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2022-01-03

2021年に読んだ本ランキング


2020年に読んだ本ランキング

 ・2021年に読んだ本ランキング

2022年に読んだ本ランキング

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

 先月の24日午後からネット回線が不通となり、元旦に工事を行いやっと復旧した。水道工事の職人がメーターボックス周りの配線を引っこ抜いた模様。修理費は16390円。プラス光回線使用量の日割り(8日分)を賠償請求する予定である。

 今年読んだ本は500冊ちょっと。読了本は150冊程度だと思う。長時間勤務が続いた割にはよく読んだ方だと思う。まだ老眼がないので助かっている。1位は清水ともみの2冊にした。私からすれば現在進行形のルワンダ大虐殺といってよい。ただし、ルワンダやナチスドイツでも「生きながら臓器を抜かれる」ことはなかった。個人的には、「ジェノサイドの根拠が不明」として対中非難決議案を骨抜きにした公明党が、衆院選で得票数を伸ばしたことを忘れることができない。日中国交回復の露払いをしてきた公明党にとっては、日中友好そのものがある種の利権であり、同等の誉(ほま)れになっている。宗教者としての慈悲や思いやりよりも党勢拡大を優先し、それに唯々諾々と従う創価学会員や支持者が“増えた”事実に衝撃を受けた。

 からだ本に関しては、血管マッサージ~自律神経刺激を経て口に至ったのは自然の流れか。しかも嚥下(えんげ)機能、舌、唾液、咬合(こうごう)と実に奥が深い。私は40代で扁桃炎を患っており、無呼吸症候群とも相俟(ま)って喉が弱い(※睡眠時に口呼吸となるため)。昨今は嚥下障害気味になることも度々あり、飲み込む力が明らかに衰えてきた。

 ざっと紹介するが、ベスト10は厳密なものではなく、それ以外のものも含めて順不同と考えていただいて宜しい。

・『オガトレの 超・超・超かたい体が柔らかくなる30秒ストレッチ』オガトレ
・『免疫力を上げ自律神経を整える 舌(べろ)トレ』今井一彰
・『あなたの老いは舌から始まる 今日からできる口の中のケアのすべて』菊谷武
・『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』西山耕一郎
『いつでもどこでも血管ほぐし健康法 自分でできる簡単マッサージ』井上正康
『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔
『レディ・ジョーカー』高村薫
・『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2先崎学
『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
・『ゆだねるということ』ディーパック・チョプラ
『愛国左派宣言』森口朗
・『売国保守』森口朗
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠
『五・一五事件』小山俊樹
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』スティーヴン・ストロガッツ

 10位 『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
 9位 『群衆の智慧』(旧題『みんなの意見は案外正しい』)ジェームズ・スロウィッキー
 8位 『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克
 7位 『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
 6位 『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
 5位 『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
 4位 『トレイルズ 「道」を歩くことの哲学』ロバート・ムーア
 3位 『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
 1位 『命がけの証言』清水ともみ、楊海英
 1位 『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ

 

2021-11-22

拷問され、麻酔なしで切り刻まれるウイグル人/『命がけの証言』清水ともみ、楊海英


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ

 ・拷問され、麻酔なしで切り刻まれるウイグル人

『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ

必読書リスト その一

【『命がけの証言』清水ともみ、楊海英〈よう・かいえい〉(ワック、2021年)以下同】










2021-11-20

隣国で行われている現在進行系の大虐殺/『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 ・隣国で行われている現在進行系の大虐殺

『命がけの証言』清水ともみ
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ

必読書リスト その一

【『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ(季節社、2020年)】

 清水ともみが『その國の名を誰も言わない』に続いて2019年8月にツイッターで発表・公開した作品である。作家の百田尚樹が虎ノ門ニュースで全編を紹介し、広く知られるようになった。ネット上で公開されているが、本書と『命がけの証言』は是非とも購入していただきたい。2640円の喜捨と考えて欲しい。既に新聞やテレビでは世界を知ることはできない。犠牲者の声は圧力によって封殺される。経済的な見返りのためなら臓器狩りや虐殺も見て見ぬ振りをするのが親中派政治家や経団連の流儀である。

 岡真理はパレスチナの若者を見てこう思った。「むしろ不思議なのは、このような救いのない情況のなかで、それでもなおジハードが、そしてほかにも無数にいるであろう彼のような青年たちが、自爆を思いとどまっていることのほうだった」(『アラブ、祈りとしての文学』岡真理)。国際社会は国益を巡るゲームである。ルワンダ大虐殺の時も国連は動かなかった。目立った報道すらなかった。それどころか同じ信仰を持つイスラム世界も沈黙を保っている。インドネシアではムスリムによる反中デモが行われたが、インドネシア政府はウイグル人服役囚を中国に強制送還している。

 米軍が撤退した途端、アフガニスタンをタリバンが完全に支配した。権力の真空が生まれることはなかった。中国共産党はアメリカが退いたところに進出するという単純な攻撃法で国際的な影響力を高めている。WHOなどが典型だ。

 アメリカはトランプ大統領が対中制裁に舵を切ったが、政策を引き継いだバイデン政権の動きは鈍いように感じる。言葉だけが虚しく響いているような気がする。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
 そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

マルティン・ニーメラー

 ニーメラーの悔恨は最初の迫害を他人事と捉えたところにあった。虐殺されているのはウイグル人ではない。我々なのだ。

 




清水ともみ|note
香港でも拡散!8.6万RTウイグル漫画『私の身に起きたこと』が描かれるまで(FRaU編集部) | FRaU
ウイグルの人権問題を描いた漫画に反響 作者「怖かったけど、天命」:朝日新聞GLOBE+

2021-02-10

読書讃歌/『書斎の鍵 父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰


・『賢者の書』喜多川泰
・『君と会えたから……』喜多川泰
『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰
『心晴日和』喜多川泰
『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・『スタートライン』喜多川泰
・『ライフトラベラー』喜多川泰

 ・読書讃歌

『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
『ソバニイルヨ』喜多川泰
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰

必読書リスト その一

 部屋着に着替えた浩平は、ダイニングに行き、料理をしている日菜にカウンター越しに話しかけた。
「ママ、今日俺は目覚めたよ」
「何言ってるのよ」
 日菜は鼻で笑って相手にしなかった。
「本当だ。俺はこれまでの俺の生き方を改める」
 いつになく強い口調に、日菜は手を止めて浩平を見た。

【『書斎の鍵 父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(現代書林、2015年)】

 必読書の一冊目にした。本を取り巻く物語であり、傷ついた男性が再生するドラマである。小説の途中に『書斎のすすめ 読書が「人生の扉」をひらく』という90ページほどの解説がある。この読書礼賛が私の趣味に合わない。本好きが昂じて古本屋にまでなってしまった私にとっては、書物が「人生の扉を開く」のは確かだが、「部屋の扉が開かなくなる」のもまた確かなのだ。私に言わせれば読書はただの病気に過ぎない。

 浩平は人々との出会いを通して逝去した父親の思いを知る。従姉妹の洋子、営業先の志賀会長、部下の加藤、上司の井上部長に導かれて答えは自(おの)ずから得られた。鍵が開けたのは「自分の心」であった。

 両親が結構本を読んでいたこともあって私は幼い頃から本が好きだった。文字が読めない頃から本を開いていた記憶がある。絵本はたくさんあったし、小学校に上がると小学館の『世界の童話 オールカラー版』を毎月1冊ずつ買ってもらった。


 小学校の高学年で図書室の本の半分以上の図書カードに私の名前があったはずだ。本を借りすぎて怒られたこともあった。誰もが恐れるオールドミスのヨシオカ先生に職員室で叱責され、反省文を提出する羽目となった。

 ずっと本を読んできたが病の度合いが本格化したのは、やはり上京して神田の古書街に足を運んだことが切っ掛けとなった。やがてブックオフが登場する(1990年)。私にとっては安価なドラッグが現れたようなものだ。直ぐに10冊以上買う癖がついた。やがて20冊となり、クルマを持つと30~40冊と増えていった。30代で3000冊、40代に入ると5000冊を数えた。5000冊がどの程度の量かというと、3部屋の壁ほぼ全部が本棚で各段には前後2列ずつ並べても収まらない。床は林立する本で覆われつつあった。書籍のビルはやがて都市を形成し、残されたのは奥の細道のような通路だけであった。決して笑い事ではない。2年に一度くらいの割合で書籍の重みによって床が抜けたというニュースが報じられているのだ。

