に教えたことを、あなたは今日、新しい言葉遣い、新しいスタイル、新しい姿で教えている。あなたの本を読んでいるとき、わたしはよく、あなたの言葉とブッダの言葉を比較して余白に書き込みをします。ときには1章あるいは偈をまるごと引用したりもします。それもブッダ自身の教えだけでなく、のちの時代の仏教哲学者の思想も含めて、です。それらについてもまた、あなたは同じやり方で取り上げておられるからです。あなたがそのような教えや思想を、どんなに見事に美しく表現しているかを思うと、驚くしかありません。

【『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ:正田大観〈しょうだ・だいかん〉・吉田利子訳、大野純一監訳(コスモス・ライブラリー、2016年)以下同】

『ブッダが説いたこと』が2月17日で本書が3月1日の刊行となっており、微妙なタイミングのせいかラーフラ(Walpola Rahula)の日本語表記が異なる。対談は5回に渡っており、後半は1970~80年代の講話を収録している。

 ワルポラ・ラーフラは延々とクリシュナムルティを称え、ブッダとの共通点を示す。クリシュナムルティはわずか一言で応じる。

クリシュナムルティ(以下K):失礼でなければ、お尋ねしてもいいでしょうか。あなたはなぜ、対比するのですか?

 まさにけんもほろろ。そりゃないよなー、という対応である。最後までこんな調子で話が噛み合わない。実は以前、対談の動画を見ており私は次のように呟いた。


 ま、英語がわからないのでご容赦願おう。

 クリシュナムルティはブッダの権威を否定し、テーラワーダ仏教の伝統と知識を否定し、修行の時間性をも否定する。阿羅漢(アルハット)についてはこう述べる。

K:それ(※自我のかけらもない状態)は可能なのでしょうか? わたしは可能だとか可能でないとか言っているのではありませんよ。わたしたちは探究しているのです。信じる信じないではなく、探索や発見を通じて、わたしたちは前に進んでいるのです。

「信じる信じないではなく」の一言が鍵となる。クリシュナムルティは仏教を信じ、仏教の知識を通して自分が見られることを嫌ったのだろう。そこには「真の出会い」がない。特定のイメージが独り歩きしてしまう。

 正直に申し上げると期待外れであった。そこで「自分の勝手な期待」に気づくのだ。クリシュナムルティの真意は「私を権威に祭り上げてはならない」ということに尽きるのだろう。



2017-05-14

仏教における「信」は共感すること/『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』アルボムッレ・スマナサーラ、南直哉


『知的唯仏論』宮崎哲弥、呉智英
『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑

 ・仏教における「信」は共感すること

『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司
『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ

(※上座部仏教に魅惑されながらも)では、なぜ、再出家を実行しなかったのか。
 道元禅師に帰依したが故、と言えば格好がつくのだろうが、実は最大の理由はそれではない。そうではなくて、私自身の仏教に対する身構えの問題である。
 この対談でもふれているが、私は仏教、釈尊や道元禅師の教えが「真理」だと思って出家したのではない。私は、自分自身に抜き差しならぬ問題を抱えていて、これにアプローチする方法を探し求めた果てに、仏教に出合ったのである。つまり、仏教は問題に対する「答え」としての「真理」ではなく、問題解決の「方法」なのだ。

【『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』アルボムッレ・スマナサーラ、南直哉〈みなみ・じきさい〉(サンガ選書、2011年)以下同】

 言葉に哲学的な明晰さがあるのは南が病弱で幼い頃から死を凝視してきたためだろう。自分がよく見えている文章だ。

 今回のスマナサーラ長老との対談で、話が噛み合わないところが見えるとしたら(見えるはずだが)、その理由は、我々の民族・文化・宗教の違いだけではない。多数派における、ほとんど完璧な論理と実践を体得した指導者と、足もと覚束ないままに開き直った少数派修行僧の間の、懸隔であろう。
 今、私は忍耐強く私との対談に付き合ってくださった長老に深く感謝申し上げたいと思う。
 私たちの間には、今述べたような身構えの違いが厳然とあった。それは、対談開始直前に、
「さあ、何でも質問してください。答えますから」
 と言われた瞬間にわかったことだった。長老は「真理」の教師であり、私は「問題」に迷う生徒だったのだ。

 私はたちどころに卑屈の匂いを嗅ぎ取った。しかも怜悧な卑屈である。だが注目すべきはそこではない。数十年の修行を経ても尚且つ保ち得た「率直さ」が侮れないのだ。南は自分に対して正直に生きてきたのだろう。ここには名の通った僧侶にありがちな見栄や傲岸さは微塵もない。スマナサーラの言葉に悪意はなかったことだろう。そして私は南の率直さを通してスマナサーラの傲慢が見えた。南のことを「先生」とは呼びながらも、養老孟司の対談とは全く違った態度を取っている。仏教に対するアプローチが異なる二人の対談が噛み合うわけもない。

スマナサーラ●「『信じる』とはどういうことですか?」と尋ねられたとき、「共感することです。それしかないのです」と答える。それが、仏教の言う「信」――「信仰」ではなくて「信」なのです。

ブッダは信仰を説かず/『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ

「信仰」とは一神教の神を仰ぐ姿勢である。日本の仏教だと「信心」だ。「信じる」とは何も考えないことである。疑えば信は生じない。鎌倉仏教で信心を説いたのは法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)と日蓮だ。いずれもマントラ仏教といってよい。信じる→呪文を唱える→悟る、との三段論法である。

 法華経に信解品第四があり、涅槃経には「信あって解(げ)なければ無明を増長し、解あって信なければ邪見を増長する。信解円通してまさに行の本(もと)と為る」とある。法華経の成立年代については諸説あるが西暦40~150年である。ブッダ滅後400~550年となる。三乗(声聞・縁覚・菩薩)を否定的に捉え一乗を説いたのは初期仏教(上座部)に対する後期仏教(大乗)の政治的な戦略であろう。そのためにわざわざ「信」を強調したとしか思えない。三乗を悟っていない存在に貶め、人智の及ばぬ高み(一仏乗)を設定した上で「信」を勧めるのである。日蓮は信解(しんげ)・理解(りげ)と分けたがそうではあるまい。信と理の対立よりも「解」に重みがあると私は考える。

