2015-07-07

中国雲南省の棚田











2015-07-03

フルビネクという3歳児の碑銘/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社
 ・解放の時

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その二

 フルビネクは虚無であり、死の子供、アウシュヴィッツの子供だった。外見は3歳くらいだったが、誰も彼のことは知らず、彼はといえば、口がきけず、名前もなかった。フルビネクという奇妙な名前は私たちの間の呼び名で、おそらく女たちの一人が、時々発している意味不明のつぶやきをそのように聞き取ったのだろう。彼は腰から下が麻痺しており、足が萎縮していて、小枝のように細かった。しかしやせこけた、顎のとがった顔の中に埋め込まれた目は、恐ろしいほど鋭い光を放ち、その中には、希求や主張が生き生きと息づいていた。その目は口がきけないという牢獄を打ち破り、意志を解き放ちたいという欲求をほとばしらせていた。誰も教えてくれなかったので話すことができない言葉、その言葉への渇望が、爆発しそうな切実さで目の中にあふれていた。その視線は動物的であるのと同時に人間的で、むしろ成熟していて、思慮を感じさせた。私たちのだれ一人としてその視線を受け止められるものはいなかった。それほど力と苦痛に満ちていたのだ。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

 ヘネクという15歳のハンガリー人少年がフルビネクの面倒をみていた。ある日のこと、フルビネクが一言しゃべった。だが言葉の意味がわかる者は一人もいなかった。

 プリーモ・レーヴィの「見る」という行為は実に静かで淡々としたものだ。それは彼が化学者であったことに起因するのであろうか? わからない。ただその視線が自分の人生をも突き放して見つめることを可能にしたのは確かだ。


 フルビネクは3歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれ、木を見たことがなかった。彼は息を引き取るまで、人間の世界への入場を果たそうと、大人のように戦った。彼は野蛮な力によってそこから放逐されていたのだ。フルビネクには名前がなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの入れ墨が刻印されていた。フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証言するのは私のこの文章だけである。

 フルビネクという3歳児の碑銘である。書く営みは時に刻印となって永く世に残る。プリーモ・レーヴィの観察眼はアウシュヴィッツの日常を歴史化する作業であった。透明で硬質な美しい文体に惑わされて文学と思い込んではなるまい。大文字の歴史の中に小文字の歴史は埋没する。だが自分にとって大きな意味合いのある出来事は、自分の手で大きな文字を記せばよい。たとえそれが誰の目にも留まらなかったとしても、「書いた」事実こそが歴史なのだ。

『アウシュヴィッツは終わらない』の続篇だが、前作とは打って変わって苛酷な中にもユーモアが横溢(おういつ)している。思わず吹き出してしまう場面がいくつもある。個性的でユニークな群像が次々と登場する。レーヴィは650人のイタリア系ユダヤ人と共にアウシュヴィッツへ送られたが、生き残ったのはわずか3人であった。アウシュヴィッツは1945年1月、ソヴィエト軍によって解放された。プリーモ・レーヴィがイタリアへ帰国したのは10月19日のことであった。

観ることでビンラディン暗殺に加担させられる/『ゼロ・ダーク・サーティ』キャスリン・ビグロー監督


 タイトルは「深夜零時半」の意味。米軍の軍事用語らしい。ウサマ・ビンラディン暗殺に至るCIAの暗闘を描いた作品である。観終えた後で女性監督と知り、ちょっと驚いた。しかもキャスリン・ビグローは美形で身重が182cmとのこと。元モデル、元ジェームズ・キャメロン監督夫人という過去の持ち主。主役の女性CIA分析官を演じるのはジェシカ・チャステインで、生まれたばかりの鳥みたいな顔をしている。監督が男性であれば、このキャスティングはなかったことだろう。彼女の風貌が強いリアリティを生んでいる。

 映画はアルカイダメンバーの拷問シーンから始まる。殴打と水責め。ウォーターボーディングについて「アメリカでは短期的な適用は身体的は損傷を起こさないため拷問ではなく尋問であると主張され、水責め尋問禁止法案が民主党主導で上下両院を通過したがブッシュ大統領が拒否権を発動して廃案となった」(Wikipedia)。その後オバマ大統領が禁止したために、CIAは法律を遵守(じゅんしゅ)すべく、グァンタナモ収容所など国外で拷問を行っている。もちろん中東での拷問も国内法は適用されない。

 優秀な諜報員の執念がビンラディンの居場所を突き止める。同僚を殺害され、彼女は変貌する。CIAの上司にも歯向かう。確たる証拠がないため、彼女の情報は数年間にもわたって無視され続けた。

 正義はさほど感じない。ある集団の内部で一人の人間が感情に駆り立てられ、信念のまま突っ走り、願望を実現したというだけの物語である。冷めた目で見れば、悲しいまでにサラリーマン的な姿である。「相手を殺す」という目標だけ見れば、テロリストと完全に同じ次元で仕事をしていることがよくわかる。つまりテロリストの側にカメラを置けば――森達也監督『A』のように――まったく同じドラマを作成することが可能となる。

 観ることでビンラディン暗殺に加担させられる。そんな映画だ。



2015-07-02

ロビン・マッケンジー、宮城谷昌光、藤原正彦、中西輝政、他


 4冊挫折、5冊読了。

まんが 孫子の兵法』武岡淳彦〈たけおか・ただひこ〉監修・解説、柳川創造〈やながわ・そうぞう〉解説、尤先端〈ヨウ・シェンルイ〉作画、鈴木博訳(集英社、1998年)/注釈、漫画、解説の順で13章にわたる。注釈のフォントサイズが小さくて大変読みにくい。悪い本ではないが意図してビジネスに傾斜しており、読者の幅を狭めてしまっている。時間を要しすぎたので閉じる。

兵法孫子 戦わずして勝つ』大橋武夫(マネジメント社、1980年)/40版も重ねているということはロングセラーなのだろう。見返しにある大橋の顔は軍人そのものだ。これまたビジネスに翻訳しており、孫子の香りを台無しにしてしまっている。ただし私は序盤しか読んでいないため、本書の大部分を成す「孫子抜粋」は再読するかもしれぬ。

神を見た犬』ブッツァーティ:関口英子〈せきぐち・えいこ〉訳(光文社古典新訳文庫、2007年)/脇功訳よりこちらの方がいいと思う。が、挫けた。「天地創造」における神の矛盾に耐えられず。

東京裁判』日暮吉延〈ひぐらし・よしのぶ〉(講談社現代新書、2008年)/「著者には『東京裁判の忘却は危険だ』などと悲憤慷慨する趣味はないのだが」(9ページ)との一文に性根を見た思いがする。要は「学問的な趣味」で書かれた本なのだろう。致命的な軽薄さを露呈。

 74冊目『日本の「敵」』中西輝政(文藝春秋、2001年/文春文庫、2003年)/中西を保守思想家と見てきたのは間違いであった。彼の本質はリアリストなのだ。本書を読んでそう気づいた。15年ほど前の本だが内容は決して古くない。またいたずらに左翼を敵として糾弾するものでもない。これからも中西本を読むつもりだが、単行本215ページに見られるような「人間性の欠陥」があることを踏まえる必要があろう。

 75冊目『国家の品格』藤原正彦(新潮新書、2005年)/265万部の大ベストセラーを今頃になって読んだ。「国民の目を近代史に向けさせた一書」と言ってよいかもしれぬ。いやはや面白かった。一日で読了。講演が元となっているためわかりやすいが、随所に侮れない知見が光る。ゲーデルの不完全性定理の解説には目を瞠(みは)った。平和ボケの観念を常識で一刀両断にする。

 76、77冊目『子産(上)』『子産(下)』宮城谷昌光(講談社、2000年/講談社文庫、2003年)/わかりにくかった。主要人物のことごとくがわかりにくい。子駟(しし)もそうだし、子産の父の子国(しこく)もそうだ。それでも時折、短篇小説のような味わい深い光景が描かれる。解説によれば、宮城谷は物語性を抑えて史実に忠実であろうと心掛けたとのこと。子産は孔子が最も尊敬した人物として知られる。

 78冊目『自分で治せる!腰痛改善マニュアル』ロビン・マッケンジー:銅冶英雄〈どうや・ひでお〉、岩貞吉寛〈いわさだ・よしひろ〉訳(実業之日本社、2009年)/10日ほど前にぎっくり腰となった。数日前からマッケンジー法というエクササイズを励行している。読んでみると「なあんだ」と思う代物だが、やってみると実に効果がある。内容はたぶん100円のパンフレットにできる程度のもの。だが真実は単純の中にある。まだ少し痛みが残っているが、解消した暁には腹筋の鬼と化し、余生を正しい姿勢で送る決意である。

2015-06-26

佐藤和男、プリーモ・レーヴィ、稲垣武、養老孟司、甲野善紀、高岡光、他


 3冊挫折、5冊読了。

カルニヴィア 1 禁忌』ジョナサン・ホルト:奥村章子訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2013年)/訳が悪い。「長年、同じ人物から仕事の依頼を受けていたが、怯えた声で電話をかけてきたのは、これまで一度もなかった」(14ページ)。「受けてきた」「かけてきたことは」とするべきだろう。他にも文章の混乱が見られる。450ページほどあるがちょうど真ん中でやめる。主役を務める二人の女性が簡単に男と寝るタイプで、要はミステリっぽいエンタテイメント小説なのだろう。ま、シドニイ・シェルダンの世界と理解してよい。3部作ということもあって期待したのだが完全な肩透かしを食らった。

地ひらく 石原莞爾と昭和の夢(上)』福田和也(文藝春秋、2001年/文春文庫、2004年)/自分の文章に酔っている雰囲気が漂う。その文学性に耐えられず。

ヤノマミ』国分拓〈こくぶん・ひろむ〉(NHK出版、2010年/新潮文庫、2013年)/ブラジルの先住民族ヤノマミのテレビ取材ルポ。インターネット日記のような代物で読むに値せず。番組は見てみたい。NHKアーカイブにあれば有料でも見る予定だ。

 69冊目『クリシュナムルティ・水晶の革命家』高岡光〈たかおか・ひかる〉(創栄出版、1998年)/少し前までベラボウな値段が付いていたがかなり下がってきたので入手した。大失敗であった。これほど外したのも珍しい。ちょっと記憶にない(笑)。発売元は星雲社。

 70冊目『古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か』養老孟司〈ようろう・たけし〉、甲野善紀〈こうの・よしのり〉(カッパ・サイエンス、1993年/知恵の森文庫、2003年)/養老孟司はスマナサーラとの対談で甲野のことを「友人」と呼んでいる。これは面白かった。何といっても甲野善紀の博識ぶりに驚いた。実によく勉強している。養老のヨガ解説が目を惹く。