 私にとって本を読む行為は人に会うことと同じである。問われるのはコミュニケーションの深さである。文字をなぞり、受け取るだけが読書ではない。優れた書籍は必ず開かれた精神で書かれている。本物の一書は答えに窮する問い掛けをしてくる。読み手は何をもって応答するのか? それは個性に他ならない。

 為になる本は読んできた。感動した本も多かった。しかしながら私の周囲にいる人々の魅力を上回ることはなかった。それほど私は人間関係に恵まれていた。『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』(レヴェリアン・ルラングァ著)を読んだのは45歳の時だ。私は完膚なきまでに打ちのめされた。『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』や『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』は過去の歴史であった。だがルワンダ大虐殺の場合、私は同時代を生きていた。「なぜ切り刻まれたツチ族の叫び声が私の耳には聴こえなかったのか?」と我が身を苛(さいな)んだ。あまりの残酷に宗教や哲学の無力を思い知った。生きる意味は殺す意味に呆気なく踏みにじられた。

 1年ほどの煩悶を経てクリシュナムルティと出会った(『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』)。『子供たちとの対話 考えてごらん』を通して私は初めてブッダの教えを理解した。心の底から「本を読んできてよかった」と思った。

 だからといって私がルワンダ大虐殺やクリシュナムルティを布教するつもりはない。ただ静かに胸の内に仕舞って今日を生きるだけのことである。

2020-07-30

身体障碍の現実/『寡黙なる巨人』多田富雄


『免疫の意味論』多田富雄
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史

 ・身体障碍の現実

『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一

 そのとき突然ひらめいたことがあった。それは電撃のように私の脳を駆け巡った。昨夜、右足の親指とともに何かが私の中でピクリと動いたようだった。
 私の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して元に戻ることがないくらいのことは、良く理解していた。麻痺とともに何かが消え去るのだ。普通の意味で回復なんてあり得ない。神経細胞の再生医学は今進んでいる先端医療の一つであるが、まだ臨床医学に応用されるまでは進んでいない。神経細胞が死んだら再生することなんかあり得ない。
 もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。もし私が声を取り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の声だろうか。そうではあるまい。私が一歩踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを摑むんだとしたら、それは私ではない何者かが摑むのだ。
 私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動かしている人間はどんなやつだろうとひそかに思った。得体のしれない何かが生まれている。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるもののに期待と希望を持った。
 新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱々しく鈍重(どんじゅう)だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた。

【『寡黙なる巨人』多田富雄(集英社、2007年/集英社文庫、2010年)】

 多田富雄は脳梗塞で右麻痺となり言葉を失った。嚥下(えんげ)障害の苦しさを「自分の唾に溺れる」と記している。感情の混乱についても赤裸々に書いており、妻への感謝を表現できずイライラばかりが募る様子に身体障碍(しょうがい)の現実が窺える。それでも多田は表現することをやめなかった。本書は左手のみのタイピングで著した手記である(柳澤桂子)。

 地べたに叩きつけられたような現実の中で多田は大いなる生の力を実感した。「寡黙なる巨人」とは卓抜したネーミングである。不思議な運命の糸を手繰り寄せ、生かされている事実を見出すことは難しい。決して大袈裟ではなく「全てを失った」時に“生きる力を奮い立たせる”といった言葉はあまりにも軽すぎる。ルワンダ大虐殺シベリア抑留にも匹敵する極限状況といってよい(『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル)。

「凄いなあ」と感心して終われば他人事である。そうではなく我々の日常も「小さな極限状況の連続」と捉えるべきだ。命に関わるような重大な出来事はなくても、些細な暴力や抑圧、恐怖や不安はあるものだ。そこでどう判断して動くか。ただただ耐えているだけなら、いつか殺される日を待っているようなものだろう。いじめやパワハラも最初は小さな仕打ちから始まる。その時「やがて命に関わる問題になる」と見抜くことができれば対応の仕方は変わってくるだろう。

 多田が体の自由を奪われた時に見出した「巨人の力」を私は自分の内側に感じない。私は本当に生きているのだろうか?

2020-05-16

ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕


 ・ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕

『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督

2020年5月16日 21:38 発信地:パリ/フランス [ フランス ヨーロッパ ルワンダ アフリカ ]

【5月16日 AFP】(更新、写真追加)フランスの警察当局は16日、ルワンダ大虐殺をめぐる残り少ない重要指名手配犯であるフェリシアン・カブガ(Felicien Kabuga)容疑者を逮捕した。当局者が明らかにした。

 検察および警察当局は共同で声明を発表し、かつてルワンダ有数の富豪であり、大虐殺において資金を工面した84歳の同容疑者が、パリ郊外で偽名を使って暮らしていたと明かした。

 この声明によると、夜明けごろに実施された作戦により、「司法当局が25年間行方を追っていた」逃亡者が逮捕されたという。

 フツ(Hutu)人の過激派によってツチ(Tutsi)人だけでなく穏健派のフツ人も虐殺された1994年のジェノサイド(大量虐殺)では、80万人前後が犠牲となった。

 先の声明は、カブガ容疑者はパリ北方のアニエールシュルセーヌ(Asnieres-sur-Seine)で、共犯者である自身の子どもたちとともに身を隠して暮らしていたとし、「フェリシアン・カブガはルワンダにおけるジェノサイドの資金担当者として知られる」と説明している。

 同容疑者は、虐殺を実行した悪名高い民兵組織インテラハムウェ(Interahamwe)を創設したとされる。

 また人々に殺人の実行を放送で呼びかけたことで、同じく悪名高いミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョン(Radio-Television Libre des Mille Collines)の創設を援助した。(c)AFP

2019-11-24

祭祀とテロ/『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編

 ・祭祀とテロ
 ・ルネサンスと宗教改革が近代化の鍵

『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

必読書リスト その四

 祭祀(さいし)という言葉と、テロという言葉を並べることは、いかにも奇妙に読者には映るかもしれない。しかし、古代から、祭祀と、何らかの「血の祭り」つまり、テロとは不可分のものであった。「血祭りにあげる」という言葉は日本にも昔から存在している。
 日本のようなうっそうと茂った照葉樹林帯の中で、静寂でおとなしい自然祭祀を数千年来、続けてきた国でさえ、時として、「血祭り」とか「人柱」とか「人身御供(ひとみごくう)」という発想が、あらわれた。これは多分に狩猟民の系譜が、シベリア方面から日本列島へ流入してきた影響かも知れないが、現生人類には本来、そのような「情動(エモーション)」が大脳皮質の奥深いところに潜在しているのかも知れない。
 殊に、日本列島のように、温和な気候に恵まれ、食糧の豊富な環境で民族形成をなしとげた民族と違って、アラビア半島のような、酷烈で非情な風土の中で、苦しい生活にあえぎながら、ひとときのやすらぎを、ほんの僅かの間、熱烈な祈祷の陶酔の中に見出してきたグループにとっては、祭壇に血塗られた「いけにえ(犠牲)」を供することが、祭祀の必須条件であった。
 羊や牛の首を打ち落し、その溢れ出る血潮が、神の祭壇を血塗るとき、はじめて、彼等が奉ずる呵責なき嫉む神の怒りを鎮めることができる。しかも、異なる神を拝む者、つまり、異教徒は動物であって、人間ではないというドグマが、アラビアに発生した三大宗教では、特に顕著にあらわれた。
 キリスト教徒が、つい最近まで、異教徒を人間として遇しなかった事は歴史の証明する所である。
 このような宗派が異常な熱狂を帯びた時、異教徒に対する大量虐殺が、祭祀のための「いけにえ」として、歴史上、数限りなくおこなわれてきた。
 その中で、例えば流浪のユダヤ人などは、「血祭り」にあがるには最も良き対象であった。チブスが流行したといってはユダヤ人を大量に殺害し、ペストが流行したといってはユダヤ人を大量虐殺してきたのが、ヨーロッパのキリスト教社会の特色である。ユダヤ人は異教徒であるから人間でなく、動物の一種にすぎないという宗教的免罪符が、彼等キリスト教徒の良心を麻痺させた。
 ヒトラーのユダヤ人虐殺は、このようなヨーロッパの歴史の一貫にすぎない。これは、まさに、「祭祀とテロ」の不可分の関係を示すものである。