 信が共感であれば、クリシュナムルティが説く「理解」と一致する。

南●人間が、何かを考えるときに、必ず言語を使うでしょう? 私が思ったのは、無明というのは、人間が言語を使うときに、必然的に引き起こすある作用だろう、と思ったのです。
スマナサーラ●ああ、なるほど、それもそれで正しいとは思います。しかし、私は認識のほうに行くのです。(中略)そこで、分析してみると、我々の認識全体に、欠陥があることが発見できるのです。
南●私もそう思います。
スマナサーラ●その欠陥が、無明なのです。
南●ああ、わかりました。

 南直哉は僧侶の格好をした哲学者である。彼が仏法に求めたのは『方法叙説』(デカルトの主著。刊行当時の正確なタイトルは『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(方法序説)。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学。』1637年)の「方法」であろう。

 南は最も世間に広く届く言葉を持った宗教者であり、深き思考が世相の思わぬ姿を照射する。私は本書を読んで南を軽んじていたのだが、『プライムニュース』(BSフジ)を見て評価が一変した。

『プライムニュース』動画

 普段は軽薄なフジテレビの女子アナが思わず話に引き込まれ、素の表情をさらけ出している。

 南直哉と友岡雅弥の対談が実現すれば面白い。司会はもちろん宮崎哲弥だ。

2017-05-08

日本の仏教は祖師信仰/『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司


『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』アルボムッレ・スマナサーラ、南直哉

 ・日本の仏教は祖師信仰

『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ

――日本の仏教とテーラワーダがもっとも違うのは、どこでしょうか。
スマナサーラ●違いはたくさんありますが、いちばんはやはり日本の仏教がいわゆる祖師信仰だという点でしょうね。祖師信仰では、その宗派を開いた祖師さんの言うことは何でも、自分ではちょっとどうかなと思っても、信仰しなさいと強要します。つまり、祖師の色に染まるんですね。

【『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司〈ようろう・たけし〉(宝島社、2004年/宝島SUGOI文庫、2014年)以下同】

 スマナサーラ本の書評はページ末尾のラベルをクリックのこと。養老孟司と編集者の鼎談(ていだん)である。誰に対しても媚びることがない養老に、スマナサーラが低姿勢に出ているのが面白かった(笑)。

 端的な日本仏教批判が本質を鋭く衝(つ)いている。「自らをたよりとして、法をよりどころにせよ」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳)というのがブッダの遺言であった。後期仏教(大乗)の思想的な飛翔が無意味なものであるとは思わないが、ブッダの前に立ちはだかる夾雑物と化している側面が確かにある。

 日蓮宗日興門流の一部では日蓮本仏論を唱えており、ブッダよりも日蓮を上位としている。こうした思想の背景には日本特有の本地垂迹(ほんぢすいじゃく)論があり、神を仏の化身と捉えることで神仏習合を可能たらしめた。つまり日本仏教は父がブッダで母が神道という混血なのだ。

 鼎談の続きを紹介しよう。

――日本の仏教は祖師を信仰しますが、テーラワーダはお釈迦さまを信仰するんですね。
スマナサーラ●いえ、そうじゃないんです。むしろ「お釈迦さまの説かれた教えを信じて実践する」と言ったほうが正しいですね。
 それに、そもそもお釈迦さまは、信仰には断固として反対していたんですよ。私を拝んでどうなるのかと。
――どうして信仰に反対なのですか?
スマナサーラ●お釈迦さまが説いたのは、「真理」です。真理は、誰が語っても、いつの時代でも変わらないものです。お釈迦さまは真理を提示して、「自分で調べなさい、確かめなさい、研究しなさい」という態度で教えたんです。「私を信じなさい」とは、まったく言っていません。

ブッダは信仰を説かず/『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ

 西洋で宗教一般を批判する際、仏教を除外するのはこのためである。仏教は宗教というよりも哲学に近いとの見解からだ。その妥当性は不問に付しても仏教の際立った独創性を示す証左にはなるだろう。

 ブッダが悟ったのは「法」である。空海(774-835年)は宗教的天才であったが大日如来を本尊として立てた。やはり異流儀と言わざるを得ない。あれこれ考えると日本仏教で目ぼしいのは道元(1200-1253年)くらいではないだろうか。「ゼン」(禅)が西洋世界に広まったのも思想の普遍性を示しているように思われる。


序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり/『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集、『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵
「私」という幻想/『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ

2017-05-04

「私」という幻想/『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ


『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃
『無(最高の状態)』鈴木祐
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース

 ・「私」という幻想
 ・悟りとは認識の転換

ジム・キャリー「全てとつながる『一体感』は『自分』でいる時は得られないんだ」
『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音』那智タケシ
『すでに目覚めている』ネイサン・ギル
『今、永遠であること』フランシス・ルシール
『プレゼンス 第1巻 安らぎと幸福の技術』ルパート・スパイラ
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『人生を変える一番シンプルな方法 セドナメソッド』ヘイル・ドゥオスキン
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン

悟りとは
必読書リスト その五

 みなさん、それぞれに「私」という単位を主体にして生きていらっしゃることと思います。つまり、何はともあれ、この世に生きているからにはまず最初に「私」という自意識なり、肉体があり、その「私」の集合体が家族であり、国であり、世界であるというわけです。

 それでは悟りとは何かというと――最初から端的に言ってしまいますが――その「私」というものが幻想であり、虚構であることを自覚することなのです。

【『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ〈なち・たけし〉(明窓出版、2011年)以下同】

 つまり「私」はないということ。「で、そう言っているお前さんは誰なんだ?」と言われそうだな(笑)。「私」とは思考や感情の主体である。近世哲学の祖とされるフランス野郎は「我思う、ゆえに我あり」と語った。キリスト教の場合、神という絶対的な位置から全てが始まるため存在論に傾く。それに対して仏教は現象論だ。デカルトが「我」に思い至る2000年前にブッダは諸法無我と説いた。

 デカルトの方法的懐疑は思考のレベルであり、しかも自我や神を疑うまでに至っていない。野郎の論法でいけば生まれたばかりの赤ん坊や動植物は存在しないことになる。また「我眠る、ゆえに我なし」と言われたらどう反論するのか?