 71冊目『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武(文藝春秋、1994年/新装版、2015年)/上下二段で360ページ。活字はかなり小さく、正直に白状すると『国民の歴史』よりも手強かった。稲垣武は元朝日新聞記者である。進歩的文化人に対し容赦のない鉄槌が下される。しかも一々反証してみせるという徹底ぶりが凄い。ベトナム戦争における米兵の暴虐についてはやや甘い見方をしているが、それ以外は資料としても読み物としても実に優れている。岩波書店が雑誌『世界』という舞台を進歩的文化人に与えることで、日本の伝統や文化を破壊してきた様相を抉(えぐ)る。

 72冊目『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(朝日新聞社、1998年/岩波文庫、2010年)/プリーモ・レーヴィ2冊目の著作で、『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』の続篇にあたる。終戦からイタリアへ生還するまでの日々が生き生きとユーモラスに綴られている。透明で硬質な文体が胸をつかんで離さない。個性的でユニークな群像が次々と登場する。レーヴィは650人のイタリア系ユダヤ人と共にアウシュヴィッツへ送られたが、生き残ったのはわずか3人であった。途中で一つの疑問が浮かんだ。かくも詳細にわたって記憶していられるものだろうか、と。最初の著作から16年後に刊行されているのだ。ということで、やはり全てを真実と思い込むのは危険であるように感ずる。ただし人生に小さな創作はつきものだ。それを声高に批判するつもりはない。

 73冊目『世界がさばく東京裁判 85人の外国人識者が語る連合国批判』佐藤和男監修、江崎道朗構成、日本会議企画(明成社、2005年)/表紙には佐藤の名前しかない。構成と企画は奥付によるが、本来であれば著者名は「終戦五十周年国民委員会」とすべきではなかったか。日本会議は「日本最大の右派集団」と目されているが、本書に生臭い政治的メッセージはない。むしろ歴史に対して誠実であろうと努めているように見える。元々はパンフレットで発行する予定であったものを書籍にしたとあって、やや構成の粗(あら)さが見受けられるが、国際法という視点から東京裁判を一刀両断する。佐藤和男は刊行当時、青山学院大学の教授。法学部に通う大学生は東京裁判を学問的に検証し、日本人の目を覚まさせる潮流をつくるべきだ。

2015-06-24

ペルーの少女


池田香代子が「あ べ し ね」のツイートを削除した後「♪くたばっちまえ アーベ」と再投稿





 というわけで今まで『夜と霧』については池田香代子訳を薦めてきたがこれを取り消し、霜山徳爾訳に訂正する。

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

2015-06-23

ソロス氏、米国に「対中譲歩」を呼び掛け、ネットユーザーが動機を疑う


人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事
ソロス氏:中国経済の衰退が悲劇を招く
・ソロス氏、米国に「対中譲歩」を呼び掛け、ネットユーザーが動機を疑う

 中国人民大学国際関係学院の金燦栄副院長は18日に「ソロス氏は資産の半分を中国に投入し、中国の台頭を阻止できないと見ながら、中国に関し、危ない発言を行っている」と指摘した。世界銀行が前月に開いたブレトン・ウッズ会議で、ソロス氏は「経済が崩壊すれば、中国は米国のアジア同盟国を攻撃し、第3回世界大戦を引き起こす可能性がある」と語った。

 米国「マーケット・ウォッチ」によると、米中が互いに敵とみなすのを阻止するため、ソロス氏は米国に「重大な譲歩」を行い、人民元が国際通貨基金の通貨バスケットに入れるのを認めるよう呼びかけている。しかしそれは人民元をドルのライバルにし、国際備蓄通貨にする可能性がある。その見返りとして、中国は類似する重大な譲歩を行い、改革を推進する必要がある。この文章によると、人民元を通貨バスケットに入れることで、中米両国を1つにすることができるが、こうした合意は難しい。

 米国サイト「ビジネス・インサイダー」で、「ソロス氏は中国にたいへん依存しており、中国での投資を守るため、米国の国益と我々の盟友を譲っている」という書き込みがある。また、「中米のような大国にとって、互いに敵と見なすのは宿命で、それを阻止する人間はいない」という声もある。

新華ニュース 2015年06月22日

2015-06-21

日本の月見/『お江戸でござる』杉浦日向子監修


 ・三行半は女が男からもぎ取っていくもの
 ・日本の月見

日本の近代史を学ぶ

 江戸時代に入って、月見(つきみ)が盛んになりました。もともとは中国から渡ってきた風習で、中国では赤い鶏頭(けいとう)の花を飾り、月見のためのお菓子・月餅(げっぺい)を食べました。それが日本では、すすきと団子(だんご)に変わります。最初は、上流階級の楽しみでしたが江戸の中頃になって庶民生活が豊かになり、ゆとりができると月見の風習が広がります。

【『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修(新潮文庫、2006年/杉浦日向子監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成、ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)以下同】

「月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」(詠み人知らず)。月の字を八つ用いることで旧暦の8月15日すなわち十五夜を示す歌である。平安貴族は川や盃に月を映して楽しんだという。文化は豊かさから生まれる。江戸文化を生んだのは庶民であった。

 一家仲むつまじく団子を作るのが縁起がよいので、沢山作って三方に飾り、軒先に出しておくと、「お餅つかせて」といいながら、近所の子どもたちが盗みに来ます。子どもたちは長い棒きれやお箸などで、団子を突いて盗んでいきます。
 たくさん盗まれるほど縁起がよく、子どもたちも、よその家から団子をもらうと元気に育ちます。皆から認められていたいたずらです。長屋に住んでいると、団子は大家さんがくれます。

 最後の件(くだり)をよく覚えておいてもらいたい。江戸時代にあって大家は大活躍をした。詳細は次回に譲る。

 すすきは、江戸の市中に売りに来て、秋の七草(ななくさ)もセットになっています。8月の14日と15日のお昼まで2日間だけ売り歩き、1束が32文(もん)ほどします。蕎麦(そば)が16文なので、その倍です。縁起担ぎの意味もあるし、季節限定の際物なので、高くてもしかたがないのです。
 その頃、武蔵野(むさしの)は一面すすきの原でした。すすきを飾るのは、武蔵野の面影をしのぶという意味もあります。

 少し前にbotでこう呟いたばかり。


 本書によれば、8月だけでも15日が「望月」(もちづき/芋名月〈いもめいげつ〉とも)、16日が「十六夜」(いざよい)、17日が「立待月」(たちまちづき)、18日が「居待月」(いまちづき)、19日が「臥待月」(ふしまちづき)とイベントは連日続く。

 曇りで見えない時は、「無月」(むつき)といい、雨で見えない時は、「雨月」(うげつ)といいます。それでもその日は、月見の騒ぎをするのです。(中略)
 中国では満月だけを愛でましたが、江戸ではいろいろな形の月を愛でているのです。

 庭から器に及ぶ日本文化の非シンメトリー性を思えば、満月以外を愛(め)でる感情は自然なものだ。たとえそれがイベントの口実であったとしても(笑)。

 豊かさとは経済性だけを意味するものではない。多様な姿を愛する精神性は日本人がありのままの差異を受容したことを示すのではないだろうか。

 江戸時代の道路は子供と犬の天下で、車夫はいちいち車を止めて幼子を抱きかかえて移動したと渡辺京二が書いている(『逝きし世の面影』)。江戸は豊かな時代であった。それを「絶対的権力の圧政下で民衆が塗炭の苦しみに喘(あえ)いだ」と改竄(かいざん)したのは、戦後に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)した進歩的文化人であった。

お江戸でござる (新潮文庫)

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私が彼女たちの "声" になる(紛争下の性的暴力に立ち向かう):国連広報センター

2015-06-19

三行半は女が男からもぎ取っていくもの/『お江戸でござる』杉浦日向子監修


『国家の品格』藤原正彦

 ・三行半は女が男からもぎ取っていくもの
 ・日本の月見

『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
日本の近代史を学ぶ

 NHKの人気番組『コメディーお江戸でござる』(1996-2004年)で杉浦が担当していた「おもしろ江戸ばなし」9年分をテーマ別にまとめた本。「日本の近代史を学ぶ」の筆頭に掲げた。尚、文庫版からは深笛義也の名前が削除されているが、性愛モノを書いているためか。

漢字雑談』で本書を知った。あの口喧しい高島俊男が引用するくらいだからと目星をつけたのが正解であった。

 江戸の識字率は、世界でもまれに見るくらいの高さでした。江戸市内だったら、ひらがなに限っていえば、ほぼ100パーセントで、当時のロンドンやパリと比べても群を抜いています。絵草紙(えぞうし)でもなんでも、漢字の脇に仮名が振ってあれば読めました。ただし、黙読ができないので、声に出して読まないと頭の中に入っていきません。高札場(こうさつば)などに御触(おふ)れが立つと、集まった人々が各々声に出して読むので、輪唱のようになってしまいます。貸本(かしほん)などでも、座敷の中でひとりが読んで、女性が出るところになると「じゃあ、女将(おかみ)。ここから読んでくれ」と、バトンタッチして、それをみんなが聞くというように4~5人で楽しみました。

【『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修(新潮文庫、2006年/杉浦日向子監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成、ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)以下同】

 幕末の日本を訪れたヨーロッパ人は日本の庶民が本を読んでいる事実に驚嘆した。もともと理性や知性は「神を理解する能力」を意味した。日本人は彼らの神とは無縁な衆生だから驚くのも無理はない。権力は知性を恐れる。中世に至るまで聖書はラテン語で書かれ(ヴルガータ)、聖職者しか読むことがかなわなかった。1455年、グーテンベルク聖書が登場したものの、本格的に普及したのはルターによる宗教改革(1517年)以降のことである。

 江戸の識字率が高かったのは寺子屋があったためだ。寺子屋とは上方(かみがた)の言葉で、学問を教えるものに「屋」がつくのは商売じみていてよろしくないということで江戸では「指南所」と呼んだ。江戸後期には江戸市内だけで1500もの指南所があったという。一つの町内に2~3ヶ所あった計算になる。

 看板娘は13~18歳までがピークで、20歳で引退します。あまりに看板娘が江戸中の市民の心を惑わせたので、幕府から禁令が出ました。「茶屋に出す娘は13歳以下の子どもか、40歳以上の年増(としま)に限る」となり、年頃の娘は出してはいけないことになりました。