【『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(創拓社、1978年/Kindle版、2018年)】

 倉前盛通の著作はなぜか図書館にも少ない。一度国会図書館から取り寄せたのだが「禁コピー」指定されていて驚いたことがある。本気で取り組もうと思えばKindle版で読むのがいいだろう。ただし、amazonタブレットFireは頗(すこぶ)る評価が低いので、個人的には「Vankyoタブレット10インチ」か「Dragon Touch タブレット10.1インチ」あたりを狙っている。

読書とは手の運動」(草森紳一)と考えてきたが鈴木傾城〈すずき・けいせい〉のテキストを読んで大いに考えさせられた。

もう紙の書籍にこだわるな。電子書籍に完全移行を成し遂げよ │ ダークネス:鈴木傾城
変われないと生き残れない。今の日本が必要としているのは新しい人間だ │ ダークネス:鈴木傾城
紙の本・紙の資料・紙の写真からの脱却。私はこのようにやることにした │ ブラックアジア:鈴木傾城

 今日現在で私が保存している書籍のページ画像は11.7GBである。2011年から9年間で6万ページ分の撮影をしてきたわけだ。これだけで300ページの書籍200冊分に相当する。情報は無限に増殖する。死の間際まで。私がただただ欲するのは有能な秘書だ。

 倉前盛通の全集が出て然るべきだと思うのだが指をくわえて待っていても仕方がない。いよいよ電子書籍の海に船出する時が来たのだ、と覚悟を決めた。

 刊行された1978年においてテロとはハイジャックなどを中心とする赤色テロのイメージが強かった。しかし倉前はもっと広義に捉えており、「政治的・宗教的目的を果たすための暴力行為」と考えてよかろう。

 似たようなテーマは立花隆著『文明の逆説 危機の時代の人間研究』(1976年)にもあり、「戦争は人類の人口調節機能」と書いてあったはずだ。

 人類の歴史において「暴力の噴出」は至るところにある。あたかも句読点のように散りばめられているといっても過言ではない。魔女狩り~白人帝国主義による植民地での殺戮~インディアン虐殺が近代の歴史であり、二度の大戦を経てからは社会主義国で粛清の嵐が吹き荒れた(スターリン、毛沢東、ポル・ポト、ヒトラー)。そしてルワンダ大虐殺(1994年)に至るのである。

 高度に情報化された社会では憎悪が一気に拡大・増幅される。なかんずくインターネットでつながる人々は条件反射的に感情を拡散する傾向が強い。ここに新たな英雄や教祖が誕生すれば世界は右にでも左にでも動いてしまうことだろう。

 人類史において武器を手放した実績があるのはたぶん日本だけだ。16世紀には世界最大の銃保有国でありながら鉄砲を廃止し、明治維新では武士が刀を捨てた。子孫に誇るべき歴史である。人類の暴力性を抑制するには武士道を再興する以外にない。武士がひとたび刀を抜く時は切腹する責任が問われた。「殺す」ためには「死ぬ」覚悟が必要だった。幼少期からの厳格な教育がミラクル・ピースといわれた江戸200年の平和を支えてきたことは確かだろう。

2018-10-01

李承晩の反日政策はアメリカによる分割統治/『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 ・李承晩の反日政策はアメリカによる分断統治

『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘 2015年

 李承晩がアメリカの承認を得て大統領になった1948年当時は、当然のことながら韓国国民はみな日本統治時代のことを知っていたわけで、それゆえ過去を懐かしむということも多々あったわけですが、そうした親日的な人々が次々に投獄されることなった。李承晩が大統領に就任してからの2年間に、こうした政治的弾圧によって投獄された人々の数は、日本統治時代を通じて投獄された人々の総数を超えるほどだったといわれています。
 もちろん学校教育においては反日教育が徹底的に行われました。日本の出版物やテレビドラマ、歌謡曲などの大衆文化も「公序良俗に反する」として輸入や放送が規制されました。こうした規制は延々半世紀にわたって続き、部分的ながら開放されるようになったのはつい最近のことにすぎないのです。

【『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘(徳間書店、2014年)以下同】

 韓国の民主化・自由化が実現したのは金大中〈キム・デジュン〉大統領の時代で1997年のことである。李承晩の後を継いだ朴正熙〈パク・チョンヒ〉~全斗煥〈チョン・ドゥファン〉は軍事クーデター政権で、盧泰愚〈ノ・テウ〉も軍出身者だった。続く金泳三〈キム・ヨサンム〉は文民だが旧軍事政権と選挙協力をしていた。

 義務教育で反日教育を施しているのは中国と韓国であり、戦争を前提とした準備行動であると考えるのが妥当だ。反日デモや反日行動が報じられるようになり日本人の反中・反韓感情が一気に高まった。フリー・チベット運動によって眼(まなこ)を開いた人も多いことだろう。私もその一人だ。

 東アジアを不安定なまま維持するのがアメリカの防衛戦略である。自らの覇権のために他国を混乱させるのがアングロサクソン流だ。

 反共はともかく、なぜ李承晩はこれほどまで徹底して反日政策をとったのかといえば、それが取りも直さずアメリカの政策にほかならなかったからです。アメリカは朝鮮半島が日本の領土であることを認識していました。それゆえ日本と韓国を分割統治する上で、韓国における日本の残滓(ざんし)を一掃しなければならないと考えました。とりわけ韓国国民に染みついた過去の日本式教育をアメリカの意思にかなったものに改革しなければならない。そうでなければ日本と韓国を切り離すことができないからです。それにはまず徹底的に反日感情を植えつけて両国を離反させる、というのが当時のトルーマン大統領によるアメリカの韓国占領政策であり、それはまたディバイド・アンド・ルール(分割統治)の原則でした。そしてそれを忠実に実践したのが李承晩という傀儡だったわけです。

 分割統治は大英帝国のお家芸である。相手国の少数派を特権階級化して植民地経営を行うのを基本とする。反英感情を防ぐ盾(たて)のようなものだ。ルワンダで同じ民族の人々をツチ族とフツ族に分けたのもベルギーによる分割統治であった。それがあのルワンダ大虐殺にまで発展するのだ。

 韓国の建国が1948年(昭和23年)である。アメリカの反日政策はキッシンジャーの米中外交(1971年)にまで脈々と引き継がれた。周恩来に魅了されたキッシンジャーは在日米軍を「ビンの蓋(ふた)」に例え、飽くまでも日本の軍事的膨張を防ぐところに目的があると言明した。文化大革命を生き延びた周恩来からすればキッシンジャーなど青二才同然であったことだろう(『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘)。

 キッシンジャーはいまだ健在である。トランプ政権を陰で支えているのだ。現在アメリカでは軍産複合体を支配するユダヤ人旧勢力とユダヤ人新勢力の綱引きが激化している。米国内の主導権が変わったところでキッシンジャーが絵を描いている以上、東アジア戦略は変わることがないだろう。今後、韓国が北朝鮮に飲み込まれる形で統一されれば、日本の立ち位置はかなり危うくなる。台湾・フィリピン・ASEAN諸国と連携するしか道はない。