預流果(よるか)恐るべし」――これが本書を読んだ率直な感想である。

 例えば日蓮の『開目抄』(1272年)という遺文には「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」とある。「我れ」だらけで「あんたホントに悟ってんの?」と言いたくなる。こうした自意識を知った信者が祖師信仰(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司)に向かうのは当然の成り行きといえよう。

 那智タケシが悟りを開いたのは上司に叱られている時であった。もうこれには吃驚仰天(びっくりぎょうてん)である。那智は「自我が落ちた」(身心脱落〈しんじんだつらく/元は心塵脱落〉)と禅語で表現している。

 実は、宗教的信念との同化は、これまたエゴイズムの延長線上にあるものなのです。彼らもまた「私の神のために」生き、そして死んでいるのであって、「他人の神のために」という発想は皆無だからです。それどころか「他人の神を殺す」ために、彼らは自分の命も投げ出すのです。というわけで、現代の国家的宗教のほとんどは、エゴイズムの問題を解決するばかりか、助長し、拡大化している始末なのです。
 一つの宗教への信仰は、人類を殺しこそすれ、救わない。個々人の信仰による救済はともかくとして(宗教の問題は後に触れます)、これはまず歴史的事実として私たちが認識しなくてはいけないことだと思います。

 一つ悟れば物事の本質が見えてくるのだろう。一神教の神は自我の延長線上にあり、仏を神格化(妙な表現ではあるが)した後期仏教(大乗)も同じ罠に嵌(はま)っている。教団は党となった。

 農耕――すなわち経済の発展によって、「私」のために生きるようになった我々は、戦争、テロリズム、核、宗教分裂といった危機にさらされた恐ろしい時代を生きています。
 20世紀は二つの大戦によってかつてない数の人間が死んだ激動の時代でしたが、今世紀はそれ以上の悲劇が待ち構えているかもしれません。いや、おそらく待ち構えていることでしょう。

 農業革命が蓄え=富を誕生させ、都市革命が交易を発達させた。続いて精神革命(枢軸時代)~科学革命~産業革命を経て、現在の情報革命に至る。

 精神革命とは二分心ジュリアン・ジェインズ)から脳が統合化され意識が芽生えた時代と私は捉える。

 インドのバラモン教(古代ヒンドゥー教)が説いたカルマ(業)の教えは自我意識を過去世から来世まで延長したものだ。西洋風に言えば「我苦しむ、ゆえに我(≒カルマ)あり」ということだ。諸法無我とはアートマン(真我)の否定である。「我」(が)は存在しないのだから思考や感情は幻想である。人生とは一種のメタフィクションなのだろう。

 トール・ノーレットランダーシュは意識のことを「ユーザーイリュージョン」(利用者の錯覚)と名づけた。



呪術の本質は「神を操ること」/『日本人のためのイスラム原論』小室直樹

2016-11-07

橘玲、大村大次郎、佐伯啓思、他


 6冊挫折、3冊読了。

重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(SB新書、2016年)/本書の次に菅沼光弘著『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』を読むといい。順番が逆になると本書はやはりインパクトが弱い。

ペリリュー島戦記 珊瑚礁の小島で海兵隊員が見た真実の恐怖』ジェームス・H・ハラス:猿渡青児訳(光人社NF文庫、2010年)/翻訳は優れている。戦記物は取っ掛かりで引き込まれるかどうかが勝負の分かれ目である。文章のリズムや読み手の体調に左右される面も大きい。挫けたのは私のコンディションの問題だ。

欲ばらないこと 役立つ初期仏教法話13』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2011年)、『忘れる練習・記憶のコツ 役立つ初期仏教法話14』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2013年)/初期仏教を広く日本に知らしめた功績は認めるが、やはりこの人物の鼻持ちならない態度に傲慢な心が透けて見える。わかりやすさと短絡は別物だ。専門以外の話になると誤謬も目立つ。後者だと直観像記憶に関する解説は完全な誤りである。とにもかくにも声の悪さが致命的だ。

餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰(青木書店、2001年)/資料的な価値は高い。が、左翼系出版社から出された左翼系学者による著作と断じて構わないだろう。本書も「餓死」にまつわる証拠を並べ立て、大本営の無能さを糾弾することには成功しているが、大東亜戦争全体を見通す史観が欠如している。

マインドフルネス』バンテ・H・グナラタナ:出村佳子訳(サンガ、2012年)/新書サイズのハードカバーという変わった体裁。ちょっと気分が乗らなかった。体調がいい時に読み直す予定。

 158冊目『さらば、資本主義』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(新潮新書、2015年)/文体をガラリと変えて若者に語りかけるような平易な文章に驚く。ぐいぐいと深みに誘(いざな)う手並みが職人芸を思わせる。第二次世界大戦後の世界が信じてきた民主政と資本主義に対し真正面から疑義を呈示する。福澤諭吉『文明論之概略』、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の解説も見事である。水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』の後に読むのがよい。

 159冊目『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(ビジネス社、2015年)/迷うことなく「必読書」入り。政治家、宗教法人、公益法人、開業医、富裕層、そして学校に至るまでを俎上(そじょう)に載せる。税の不平等性をこれほどわかりやすく説いた本はないだろう。本書の次には響堂雪乃『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』をお勧めしよう。

 160冊目『「読まなくてもいい本」の読書案内 知の最前線を5日間で探検する』橘玲〈たちばな・あきら〉(筑摩書房、2015年)/説明力の高さに驚いた。複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義という五つの分野における知の最前線を紹介。「読まなくてもいい本」というのは釣りタイトルで、古いパラダイムを示唆する。各分野の王道ともいうべき書籍を網羅しており、読書案内としては非常にレベルが高い。しかもこれらが進化論を軸に展開されているところに斬新さがある。にも関わらず私の鼻は何か嫌な匂いを嗅ぎ取った。まだその正体を掴みかねているのだが。

2016-08-24

アルボムッレ・スマナサーラ、他


 2冊挫折、1冊読了。

知らないと損する給与明細』大村大次郎〈おおむら・だいじろう〉(小学館新書、2016年)/過去の著作と重複する内容が目立つが、賢い奥さんを目指すなら必ず読んでおきたい。税金は多めに徴収されている。

バカの理由(わけ) 役立つ初期仏教法話12』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2011年)/無智の解説。無智とは貪瞋癡の「癡」である。散漫な内容だ。

 129冊目『的中する生き方 役立つ初期仏教法話10』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2009年)/道徳について。十悪の解説も。これはオススメ。「役立つ初期仏教法話」はあと13と14があるのだが読むつもりはない。スマナサーラは印税を一切受け取っていないようだ。その辺の新興宗教とは決定的に違う。