「年増」という言葉も既に死語だ(笑)。30年前は普通に使っていたものだが。たぶん落語が聴かれなくなっているのだろう。看板娘の年頃が当時の結婚適齢期か。俗に「人生五十年」というが昔は幼児の死亡率が高かったので平均寿命と考えるのは早計だ。

 実は江戸では、武士が皆の上に立つ者という意識もありませんでした。「士農工商」という四文字熟語が普及したのは、明治の教科書でさかんにPRされたからです。それ以前もそういう言葉はありましたが、庶民は知りません。「士農工商」といったら「え? 塩胡椒?」と聞き返すくらいです(笑)。身分が順位付けられているなんて、全然考えていません。

 前の書評のリンクを再掲する。

教科書から消えたもの 士農工商
江戸時代の身分制度に関する誤解

 で、私が一番面白いと思ったのがこれ――。

「三行半(みくだりはん)を叩きつける」というセリフをよく聞きますが、本来、三行半は男が女に叩きつけるものではなく、女が男からもぎ取っていくものです。(中略)
「誰と再婚しようと一切関知しない」という意味で、つまりは再婚許可証なのです。夫の権利ではなく義務で、妻はこれを夫からもぎ取っておかないと、次の男性と縁づけません。
 結婚する時、「この人は浮気するかもしれない」などの不安がある時は、「先渡し離縁状」を書いてもらいます。三行半をあらかじめ預かることを条件に結婚するのです。夫は受取状を、妻からもらいます。
 江戸の町は女性の数が少ないこともあって、再婚は難しいことではありません。バツイチは少しも恥ずかしくないのです。お上が、「なるべく女性は二度以上結婚しなさい」と奨励しているくらいで、絶対数の多い男性が一度でも結婚を経験できるようにという配慮でしょう。再婚どころか、三度婚、四度婚、六度婚、七度婚も珍しくありません。そんな女性は逆に経験を積んでいて貴重であると見られます。

 意外や意外、江戸時代は既に男女平等であった。

 バツイチが平気なくらいだから、出戻りもOKで「辛いことがあったら、いつでも帰っておいで」と、娘を嫁に出します。実際に、何回帰ってきても、恥ずかしいことではないのです。江戸では出戻りとは呼ばず、「元帰(もとがえ)り」「呼び戻し」と称します。

 現代よりも進んでいる。「恥の文化」などという言葉を鵜呑みにするのは危険だ。

 江戸ではたいてい、女性から持参金を持って結婚します。夫婦別れをするときは、それを一銭も欠けずに返さなくてはいけません。仲人に払った謝礼も、夫が耳を揃えて返します。嫁入りの時に持ってきた家財道具も、一つも欠かさず持って行かさなくてはなりません。「去る時は九十両では済まぬなり」という言葉が残っていますが、離婚する時、男性がいかに大変かということです。
 そんな事情もあり、たいがいの夫は、妻を大事にします。

 経済的にも平等であったことが窺える。

 家事育児は、手の空いた方がするのが当たり前で、江戸では、男性に付加価値がないと妻をもらえません。料理が上手、マッサージが上手など、何か一芸に秀でていないといけないのです。

 こりゃ男の方が大変ですな。実は「家」という制度に押し込められたのは上流階級の女性であった。

 それでも三行半を書いてもらえない時は、関所、代官所、武家屋敷に駆け込んで離婚を願い出ます。
 最後の最後の手段が、「駆け込み寺」とも呼ばれる縁切り寺に行くことで、鎌倉松ヶ丘の東慶寺、上州世良田村の満徳寺の二つがあります。

 ちゃあんと救済措置があったことが江戸社会の成熟度を物語っている。セーフティーネットが機能していたのだ。日本人は幸せだった。訪日した多くのヨーロッパ人がそう記している。本書を開くと「ご先祖様に会えた」ような気分になる。

お江戸でござる (新潮文庫)

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言葉の空転/『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
竹山道雄の唯物史観批判/『昭和の精神史』竹山道雄
役の体系/『日本文化の歴史』尾藤正英

真の無神論者/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥


 ・ブッダが解決しようとした根本問題は「相互不信」
 ・人を殺してはいけない理由
 ・日常の重力=サンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)
 ・友の足音
 ・真の無神論者

『仏陀の真意』企志尚峰
『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
『ブッタの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』くさなぎ龍瞬
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
『これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活』草薙龍瞬
『自分を許せば、ラクになる ブッダが教えてくれた心の守り方』草薙龍瞬

ブッダの教えを学ぶ
必読書リスト その五

 さて、よく「俺は無神論者だ」などという人がいます。
「無神論」という言葉が、例えばヨーロッパではどのような戦いの中で、勝ち取られてきた言葉か――自称「無神論者」の人たちは理解しているでしょうか。「神」の権威を振りかざす王や権力者との間で行われた戦いの熾烈さを、想起しているのでしょうか。少なくとも、「真の無神論者」は、真剣に信仰に生きている人をバカにしたりはしません。おそらく「真の無神論者」がもっとも嫌悪するのが、年中行事として形骸化した葬式でしょう。それこそが、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのですから。
 しかし、日本の自称「無神論者」はしっかり、初詣には行くのです。神殿の前でしっかり、「本年一年無病息災、商売繁盛」と祈るのです。言葉の厳密な意味で「無神論者」が最も批判するのは、日本的な「仮称無神論者」かもしれません。
「初詣は宗教じゃない。みんなやっている習慣なんだ」。しっかり神だのみをしている事実を覆い隠すように「仮称無神論者」は言います。この「習慣」というのが曲者(くせもの)なのです。「習慣」とは、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのです。ミシェル・フーコーが「権力のまなざし」として感じ、ヴァルター・ベンヤミンが「勝者の歴史」と見抜いたものに通じるのです。そして、まさに仏教が疑問を投げかけた、サンカーラそのものなのです。

【『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥(第三文明社、2000年)】

 一度抜き書きで紹介しているのだが再掲。

無神論者/『世界の[宗教と戦争]講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦

「年中行事として形骸化した葬式」とはサンカーラを意味する。せっかくなんでサンカーラとサンスカーラについて調べてみた。

 サンカーラはパーリ語でサンが「集める」という意味をもった接頭語。カーラは「作る」の意味の名詞で「再構成」を示しています。仏典のなかには「サンカーラー」という複数形で使われ、これが諸行無常の「諸行」を表します。(田口ランディ

「五蘊」とは「色受想行職」のことで、「行」は「意志」などと解説されるが、サンスクリットでは「サンスカーラ」、パーリ語では「サンカーラ」で……「行」は、形成力、および形成された物という2つの意味を併せ持ち、「意志」と訳される場合も、「意志的形成力」というニュアンス(ややこしい「サンカーラ」の話

 ちょっと自分を観察すると、心の中に「何かをしたい」という気持ちが常にあることがわかります。それがサンカーラです。(初期仏教の世界

 サンカーラというのは、潜在意識の残存印象、経験の蓄積によって条件付けられたすべてのパターンの保管場所で、いわゆるエゴに当たるものであり、用語として熟しています。(諸行無常は間違い?

行(サンカーラ)―― サンカーラの作用は識として認識に出る少し前。(お釈迦様の悟り、般若心経

 広義のサンカーラは、五蘊の全体を含むものです。しかしこの場合は、色・受・想・識の四蘊は別出されていますので、四蘊に含まれないサンカーラ、主として心理的な形成力を、この場合の「行」としているのであります。(五蘊とサンカーラー

 サンスカーラとは「好むと好まざるに関わらず、対象を捉えようと対象に向かって無意識に(自分勝手に)働きかけていってしまう力。形成力」のことです。(仏教とは何か?

 サンスカーラとは : 様々な経験は、その残存物を生じさせ、それが心の中に保存される。この残存物をサンスカーラ(残存印象)と呼び、これが刺激されると、その反応として習慣的パターン化した思考や行為が生じる。この反応は、それ自身の残存物を生じさせ、それが再び心の中に保存される。人はこの循環を繰り返している。(心の反応パターン

 サンスカーラの原因は煩悩であり、それはヴァーサナーという、非常に古い時間の中で形成されてきたものです。ヴァーサナーというのは傾向、習性と訳されます。(カルマ-苦とその原因

 古代インドのバラモン教徒が誕生,結婚など生涯の各時期に通過儀礼として家庭内で行った宗教的儀式の総称で,通常〈浄法〉と訳される。サンスクリットの〈サンスカーラ〉という語は本来,なんらかの現実的効果をもたらす潜在的な力を意味したといわれ,この意味で聖別,浄化などの効力を賦与する各種の儀式がこの名称で呼ばれるようになったと思われる。(世界大百科事典 第2版

行蘊(ぎょううん、saṃskāra) - 意志作用(Wikipedia

 ああ疲れた。ものを書くことはつくづく疲れる(笑)。以前、北尾トロに「ライターという仕事を続けてきて、精神というか、自分の内部で擦り切れてくるような感覚はないんですか?」と尋ねたら、「ああ、それは確かにある」と答えた。たぶん「書く」行為は彫刻のように何かを削る営みなのだろう。

 広義と狭義の違いを踏まえながらも一言でいってしまえば、サンカーラおよびサンスカーラとは「業に基づく意志作用」なのだろう。もちろん“業に基づく”とは五蘊(ごうん)全体に言えることだ。

 無神論はたいていの場合「科学への信頼」とセットになっている。合理に向かえば神の影は薄くなる。近代自然科学が発達すると理神論が生まれる(PDF「近代キリスト教と自然科学」)。ま、折衷案みたいなものか。

 本書は大変に優れた仏教書ではあるが、この部分については友岡が信仰者であるためやや宗教側に傾いた姿勢が強い。いくら何でも「『習慣』 とは、権力者が作り上げた『虚構の共同体の維持装置』なのです」は言い過ぎだ。そもそも共同体という共同体をすべて「虚構」と考えることも可能だ。渡辺京二著『逝きし世の面影』を読むと、江戸末期のお伊勢参りが脱日常の行事であったことが理解できる。例えば「抜け参り」といって江戸の奉公人が主人に黙って仕事中にもかかわらず伊勢参りの一行に潜り込むことが容認されていたという。着の身着のままで同行しても、往く先々で施しを受けることができたそうだ。これを友岡の論理で切り捨てることは難しいだろう。

 1990年代から日本の近代史が注目されるようになり、それまでは否定的に扱われてきた江戸時代を捉え直す動きが出てきた。実は士農工商という言葉は身分社会を意味するものではない。既に現在の教科書からは削除されている。