 韓国が埋め込まれた反日感情に自ら気づくことは難しいだろう。とすれば日清戦争と同じ状況が再びやって来るに違いない。

2018-09-29

玉に瑕ある傑作/『ジェノサイド』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明

 ・自虐史観のリトマス試験紙
 ・玉に瑕ある傑作

『実際のところ、約600万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれした生物は、猿人、原人、旧人、新人と姿を変える過程で、進化の速度を明らかに加速させている。人類の進化は、明日にでも起こり得るのである。
 現生人類から進化を遂げた次世代のヒトは、大脳新皮質をより増大させ、我々をはるかに凌駕(りょうが)する圧倒的な知性を有するはずである。その知的能力を、オリヴィエはこのように想像する。「第四次元の理解、複雑な全体をとっさに把握すること、第六感の獲得、無限に発展した道徳意識の保有、特に我々の悟性には不可解な精神的特質の所有」
 このような次世代の人類が出現し得る場所は、文明国ではなく、周囲との交通が遮断された未開の地である可能性が高い。こうした地域に住む少数の集団では、個体レベルの遺伝子変異が集団間に定着しやすいためである。
 では、新たに誕生したヒトは、どのように行動するだろうか。間違いなく言えることは、我々を滅ぼしにかかるだろうということである。現生人類と次世代の人類、この二つの生物種は生態的地位(エコロジカル・ニッチ)が完全に一致するため、我々を排除しない限り、彼らの生息場所は確保されない。その上、彼らから見た現生人類とは、同種間の殺し合いに明け暮れ、地球環境そのものを破壊するだけの科学技術を持つに至った。危険極まりない下等動物なのだ。知的にも道徳的にも劣った生物種は、より高度な知性によって抹殺される。
 人類の進化が起これば、ほどなくして我々は地球上から姿を消す。北京原人やネアンデルタール人と同じ運命を辿るのである――』

【『ジェノサイド』高野和明(角川書店、2011年/角川文庫、2013年)】

 私が初めて読んだ高野作品である。文章といい筋書きといい文句なしなのだが、如何せん自虐史観を披露してしまっている。20年前に出版されていたなら大ベストセラーとなっていたことだろう。「たまたま」とか「迂闊」(うかつ)で済ませるわけにはいかない。たぶん高野和明は真性の左翼だろう。

 それでも読む価値はある。ルワンダ大虐殺にも触れていてジェノサイドのメカニズムが巧みに説明されている。歴史認識のリトマス試験紙と考えれば有意な一冊といってよい。

 高野は満を持して本書を執筆したに違いない。自虐史観に対する批判も承知の上で書いたのだろう。そもそも大衆は近代史などに興味がない上、義務教育もマスコミも自虐史観を踏襲しているのだ。一定のファン層を拡大してしまえば、小さな嘘は見過ごされる可能性が高い。そんな思惑があったのではないか。

 無知な人々は嘘を見抜けない。そして人は漫然と見過ごす情報にマインドをコントロールされてゆく。「知は力」(フランシス・ベーコン)なのだがその力はプラスにもマイナスにも働く。

 ソ連が崩壊し冷戦構造に終焉を告げたわけだが左翼は死んでいなかった。驚くべき事実である。特に「新しい歴史教科書をつくる会」(1996年設立)や第一次安倍内閣(2006年)、第二次安倍内閣(2012年)に対して新聞・テレビを巻き込んで尖鋭的な動きが出てきた。

 就中、2017年5月3日、第19回公開憲法フォーラムに寄せたビデオメッセージで安倍首相が憲法改正に向けて踏み込んだ発言をするや否や、野党と新聞・テレビは森友学園問題~加計学園問題を執拗(しつよう)に取り上げ始めた。政権バッシングのキャンペーンともいうべき現象で国会は1年間にわたって空転を余儀なくされた。北朝鮮が核開発を行い、中国が領空・領海侵犯を繰り返す状況にありながら、国会では学校の許認可を巡る議論が継続されてきたのは異常事態といってよい。

 国を貶める行動や言論を放置し続けてきたツケが回ってきたのだ。スパイを取り締まる法律すら作ることなく、海外マネーが政党に流れるような国である。戦争でも起こらない限り目を覚ますことは難しいだろう。

ジェノサイド 上 (角川文庫)
高野 和明
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ジェノサイド 下 (角川文庫)
高野 和明
KADOKAWA/角川書店 (2013-12-25)
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2018-03-27

自虐史観のリトマス試験紙/『ジェノサイド』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明
『幽霊人命救助隊』高野和明

 ・自虐史観のリトマス試験紙
 ・玉に瑕ある傑作

 不幸というものは、傍観者であるか、当事者であるかによって、見え方はまったく異なる。

【『ジェノサイド』高野和明(角川書店、2011年/角川文庫、2013年)】

 傑作である。ただし自虐史観を除けば。「もったいない」との思いを禁じ得ないが、それにも増して「これほどのストーリーや文章を書ける知性を持ちながらも嘘を信じ込んでてしまう陥穽(かんせい)」を思わずにはいられなかった。

 ルワンダ大虐殺にも触れており、長篇SFの形をとりながらも「異なる人間との共生」がモチーフになっている。ひょっとすると高野和明は「中国人や朝鮮人(大東亜戦争当時)の当事者という立場に寄り添って日本を貶めている」可能性もある。日本だけではなく相手国にまで視野を広げれば違った答えが出てくることはもちろんあるだろう。ところがその目論見はまだまだ浅いのだ。

 視野を世界にまで広げてみよう。大東亜戦争は白人帝国主義による植民地支配を一掃した。国際連盟の加盟国は最盛時で59ヶ国だった(世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント 国際連盟)。第二次世界大戦後に設立された国際連合は51ヶ国でスタート。1961年には100ヶ国を超え、現在は193ヶ国となっている(国連加盟国加盟年順序 | 国連広報センター「後発」社会の発見 ~植民地の独立)。世界的な規模で民族自立を促したのは極東日本が起こした無謀な戦争であった。高野はこうした事実をどのように考えているのか?

 自虐史観のリトマス試験紙として一読をおすすめする。何も気づかない若者は「日本の近代史を学ぶ」に挙げた書籍を読むこと。

ジェノサイド 上 (角川文庫)
高野 和明
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ジェノサイド 下 (角川文庫)
高野 和明
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2016-07-18

必読書リスト その二


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『親なるもの 断崖』曽根富美子
『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『洞窟オジさん』加村一馬
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット
『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『5つのコツで もっと伸びる カラダが変わる ストレッチ・メソッド』谷本道哉、石井直方
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
『人生、ゆるむが勝ち』高岡英夫
『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修
『いつでもどこでも血管ほぐし健康法 自分でできる簡単マッサージ』井上正康
『「血管を鍛える」と超健康になる! 血液の流れがよくなり細胞まで元気』池谷敏郎
『血管指圧で血流をよくし、身心の疲れをスッと消す! 秘伝!即効のセルフ動脈指圧術』浪越孝
『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔
『新健康法 クエン酸で医者いらず』長田正松、小島徹
『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之
『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
・『病気が治る「気功入門」』中健次郎
『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎、古賀史健
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫
『永山則夫 封印された鑑定記録』堀川惠子
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン
『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環、水谷緑まんが
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子
『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン
『記憶喪失になったぼくが見た世界』坪倉優介
『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦』宮本省三
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『パレスチナ 新版』広河隆一
『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー
『黒い警官』ユースフ・イドリース
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント 経済的自由があなたのものになる』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ』橘玲
『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』橘玲、海外投資を楽しむ会
『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方』藤沢数希
『銀と金』福本伸行
『平成経済20年史』紺谷典子
『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー
・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎
『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン
『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵
『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン
『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
『金価格は6倍になる いますぐ金を買いなさい』ジェームズ・リカーズ
『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎
『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人

2016-05-15

Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付


 ・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
 ・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ

 中野信子の好きな曲。ストロマエはベルギー生まれのヒップホップミュージシャンだ。父がルワンダ人で母がベルギー人という家庭に生まれ、幼い頃に父がルワンダへ去ってしまう。そして父はルワンダ大虐殺の犠牲となった。こうした実体験を踏まえると、歌詞が示すものはあまりにも複雑で重い。

 ニコ動が表示できないので、リンクを貼り付けておく。

【ニコニコ動画】【HD】 Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付




(1:29:00から。観客の大合唱。バックメンバーに Yoshi Masusda という日本人がいる。1:37:30)

Racine Carree

stromaeのpapaoutaiが衝撃的!!