2016-08-13

鳥居民、養老孟司、マハーシ長老、藤本靖、藤平光一、林えいだい、山本周五郎、他


 7冊挫折、8冊読了。

絶望と歓喜「親鸞」 仏教の思想10』増谷文雄〈ますたに・ふみお〉、梅原猛(角川書店、1970年/角川文庫ソフィア、1996年)

古仏のまねび「道元」 仏教の思想11』高崎直道、梅原猛(角川書店、1969年/角川文庫ソフィア、1997年)

永遠のいのち「日蓮」 仏教の思想12』紀野一義〈きの・かずよし〉、梅原猛(角川書店、1969年/角川文庫ソフィア、1997年)/以上でシリーズ全巻終了。初期仏教から鎌倉仏教までを捉える試みはよいと思うが断片的で体系を欠く。梅原の趣味的要素が強いが、1970年前後という時期を思えば、仕事としては評価できる。ただしシリーズ中盤以降の失速は否めない。

友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』ロビン・ダンバー:藤井留美訳(インターシフト、2011年)/期待外れ。軽妙だが洒脱ではない文体で好き嫌いが分かれる。

呼吸で心を整える』倉橋竜哉(フォレスト2545新書、2016年)/パッとしない。

呼吸法の極意 ゆっくり吐くこと』成瀬雅春(BABジャパン、2005年)/「プラーナ粒子を見る」のところでやめる。神智学会の教義が出てきてびっくりした。

宇宙論大全 相対性理論から、ビッグバン、インフレーション、マルチバースへ』ジョン・D・バロウ:林一〈はやし・はじめ〉、林大〈はやし・まさる〉訳(青土社、2013年)/100ページほど残してやめた。良書。短いページ数で様々な宇宙論を紹介している。インフレーション・モデルで佐藤勝彦の名前が出てこないのは「やはり」といった印象である。林一・大は親子なのだろうか? 文章が時々おかしくなっている。

 115冊目『松風の門』山本周五郎(新潮文庫、1973年)/表題作と「鼓くらべ」が忘れ難い。それにしてもバラエティに富んだ短篇集である。実験的な作品もある。丸山健二に足りないものが全てあるような気がする。

 116冊目『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい(草風館、1998年)/良書。高砂隊ものでは一番おすすめ。なんと霧社事件の証言も多い。台湾原住民は理蕃政策・皇民化教育で天皇陛下に忠誠を尽くすようになる。高砂義勇隊は正式な部隊ではなく位も軍属であったが、ジャングル戦で縦横無尽に活躍した。彼らがいなければもっと多くの人々が殺戮されたことだろう。まず証言者の名前が胸を打つ。台湾名・日本名・中国名の三つが記載されているのだ。わずか数十年のうちに翻弄されてきた台湾の運命を思わずにはいられなかった。台湾原住民は部族(社)によって言葉が異なるため、日本語は戦後も使われていた。死ぬまで軍歌を口ずさみ、日本の演歌を愛した人々が多かったという。日本で死んだ精神は台湾に生き残った。

 117冊目『氣の呼吸法 全身に酸素を送り治癒力を高める』藤平光一〈とうへい・こういち〉(幻冬舎、2005年/幻冬舎文庫、2008年)/文章がいい。実績も多い。王貞治・高見山・千代の富士といったスポーツ選手が藤平の指導を受けている。呼吸法自体は実に単純で、単純ゆえの難しさがある。呼吸法の概念がよく理解できる。

 118冊目『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖(さくら舎、2012年/講談社+α文庫、2016年)/良書。著者は気づいていないようだがヴィパッサナー瞑想に近い。読むだけだとピンと来ないが実際にやってみるとその効果に驚かされる。耳を引っ張るマッサージもよい。

 119冊目『ミャンマーの瞑想 ウィパッサナー観法』マハーシ長老:ウ・ウィジャナンダー大僧正訳(国際語学社、1995年/アルマット新装版、2011年)/名(みょう)と色(しき)の関係が初めてわかった。一度挫けたのだが意を決して一気に読んだ。少しずつ実践しているのだが直ぐに飽きてしまう(笑)。悟りの段階がきちんと示されていて目標を設定しやすい。気になったのは2点。一つは集中と書いてあるが、「注意」とすべきだろう。もう一つは「――したい」という念はダメだとスマナサーラ長老が書いている。主観ではなく客観で捉えよ、と。

 120冊目『ブッダの集中力 役立つ初期仏教法話9』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/集中とはサマタ瞑想のことである。念仏(ブッダの姿を念じる)という発想には疑問が残る。

 121冊目『養老孟司特別講義 手入れという思想』養老孟司(新潮文庫、2013年/白日社、2002年『手入れ文化と日本』改題)/手入れとは里山理論である。子育て・自然が講演の共通テーマであるが、情報論・宗教論を盛り込んでいるところが凄い。

 122冊目『日米開戦の謎』鳥居民〈とりい・たみ〉(草思社、1992年/草思社文庫、2015年)/評価の難しい本だ。それ相応の知識がなければ鵜呑みにせざるを得ない。「だろう」「はずだ」「違いない」のオンパレードである。ただし、その想像は事実から遠く離れたものではない。鳥居は市井の研究家のようだ。膨大な資料を読み込んで果敢に挑む姿勢には好感が持てる。永野修身〈ながの・おさみ〉を知りたかったのだが、それほど詳しくは書かれていない。徳富蘇峰〈とくとみ・そほう〉が世論に与えた影響の大なるも初めて知った。陸軍と海軍の分裂状態も詳しく描かれている。

2016-07-31

三枝充悳、黄文雄、三上修、他


 18冊挫折、3冊読了。

身近な鳥の生活図鑑』三上修(ちくま新書、2015年)/3分の1ほど読む。身近な鳥は30種類ほどもいるという。

ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』クレア・キップス:梨木香歩〈なしき・かほ〉訳(文藝春秋、2010年/文春文庫、2015年/大久保康雄訳、小学館ライブラリー、1994年『小雀物語』の新訳)/著者は第二次世界大戦中に飛べない子スズメを拾う。クラレンスと名づけられたスズメはすくすくと育ち、やがてキップス夫人のピアノに合わせて歌うようになる。その芸は人々の前で行われ、喝采を浴びた。文章に澱(よど)みが感じられるのは一気に書いていないためか。