教科書から消えたもの 士農工商
江戸時代の身分制度に関する誤解

 職業や性別、年代を超えた「連」という知的コミュニティもあった。

 総じて日本人が名乗る場合の無神論者とは「創造的人格神」を否定したものであって、全体的には精霊信仰(アニミズム)に染まっている。

紀曉君 Samingad

台湾原住民音楽

2015-06-15

元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って

神戸連続児童殺傷 加害男性が手紙、遺族「涙止まらず」

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、山下彩花ちゃん=当時(10)=が亡くなって23日で18年。命日を前に、両親に加害男性(32)から手紙が届いた。彩花ちゃんの母京子さん(59)が取材に応じ、「事件そのものに初めて触れており、事件に向き合っていることが分かる言葉がいくつもあった」と印象を語った。

 手紙は加害男性側の弁護士を通じて14日に届いた。京子さんは「私信」として内容を明かしていないが、近況は書かれていなかったという。B5判の紙8枚にわたり、過去に受け取った十数通の中で最も多いという。

「手紙を読み、例年以上に涙が止まらなかった」と京子さん。声のトーン、表情、さらさらなびく髪…。事件直前の彩花ちゃんを鮮明に思い出した。「手紙からは、奪ったものの大きさに打ちのめされている様子が伝わってきた」とし、「誰かが本気で彼に関わっていれば、彼自身も彼の家族も不幸にならずに済んだのでは」と話す。

 高齢女性を殺害したとして1月に逮捕された名古屋大の女子学生が加害男性を意識していたとの報道に、京子さんの胸は締めつけられた。だが、手紙を読み終え、「彼も普通の人間。後悔もざんげもする。もし彼の生の言葉が社会に伝われば、そういった犯罪の抑止力になれるのでは」と感じている。

【神戸・連続児童殺傷事件】 神戸市須磨区で1997年2~5月に小学生5人が襲われ、小学4年山下彩花ちゃん=当時(10)=と小学6年土師淳君=同(11)=が死亡した。兵庫県警は「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばら・せいと)と名乗る中学3年だった少年=同(14)=を殺人などの容疑で逮捕した。少年は2004年3月に関東医療少年院を仮退院し、05年1月に本退院となり社会復帰した。事件は少年法改正や犯罪被害者救済に大きな影響を与えた。

神戸新聞 2015年3月23日



加害男性の手記「今すぐ出版中止を」土師さん 神戸連続殺傷事件

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、加害男性(32)が手記を出すことを受け、小学6年の土師淳君=当時(11)=を殺害された父親の守さん(59)がコメントを出した。全文は次の通り。

 加害男性が手記を出すということは、本日の報道で知りました。

 彼に大事な子どもの命を奪われた遺族としては、以前から、彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました。なぜ、このようにさらに私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。

 先月、送られてきた彼からの手紙を読んで、彼なりに分析した結果をつづってもらえたことで、私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと考えていました。

 しかし、今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件でよく理解できました。

 もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしいと思っています。

神戸新聞 2015年6月10日

「酒鬼薔薇聖斗」の“人間宣言”――元少年A『絶歌』が出版される意義:松谷創一郎
少年A手記で注目 日本でも「サムの息子法」制定の声高まる
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」

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2015-06-14

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃


 ・Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝
ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄

 最近知ったエニグマのヒット曲「リターン・トゥ・イノセンス」のコーラスが耳に引っかかった。順を追って説明しよう。エニグマは元アラベスクのサンドラ・アン・ラウアーと元夫の二人が中心となって結成したバンドらしい。では懐かしいので1曲紹介しよう。真ん中のリードボーカルがサンドラである。


 このまったりしたダンスが当時は斬新であった。私が中学の頃だ。で、エニグマである。動画の出来が素晴らしいのでロングバージョンも併せて紹介する。出だしの男性コーラスに注目せよ。




 最初の動画が公式動画と思われるが、「リターン・トゥ・イノセンス」(無垢に還れ)のイノセンスには「無罪」という意味もあり、ユニコーン(一角獣)の角には「蛇などの毒で汚された水を清める力がある」とされる(Wikipedia)。時間軸を反転させているのは、熱力学第二法則に反してエントロピーが減少する世界を示す。生老病死を逆転させ老いから生へと向かうベクトルは創世記を目指したものだろう。

 Wikipediaによれば「この『リターン・トゥ・イノセンス』については、サンプリング元の音源になった台湾アミ族の歌い手であるDifang(郭英男)らに、1998年、音源の無断使用につき訴訟を提訴され」、後にロイヤリティを支払うことで和解したとのこと。こうして私は「Difang(郭英男)」の名を知った。当初はモンゴル人かインディアンだと思っていたのだが実は台湾先住民であった。

 モンゴルといえばホーミーである


 この番組でホーミーを知った時、「ああ、ここから浪曲に至るわけだ」と日本のダミ声ミュージックに初めて得心がいった。もちろんアジアの歌はアリューシャン列島を渡ったインディアンにも伝わる。


 今の日本で対抗できるのは竹原ピストルくらいしか思い浮かばない。




 Difang(ディファン/郭英男)の衝撃に私はたじろいでいる。何がこれほど心を揺さぶるのか。なぜ涙が込み上げてくるのか。




 更なる共通項を探せば縄文時代にまで行き当たる。


歌詞

 これらの歌に流れているのはモンゴロイドの民俗宗教的感情なのだろう。更にツイッターで関連情報を教えてもらった。


 人生は驚きに満ちている。Difangの「酒飲む老人の歌」は私が聴いてきた音楽の中で頂点に位置する。

Difangの歌声~Voice of Life Difang(CD+DVD)The World of Difang

アミス台湾先住民の音楽

西尾幹二


 1冊読了。

 67、68冊目『決定版 国民の歴史(上)』『決定版 国民の歴史(下)』西尾幹二(文春文庫、2009年/旧版は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)/少し前に挫けたのだが意を決して再び開いた。一気に読んだ。ハードカバーだと800ページ弱の大冊である。読み物としては『逝きし世の面影』に軍配が上がるが、衝撃の度合いからすればやはり本書を今年の1位に繰り上げるべきだろう。菅沼光弘を通して私は日本の近代史に眼を開いたわけだが、それ以降読み続けてきた近代史本の頂点といっても過言ではない。私は昭和38年(1963年)生まれで後に新人類と呼ばれた世代だ。もちろん東京裁判史観に基づく戦後教育の洗礼を受けてきた。しかも道産子である。日教組が強い教育環境で、更には土地や先祖への思いが内地に比べると薄い風土で育った。祭りといえば出店を意味し、天皇陛下とも無縁であった。10代で本多勝一を読み、つい数年前までリベラルを気取っていた。西尾幹二や中西輝政など嫌悪の対象以外の何ものでもなかった。保守論客は皆傲岸に見えた。そして保守派に与(くみ)する人々にはあまり知性が感じられなかった。これは現在でもそうだ。チャンネル桜を見れば、相手を決めつけ、冷笑する態度がそこかしこに見受けられる。愛国心が黒く見えてしまうのは右翼的暴力性が滲みでているためだろう。生前の三島由紀夫が西尾に注目し高く評価していたという。私は中西輝政にはイデオロギーを感じるが西尾には感じない。西尾は人間として誠実だ。ふと思い立って西尾の動画を探した。西尾は決して議論が巧みとはいえない。相手と目も合わさないところに軽度の自閉傾向が窺える。前にも書いた通り、私が西尾を見直したのは反原発に転じた時であった。君子は豹変し、小人は面を革(あらた)む。同じく推進派から反対派に回った武田邦彦も私は尊敬する。彼らは学問に忠実なのだ。イデオロギーや特定集団の意向とは無縁だ。『国民の歴史』は日本国民が知らねばならない「白人の歴史」でもある。マッカーサーはキリスト教の布教には失敗したが、日本から愛国心を奪うことには成功した。戦後、GHQに加担したのは官僚を始め、マスコミ、学者、そして左翼であった。亡国の徒輩は今ものうのうと国益を棄損し続けている。現在の日本に必要なのは志士を育てる私塾であろう。形は違えども吉田松陰や緒方洪庵と同じものを西尾は見つめているのだろう。

2015-06-11

星野洋平、西尾幹二、中西輝政、杉浦日向子、他


 1冊挫折、3冊読了。

夏姫春秋』宮城谷昌光(海越出版社、1991年/講談社文庫、1995年)/「かいえつしゅっぱんしゃ」は中京地区のローカル出版社で宮城谷昌光を世に送り出したことで知られる。惜しいことに1999年、自己破産した。本書は直木賞受賞作である。一度読んでいるのだが何と二度目で挫けた。冒頭の近親相姦の生臭さに耐え切れず。しかも40ページほど読む中でこれといって目を惹く文章がなかった。初めて読んだ宮城谷作品だけに思い入れがあったのだが。

 64冊目『江戸へようこそ』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉(筑摩書房、1986年/ちくま文庫、1989年)/傑作『お江戸でござる』はリライト作品っぽいので本人の著作に当たった。吉原の章を途中ですっ飛ばし、中島梓との対談を読んだところ、これがまた面白いの何のって。そこで再び吉原の続きから読み直す羽目に。岡本螢との対談以外はほぼ完璧といってよい。杉浦の文章はムダがなくわかりやすい。学界の不毛な論理とは無縁である。尚、文庫版の泉麻人による「解説」は破り捨てるべき代物で、バブル期の売れっ子コラムニストの下衆ぶりが露呈している。

 65冊目『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)/一気読み。初顔合わせだという。見識の高い対談だ。中西は遠慮するところがない。西尾の学者としての誠実さを私が知ったのは彼が反原発に転じた時だった。本書を通してそれは確信に変わった。西尾は人間として誠実である。順序は逆となってしまったが一度挫けた『国民の歴史』も何とか半分ほど読み終えたところ。喧しい中西が「『国民の歴史』は、日本人の歴史・文明意識がそうした新しい方向に変わるための『覚醒の書』であったと後世評される可能性は十分ある」と絶賛している。また中西の「日蓮宗は新しいかたちの神道ではないか」との仮説が目を惹いた。吉野作造批判に関しては中西著『国民の文明史』の方が詳しいようだ。

 66冊目『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』星野洋平(鹿砦社、2014年)/話題の本である。四六版より一回り大きいA5判サイズ(実際は横が2mm大きい)で上下二段。よく2000円以下に抑えたものだ。一部飛ばし読み。株式会社バーニングプロダクションの周防郁雄〈すほう・いくお〉社長を取り上げている。北野誠謹慎事件を知る人であれば星野洋平の勇気に注目せざるを得ない。内容は極めてオーソドックスなノンフィクションであり、資料も充実している。韓国は日本よりも酷い情況で、アメリカは組合を結成することでタレントの権利が保障されている。個人的には法学部に通う大学生諸君に読んで欲しいと思う。芸能人とプロダクションとの契約内容を徹底的に批判することで電波の私物化を回避することができると考える。本書で紹介されていた「大日本新政會」のサイトは知らなかった。