2015-10-31

子供を虐待するエホバの証人/『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
エホバの証人の輸血拒否

 ・読後の覚え書き
 ・子供を虐待するエホバの証人

『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの島』目黒条
『杉田』杉田かおる
『マインド・コントロール』岡田尊司

エホバの証人批判リンク集

 エホバの証人には細かい儀式や規則がなく「自由な民である」という主張とは裏腹に、実際にはさまざまな抑圧の決まりごとがあった。誕生日、クリスマス、正月など全ての行事はご法度。学校では体育の武道の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず校歌を歌うのも禁止。タバコはもちろんダメで、さらに乾杯の行為そのものまで禁止された。(中略)
 婚前交渉はおろか、思春期のデートも禁止である。エロ本は見てはならないし、男子であればオナニー禁止という異常な規則が敷かれる。陶然、結婚相手は信者同士でなくてはならない。

【『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅〈さとう・のりまさ〉(河出文庫、2017年/河出書房新社、2013年『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』改題)以下同】

 宗教とは「タブー(禁忌)を共有するコミュニティ」を意味する。仏教だと戒律、キリスト教だと十戒となる。

「してはならない」「せよ」との命令に宗教の本質がある。アブラハムの宗教は性的抑圧が顕著で、その反動と考えられる犯罪――聖職者による児童強姦など――が後を絶たない。イスラム教過激派は「天国に行けば72人の処女とセックスしまくることができる」と囁いてジハードを勧める。イスラム法で禁じられているアルコールも飲み放題だ。「♪天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」(「帰ってきたヨッパライ」)というわけだ。

 幼い子供は親を批判し得るほどの知識を持ち合わせていない。動機を欠いたまま彼らは信仰を強要される。私はエホバの証人が格闘技や武道を禁じていることを知っていた。それが戦争参加を拒んできた長い歴史に基づく考えなのだろうと勝手に称賛の思いを抱いてきた。だが上記の細かい禁止事項の数々を知ると、やはり首を傾(かし)げざるを得ない。型によって成型された異形の人間が見える。24時間にわたってレフェリーが見つめるような生活から伸び伸びと子供が育つわけがない。

 少なからずエホバに抱いてきた共感が木っ端微塵となったのは、母親たちが喜び勇んで子供を虐待する事実を知った時であった。

 でもやっぱり子供たちだから、集会時間が長くなると退屈になりぐずることになる。子供がじっと座っていないと恐怖のムチが待っていた。80年代は熱血的な証人たちの親が多く、スパルタ教育を行っていた。集会には小学生の子供がたくさんいた。集会中に悪さをすると、親が耳を引っぱってトイレに連れていった。そしてしばらくして「パシン!」と音が一発する。いつものことなので、講演者も何事もなかったかのように話を淡々と進める。トイレの扉が開いて顔を拭いながら友達が出てくるとそのまま席に戻る。
 ある時、2歳か3歳ぐらいの小さな子供がぐずりはじめた。何度か注意されたが止まらなかった。それで母親は子供をつかんで、立ち上がった。子供はもっと叩かれると分かっているので、大騒ぎをした。その子の母親は、暴れる我が子をトイレまで腕に抱えて連れていった。すぐに子供の泣きわめく声が響きわたる。それから「ピシ!」と音がする。子供はもっと大きい声で叫んだ。それでまた「ピシ!」と音がする。母親が子供に怒鳴っているのが分かる。子供の叫び声はもっと大きくなる。今度は「ピシャン!」というより大きい音がする。10分間ぐらいトイレからピシャ!ピシャ!と叩く音と、子供の泣き叫び声と親の怒鳴り声が続く。この間、同席している子供たちはみんな気まずくなり、神妙な顔をしてお互い見合わせた。大人たちは普通にメモ帳に、講演者の講話をペンでメモし続けている。
 やがてトイレのドアが開き、親子が出てくる。泣きじゃくったあとの子供が、ヒクヒク言いながら母親に抱えられて帰ってくる。集会が終わると、姉妹たち(※女性信者)がそのお母さんのところに寄っていく。
「姉妹、子供をしっかりとムチで教えることは、子供の救いのためよ」
「本当に頑張っておられて偉いわね。エホバも喜んでくださるわ」
「クリスチャンの子供はこうやってお行儀がよくなるから立派よね」
 といった励ましの言葉をお互いかけあっていた。
 こういった光景は日常的であった。日本の会衆ではムチ用にゴムホースが会衆に置かれていたところもあった。この懲らしめも子供を愛していれこそである。箴言22章15節の聖句には、『愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』と書いてある。さらに、箴言13章24節では『むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり、子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』と宣言している。
 だから子供を叩かない親は、「子を愛していないわよ」と姉妹たちから諭される。子供が叩かれると、集会の終わりに姉妹たちが嬉しそうにその母親のもとにやってくる。

 思わず私は唸(うな)った。「ここに宗教の神秘を解明する鍵がある」と。昨今、認知科学や行動経済学によって他人の感情や感覚は操作可能であることが判明しているが、宗教の目的は「認知の書き換え」にあるのだろう。宗教的正義や信仰の情熱が小さな暴力を容認する。戦争に反対する彼女たちが勇んで子を殴る姿はおぞましいと言わざるを得ない。

 姉妹たちは聖書の文言に額(ぬか)づき、神の意志に沿うべく、あらゆる工夫を惜しまない。

 ムチをしない親は子供を愛していないのである! だから親同士でしょっちゅうどのムチが効くか話し合っていた。
「姉妹のところ、ちゃんとムチしてる? しないとダメよ」
「スリッパは音がするだけで、痛くないわよ」
「うちなんて定規で叩いたら折れちゃったから」
「ベルトが結構効くわよ」
「ちゃんとズボンを脱がさないと効かないわよ」
 そして一人の熱心な姉妹は、ゴムホースにマジックで『子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』という聖句を書いて配り歩いていた。
「日本の姉妹たちはこれを使っているのよ。音がしないうえにとっても効くからどうぞ」
「あら姉妹、ありがとう。助かるわ!」
 そうして彼女が集会に持ってきた10本ぐらいのホースがすぐになくなった。私の母親も喜んでそのゴムホースを持って帰ってきた。このゴムホースは30センチぐらいなのだが、叩いても音がしない。それで力加減が分からず、思いっきり叩くことになる。木の棒やベルトとちがってゴムは皮膚にめりこむので、これが一番痛い。実際に、ある医療サイトには、体の内側の血管が切れるのでゴムで人を叩かないようにと記載されていた。

 中学生になった佐藤は弟と二人で母親から鞭を振るわれる。しかもケツを出してだ。既に抑圧傾向が見て取れる。普通の中学生男子なら母親の前でズボンを下げる真似はしないし、できないものだ。もし私だったら、甘んじてケツを出しておいて、その後直ちに反撃をし、母親をゴムホースで滅多打ちにすることだろう。以前書いたが私は小学5年生くらいから、理不尽に母親から叩かれると、思いきり足に蹴りを入れてやった。翌日、母の足には大きな青あざができていた。暴力に対抗し得るのは暴力のみだ。

 エホバの証人は邪教である。子供を虐待する宗教はやがて子供たちから手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。

 ルワンダ大虐殺においてフツ族のエホバ信者がツチ族を匿(かくま)ったというエピソードを聞いたことがある。その時は痛く感心したものだが、ひょっとするとそのフツ族も子供を虐待していた可能性があることを思うと、まったく興(きょう)が冷める。弱い者、小さき者をいじめる宗教は信ずるに値しない。


ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

2014-04-29

ダグ・ボイド、瀬谷ルミ子、船山徹、佐藤優、響堂雪乃、他


 15冊挫折、7冊読了。

ヤクザな人びと 川崎・恐怖の十年戦争』宮本照夫(文星出版、1998年)/ルポではなくエッセイ。筆致の軽さが圧縮度を薄めている。ただしエッセイだと割り切ればそこそこ面白い。交渉の仕方としても参考になる。

生の時・死の時』共同通信社編(共同通信社、1997年)/1997年度新聞協会賞受賞ルポ。紙面という限られたスペースであれば、また違った風にも読めたことだろう。だが書籍としてはやはり弱い。中途半端な散文の印象を免れず。各章の目のつけどろこは優れている。