だから日本は世界から尊敬される』マンリオ・カデロ(小学館新書、2014年)/マンリオ・カデロはサンマリノ共和国の駐日大使である。天皇陛下の美しいエピソードを紹介している。クリスチャンなのだが神道にぞっこんで絶賛している。

「子供を殺してください」という親たち』押川剛〈おしかわ・たけし〉(新潮文庫、2015年)

インドとイギリス』吉岡昭彦(岩波新書、1975年)

東インド会社 巨大商業資本の盛衰』浅田實(講談社現代新書、1989年)

オランダ東インド会社』永積昭(講談社学術文庫、2000年)

ウイルスは生きている』中屋敷均(講談社現代新書、2016年)/以上5冊は暑さのせいか、文章が全く頭に入らず。

なぜ人はキスをするのか?』シェリル・カーシェンバウム:沼尻由起子訳(河出書房新社、2011年)/ダメ本。文章を書く仕事に向いていないと思われる。各ページに「キス」という言葉が20回くらい出てくる。構成も内容も悪い。

呼吸整体師が教える 深呼吸のまほう 体の不調が消える、人生が変わる』森田愛子(ワニブックス、2015年)/飛ばし読み。参考にはなる。構成が悪く、体験談や「治る」という薬事法違反の健康食品みたいなムードが漂う。編集者の問題か。

「ラットレース」から抜け出す方法』アラン・ワッツ:竹渕智子訳(サンガ、2014年/めるくまーる、1991年『タブーの書』改訂版)/スタイルが合わない。アラン・ワッツは1960年代のカウンター・カルチャーにおいて、若者たちのカリスマ的リーダーであったというから、ややニューエイジ絡みの可能性もある。引用はされていないのだが巻末の推薦文献にクリシュナムルティの『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー』が入っている。

東洋の呼び声 拡がるサルボダヤ運動』A・T・アリヤラトネ:山下邦明、長井治、林千根訳(はる書房、1990年/新装版、2003年)/『ぼくは13歳 職業、兵士。 あなたが戦争のある村で生まれたら』の鬼丸昌也がサルボダヤ運動を実践しているようだ。スリランカなので社会参画仏教と関係があるのかと思って読んでみたが外れた。仏教の精神に基づく農村開発運動である。

ブッダのユーモア活性術 役立つ初期仏教法話8』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/初期仏教法話シリーズを読んできたが初めて挫ける。前置きが長過ぎて読む気が失せた。宗教性よりも出版事業に重きを置いているのではないか?

ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』地橋秀雄〈ちはし・ひでお〉(春秋社、2006年)/良書といってよいと思う。「サティ(気づき)を入れる」との表現がよい。ただし古い体質から脱し切れていない印象を受けた。視点の高さも感じられない。

無の探求「中国禅」 仏教の思想7』柳田聖山〈やなぎだ・せいざん〉、梅原猛(角川書店、1969年/角川文庫ソフィア、1997年)/読む気の起こらない文章だ。

不安と欣求「中国浄土」 仏教の思想8』塚本善隆〈つかもと・ぜんりゅう〉、梅原猛(角川書店、1968年/角川文庫ソフィア、1997年)/出来が悪い。シリーズ7以降の失速は目に余るものがある。

生命の海「空海」 仏教の思想9』宮坂宥勝〈みやさか・ゆうしょう〉、梅原猛(角川書店、1968年/角川文庫ソフィア、1996年)/これも期待外れ。空海の飛躍が描けていない。

 110冊目『スズメ つかず・はなれず・二千年』三上修(岩波科学ライブラリー、2013年)/私がスズメの巣を発見できるようになったのは昨年のことだ。電信柱の変圧器を支える架台の鋼材にあった。スズメは何と言っても声と姿がよい。一度でいいから手に乗せてみたいものだ。スズメの数はかなり減少しているそうだ。

 111冊目『世界が憧れる 天皇のいる日本』黄文雄〈コウ・ブンユウ〉(徳間書店、2014年)/小林よしのり作『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』の次に読むのがよい。著者は台湾出身の評論家である。日本と台湾で活動している。親日・反共の旗幟を鮮明にしているため誤解されやすいが、想像以上にしっかりした内容で驚いた。

 112冊目『初期仏教の思想(中)』『初期仏教の思想(下)』三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉(レグルス文庫、1995年)/下巻は半分以上、飛ばし読みしたのでカウントしないでおく。三枝の研究ノートといってよい。大量のテキストが引用されている。推し進められた思索は称賛に値するが、やはり悟りの輝きは見られない。その意味で「悟りとは」の前に読んでおくと理解がより一層進むことだろう。

2016-07-19

必読書リスト その五


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『イスラム教の論理』飯山陽
『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬
『壊れた脳 生存する知』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『物語の哲学』野家啓一
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『「絶対」の探求』バルザック
『絶対製造工場』カレル・チャペック
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹
『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』マックス・テグマーク
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
『数学的にありえない』アダム・ファウアー
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『死生観を問いなおす』広井良典
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー
『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン
『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ
『同じ月を見ている』土田世紀
『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳
『中国古典名言事典』諸橋轍次
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ
『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ

2016-07-15

ダニエル・チャモヴィッツ、三枝充悳、稲垣栄洋、岡ノ谷一夫、堀栄三、他


 21冊挫折、13冊読了。これ以上のペースで読むと読書日記も書けなくなりそうだ。

生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学』ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク:梶山あゆみ訳(河出書房新社、2016年)/文章が肌に合わず。もったいぶった姿勢を感じる。

森浩一対談集 古代技術の復権』森浩一〈もり・こういち〉(小学館ライブラリー、1994年)/良書。「鋸喩経」(こゆきょう)を調べて辿り着いた一冊。ノコギリの部分はしっかり読んだ。

絶対の真理「天台」 仏教の思想5』田村芳朗〈たむら・よしろう〉、梅原猛(角川書店、1970年/角川文庫ソフィア、1996年)/シリーズの中では一番面白みがない。最後まで目を通したものの半分ほどは飛ばし読み。説明に傾いて閃きを欠く。