2015-06-08

一夜賢者の偈

『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳(講談社学術文庫、2015年)

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 かくしてひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって――。『法句経(ダンマパダ)』とともに原始仏典の中でも最古層とされる『スッタニパータ』。最初期の仏教思想と展開を今に伝えるこの経典は、釈尊に直結する教説がまとめられ、師の教えに導かれた弟子たちが簡素な生活のなかで修行に励み、解脱への道を歩む姿が描き出される珠玉の詞華集である。2400年前の金口直説を平易な現代語で読む。

2015-06-06

鍵山秀三郎、藤原正彦、吉本貞昭、他


 1冊挫折、3冊読了。

宗教vs.国家 フランス〈政教分離〉と市民の誕生』工藤庸子〈くどう・ようこ〉(講談社現代新書、2007年)/23ページで、ヴィクトル・ユゴーの葬儀が無宗教で行われたことを持ち上げ、靖国神社を対照的な位置に置いている。この正味3行に著者の心性・思想性・政治性が露呈する。「無宗教は進歩である」との錯覚を抱いているのだろう。マルクス主義的な匂いを感じた時点で放り投げた。

 61冊目『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭(ハート出版、2012年)/大東亜戦争を賛嘆するアジアの人々の証言が多数収められている。渡辺京二が「滅んだ」とした古き日本の文明は大東亜戦争まで命脈を保っていたように思う。すべての日本人が読むべき一書であると感ずるが敢えて苦言を述べておく。序盤において主語と述語が離れすぎていて文意がわかりにくくなっている。「こうして」「こうした中」の多用が目立つ。そして最も致命的なのは証言がいつどこで行われたのかが不明だ。しかしながら高校の非常勤講師を勤めながら本書を書き上げたのは見事な仕事である。どの証言を読んでも感動を抑えることができなかった。東條英機の孫娘が一文を寄せている。

 62冊目『日本人の誇り』藤原正彦(文春新書、2011年)/これもオススメ。2冊とも「日本の近代史を学ぶ」に追加した。私が保守史観に目覚めた上で最も大きい影響を受けたのが藤原であった。初期のエッセイ集を読んだ際に「この愛国心は理解できる」と感じたのが最初であった。藤原はより多くの日本人に読んでもらうべくわかりやすい文章で綴っており、彼本来の透明で硬質な文体ではない。数学者が本書を著したところに我が国の悲劇的情況がある。本来であれば歴史学者や宗教者が行うべき仕事である。ただし分野の違う藤原が放った言論は架橋となって多くの人々を東京裁判史観の迷妄から解き放ったことだろう。

 63冊目『あとからくる君たちへ伝えたいこと』鍵山秀三郎〈かぎやま・ひでさぶろう〉(致知出版社、2011年)/中学で行った講演二題を収録。twitterでも書いたのだがGLAの高橋佳子〈たかはし・けいこ〉の名前を挙げているのに驚いた。鍵山が説く道徳にも私は「失われた日本の文明」を感じてならない。掃除という凡事を徹底することで東証一部上場のイエローハットを築いた人物だ。成功者というよりも行動する男として私は評価する。

2015-06-05

南京虐殺否定を無断加筆 ベストセラーの翻訳者(藤田裕行)


 米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長が、ベストセラーの自著「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と主張した部分は、著者に無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった。

 英国人の著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に「後から付け加えられた。修正する必要がある」と述べた。翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め「2人の間で解釈に違いがあると思う。誤解が生じたとすれば私に責任がある」と語った。

 同書はストークス氏が、第2次大戦はアジア諸国を欧米の植民地支配から解放する戦争だったと主張する内容。「歴史の事実として『南京大虐殺』は、なかった。それは、中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」と記述している。

 だがストークス氏は「そうは言えない。(この文章は)私のものでない」と言明。「大虐殺」より「事件」という表現が的確とした上で「非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」と述べた。

 藤田氏は「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」と説明した。

 だが同書中にその説明はなく、ストークス氏は「わけの分からない釈明だ」と批判した。

 同書は昨年12月に発売、約10万部が売れた。ストークス氏単独の著書という体裁だが、大部分は同氏とのインタビューを基に藤田氏が日本語で書き下ろしたという。藤田氏は、日本の戦争責任を否定する立場。ストークス氏に同書の詳細な内容を説明しておらず、日本語を十分に読めないストークス氏は、取材を受けるまで問題の部分を承知していなかった。

 関係者によると、インタビューの録音テープを文書化したスタッフの1人は、南京大虐殺や従軍慰安婦に関するストークス氏の発言が「文脈と異なる形で引用され故意に無視された」として辞職した。

【共同通信 2014-05-08】

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書)




 コメントで著者が共同通信社の記事を否定していることを知った。

『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』に関する各社報道について(PDF)

20歳女性を性奴隷に、男女6人を起訴 フランス


 フランスで22日、女性(20)を1か月以上にわたって監禁し、性奴隷としてレイプや暴行を加えたうえ獣姦などを強いていたとして、男女6人が起訴された。

 被害女性は精神上の問題を抱えており、北部ベルダン(Verdun)で監禁されていたとされる。地元メディアによると、女性は銀行のキャッシュカードを返してもらうとの口実で知り合いの元教師と会うことを被告らに認めさせ、女性の状況に気付いたこの元教師が通報して事件が発覚した。

 被告側弁護士によると、強姦と野蛮行為の罪で起訴されたのは19~27歳の男3人と女3人。一部は監禁罪でも起訴されている。

 関係筋によると、女性は被告のうち女2人と青少年労働者向けのユースホステルで知り合い、女らの自宅に誘われて被害に遭った。監禁中はこの女2人の友人たちが特に激しく女性を虐待し、殴る、やけどを負わせる、頭を剃るなどのほか、凍った川に飛び込ませたりキャットフードを食べさせたりしたうえ、獣姦を強要したという。

AFP 2015-03-23

仏軍の性暴力、放置か=中央アフリカで子供犠牲、調査へ-国連


【ニューヨーク時事】政情不安が続く中央アフリカで、治安回復のために派遣されたフランス軍が現地の複数の子供に性的暴力を働いた疑いが持たれていることに関し、国連が問題を把握していたにもかかわらず対応を怠った可能性があるとして、潘基文事務総長は3日、外部チームによる独立した調査を行うと発表した。

 数日内に調査の責任者が発表される。中央アフリカに展開していた仏兵が2013年12月~14年6月、避難民施設で複数の子供に対し、食料を与える見返りに性行為を強要した疑いがあり、仏当局は兵士14人を捜査している。

 中央アフリカには国連の平和維持活動(PKO)部隊も派遣されており、国連に性暴力に関する報告が上がっていたにもかかわらず、適切に対処しなかった疑いが強まっている。

時事通信 2015-06-04

2015-06-02

渡辺京二、関野通夫、本川達雄、佐藤勝彦、他


 1冊挫折、4冊読了。

ウォール街のランダム・ウォーカー 株式投資の不滅の真理』バートン・マルキール:井手正介訳(日本経済新聞出版社、2011年)/第10版。第9版は文庫化されている。インデックスファンドを勧めた古典。ランダム・ウォークとは株価予測は不可能であるとする理論だ。酔っ払いの千鳥足と同様で「次の一歩」がどちらに進むかわからない。が、しかしである。我々チャーチストに言わせれば「どちらに進もうが歩幅を超えることはない」。高っ調子が鼻について読了できず。

 57冊目『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』佐藤勝彦(ブルーバックス、2010年)/良書。教科書本。佐藤勝彦はインレーション宇宙論の提唱者である。さすがに説明能力が高く、しかもわかりやすい。「人間原理」という言葉を初めて知った。これはオススメ。

 58冊目『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄(阪急コミュニケーションズ、2006年/文芸社文庫、2012年/1996年、NHKライブラリー『時間 生物の視点とヒトの生き方』改題)/これまた良書。「生物では、時間の早さはエネルギー消費量で変わってくる。エネルギーを使えばつかうほど、時間が早く進むのである」。現代の日本人はヒトとしての標準代謝率の40倍近いエネルギーを使っているそうだ。環境問題も突き詰めれば石油と電力の消費に辿り着く。個人的には労働時間を短くすべきだと考える。一切の乗り物を禁止する祝日があってもよい。

 59冊目『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』関野通夫(自由社ブックレット、2015年)/資料的価値のある一冊。読み物としては今ひとつだ。江藤淳が『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』で明らかにした「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」(WGIP)の具体的な証拠を示す。序文で加瀬英明が「ウオア・ギルト・インフォメーション・プログラム」と表記しているのが解せない。

 60冊目『逝きし世の面影』渡辺京二(平凡社ライブラリー、2005年/1998年、葦書房『逝きし世の面影 日本近代素描 I』改題)/ずっと気になっていた本だ。やっと読んだ。600ページあるが3日で読み終えた。平川祐弘の解説によれば渡辺は「在野の思想史家」であるという。野の広大さを思い知った。と同時に学位や肩書の不毛に思い至った。日本の近代史本を数十冊読んできて本書に巡り会えた僥倖は何ものにも代えがたい。江戸末期に来日した外国人の眼を通して「失われた日本の文明」に光を当てる。横山俊夫の英語著書を徹底的に批判しているが決して陰湿なものではない。太田雄三の『ラフカディオ・ハーン 虚像と実像』に対しても同様だ。渡辺は見事なまでに文献を引用し、列挙し、両論を併記しながら、まぶしいばかりの輝きを放っていた日本を鮮やかに切り取る。ページを繰るごとに喉の奥からせり上がってくる何かがある。私の内側に流れる日本人の血が熱くなる。だがその日本は文明開化と引き換えに滅び去った。文化は受け継がれたとしても文明は死ぬと渡辺は言い切る。江戸時代の日本人は決して「抑圧された民」ではなかった。自由に生き生きと生を謳歌していた。貧しくても食べることには困らなかった。欧米人は驚愕した。乞食が殆どいない上、子供という子供は丸々と肉付きがよかった。自然は美しく、人々は礼儀正しく、朗らかで親切だった。何をどう書いたところで尽きることはない。第十三章の『信仰と祭』はまったく新しい知見を与えてくれた。神道は民俗的祭政を「お祭り」にまで昇華したのだ。世俗化というよりは世俗そのものといってよい。これを肯定的な視点で捉えたところに渡辺のユニークさがある。ま、今年の暫定1位だ。