楚漢名臣列伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2013年)/物語の起伏に欠ける。

シェルパ ヒマラヤの栄光と死』(山と溪谷社、1998年/中公文庫、2002年)/これは後回し。書いておかないと読めなくなるので記録しておく。

リデルハートとリベラルな戦争観』石津朋之(中央公論新社、2008年)/硬質な分だけ興味を引きにくい。読者を選ぶ本だ。

孟子(上)』(朝日文庫、1978年)/入門書には適さず。

人間精神進歩史 第1部』コンドルセ:渡辺誠訳(岩波文庫、1951年)/読むのが遅すぎた。

日本人が知らないアメリカの本音』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(PHP研究所、2011年)/文章に締まりがない。

正弦曲線』堀江敏幸(中央公論新社、2009年/中公文庫、2013年)/第61回読売文学賞受賞作。読ませる文章である。数学と詩が融合したような随筆だ。コアなファンがいそうな作家である。

いつまでも美しく インド・ムンバイのスラムに生きる人びと』キャサリン・ブー:石垣賀子訳(早川書房、2014年)/「ピュリッツァー賞受賞ジャーナリストが描くインド最大の都市の真実。全米図書賞に輝いた傑作ノンフィクション」。今回の目玉作品であったが100ページほどで挫ける。文章はいいのだが立ち位置が気になる。

不知火 石牟礼道子のコスモロジー』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(藤原書店、2004年)/ファンのためのアンソロジーといった体裁。

本を書く』アニー・ディラード:柳沢由実子訳(パピルス、1996年)/今まで読んだディラード作品では一番面白くなかった。作家向けか。

アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(幻冬舎新書、2013年)/この人、妙な前置きをする悪癖がある。『ドンと来い! 大恐慌』が当たったためだろう。もったいぶらずに直球勝負で書くべきだ。

[徹底解明]タックスヘイブン グローバル経済の見えざる中心のメカニズムと実態』ロナン・パラン、リチャード・マーフィー、クリスチアン・シャヴァニュー:青柳伸子訳、林尚毅解説(作品社、2013年)/書籍タイトルに記号を付けるのは邪道である。専門性が高すぎて、読めば読むほどわけがわからなくなる。

足の汚れ(沈澱物)が万病の原因だった 足心道秘術』官有謀〈かん・ゆうぼう〉(文化創作出版マイ・ブック、1986年)/足揉みが民間療法であることは知っていたが理由がよくわかった。講習料金を比較すると若石法(じゃくせきほう)に軍配が上がりそうだ。有名どころとしては他にドクターフットなどがある。所謂リフレクソロジーは法的に曖昧な立場でゆくゆく規制がかかるかもしれぬ。官有謀が立派なところは、「自分で行うのが足揉みの基本」としているところ。

 20冊目『読書という体験』岩波文庫編集部編(岩波文庫、2007年)/飛ばし読みしようと開いたのだが、スラスラと読み終えてしまった。それほど大した内容ではないのだが。

 21冊目『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(三五館、2013年)/前著『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』と比べると見劣りするが、辞書として使えばよい。響堂雪乃は扇動するメディアに扇動をもって対抗する。

 22冊目『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊』佐高信〈さたか・まこと〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社新書、2013年)/佐藤優の動きが怪しい。次々と毛色の変わった人物と対談集を編んでいる。副島隆彦との対談と異なり、佐藤が終始リードしている。つまり佐高の方が御しやすかったということなのだろう。あるいは聞く耳を持っていたということか。びっくりしたのだが「あとがき」で佐高が自分のことを「人権派」と称していた。他人の悪口ばかりを集めて本にしてきた男が説く人権とは何ぞや? 佐高は私が最も忌み嫌う人物の一人であるが、本書の価値に傷をつけるものではない。

 23冊目『サバイバル宗教論』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2014年)/臨済宗相国寺での講演を編んだもの。話し言葉でここまで語れるところに佐藤優の凄さがある。読み終える前に「宗教とは何か?」に付け加える。もちろん必読書入りだ。モヤモヤしていた佐藤への疑惑が解消された。佐藤が行ってきたことは「中間層の強化」=「民主主義の補強」であったのだろう。創価学会への接近もこれで理解できよう。ただし沖縄の悲哀を知る佐藤がパレスチナを語らぬ事実に私は不満を覚える。僧侶の質問のレベルが意外と高いのにも驚かされた。

 24冊目『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』船山徹(岩波書店、2013年)/労作。読み物ではなく資料だと割り切れば面白く読める。ただし最後の方は飛ばし読み。学術的には意味があるのだろうが、言葉の本質が情報である事実を踏まえると、この分野の裾野が広がることは困難であろう。翻訳に限らずすべての情報は「解釈される性質」をはらんでいる。正統とは歴史であって合理性を意味しない。思い切って言えば、翻訳そのものよりも翻訳後に脳とコミュニティの様相がどう変化したかを検証することが重要だ。日本の宗教に関する学問は一刻も早く文学と歴史の次元から脱却する必要がある。

 25冊目『職業は武装解除』瀬谷ルミ子〈せや・るみこ〉(朝日新聞出版、2011年)/前々から読みたかった一冊だ。ちょっと文章が甘いのだがこれはオススメ。順序としては『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子→本書→『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治が望ましい。更に興味があれば、『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治→『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレールと進めばよい。劣等感に苛まれた一人の少女がどのようにして世界へと羽ばたいたのか。体当たりの青春が美しい。

 26冊目『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳(平河出版社、1991年)/これは凄い。ただただ凄い。西水美恵子がブータン王国に抱いた印象を私はインディアンに重ねてきた。本書を読んでそれが極まった。ヨーロッパ人がインディアンを虐殺した時、人類の進化は止まったのだろう。彼らこそは無名のブッダでありクリシュナムルティであった。ブッダもクリシュナムルティもインディアン(インド人)だ(ブッダは現在のネパール出身)。密教(スピリチュアリズム)を解く鍵は『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集と本書にあると思われる。

2014-04-12

「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」









2014-04-07

大虐殺を見守るしかなかったPKO司令官/『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール


 以下は、1994年ルワンダで起こったことをめぐる私の物語である。それは裏切り、失敗、愚直、無関心、憎悪、ジェノサイド、戦争、非人間性、そして悪に関する物語だ。強い人間関係が作られ、道徳的で倫理的かつ勇敢な行動がしばしば描かれるものの、それらは近年の歴史の中で最も迅速におこなわれ、最も効率的で、最も明白なジェノサイドには太刀打ちできない。80万人以上の罪のないルワンダの男たち、女たち、子供たちが情け容赦なく殺されるのにちょうど100日が費やされたが、その間、先進世界は平然と、また明らかに落ち着き払って、黙示録が繰り広げられているのを傍観するか、そうでなければただテレビのチャンネルを変えただけのことだった。私の父や妻の父はヨーロッパの解放に手を貸した――その時、絶滅収容所の存在が暴き出され、声を一つにして人類は「二度とこんなことはさせない」と叫んだ。それからほぼ50年たって、私たちは、この言葉にできない惨事が起こるのをふたたび手をこまねいて見ていたのだ。私たちはこれをやめさせる政治的意志もリソースも見出せなかった。以来、ルワンダを主題にして多くのことが書かれ、つい最近に起こったこのカタストロフはすでに忘れられつつあり、その教訓は無知と無関心に埋もれている、そのように私は感じている。ルワンダのジェノサイドは人類の失敗であり、それはまた疑いなく繰り返される可能性があるのだ。

【『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール:金田耕一〈かなだ・こういち〉訳(風行社、2012年)】

武装解除 紛争屋が見た世界』で伊勢崎賢治を知った。伊勢崎の著作を数冊読み、ロメオ・ダレールを知った。

「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治

 何と、映画『ホテル・ルワンダ』に登場した国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)の司令官であった。



 それから直ぐに以下の動画を見つけた。

ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

 ロメオ・ダレールは元カナダ軍中将であった。その彼が帰国後、自殺未遂をした。ダレールはルワンダという地獄に身を置きながら、国連の政治に翻弄された。彼は虐殺を見守るしかなかった。真の地獄は目撃者をも間接的に殺するのだろう。ダレールは生還した。ルワンダからも、自殺からも。タフという言葉はこの男のためにある。


 当時、第8代国連難民高等弁務官を務めたのは緒方貞子であった。

ルワンダ: Strings Of Life
特別対談 | 池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 - JICA

 緒方に反省と悔恨が見えないのはどうしたことか。緒方もダレールを見捨てた一人ではなかったか?