日本の分水嶺』堀公俊(ヤマケイ文庫、2011年)/文体が合わず。

ブレンダと呼ばれた少年 性が歪められた時、何が起きたのか』ジョン・コラピント:村井智之訳(扶桑社、2005年/無名舎、2000年、『ブレンダと呼ばれた少年 ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか』改題)/武田邦彦が取り上げていた一冊。双子の赤ん坊の一人がペニスの手術に失敗する。性科学の権威ジョン・マネーが現れ、性転換手術を勧める。男の子はブレンダと名づけられ少女として育てられる。ところが思春期になるとブレンダは違和感を覚え始める。後に逆性転換手術をして力強く生きていった。ところが訳者あとがきで驚愕の事実が明らかになる。これは読んでのお楽しみということで。神の位置に立って勝手な創造を行うのが白人の悪癖である。尚、扶桑社版の編集に対する批判があることを付け加えておく。

(日本人)』橘玲〈たちばな・あきら〉(幻冬舎、2012年/幻冬舎文庫、2014年)/文章の目的がつかみにくく行方が知れない。

リベラルの中国認識が日本を滅ぼす 日中関係とプロパガンダ』石平、有本香(産経新聞出版、2015年)/有本香の対談本は出来が悪い。

「朝日新聞」もう一つの読み方』渡辺龍太〈わたなべ・りょうた〉(日新報道、2015年)/これも武田邦彦が紹介していた一冊。文章が軽すぎて読めない。ネット文体といってよし。

紛争輸出国アメリカの大罪』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(祥伝社新書、2015年)/文章に締まりがない。

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』小谷賢(講談社選書メチエ、2007年)/とっつきにくい。後回し。

はじめての支那論 中華思想の正体と日本の覚悟』小林よしのり、有本香(幻冬舎新書、2011年)/本書では「小林さん」と呼んでいるが、有本は動画だと「小林先生」と呼ぶ。ある種の芸術家に対する尊称なのか、個人的敬意が込められているのかは判断がつかない。有本同様、小林の対談本も一様に出来が悪い。「わし」という言葉遣いが示すように公(おおやけ)の精神が欠如している。

川はどうしてできるのか』藤岡換太郎〈ふじおか・かんたろう〉(ブルーバックス、2014年)/変わった名前である。まるで北風小僧(笑)。文章がよくない。

カウンセリングの理論』國分康孝〈こくぶ・やすたか〉(誠信書房、1981年)/『カウンセリングの技法』(1979年)、本書、『エンカウンター 心とこころのふれあい』(1981年)、『カウンセリングの原理』(1996年)が誠信書房の4点セット。國分康孝は実務的な文章でぐいぐい読ませる。ただし今の私に本書は必要ないと判断した。

法句経講義』友松圓諦〈ともまつ・えんたい〉(講談社学術文庫、1981年)/初出は『法句経講義 仏教聖典』(第一書房、1934年)か。初心者向きの解説内容である。宗教を道徳次元に貶めているように感じ、読むに堪えず。

これでナットク!植物の謎 植木屋さんも知らないたくましいその生き方』日本植物生理学会編(ブルーバックス、2007年)/ホームページに寄せられた質問に学者が丁寧に答えたコンテンツの総集編である。続篇『これでナットク! 植物の謎 Part2』(2013年)も出ている。

〈税金逃れ〉の衝撃 国家を蝕む脱法者たち』深見浩一郎(講談社現代新書、2015年)/パラパラとめくって食指が動かず。

タックス・イーター 消えていく税金』志賀櫻〈しが・さくら〉(岩波新書、2014年)/「タックス・イーター」をスパっと説明していないのが難点だ。具体的に個人を特定するほどの執念がなければ、ただの解説書である。

パナマ文書 「タックスヘイブン狩り」の衝撃が世界と日本を襲う』渡邉哲也(徳間書店、2016年)/これも渡邉本としては出来が悪い。文章に人をつかむ力が感じられない。

いちばんよくわかる!憲法第9条』西修(海竜社、2015年)/良書。これはおすすめ。歴史的経緯を辿ると自衛隊の役割がくっきりと浮かび上がってくる。しかも西は自ら海外を訪れ、直接資料に当たり、関係者に取材している。半分だけ読んだが、それでもお釣りがくる。

日本人よ!』イビチャ・オシム:長束恭行訳(新潮社、2007年)/話し言葉ほどの切れ味が文章にはない。

怪獣使いと少年ウルトラマンの作家たち』切通理作〈きりどおし・りさく〉(増補新装版、2015年/JICC出版局、1993年宝島社文庫、2000年)/編集した町山智浩からの申し出で復刊した模様。読み手を選ぶ本だ。オタク目線が強く、一般よりは特殊に傾く。切通本人の心情も湿り気が濃い。

 92冊目『日本人だけが知らない戦争論』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト出版、2015年)/久し振りの苫米地本である。右傾化への警鐘が巧みで一読の価値あり。サイバー戦争の具体的な解説が圧巻。

 93冊目『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』大栗博司〈おおぐり・ひろし〉(幻冬舎新書、2012年)/大栗はカリフォルニア工科大学ウォルター・バーク理論物理学研究所所長を務める人物だ。場の量子論や超弦理論で国際的な評価を得ている大物である。読みやすい教科書本。いくつかの蒙(もう)が啓(ひら)いた。

 94冊目『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』ダニエル・チャモヴィッツ:矢野真千子訳(河出書房新社、2013年)/良書。200ページ弱の小品。著者はイスラエルの学者。後半にわずかなダレがあるが、しっかりとニューエイジ系の誤謬を撃つ。

 95冊目『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)/上念司〈じょうねん・つかさ〉が毎年繰り返し読む本である。登場人物に精彩がある。原爆を大本営参謀は知らなかったと書いている。陸軍中野学校と情報が共有されていないことがわかる。「日本の近代史を学ぶ」に追加。

 96冊目『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング』内藤国夫(日新報道、1989年)/往時、内藤国夫は本多勝一と人気を二分するジャーナリストであったが、その晩節は暗く寂しいものであった。福島源次郎著『蘇生への選択 敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか』と本書を併せ読めば、内藤国夫の下劣さが理解できる。基本的にジャーナリストは人間のクズだと考えてよい。

 97冊目『裏切りの民主党』若林亜紀(文藝春秋、2010年)/面白かった。若林は文章はいいのだが性格が暗い。表情や声のトーンからもそれが窺える。たぶん生真面目なのだろう。若林はクズではない稀有なジャーナリストである。事業仕分けの経緯と舞台裏がよくわかった。本書に登場する民主党参議員の尾立源幸〈おだち・もとゆき〉が先日落選した。