2015-05-31

日本の近代史を学ぶ


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『敗者の条件』会田雄次
『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎
『国民の歴史』西尾幹二
『国家の品格』藤原正彦
『お江戸でござる』杉浦日向子
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
『日本人の誇り』藤原正彦
『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン
『逝きし世の面影』渡辺京二
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
『お金で読み解く明治維新 薩摩、長州の倒幕資金のひみつ』大村大次郎
『幕末外交と開国』加藤祐三
『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武
『福翁自伝』福澤諭吉
『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編
武士の娘 (ちくま文庫)武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス (講談社+α文庫)
『武家の女性』山川菊栄
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン
・『世界史劇場 日清・日露戦争はこうして起こった』神野正史
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹
『昭和陸軍全史1 満州事変』川田稔
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介
『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編
『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘
証言 台湾高砂義勇隊
『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
黎明の世紀―大東亜会議とその主役たち 革命家チャンドラ・ボース―祖国解放に燃えた英雄の生涯 (光人社NF文庫)
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
東京裁判とその後 - ある平和家の回想 (中公文庫)東京裁判―フランス人判事の無罪論 (文春新書)
『パール判事の日本無罪論』田中正明

ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論パール博士「平和の宣言」共同研究 パル判決書(上) (講談社学術文庫)共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)
・『東京裁判 全訳 パール判決書
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
世界がさばく東京裁判閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)GHQ焚書図書開封1: 米占領軍に消された戦前の日本 (徳間文庫カレッジ に 1-1)
『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『二世兵士 激戦の記録 日系アメリカ人の第二次大戦』柳田由紀子
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『日本の秘密』副島隆彦
『大東亜戦争肯定論』林房雄
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
日本人として知っておきたい外交の授業
『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦』藤原肇
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
あの戦争になぜ負けたのか (文春新書)
『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子
『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
『昭和の精神史』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『戦後史の正体 1945-2012』孫崎享
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
日本人としてこれだけは知っておきたいこと (PHP新書)保守も知らない靖国神社 (ベスト新書)
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘
よくわかる慰安婦問題 (草思社文庫)ヤクザと妓生が作った大韓民国 ~日韓戦後裏面史
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図』五百旗頭真
『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2015-05-27

浜島書店編集部、杉浦日向子、他


 7冊挫折、2冊読了。

月と篝火』パヴェーゼ:河島英昭訳(岩波文庫、2014年)/文章が馴染めず。どうも頭に入ってこない。

生命とは何か 物理的にみた生細胞』シュレーディンガー:岡小天〈おか・しょうてん〉、鎮目恭夫〈しずめ・やすお〉訳(岩波新書、1951年/岩波文庫、2008年)/二度目の挫折。必要があってエントロピーの章だけ読む。

クリスマスに少女は還る』キャロル・オコンネル:務台夏子〈むたい・なつこ〉訳(創元推理文庫、1999年)/務台夏子は『鳥 デュ・モーリア傑作集』を翻訳している。ひょっとすると加齢のため私の頭が悪くなっているのかもしれない。文章が全く頭に入らず。創元推理文庫は活字が悪くてびっくりした。

吊るされた女』キャロル・オコンネル:務台夏子〈むたい・なつこ〉訳(創元推理文庫、2012年)/それにしてもフォントが酷い。昔の講談社文庫みたいだ。創元推理文庫はしばらく避けることにしよう。

マネーの進化史』ニーアル・ファーガソン:仙名紀〈せんな・おさむ〉訳(早川書房、2009年)/中ほどでやめる。宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉を軽く嘲笑っている。ドイツのハイパーインフレの件(くだり)で不当な賠償額に対する言及がないのは明らかにおかしい。文章が巧いインチキ野郎と判断した。ジョン・グレイと同じ匂いを感じる。

「声」の秘密』アン・カープ:梶山あゆみ訳(草思社、2008年)/出だしは快調なのだが話が中々進まない。興味深い記述も多いが根拠が示されず。結局、ジャーナリストということなのだろう。科学本ではない。思わせぶりな文章が並ぶだけで実がない。

科学哲学』ドミニック・ルクール:沢崎壮宏〈さわざき・たけひろ〉、竹中利彦、三宅岳史〈みやけ・たけし〉訳(文庫クセジュ、2005年)/「訳者あとがき」で嫌な予感がした。2~3行置きに「その」が出てくる。白水社という企業は原稿チェックをしないのか? 本文も気取った文章で内容が乏しい。

 55冊目『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成(新潮文庫、2006年/ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)/上の本が読めなかったのは本書のせいである。まあ面白かった。小うるさい私から見て、一つの瑕疵(かし)もない傑作だ。読むだけで心が豊かになる。高島俊男の『漢字雑談』で紹介されていた一冊。こいつあ必読書ですな。文庫から深笛の名が消えたのはエロ小説を書いているためか。

 56冊目『ニューステージ世界史詳覧』浜島書店編集部(浜島書店、1997年/改訂版、2012年)/もちろん読み終えていない。これは凄い。とにかく凄い。「他の出版社は何をやっているんだ?」と思うほど凄い。一家に一冊、いや一人一冊必携といってよい。1000円以下の値段でこれほどの本が作れる事実に感嘆せざるを得ない。開いた瞬間からシナプスが発火しっ放し。こちらも必読書

2015-05-23

FRB利上げの行方


 6月利上げの観測は後退した。影響が大きいだけに日本の官僚みたいな言葉づかいが目につく。今のところ「口先だけ」のレベルで上げるとも上げないとも言っていない情況が続く。

 各所のニュースもデタラメ振りが目立つ。

 ロイターは見出しで「米FRB議長、年内利上げ強く示唆 景気先行きに自信」(5月23日)と謳っているが、イエレン議長の発言は「景気回復が想定通り継続すれば、年内のいずれかの時点でフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標の引き上げを開始することが適切になると予想している」というもの。

「当局者は先月、労働市場のさらなる改善が確認され、インフレ率が中期的に2%の目標に戻っていくとの『合理的な確信』を持てれば、利上げに踏み切る意向であることを重ねて表明した」とブルームバーグの記事(5月21日)は「条件付き」。3月の「年内にフェデラルファンド(FF)金利誘導目標の引き上げが正当化されるような状況になると私はみている」というイエレン発言からはかなり後退している。

「年初来のドル円相場のレンジは115.85円から122.04の5%強の間に収まっている」(佐々木融)。過去25年間で最小レンジは2006年の10%というのだから極小レンジといってよい。

「米金融政策の行方について不透明感が高まっている。政策の正常化、利上げ開始の看板は掲げ続けるが、実際の行動に移れるかが定かではなくなっている」(鈴木敏之)との指摘が一番ピンと来る。

 通常、利上げを行うとその国の通貨は買われる傾向が強い。つまり9月にFRBが利上げをすれば更なるドル高に向かうと考えられる。しかも日本がゼロ金利を続けるとなれば長期的なドル高円安を目指す。

 現在のドル高をアメリカが容認しているのは原油安でカバーできているためだ。クルマ社会のアメリカでは原油価格が経済に直結する。

 米国債2年ものの金利に目立った上昇はない。



 これから中国の元が強くなる(ソロス氏:中国経済の衰退が悲劇を招く)ことを想定すれば、ドルが強くなるとは思えない。むしろ紙くず同然になると予想すべきだろう。

2015-05-22

【仏教】ブッダ(釈迦)の歴史とその教え


ブッダが誕生した土地、インド
なぜブッダは悟りを求めたのか
・ブッダ(釈迦)の歴史とその教え

【仏教】なぜブッダは悟りを求めたのか


ブッダが誕生した土地、インド
・なぜブッダは悟りを求めたのか
ブッダ(釈迦)の歴史とその教え

【仏教】ブッダが誕生した土地、インド


・ブッダが誕生した土地、インド
なぜブッダは悟りを求めたのか
ブッダ(釈迦)の歴史とその教え

アレン・フランセス、高島俊男、佐藤光展


 3冊挫折。

精神医療ダークサイド』佐藤光展〈さとう・みつのぶ〉(講談社現代新書、2013年)/表紙に小さく「読売新聞東京本社 医療部記者」とある。精神医療よりもジャーナリズムのダークサイドを明らかにすべき立場ではないのか。新聞記者というだけで限界を感じてしまう。殆ど読まず。

漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)/相変わらず性格が悪い。国語大辞典の類いの間違いをズバズバ指摘する博覧強記の人物。微に入り細を穿(うが)ちすぎてついてゆけず。「害」は危害を加える、害虫などと使う語であるゆえ、「さまたげ」の意である障碍(しょうがい)とすべし、と。初めて知った。尚、碍は礙の略字。これが仏教だと悟りを妨げる言葉となり「しょうげ」と読む。

〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス:大野裕〈おおの・ゆたか〉監修、青木創〈あおき・はじめ〉訳(講談社、2013年)/期せずして講談社が並んだ。これはオススメ。ただ単に私の興味がついてゆけなかっただけの話。著者はDSM-IVの作成委員長を務めた人物。DSMは聞いたことのある人も多いと思うが、精神疾患を判断する際の国際基準である。「DSM-5は診断のインフレをハイパーインフレにする危険性がある」との主張を展開している。精神医療の歴史にも触れていて親切。文章も闊達。

2015-05-21

ジェフリー・ディーヴァー、ジョン・ハート


 1冊挫折、1冊読了。

川は静かに流れ』ジョン・ハート:東野さやか訳(ハヤカワ文庫、2009年)/「それから僕から川へと視線を転じると」(14ページ)でやめる。東野訳は今後敬遠するつもりだ。

 54冊目『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2012年)/リンカーン・ライム・シリーズの第9作。犯人は送電線を自由自在に操って不特定多数の人々を殺傷する。いわば電力テロ。同時進行でウォッチメーカーを巡るメキシコの捜査が展開される。9作目ともなると少々パターンが鼻についてくるわけだが、最後であっと驚く大どんでん返しがある。ただし、ちょっとずるいと思う。「いくら何でも」という思いを払拭できない。とは言ってもファンの期待を裏切らない作品に仕上げているのはさすが。

ソロス氏:中国経済の衰退が悲劇を招く


人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事
・ソロス氏:中国経済の衰退が悲劇を招く
ソロス氏、米国に「対中譲歩」を呼び掛け、ネットユーザーが動機を疑う

 北京時間20日の情報によると、資産家のジョージ・ソロス氏は19日、中米両国は経済協力を強化し、第3次世界大戦が発生する可能性を減らさねばならないと語った。

 ソロス氏は世界銀行ブレトンウッズ会議の席上で、米国には大きな譲歩が必要であり、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR通貨バスケット)に中国の人民元を加えることを許すことで、中国も経済改革を強化するよう呼びかけた。