 信じられるのは見捨てられ、傷ついた人間である。安全な位置や快適な空間にいる連中は信用ならない。戦争決定者が戦地へ赴くことはないのだ。紛争を支えるのは大国の無関心だ。彼らは原油やゴールドが埋蔵されていない地域には目もくれない。有色人種がいくら殺し合おうと知ったことではないのだ。

 この世界を肯定することは虐殺に加担する可能性がある。

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記
ロメオ ダレール
風行社
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2014-04-06

今日、ルワンダの悲劇から20年/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 そのとき私は、悪魔がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。
 シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈(なた)を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をぱっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 20年前の今日、それは起こった。大虐殺に手を染めたのは警察でも軍人でもなかった。同じ町に住む隣人であった。ここにルワンダ大虐殺の恐ろしさがある。教会による断罪でもなければ、異人種による侵略でもなかった。迫害ですらなかった。かつて宗主国であったベルギーが分割統治するべく、身長や鼻の高さなどで二つの民族を創作した。それがツチ族とフツ族だった。ベルギーに続いてイギリスとフランスが手を突っ込む。80万人の大虐殺にはミッテラン大統領の子息も関与したとされる(『山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ)。

 本書を読んだ時、私は45歳だった。「私を変えた本」は数あれど、この一書の衝撃に比するものはない。しばらくの間、精神的に立ち上がれなくなったほどだ。そして1年後にクリシュナムルティと邂逅(かいこう)する(クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)。


 レヴェリアン・ルラングァは既に鼻を削がれ、左目を抉(えぐ)り取られていた。眼の前で家族を含む43人が殺された。シボマナは顔見知りの男だった。

 本書後半で地獄を見た男の内省は神への疑問と否定に向かう。同じように私は大衆部(大乗仏教)の因果応報思想と向き合わざるを得なくなった。ルラングァは養父と暮らすことになる。この養父の言葉がいぶし銀さながらの光を放っている。

「それは勇敢だな」
 ある晩、雪の小道で養父リュックにばったり出くわした。私が、この冷え切った暗闇を歩きながら幽霊を追い払おうとしていたのだと打ち明けると、リュックはこう言った。
「そうさ、怖がらないことが勇気なんかじゃない。恐怖に耐え、苦しみを受け入れることが勇気なんだよ」

 私にとってはパウル・ティリッヒ著『生きる勇気』1冊分以上の価値がある言葉だ。セネカ(『怒りについて 他一篇』)と同じ響きが感じ取れる。理解と寛容こそが本物の優しさなのだ。だがルラングァの懊悩(おうのう)は続いた。


 二人の間には敬意のこもった愛情が織り成された。私たちの間には、随分押し付けがましい物言いもあれば、歯に衣着せぬ言い争いもあったが、言葉と沈黙を通して私たちは一緒に歩んでいった。
 例えば今日の午後も、二人の対話は随分白熱した。彼には既に話したことがあるが、私は母が腹を切り裂かれるのを見た時から信仰を失っていた。だから、模範的な説教なんかして、あまり私をうんざりさせない方がいい。私たちに生を与えておきながら私たちを死に置き去りにした、わが少年時代の司祭たち。彼らの説教を思い出すと吐き気がする。

 白人の司祭(カトリックの指導者。プロテスタントは牧師)は真っ先に国外へ逃亡した。フツ族の司祭は教会の中でツチ族の少女たちを次から次へ強姦していた。神よ……。あんたはいつまで黙っているつもりなんだ?


「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」
 精神科医ボリス・シリュルニックはこう答える。大戦当時子供だった彼は、両親が捕まった時見事に逃げ出すことに成功した(両親はアウシュヴィッツに送られて殺された)という経験の持ち主だ。
「服従によって、殺戮者は責任を免れる。彼らはある社会システムの一員であるに過ぎないからだ。そのシステムに服従して行う行為は全て許される」

 スタンレー・ミルグラムはアイヒマン実験を通してそれを証明してみせた(『服従の心理』スタンレー・ミルグラム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス)。権威者に判断を委ねた無責任が罪の意識を軽くする。集団は人間を手段として扱い、矮小化する。アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と答えた(Wikipedia)。

 いじめも組織犯罪も大量虐殺も根っこは皆同じだ。「命令されたから」「皆がやってたから」という安易な姿勢が80万人を殺すに至ったのだ。たぶん人間には「社会の標準に位置すれば生存率が高まる」という本能があるのだろう。だが、そのまま何も考えずに進めば、やがて欲望に翻弄されて人類は滅びてしまう。現実に資本主義や新自由主義が発展途上国の貧困や餓死を支えているではないか。

 ルワンダも同様である。ジェノサイドの犯人はベルギーであり、イギリスであり、フランスだ。かの国の人々はルワンダを始めとするアフリカ諸国から奪うことで豊かな生活を享受した。このように考えると先進国の犯罪性を自覚せざるを得ない。日本の経済発展はそのすべてがアメリカの戦争に加担することで成し遂げられた。ま、戦争のおこぼれ経済といってよかろう。ツチ族を切り刻んだマチェーテ(大鉈〈おおなた〉)の大半は中国製であった。私の生活が実は何らかの形でルワンダにつながっているかもしれないのだ。


 35歳になったレヴェリアン・ルラングァの心には今どんな風が吹いているのだろうか。

 先ほどツイッターでルワンダの画層を紹介した。Bloggerには暴力表現の規制があるため貼りつけることができない。リンク先を参照せよ。

小野不一(@fuitsuono)/2014年04月06日 - Twilog



強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送
虐殺の光景
ルワンダ大虐殺の爪痕 - ジェームズ・ナクトウェイ
ルワンダの子供たち 1994年
ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

2014-04-01

集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ


『「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり』山本清次

 ・現代人は木を見つめることができない
 ・集団行動と個人行動

 私たちは自分のまわりに混乱、不幸、ぶつかり合う願望を見、そしてこうした混沌とした世界の現実に気づいて、真に思慮深くて真摯な人々──絵空事をもてあそんでいる人々ではなく、本当に真剣な人々──は、当然ながら行動という問題を考究することの大切さがわかるでしょう。集団行動があり、また個人行動があります。そして集団行動は一個の抽象物、個人にとって好都合の逃避となっています。つまり、この混乱、たえず起こっているこの不幸、この災いは集団行動によって何とか変えることのできる事態であり、それによって秩序を回復できると思うことによって、個人は無責任になるのです。集団というものは、間違いなく虚構の実体です。集団とは、あなたでありそして私なのです。あなたと私が真の行動というものを関係性において理解しないときにのみ、私たちは集団と呼ばれる抽象物に頼り、それによって自分の行動において無責任になるのです。行動を改善するため、私たちは指導者や、あるいは組織的な団体行動に頼ります。私たちが指導者に行動上の指示を仰ぐとき、私たちは常に、自分自身の問題、不幸を超克するのを助けてくれると思われる人を選びます。が、私たちは自分の混乱から指導者を選ぶので、指導者自身もまた混乱しているのです。私たちは、私たち自身に似ていない指導者を選びません。選べないのです。私たちは、私たちと同様に混乱した指導者しか選べないのです。それゆえ、そのような指導者、教導者、およびいわゆる霊的(宗教的)なグルは、私たちを常により一層の混乱、より一層の不幸へと導くのです。私たちが選ぶものは私たち自身の混乱に由来しているので、私たちが指導者に従うとき、私たちはたんに自分自身の混乱した自己投影物に従っているだけなのです。それゆえ、そのような行動は、直接的結果をもたらすかもしれませんが、結局は常により一層の災いに帰着するのです。(ニューデリー、1948年11月14日)

【『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1993年)以下同】

 長文のため一段落ごとに区切って紹介する。私が暴力について考えるようになったのはV・E・フランクルの『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』を読んでからのこと。20代から30代にかけて集中的にナチスものを読んだ。40代半ばでレヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読み、私の価値観は木っ端微塵となった。同時期に読んだユースフ・イドリース著『黒い警官』とジョージ・オーウェルの新訳『一九八四年』を私は「暴力三部作」と名づけた。