 98冊目『言葉の誕生を科学する』小川洋子、岡ノ谷一夫(河出ブックス、2011年/河出文庫、2013年)/小川洋子の前文は読む必要なし。対談は上手いのだが科学的知識の理解に誤謬がある。言葉の発生は歌であったと岡ノ谷は主張する。おお、我が自説と一緒ではないか。岡ノ谷の博識に対して小川の反応がよく一気読み。

 99冊目『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫:石森愛彦・絵 (文藝春秋、2010年)/まあまあ。岡ノ谷は手抜き本が多そうだ。これも執筆なのか語り下ろしなのか微妙なところ。

 100冊目『なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 仏教と植物の切っても切れない66の関係』稲垣栄洋〈いながき・ひでひろ〉(幻冬舎新書、2015年)/見事な教科書本である。稲垣は植物学者でありながら仏教の知識もしっかりしている。これはおすすめ。

 101冊目『結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/このシリーズでは一番よくまとまっていると思う。ただしエントロピーに関する記述は完全に誤っている。社会的信用のためにも削除すべきだろう。スマナサーラは小さな誤謬が多いので要注意。

 102冊目『初期仏教の思想(上)』三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉(レグルス文庫、1995年)/難しかった。三枝ノートといってよい。研究者の凄まじさがよくわかる。

 103冊目『あべこべ感覚 役立つ初期仏教法話7』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/サンガ新書のスマナサーラ本は慣れてくると1時間ほどで読める。やや牽強付会な印象はあるが、相変わらず読ませる。

 104冊目『ぼくは13歳 職業、兵士。 あなたが戦争のある村で生まれたら』鬼丸昌也、小川真吾(合同出版、2005年)/良書。ただし終わり方がよくないので必読書には入れず。読者を誘導しようとする魂胆が浅ましい。「自分は正しい」という感覚が目を見えなくする。たとえ目的が正しいものであったとしてもプロパガンダはプロパガンダである。コンゴの少年兵の悲惨と彼らが語る夢に心を打たれる。「チャイルド・ソルジャー」だから子供兵・児童兵が正しい訳語か。

2016-06-28

バイロン・ケイティ、友松圓諦、松田卓也、二間瀬敏史、服部正明、梶山雄一、他


 3冊挫折、7冊読了。

起業のためのお金の教科書』大村大次郎(双葉社、2015年)/起業入門的な内容。融資情報など。あまり参考にならず。これから起業する人向け。

忘れられた日米関係 ヘレン・ミアーズの問い』御厨貴〈みくりや・たかし〉、小塩和人〈おしお・かずと〉(ちくま新書、1996年)/冒頭から思い上がりが全開である。著者の情操に問題あり。悪い学者の見本だ。内容も大したことはない。普通の論文である。

オープン・スペース・テクノロジー 5人から1000人が輪になって考えるファシリテーション』ハリソン・オーエン:株式会社ヒューマンバリュー訳(ヒューマンバリュー、2007年)/アイディアとしては非常によいと思う。自分が話し合いたいテーマを貼り出し、小グループで討議する。ただそれだけのことなんだが冗長な説明が続く。もう一つポイントがあって「輪となって座ること」。椅子の並べ方などが図示されている。行き詰まりつつある大企業などでどしどしやるべきだと思う。

 85冊目『空の論理「中観」 仏教の思想3』梶山雄一、上山春平(角川書店、1969年/角川文庫ソフィア、1997年)/なかなか難しい。

 86冊目『認識と超越「唯識」 仏教の思想4』服部正明、上山春平(角川書店、1970年/角川文庫ソフィア、1997年)/一部飛ばし読み。

 87冊目『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉(丸善、1987年)/こういうのを読み落としているのだから、私も本を読んでいるようで読んでいない。ブライアン・グリーン著『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』に通じる内容だ。

 88冊目『時間の本質をさぐる 宇宙論的展開』松田卓也、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉(講談社現代新書、1990年)/松田、二間瀬コンビの2冊を「時間論」に入れる。

 89冊目『心の中はどうなってるの? 役立つ初期仏教法話5』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2007年)/サンガ新書は気合いを入れると1時間程度で読める。スリランカのアヌルッダ大長老が10世紀頃にまとめた『アビダンマッタサンガハ』の第二章の内容を解説する。わかりやすいアビダルマ入門。

 90冊目『法句経』友松圓諦〈ともまつ・えんたい〉(講談社学術文庫、1985年/講談社、1975年『真理の詞華集 法句経』改題/全日本真理運動本部、1935年『法句経 仏教聖詩』改題か?)/書誌情報が不明だが序文は昭和10年(1935年)に書かれている。同じダンマパダとは思えない。いろは歌のような訳である。好みが分かれるところだろう。名訳とは思わないが、脳細胞への浸透度が高い。友松訳の存在を私は最近まで知らなかった。

 91冊目『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル:ティム・マクリーン、高岡よし子訳(ダイヤモンド社、2014年)/これは凄い。正真正銘の悟り本だ。バイロン・ケイティは道教を用いているが、私はブッダの教えに対する理解が深まった。尚、「スピリチュアリズム(密教)理解のテキスト」を「悟りとは」に改めた。

2016-06-27

ネレ・ノイハウス、桜部建、上山春平、仲谷正史、小林よしのり、アルボムッレ・スマナサーラ、他


 21冊挫折、9冊読了。

天災と国防』寺田寅彦(講談社学術文庫、2011年)/読みにくい。昨今は文章にスピード感、鋭さ、躍動感のいずれかがないと読む気が起こらず。

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ:高橋健次訳(草思社、2006年)/二度目の挫折。文章も構成も悪い。

インターネットは民主主義の敵か』キャス・サンスティーン:石川幸憲訳(毎日新聞社、2003年)/哲学書並みの難解さ。

すごい!ゼラチンふりかけ健康レシピ』浜内千波、藤野良孝(扶桑社ムック、2013年)/健康本で「すごい」「治る」「絶対」「必ず」は禁句である。ま、インチキ本と思ってよい。食用ゼラチンをゴマなどに混ぜるだけ。フードプロセッサーがあればレパートリーは格段に増える。お肌がきれいになるらしいよ。取り敢えずゼラチンは買った(笑)。