 ソロス氏によると、もし中国経済が衰退期に入れば、第3次世界大戦が起こる可能性があるといっても過言ではないと言う。

 同氏によると、中米間の合意達成は難しい。だが合意がなければ、中国は政治的軍事的にロシアと連盟を結成し、更に世界大戦の脅威が増す。これを回避するため、努力する必要があるという。

新華ニュース 2015-05-20

人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事」と併せて考えると、基軸通貨がドルから元に変わる大きな潮目となる可能性がある。

2015-05-18

宮城谷昌光


 1冊読了。

 53冊目『他者が他者であること』宮城谷昌光(文藝春秋、2009年/文春文庫、2015年)/文庫化された。私は宮城谷の長篇は好むが、短篇やエッセイはそうでもない。カメラに関する部分は飛ばし読み。やはり創作にまつわるエピソードが面白い。中国古代史を想像力で補う作業の辛労が窺える。売れなかった時代に孤独の中で文体を模索したという。人気作家となった現在でも名文の書写を行っているそうだ。努力には終点がない。

2015-05-15

宮城谷昌光、ケン・フィッシャー、田嶋智太郎、三木成夫


 3冊挫折、2冊読了。

内臓とこころ』三木成夫〈みき・しげお〉(河出文庫、2013年/築地書館、1982年『内臓のはたらきと子どものこころ』改題)/話し言葉が肌に合わず。名著『胎児の世界 人類の生命記憶』を読んだのは四半世紀以上も前のこと。

きっちり儲けたい人のFXチャートの鉄人 必勝分析術』田嶋智太郎〈たじま・ともたろう〉(西東社、2010年)/初心者向けとしては良書。チャートは概念である。その意味で厳密さを求めるamazonレビューは誤っている。

チャートで見る株式市場200年の歴史』ケン・フィッシャー:長尾慎太郎監修、井田京子訳(パンローリング、2010年)/読む人を選ぶ本だ。タイトルに難あり。株式だけではなく米国経済を中心とした各種様々なチャートを網羅している。例えば「電力業界の売上とGNP」「GNPの割合で見た国防予算」「小麦の収穫面積で見る9.6年サイクル」など。チャートという時空が激しく脳を揺さぶる。これははっきり言って紙媒体ではなく、インターネットで行うべき仕事であると感じた。書籍代4104円を年会費とすればいくらでも需要があると思う。

 51、52冊目『天空の舟 小説・伊尹伝(上)』『天空の舟 小説・伊尹伝(下)』宮城谷昌光(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)/夏(か)の桀王と商の湯王の物語でもある。読み終えてから気づいたのだが関龍逢は竜蓬と同一人物だった。三顧の礼は孔明ではなく、伊尹に対して湯王が行ったのを嚆矢(こうし)とする。少々カタルシスが劣るのは時代の重力が強いためだ。「車」というイノベーションが見事に描かれている。

2015-05-14

デイヴィッド・マレル


 1冊読了。

 50冊目『石の結社』デイヴィッド・マレル:山本光伸訳(光文社、1987年/光文社文庫、1989年)/読んだのは三度目か。エピソード小説。過去の物語である。カットバックの多用が裏目に出ている。現在が中々進行しない。『ランボー』シリーズでは禅に筆の冴えを見せたマレルが、本書ではキリスト教の裏面史を綴る。「石の結社」とは「聖なるテロ」の実行部隊であった。十字軍の歴史を交えながら、ドルーは復讐の鬼と化す。出来は『ブラック・プリンス』の方がはるかに上だ。

2015-05-12

人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事


 ・人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事

ソロス氏:中国経済の衰退が悲劇を招く
ソロス氏、米国に「対中譲歩」を呼び掛け、ネットユーザーが動機を疑う中国人民元をSDR構成通貨に採用、IMF理事会が承認

[上海 20日 ロイター] - 国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は20日、訪問先の上海で、人民元が将来的に、IMFの特別引き出し権(SDR)の構成通貨に採用されるとの見解を示した。

 専務理事は復旦大学での講演後の質疑応答で、「採用されるかどうかの問題ではなく、いつ実現するかという問題だ」と述べた。「依然として多くの作業が必要とされており、これは誰もが認識していることだ」とした。

 IMFは今年中に5年ごとのSDR構成通貨の見直しを行う予定で、人民元の採用を決定する可能性があるとの見方が浮上している。SDRは現在、ドル、円、ポンド、ユーロの4通貨のバスケットで構成されている。

 ラガルド氏はまた、中国の目下の最大の課題は、先進国入りを前に成長が停滞する「中所得国のわな」を回避することだと指摘。経済成長のペースを落とし、質を高めるよう求めた。

 中国の昨年の経済成長率は7.4%と、24年ぶりの低水準に鈍化。IMFは今年は6.8%にさらに鈍化すると予想している。中国政府は7.0%の目標を掲げている。

ロイター 2015-03-21

人民元はIMFのSDRに採用されるのか

佐藤優、手嶋龍一


 1冊読了。

 49冊目『動乱のインテリジェンス』佐藤優、手嶋龍一(新潮新書、2012年)/国際情勢、国内政治を読み解く巧者はこの二人がやはり筆頭株か。沖縄を巡る問題や、鳩山由紀夫のイラン外交失敗がよくわかる。また手嶋龍一の言葉に対する類稀なセンスが光る。ただし「反東京裁判史観」(手嶋)という言葉づかいに二人の性根が透けて見える。テクニカルな点については詳細に及んでいるが、やはり菅沼光弘のような国士とは思えない。双方とも自分のことを時折「僕」と言うあたりに親密さが窺える。

2015-05-11

無神論者/『世界の[宗教と戦争]講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦


 たとえ本人が「自分は無神論者」であると言っていても、無神論者であるということ自体、宗教の影響を受けているのです。無神論ということの前提には、まず神があるかないかという問いがあるからです。
 そこから発展しているのですから、宗教を無視して人間を語れないのです。

【『世界の[宗教と戦争]講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦(徳間書店、2001年/徳間文庫、2003年/決定版、2011年)】

 世界は宗教に覆われている。この事実が日本人の頭から抜け落ちている。しかもその宗教とはアブラハムの宗教であり、一神教を意味する。

 科学の歴史を見ても宗教を避けて通ることはできない。もともと学問自体が教会のもとで発達してきた。文字を読めることができたのも教会関係者であり、書籍を蔵していたのも教会であった。女性が学べなかったのも当然である。

 科学史をひもとけば嫌でもキリスト教の影響に気づかざるを得ない。私が腰を据えてキリスト教と取り組んだのは40代になってからのこと。40~50冊ほど読んだあたりで何となくつかめてきた(キリスト教を知るための書籍)。

 いくばくかの知識が身につくと小説や映画の風景がガラリと変わる。

エスピオナージュに見せかけた「神の物語」/『木曜の男』G・K・チェスタトン
妊娠中絶に反対するアメリカのキリスト教原理主義者/『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ

 ハリウッド映画によく見られる洪水シーンは「大洪水」の暗喩であり、ノアの方舟を連想させる仕掛けだ。キリスト者にとっては「世界の終焉」を象徴している。

 宗教という「物語性」と神の「論理」を弁えておかなければ外交や友好に支障を来すのも当然である。その上で天皇という物語や、アニミズムという論理を日本から発信してゆくべきだろう。

<決定版>世界の[宗教と戦争]講座 (徳間文庫)
井沢元彦
徳間書店 (2011-10-07)
売り上げランキング: 335,780

真の無神論者/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥

2015-05-10

養老孟司


 1冊読了。

 48冊目『考えるヒト』養老孟司〈ようろう・たけし〉(ちくまプリマーブックス、1996年)/1996年の時点で情報系というテーマを提示している。養老は「中村桂子氏との話し合いで教えられた」とあとがきに記している。『「私」はなぜ存在するか 脳・免疫・ゲノム』だろうか。養老の著作の中では比較的あっさりした内容。『解剖学教室へようこそ』の続編であり、基本的には『唯脳論』の解説であると本人は位置づける。

限られた資源をめぐる競争/『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン


『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 ・限られた資源をめぐる競争

 現実世界に見られる複雑性は、多くの場合、系の構成要素が限られた資源――たとえば、食べ物、空間(スペース)、エネルギー、権力、富――をめぐって互いに競争を繰り広げているという状況がその核心をなしている。このような状況では、群集の出現が非常に重要な実際的影響を及ぼすことがある。金融市場や住宅市場を例にとると、手持ちの金融商品や物件を売りたい群集――彼らは互いに買い手を求めて競争している――が自然に形成されると、暴落につながって市場価格が短期間のうちに劇的に下がってしまうことがある。同じような群集現象は、同じ時間帯に通る道路上の空間をめぐって競争している車通勤者たちでも生じる。その結果が交通渋滞で、これは市場の暴落の道路交通版なのだ。このほかの例としては、インターネットにおける過負荷、停電をあげることができる。前者は利用者のアクセスが一時に集中したために特定のコンピューター・システムが使えなくなった状況だし、後者もやはり電気の利用が一時的に集中して、電力網による供給が追いつかなくなった状況なのである。戦争やテロさえも、異なる勢力どうしの暴力的な集団行動であり、同じ資源(たとえば、土地や領土や政治的権力)の支配をめぐって競争が繰り広げられていると見なせる。

 複雑性科学の究極の目標は、こうした創発現象――とりわけ重要なのは、恐ろしい結果をもたらしかねない市場の暴落、交通渋滞、感染症の世界的流行、癌をはじめとする病気、武力衝突、環境変化など――を理解し、その予測と制御を行なうことである。これらの創発現象の予測は可能なのだろうか。それとも、これらの現象は何の前触れもなく、どこからともなく姿を現わすのだろうか。さらに、いったん生じてしまったとき、われわれはその現象を制御したり操作したりできるのだろうか。

【『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン:阪本芳久訳(インターシフト、2011年)】

 1+1が2+αというよりは、2xになるような事象を創発という。「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」(フレッド・ホイル)確率と似ている。分子を並べただけでDNAはできないし、同じ数の細胞を並べただけで人体とはならない。創発という概念は自己組織化散逸構造非線形科学などとセットになっている。

 生命も宇宙も熱力学第二法則に従う。エントロピーは増大するのだ。コーヒーの中に落としたミルクは拡散し、風呂の湯は必ず冷める。逆はあり得ない。時間の矢は過去から未来へ向かう。やがて人は死に、宇宙も死ぬ。分子は乱雑さを増し、一切が平均化してゆく。