 他にはパレスチナに対するイスラエルの蛮行(『パレスチナ 新版』広河隆一、『アラブ、祈りとしての文学』岡真理)や黒人奴隷(『奴隷とは』ジュリアス・レスター、『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン、『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要)、そしてキリスト教による暴力(『魔女狩り』森島恒雄、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス)などが私の血となり肉と化した。

 暴力の問題を突き詰めてゆくとヒエラルキーに辿り着き、最終的には集団そのものが暴力であることに気づいた。集団は集団であるというだけで既に暴力的要因をはらんでいるのだ。なぜならそこに利害が絡んでいるためだ。集団には構成員を庇護する機能がある。また集団には必ず目的がある。守るためにも目的を果たすためにも力が求められる。そして求心力が強ければ強いほど暴力的な様相を帯びる。

 そこまでは自力で辿り着いた。だがそこから前へ進むことができなかった。その時、私はクリシュナムルティと遭遇した(クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)。

 集団は虚構であり個人を無責任にする。小林秀雄が次のように語っている。

 信ずることは諸君が諸君流に信ずるということですよ。知るということは万人の如く知ることですよ。人間にはこの二つの位置があるんです。知るってことはいつでも学問的に知ることです。
 信ずるってことは責任をとることです。僕は間違って信ずるかもしれませんよ。万人の如く考えないんだからね僕は。僕流に考えるんですから、もちろん僕は間違えます。でも責任はとります。それが信ずることなんです。
 だから信ずるという力を失うと人間は責任をとらなくなるんです。そうすると人間は集団的になるんです。「会」が欲しくなるんです。自分でペンを操ることが信じられなくなるからペンクラブが欲しくなるんです。ペンクラブは自分流に信ずることはできないんです。クラブ流に信ずるんです。クラブ流に信ずるからイデオロギーがあるんじゃないか。そうだろ? 自分流に信じられないからイデオロギーってもんが幅を利かせるんです。
 だからイデオロギーは匿名ですよ、常に。責任をとりませんよ。そこに恐ろしい力があるじゃないか。それが大衆・集団の力ですよ。責任を持たない力は、まあこれは恐ろしいもんですね。
 集団ってのは責任取りませんからね。どこへでも押し掛けますよ。自分が正しい、と言って。(中略)
 左翼だとか右翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。あんなものに「私(わたくし)」なんかありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。

【『小林秀雄講演 第2巻 信ずることと考えること 新潮CD』】

 書籍(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』)にも収められているが要旨をまとめた代物となっている。暴走族でなくとも集団は暴走しやすい。群衆の中から石を投げるような手合いが必ず現れる。人は責任を失うと容易に罪を犯す。そして集団はリーダーに依存することで一人ひとりは更に無責任の度合いを強める(信ずることと知ること/『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編)。

大衆は断言を求める/『エピクロスの園』アナトール・フランス

 このように私たちは、集団行動は──場合によってはやりがいがあるものの──災い、混乱に帰着せざるをえず、また個人の側の無責任をもたらすということ、そして指導者への服従は常に混乱をつのらせるということを見ます。けれども、私たちは生きなければなりません。生きることは行動することであり、存在することは関係することです。関係なしにはいかなる行動もなく、そして私たちは孤立して生きることはできません。孤立などというものはないのです。生きるとは、行動することであり、また関係することなのです。そのように、より一層の不幸、混乱を引き起こさない行動というものを理解するには、私たちは自分自身を、そのすべての矛盾対立する要素、たえず互いに闘っている多くの面と共に、理解しなければなりません。私たちが自分自身を理解しないかぎり、行動は必然的により一層の葛藤、不幸に帰着せざるをえないのです。


 社会をよりよくするために始めた運動がその正義感によって内部分裂をすることは決して珍しいことではない。むしろ純粋であればあるほど分裂しやすい傾向がある。目的が明らかであれば目的以外の行動は規制され、禁止される。集団は規則を必要とするのだ。そして今度は規則が人々を縛り、蝕んでゆく。組織が大きくなると成果が問われ、内部で競争が始まる。組織は自律的に分割統治へ至る。

 ですから、問題は理解と共に行動することであり、そしてその理解は自己認識によってのみもたらすことができるのです。結局、世界は私たち自身の投影です。あるがままの私、それが世界なのです。世界は私とは別個にあるのではなく、世界と私は対立しているわけではありません。世界と私は別々の実体ではないのです。社会は私自身であり、二つの別個の過程ではないのです。世界は私自身の延長であり、ですから世界を理解するためには、自分自身を理解しなければならないのです。個人は集団、社会に対立してあるのではありません。なぜなら個人は社会だからです。社会とは、あなたと私とその他の人々との間の関係です。個人が無責任になるときにのみ、個人と社会との間の対立があるのです。ですから、私たちの問題はとてつもなく大きいのです。あらゆる国、あらゆる集団、あらゆる人が直面しているとてつもない危機があります。その危機に対して私たち、あなた、私はどんな関係があるのでしょうか。そして私たちはどのように行動したらいいのでしょうか? 変容を起こすためには、どこから始めたらいいのでしょう? すでに言いましたように、もし私たちが集団に頼れば、出口はありません。なぜなら、集団は指導者を含蓄しており、ゆえに常に政治家、司祭、専門家によって搾取されるからです。で、集団を構成しているのはあなたと私なのですから、私たちは自分自身の行動に責任を持たなければならないのです。すなわち、私たちは自分自身の性質、ひいては自分自身を理解しなければならないのです。自分自身を理解することは、世間から引き籠もることではありません。なぜなら、引き籠もることは、孤立を含んでおり、そして私たちは孤立状態で生きることはできないからです。ですから私たちは、関係における行為というものを理解しなければなりません。そして、その理解は、自分自身の葛藤し、矛盾する性質への「気づき」にかかっているのです。そのなかに平和があり、そして私たちがあてにできる状態をあらかじめ思い描くことは愚劣だと私は思います。自分が知らない状態を私たちが思い描くことなく、ひたすら自分自身を理解するときにのみ、平和と静謐がありうるのです。平和の状態はあるかもしれませんが、しかしたんにそれについて思い描くことは無意味です。

 集団は人間を手段化する。人々に組織の手足となることを強要する。社会とは所属の異名であり、我々のアイデンティティはどこに所属しているかで決まる。そこに「平和と静謐」はなく、仕事と役割を与えられるだけだ。人生の幸不幸は集団内の序列で決まる。

 正しく行為するためには、正しい思考が必要です。正しく考えるためには、自己認識が必要です。そして自己認識は、孤立によってではなく、関係によってのみもたらすことができるのです。正しい思考は自分自身を理解することにおいてのみ起こりうるのであり、そしてそこから正しい行為が湧き起こるのです。自分自身――その一部ではなく、矛盾撞着した性質を含んだその中身の全部――を理解することから起こる行為こそが、正しい行為なのです。私たちが自分自身を理解するにつれて正しい行為が起こり、そしてその行為から幸福が生まれるのです。結局、私たちが望んでいるもの、様々な形で、あるいは様々な逃避――社会活動、官僚主義的栄達、娯楽、崇拝、語句の反唱、セックス、あるいはその他の活動を通じての無数の逃避――によって私たちのほとんどが捜し求めているものは幸福なのです。が、私たちは、これらの逃避が永続的な幸福をもたらさないこと、それらが束の間の気休めしかもたらさないことを見ます。根本的には、それらには何ら真実なるもの、何ら永続的な歓喜はないのです。

「様々な逃避」――何と辛辣(しんらつ)な指摘か。我々は現実から逃避し、生そのものから逃避し、自分自身からも逃避しているのだ。我々が人生に求めているのは「単なる刺激」だ。それを幸福、成功、満足と呼んでいるのだろう。集団が与えてくれるのは役割であって生き甲斐ではない。組織のために貢献することで自分の存在が大きくなったように錯覚するのも間違いである。所詮、部分は部品でしかない。

 さて、自己認識・自己理解の旅に出るとするか。