長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン:大塚勇三訳、桜井誠イラスト(岩波少年文庫、2000年)/ずっと「長靴の下にいるピッピ」だと思い込んでいた。ハイソックスのことだったとはね。読むのが遅すぎた。リンドグレーンはスウェーデンを代表する児童文学作家。

文明の逆説 危機の時代の人間研究』立花隆(講談社、1976年/講談社文庫、1984年)/文庫化された当時に読んでいる。何となく開いたのだが読めず。正確の悪さを露呈している。興味が勝ち過ぎて抑制を欠いているようにも見える。

日本国の研究』猪瀬直樹(文藝春秋、1997年/文春文庫、1999年)/この人の文章が苦手だ。

続・日本国の研究』猪瀬直樹(文藝春秋、1999年/文春文庫、2002年)/正に比べると文章が短くて格段に読みやすい。規制緩和の警鐘を鳴らした書。

白雪姫には死んでもらう』ネレ・ノイハウス:酒寄進一訳(創元推理文庫、2013年)/シリーズ第4作。酒寄進一の文章に堪(た)えられず。2冊で十分だ。

脳が冴える15の習慣 記憶・集中・思考力を高める』築山節(生活人新書、2006年)/年寄り用の本だった。

神経とシナプスの科学 現代脳研究の源流』杉晴夫(ブルーバックス、2015年)/ちょっと見当が外れた。専門色が濃い。

枠組み外しの旅 「個性化」が変える福祉社会』竹端寛(青灯社、2012年)/「叢書 魂の脱植民地化 2」。仲間内でやっている印象が拭えず。こういうのはサブカル色を強く出した方が広範囲にアピールできると思う。

宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』青木薫(講談社現代新書、2013年)/帯に「科学書の名翻訳で知られる著者初の書き下ろし」とある。誇大広告。盛り過ぎ。私とは相性が悪い。飛ばし読みで読了。人間原理に興味のある人は読む価値あり。

魂の殺害者 教育における愛という名の迫害』モートン・シャッツマン:岸田秀訳(草思社、1975年/新装版、1994年)/94年の新装版で「気違い」を直していないのは草思社の手抜きだ。教育的虐待の影響を明かした一冊だが、例としては特殊すぎるだろう。統合失調症を調べようと思ったのだが当てが外れた。

幻の女』ウイリアム・アイリッシュ:稲葉明雄訳(ハヤカワ文庫、1976年)/黒原敏行の新訳(2015年)の評判が悪い。古典的名作であるが今となっては古い。被害妄想的なストーリー。自分のアリバイを証明できる行きずりの女性が幻のように消えてしまう。

A型の女』マイクル・Z・リューイン:石田善彦訳(ハヤカワ文庫、1991年)/再読。石田善彦の悪文に堪えられず。既に書評済み

A型の女』マイクル・Z・リューイン:皆藤幸蔵〈かいとう・こうぞう〉訳(ハヤカワ・ミステリ、1978年)/別訳があったとは露知らず。石田訳よりはずっといい。文章がきちんと頭に入ってくる。ただし文体に切れはない。

遥かなるセントラルパーク(上)』トム・マクナブ:飯島宏訳(文藝春秋、1984年/文春文庫、2014年)/今頃になって文庫化するってえのあどういう料簡なのかね? 1984年に幼馴染みのムラモトさんから借りて読んだ。日高晤郎がラジオで強く推していた一冊。

ワールド・カフェ カフェ的会話が未来を創る』アニータ・ブラウン、デイビッド・アイザックス、ワールド・カフェ・コミュニティ:香取一昭、川口大輔訳(ヒューマンバリュー、2007年)/読みにくい。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論』小林よしのり(小学館、2000年)/やはり漫画作品は読めない。活字本の方は読了。本書は台湾でもベストセラーとなっている。

1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門』吉田昌生(WAVE出版、2015年)/ダメ本。

 76冊目『悪女は自殺しない』ネレ・ノイハウス:酒寄進一訳(創元推理文庫、2015年)/オリヴァー&ピアシリーズの第一作。ドイツ・ミステリ。まあまあ、といったところ。基本的に酒寄進一の訳文が苦手である。オリヴァー(貴族の血を引く上司)とピア(バツイチ女性)に何の魅力も感じない。それでも構成がよいので読了できた。

 77冊目『深い疵』ネレ・ノイハウス:酒寄進一訳(創元推理文庫、2012年)/ドイツ版『犬神家の一族』という評価は当たっていない。第二次世界大戦にまでさかのぼる歴史ミステリである。一読の価値あり。日本同様、歴史観がすっきりしない世相を反映しているようにも思える。

 78冊目『存在の分析「アビダルマ」 仏教の思想2』桜部建、上山春平(角川書店、1969年/角川文庫ソフィア、1996年)/上山の対談がよい。アビダルマは仏教心理学だが煩瑣すぎて付いてゆけず。それでも勉強になることが多い。

 79冊目『触楽入門』テクタイル、仲谷正史、筧康明、三原聡一郎、南澤孝太(朝日出版社、2016年)/触覚に関する珍しい本。文章がまどろっこしいのだが、なかなか面白かった。テクタイルとはチーム名。

 80冊目『そば屋はなぜ領収書を出したがらないのか? 領収書からみえてくる企業会計・税金のしくみ』大村大次郎(日本文芸社、2007年)/蕎麦屋からクレームが来て改訂したのが『お坊さんはなぜ領収書を出さないのか』(宝島社新書、2012年)である。要は現金商売ということ。大村本は外れが少ない。

 81冊目『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎(角川書店、2015年)/これはオススメ。目から鱗が落ちる世界史の教科書本。

 82冊目『李登輝学校の教え』(小学館、2001年/小学館文庫、2003年)/『台湾論』の活字版。何と李登輝と対談している。長らく小林のことを誤解してきたが、彼は感情のバランスが優れている。そして嘘が少ない。これは稀有なことである。佐藤優が欠いているものを私は小林に見出す。

 83冊目『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2007年)/再読。サンガ新書のスマナサーラ本を渉猟中である。

 84冊目『現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2007年)/一読の価値あり。再読はしないだろう。「慈悲の瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」の具体的なやり方を伝授する。「慈悲の瞑想」を3日間ほど実践してみた。言葉の語呂が悪い。

 あと10冊あるのだが、疲れたので明日書くことに。