 群集現象による創発は人文字を思えばよい。一人ひとりは色のついたパネルをめくっているだけだが、全体で見ると文字や絵が浮かぶ。先に書いた1+1=2xがおわかりいただけるだろう。

 交通渋滞と戦争やテロを同列に見なす視点が鋭い。特定秘密保護法や集団的自衛権に関する安倍政権批判は相変わらず「古い物語」を踏襲していて、平和を賛美する叙情的な文学のようにしか見えない。中華思想に弾圧されるチベットやウイグルの問題を正面から見据えれば、武力の裏づけを欠いた外交が実を結ぶとは思えない。戦争もできないような国家は国家たり得ない。そんな当たり前のことがこの国では忘れられているのだ。拉致問題が進展しないのも憲法の縛りがあるためだ。

 戦争はない方がいいに決まっている。だからといって反戦・平和を叫べばそれで済むというものではない。人類は数千年にわたって戦争を行ってきたわけだから、まず戦争は起こるという前提で考えるべきだろう。そして戦争に至る要因や条件を科学的に検証することで、戦争回避の手立てが見えてくるに違いない。

 複雑系科学は仏教の縁起を立証しているようで実に面白い。阪本芳久が訳した作品は外れが少ない。

複雑で単純な世界: 不確実なできごとを複雑系で予測する

2015-05-08

ロバート・B・パーカー、岡檀


 2冊読了。

 46冊目『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』岡檀〈おか・まゆみ〉(講談社、2013年)/数日前に読了。書くのを忘れていた。檀という名前を初めて見たが、意味は真弓と同じ。樹木の名である。期待が大きかっただけに辛口とならざるを得ない。正確な所感を記そう。悪くない。それだけである。徳島県旧海部町(かいふちょう)(現海陽町)は島部を除くと日本で最も自殺率が低い地域とのこと。岡は大学院生として4年間にわたる調査を行った。読み物としてつまらなくなっているのは、論文から派生した作品であるためだ。論文の書き方に触れることで結果的にテーマがぼやけてしまっている。実際の調査から導かれた岡の結論は実に素晴らしいものだ。しかし知識不足を否めない。写真を見る限りではそれほど若くは見えない。自殺の原因は統計では病苦となっているが実際は経済苦が一番多い(『自殺死体の叫び』上野正彦)。また日本人に自殺が多いのは世間という枠組みから考える必要がある。岡には養老孟司の『人間科学』(文庫版は『養老孟司の人間科学講義』)を読むことを勧めておこう。本書だけでは単なるレポートで終わってしまう。思想的、社会科学的に高めてもらいたい。

 47冊目『悪党』ロバート・B・パーカー:菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1997年/ハヤカワ文庫、2004年)/まあ菊池の訳が酷い。とにかく酷いよ。誰も注意する人がいないのかね? 亡くなったことだし、いっそのこと全部新訳にしてはどうかと本気で思う。スペンサー・シリーズ第24作。amazonでの評価は高いがどこがいいのか? 理解に苦しむ。大体、命を狙われていることを知りながら、ジョギングに出かける設定がおかしい。スペンサーは瀕死の重傷を負う。車椅子で退院し、リハビリに1年を要した。スーザンの魅力もとっくに色褪せている。ま、ミステリ界のサザエさんと思うしかないだろう。スペンサー・シリーズは殆ど読んでいるが一番面白くなかった。

スコット・パタースン、パブロ・ネルーダ、クララ・ホイットニー


 2冊挫折、1冊読了。

勝海舟の嫁 クララの明治日記(上)』クララ・ホイットニー:一又民子〈いちまた・たみこ〉、高野フミ、岩原明子、小林ひろみ訳(講談社、1976年/増補・訂正版、中公文庫、1996年)/満を持して臨んだが150ページで挫ける。クララは明治8年(1875年)にアメリカから来日した。当時14歳。後に勝海舟の妾腹・梅太郎に嫁ぐ。梅太郎の生母は梶くま。くまの逝去後、梅太郎は勝家の三男として東京で育てられるが長じて梶姓を継ぐ。勝海舟には青い目をした6人の孫がいた。クララは曇りなき瞳で生き生きと明治の日本を綴る。取り立てて黄色人種を見下す視線もない。しかしながら宗教差別が凄まじい。キリスト教に洗脳された14歳としか見えない。福澤諭吉などの大物が次々と登場する。一級の資料といってよい。尚、勝海舟の部分だけであれば、下田ひとみ著『勝海舟とキリスト教』で間に合いそうだ。

ネルーダ回想録 わが生涯の告白』パブロ・ネルーダ:本川誠二〈ほんかわ・せいじ〉訳(三笠書房、1976年)/飛ばし読み。さすがに文章が素晴らしい。来日していたとは知らなかった。若きカストロやゲバラとの出会いが目を惹く。時代を吹き渡った社会主義旋風にいささか違和感を抱く。各章の合間に挿入された詩が美しい。

 45冊目『ザ・クオンツ 世界経済を破壊した天才たち』スコット・パタースン:永峯涼〈ながみね・りょう〉訳(角川書店、2010年)/著者はウォールストリート・ジャーナルの記者でこれがデビュー作。こなれた文章が秀逸で訳も素晴らしい。クオンツと呼ばれる天才数学者たちがサブプライム・ショック、リーマン・ショックで金融を崩壊させるまでをドラマチックに描く。個人的にはアーロン・ブラウンの登場にびっくりした。CDSの事情についても詳しく触れている。

2015-05-06

戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト


 近代資本主義の始めを考察し、それを誕生させた外的なもろもろの状況を思い浮かべるとき、十字軍の戦いからナポレオン戦争にいたるまでくりひろげられた永遠の係争と戦争に注目しないわけにはいかないであろう。イタリアとスペインの両軍は、中世後期には唯一の軍隊であった。英仏両国は14世紀から15世紀にかけての100年間にわたって戦った。ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年間、17世紀においてはただの21年にすぎなかった。したがって、この200年間に戦争があった年は、154年になる。オランダの場合、1568年から1648年までの間、80年が、そして1652年から1713年までの間は、36年が、戦争の年であった。145年のうち116年は、戦争の年であったわけだ。そしてついに、相次ぐ革命戦争の中で、ヨーロッパの民衆は、最終的な巨大な衝撃を体験する。ところで、そのさい戦争と資本主義との間になんらかの関連があるに違いなかったことは、ちょっと考えただけでも、確実だと思われる。

【『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳(論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)以下同】

 原著刊行は1913年。第一次世界大戦が翌年に始まる。ヨーロッパの歴史は戦争の歴史であった。第1回十字軍(1096–1099)からナポレオン戦争(1803-1815) までは約700年を要する。ゾンバルトが触れているのはヨーロッパ中世盛期から近世に至るまでであるが、それ以前はゲルマン民族の大移動を中心とする民族移動時代で、これまた戦争・紛争の時代といってよい。

 環境史(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)では寒冷化を戦争要因として挙げるが、ヨーロッパ史を動かしてきたのはキリスト教であり、宗教戦争の色合いが強い。三十年戦争(1618-1648)が終わるとドイツの人口は「1800万から700万に減ったという」(世界史講義録 第65回 ドイツの混迷・三十年戦争)。

世界の主な戦争及び大規模武力紛争による犠牲者数

 しかし、それでもなおかつ【戦争がなければ、そもそも資本主義は存在しなかった】。戦争は資本主義の組織をたんに破壊し、資本主義の発展をたんに阻んだばかりではない。それと同時に戦争は資本主義の発展を促進した。いやそればかりか――戦争はその発展をはじめて可能にした。それというのも、すべての資本主義が結びついているもっとも重要な条件が、戦争によってはじめて充足されたからである。
 とりわけわたしは、16世紀と18世紀の間にヨーロッパで進行した資本主義的組織の独自の発展の前提となった国家の形成について考えている。とくに説明する必要はないが、近代国家はひたすら軍備によってつくられた。それは近代国家の外面、国境線、またそれに劣らず内部の構成についてもいえることだ。行政、財政は、近代的意味において、戦争という課題を直接果たすことによって発展した。16世紀以降の数世紀においては国家主義、国庫優先主義、軍国主義は、まったく同一であった。なんぴとも熟知しているように、植民地は大勢の人々の血を流した戦闘によって征服され、防衛された。中近東のイタリアの植民地から始まってイギリスの大植民地にいたるまで、植民地は他国民を武力で駆逐することによって獲得された。

 戦争が莫大な需要を喚起した。カネがなければ戦争はできない。そして鉄と弾薬が工業を発展させる。

 間断なき戦争を遂行しながらヨーロッパは魔女狩りを同時に行った。帝国主義以降はアフリカ黒人を奴隷にし、アメリカ大陸でインディアンを大量虐殺する。

 思い切りのよい人殺しを可能にしたのは「正義」という病であった。病気をもたらしたのはもちろんキリスト教だ。「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。

 もともとヨーロッパの植民地であった北米は第二次世界大戦を経て世界に君臨し、その後「経済政策としての戦争」を推し進める。戦争はインフラを破壊し(スクラップ)、再構築(ビルド)することで投資と雇用機会を生む。

 ヴェルナー・ゾンバルトマックス・ウェーバーと並び称される経済史家だが明らかに了見が狭い。戦争が資本主義の発達に大きな役割を果たしたことは確かだろうがそれがすべてではない。株式会社は大航海時代から誕生した(『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦)。また経済史という点では三大バブルも見逃せない。更に戦争経済におけるユダヤ資本の影響を考慮する必要があろう(『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵)。

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テリー・ヘイズ


 3冊読了。

 42~44冊目『ピルグリム 1 名前のない男たち』『ピルグリム 2 ダーク・ウィンター』『ピルグリム 3 遠くの敵』テリー・ヘイズ:山中朝晶〈やまなか・ともあき〉訳(ハヤカワ文庫、2014年)/2日で読了。ミステリ界に新星現る。テリー・ヘイズは脚本家で小説としてはデビュー作となる。テロもの。ドラマ『24 -TWENTY FOUR -』と同じ系統だ。9.11テロと9.11テロ後の世界。皮肉の効いた文章がいい。大河小説の趣がある。諜報員である「わたし」とテロリスト「サラセン」という2本の川が流れる。そして三つの事件が進行する。相棒のベン・ブラットリーやハッカーのバトルボイのキャラクターも際立っている。「死のささやき」と呼ばれる国家情報長官やアメリカ大統領はもう少し悪人として描いてもよかっただろう。山中訳は初めて読んだ。全体的にはいいのだが、巻頭部分で「わたし」が多すぎる。時々文章がおかしくなっているのは編集・校正の手抜きだろう。追って指摘する。『チャイルド44』トム・ロブ・スミスを超える面白さだ。